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第166世天台座主・覚恕に関する多くの謎。まずは2つ。

謎1.なぜ出家させられたのか?


「なぜ出家させられたのか?」は、
「なぜ天皇になれなかったのか?」とも言い換えることができる。

 ──第一皇子ではないから

 そう言われれば、身も蓋もないが、もう少し複雑そう。
 覚恕は4歳の時に出家させられた。その理由を、私は「伊予局が覚恕を生んだ年に万里小路栄子が皇子を生んだから」、もしくは、伊予局が高齢なことを考えると、「万里小路栄子が双子を生んだから」だと考えているが、通説は「母の身分が低かったから」である。

 三条西実隆『実隆公記』によると、覚恕が初めて参内したのは11歳で、(つまり、11歳まで父・後奈良天皇とは隔離され、和気親就の屋敷にいた)参内すると、即座に髪を切られ、出家させられたという。
 覚恕の出家は、公表されているように4歳ではなく、11歳の時だというのである。実は、覚恕は、公表されている年齢よりも7歳年上で、正親町天皇の兄であった。第一皇子であったが、母親の身分が低いので、天皇になれないよう、出家させられたとも考えられるが、出家しても還俗すれば天皇になれる。

 ──覚恕の母・伊予局とは何者か?=父親は誰か?

 覚恕の母・伊予局の正体について、『諸門跡伝』に「小槻雅久宿祢女」(小槻宿袮は、第11代垂仁天皇の皇子を祖とする皇別氏族)とあるが、写本によっては「刑部卿親就女」とある。これはもう写し間違いのレベルではない。明らかに、母親の正体隠しが発動している。

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 後奈良天皇の御子を沓掛城主・近藤伊景の娘が産んだという。
 その近藤伊景の孫が覚恕なのか?

 また、藤原保通の娘・中が産んだ子が、関白・豊臣秀吉だという。
 関白・豊臣秀吉は、覚恕や正親町天皇と兄弟なのか?
(秀吉は藤原中の前夫(実際は未婚)・後奈良天皇との子で、秀長は後夫・木下昌吉(後に出家して筑阿弥)との子だそうです。)

太閤山常泉寺(名古屋市中村区中村町木下屋敷)公式HPより
 太閤の御母堂天瑞院殿(大政所)は藤原保通の娘です。保通は朝廷に仕えて後柏原天皇の重鎮でしたが、永正10年秋(天瑞院殿2歳)に失脚し、中村に隠居させられて、後年赦し得て京都に還り、旧宮に復帰します。
 天瑞院殿は容姿端麗な娘に成長しました。そして後奈良天皇に寵愛され御懐妊しました、宮中の姫これを妬み危害を受ける恐れある為に、名古屋に逃れ筑阿弥の宅に寄居する。天文5年元旦に1男子を産む。是即ち、豊太閤であります。
 後に筑阿弥の妻になり秀長と二女を儲ける。筑阿弥の名は昌吉で、始め織田信長に仕えて後に、剃髪し出家します。筑阿弥は其の法名です。
http://www.jousenji.or.jp/index.html


 覚恕の母親は、万里小路栄子よりは身分の低い女性で、伊予局は養母なのかもしれない。(伊予局は老女で、子は産めないと思う。)個人的には、覚恕は万里小路栄子が産んだ双子で、伊予局(の父親・和気親就)が片方を引き取って育てたのではないかと思っている。(万里小路栄子が育てた子は10歳で早世。)『実隆公記』に「伊予、命婦也。故女院撫育之人也」とある。

 覚恕が天皇になれなかった理由は、「母親の身分が低いから」だとされるが、『実隆公記』に、「有子細久親就卿預申之」(子細有り、久しく親就卿、之(注:覚恕)を預かり申す)とある。もし、伊予局の父親が、覚恕を11年間預かっていた和気親就であれば、彼は罪人となり和気家は潰されたので、覚恕が天皇になれなかった理由は、「祖父(母親の父親)が罪人になったから」なのかもしれない。

《覚恕の母・伊予局(三位局)の正体》

・説①:小槻雅久宿祢(壬生雅久)の娘(『本朝皇胤紹運録』)
・説②:小槻晴富の娘(壬生輔世『椒庭譜料』)
・説③:刑部卿親就(和気親就)の娘(『諸門跡譜』)
・説④:刑部卿親成(和気親成)の娘(『諸門跡伝』)
・説⑤:医師・半井富就の娘の和気就子

『後奈良天皇実録』(全3巻)ゆまに書房、2010年
『本朝皇胤紹運録』(村上本)、『諸門跡譜』、『諸寺院上申』等には、「刑部卿親就女」、『諸門跡伝』には「刑部卿親成女」と為し、又、『本朝皇胤紹運録』(松岡本)(後陽成院本)(彰考館本)等には「小槻雅久宿袮女」と為すも、今姑(いましばら)く『椒庭譜料』の記載に従ふ。『実隆公記』「大永5年4月1日の条」に、「親王御子、母伊予局、有子細久親就卿預申之」とあるを見れば、和気親就の女とせる事由をも察すべし。

【まとめ】
通説:覚恕は次男だったので、天皇にはなれず、出家させられた。
異説:覚恕は長男だったが、母親の身分が低いので天皇になれなかった。
ドラマ:生まれた時に醜い姿であったので、遠ざけられた。
戦国未来説:双子だったので、遠ざけられた。(もう1人は10歳で死亡。)
https://ameblo.jp/sengokumirai/entry-12639948655.html

謎2.なぜ天台座主になれたのか?


 覚恕は、天台座主になれる身分ではなかったのに、天台座主になれた。
 天台座主は太政官が官符をもって任命する公的な役職であるが、正親町天皇は、これまでの慣例を破って、覚恕を天台座主にしたのである。なぜか?
 覚恕の天台座主就任の背景には、足利義昭と織田信長の確執があり、足利義昭が奥の手を使って織田信長に勝ったことになる。

【まとめ】
正親町天皇と足利義昭の思惑が重なったので、天台座主に押し上げた。
https://note.com/senmi/n/n8758fa30313c

★2020年NHK大河ドラマ『麒麟がくる』の覚恕


 覚恕は醜い弟であり、美しい兄を妬んでいるという。生まれながらに歯が3本生えていた不吉な「鬼子」だったので、「醜いから出家させられた(遠ざけられた)」とする。(私は、当時「不吉」と考えられていた双子だったので引き離されたと考えている。)

 実際の兄弟仲は良かったと思うが、覚恕が兄を妬んでいたとしたら、生まれの良さであろう。自分の方が早く生まれたのに、母の身分が低かったために弟とされ、天皇になれなかったという。

 ちなみに、今日は11月22日。煕子は出なかったが、「いい夫婦の日」。
 明日の「勤労感謝の日」は「いい夫妻の日」にして「いい兄さんの日」。

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