『美しきものの伝説』『エロス+虐殺』
村山由佳『風よ あらしよ』
2018年(平成30年)6月15日発売の『小説すばる』(集英社)7月号(937円)から、伊藤野枝(いとう・のえ、1895年1月21日~1923年9月16日)の評伝小説、53歳の村山由佳(1964年7月10日~)著『風よ あらしよ』の連載が始まった。
2020年(令和2年)1月17日発売の『小説すばる』2月号(960円)で、55歳の村山由佳著『風よ あらしよ』の連載が完結した。
2020年(令和2年)9月30日、56歳の村山由佳著『風よ あらしよ』(集英社、本体2,000円)が刊行された。
装画はオカダミカだ。
2022年(令和4年)3月31日、19時~21時、NHK BS8Kで、村山由佳原作、46歳の矢島弘一(1975年8月26日~ )脚本、柳川強(やながわ ・よし、1964年~)演出のテレビ劇『風よ あらしよ』が放映された。
撮影は2022年(令和4年)1月におこなわれた。
33歳の吉高由里子(1988年7月22日~)が伊藤野枝、39歳の永山瑛太(1982年12月13日~)が大杉栄(おおすぎ・さかえ、1885年1月17日~1923年9月16日)、36歳の松下奈緒(1985年2月8日~)が平塚らいてう(1886年2月10日~1971年5月24日)、35歳の美波(みなみ、1986年9月22日~)が神近市子(かみちか・いちこ、1888年6月6日~1981年8月1日)を演じた。
2022年(令和4年)9月4日~18日、日曜22時~22時49分、NHK BSP・BS4Kでテレビ劇『風よ あらしよ』全3回が放映された。
2023年(令和5年)4月20日、「集英社文庫」、村山由佳著『風よ あらしよ』上・下(集英社、各巻本体900円)が刊行された。
下巻の解説は74歳の上野千鶴子(1948年7月12日~)だ。
大学闘争の時代と大杉栄
2022年(令和4年)6月10日、東京・五反田のゲンロンカフェで、呉座勇一(1980年~)、辻田真佐憲(つじた・まさのり、1984年~)、與那覇潤(よなは・じゅん、1979年~)による鼎談イベント「開かれた歴史実証主義にむけて:日本史学のねじれを解体する2」が開催された。
與那覇による宮本研(1926年12月2日~1988年2月28日)の戯曲『美しきものの伝説』の紹介のくだりより引用する。
2011年(平成23年)1月14日、與那覇潤著『帝国の残影:兵士・小津安二郎の昭和史』(NTT出版、本体2,300円)が刊行された。
2022年(令和4年)10月10日、「文春学藝ライブラリー」、與那覇潤著『帝国の残影:兵士・小津安二郎の昭和史』(文藝春秋、本体1,330円)が刊行された。
2000年(平成12年)3月8日、「ちくま文庫」、竹中労(1928年3月30日~1991年5月19日)著『断影 大杉栄』(筑摩書房、本体740円)が刊行された。
同書の「プロロオグ」より引用する(15頁)。
1970年(昭和45年)10月15日、39歳の佐藤忠男(1930年10月6日~2022年3月17日)著『日本映画思想史』(三一書房、1,200円)が刊行された。
同書のⅠ「日本映画におけるフェミニズムの伝統」、3「自由な女たち」より引用する(47頁)。
1933年(昭和8年)1月11日、29歳の岡田時彦(1903年2月18日~1934年1月16日)と25歳の田鶴園子(1907年10月25日~ 1989年10月8日)の長女・岡田茉莉子が生まれた。
竹中労『断影 大杉栄』、「襤褸の巷」より引用する(138頁)。
木下順二『冬の時代』
1964年(昭和39年)3月23日、 紀伊國屋書店新宿店が竣工し、4階に紀伊國屋ホール(座席数418)が開場した。
建築設計は前川國男(1905年5月14日~1986年6月26日)だった。
1964年(昭和39年)9月3日から22日まで、東横ホール(座席数1,002人)で、劇団民藝公演、50歳の木下順二(1914年8月2日~2006年10月30日)作、49歳の宇野重吉(1914年9月27日~1988年1月9日)演出の戯曲『冬の時代』が初演された。
入場料はA800円、B600円だった。
57歳の滝沢修(1906年11月13日~2000年6月22日)が堺利彦(1871年1月15日~1933年1月23日)に扮した。
55歳の小夜福子(さよ・ふくこ、1909年3月5日~1989年12月29日)が堺夫人(為子、1872年5月19日~1959年1月2日)に扮した。
36歳の鈴木瑞穂(すずき・みずほ、1927年10月23日~2023年11月19日)が大杉栄に扮した。
47歳の芦田伸介(1917年3月14日~1999年1月9日)が荒畑寒村(あらはた・かんそん、1887年8月14日~1981年3月6日)に扮した。
43歳の山内明(1921年7月11日~1993年10月29日)が橋浦時雄(1891年6月21日~1969年2月10日)に扮した。
『展望』(筑摩書房)1964年(昭和39年)10月号「復刊号」に、木下順二『冬の時代』が掲載された。
1964年(昭和39年)10月10日、木下順二著『冬の時代』(筑摩書房、380円)が刊行された。
函表紙帯に「大逆事件後、逼塞する社会主義者――堺利彦・大杉栄・山川均らの群像をえがき、現代の日本の状況理解に大きな示唆を与える問題作。民芸公演。」とある。
佐藤忠男『日本映画思想史』、Ⅰ「日本映画におけるフェミニズムの伝統」、3「自由な女たち」より引用する(47~48頁)。
瀬戸内晴美『美は乱調にあり』
『文藝春秋』(文藝春秋新社)1965年(昭和40年)4月特別号「特集:日本人の戦後20年」から12月号まで、瀬戸内晴美(1922年5月15日~ 2021年11月9日)による、大杉栄と共に28歳で虐殺された伊藤野枝の伝記小説『美は乱調にあり』が連載された。
1965年(昭和40年)12月1日付けで、東京高裁は幸徳事件の再審請求棄却を決定した。12月14日、再審請求人の坂本清馬と森近栄子は、高裁の再審請求棄却決定に憲法違反があるとして、最高裁に特別抗告を申し立てた。
1966年(昭和41年)3月1日、瀬戸内晴美著『美は乱調にあり』(文藝春秋、480円)が刊行された。
装幀は43歳の朝倉摂(1922年7月16日~2014年3月27日)だった。
1967年(昭和42年)7月5日、最高裁は、坂本清馬と森近栄子の特別抗告を棄却した。
『思想の科学』1968年(昭和43年)4月号から12月号まで、瀬戸内晴美による管野須賀子(スガ)(1881年6月7日~1911年1月25日)の伝記小説『遠い声』が連載された。
宮本研『美しきものの伝説』
『展望』1968年(昭和43年)4月号に、41歳の宮本研作の戯曲『美しきものの伝説』(幕間狂言をもつ弐幕)が掲載された。
1968年(昭和43年)4月10日から23日まで、新宿の朝日生命ホールで、文学座公演、宮本研作、36歳の木村光一(1931年10月3日~)演出の戯曲『美しきものの伝説』(幕間狂言をもつ弐幕)(『悲恋 あゝ松井須磨子』改題)が初演された。料金は1,000円だった。
35歳の金内喜久夫(1933年1月29日~2020年4月28日)が「先生」(島村抱月、しまむら・ほうげつ、1871年2月28日~1918年11月5日)に扮した。
35歳の川辺久造(1932年8月12日~)が「ルパシカ」(小山内薫、おさない・かおる、1881年7月26日~1928年12月25日)に扮した。
24歳の江守徹(1944年1月25日~)が「早稲田」(澤田正二郞、1892年5月27日~1929年3月4日)に扮した。
25歳の小野武彦(1942年8月1日~)が「音楽学校」(中山晋平、1887年3月22日~1952年12月30日)に扮した。
28歳の坂口芳貞(1939年10月2日~2020年2月13日)が「学生」(久保栄(1900年12月28日~1958年3月15日))に扮した。
28歳の菅野忠彦(1939年9月23日~)が「クロポトキン」(大杉栄)に扮した。
25歳の石立鉄男(1942年7月31日~2007年6月1日)が「暖村」(荒畑寒村)に扮した。
38歳の加藤武(1929年5月24日~2015年7月31日)が「四分六」(堺利彦)に扮した。
23歳の吉野佳子(1944年10月5日~)が「野枝」に扮した。
28歳の小川真由美(1939年12月11日~)が「モナリザ」(平塚らいてう)に扮した。
28歳のしめぎしがこ(1939年8月1日~)が「サロメ」(神近市子)に扮した。
32歳の宮崎和命(1936年3月18日~1990年7月22日)が「尾行」に扮した。
27歳の細川俊之(1940年12月15日~2011年1月14日)が「幽然坊」(辻潤)に扮した。
24歳の太地喜和子(1943年12月2日~1992年10月13日)が「突然坊」に扮した。
名古屋公演は5月3日から5日まで中日劇場で、大阪労演主催の大阪公演は5月7日から16日までサンケイホールで、横浜演劇研究所主催の横浜公演は5月22日、23日、横浜青少年ホールでおこなわれた。
2008年(平成20年)5月9日の25時から27時44分まで、NHK衛星第二で放映されたミッドナイトステージ館『昭和演劇大全集』第28回「宮本研の『美しきものの伝説』」(1994年(平成6年)7月、俳優座劇場にて「座・新劇」、64歳の石澤秀二(1930年4月10日~) 演出による公演の収録)に基づく、2012年(平成24年)11月22日発行、渡辺保(1936年1月10日~)、高泉淳子(1958年7月26日~)著『昭和演劇大全集』(平凡社、本体2,800円)の『美しきものの伝説』の回の渡辺の発言を引用する(313頁)。
1968年(昭和43年)9月26日、大杉榮と伊藤野枝の長女・青木真子(大杉魔子)(1917年9月~1968年9月26日)が51歳で亡くなった。
1969年(昭和44年)2月10日、橋浦時雄が77歳で亡くなった。
1969年(昭和44年)3月7日から13日まで、朝日生命ホールで、劇団自由劇場第11回公演、37歳の福田善之(1931年10月21日~)作、41歳の観世栄夫(1927年8月3日~2007年6月8日)演出の戯曲『魔女傳説』が初演された。
36歳の渡辺美佐子(1932年10月23日~)が管野スガに扮した。
34歳の岡村春彦(1935年3月9日~2020年5月31日)が行徳伝三郎(幸徳秋水)に扮した。
23歳の廣瀬昌亮(1946年1月7日~1999年3月7日)が新納忠雄(新村忠雄)に扮した。
26歳の串田和美(1942年8月6日~)が宮口太市(宮下太吉)に扮した。
35歳の山谷初男(1933年12月19日~2019年10月31日)が古賀力策(古河力作)に扮した。
佐藤忠男著『日本映画思想史』、Ⅰ「日本映画におけるフェミニズムの伝統」、3「自由な女たち」より引用する(48~49頁)。
映画劇『エロス+(プラス)虐殺』
1969年(昭和44年)8月、フランスのアヴィニョン演劇祭(Festival d'Avignon)で、現代映画社製作、 38歳の山田正弘(1931年2月26日~2005年8月10日)、 36歳の吉田喜重(1933年2月16日~2022年12月8日)脚本、吉田喜重監督の映画劇『エロス+(プラス)虐殺』Eros + Massacre(202分)が公開された。
『美しきものの伝説』では辻潤に扮した、28歳の細川俊之が大杉栄に扮した。
36歳の岡田茉莉子が伊藤野枝と魔子に扮した。
36歳の楠侑子(1933年1月1日~)が正岡逸子(神近市子)に扮した。
33歳の高橋悦史(1935年8月2日~ 1996年5月19日)が辻潤に扮した。
34歳の稲野和子(1935年1月3日 ~2014年12月18日)が平賀哀鳥(平塚らいてう)に扮した。
30歳の八木昌子(1938年9月2日~2015年9月13日)が堀保子に扮した。
25歳の新橋耐子(1944年3月27日~)が代千代子に扮した。
松枝錦治が堺利彦に扮した。
29歳の坂口芳貞が荒谷来村(荒畑寒村)に扮した。
高木武彦が奥村博史(1889年10月4日~1964年2月18日)に扮した。
宮崎和命が俥屋に扮した。
伊井利子が1969年(昭和44年)3月7日から4月1日現在の20歳の女子大生・束帯永子、24歳の玉井碧(1945年1月2日~)が打呂井恵、25歳の原田大二郎(1944年4月5日~)が和田究、金内喜久男が日代真実二、川辺久造が畝間満を演じた。
文学座『美しきものの伝説』の出演者のうち、細川俊之、坂口芳貞、宮崎和命、金内喜久男、川辺久造が出ている。
『映画評論』(新映画)1969年(昭和44年)9月号、「吉田喜重研究」に、49歳の関根弘(1920年1月31日 ~1994年8月3日)「「エロス+虐殺」について:フリー・ラブと鹿の園」、65歳の秋山清「「エロス+虐殺」についての随筆的感想」、『映画芸術』(編集プロダクション映芸)1969年(昭和44年)9月号に、シナリオ『エロス+虐殺』、『エロス+虐殺』評(1)33歳の今野勉(1936年4月2日~)「不能と可能のネジ式感覚」、(2)32歳の別役実(1937年4月6日~2020年3月3日)「振り返ったペルセウス」、(3)39歳の飯島耕一(1930年2月25日~2013年10月14日)「鍵のない部屋の情事」、(4)38歳の磯田光一(1931年1月18日~1987年2月5日)「革命不在情況の背理」、(5)36歳の種村季弘(1933年3月21日~2004年8月29日)「夢のなかに落してきた耳」が掲載された。
1969年(昭和44年)10月15日、パリのラ・パゴードゥ(La Pagode)で、映画『エロス+虐殺』Eros + Massacreが公開された。
佐藤忠男著『日本映画思想史』、Ⅰ「日本映画におけるフェミニズムの伝統」、3「自由な女たち」より引用する(49頁~50頁)。
1969年(昭和44年)10月21日、創立50周年の「国際労働組織」がノベル平和賞を受賞した。
1970年(昭和45年)1月20日、「岩波新書」、61歳の絲屋寿雄(1908年10月18日~1997年5月21日)著『菅野すが:平民社の婦人革命家像』(岩波書店、230円)が刊行された。
1970年(昭和45年)3月5日、瀬戸内晴美著『遠い声』(新潮社、800円)が刊行された。
装幀は49歳の駒井哲郎(1920年6月14日~1976年11月20日)だった。
1970年(昭和45年)3月14日から5月1日まで、新宿文化劇場、日劇文化劇場で、現代映画社製作、日本アート・シアター・ギルド配給の映画『エロス+虐殺』(167分)が公開された。
神近市子のモデル問題を起こしたため、国内では短縮版が公開された。
1971年(昭和46年)5月24日、平塚らいてうが85歳で亡くなった。
宮本研『ブルーストッキングの女たち』
1976年(昭和51年)秋の資生堂のアイスチックカラー「シフォネット」(1,500円)、メイクアップ・フィニッシュ「スプレンス」(2,500円)キャンペーン「ゆれるまなざし」のポスターは4月に浜松で1か月かけて撮影された。
アート・ディレクターが42歳の水野卓史(1933年11月21日~)、デザイナーが鬼澤邦、コピーライターが33歳の小野田隆雄(1942年7月25日~)、フォトグラファーが29歳の十文字美信(1947年3月4日~)、モデルが身長156㎝の16歳の真行寺君枝(1959年9月24日~)だった。
1976年(昭和51年)7月21日、資生堂キャンペーンソング、32歳の小椋佳(1944年1月18日~) 「揺れるまなざし」「雨の露草に似て」のシングル盤(DKQ 1005、600円)が発売された。
資生堂化粧品の販促グッズとして販売店に配られた非売品のシングル盤(DI 1290)、小椋佳「揺れる、まなざし」「しじま」も作られた。
1977年(昭和52年)9月11日、愛玩犬を主人公とするアメリカの映画劇『ベンジーの愛』For The Love of Benji(85分。1977年6月10日公開)の上映を最後に新宿文化劇場が閉館した。
1981年(昭和56年)2月22日、鈴木清順(1923年5月24日~2017年2月13日)監督の映画劇『ツィゴイネルワイゼン』(145分。1980年4月1日公開)の上映を最後に日劇文化劇場が閉館した。
1981年(昭和56年)3月6日、荒畑寒村が93歳で亡くなった。
1981年(昭和56年)8月1日、神近市子が93歳で亡くなった。
1981年(昭和56年)8月、文学座を退団した49歳の演出家・木村光一(1931年10月3日~)が演劇企画制作団体「地人会」を結成した。
1982年(昭和57年)11月3日、世田谷区北沢に演劇専用の本多劇場(座席数386)が開場した。
1983年(昭和58年)1月4日から26日まで、日本橋三越本店本館6階の三越劇場(座席数514)で、56歳の宮本研作、51歳の木村光一演出の戯曲『ブルーストッキングの女たち』が公演された。
41歳の三田佳子(1941年10月8日~)が伊藤野枝に扮した。
42歳の上月晃(1940年4月6日~1999年3月25日)が神近市子に扮した。
51歳の北村昌子(1931年12月7日~)が平塚らいてうに扮した。
43歳の菅野忠彦が大杉栄に扮した。
38歳の石田太郎(1944年3月16日~2013年9月21日)が甘粕正彦(あまかす・まさひこ、1891年1月26日~1945年8月20日)憲兵大尉に扮した。
38歳の新橋耐子(1944年3月27日 ~)が松井須磨子(まつい・すまこ、1886年3月8日~1919年1月5日)に扮した。
1幕1場「大正元年 1912年初秋。青鞜社事務所」から2幕6場「終幕」までの構成で、1幕3場の「大正2年 1913年晩秋」の場面に本郷座公演、松井須磨子主演のイプセン作『人形の家』第3幕の公開稽古が挿入される。
1984年(昭和59年)6月22日から7月8日まで、本多劇場で、地人会第8回公演、宮本研作、52歳の木村光一演出『美しきものの伝説』が公演された。
24歳の真行寺君枝が野枝に扮した。
35歳の風間杜夫(1949年4月26日~)がクロポトキンこと大杉栄に扮した。
『華の乱』
1985年(昭和60年)1月30日、54歳の永畑道子(1930年9月27日~2012年6月24日)著『夢のかけ橋:晶子と武郎有情』(新評論、1,500円)が刊行された。
1987年(昭和62年)9月15日、56歳の永畑道子著『華の乱』(新評論、2,200円)が刊行された。
1987年(昭和62年)11月5日から15日まで、本多劇場で、地人会公演22、宮本研作、56歳の木村光一演出の戯曲『ブルー・ストッキングの女たち』が公演された。
27歳の石田えり(1960年11月9日~)が伊藤野枝に扮した。
30歳の西山水木(1957年11月1日~)が神近市子に扮した。
41歳の高林由紀子(1945年12月10日~)が平塚らいてうに扮した。
24歳の岡本舞(1963年6月1日~)が紅吉(1893年3月26日~1966年9月22日)に扮した。
43歳の清水綋治(1944年2月11日~)が大杉栄に扮した。
44歳の寺田路恵(1942年11月27日~)が松井須磨子に扮した。
44歳の高橋長英(1942年11月29日~)が荒畑寒村に扮した。
36歳の江藤潤が辻潤に扮した。
1988年(昭和63年)2月28日、宮本研が61歳で亡くなった。
1988年(昭和63年)10月1日、永畑道子『華の乱』『夢のかけ橋』を原作とする、58歳の深作欣二(ふかさく・きんじ、1930年7月3日~2003年1月12日)、40歳の筒井ともみ(1948年7月10日~)、54歳の神波史男(こうなみ・ふみお、1934年1月10日~2012年3月4日)脚本、深作監督の東映映画劇『華の乱』(139分)が公開された。
43歳の吉永小百合(1945年3月13日~)が与謝野晶子(よさの・あきこ、1878年12月7日~1942年5月29日)に扮した。
38歳の松田優作(1949年9月21日~1989年11月6日)が有島武郎(ありしま・たけお、1878年3月4日~1923年6月9日)に扮した。
27歳の石田えりが伊藤野枝に扮した。
29歳の池上季実子(1959年1月16日~)が有島と心中した中央公論社の高級女性誌『婦人公論』記者・波多野秋子(1894年10月~1923年6月9日)に扮した。
47歳の石橋蓮司(1941年8月9日~)が沢田正二郎(1892年5月27日~1929年3月4日)に扮した。
43歳の蟹江敬三(1944年10月28日~2014年3月30日)が島村抱月に扮した。
39歳の風間杜夫が大杉栄に扮した。
36歳の松坂慶子(1952年7月20日~)が松井須磨子に扮した。
51歳の緒形拳(おがた・けん、1937年7月20日~2008年10月5日)が与謝野寛(1873年2月26日~1935年3月26日)に扮した。
映画『華の乱』は、大まかには特定の時代の特定の社会を再現し、実在の有名人の愛と性と経済と社会差別を描きながら、史実から自由に創作され、歴史的過去の社会像の忠実な再現としては不正確さが目立つ上、構成は散漫だ。
分別を欠くが行動力のある知識人女性と理想に捉われすぎて行動に挫折する知識人男性、晶子と与謝野寛、晶子と有島武郎のあいだに生じた関係を主物語として、抱月と須磨子、大杉栄と伊藤野枝、有島武郎と波多野秋子の類比的な関係性が並行してほのめかされる。
しかし、抱月の人物像はほとんど描かれず、須磨子はその分別を欠いた自己主張と狂気だけが類型的な演技で強調され、伊藤野枝と波多野秋子が中心の断片的な場面では紋切り型の要約的な台詞に頼りすぎている。
1901年(明治34年)春の京都で夜、22歳の女主人公・鳳晶子が人力車に乗って、高名な歌人で妻子のある27歳の与謝野寛に会いに行く場面から始まる。
二人の情事の場面の画面に白文字で「乳ぶさおさへ/神秘のとばりそとけりぬ/ここなる花の/紅ぞ濃き」「春みじかし/何に不滅のいのちぞと/ちからある乳を/手にさぐらせぬ」が表示され、画面外の晶子の声がこの二首の歌を読み上げる。
1923年(大正12年)、東京の與謝野家の寝室兼書斎で朝6時、寛以上の人気歌人となっている34歳の与謝野晶子が目覚める場面に飛ぶ。「どうしてあんな夢を見たのだろう」。
晶の寝室には寛ではなく34歳の書生の深尾須磨子(1888年11月18日~1974年3月31日)(斉藤絵里、1963年11月13日~)が寝ている。
その夜、帝國劇場で、松井須磨子主演、トルストイ作、抱月演出、藝術座『復活』が公演される。第1幕・第2場のカチューシャとネフリュードフ(Нехлюдов)(沢田正二郎)が「カチューシャの唄」を歌う場面、第5幕・の復活祭のシベリアでのカチューシャとネフリョードフの別れに続き、カチューシャが最後の台詞「キリストは蘇りたまへり」を言う場面が演じられる。
終演後の帝國劇場の前で眼鏡の大杉栄、和田久太郎(1893年2月6日~ 1928年2月20日)(内藤剛志、1955年5月27日~)、古田大次郎(1900年1月1日~1925年10月15日)の3人の無政府主義者が「無政府主義萬歳」の黒旗を広げ、ビラを撒き、「精神に自由を」などと演説しながら、警官隊に追われる。
そこに45歳の有島武郎が運転し、サイドカーに波多野秋子の乗ったオートバイが乱入し、晶子の乗った人力車にぶつかる。
史実では、4年以上前、47歳の抱月は1918年(大正7年)11月5日、32歳の須磨子は1919年(大正8年)1月5日に亡くなっていた。
他方で、史実では、34歳の沢田正二郎が『復活』に出たのは、震災後の1925年(大正14年)4月に建築された新橋演舞場での、映画の出来事の3年以上後の1926年(大正15年)11月の公演だ。
無政府主義者の描写も史実では15年前の1908年(明治41年)6月22日の赤旗事件の時代に近いと考えられる。
有島がお詫びの品として三越から晶子に西洋風の高級な帽子と洋服を送らせた直後、晶子は有島邸に品を返しに行くが、そこに雑誌『勞働運動』の束を抱えた大杉栄と和田久太郎が逃げ込んでくる。
与謝野寛が故郷の京都府郡部選挙区から出馬した選挙は史実では8年前の1915年(大正4年)3月25日の第12回衆議院議員総選挙だ。
結婚前に寛を慕っていた山川登美子(1879年7月19日~1909年4月15日)(中田喜子、1953年11月22日~)が結核のため29歳で亡くなったのは史実では14年前のことだった。
伊藤野枝が晶子と知り合ったのは史実では青鞜社を介してだったが、映画『華の乱』では1923年(大正12年)の大杉栄のフランス渡航(史実では1923年(大正12年)1月5日に上海でフランス船に乗船)直前に初めて出会う。野枝の前の夫、虚無僧姿の辻潤と長男・辻まこと(1913年9月20日~1975年12月19日)が通り過ぎるが、この描写はあきらかに『ブルーストッキングの女たち』の模倣だ。
史実では辻潤が虚無僧姿で放浪を始めたのは9年後の1932年(昭和7年)6月以後のことだった。
有島武郎が北海道狩太の有島農場を解放したのは、史実では1922(大正11)年7月18日のことだった。
映画は関東大震災から間もない廃墟で、大杉栄と伊藤野枝が虐殺されたという号外が出て、馬に乗った憲兵に和田久太郎と古田大次郎が連行される場面で終わるが、史実では、1924年(大正13年)9月1日、震災の一周年忌に、31歳の和田と24歳の古田は大杉の復讐のため、58歳の福田雅太郎陸軍大将(1866年7月7日~1932年6月1日)暗殺を企て、逮捕され、古田は刑死し、和田は獄中で自殺した。
2004年(平成16年)11月、新宿の朝日生命ホールが閉館した。
2006年(平成18年)9月15日、新宿文化ビルの三和興行の新宿文化シネマ1(408席)、新宿文化シネマ2(420席)、新宿文化シネマ3(62席)、新宿文化シネマ4(56席)が閉館した。
2006年(平成18年)10月30日、木下順二が92歳で亡くなった。
2006年(平成18年)12月9日、新宿文化ビルの6階、7階に、株式会社エスピーオー直営の映画館「シネマート新宿」(スクリーン1の座席数335、スクリーン2の座席数62)が開館した。各回完全入替制で全席指定席だが、スクリーン1の初回の上映のみ自由席だった。
新宿文化ビルの4階、5階に角川ヘラルド映画が経営する「新宿ガーデンシネマ」(「シネマ1」の座席数300席、「シネマ2」の座席数56)が開館した。
2007年(平成19年)10月、地人会が活動休止した。
2008年(平成20年)6月14日、「新宿ガーデンシネマ」が「角川シネマ新宿」に改称された。
2008年(平成20年)10月15日、朝日生命本社ビル跡地に地上50階、地下4階、塔屋2階のモード学園コクーンタワーが竣工した。
2008年(平成20年)11月6日、モード学園コクーンタワーの地下1階、地下2階にBOOK1st(ブックファースト)新宿店が開業した。
2018年(平成30年)7月28日、KADOKAWAの映画館「角川シネマ新宿」がアニメ専門劇場「EJアニメシアター新宿」として改装開館した。4階は「シネマ1」(座席数300)を維持、5階の旧「シネマ2」はコラボカフェ&ギャラリーに変更された。
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