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俺のボーボボで一番好きなシーン。こんな時代だぜ、俺達─限界関係性オタク─は止められない

ボボボーボ・ボーボボ】で一番好きなシーンはなんだ?
その言葉と共にこめかみへバターを突きつけられた時、咄嗟に答えられるか。

私はできる。いつだって、今だって、我が道まっしぐら。

BBBRBBRBBイー・アル・キャンフーだ!!!!でもオシリスの天空竜でもない。この質問への答えに、ハジケはいらない。
世界がいつだってハジケているからこそ、ハジケのない瞬間にこそ本物が宿る。その輝きを、私は抱きしめている。

こんな時代だからこそ、私は私の戦いを完遂しなければならない。なぜなら私は限界関係性オタクだから。

ボボボーボ・ボーボボ/4巻100ページより

この天の助を仲間に加え入れるこのシーンだ。ここが一番好きなシーン、ここに限界関係性オタクの燃える魂が詰まっている。
今は遥か私がまだ限界関係性オタクという宿星を理解する前より好きであり、今となっては完全にこれは”やってる”と胸を張って言えるよう理解した。

最も特筆すべき点として、この場面ではボーボボたちが常識に則っているというところだ。スーパーという天の助の生きている場に相応しい振る舞いを選んでいる。

もっと言うのであれば、ハジケていない

これだ、この重みが分かるか。天の助勧誘というイベントにはそれほどまでの重みが宿っているのだ。
ボーボボがあえてスーパーでの流儀に則り天の助を買うという行為にこそ魂の救済は宿る。
これは普段のボーボボたちのやりたい放題を知っていれば異常な事態であることが分かる。
そう、ボーボボたちならばスーパーで大暴れするなり無理矢理連れていくなりすれば10円を払わずとも天の助を仲間にできていた。だがあえてそれをしなかった。
あくまでも天の助につけられた価値10円に対してちゃんと対価を支払って連れていくことを選んでいる。

そう、天の助をちゃんと10円で買うことにこそ意味があるからだ。

スーパーで賞味期限切れまで売れ残り続けたこと、誰からも食べられなかったこと。2つのコンプレックスは天の助の根幹と言っても良い。
強さのみでのし上がった毛狩り隊Aブロック隊長という立場ではそれを浄化することが叶わなかった。よじ登って勝ち誇ったその位置は真に必要とされたわけではなかったからだ。
隊長という立場は必要とされていたが天の助自身がそこまでの人望を持っていなかったことは副隊長のカツとの戦いを筆頭に誰からも買われていないという事実が全てを物語っている。

ボーボボは天の助を一度戦った強敵として価値を感じているから、仲間として必要とした。それに対してスーパーが定めた価値をちゃんと支払った。
後に出る聖地エターナルでの修行を思えばハジケリストにとってスーパーというのはただならぬ力を持っていることが分かる。
スーパーでの流儀に抗わないという点では天の助を買うこの場面はスーパーボーボボへの伏線でもある。

だからボーボボたちが天の助を仲間にしたいと思った時、無理矢理連れていくのでは意味合いが違うのだ。そこにハジケはあるが本物の友情は生まれない。

それは同時にボーボボたちが本当の意味で天の助を必要としていることを意味しており、とても美しい友情の形になっている。
荒事を起こさず、あくまでも売り物なので泥棒もせず、誰からも文句の出ない方法で常識に則り天の助を仲間にしている。この心遣いからして既にボーボボたちは天の助を真に仲間として迎え入れる覚悟を持っていたと伺うことができる。
あくまでこの時点での所有者はスーパーで天の助は商品である。そこに対して仁義を通して誰にも迷惑をかけずに天の助を仲間にするこの展開は本当に美しさが詰まっている。

ここで天の助のコンプレックスを浄化して、一人の仲間として必要だと魂で伝えている。だから次に勧誘する際、天の助はキャプテン石田という購入者との繋がりよりも魂で共鳴しているボーボボの誘いに乗って再度仲間になるのだ。
キャプテン石田が天の助をめちゃくちゃにこき使っていたからという点も離反の理由にはなるだろうが、やはり最初に天の助のコンプレックスを正しい形で浄化したのがボーボボだからというところが大きな理由になる。
だからボーボボの誘いに対して素直に答えられたのだ。もう敵ではなく、恨みもなく、なによりも仲間だったから。

そして天の助のボーボボたちへの仲間入りは毛狩り隊に対する「裏切り」にはならない。なぜならば、ボーボボたちが真っ当に天の助を買ったせいで毛狩り隊は天の助を買わなかった奴らに過ぎないからだ。
後に三バカ内どころかボーボボ一味屈指のタンクであり武器としての応用性の塊である天の助へ可能性と価値を見出して対価を払ったのはボーボボとキャプテン石田だけである。

ボーボボとドンパッチの関係性は全ての前提に「ハジケリスト」という肩書がついて回る。ハジケを高め合うライバルであり仲間であり理解者であり主人公を取り合う関係である。
天の助はハジケリストであるがそれ以前に「買われた仲」で存在する仲間である。

ライス戦から無印終了まで本格的にバトルではボーボボ・ドンパッチ・天の助の通称3バカによるパーティーがメインとなる。
めちゃくちゃなボーボボに振り回される2人であるがそこには理不尽や暴力程度では消えない繋がりがあり、確固たる関係性が築かれている。

三狩リアにおいてボーボボから天の助に対してこのような言葉が咄嗟に出たりしている。
ハジケでどうにかできない、相性的にどうにもならないことに対してはわりとちゃんと助け船をすぐ出したりという点からも仲間としての理解度と信頼が伺える。
これは大体ギガ戦を越えた辺りのバトル要素が濃くなり出してから顕著に感じ取れるようになる。

首領パッチはハジケを高める為だが天の助にはそういった目的はない。
あくまでもボーボボ達との友情が原動力となっている。そこには天の助一つくださいというしっかりとした魂の救済によるバックボーンが存在しているからだ。

だからこそボーボボと首領パッチの唯一無二のハジケリストとしての高みへ向かう関係性も映えるわけだ。
これはJスターズの参戦ムービーがボーボボとドンパッチの関係を実に分かりやすく現しており美しく芸術点が高い。

戦友」であり「最強のふたり」という言葉が使われているのは非常に解像度が高い。
親友と呼ぶには野心がありすぎるし、ボーボボは単体では作中最強とは呼べないからだ。
真説までの話であればボーボボは単体としての戦闘力がそこまでずば抜けて高いわけではない。
聖鼻毛領域ボーボボ・ワールドという唯一無二の領域展開の強さは群を抜いているがその程度だ。

だがそれ以上に仲間とのシナジーの高さ、協力奥義の多さこそが強さを支えている。
何よりも首領パッチという男の誰にも予測できないハジケがあってこその強さと言っても過言ではない。
ハジケとは相手がいて、ツッコミがして初めて成り立つ。実に最初からボーボボは仲間との絆に重きを置き、作中でもその想いを幾度となく語っている。

ボーボボと首領パッチはお互いを認めているからこその信頼が要所要所で垣間見えるのが良いのだ。
特にハジケリストの高みとしてボーボボが首領パッチを本当に認めていることは全編通して一緒に戦い続けた実績が全てを物語っている。

まだバトル路線薄めの初期からボーボボの首領パッチへの評価は【この男がいれば勝てる】なのでこの一貫した信頼の高さにこそ限界関係性オタクは涙する。

基本はハジケだからこそ、たまにボーボボが行動でその絆への思いを見せるシーンは格別に震える、この幸せを体であらわせよ。
そしてメインがギャグであるからこそ、バトルマンガであれば王道でよくある展開でもボーボボがやると珍しい展開となるので信じられないほど熱い。

だからこそ、両方が詰まっている天の助を買うシーンにはこんなにも熱が籠るのだ。
スーパーに売られている元敵を仲間として買うという状況自体は常軌を逸しているが中身は王道の熱さだけが詰まっている。
これである。結局のところ。ボーボボの好きな"熱くて笑える"という良さが一緒に凝縮されている。更に限界関係性オタクとして魂を燃やせる要素まで込められている。この陽炎の儚さこそが美しい。

https://x.com/bo_bobo_info?s=09

2020年のツイッター開設を筆頭に20年という時を経てハジケリストの意志を継ぐ者たちが表舞台へと再びボーボボを押しあげている。
さながら旧世代毛狩り隊の目覚めのようだ、この流れは止められない。叫びてえやつは集まれ。

生き残れこれと言われちゃんと生き残ってきたバカサバイバーたちの魂の躍動を思うと頬を伝うものを止めることは叶わない。
いよいよもってこんな時代なので俺たちを止められない。それは限界関係性オタクとして"も"ボーボボを愛する私にとって追い風でもある。

ハジケリストたちの迸る友情、絆の形はボーボボ以外で絶対に吸うことはできない。
特に天の助を買うような状況は一体果たしてどんな世界であれば同じ栄養素を吸えるのであろうかと。俺たちのバビロンはここにある。

だが昨今の勢いを浴びていると強欲にも新たな燃料を望まざるを得ない。今度こそ最後までスポンサーを付けた再アニメ化にGBAゲームのリメイクにと欲望は尽きない。

あいにく、食べ盛りでね。もっともっと濃い令和のボーボボ栄養素を接種したいわけだ。

ブッ飛んで行こうじゃない

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