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友だちを案内するようにガイドする うちなーガイド・稲福政志さんの沖縄を学びたい原点に迫る

沖縄といえば「青い空、青い海、常夏の楽園」というイメージを持っている人が多いのではないか。
沖縄県の入域観光者数は2019年に1000万人を超えた。その後、コロナ禍となり観光客が減少。2023年5月8日に5類に引き下げられた。少しずつ観光客が戻りつつあるいま、沖縄でさまざまな活動をする20代を取り上げるインタビュー記事の第1弾。うちなーガイドの稲福政志さんにお話を聞いた。稲福さんは海外に親戚がいることを知り、沖縄県内を案内するうちに沖縄を学びたいと考えるように。自分も学びながら、友達が来たら案内する「うちなーガイド」を2019年に始め、今年で4年目。
うちなーは沖縄方言(うちなーぐち)で「沖縄」という意味をもつ単語。稲福さんが生まれ育った那覇市首里を中心に県外から来た友だちや県内の高校生などを案内することもある。
今回は、稲福さんにうちなーガイドをはじめたきっかけや、沖縄への想い、POOLO参加の理由などを聞いてみた。

はじめて海外に親戚がいることを知り、沖縄のことを学ぶように

那覇市首里で生まれ育った稲福さん。高校生まで県外への憧れを持っていたと話す彼は、大学1年の冬に海外に親戚がいることを知った。
シアトルから来た親戚を通じてFacebookでフィリピン、アメリカなどに住んでいる人から「ファミリーだよ」とメッセージを受け取る。
この出来事をきっかけに、海外の親戚が沖縄に来ると、観光地を回ったり、ご飯を食べに行ったりするようになった。また、コミュニケーションをとるために英語を勉強し、フィリピンやアメリカにいる家族に会いに行った。でも、親戚から沖縄のことを聞かれても答えられなかった。
「ちゃんと沖縄のことを勉強しよう」
これまで平和教育で体験者から話を聞いたり、沖縄戦を勉強したりしてきたが、祖母の話を聞く機会がなかった。祖母から「おじいちゃんは両親と妹を戦争で亡くして、お姉さんと2人だけ生き残って戦争孤児になった」「おばあちゃんは捕虜になって石川の収容所にいた」などを聞いて、沖縄の歴史が身近になった。
文献を読んだり、映像を通して勉強したが、「戦争の時、おじい(祖父)やおばあ(祖母)って生きていた」のを知ったことが沖縄を学ぶ原点になった。

友達ガイドのように案内をする

親戚に沖縄を案内しているうちにガイドが楽しくなってきた稲福さんは2019年6月から「うちなーガイド」を始めた。TABIPPOが主催しているPOOLOに受講したタイミングだった。
当時、大学生だったため、受講料は高かったが、旅好きが集まる場所なら自分と相性がよさそうだと思った。月に数回、POOLOの講義のために東京に通っていた。
POOLOのキックオフの時には、ちんすこうを配り、受け取った人に「ちんすこうをあげたので、沖縄に来てください」と誘っていた。以降、POOLO生を中心に沖縄まで会いにきてくれる人が増えた。
さまざまな人を案内しているうちに、人々の求めるガイド像が見えてきた。観光で訪れる人の考えるガイドは「何でも知っていて質問したら答えてくれる人」。
一方で、稲福さんは友達が地元を案内する友達ガイドを理想とし、友だちとドライブする感覚で、特にお金はいただくことはないらしい。
そのため、一緒に回る人には「僕も沖縄のことを知りたいが、1人で行くのは寂しいから一緒に行こう」と話す。合わせて、「わからないことがあったら聞いていいけど、知らないこともある。ググって(検索して)と言うこともあるかもしれない」と伝えている。

また、さまざまな人と話すようになり、県外の人の考えていることがわかるようになった。何から話し始めたら良いのか、何がウケるのかわかった。

県民一人一人がガイドになれる

ガイドと聞くと、バスガイドや沖縄を案内する人を想像しがち。
稲福さんは県民140万人がガイドになれると考えている。なぜなら、住んでいる地域によって大切にしている歴史や文化が異なるからだ。異なるからこそ、尊敬している部分がある。

そのため、案内するルートは、リクエストに応じて変えている。
はじめて沖縄に来る人には海中道路に連れていくことが多い。一方で、何度か来ている人とは、現代版組踊「肝高の阿麻和利」を見にいったり、沖縄市でエイサーを見に行ったり。地元の友だちと遊ぶ感覚で会っている。

それができるのは、知人や知人が紹介した人を案内するから。これまで稲福さんが案内した人や一緒にガイドをした人が入っているグループLINEには2023年8月現在、99人いる。グループメンバー同士で連絡を取り合い、福岡や東京など居住地ごとに集まって飲みに行ったり、沖縄に関する県外のお祭り情報や番組情報などを共有したりしている。

2019年6月にうちなーガイドを始めてからコロナ禍に。これを機に周りを見るように

2019年6月にうちなーガイドを始めてから県外の友だちが沖縄に来ていた。しかし、コロナが流行してからは県内の高校生や大学生が声をかけてくれるようになった。
「地元すぎて見えなかったところを知れるきっかけになった」
沖縄を勉強している同世代と出会い、「沖縄のことを知りたい」という思いを共有する仲間も増えた。

コロナの流行前は県外や海外に行くことによって、沖縄の外との距離は近くなるが、地元と距離があった。地元の友達からは「あの時期(コロナ前)、ずっとどこかに…」と言われていた。しかし、コロナを機に「自分が大事にしたいのは、それぞれ地元の話ができる沖縄の友だち」という意識に変わった。
また、コロナ禍になり、沖縄にくる観光客が途絶えた。観光地から人がいなくなり、渋滞が緩和された。コロナを機にダークツーリズムやオーバーツーリズムを勉強するようになり、沖縄に住む人と外の人が抱く沖縄イメージにギャップがあることに気づく。
「伝えなきゃ」
それからは光も影も案内しながら一緒に考えるようになった。

うちなーガイドのこれから

ガイドは趣味で、ライフワークの一つだ。
そのため、会社選びの軸に「趣味のガイドが続けられるか」というのがある。うちなーガイドに理解のある仲間と一緒に仕事をしたい。
これからも友達が沖縄に来る間は案内を続けるつもりだ。一緒にガイドを楽しむために勉強する時間を増やしていきたい。
また、コロナが収束に向かいつつある状況を見て、「今後5年は自分が行く番だ」と意気込む。「沖縄に来てくれた友だちの地元に行って、それぞれの住んでいる場所や地元と思える場所を案内してもらうことを楽しみにしている」と話す。

将来的には、地元の人と県外の人が交流し、沖縄の旅の出発点になる場所を作りたいと考えている。

編集後記

稲福さんは、会社の同期の同級生の友だち。入社直後に一度だけお会いして挨拶したときに、「うちなーガイド」をしていることや、POOLOに参加していたことを聞いていた。今回、POOLOJOBの課題に取り組むにあたって沖縄関係者を探していた時、稲福さんを思い出し、「うちなーガイド」を始めたきっかけを深掘りしてみたいと思い、アポを取ってみた。
無事、取材の許可をいただき、ゴールデンウィーク期間中に取材できることになった。
取材当日、実際に対面でお話を聞いて「県民1人1人がガイドになれる」という言葉を聞いてハッとした。私も県外から知り合いがくると一緒に観光地を回ったり、飲みに行ったりしている。友だちを案内する感覚ならガイドをすることができるかもしれない。
また、「沖縄のために何かしたい」と言っているが、大きなこと成し遂げないといけないと考えていた。稲福さんと話して、小さなことから「沖縄のためにできること」を探して実践していけるように、目の前のできることを探したい。
大学で沖縄のことを学び、仕事で沖縄のことを取材してきた私だからこそ伝えられることがあるはず。稲福さんのように知り合いをガイドできるように勉強を続けていきたい。インプットするだけではなく、アウトプットする場を見つけて知識を定着させたい。
今回、稲福さんにお話を聞けてよかったです。

取材・執筆=Kumi
写真=稲福政志さん

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