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『戯曲 武左衛門一揆』 中西伊之助・作


戯曲 武左衛門 中西伊之助作
一九二七年(昭和二年)五月三一日、解放社発行



本書を四国農民運動の先駆者達、熊田武左衛門翁の郷党諸兄にささぐ。
一九二七、メーデイ、東京にて
著者


武左衛門翁に就て

 一昨年、愛媛県農民組合連合会、井谷正吉兄等の招きに応じて講演会に出席した時、同君の同郷人である上大野村の熊田武左衛門翁の事をきいた。その時私は武左衛門翁が、木内宗吾、もしくは磔茂左衛門の如き封建時代の百姓一揆に現れた人物でなく、いかにも近代的な農民運動の指導者であることに、深く興味を感じた。殊に宣伝のため浄瑠璃を語つて三年間貧苦の中に、八三個村を廻つて歩いた翁に、吾々は学ぶところがないであらうか? そして遂に権力者から殺された翁に、我々は恥ぢないでもいゝであらうか? 又其最後を見ても決して他の所謂義民とは趣を異にする。ここに武左衛門翁の偉大さがある。私はすぐ同兄と武左衛門翁の創作を発表することを約束した。その時、武左衛門の斬られた躑躅峠へも行つた。おゝいかに私は感慨に耽つたことよ! 以後二ヶ年、私は武翁の伝記、伊達家の文献等を読み、私の創作的観点及び芸術的内燃を努めた。本著は主として、井谷正吉兄の厳君正命翁の著、「武左衛門翁伝」伊達家文献、「伊達秘録」「庫外禁止録」「伊予簾」「安藤忠死録」等を基礎とし上大野村古老、井谷正吉兄覚え書き等によつて書きあげた。郷人でない私には多少の間違ひもあらう。大目に見てもらいたい。しかし、私は単に右の史実のみには依らないで、私の観察を十分に入れた。たとへば、吉田藩家老、安藤義太夫の自害の如きがそれである。伊達家の文献には、義太夫が百姓の艱苦を思ひ、且つ忠義一途に自殺したものとして、何等の批判なく賞賛されてゐる。殊に吉田町には、安藤神社さへ建立されてゐるのである。
 だが、義太夫の死については、文献にも、その筆者が力をつくして右の意志によつて自害したものと云つてゐるにもかかわらず、暗黙の中に、義太夫の死に大きい疑問をもつて記録されてゐる。これは吾々の鋭い観察を加へねばならぬ点である。私はこの作中に、その疑問を解決して置いた。何人と雖も、私の観察に批難をはさむことはできないと思ふ。旧吉田藩の藩士諸君に、それを批難する学者があれば、いつでも応答する。
 私の作には、多少プロツトがある。しかし、これは作劇上、やむを得ない。
 文献の中には、私の作以上に、百姓達の反逆精神を録されてゐる。しかし、私がそれをすべて取材すれば、いつも、発禁で益々貧乏して行く米国老伯爵閣下にお気の毒と存じて、ずつと内輪にした。武翁同郷の諸兄に寛恕を乞ひたい。
 井谷正吉兄の厳君正命翁は、義太夫が神社にまで祠られてゐるのに、農民側の武左衛門翁が石碑一つ建てられないのを嘆いて、巨大なる石碑を作られたが、あまり大きいため、莫大な費用がかかるので、村へ持つて帰ることができなかつた。それを先日、正吉兄等郷党の手によつて村へ搬んで来る途中、重量に堪へ切れず路筋の橋が落ちて怪我人ができたと新聞に報ぜられた。私は早速手紙で見舞を出したが、未だ返事がない。この作は、その憂慮中に脱稿した。これも何かの因縁であらう。――諸兄に大きい怪我でもなければいゝが? 私は今その無事を祈つている。
 終に、本書の出版について、ぜひ一言したい。本書は解放社の一円本主義に賛成して、私の書きおろし三百枚を提供した。どこにも発表しない、生々しい書きおろしである。だが、色々の運動でとび廻つてゐるので、この作で満足してゐるものでは決してない。殊に最後がもつと書きたかつたが、れいによつて枚数がなかつた。
 三百枚の書きおろしでは、れいによつて、私の受けるところの報酬は云ふに足りないほど薄い。私の本をよんで下さる人々よ、どうぞ一部でも多く買つて下さい。私はこの本が決して諸君の一片の娯楽的読物として通り過ぎないことを信じてゐる。
 本書の実演をされる希望の方は、営利的でない限り、無償でおやり下さい。改竄は主旨を損しない限り自由です。殊に背景等。
 作中の詞白は、必ずしも伊予地方の方言によらなかつた。これは全国普遍的に実演に適するやう、また、何れの地方の人も解るやうにした。
 色々の文献の提供や、口添へをして下すつた、井谷正吉兄其他の諸兄に深くお礼を申上げる。
 全国の農村の諸兄に訴へる。諸兄の郷土に武翁の如き人があれば、どうか私の許へ知らせて戴きたい。私はそれを創作して歴史としたい。また諸兄の自作があれば送つて戴きたい、価値ある作ならばきつと出版の尽力はする。
東京市外淀橋町柏木六五六
著者


目次

 
緒言 (一) 
主要人物 (二) 
第一景 吉田城内後庭(四) 
第二景 吉田領是房村、百姓善六の宅(一二) 
第三景 吉田領是房村、吉田街道(一五) 
第四景 吉田領上大野村、百姓善六の宅(二一) 
第五景 吉田藩蔵前(三一) 
第六景 吉田城内、城主村賢寝所(三八) 
第七景 吉田領上大野村、百姓武左衛門の宅(四一) 
第八景 尖か森、会合場(四八) 
第九景 吉田遊郭花菱楼、遊女花菊の部屋(五四) 
第十景 宮野下、三島神社頭(六〇) 
第十一景 宇和島城下、八幡河原(六八) 
第十二景 八幡河原の土堤(七二) 
第十三景 宇和島城下、八幡河原(七四) 
第十四景 宇和島城大手門(七八) 
第十五景 山奥境、躑躅峠(八一)


武左衛門一揆(全十五景) 
主要人物 
熊田武左衛門   吉田領上大野村百姓 
善六        同 是房村百姓 
六三       善六次男 
重吉        同 三男 
武一       武左衛門長男 
お鈴        同 女房 
与次郎      樽屋与兵衛遺子 
お辰       善六 娘 
清蔵       吉田領百姓 
藤六     同 
八兵衛    同 
徳兵衛    同 
三右衛門     同 
勘蔵    同 
文吉    同 
能登守村賢   吉田城主 
お銀の方   村賢寵妾 
安藤義太夫   吉田藩家老 
尾田隼人    同 
飯淵庄左衛門    同 
池上三平     吉田藩紙方頭取 
影山利右衛門    同 手下 
提灯屋栄蔵     同 
同 覚蔵    同 
大眼和尚     大乗寺住職 
苔石和尚     白業寺住職 
其他、農民、侍等大勢


時代 
寛政五年前後数年 
場所 
伊予宇和島吉田領


第一景  吉田城後

庭 
正面、遥かに天守閣が見える。右手寄り左向になつて数寄を凝らした茶亭。前に泉水。築山燈籠。向ふに歌舞伎門。あたりは桜の満開、柳が煙つてゐる。桜の花弁、静かに散りかゝる。庭の芝生の上には腰掛、紅毛壇が敷いてある。

茶亭は軒から縁、及び座敷の一部が見える。その奥の舞楽場は見えない。

能登守村賢、お銀の方、及び家老飯淵庄左衛門、尾田隼人等は茶亭に居並ぶ。その他郷六恵左衛門、安藤義太夫、池上三平等は縁側から庭先の腰掛に腰をかけて酒盃を手にしてゐる。

侍女、腰元大勢、その中に立ちまざつて酌をしてゐる。

村賢、お銀の方等は茶亭の奥にゐるので姿は見えない。

庄左衛門。(縁側から庭下駄をはいて降りて来て、そこに居並ぶ若侍達に)どうだ、諸君、今日は何と云ふ有がたい日であらう。この麗らかな春の日に、爛漫と咲きほこつた桜の花を眺めながら御仁恵深い殿の御前で御酒を戴くのだ、吾々臣下にとつて、これほど光栄なことがまたとあらうか? 吾々はこの篤い君寵に対し奉つて、何をもつて酬ひ奉つていゝかを知らぬ。(間、桜の花を指して荘重に)うむ、そうだ諸君、この咲きほこつた桜の花を見たまへ、この桜は一度風雨に遇へば清々しく散り果てる。吾々もまたその通りだ。一朝事ある際には、君の馬前にこの花の様に勇しく散らねばならぬ。屑よく散らねばならぬ。散つて芳しい匂をのこすこそ、吾々平常君寵の篤きに感泣してゐるものの本懐であらうと考へる。まことに花は桜木、人は武士だ。諸君はどう思はれるかな?

家臣の一。(膝を打つて)まことに太夫の御言葉通りでございます。吾々お目見えの末席を汚すものまで、かうして珍味佳肴で御酒を賜はり、恐多くもお側近くで観桜をお許し下さる、君恩実に骨に徹しました。太夫のお言葉までもなく、吾々はいつかはこの桜の花のやうに、生命を惜まず殿の御前に散る覚悟でございます。

その他の家臣。(口々に)吾々とてもみんな同じことでございます。

庄左衛門。(愉快げに笑つて)いや、諸君の志には実にわしも感じ入つた。それでこそ(と天守閣を指して)この吉田のお城は万々歳だ。枝も鳴らさぬ太平だ。さあ諸君、今日は上より無礼講にせよとのかたじけない御言葉だ、しつかり過すがいゝ。

家臣達。(口々に)ありがとう存じます。

小姓の一。(縁側へ出て)殿様がお庭の方へお出ましでございます。

庄左衛門。(茶亭の方を向いて)これは殿、お庭を御散歩でございますか?(間)なるほど、お庭にお出ましになつて、粉雪のやうに降りかかる桜の花を賞玩せられるのもまた一興でございます。さあ、どうぞこちらへ御出で遊ばせ。

家臣達、腰掛から起つて迎へる。

能登守村賢、悠々と縁側から庭へ降りる。お銀の方従ふ。

村賢。(二三歩で立ちどまり、顔に散りかかる花弁をそつと手で払つて感慨深く)庄左衛門。

庄左衛門。(腰をかがめて)はッ。

村賢。(次に散りかかつて来た花弁をソッと指先きにつまんで)この花弁は、たれの顔にもふりかかるのだな?…………

庄左衛門。(不審さうに)はッ。

村賢。いや、桜の花は、お前たちにも、そして俺にも、やはり少しも遠慮をしないで頭や顔にふりかかつて来るといふのだ。

庄左衛門。(やつとわかつたやうに)いかにも御意の通りでございます。

村賢。うむ、解つたか。(悩ましげに空を仰いで、間)庄左衛門。

庄左衛門。はッ。

村賢。お前たちは、この桜の花を見て、酒をのんでゐると面白いか?

庄左衛門。はッ、御意にございます。お上の御仁恵を感謝してをります。

村賢。(やや久しい間)俺はお前たちが感謝してゐると云ふ言葉をきくと淋しくてならない(間)お前はその俺の心持が解るか?

庄左衛門。(当惑して)はッ…………

村賢。うむ、お前には解らぬかも知れないよ、お前にはお前の立場があるし、俺には俺の立場がある。お前は俺の馬前に、この桜の花のやうに散ることを自分も決心し、人にもすすめてゐればそれでいゝのだ。しかし俺はそうはゆかぬ(間)俺にはこの散つて来る花を俺の力ではどうすることもできない大きい悩みがある。昔、白川上皇は、鴨川の水と比叡の山法師には力が及ばぬと嘆かれた。恐多いことだが、俺は今その上皇の御心がはつきりとわかるのだ。(間)庄左衛門、お前は俺の云つてゐることが解るか?

庄左衛門。(額の汗を拭きながら)はッ。

村賢。(嘆息して)解らないだらうな? お前たちの中で俺の云ふことが解るものはないかも知れぬ、(小姓の持つて来た腰掛に腰をおろす)おい、俺に酒をもつて来い、俺は酒をのむぞ! みんなも過せ。

侍女、盃をもつて来て注ぐ。

村賢。(ぐつとのみ乾して)うむ、俺はいつまでもこの盃から手を放したくない! 俺の手からこの盃を放した刹那、俺は地獄に墜ちるのだ! もつと注げ! もつと注げ!(更らにぐつと飲み乾す、そして新しく目のさめたやうに、あたりを見廻して)うむ、花は美しく咲いてゐるな、(間)俺は今までこの花の咲いてゐることを知らなかつたのだ。俺の眼にはこの美しい桜の花が眼に入らなかつたのだ。(間)しかし、俺は今漸くこの花が眼にはいつた。(腰をあげてあたりを見廻す)うむ、雲のやうに、白雪のやうに、美しく咲いてゐるわい。庄左、ここはやはり吉田の陣内だな?………

庄左衛門。(驚いて)はッ?………

村賢。いや、ここは吉田の陣内かときくのだ。

庄左衛門。は、はい、御意の通りでございます。

村賢。うむ、ではやつぱりここは俺の城だつたのか。(少しずつ歩き出して、花を見、空を見、遥かな天守閣を仰ぐ)庄左。

庄左衛門。はッ。

村賢。あの……あの者をどうした、あの三間郷の百姓共は?

庄左衛門。(意外な顔をして)はッ、あの三間郷の百姓共と申しますと?

村賢。お前は耄碌してゐるのか、先年、三間郷の百姓共が、本家に強訴しようとしたではないか。俺の政治を批議して、本家に強訴しようとした百姓共があつたではないか?

庄左衛門。はッ、ございました。………

村賢。(冷やかに)もうお前は忘れてしまつたのか?

庄左衛門。(恐縮して)はッ、どういたしまして。片時も忘れてはをりません。

村賢。(思ひ直したやうに)まあいゝ、今日は花見の宴であつた筈だからね。(間)しかし庄左、あの三間郷の二人のものはどうしたか? あれはまだ入牢申つけてゐるのか?

庄左衛門。はッ、未だ入牢申つけてをります。

村賢。(考へて)そうか、あれ共はもう長らく入牢してゐるのだね?

庄左衛門。はつ、御意にございます。

村賢。どのくらゐになるか?

庄左衛門。(考へて)はッ、もう足かけ三年近くになります。

村賢。うむ、もう三年にもなるか?(考へる)

庄左衛門。はッ。

村賢。庄左、あの二人をここへ呼べ。

庄左衛門。(驚いて)はあ?

村賢。あの二人をここへ呼べ。

庄左衛門。あの土居式部と樽屋与兵衛の両人でございますか。

村賢。そうだ。

庄左衛門。(無言)

村賢。(考へて)この華やかな観桜会に入牢人を引き出すのはいやか?

庄左衛門。どういたしまして、決してそんなことは。………

村賢。そうか、では早速呼び出せ。

庄左衛門。(迷惑げに)はい。(行かうとする)

村賢。(じつと考へて)あゝ、おい。

庄左衛門。はい。

村賢。よせ。

庄左衛門。はい。

村賢。お前たちが折角花見をしてゐるのだ。今日はよせ。

庄左衛門。はッ。(感悦したやうに頭を下げる)

村賢。(すつかり気を替へたやうにあたりを見廻して)舞楽のものは来たか? さあ、みなのもの、これから十分面白く遊べよ。

家臣達。(口々に)ありがとう存じます。

庄左衛門。(やつと救はれて)舞楽のものは只今調子をととのへてをります。

村賢。(うなづいて)さうか、早くしろ!

庄左衛門。はッ。

村賢。(腰をおろして)さあ、もつと酒を注げ!(盃を突出す)

侍女、酒を注ぐ、村賢、仰向いてグッとのみほす。

舞楽、徐ろに鳴りわたる。 
唄。 
「夫、青陽の春になれば、四季の節会の事はじめ、不老門にて日月の、光りを君の叡覧にて、百官卿相袖をつらね、その数一億百余人、拝をすすむるまん呼の声、一堂に拝する音は、天にひびきておびただし。

「庭のいさごは金銀の、玉をつらねて敷妙の、五重の錦や、瑠璃の扉。車渠の行桁、瑪瑙の橋、池のみぎわの鶴亀は、蓬莱山もよそならず、君の恵みぞ、ありがたき。」

     拍手、家臣達の間から起る。

家臣達。(口々に)

 ―――いや、実にお目出たい! お目出たい!

 ―――なかなかうまい! 実に結構だ!

―――さすがは京下りの舞楽師だ! 田舎廻りの芸とは、まるでくらべものにならないね!

庄左衛門。(村賢の前に進み寄つて)お目出度いことでございます。

村賢。うむ。(間)お前達は目出度いと思ふか?

庄左衛門。御家は万々歳でございます。

村賢。(相手をじつと見て)お前達は(向ふの泉水を指して)あすこにゐる蛙と同じだ。蛙はいつも同じことをくり返して啼いてゐればいゝのだ。俺の前に出ると、いつも同じことをくり返して啼いてゐればそれで用が足りるのだ。しかし(強く憂鬱に)、俺はそうはゆかぬ。俺はお前のやうに同じことをくり返して啼いてはゐられぬ。(あたりを見廻して)世の中にはこんなに美しく花は咲いてゐるが、俺の心は闇のやうに暗い。(吐息して)吉田領三万石には、もうすつかり虫がついてゐる。その虫は退治ても退治ても、後から後からとわいて来さうだ。今まで猫のやうに従順だつた奴共が、そろそろと虎のやうに猛々しくなつて来てゐる。俺はこの世の中がじりじりと旧い殻を脱いで新しい力に引ずられて行くやうな気がしてならぬ。(間)庄左、お前にはそれが解らないか、お前はそれでも御家は万々代だと云ふのか。

庄左衛門。(頭をさげながら)殿、よく解つてをります。それなればこそ、あの二人のものを入牢申つけてゐるのでございます。

村賢。うむ、(間)庄左、あの二人を早く処刑してはどうだ。早く獄門にかけて領民の奴共の見せしめにしてはどうだ。そして俺の威光を彼奴等に見せてやれ! 俺はあの二人を入牢させて置くばかりでは、どうしても安心ができない、(急に苛々して)早くあの二人を打首にしろ、そしたら少しは俺の心も静まるかも知れない。

庄左衛門。(やや困惑の容子で)は、はい、早速処刑いたすやうに取計ひます。(考へて打沈む)

村賢。(鋭く)何を思案してゐるのだ? 何を考へてゐるのだ? あの二人の不逞漢を斬つて捨てるのに何か思案することでもあるのか? 何か考へることでもあるのか?

庄左衛門。(あわてて)いや、殿、決してそんなことはございませんが、(間)しかし。………

村賢。(突ッこむやうに)しかし何んだ? しかし何んと云ふのだ?

庄左衛門。はッ、(間、思ひ切つたやうに)殿、あの二人のものをすぐ斬首いたしましては、そのために御領内の騒ぎが急に起りはしないかと危惧されますので……。

村賢。(憤然と)ばかッ! 貴様は何と云ふ臆病な奴だ! 土百姓の素ッ首を二つや三つ叩き斬つてこの領内に騒ぎが起るとは何事だ! 俺の領民の生命は俺のこれ(小刀の束を扇子で叩いて)によつて自由自在になるのだ。彼奴等は百五十年の間、俺達の祖先の恩沢によつて太平の夢を楽むことができたのだ。その積年の恩沢を忘れて妄りに上へ強訴しようとするやうな不逞無頼の百姓を斬つて捨てるに何の躊躇が要る! 彼奴等は俺の領内にわいた虫だ。俺は彼奴等にわいてくれと頼みはしない! 彼奴等は勝手に俺の領内にわいて来やがつたのだ。庭園にわいた虫が害をすれば捻り潰すのに何の不思議がある。彼奴等は俺の庭園にわいた害虫だ。そんな害虫は、わけばわくだけ、俺は彼奴等を捻り潰してやるのだ!  庄左、あの二匹の害虫をここへ引ずり出せ! この美しい春の園に咲いている桜の花を蝕ばまうとする憎い害虫を、俺は今この花の下で捻り潰してやるぞ!

庄左衛門。驚いて無言、並んだ家臣達も興をさまして呆気にとられてゐる。

お銀の方。(妖艶な眼でソッと村賢を見て)殿、お言葉を返すのではございませんが、今日はこうして家中のものがお花見のお酒を賜つてたのしんでゐるのでございますから、どうぞ今日はこれでお館へおかへり遊ばしませ、そして明日にでもなりますれば、その二人のものを引き出して思ふ存分のお仕置きを遊ばしてはいかがでございます。………

村賢。(お銀の方を睨みつけて)貴様は黙つてゐろ! 俺の今の心持が貴様等に解つてたまるものか!貴様達はあすこの壁を塗る左官のやうな奴等ばかりだ。上ッ面さへ綺麗に塗り立てて置けば、内部は襤褸が下つてゐやうが、石ッころがはいつてゐやうがそんなことはどうでもいゝのだ。俺は幹が害虫のために蝕はれて、もうすつかり空洞になつてゐる桜の花をながめてゐる気にはどうしてもなれないのだ!(お銀の方をじつと見つめて)俺は今日、貴様のすすめるままに花見の宴を催した。そして少しは俺の憂鬱を自分で慰めようとした。しかし(あたりを見上げ見わたして)俺はこの美しい花や、妙な舞楽の調べや、貴様達の姿や、それから多くの家中の者共や、あの霞の空に聳えてゐる俺の城を眺めると、俺はもうとてもたまらなくなつて来た! 俺はいつまでもいつまでも、この輝かしい栄華に誇つてゐたいのだ! 俺はこの幸福から一足も動きたくないのだ! そして俺はこの栄華を傷つける奴、この幸福を奪はうとする奴が、息の窒るほど憎くなつて来た! 其奴が現に俺の愛撫してやつてゐる領民の百姓共だと思ふと、俺はもうとてもたまらないのだ!(狂ほしく身を顫はして)俺の胸は火山のやうに噴火しそうだ! 俺の全身が爆裂弾のやうに爆発しそうだ! おゝ、たれか俺の今の心持をしつかり握つて、そして俺をこの焔のやうな苦しみから救ふ奴はゐないか? そんな偉い、非凡な家来が、この多くの俺の家来の中にはゐないのか? そんな奴があればここへ出ろ! 俺の前へ出て俺の魂を救つてやると云つて見ろ!

突然、並んでゐる家臣達の席から、安藤義太夫、ツカツカと村賢の前へ出て平伏する。臣一同、驚いてその一人を見る。

義太夫。(平伏しながら)殿、甚だ僭越ではございますが、不肖私がその任にあたる覚悟でございます。…………

村賢。(やや意外な顔色で)なに、貴様がその任にあたる? うむ、(と、じつと相手を見入つて)貴様は若輩に似合はぬ健気なことを云ふが、今俺に覚悟があると云つたが、どんな覚悟だ、それを云つて見ろ。

尾田隼人。以前からじつと容子を眺めてゐたが、ツカツカと義太夫の前に行く。

隼人。これ、安藤、君は何を云ふのぢや、気でも狂つたんぢやないのか、君は漸く家臣の末席を汚してゐる軽い身分で、歴々の重役を差し置いて差し出がましい挙動をするとは以つての外だ。一たい君はこの御領内の百姓共が事ある毎に乱をしようと企んでゐるのを鎮めることができるのかね? 立身出世はたれも望むところだ。しかし、身に適はぬ望みを懐いて、身の分際をも考へずに、途方もない大事を引受けるとは呆れるの外はない、それは悪い分別だ! やめたまへ、そんなことをすると、つまりは君の身の破滅になつて来る。いゝか、さあ、それがわかつたらすぐお詫びをして御前を下りたまへ。

義太夫。(毅つと隼人を見あげて)御重役、私はあなたのお言葉が解りません、私は一身の栄達を望むためにかかることを申上げたのではないのです! 私は吉田領三万石のお家のために一命を堵してこの難局にあたる決心をしたのでございます! 恐れながら只今の殿の御胸中をお察し申上げて、身を挺してお家のためにつくしたいがためにこう申上げてゐるのです!

隼人。(冷笑して)それはたれも同じこと、ここに列席する家臣のもので、たれ一人として君の云ふやうなことを考へないものはないのだ。しかし、そんな大任にわれこそあたらうと申し出るのは、安藤、それはあまり大胆過ぎはしないかね? いや、俺は常々から君の才幹はよく知つてゐる。才幹があつても身分が低いために重く用ひられないのはいかにも気の毒だとは思つてゐるが、それも時機がある。君は俺と同じやうにまだ年も若いからあまり功名にあせらない方がいゝと思ふがどうだ? 今も云ふ通り、あまり功名にあせり過ぎると、つまりは君が退引ならぬ破目に陥ると思ふのだ。

村賢。隼人、待て、お前はお前の考へがあらうし、義太夫は義太夫の考へがあらう、一応これの云ふことをきいてからにしたらよからう。

隼人。ごもつともでございます。しかし国の政治はとてもこんな身分の低い若輩には解るものではないと存じます。

村賢。いゝではないか。お前はそんなことを云ふが、しかし、彼には勇気がある。身は低くてもその勇気があればどんな大きい仕事でもできる。おい義太夫、頭をあげろ、年は若いが却々しつかりした武士だ。そしてお前は領内の政治について何か意見でもあるのか? 百姓共を統治するについて何か特別のお前の意見でもあるのか?

義太夫。(恐る恐る顔をあげて)はッ、聊か考へてゐることもございます。

村賢。うむ、たのもしいことを云ふ奴だ。それではどんな考へをもつてゐるのか?

義太夫。はッ、考へと申しましても、殊更に異説をもつてゐると云ふわけでもございません。私はやはり東照宮様のお教へになりました、百姓は殺すべからず活かすべからずとの御政策を守ることが大切と存じます。

村賢。(深くうなづいて)成程、それは俺も同感だ。その東照宮様の御政策を俺の領内の政治に照らしてみると何うだ?

義太夫。(進みよつて)殿、その点でございます。いかなる国の政治も、この一点を除いてはないものと存じます。(ぐつと大きく雄弁に)かの唐土に於きましては堯舜の政治をもつて万古に絶する善政であると後世では唱へてをります。しかし、この万古に絶した善政であつても、百姓にたいしては、やはり殺すべからず活かすべからずの政治でございました。降つては、かの周公の井田の法をもつて政治の最高理想といたしてはをりますが、これとても、百姓を殺すべからず活かすべからずとの目安を置いては他にございません、また、かかる往古の政治はもちろん、後世の子孫がいかなる新しい思想によりまして、いかに立派な政治を行ひましても、この世に政治と申すものが存する限りに於きましては、百姓はまことに良い卵子を生ませる鶏でございます。政治を行ふものはただ良い卵子さへ生ますればそれで用は足りるのでございます。まことに東照宮様は堯舜、周公にも比ぶべき大政治家にましまします。政治を取るものはこの要訣を忘れてはならないのでございます。これをたとへますれば、卵子を生ませる鶏は殺してはなりません、しかしまた、野に放して活かしてはなりません、野鶏となつて人間の手から放して鶏自身の生活を営ませてはなりません、良い卵子を生ませるには、しつかりとした鳥屋を作つてその中で餌をくれて愛撫してやらねばなりません。(一段強く声をはげませて)殿、甚だ恐懼に存じますが、御領内の鶏共は、もうその餌さへ啄むことができないのでございます。政治と云ふものがいかなるものであるかを心得ぬ凡庸な貪官俗吏の輩(ぐつと隼人を睨んで)によつて、御領内の百姓共は、いや鶏共は、もう全く餌を啄むことができなくなつてゐるのでございます! これではとても良い卵子を生むどころではなく、鶏共は死んでしまふのでございます! 鶏共とても餌が切れては窮訴哀願いたすのは当然のこと、それを捕らへて入牢申しつけになりましては、殿自身が良い卵子を召しあがることができなくなります。私が御重役を差し置いてお家のために一命を抛つて進み出ましたるは右のやうな理由によるのでございます! このお家の危急存亡の機にのぞんで何んで私一身の立身出世を願ひませう! 殿、草莽の微臣の苦衷、ご賢察に預り度く存じます。………

村賢。(恍惚として相手の雄弁に聴き入つてゐたが、その言葉が終ると、急にとびあがるやうに)うむ!わかつたぞ! 近う進め、うむ、お前は文武両道の立派な武士だ! 俺はお前のやうな立派な武士が俺の家中にゐるとは知らなかつた! さあ、近ふ進め! お前は今日只今から碌三百石を加増して家老職に取り立ててやるぞ! たれか硯と紙を持つて来い、俺はこの立派な俺の家来に早速墨付をやるぞ!

     家臣一同、嫉妬に燃えた眼でじつと安藤義太夫を睨みつける。

隼人。(眉毛をピクピクと動かせて進みより)殿、御意に背いては恐懼に存じますが、それではあまり破格のお取り立てと存じます。破格の御寵愛は他の家臣の思惑もいかがかと存じます。やつと年寄の末席に列なる安藤義太夫を、未だ何のお家に功労もなくて直ちに家老職にお取り立てはあまりにお家累代の功臣を無視されたお振舞かと存じます。家に五人の諍臣なくばその家危しと云ふ聖賢の教へもございます。(ぐつと義太夫をにらんで)弁口をもつて上に呵り、自己の立身出世をたくらむねい臣も少なくはない当節、どうぞ十分のご考慮を願ひたく存じます。

村賢。心配するな! 俺は此奴から美味い卵子を食ふ手段を教はるのだ! 此奴は鶏から良い卵子を生ませる上手な養鶏家らしい。良い卵子が沢山取れるのだ、その中の一つや二つの卵子を此奴に分けてやつても俺には損はないわい、そのうちに(一同を見廻して)沢山の卵子が取れたら、貴様達一同にもさんざ食はしてやるぞ、(愉快さうに)あ、は、は、は、は。

    あわたゞしく一人の侍、歌舞伎門のあたりに平伏する。

侍。御注進! 御注進!

庄左衛門。(侍に)何事ぢや。

侍。はッ、牢番よりの御注進でございます。

庄左衛門。うむ。そして何の注進ぢや。

侍。はッ、かねて入牢申しつけてをりまする三間郷の強訴人、三島宮の神主土居式部、宮の下の職人樽屋与兵衛、只今牢中にて自殺いたしましてございます。

庄左衛門。なに、三間郷の強訴人、三島宮の神主土居式部、宮の下の職人樽屋与兵衛の両人が自殺いたしたか?(やゝ色を変へて、村賢に)殿、いかゞいたしませう?

村賢。(豪快に)自殺したい奴にはさせて置け! 俺の知つたことぢやないぞ。

義太夫。(得意に)殿、神主や職人を一疋や二疋殺しましても、彼奴等は卵子を生む奴ではございませんから決して御心配には及びません!

村賢。(いきなり義太夫の手を取つて)おゝ、お前は何んと云ふ聡明な奴だ。お前のゐる限りは吉田領三万石は万々歳だ!(愉快げに一同を見廻して)さあ、みなのもの、もうすつかり安心だ。さあ安心して大ひに騒げ! 騒げ! 俺も大いに過すぞ!(お銀の方に)方、貴様も安心しろ! 今晩は貴様の館で泊まつてやるぞ、久し振りで貴様の膝枕をして寝てやるぞ、あ、は、は、は、は。さあ、騒げ! 騒げ! 世は春だ! 俺の城は花盛りだ! 俺は舞ふぞ!(サッと扇をひろげて舞ふ)

家臣達、一斉に拍手、つづいて沸きあがるやうに舞楽の調べ。

唄。 
「庭のいさごは金銀の、玉をつらねて敷妙の、五重の錦や、瑠璃の扉。車渠の行桁、瑪瑙の橋、池のみぎわの鶴亀は、蓬莱山もよそならず、君の恵みぞ、ありがたき。………」

  村賢の舞、華やかな舞楽の調。

(静かに幕)


第二景  吉田領是房村百姓善六の宅

宅の内部。正面には剥がれ落ちたところを紙で繕つた壁、暗い窓がある。

座敷右手には奥の間に通ずる破れた襖、左手は勝手許へ通ずる煤けた障子が立つてゐる。

土間の右手は納屋に通ずる裏口、左手が入口、土間には紙すき道具が一ぱい積んである。入口の木戸の向ふには、はね釣瓶の一部が見える。落葉樹が紅く染つてゐる。

駒鳥の啼く声。

舞台、空虚。

善六の次男六三、入口の木戸からあたりに目をくばつて、抜足でソッとはいつて来る。

六三。(しきりに座敷の奥や、裏口の方を見廻して)おい、だれも居らんのかい?(返事がない)うん、だれも居らんと見えるな、みんなどこへ行きやがつたのだらう? さうだ、今のうちに調べてみてやらう。(裏口の方へ行つてしまふ)

   間。

善六。三男重吉、入口の木戸のところまでかへつて来る。

武左衛門。編笠を着て扇子をもつたケタ打(浄瑠璃語り)姿で、その後ろからソッとついて来て戸口にたゝづむ。

重吉。(木戸のところで、不思議そうに家の中や前後を見廻して)妙やな、六三叔父さんがたつた今こゝへ来た筈やのに、どこにも姿が見えん、どこへ行つたのやらう?(考へて)また何か悪いことをしにかへつて来たのに違ひない、きつとそうや、きつと金でも盗みに来たのに違ひない。どこへはいつてしまふたのやろな? 奥へはいつてゐるのやろか、しかし奥にはお母あが寝てゐるから、そんなことをすればすぐ見つかる。そやけど、お母あくらゐに見つかつてもあの悪者は平気なもんやからな、ぽんと一つ足で蹴とばしてさつさと逃げてしまいよる。(嘆くやうに)大兄さんが生きてゐたら、あんな悪者家へ寄せつけやせんのやけど。(間、家の中へはいつて)ほんとうにどこへ行きくさつたのやろ? あの悪者めが!

六三。(突然裏口からとびこんで来て、いきなり重吉の頭を二つ三つ殴りとばす)こん畜生! 生意気な口を利くな、小伜のくせに!

重吉。(びつくりして頭を抱えて)痛い! 痛いよ、六ちやん!

六三。(にらみつけて)六ちやんだ? どこまでも糞生意気な野郎だ、兄さんと云へ!

重吉。そんな叔父さんがあるもんかい、俺らごろつきに叔父さんなんか持つてゐないよ!

六三。(また殴りつけて)なに、この野郎! ごろつきだつて! も一ぺん云つて見ろ!

重吉。(負けずに)何べんでも云つてやらア、俺らごろつきに叔父さんなんか持つてゐないよ!

六三。(しかたなしに笑つて)は、は、は、貴様のその面は兄貴の子供の時によく似てやがる。しかし気前は俺に似てるよ、その強情なところがな。(少しやさしく)時にな重吉、あの納屋の隅の、藁束の下に匿してある紙はな、あれは抜荷にするんだらうな?

重吉。(ハツと顔色を変へて、相手の顔を見つめたなりで無言)

六三。(冷たくほゝ笑んで)まあそんなにびつくりするな、どこの家でもやつてゐることやないかい、しかしな重吉、俺はこれでも紙役所の役人の命令を受けてゐるのだ、俺の上には大提燈がぶら下つてゐるのだからな。俺は役目を果たすためには自分の生れた家であらうが何であらうが容赦はせんのだ、えゞか。

重吉。(しくしくと泣き出しながら)叔父さん、そんなひどいことを云はんと、あれだけは見のがしてやつて、お父さんが可哀想や、お父さんはな、あれだけは抜売りせんと、法華津屋さんに金の利子だけでも持つて行くことがでけんと云ふて心配してゐるのや、法華津屋さんで買ふて貰ふ紙の値では、とてもあすこから借りた金は返せんことは叔父さんかて知つてゐるやないか? お母あかて薬ものめんことは知つてゐるやないか?

六三。金が返せなんだら金を作ればでける、あんな紙漉きみたいな、けちな仕事してゐないでもえゝわい。

重吉。紙漉きせなんだら俺らの家は飯食ふことがでけんやないか、叔父さん、米を作つたかてみんな上納してしまふのやからな。

六三。(叱りつけるやうに)お辰がゐるわい!

重吉。(怪訝な顔で)姉さん? 姉さんゐたかてしかたがない、姉さん一人でそんなに金儲けはでけん。

六三。阿呆、お辰を吉田か宇和島の女郎屋へ売りとばすのだ! そしたら何んぼでも金がはいるわい!

重吉。(呆れて無言)

六三。(独言のやうに)こんな阿呆と喋つてゐてもしかたがない。(出て行かうとする)

重吉。(あわてゝ相手の袖をつかんで)あゝ、叔父さん! どこへ行くのや?

六三。あたり前よ、紙役所さ。

重吉。(泣き声で)待つておくれよ! 叔父さん! お前、お父さんを牢へ入れるつもりか?

六三。(振り切つて)えゝ、面倒臭い! 小伜の知つたこつちやないわい!

重吉。(相手に武者振りついて叫ぶ)叔父さんたら! 叔父さんたら! ちよつと待つておくれよう!お母ァ! お母ァ! お母ァ!

その声に驚いて、奥の間から、白髪の乱れた、病み疲れて痩せこけた六三の母お霜が這ひ出して来る。

お霜。(苦悩、悲哀にみちた痛々しい表情で泣き叫ぶ)これ六三! お前お父さんを訴人するのかいなァ? お父さんを牢に入れるつもりかいなァ? お父さんがわしの薬代にとつて置いてくれた抜荷をお前は紙役所に訴へると云ふのかいなァ? お前はお金に眼がくらんで鬼になつたのか? 蛇になつたのか? たのむ、(手を合せて)これこの通りお母ァが手を合せてたのむ、どうぞそんな人非人なことをしておくれでない! お前は子供の時には、そんな……(と、激しく咳きをして、苦しそうに)そんなむごたらしい子ではなかつたのや、いゝえ、お前が悪いのやない、みんな藩の役人や法華津屋が悪いのや、年中汗みどろになつて働いても、旨いお酒一ぱい飲むことのでけぬ村の若者を狩り立てゝ、やれ抜荷を見つけ出したら半分はやるの、七分はやるのと煽てあげて、酒と女に入り浸らせるのやから、どんな人間でも木石ではない限りはすつかりその手に乗つてしまふ。つい一二年前まではあれほど実直に働いて親孝行をしてくれたお前が、まるで仏と鬼ほどに変つてしまふたのも、みんな藩の役人や法華津屋のするわざや! わいはお前を怨まぬ、藩の役人と法華津屋を怨んでやる! いや呪つてやる! 呪つて呪つて呪ひ滅ぼしてやる!(はげしく悶えて)お! わしはもう息が窒りそうや! もうこゝで死んでしまひさうや! でもわしの魂は、あの憎い藩の役人と法華津屋の体に喰ひ入つてきつとあいつらを呪ひ殺してやるのや! お! 苦しい、おゝ苦しい! 重よ! 重よ!(ぐつたりと突伏す)

重吉。(びつくりしてかけ寄つて悲しげに叫ぶ)お母ァ! お母ァ! どうした? どうした? 気をたしかに持つておくれ!(体をかかへて抱きあげる)お母ァ! お母ァ!(お霜の顔をのぞきこんで、強くびつくりして泣く)おゝ、お母ァが死んだ! お母ァが死んだ! お母ァが死んだ!(お霜の体から放れて、狂気したやうに土間へかけ降りる)お父さん、お母ァが死んだよう! お母ァが死んだよう!

六三。(振り返へつて、チエッと舌打ちして)おい、重公、お母ァ、ほんとうに死んだかい?

重吉。(それには答へず、裏口の方へ叫びながらかけ出して行く)お父さん! お母ァが死んだよう!(同じことを連呼してゐる。声だけ裏口の方からきこえる)

六三。(ソッとお霜の方へ寄つてのぞきこんだが)えゝッ親爺が来れば面倒だ。(行かうとして死骸を見てやや感慨)お母ァ、お前も随分貧乏したなァ、しかしそれで苦が抜けて結構だ、まあえゝところへ行きや、(突放したやうな口調で)こんな世の中で正直にあくせく働いたつて仕方がない。旨い酒をのんで、美しい女を抱いて、思ふ存分なことをして暮すも一生、お前や親爺のやうに、馬鹿正直に働いて食ふや食はずで暮すも一生、同じ一生なら面白可笑しく暮した方が勝だ、俺らもうすつかりと宗旨替へをしたのさ、何もお前や親爺を苦しめたくはないが、今日は少しばかり金がほしいのに、あんまりあぶれたもんだから、つい出来心でフイととびこんで来たばかりさ、とんだお前に心配させてすまなかつた。しかしどうせやる位なら中途半端なことアやりたくはない、この六三が一生涯面白可笑しく暮したと思へば、お母ァ、お前だつて可愛い息子のことだ、あの世で喜んでゐてくれるだらうな。(間)だがなあ、お母ァ、俺だつて人間だ、小さい時から貧乏して苦しんだことは骨身に浸みてゐるよ、いゝやどうしてそれが忘れられるもんか! いつかは俺の心も解る時が来る。(間)親爺が来ると面倒だ、ぢやお母ァ、これでお別れだ、えゝところへ行きや。……(裾を端折つて、大股に、フイと入口からとび出す)

間。

善六。重吉をつれて、右手の入口から血相を変へてかけ出してくる。家の中を見廻してそこに倒れてゐるお霜を見つけてかけよる。

善六。(お霜を抱きあげて叫ぶ)婆さんや! どうした? どうした! 気をたしかに持ち! 気をたしかに持ち! えゝ、婆さんや! (お霜ぐつたりと頭をたれて死んでゐる)おゝ、婆さん! お前は死んでしまつたのか? おゝ、婆さんや! 婆さんや! (狂ほしく)えゝッあの人非人め! 親殺しめ! 親殺しめ! 鬼め! 蛇め!(お霜を投げるやうに腕から放して起ちあがる)俺が叩き殺してくれる!

矢庭に土間にとび降り、隅にかかつてある大鍬を外して、それを担いで左手の戸口からとび出さうとする。武左衛門、片隅にかくれる。

重吉。(びつくりして善六に追ひすがりながら)お父さん! お父さん! どこへ行くのや! どこへ行くのや! お母ァが死んでゐる!

善六。(重吉を振りとばして)えゝッ! 親を牢へ入れようとする人非人め! 親をいじめ殺した大悪党め! 俺が叩き殺してくれるわい!(戸外にとび出してかけ去る)

重吉。(善六に突きとばされて泣き叫ぶ)お父さんが阿兄さんを殺しに行つた! お父さんは人殺しに行つた! お父さんは牢へ入れられる! お父さんも殺される! 今日から俺は一人になつた。今日から俺は一人になつた!(起きあがつて家の中を狂ひ廻る)

武左衛門。(静かに入口からはいつて来る、そしてやさしく静かな口調で)おゝ、坊ンよ、坊ンよ、心配するな、心配するな。………

重吉。(びつくりして、ポカンとして、武左衛門の姿を見つめる)………。

武左衛門。(同じ口調で、重吉を手招きながら)ここへ来い、何も心配することはない、この小父がえゝやうにしてやるからな、決して心配するなよ。(懐をさぐつて財布を出し、中から金を引き出して)さあ、これをやる、この金でお婆ァをようく葬つてやれよ。(ホロリとして、涙を手の甲で拭いて)な、お前は何んにも知らん子供ぢや、悲しかろ、無理はない、(あきれてゐる重吉に金を握らせて頭をなでながら)ぢやが坊ンよ、お前はこの悲しさを決して忘れるなよ、えゝか? こんな悲しい目に会ふのも、あの栄耀栄華をしてゐる藩の奴等と、その藩の奴等とぐるになつて悪いことをしてゐる大金持の法華津屋のしわざだと云ふことを決して忘れてはならんぞ。お前のお父さんもお母ァもそれをみんな知つてゐるのやぞ、いゝや、あの人非人のお前の兄貴でもそれはようく知つてゐるのぢや。しかしな、お父さんやお母ァは、しかたがないと思ふてあきらめてゐるのぢや、そこへ行くと阿兄の六三は年が若いから元気がある、彼奴はこの世の中に見限りをつけて、自分一人だけのことを考へてゐるのぢや、いや、それも無理はないわい、(グツと太い眉をあげて、何かを鋭くにらみつけるやうに虚空を見つめながら)今のこの世の中に、少し血の気のあるものなら、六三のやうな気になるのはあたりまへぢや、夜の目も寝ずに働いてゐる村の百姓が、一ぱいの粥さへ禄に啜ることができないのに、藩の役人や町の商人共は、明けても暮れても酒と女に酔ひ戯れてゐる。それを目の前に見せつけられてゐる村の若い者がどうしてじつとしてゐられるのぢや。彼奴等がやけ糞になるのはあたりまへぢや。(間)だが坊ンよ、お前は決して彼奴等の真似をするなよ、彼奴等は鬱憤のやり場所を間違へてゐる。(急に節くれた握り拳をグツと振りあげて力強く)彼奴等はこの拳骨の持つて行き場所を取り違へてゐる。えゝか、彼奴等はこの拳骨を向ふへ持つて行かずに、こつちへ持つて来てゐるのぢや。拳骨の戸迷ひをしてゐるのぢや。えゝか、坊ンよ、お前は決して戸迷ひをしてはならんぞ。(深く考へて)いゝや、もうしばらくぢや。もうしばらくすれば、(あたりを見廻して)春が来るわい、それまでは、坊ンよ、しばらく冬籠りをするのぢやぞ。……(静かに出て行く)

(幕)


第三景  吉田領是房村、吉田街道

一帯の松並木。紅の落葉樹がまざつている。

右手寄りに「右、吉田街道」としるした道路標、右手、遥かに一筋の吉田街道が眺められる。正面に辻堂、あたりに秋草が身丈けに繁つてゐる。

鵯の啼く声。

野良着の百姓二人、語りながら左手の方から出て来る。

二人とも編笠を着て顔をかくし、小さい包を背負つてゐる。

百姓の一。やれやれ、すつかり疲れてしまふた。体の疲れよりも気づかれぢや。

百姓の二。そうとも、そうとも、体は野良に働いてゐる方がよつぽどえらい、十里や二十里の旅をしてもこう疲れるのは気づかれぢや。なあ徳兵衛さんや、この四五日の気苦労と云ふものは一年中の働きにも比べられなんだなあ。

百姓の一。ほんまや、何しろ見つけられたら牢にぶちこまれた上に、一年中かかつて作りあげた紙を根こそぎ取りあげられるのぢやからな、睾丸が上つたり下つたりぢや、あ、は、は、は、は。 

百姓の二。しかし、自分の手で作りあげたものを、俺は煮て食はふと焼いて食はふと勝手ぢやと思ふのぢや、何も法華津屋ばかりに売らにァならんと云ふ法はない、いや、買手は法華津屋でもどこでもえゝが、一たい、あの法華津屋の近頃のやり口はどうぢや、藩の大提灯や小提灯をすつかり自分の手に入れて、俺達の作つたものを刀で脅かして持つて行くのぢや、あれは買ふのぢやなうて強盗ぢや、そのくせ貸出す金は眼玉のとび出るやうに高い金利をかける。これぢや俺達は法華津屋と云ふ石臼の中にはいつてすられてゐる豆のやうなものぢや、骨まで粉にして吸ひ取られてしまふわい。

百姓の一。(嘆息して)あゝ、疲れた疲れた、どうぢや八衛門さんや、(あたりを見廻して)このへんで一休みせうぢやないか、ここは是房村ぢや、もう一息で村にかへれる。

百姓の二。一ぷくせうか。年に一度の大厄も、これでどうやらのがれたやうぢや。

    二人、前の辻堂の前の石に腰を下す。

百姓の一。(更らに嘆息して)いゝや、そうとも云へんぜ、徳兵衛さん、まだも一つあるわい、二三日したら米の上納日になる。

百姓の二。そう、そう、こつちの方へ気を取られてすつかり忘れてゐた。そう云へばまだでつかい奴が一つあるわい。(間)紙を作つても米を作つても、俺達ァすつかり取りあげられるのぢや、一たい俺達ァ何んのためにこの世の中へ生れて来たのやら、さつぱり訳がわからん、寺の和尚に云わせると、これが前世からの約束因縁ぢやと云ふが、しかし俺達ァお袋の腹の中でそんなべら棒な約束をした憶えはなし、憶えのない証文を突きつけられてみても、へえそうですかと云つて借金なしをする気にァなれない、徳兵衛さん、そうぢやないか?

百姓の一。(吐き出すやうに)俺ァあの坊主と云ふ奴が、第一気に食はんのぢや、藩の役人や法華津屋は前世で善根をほどこしたから、それで今世では富み栄えるのぢやと吐かしよる。冗談云つちや困る、前世で善根なんぞ積まいでも、あのくらゐ悪党になれば富み栄えるのはあたりまへぢや。坊主なぞ云ふものは悪役人や大金持の弁護をして歩く幇間みたやうなものぢや。俺達ァあんな奴等にたぶらかされちやなるまいよ。

突然、辻堂の背後から、六三現はれる。二人の百姓、びつくりして起ちあがる。

六三。(威嚇的に)おいお父さん、だいぶ面白い話がはずんでゐるな。定めし宇和島あたりへこつそりと抜荷をして持つて行つたのやろ。懐がたんまりとふくれてゐるぜ、どうや、分け前を出しんか?

百姓の一。(顔色を変へてまごつきながら)何を云ふのぢや、俺達はそんな、そんなものやないわい。

六三。は、は、は、とぼけてもだめだ。この道にかけては是房村の六三だ、世間で隼の六三と云やあ、ちつたァ人に知られた小提灯の手先だ、四の五の云つてゐるとお前達のために悪かろうぜ。牢にはいつてつらい目を見るより、黙つてそこにある金を財布ぐるみこつちへ渡す方が身のためだらうぜ。

百姓の二。隼か熊鷹か知らんが、俺達は城下へ買物に行つてのかへりがけぢや、お前達に文句を云はれるわけはない。

六三。(もの凄く冷笑して)冗談云ひなはんな、見れァお前さん達はこの近在の水呑百姓らしい、他の土地なら知らぬこと、この吉田領の水呑百姓で、たとひ秋のとり入れがすんでみても、のん気に城下へ買物に出るやうな、そんな余裕のあるものは一人もない筈だ、ここにかうして綱を張つてゐる隼の眼で一目にらんだら間違ひつこはない、先刻の話でも判る通り、藩の御法度を犯して抜荷をした大罪人だ。文句があるならこれから早速紙役所へかけ込まうか。(ツィと尻まくりをして行かうとする)

百姓の一。(びつくりして)阿兄! ま、ま、まつてくれ!(とり縋る)

六三。(悠然と)待てと云ふなら待たないこともないがな。それでは胴巻の金をそつくり出しなはるか?

百姓の一。(息の窒るやうな苦痛の色を見せて)ま、ま、ともかく待つてくれ! 俺達ぢやかて何も好きこのんで牢屋なんぞにはいりたうはないわい、(六三の体を捕へながら、苦しそうに唾をのんで)ぢやからまァ、でけるだけのことはするわい、ともかくまあ、ここへ腰をかけてくれ。

六三。老人は気が長い、胴巻を出すくらゐのことは造作もないことだ。そんなところへ腰を下すにも及ぶまい。

百姓の一。(六三の体を引つぱつて)いゝや、お前には造作もないことか知らんが、俺達にとつては大事ぢや、嬶や小伜が干ぼしになるかならぬかの境目ぢや、えゝか、短気なことを云はずに、阿兄後生ぢや、ちよつとまあ、気を落ちつけてそこへ腰を下してくれ。

六三。気を落ちつけるのはそつちのことだ。(渋々に辻堂の石に腰をかける)小父さん、早くしてや、後が急ぐからな。

百姓の一、百姓の二に、陰へよんでコソコソと相談する。

百姓の一、しきりに百姓の二をなだめる。

六三。(それに気づいて)おい、向ふの小父さん、あんまり解らないことを云つてゐると後で泣きを見るぜ、どうせこう見つかつたからにァ、表向きにすれば金をそつくり捲きあげられた上に牢へはいるのだ。それを俺が内済にしてやらうと云ふのだからこんなありがたいことはありァしない、何をツベコベと文句を云つてゐるのだ、俺は気が短い、面倒臭いことを云へば、すぐかけ込んでしまふぜ。

百姓の一。(あわてゝ)阿兄、もうちよつとぢや、な、もうちよつと待つてゐてくれ!

六三。早ふたのむ、わかり切つたことやないかい。

漸く話がまとまつて、百姓の一、おどおどと紙に包んだ金を六三に渡す。

六三、受取つて、ちよつと見て、ポンと百姓の一の前へ投げつける。

六三。こんな端した金どうするんだ。

百姓の一。まあ不足ぢやろうけれどな……。

六三。不足も何もあるかい、(起つて)えゝ面倒臭い!(再び尻を端折つて)さあ、紙役所まで来たら話がわかる。(行きかける)

百姓の一。(六三の体をつかまへて)待つてくれ! 阿兄、紙役所だけは勘弁してくれ。(しくしくと泣く、じつと六三をつかまへながら)俺の村ばかりぢやと思ふたら、どこの村にもこんな破戸漢がゐて悪役人の手先きになつて俺達を虐めるのかい、お前たちでも貧乏な百姓の小伜ぢやないか、あの強欲な藩の役人や法華津屋の犬になつて村のものを虐めるとは何事ぢや、(はげしく泣く、間)し、しかしまあ、金をそつくりやらねば訴人すると云ふのぢやから、背に腹は替へられん、(相手の体から放れて)待て、それで気がすむならしかたがない、明朝の日から女房子が飢え死にをさせる気でみんなやるわ! 俺が牢へはいるよりましぢや。(胴巻を引き出す)

百姓の二も、啜り泣きながら同じく胴巻を出す。そしてそれを六三に渡す。

六三。(受けとつて、大きくうなづき)うむ、最初からこう素直に出せば文句はなかつたんだ。えゝ心がけや、それでは二人の罪は内証にしてやる。その代りまたちよいちよいとたのむぜ。

百姓の一。百姓の二。そうちよいちよい、こんなことがあつてたまるもんかい!

六三。(尻目にかけて)さよなら、お静かに。(右手の路から行つてしまふ)

百姓二人、顔見合はせて、しくしくと啜泣きをする。

善六。大鍬を担いて、左手の方から悄然として出て来る。

善六。(二人の容子を見て不思議そうに)もし、もし、失礼なことをおたづねするやうぢやがあの、何うなさつたのかな? えらい御心配なことでもあるやうな容子ぢやが?

百姓の一。百姓の二。(びつくりして)へえ、いえ、別になにも。……

善六。(二人の姿をじつてと見て、考へながら)いや、いや、そうではないやうぢや、(間。深く考へて)何かお前さま方に悪いことでもあつたのぢやないかな、世の中は相身互ひぢや、たとひ顔は見知り合ひでなからうが、不幸のあつた時には助け合はねばならん、なにかたいせつなものでも落しなすつたのかな? それとも、(ぢつと二人を見つめて)悪者にでも出会つて……(間)たいせつな金でも奪られなすつたのではないかな。(吐息をして)近頃はどこの村にも悪者が蔓つて、おとなしい百姓を虐めてなりません(間。思ひ切つたやうに)、時につかんことをおたづねしますがな、先刻、このへんへ、まだ年の頃なら二十八九、三十がらみの、きよろりと眼の大きい、鼻の高い、こう絹物の絆天を着た、遊び人のやうの姿をした男は通りませなんだか?

百姓の一。百姓の二。(驚いて)えゝッ。(顔を見合せて無言)

善六。(二人の容子を見て、心でうなづいて)、通りましたらうがな? いや、心配は御無用ぢや、(憤るやうな声で)この吉田領に住む百姓で、大なり小なり役人にかくれて抜荷をしないものは一人もない筈ぢや。

百姓の一。百姓の二。(再び驚いて顔色を変へる)滅相もない! どうしてわし達がそんなことを?

善六。いやいやお前さま方はそんなことはなからうけれど(間。ぢつと二人を見て)しかし、な、そうしてこわがつて匿くすのをえゝことにして、藩の悪役人共は村の百姓を恐喝して廻るのぢや、昼となく夜となく、はりこんでゐる岡つ引き同様の破戸漢が他領や宇和島へこつそりと抜売りをする者を捕へて、売代金を根こそぎ奪い取るのぢや、この村は昔から仏のやうな人間ばかり住んでゐたのぢやが、近頃はその悪い破戸漢がえらい殖へて来た、上の好むところは下これに倣ふで、藩の役人や町の金持の悪い事を見習つて、この極楽浄土のやうであつた村も、今では悪い青鬼赤鬼が眼を剥いて迂路つき廻るのぢや。

百姓の一。(突然、頓狂な声で)その青鬼ぢや! その赤鬼ぢや!

善六。(とび寄つて)おゝ、その鬼に?

百姓の二。(同じ口調で)根こそぎ金を取られましたのぢや!

善六。(今更の如く驚いて)えゝッやつぱりそうぢやつたか! そして、その鬼はどんな鬼ぢやつた?

百姓の一。それはあの、今、お前さまの話のやうな男ぢや。

善六。(とびあがつて)えゝッ、あの伜に!

百姓の一。(怪しんで)えゝお前さまの伜?……

善六。(あわてゝ、やけに頭をふつて)いゝや! いゝや、何んでそんな悪党がわしの伜ぢや! わしはそんな伜をもつものぢやない! (間)ぢやが、お前さま方は、その金を取られてさぞ難儀なことぢやらうな?

百姓の一。難儀ぢやとも! 難儀ぢやとも! わしはその金がなければ今晩から村に住んではゐられんのぢや! わしの家は法華津屋から取り立てを食ふて、明日から女房や子供をつれて村を立退かねばならぬのぢや。

善六。おゝ、やつぱり法華津屋から!

百姓の二。そうぢや、わしもまたそのために、わしが先祖から貰ふた家を売らにあならんのぢや、わしは明日から宿無犬になる。いやこの吉田領で、わしらのやうに一年に一度の抜売の金(と云つて、びつくりして口をどもつて)いや、金を奪られたものなら、だれでも同じことやろと思ふのぢや。

善六。(しみしじと考へこんで)うむ、わかつた。お前さまの云ふ通り、いかにも当今の吉田領の百姓は、高い年貢を納めにあならぬ上に、楮の元株にきびしい運上は取られる。あまつさへあの藩の御用商の法華津屋に一手で紙を買占めさせて、わしらの血を搾るのぢや、一枚の紙でも抜売すれば没収の上入牢と云ふむごい仕置、紙役所の役人はそれをえゝことにして賄賂を取つて歩く。これではわし達百姓の浮ぶ瀬がない、が、いかにむごい仕置をされても、わし等はやつぱり抜売をせにあその日の粥さへ啜ることができないのぢや。入牢と知りながら抜売をする百姓ほど可哀想なものはない(二人をじつと見て)いやよく解りました。難儀するのはたれも一緒ぢや、かりそめにもわしの村のものがそんな悪いことをしたとなれば、わしはそれをきいて黙つて見てゐるわけにゆかぬ。(間)それで何かな、その金と云ふのは、お二人で、なんぼうほどぢや? 差支へがなかつたら云ふて貰ひたい。

百姓の一。いゝや、たとひ同じ村のものであつても、お前さまにそんなことを云ふ筋合ひはない。

百姓の二。全くその通りぢや、よく考へて見れば大きい声では云へぬ、国の御法度を犯して作つた金ぢや、それを奪られたとて人を怨むのは間違つてゐる。それに、ここでそんな金高を打ち明けてみてもはじまらぬことぢや。

善六。いゝや、打明けて貰ふたとて貧乏なわしにそれがどうなると云ふことでもないが、袖すり合ふも他生の縁ぢや、こゝでお前さま方に逢ふたのも何かの因縁と思ふて、一つ打明けて貰ひたい、これはわしのたつての頼みぢや、明日から村に住まわれぬときいてみれば、わしはお前さま方が痛はしくてならぬ。と云つても、今も云ふた通り、わしもまた明朝からこの村に住めぬやうな大難がふりかゝつてゐるのぢやから、お前さま方の力になるなどと大きい口も利けぬが、その金高をちよつと一口打ち明けて置いて貰へまいか? 妙な奴ぢやと思ひなさらうがな。

百姓の一。どう云ふわけでお前さまがそんなことを云ひなはるのかわしにはさつぱり解らぬが、それまで云ひなはるなら、なあ、徳兵衛さんや、ともかく奪られた金高を打明けて置かうか?

百姓の二。うむ、それはどつちにしても同じことぢや、打ち明けてみたとてあの金がこのお方から返して貰へるものぢやなし、と云つて打ち明けなんでもやつぱり返して貰へるものぢやない、どつちにしても同じことなら、折角のたのみぢや、打明けてあげようか?

百姓の二、うむ、そうせう、(善六に)もし、わしは七両二分奪られました。

善六。(驚いて)えゝ、七両二分!(あわてゝ、百姓の二に)お前さまは?

百姓の二。わしは一両ばかり少い、六両二分と二朱ぢや。

善六。(益々驚いて)うむ! それでは二人合せて(間)十四両と二朱になる!

百姓の一。いかにもそうぢや、それぢやからわし達二人は、その金を奪られてはもう村にはゐられんのぢや。

善六。(深くうなづいて)もつともぢや。(大きい吐息をして)わしもお前さま方と同じやうにもうこの村にはゐられんかも知れぬ。臍の緒を切つたなつかしい生れ故郷に、もうわし達吉田領の百姓はだれでも住んでゐられなくなつた。(間。更らに憂鬱に)いゝや、もうこの世の中には住んでゐられなくなつたのぢや。(二人に)時にお前さま方は、一たい何村の仁かな?

百姓の一。わし等かな、わし等は旭村のものぢや。

善六。ほう旭村の仁か、そしてお二人の名は何と云ふのかな、差支へがなければ聞かせて貰ひたい。

百姓の一。それはお安いことぢや、わしは八衛門と云ひますわい、どうぞお見知り置いてこれから昵懇にお願い申します。(さびしく笑顔を作つて)いづれ菰を着て門に立つた時にあ、粥の一ぱいも恵んでやつて貰ひます。

百姓の二。わしはこの八衛門と同じ村の徳兵衛と云ふものぢや、わしもやつぱりその中にあお前さまの村を貰つて歩きますからよろしくお願ひして置きます。

    そして二人は声を合せてさびしく笑ふ。

善六。(憂鬱な顔で)何を云ひなはる。わしの方から先きに貰ひに廻るに違ひない、(じつと考へて)お二人の方、いづれ一両日の間にお目にかかります。

     夕鴉、さびしく啼く。

百姓の一。(あたりを見廻して)おゝ、もう日が暮れるわい、(空を仰いで)秋の日は短いなあ、(吐息をして)徳兵衛さんや、かへらうぢやないか。

百姓の二。(悄然と)かへらうと云ふてもお前、このなりではなあ。……

百姓の一。(がつかりして)それはそうやけれど、村へかへらなければ、わしらは今晩どこへ行くのぢや、まさかこの辻堂で寝るわけにも行くまい。

百姓の二。それもそうぢや、それではぼつぼつかへらうか?

八衛門。かへつてからの分別ぢや、(考へて)女房や子供が待つてゐるぢやらうな。(涙拭く)

百姓の一。百姓の二。(愁然と善六をふりかへつて)さよなら、お前さま。

善六。(かけよつて)あゝ、ちよつと待つて下さい。

百姓の一。まだ何か用かな?

善六。いや、別に用ではないが、(考へて)あの、きつと一両日中にお前さまの村へまへりますからな、苦しいぢやらうが、それまで待つてゐてお貰ひ申したいのぢや、えゝかな、決して短気を出さんやうにな。

百姓の一。御親切に云ふて下さつてありがたい、なんの、踏まれた草にも花が咲くと云ふこともある。わし等も男一疋ぢや、少しばかりの金でそんなに見ず知らずのお前さままでに心配をかけてはならん、(間。さびしげに)ではさようなら。

善六。(そつと涙を拭いて)さようなら、御機嫌ようお出でなさいや、気をつけてな。

二人、とぼとぼと右手の路をかへつて行く。夕鴉啼く。夕闇あたりに迫つて、淡い。

     夕陽、吉田街道を照らす。

     善六。大鍬を杖にして、悲痛な顔色で二人の後姿を見送る。

(静かに幕)


第四景  吉田領上大野村、百姓善六の宅

     舞台第二景に同じ。

     第三景の夜。

     仄暗い提燈。

     提燈の蔭に善六の娘、お辰、泣き伏してゐる。

     善六。同じく愁ひげに打沈んでゐる。

善六。(しめつた声で)お前もそれで納得してくれたら、今宵にせまる金のことぢや、これからすぐにお父つァんと一緒に吉田の女玄のところまで行つてくれ、そしたら手附金の二十両や三十両は貸してくれるやらうと思ふ、(間。涙を拭いて)着替への着物もないのぢや、可哀想ぢやがそれなりですぐ行つてくれ、それに明日にでもなれば、村のものの目につく、今晩が丁度えゝ。

お辰。(顔をあげて)、お父つァん、すぐ行くの、明日の晩はいかんの? 今晩はお母ァもこうして死んでしまふたのやから、あて、今晩はお母ァの夜伽(お通夜)をして行きたいわ。

善六。(涙を啜つて)もつともぢや。お前の心はようわかつてゐる。お父つァんもお前にお母ァの夜伽だけなりとさしてやりたい、(間)しかしなお辰や、今も云ふ通り、もし今晩十四両二朱の金がないと、二人の人間の生命―いや、二人どころでない、二軒の家の沢山の家族が飢え死にするかも知れんのぢや、夕方のあの二人のかへつて行く姿を見てゐると、お父つァんはどうもあの二人に無事に家にかへるかどうかと思ふた。もしもあの二人が思ひ詰めた気になつて死んででもしまふたら、一たいわし等はどうして世間に顔が向けられる。いゝや世間ではない、わし等があの二人を殺してしまふたのと同じことや、な、あんな六三のやうな悪党を子に持ち兄に持つたのは、お前やわしの不幸ぢや、決してお前一人に苦労はかけはせん。お父ッあんもこれから思ひ切り働く、そして二人で苦労を分け合ふて泣かう。お前一人に泣かせはせん。お前もこれから苦海の浮苦労をするなら、わしもこれから苦の世界で苦労をする。(急に、ぴつたりと畳に額を押しつける。そして涙声で)お辰! この通りぢや! お父つァんがこの通りお礼を云ふ。……

お辰。(善六の体に縋りついて)お父ァん、あてが悪かつた! どうぞ堪忍しておくれやす! そんならこれからすぐ吉田へ行きませう!(甲斐甲斐しく起つて帯をしめ直しながら)さあ人の来んうちに早ふ行きませふ!

善六。(啜り泣きをしてお辰を見あげながら)お辰、それではこれから行てくれるか。ほんとうに済まないなあ、(間。考へて)ぢやがな、それ、(とお辰に近づいて、小言で)あの納屋にある抜き荷な、あれをお父あんが宇和島かどこかへ売つたら、五両や六両になるからな、そしたらそれをそつくりお前の借金に入れてやる。えゝか、あの悪党は今日うちにかへつて来て納屋であの抜荷を見つけ出したそうやけれど、まだ押さへに来んとこを見ると、さすがに自分の生れた家ぢやと思ふて目こぼしにしてゐるらしい。な、あれを売つたら、きつとお前の方の借金に入れてやるぞ。

お辰。お父ァん、そんな心配はいりませんわ、あてはもうあきらめてゐるのやから、五年でも十年でも、一生涯でも勤めをしてゐます。

善六。(呆れて)それは何を云ふのぢや、あんなところに一生涯ゐてたまるかい、えゝわ、その中にお父ァんが金をしこたま儲けて迎ひに行つてやるわ、(さびしく)あ、は、は、は、は。

お辰。(ほつれ毛をかきあげて)さあ、これでええわ、すぐ行きませう。(またじつと悲しげに考へて)あて、お母ァに一目、暇乞をして来ますわ。(奥に行きかける)

善六。(急にうなだれて、ソッと涙を拭いて)うむ。……

   お辰、向ふをむいて忍び泣きながら、奥へはいる。
   武左衛門、左手の入口から、そつとはいつて来る。

善六。(その姿を見て)おゝ、武左衛門さん、ようござつた。さあ、とり散らかしてゐるが、こつちへあがつておくれ、昼の中は何んぢやまあ、重公の奴に金などやつて貰ふて(土間へ下りて丁寧に頭をさげて)、どうもありがとうございます。いつもいつもまあ、あんたにはお世話にばかりなりましてな、厚ふお礼申します。

武左衛門。(静かに)そんなこと云ふて貰ふほどのものぢやない。いゝや、先刻、わしはお前さんを探してゐたのぢや、何んでもお前さんがあの六三を血相かへて追つかけて行つたので、わしもちよつと心配になつたのぢやが(間)、しかし、何を云ふても血を分けた親子ぢや、たいしたことはないとわしは思ふてゐた。それにお前さんは何と思ふてゐなさるか知らんが、あの六三ぢや、あれは却々偉い子でな、わしは常々から目をつけてゐるのぢや。お前さんはえゝ息子を持ちなはつたな。

善六。(すつかり呆れて)じょ、冗談云つては困ります、武左衛門さん、一たいそれは何を云ひなはるのぢや、お前さんはこの上大野村第一等の偉ら物ぢや、いや、吉田領中金太鼓で探してもお前さんのやうな器量人はないとわいは思ふてゐるが、しかしお前さんは時々妙なことを云ひなはる。わしは時々お前さんは気狂ひになつたのぢやないかと思ふことがある。一たい、わしのうちのあの大悪党をえゝ息子ぢや、偉い子ぢやとはそれはどこを押せばそんなことが云へるのぢや、あの野郎は親や兄妹ばかりでなく、近所近在の人々に難儀をかけて泣きを見せてゐる。彼奴は親や兄妹を平気で殺す大悪人ぢや、あんなものが何がえゝ息子ぢや、偉い子ぢや、はゝあ、わかつた、お前さんは裏を云ふてわしをなぶつてゐるのぢやな。

武左衛門。(微笑つて)何をお前さんをなぶるものか、今晩はそれどころではない、わしは死んだお霜さんの夜伽に来たのぢや、これは少いけれど御仏前へ供へておくれ。(紙包みを出す)貧者の一燈ぢや。

善六。(頭をさげて)これはこれは、昼の中もあないにして貰ふて、またこんな心配をかけては申わけがない、失礼ぢやがお前さんの家とてもそないに余裕のあるわけではなし。……(紙包みを押し戴いて)死んだ婆もお前さんのお志には草葉の蔭でどないに喜んでゐるか知れんぢやらう、さあまあ上つておくれ、番茶なと煎じるから。

武左衛門。(手で制して)いやいや、そんな心配はいらん、(善六に近づいて、小声で)善六さん、心配はいらんがな、今わしがここへ来る路で、紙方が押へに廻つてゐたのを見た。その話合ひをチラと耳にはさんだが、善六さん。何んでもここへも来るらしいのぢや。

善六。(顔色をサツと変へて)えゝッ!

武左衛門。いゝや、心配はいらん、抜荷があるならここへ持つておいで。

善六。(びつくりして)武左衛門さん、そ、そんなことをしたら、すぐ見つかるぢやないか? とんでもないことぢや!

武左衛門。(首をふつて、静かに)いゝや、心配はいらん、お前は奥にはいつて娘や息子とゆつくり婆さんの夜伽をしてやつたらえゝ、後はわしに任しておき。

善六。いゝや、それはでけん、武左衛門さん、なんぼお前さんが器量人でも、相手は紙方役人ぢや、あの池上三平と云ふ大提灯の威光を笠に来て、したい放題の乱暴をする奴共ぢや、わしの家のことでお前さんに災難がかかつてはならぬ、(まごまごして)わしやどうしたらよからう? 今のうちに納屋の紙を裏の池へでも叩きこまふか?

武左衛門。(微笑つて)汗と膏で作りあげた大せつな紙を池の中へ叩きこんでどうするのぢや、心配はいらんと云ふてゐるぢやないか、さあ早ふここへ持つておいで、役人が来てからぢやと少しばつが悪い。

善六。(まだおどおどして)そうぢやらうかな、大丈夫ぢやろかな、お前さんの云ふことぢやからわしは間違ひないと思ふけれど。……

武左衛門。(力強い声で)大丈夫ぢや、安心するがえゝ、自分の手で作つて自分が持つてゐるのぢや、何を恐れることがある? だれに遠慮がある? 売ると売るまいとは作つたものの勝手ぢや、自由ぢや、だれが何んと云はふと、天道さまが許してゐなさる。この世の中に、どんな偉い人間がゐやうと、百姓が汗と膏で作りあげたものを奪ひ取つて行く権利のあるものは一人もゐない筈ぢや! さあ、善六さん、お前さんの作つた紙を、みんなここへ持つておいで、わしがここにゐればだれの手にも決して渡しはせん。

善六。(やつと安心して)そんなら武左衛門さん、納屋にかくしてある抜荷をみんなここへ持つて来る、だけどな武左衛門さん、わしはもうあの紙、少しも惜しふない、もう決して惜しいことはないから、お前さん、あんまり役人衆に手向ふて後の災難にならんやうにな、えゝか、たのむぜ、わしのうちを救ふてやらうと思ふて、お前さんが災難を着なはるとわしは申わけがないからな。

武左衛門。(豪快に)あ、は、は、は、お前さん達はどこまで正直者か底が知れぬ、その正直さにつけこんで、あの疫病神のやうな役人共が虐めつけるのぢや、彼奴等はまた吼えつく野良犬のやうなものぢや、こちらが逃げるとどこまでも追つかけて来る、石を投げつけてやると逃げ出すのぢや、こつちが弱く出るとつけ上つて来る、強く出ると凹んでしまふ、一たい、わし等百姓より強いものがこの世の中のどこにあるのぢや? それに気づかずに、百姓はいつも逃げかくれしてゐる。ぢやからあの弱虫の野良犬共がのさばりかへるのぢや。お前さん達はなぜはつきりと自分自身の力を見きわめんのぢや? そして野良犬共を村から追つ払はんのぢや! 善六さん、まあ見てゐるがえゝ、わし等百姓の体の中にはどんな大きい力がこもつてゐるか、今わしがお前さんにそれをはつきりと見せてやるぞ! さあ、納屋の紙がどれほど沢山あつてもえゝ、わしの目の前へみんな積みあげなさい、わしも手伝つて搬んでやらう!(片肌をぬぐ)

善六。(俄かに晴々しい声で、躍りあがるやう手を拍つて)やあ! これあ面白くなつて来たぞ! さすがにわしの村第一等の武左衛門さんぢや! 吉田藩の悪役人共を向ふへ廻しての一騎打ちをするのぢや! こいつあ、たまらんわい!(奥の方へ、大声で)やあい、重公もお辰もみんな出て来い! 納屋からみんな紙をここへ搬んで来るのぢや!

     奥の間から重吉とお辰、びつくりしてかけ出して来る。

重吉。(眼を円くして)お父さん、なんや? なんや?

善六。(手を拍つて)なにもかにもあるかい、納屋からかくしてある抜荷の紙をみんなここへ搬ぎ出すのぢや! そしてここへ山のやうに積みあげるのぢや! 今紙方役人の奴が紙を押へに来るから、其奴共に一泡吹かしてやるのぢや!

お辰。(重吉と顔を見合せて)まあ! お父ァん、気が狂つたのやないのか?

重吉。(泣き声で叫ぶやうに)お父さん! 何を云つてゐるのや? お父さんはお母ァが死んだので気が狂つたのやな?

善六。(愉快そうに)あ、は、は、は、阿呆ぬかせ! このお父さんが気が狂つてどうするのぢや!(武左衛門を指して)見い、わしにはこの偉い武左衛門さんが附いとんなはるわい! 安心せ! この世の中でな、百姓ほど強いもんはないんやぞ! えゝか、その強い力であの村をのさばり歩いてゐる野良犬共を追つ払つてやるんやぞ! えゝか、さあ、それがわかつたら、みんなで納屋の紙をすつかりここへ搬び出すのや! わかつたか?!

重吉。(いきなり土間へとび降りる)わかつた! お父さん! 武左衛門小父さんがわし等に附いとんなはるなら大丈夫や! わしは今日昼の間にすつかり小父さんから話をきいて知つてゐる! お父さん、納屋の紙、みんなここへ搬びだすのやな?

善六。(勢よく)そうや!

重吉。よし来た! 阿姉! お前も早ふ搬ぶのやで!

武左衛門。(納屋の方へ歩きながら晴々しく)さあ、家中みんなして搬ぶのぢや。

お辰、夢中で土間へとび降りて、みなの後からかけて行く。

善六、武左衛門、重吉、お辰、みんな大きい紙の束を担ぎ出して来て、上り口に積みあげる。

重吉、お辰、その前へ坐る。

善六。これでみんなぢや、さあ、だれでも来い。

武左衛門。(入口の方を見て)えらい手間取る。大方執念深く荒らし廻つてゐるのであらう。しかしもう間もなく来るに違ひない。

突然、裏の方から、吉田藩の定紋附に、「紙方頭取」と書いた提灯を各々手に持つた、抜荷押へ方、提灯屋栄蔵、覚蔵、その他の破戸漢数人、ドカドカと闖入する。

栄蔵。(大声に脅迫的な口調)百姓善六。紙方頭取のお指図で抜荷押へのために出張した。これから屋敷中に残りなく家探しする。そこに神妙に控へてゐろ。

善六。はい、はい、なんぼでも探して下さい。

栄蔵。(ふと上り口に積みあげた紙を見て)これは何んぢや?

武左衛門。それは紙ぢや。

栄蔵。(じろりと武左衛門をにらんで)紙は云はないでも判つてゐるわ、この紙は何んぢやときくのぢや、抜荷にするつもりで持つてゐるのぢやな?

武左衛門。阿呆を云はつしやるな、抜荷をするやうな紙を座敷のまん中に積みはせんわ。上役人の手代をするやうな仁が、それくらゐのことに気がつかんか?

栄蔵。(グツとまゐつて間)お前はケタ打ちの武左衛門ぢやな、俺達は善六の家を調べるのぢや、いらぬ差し出口をするよりも、扇子でも叩いて浄瑠璃なと語つてをれ!

武左衛門。いゝや、差し出口をせにやならぬ、この紙は俺と善六が寄り合ひで作つた紙ぢや、俺には口を出す権利がある。

栄蔵。(またまゐつて)うむ、(間)浄瑠璃語りでも内職に紙を作るのか、それならこの十月の紙買上げの時になぜ法華津屋に売渡さぬ、これだけの紙をここに持ち残してゐるのは抜荷をするために違ひない、(手先のものに)おい、これを取りあげろ!

武左衛門。(憤然とその前に遮り立つて大声に叱咤する)。待て! いかに上役人の指図とは云へ百姓が正当に持つてゐる物を奪ひ去ることはならぬ! いかにも、抜荷をするために納屋にかくしてゐるとか、長持の中へ詰めてあるものなら、取り押へられてもやむを得ないかも知れぬ。いや、元来それさへ取り押へてはならぬのぢや、百姓が汗膏で作りあげたものを、二束三文の捨値同様で買取るやうな理不尽をする店に売りたうないのはあたりまへぢや、しかし、それも藩の掟と云ふことならやむを得ぬ、今の百姓達がほんとうに自分の力に目ざめるまでは、その掟にも従つておかねばならぬ。ぢやが上の掟を守つてゐる者の所有物を取り押へるなどとは、役人自身上の掟を破るものぢや、栄蔵、お前は紙方頭取の手代であると云ふが、お前はそれで上の掟を破つてもこの紙を押へて行くかどうかぢや? 今年は手が少うて紙の上りが遅かつた故、十一月の買上時には間に合はなかつた。それで抜荷と疑はれてはならぬから、こうしてだれに匿さず上り口に積みあげてあるのぢや、それにお前はその紙を抜荷ぢやと云ふて理を非に枉げて押へようとするのか、そのやうな無法なことをしても上の掟を破らぬと云ふのか? 

栄蔵。(口惜しげに唇を咬んで無言)

武左衛門。(相手に迫つて)さあ、それでもこれを押へて行くなら行つて見よ! 俺はお前達を上の掟を破つた大罪人として、宇和島表に吉田領八十三ヶ村の百姓達と申し合せて訴人するぞ!

栄蔵。(ブルブルと全身を慄はせ、くるりと振り向いて、手先のものへ悲鳴に似た声で叫ぶ)おい、手下の奴等! こんな狂人に相手になつてゐては後の役目に差し閊へる。(提灯を振つて)かへれ、かへれ!

  栄蔵、覚蔵、その他の手先、ドヤドヤと左手の入口から出て行かうとする。

武左衛門。これ、栄蔵、覚蔵、ちよつと待て。

栄蔵。(渋い顔をしてふり向いて)まだ何か用があるのか、それに先刻からきいてゐると、上の役人に向つて、栄蔵、覚蔵とは何んぢや? 土百姓の分際で。

武左衛門。は、は、は、は、提灯屋がそないに偉いか、いや、提灯屋でも正直に働いてゐるものは、藩の悪侍よりはずつと偉い筈ぢや、樽屋には与兵衛どのと云つて、提灯屋のお前達よりずつと偉い仁がゐなさつたる。お前のやうな提灯は、もう張替へしても骨が腐つてゐるので間に合はんわ。

    重吉、お辰、善六まで、クスクスと笑ふ。

栄蔵。(プンプン憤つて)何んぢや! 提灯屋、提灯屋と沢山そうに吐かすな、昔は提灯屋でも今では吉田藩の紙方役人ぢや、(一本差しの束に手をかけて)無礼を申すと手は見せぬぞ。

武左衛門。手より尻尾を見せぬやうにせ。(やや厳粛に栄蔵へ)お前はそないにして村の者の憎まれ役を勤めてゐるのが面白いか? 家にゐて安気に提灯張りをしてゐる方がえゝことはないか?

栄蔵。何を吐かすのぢや! 他人のことはほつとおけ!

武左衛門。いゝや、他人のことでもほつておけないのが俺の性分ぢや、お前は先祖からの提灯屋をしてゐるのぢやが、しかしもうその提灯屋では飯を食ふて行けんのぢやらう! それで生れ故郷の村々の者に蝮のやうに憎まれても、しかたなしにそんないやな役目を勤めてゐるのぢやらう? どうぢや?

栄蔵。(急に妙に顔を曇らせる。無言)

武左衛門。どうぢや? 俺の云ふことには違ひはなからうがな。しかしな、栄蔵、いや、そこにゐる覚蔵も同じことぢや、俺の云ふことをよくきいておけ、えゝか、お前達がその先祖からの提灯屋で安楽に飯が食へなくなつたわけを知つてゐるか? その先祖からの習ひおぼえた家業をしてゐては、もうとても一家を養ふて行くことができなくなつた理由を知つてゐるか、お前達でも人間だ、生れ故郷のたれかれから、彼奴は大提灯の手下の小提灯や、いや鬼や、蝮やと云ふて、一年中憎まれてゐたいことはなからう。しかし、そのいやな役目を勤めてゐるのも、やつぱり可愛い女房子供を安楽に養ふて行きたいばかりぢや、もし今までの提灯屋で女房子供が安楽に養ふて行けるものなら、お前達は決してそんないやな役目を勤めはせんに違ひない、そんな役目をするよりやつぱり子供の時からの提灯屋の栄蔵さん、覚蔵さんで村のものとも仲よく暮して行きたいに違ひない、俺はここに立つてゐるが、ちやんとお前の腹の中にはいつてゐる。えゝか、そこだぞ、栄蔵も覚蔵もよくきけ、前にも云ふ通り、なぜそんなら提灯屋で飯が食ふて行けんやうになつたのか、それは原料の紙が途方もなく高ふなつたからぢや、えゝか、お前達は提灯屋ぢや、提灯屋は紙が元手ぢや、紙を元で安ふ買ふて、それに手をかけて売り出すのぢや、その間に何んぼかの利益を見る、それが提灯屋の身入りになるのぢや、ところが原料の紙代が近年のやうに高ふなつては、それに手間賃をかけては出来上つた提灯は途轍もない高い提灯になつてしまふて、とても村の貧乏な農家には買ふことができない。農家では土地で出来たそんな高いものを買ふよりも、宇和島か上方の方から来た安いものを買ふ方が得ぢや、さあそこでお前達のやうな土地の提灯屋は飯が食へなくなつて来るのぢや、えゝか、しかし栄蔵、覚蔵、そのお前達に飯が食へなくなつて来たその原料の紙の値が、そんなに高ふなんて来たのはどう云ふわけぢやか、お前達は知つてゐるか? いや、お前達が生れつき阿呆であつたら解らぬかも知れぬが、一人前の人間ならすぐ解る筈ぢや、しかし、その解り易い道理に気がつかんものがこの世の中には随分多いのぢやから困りものぢや、そこでそれを俺が今きかせてやらう。えゝか、よく聞け、その紙の値も途方もなく高くなつて来たのは、あの法華津屋が吉田領の農家で作る紙を一手に買占めるやうになつたからぢやぞ、それを藩で保護して、紙役所などを設けてそこへ沢山の紙方役人までもつけて置くやうになつたからぢやぞ、法華津屋は藩の威光を笠にきて、百姓達から自分勝手に定めた安い値で買ひ占める。そしてそれを高い値で売り出すのぢやから、紙の値が高ふなるのは判り切つたことぢや、そして売り手の百姓はもちろんお前のやうに紙を原料にして商売するやうなものは、みんな飯が食へなくなるのぢや、そして法華津屋一人が金ぶくれになつてゐるのぢや。それではたまらぬと思つた百姓がこつそりと抜荷をすると、そいつを藩の役人が追つかけ追ひ廻して押へてしまふのぢや、百姓と同じやうに法華津屋に血を搾られてゐるお前達までが、法華津屋の手先きになつて百姓達を虐めつけてゐるのぢや、栄蔵、覚蔵、どうぢや、解つたか? 

栄蔵。(吐息をして)道理を云へばまあそんなもんぢや、(また吐息をして)しかし今の世の中は道理ばかりでも通らぬわい、(ふと気がついたやうに、手下に向つて)おいこら、貴様達は何をぼんやりしてゐるのぢや、土百姓の説教などに感心してゐてお上の役目が勤まるかい、早ふ行け! 早ふ行け!

     抜け荷押へ方、ドヤドヤと出て行く。

武左衛門。(後姿をながめて愉快そうに)あ、は、は、は、は、善六さん、とうとう逃げて行きよつたな。

善六、お辰、重吉、上り口に腰をかけて、武左衛門の話にきき入つてゐたが一同、感に打たれて武左衛門を見あげる。

善六。わしや何んにも云わぬ、武左衛門さん、わしや今晩、すつかりと夜が明けたやうに思ひました。

武左衛門。(眼を輝やかして)夜が明けた? いや、その言葉は気に入つた。いかにもわし等百姓の夜明けは間近い! 善六さん、(近づいて、善六の手をしつかり握つて)もうしばらくぢや、しかし、ただわし等二人ばかりの夜明けではならぬ、この上大野郷いや山奥分、いやいや、吉田領八十三個村の百姓達の夜明けを作らねばならぬ。それにはこれから互ひに力を合せて、村々に一人々々の同志を語らふことが必要ぢや、(じつと考へて)わしは今ぢやからお前に打ち明ける。念を押すまでもないことぢやが、決して他言は無用ぢやぞ。

善六。(深くうなづいて)なんの他言などするものか、お前さんは救ひの親ぢや、いゝや、わし等の神さまぢや(感激して啜り泣く)わしはお前さんのためなら死んでも厭はぬ! わしの生命が入用なら、たつた今でも差し上げる!……(感極まつて言葉が出ない、片手で顔を掩ふて激して泣く)

武左衛門。(同じく涙を片手で拭いて)善六さん、よう解つた、お前の心底はこれではつきりと解つた。虐められてゐるものゞ心は、同じやうに虐められてゐるものでなければ解らぬ、たとひいろは文字の読めない百姓でも、虐められてゐるものなら、わしの云ふことを一言ですぐに呑みこんでくれる。(善六の手を放して、あたりをじつと注意深く見廻はしながら重吉に)重吉や、お前、今の役人共が、この屋敷の廻りに忍んでゐるかどうかを、よう見届けて来ておくれんか。

     重吉、すぐとび出して行く。

武左衛門。(自分も窓から入口の方を見廻つて、それから座敷へあがる)善六さん、こゝへ来ておくれ、こゝでお前さんに打ち明けることがある。

重吉。(かへつて来て)小父さん、たれもどこにもゐやせん。

武左衛門。おゝそうか、御苦労ぢやつた。

善六。(重吉とお辰に)お前達はちよつと奥の方へ行つとらんか、奥へ行つて、お母ァの夜伽をしてやれ、一人でさびしかろうからな。わしはちよつと武左衛門小父さんと話があるからな。

武左衛門。(手で遮つて)いやいや、お母ァの夜伽も大事ぢやが、お前達もこゝへ来て、小父の云ふことをよくきいてゐるのぢや。

善六。(心配げに)武左衛門さん、わしやあんたの云ひなはることぢやから間違ひはないと思ふのぢやが、お前さんのその話と云ふのは、(あたりを見廻して膝をすり寄せ)お互ひの一命にもかゝわる大事ではないかと察してゐるのぢや、それに小娘や子供にきかしたとて解らう筈はなし、また、こんな齢のゆかぬものゝの耳に入れて、ひよつと他人の前で口をすべらしては取り返へしがつかぬ。

武左衛門。(首を振つて、強い自信のある口調で)いゝや、さうぢやないわい、善六さん、お前さんは女や子供と云ひなはるが、この仕事は女や子供にもよう解るのぢや。解るどころか、これこそ女や子供の、ほんとうの仕事ぢや、(二人を指して)この若い女や子供達は、自分がなぜこんなに貧乏をして苦しむのか、それがよう解らぬ、わし等はそれを教へてやらねばならぬ、よう教へてやつて、これから先きに、もつともつとよい世の中を作るやうに眼を開かせてやらねばならぬ。わし等は老ひ先が短い、しかし若い女や子供はこれからぢや、これから幸福に生きて行かねばならぬ。そのためには、今からはつきりとこの間違つた世の中を見究める眼を開かせて、この人達の進むべき明日の道を教へて置かねばならぬ。えゝか、わし等の今の企ては実はこの若い女や子供のための企てぢや、さあ二人とも、こゝへ来て坐つて、小父の話をきいてくれ。

    お辰、重吉、座敷へあがつて二人の前へ坐る。

善六。なるほど、いかにも道理ぢや、武左衛門さん、わしはあんたの話を一つきくと一つ悧巧になるわい。

武左衛門。(じつと膝をすり寄せて、厳粛に)善六さん、わしは今夜お前さんに打ち明ける。えゝか、ようきいておくれ、わしは丁度今から三年前から、この吉田領八十三個村の村々を、ケタ打ちとなつて一本の扇子を叩きながら浄瑠璃を語つて歩いてゐる。ぢやが、先刻こゝへ来た抜荷押へ方の奴等まで、まだわしがほんとうの浄瑠璃語りの門附ぢやとばかり思つてゐる。一文二文の穴明銭を貰ひ受けて、その日の糊口をしてゐる武左衛門ぢやと考へてゐる。いやそれで結構ぢや、この本当の武左衛門が判つてなるものか。(眉を昂げ、一際熱をもつて)実は善六さん、わしは三年この方、このむごたらしい政治に苦しんでゐる吉田領八十三個村の百姓が心を一致して奮然と起ちあがり、自分達の真の強い力で藩の悪政を打ち破つて、本当に幸福な自分達の村とするために奔走して来たのぢや、わしは八十三個村の村々を、破れた編笠で顔をかくし、一本の扇子で膝を叩き、声張りあげて語り出す浄瑠璃の文句の中にも、わしの燃えるやうな反抗の精神はこもつてゐたのぢや。世の中のものは、ケタ打ちの武左衛門、門附乞食の武左衛門などゝ後指を指して笑つてゐるが、しかし善六さん、もうこの吉田領八十三個村のどこの村にも、わしと生死を誓つた同志は、すつかり碁盤の目のやうになつて潜伏してゐる。そしてその人達は、息を殺し、声をひそめ、全身に漲りかへる熱血を嘆じながら、じいつと時の来るのを待つてゐる。甚だ僭越に聞えるであらうが、わしが手に持つた扇子をポンと打てば、吉田領八十三個村の同志は、一斉に烽火をあげるのぢや、いや、これは決して昔の将軍が兵卒に命令するやうなものではない、わしの扇子は、兵卒を命令する指揮刀ではなうて、同志のものが足並みを揃へるための合図の笛ぢや、全部の同志の心は、わしの心、わしの心は、全部の同志の心ぢや、その呼吸のぴつたりと合ふた時に、その中の一人が笛を吹くのぢや、一人の笛は、全部の笛ぢや、さあ善六さん、お前さんもその笛を吹く一人になつておくれ、お前さんは、よもや嫌やとは云ふまいの?

善六。(膝を進めて熱心に)なんの厭やであらう、わしはお前さんになら、この老ひぼれた首でもよいとあれば差しあげるつもりでゐるとは、先刻も云ふた通りぢや。(お辰と重吉を指して)この可愛い娘や息子に、これからの生い先き長い一生を、わしやこんな苦しい思ひをさせたうない、この娘や息子のため、またこの苦しんでゐる村の人達のためなら、こんな白髪首の一つや二つ、いつでも差しあげる。そんなありがたい御用のために、わしのやうな禄でもないものゝ生命を使つて下さると云ふのなら、こんな嬉しいことがまたとあらうか、たとひあの世で無間地獄に墜ちやうとも、わしや極楽の玉の台に乗せて貰ふよりも有難く思ひます。武左衛門さん、どうぞわしのやうな老ひぼれた爺でもよければ、お前さんの一味に加担させておくれ、きつと生命がけで働かせて貰ひます。えゝ、えゝ、わしやその時にァきつと生命を的にして働かせて貰ひます。この六十幾年の間、血の涙を絞つて虐められて来たわし等ぢや、その時こそ働かいでなるものか! なあこれ、重吉、お辰、その時にァお前達も(と、そばにあつた手拭を掴みあげて、クルクルと絞つて向ふ八巻をしながら肘を張つて)さあかうして悪者共に向ふて行くのぢや。えゝか? 忘れるなよ!

重吉。(うなづいて)うむ、わかつた、きつと行く。旗でもなんでも持つて行く!

善六。旗持か? そいつあ豪気だ、お辰、お前も来いよ、お前はその時にァ、みんなの食ふ握り飯でも握るんぢや! 

お辰。えゝ、えゝ、行きますとも、きつと行つて働きますわ!

善六。(急に用心深く)けれどな、重吉や、お辰や、これ、決してだれにも喋つてはならんぞ、えゝか、藩の役人の耳にでもはいると、きつとお前等は首を取られるぞ。

武左衛門。(言葉を改めて)時に善六さん、お前さんは、今晩、吉田へ行く筈ではなかつたのかな?

善六。(びつくりして)えゝ、お前さん、どうしてそれを知つてゐなはるのぢや。

武左衛門。いや、それは話さぬとわからぬことぢやがな、先刻も云ふた通り、わしは三年前から、吉田領の村々を廻つてゐるが、胸に一物があるので、門に立つても、悪いことゝは知りながら、じいつとしばらく、家内のものがどんなことを話し合ふてゐるか、立ち聞きするのがくせになつてゐる。それでわしはこゝへ来た時も、やつぱりそのくせが出て、しばらくお前さん達の話を立ち聴きしてゐたのぢや。

善六。なるほど、そう云ふわけであつたか、いや、それならお前さんも聴かれた通りの事情ぢや、子の悪事を見て親が見のがしにはでけぬ、(手拭で涙を拭いて)可哀想だが、この娘を売つて迷惑をかけた方に返済せうと思ふてゐるのぢや。

武左衛門。お前さんの律儀な心で、さう思ひなはるのもむりはない、しかし善六さん、娘も云ふた通り、明晩にしたらどうぢや、新仏もあることぢや、明日葬式を営んで、明晩にでもつれて行つたらどうぢや、それに、わしもそれくらひなことでこの可愛い小娘を色町に出したうはないから、しつかりしたことは云へんが明晩、お前さんが家を出る頃までになんとか才覚してみるな善六さん、それまでお前さんは待つ心にはなれないかな?

善六。(驚いて)滅相もない、武左衛門さん、そないなことまでお前さんに心配をして貰ふては、わしは罰が当る、常々からお前さんには一方ならんお世話になつてゐる。それに今晩はまたわしの一家の危急を救ふて貰ふた。その上にお前さん、滅相な、そんな、そんな御心配は御無用ぢや、お前さんの家のことでもわしは大概は推量してゐる、どうせ貧乏人のことぢや、金を作ると云へばむりをせにやならぬ、幸ひでもないが、この娘を勤めに出して金を調達すれば、まあなんとか世間さまに云ひ訳も立つ、こればかりは構はずにわしに任せておいとくれ。いつに変らぬお前さんの深い深い御親切は、わしはもう骨身に応へて厚ふ受けてゐる。

武左衛門。いや、わしもそのことばかりは大きな口も利けんのぢやが、しかし善六さん、これは親切にするせんの人情合ひではない、今この吉田領の百姓達に若い娘をもつてゐるものは、みんな僅かばかりの金のために、宇和島表へ売られるものや、遠くは京大阪へまでも売つてしまふ。売られて行く娘の子も可哀想なら、村に残つてゐる若者達も可哀想ぢや。男が年頃になつても、村で嫁に貰ふ娘は一人もゐない、これでは村の若者がおとなしく村で百姓をしてゐるわけがない。みんな都へ出てしまふ、そして村は益々滅びて行くのぢや、わしは今晩のお前さんと、娘の内緒話をきいてゐて、しみじみと嘆かれた。お前さんの娘はこの村の花ぢや。こんな美しい娘が多くゐるほど、村はそのためにいつも潤のある花園のやうに感じられるのぢや。それでこそ村の若者は、未来の楽しい夢を見ながら仕事に精を出して働けると云ふものぢや、その娘が、いつの間にか村から姿を消してしまふ、村はまるで明るい窓を奪はたやうなものぢや、村は暗い息の窒るやうな牢屋みたいになつて来る。善六さん、わしがなんとかしてこんな娘を村から出したうないと思ふのは、そのためぢや、(嘆息して)しかし、それも現在のこの根本の悪政を革めない限り、そして百姓がみんな屈託のない愉快な生活を営むやうにならない限り、何んぼ嘆いても詮ないことぢや。

    鶏、羽搏きして、高く鳴く。

武左衛門。おゝ、もう鶏が啼いた。善六さん、それではともかく今夜はかへる、また明朝早く来るからな。

善六。(涙を拭いて)お前さまの御親切は忘れません。しかしまあ、無理なことをして貰はんやうにな。

    武左衛門出て行く。

善六。(門口で)気をつけてかへつておくれ、これから上大野までは骨が折れる。気をつけてかへつておくれ。(家の内へかへつて来て決意的に)さあお辰、この上、武左衛門さんに苦労をかけてはすまん、では、これからすぐ出立せう。明るうなつては人目にかゝる。新仏は俺のかへるまで待たしておく。重吉、ようお母ァを守りしてゐるのぢやぞ。

(幕)


第五景  吉田藩蔵前

正面遥かに高き蔵の甍重なり合つてゐる。前は黒い門、門内には米の俵が積んである。その前で役人がしきりに納米を計つては怒鳴つてゐる。

門前には蔵役人がずらりと腰かけて、いかめしそうな顔をしてゐる。が中には、足許に一升徳利をころがして顔を真赤にして酔つ払つてゐるのがある。

百姓達、門前に大勢、米俵や種々な納物の俵を背負つて立つてゐる。が、老爺などは背負つた米俵の重さに堪へ切れずに、地べたにへたばつてゐる。米俵を背にのせて、自分はその台になつてゐるのだ。門前の蔵役人、しきりに米俵を調べてゐる。

老爺。(苦しそうに悲鳴をあげて)お殿さま、お願ひでございます。どうぞ早くこの老爺の番にしてやつて下さいませ。

蔵役人の甲。(突剣頓に)やかましい! 黙つて待つてろ! ものには順序がある、それに貴様達は、干し目や俵拵へがまるで掟通りにできてはゐない、それを一々調べるのだ、お上の方では貴様達がずるいことをするので手数がかゝるのだ。早くして貰はふと思へばなぜお上の掟通りにして持つて来ない!貴様達の苦しむのは自業自得だ! 土百姓ほど始末にいけない虫けらはゐない、己等がずるいことをして置きながら早くしろと騒ぎ立てる! 

老爺。いゝえ、お殿様、私は、決して早くして下さいとは申しませぬ、この重い俵を私の体には重くてとてもたまらないのでございますから、それで下に置かせてさへ戴けばいゝのでございます。

蔵役人の乙。勝手なことを云ふな、土百姓め! この雨上りの濡れてゐる地べたに俵を置いてどうするんだ。手前等は俵をしめつた地べたに置いて桝目をごまかさうとするのだらう、そう旨くはさせないぞ!(老爺の前にツカツカと近づいて)えゝッ、立つてゐろ! 俵を地べたに近づけると水をふくんで桝目が殖えるわい!(老爺の腰を蹴る)

老爺。(転ぶ、俵、地上に転がる)おゝ、痛い! 痛い!

蔵役人の乙。(睨みつけて)うむ、愈々地べたに転ばしたな! もうその俵は取らぬぞ。わざと己は転んで見せて桝目を盗まうとする泥棒だ! さあ、その俵を背負つてかへれ! かへれ!

老爺。(泣き声で)お殿様、そのやうな御無体を仰有らずに、どうぞこの老爺を助けてやつて下さいませ、(はげしく啜り泣く)わしや今朝暗いうちに起きて、稗の雑炊をかきこんでこの米を納めに来たのでございます! また明日来いの明後日来いのと云はれたとて、わしらは一日働かにあ一日粥もすゝれない身分でございます。しめりましたる桝目の殖へと仰有いますが、ほんのころりと今そこへころんだばかりでそんなに桝目や干し目が違ふものぢやございません、お殿さまお願ひでございます! 後生でございます! どうぞ今日はこれなりで老爺の御納米をすませてやつて下さいませ。……

蔵役人の乙。えゝッ、ならぬ、ならぬ、決してならぬぞ!(米俵を足で蹴つて)ぐずぐず云はずとこんなものは持つてうせろ!

百姓の一。(俵を背負つたなりで老爺の側へ来て、耳打ちをする、そして)えゝか、な、地獄の沙汰も(ソッと指を輪にして、蔭で見せて)これ次第や、なんぼでもえゝ、財布に持ち合せてゐるだけ出してやり、えゝか、解つたか?

老爺。(泣き声で)そ、そんな金、わしや一文も無いわい、それは、こゝに少しばかり金は持つてゐるけれど、これは法華津屋に持つて行かんならん金の利子や、今日かへりがけにでも持つて行かんと、あすこのことや、すぐ屋財家財を押へられて明日から野宿でもせんならん! わしらの作つた紙は安うで買ふが、借りた金の利子は高うてたまらんのや、(怨めしげに)お前さん方もそんなことは百も知つて居らうが?

百姓の一。(悲しげにうなづいて)知つてゐないでどうするのや? この領内のもので、あの法華津屋に安い紙を買はれて高分の金を借りないものがたゞの一人でもゐるものか?(憂鬱に考へて)ぢやが、これも時世時節や、泣く子と地頭には勝てぬと云ふのはこゝのことや、な、老爺さん、仕方がない、お前の苦しいのも、俺ら達ァようわかつとる、後になれば俺ら達がまた何んとかする。いゝや、俺らの一人しかない娘を女郎に売つてもお前の金の利子は用立てゝやる! えゝか、老爺さん、今日のこの関所をともかく俺らと一緒に通るのや、な、老爺さん、解つたかな、万事は後で村の衆とようく相談してやるからな。……

老爺(泣きながら)よう云ふてくれた、茂助どんや、わしやお前の親切は死んでも忘れんぞ! わしや恩に着るぞ、茂助どんや! 領内のものや村の衆は、みんな仏さまみたいな人達ばかりやのに、あの役人共は(と思はず云つて、気がついて立ちすくむ)。

百姓の一。おッと老爺さん、下手な口を辷べらすまいぞ! お互ひに生命あつての物種や、首が胴から離れてしまふては一切合財おしまひや! さ、さ、話が解つたら、財布の金を出してやり、出してやり。

老爺。(未練らしく懐をさぐつて胴巻を出し、そこから紙包の金を抜く)こゝに二分の金をくるんである、ではこれをあの(と怨めしげに蔵役人の方へ眼を向けて)、役人衆にやるのやな、いゝや、わしも若い頃からこのやうなことは毎年毎年何んぼあつたか知れんが、今年のやうに年貢は高い、作つた紙は安いと云ふ難儀をしてゐて、その上なんのかんのと云ふて運上は取りたてられる、それに役人衆への袖の下をせにァ納米がでけぬと云ふのでは、わしあもう首でも縊つて死んだ方がえゝ。

百姓の一。そう嘆くのはたれも一緒や、俺ァは今年は十六になる総領娘を宇和島の女郎屋に売るつもりでゐる、そしたらお前に二分や一両はきつと貸してやる、な、えゝか、心配せんとおき金は天下の廻り持や、(さびしく笑つて)は、は、は、は、そのうちにまたえゝこともあるやろからな。

蔵役人の乙。(ツカツカと二人の前へ来て)こら、何を二人でブツブツとぼつちやいでゐる! やい老ぼれ! 文句を云はずにかへるならかへれ、云ふことがあるなら早く云へ!(と他の役人衆の方を向いてニヤリとして)一たいどつちにするのだ? ぜんたい貴様はけちん坊爺のやうだな?

     百姓の一。早く金をやれと目くばせをする。

老爺。(渋々、役人に近づいて)では、こちらにして貰ひます。(紙包をソッと渡す)

蔵役人。(受取つて袖の中へ入れながら)それならそれとなぜ早ふせんのだ。ぐずぐずしてゐるとお蔵の門限が来るぞ。 

蔵役人の丙。(急に立ちあがつて)おゝもう門限だ、(大声で)これあ門番、門を閉めろ! もう門限の時刻が来たぞ!

  門番、声に応じて双方から二人、舞台にとび出して門の扉を閉めようとする。

  門前の俵を背負つた百姓達、驚いて扉の前に殺到する。

百姓達。(口々に悲しげな口調で)
――――まだ門限には早ふござります!
――――まだあないに日脚が高いではござりませんか?
――――わしらは朝の暗いうちから、脚を棒のやうにしてここに立つてゐるのでございます!
――――今閉めて貰ひましてはまた一日ひまを潰します。

蔵役人。(大声で)明日だ! 明日だ! 干し目や拵へをしつかりとやり直して来い!

門の扉の中から、蔵役人の下廻りに押し出された百姓達、狂気したやうに立ち騒ぐ。

百姓達。(口々に不平に燃え立つて)
――――俵に四斗たつぷりはいつてある、それにどうして受取つてくれんのや! 四斗では計り減りがあるから四斗五升でないと受取らんなんて、まるで無茶苦茶や!
――――桝缺けが俵に五升も六升も出るなんてどこの国でそんな無茶が通るのや!
――――その無茶を通さんと明日来い、明後日来いや!
――――そして五日も十日も納米の俵を止めて置くのや!
――――酒に酔払つた風をして秤の目を盗み取る、その上賄賂をつかわぬと納品の検査は通さぬ! 文句を云やあへぶちこむ!
――――役人衆は公然の泥棒をしてゐるのや!
――――そして昼も夜も酒をのんでゐる!
――――一たい俺達どうすれァえゝのや!

     閉つた門前に、百姓大勢、悲嘆にくれて佇ちつくしてゐる。

     遥か彼方より、浄瑠璃を語る声が聴えて来る。

浄瑠璃。
「入相の、鐘さへ早くくれ果てて、廓の中は万燈会、かぶの菩薩の色揃へ、わけて全盛宮城野が部屋は上品奥二階、たんす長持鏡台の、埃取まで綾錦、福さ成ける有さまなり。…………」

    百姓一同、怪しみながら、その声の方へ一斉に視線を向け

百姓達。(口々に)
――――なんやろな、今時分、浄瑠璃など謡つて、えゝ機嫌の人もあるな。
――――ほんまになあ、世の中は様々や、大方、家中の役人が廓通ひの一ぱい機嫌で謡つてゐるのやろ?
――――それに違ひない、俺等の血を搾つた金で酒をのんで女を買ふて唄を謡ふてゐたらえゝ気持やろ?
――――けれど、うまい浄瑠璃やな。

浄瑠璃。
「新造二人が伴ひに、いやがる者をむり無体、突出されたる田舎の娘、傍きよろきよろ終に見ぬ、錦の小より三つ蒲団、興ざめ顔に。詞。オヤオヤオヤ女郎さあ達、人が寝そべつて居る所を、用さァある来とらへと、二階さあぶち上げて、こりやまァ何たるところだ、どこもかも光り申して、おしやらくの櫛さあ見るやうに、塗こべた箪笥さァ、其上に夜の物も金切たもしやァ蒲団も素袍染の色のよさ、私らァねまつたら、あくとの胼さァ引かかつてウッ切れべい、おやつかなたまげ申申と言ひければ、打転る程をかしさかくし―。コレそこなお子、お前の故郷国所、爰へどうしてお出た訳、咄して聞さんしよば、お力ともならうにと、なぶるとも知らずしくしく泣。詞。ヲゝやさしな詞おいやり申、私ら国さァ奥州、だゞァやがァまに様子有て別れ申て、お江戸さあは、あらく盛る所だァと聞、其うへ姉さァ此吉原の名高い女郎さァに成つて居さるとのはなし、女わらじの身として敵ない思ひをして、尋ねてくるも海山語りの有事聞て哀を添てたべ。…………」

 百姓達。(口々に)
――――うむ、あの浄瑠璃は白石噺や。
――――さうや、そうや、新吉原揚屋の段や。
――――奥州から信夫が姉の宮城野をたづねて来たところや。
――――節廻しもうまい、声もできてゐる。
――――素人ばなれがしてゐるわい。
――――とんだところで耳の保養をする。
――――胸のむしやくしやがすつかり消えた。

     百姓達。熱心に耳を傾ける。

浄瑠璃。
「見やる宮城野、しのぶがそば、もしやそれぞと摺よつて。……」

この一節を語りながら、武左衛門、「ケタ打ち」姿で登場。古ぼけた袷の着流し、深編笠、手に扇子を持つてゐる。

百姓達。(武左衛門の姿を見て、口々に)
――――おゝ、今の義太夫は、あのケタ打ちが語つてゐたのやな。
――――なるほど、うまいと思つてゐたら、やつぱり商売人やつたな。

武左衛門、百姓達の前に立つて語りつづける。

浄瑠璃。
「詞。さつきからの咄しを聞けば姉を尋ねる人さうな。奥州はどこらの生れ、何といふ所じやへ―。アイ、奥州は白坂近在、逆井村といふ所、フン其逆井村といふ所に、与茂作といふお百姓が有うがの、アイサ、其与茂作というふのはめらしがだゞァ、そんならわしが妹と、縋り寄るを突退けて、詞。イヤ     イヤイヤがァまの常に言しやるには、姉さァの方にもしるしが有、それを証拠に名乗合、委細心底打明ろと言めした、それが有なら早ふつん出し見せてくんされ姉さァと、なつかしながら油断なき、ヲゝ利口な人、疑やるも尤もと、立て箪笥の袋棚、襖開けばうやうやしう、浅草寺の観世音、扉表具におしならべ、かざり置たる筒守り、見るに妹もとし遅し、首にかけまく壺井の守。詞。コレコレ此姉が国を出る時、かゝ様が大事にせいと下さんした、河内の国壺井八幡様のお守、それを持て居やるからは妹じや妹じや、コレコレ、よう顔を見せてたもいのう、ヲゝ姉さァでござるかいの、逢たかつたと諸共に、嬉しなつかし縋り寄、外に詞は泣許。…………」

百姓達。(口々に感嘆して)。
――――よう、よう、うまいぞ! うまいぞ!
――――泣かせます!

武左衛門、じつと編笠の中から百姓達の姿を見つめながら、首を振つて熱心に語りつづける。

浄瑠璃。
「斯ぞといざや宮城野が、座敷へ出ぬをふしぎさに、来かかる亭主宗六が、様子有げな部屋の体、忍んで事を立聞共、しらず姉妹ひそひそ咄し、詞。ヲゝ、妹よう尋ねて来てたもつた、年端も行かぬそなた、とゝ様成と、かゝ様成と、いづれぞ出で有う、もし道中ではぐれてかと、問れてわつと声を上、詞。アァコレコレコレ、斯めく逢からは、悲しいことも何もない、泣ては済ぬ。サァどうぞと、尋ねる姉の心もそゞろ、詞。エゝ遠国隔つた姉さァ、それで何にも聞ないナ、たゞァ五月田植の時分、代官志賀台七といふ悪侍に、ヤアヤアヤア何といやる、打切れてお死にやり申た。ヤアと恟り差込癪、詞。とつとヒウ悪い時、そしてどうぢや其跡は、サアおらだけもすんでの事殺さるゝ所、庄屋の伯父が駈つて来て、りきんで見ても肝心の、証拠なければただただは犬死、雉と鷹なりや敵討の勝負もならず。…………」

百姓達。(そこまできくと、思はず叫ぶ)
――――やあ、その悪代官はここにもゐるぞ!
――――悪侍をやつつけろ!
――――泣いてることァない、こつちからも打つ切つてやれ!

    武左衛門の語り口に、一層熱を増して来る。

浄瑠璃。
「詞。跡はおらだけとがァまとばかり、便ない身に下地の大病、ヤアお煩ひでもあつたのかいのシテ御本復なさつたか、イヱイエ六月十六日に、悲しや終にお死にやり申た。ヤアヤアご養生も叶はなんだか、ハァ、咄しさァ聞てさへ、そない嘆かつしやる物、じきに見とらへたおらだけが心、ヱゝコレ泣つしやるのは道理だけれど、頼に思ふ姉さァ、又病気おこしては猶か済ない、イヤイヤ、イヤイヤ中々煩ふやうな事ぢやない、そしてどうぢやどうぢや、サアなじよにもかじよにも、おらだけ一人、庄屋の伯父様が引取つて奉公しろと云ひめすけど、何の奉公どころかい、口惜いとくやしいで、跡先思はず旦那寺へかけこうで―。坂東順礼するといふて、笈摺貰ひ国元を、つゝ走つたもそんたに尋ね逢ふたら、姉妹心一致に仕申て、だゞアの敵が討たい計り。…………」

百姓達。(はげしく手を拍つ)
――――そうぢや! そうぢや! 娘つ子、偉いぞ、偉いぞ!
――――やつつけろ! やつつけろ! 俺らも助太刀に行くぞ!

浄瑠璃。
「…………嘆の中も姉は猶、妹が背撫でおろし、詞。オゝ、その様に思やるも尤、併そなたは父母に、長う添やつた身の果報、コレ此の姉を見やいのう、年貢にせまつて父様は水牢、其の苦を助うばつかりに、コレこの廓へ身を売つたも、思ひ返せば十二年、そなたは五つ子顔さへ見知らず、父様の御最後や、母様の死目にも逢はぬといふ、悲しい不孝な、はなかい事が有うかいの、斯うした事とは露しらず、此の妹は健なか知ぬ、とゝ様かゝ様御煩ひでもあらうことなら、よもやしらしてたもらう物、便のないを杖柱、首尾やう年を勤めたら国へかへつてお二人に、楽させましてと、色やうは気を嗜んで、勤大事といひ号の、殿御の事も、そなたの事も、恋しなつかし思ふのを、たのしみ暮したかひもなう、名乗逢ふたは嬉しいが、悲しいはなし聞く姉が、心も推してたもいのと、手を取りかわす姉妹が、涙々を立聞も、貰ひ泣して立わけの、暖簾もぬるゝ計りなり。…………」

百姓達。(しんみりと聞いて水鼻をすゝる)
――――みんな聞いたか、今も昔もちつとも変りはないわい、やつぱり年貢が納まらぬと云つて水牢へ入れられたのぢや、その父を救ひたさに吉原へ身を売つた娘は、年が明いたら国へかへつて孝行しようと思つてゐるのに、父は悪代官に殺されてしまうた、これぢやなんぼ女ぢやからとて黙つてゐるわけにゆかんわい。
――――そうとも、そうとも、もう決して我慢がならんぞ!

浄瑠璃。
「……借つて読んだる曾我物語、兄弟の人々も終には父御の敵討、コリャ泣いてゐる所ぢやないわいの。…………」

百姓達。(激しく昂奮して)
――――そうぢや! そうぢや! もう堪忍も我慢もならぬ!
――――泣いてゐるところぢやない!
――――曾我物語にあるやうに、俺ら達も陣屋にのりこんでやつつけるんぢや!
――――行け! 行け!

百姓達、鬨の声をあげて蔵の門に迫らうとする。

武左衛門。浄瑠璃をやめて、百姓達の前に黙つて両手をひろげて立ちふさがる。

百姓達。(口々に)
――――何を止めるのぢや? 俺等達はお前の義太夫をきいて、もうとてもたまらなくなつたんぢや!
――――か弱い娘つ子でも敵討ちをするんぢや、俺ら達が黙つてゐられるかい!
――――恨重なる工藤祐経の陣屋にのりこんで、敵の素つ首打ち斬つてやるんぢや!

武左衛門。尚ほ静かに手で制しながら、またおもむろに浄瑠璃を語り出す。

浄瑠璃。
「……其の五月雨の暗き夜に、敵を討ちたる曾我兄弟……仮名本の曾我物語、爰にあり合こそ幸おれが読んで聞かさう……。」

百姓達。 
――――何ぢや、曾我物語を読んで聞かす?
――――それではお前が亭主宗六の役を勤めるのぢやな、これは面白い!

武左衛門、浄瑠璃を語りつゞける。

浄瑠璃。
「光陰をしむべき時人を待たざることわり、日間行駒つながぬ月日重なりて、一まんは十三歳に成りにけり、詞。ナ、此の道理河津の三郎祐重といふ名有勇者、大名の息子殿でさへ、五つや六つの此よりも、思ひ立れた親のかたき、なみ大ていの事でなければ討たれぬ者じゃ、コレマ聞きや、大名の後室共云はれる人が、曽我の太郎祐信殿へ二度の嫁入りせられたも謀、又息子の箱王丸を、いとしなげに坊主にせうと云はれたも、敵工藤祐経に油断させう為計り、其年月の憂艱難。…………」

百姓達。
――――うむ、ではまだ時節が早いと云ふのかい?
――――しつかりと謀をめぐらしてからにしろと云ふのかい?
――――なるほど、それも道理ぢや、こゝで五十人や六十人の人間が騒いで見ても相手は荀にも三万石の大名ぢや、ふん縛つて打ち首にしてしまへばわけはない。
――――与茂作と一緒に犬死してもつまらない。
――――では皆の衆、こゝは一まづ引あげて、後でゆつくり相談することにしやうではないか?
――――それがえゝ。
――――それがえゝ。
――――ケタ打ちの先生、いづれ後でゆつくり話しませうぜ。

    武左衛門、深くうなづく。

    百姓達、下手へかへつて行く。

    武左衛門、その後ろ姿を、じつと見入つてゐる。  

    夕陽華やかに映る。

(幕)


第六景  吉田城内、城主村賢寝所

正面、奥、緑の縁取りある黄金色の御簾、御簾の向ふが寝所、寝所には朱色の脚のある絹張の短棨、仄かにあたりを照らしてゐる。短棨の側に几帳、几帳の蔭に刀掛、夜具等の一部が見える。――すべて御簾を通して観客席から眺められる。

    舞台、空虚。

    遠くに風の音。

    几帳の蔭で、悶え苦しむ声がする。

    その声と共に几帳の蔭の夜具動く。

    やや久しい間。

突然、几帳の蔭から、白羽二重の寝間着姿の村賢起きあがる。鬢の毛がみだれて蒼白い顔にからみついてゐる。

村賢。(喪神したやうな姿で、ヒヨロヒヨロと御簾の外へ出て来る、そしてあたりを見廻す、そして呟く)うむ、だれもゐないんだな?(じつと不思議そうに考へる)妙だ、全く妙だ(風の音に耳を澄ます、急に色を作つて)おゝ、あれは土民共の鬨の声だ!(大声で)たれかゐないか! たれかゐないか!

    宿直の近侍、松田三郎かけて来て平伏する。

村賢。(毅つと眼を据えて)やあ! 貴様は、貴様は只今あれへ忍んで来た土居式部だな? 

三郎。(びつくりして)はッ?

村賢。(狂ほしく)おゝ、土居式部! 貴様は不逞の土賊だぞ!(近侍を足で蹴る)

三郎。(益々驚いて気味悪げに)殿! 決して左様なものでは……私は松田三郎でございます。

村賢。(唇を咬んでにらみつけながら)なに、松田三郎だ? 嘘を吐くな! 松田は江戸にゐるわい!

三郎。いえ、殿、その六左衛門の伜、三郎でございます。

村賢。(やゝ意識を回復して)伜の三郎だ?

三郎。はッ。

村賢。(顔をのぞきこんで)うむ、(安心したやうに)それでは貴様は土居式部ではなかつたのか。(どつかとそこへ尻餅をつく、やゝ冷静に)あゝ疲れた、水をもつて来い。

三郎。はッ。(去らうとする)

村賢。あゝ待て。

三郎。はッ。

村賢。そして尾田と安藤をすぐよんで来い! 大急ぎで呼んで来い

三郎。はい。

    お銀の方、これも濃艶な寝間着姿で奥の寝所から出てくる。

お銀の方。(村賢のそばへ坐つて不安そうに)いかゞ遊ばしたのでございます。

村賢。(急に錯覚的な眼つきで、お銀の方の顔を、無言で見つめる)

     お銀の方。同じく、じつと村賢の眼を見つめる…………

村賢。(グツとお銀の方の肩に手をかける)おゝ、貴様はだれだ? その鋭い眼をしてにらみつける奴はだれだ!

お銀の方。(静かに)殿、いかゞ遊ばしたのでございます。殿、(村賢の膝に手をかけて揺る)わたくしでございます。

村賢。(更らに鋭く見つめて、不意に狂つたやうに体をとび退いてにらみつける)おゞ、貴様こそ土居式部だ! おゝ、貴様が俺を悩ましてゐるんだ! うぬ。(起ちあがる、太刀を取らうとしてツカツカ   と寝所の方へ行きかける)

お銀の方。(村賢に縋りついて)殿! 殿! いかゞ遊ばしたのでございます! こゝには土居式部なんぞ申すものはをりません!

村賢。(立ちながら、ぼんやりと虚空を見つめる。風の音はげしく聴える)おゝ、あの音、あの空に呻りを立てゝゐる音! 人魂の飛ぶ音だ! 土居式部奴の呪ひの火の魂が飛ぶ音だ!(お銀の方から体をふり放して、あたりを狂ひ廻る)こら、だれかゐないか? だれかゐないか、俺に刀を持つて来い! 槍を持つて来い!

    近侍、二三名かけつけて来て平伏する。

村賢。(グツとにらみつける)えゝッ! 土民をそそのかして吉田三万石を手に占めんとした不逞の鼠賊土居式部! やあ、土民樽屋与兵衛もうせたな! うむ、汝等は毎夜、この吉田の山々に幽鬼となつて迷ひ出ると云ふことだ、風のやうに、暗夜の空をとび迷ふと云ふことだ。妄に無智の土民を扇動して不逞の企をたくらみながら、それを俺の手で罰してやると、図々しくも俺を怨んで祟るとは何事だ!(風の音、はげしく鳴る)おゝ、(虚空を見あげて)出たな!(キリキリと狂ほしく舞ひながら、御簾内の寝所あたりまで行く)えゝッ、えゝッ!(太刀で斬りつけるやうな動作)あゝ! あゝ! あゝ!(急に目まひでもしたやうに、フラフラとして、どつかり倒れる)

お銀の方。(驚いてかけ寄つて)殿! 殿! お気をたしかにお持ち遊ばせ。……

村賢。(むつくりと起きあがる、そしてお銀の方をにらみつける)おゝ、また貴様は来やがつたな!(とびあがるやうに起つ、そしてすぐそばにある太刀を取つて、勢ひこんで抜き放つ)

お銀の方。おゝ、殿!

村賢。えゝッ!(お銀の方の肩先きに切りつける)

     悲鳴、御簾一ぱいに紅の血煙。

村賢。形相凄く血刀を提げて、フラフラと出て来る。近侍、驚いて逃げる。

村賢。(突然、逃げ遅れた一人にとびかかる)卑怯者め、えゝッ!(近侍の背後から、一刀浴びせる、近侍、悲鳴をあげて倒れる)

尾田隼人、安藤義太夫、慌しくかけてくる。村賢の姿を見て驚きながら、用心深く、遥かにはなれて平伏する。

村賢。(血刀を提げたなりで、ケロリとして二人の姿を見る)貴様達はだれか?

隼人。はゝッ、只今お召しによつてまゐりました尾田隼人でございます。

義太夫。同じくお召しによつてまゐりました安藤義太夫でございます。

村賢。(うなづいて)うむ、両人、もつと近う来い。

両人。はゝッ。(もじもじしてゐる)

村賢。ずつと進めと云ふのだ。

両人。はゝッ。(ちよつと体をにじる)

村賢。臆病な奴共だな、俺は今、土居式部の奴を斬りすてたぞ。

両人。はッ?(二人、顔を見合せる)

村賢。(真面目に落ちついた調子で)いや、近頃、あの土居式部の奴が、毎夜俺の寝所へ忍び寄つて、俺を罵り呪うのだ(ぼんやりと夢を見てゐるやうに)そして俺が、ふと眼をさますと、あの土居式部の奴が、そつと俺の側で添寝してゐるのだ。俺はびつくりしてとび起きた。(茫つと考へて)俺がいつか一度見た、あの土居式部の奴の顔は、あれは俺の館のお銀の顔によく似てゐたぞ。あの式部と云ふ奴は、あれは、西恩寺常盤井入道太政大臣の臣、宮の下村大森の城主、土居式部少輔清良の後裔だと云ふが、彼奴のあの美しい顔は、館のお銀の顔によく似てゐる。俺は一度、彼奴の顔を見てから、お銀が何だか恐ろしくなつて来たのだ。それでゐて、俺はお銀の側を離れることができなかつたのだ。いや、その後と云ふものは、前よりも一層、あのお銀に俺は愛欲を感じて来たのだ。お銀が、村正の光つてゐるやうな眼で、ぎゆうと俺をにらみつけると、いつか俺の全身が痺れてしまふのだ。俺はその鋭い光の中に、あの土居式部の奴の眼の光りと同じやうなある強い力のこもつてゐることが感じられた。俺はその強い力のある鋭い光を浴びると、俄かに俺の全身がすくみあがつてしまふのだ。俺はその光りが呪はしいのだ。しかしその光りに俺は惹きつけられてどうすることもできなくなるのだ。(夢を見てゐるやうに)隼人、あの土居式部は、もう殺してしまつたのだらうな?

隼人。(ハツとして)はッ? あの、土居式部は、牢死したのでございます。(じつと村賢を見あげる)

村賢。なに? 牢死した?(じつと考へて)うむ、いつか牢死したと云ふ注進を俺はきいたが、しかし、あれは牢死したのではないやうだ。隼人、(ツカツカ隼人の前へ来て)あの土居式部は、あれは殺害したんだらう? お前達が命じて殺害させたんだらう?

隼人。(当惑して)はッ。……

村賢。(思ひあたるやうに)うむ。やつぱりそうだつた。うむ、やつぱりそうだつた。……

義太夫。(膝を進めて)殿、しかし私はそれについて異存がございました。

隼人。グッと義太夫をにらみつける。

村賢。なに、お前に異存があつた?

義太夫。はッ。

村賢。どう云ふ異存だ?

義太夫。(云はうとする)

隼人。(遮つて)安藤君、待ちたまへ! 君はまたも一人でいゝ子にならうとするか?

義太夫。(隼人を見て)は?

隼人。さてさて君は利巧な人間だ、立身をしようとするには、それまで殿の御機嫌を取らねばならぬのかね、(間)いかにも君は土居式部と樽屋与兵衛を隠密の中に殺害することを、吾々の密議の席で異存を云つた。しかし、それだからと云つて、ほんの一言二言に過ぎなかつた。君はその時何と云はれた。私は強つてとは云はぬ、先輩諸氏の御意見通りにしようとすぐ同意された。その上、いつかのあの観桜御宴の際はどうであつた、あの時、表面あの二人のものが自殺したと殿へ御注進させると君は殿の御機嫌を伺つてゐて、早速手を拍つて喜ばれたではないか? もしあの二人の死を痛ましく思ふかまたは御政治上好ましからぬことと思へば、なぜ少しは慎まれぬ。君は二人の死が自殺ではなうて、牢役人に殺害されたのであることを知つてゐながら、痛ましそうな顔は爪の垢ほどもせず、殿の御機嫌に阿つて一緒になつて悦ばれたやうだ、私はあの時、心の中で実は驚いてゐたものだ、一たい、君と云ふ人物の正体がわからぬ。いや、実はわかり過ぎてゐるやうだ、君は表面、いかにも民の艱苦を察しる仁心のある政治家のやうではあるが、実は仁心ある政治家を衒つてゐる大野心家ぢや、その証拠には、殿の御機嫌次第でその場その場の絵を描く、その場その場で都合のえゝ忠臣顔をする。現に今晩は殿があの二人を殺害したことを悔やまれてゐるやうに見えると、前には手を拍つて賛成してゐた君が、いやそれには異存があつたのぢやとはいかにも白々しい。(義太夫にグッと詰め寄つて)安藤君、君は当世的の才子だ、利巧な才子ぢや、しかし忠義と云ふものはそんなものではない、真の忠義とは、剛にして直なるものを云ふ、片々たる弁口ではない、(自分の腹をさして)安藤君、ここだ、ここだ、一旦緩急ある場合には、一命をなげうつて君恩に酬ゆるのだ、君は常々殿の待遇を辱うしてゐられる。何も云ふことはない、お家に事のある時、君が一命をささげられたら、それでえゝのだ、どうだ安藤君、君はその覚悟があるか?

義太夫。(昂奮しながら)いかにも、尾田氏のお言葉を待つまでもなく、(蒼ざめて全身を慄はせながら)それくらゐの覚悟は持つて居ります!

隼人。(大きくうなづいて)うむ、よく云はれた。その誓言を必ず忘れ玉ふなよ、私はとてもそんな大きいことを殿の御前に申上げる勇気がない、しかし君は華々しい功名慾に燃えてゐる。いかにもお家有事の際は一命を的にして働いて貰はねばならぬ、いゝかね。……

村賢。(悪夢からさめたやうに、憂鬱な顔をして)おい、もうやめろ、そんな下らぬこと、俺はばかばかしくなつて来た、一たい、お前達二人は何を云つてゐるのか、俺にはさつぱりわけが解らない。お前達はお互ひに自分のことばかり云つてゐるんぢやないか? 俺にはそんな気がしてたまらない。俺は、(急に悲痛な声になつて)俺は一たいどうするんだ? おゝ、俺はあの可愛いお銀の方を殺してしまつたんだ!……(叫ぶやうに)そして、そして俺はまたこれから一人で苦しまなくちやならないんだ!

(幕)


第七景 吉田領上大野村、百姓武左衛門の宅

     景、善六宅と大同小異。壁、襖の破れが一際目に立つ。
     冬の夜、深更、戸外に風の音。
     陰鬱な座敷に、仄かな炉の火。
     武左衛門、炉端で、暗い榾火をたよりに浄瑠璃本を読んでゐる。

その傍らに、子供が四五人、大小の頭をならべて寝てゐる。女房お鈴、乳呑児に添乳しながらウトウトと眠つてゐる。

武左衛門。(本から目を外して)これ、お鈴、眠つてしまふて末蔵の唇に乳房を押しつけてはならぬぞ。

お鈴。(夢のやうに)はい。

武左衛門。それにお前はもう着物を脱いで寝てはどうぢや、わしに構はずともえゝ。

お鈴。(眠り入つて、返事をしない)

武左衛門。(本をそばへ置いて、ほつと深い吐息をする、そして、つくづくと、妻子の姿に見入る。間。風の音にじつと耳を澄まして)うむ、雪が来たな、(起つて、入口の戸をあけて仰ぐ。雪チラチラと暗い空からとんで来る、じつと向ふをすかして見て)もう来そうなものぢやがな?……(もとの座へかへる)

六三、饅頭笠を着て、草鞋がけで左手の路から足早に出て来る。門口に立つてあたりに目をくばりながら、戸を叩く。

武左衛門、起つて、戸をあける。

六三。(一度、用心深く戸外をふりかへつて見て、武左衛門に小声で)小父さん、遅うなりました。

武左衛門。(同じく小声で)御苦労ぢやつた、戸外は雪らしいな。

六三。(中へはいつて)またやつて来やがつた、だが、内証でかけ廻るのは、結句こんな晩の方がえゝ。

武左衛門。寒かつたらうな、さあ、あつちへ行つてあたつておくれ、今柴を持つて行くからな。

六三。(手で制して)いゝや、俺は体中が火のやうだ、小父さん、それどころぢやない、まあ話から先きにする。

武左衛門。(土間の隅でガサガサやりながら)それはそうぢやが、白馬でも温めるわい。

六三。(炉の側に坐つて子供達の寝姿を眺めながらしみじみと)みんなよう寝てゐるな。何んにも知らんとな。(ふと気がついて懐中をさぐつて)おゝそうだ、俺は昼の中に、子供のお土産に買ふたものがあるぞ、すつかり忘れてゐた。(懐中から竹の皮包みをとり出して)さあ、これは子供の明朝のおめざだ。(子供の枕元へ置く)

武左衛門。(片手に柴、片手に一升徳利をさげて来て坐る)また何やら買ふて来てくれたのかい、いつも気の毒ぢやな。

六三。(笑つて)もう決して抜荷の上前で買ふたのでないから、小父さん、安心しておくれ。

武左衛門。(同じく笑つて)以前は以前、今は今ぢや、しかしお前が以前にあんな悪党ぢやつたので、今度の企てには他人のでけん仕事をした。どんな人間でも使ひやう一つぢや、時に容子はどうぢや。

六三。(絶望したやうに)だめ! だめ! 小父さん、これアどうしても一つ、大きい荒療治をせんけれあ直らんぞ!

武左衛門。(憂鬱に)うむ、やつぱりな、わしもそうぢやらうと察してはゐたのぢやが。……そして城中の評定は何んと云ふのぢや。

六三。それがだ、極月の末に差した百姓の願書について、正月の御用始めに評定所で大評議があつたんだ。ところが、その願書には、第一に法華津屋の悪業を訴へて、藩の苛法を改めてくれと云ふことが眼目になつてゐるのに、家老や若年寄の奴等さへそれは土民が謂れなき冤訴をなすものだと云ふて、こんな訴へをする土民共を成敗しなければならんといきまいてゐるそうだ。

武左衛門。(じつと腕組みをして打ち沈みながら)うむ、まだ彼奴等はそんなことを云ふてゐるのか(嘆息して)どこまでも慾に眼のくらんだ奴共ぢや、是非もない。

六三。法華津屋が百姓に高利の金を貸して、百姓から製紙を安く買取ることは商法上の掛引だから咎むべきものではないと云ふんだ。どうだ小父さん、泥棒にも三分の理屈があらう。

武左衛門。なるほどな、いや、開いた口がふさがらぬわい。これほどわし等が我慢して事を穏便にせうとしてゐるのに、それをえゝことにして、あの法華津屋一家を庇つてゐる心根がわからぬ。

六三。それにあの大提灯の池上三平だ。いかにも大提灯と異名を取つてゐても、苟りにも紙方頭取を勤め、藩の目附役を勤める程のものに、まさか奸曲はなからうと云ふんだ、あの三平が正直者だから、それで下役のしてゐることを、すべて勤務に勉強してゐるものだと思つてゐるのだらうと云ふんだ。(苦笑して)へ、へえ、小父さん、そんなありがたい上役の下で働いてゐた俺達は、仕合せだつたなあ。それをフツツリとやめる気にさせた小父さんも罪な人だ。

武左衛門。(堅い決心を眉宇に現はして)六三、それでは、もう愈々、脈はないのぢやな?

六三。上つてしまふて冷たい石のやうになつてゐやがる。小父さん、(強く)一か八かの大勝負だ!打突かつて大石が潰れるか俺達が潰れるかだ!

武左衛門。(グツと唇を引き緊めて)よし! 六三、愈々、予て定めた最後の手段ぢや! もうそれより他にわれ等の救はれる道はない!

六三。小父さん、それより他に道はない、それに小父さん、家中の奴でもあの若年寄の郷六恵左衛門だ、彼奴はもし願意を聴き届けないために土百姓が暴挙に及べば、一歩も仮借しないで叩き殺してしまへと怒鳴つたそうだ、するとあの城代家老の飯淵の奴もみんな賛成したそうだ。ただ一人安藤義太夫は、「苟りにも人民に信を失ふては決して政事は行はれぬ」と言ひ張つたが、多勢に無勢で泣寝入りになつたと云ふことだ。

その時、雪に塗れた善六と重吉、あたりを見廻して戸外に忍び寄る、そして雨戸を叩くトン。

両人、用心深そうに顔を見合はすが、六三は、すぐ起つて行く。

武左衛門。(じつと六三を見あげて)別に心配もないが、開ける時によく用心してな、夜更けのことぢやから。

六三。いや、大方、親父だらうと思ふのだ。

武左衛門。善六さんが?

六三。うむ、事が決つたら、すぐわしに知らせてくれと云つてゐたので、今晩、ここへ来る途中にちよつと寄つて来たんだ。

武左衛門。待て待て、それならわしも行かう。

    両人、戸口へ行つて、じつと戸外の容子に耳を傾ける。

六三。だれだ。

善六。わしぢや、武左衛門さんはうちか、決して怪しいものではない。

六三。やつぱり親爺だ。(開ける)

善六。わしぢや。

六三。はいつた、はいつた、(姿を眺めて)まるで雪達磨のやうだ。

善六。(力のある声で)そうぢや、この達磨は突つころばしても却々ころばんわい。

六三。重公も来たのか。

善六。来いでどうするのぢや、わしの一家はみんな来たわ。(懐から白木の位牌を出して六三へ突きつける)そうら、死んだ婆さんも一緒ぢや、(涙を拭いて)娘もつれて来てやりたかつた。

武左衛門。(うなづいて)うむ、さすがに善六さんぢや、その意気組みがうれしい。この意気組みぢや、これア今度の戦は大勝利ぢやぞ。

善六。そこで話はどうなつた? 早ふききたい。

六三。話はきまつた。

善六。なに、話はきまつた。

六三。うむ。

善六。そしてどうきまつた?

六三。(力強く)それは宵の口にお前に話した通りだ。下手から出ればどこまでも増長する獣共だ。(握り拳を固めて振りながら)親爺さん、これだ! これだ!

善六。(勇んで向ふ八巻をしながら)おッと待つてゐた! そしてこれからの手筈は?

六三。その手筈は夙うからきまつてゐる。今夜の中に領内の要所要所の同志のものに、それからそれと耳打ちして、先づ奥分九個村は明晩、丑の刻に延川村の尖が森に集るのだ。

善六。うむ、それではこれから早速手を分けて駆け廻らう!

六三。一刻も争ふことだ、藩の役人に先手を打たれては仕損じる。小父さん、これから早速手分けをして出かけよう。

武左衛門。(決然と)うむ、もう一刻も猶予はならぬ。愚図愚図してゐては遅れを取る。領内八十三ヶ村の同志へ一斉にその旨を伝えて、先づ奥分九ヶ村に明晩丑の刻に延川村の尖が森に集つて貰ふ、もつともそれまでに各自の村々で集り合つて、丑の刻まで尖が森に集る手筈にすればえゝ、尖が森で九ヶ村の勢揃ひをして、それから宇和島へ押しかける、で、その途々で各村から集つて来るものと落ち合ふ、途筋は、(と図面を懐中から出して)小倉村から宇和島領近永口に出るのぢや、そこから陽路、陰路の両路に分れて、狩り立て狩り立て宇和島へ出る。えゝかな、これを十分に領内の衆にのみこませるのぢや、決して間違はぬやうにな、(みんなのものを見廻して)そしてこの四人で四方へ手分けして先火をつける。そこで今晩はこれで分れて、明日の朝尖が森で落ち合ふことにする、さあこつちへ来て下さい、行く先を詳しく教へてやう。

四人、炉を取りかこむ。

隅に眠つてゐた女房のお鈴、そつと起きあがつて来て、武左衛門のそばへ坐る。

お鈴。(ほつれ髪を撫であげてから、両手を突いて)善六さん、ごくらうさまでござります。

善六。おゝ、これはおかみさん、いつも御邪魔にあがります。

お鈴。それどころではござりません。いつも宿が御世話ばかりなりまして、(間)それに(とみんなに向つて)今度は愈々予ての企てを果す時がまゐりまして、お目出度いことでござります。どうぞしつかりやつて下さいませ。……

武左衛門。(静かに)お鈴。いづれ後でゆつくりと語つてきかすつもりでゐたから、お前にはまだ詳しいことは一度も話したことはない、しかし、お前がそう云ふからには委細の容子は察してゐるであらう。改めて云ふまでもないが、もはやわしの一命はないものとあきらめてゐて貰ひたい。

お鈴。仰有るまでもないこと、わたしは夙うから覚悟はしてをります。いゝえ、覚悟どころではござりません。できることなら、今晩の牒し合せの触れにも出たうござります。どうぞ出して下さりませ、たとひ女でも、わたしは精一ぱい村のために働きたうござります。

武左衛門。お前のその志はかたじけないが、また末蔵も乳を呑んでゐる。せめて末蔵が五つ六つになり、武一がこの重吉くらゐになつてゐたら、お前にも働いて貰ふし、武一もわしと一緒につれて行きたいのぢやが、しかし現在ではしかたがない。それでお前は家にゐて武一や他の小さいものを育てて行つて貰ひたい。そしてわしが死んだ後は、武一にわしの志を継がして貰ひたい。と云ふのは、たとひわし等の今度の企てが成就したにしても、とうてい十分とは云はれぬ。いやいやこの世に悪い政治を取る役人や、町に大金持のある限り、百姓は決してよい生活をすることはできぬ。百姓が自分で作つた米を腹一ぱい食ひ、自分で飼つた蚕で暖かい着物を着るやうな世の中が来ない中は、どの道百姓は強いものから自分の血を搾られねばならぬ。しかし、そんなよい世の中はなかなか来るものではない、なかなか来るものではないが、またどうあつても来るやうにせなければならぬ。それを美しい夢ぢやと云ふて他の誤つた道に迷ひ入れば、百姓は永久に自分の血を搾られて苦しんでゐなければならぬ。一寸でも、一尺でも、そのよい世の中を美しい夢に近づいて行くやうに、共々に力を合せて励まねばならぬ。いや、いや、それは只の夢ではない、登れば登れるはつきりした未来の道ぢや、寺の坊主の説く死後の極楽ではない、わし等がかうしてここに集つてゐるのも、その世の中に辿りつく道筋を歩いてゐるのぢや、このわし等の歩いて行く道筋を迷はぬやうにせにやならぬ。抜け道や廻り道は何んぼでもある。しかしその道に迷ひ入つたら、もうそこからはどうしても出られぬ。そして百姓は迷ひの中でいつまでも苦しまねばならぬ。大きい松明を振り翳して、はつきりと道を照らして、しつかりした足並で、真直に正しい方向へ進んで行かねばならぬ。武一が大きくなつたら、このわしの志を受け継いで、決して迷はぬやうにして貰ひたい、そしてお前達は一先づ弟の嘉兵衛の家に落ちついてくれ。わしはよう話し合ふて置いた。

お鈴。(涙を拭いて)よくわかりました。御安心なさりませ、お前さまのそのお志をきつとあの子に受け継がせて、お前さまのやうによい世の中を作るために生命を捨てるやうな立派な人間に育てあげます。

武左衛門。(うなづいて)うむ、よく云ふてくれた。それでわしは心残りなく死ぬことがでける(急に気づいて)おゝ、早くせぬと夜が明ける。一番鶏の啼く前にここを出なければならぬ。さあ。(と帳面の中から、手製の図面を取り出して、それを畳の上にひろげる)

     三人、その図面を取りかこんで、頭を寄せる。

武左衛門。(火箸の先端で、その上を示しながら)えゝかな、善六さんは、それ、ここと、ここと、ここと、この三ヶ所だけ廻つて貰ひたい。そして、六三は、ここと、ここと、ここと、それから、若ふて足が早いから、も二つ、ここと、ここと、この五ヶ所を廻つて貰ひたい。次に重吉は二ヶ所、えゝかな、ここと、こことぢや、後の箇所はわしが廻る。よろしいかな。

     三人、深くうなづく。

武左衛門。あんた方も予てから知つての通り、吉田領八十三個村は、最初にこの十三個所へ通知をすると、それが半時の後には五十二個所にひろがり、一時の後には八十三個村全たいに行きわたることになつてゐる。ここを一番鶏の啼く頃出ても、明け方には、もう八十三個村の村々の同志の家には、すつかり通知が行きわたつてゐるのぢや。

善六。さすがは三年の長い間、辛苦を嘗めて手筈をしてござつただけある。

武左衛門。さあ、そう事が決まつたら、これがお互ひの最後になるかも知れぬ、丁度白馬も温まつた。茶碗で一ぱい引つかけて、別れの盃とすることにせうではないか。

善六。いかにも、一番鶏の啼くまでにもう間もあるまいが、それではお互ひの心祝ひと別れの盃を戴くことにせうか。

武左衛門。(善六に大きい五郎八茶碗を指して)さあ、まあ、あんたから。

お鈴。(徳利を持つて)どうぞ熱いのを。

善六。(手で遮つて)いゝや、まづ御主人から、それが順当ぢや。

武左衛門。順当はお年寄からぢや、わしはお流れを頂戴したい。

善六。(頭へ手をやつて)これは痛み入る。遠慮してゐては時がたつ、それではわしから頂戴せう。

      お鈴、注ぐ、善六、グツと呑みほす。

善六。(舌打ちして)うむ、今夜の白馬の味はまた格別ぢや、(ホロリとして)武左衛門さんに盃を貰ふて、おかみさんに酌をして貰ふて飲めば、わしやもうこれで死んでも思ひのこりはない。さあ、武左衛門さん、受けておくれ。

武左衛門。(頭を下げて受取りながら)頂戴する。お前さまとも長いお附合ぢやつた。それに今晩これで長の別れかと思へばお名残惜しい。しかしぢや、人間はどうせ一度は死ぬ。この先き生きてゐても、所詮碌なことはない、善六さん、お互ひにえゝ死に場所を見つけたものぢや。(グツと呑みほして六三に差す)六三、お前にもこれまではわしは随分憎まれ口も利いた。しかしその甲斐があつて真人間になつてくれたのは嬉しい、いや、真人間どころか、それから後と云ふものは、こんな立派な働きをする天晴れ男になつた。善六さん、わしがえゝ息子を持つたと云ふたのに間違ひはなからうがな。

善六。(感嘆して)いかさま、わしはもうこんな嬉しいことはない、親の口から云ふのではないが、此奴がこんな立派な男にならうとは夢にも知らなんだ。武左衛門さん、これは何を云ふてもお前さまの力によるのぢやが、しかし人間と云ふものは不思議なものぢやな。

武左衛門。いや、人間の性は皆な善ぢや、それを悪ふするのはこの世の中のわざぢや、つまりはこの世の中の組み立てが悪いのぢや。

善六。なるほどな、(前に置いた白木の位牌をさして)死んだこの婆アはいつも口くせのやうに云ひよつた、あの六三は、金輪際悪党ぢやない、あれを悪党に仕上げたのは藩の役人ぢや、町の金持ぢやとな、今お前さんの話をきくと胸に当るわい。あの婆アはお前さんのやうに学者ではない無学文盲な奴ぢやつたが、不思議にお前さんと同じやうなことを云つてゐた。彼奴も草葉の蔭でさぞ喜んでゐるぢやろう。

武左衛門。何よりも目出度い。(他の茶碗を善六に渡して)さあ、善六さん、六三に盃をやつておくれ、そして六三も親爺さんに盃を差すのぢや。わしは重吉に受けて貰ふ、重吉、そなたも偉い孝行者ぢやぞ。(他の茶碗を重吉に差す)

善六。これは、これは、ありがたいことぢや。(六三に差す)

武左衛門。六三と重吉に注いでやる。

お鈴(眠たそうに眼をこすつてゐる武一をつれて来る)さあ武一、お前もお父さんからお盃を頂戴するのやえ。

武左衛門。おゝ、武一、起きて来たか、さあ、眠たからうが、お父さんの盃を受けてくれ。(片手で頭を撫でながら、盃を出す)

武一。(眼をこすつて、口を尖らせながら)俺、酒ほしうない。

武左衛門。は、は、は、は、酒はほしふないか、それなら、(じつと考へて)水はどうぢや、水ならのむか。

武一。(うなづいて)うむ。

武左衛門。よしよし、それでは水をやるぞ(お鈴に)お母ア、水を一ぱい持つて来てくれんか。

お鈴。(涙を拭いて)はい。……(土間へ下りて、土瓶に水を入れて来る)

武左衛門。さあ、水をやるぞ。(茶碗を武一に持たせて、水を注ぐ)

武一。(グツと呑んでしまふ)

武左衛門。呑んでしまふたら、その茶碗をお父さんにくれよ。(手を出す)

武一。(茶碗を渡して、やつと眼がさめたやうに、武左衛門や、あたりの人を見廻して)お父さん、ここでみんな何んしてゐるのや。

武左衛門。(間)お父さんか、お父さんはな、これからまた仕事に行くのぢや、それで、お前はお母ァの云ふことをよくきいて、大きくなつたら立派な人間になるのぢや、えゝか。

武一。(不思議そうに)お父さん、またすぐかへつて来るのやろ?。

武左衛門。(間)いや、今度は少し長いこと行て来る。それでお前やお母アは、松丸村の嘉兵衛叔父のところでお父さんのかへるのを待つてゐるのぢや。

武一。(不満げに)うむ、そしてお父さんはいつかへるのや。

武左衛門。(眼を瞬いて)うむ、まあその内にかへつて来る。(間)そうぢや、今年の八月頃、お盆の頃にはかへつて来る。……そやからおとなしく待つてゐるのぢやぞ。(お鈴に)さあ、(茶碗をだして)盃を受けてくれ。

お鈴。(袖で眼をソッと拭いて)ありがたう戴きます。どうぞしつかり働いて来て下さりませ。わたしは三島さまに祈つてをります。

武左衛門。そうぢや、三島神社にようく祈つておいてくれ、土居式部どのや、樽屋与兵衛どのの霊魂も、わし等に附き添つてゐて下さるぢやらうからの。

お鈴。ほんにそうでござります。みなさまの念力でも、この戦は勝たいでおくものではござりませぬ。

善六。(迸り出る涙を手の甲で手早くこすつて)さすがは武左衛門さんの御家内ぢや、わしや先刻から……。(と云はうとして、歯を喰ひしばり、体を顫はせて、顔を両手に掩ふて俯向いて咽び泣く)

武左衛門。(グツと胸を張つて、朗々たる声で、浄瑠璃を語り出す)

 浄瑠璃。
「詞、アゝ、コレ、此方も武士の娘ぢやないか、十次郎が討死は予ての覚悟、祖母さまに泣顔見せ若し覚られたら、未来永々縁切るぞや、エゝ、サァとか云ふ内、時刻が延びる、其鎧櫃爰へ爰へ、アイ、アイ、サァ早う、時延びる程不覚の元、聞わけないと叱られて、最愛しい夫が討死の、首途の物の具つけるのが、甚麼急がるゝものぞいのと、泣く泣く取出す緋威の、合。鎧の袖に降懸る、雨か涙の母親は、白木に土器白髪の婆、長柄の銚子蝶花形、首途を祝ふ熨斗昆布結ぶは親と小手脚当、六具固むる三々九度、此世の縁や割こざね、猪首に着なす鍬形の、あたり眩き打扮は、爽かなりし其骨柄、詞。ヲゝ遖れ、武者振り勇ましゝ、功名手柄を見る様な、祝言と出陣を一緒の盃、サアサア早う、目出たい目出たい嫁御寮、と悦ぶ程猶弥増す名残、こんな殿御を持ちながら、是が別れの盃かと、悲しさ匿す笑ひ顔、随分お手柄功名して、せめて今宵は凱陣をと、跡は得云はず咬緊る。胸は八千代の玉椿、散りて果なき心根を、察し遣つたる十次郎、包む涙の忍びの緒、しぼりかねたるばかりなり、哀を爰に吹送る、風が持て来る攻太鼓、気を取直し突立上り、(と語りながら自分も起ちあがり)―。何れもさらば、と云ひすてて思ひ切つたる鎧の袖、行方知らずなりにけり」(土間へとび降りる。みんな急いでつづく)

     折柄、鶏の強き羽搏き、つづいて、一声、高く啼く。

武左衛門。(力強い口調で)おゝ、一番鶏が謳ふた! 一番鶏が謳ふた! さあ、もう俺達の夜が明けるぞ! 俺達の夜明けが来るぞ! みなの衆、用意はえゝか?

一同。おゝい、大丈夫ぢや!

     鶏、つづけさまに啼く。

武左衛門。(豪快に)さあ行くんぢや!(手早く裾を端折つて、入口の戸を開ける。吹雪、ドッと渦になつて吹きこむ)やあ、大吹雪ぢや! 大吹雪ぢや! この中に躍りこめば、獅子でも虎でも目につかんわ! 天の助けぢや、(ちよつとふり返って)お鈴、行つて来るぞ!(とび出す)

    一同、つゞく。

武一。(戸口へかけつけて)お父さん、俺も行く!

お鈴。(武一の背後から、グツと抱き緊めて)お前は大きくなつてから行くのやえ!(武一に頬ずりしながら、土間に倒れて咽び泣く)

(幕)


第八景  尖か森、会合場

     前景の翌日、午頃。

山上、一帯の深い木立、中央奥に大木、その他老杉参差として空を掩ふ。昨夜降つた雪で、満地白凱々、正面遥かに吉田領の村々を望む。

左右は登山路。

左右の登山路より、蓑笠を着て、村々の名を書いた蓆旗をかざし、鍬鋤、鉄砲、大綱をかついだ百姓、続々として集つて来る。

長さ五尋、直径六七寸の大綱は、その片端に太い輪をつけ片輪を節にしたもの、十数人が、それを死せる大蛇の如くかついで幾隊も幾隊も登つて来る。一種異様のもの凄さを呈する。

半鐘、太鼓、竹法螺貝、銃声、鬨の声、絶へず谺に響いて入りまぜる。山上の木陰より遥かの山麓から登つて来る一揆隊に向つて、蓆旗を振つて、鬨の声をあげて合図する。山麓からも鬨の声をあげて相応ずる。

上大野村、小松村、高野子村、鍵山村、是房村、その他の村々の名を書いた蓆旗。各所の木立の間に立てて、焚火をして寄々に集つてゐる。

白手拭をかぶつて、紅い襷をかけた若い女達、左手寄りに大釜をかけて炊事をする。出来上つた大きい握飯をくばる。四斗樽から大根漬を引出して忙しく切る。

大木の横に、米俵が山のやうに積みあげる。

武左衛門、善六、六三、重吉。新しく加つた山奥分九個村の村代表鉄五郎、清蔵、藤六、金之進、六右衛門、幾之助、彦右衛門、与吉達、米俵と大木を背後にして集つてゐる。

善六。(米俵の上にとびあがつて大声に)さあ皆の衆、これから皆の衆に御相談があるのぢや。どうぞこつちへ集つて貰ひたい。

群集中の声。
――――おゝい、皆の衆、集るんぢや! 集るんぢや!
――――相談があるそうぢや! 相談があるそうぢや!
――――みんな集れ!
――――みんな集れ!

     合図に太鼓、竹法螺貝等を鳴らす。

     あたりのもの、続々集つて来る。

 群集の声。
――――なんぢや? なんぢや?
――――相談ぢや! 申合せぢや!
――――おうい! 早う集れ! 早う集れ!

清蔵。(善六に代つて、米俵の上に立つ)皆の衆、愈々皆の衆と一緒に、役人や町の悪党共を退治じる時が来たのぢや!。

群集中の声。
――――そうぢや!
――――その通りぢや!
――――しつかりやりませうぜ!
――――たのむぜ、親爺!

清蔵。そこでぢや、わし等はただわいわい騒いでゐても仕方がない。な、そうぢやらう、植付ぢやとてその通りぢや、無暗矢鱈に苗を田に突こんでもえゝ米は取れん。

群集中の声。
――――その通りだ、お父さん、わかつた! わかつた!

清蔵。(うなづいて)うむ、わかつたなら、これから宇和島まで出る途々で、皆の衆に心得て置いて貰ひたいことを、ここでちやんと申合せをして置きたいのぢや、えゝかな。

群集中の声。
――――しつかり申合せて、やり損ひのないやうにせうぜ!

清蔵。そうぢや、そうぢや、実は集る時刻は今晩丑の刻ぢやと通知したのに、こないに昼の中から、かう手早く集つて来るとは驚いたものぢや。

群衆中の声。
――――それがさ、わし等が今明晩丑の刻と云ふて触れて歩いても、とてもそんな手緩いことをきいてをらんのぢや、だれもかれも、なんぢや、夜の丑の刻ぢや、権妻(情婦)のところへ夜這ひに行くのぢやあるまいし、吉田の悪党共を叩き殺しに行くのになに遠慮がある、明朝早く、いや、今から出かけると云ふ衆ばかりぢや、いやはや、圧へつけられてゐた癇癪玉を踏み潰したのと対ぢや、とてもえらい勢で、わし等でも魂消てしまふたわい。
――――俺らの村でもその通りぢや。今夜も明晩もあるもんかい、さあこれから出かけるんぢやと偉い勢ひで、わしが一軒の家の主人に話してゐると、その家のかみさんや、息子や娘や子供までが蜘蛛の子を散らすやうにバラバラと家をとび出して行て、村中かけ廻つて触れて歩くのぢや、そうするとお前、もう火の見櫓ではヂヤンヂヤンぢや、竹法螺がブーブーぢや、さあ出ろ、さあ出ろ、出ない奴はぶつくらわせぢや、ところがお前、その出ない奴と云ふのはただの一人でもない、人間ばかりか猫の子でも犬の子でも、みなニャンニャン、ワンワンととび出すのぢや、出なかつたものは厨子の仏さまと棚の布袋和尚ばかりぢや、猫や犬でも、藩の悪者にあ我慢ができねえと見える。中には八十九十になつた老爺さんや婆さんまでが杖に縋つて雪の中にとび出すんぢや、そして俺らも吉田へ行くんぢや、いや、宇和島でも土州でも大州でも、江戸でもどこへでも出て行くわいと、それはそれはえらい意気組ぢや、俺らそれを眺めて涙がポロポロとこぼれた。畜生! 今度はどうでもこうでも悪者共を退治してくれねえぢや骨が舎利になつても村にやかへつて来ねえと思つたよ。俺の村の衆は、たれ一人でもそう考へねえものはない。
――――違ひない、違ひない! どの村でもこの村でも、みんな火のついたやうな大騒ぎぢや、その中でも俺の村と来た日にァもの凄いわ、予ね予ね申し合せて作つて置いたあの大綱ぢや、あれは大凡一村に二十本と云ふことであつたがなんのなんの、村の衆は一家のものが寄り合つて一筋づつ作りあげて置いたものぢや、そこで俺ら達がソレと声をかけると出たわ出たわ、あの薄気味の悪い大綱が、一軒一軒の門口から、まるでその家の主のやうに、ノロノロ、ノロノロとのたくり出した。それを娘も子供も総がかりで、エッサ、エッサと村中引つぱり廻すのぢや、まア云ふれみればこの吉田の悪役人共を呪つてゐる大蛇のやうなものぢや。さあそこで一つ、この大綱の実地演習をやつてみねえぢやならぬと云ふことだつたが、さて、たれの家を捲き崩すこともならねえ、村中はみんな仲のえゝものばかりぢやからな、ところが村の与作の云ふことにあ、俺らこれこの村に生れてから、朝晩のやうに村の氏神さまにお願をかけて、村内安全家運長久を祈つてゐるが村は益々貧乏する、家は愈々食うて行けぬやうになつた。これぢや何ぼ氏神さまがあつても何んにもならぬ、どうぢや村の衆、これから一つあの氏神さまのお社を捲き崩してやらうぢやないか、そして氏神さまがほんとうに御利益を下さつて、今度の争ひを勝たして村をよくして下さつたら、それこそ新しい、素晴らしいお社を建立してお礼をせうぢやないかと云ひ出した。何んしろいきり立つてゐる連中ぢや、ソレとばかりにおまえ、鎮守の森に押しかけて、身振りをする幾筋も幾筋もの大綱を継ぎ足して、グルグルとお社を捲きこんで、エイヤエイヤのかけ声諸共に、とうとうお社をひつくり返してしまふた。あ、はッ、はッ、はッ、はッ。

     一同、ワーツと抱腹して笑ふ。  

     この間、続々と登つて来る。

武左衛門。(茂平に代つて、落ちついた調子で)そこでぢや、皆の衆、わし等はここで吉田領八十三個村の衆の集つて来るのを待つてゐては時刻が取れる。予ねて申合せてある通り、一刻も早くこれから吉田藩の本家宇和島に出訴せねばならぬ、吉田藩の役人の虚を衝いて大挙宇和島に出ねばならぬ、何よりも幸なことには、皆の衆が申合せた時刻よりもずつと早く集合したことぢや、これならば今度の企ては必勝疑ひなし! この勢ひを殺がしてはならぬ、この勢ひを更らに力づけて、村々に呼びかけながら、予定の道筋を宇和島に進まう。(みんなを見廻して)村々の年寄衆、なんぞ御意見はありませんか。

村の代表者達。
――――別に意見はござんせんなあ。
――――やることは前々からよう解つとりますからなあ。
――――こうみんなが気が合ふてゐるのぢや、千人ゐても万人ゐても、みんな一つ心ぢや、否でも応でも流れて行くところへは流れて行きますわい。
――――たれの意見もみんな一緒ぢや。

一同、(口を揃へて)そうぢや! そうぢや!

善六。そうと決まつたら、すぐこれから出かけようかい。

群衆中の声。
――――行かう! 行かう! 早く行てやッつけてやろ!
――――思ふ存分やつてやろ!
――――叩きのめしてやらう!
――――悪党共の家を片ッ端から捲き崩してやらう!

一同。(声を合わせて)そうぢや! そうぢや!

忽ち怒涛のやうに、ワーツと鬨の声。半鐘、竹法螺、太鼓の乱打。

若者。(群集の中から起ちあがつて両手を挙げ)さあ、行くんだ! 行くんだ!

武左衛門。(手を挙げて)皆の衆、ちよつと待つて下さい。

     沸き立つた群衆、沈まる。

武左衛門。これからすぐ行かにあならんが、しかしぢや、これだけの衆が一塊になつて一筋道を行つては損ぢや、それでは途々にまだ七十何個村の衆が待ち合せることになつてゐるのぢやからその衆が歩き損をしたり、行き合はなかつたりする、それでは困る。そこで、これだけの衆を先づ七分三分の二組に分ける。三分の一手は川筋に向ふて、小倉村、窪法村、上川原淵村、岩谷村、沖野ゝ村、吉野村、目黒村、蕨生村、奥之川村等、その他近在の村々を通つて、その村々の衆と力を合せて不参者のないやうに狩り立てる。そして宇和島領近永村口に落ち合ふて貰ふぢや。次に七分の一手は三間郷へ向ふ、三間郷は土地も広いから、これを三手に分ける。一手は陽路組となつて、国遠村、清延村、澤松村、大内村、小藤田村、金飼村、中野村、波岡村、田川村、川之内村、小澤川村、黒川村、音地村、中間村、成藤村等近在の村の衆と勢を合はせる。しかしこの組は小澤川村から二手に分れて貰いたい、そして一方は、末松村、今増尾村等の方へ向けてその近在の村の衆を誘つて来る。一方、陰路組は、深田村、瀬浪村、是房村、土居垣内村、吉浪村、増原村、土居中村、迫目村等、順々に廻つて貰ふ、こうすれば領内八十三個村は一村残らず参加することができる。そして兵糧方は、村々から五名づつ出て貰ふて、真直に宇和島八幡磧に先着して用意して貰ふのぢや。

善六。なるほどこれは妙案ぢや、そうすると、つまりこの九個村の村の衆が先達となつて、千人のものを三百人と七百人の二手に分れ、三百人の一手を川筋方とし、七百人の一手を三間郷方とする。三間郷方はまた陽路、陰路の二手に分れて、吉田領全帯の村々を呼びかけて行かうと云ふのぢや。うむ、(手を拍つて)これア、これに越した手段はない。(見渡して一層大声に)皆の衆、どなたも御異存はあるまいの?

一同。(口々に)賛成ぢや! 賛成ぢや!

善六。うむ、だれにも異存はないと見える。それでは早速隊伍を組むことにせう。そこでわしの思ふには、全体の衆を七分三分に別ける手段は、九個村の中で、大きい村の二個村を一手として、他の七個村を一手としてはどうぢやらう?

一同。(口々に)それがえゝ! それがえゝ!

善六。それなら、小松村と上大野村を一手として、他の六個村を一手とするがえゝと思ふが、どうぢや?

一同。(口々に)賛成! 賛成!

善六。うむ、皆の衆、賛成か?

一同。(口々に)
――――賛成ぢや!
――――賛成ぢや!
――――異存はない!

善六。それでは早速隊伍を組んで出発せう、呉々も手落のないやうにたのむぞ!

一同。(口々に)
――――心得た!
――――合点ぢや!

ワーツとあがる鬨の声、半鐘、太鼓等の乱打、竹法螺の音。

突然、一人の若者、米俵にとびあがる。

若者。(大声で)皆の衆! 俺ら達はこれから宇和島へ行くんだが、その途中であの法華津屋の屋台骨を捲き崩してやらにア胸の溜飲が下らんのだ!

一同。(口々に)
――――そうぢや、法華津屋ぢや!
――――法華津屋ぢや!
――――法華津屋ぢや!
――――法華津屋を捲き崩せ!
――――焼き払え!

若者。それにあの大提灯の池上三平ぢや!
――――おゝ、大提灯ぢや!
――――大提灯を叩き破れ!
――――打つ殺せ!
――――引き裂け!

若者。だから俺達の若い衆は、別に手を作つて吉田の町へ攻め入るんだ!
――――面白い!
――――やれ! やれ!

若者。そしてその序に、あの吉田の廓に苦しんでゐる俺ァ達の姉や妹を救ひ出してやるんだ!
――――やア、賛成! 大賛成!
――――えらいぞ、阿兄!
――――色男ウ!
――――深間を引つ張り出して来い!

一同、ワーツと喚声をあげて、半鐘、太鼓、竹法螺を滅茶滅茶に鳴らす。

若者。(怒号して)やアい、黙つてきけ! 笑ひこッぢやないんだぞ! えゝか、俺ら達の姉や妹は年貢や運上に困つてみんなあすこへ叩きこまれてゐるんだぞ! たとひこれから年貢が安くなつても、運上が許されても、抜荷が大ッぴらででけても、今まで、そのためにあの地獄に叩きこまれてゐる姉や妹が救はれるか?

一同。(口々に)
――――もつともぢや!
――――感心なこと云ふ奴ぢや!
――――どこの村の若い衆ぢや?
――――武左衛門さんの白石噺をきいたな?

若者。よく聴け! あの色餓鬼地獄にゐる女は、みんな俺ら達の村から出てゐるんだぞ! 俺ら達がそれをどうして見てゐられるかい! 俺達はこれから行て、あの美しい廓を片ッ端から捲き崩してやるんぢや!

――――行け!
――――行け!

若者。(手で制して)、待て! そこで俺ら達の持つてゐるこの大綱ぢや、この大綱を法華津屋の屋台骨を捲き崩す前に、ここで一つ小手調べをせうぢやないか。

――――やれ! やれ!
――――面白い! やッけろ!

若者。そら、あすこにあるあの大木だ、(と背後の大木をさして)あれを一つ捲き崩してやらうぢやないか?

――――そうぢや! 大木を捲き倒せ!
――――大木を打つ倒せ!


一同、喚声をあげて、大木の前に殺到する。そして、その太い幹を、手に手に二重三重に大綱で捲く。

――――(大声で)そら曳け!
――――(大声で)ウンと曳け!

一同。(一方から反身になつて曳きながら)、エンヤサァ! エンヤサ! エンヤサ!

  半鐘、太鼓、竹法螺、一斉に調子をとつて鳴る。

  大木、大音声を立てて、バリ、バリ、バリと鳴つて一方に倒れかかつて来る。
――――危いぞ! 危いぞ! 綱を伸ばせ! 綱を伸ばせ!

一同。(綱を伸ばして)エンヤサアー! エンヤサアー! エンヤサアー!

     大木、落雷の如き響を立てて、ドッと倒れる。

――――やあ、とうとう倒れたぞ!
――――法華津屋が打つ倒れたぞ!
――――さあ、これから本物へかかるのぢや!
――――行け! 行け!

    喚声、ワッとあがる。鳴物。狂ふやうに響き渡る。

(幕)


第九景  吉田遊郭花菱楼、遊女花菊の部屋

長火鉢、衣桁、縁起棚、箪笥、等、徳川時代の遊女の部屋に似合はしい濃艶な飾り着け。

正面が部屋の入り口、廊下、向ふが欄干、欄干の向ふに遠山、入口の襖が閉めてゐるからその背景は襖をあけた時しか見えない。

吉田藩紙方頭取、池上三平、泥酔して突伏してゐる。あたりに誂へ物の料理、銚子等散乱してゐる。

三平。(むッくりと体を起して怒鳴る)こら、だれかゐないか! 不届者め、俺をいつまでここへ抛つて置くのだ!

    だれも返事をしない。三平、足許危く起ちあがる。

三平。(やけに)やい! 女共、全たい俺をだれだと心得をる、いやしくも吉田藩中、今飛ぶ鳥も落す紙方頭取池上三平さまぢや! 然るに何ぞこの俺を蔭では大提灯ぢや、大提灯ぢやとぬかしをつて、俺に満足を与へる女は一人もをらぬ。やい、花菊はどこへ行つた? 花菊はをらぬか? いかにも彼奴は不届千万な女ぢや、土百姓の娘の分際で、藩のお歴々の俺さまが身受をしてやらうと申してゐるのぢや、有難い思召しぢや、氏なくして玉の輿とはこのことぢや、それに何ぞや、(遊女の声色で)わたしはいやでござんす、わたしはお前のやうな土手南瓜のやうな男はいやでござんすとは何事ぢや。いや、それもえゝ、それもえゝ、いかにも俺の面はあの吉田街道の土堤に野放しで生えてゐる南瓜に似てゐる。これは花菊ではなうても、まあたれでも気のつくことぢや、あ、は、は、は、(間。急に太い眉をピクリとさせて)しかしきき捨てにならぬのは、彼奴が俺を見ると、紙食虫ぢや、いや羊ぢや等とぬかしをる。俺は惚れた女のことぢやから黙つて我慢はしてゐるが、いかにも心外に堪へぬ、あのすべため、も一度云つて見ろ、今度こそは手を見せぬぞ、やい! (前の襖を蹴る、襖倒れる)たれか来いと云ふのになぜ来ないか!

仲居の一。(廊下からかけて来て、調子よく)まあ、殿さま、どうおしたのえ、はばかりなら、(相手の手を取らうとして)さあ、わたしがつれて行てあげませう。……

三平。(手をひつこめて)えゝ、婆ア、小便なぞへ行くのぢやないわい!

仲居の一。おゝ、そんなら、もうおかへりでござんすかえ。

三平。(赫つと憤つて)ば、ばか、今頃からかへる奴があるかッ!

仲居の一。(笑つて)まあ、まあ、それは悪うござんした。そんならどこへお出ましになるのえ。

三平。どこへも行くのぢやないわ、花菊はどこへ行つたかときくのぢや。

仲居の一。太夫さんかえ、太夫さんはお腹が痛むと云ふてあちらで伏せつてゐます。

三平。なんぢや、花菊が腹が痛いと云つてゐるのか。

仲居の一。さうでござんす。

三平。嘘だ! 嘘だ! 彼奴は俺の顔さへ見れば、いや腹が痛む、腰が痛む、頭が痛むと、いつも順々に痛んでゐるわ、病気と云ふものはそんなに順々に都合よく痛んで廻るものぢやないわい。

仲居の一。(笑つて)さうでもござんせぬわいな、お顔を見れば頭が痛む、添臥をすればお腹が痛む、腰が痛む。――みんな廓の女の自然の発する急病でございんすわいな。

三平。なんぢや、お顔を見れば頭が痛む、添臥をすればお腹が痛む、腰が痛む。――みんな廓の女の自然に発する急病ぢや。

仲居の一。そうそう、その通りでござんす。それを痛ますのも、またケロリと治してやるのもみんな通ふて来る殿方の腕一つ、な、池上の殿さま、お解りでござんすかえ。

三平。何をつべこべと喋りをる、俺にはそんな理屈は解らぬわい、ここは金さへあればえゝのぢや、金がものを云ふのぢや、金の威光と役目の威光ならこの池上三平、吉田領中何人にも負けは取らぬ。

仲居の一。(横を向いて、小さい声で)まあ、野暮くさい。

三平。なんぢや。

仲居の一。いゝえ、まあ結構なお身分と申してゐるのでござんす。

三平。そんなことはどうでもえゝわ、花菊をすぐ呼んで来い。

仲居の一。でも、太夫は臥せつてゐるのでござんす。

三平。(そこにあつた刀を取りあげて)えゝッ、何をぬかす、四の五のぬかすと手は見せぬぞ。(スラリと抜く)

仲居の一。(びつくりして)は、はい、呼んでまゐります。(逃げて行く)

入れ替りに紙方小頭、今城利右衛門、その手下の影山才右衛門、桧垣甚内、国安平兵衛等、ドヤドヤとはいつて来る。みんな泥酔してゐる。

利右衛門。これは頭取、いつもお使を遣はされて恐縮です。

三平。(じろりと見渡して)うむ、来たか、ぢやが貴公等はなぜ一人づつぽつり、ぽつりと来ない、こうみんながまるで錦魚の泳ぎ廻るやうに一かたまりになつて来てはいかぬといつも俺は云つてゐる。この廓まで公然と提灯を振り廻して歩いては、いかにこの池上三平もちと尻がこそばゆい。

利右衛門。(どつかり坐つて)はッ、はッ、はッ、これは頭取にも似合はぬ弱音ぢや、今飛ぶ鳥も落す豪勢な池上三平殿、その手に働く吾々、たとひ大門から行列を作つてはいらうとも、たれに何の遠慮があらう。吾々の働きがあつてこそ、吉田三万石の礎が固まると云ふものぢや、楮元株の運上と云ひ、抜荷の差押へと云ひ、それから上る藩の収入は実に莫大なものぢや、その莫大な収入は一たいだれのお蔭ぢや、それはみんな吾々が夜の目も眠らず役目大切と勤めるからのことぢや、お蔵方の話にきくと、近頃、藩の財政の八割までは吾ゞの紙方の手に依つて支へてゐると云つてゐる。そうしてみれば、たとひ城代家老の飯淵殿でも吾々には一歩を譲らねばならぬ。頭取、決して御心配には及びません、吾々が長夜の宴を張つて酔歌乱舞しようとも、だれに遠慮が要るものではない。あッ、はッ、はッ、は。さあ、酒ぢや、酒ぢや、こら、たれかゐないか、女はゐないか?

三平。(快げにうなづいて)うむ、俺もむろんそれはその通りぢやと思つてゐる。だがな今城、つい先達のう、あの家老の尾田の奴ぢや、いや、あの当主の隼人の奴には予々餌をくらはしてあるから心配はゐらぬが、頑固爺の隠居の帰白だ、彼奴め、俺を屋敷へ呼びやあがつて云ふには、近頃領内で紙方を大提灯小提灯と云つて、抜荷差押へにだいぶ無理をしてゐるやうぢや、その大提灯と云ふのは、貴公のことだと云ふ噂で、押へた紙には色々と取沙汰がある、でどうぢや、今の中に退役を願つて出たら? 身に万一のことはなからうけれど、家中のものが煩いからとぬかすのぢや、つまりあの親爺は俺に辞職をしろと云ふのぢや、俺はハッとしたのぢや、だい一、相手が悪い、あのやまかし屋の親爺のことぢや、まごまごしてゐると俺に詰腹でも切らせそうだ。俺はすつかり閉口してしまつた。しかしそこへひよつくりと息子の隼人の奴がかへつて来やがつたので、俺は占めたと思つてゐると、隼人の奴がその話をきいて、父上、その話はまあ今しない方がえゝ、いづれ池上の心底もその中には解るぢやらうからとな、あの親爺を押へたのぢや、親爺、息子の云ふことだ、それなりで黙つてしまふた。そこで俺はホッとしたのぢやが、いや一時は俺はすつかり悲観したよ、は、は、は、は、は、しかし、鼻薬と云ふものはよく利くものだよ、万病に利くものだよ。

利右衛門。(あたりを見廻して)その鼻薬を滅法に利かしてあると思はれるこの座敷に、なぜまた女共はゐないのだ。頭取、あなたの御寵愛のあの花菊はどうしましたかな。

三平。(苦笑して)いや、もう来る筈ぢや。(悲観して)今城、れいの鼻薬はたとひ千石取りの城代家老さへもよく利くがな、一向利き目のないのはここの花菊ぢや、彼奴は俺が何百両、いや何千両出してやらうと云つても、どうしても俺には靡かぬよ、千石取りの城代家老によく利く鼻薬が、土百姓上りの女郎に利かぬとは嘘のやうな話ぢや。

利右衛門。あッ、はッ、はッ、はッ、は。匹夫の志も奪ふべからずかな、昔は六十五万石の仙台侯にも靡かぬ女郎もゐた。その仙台侯はまた世に稀な美男子だつたと云ふことぢやが、いかに金があつて美男子でも、こればかりはどうにもならぬものと見える。(外方をむいて)ましてや高が五十石取りの。(と、チラと三平の横顔を見て、扇子で顔をかくして、チョロリと舌を出す)

三平。(ふと気がついて)、な、なんぢやと?

利右衛門。いやなに、高が土百姓の娘の分際でと云ふのですよ。

三平。(うなづいて)うむ、全くその通りぢや。今晩はたとひ、いかに云つても、俺の意に従はねば、(刀を取つて)これぢや! これぢや!

利右衛門。愈々仙台侯をおやりですかな。

三平。(憤つて)いかにも、(抜き放つて)たぶさを掴んで(とその真似をして)一刀両断ぢや。

利右衛門。(手を拍つて)面白い。こいつあ見ものぢや、男の意生地、そうなくてはならぬ。

廊下に女の声。さあ、さあ、お待ちかね、早ふござんせえなあ。

善六娘お辰の花菊、きらびやかな花魁姿、愁ひにみちた顔、姿、両のこめかみに大きい頭痛膏、厚い草履を重たげにはいつて来る。禿、二人、仲居、数名。

仲居の一。お殿さまえ、太夫さんがまゐりましたわいな、今晩は気分の悪いのを、外ならぬ池上のお殿さまぢやと云ふてまゐりましたほどに、どうぞ可愛がつてあげて下さんせえ。

利右衛門。(体をねぢむけて)やあ、来おつた、来おつた。いつ見ても美しいわい、これでは頭取が迷ひこむのも無理はない、さ、さ、こつちへ来るがえゝ、こつちへ来るがえゝ、(じつと顔を見て)なるほど、少し気分が悪そうぢや、いや、それもまた一層の風情ぢや、雨に悩む海棠と云つてな、吾々が見てもたまらぬわい。

仲居の一。さ、太夫さんえ、ちやとお殿さまのお側へお行きや。

花菊。(入口近くへ坐つて)あい、わたしはここで沢山でござんす。

仲居の一。(目で知らせて)まあ、太夫さんとしたことが、何を云ふのえなあ、今全盛の松の位の花菊太夫。ずつと上座へ行かんせなあ。

花菊。(燦々と輝く頭を振つて)操を売らねばこそ松の位、池上のお殿さまがいつも仰有る通りわたしは土百姓上りの宿場女郎、ここで沢山でござんすわいなあ。

三平。(眼を細くして)あ、は、は、は、諸君、あれを見たまへ、あんなことを云つて俺にすねて見せおるわい、あ、は、は、は、可愛い奴ぢや、可愛い奴ぢや、これ花菊、何も遠慮をすることはない、ここにゐるのはお前もよく知つてゐる通り、みんな俺の家来ぢや、(利右衛門達、顔を見合せて苦笑する)して見ると、つまりその、お前は俺の奥、いや御台ぢやから、やはりお前にも家来筋ぢや、さ、さ、自分の家来達に何も遠慮は要らぬ、近ふ、近ふ、ずつと近かう。

花菊。もつたいない、お殿さま方を家来筋ぢやなどと、そんなことを仰有るとわたしに罰があたりますぞえ、わたしの先祖代々はみんな土百姓、お殿さま方の召上るお米やお召しになる絹を作らせて戴いてやうやう虫の息で生き伸びて来たのでござんす、お殿さま方からごらんになれば虫けら同然、お座敷に同座させて戴くのさへもつたいないと思ふてをります、あんまりお側へ近づいたらお殿さま方のお身の穢れ、わたしは恐ろしくて身慄ひがいたします。

三平。(にやにや笑つて)それは何を云ふのぢや、そう土百姓土百姓と皮肉なことは云わぬものぢや、俺が一言や二言お前に口を辷らかせたと云つて、それをとつこに取つていつまでも俺を困らせなくてもえゝではないか、いや、元来俺よりお前の方がよつぽど口が悪いぞ、お前は俺達をいつもやれ紙食虫ぢや、やれ羊ぢやと云ふではないか? 俺が一言ぐらゐ土百姓と云ふたとてそういつまでも根に持つものでない、さあ、まあ機嫌を直してこつちへ来い、こつちへ来い、今晩はな、そうしてみんなのものを呼んで一つ大騒ぎ、底抜け騒ぎをしようと思ふてゐるのぢや、俺はお前にそう憂き憂きされると気が腐つていかんよ、な、さあ、こつちへ来い、こつちへ来い。

利右衛門。これ花菊、お前は仕合せものぢや、今御領内に飛ぶ鳥も落す池上三平殿に、そないに思はれてゐるお前は、まあ何んと云ふ果報者ぢや、たとひ城代家老さまでも池上殿には一目も二目も置いてゐられるのぢや、将来は殿さまから家老職にも取り立てられようとしてゐられる池上殿に思はれて、お妾にでもなつて見ろ、それこそ氏なくして玉の輿ぢや、それに今きいてゐると、お前は池上殿に紙食虫ぢや羊ぢやと悪態をつくそうぢやが、いやはや呆れた大胆者ぢや、吉田の御領内広しと雖もこの池上殿の面前でそんな悪態をつくものはお前一人ぢやらうな、もし他のものが一口半句でもそんなことを云ふて見よ、一寸でもそこから動くことはでけんわい、お前なればこそぢや、(じろりと三平を瞥て)さてさて、池上殿もこの花菊にはまゐられたものぢやなあッ、はッツ、はッ、はッ、は。

花菊。(毅つとして)、紙食虫を紙食虫と申すのに間違ひはござんせぬ、羊を羊と申すのに間違ひはござんせぬ、でも、ほんとうの紙食虫や羊は、ただ紙をたべるだけで性はやさしいものでござんすけれど、こちらの紙食虫や羊などは、思ふやうに紙がたべられぬと、紙を作る百姓を捕へて牢に入れたり、殺したり、まるで蛇や狼のやうに恐ろしい畜生でござんす! 

    一同、呆れて顔を見合す。

仲居の一(あわてて花菊の袖を捕へて)これ、太夫さんえ、お前さん気でも狂つたのではござんせぬかえ、それはあんまりな口の利きやうでござんすぞえ。(はらはらはらして、三平に)お殿さま、どうぞ許してやつて下さいませ、この妓は今晩どうやら容子が変つてゐるのでござんすから。…………

三平。(顔色蒼白になつて、憤然として起ちあがる、刀を引つ提げてツカツカと花菊の側へ来る)やい、すべた! 云はして置けばつけ上つて、武士の面上を足で蹴るにもひとしい悪口雑言、さあ、もう一度云つて見ろ! 池上三平、刀の手前にたいしても、もう容赦はしないぞ!

花菊。(毅つと斜に、美しい眼で鋭く三平をにらみつけて)そのくらゐのことは覚悟の上で申してゐるのでござんす。お前のやうな盗人達に身を任せて憂苦労をするくらゐなら、一層一思ひに死んだ方がましでござんす。云へと云ふなら幾度でも云つてあげませう。お前は紙食虫、羊、それも恐ろしい蛇のやうな紙食虫、狼のやうな羊でござんす! さあ、これで足りねば、まだ何度でも云ふてあげますぞえ!

三平。(全身を慄はせて、スラリと刀を抜く)えゝッ、すべため、覚悟しろ!

利右衛門。(とびこんで、その肘をグツと握る)頭取、お待ちなさい! 短気は損気、所もあらうに、こんなところで見る蔭もない女郎一人を殺して、これが表向になつたらどうなさいます。折角積みあげて来た立身出世の塔は一気にくだけて、一身一家の破滅は分り切つたことでございますぞ。それどころか、池上三平の名は世間の物笑ひの種になることは必定です。さあ、それがわかつたら、もうこんな下素女郎はふつつりと思ひ切つたほうがよろしい。

三平。(無念げに歯咬みして)ぢやからと云つて、人もあらうにこの池上三平に向つて悪口雑言する土百姓の小すべたぢや、これが世間にもれたらえゝ物笑ひぢや、(悶掻いて)えゝッ、放せ!

花菊。(もどかしそうに)放せとおたのみなら、放してあげてはどうでござんす。土百姓の小すべたの私の生命と、御家中で飛ぶ鳥落すとやらの御全盛な池上の殿さまの生命とをお取替へするのでござんすもの、こんな嬉しいことはありませぬ、わたし一人さへ死んでしまへば、吉田の御領内の百姓達が生き返へるのでござんす。わたしはちつとも生命は惜しいとは思ふてをりません。さあ、どこからなりと斬つて下しやんせ。(体をさし向ける)

利右衛門。(すつかり閉口して苦笑しながら)頭取、これアこつちが負けぢや、この女はこれァすつかり前々から覚悟をしてかかつてをりますぞ、なるほど、相手が紙方頭取の池上三平殿ならこれァ相手に取つちや不足はない、たとひ自分が殺されても、池上殿もやつぱり家は断絶、身は切腹ぢや、さすれば苦しんでゐる百姓共(フト気がついて)やあ、これア少し口が辷り過ぎた。(益々しつかりと三平の肘を握つて、大声に叫ぶ)頭取、この女のわなにかかつては大へんですぞ!

花菊。(痛快げに笑ふ)ほ、ほ、ほ、ほ、ほ、日頃は武士ぢや、侍ぢやと、大きい口を利いてゐながら、まさかの場合にはやつぱり生命が惜しいと見える。お前方から土百姓ぢや、女郎ぢやと云はれてゐても、土百姓には魂がござんすぞえ、女郎には意生地がござんすぞえ、世のため人のためには、家も生命も惜ふはないと云ふ魂や意生地がござんすぞえ。

利右衛門。これ、これ、もうえゞわい、もうえゞわい、わかつた、わかつた、さあ、早くあつちへ行け、早くあつちへ行け、後は俺が引受けた。

    突然、紙方下代、銀右衛門、息せき切つて、廊下からかけてはいる。

銀右衛門。(苦しそうに突伏して、漸く頭をあげながら)頭取、大へんです! 大へんです! あゞ苦しい! あゝつらい!

一同。(口々に)何だ? 何事だ?

銀右衛門。ただ今、百姓共は手に手に奇怪なる大綱を携へ、または鋤鍬鉄砲などを担ひ、夜陰に乗じてあれなる(と向ふの山の方をさし)山に登り、鐘を打ち、法螺貝を吹き、太鼓を鳴らし篝火を焚いて鬨の声をあげてをります。

三平。(色を失つて)やあ、そ、それァ、だ、だれだ? だれだ? どいつだ?

銀右衛門。だれだか、どいつだか、それは分りません、大勢の百姓でございますから。ともかくあすこをごらん下さい。(仲居達に)おい、その襖を開け。

     仲居達、座敷の襖を開け放す。

     遠くの山に、紅い松明とびかふ、篝火、空を焼いて燃えあがつてゐる。

     半鐘の音。

     法螺貝の音。

     太鼓の音。

     鬨の声。

三平。やあ!(茫然と立ちすくむ)

利右衛門。(悲痛に)大へんなことになつた。頭取! これアこうしてはゐられませんぞ! 愈々最後の幕が来ましたぞ!

突然、欄干の下(街路)で、けたたましい法螺貝の音、太鼓の音、鐘の音、怒涛のやうにあがる鬨の声。一同、愕然として立ちすくむ。

     爆然たる響、つづいて、白煙、濛々とあがる。

     一同、悲鳴をあげて逃げまどふ。

花菊。(一人毅然として欄干の前に立つ)おゝ嬉しい! 八十三個村の人々が愈々起つた! 愈々起つた! 山が燎ける! 野が燎ける! 町が燎ける!(狂ほしく)おゝ、あの人達の胸の火ぢや、怨みの火ぢや! その火で悪魔の巣くう吉田の城が燎き滅ばされる! おゝ、わたしは嬉しい!(袖で迸る嬉し涙を押へる)


    突然、けたたましい足音。

    二階にかけ上つて来る一揆の百姓達大勢、手に手に鋤鍬等を提げてゐる。


百姓の一。(大音に)おゝ、妓達! 逃げろ! 逃げろ! お前達の国へ逃げてかへれ!

百姓達。
――――逃げろ!
――――逃げろ!
――――早くお前達の国へ逃げてかへれ!

(幕)


第十景  宮野下、三嶋神社頭

     正面に石の鳥居、低い石段があつて、向ふに拝殿、本社。

     境内に落葉した木立。右手に神主の邸の門が見える。

     鳥居、拝殿、本社の屋根等に雪。  

     左手に茶店、障子が閉つて、障子には、「酒肴」等の字が書いてある。

     夕暮。

     愁ひに沈んだ三嶋神社神主土居式部の娘春菜、邸の門から出て来る。

     考へ、考へ、鳥居の前まで来る。

樽屋与兵衛の息子与次郎、一揆参加の軽い扮装で、天びん棒を持ち、左手の方から急ぎ足でやつて来る。

与次郎。(春菜を見つけてかけよつて)おゝ、春菜さん!

春菜。(驚いて)まあ。

与次郎。(憚るやうに)春菜さん、愈々敵を討つ時が来ました。

春菜。(不思議そうに)だれの敵でございます。

与次郎。(呆れて)あなたは何を云つてゐるのです。あなたのお父さまや、私のお父さん、それにこの間、吉田の殿さまに殺されなすつた、そら、十四五のあなた位の頃に行方が知れなくなつたと云ふ、あの叔母さまの敵ではありませんか?

春菜。(驚いて)それは、どう云ふわけでございますの?

与次郎。どう云ふわけと云つて、(もどかしそうに)えゝ、じれつたい! 吉田領民が一揆を起して、お城を打ちこわしにかかつてゐるのですよ。

春菜。(呆れて)まあ!

与次郎。村の人々がみな云つてゐます。自分の悪政も改めずに、却つて土居家のやうな名家を潰し、また、人さらひのやうなことをして領内の美しい娘を奪つて妾とした上で、自分の気に入らぬと云ふて斬り殺すやうな大名は、きつとその中に天罰を受けるだらうつて、春菜さん、今その時が来たのです。私はこれからその一揆に加担して吉田へ出かけるのです。さあ、あたなも一緒に行きませう!いや、お百姓達はすぐもうここへ来る筈です。

春菜。(尻ごみして)まあ恐い! 私は家にかくれてゐます。

与次郎。何を、何を卑怯なことを云ふのです、あなただつてお父さんを殺されたんぢやありませんか。

春菜。でも、私は女ですもの。

与次郎。女でも男でも、親を殺されて黙つてゐる奴がありますか? それにあなたの先祖は偉い殿さまだつたと云ふのではありませんか、侍の娘が親の敵を討たんと云ふ方はない、さあ、一緒に行きませう。

春菜。(逃げるやうに後しざりして)それでも私は恐ろしいのですもの。

与次郎。(失望して)なあんだい、侍の娘なんてものはだめだ、親を殺されてゐて、それで、私恐ろしいのですものか、それでは百姓の方が余ッ程偉い! 百姓の娘の方が余ッ程強い! 今度の一揆の中には、沢山の若い百姓の娘がゐるそうだ。これからは、土百姓、土百姓と云つて侍の奴等は威張れなくなるぞ!

     蹄の音高く聴える。

与次郎。(その方を見て)やあ、来やがつたな、馬の向ふ脛打つ食らはせてくれるぞ!(あたりを見廻して)待て、待て。(鳥居の蔭にかくれる)

春菜、その間に、邸に逃げてはいる。

吉田藩士、乗馬にかけて来る。

与次郎、鳥居前まで来て、馬の歩みが緩やかになると、突然躍り出して、「エッ」と一喝して馬の向ふ脛を打ちのめす。馬、悲鳴をあげて逆立ちになつて、すぐドッと前にのめる。

怯気のついた藩士、不意を食らつて、びつくりして落馬する。その背中を、与次郎、また「エッ!」とばかりに打つ。

あわてた藩士、腹這ひながら左手へ逃げる。手綱のない馬の尻に、与次郎また一撃をくらはすと、とび上つて右手の方へ逃げる。

与次郎。(愉快らしく)あ、は、は、は、は、(左手を見て)やあ、また来やがつた、今度はだいぶ大勢だ、こいつあ少し危いぞ。(鳥居の向へかくれる)

     徒歩の吉田藩士数名。

吉田藩菩提所大乗寺住職大眼和尚、白業寺住職石苔和尚等、僧侶数名、緋の衣、金襴の袈裟をかけて出て来る。


藩士の一。(あたりを見廻して)うむ、郡代横田茂右衛門殿は見えないな。妙なことがあるものだ。吾々に和尚達を呼びにやつて、郡代は馬でここへ来て待つてゐると云はれたのだ。吾々にそう云つてこつちの方へ来られたのだ。はてな。

藩士の二。一足先きに邸へかへられたのではないかな? あの方は暴民を非常に恐ろしがつてゐられたから、あんなことを云つて置いて、自分だけはこつそりと邸へかへつてしまわれたのぢやないかな。

藩士の三。いや、だれにしてもあまり気味のいゝものではないわい、常々に威張り散らしてゐるものほど、こんな時には薄気味悪ひものだ。あの横田殿も、日頃は随分威張つてゐた方だからな。

藩士の一。こんな時にあ吾々は割が悪い、上役は馬に乗つて逃げ廻つてゐるくせに、吾々には命令を出して危い方へ追ひやるのさ、それにだ、一たい両刀を帯びてゐる武士が、土民を鎮撫することができないからつて、法衣をまとつた僧侶の力を借りねばならぬとは何事だ。諸君、吉田藩の威信も地に落ちたね。

藩士の二。すつかり現実を暴露してしまつた。大将人形のやうに美しく飾り立てて百姓共をおどかして置く中はよかつたが、一寸突いたら中は虫が蝕つてゐるので、ばらばらに崩れてしまつたよ、は、は、は、は。

藩士の四。一体百姓つて奴は、よつぽど馬鹿者だよ。今度の事だつてそうぢやないか、彼奴等が力を合はすと、藩中はまるで青菜に塩だ、真青になつて口も碌にきけやしない、彼奴等の力の恐ろしいことはそれだけでも解るんだ、それに彼奴等は平常はまるで猫みたいにへえへえしてゐるんだ。俺達が百姓だつたら藩なんてものを国内に置いては置かないね。

藩士の二。おい、おい、いくら俺達が抜荷や運上の上前がはねられない貧乏侍だからつて、そう思ひ切つた不平を云ふなよ、これでもやつぱり五人扶持や六人扶持を貰つてゐる吉田藩士で候だからなあ、

藩士の四。女房や娘に内職をせなけれァ食つて行けないやうな藩士なら、百姓してゐる方がいゝよ。

藩士の三。藩士は藩士だが、この半紙はあんまりいゝ半紙ぢやないよ、吉田領内ではこんな半紙はあんまり作らないね。

藩士の四。まづ浅草紙かな。

一同。あ、は、は、は、は。

藩士の一。(左手の方を見て)おい、向ふに真紅な火が見えるぞ、愈々来たな?

     鬨の声、半鐘、太鼓、竹法螺の音、遠くから聴える。

     一同、左手の方を不安げに眺める。

藩士の二。和尚方、愈々来たやうです。どうか和尚方のお力で一つ宥め諭して戴きたひと思います。

藩士一同。(お叩頭をして口々に)どうかよろしくおたのみします。

石苔和尚。(大きくうなづいて)承知いたしました。いかにも愚僧の手で食ひとめてお目にかけませう、(厳粛に)貴公方が只今までは剣の力で圧へてゐられた。しかし、その力では圧へ切れぬ。それに代つて彼等を鎮撫し、且つ済度するものは、法の力ぢや、この世の中に、法の力で済度し難いものは一つもござらぬ、畏多いことぢやが、上は歴代の帝をはじめ奉り、下は匹夫匹婦に至るまで、斉是れ三宝の功力によつて安養浄土に済度する。いかなる悪魔も仏の慈悲によつて一念発起するのぢや、いかにも愚僧の手によつて、あの憐れな凡夫を一念発起させて進ぜよう。(珠数を鳴らして)南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏。

大眼和尚。いかにも白業寺殿の申される通りぢや、しかしまた愚僧には愚僧の考へもある。(一つ咳払ひをして)どなたも知つての通り、かの元和元年、奥州太守、伊達陸奥守藤原朝臣政宗の御長子侍従秀宗侯、伊予宇和島十万石御拝領、其後明暦三年、秀宗侯御四子、宮内少輔宗純侯、右の内三万石分地御拝領に及ばれ、当吉田領に在陣せられてより、代々の御菩提所となつてゐるのはわが大乗寺でござる。(この時、藩士達は冒頭が長いので何んだらうと思つてゐたが菩提寺を説明のためだつたので互ひに顔を見合す、当人は真面目で)以来二百五十年の間、明君、上にあつては百姓を愛撫せられた、百姓はこの君恩を忘れてはならぬ。この御威光を仰ぎ見なければならぬ。愚僧はこのお上の御威光と、それから只今白業寺殿の云はれた―――。

藩士達。(驚いて口々に叫ぶ)
――――おゝ、和尚殿、それ、もうそこへやつて来ました!
――――どうぞ、どうぞ、よろしくおたのみします!
――――私共は、この神社の境内にはいつて待つてをります!

藩士達、境内にかくれる。

先頭に松明を振り翳した百姓達、無数の蓆旗を押し立て、鬨の声をあげ、鐘、太鼓、竹法螺を吹いて殺到する。

武左衛門、村代表の鉄五郎、清蔵、藤六等、先頭に立つてゐる。百姓達、酒樽を幾つも担いでゐる。

藤六。おゝ、ここは三嶋神社ぢや、土居式部殿のお宮さまぢや、ようく礼拝せにやなるまい。

群衆中の声。
――――やあ、土居式部殿の宮さまへ来たぞ!
――――おゝ、土居様にお神酒をあげろ! 今は法華津屋から引きずり出して来た酒樽のお神酒をあげろ!
――――そうぢや、そうぢや、吾々の血を搾つた酒ぢや、この酒を土居様にあげたら、さぞ喜ばれることぢやらう。
――――それでは、樽屋与兵衛様にもあげろ!
――――そうぢや、どうぢや、与兵衛様にもあげろ!

    百姓達、酒樽を鳥居の前に幾つも並べる。

大眼和尚。(鳥居の石段の上に立つて、法衣の袖をまくり、両手をひろげて)皆の衆、まづ、まづ待たれい! まづ、まづ待たれい!

群衆中の声。
――――なんぢや、待たれい? 何を待つのぢや?
――――やあ、ここはお宮さんぢやのに、坊主がとび出したな?
――――なんぢや、坊主がとび出した? 二十坊主か、カス坊主か?
――――こんなところへとび出す坊主は、大方カス坊主ぢやらう!

大眼和尚。(それに滅けずに)皆の衆、まづ静まつて愚僧の云ふことをきかれい! まづ静まつて愚僧の云ふことをきかれい! 凡そこの土に住むものは、恩を忘れてはならぬ、(空を指して)天の恩、(下を指して)地の恩、(群集を両手で収めるやうにして)君の恩。この君の恩と云ふのは皆の衆にとつては即ち(吉田町の方を指して)吉田城主、伊達村芳幼侯その人ぢや、皆の衆、百姓は実に侯の御恩を忘れてはならぬ!

群衆中の声。
――――なんぢや、何をぬかすのぢや、この狸坊主めが!
――――たれの御恩を忘れてはならぬのぢや? この味噌すり坊主!
――――おゝ、さうぢや、虐めて貰ふた御恩は忘れやせんぞ!
――――おゝい、皆の衆、こんな坊主狐にだまされるな! 口利くな!
――――だれがだまされるもんかい! 今までさんざだまされて来てゐるわい!

大眼和尚(悲痛な大音声で)おゝ、お前達、お前達の心の中には天魔外道が宿つてゐるぞ! お前達は煩悩界、地獄界、餓鬼界に陥つてゐるのぢや、お前達のしてゐることは、天魔外道の所業ぢや!

群衆中の声。
――――この狂気坊主、云はしておくと途方もないことぬかす! 引ずり下せ!
――――捲き倒せ!
――――叩き殺せ!

忽ち、大眼和尚石段から引ずり下されて、大地に押し倒される。百姓共、寄つてかたつて足で蹴とばす。

群衆中の声。
――――俺達の作つた米を食らひやがつて、悪党共の提灯持をしやがる奴は貴様等だぞ!
――――まだ他にもまごまごしてやがる坊主がゐるぞ!
――――それ、引つ捕まへろ!
――――逃がすな!

ワーツと喚声をあげる、鐘、太鼓、竹法螺。突然、境内の方で新しく喚声あがる。

境内の群衆中の声。
――――吉田の侍がかくれてやがる、打ちのめせ!
――――吉田の侍ぢや? やッけてしまへ!
――――叩き殺せ!

     与次郎、拝殿の上にとびあがる。

与次郎。(大声で叫ぶ)その侍は助けてやれ! その侍は助けてやれ!

群衆中の声。
――――なんぢや、侍を助けてやれ? 吉田藩の侍を助けてやれと云ふのか?
――――そんなことみ云ふ奴はだれぢや、どいつぢや!
――――犬ぢやろ! 吉田藩の犬ぢやろ!

与次郎。俺は犬ぢやないぞ、宮の下の樽屋与兵衛の伜の与次郎だ、今度の一揆に加担してゐるんだ!

群衆中の声。
――――おゝ、与次郎さんかい?
――――おゝ、与兵衛さんの息子さんかい?
――――その与次郎さんが、どうして吉田藩の侍を助けてやれと云ふんぢや?
――――お前さんのお父さんは、吉田藩の侍に殺されたんぢやないかい?
――――吉田藩の侍は、お前さんの親の仇ぢやないかい?

与次郎。いゝや、親爺を殺した侍は、悪い侍だ! しかしそこにある侍は、悪いことをせんええ侍だ!貧乏な侍だ! 女房に内職をさせて食ふてゐる侍だ!

群衆中の声。
――――おゝ、それではお前さん、この侍を知つてゐるのか?
――――お前さんの知り合ひか?

与次郎。知り合ひぢやない、俺は今ここでその侍が貧乏を嘆いてゐるのを聴いたんだ!

群衆中の声。
――――なるほど。
――――なるほど、吉田藩の侍でも、悪い侍ばかりには限らない。
――――さすがは与兵衛さんの息子だけある。
――――うむ、そんなら、その貧乏な、えゝ侍を赦してやれ!
――――逃がしてやれ!
――――こら侍、今度生れる時にはお百姓さんに生れて来いよ!
――――せめて来世は人間に生れて来いよ!
――――あ、は、は、は、まるで武左衛門さんの語りなはる浄瑠璃や!

    一同、ドッと笑ふ。

作兵衛。(大声で)さあ皆の衆、進んだ、進んだ! 途々に待つてゐる衆がある。

若者。(石段にとびあがり)皆の衆、これから吉田表へ出て、あの憎い法華津屋両家を捲き倒してやらう!

群衆中の声。
――――そうぢや! そうぢや! 本家の法華津屋へ押して行け!
――――吉田の法華津屋本家ぢや!
――――法華津屋本家ぢや!
――――吉田へ行け!
――――吉田へ行け!

     鬨の声、鐘、太鼓、竹法螺、鉄砲の音。

武左衛門(突然、石段にとびあがり、大音に)皆の衆、吉田の法華津屋へ行くのはやめた方がえゝぞ!わし等があの法華津屋の一軒や二軒を捲き倒したとて、決してこの苦しい貧乏からのがれることはでけんぞ! それア法華津屋は憎い、法華津屋はわし等の血を啜つてゐる鬼ぢや、悪魔ぢや、皆の衆がそいつを捲き倒してやるのは、わしも大賛成ぢや、しかし、たとひあの法華津屋の屋台骨を捲き倒しても、彼奴等は金があるからまたすぐ新しい家を建てよる。そしてわし等はまた元々通り彼奴等に血を啜られにやならぬ。えゝか、皆の衆、ここをよくきいてくれ、わし等のこの苦しい貧乏は、当の法華津屋に罪もあるが、その元をただせば、吉田藩の政治が悪いのぢや、その源は、吉田藩の悪政にあるのぢや、吉田藩の狸役人、いや狼役人が、法華津屋と云ふ同じ狼となれ合ふて、わし等百姓を虐めてゐるからぢや、つまり、わし等の虐められる原因は吉田藩の悪政治にあるのぢや、いや皆の衆、もつと手取り早く云へば、吉田藩と云ふやうなものがあるからぢや、こんなものがあるから、それで悪政治が生れて来るのぢや、わし等百姓はこんなもののない世の中がほしい。百姓は百姓ばかりの世の中で結構ぢや、それ以外にはなんにも要らぬ。わし等の村に政治家と云ふ両刀を差した奴がはいつて来るから、それでわし等は瞞されたり、虐められたり、搾られたりして苦しむのぢや、両刀を差す政治家と云ふ奴は、丁度今皆の衆が足蹴にした、あの坊主と同じことぢや、いや、坊主はその政治家の手先きぢや、吉田藩と云ふのは、この政治家と云ふ胡麻の蠅の巣窟ぢや、其奴の生れる糞壺ぢや。ぢやから皆の衆、わし等の生活を根本からよくせうと思へば、この胡麻の蠅の巣窟を退治てしまうことぢや。この糞壺を叩きこわしてしまうことぢや。そうせなければ、わし等百姓は、仙台萩の仙松ぢやないが、千年万年待つたとて貧乏は治りはせぬ。えゝか、皆の衆、ここをとつくりと腹に入れて置いて貰うぞ! この武左衛門がたとひ藩の役人に首を斬られて死んだとしても、この言葉だけは武左衛門の片身分けにのこして置くぞ! 貧乏な武左衛門の片身分けはこの言葉ぢや。(間)しかしぢや皆の衆、今この三万石の吉田藩を退治じることはちとむつかしい、叩き潰すことはちと骨が折れる。今日本国中には三百あまりの大名がゐるが、日本国中の百姓が力を合はせて、この三百の大名をすつかり退治てしまへば知らぬこと、わが吉田藩ばかりを退治ることはちとむつかしい。そこでぢや皆の衆、やむを得ん、この吉田藩の大きい胡麻の蠅を退つ払つて、少しでもよい政治をやらせることぢや、今の場合、どうしてもそれより手段がない、えゝか皆の衆、わし等が彼奴等に、えゝ政治をやらせるのぢやぞ! やつて貰ふのぢやないぞ! わし等の作つた米を食はせてやつて、わし等の織つた着物を着せてやつて、彼奴等藩の奴にえゝ政治をやらせるのぢやぞ!ここの道理をよく腹に入れて置いて貰ふぞ! 皆の衆は今までそれをあべこべに考へてゐたのぢや、そこから間違ひが起つて来たのぢや、わし等が主人で先方が僕ぢや、えゝか、皆の衆、ここをようく腹に入れて置いて貰ふぞ! (間)そこでわし等は、現在のこの苦しみをのがれるためには、藩主に訴へてえゝ政治をやらせねばならぬ。ぢやが、わし等がそれをさせるために城下の吉田へ出て見ても、あの藩中は大小の胡麻の蠅がうじょ、うじょしてゐて、其奴等は慾がくらんでゐるから、とてもわし等の云ふことが耳には這入らない、ここはよく考へて、彼奴等が否やでも応でもえゝ政治を取らねばならぬやうに仕向けねばならぬ。それには宇和島の本家に押しかけることぢや、宇和島の本家に押しかけて、吉田領民の力を見せてやる。吉田藩は、これほどの悪政をやつてゐるのぢやと、わし等は隊伍を整へて堂々と宇和島城下を練り歩きながら見せてやる。そして若しこの悪政を改めなければ、わし等はもうたれ一人も村にはかへらない、これなりで江戸まででも上る。そして村は草原にしてしまうてやると云ふ決心を示すのぢや。こうなれば本家の宇和島でも黙つてはゐられない、早々に吉田の分家を建て直すに違ひない、いや、きつと建て直るにきまつてゐる。さすればこうして運動してゐるわし等の目的も達しられるわけぢや。さあ皆の衆、ここの道理がわかつたら、これから一同は宇和島の本家へ押して行つて貰ひたい。

群衆中の声。
――――宇和島へ行け!
――――本家へ行け!
――――宇和島ぢや!
――――宇和島ぢや!
――――宇和島城下を練り歩け!

     一斉に鬨の声。半鐘、太鼓、竹法螺、鉄砲の音。

     群集の先頭、右手に向つて進む。

左手から、吉田藩定紋付の提灯下げた乗馬の吉田藩士慌しくかけつける。数名の徒歩侍つづく。

吉田藩士。(大音に)百姓共、しばらく待て、その方共は御本家へ強訴するものと見える。徒党強訴は天下の厳しい御法度だ!(徒歩侍を顧みて)ソレ、者共、暴民共を引つ捕へろ!

    徒歩侍、矢庭に二三人の百姓達を引つ捕へる。

群衆中の声。
――――やあ、胡麻の蠅が猪口才な!
――――ソレ糞虫を叩き伸ばせ!
――――引つ捕へてひねり潰せ!

     ワーツとあがる喚声、半鐘、太鼓乱打、竹法螺、鉄砲の音。

藩士の乗つた馬、驚いてはねあがつて、逆立ちになる。藩士、不意をくらつて落馬。大地へヘタばる。馬、逃げ出す。

     再びワーツとあがる喚声、笑声、半鐘、太鼓、竹法螺。鉄砲の音。

――――宇和島ぢや!
――――宇和島ぢや!
――――宇和島ぢや!

(幕)。


第十一景  宇和島城下、八幡河原

一帯の白砂の磧。
正面、遥かに宇和島城天守閣、前に橋。
橋の下から流れてゐる河面には、棒杭、繋留した小舟。
磧には幾流となき村名を書いた蓆旗。
左手は一段高い堤。
春雨降る。
鬨の声や鳴物は一切聴へない。
全帯に孤寂な情景。

蓑笠を着た勘蔵、三右衛門、文吉、その他二三名、堤寄りに、他のものからはなれて、ひそひそと話をしてゐる。

勘蔵。何しろお前、これで三日目ぢや、一たい俺達はこゝへ何をしに来たことやら、さつぱり解らん、持つて来た米は無うなるし、毎日雨ばかり降つて寒うはあるし、考へてみれア何をしてるのやら阿呆らしうてたまらん。

三右衛門。俺は内にァ嬶と子供が痘瘡を煩ふて寝てゐるのぢやが、一昨日の朝、さあ出よ、さあ出よ、出んと家も屋敷も焼き払ふぞと門口で怒鳴られたんで、びつくりして出て来たんぢや、しかしまあ、それでも、ちつとは村もようなつてくれたら結構ぢやが、これではまるでどうなることやら見当がつかん、下手にまごついてゐると、役人に目星をつけられて磔にでもなつたら大事ぢや。

文吉。(不安らしく)いや、わからんぞ三右衛門さん、俺ァ先刻からみんなの中を探してゐるのぢやが、あの上大野村の武左衛門さんや、是房村の善六さんは、どこへ行つたのやら、さつぱり姿が見えんぞ、もしかしたら、役人衆に捕つたのぢやないかな?

三右衛門。(同じく憂鬱に)さあ、そうかも知れんな、あの衆は今度は頭目のやうになつて働いてゐるのぢやからな、よつぽどもう目星をつけられてゐることぢやらうな。

勘蔵。あの衆は前々から覚悟をしてやつてゐることぢやから、捕つてもあきらめがつくが、わし等は不意のことぢやから、これで引つ捕まつたら浮ばれんぞ。それにまたあの衆は、かうしてわし等をこゝまで誘き出しておいて、三日もたつのにまだまごまごしてゐるとはどうしたものぢや、わし等はあの衆に瞞まされて来たやうなものぢやな。

三右衛門。いや、いや、さう一口にも云へんわい、あの衆でもこんなことはまだ初めてぢやから、却々さう手取り早く行くものではないが、わしの考へでは、今度のことはこれァだめぢやと思ふがお前方はどう見る?

文吉。うむ、俺も大方さうぢやらうと考へてゐる。かりにも吉田三万石ぢや、そう軽々しくわし等風情のものゝ云ふことをきく訳がない。

三右衛門。そこぢやて、以前に三間郷からも、土居式部殿や樽屋与兵衛さんがあゝして強訴を企らまれたのぢやがすぐ牢に叩きこんで二人を嬲り殺しにしてしまふた。その殿さんのことぢや今度はかう騒ぎ立てたのぢやから、前とは違ふてどんなひどい目に合はすか知れんぞ。(身慄ひして)おゝ、わしや頚筋が寒うなつて来たわい!

勘蔵。(同じく身慄ひして)おゝ寒い! いやぢや、いやぢや。

文吉。俺はまた腹が減つてたまらんわい。

勘蔵。磔になる時は、腹に臓物のない方がえゝと云ふぞ。

一同。えゝ気味の悪いこと云はんがえゝわい!

勘蔵。は、は、は、は、(磧を見渡して)このへんは、磔場所に丁度えゝところぢや。

一同。(口を揃へて)またそんなことを云ふ。

勘蔵。(堤の方を見て急にびつくりして、不安らしい小声で)来たぞ! 来たぞ!

一同。(口を揃へて、同じく不安らしく)何が来たのぢや?

勘蔵。役人ぢや! 役人ぢや!

一同。(うろたへて)えゝ、どこに。

勘蔵。堤、堤。

三右衛門。(小声で)逃げ! 逃げ! 目星がつくぞ。

尾田隼人、若党一人を伴つて堤の上に現はれる。

隼人。これや、百姓、ちょつと待て。

一同。びつくりして、立ちすくむ。

隼人。ちよつと待つてくれ、お前達にきゝたいことがある。

三右衛門。(観念しておどおどしながら)はい、はい。

隼人。(堤の下へ降りるそしてそばの石に腰をかける)ちよつとこゝへ来てくれ。決して其の方共を吟味するのではないから、安心してこゝへ来てくれ。

三右衛門。(お叩頭を幾度もして)はい、はい、(二人のものを振りかへつて)吟味ではないそうぢや。(隼人の前に蹲む)

勘蔵、文吉も、不安らしく隼人の前へ来て蹲む。

隼人。(柔かい言葉で、ちよつと空を仰ぎながら)折悪しく天気が悪うて、さぞ難儀をしてゐるだらうな。

三右衛門。はい、はい、えらい難儀をしてをります。 

隼人。うむ。しかし上の御仁心で、昨日から粥を下されてゐる。頂戴してゐるだらうな?

三右衛門。はい、頂戴してをります。

勘蔵。しかしお殿さま、かうして四五千人以上ゐるところへ、少しくらゐの粥を頂戴しても、とても皆には行き渡りません、それに、百姓の腹は、食ひふくらせてゐますから、粥などでは、とても腹の虫が承知しません。

隼人。なるほど、そうだらうな、しかし、お前達がこうしてお上に逆つて徒党を組んで一揆を起してゐても、お上では御仁心をもつてお粥を下されるのだ。その点をよく咬みわけねばならぬぞ。

三右衛門。はい、はい、有りがたいことでござります。

勘蔵。どうせ下さるものなら、かう硬いお米の御飯の方が結構でござりますな、御本家さまのお蔵には、御分家さまと違ふて、随分なお年貢米が上ることでござりませうからな。

隼人。(微笑つて)そうどこまでも増長しては困るな、(間。厳粛に)時にはお前達も名をきいて知つてゐるだらうが、御分家の家老、尾田隼人だ。(じつと見廻す)

三右衛門。はい、はい。

   一同、恭しく頭を下げる。

隼人。お前達は、どこの村のものか?

三右衛門。(ハッとして)は、はい。

隼人。いや、俺はお前達を吟味してゐるのではないぞ、たゝきいてみたばかりのことだ。実は(と顔を近づけて)お前達に折入つて取計つて貰ひたいことがあるが、どうであらう? かう見ると、お前達は一揆の中でも年寄株のやうに思はれる。一つこの三人のものが奔走して、一同を帰村させるやうにしてくれないか? 褒美はやるぞ。

三右衛門。はい、はい、それはもう、できますことならすぐにも帰村するやうに致したいのでござりまするが、(磧の方を指差して)あの通り、村々から何千人となく押しかけてまゐつてをりますので、顔も見知らぬ、また名も知らぬものばかりでございますから、私共の一存ではとてもそんなことはむつかしいと存じます。

隼人。(憂鬱に)うむ、それはその通りだらうな、では、お前達の力には及ばぬと云ふのか?

三右衛門。はい、さやうでござります。

隼人。(暗い顔をあげて、吐息をしながら)うむ、(間)それならば、今度の強訴について、頭目となつて働いたものがあるだらうな? それを教へてくれないか。(やゝ強く)それはお前達ではないのか?

三右衛門。(驚いて)ど、どういたしまして、決して、私共ではござりません、私共は、たゞ人から狩りたてられてまゐつたものでござります。

隼人。うむ、では一たい、今度の頭目になつたものは、だれとだれぢや? 名をきかしてくれないか?

三右衛門。はい、それがわかつてをりましたら、すぐにもお聞かせするのでござりますが、何分にもたゞワイワイと騒いでまゐつたのでござりますから、だれが頭目やら音頭取りやら、さつぱり分らんのでござります。

隼人。(急に威嚇的に)そうではあるまい。お前達はお互ひに匿し合つてゐるのだらう? もしさうであれば、後々のためにならぬぞ。

三右衛門。(オドオドして)滅相もない、匿すなどのことは決してござりません、それはもう私共は何んにも知らんのでござります。(一同を振り向いて)な、勘蔵さん、文吉さん。

勘蔵。さうとも、さうとも、お殿さま、私共は何も知らんのでござります。

隼人。うむ、知らぬと云へば仕方がない。(やゝ久しく考へて)、それではどうだ、決して全部とは云はぬ。お前の知り合ひのものゝゐる村々で、十箇村ばかりのものを申し合せて帰村させるやうにしてくれないか?(一同を見廻して)、どうだ、(声を低くして)これは内々だが、もしその通りに取計つてくれたら、俺からきつと褒美をやるぞ。いや、俺の手でできることなら、何んでも申し出ろ、きつとかなへてやるぞ。

勘蔵。(三右衛門に)知り合ひの村十箇村くらひなら、でけないこともないな、三右衛門さん?

隼人。(勘蔵を力つけるやうに)うむ、十箇村くらゐなら、お前達一同の手で何んとかできるであらう?それが成就すれば、褒美の品は望み次第だ。

三右衛門。外ならぬ御家老さまが直々私共土百姓にこれまでおたのみになるのは、よくよくのことぢやと存じますから、一万人近くのものはとてもなんともでけませんが、十箇村くらひならなんとか骨を折つてみますでござります。しかしお殿さま、たとひ帰村はいたしますが、私共のお願の筋は、いかになるものでございませうな?

隼人。(気軽に)願の筋か、それはお前達が帰村した後に、きつと詮議してやる。これは尾田隼人、お前達一同に約束しておかう。

勘蔵。(感心して)云ふても御家老さまぢや、一度御約束になれば間違ひない。それは一切このお殿さまに任して置いたらどうぢや。

隼人。(うなづいて)うむ、よく云つた。それは俺に任せておいてくれ、(胸を叩いて)万事、こゝにある。そして明朝それだけのものを帰村させるやう、今晩中に取計つてくれ、そして今晩俺の館まで知らせてくれ。

三右衛門。承知いたしましてございます。

勘蔵。それはきつと取計ひますでござりますが御家老さま、(ちよつと頭に手をやつて)その御褒美と云ふのは、一たいどんな御褒美でござりますか? それをちよつとどうか。

隼人。(微笑つて)それは望み次第お云つたではないか、そしてどう云ふものが望みだ?

勘蔵。なあに、貧乏をしてをりますので、やはり花より団子でござります。(一同を振り返つて)な、そうではないか?

    一同、黙つてうなづく。

隼人。うむ、それでは、金子十両に、米三十俵をやらう。

勘蔵。(驚いて)やあ、こいつあ豪気だ、金子十両に、米三十俵!(ちよつと考へて)それはあの、一同の中へそれだけでござりませうな?

隼人。そうではない、ここにゐるもの一人にそれだけづゝだ。

勘蔵。(呆れて)やあ、一人にそれだけづつ! どうぢや、皆の衆、きいたかい?

 隼人。それに、帰村をした百姓達の名前を調べて差出すやうにしてくれ、そのものへは、一戸について金子一両、米二俵づつを与へる。

勘蔵。(感嘆して)これは、これは、行き届いたことぢや、(お叩頭をして)御家老さま、ありがたう存じます。

文吉。御家老さま。

隼人。(快活に)なんだ?

文吉。私は、あのいつも御家中の方々がおつけになつてをります、袴と云ふものがつけて見たうござりますが、あれは百姓にはつけてならんものでござりますか?

隼人。うむ、苗字帯刀、上下の着用は士分ではないと許されてゐない、しかし、町人百姓と雖もお上で特に許されることもある。

文吉。はい、私は帯刀などは恐ろしいやうに思はれますが、一度あの袴と云ふものをつけて見たいと存じます。御家老さまは褒美を何んなりとも望めと云はれましたが、私共一同にあの袴をつけることを許して戴きたいと存じますが。……(恐る恐る隼人の顔を見る)

隼人。(うなづいて)よろしい許してやらう。

文吉。(とびあがるやうによろこんで)おゝ、許して下さりますか?

隼人。うむ、許してやるぞ、その代り、帰村の奔走をしつかりやれよ。

文吉。(叩頭して)へえ、へえ、それはもう十分やりますでござります。(他の二人に)どうぢや、俺達は家中のお侍のやうに袴がつけられるぞ!

三右衛門。(うれしそうに)は、は、は、村へかへつたら、袴をつけたお侍か、は、は、は、は、は。

 一同。(同じくうれしそうに)は、は、は、は。

(幕)


第十二景  八幡河原土堤

     正面河を隔てて、宇和島市街の遠景。
     石地蔵、枯薄。

尾田隼人、若党一人を伴つて、右手より出て来る。

隼人。(若党に)意外にうまく行つた、土百姓なんて奴は馬鹿なものさ、しかしまあ、十箇村でも帰村することにさせたと云つて、本家の御大老に申出でたら、俺の顔はどうにか立つだらうな。

若党。さやうでございますとも、こゝんとこをどうにかお申訳をなされたらそれでよろしふござりますよ。

隼人。(前方を見て)やあ、安藤の奴が来たぞ、あれはどうも安藤らしい。 

若党。なるほど、安藤様でござりますな。

隼人。彼奴、八幡河原へ行くつもりだらうが、きつと俺達に、それ見たことかと云ふやうな顔をするに違ひない、(考へて)待て待て、そんな顔をされるのも業腹だ、一つ先手を打つてやらう。

     安藤義太夫、若党千右衛門に挟箱を持たして現はれる。

隼人。やあ、安藤君、どちらへ?

義太夫。うむ、尾田君でしたか、私はやつと只今着島いたしました。あちらで少しく手間取れましたので。

隼人。なるほど、それは御苦労でした。(皮肉に)しかし、不幸にして君の一命を抛つ機会もなくなつてお気の毒ですな。

義太夫。(不思議そうに)はあ?

隼人。いや、君のいつも望んでゐられる、一旦緩急ある場合に身命を抛つと云ふ、その絶好の機会が去つてしまつてお気の毒だと云ふのですよ。

義太夫。それはどう云ふ意味ですか、尾田氏。

隼人。なあに、一揆の百姓共は、私の命で明朝から続々と帰村することにさせましたよ。

義太夫。(意外な顔をして)は、はあ、(考へて)それは何よりも結構なことです。御当家のために何よりも悦ばしいことです。(俯向いてまだ考へながら、頭を下げて)御尽力のほどお礼申します。

隼人。なあに、お家のためだ、礼を云はれる筋合ではない。で、君はどこへ行かれるのかね?

義太夫。いや、百姓共が八幡河原に屯してゐると、きゝましたので。……

隼人。そこへ行かれるのかね?

義太夫。そうです。そのつもりで来たのですが。(考へて)では、百姓共の願意は御本家でゝもお取上げになつたのでせうか。

隼人。いや、村民共の強訴を取上げては御上の御威光にも拘はるからね。しかし、家中からはもうだれも行く用事はないが、まあ一度、見学のために行つてみてもいゝね、実に見物だ。却々百姓もばかにはならん、いや、この点だけは君の日頃の見識に敬服する。

義太夫。(やゝしばらく無言)では、とにかくも見学して来ませう。

隼人。うむ、さうしたまへ、ではさよなら。(行く)

義太夫。これは御苦労さまでした。(じつと隼人の後姿を見送つて、小首をかしげる、そして呟く)妙なこともあるものだな?………

千右衛門。旦那様、あれはどうも嘘らしうございますぞ。

義太夫。(頭を振つて)いやいや、いやしくもお家の大事だ。いくら尾田氏でもそんなことに嘘はつくまい。(また考へて)しかし、あれほど猛つてゐた百姓共が、願意も御聴許にならないのにあの尾田氏の言葉で引上げて帰村する訳がないと思ふがな。

千右衛門。でございますから旦那さま、あの尾田様の云はれることは、あれはいゝかげんな出鱈目でございますよ。

義太夫。まあ行つてみることにしやう。(考へ、考へ、左手へはいる)

                                                                       (幕)


第十三景  宇和島城下、八幡河原

     舞台第十一景に同じ。
     蓑笠を着た百姓達大勢、堤の下に集つてゐる。
     安藤義太夫、堤の上に腰をかけてゐる。

義太夫。(百姓達に)お前達をこゝへ呼んだのは別儀ではない、只今、御当家の御家老尾田隼人殿から承つたのだが、お前達は尾田殿の御言葉によつて、明朝早々こゝを引上げて帰村すると云ふことであるが、確かにそうであるか?

百姓達。
――――なんでござりますつて?
――――尾田殿のお言葉で帰村をする? だれがそんなことを申しましたのぢや、埒もない!
――――尾田殿と云へば、吉田のお役人でござりませんか? 一たい、わし共は吉田のお役人などの云ふことをきゝにきたんぢやござりません。吉田のお役人の云ふことなら、吉田へ行つてきゝますからな。
――――そうぢや、そうぢや、何もわざわざこんな宇和島まで来やせん!
――――安藤のお殿さま、狐につまゝれとんなはるのぢや!
――――あ、はッ、はッ、はッ。
――――あ、はッ、はッ、はッ。

     笑声、ドツと起る。

義太夫。(憂鬱に考へながら)うむ、しかし、いやしくも吉田三万石の二家老尾田隼人殿の云はれることだ。根も葉もない虚言ではあるまいと思ふ。(間)それではお前達の中で、何かそれに似たやうな、心あたりのことはないか? 尾田殿へ明朝帰村すると約束したものはゐないか?

百姓達。
――――冗談云ふのはやめて貰ひませうかい! こゝにゐる八十三箇村の百姓で、そんなものは一人もゐませんぞ!
――――腹を減らして、雨に叩かれて、三日三晩も艱難辛苦してゐながら、願の筋何一つきいてもらはずに、おめおめと村へかへれますかい!
――――百姓でも男には睾丸がついてゐますぞ!
――――きいて貰へなければ、八幡河原で討死しますわい!
――――そしたら吉田領にあ一揆も起らずに結構でござりませうなあ!
――――米も取り上げる世話もいりませんわい!
――――紙の抜荷を押へる厄介もかゝりませんわい!
――――みんな吉田のお役人さんにお願ひしませうかい!
――――大小差して田植をして貰ひませうかい!
――――上下つけて紙漉きして貰ひませうかい!
――――そしたら米が取れるやろ!
――――えゝ紙が漉けるやろ!
――――あ、はッ、はッ、はッ、は。
――――あ、はッ、はッ、はッ、は。

     笑声、ドッと起る。

義太夫。(顔を赤くして、顫へた声で)お前達の云ふことに、決して嘘はない。実にその通りだ。わしは今更ら恥しくなつた。(じつと俯向いて、間)では、尾田殿の云はれたことは、どうも信じられないな、(しばらく考へた後、百姓達を見廻して)しかしわしは、お前達に恥を忍んでも一度きく、では、尾田殿に、明朝帰村すると約束したものは、こゝには一人ゐないのだね?。……

百姓達。
――――そんなこと、幾べんきいても同じことぢや!
――――まあ吉田へ帰つて、味噌汁で顔でも洗ふて出なほして来るんぢや!

    突然、百姓達の中から、一人の百姓立ちあがる。

百姓の一。(手をひろげて)待つてくれ! ちよつと待つてくれ! 俺ら今、あの殿さまの話で思ひ出したんだが、先刻のこと、この堤の下で、立派なお侍と四五人の百姓が話をしてゐるのを見たが、あれが尾田の御家老さまぢやなかつたのか? それだと、この百姓の中で、そんなことを約束した奴がゐるんだぞ! 俺達を裏切つて、明朝村へかへるなどと、吉田の役人に約束した奴がゐるんだぞ!

    更らに一人の百姓、起ちあがる。

百姓の二。うむ、俺らも見た! 俺ら、其奴の顔を知つてゐる!

百姓達。
――――知つてゐるなら引ずり出せ!
――――太え野郎ぢや! 引ずり出せ!
――――腰抜け野郎、打つくらわせ!
――――裏切者だ! 叩きのめせ!
――――踏ん殺せ!

百姓の二。(グルリと見廻す)うむ、彼奴だ! 彼奴だ! あの俯向いて笠で顔をかくしてゐる野郎だ!

百姓達。
――――此奴か?
――――この野郎か?

百姓の二。うむ、其奴だ! 其奴だ!

勘蔵、大勢に引ずられて来る。

 勘蔵。(大勢にコヅき廻はされながら)うむ、俺だ! 俺だ! 俺が尾田の御家老さまと約束したんだ!しかし待つてくれ! 待つてくれ! 云ふことがある! 云ふことがある!

百姓達。
――――おい、待つてやれ! 待つてやれ! 云ふことがあると云つてるから、云はしてやれ!
――――何を云はすんぢや、裏切者に何を云はすんぢや!

勘蔵。(もがきながら)云はしてくれ! 云はしてくれ! 云はしてくれ!

百姓達。
――――云はしてやれ! 同じ百姓ぢや!
――――さうぢや、さうぢや! 何か訳があるらしい!
――――云はしてやれ!
――――云はしてやれ!

     百姓達、勘蔵の体から手を放す。

勘蔵。(グルリと見廻はして、お叩頭する)

     百姓達、ドッと笑ふ。

勘蔵。皆の衆、俺が悪かつた、許してくれ! 俺ら、家に七十になつたお母ァがゐるのぢや、(泣声になる)そして子供が十二人もあるのぢや! 俺はこゝで粥をもらふて食ふてゐるが、家にゐる奴は一昨日から何を食ふてゐるかと思ふて。……(はげしく泣く)

百姓達。
――――おゝ、わかつた!
――――わかつた!
――――だれでも同んなじぢや!
――――みんな一緒ぢや!
――――泣くな!
――――泣くな!
――――許してやるぞ!
――――許してやるぞ!

勘蔵。許してくれるか、ありがたい!(悲痛な顔をあげて、大声で)俺ら、もうこゝで死んでも動かねえぞ!

     喚声、拍手、ワーツとあげる。

勘蔵。(振り向いて、義太夫に)おい、御家老さん! お前さんは不忠義者ぢやぞ! お前さんはあの尾田の御家老さんが折角内々で俺達をソッと村へかへるやうに企らんで置かれたのを、お前さんは後からまぜつ返へしに来たんぢやな?(迫るやうに)一体、吉田のお殿さまは、百姓がいつまでもこゝにこうしてゐることを望んでゐられるのか? 尾田の御家老さんは忠義者ぢや、ちやんと俺らに内々でたのんで行かれた。それをお前さんは掻き廻しに来たのぢや、俺らは百姓ぢやから、願の筋が通らんのに、ほかのものを出し抜いて己ればかり村へ帰るのは悪い、それで俺はあやまつたのぢや。しかし御家老さん、お前さんは吉田の御役人ぢや、百姓のためにようても悪ふても、お殿さまのためにたとへ一人でも二人でも百姓を村へ帰へすのが忠義ぢや、尾田さまは大忠義者ぢやぞ! それに引かへて、お前は不忠者ぢや!(はげしく、狂ほしく叫ぶ)大不忠義者! 不忠義者! やあい、大不忠者!

義太夫、先刻から、じつと俯向いてゐたが、堪へられなくて、そつと立ちあがる。そして悄然として去る。

百姓達の声。
――――吉田狐が尾を出した!
――――皮を剥がれた!
――――吉田狐は大小さして、
――――上下つけて、
――――その上大きな提燈さげる!
――――あ、はッ、はッ、はッ、は。
――――あ、はッ、はッ、はッ、は。

     一同、後姿に向つて、ドッと笑ふ。

     六三、堤の上にとびあがる。

六三。(昂奮した口調で)皆の衆、だめだ! だめだ! 吉田の役人の腸は腐り切つてゐる。俺ら今更らあの狐共に何を云ふつもりもないが、宇和島の役人もやつぱり同じ役人だ。俺達がもう三日もこゝでこうしてゐるのに、彼奴等は知らん顔して空嘯いてゐる。いや、あの尾田や安藤などの吉田狐が、まだこの上俺達を瞞さうと企らんでゐやがる! さあ、もう俺達は承知がならねえ、おい、皆の衆、俺達はいつまでこんな河原の中で雨にうたれて薄ぼんやりと待つてゐるんだ。お前達は宇和島の河原のまん中で間抜面をさらしてゐるために、あんな大騒ぎをして村からやつて来たのか? そして宇和島の殿さんが蔵の隅に鼠糞と一緒に取り残つてゐた虫蝕米のお粥を貰つて御仁心だなんぞと喜んでゐるのか? なんぼ百姓が人が好いからつて、あんまり好すぎて涙がこぼれらア!(強く)おい兄弟! 出かけよう! これから(川上の天守閣をさして)あの城へのりこんで行つて、俺達はあの城を枕に討死にするか、吉田領一万人の百姓が浮びあがるか、二つに一つの勝負をやらう!

百姓達の声。
――――うむ、勝負をやらう!
――――勝負をやらう!
――――城へ行け!
――――城へ行け!
――――城を枕ぢや!
――――河原で飢へ死ぬよりましぢや!
――――城へ行け!
――――城へ行け!

六三、いきなり、そばにあつた蓆旗を引き抜いて打ち振る。

六三。やあい、皆の兄弟、城へ行くんだ! 城へ行くんだ! 城へ行つて討死するんだ!

鬨の声、一斉にあがる。半鐘、太鼓、竹法螺鳴り渡る。

善六。堤の上にとびあがつて何か云ふ、しかしだれにも聴えない。

百姓達の声。
――――城へ行け!
――――城へ行け!
――――城へ行け!

    鬨の声、鳴物の喧騒裡に。…………

(幕)


第十四景  宇和島城大手門

正面鋼鉄張りの大門、左右は城壁。天守閣、本丸等の甍、高く聳えてゐる。

遠くに、鬨の声、鐘、太鼓、竹法螺、鉄砲の音、侍二三人、左手から現はれて、慌しく門内にかけている。

     鬨の声、刻々近づく。   

     町人二三人、左手から足早に門前を通り過ぎる。

町人の一。とうとう町の中へ暴れこみましたなあ。

町人の二。さあ、物騒なことでござりますなあ、早く何とかお取計ひがあれば、こんなこともなかつたと思ひますがなあ。

町人の三。あの雨の降る河原で三日も待たせられたら、だれでもやけを起しますわいな。

町人の一。大手御門の方へ押しかけて来るらしうございまするな。

町人の二。あの一万人近い百姓が、ここへ押しかけて来たら、お城の方でも、とても黙つてはをりますまし、そしたら大きな騒ぎになりませうな。

町人の三。御大老の桜田様は大へんの出来物ぢやときいてゐましたが、これでは案外芸のない仁と見えますな。

町人の一。ほい! あんまり大きい声を出さぬもの、それにもうそこへ旗を立てて来ましたぞ。

町人の二。町人の三。(首をちぢめて)おゝ、恐い! 怪我のない中、早ふ行きませう。

三人去る。

百姓達、蓆旗を翳した六三を先頭に、鳴入を乱打して、鬨の声をあげて殺到して来る。

大目附須藤弾右衛門、郡代徳弘弘人、須藤源右衛門、城代組代宮二宮和右衛門、郷中吟味役鹿村覚右衛門、吉田藩家老尾田隼人、若年寄郷六恵左衛門、その他足軽五十人あまり、大門より威容を作つて出て来る。

覚右衛門。(大音に)百姓共、控へろ!  控へろ! 大目附役の御前ぢやぞ。

六三。(同じく大音で)大目附も米つきもねえ! 俺達を河原で干し殺しにするのか?

覚右衛門。うむ、それは、これからまゐるところぢや。

六三。まゐるなら、早くまゐつてくれ! 俺達はもう我慢がならないんだ!

覚右衛門。河原へかへつて、神妙に待つてゐろ!

六三。乞食ぢやあるまいし、河原に俺達の家はないからここへ来たんだ、云ふことがあるならここできかせて貰はう。

徳弘弘人。(前へ出て)然らばここで申渡してやらう。お前達の願の筋はお聴き届けになつたぞ、只今一同に申渡書を読み聴かせる。故に早々帰村をして農業に励め!

六三。(胡散臭さうに)まあその申渡書とかを読みきかせて貰はう。それからのことだ。

覚右衛門、書付を手にして進み出る。足軽の持つて来た腰掛の上にのる。  

一同沈まり返へつて緊張する。

覚右衛門。(読む)――――
予て其方等願の筋の廉々。左の通り心得ふべし。
一、紙役所、去冬の楮元銀は、当春の漉出紙売渡の代銀を以て返上申付らる筈の事。
一、楮売買の儀、前々通り申付らる筈の事。
一、紙売買は諸人に申付らる筈の事。
一、米、地払、切、四斗、但、為登米は一升五合。
一、大豆、銀納、直段の事、但、年々宇城へ御相談の事。
一、大豆、干缺指入の事。
一、小物成納物、桝目掛目の事。
一、青引納方、掛目の事。
一、紙方借銀古借年賦の事。
 是は五ヵ年の間延引其の相対なすべき筈の事。
一、夫食米の事。
 是は見斗申付べき筈の事。

其他
一、御用紙の事。
一、江戸へ進物の事。
一、江戸夫、地夫の事。
一、庄屋、野役の事。
一、材木出夫の事。
一、側家中、頼母子無尽の事。
一、酒、禁盃の事。
右願出の条々聴届け、夫々掛り合へ申付くるもの也。

寛政五年巳春二月十五日
伊達能登守藤原朝臣村賢
      百姓共へ

覚右衛門読み終つて、書付をひるがへして、百姓達へぐるりと廻して八方へ見せる。

歓呼の声、一斉にあがる。

声の沈まるのを見て徳弘弘人、腰掛の前にあがる。

弘人。(ずつと百姓達を見廻して)かく御上に御聴届けがあつた上は、お前達は早々帰村せなければならぬ。数日にわたり多人数滞在するは容易ならざることぢや、吉田はもとより、当地に於ても寝食を忘れて心痛してゐるのぢや。殊に御上に於かれても、一方ならず御憂慮遊ばされてゐる。かく永々と滞留いたしてゐては、他国の批評もあり、取り分けて公儀よりいかなる御咎めがあるとも計り難い。ここを得と勘弁して、早々帰村せよ。一たい、お前達は当地にまゐつて、八幡河原に集つたきり、一冊の願書も出さない、それでは御上で詮議の仕様がないではないか。

百姓達の呟く声。
――――願書を出せば、出したものが首を斬られますぞ!
――――そんなもの出さなくても、御上で解つてゐる筈ぢや!
――――願書は土居式部殿や樽屋与兵衛殿がお作りになつたのをごらんになれば分つてゐます!

弘人。それで漸く昨朝、かねて近江口にて願書を出さんとしたるものあるを知り、その中の数人のものを呼び出して詮議したのぢや。いや、この際、願書を出したからと申して決して罪は問はぬ。その義は当人達へも申し置いた。(急に厳粛、悲壮の声で)それにお前達に特に申渡すことがある。吉田の御家老安藤義太夫殿は、今日のこと御憂慮のあまり、且つ家臣たるものの責を一身にお引受けになつて、今日、八幡河原川下にて御自害なされた。(一際声をあげて)お前達、これを何と心得へるのぢや!

百姓達、やや緊張して互ひに囁き合ふ声。
――――あんまり悪口をつかれたからぢやな?
――――百姓に悪口吐かれて口惜しくてたまらなんだのぢやな?
――――割り合に正直な仁ぢや。
――――吉田狐の中では人間らしい仁ぢや。

弘人。故に、お前達がこの上ここに滞在することであれば、公儀からいかなるお咎めがあるかも知れぬ。いや、吉田三万石のお家はいかがなり行くか知れぬ。

百姓達の呟く声。
――――お家の断絶が恐しいわい。
――――百姓共より身が可愛いわい。
――――浪人になるのが恐しいわい。

弘人。さあ、訳がわかつたら、これから直ちに帰村するのぢや、帰村は分れ分れがえゝぞ、山奥川筋が一団、三間が一団、吉田近在、海辺が一団となり、旗鳴り物は一切停止、慎んで帰路につくのぢや、(声張りあげて)お届けの趣は、追つて吉田表郡役所から村々へ廻文をもつて知らせてやるぞ!

     百姓達、一斉に歓呼の声をあげる。太鼓、鐘乱打。


弘人。(あわてて)ア、これァ、これァ、安藤殿が御切腹になつたと申聴せたではないか…

(幕)


第十五景  山奥境、躑躅峠

     如月十五日の月光、蒼白く照る。

     正面、雪を戴いた山脈重畳。

     落葉樹さびしくそそり立ち、枯躑躅、枯芝あたりを掩ふ。

     遠くに野猿の啼く声。

     前場より一年後、寛政六年、二月十五日夜。

武左衛門、両手を縛られ、御徒士目付西村善右衛門、徒士岡部二郎九郎その他十数人に引立てられて来る。

足軽の一。(背後から武左衛門の腰を蹴る)えい、坐れ。

武左衛門。(ぐつと役人をにらみつけて)蹴るには及ばぬ、坐れと云へば坐るわい。(静かに枯芝の上に坐る。そして観念の眼を瞑ぢる)

善右衛門。武左衛門、其方が昨年一揆の際の頭取と云ふことが明らかになつた。神妙に仕置を受けろ。

二郎九郎。それを探り出したのは俺の手柄だ。俺が井川普請のため山奥へ出張した時、大きい岩があつて動かなかつた。するとある夫役に来た百姓が、武左衛門さんの力をかりて来い、吉田領一万人の百姓を持上げた人だ、この岩を持ちあげるくらゐのことは何んでもないと口を辷らせた。俺達は一揆の頭取吟味の内命を受けて夫々苦心して探索中であつたから、早速其奴に酒をのませて大酔させ、悉く実を吐かせた、先方はしきりに其方の器量を称賛して、すつかり何もかも喋つてしまつた。頭取は其方、副頭取は是房村の善六だと云ふことだ。それに相違あるまい。

武左衛門。わしが頭取ぢや、わしの他にたれも談合したものはをらぬ、みんなわしが先きに立つてやつたことぢや。仕置するならわし一人をせ。

善右衛門。うむ、土百姓ながらあつぱれの心がけぢや。さう申すからには、他の同類はとても白状すまい、其奴等は追つて召捕つて仕置する。武左衛門、其方の大罪はのがれぬ。今夜この処で首を打つぞ。

武左衛門。斬るまでもない、わしは一年前に、もうちやんと妻子に水盃がしてある。いつどこで殺されてもわしの覚悟はきまつてゐる。さあ、早くわしの首を打て。

善右衛門。いかにもえゝ覚悟ぢや、さすがに其方は器量人ぢや、むざむざ殺すは惜しいと思ふが法の表がある。覚悟をせ。何か申置くことがあれば聴いてやるぞ。

武左衛門。この期にのぞんで申置くことは一言もない、わしは吉田領一万人のために死ぬと思へば嬉しうてたまらぬわい、これから生き伸びてゐても、僅か二十年か三十年ぢや、凡々と畳の上で死ぬよりも、(あたりを見廻して)この躑躅が峠に血を染めて死ぬ方が、どのくらゐ死に映えがするか知れぬ、わしはお前達にお礼を云ふぞ。

善右衛門。うむ、益々大きく出をるわい、いや、それでこそ諸人を救つた上大野村の武左衛門ぢや、(足軽共に)こら、用意をしろ!

武左衛門。しかしその前に、わしはお前達にきくことがある。

善右衛門。なに、きくことがある。うむ、きくことがあるなら何なりともきいて見よ。

武左衛門。うむ、外でもない、それほど罪状明白ならば、今夜わしを召捕る時、なぜ堂々と御用の提灯をつけ、表口から叱咤の声をかけてはいつて来なかつた? かりにも徒党を組んで一揆を起し、上に強訴した百姓の頭目を召捕るに何んの遠慮がある。それに何ぞや裏口からこつそりと夜陰に、「武左衛門さん、一寸」などと女人にもひとしい呼出しをかけて、暗の中で召捕るとは卑怯千万ぢや。ましてや堂々と表向きに諸人環視の前で後々の見せしめに磔にするとか、打首にするとか、思ふ存分のことをせず、内々にここへ引出してひそかに打首にするとは何事ぢや。お前達は何を恐れてそんな卑怯な真似をする! 世の多くのわしと同様の罪を犯したもの達は、諸人の前でみんな磔になつたではないか? この武左衛門に、お前達は何を恐れてそうせないのぢや? そないにわしがこわいか? そないに吉田領の百姓が恐ろしいか?(愉快げに)あ、は、は、は、は、時代は来た! 新しい時代は来た! お前達の没落する時代が来たのぢや! おゝ、お前達のその眼の脅へてゐるのを見よ! おゝ、お前達は慄へてゐるな? あ、は、は、は、は。

折柄、麓の方で、一斉にあがる鬨の声、半鐘、太鼓、竹法螺の音。

善右衛門。(びつくりして)おゝ、あの物音は?

二郎九郎。百姓共が押し寄せてまゐつたのぢやござりませんか?

善右衛門。正しくさうぢや、(あわてて、足軽達に)おい、こら、早く此奴の首を打て!

武左衛門。百姓の生命を、夜盗のやうな醜い態をして盗みたいのか? さあ、切れ、切らしてやらう!お前達の振りあげるその刀は、やがてお前達の首に向ふのぢや!


足軽の一人、刀を振りあげる。が、かけ声ばかりで、刻々に迫つて来る鬨の声に脅へて、全身を顫はせながらまごまごする。

武左衛門。(肩を振つて)早う切らんか、何をそないに愚図ついてゐるのぢや、何が恐いのぢや? 何が怖しいのぢや? うむ、あの近づいて来る鬨の声が怖いのか、あの鬨の声が恐しいのか、あの野を轟かせ、山に動揺もして近づいて来る鬨の声は、お前達が刀を翳してそうして立つてる限り、いつの世までもつづいて襲つて来るぞ! 可哀想な奴共よ! 盲ひた蛇よ! お前達にはまだその道理がわからぬと見えるわい。あ、は、は、は、は。

善右衛門。(刀を抜いて躍りかかる)其処退け、俺がぶち切つてやる!

突然、凄しい鉄砲の音、つづいて間近に鬨の声。

善右衛門、ひよろ、ひよろしながら、武左衛門の傍へ行つて、不髄病者のやうに刀を振りあげる。

 武左衛門。あ、は、は、は、は、お前も恐いのか? お前も怖しいのか? あ、は、は、は、は。

善右衛門の「エイッ」と叫ぶかけ声で。

(幕)

――――終――――

一九二七、五、二、稿


後書 神崎朋幸(中西伊之助宇治顕彰会事務局次長) 2010年9月

 「戯曲武左衛門一揆」の舞台は現在の愛媛県宇和島市と鬼北町です。中西伊之助研究会では2009年5月に調査旅行を行いました。たいへん長閑な雰囲気の農耕地域ですが、山が急峻で集落同士相当離れており武左衛門が何年もかけて、全集落を回って、説得を行い、来る日のための準備を行った背景がよく分かりました。武左衛門の墓は銀杏の大木の横にしっかりと建立されておりました。しかし、観光客はほとんど訪れるような雰囲気の場所ではありませんでした。郷土史研究者によりますと、武左衛門の子孫が名乗り出たのは戦後、随分経ってからのことだそうで、謀反人また、謀反人の子孫ということがそれほど後の世まで影響するものなのかと、考えさせられました。宇和島市吉田町は伊予吉田藩の陣屋が在ったところで、町は川に挟まれた自然の要塞の中にあり、法花津屋の遺構もあり、歴史を偲ばせる場所です。その中に安藤継明を祀る安藤神社があり、広い境内に立派な社が建っており武士階級と農民階級の扱いの違いを感じさせられました。中西伊之助は安藤継明の行動に動かされて、この戯曲を執筆したそうです。中西伊之助は最終学歴が東京の旧制大成中学卒業であると思われますが、彼の知識はたいへん博学で現代では死語になりつつある「苦学」して勉強し、古今東西の知識を得たのだと思います。その内容は深く、研究者でも浄瑠璃の部分は理解しがたい部分があるとのことです。本来、この作品は映画に向いているのでしょうが、戯曲でその香高い物語を味わえることは幸せです。
「あがた祭り」は京都府宇治市に現在も続く祭りで、毎年6月5日に行われ深夜に電灯を消して梵天という、男性を表した飾りを遣り回し、川を渡る祭りです。ただし、現代では川を渡る儀式は行われておりません。この祭りに各地から数万人の観光客が宇治の旧地域に集まり当日はたいへん賑わいます。娯楽の少なかった昔、地域の人々がこの祭りを如何に期待していたかが、本文を読んでいただいて理解していただけたと思います。宇治市は源氏物語宇治十帖をまちおこしの中心において、世界遺産の宇治平等院と宇治上神社・黄檗宗総本山黄檗山万福寺・三室戸寺・生長の家宇治別格本山など多くの観光・宗教施設があり全国全世界から数多くの観光客が一年中この地を訪れます。この愛すべき美しい郷土を幾久しく見守って行きたいものです。

中西伊之助研究会で武左衛門一揆を調査2009年5月 前列中央が神崎



編集後記  水谷 修
 この戯曲は、神崎朋幸氏が出版しようと準備されていたが、私どもの力不足で出版することができなかった。
 今般、『新・プロレタリア文学精選集 6  武左衛門一揆』(浦西和彦監修・ゆまに書房)を復刻し本サイトで公開するものである。
 編集技術の未熟さゆえ、段組が元通りにできていないなど不備も多いが、ご勘弁願いたい。
 多くの人に中西伊之助を知っていただきたい。中西作品を読んでいただきたいますと考えた次第だ。
 伊之助は亡くなる前年、1957年11月、農民一揆を題材にした『筑紫野写生帳』(最後の作品)を脱稿した。伊之助は日本における政治革新の道を探求するために、農民一揆を研究していた。『筑紫野写生帳』と「戯曲 武左衛門一揆」は、その集大成だろう。
 『筑紫写生帳』で「啐琢《三一新書版では砕啄》」という言葉を使い、農民一揆を成功させるタイミングについて次のように説いている。
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 その時期というのは、打てば響くように、待ってましたとばか決起する時がある。それには「砕啄」という、仏語だろうが戦国時代に武将の間でよく取り交わされたことばがある。二十日間卵子をあたためていた母鶏が卵子の中の雛が十分成長したのを見きわめて、殻を嘴(くちばし)でぽんと啄(つつ)いてやると、雛が殻を砕いてとび出すのであるが、この母鶏と雛の呼吸のぴったり合うところまで来ないと、百姓は決起しない。
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小生は『武左衛門一揆』『筑紫野写生帳』に中西伊之助の社会変革にかけ情熱を感じる。

武左衛門の墓で水谷

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