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H・R・ハガード『ソロモン王の洞窟』 秘境冒険小説の古典の消えない楽しさ

 秘境冒険小説数ある中で、後世の作品に様々な影響を与えた古典にしてマスターピースであります。アフリカ奥地に眠るというソロモン王の秘宝を求めて旅立った三人のイギリス人。彼らを待ち受けるのは大自然の脅威と知られざる王国、そして……

 長年にわたりアフリカで暮らしてきたハンターにして貿易商のアラン・クォーターメンがある日出会った二人の英国人男性――長大な体躯の貴族ヘンリー・カーティス卿と、伊達者の海軍士官ジョン・グッド大佐。
 数年前に行方不明になった弟のジョージを探しにやってきたカーティス卿は、アランがジョージとアフリカで出会っていたことを知り、同行して欲しいと依頼をします。そして奇しくも彼の弟が探していたソロモン王の秘宝の地図は、現在アランの手にあったのです。

 これまで数百年に渡り語り継がれながらも誰も手にすることなく、探索者たちは悲惨な末路を辿ってきたソロモン王の秘宝。自分もその一人になることを覚悟しながらも、カーティス卿の約束した報酬を息子に残すため、アランは旅に出る決意を固めます。
 準備を進める中、雇ってほしいとやってきた曰く有りげな現地の青年・ウンボパを加え、旅立った一行。途中の焦熱の砂漠では水不足に苦しみ、極寒の山々では凍死の危険に晒され――ついにたどり着いた目的地で、彼らは幻の王国の人々と出会うのですが……

 今では二つの理由――既に未知の土地は地球上にほぼ想定できないこと、そして「文明人」が「未開の地」で財を成すという帝国主義的性格の物語にならざるを得ないこと――から、既に過去のジャンルとなった感もある秘境冒険小説。
 もちろん、この二つの理由を巧みに避けて描かれた作品は幾多あるものの、控えめにいっても現在かなりマイナーなジャンルであることは、誠に残念ながら事実でしょう。

 その一つの証拠とは言いたくありませんが、このジャンルの代表作である本作の翻訳は、最も手に入りやすかった大久保康雄訳の創元推理文庫版も既に絶版。電子書籍で読めるものは何と昭和3年に平林初之輔が訳したもの(のかな遣いを改めたもの)という状況なのですから。
 しかしもちろん、その状況と内容の面白さは関係ありません。そして実は私も昔読んだものは子供向けの訳で、今回初めて完訳を読んだのですが、今読んでみても十分に面白い作品のままであったのは、嬉しい発見でした。

 仲間たちと秘境に向かうことになった主人公が、大自然の障害に悩まされながらもたどり着いた目的地で、二つの勢力の争いに巻き込まれて一方に助太刀して勝利させ、謎を解いて大量の財宝を得て帰る――という、もう秘境冒険小説の、というか古典スペースオペラも含めた大衆エンターテイメントで山のように見てきたパターンの作品である本作。
 そんな作品が今読んでも楽しめるのは、一種の紀行文的味わいのあるリアリティを感じさせる文章(ハガードは実際に南アフリカで官吏として暮らしていた経験アリ)と、そしてもう一つは、物語の語り手として設定された、アラン・クォーターメンのキャラクター造形にあると感じます。

 こうした物語の語り手/主人公として、タフで戦闘的な、一種のヒロイズムを体現した人物という印象があったアラン。しかしそうした要素は彼の仲間二人がそれぞれ担っており、アラン自身の活躍は、実は意外と控えめなキャラクターであります。
 そもそも本作のアランは55歳という結構な年齢で、職業も冒険家などではなく――もちろんハンターとして豊富な経験を持ち、射撃の名手ではありますが――南アフリカで色々やってきた土地の白人名士といった人物。そもそも今回の冒険に参加したのも、老いた自分が息子に遺せるよう、カーティス卿の報酬目当てという理由であります。

 正直なところあまり格好良くないのですが、しかしそれだけにどこか飄々とした、そして第三者的視点は、本作にある種の節度を与え、頼もしい仲間たちとの旅という味わいを強めている――そんな印象があるのは、今回嬉しい発見でありました。(アラン・ムーアの『リーグ・オブ・エクストラオーディナリー・ジェントルメン』のアランも、そういえばそこまで格好良くはなかった)

 もちろん、秘境に暮らす原住民が、グッドの入れ歯を見て目を回したり、都合の良いタイミングで起きる皆既月食に恐れおののいたり――という部分は無邪気には楽しめませんし(それでもグッドの伊達者ぶりイジりは結構楽しいのですが)、やはり、あくまでも昔の作品という但し書きは必要かもしれません。

 それでもなお、既にジャンル自体が失われた感もある物語が、今読んでも通じる楽しさを持っていたことは、久しぶりに会った友達が全く変わっていなかったのを知ったような嬉しさがあることは間違いないのです。

 ちなみに――今回読んだ創元推理文庫版とKindle版は、細かいところで色々と相違があります。その一つはKindle版の方が抄訳的な性格があるためかと思いますが、実はこの二つ、元としているテキストが異なるようなのです。
 実は創元推理文庫版の方のベースとなっているのは、1901年に刊行された版で、Kindle版はおそらく1885年に刊行された初版がベース。この両者の違いで一番大きいと(個人的に)感じたのは、ラストでアランのもとに送られてきたカーティス卿の手紙に、日付が入っているか否かという点――初版の方では「1884年10月1日」と明確に年月日が入っているのですが、1901年版ではこれが丸々カットされているのであります。

 どうもこれは、その後、アラン・クォーターメンもの(それもほとんどが本作よりも時系列では前の)が続々と書かれるうちに、タイムラインに矛盾が生じてきたための措置ではないかと思われるのですが――この辺りはいずれもう少し調べてみたいと思います。


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