成瀬あかり史を見届けたい~『成瀬は天下を取りにいく』(宮島未奈)~
NHKのラジオで取り上げられていたのを聞き、読んでみたいと思った作品です。
↑kindle版
短編6本からなるのですが、1本目の「ありがとう西武大津店」の「島崎、わたしはこの夏を西武に捧げようと思う」という書き出しの成瀬の言葉から変で、かつ引き付けられました。
読み始めて分かったのが、これが一種のコロナ文学であること。なぜ成瀬が「この夏を西武に捧げる」、つまり閉店が決まった西武大津店からの生中継に毎日映ることを決意したかというと、理由の1つはコロナ禍で思うように作れなかった、夏の思い出作りにあったのです。
そして2本目の「膳所から来ました」は、同じく成瀬の「島崎、わたしはお 笑いの頂点を目指そうと思う」という言葉から始まり、成瀬の友人である島崎は、否応もなく成瀬と共にMー1グランプリに出場することになります。「わたしは成瀬あかり史を見届けたいだけで、成瀬あかり史に名を刻みたいわけではないのだ。最前列で見ている客をステージに上げようとするのはやめてほしい」という島崎の言葉は、切実なだけにおかしいです。そして島崎の「息をするようにスケールの大きなことを言う人間だ。そこに潜む滑稽さに気付かないのも無理はない」という言葉には同感。
ちなみに成瀬がスケールの大きいことを言う理由は、以下の通りです。
2つ目の言葉、シンプルだけど心にしみます。私も成瀬を見習わねば。
このまま島崎の視点で成瀬あかり史が語られるかと思いきや、3本目の「階段は走らない」では、二人とは直接の知り合いではない(後に知り合いになりますが)人物が主人公になり、戸惑いました。そこで遅ればせながら気付いたのが、この作品がコロナ文学であると同時に、ご当地文学であること。大津市の特に膳所を知っている人なら「あるある」なんだろうなと思うネタが、てんこ盛りに盛り込まれている本なのです。ご当地文学といえば私が思い浮かべるのは、「横浜大戦争」シリーズです。
「階段は走らない」では、登場人物の一人であるマサルの言葉が印象に残りました。
確かに小学校では、中学校以降では出会えなかったタイプの人たちに出会えました。とはいえ残念ながら、卒業以降彼らのほんの数人にしか再会していませんが。同窓会も一度も開催されなかったので。
4本目の「線がつながる」は、成瀬を苦手視している同級生の大貫の視点で語られます。成瀬を変だと思っている大貫ですが、実は彼女も相当変なのが、読者には分かるものの、本人には分からないんですね。自分は普通だと思っている人の方が、実は変なのが分かっていない。そんな二人が、いろいろあって西武池袋本店に行くことになります。
分かる気もします。高島屋は、どこに行っても高島屋だし。
5本目の「レッツゴーミシガン」は、成瀬が気になってしまう男子の視点で語られます。何とデートまでしてしまうわけですが、成瀬が彼をデートに誘った理由がおかしいです。
おいおい、という感じです。ちなみに大津市民憲章、かなり内容が濃いです。
そしてミシガン、調べてみたら予想以上に本格的なクルーズ船で、びっくりしました。
6本目の「ときめき江州音頭」では、ついに成瀬の視点で語られます。他者の目線だと、今ひとつ得体が知れなかった成瀬が、実は意外と普通の女の子の感情の動きをしていることが分かり、意外でした。まぁもちろん、変なことは事実ですが。
「素のおばあちゃんとして二百歳まで生きるつもり」の成瀬が二百歳になるまで、成瀬あかり史を見届けたいですが、作者の宮島さんも読者の私も二百歳をはるかに超えて生きねばならないので、無理ですね。でも続編があれば、読みたいです。
見出し画像は「レッツゴーミシガン」にちなみ、琵琶湖の観光船の1つであるオーミマリンの「赤備え船『直政』」です。
↑単行本
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