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【新城マガジン】今も昔も変わらない嬉しいことは「お客さんが喜ぶ笑顔」 -昭和51年創業 大衆料理かっぱ

今回は大衆居酒屋「かっぱ」さんを取材。なんと1代で47年も営業しているお店。子供から大人まで、どんなお客さんにも喜んでもらえるお店をつくっている大将のけんさんと奥さんのけいこさんにその想いを聞いてきました。


【料理人を目指すきっかけ】栄養士の勉強を通じて料理の道へ

ー 自己紹介をお願いします

志村健一しむらけんいちです。1955年に東京都品川の大井町駅から徒歩10分ほどの東大井で生まれ、高校1年生の頃に新城の南東側にある野川へ引っ越してきました。

ー どうして料理の道に進んだのですか?

専門学校を卒業するときに料理人の先輩に誘われたのがきっかけです。

高校を卒業後は栄養士の勉強のために専門学校へ進学し、入院食や給食のメニュー作成、カロリー計算などを学び、調理実習も行いました。

当初は小学校の給食を作る栄養士になることを考えていましたが、学生時代は経済的に余裕があまりありませんでした。そんな時、学校の先輩の中には自分で飲食店を経営している人もいて、その紹介でアルバイトを始めたのが料理をするきっかけとなりました。

料理を作ると、お客さんが喜んでくれる姿を見るのが本当に嬉しかったのを覚えています。そして、そのバイト先の店主が「学校を卒業したらうちに来い」と声をかけてくれて、その店で1年間の修行をしました。

その店は割烹料理屋で、最初は揚げ物から始め、次に汁物や煮物、お刺身などを覚えて身につけていきました。

兄貴が後押ししてくれて自分のお店をオープンすることに

ー どうして新城でお店を始めようと思ったのですか?

兄貴が物件を探してくれて、独立のきっかけをくれたので自分でお店を始めました。

お店を始める前に修行をしていた当時は生活が大変でした。
住み込みの寮で生活をしていましたが、先輩たちとの共同生活になるので、上下関係が厳しかったのを覚えています。
「俺より先に寝るな、俺より早く起きろ。」と言われたり、「俺は水つかってんだから、冬でもお湯使うな」と今思うと無茶なことも言われたりしていました。

また、先輩たちとの交流で飲みに行ったり麻雀をしたりすることもあったため、生活費が足りなくなって大変な日々でした。

そんな時に、自分の兄のところへ行き、少しずつお金を借りていました。
また、冬でも冷たい水を使っていたので手もボロボロでした。そんな姿を見ていた兄貴が「そんなんじゃダメだ、ちょっと探すから」といって武蔵新城で店舗物件を見つけてくれました。

まだ修行を始めてから1年しか経っていませんでしたが、兄貴から「お店をやれるか?」と聞かれ、「やれないことはないけど」と不安もありました。それでもその時がきっかけで、独立を決意しました。それがちょうど21歳の時です。

お客さんの期待に応えたくて、裏メニューがどんどん増えてしまった

ー 大衆料理「かっぱ」はどんな料理が食べられますか?

最初は日本食だけを提供する予定でしたが、お客さんのリクエストに応えられるような店を作りたいと思い、幅広いメニューを取り入れることにしました。
今では、スパゲティやかき玉そば、カツ丼や親子丼、揚げ物や餃子など、その日にある食材でできるものは何でも作っています。

もちろん、できないこともありますが、お客さんがこのお店で食べたいと思ってくれているなら、できる限り応えていきたいです。

メニューが増えることで食材のロスもあったり、儲けはほとんどありませんが、やっぱり料理を始めた当初と同じでお客さんが喜んでくれるのは本当に嬉しいからです。

手作りへのこだわり

ー どんなお客さんがよく来ますか?

手作りで料理を提供しているため、子供連れの家族にも愛されることが多いです。長年続けているので、子供の頃に来ていたお客さんたちが大人になって再び家族で訪れてくれることもあります。

手作りの料理は家庭料理に近い感覚があり、子供たちでも安心して食べられると思います。お客さんもくつろげる雰囲気で、家で飲んでいるような感覚を味わえるのではないかと思っています。だからこそ、毎回お店に足を運んでくれるのかもしれません。

また、手作りで料理を提供する理由は、加工食品では鮮度が違い、美味しくないと感じるからです。例えば、野菜や果物などは切った瞬間に美味しいものかどうかが分かりますし、食べた時の歯ごたえも変わってきます。

以前、フライドポテトが食べたいというお客さんがいた時に、その場にあるジャガイモを切って、片栗粉まぶして、揚げたらお客さんが「ここはジャガイモから手作りでポテトを揚げている」ってネットの口コミに投稿しちゃってそこから手作りでやらざるを得なくなっちゃいましたが、このほうが断然美味しくていいです。

同じように餃子も手作りで提供しています。初めは千歳食品の社長から「うちのニンニクを使って餃子を作って」と言われたことがきっかけで、注文があるたびに包んで焼いていました。

しかし最近はオーダーが追いつかないこともあり、コロナの時に手作りで包んだ餃子を冷凍してみることにしました。すると意外と美味しく、野菜もべちゃっとしていなかったので、この方法でも問題ないことがわかりました。40年も手作りでやってきて、当たり前になっていたけれど、新しいことを発見できました。

新城の暮らしについて

ー 新城に暮らしてて、新城の街はどんな街ですか?

新城の街はみんなが仲良く、家族のような関係に近いなと思うことがあります。

よく、「あのお店はすごく混んでいるよ」という人がいます。でも私は、「あのお店が混んでいて良かったな」と思えるような自分でありたいと思っています。他のお店が混んでいる時は、「あそうか、今日はあの店がメインなんだな」とお互いを思いやる気持ちが大切だと思います。

波のようなイメージで一時的に出ていても、また戻ってくる。それが新城の特徴だと思っています。そして、お店同士が争っているのではなく、横の繋がりで共にやっているのです。

特に1000beroのイベントを通じて、横の繋がりが大きく広がり、お互いに仲良くなりました。

また、新城の街並みも明るくなったと感じています。以前は夜遅くなると真っ暗だったため、トラブルや事故も起きていました。でも、明るくなったことで街がより住みやすくなったと思います。

最後にこれからのこと

ー 最後にこれからのことを教えてください

「やっぱり健康でね、1日でも永く、愛する妻と2人でやっていくこと」が今の目標。
47年間やってきていて、今も昔も変わらない想いは「お客さんが喜んでくれること」
そして、「料理おいしかったよ」って言ってくれることは1番嬉しいこと。
なので、これからも笑顔を届けていきたいし、自分も笑顔を見せていきたいなと思っています。

【店舗情報】大衆料理かっぱについて

【営業時間】
  16:30〜22:00
【住所】〒211-0044
  神奈川県川崎市中原区新城2丁目4-2 伊藤ビル
【電話】  044-788-9984

カメラマン:Sugiyama Takanobu
ライター:Sugiyama Takanobu


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