<陸自幹部候補生学校生活記録> 今でも心に残るMr.Kの幹部候補生学校での大失態談〜情けなく、悔しすぎて森の中で泣きました〜
こんにちは。
元・国防男子/陸上自衛隊応援団/初級・中級幹部サポーターのMr.Kです。
幹部自衛官として13年間勤務し、主な経歴は🪂最精鋭部隊第1空挺団、🇺🇸米国陸軍留学、✏️陸自最高学府の指揮幕僚課程、🇺🇸在日米陸軍司令部、🇺🇳国連南スーダンミッション軍事司令部等で勤務して参りました。
現在は、民間企業の危機管理部門で海外セキュリティ担当として危険国の情勢分析、セキュリティ対策の立案など、陸自時代よりもよりリスクの高い仕事をしています。
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今回は、幹部候補生学校生活編シリーズをお伝えしたいと思います。
今でも僕にとって一番印象に残っている失敗談です。
思い出すだけで、今でも悔しいし、情けない・・
当時の自分の弱さを実感した経験でした。
でも、その失敗に対する後悔が強すぎたので、猛省し、部隊で同じ失敗をすることはなかったんです。
失敗から学ぶことは重要ですよね。
これから幹部自衛官を目指す方、今初級幹部として勤務されている方には、僕の失敗談から『信頼されるリーダー像』を少しでも学びとって頂ければ幸いです。
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これまでの僕の幹部自衛官としての経験から、これから幹部自衛官として勤務していく上で必ず知っておかないと損をしてしまう、一般的に知られていない、特に有用な情報を集約した記事も作成していますので、是非、参考にしてみてください。
有料ですが、情報の質からして、かなりコスパは良いと思います。
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⏩ 最後の総合訓練で犯してしまった大失敗
幹部候補生学校の総合訓練は、作戦地域に前進するための80km行軍(当時、現在の教育では100kmの徒歩行進となっています)から始まり、作戦地域での普戦協同(歩兵部隊と戦車部隊)の攻撃により敵陣地を確保して終了という流れになります。
作戦準備から陣地攻撃までの『型』を実動訓練を通じて学びます。
空挺団所属時代は、100km以上の徒歩行進(行軍)が普通だったので80km行軍は余裕に感じますが、当時の僕にとっての80km行軍は、これまで経験したことのない未知の世界でした。
総合訓練に至る前に10km、40km行軍の訓練をしていましたが、いつも行軍をするだけで体がボロボロになってしまっていた。
80kmを歩いて攻撃完了まで無事に終える事ができるのか不安を抱えていました。
徒歩行進はかなりきついのですが、戦場に行くための単なる徒歩での移動に過ぎません。
徒歩行進終了後に心身を如何に良好な状態に保てるかが、その後の作戦に大きく影響してきます。
徒歩行進だけでバテてしまって、到着後に動けなくなったら、その後の作戦は遂行できないですよね?
陣地攻撃を行うのであれば、その攻撃開始時期に間に合うようなペースで徒歩行進を完了させる必要があります。
余裕を持って徒歩行進を完了できれば、作戦準備までの時間的余裕を確保できますが、攻撃開始時期に間に合わないと、休憩を削り、行進ペースを早めて時間に必ず間に合わせなくてはなりません。つまり、よりキツイ徒歩行進となります。
当時の僕は、まだ徒歩行進の要領を得ておらず、歩いたら必ず足裏に激痛が走るし、背嚢(はいのう:自衛隊で使用するリュックのこと)と小銃を携行すると、腕が締め付けられて鬱血し、両腕が痺れてしまっていました。
走ったりする体力には自信があったのですが、荷物を担いで規則正しく移動する行軍には、肉体的、精神的にもかなりの負荷がかかるので苦手意識を持っていました。
恐らく90%以上の陸上自衛官は徒歩行進にはネガティブなイメージを持っていると思います。
ー また、今回も足の裏や肩が痛くなるんだろうな・・・
ー 少しでも、良好な状態で歩ききりたいな・・・
そんな不安、心配ばかりを抱えていました。
⏩ 最後の集大成、総合訓練開始
そして、総合訓練の初日。
幹部候補生学校で隊容検査や命令下達などの作戦準備を整えた後、大型トラックの荷台に乗って徒歩行進のスタート地点まで移動します。
スタート地点がどこだったかは忘れてしまいましたが、演習場から約80km離れた場所に、ドナドナの仔牛状態で徒歩行進開始地点まで運搬されました。
80km徒歩行進中は、秋晴れで、周りの景色を楽しみながら歩くことができました。
沿道での地元の方々の声援や散歩中の保育園児達の応援は励みになりました。
徒歩行進の途中、脱落しそうな同期がいて、その同期達の小銃プラス2丁を持って歩いたりもしました。(でも、基本的には自分の小銃は自分が持つのが当たり前です。自分の身を守るための武器なので。)
徒歩行進中もリーダーシップや行進間の指揮動作を学ぶために、先頭で30名程の区隊(グループ)を指揮して歩く候補生も順番に決めて歩きます。
先頭の者は、常に、地図上でどこを歩いているのか、正しい経路を歩いているのかを確認しながら歩かなければなりません。
そして、教官達は、途中、今部隊が何処を歩いているのか地図上で示せと質問します。
僕が区隊の先頭で地図を持って歩いていると、ちょうど区隊長が僕の横に来てくれました。
区隊長とは、宴会以外ではあまり話す機会が無かったのですが、これからの進路の事やこれまでの教育の思い出話をしながら歩きました。
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区隊長:「Kは、普通科(歩兵)に向いている。体力もあるし、性格的にも。やり甲斐があるから、普通科がいいぞ。」
Mr.K :「え〜ホントですかー?」
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などと候補生最後の訓練で、普段中々話す機会のない区隊長と楽しく話しながら歩きました。
(区隊長とも楽しく話ができたし、このまま80km無事に歩き終わって、最後の小隊の攻撃をやって終わりだー!)
自分の中で完全に気が緩んでしまったのかもしれません。
ーーその日の夕方🌖
僕たちは、『ビバーク(大休止)』の地点に到着しました。
徒歩行進の途中、ビバーク(大休止)があって、森のなかで少し長めの休止を取って体力を回復させます。
あたりはすでに薄暗く、周りがよく見えない状態でした。
個人用の簡易テント⛺️を張り、地面にクッションを敷いて数時間の仮眠を取ります。
朝からずっと歩き続けているので、いつもの通り足の裏に激痛が走りました。背嚢もずっと背負っていたので肩も痛い・・・
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只々、疲れた!!
あー、やっと背嚢を下ろして、長い休憩ができる!
ササッとテントを張って、足のマメの手入れをして早く休もう。
次の行動に備えて、できるだけ体力を回復させるないと・・・
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個人用の簡易テントを展張し、地面にマットを敷いて、寝床が完成!
こういうのは得意な方だったので、他の同期よりもいち早く仮眠の準備ができました。
さて、次は・・・
徒歩行進中は暑さと疲労で食欲が無かったから、今のうちにしっかり栄養補給をしないとな・・・
おっ、そうだ。
仮眠を取る前に、パンを食べておこう🥐
その時は、朝から晩まで歩き続けて、やっと長い休憩ができるという安堵、解放感から、完全に気が抜けてしまっていました。
僕が夕食のパンにかぶりついた時、ピカッと懐中電灯の光が僕の顔を照らしました。
暗い中で暫く行動をしていたので、急に遮光をされていない明るいライトを照射されて目が眩んでしまいました。
誰が照らしているのかわからない。
(んっ?誰だ??眩しいな・・・)
あっ、区隊長だ!
お互いの顔を見つめ合って数秒間の沈黙の後、
区隊長:「何をやってるんだっ!!」
という区隊長の怒鳴り声😭
そのとき、自分のやらかした失敗に
はっ!! と気づきました。
区隊長:「周りを見てみろー!今、どういう状況だぁ!!」
言われた通りに辺りを見回すと、まだ暗闇で簡易テントを展張している同期が数名いるようでした。
あー、やってしまった😭
頭の中は真っ白になり、何も考えることができず・・・
パンを食べるのをすぐにやめ、まだ個人用のテントを建てている同期のところに急いで近寄り、同期が全員終わるまで仮眠準備を手伝いました。
ーー区隊全員の仮眠準備が整ったのを確認後
呆然として自分の寝床に戻りました。
区隊長から怒鳴られた言葉がずっと頭の中を駆け巡り、何度も心にグサグサと突き刺さりました。
🔴 完全に自分のことだけしか考えていなかった・・
🔴 周りのことが全く見えていなかった・・・
🔴 同期が役職に就いて指揮をしているのに、自分は列兵と化してしまっていた・・・
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本当に情けない・・・
そして、恥ずかしい。
僕より体力のない同期は、もっと疲れているだろうに・・・
足を引きずりながら、歯を食いしばって歩いていた同期もいたのに・・・
今まで幹部候補生学校で何を学んできたんだ?
教官達がこれまで一生懸命教えてくれた一番大切なことを忘れて。
なぜ、自分のことだけしか考えず、あんな馬鹿な行動を取ってしまったのか?
もっと同期を助け、励ましてあげるべきだったのに・・・
自分の心の未熟さが無意識に出てしまいました。
情けなすぎる。
そして、教官達に申し訳無さすぎる。
同期に対しても・・・
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就寝準備ができて毛布に包まったものの、自分の未熟さが情けなすぎて、全然寝ることができませんでした。
ビバークが終わるまで、悔しさと自分の情けなさで、暗闇の中で涙を流しながら猛省しました・・・・
その後の陣地攻撃までの訓練は、気持ちを切り替えようと頑張りましたが、やはり自分の晒してしまった失態がショックで、中々気持ちが乗ってこなかった記憶があります。
この経験は、今でも鮮明に覚えています。
それくらい自分にとって情けなく悔しい失態でした。
今でも、区隊長の怒りながらも悲しそうに僕を見つめる目が脳裏に焼き付いています。
徒歩行進中に、区隊長と同じ職種の『普通科』に誘ってもらったのに・・・
これまでの教育成果を褒めていただいたのに・・・
正にそのとおりでした。
この時、まだリーダーとしての器には達していませんでした。
でも、このような過ちは二度としないと心に決めました。
⏩ 部隊勤務で失敗の教訓を活かす
僕は、幹部候補生学校を卒業後、部隊で行軍訓練を始めとする数々の厳しい訓練をしてきましたが、同じ過ちを繰り返すことはありませんでした。
僕は、現役自衛官時代、どんなに体力的にきつくても、精神的にきつくても、そういう時こそ、
🌈 リーダーとして周囲に気を配る。
🌈 部下に積極的に声をかける。
🌈 自分のことは後回し。まずは、部下のこと第一優先で考える。
🌈 部下の前では、きつそうな顔や素振りを見せない。
🌈 人前では絶対に弱音を吐かない。
🌈 緊急時ほど、部下の前では冷静に振る舞う。
ということを心掛けてきました。
幹部候補生学校では訓練等を通じて当たり前のように学びますが、それを部隊で実践できなければ意味がありません。
これができなければ、部下との信頼関係が崩壊してしまい、リーダーシップを執っていくことが難しくなってしまいます。
部下隊員は、自分の上司(幹部自衛官)を驚くほどよく見ています。
自分の中隊長や小隊長が自分たちのリーダーとして相応しい人物かどうかを見極めるために。
そして、隊員達の間で『評価』されます。
その評価結果次第で、
部下達が信頼をして付いて来てくれて部隊のリーダーシップを執りやすい環境になるのか、
部下達から尽く反発を受けてリーダーシップがうまく取れない環境になってしまうのかが決まって来ます。
もし、僕が幹部候補生学校の総合訓練でこの失敗をしなかったら、僕は部隊でこの時と同じ失敗をして、部下からの信頼を失っていたかもしれません。
あの悔しい失敗があったからこそ、部隊に赴任した後も部下達と信頼関係を築きあげ、中隊長や小隊長として成長することができたと感じています。
振り返ってみれば、幹部候補生学校という部下を持っていない『無責任』の時期に、失敗を経験しておいて良かったと思っています。
⏩ 最後に
これから幹部候補生学校に入校予定の方、
今現在、幹部候補生学校で頑張っている方には、
幹部候補生学校では、どんどんチャレンジをして沢山失敗をしてほしいと思っています。
幹部候補生学校は、約1年もの期間、給料を貰いながら、実体験を通じてリーダーシップを学べる最高の環境です。
失敗をして、悔しい思いをして、そこから得た教訓を実際に部下を持って勤務する際に活かしてほしいと思います。
成功体験より失敗体験のほうが強く印象に残り、忘れることはありません。
失敗から教訓を学び、部隊等で実際に部下を持って勤務した際にその失敗の教訓が活かせればいいのだと僕は思います。
若きリーダー達の今後の活躍をお祈りしています!
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最後まで読んでいただきありがとうございました。
今日も皆様にとって良い一日となりますように!
元・国防男子/陸上自衛隊応援団/初級・中級幹部サポーターのMr.K
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貴重な時間を割いて私の記事をお読みいただき、心から感謝しております。 私の記事が少しでも皆様のお役に立てたら嬉しく思います。 もし、今後の創作活動をサポートしていただけると、さらに質の高いコンテンツを提供する糧となります。皆様のご支援が、私の次の一歩となります。