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しんすけの読書日記『シラノ・ド・ベルジュラック』

中学校に入学したころ父と『或る剣豪の生涯』という映画を観に行った。
主演の三船敏郎は豪快な演技をする役者として当時は有名で、その顔立ちは少し強面の良い男だった。

だがこの映画で三船が演じた駒木兵八郎は鼻がでっかい不細工な男だったのだ。しかし涙を誘う映画でもあった。

その数年後、テレビで洋画再放送が頻繁に行われる時代が来た。その中に『シラノ・ド・ベルジュラック』もあった。
ぼくはそのとき初めて知った。『或る剣豪の生涯』は『シラノ・ド・ベルジュラック』を日本風に翻案した映画であることを。

その後、新国劇の『白野弁十郎』を観劇する機会があったが、これも『シラノ・ド・ベルジュラック』の翻案ものだった。

日本人の感性に訴えるところが『シラノ・ド・ベルジュラック』にあったから多くの翻案ものが登場したに違いない。

この新訳文庫はロスタンの台本にかなり忠実な翻訳であるらしい。それで気づいたことが一つあった。
この作品は、舞台か映画を観た後で読むものだ、ということを。

なぜなら舞台効果を狙った様々な台詞が、筋を知らない者には目障りで仕方ないものになると思われたからだ。
岩波文庫で読んだときにも、読むだけのものにしては余計な台詞が多過ぎるとは感じてた。だが舞台や映画の感動がそれらを些細なものにしていたことを、今回の読書で初めて気づかされたのだった。

前置きのようなことばかりを書き続けてしまった。
本書のあらすじを少しだけ書いておこう。

主人公のシラノは剣に強くて美しい歌を詠むことができる男。だが、顔は不細工なことこの上ない。
それに反してシラノと同じ軍にいるクリスチャンは、最上級のイケメンだ。ところがクリスチャンは、歌を詠むことはできず、恋する女の傍に行っても言葉さえかけられない不器用な男なのだ。
この二人の男が愛するのがロクサーヌ。シラノの従妹だが、たぐいまれなる美女。シラノのことは兄としては慕っているようなのだが。

ロクサーヌに恋のたけを伝えたく悩むクリスチャンに、シラノが手助けをした。ロクサーヌの部屋の傍まで行って、クリスチャンが気持ちを伝えられるようにと。

ロクサーヌもクリスチャンが近くまで来て恋の気持ちを届けていることに喜ぶ。だがそれはシラノが小声で語ることを棒読みしてるだけだった。場がしらけそうになるが、暗がりであること利用してシラノ自身がクリスチャンに変わって語りだす。
それは女を舞い上がらせるような、恋の告白だ。なぜならシラノは自分の想いをロクサーヌに語っているのだから。

やがてスペインとの戦争が始まる。シラノもクリスチャンもその戦いのためにパリを離れる。
シラノは戦場から、クリスチャンに変わってロクサーヌに多くの手紙を書く。

ある日、出す前の手紙を見せてもらったクリスチャンはそこに涙の跡が残っているのに気づいた。これはクリスチャンではなくシラノの気持をロクサーヌに伝えているものであることを。そしてシラノの愛の強さにクリスチャンは勝てないと思ったのではないだろうか。

一方、ロクサーヌはクリスチャンから送られてくる手紙でその恋心がさらに膨れ上がり、ついには危険を冒してまで戦地に駆け付けてくる。
クリスチャンに逢えはしたもの、クリスチャンは戦禍のなかで息絶える。クリスチャンは死の間際で気づく。ロクサーヌが愛しているのは、愛を唄う言葉なのだと。

それから十五年を経て、物語は悲劇として幕を閉じる。
だがシラノの死の床で、シラノの心根を知ったロクサーヌとってそれは悲劇だったのだろうか。

まだ、本書を読んでない人が、ここを読んでいたら一言注意しておく。

本書を題材にした舞台か映画を鑑賞した後で本書を読んでほしい。

前にも書いたが、舞台効果を狙った様々な台詞が筋を知らない者には目障りで読み終えるのが難しいと思う。

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