英国風パブHUB社長 太田剛さん
太田剛(オオタツヨシ)…1961年兵庫県神戸市生まれ。大阪経済大学経営学部卒業後、ダイエーの子会社だった(旧)株式会社ハブに入社。
98年に現在の株式会社ハブが設立され、取締役営業本部長等を経て、
2009年に代表取締役社長に就任。
#1 ずっと会いたかった友達
で大学で同じクラスだった久保田譲くん(30年前のエスビー食品陸上競技部員交通死亡事故で一命を取りめた)に奇跡的に34年ぶりに連絡がとれたわけだが、この話にはもう一つの奇跡が起こりました。
大学生時代の僕のもう一つの学校は、渋谷、六本木、新宿いわゆる夜の街が僕の学校だった。
その中でも渋谷はメイン校で、ほぼ毎日通っていた。
ルーティーンはまず公園通りを上りハンズ方面へ入った右手の地下、英国風パブHUBへ行きカウンターでトニックウォーターを注文して、そこで友達ができれば一緒にクラブへいく、できなければ、誰か来るのを待つ。
ちょうどディスコがクラブに変わり初めの頃だったと思う。
HUBに行く理由はもう一つあった、それは関西から来たばかりだと言う店長の太田さんに会うため、僕がいくとニヤッと笑って、優しい関西弁で必ず話しかけてくれた、年上の人に覚えてもらうこと、声をかけてもらうことが、とてもうれしかったんだと思う。
その日もいつものようにHUBへ行くと太田さんはいなかった。
少し寂しい思いはしたが、できたばかりのクラブ「J TRIP BAR」へ行くから気持ちは切り替わった。
地下2階のお店に入ると、今までにはない、大人のクラブという感じ、ドリンクを頼み、全体を見渡せる場所を探した。
ここがいいな〜と思った場所にはもう先客がいた、今日はHUBで会えないと思ってた太田さんが壁に寄りかかっていた。
声をかけると、いつもの関西弁で「ここが全体が見渡せていい場所だぞ」と教えてくれた。
クラブで全体を見渡せる場所の確保は大切と太田さんに教えてもらった(笑)
いつもとは違う場所で2人で壁に寄りかかって話せたことは僕にとってはとてもカッコ良くて大人になった気持ちで新鮮だった。
その日を境に店長と客ではなく、プライベートでも遊んでもらえるようになった。
兄が欲しかった僕にとって太田さんは兄貴のような存在だった。
それから月日が経ち、太田さんがお店を移ったか、辞めたか、僕がブラジルに行ってしまってなのか、会えなくなった理由は覚えていないけど、会いたいけどもう2度と会えないだろう人になってしまった。
奇跡の再会、久保田くんと連絡が取れた日。
久保田くんは現在、報徳学園東京支部の常任幹事をしているそうなのだが、先日の報徳学園東京支部幹事会の写真を見せてもらった時に一瞬目を疑った。
とても太田さんに雰囲気が似た人が写っている。
この人は誰?
と興奮気味に聞くと
「その人は陸上部の先輩で太田剛さん、この写真のお店HUBって言うんだけど今はHUBグループの社長なんだよ!」
しばらく言葉を失ったが、こんなことって起こるんだ!嬉しすぎる!
すぐに連絡先をきいて電話した。
電話に出たのは相変わらずの優しい関西弁、懐かしい、よく見つけてくれたと喜んでくれた、僕の中の兄貴が復活した。
今年の誕生日は忘れられない日になった。
二つの奇跡が34年の歳月を経て起こった。
ちなみに久保田くんと太田さんは報徳学園陸上部東日本支部の副支部長をしているそうだ。
これからも改めて人との出会いを大切に心を込めていこうと誓った。
長文読んでもらってありがとね。