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スピッツ 個人的アルバムランキング

 みんな、スピッツが好きだ。「好きなアーティストは誰?」の最適解もスピッツらしい。俺はサカナクションだと思うんだけど…って言おうとしたらスピッツにちゃんと向き合ったことが無いと気付きました。そこで企画盤等を除いたオリジナルアルバム全16枚を疾風、いや8823の如く駆け抜けたので(おこがましいですが)順位を付けさせていただきました。

スピッツについて

 今更「福岡出身で~」や「昔はパンクバンドで~」と書くことに意味はなさそうなので、ちょっと個人的なことを先に書こうと思う。

 私は自分からスピッツに触れたことが無かった。よく聞く「母親がスピッツの大ファンで~」みたいなのも無い。名盤カタログに載っているアルバム何枚かを数回通して聞いたくらい。そんな付き合い方でも有名な数曲はカラオケで友達が歌っている時に自然と口ずさめたりするからスピッツの浸透力は一線を画してるなと改めて。

 とはいえ、思い返すと2回程スピッツにハマる機会を逃していた。私は2014年頃からTSUTAYAなどを駆使して音楽を聴くようになったのだけど、初めてスピッツのリリースに立ち会ったのは15枚目の「醒めない」であり、TSUTAYAで借りたと記憶している。このアルバムがビビッと来ていたら全カタログを借りていたのだろうが、大きな衝撃を受けることはなく機を逸した形になった。

 また、もう一つ逃した機会として「草野マサムネのロック大陸漫遊記」のリスナーだった時代を挙げる。日曜の21:00から放送されていたこの番組は毎週一つのテーマに基づいて草野マサムネ氏が5、6曲選曲する、という私の音楽的見地を広めたくれた素晴らしいプログラムだった。RIDEとかを知ったのもこの番組で、一時期毎週聞いていたのだが、キュレーションしてくれたマサムネ氏ではなくて紹介された曲達に気を取られていた。スピッツを遡ることは無かった。

 だからどんな場面でも私はスピッツの話題が出ると口を濁していた。聴けばいいのに。

そして少し時は経ち、やっと今、自信を持って「スピッツ、好きっすよ」と言える。

スピッツとアルバムというフォーマット

 スピッツはヒット曲が多く、アルバムという単位で製作を重ねたバンドではないと勝手に思っていた。名盤「ハチミツ」などが特例でなのでは…と。後述するが完全にそれは誤りである。如何にヒット曲をアルバムの中で輝かせるかを追及したり、あるいはヒット曲よりもアルバムの統一感を重視したりと常にアルバム指向で作品を残している。さらに言えばアルバム毎に新たなサウンドを取り入れたり、或いはプロデューサーに振り回されたりと、その歩みはロックバンドのそれである。というかスピッツは紛れもないロックバンドだし、時代を共にしたスーパーカー、ミッシェル、くるりといったバンドらと並べて語られるのも納得である。この辺の関係は当時のインタビューとか批評とか見ないと分からないし、後追いだと時代感を掴みにくいので難しいところではあるのだけども。

ランキング

 というわけで16位から1位までコメントを添えて発表します。音楽的凄さ、みたいな観点を持ち合わせていませんので完全に好みです。

16位 「スーベニア」
 2005年発売、「春の歌」が収録されている11th。スピッツは大名曲をアルバムの1番良い所にちゃんと配置してきたバンドなのだけど、冒頭に「春の歌」を置かざるを得なかったというのがこのアルバムの本質かもしれない。M2「ありふれた人生」M4「優しくなりたいな」では亀田誠治プロデュースの好みではないところが前面に出てしまっているなと。壮大なストリングスをアルバムの序盤に配置するのは好みではなかった。その後のM5「ナンプラー日和」の沖縄民謡的感触も評価が分かれるだろう。ただM7「ほのほ」M8「ワタリ」など情感こもった曲は初期のドロドロした雰囲気を感じさせる。何度でも言うが「春の歌」が収録されている時点で1つのハードルは間違いなく超えている。


15位 「CRISPY!」
 1993年発売4th。売れることよりもバンドとしての方向性を固めることに重きを置いたのが1st~3rdだとすると、このアルバムは売れることに重きを置いたアルバムといえる。M1「クリスピー」からは今までの「ポップなのに明確に存在する陰」というのがあまり見られないし、M6「夢じゃない」、M7「君だけを」などは歌謡曲的J-POP仕草が過剰な気が。M9「多摩川」は具体的なモチーフを持った曲で、草野マサムネの作ってきた詩世界とはタッチが異なり意外に思いながらも楽しく聴けた。
M2「夏が終わる」におけるシティポップ感とかは様々な要素を意識的に取り込んできたバンドなんだな、という事実が浮かび上がる。
 こういった方向性に振り切ったアルバムが「売れなかった」という事実はスピッツ史の中で大きなトピックであり、このアルバムでJ-POPの作法を体に取り込んだ彼らは後の作品で大きく羽ばたくことになる。そういったディスコグラフィーにおける過渡期ならではの魅力という点では聴きどころが豊富な一枚。


14位 「とげまる」
 
2010年発売13th。時間は少し進むが草野マサムネは2011年の東日本大震災を受けて心の調子を崩してしまった。スピッツに限らず、2011年以降に発表された邦楽と東日本大震災を不可分とするのは難しいと考えているのだけど、このアルバムは東日本大震災の前年に発表されたこともあり全体的にポジティブなイメージに満ちている。
 「冒険者」「探検隊」「君は太陽」と歌えるスピッツに対して『君と僕vs世界』の中でドロドロになっていた時代を考えると「変わっちまったなぁあ!!」と思ってしまった。


13位 「見っけ」
 2019年発売の16th。結成30周年を過ぎて「誰もが知っているけど国民的バンドとしてのプレッシャーからは解放されている」というポジションに収まったスピッツ。朝ドラの主題歌を担当しながらも紅白に出場しなかったりと本当に不思議な立ち位置にいるバンドだ。「優しいあの子」は朝ドラ「なつぞら」における北海道の広い平野と草刈正雄の姿が脳裏に浮かぶ。「ありがとさん」「ラジオデイズ」等は初期のスピッツを考えるとあり得ないような率直さ。時々ルーツを覗かせながら求められるスピッツ楽曲を無理せず制作してそうなのは素直に凄い。「ヤマブキ」みたいな曲を書かせたら右に出るソングライターはいないはず。


12位 惑星のかけら
 1992年発売3rd。「ほしのかけら」である。いわゆる初期三部作の最後のピースとなる作品。M1「惑星のかけら」の冒頭から当時世界を席巻しつつあったグランジ系列のギターリフが鳴るように、肉体的なバンドとしてのスピッツを感じることができる。が、ずっとそれを突き通すのではなくM3「僕の天使マリ」ではどこかウェスタンな雰囲気を取り入れたり、M4「オーバードライブ」では突如サンバが襲ってきたりと様々な要素に手を広げた作品。M6「シュラフ」のストーンローゼスを思わせるようなサイケ感は好き。
そんな序盤~中盤を抜けると「日なたの窓に憧れて」「ローランダー、空へ」「リコシェ号」の3曲が収録されている。この3曲はスピッツのシグネチャーである「普遍的ポップセンス」「どこか陰を感じさせる抽象度の高い歌詞」「曲に寄り添りそうもアグレッシブな演奏」という要素を持っており、国民的バンドとなるスピッツの未来を予感させる指折りの曲達だ。


11位 「醒めない」
 2016年発売15th。私が初めてレンタルしビビッとあまりこなかった作品です。ビビッとこなかった原因は一緒に借りた「MAKING THE ROAD」に完全に喰らってしまたからである。そんな記憶も新しいが、このアルバムはスピッツにしては珍しく、アルバムを通してのストーリーがある。M1「醒めない」でロックミュージックへの憧憬を歌い現実を離れ、M2「みなと」は現実と夢の中継地の役割を担う。以降の軽快でどこか浮世離れした抽象的なタイトルの曲達は夢の中のロックショウ。その夢はM11「ヒビスクス」のやや唐突に思えるピアノのイントロと共に終え現実へ。最後の曲「こんにちは」で主人公はベッドを降り扉を開ける…。黄金期を過ぎてもここまで高打率で良い作品を作り続けているのには脱帽。


10位「スピッツ」
 1991年発売1st。伝説の始まり…ではあるし、1stならではの疾走感・粗削り感も確かに存在する。だがそれ以上に底知れない異様さ、歪さのようなものがアルバム全体を覆っている。特に歌詞世界の倒錯感がこのアルバムに妖しいエロティックな魅力をもたらしている。
ネオアコ直系の雰囲気を持つM1「ニノウデの世界」での少年の純粋さから来る狂気も、M3「ビー玉」のサビで使われる「チィパ チィパ チィパチィパ」といった妄想の果てのような表現も、マサムネ氏の少年性を持ちながらも芯がぐらついた声で歌われることでポップさ・異様さの奇妙な融合が行われている。爽やかなアコースティック調でわりと明るいトーンで歌われる「死神の岬へ」ではひたすらに寂し気で人の血を感じさせない景色が並べられており、ここでも曲調と死を思わす歌詞世界のアンバランスな倒錯という魅力を堪能できる。
そしてそんな曲達を越えると爽やかに駆け抜けるような3曲が並び、最後に鳴らされるのは勇壮な「ヒバリのこころ」である。「僕らこれから強く生きていく」という宣言とともにアルバムが終わるのは大きな希望ではないだろうか。


9位「名前をつけてやる」
 1991年2nd。歌詞を排除したスキャット風の歌唱から始まる「ウサギのバイク」で幕を開けるアルバム。印象的なのはアルバム全体に広がる蠱惑的な揺らめきだ。もちろん所々にハードロックを感じさせる要素だったりはあるのだけど、やはり独特の浮遊感がこのアルバムを貫く。M3「名前をつけてやる」のギターにかかるコーラスのエフェクトはこのアルバム全体の雰囲気を表している。バンドのグルーヴ、ギターエフェクトが生み出す空間的広がりといった要素を持った音楽だと90年代のシューゲイザーが思い浮かぶのだが、「Loveless」が91年発売、「Nowhere」が90年発売なので英国シーンと共鳴していたことがわかる。
 そんなサウンドに加えて全編にわたって抽象的で幾通りに解釈出来る歌詞が並ぶ。頭に入ってくる言葉が断片的で上手に繋がらないことも含めスピッツ随一の没頭感があるアルバムである。


8位「小さな生き物」
 2013年発売13th。10年代にスピッツは4枚の作品をリリースし、その中で1番好きだったのがこのアルバム。黄金期を抜け2000年代も終わりに近づき、「爽やかさ」「ポップさ」「歌謡曲感」といった要素を「常に平均点以上でリリースする」バンドとしてスピッツは求められるようになった。その過程でできたのが2010年「とげまる」で陽的なムード、前向きなトーンが鳴る作品である。そして2011年、東日本大震災を受けて草野マサムネは体調を崩してしまった。そんな経緯もあって発売されたのが「小さな生き物」であり、新機軸を取り入れながら「求められるスピッツ像」のハードルを飛び越える一方でソフトに厭世的な、現世との距離感を感じるなんとも絶妙なバランスの上で成り立つ渾身の一枚だ。
 M8「scat」でのインストエモのようなバンドサウンドを魅せてくれる。スピッツにおいて象徴的に使われている"海"に関係する言葉をファンシーに用いたM12「潮騒ちゃん」は、潮騒というテーマもあり可笑しさの中に確かな現実逃避への願望が読み取れる気がする。M13「僕はきっと旅に出る」は「空も飛べる【はず】」と歌った、投げやりで現世に執着の無い俺たちの大好きな草野マサムネです。


7位「空の飛び方」 
 1994年発売5th。期待通りに売れなかった「CRISPY!」を経ての5枚目。このs作品からはとんでもなく売れたシングルを如何にアルバムの中に配置するか、といった創意工夫も聴きどころとなる。
 このアルバムはまず最初の3曲からして前作とは風格が違う。軽快なタム回しから間髪入れずに草野マサムネの歌から始まる「たまご」、終盤のサビの繰り返しが驚くほど気持ち良い名曲「スパイダー」、そしてそのサビがフェイドアウトしたら少し間を明けて「空も飛べるはず」のイントロ…と酔いしれてしまう程「空も飛べるはず」を聴かせるまでの流れが素晴らしい。続く「迷子の兵隊」はマッドチェスターの香りを漂わせる楽曲で、アルバムの流れを遮断しない程度に新たな風を吹かせる。
 以降の数曲も秀逸で、ハードロック、ホーンセクションなど程よく遊びを入れながら裏の主役「青い車」へ展開する。初期三部作で書かれた「純粋な恋心がもたらす倒錯した愛」をポップでコーティングしながらも寂寥感や死の匂いが横たわる名曲である。そして「青い車」の雰囲気を引き継ぐマイナー調の「サンシャイン」でアルバムは幕を閉じる。前半の陽な雰囲気をラスト2曲でビターに締め、程よい緊張感で終わる。アルバムとしての完成度が高すぎる。


6位「ハチミツ」
 1995年発売6th。幾多の日本の名盤カタログでもスピッツの代表アルバムとして紹介されている名盤。1stから築き上げてきた死と生と性が入り混じる世界観、華美ではないがキラキラしたバンドサウンド、草野マサムネの黄金のメロディー(Spotifyのキャッチコピーです)といったものがまさに黄金期といった様相で高次元なポップスとして結びついた文句なしの作品。また、当時隆盛を極めていた渋谷系との共鳴とも言える雰囲気も持ち合わせており、当時のバブル崩壊後も残っているなんだか浮かれたムードを感じることもできる。
 この作品も印象的なのは「ロビンソン」を中心とした中盤~終盤にかけての流れである。シンセサイザーの音と表拍で刻むギターがアルバムの中で少し特異な湿ったい情景を描く「あじさい通り」のアウトロがフェードアウトすると始まる「ロビンソン」。「誰も触れない二人だけの国」というモチーフは「世界から逃げる君と僕」という初期から続いたモチーフの延長線上にあり、頭一つ飛び出た名曲というよりかは出るべくして出た名曲と捉えている。その後の「Y」も楽器の音が抑えられたバラードである。前半は木漏れ日のような温かさで楽曲たちはアルバムを彩るが、後半にかけて少し色温度は下がっていく。が、それで終わらず朗らかに男女の関係を描いた「グラスホッパー」で再びアルバムは陽気な足取りを取り戻し、「君と暮らせたら」では爽やかにアルバムを〆る。
 比較的短い尺の曲が並んでいることも含め「アルバム」というフォーマットへの大正解を叩き出したような1枚である。


5位「フェイクファー」
 
1998年発売8th。「ハチミツ」「インディゴ地平線」に連なる黄金期スピッツ三部作の最終作品。キラキラ輝く「ハチミツ」、その反動でくすんだ色の中で唯一無二の魅力を放つ「インディゴ地平線」を経由して辿り着いた会心の一枚。とはいえ上記二枚のようなアルバム全体の統一感は少し薄れる。ハードロック風味の「センチメンタル」「スーパーノヴァ」、高らかなホーンセクションが印象的な「謝謝!」など遊びととれる楽曲も含め、これまでのスピッツの総決算といった作品である。アルバムの中心となる「楓」も2000年代のJ-popバラードの在り方を幾らか変えてしまった強度を持つ名曲なのだが、この作品をここまで高い評価を誇る理由はタイトル曲ながらアルバムの最後の曲となる「フェイクファー」が収録されているからであろう。
 クランチギターのアルペジオから始まり、スピッツの確かな歩みを裏付けるような強靭なドラムがグイグイと楽曲を引っ張る。声を振り絞って「今から箱の外へ二人は箱の外へ未来と別の世界 見つけた そんな気がした」と、ずっと描いてきた「君と僕vs世界」の構図に決着をつけるように歌う様子はスピッツの物語の一つの到達点であろう。
 「フェイクファー」は求められるスピッツ像、過去のアルバムと対峙しながら自らの歩みを力強く肯定する珠玉の名曲であり名作だ。


4位「ハヤブサ」
 2000年発売9th。J-POP最前線となってしまった彼らがバンドとしての肉体を完全に取り戻した1枚。ハードロック的な肉体性もドリームポップ・シューゲイズ的浮遊感も持ち合わせながら、全体的にグランジ・オルタナティブロックのノイジーで存在感のあるギターのフィーリングがある。その上築き上げたポップさは全く損なわれておらず高純度のギターポップアルバムといえる。
 M3「いろは」のリフで押し通しAメロ/サビの境界線がはっきりしない感じ、M4「さらばユニヴァース」の気だるげなバンドサウンドなどもスピッツなりのグランジへの解答と受け取った。タイトルトラック「8823」なども明確にバンドサウンドが活き活きしており「ロックバンド・スピッツ」を濃厚に楽しめる。草野マサムネのボーカルも肩肘張らない脱力感と攻撃性のミックスで強い魅力を放つ。
 ドロドロとしたインスト「宇宙虫」から続くデュエット曲「ハートが帰らない」、「ホタル」を抜けるとアルバムで最もポップかつノイジーな「メモリーズ・カスタム」と続く。このアルバムの雰囲気、当時のスピッツが最も現れている曲ではないだろうか。
 J-POP的サビの無い「アカネ」で終えるという構成も含め、洋楽指向のロックバンドとしてのスピッツを全編通して味わえる大傑作です。


3位「さざなみCD」
  2007年発売12th。スピッツはキャリアを通じて「青」「海」といったモチーフを象徴的に用いてきた。この「さざなみCD」はそのタイトルやジャケットからその「青」「空」を否が応でも連想してしまうし、大きな期待を持って聴いた。M1「僕のギター」では箱庭の世界を描いてきたスピッツが歌い手としての自分を詩の中に落とし込んだ点で特異な楽曲である。続いて「桃」、バッキングボーカルも迎えたサビの開放感が気持ちの良いM3「群青」と、ひたすら嘘みたいに爽やかな曲がならぶ。しかしその爽やかさは現実感の無さに繋がり、徐々に砂浜から海の向こうへ向かっていく印象を受ける。その雰囲気が顕著になるのがM8「P」で、少しぼやけたピアノの音色で奏でられるマイナーともメジャーとも結びつかないメロディーは海に横たわる死のイメージを強くさせる。また、このアルバムの面白い所は「P」を境にバンドの勢いが増していくことだ。「トビウオ」「ネズミの進化」などはイギリスのバンド特有の湿っぽさが感じられ単純に好みであった。
 そしてアルバムはタイトル曲ともいえる「漣」に移る。アルペジオ、ドラム、ボーカルと音が重なっていく様子は大名曲「フェイクファー」でも見られた手法であるが、違うのは描いている詞世界である。「フェイクファー」では共にいた「君と僕」がこの曲では「翼は無いけど 海山超えて君に会うのよ」と離れ離れになってしまっている。にもかかわらずスピッツは力強く曲を鳴らす。なんとなくこのアルバムを包む現実離れした雰囲気は消え、バンド・スピッツの新たな決意表明のような逞しさを感じる名曲ではないだろうか。
 海の持つ心地良さや死との距離感を絶妙に表現しながらスピッツの「君と僕」の物語の新たな1ページを描く素晴らしいアルバムである。黄金期を越えた2000年代スピッツの魅力を存分に堪能できる。


2位「三日月ロック」
 2002年発売10th。黄金期三部作、「ハヤブサ」を経て発表された作品。「J-POP最前線」という枠組みを超え「ロックバンド」としてヒバリからハヤブサと成ったスピッツ。一聴して分かるのは「ハヤブサ」で得たダイナミクスを残しながら円熟味を増したバンドサウンドの豊かさだろう。90年代のスピッツは録音に四苦八苦していた(それが特異な輝きを放っていた面もあるが)。しかしこのアルバムは他のアルバムと比べて圧倒的に音がクリアで張りがある。さらに今までも試していた電子音の導入もひとまずの完成といっていい。M5「ババロア」は4つ打ちのダンスナンバーであり、ギターのトーンの素晴らしさも相俟ってスピッツ感を保ちながらもここに来て新しい一面を見せてくれる。
 曲について語る前に触れるべきは「9.11後に作成されたアルバム」という点だろう。M1「夜を駆ける」、M2「水色の街」は比較的シリアスで張り詰めたようなムードであり、M3「さわって・変わって」では強く肉体を希求している。こういった切実さをもって切り込むような曲が連なるのには不思議な心地良さがある。
 そしてこのアルバムのハイライトは終盤に畳みかけられる「遥か」「ガーベラ」「旅の途中」「けもの道」といった楽曲群である。性急にならず、二人だけの箱庭に逃げ込むわけでもなく、現実を見据え、道を確かな足取りで踏みしめていく。
 おそらく草野マサムネは決して強い人間ではなく、感受性豊かで、周りの状況が作る曲に大きな影響を与えているのだろう。不安定な世界の中で作られたこのアルバムは、草野マサムネの内面を映し出すようにどこか儚く脆い、少し押したら弾けるような張り詰めた雰囲気を醸し出している。しかしそんな状況でもギターを抱え「あきらめないで」と歌う草野マサムネ、そして支えるバンドメンバーの美しさよ。


1位「インディゴ地平線」
 
1996年発売の7th。6th「ハチミツ」は色温度の高いキラキラしたアルバムであり、これを機にJ-POPの最前線として躍り出た。その反動なのか「インディゴ地平線」は全体的な音はくすみ、空白が強調されている。ギターのトーンも枯れ、草野マサムネの歌唱は投げやり。かといってスピッツの魅力が損なわれているわけではない。スピッツの大きな魅力は曲に深く横たわる死の匂いだったり寂寥感だったりだ、というのをここまで何回も書いてきた。そのイメージをポップさやドリーミーな世界としてコーティングすることで聴きやすく、爽やかで少し酸っぱさの残るポップソングを作り愛されてきたのがスピッツなのだ。
 そしてこの「インディゴ地平線」ではその寂寥感がもう前面まで来ている。M1「花泥棒」はラフだし俗っぽいし「夢じゃない」と語っている。タイトル曲M3「インディゴ地平線」で「君と僕」が向かうのは1stアルバムに収録された「死神の岬へ」で出てきたような寂れた風景だ。続く「渚」も現状が「幻」であり「輝いていない」からこそ「輝いて…」と願う。デストルドーからくるエネルギッシュさは無く凪いでいる。その後の曲も煮え切らないメロディーや夢の風景かと思いきや現実に引き戻されたりと、常にユートピア的描写を避けたものとなっている。M10「マフラーマン」も人気の無いヒーローのテーマ曲といったシュールさ。そんな掴みどころの無さと妙なリアルさを抱えたまま「夕日が笑う、君も笑う」でなんとか笑顔でひとつ着地する。
 そしてアルバムのラストに配置してあるのが「チェリー」である。この位置にこの曲がいるのが「インディゴ地平線」が「過渡期の作品」「中途半端な作品」ではないという何よりの理由だ。「夕日が笑う、君も笑う」までの寂びた音や凪いだ世界観には「愛しているという響きだけで 強くなれる」主人公はいない。あくまで「チェリー」がボーナストラックとして収録されているからこそ「インディゴ地平線」は統一感のある作品として完成されたのだ。
 全体的にローファイな音は不思議なリアルさと切実さを伴う。どのアルバムよりもスピッツの輪郭をはっきりと感じるような大名作だ。


総括

全部のアルバムを時系列順で聴くと作品ごとのトライ&エラーみたいなのを感じられてかなりワクワクした一方、30年間に渡って数年ずつ作品を楽しんだ方々に申し訳ないなとも…。とにかくスピッツのアルバム第一主義的な魅力に気付けたというのは大きな成果でした。皆さんの好きなスピッツも教えてください。それではまた会いしましょう。

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