見出し画像

『美しきものの伝説』『エロス+虐殺』

   村山由佳『風よ あらしよ』

 2018年(平成30年)6月15日発売の『小説すばる』(集英社)7月号(937円)から、伊藤野枝(いとう・のえ、1895年1月21日~1923年9月16日)の評伝小説、53歳の村山由佳(1964年7月10日~)著『風よ あらしよ』の連載が始まった。

 2020年(令和2年)1月17日発売の『小説すばる』2月号(960円)で、55歳の村山由佳著『風よ あらしよ』の連載が完結した。

 2020年(令和2年)9月30日、56歳の村山由佳著『風よ あらしよ』(集英社、本体2,000円)が刊行された。
 装画はオカダミカだ。

 2022年(令和4年)3月31日、19時~21時、NHK BS8Kで、村山由佳原作、46歳の矢島弘一(1975年8月26日~ )脚本、柳川強(やながわ ・よし、1964年~)演出のテレビ劇『風よ あらしよ』が放映された。
 撮影は2022年(令和4年)1月におこなわれた。
 33歳の吉高由里子(1988年7月22日~)が伊藤野枝、39歳の永山瑛太(1982年12月13日~)が大杉栄(おおすぎ・さかえ、1885年1月17日~1923年9月16日)、36歳の松下奈緒(1985年2月8日~)が平塚らいてう(1886年2月10日~1971年5月24日)、35歳の美波(みなみ、1986年9月22日~)が神近市子(かみちか・いちこ、1888年6月6日~1981年8月1日)を演じた。

  2022年(令和4年)9月4日~18日、日曜22時~22時49分、NHK BSP・BS4Kでテレビ劇『風よ あらしよ』全3回が放映された。

 2023年(令和5年)4月20日、「集英社文庫」、村山由佳著『風よ あらしよ』上・下(集英社、各巻本体900円)が刊行された。
 下巻の解説は74歳の上野千鶴子(1948年7月12日~)だ。

 大学闘争の時代と大杉栄

 2022年(令和4年)6月10日、東京・五反田のゲンロンカフェで、呉座勇一(1980年~)、辻田真佐憲(つじた・まさのり、1984年~)、與那覇潤(よなは・じゅん、1979年~)による鼎談イベント「開かれた歴史実証主義にむけて日本史学のねじれを解体する2」が開催された。

 與那覇による宮本研(1926年12月2日~1988年2月28日)の戯曲『美しきものの伝説』の紹介のくだりより引用する。

 これ、ざっくり言うと大正時代の歴史を描く歴史劇ですね。演劇、舞台の上でやるんですが、大正時代を描く時に、大雑把に言うと、こう三つの軸を置いていて、いろんな歴史上の人物が、実在した人物が、ちょっと名前は変えたりとかしつつ、「ああ、あの人だよね」ってわかる形で出てくるんですけど、三つの軸を置いて、いろんな群像劇を描いてるんです。
 ひとつは、その、近代演劇を定着させようとして、どんな人たちが大正期に頑張ったかっていう。
 で、もうひとつが、これが一応一番大きなテーマなんでしょうが、まあ、社会主義ですね。政府の弾圧に抗して、どう社会主義者たちが頑張っていったかって。
 で、三つ目はまあ女性解放でありまして、まあそれこそあの、「青い」「踏む」で「青踏せいとう」周辺に集まっていた、あのアクティブな、日本における元祖フェミニストといえる女性たちの、この三つの軸で、こう描いていく群像劇で、僕は「この演劇すごくいいなあ」と、あの、印象に残っているのは、あの、誰かひとりが一番正しいみたいな形じゃないんですよ。
 これ、確かに大体三つグループがあるんですけど、グループの中でも路線対立がろいろあってですね、たとえば演劇の仲だと、こう、島村抱月という人はまああの、恋人というか何かが、松井須磨子ですけど、当時人気のあった女優の。
 島村抱月は、お金儲けうまいんですね。こう、松井須磨子をスーパースター女優にして、ガンガンお金儲けて、国からの補助金とかもバンバン取りまくって、「ああ、じゃあ内国[勧業]博覧会とタイアップしましょう。タイアップ、タイアップ」みたいな感じで、ガンガンお金儲けてて、で、小山内薫の方がもうちょっとピュアで、「あんなものは商業に媚を売ってるじゃないか」と。「あれのどこが真の近代演劇なんだ」と。「あんなもの、ただの見世物だ」みたいな事を言ってるんだけど、でも島村抱月はその儲かったお金で、「いやいやその、儲からない純粋な芸術的な劇をやる劇場も建てようじゃないの」みたいな形でやってて、お互い悪口言ってんだけど、でもどっかでつながってるんですよね。
 こういう関係がいろんな所で描かれていく。
 社会主義であれば、こう堺利彦は「いやなるべく穏健な主張で仲間を増やそうじゃないか」と。「いきなり過激な事を言ったらもうみんなついて来なくなっちゃう。だから大逆事件の時、見ただろう」っていう。「みんな誰も幸徳秋水を応援しない」みたいな。
 「なるべく、こう主張を抑えてでも仲間を増やす時期なんだ」というのに対して、大杉栄はそれじゃやっぱり納得が行かないわけですよ。「そんなのは妥協でしょう。まったく駄目だ」みたいな事を言って、全然逆なんだけど、しかしやっぱりこう、お互い一緒に飯も食うし、それなりには、相手をリスペクトしてる。
 女性解放だと、その伊藤野枝というのはまあ大杉の奥さんになって、まあ最後は有名な殺される人ですけれども、伊藤野枝はとにかくもう好きになったら結婚して、ガンガン子供を産みまくっちゃうんですよね。確か史実でも六人ぐらい産んでるんじゃないのかなあ。
 逆に平塚らいてうの方は、まあその女性の解放を謳ってるんですけど、恋愛とか結婚に対しては非常にまあ保守的というか、こう後ろ足を踏むところがある価値観で、なおうえ、お互い、なんか、一緒の雑誌でやってても、なんか意見がすれ違ったりするんだけど、みんな、すれ違ったり、「あいつはもう堕落したよ。駄目だよ」みたいな事を言ってるんだけど、しかし排除はしない。
 こういう描き方っていうのが僕は非常に印象に残っておって、あの『帝国の残影』という本を、あの、まあ、これ僕の二冊目の本で、小津安二郎を狂言廻しして、戦前から戦後にかけてのいろんなまあ映画界の人たちや思想家の群像を描こうとしたような本なんですけど、これを書く時やっぱり無意識に影響を受けたのは、たぶんこの戯曲だったんだろうなあと思うんですよね。高校の時に。
 で非常にやっぱり大事だなあと思うのは、これ1968年です。先程も言った通り。まあだからその学生運動が非常にアクティブだった時代ですよね。左翼系の。
 だから逆に言うと、こういうのを上演しても、要するにその「観に来る人はわかってくれるだろう」と。「あっ、これ大杉栄なんだな」とかってわかってくれるだろうと言う事を当然期待して、この宮本さんという戯曲家も脚本を書いてるんですが。
 最後どんなオチになるかというと、これはどこまで史実に即してるのか、宮本さんのちょっとロマンチックな創作なのかわかりませけれども、大杉栄というのはとても魅力的な人で、こう尾行についてる刑事も「なんかこいついい奴じゃん」みたいな。慕われてたと。
 で最後、要するに尾行がですねセリフで「お聞き及びでもございましょうが、今、朝鮮人と社会主義者が暴動を起こすなどという風説が広まっております。ですからもしお急ぎの御用がないなら、今日はお出かけにならずに、なるべく家にいらしたらどうですか」って言って、「いやいやそんなもの心配ないよ」って出ていっちゃうっていうところで、まあ事実上終わるんですけど、この演劇。
 だから、これはつまり、来るお客さんも「あっ、これは関東大震災の事だ」って事が、こう「関東大震災でっせ」って言わなくても、このセリフでわかるっていう事を前提に書かれてるってう事で、僕はこの歴史が生きている社会と歴史が生きていない社会みたいな事を言って、まあ非常になんか抽象的な事を言うのですね。歴史学者に嫌われてるんですが。
 僕が考える「歴史が生きている社会」ってこういうものんですよ。要するん、その、歴史に存在感があって、全部言わなくても、「何を言いたいんだ、この人は」って事は歴史を媒介とする事で伝わっていく。 
 それで言うと、もうひとつあの覚えているのは、あの大杉栄はまあ、そりゃ右か左かで言えば左翼って言っていい、まあ日本の左翼のまあトップと言っていい事だろうと思いますけれども。
 右翼思想家で言うとですね、あのこの

 2011年(平成23年)1月14日、與那覇潤著『帝国の残影兵士・小津安二郎の昭和史』(NTT出版、本体2,300円)が刊行された。

 2022年(令和4年)10月10日、「文春学藝ライブラリー」、與那覇潤著『帝国の残影兵士・小津安二郎の昭和史』(文藝春秋、本体1,330円)が刊行された。

画像5

 2000年(平成12年)3月8日、「ちくま文庫」、竹中労(1928年3月30日~1991年5月19日)著『断影 大杉栄』(筑摩書房、本体740円)が刊行された。
 同書の「プロロオグ」より引用する(15頁)。

 敗戦後氾濫した革命文献のなかに、アナキズムに関する書物を見ることは稀であった。『大杉栄全集』が復刻されたのは一九六三年(昭和38、世界文庫)、〝六〇年安保闘争〟に遅れること三年の後である。大杉栄の名がマスコミの所有に帰したのはさらに六年後、瀬戸内晴美(寂聴)『美は乱調にあり』が文藝春秋誌に連載され、吉田喜重監督『エロスプラス虐殺』が封切られた一九六九年。東大闘争が敗北して、〝前段階武装蜂起〟へと学生運動がむかうころだが、いずれも断章のイメエジである。「葉山日陰茶屋ひかげのちゃや」、伊藤野枝&神近市子との三角関係刃傷事件をクローズ・アップしている。

「日本映画思想史」

 1970年(昭和45年)10月15日、39歳の佐藤忠男(1930年10月6日~2022年3月17日)著『日本映画思想史』(三一書房、1,200円)が刊行された。
 同書のⅠ「日本映画におけるフェミニズムの伝統」、3「自由な女たち」より引用する(47頁)。

ここ数年、明治末期から大正時代へかけての日本の革命家たちの思想と行動を主題にした小説や戯曲や映画が数多く出ている。木下順二の戯曲「冬の時代」、宮本研の戯曲「美しきものの伝説」、瀬戸内晴美の小説「美は乱調にあり」、福田善之の戯曲「魔女伝説」、絲屋寿雄の評伝「菅野すが」、そして吉田喜重の映画「エロス+虐殺」である。

 1933年(昭和8年)1月11日、29歳の岡田時彦(1903年2月18日~1934年1月16日)と25歳の田鶴園子(1907年10月25日~ 1989年10月8日)の長女・岡田茉莉子が生まれた。

 竹中労断影 大杉栄』、「襤褸の巷」より引用する(138頁)。

  後年、映画『エロス+虐殺』で、野枝を演じた岡田茉莉子の父親も、大杉の毒に痺れた一人だった。大杉にならい魔子と名づけようとしたのだが、周囲の反対で茉莉子とする。岡田時彦、「大正活映」(谷崎潤一郎主宰)から内田吐夢らと共に巣立って、人気ナンバー1のスターとなり、銀幕に驕名をほしいままにした人である。

    木下順二『冬の時代』

 1964年(昭和39年)3月23日、 紀伊國屋書店新宿店が竣工し、4階に紀伊國屋ホール(座席数418)が開場した。
 建築設計は前川國男(1905年5月14日~1986年6月26日)だった。

画像6

   1964年(昭和39年)9月3日から22日まで、東横ホール(座席数1,002人)で、劇団民藝公演、50歳の木下順二(1914年8月2日~2006年10月30日)作、49歳の宇野重吉(1914年9月27日~1988年1月9日)演出の戯曲『冬の時代』が初演された。
 入場料はA800円、B600円だった。

 57歳の滝沢修(1906年11月13日~2000年6月22日)が堺利彦(1871年1月15日~1933年1月23日)に扮した。
 55歳の小夜福子(さよ・ふくこ、1909年3月5日~1989年12月29日)が堺夫人為子、1872年5月19日~1959年1月2日)に扮した。
 36歳の鈴木瑞穂(すずき・みずほ、1927年10月23日~2023年11月19日)が大杉栄に扮した。
 47歳の芦田伸介(1917年3月14日~1999年1月9日)が荒畑寒村(あらはた・かんそん、1887年8月14日~1981年3月6日)に扮した。
 43歳の山内明(1921年7月11日~1993年10月29日)が橋浦時雄(1891年6月21日~1969年2月10日)に扮した。

「展望」復刊号

 『展望』(筑摩書房)1964年(昭和39年)10月号「復刊号」に、木下順二冬の時代』が掲載された。

「冬の時代」

 1964年(昭和39年)10月10日、木下順二著『冬の時代』(筑摩書房、380円)が刊行された。
 函表紙帯に「大逆事件後、逼塞する社会主義者――堺利彦・大杉栄・山川均らの群像をえがき、現代の日本の状況理解に大きな示唆を与える問題作。民芸公演。」とある。

 佐藤忠男日本映画思想史』、Ⅰ「日本映画におけるフェミニズムの伝統」、3「自由な女たち」より引用する(47~48頁)。

   木下順二が「冬の時代」で強調したのは、大逆事件からロシア革命にいたる時代が日本の社会主義者が官憲の圧迫で手も足も出なかった〝冬の時代”だったということである。激しい弾圧で何もすることができなくなった社会主義者たちは、苦労人の堺利彦がつくった売文社にあつまって、翻訳から手紙の代筆まで、文章で商売になることはなんでもやって冬の時代の過ぎるのを待つ。堺利彦は、監獄から出てくる同志たちの生活のめんどうをみるだけでなく、主義主張の違う連中を来るべき春の時代まで同志として連帯させておくためにも苦労するのである。木下順二は、この時代の社会主義運動の沈滞を、明らかに、六〇年安保闘争の挫折後の社会主義運動の停滞ということと重ね合わせて考えている。そして、大きな挫折のあとではとかく革命運動は四分五裂になりやすいものであり、それを誰か、人間的に大きな包容力のある苦労人がまとめてゆくことが必要だ、というメッセージをおくっているように見受けられる。木下順二は、現代の日本の進歩的な文化運動のまとめ役みたいな機関である国民文化会議の中心人物の一人であるが、その意味で、これは、作者が、自分も堺利彦のような人物でありたい、と願い、その願いを描き出した芝居であると読める。そして、たしかにこの芝居は、作者のまじめな願いを率直に出しているという良さはあるが、はたしてそんなふうに、あの時代と現代とを比較していいものだろうか、という疑いもおこる。というのは、大逆事件以後の社会主義運動の沈滞というのは、基本的には官憲の弾圧の激しさによる物理的なものであるのに対して、六〇年安保のそれは、むしろ既成の社会主義運動に対する幻滅、という、より思想的なものだからである。血の気の多い同志たち多数を、まあまあといってまとめてなるべくのんびりさせる堺利彦のイメージは、当時のこととしては納得できるが、現代の左翼に対する忠告としては意味をなさない、と感じられるからである。いま必要なことは、思想的にダメな部分をはっきりさせてゆくことだ、と、逆に感じられるからである。

 瀬戸内晴美『美は乱調にあり』

「文藝春秋」1965年4月特別号

 『文藝春秋』(文藝春秋新社)1965年(昭和40年)4月特別号「特集:日本人の戦後20年」から12月号まで、瀬戸内晴美(1922年5月15日~ 2021年11月9日)による、大杉栄と共に28歳で虐殺された伊藤野枝の伝記小説『美は乱調にあり』が連載された。

 1965年(昭和40年)12月1日付けで、東京高裁幸徳事件再審請求棄却を決定した。12月14日、再審請求人の坂本清馬森近栄子は、高裁の再審請求棄却決定に憲法違反があるとして、最高裁に特別抗告を申し立てた。

画像10

   1966年(昭和41年)3月1日、瀬戸内晴美著『美は乱調にあり』(文藝春秋、480円)が刊行された。
 装幀は43歳の朝倉摂(1922年7月16日~2014年3月27日)だった。

   1967年(昭和42年)7月5日、最高裁は、坂本清馬森近栄子の特別抗告を棄却した。

   『思想の科学』1968年(昭和43年)4月号から12月号まで、瀬戸内晴美による管野須賀子(スガ)(1881年6月7日~1911年1月25日)の伝記小説『遠い声』が連載された。

 宮本研『美しきものの伝説』

 『展望』1968年(昭和43年)4月号に、41歳の宮本研作の戯曲『美しきものの伝説』(幕間狂言をもつ弐幕)が掲載された。

文学座公演「美しきものの伝説」

  1968年(昭和43年)4月10日から23日まで、新宿の朝日生命ホールで、文学座公演、宮本研作、36歳の木村光一(1931年10月3日~)演出の戯曲『美しきものの伝説』(幕間狂言をもつ弐幕)(『悲恋 あゝ松井須磨子』改題)が初演された。料金は1,000円だった。

「文学座通信」美しきものの伝説

 35歳の金内喜久夫(1933年1月29日~2020年4月28日)が「先生」(島村抱月、しまむら・ほうげつ、1871年2月28日~1918年11月5日)に扮した。
 35歳の川辺久造(1932年8月12日~)が「ルパシカ」(小山内薫、おさない・かおる、1881年7月26日~1928年12月25日)に扮した。
 24歳の江守徹(1944年1月25日~)が「早稲田」(澤田正二郞、1892年5月27日~1929年3月4日)に扮した。
 25歳の小野武彦(1942年8月1日~)が「音楽学校」(中山晋平、1887年3月22日~1952年12月30日)に扮した。
 28歳の坂口芳貞(1939年10月2日~2020年2月13日)が「学生」(久保栄(1900年12月28日~1958年3月15日))に扮した。
 28歳の菅野忠彦(1939年9月23日~)が「クロポトキン」(大杉栄)に扮した。
 25歳の石立鉄男(1942年7月31日~2007年6月1日)が「暖村」(荒畑寒村)に扮した。
 38歳の加藤武(1929年5月24日~2015年7月31日)が「四分六」(堺利彦)に扮した。
 23歳の吉野佳子(1944年10月5日~)が「野枝」に扮した。
 28歳の小川真由美(1939年12月11日~)が「モナリザ」(平塚らいてう)に扮した。
 28歳のしめぎしがこ(1939年8月1日~)が「サロメ」(神近市子)に扮した。
 32歳の宮崎和命(1936年3月18日~1990年7月22日)が「尾行」に扮した。
 27歳の細川俊之(1940年12月15日~2011年1月14日)が「幽然坊」(辻潤)に扮した。
 24歳の太地喜和子(1943年12月2日~1992年10月13日)が「突然坊」に扮した。

 名古屋公演は5月3日から5日まで中日劇場で、大阪労演主催の大阪公演は5月7日から16日までサンケイホールで、横浜演劇研究所主催の横浜公演は5月22日、23日、横浜青少年ホールでおこなわれた。 

 2008年(平成20年)5月9日の25時から27時44分まで、NHK衛星第二で放映されたミッドナイトステージ館昭和演劇大全集』第28回「宮本研の『美しきものの伝説』」(1994年(平成6年)7月、俳優座劇場にて「座・新劇」、64歳の石澤秀二(1930年4月10日~) 演出による公演の収録)に基づく、2012年(平成24年)11月22日発行、渡辺保(1936年1月10日~)、高泉淳子(1958年7月26日~)著『昭和演劇大全集』(平凡社、本体2,800円)の『美しきものの伝説』の回の渡辺の発言を引用する(313頁)。

 この「美しきものの伝説」は、新劇が本来持っている三つの問題意識、革命思想、女性解放、それからもう一つは演劇の改革という三大課題をテーマにしていながら、舞台の上では、立派なことをいう革命家が、誰にもある男と女の関係で悩んでいたり、ある場面では、堺利彦と大杉栄が民衆というものの捉え方について議論したりする。そしてロマン・ロランの民衆演劇論を引きながら、観客が集まらなければ芝居にならないという演劇の本質論へまで行くわけです。そこまで幅広く思想と人情を描きながらテーマに迫っていけるのは、戯曲がとてもうまくできているからです。

  1968年(昭和43年)9月26日、大杉榮伊藤野枝の長女・青木真子大杉魔子)(1917年9月~1968年9月26日)が51歳で亡くなった。

   1969年(昭和44年)2月10日、橋浦時雄が77歳で亡くなった。

魔女伝説

 1969年(昭和44年)3月7日から13日まで、朝日生命ホールで、劇団自由劇場第11回公演、37歳の福田善之(1931年10月21日~)作、41歳の観世栄夫(1927年8月3日~2007年6月8日)演出の戯曲『魔女傳説』が初演された。

 36歳の渡辺美佐子(1932年10月23日~)が管野スガに扮した。
 34歳の岡村春彦(1935年3月9日~2020年5月31日)が行徳伝三郎幸徳秋水)に扮した。
 23歳の廣瀬昌亮(1946年1月7日~1999年3月7日)が新納忠雄新村忠雄)に扮した。
 26歳の串田和美(1942年8月6日~)が宮口太市宮下太吉)に扮した。
 35歳の山谷初男(1933年12月19日~2019年10月31日)が古賀力策古河力作)に扮した。

  佐藤忠男著『日本映画思想史』、Ⅰ「日本映画におけるフェミニズムの伝統」、3「自由な女たち」より引用する(48~49頁)。

   より若い世代に属する宮本研と福田善之は、それぞれ、「冬の時代」と共通する人物たちを登場させながら、より鋭く、今日的な問題点を浮きぼりにしていた。宮本研が「美しきものの伝説」で描いていたのは、思想的な挫折の中から生まれてくる芸術の問題であった。舞台には登場しないが、登場人物たちがみんな共通して関心をもっているマボロシのヒロインとでもいうべき人物として女優の松井須磨子が設定され、これが〝美しきものの伝説〟なのである。堺利彦、大杉栄、その他多くの革命家たちは、せいいっぱいの生き方をつうじて、結局は、人間解放という目標を追求するのである。ところが、これら革命家たちが果てしない議論と危険な行動の彼方に夢みている自由な人間というビジョンを、一人の、あまり利口でもなさそうな女が、いともやすやすと実現してみせている。それが松井須磨子である。革命家たちはいとも無邪気にかの女の噂をし、かの女に憧れ、そしてまた、溜息をつくようにして、革命という、しんどい仕事にかかっれゆく。宮本研はここで、政治的な停滞の時代にも芸術は前進するし、むしろ芸術こそは前進せねばならぬ、政治運動と芸術運動は、弁証法的にかかわり合うことによってこそ前進してゆくだろう、と、社会主義運動停滞の現状における左翼的芸術家の使命感を吐露しているように思われる。そして、それは、悲しくもユーモラスな反語の響きをも含んでいる気配であって、芸術というもののはかなさと、そのはかないものの中にこめられた人々の夢の大きさを痛感させるわけである。
 福田善之が「魔女伝説」でとりあげたのは大逆事件の管野すがだった。つまり、テロリズムの問題である。思想家であり革命の理論家である幸徳秋水は、原則的には文筆による啓蒙活動によって革命の必要を徐々に認識させてゆかなければならぬと考える。しかし、かれの愛人の管野すがは、理論よりも行動を、啓蒙よりも衝撃を、と、天皇暗殺の計画に一途にうちこんでいって、ついにこの計画には直接の関係のなかった幸徳たち多数の同志を死に追いこむ。ハネ上がったテロリストが運動全体に致命的な弾圧をまねく。が、しかし、福田善之はかの女のハネ上がりを批判するわけではない。思想や理論は、このような魔女の出現によってこそはじめて生命をふきこまれるのだということを語っているのである。管野すがと同棲して真面目な同志たちからふしだらだと批難される幸徳は、自分の思想がかの女の行動を生んだことをむしろ誇りとして死刑にのぞんでゆく。ここにも明らかに、現在の進歩的文化人と過激派の学生新左翼のあるべき関係についての福田善之のメッセージが汲みとれるであろう。すなわち、幸徳秋水が文筆活動だけで革命をすすめる進歩的文化人であり、管野すがは直接行動に突進する過激な新左翼である。ただ、今日の思想状況では、進歩的文化人はしばしば過激な新左翼につきあげられるあまり、かれらをハネ上がりとして批難する側にまわるが、福田善之の描いた幸徳秋水は、自分が菅野を育てたことを決して後悔しないばかりか、ともに寝、ともに死ぬのである。そこに、福田善之の考える進歩的文化人の理想があるのだろう。

 映画劇『エロス+(プラス)虐殺』

 1969年(昭和44年)8月、フランスのアヴィニョン演劇祭(Festival d'Avignon)で、現代映画社製作、 38歳の山田正弘(1931年2月26日~2005年8月10日)、 36歳の吉田喜重(1933年2月16日~2022年12月8日)脚本、吉田喜重監督の映画劇『エロス+(プラス)虐殺』Eros + Massacre(202分)が公開された。

 『美しきものの伝説』では辻潤に扮した、28歳の細川俊之大杉栄に扮した。
 36歳の岡田茉莉子伊藤野枝魔子に扮した。
 36歳の楠侑子(1933年1月1日~)が正岡逸子神近市子)に扮した。
 33歳の高橋悦史(1935年8月2日~ 1996年5月19日)が辻潤に扮した。
 34歳の稲野和子(1935年1月3日 ~2014年12月18日)が平賀哀鳥平塚らいてう)に扮した。
 30歳の八木昌子(1938年9月2日~2015年9月13日)が堀保子に扮した。
 25歳の新橋耐子(1944年3月27日~)が代千代子に扮した。
 松枝錦治堺利彦に扮した。
 29歳の坂口芳貞荒谷来村荒畑寒村)に扮した。
 高木武彦奥村博史(1889年10月4日~1964年2月18日)に扮した。
 宮崎和命俥屋に扮した。

 伊井利子が1969年(昭和44年)3月7日から4月1日現在の20歳の女子大生・束帯永子、24歳の玉井碧(1945年1月2日~)が打呂井恵、25歳の原田大二郎(1944年4月5日~)が和田究金内喜久男日代真実二川辺久造畝間満を演じた。

 文学座美しきものの伝説』の出演者のうち、細川俊之坂口芳貞宮崎和命金内喜久男川辺久造が出ている。

画像14

 『映画評論』(新映画)1969年(昭和44年)9月号、「吉田喜重研究」に、49歳の関根弘(1920年1月31日 ~1994年8月3日)「「エロス+虐殺」についてフリー・ラブと鹿の園」、65歳の秋山清「エロス+虐殺」についての随筆的感想」、『映画芸術』(編集プロダクション映芸)1969年(昭和44年)9月号に、シナリオ『エロス+虐殺』、『エロス+虐殺』評(1)33歳の今野勉(1936年4月2日~)「不能と可能のネジ式感覚」、(2)32歳の別役実(1937年4月6日~2020年3月3日)「振り返ったペルセウス」、(3)39歳の飯島耕一(1930年2月25日~2013年10月14日)「鍵のない部屋の情事」、(4)38歳の磯田光一(1931年1月18日~1987年2月5日)「革命不在情況の背理」、(5)36歳の種村季弘(1933年3月21日~2004年8月29日)「夢のなかに落してきた耳」が掲載された。

 1969年(昭和44年)10月15日、パリのラ・パゴードゥ(La Pagode)で、映画『エロス+虐殺』Eros + Massacreが公開された。 

 佐藤忠男著『日本映画思想史』、Ⅰ「日本映画におけるフェミニズムの伝統」、3「自由な女たち」より引用する(49頁~50頁)。

 「エロス+虐殺」は、大杉栄(細川俊之)を主人公にして、かれと伊藤野枝(岡田茉莉子)、堀保子(八木昌子)、正岡逸子(楠侑子)の三人の女性の間で行なわれた、いわゆるフリー・ラブを中心的なテーマにしたものである。
 大杉栄はアナーキストとして私有財産制に反対する思想活動を展開したわけであるが、同時に一夫一婦制をも性の私有であるとして否定し、自由恋愛、すなわちフリー・ラブを主張した。そして、同時に三人の女性と交渉をもち、同志たちからも批難された。大杉栄は、互いに相手の自由を認め合うならばセックスの自由は成り立つはずであると考えたが、じっさいには女同士の激しい嫉妬を生み、ついに、日陰茶屋という旅館で大杉と伊藤と神近(映画では正岡)がいっしょになったとき、大杉は神近によって刺されて負傷した。
 吉田喜重は、この史実を、現代における若者たちのフリー・セックスの問題と重ね合わせてドラマをつくりあげている。現代の若い女子学生が、これといった感動もなしにテレビのコマーシャル・フィルム作家と寝て、なんということもなく金を受け取り、それが売春禁止法にひっかかるということで刑事から追及される、というストーリーがいっぽうにある。ストーリーというほどでもなく、ほとんど断片的風俗といってよいものである。この女子学生が、卒論でも書くためか、大杉栄とかれのフリー・ラブの実践をめぐっておこった大正時代の事件に興味をもっていて、これを研究する。かの女はマイクをもって、大杉栄の愛人伊藤野枝の遺児である魔子にインタビューをする。といっても、画面に登場する魔子はまだ若い女であり、五十年前に死んだ伊藤野枝の子としては明らかに年齢が合わない。したがって、このインタビューは架空のものであり、束帯永子というこの女子学生の、夢かうつつかという想像の世界である。その想像の世界のなかに、とぎれとぎれに、大杉とその愛人たちと同志たちの事件が入ってくる。

 1969年(昭和44年)10月21日、創立50周年の「国際労働組織」がノベル平和賞を受賞した。

 1970年(昭和45年)1月20日、「岩波新書」、61歳の絲屋寿雄(1908年10月18日~1997年5月21日)著『菅野すが平民社の婦人革命家像』(岩波書店、230円)が刊行された。

 1970年(昭和45年)3月5日、瀬戸内晴美著『遠い声』(新潮社、800円)が刊行された。
 装幀は49歳の駒井哲郎(1920年6月14日~1976年11月20日)だった。

「エロス+虐殺」ポスター

 1970年(昭和45年)3月14日から5月1日まで、新宿文化劇場日劇文化劇場で、現代映画社製作、日本アート・シアター・ギルド配給の映画『エロス+虐殺』(167分)が公開された。 
 神近市子のモデル問題を起こしたため、国内では短縮版が公開された。

 1971年(昭和46年)5月24日、平塚らいてうが85歳で亡くなった。

 宮本研『ブルーストッキングの女たち』

 1976年(昭和51年)秋の資生堂のアイスチックカラー「シフォネット」(1,500円)、メイクアップ・フィニッシュ「スプレンス」(2,500円)キャンペーン「ゆれるまなざし」のポスターは4月に浜松で1か月かけて撮影された。
 アート・ディレクターが42歳の水野卓史(1933年11月21日~)、デザイナーが鬼澤邦、コピーライターが33歳の小野田隆雄(1942年7月25日~)、フォトグラファーが29歳の十文字美信(1947年3月4日~)、モデルが身長156㎝の16歳の真行寺君枝(1959年9月24日~)だった。

 1976年(昭和51年)7月21日、資生堂キャンペーンソング、32歳の小椋佳(1944年1月18日~) 「揺れるまなざし」「雨の露草に似て」のシングル盤(DKQ 1005、600円)が発売された。
 資生堂化粧品の販促グッズとして販売店に配られた非売品のシングル盤(DI 1290)、小椋佳揺れる、まなざし」「しじま」も作られた。

 1977年(昭和52年)9月11日、愛玩犬を主人公とするアメリカの映画劇『ベンジーの愛』For The Love of Benji(85分。1977年6月10日公開)の上映を最後に新宿文化劇場が閉館した。 

 1981年(昭和56年)2月22日、鈴木清順(1923年5月24日~2017年2月13日)監督の映画劇『ツィゴイネルワイゼン』(145分。1980年4月1日公開)の上映を最後に日劇文化劇場が閉館した。

 1981年(昭和56年)3月6日、荒畑寒村が93歳で亡くなった。

 1981年(昭和56年)8月1日、神近市子が93歳で亡くなった。

 1981年(昭和56年)8月、文学座を退団した49歳の演出家・木村光一(1931年10月3日~)が演劇企画制作団体「地人会」を結成した。

  1982年(昭和57年)11月3日、世田谷区北沢に演劇専用の本多劇場(座席数386)が開場した。

    1983年(昭和58年)1月4日から26日まで、日本橋三越本店本館6階の三越劇場(座席数514)で、56歳の宮本研作、51歳の木村光一演出の戯曲『ブルーストッキングの女たち』が公演された。
 41歳の三田佳子(1941年10月8日~)が伊藤野枝に扮した。
 42歳の上月晃(1940年4月6日~1999年3月25日)が神近市子に扮した。 
 51歳の北村昌子(1931年12月7日~)が平塚らいてうに扮した。
 43歳の菅野忠彦大杉栄に扮した。
 38歳の石田太郎(1944年3月16日~2013年9月21日)が甘粕正彦(あまかす・まさひこ、1891年1月26日~1945年8月20日)憲兵大尉に扮した。
 38歳の新橋耐子(1944年3月27日 ~)が松井須磨子(まつい・すまこ、1886年3月8日~1919年1月5日)に扮した。

 1幕1場「大正元年 1912年初秋。青鞜社事務所」から2幕6場「終幕」までの構成で、1幕3場の「大正2年 1913年晩秋」の場面に本郷座公演、松井須磨子主演のイプセン作『人形の家』第3幕の公開稽古が挿入される。

 1984年(昭和59年)6月22日から7月8日まで、本多劇場で、地人会第8回公演、宮本研作、52歳の木村光一演出『美しきものの伝説』が公演された。
 24歳の真行寺君枝野枝に扮した。
 35歳の風間杜夫(1949年4月26日~)がクロポトキンこと大杉栄に扮した。

 『華の乱』

永畑道子「夢のかけ橋」

 1985年(昭和60年)1月30日、54歳の永畑道子(1930年9月27日~2012年6月24日)著『夢のかけ橋晶子と武郎有情』(新評論、1,500円)が刊行された。

永畑「華の乱」

 1987年(昭和62年)9月15日、56歳の永畑道子著『華の乱』(新評論、2,200円)が刊行された。

 1987年(昭和62年)11月5日から15日まで、本多劇場で、地人会公演22、宮本研作、56歳の木村光一演出の戯曲『ブルー・ストッキングの女たち』が公演された。
 27歳の石田えり(1960年11月9日~)が伊藤野枝に扮した。
 30歳の西山水木(1957年11月1日~)が神近市子に扮した。
 41歳の高林由紀子(1945年12月10日~)が平塚らいてうに扮した。
 24歳の岡本舞(1963年6月1日~)が紅吉(1893年3月26日~1966年9月22日)に扮した。
 43歳の清水綋治(1944年2月11日~)が大杉栄に扮した。
 44歳の寺田路恵(1942年11月27日~)が松井須磨子に扮した。
 44歳の高橋長英(1942年11月29日~)が荒畑寒村に扮した。
 36歳の江藤潤辻潤に扮した。

 1988年(昭和63年)2月28日、宮本研が61歳で亡くなった。

画像13
画像14

  1988年(昭和63年)10月1日、永畑道子華の乱』『夢のかけ橋』を原作とする、58歳の深作欣二(ふかさく・きんじ、1930年7月3日~2003年1月12日)、40歳の筒井ともみ(1948年7月10日~)、54歳の神波史男(こうなみ・ふみお、1934年1月10日~2012年3月4日)脚本、深作監督の東映映画劇『華の乱』(139分)が公開された。

 43歳の吉永小百合(1945年3月13日~)が与謝野晶子(よさの・あきこ、1878年12月7日~1942年5月29日)に扮した。
 38歳の松田優作(1949年9月21日~1989年11月6日)が有島武郎(ありしま・たけお、1878年3月4日~1923年6月9日)に扮した。
 27歳の石田えり伊藤野枝に扮した。
 29歳の池上季実子(1959年1月16日~)が有島と心中した中央公論社の高級女性誌『婦人公論』記者・波多野秋子(1894年10月~1923年6月9日)に扮した。
 47歳の石橋蓮司(1941年8月9日~)が沢田正二郎(1892年5月27日~1929年3月4日)に扮した。
 43歳の蟹江敬三(1944年10月28日~2014年3月30日)が島村抱月に扮した。
 39歳の風間杜夫大杉栄に扮した。
 36歳の松坂慶子(1952年7月20日~)が松井須磨子に扮した。
 51歳の緒形拳(おがた・けん、1937年7月20日~2008年10月5日)が与謝野寛(1873年2月26日~1935年3月26日)に扮した。

 映画『華の乱』は、大まかには特定の時代の特定の社会を再現し、実在の有名人の愛と性と経済と社会差別を描きながら、史実から自由に創作され、歴史的過去の社会像の忠実な再現としては不正確さが目立つ上、構成は散漫だ。
 分別を欠くが行動力のある知識人女性と理想に捉われすぎて行動に挫折する知識人男性、晶子与謝野寛晶子有島武郎のあいだに生じた関係を主物語として、抱月須磨子大杉栄伊藤野枝有島武郎波多野秋子の類比的な関係性が並行してほのめかされる。

 しかし、抱月の人物像はほとんど描かれず、須磨子はその分別を欠いた自己主張と狂気だけが類型的な演技で強調され、伊藤野枝と波多野秋子が中心の断片的な場面では紋切り型の要約的な台詞に頼りすぎている。

 1901年(明治34年)春の京都で夜、22歳の女主人公・鳳晶子が人力車に乗って、高名な歌人で妻子のある27歳の与謝野寛に会いに行く場面から始まる。
 二人の情事の場面の画面に白文字で「乳ぶさおさへ/神秘のとばりそとけりぬ/ここなる花の/紅ぞ濃き」「春みじかし/何に不滅のいのちぞと/ちからある乳を/手にさぐらせぬ」が表示され、画面外の晶子の声がこの二首の歌を読み上げる。

 1923年(大正12年)、東京の與謝野家の寝室兼書斎で朝6時、寛以上の人気歌人となっている34歳の与謝野晶子が目覚める場面に飛ぶ。「どうしてあんな夢を見たのだろう」。
 晶の寝室には寛ではなく34歳の書生の深尾須磨子(1888年11月18日~1974年3月31日)(斉藤絵里、1963年11月13日~)が寝ている。

 その夜、帝國劇場で、松井須磨子主演、トルストイ作、抱月演出、藝術座復活』が公演される。第1幕・第2場のカチューシャとネフリュードフ(Нехлюдов)(沢田正二郎)が「カチューシャの唄」を歌う場面、第5幕・の復活祭のシベリアでのカチューシャとネフリョードフの別れに続き、カチューシャが最後の台詞「キリストは蘇りたまへり」を言う場面が演じられる。
 終演後の帝國劇場の前で眼鏡の大杉栄和田久太郎(1893年2月6日~ 1928年2月20日)(内藤剛志、1955年5月27日~)、古田大次郎(1900年1月1日~1925年10月15日)の3人の無政府主義者が「無政府主義萬歳」の黒旗を広げ、ビラを撒き、「精神に自由を」などと演説しながら、警官隊に追われる。
 そこに45歳の有島武郎が運転し、サイドカーに波多野秋子の乗ったオートバイが乱入し、晶子の乗った人力車にぶつかる。

 史実では、4年以上前、47歳の抱月は1918年(大正7年)11月5日、32歳の須磨子は1919年(大正8年)1月5日に亡くなっていた。
 他方で、史実では、34歳の沢田正二郎が『復活』に出たのは、震災後の1925年(大正14年)4月に建築された新橋演舞場での、映画の出来事の3年以上後の1926年(大正15年)11月の公演だ。
 無政府主義者の描写も史実では15年前の1908年(明治41年)6月22日の赤旗事件の時代に近いと考えられる。

 有島がお詫びの品として三越から晶子に西洋風の高級な帽子と洋服を送らせた直後、晶子は有島邸に品を返しに行くが、そこに雑誌『勞働運動』の束を抱えた大杉栄と和田久太郎が逃げ込んでくる。

 与謝野寛が故郷の京都府郡部選挙区から出馬した選挙は史実では8年前の1915年(大正4年)3月25日の第12回衆議院議員総選挙だ。

 結婚前に寛を慕っていた山川登美子(1879年7月19日~1909年4月15日)(中田喜子、1953年11月22日~)が結核のため29歳で亡くなったのは史実では14年前のことだった。

 伊藤野枝晶子と知り合ったのは史実では青鞜社を介してだったが、映画『華の乱』では1923年(大正12年)の大杉栄のフランス渡航(史実では1923年(大正12年)1月5日に上海でフランス船に乗船)直前に初めて出会う。野枝の前の夫、虚無僧姿の辻潤と長男・辻まこと(1913年9月20日~1975年12月19日)が通り過ぎるが、この描写はあきらかに『ブルーストッキングの女たち』の模倣だ。

 史実では辻潤が虚無僧姿で放浪を始めたのは9年後の1932年(昭和7年)6月以後のことだった。
 有島武郎が北海道狩太の有島農場を解放したのは、史実では1922(大正11)年7月18日のことだった。

 映画は関東大震災から間もない廃墟で、大杉栄伊藤野枝が虐殺されたという号外が出て、馬に乗った憲兵に和田久太郎古田大次郎が連行される場面で終わるが、史実では、1924年(大正13年)9月1日、震災の一周年忌に、31歳の和田と24歳の古田は大杉の復讐のため、58歳の福田雅太郎陸軍大将(1866年7月7日~1932年6月1日)暗殺を企て、逮捕され、古田は刑死し、和田は獄中で自殺した。

 2004年(平成16年)11月、新宿の朝日生命ホールが閉館した。

 2006年(平成18年)9月15日、新宿文化ビルの三和興行の新宿文化シネマ1(408席)、新宿文化シネマ2(420席)、新宿文化シネマ3(62席)、新宿文化シネマ4(56席)が閉館した。

 2006年(平成18年)10月30日、木下順二が92歳で亡くなった。

 2006年(平成18年)12月9日、新宿文化ビルの6階、7階に、株式会社エスピーオー直営の映画館「シネマート新宿」(スクリーン1の座席数335、スクリーン2の座席数62)が開館した。各回完全入替制で全席指定席だが、スクリーン1の初回の上映のみ自由席だった。
 新宿文化ビルの4階、5階に角川ヘラルド映画が経営する「新宿ガーデンシネマ」(「シネマ1」の座席数300席、「シネマ2」の座席数56)が開館した。

   2007年(平成19年)10月、地人会が活動休止した。

 2008年(平成20年)6月14日、「新宿ガーデンシネマ」が「角川シネマ新宿」に改称された。

 2008年(平成20年)10月15日、朝日生命本社ビル跡地に地上50階、地下4階、塔屋2階のモード学園コクーンタワーが竣工した。

    2008年(平成20年)11月6日、モード学園コクーンタワーの地下1階、地下2階にBOOK1st(ブックファースト)新宿店が開業した。

 2018年(平成30年)7月28日、KADOKAWAの映画館「角川シネマ新宿」がアニメ専門劇場「EJアニメシアター新宿」として改装開館した。4階は「シネマ1」(座席数300)を維持、5階の旧「シネマ2」はコラボカフェ&ギャラリーに変更された。




この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?