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スタートレック:ピカード(S3)有終の美を飾るための「作品愛」

Star Trek:Picard Final Season "Ep.10:The Last Generation"をもってピカードとそのクルー達の長い長い物語が完結しました。
前回前々回に続いて感想です。

これまでと最終シーズンの概要(このセクションはネタバレなし)

Season.1では

ピカードの隠棲からの再起、人生の再生とデータとの別れ。
が描かれ、Star Trek Nemesisからの空白の期間を補完するようなかたちで展開し、ピカードが必ずしも幸せとはいえない人生を歩み挫折を経験したことにフォーカスしていました。
データを失った苦しみや後悔にどうやって決着を付けるのか、不治の病「イルモディック症候群」を克服できるのかが見どころ。
これは、素晴らしい完璧な艦長…ではなく、ひとりの傷つきやすく弱い年老いた人間としてのピカードを描いていたともいえます。
憧れの上官ではなく等身大の人間として見てもらえるような意図もあったでしょう。

Season.2では

ピカードの過去からの解放、人生の肯定とQとの別れ。
が描かれ、ピカードが隠し続けていたトラウマやピカード家の歴史に焦点を当て展開しています。
詳細が不明だったピカードの両親のこと、フランス人なのに英語姓を名乗るようになった理由、宇宙への憧れの原点。
そして、30年以上にわたってピカードに執着し続けてきたQとの結末。
いままで伏線的に残されてきた人物との関係性が綺麗に回収あるいは清算されていきました。視聴者の長年の疑問への回答でしょう。

Season.3では…

長年の視聴者が見たかったものがすべて提示されます。
エンタープライズ搭乗時代のクルー達が再集結し、宇宙が舞台となります。
しかし、クルー達もピカード同様にそれぞれの人生の中で様々な苦労や喪失を経験したりしてかつてと「同じ」とはいえません。
そしてS.2で「ピカード家も自分の代で終焉を迎える」というニュアンスの言い換えのスピーチをしていましたが、実はそうではないことが明らかになります。
イルモディック症候群と診断されていたものすら覆され"Star Trek:Picard"というタイトルに込められたすべてが示されます。

スタートレック:ピカードはファンによるファンのための作品

Star Trek Nemesis以降を描くならば

Star Trek:Picardが実現するまでは大変だったようです。
ジャン・リュック・ピカードを演じるパトリック・スチュワートにオファーをしても当初は断られていたとのこと。
パトリック自身はStar Trek Nemesisは『良いとはいえない』という認識を持ったままその後を過ごしていたようですが、ただ「勇敢で誠実な男ピカード」として戻るつもりはなかった模様。
その後、オファーを受け入れることになりますが、TNGの空気感を引き継ぐような明るい冒険譚として描かないという前提で承諾したそう。

往年のTNGファンのある一定数が、S.1、S.2の展開に『これじゃない』と拒否反応を示していたのは確かですが、それを想定した上でそのように描いていたんですね。
すべてのシーズン通じて、製作者側が熱烈なスタートレックファン(トレッキー)であり、トレッキーのために作っているのは「明らか」でした。
明らか、それは各エピソードにちりばめられたスタートレック全シリーズ横断のトリビア級の設定から小ネタや登場人物まで、細部にこだわりがあったからです。
それが完全に爆発したのが最終シーズンです。

おそらく『これが見たかったんだよ』と言わせるための「溜め」としてやってきて最終シーズンに大放出されます。

かつてのクルーが勢揃い

たとえば、大破してしまったはずのエンタープライズD(U.S.S.エンタープライズ NCC-1701-D)は見事に修復され大活躍します。
カーペットが敷かれた優雅な宇宙船。
流線的で独特なUIを持つコンピュータシステム「LCARS」や当時のままのコンピュータ音声。
実際にかつてのものを再現するため、これらを元々デザインしたマイケル・オクダ/デニス・オクダ夫妻による監修で復活させ、コンピュータ音声は担当してた俳優が故人のため音声ライブラリーからデジタル復元されています。
細部には途方もないこだわりを見せた演出があります。

こだわりはキャスティングにも

従来からキーマンは、過去のスタートレック・シリーズに縁のある人物が起用されていました。今回はどうでしょうか。
かつてのクルー達はもちろんのこと、ロー・ラレンやトゥヴォックやシェルビー(提督になっている)も登場するだけではなく、歴代ボーグ・クイーンとして一番人気だった「最初に遭遇するボーグ・クイーン」のアリス・クリーグが声の出演で再演しています。
(吹き替えも可能な限り当時と同じ声優が担当)

一番注目すべきは、狡猾凶悪で恐ろしい敵として描かれたヴァーディクでしょう。
TNG世代が熱狂した映画「パルプ・フィクション」で人気の登場人物だったハニー・バニー役のアマンダ・プラマーが、残忍でありながら様々な背景を複雑に抱えたヴァーディクを見事に演じています。
とても演技力のある役者ならではの美しい演技です。
アマンダ・プラマーの父親は、スタートレックVI 未知の世界で最大の悪役チャン将軍を演じたクリストファー・プラマーです。

また、音声だけですが惑星連邦大統領アントン・チェコフも象徴的です。
彼はTOSのパヴェル・チェコフの息子です。演じているのはパヴェル・チェコフを担当したウォルター・ケーニッヒ。
そういうこだわりが込められています。

また、演者達の演技は少し昔懐かしい所作を見せたりしていて、あえて古さを出している部分も面白いです。映像・音響効果もクラシカルな演出だったりします。
過去のすべてを拾い集め作品に忍ばせてくる。
それは作り手がファンでなければできない芸当です。愛があるからできる仕事です。

人物を描くということ

リアム・ショー

最終話に登場する報告書映像

最終シーズンの船は「タイタンA」で「艦長」はリアム・ショー大佐です。
非常に皮肉屋でことなかれ主義の厭味な艦長として登場しますが、その理由も作品内で少しずつ語られていきます。
もとは落ちこぼれ士官でジョーディ・ラ・フォージに憧れる機関士。
ボーグとの激しい戦いで優秀であった仲間達を失い、落ちこぼれの自分が助かったことを悔やんで悔やんでトラウマになってしまった自己肯定感の弱い男です。
だからボーグを毛嫌いし、安全第一のことなかれ判断をして、そうやって堅実に出世して艦長になったからこそ、無謀な行為ばかりするピカードもライカーもセブンにも嫌な接し方をしてしまいます。
それでも、艦長としての責任感はとても強くクルーを守りたいという気持ちはとてつもなく強固。だからこその保守的な振る舞いになっているわけですね。

セブンのことを軽視しているように見せかけ、実際には大いに評価していました。『自分は古い人間なので規則に忠実だが彼女は違います』という表現で、自分とセブンを対比させながら彼女の優秀さを報告し艦長への昇格を進言しています。

本当はピカードのような艦長になりたかったのかも知れません。
かつてのエンタープライズクルー達の仲間に入りたかったのかも知れません。
演じている トッド・スタシュウィックは、スタートレック:エンタープライズへの出演経験もありますが、リアム・ショーという役を介して伝説のクルー達と船に乗れたことを大いに喜んでいるので、演者の本心がショー艦長の本心ともとれそうです。

データ

人間をかたちづくるものは「記憶」そのもの

最終シーズンで意外なかたちで再登場します。
人間としての死を選んだデータとは別なデータです。
今回はオルタン・スン博士の手によって「完成した人格、人間としてのデータ」をテーマに、年齢相応の年老いた有機体のボディにデータ、ローア、B-4、ラルといったアンドロイドとしての家族の人格、そして人間としてのオルタン・スン自身の人格もインプットして再度の復活です。

オルタン・スン博士は、老人のピカードを老人として甦らせましたが、データにも人間らしさという観点からそうしてあげたんでしょう。自身に似せた老齢の姿です。
ユーモアも覚え、勘に頼ることも覚えたデータは、老齢の男性ならではの思い出話が長いという人間性を得ました。

最終的にすべての人格統合に成功して人間性を獲得したデータにとって「人間的な死」を望んだデータとは別の見解を答えています。
また、データがローアの人格プログラムと対峙したときに重要なことを言っています。
「記憶(想い出)こそが自分をかたちづくるすべて」というニュアンスのことで、まさに「わたし や あなた という人間」その存在自体がそうですね。
これは人間の「定義」かも知れません。

世代間の対比と社会風刺

S.3では"The Next Generation"で始まり"The Last Generation"で終結します。
かつては次世代のクルーだった年老いた元クルー達と、タイタンAの次世代のクルー達。
全シーズン通して「ピカードの老い」が強調されていましたが、今回は明確に「老害」として扱われてしまいます。
ピカードは老齢で頑固になっていて認識のズレなどもある等身大の老人として描かれていて、それはパトリックが望んだことでもあるでしょう。
わざとファンやかつての仲間に失望させるような要素を持たせています。
「あの憧れのピカード艦長が…」みたいなギミックですね。

カーペット敷きの古く優雅な宇宙船と年老いた船乗り達

最終シーズンでは、老人クルーと骨董宇宙船VS若手クルーと最新宇宙船のような対立構造で描かれています。
結果としては中年以上の世代や古いものの良さをしっかり描いていて、それがきっかけになり大団円に向かうわけですが。

今回面白かったのは「ボーグのDNAと同調して意識を乗っ取れる」能力。
前頭葉の完成に到達していない25歳未満の若者には、テレパシーのように同調して同化することができるが中年以上にはまったく効果がないという設定。
また、ひとりの若者に多くの若者達が盲目的に従ってとんでもないことをしでかすに至るというシナリオ。
これって端的にR25理論でZ世代とミレニアル世代以上のギャップやインフルエンサーによって振りまわされているZ世代を風刺しているわけですね。
社会問題を多く扱うスタートレックらしい風刺の仕方です。

サプライズ

ピカードにとってのサプライズは

かつてタイタンAだった船が…

息子ジャックの存在やタイタンA(NCC-80102-A)を改名したエンタープライズG(U.S.S.エンタープライズ NCC-1701-G)ですね。
ジャン・リュック・ピカード提督とビバリー・クラッシャー提督の功績を讃えて、と二人の息子が発案したんでしょう。

ジャックとファンにとってのサプライズは

『君のために来た』

「Q」の登場でしょう。
S.2でQは死んだはずでは、とジャックやファンの誰もがツッコむ中でQ自身が「頭が固いなあ」と呆れるような仕草を見せて切り返しています。
ファンに向けて「色々あるんだよ、まあいいじゃないか。ご都合主義はスタートレックのお家芸だろう?」みたいな色味も多少は添えながら、ちゃんと理由も用意されているようです。

不死のQにとって前進することが死だというのはS.2で語られた通り。
実際に死んで、進化して再生しただけでしょう。超越的な種族なら「死の経験」が成長の段階になるなんていうのはありえそうな話です。

ここで面白いのは、ジャックの前に現れたQはかつてピカードの前に現れたときのような人間を馬鹿にしたような高圧的な振る舞いではなく、試しに来たわけでもないことです。
『君のために来た』という台詞が物語っています。
Qはピカードのメンターとして熱心につきまとい、最期は友人となって去りました。
Qにとってなによりも大事な存在ジャン・リュック・ピカード=友人の息子は、やはり大事なのでしょう。
結局のところ宇宙にとってなんらかの重大な影響を及ぼすピカード一族への関心や、近い将来に老衰で亡くなるであろう友人に代わってその息子のメンターをやってやろうというお節介からでしょう。
最後に登場するQはお馴染みの厭味なQではなく、優しい雰囲気の人生の先輩という姿で描かれていますね。

最終航海

有終の美の描き方

提督、エンタープライズGの乗り心地はいかが?

公開前のインタビューでパトリックは『私は納得していないが、でもみんなでこの結末にしたんだ』と答えていました。
ラリスとのロマンを描かずに終わってしまったことなのか、息子の登場についてなのか、ボーグ・クイーンとの対決についてなのか、Qの再登場についてなのか…どの部分をさして「納得がいかない結末」なのかはわかりませんが、最終話公開日にあわせたインタビューでは「これでよかった」というニュアンスの答えをしています。

※最終話公開日のパトリックへのインタビュー
LA TIMES
For Patrick Stewart, Jean-Luc Picard is ‘the biggest thing that’s ever happened to me’

Star Trek:Picardはピカード一族の「数奇な運命」、ピカード自身の「存在価値」に焦点を当てながら、TNGという壮大な物語の幕引きに相応しい美しい終わり方だったと思います。
こういうストーリーに納得できなかったファンはいると思いますが、それでも世代交代は進むのです。未来志向で。

再び、締めくくりはポーカーで

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The Last Generation

スタートレック:ピカード シーズン3


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