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田中小実昌 『幻の女 ミステリ短篇傑作選』 : 〈ズレ〉た 世界の狭間で

書評:田中小実昌『幻の女 ミステリ短篇傑作選』(ちくま文庫)

本書(文庫版『幻の女』)には、サブタイトル的に「ミステリ短篇傑作選」との言葉が添えられているが、これは二つの意味で、「誤解」を招く表現である。

まず、本書は、田中小実昌の『ミステリ』系短編の多くを集成したものだから、「傑作選」という言い方は、あまり正確な表現ではない。
収録作はそれぞれに面白い作品ではあるけれども、しかし、「傑出した作品だけを選んだもの」であってこその「傑作選」であって、本短編集の場合は「集成」と呼ぶべきものだからである。

次に、ここで言われる『ミステリ』とは、「推理小説=本格探偵小説=本格ミステリ」という意味での「ミステリ」ではなく、かなり「広義のミステリ」であり、例えば「幻想文学」なども含む(戦前作品に多い)「変格探偵小説」、あるいは戦後の「何でもかんでも」含む「ミステリー」に近い言葉だと言えるだろう。
事実、編者の日下三蔵も「編者解説」の中で『ミステリといっても、謎解きメインの本格推理ではなく、サスペンス、ハードボイルド、SF、ホラー、奇妙な味の作品集である。』(文庫版『幻の女』P388)と書いている。

では、なぜ「ミステリ短篇傑作選」などという、誤解を招くサブタイトルを、わざわざ付けたのかと言えば、それは初版単行本『幻の女』(桃源社・1979年刊)の「あとがき」で、著者の田中小実昌自身が本書を『長い期間の、ぼくのわがままなミステリをあつめて一冊の本にしてもらえた』と書いており、その言葉を尊重したからだろう。
本格ミステリの「冬の時代」であった当時のこと、田中自身は、早川書房の海外ミステリを翻訳していたから「ミステリー」とは書かなかったものの、その意味するところは、ほとんど「ミステリー」と同じだったのではないだろうか。

ともあれ、本書所収の作品は、現在の「(ある程度は厳密な)分類」からすれば、いわゆる「ミステリ」とは呼べないものが大半なのだ。
たしかに「ミステリ」と呼べる結構を持つ作品も含まれてはいるが、なにしろ「ユーレイ」が登場する「不条理な世界」などが好んで描かれており、今の基準では、とても「ミステリ傑作選」だなどとは呼べないものになっている。
そしてさらに言えば、数少ないミステリ作品も、「ミステリ」として見るなら、「謎解き興味」や「論理性」「意外性」に乏しく、その意味では、つまらないのだ。

したがって読者諸兄は、「ミステリ」を期待するのではなく、あくまでも「田中小実昌の小説」を読むつもりで、本書を手に取るべきなのである。

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さて、では、この「田中小実昌の小説」とは、一体どのようなものなのであろうか。だが、この説明がけっこう難しい。

前述のとおり、文庫版の編者である日下三蔵が『ミステリといっても、謎解きメインの本格推理ではなく、サスペンス、ハードボイルド、SF、ホラー、奇妙な味の作品集である。』と書いたのは、田中小実昌という作家の「固有性」を説明し難かったからこそ、やむなく無難に「小説ジャンルの列挙」で、しのいだのであろうと推察できる。「ジャンルとして、こうとも言えるし、そうとも見える」みたいなもので、これは無難な紹介のしかただ。

しかしながら、日下のこうした説明では、この短編集には「非常にバラエティーに富んだ作品が収録されている」という「誤った印象」を与える蓋然性が高い。だが、そうではないのだ。
「いろんなジャンルの作品が収録」されているのではなく、本書は「いろんなジャンルの要素が渾然一体となった、田中小実昌ワールドの短編集」だと考えるべきなのだ。つまり、決して「バラエティーに富んで」はおらず、どれも見事に「田中小実昌じるしの作品」なのである。

では、次に語るべきは、「田中小実昌じるし」とか「田中小実昌ワールド」とは、どのようなものか、ということになるだろう。だが、繰り返すが、これが難しい。
だが、それでもあえて私の言葉で表現するならば、田中小実昌が描く世界とは「世界のズレの狭間で生きる人のリアリズム」とでも呼べるだろうか。

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(※ 左から、田中小実昌、色川武大(阿佐田哲也)、殿山泰司)

田中の描く世界は、ごく俗っぽく下世話な世界でありながら、どこかリアルな「生活感」に欠け、「現実感」さえ欠けている。題材は、リアリズム的なのに、その描き方が、どこか「現実から遊離」しており、視点人物は、その世界の地面から数センチほど浮いているような感じなのだ。

だからこそ、オリジナルの初版『幻の女』に収められた作品も、文庫版で日下三蔵によって増補された作品も、概して描かれるのは、「事件の真相」「謎の真相」「ある人物の真の顔」といったものについての「探求譚」であり、その意味で形式的には「ミステリ」的でありながら、しかし最後は「確たる真相には至れない」「宙吊りになって終わる」「二つの世界の狭間に取り残される」といったかたちになってしまう場合が多く、決して「謎解き小説としてのミステリ」にはなっていない。「着地」しないのだ。

言うなれば、こうした「夢と現の狭間を徘徊する」ような、「ズレた世界」における「〈不在〉をめぐって」なされる、決して「〈他者〉には届かない」「〈真相不在〉の世界」、そんな「半透明のベール越しに見た、薄暗い世界」。それが「田中小実昌ワールド」だと言えるだろう。「幻の女」とは、まさにそうした世界の象徴なのだ。
一見、明るいユーモアものに見える作品でも、よく読めば、そこには必ずこうした「ズレ」が存在しているのである。

だから、本書に「明快な解決」や「謎解き」を期待してはいけない。
そうではなく、そうした期待が満たされることのない「不全感に満ちた世界」をこそ、楽しめるか否か。そこで読者は「作者に選ばれてしまう」のである。

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初出:2021年1月19日「Amazonレビュー」
  (2021年10月15日、管理者により削除)

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