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『The Concert』(スターダンサーズ・バレエ団)が素晴らしかったという備忘録

先日体験したUKラッパー・Little Simzの<粋>なライブの余韻がまだ身体に残りつつ、今日もまた新たな興奮が抑えられないまま性急にnoteを開き整理されていない思考を書き殴ろうとしているのだが、とにかく凄かったのだ。東京芸術劇場プレイハウスで観たスターダンサーズの『The Concert』は、今年観たバレエ公演で一番心を持っていかれ、一番笑った舞台だった。

ニューヨーク・シティ・バレエ団による映像

もちろん、国内バレエ団による初上演(当初2020年に予定されていたものが延期しついに今回上演!)という記念碑的な要素に対する感動もあるだろう。一方で、初上演と言えど、ジェローム・ロビンス作としてニューヨーク・シティや英国ロイヤルなどいくつかの大きなバレエ団がレパートリーに加え、“絶対に揃わないバレエ”としてSNSでも度々拡散されてきた、いわば“既視感のある演目”でもある。けれども、スターダンサーズによって演じられたそれは、ストーリーと振付が分かっていても滅法面白い舞台だった。なぜか?ジェローム・ロビンス作品の普遍性と、他でもないスターダンサーズの禁欲性に支えられていたからではないか。

ジェローム・ロビンスの普遍性とは、今さら私が説明するまでもないだろう。「あるある」と頷いてしまいそうなシチュエーションながら、時に過剰な演技によってその「あるある」に亀裂を走らせることで、何年経っても面白い耐久性が備わっている。これは言い換えると、物語の<緩和>と演技の<緊張>による相互作用でもあるだろう。ちなみに『The Concert』は1956年に発表されたらしいのだが、その頃すでにジェローム・ロビンスは『王様と私』(1951年)や『ピーターパン』(1954年)等のミュージカルを制作しており、翌年1957年には『ウエスト・サイド・ストーリー』を手掛けている。つまり、まさにミュージカル演出家として才気を発揮していた絶頂期であり、その流れの中で振付された『The Concert』というのは、大胆な演技と突き抜けたエンタメ性が宿っているという点において納得がいく気がする。

ニューヨーク・シティ・バレエ団による映像

そして、スターダンサーズが保ち続けていた禁欲性について。この演目のゴールとして一つ分かりやすいものを挙げるとするならば、「観客の笑い」だろう。『The Concert』は、笑いなしに観ることはできない。ただそれゆえに、笑いを欲し物語を進めようという気持ちが一瞬でも先行してしまった時点で、恐らく身体は「遅れて」しまう。あくまで本作においては内面を身体が規定するのではなく、身体が内面を規定しなければならないのだ。そもそもそれはバレエやモダンダンス全般に言えることだが、『The Concert』のような演目において身体を先立たせることは特に難しい。しかも、稽古を重ねれば重ねるほど身体は慣れきってしまう。国内に素晴らしいバレエ団は数あれど、これはコンテンポラリーでユニークな演技を得意とするスターダンスバレエ団以外では成し得ない表現ではないか。

この日はトリプル・ビルということで他にも2つの演目が上映され、そちらも魅力的だった。同じくジェローム・ロビンス振付の1953年作品『牧神の午後』は、客席を鏡に見立てた稽古場でのシーンを描く。マラルメの詩にインスピレーションを得て創作されたらしいドビュッシーの「牧神の午後への前奏曲」が流れる中、男女2人が夢うつつの世界に溶けていくさまが圧巻。照明が抜群に素晴らしく、朝か夕方か皆目見当もつかない絶妙に神聖かつアンニュイな空気を演出していた。『The Concert』はそもそも全員が形を合わせるというバレエの基本的な概念を覆し、むしろ「合わせない」というところに難しさがあると思うが、『牧神の午後』の“客席を鏡に見立てる”という設定もなかなかの難易度だろう。

もう一つはジョージ・バランシン振付の1952年作『スコッチ・シンフォニー』。ダンサーが左右に並ぶという極めて精緻でシンメトリーな配置ゆえに、その中で戯れる2人のロマンティシズムが際立つ。

ニューヨーク・シティ・バレエ団による映像

今日の感動を忘れないようにと、一気に書き連ねてしまった。Little Simzとスタダンの身のこなしに色々と学ぶことの多い数日間だった。


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