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評㉞こまつ座『頭痛肩こり樋口一葉』@紀伊国屋サザン、割引

 こまつ座第143回公演、井上ひさし(1934年~2010年)作、栗山民也演出『頭痛肩こり樋口一葉』@紀伊国屋サザンシアターTAKASHIMAYA8/5~8/28)、大阪公演(9/2~9/11)、岡山公演(9/13)、東京多摩公演(9/19)。2時間40分(二幕、休憩15分含む)。
 ※長文注意、ネタバレあり 

こまつ座旗揚げ時(1984年)の演目

 自分は初見。

 こまつ座は他団体公演時の配布チラシが多すぎ(辟易、時たま観りゃいいだろー)、かつ別の理由(不倫離婚、代表交代のドタバタなど)でやや敬遠気味(内野聖陽見たさに『化粧二題』、また『雨』は観た)。
 が、知人から「こまつ座旗揚げ時(1984年)の演目」「旗揚げ公演で渡辺美佐子(現在89歳、今年6月舞台女優は引退)、新橋耐子(現在78歳、文学座)を観た」と知らされ、軽い衝撃を受け(彼我の知識教養体験の差に慌てた?)、勉強するか!と、また、個人的に惹かれる若村麻由美出演なので選択肢に。
 しかし、10000円(!!)、30歳以下7000円。ギャラのせいか、コロナ禍の運営難のせいか、正直高いと感じるサザンシアター(キャパ468席)は7000~8000円のイメージ。チケットサイト・カンフェティの割引(夜)を見つけ、7000円∔手数料330円=7330円で。公演後パンフ(1100円)買う。

 客席の大半は中高年。男女比半々の模様。

新宿南口のビル7階「紀伊国屋サザンシアターTAKASHIMAYA」へ

やや敬遠気味のこまつ座、結果的に「観てよかった」

 こまつ座。公式サイトによると、「座付作者井上ひさしに関係する作品のみを専門に上演する制作集団」「1983年1月創立、84年4月『頭痛肩こり樋口一葉』公演で旗揚げ。年平均4~6作品を上演」(太字は私)。
 年平均4~6作品。そうか、だから、やたら公演チラシが多かったのか?、劇団ではなかったのだ(ww)、と今頃、無知な自分を恥じる
 しかし、それでいいのだ、芝居は一期一会、客がすべてを知って観るのは不可能。とは言えど、今回も結果的に「観てよかった」。。ということで、今回は上演後にいろいろ調べてみた。関連書籍も図書館で借り、ざっと目を通した(『全芝居』等)。
 その事後考察も交えながら、今回観劇の感想を書く。

 なお、井上ひさし戯曲で以前に観たのはこまつ座『化粧二題』(内野聖陽、有森也実。鵜山仁演出、2019.6@紀伊国屋サザン)、『天保十二年のシェイクスピア』(高橋一生主演、藤田俊太郎演出、2020.2@日生劇場)、こまつ座『雨』(山西惇主演、栗山民也演出、2021.9@世田パブ)。

 演出の栗山民也はこの作品、三度目らしいので、演出は前と同じかも。
 (なお、以下の流れは、観劇後に図書館で戯曲集を借りて突き合わせチェック)

とほほの知識レべルから観始める、それもよき

 観る前の、自分の知識レベル(とほほ)。
 樋口一葉は早くに亡くなった。(チラシを見て)24歳か。『たけくらべ』はちらっと読んだかな。五千円札の肖像か。貧乏だったらしい
 若村麻由美が楽しみだ、わくわく。そういや、貫地谷しほりが出るんだっけ(チラシを見ても、女優6人の劇であることに気づいてすらいない、他にも役がいるんだろうと思っている)。誰が誰の役かも全くわかっていない。

7階からの眺め

最初はやたら長い説明台詞でやや退屈

 舞台には、昔の原稿用紙(真ん中に仕切りがない)のマス目を中央に模した幕が下りている。ここに、「昭和〇〇年七月十六日」「(住所)」「〇〇の家」と縦書き3行が書かれ(このパターンは繰り返される)、幕が開く。仏壇のある和室と前の庭。
 ♪ぼんぼん盆の十六日に地獄の地獄の蓋があく
 何やら、浴衣を着て歌を歌いながら、子どものように跳ね回る女たちが出てきたぞ。あ、あれは熊谷真実か(ここで初めて出演していることに気づくww)
 夏子ってだれ、あ、樋口夏子が樋口一葉か!(ここで気づくww)。どうも貫地谷しほりが主人公の樋口夏子であるらしい(ww)
 妹・邦子(瀬戸さおり)、母・多喜(増子倭文江=しずえ、青年座)、母が昔乳母を務めた先のお嬢さん・稲葉鑛(こう)(香寿たつき、元宝塚星組トップ)、が出てくる(※所属は後から確認)。

 この辺、やたら長い説明台詞が続き、芝居の最初なので背景を説明する必要から仕方ないと思いつつ、やや退屈。兄の家出、多喜と鑛の関係、鑛の落ちぶれた夫の話、「女の運は男次第」(多喜)、萩の舎(や)での夏子の「ご出世」、夏子の苦労を知る邦子、小説書きに希望を見い出す夏子、夏子を責める多喜、頭痛に襲われる夏子。鍋島、皇后などの名。退屈ながらわかりやすいし(ただ、萩の舎=歌の会=が何の会かついていけないまま)、女優の滑舌はいいので台詞そのものは聞き取れる。ただ、退屈だ。
 また、これは演出だろうが、テンポがいい。仏壇の「チーン」に合わせた台詞や動き、多喜と鑛の歌、邦子の後ろでんぐり返し(記憶だと確かこのシーン)など、全てにタイミングと息のあった芝居が続き、さすがプロ女優たちとリスペクト
 若村麻由美は出てこないのかな……。

 2シーン目、昭和〇〇年の幕が上下して、やはり仏壇のある和室。中野八重(熊谷真実)が登場。渋沢栄一や大倉喜八郎、決闘と出てきて、ややドタバタ感。ややわくわく。そして、出てきた! 若村麻由美だ!幽霊(花蛍)らしい。今にも踏んづけそうな長い裾の白い着物を着て、ゆらゆら毎度降りながら演技している。うむ。
 
3シーン目。幕上下。仏壇のある和室。ほたるの歌、鑛の夫の事業失敗、八重の兄餓死と再婚。動き回る花蛍。
 4シーン目。幕上下。仏壇のある和室。ジャンケンポン。動き回る花蛍。
 ふむ。この辺まで、多少の笑いが出て、ふらふらさまよう若村の花蛍は好きだが、いまいち退屈。ずっと同じような場面が一年ごとに進む感じか。自分は、井上ひさしの芝居は好きではなかったのかも、と思い始める。

舞台って感じだ

多喜と邦子の言い合い、「母の呪縛」に関心が移る

 5シーン目。確か幕上下。お、ここで初めて家の裏手に目先変わる。
 今まで比較的おとなしかった邦子が、多喜に言い返し、激しい言い合いになる。

 「お母さんこそ恥知らずよ」「女の子に学問はいらない、と言って夏ちゃんを小学からむりやり退学させた」(邦子)
 「だれのおかげで大きくなれた」「だれのおっぱい飲んで育った」「せっせとおしめかえて。夏子の女としての仕合せをおもって」「ハシカの時に寝ずに看病」
 「お母さんは見栄の塊よ」(邦子)
 「おなかが痛いといえばすぐお粥を炊いて」(多喜)
 「おかあちゃんは夏ちゃんの未来を喰い荒らしながら見栄を張ってるのよ」(邦子)
 「冬の寒い晩に湯たんぽ入れてあげたのはだれだと」(多喜)。

井上ひさし『井上ひさし全芝居 その三』(新潮社、1984)の中の「頭痛肩こり樋口一葉」560p~562pから抜粋

 ほう。ここで、俄然面白くなった。そして、母・多喜に自分の関心が移る。今でいう“毒親”とレッテルを貼るのは簡単だが、多喜の思いもあふれ出る名場面と思う。ここで一幕終了。

 我慢を重ねてきた邦子が爆発し、怒りを多喜にぶつける。勿論、多喜も「世の中」に追い込まれて娘に厳しいのだが、それはさておき。

 ここで、自分の興味はぐぐっと母・多喜に。花蛍は花蛍でずっと堪能したけれど。「母」の呪縛が浮き上がってきたのだ。母・多喜からの夏子への呪縛。自分自身も何かにとらわれている多喜。
 
これは、井上ひさし自身がこの戯曲で狙っていたところらしい。後から読んだ書籍にこう書いてある。

 「女としての生き方を書こうとすると、こんな難しい人はおりません」「私は一葉が(男女関係の噂がたった半井)桃水とどういう関係だったかなどということには、ちっとも興味がないのです」「そこで、今度は親子という線で追っていきますと、はじめて何か見え出しました。それが、皆さんにご覧いただいている芝居です」

井上ひさし こまつ座編著『樋口一葉に聞く』(ネスコ/文芸春秋、1995年)、講演「樋口一葉の文体」(井上ひさし)179p~180pより抜粋※太字は私

 そうなんだ。ふーん。どこまで本心かはわからないが。

そうなんだ、井上ひさしさん

「でも、この麦茶、ほんとうにおいしいねえ」にぞくぞく

 自分が多喜に抱いた関心の頂点は、このシーンのずっと後、夏子が死んだ後の邦子とふたりきりの会話での、多喜の台詞。
 老いて衰えた多喜が「おいしいね、この麦茶(むぎゆ)」と言う。邦子が何か言っている。多喜が「でも、この麦茶、ほんとうにおいしいねえ」と話し、そのシーンが終わる。ぞくぞくする。あ、この人もうすぐ死ぬんだろうな。で、次のシーンでしっかり死んで幽霊として出てきた(客席から笑い)(前前掲書『井上ひさし全芝居 その三』586p)
 うわあ。なんだか、凄いなあ、凄い台詞。

 一般的には、最終盤、死んで幽霊になった多喜が、邦子に「世間体なんか気にしちゃだめだよ」と声をかけ(邦子は聞こえない)、同じ幽霊の夏子が嬉しそうに驚く場面がクローズアップされる。確かに、この台詞も、物語すべてを包括する素晴らしい台詞だ(同書587p)。
 でも、麦茶、にやられた。

女たちのあふれ出す怨念が「面白く」描かれる二幕

 さて、流れに戻って二幕では、
 八重(熊谷真実、迫力)が娼婦に一気に身を落としたり、
 花蛍が体力をかけてひたすら舞い、三半規管大丈夫かと心配するくらいにぐるぐる回転したり(若村麻由美、55歳とは思えない、素晴らしい)、
 鑛は歌がうまくて宝塚だろうなと思ったり(やはりそうだった)、
 夏子はぶるぶる震えて死んでいったり(実のところ、夏子はまっすぐに演じるのが一番)。

 その中でも、八重の台詞は心に来る。

 八重「女が地獄に堕(おち)るには三日もあれば充分さ」(同書570p)
 八重「男どものずる汚さに世間は頬ッかぶり。女には損が行くようにできている世の中でござんすよ。そのうえ、そういう噂の好きなのがじつは世間の女どもときているんだから」(同書571p)
 八重「つまらぬ、くだらぬ、面白くない、なさけない、悲しい、心ぼそい。これが一生なの」
 夏子「つまらなくて、くだらなくて、面白くなくて、なさけなくて、悲しくて、心ぼそいのは、わたしたちが人間だからよ

前掲書570p~572p、太字は私

  つまらぬ、くだらぬ、面白くない、なさけない、悲しい、心ぼそい。これが一生。
 ほい。
 花蛍が500人恨み相手を探し、最後は皇后にたどり着くところは、もう大笑いの世界。

再び。笑いだよね、お芝居は

男性はどう受け取るんだろうか

 で、観終わる。
 あー、なんだか、面白かった。台詞噛みは気づいたところで、ひとりが二回、もうひとりが一回。台詞間違えがひとり一回。それくらいか。間違えをひきずらず、きちんと話が続くのはさすが、プロ。身体の動きもみんな柔軟だ。

 女優6人しか出演せず、背景に男中心の世界を匂わせる構成。うまい、でも、「女の大変さ」が訴えられ、ちょっとフェミっぽい傾向もあるな。客席の半分を占める男性はどう受け取っているのだろう。こまつ座はファン、リピーターが多いとは聞くが。逆に醒めているのか、余裕の醒め?
 樋口一葉(夏子)は評伝としては主人公だが、舞台上唯一の主役でなく、6人全員が主役の群像劇であった。

 改めて、井上ひさしは凄いと思う。ので、本を借りていろいろ調べた。
 続きを書くかもしれない。まだ書きたいがさすがに長いな。

「引っ越してたんかーい」。気が付かなかった……

 ひとつだけ、演出?舞台制作?で、とりあえず、気づいた点は。

 「引っ越してたんかーい」。気が付かなかった……
 シーンごとに上下する幕の中央に、原稿用紙に書かれた、
 「昭和〇〇年七月十六日」
 「(住所)」
 「〇〇の家」
 の縦書き3行。

 
幕の上下のわずかな間に慌てて自分が確認できたのは、
 一行目がほぼいつも「七月十六日」
 三行目が最初は確か「兄の家」から「樋口夏子の借家」、夏子が死んだ後は「樋口邦子の借家」。「借家」の右側にわざわざ赤点が打たれていた。
 で、真ん中の二行目が「芝西応寺街○○」「本郷菊坂町七十番地」「同七十番地」「下谷区龍泉寺町○○」「本郷区丸山福山町〇〇」と変わっていたとは!!パンフを読んで初めて知った。
 引っ越していても、「和室に仏壇」が同じなので全然わからなかった。

 
言われてみれば、台詞で触れていた部分もあるが、小説ではないので、引き返して読んで再確認することはできない。
 別に引っ越し場所が正確に分からずとも、作品の流れに影響はない。
 でも、なんだかな。。そこはひっかかった。

公演パンフに制作スタッフの写真、よき

 公演パンフに制作スタッフの写真、よき。いいですね。

パンフ「the座No.114 頭痛肩こり樋口一葉」1100円、16p~17p

 観劇前の無知を(乗り越え)超え?、世界が広がった。ありがとうございました。

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