見出し画像

日本のミュージカル黎明期の看板女優が伝えたかったこと〜久野綾希子〜

8月24日は、日本のミュージカルの草分け女優、久野綾希子が生まれた日。本名・中川秀子。
(1950年8月24日 - 2022年8月22日)

皆様、いつもありがとうございます✨
グリーンビューティ®専門家の青木恵と申します。

ここでは、貴族、王族、名を残した方々の生涯、成し得たことをアップしています。
聖書にある「すべて多く与えられた者は、多く求められ、多く任された者は、さらに多く要求される」(『ルカによる福音書』12章48節)をベースにしています。

先人がどのような環境で生まれ、何を学び、どんなことを残したか、そんなことを書いていけたらいいなと思っています。
該当する偉人がいない場合はお休みです。

長文につき、時間があるとき、興味がある方をご覧くださいね。

楽しんでいただけたら、嬉しいです。

大阪府出身。

明治生まれの父と大正生まれの母をもつ厳格な家庭で育った。

「音楽系の大学なら結婚しても家で教えられる」
という父の考えで四年制の大学は音大系のみが許され、
父の転勤先である愛知県立芸術大学音楽学部へ。

「大学3年になった頃、たまたま中日劇場に劇団四季の『野生の女』を見に行ったら妙に感動したんです」

これが劇団四季とのきっかけとなり、
72年に入団。
83年「キャッツ」初演でグリザベラを好演し、
名曲「メモリー」を披露した。

86年の退団まで
「ジーザス・クライスト=スーパースター」
「コーラスライン」など850ステージに出演した。

退団後も舞台を中心に活躍するが、
在団中に主演した「エビータ」は転機だったという。

貧しい境遇からアルゼンチンの大統領夫人までのぼりつめたエバ・ペロンの生涯を描いた作品。

実はその当時、退団を考えていたが、
主役に抜擢された。力強く生きるヒロイン。

「彼女の人生を何度も繰り返しているうちに、
自分の胸の中に仕事に対するプロ意識が少しずつ芽生えてきたように感じた」。

82年、「エビータ」でゴールデンアロー賞演劇賞受賞。

「やってもやっても到達点が見えなくて…。
もっともっとうまくなりたいし、もっと人に伝えられるようになりたい」

退団後も舞台を中心に活躍し、
2012年からライブ「MY FAVORITE SONGS」を毎年開催し、
音楽活動にも取り組んでいた。

昨年の夏、乳がんにより死去。享年71歳。

とても美しい人で、40年ほど前に見たカネボウのコマーシャルは印象的でした。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?