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芥川龍之介 「額が禿げあがつた」

君は白くなるたちか禿げるたちか
僕はもう七年前から見ると一寸弱る位
額が禿げあがつた

[大正十四年九月十二日 有田四郎宛]

[蕪村全集テキストデータ]

一76 574 6 8 L 9 9ヤ3 2レ90 6 8 L 9 0

文學博士藤井紫影校閱文學士潁原退藏編著17蕪村全集正11. 14.東京有朋堂發行
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544-176序三十年前子規が天明の句豐麗精緻、元祿に勝るものあるを說いて、芭蕉を抑へ蕪村を賞揚せしより、天下靡然として之に附和し、蕪村の聲名一時に赫耀し、芭蕉の光漸く薄きの觀ありき。子規歿後俳壇幾たびか變動し、一般文藝の趨勢內觀體驗を重んずるより、俳句も亦蕪村の古典趣味に慊らず、復び芭蕉を說き一茶を喜ぶに至れり。されど彼が芭蕉以後隨一の巨匠たる位地は、更に紛々たる羣議衆訴の能く動すべきにあらず。潁原君は眞摯なる蕪村の〓究家にして多年その資料を蒐集し、村の游踪を追うて結城に宮津丸龜に東奔西走、その斷簡零墨をも遺さず、招撫甄別して浩瀚なる全集を完序
蕪村全集二成せり。近時稀觀の勞作、學に忠にして又村に忠なるものと言ふべし。茲に始めて名實相叶へる全集の出でたるを喜ぶの餘、一言を卷端に冕す。大正十四年八月如意峰頭大文字の炬火將に上らんとする夕藤井紫影序蕪村に關する文献史料の檢討は、この四五年來著しく進步したと言つていゝ。從來不明とされてゐた江戶時代の史料を始め、埋沒してゐた其の書輸の發見されたものでも、無慮二三百通に上るであらう。殊に蕪村の周圍及び門葉に聯關する俳書の發見は、蕪村及び其一派の〓究に一時期を劃すると言つても過言ではないのである。尙ほ今後の檢討によつて、新らしく文献史料の發掘せらるゝものがあるとしても、多種多樣な今日までの文献史料を一先づ校訂し整理し、其の正確さを一目瞭然の下に置く必要に迫られてゐた。
蕪村全集つまり今後の〓究の基礎として、又た標準として、江湖に其の利福を頒つの言ひである。頴原君の「蕪村全集」は正に其の所希に添ふものであつて、從來の不完全な文献、曖昧な史料に賴る多くの「蕪村全集」と日を同うして語るべきものではない。出典を明らかにした正確さ、比較研究を苟もしなかつた精密さ、あらゆる材料を網羅した廣汎さ、それは今日始めて有意義の「蕪村全集」を手にし得るともいふべきものであつて、實に君の古人にはた藝術に忠實な態度の所產であつた。潁原君が單なる一學究の徒でなくて、審美的にもまた鑑識上にも.優に具眼の人であることを信ずる私は、他日更らに、より正確な、より精密な、より廣汎な「蕪村全集」を完成せらるゝ日のあることを信じて疑はないのである。大正十四年八月十五日兵庫の和露莊にて碧梧桐識
わたしはあなたの蕪村全集を人一倍切に待つてゐます。それは勿論わたしと言ふ個人の問題に違ひありません。しかし廣い世の中にはわたしに似た考へを持つてゐる人も全然ない訣ではありますまい。わたしはその爲に序文の替りに、なぜ切に待つてゐるかを申し上げることにしたいと思ひます。わたしもまづ世間並みに蕪村の畫や俳諧のどう言ふものかを知つてゐます。のみならず蕪村の生涯のどう言ふものかをも知つてゐます。しかし蕪村は蕪村となる爲にどう言ふ道を踏んで來たかは唯頗る漠然と想像してゐるのに過ぎません。
蕪村全集二蕪村は一代の天才であります。天才を天才として認めるだけでも勿論惡いとは申しません。が、一代の天才とは言へ、蕪村も一朝一夕に蕪村になつた訣ではありますまい。わたしはその精進の跡をもはつきり知りたいと思つてゐます。蕪村は蕪村となる爲にどう言ふ道を踏んで來たか、それは前にも書いたやうに唯頗る漠然とならば、凡董の編した蕪村句集からも想像出來ない訣ではありません。又確かに春泥集の序には蕪村自身も其角、嵐雪、素堂、鬼貫等に參したことを書いてゐたかと思ひます。けれどもその間の消息を機微に亘つて捉へる爲にはどうわたしはその精進の跡ひます。してもあなたの蕪村全集のやうに發句、連句、俳文、尺牘等を剩さず一册に集錄した本に據る外はありません。しかもあなたの蕪村全集に從來活字にならなかつた新材料の多いと言ふことは、一層この目的に添ふ訣であります。わたしはあなたの蕪村全集を得たらば、かう言ふ智的好奇心の爲に夜長をも忘れるのに違ひありません。それは智慧の輪と言ふ玩具を貰つた子供の喜びと同じことであります。どうかこの子供じみたわたしの喜びを笑つて下さい。が、たとひ子供じみてゐても、わたしの喜びは時としては白雲の中に古人を見るの情と變り連句、俳文、尺牘等を剩さしかもあなたの蕪村一層かう言ふ智的好奇心のそれは智慧の輪と言ふどうかこの子供も、
蕪村全集のないことも忘れないで下さい。大正十四年九月八日芥川龍之介頴原退藏樣はしがき發句集は出さずともあれとか、遺稿は出さずもあらなむなどゝ言つた蕪村にとつては、かうして全集など編纂されるのは、却て迷惑な事かも知れない。もし蕪村の句風を窺はうとするならば、すでにかの几董の編した蕪村句集がある。それだけでもう十分ではないか。今斷簡零墨の間に二三の逸句を探り、俳書文献に徵して四五の誤謬を訂したところで、蕪村の俳諧史上に於ける地位は、それで幾許の動搖をも見ないのである。識者は嗤つてその業の徒爾なるをいふであらう。しかし蕪村を愛好する徒は、出來るだけもつと深く汎く彼を知りたかつた。明治以後蕪村の名が喧傳されると共にやはり几董の蕪村句集では滿足出來なくなつたのである。蕪村に關する著書や、句集の新たに編纂されたもの等が、相尋いで世に出た。而してかの蕪村句集の遺漏を補つた所もまた頗る多かつた。我等はこゝに先輩の勞を深く多とせねばならない。けれ共今蕪村の俳諧について、その作風の變遷創作の過程などにわたり、更に內面的の觀察き
蕪村全集二を下さうとすると、なほそれでも十分だとはいへなかつた。どうしても根本的に句の出所を探り、異同を檢し、又年代までも明かにしなければならない。且つ發句と共に俳諧の一半をなすべき連句も、之を捨てゝ顧みないといふ事は出來なかつた、それから蕪村の縱橫自在な才氣を見るべき文章、人としての私生活を知る上に最も興味深い書簡、彼の藝術を本當に理解するには、そんなものまで汎蒐集して見ることが必要になつて來る。無論さういふものも從來の句集類に全くないのではなかつた。しかしその集められた數は甚だ少い。もう少し完全にまとめられたものはないのであらうか。さういふ不滿が、やがて余をして本書の編纂に志させるやうになつた所以であつた。編纂に著手して見ると、文献の缺乏俳書の拂底はかういふ仕事が豫想外に難事である事を忽ち思はせた。況んや編者の識はなは淺く、力は未だ足らない。特にその間に起つた關東の大震災は、大學をはじめ諸家の藏書を多く鳥有に歸せしめた。幸に洒竹文庫は燒失を免れたけれども、整理がつかない爲にその後全く見る機會を得られなくなつた。しかも業を始めてまだ幾許も經て居ないのである。前途誠に望洋の感があつた。しかし幸にして諸家の秘庫を開いて文献を示してくれるものがあり、先輩知人の誘掖指導を吝むなきものがあつて、漸くこゝにいくらかまとまつた全集を編むことが出來た。しかしそれはさきに自ら感じた不滿を、遺憾なく滿たしてくれるものではもとよりない。纔に從來の全集類に比して、蒐集の範圍やゝ汎く、出所の穿鑿多少の力を費してゐるといふ位すぎない。なほ不備な點は頗る多く、見聞の狹い爲に考證の粗漏を來したり、重要な資料を逸してゐる事も少くないであらう。しかしこの種全集の編纂は、到底一朝一夕によくその完成を期すべきではないのであるから、今暫くまとまつたまゝのもので、仕事の一段落をつけて見たいと思ふ。幸に江湖博雅の士のその缺を補ひ誤を正す勞を客むなくば、ひとり編者の喜とするばかりでなく、世の蕪村愛好者にとつても、大きな福音であらう。さうして本書がいくらかでも、より完璧に近いものにされる日を、余は切に待ち望んで居る。而してそれは蕪村が虞れた如く、はしがき
蕪村全集四遺稿出でゝ作者平生の聲譽をおとすものではもとよりなく、更に彼の藝術に光彩を添へるものであらう。附錄に添へた蕪村の傳記年譜は、彼の一生の事蹟を、ほゞ年代を追うて明かにするといふ事につとめた、隨つて評論的に亙ることは、なるべく之を避け、蕪村の生涯の忠實な記錄たらしめようとした。しかし文献史料の不備は、これまた到る處揣摩臆測を擅にする外、正確な事實を知るに苦む場合が多かつた。この方面の〓究も、また今後の努力にまつことが大きいのである。今は暫く編者が嘗て雜誌『懸葵』に投じた蕪村の生涯、蕪村雜考等をもとゝし、更に先輩諸家の〓示を得て、今日までに明かにされて居る事蹟は、ほゞ紹介することにつとめた。但し安永以後の蕪村については、畫俳ともその事蹟の從來世に知られて居るものが多いから、大部分省略に從ふことにした。次に年代別發句集は、かく年代を決定した理由を、當然附記すべきであるが、紙面の都合上省略せねばならなくなつた。いづれそれは何かの雜誌で發表したいと思更に彼の藝術に光彩を添つてゐる。蕪村の俳句について、作風の變遷を知らうとする上には、この〓究はまづ第一に必要なことである。こゝに揭げた年代別發句集は、もとよりさういふ〓究に資するには、なほ杜撰で幾多の訂正を要すべきことゝ思ふが、それでも多少の參考にもならうかと思つて添へた。それから最後に、本書中に引用した書目の解題をかゝげるつもりであつたが、編纂著手當時に寓目した書物などは、その解題に必要な抄出を怠つたものがあつたり、或は更にその所藏者に照會せねばならぬ點があるものもあるし、今急に間に合はないので、不本意ながら省略することにした。しかしその重要な書目は蕪村の傳記中で自ら紹介されてあり又句集類は世に周知のものが多いから、大した不都合はなからうと思ふ。本書の出版について、恩師藤井紫影先生は書肆有朋堂に紹介の勞をとられ、又本書の全部に亙つて校閱をたまはり、種々〓示される事が多かつた。加ふるに今また序文として、溢美の言にあづかつた事は、深く編者の光榮とする所である。河東碧梧桐氏しが五
蕪村全集は明治俳壇の耆宿として、又蕪村〓究の權威として人の知る所、編者の爲に特に指導せらるゝ所多く、最近結城地方で氏の發見にかゝる文献の如き、從來殆んど暗黑であつた江戶時代の蕪村を知る上に、極めて重要な史料であるが、之に關する氏の〓究全部を快く提供して下さつた。その上更に序文を賜はつて、編者を激勵された事は、深く感謝にたへない次第である。また乾木水氏、勝峰晋風氏は、本書編纂に著手の頃から最も親しく誘抜の勞をとられ、〓示にあづかつた事が頗る多い。その他本書の成るについては、伊藤松宇、石田元季、稻束猛、西村燕々、星野麥人、川西和露、野田別天樓、小山曉杜、遠藤蓼花、樋口功等の諸氏に負ふ所が少くない。なほ蕪村に關する文献の所藏家諸氏が、快くその材料を見せて下さつた事も、何よりありがたい事であつた。記して深く諸家の好意を謝する次第である。大正十四年八月編者識凡例各篇とも字句は原據とした文獻に隨つて少しも改刪する所がない。假名遣の誤、誤寫と思はるゝ文字等もすべてそのまゝとした。假名の〓濁も原文通りである。これは通讀には大分不便であらうが、本書の性質上やむを得ない。只文章中の句讀點だけは、直接原文に影響を及ばさないから、便宜上之を附したが、原文にはいづれも句讀點は全くないのである。もし句讀の切り方が惡ければ、それは編者の誤であるから、讀者は自己の見に從つて正しく讀まれたい。一、出所が二つ以上あるものは、その中最も年代の古いものに隨つた。例へば二二頁「春の海終日」の句を最も出版年代の古い「俳諧古選」の本文によつて定めた類である但しその後蕪村が字句を改めて異同を來したものや、或はその讀み方の上にむしろ年代の新しいものを出所とした方が便利なものは、年代の新しいものに隨つた。そこそ凡例
蕪村全集して古い方は異同として頭註欄に記すか、又は二つ並列して出したものもある。例へば、二五六頁鴛に美を盡してや」の句が、早く「百歌仙」に中七「美をつくすらん」として出て居るけれ共、「句集」の句を本文として定め、二二八頁「炭團法師」の句を二句並列して出した類である。又一一八頁「牡丹散て」の句は「新選」「明鳥」等の方が年代は古いのだが、「付合小鏡」に「二三片」として、片の字を音讀させることを明にしてゐるから、之等は後者を本文と定めた。出所を二つ以上あげてゐるものは、その始めの方のが、本文を定めた出所である。例へば二頁「我門や」の句は、新五子稿によつて本文を定めてある類である。文章中の序跋等は、すべて直接その序跋をかゝげた原本によつたが、例へば隱口塚昔を今等の如く原本を得られないものは、蕪村文集によつた。蕪村文集中の圖讃なども、今原物を見られないものが大分ある。出所をかゝげてあるものゝ中でも、「明鳥」「月の夜」等の如く、單行の原本を寓目單行の原本を寓目することが出來ないで、蕪村七部集や樗良七部集中のものによつたものもある。隨つて「明鳥」にも「蕪村句集」にも出てゐるやうなものは、句集に隨つた。書簡中には眞贋の鑑別當を得て居ないものもあらうし、又たゞ雜誌上の紹介や、知人の手寫によつたものもあるので、之等は一々斷つてはおいたが、なほ識者の示〓を乞ひたいと思ふ。頭註は紙面が狹いため十分盡さぬ所もあり、又編者の識が淺いため誤解した所も頗る多からう。一應諸家に質した所もあるが、なほ分らない點も多い。これまた切に識者の示〓を乞ひたい所である。連句篇文章篇の題名、例へば「一、柳ちりの卷」「一、木の葉經」の如きは、便宜上編者の假に設けたものである。本文の出所に「句集、遺稿、文集」とあるのはそれ〓〓「蕪村句集、蕪村遺稿、村文集」の畧である。隨又編者の識が淺いため誤解した所もなほ分らない點も多い。これまた切柳ちりの卷」「一、木の葉經」の如きは、便宜蕪村遺稿、蕪凡例
はしがき河東碧梧桐氏序藤井紫影博士序芥川龍之介氏序發凡目明の春··新句目春例次目年次篇次太郞月初元三の朝日旦初花の春烏ニニ萬雜蓬初七筆始め草歲煮萊霞三三
朧春の雨春の風春の月·風月春の夜春の暮春惜む彌生盡春の夕春の宵遲き日春寒寒福壽草掛桃柳躑山花曇り花の雲梨の花蕗の薹芹菜の花藤松の花散る花躅吹櫻櫻棠植天時蕪目物文候村次全集三三一三二四三一〇八八七六六五五四四四六四四三八五二四七四四六一六〇五九五九五八五七五五五五五三五三五二六六五六草彼初紙出藪御雛壬生念佛餅鳶代入岸忌午燒雪春の海春の流水ぬるむ春の水苗代田野解陽霞若海堇蓬蕾春の草蕨三月菜布苔短四麥凉暑明易し秋夜月春秋雜餅炎人地時雜夏事理候交奏·六七六七齒六四六三六三查六二六二空空呈〓二五二四二四三글·二三三二三二二〇元元六モ胡蜂若雲歸鶯蜂蜆田蛙汲雀の子雉燕蝶蜜螺鮎鮎雀雁子爐摘茶種種耕畑夏夏夏泉〓夏の月タ雲の峰薰五月雨··風立灌御夏神樂祇園會祭佛祓蝶蜜螺塞木摘俵卸打水川野山動人地天三事理文物克克大夫大大夫兵〓〓七一〓七三七二六九元 気三七三〓毛三五三五三五三五三五三四를三二二九元六六·二七三表
晝團施竹婦人、掛風蚊蚊藥粽幟袷更矢夏川汗夏羽織練供養蟲干、扇簟····狩寢床凉香鈴扇帳遣日衣數書米抱籠土用干卯の花杜芍晝樒の花棕梠の花椎の花·橘の花柿の花茨の花澤蓴蓮百玉卷芭蕉芥子花柚の花山梔花合萍の花河タ藻の夜一骨瀉顏顏合.歡八若藥狩帳遣日目抱籠蕪村次全集二六三六2二三一二九一二八長一二六二三二三一二五二五三五三三言言三三一三三一三三一三九三九三九三九二九八九〇九〇九〇八九八九八八八公全八五八五八五八四스스八〇(八〇鮓火照葛水甘酒、煮雨眞菰刈麻早乙女苗鵜川、水の粉麥田草取田心太酒乞刈刈植串射一夜酒鵜飼閑古鳥靑時水鷺鷄鳥林茄麻麥藝竹の皮靑草いきれ瓜の花、檎梅子夜立初寒身に入む今朝の秋秋秋夏雜時瓜動雜秋候物三実二三五二三五二三ニ言一三三量一三三一三二三三一、in in 21cm·一〇七·一〇四(11. (100 000九九九九九染〓〓〓〓九七九七〓〓〓九五九五九九四牡若若實葉若筍木下闇夏木立丹竹楓櫻櫻葉毛蟬蚊蠅整飛子子暮、蝸鮎初蝙蟲蟻牛鰹蝠暮夜秋秋の夜秋の暮冬近し秋惜む秋長寒待月十三夜十六夜名秋の風霧三日月後の月月秋の雨稻野露妻分月見宵蟲鰹蝠天植文物四五要一五五三一五二二五一ニ四九一八八受要一四六四四三一四三一四三三雪一四二一四二四一三八二八二八ニ〓二二二六三五二五三一二二三三二二二〇一〇·一〇九一元一〇一〇八124 10°201
鷄萩菊薄荻野蘭女郞花·曼珠沙華蕎芭蘆の花蓼の花、荷蕉麥菊頭顏梗蓉槿葉杏穗七大文字送り火つと入待籠祭タ初秋の水落し水花秋の野秋の山汐野秋の空秋の霜秋の聲天の川人地目蕪事理村次全集·一八九一八八一八八一一人一七七一八七조一八六八五一八五二八五·一八一·一八〇二六百一八-九四凸九四九四九二〓九九久二六一二二一六정100ニ九一五九兵ニ三八二五兵三毛三元三毛二三、·一五六二·四一五六梅落掛竹末松蕃鬼瓢零餘子煙唐茸、小角豆の春枯露椒灯草黍嫌穗稻秋の蚊屋捨城南神祭牛駒藥砧新新地藏會八綿稻崩れ築引毛下り築鳴案山子花角扇祭迎朔堀取酒米刈見板子火力秋十月雜時動雜冬候物·二〇〇一九九一九一一七一六一五一九五九九〓〓〓九七九六〓〓一七一三三二二二二一七一七一一二二一二二一六九一一七三六九交 交 老 老六七袋六六六kb六三100.師小初冬の夜寒冬除年の暮冬ざれ年の波行く年夜走さ至春冬蜻蓑河蝉鯊落鶺秋の蚊蟲江鱸啄木鳥鶉山鴫渡雁鵯百舌鳥鹿鹿蛉蟲鮭鮎鴿雀鳥柳散る··初時雨寒木霙霰雪初時冬の月冬の日枯雪雨月枯蛉蟲鮭鳥天植七文物六三八三人三三西二四Ollo二〇〇·二〇八二〇八·二〇八·二〇七·二〇七·二〇七·二〇六cer (20m三三二〇二二〇二二〇二10°증징元元一元元六大天天モ七七七七毛·一七七一七七毛一七六一七六二五一五三三
冬の梅歸り花八朔梅冬牡丹梅梅連炭埋火火口爐網亥夜興引冬御火燒十御命講火燵桶切開代籠子夜八、七.六、四、九、三、五、二、一····枯冬の川冬の山氷野霜一五、四、IIII、二、行く年の卷··古衾の卷··太祇追善の卷欠け〓〓ての卷衣配りの卷春興の卷歲旦三つ物雲裡追善の卷戴恩謝の卷橋立歌仙の卷雙林寺干句の卷細工人の卷火桶の卷夕燒の卷柳ちりの卷目次句人地蕪篇事理村全集二三五二三五二五五云山ニ五山二三iio〓〓〓三三八三三八三六12m三二三H二三五五三四二二四三illo寒水枯枯尾花冬木立·石蕗花野菊仙蕎麥湯納豆汁麥年煤年年木樵年の市寶ふね雜魚寢節季候古柊さす顔見世寒鉢裘寒垢離寒念佛蒲衾紙足頭蒔忘守掃曆聲叩團衣袋巾團衣袋巾三六三一六三二三〇九三〇六三〇一三〇〇二九八二六百二八八二八六一八三三八美·二七三三〇、二九、二八、二七、二六、二五、二四、二三、二二、二一、二〇、一ヶ、八、一七、一六、霜に嘆すの卷··月夜の卷··寫經社集の卷花に濡れての卷日の筋の卷·御忌の鐘の卷昔を今の卷夕風の卷あらし山の卷鄙曇りの卷イめばの卷菜の花の卷煤拂ひの卷一夜四喩の卷萍の卷··三六二毛·二五七二五七〓二五五20m 12mm 1200ニ三元三元三元九二三九二三九三九글三三九·二三八二三八·二三七三三、〓二三二三五言112 illi 111三三一雜葱韮大考證の部根茶の花落冬紅葉:枇杷の花業狐鯨鰒杜父魚海寒苦鳥冬千水鴛鴨火鼠鶯島鳥鴦鰒乾藥根汁鮭喰植動九物物子口룰·三六九三八三六五三六二三五九三五五三五二三四九三重県三四二三三八三111 300·二五九·二五九兵奏二五〇、二三五二三二층·二五〇吾二층三見ニヨニ二四七·二四六·二四六二四五二三二四四·二四三〓
蕪村全歲旦の卷博麥の卷額髪の卷留別の卷春惜の卷千代の春の卷太郞月の卷樗の老の卷野の池の卷枯野の卷··うぐひすやの卷桃李の卷··身の秋の卷全集三一、三二、三三、三四、三五、三六、三七、三八、三九、四〇、四二、四二、四三、三七テ九九三八二三八六三八九三五三元日三七900 IO四〇五四〇六四三四四、四五、四六、四七、四八、四九、五〇、五一、五二、五三、五四、五五、追加、夕顏もの卷··よその夜の卷乾鮭の卷秋萩の卷涕かみての卷花鳥篇の卷夕附日の卷祖翁追善の卷五車反古の卷賴ある櫻の卷君とわれの卷斷章·紅葉の卷四六六四九mie農四八四三元四三三冨四九九四四國人里四五五文章篇新花摘十番左右合序跋類古今短册集跋··二、夜半亭發句帖跋三、鬼貫句選跋:四、平安二十歌仙序篇四、四八四五、六、七、八九、一〇、其雪影序太祇句選序この邊序·也哉抄序··むかしを今の序芭蕉翁附合集序左比志遠理序春泥句集序:·五〇二五四愛さ五〇八三〇〇五三五三·五一五四九五明七七四人四九九二、三、四、三、、III.蘆陰句選序··四、桃李序一五、花鳥篇序一七、俳題正名序七、五車反古序一八、宴樂序·一九、隱口塚序二〇、貞德終焉記奥書○溫故集序:短篇類ニ、一、宋屋追悼辭木の葉經三、乾鮭の句に脇をつぐ辭四.洛東芭蕉庵再興記五、浪華病臥の記六、檜笠辭七、伏波將軍の語··八、追慕辭九、宇治行〇.歲旦說夢說二、螺盃銘三、春の月··五九吾五二三五番五二五五二六五二七五二八五二九四、點の損德論·一五、二見文臺の畫法·一六、梅女に句を送る辭一七、芭蕉の眞蹟に添ふる辭八、雪亭の號を與ふる辭一六、月夜の卯兵衞二〇、題春草二一、百物語二二、歲末解○哉留の辯○書畫〓之記畫讃類一天の橋立賛二、馬提灯·三、葛の翁圖賛四、土器賣賛五、俳仙群會の圖賛··六、狐の法師に化たる畫賛七、鍬の圖賛八、漫畫の讃九、怪物圖譜〇、辨慶圖賛一鍬の賛五四八至五四五五五五六八受け雲八要八五五九天八·五六一五三一吾五三、Hare三三七〓〓五元九五四一五四一五四三五厘西夏川玉比賛五六二·五六四要五五天九五九九포10五七五七一毛·五七五五七七二、三、目次
蕪村狸の圖賛○安良居祭圖賛雜類晋我追悼曲村全集五七七毛大二、三、四、五、追加、春風馬堤曲と澱河歌取句法漢詩文句卷評語長者宅址之記五八一五八六五八七天九五九七五九九書簡篇召波宛大魯宛几董宛几董、九湖宛正名東舊春作宛霞夫、乙總宛·柳女、賀瑞宛曉臺、士朗宛百池宛··春坡宛暮蓼宛近江屋宛東瓦宛士川宛佳棠宛騏道宛篇六〇一六三壹奏、六三六三五七一八七三五七三六七四〇七四七四八七五二七五五七六〇七六七一七、一、、一九b.二〇、二一、二二、二三、二四、二五、二六、二七、二八、二九、三〇、三一、三二、梅亭宛延年宛靑荷宛月溪宛布舟宛季遊宛楚秋宛如瑟宛路景宛向桃宛佛心子宛駿河守宛道立宛菰堂宛雜宛宛名不明11/1古日士三、六人七八三六四六百太·七八八七八九六ナレハナルト九九三奏〓〓二、三、四五、六、七、八九、····三三、四、五、一六、追加一、午窓宛·八三五追加二、百池雪居了爾宛八一九補遺發句篇追加連句篇追加文章篇追加自讚の詞··宋阿の文に添ふる辭二見形文臺·附錄與謝蕪村傳蕪村年譜年代別發句集索引附記八九九八五一八五三八五五·八五七云八一-九六·九七-一〇六·一〇七-一一六一一三三·一-二七目次
蕪村全集挿繪寫眞版一、蕪村翁像蕪村翁墓寛保四年藏旦帖同上神仙圖六、七、八、九、·〇·南極老人と竹圖芭蕉庵再興記葛の翁圖讃怪物圖譜季遊宛書簡ニ、三、四、五、春新年歲旦かつらきの帋子脫はや明の春祇園會のはやしものは不協秋風音律蕉門のさひしをりは可避春興盛席されはこの日の俳諧は、わか〓〓しき吾妻の人明)歲和八旦年帖昔總統行いひかく。金峰山と葛城山との間に岩橋を渡さんとて神々を役せし葛城の言主神はりたちの醜きを恥ぢて夜のみ働き明くれは隱れたりといふ旬は明の春に古紙子もその姿を隱さんとの意祇園會京都八坂神社の祭禮祇園囃とて祭禮のをり山鉾の上にて笛太鼓鉦などを用ひてはやすなり發句篇
蕪村全集あづまの人の口質-江戶の俳人の句風の口質にならはんとて歲旦をしたり貌なる俳諧師我門や松は二木をみつの朝日の光今朝や鰯のかしらより烏帽子袴のさはやかなるは、よへ見し垢面郞歟、そも誰殿のむこかねにて御わたり安春(新文旬永六興五子年帖稿集)集我門や-文章篇參照。鰯の頭より-節分の日柊や鰯の頭を門にさす又諺に「鰯の頭も信心からしと、ふことあれば、初日の光が門にさすをその鰯の頭よりと興ぜしなりさはやかさわやかむこね-婿の候補者。物臭太郞お伽草子の物ありませし およびにいた始め弊衣垢面にて公省軒チョン美男となり上人民大めでたく女一九七〇四と結婚す太郞月は正月異名금융화물품안동東京都町本紀C水鏡)候そ罷出たものは物くさ太郞月歲旦己か羽の文字もよめたり初鳥花の春誰シやさくらの春と呼(ふたりづれ)津守舟三鴈風邑蓬萊の-この句蕪村の自書籍、壬寅試筆」と前書せCさわけて山まつり-天子封禪の故事にならふなり者より換ふる清澈1自筆の遺草に長者は金持大阪府堺市神田ちのとの亥-安永八年已亥なればこの賀はその松の綠-みどり兒にいひこまがへり-若返りcかくつきせぬ宿-謠曲猩々に「泉はそのまゝ盡きせぬ宿こそめでたけれ」。本卦の賀-六十一の賀。一字借音-化粧などゝある時この化の字を借りて毛ときかしむる類をいふ但は「大和假名いをしこゝ時間はありがとう〓大和何來」ときか大和假名との心存「ら」の音を借る意なるべし同文通考に殊更に唐人座敷初かすみ蓬萊の山まつりせん老の春三椀の雜煮かゆるや長者ふりつちのとの亥をはしめとし、又もや松のみとり子にこまかへり、老行さきの千々の春風吹つたへて、つきせぬ宿のめてたさを、大和の國なる何來の主か本卦の賀に申侍る一字借音大和假名いの字を兒の筆始めきのふ見し萬歲に逢ふや嵯峨の町(新五子稿(五車反古旬集(文集(手紙發句篇
とす人多かりき。池田-攝津、炭蕪村門の俳酒を名產關の戶-關所。CONTINENTAL老北京卤肉卷二五花無着!仙の三人が天明三年いづれしまい霽風梳新柳髮、餅舊苔の-日豚日馬「片假字一つには大和假字假字の意元日を鷄日とし二日狗、のかほり-薫に顏をか入-日は漢字に對して汎く日本のともいへり」とあれど、こ裁ち入れ。的鮮味七日を人日とす四日羊きいとあ、買山、虛栗などに見る如支那の古俗に正月朗詠集に特殊特典物品有限公司。氷消波洗五日牛、三而大黑自珍、人間にし橘「氣六三永きを山鳥の尾の長々しきに喩ふ山鳥の尾をふむ-春日のCによりてください。山鳥の尾の長きと落し差のよりいひかく、おとしざし-山鳥の「尾遲日の感をたるとに寄ㄴ發蕪村句全篇集山鳥の尾をふむ春の入日哉遲き日のつもりて遠きむかしかな遲き日や雉の下りゐる橋の上遲遲き日や都の春を出てもとるくれかぬる日や山鳥のおとしさし遲き日や草を草切る大手前き日や〓聞ゆる京のすみ懷西山遲日舊池田から炭くれし春の寒さ哉關の戶の火鉢ちいさき餘寒哉歲月日三のかほりや福壽草以す面の文字を立入、三始の吟を朝日さす弓師か店や福壽草餅舊苔の僕を削れは風新柳のけつりかけ七くさや袴の紐の片むすひ三たりか初老を賀するに、三延寶之句法人日遲餘寒春寒日遺)題新(句(天几董初懷紙明二)年(摺(遣歲明遺遺遺遺旬(句五四稿.苑五子旦和八遺草草稿稿集集稿集稿物)稿帖年)集
蕪村全集九董と-自筆短册に「公甫子几董とわきのはまにあそひし時」と前書せるものありとC脇の濱-今神戶市の東(春宵春夕几董とわきのはまにあそひし時筋違にふとん敷たり宵の春肘白き僧のかり寢や宵の春公達に狐化たり宵の春等閑に香たく春の夕かな春の夕たへなむとする香をつく閉帳の錦たれたり春の夕燭の火を燭にうつすや春の夕春の夕かの絹羽織きたりけり放しになれるがだらしなく筋違に-布團の斜にしきしかも柔ぎ心もちあり。旬集旬集旬安春何集引年集等閑に-何のために香を(炷)くといふでもなく。たへなむ-絕えなむ。閉帳の-題苑集に「開帳のにしき垂たり春の暮」、諧品彙に〓閉帳のにいしんしれけり春のくれ」。永四慶(句集新五子稿(遺稿春の暮春の日くれたり-俳諧品彙に「春も暮にけり」うたゝ寢のさむれは春の日くれたりにほひある衣も疊ます春の暮誰ためのひくき枕そはるのくれ日くれ〓〓春や昔のおもひ哉うかふ瀨に沓ならへけり春のくれ大門のおもき扉や春のくれ居風呂に棒の師匠や春のくれあち向に寢た人ゆかし春の暮山彥の南はいつこ春の暮蛤にたゝれぬ鴫や春の暮付集(句集(句集春や昔の-業平の歌に月やあらぬ春や昔の春ならぬ我身一つはもとの身にして浮瀨-攝津東成郡新〓水の傍にありし酒樓の名浮瀨といふ鮑貝の大盃を藏せ呼びしないて樓の名をし°居風呂に-この句の下五俳諧印譜に「おほろ月」。南はいづこ-題苑集に「南はいつち」c蛤にたゝれぬ-文章篇參照遺稿道稿(遺稿遺稿遺稿遺稿畫賛發句篇七
蕪村全集八春の夜もろこしの-この前書明鳥には〓一刻の宵··あけほのを賞せり」。下村春坡舊藏蕪村自 の句帖にㄱ1821780858はむらき とし、はれむ」とありて、句は中七宵曉の」とあり。の詩句、 、待ち客蘇東坡刻値千金」我朝の歌人-〓少納言の金錢家具集ㄱ春は曙やう!または、480 -たらひ、化粧用の古き手水盥などなる上童-ウヘワラハ、宮中又は貴族の家などに召使はるゝ童男童女。春の夜に尊き御所を守身かなもろこしの詩客は千金の宵をゝしみ、我朝の哥人はむらさきの曙を賞す春の夜や宵あけほのゝ其中に春のよやたらいを捨る町はつれ春の夜や狐の誘ふ上童何集何集、明鳥(新五子稿(遺稿暮春撰者-選者の誤。行春や撰者を恨む哥の主一平安廿歌仙、續明烏日(新(其發句集選影りんのか2006年紙に上五と、俳諧品彙には「前文有けふの此春を····勇士、-「あるいて」と訓むけふのみの春を步行て仕廻けり洗足の盥も漏りてゆく春やきのふ暮けふ又くれてゆく春やゆく春やおもたき琵琶の抱こゝろある人に句を乞れて返哥なき靑女房よくれの春暮春ゆく春や逡巡として遲さくら召波の別業に遊ひて行春や白き花見ゆ垣のひま行春やむらさきさむる筑羽山ゆく春や橫河へのほるいもの神雪(連句會草稿) (五車反古靑女房-まだ生若き女房(句集ゆく春や透巡として-花櫻帖に「行春の逡巡として遲さくら金堂」とあり、蕪村が金堂の爲に代作せしも召波の別業-洛西等持院のなるべ行春や白き花-題林集に中七「白き花見る」、題叢に上五「行春の」紫さむる-きて變るなり山色の夏に近嵐雪の句に旬集(句集何集旬集發句篇九
蕪村全集○「雪は申さずまづ紫の筑波山橫河へのぼる-句艸紙に「橫河を登る」。橫河は比叡五五、山三塔の一にて根本中堂の北約一里句は春の間京にはやりし疱瘡も暮春の頃は終熄して今はいもの神も橫川あたりへ登りゆくならんとなりて、中国国旅行棋院그世を」と詫宣ありしこと、は平宗盛が戰勝を祈りし時和歌の註宣を得たる故事などをふまへたるならん仕舞はしまへば眼に逢はぬ-眼に合はぬゆく春や同車の塗裝「春雨や同車の君かも·あこと」行く春の尻べた-箒の畫また長ふ-未だ長う。に賛せり。アルギ「おき步行〓〓-遺稿にに」とあるは誤寫。短冊には上五「歩き〓〓」とせり新(遺遭五子稿稿稿ゆく春や歌も聞へす宇佐の宮いとはるゝ身を恨寢やくれの春寢佛をきさみ仕舞は春くれぬ春のくれ筑紫の人とわかれけりゆく春や眼に逢ぬめかねうしなひぬ行春やおもき頭をもたけぬる行春のいつち去けんかゝり舟ゆく春や同車の君のさゝめこと行春の尻へた拂ふ落花哉また長ふなる日に春の限りかな步行〓〓ものおもふ春の行衞哉色も香もうしろ姿や彌生盡遭稿) (遺稿遺稿(遺稿(遺稿4種册) (自畫賛旬短新(遺集稿册草)五子色も香も-遺草には句の左傍に「美人のうしろ姿彌生麺は比喩得たりと云へし」と記せり座主-ザス、叡山の天台にあ座7近江、芭蕉の句「行く春を近江の人とを通信シクルoくるといふ程の酒落な夏の木か(原價)惜春春をしむ座主の聯句に召れけり春惜しむ宿やあふみの置火燵手燭して庭踏人や春おしむ春をしむ人や榎にかくれけり何集(句集(題苑集遺稿春月朧月インコン金堂-山城葛野郡妙光寺の山上にあり峨眉山月歌李白の詩、「峨眉山月牛輪秋影入平差江水流、夜發〓溪三峽、思君不見下渝州。」うすぎぬに春月の下羅衣を被きて立てる美人の蛾眉も朧に匂へり峨眉と蛾眉とかく春月や印金堂の木のまより春夜小集探題得義眉山月歌うすきぬに君か朧や義眉の月春夜聞琴(句名所小鏡集明歲和八旦年帖發句篇
蕪村全集三一瀟湘の-錢起の歸雁の詩に「瀟湘何事等閑囘、水碧沙明兩岸苔、二十五絃彈夜月、不勝〓怨却飛來」女倶して遺草に下五「春の月」文章篇參照に小麦克斯事に奔れりと「やは」は反電に那のし一七四さしぬき-指貫直衣狩衣物の佛佛うに袴の裾を組に水や空-新後拾遺集に「水上の30g (30°C)月を、の の蛙激の明プ。健側海温の7貫でのは渡れる空大阪府道水とも分つべもらずり瀟湘の鴈のなみたやおほろ月女倶して內裏拜まんおほろ月藥盜む女やは有おほろ月よき人を宿す小家や朧月さしぬきを足てぬく夜や朧月おほろ月蛙に濁る水や空草臥て物乞ふ宿や朧月手枕に身を愛す也おほろ月伽羅臭き人のかり寐や朧月朧月大河をのほる御舟哉月おほろ高野の坊の夜食時居風呂に棒の師匠やおほろ月(句集何集(句集何集(句新(遺新集稿.稿稿五子五子新五子稿題苑集遭稿遺稿居風呂に-遺稿に下五「春のくれ」。(俳諧印講辛崎の-芭蕉の「唐崎の松は花より朧にて」の句になりとの意より天橋立の松は更に朧C辛崎の朧いくつそ與謝の海朧夜や人イるなしの園橋立の秋新選東風春風のうれん-暖簾。一七十伊勢の出店-伊勢より京江戶などへ出せる支店、木綿問屋など多く三井の如きも松阪より出でたり無爲庵-樗良の居。曙の-枕草紙に「春はあけぼの····紫だちたる雲の細くたなびきたる」片町-道の片側にのみ家Cの建て列れる町浪を二見のこの句蕪村精神病毒によりも一級筆かたる緣木のことお前の後に子稿に「二見形文臺の讚、濱荻によせては浪の筆かへし」の句あり。發句のうれんに東風吹いせの出店哉河內路や東風吹送る巫女か袖春風や堤長うして家遠し無爲庵會曙のむらさきの幕や春の風野はかまの法師か旅や春のかせ片町にさらさ染るや春の風春風や浪を二見の筆かへし旬集(句(安春集年帖永六興旬集(句集何集(鬼子句集句篇
蕪村全集春曙抄-北村を吟の著はせる枕草紙の註釋書。春風のつまかへしたり春曙抄春風に阿閣梨の笠の匂哉筏士春風のさす手ひく手や浮人形遺稿遺稿) (遺草)春の雨西の京-今京都千本通より西の郊外。西の京にはけもの栖て久しく荒はてたる家ありけり、今はそのさたなくて春雨や人住て煙壁を洩る蓴生ふ池のみかさやはるの雨春雨やゆるい下駄借す奈良の宿五車反古(選白新津)守舟集句(はるのあけぼの)車反人住て-句集に「人住ミ、蓴生ふ-蕉門附合註解に上五「蓴生ふる」守舟鶴の七日-鶴は下りてその所に七日留り居るものな芭蕉の句にも「花咲て七日鶴見る範かなしふ降りくらす遺稿にりたらす」るべしとあるは誤寫なはるさめや-題林集に下五「けふは有」。俳諧品彙に「閑居」と前書ありふる頭巾-降る、古。春雨や鶴の七日を降くらす春の雨日暮むとしてけふも有はるさめや暮なんとしてけふも有物種の袋ぬらしつ春のあめ春雨や身にふる頭巾着たりけり春雨や小礒の小貝ぬるゝほと瀧口に燈を呼聲や春の雨夢中吟春雨やもの書ぬ身のあはれなる春雨やものかたりゆく簑と傘柴漬の沈みもやらて春の雨春雨やいさよふ月の海半(臥央初懷紙)天明年)儿董初懷紙(句集旬集(句集春雨や小磯の春雨に··ぬれに鳬」とあ手紙に瀧口〓凉殿の東北にあたり御溝水の流れ落つる處こゝに禁中警衞の武士詰め居たり。物書に詩もし諸雨の自ら夢中の 2006年句を得たれどそを書きとContents,"さめて判然せざフシヅケ冬季柴句はその柴漬の春まで(句集何集旬集旬集句集何集發句篇
蕪村全集六殘りて半ばこはれながらなほ沈みもやらである春雨の景綱-一條戻橋にありし柳風呂といふ娼家の妓、蕪村は時々この家に遊びし事ありき。綱を渡邊綱と解するは非、現に提灯もてる妓を自ら畫きてこの句を賛せるCものあり小原-洛北大原村。朧の〓水東南にあり、-大原寂光院の古歌によまれたる名所C潦-ニハタヅミ。はるさめや綱か袂に小てうちん雛見世の灯を引ころや春の雨小原にて春雨の中におほろの〓水哉春雨にぬれつゝ屋根の手毬かな春雨や珠數落したる潦池と川ひとつになりぬ春の雨春雨や同車の君かさゝめことはるさめの中を流るゝ大河哉粟島へはたし參りや春の雨春雨に下駄買ふ初瀨の法師哉春雨にぬるゝ磨の背中哉何集何集何新(遺遺集稿,稿)稿五草子遺遺稿稿同車の君-詩鄭風に〓有女同車顏如舜花」"編編車の中に見女のしか如く車をめぐりてそゝぐなやかに物語る聲、雨は烟のるべしこの句短册に〓ゆく春や同車の君のささめことㄴ粟島-紀州加太の粟島神社を本社と北京市公安局海淀分局人病に前10時磨-クジカ大阪市中央区中央区大学附小学校鹿に小ふ(遺遭稿遺稿遣稿遭稿さく角なし、毛は黄黑色雄には牙有り、皮ば細軟にして鹿皮にまされり目)。日本には產せす(本草綱そのを春雨に配焼そして地に徑二三寸の穴石などを投げ入れて勝負をを穿ちその穴に遠方より錢爭ふ小兒の遊戯いわくー曰く佐々田雄ちぬ茅渟男と菟原男との二人が菟原處女 手ひし話萬葉集九十九及び大和物語に見ゆ小竹田男の名も萬葉集に見えこ人の男の何にちあとし10%別名人を防東京都粟飯一椀の-盧生が黄粱炊の夢の故事cこの句は居眠れる人の鼻に紙捻をさす圖に題せりとC蝶の夢1 -莊周夢に蝶となりし故事春雨や蛙の腹は未たぬれす春の雨穴一のあなにたまりけり書にいわく待人遲し春の雨股立の佐々田雄ちぬ雄春の雨粟飯一椀の爲に五十年の歡樂をむなしくせんよりは、葉に遊ひ花に戯れさめて後うらみなからんには春雨や菜めしにさます蝶の夢(遺稿遺(手稿紙遭草旬集拾遺霞高麗船のよらて過行霞哉新選發句篇
遺草に時は必ず來るといふ俗說あ人の足袋の片方を隱しおくんことを欲する時は、なれと」雪どけやけふも-妹か巨燵に-〓人の來ら。그と傍に記せり古めかしき案し場この句そのするなりする人の土質のよきを賞美づるにて、ひそみも-潜みも敢へず植木などせんとの芒の穗先黑くなれるをいすぐろの薄-燒野のあとふを運ぶもつこ。··簀に土を愛す人」。名のしれぬ蟲白う飛」陽炎や-題林集に「かけろふや-手紙に「めつるは愛簀は土胡地-支那の北方えびすりて手常に南を指す如くせ作る草霞み-題林集、の住む地を迷はすし時蛋尤大霧を起して四方聚に下五「夕哉」指南車-黃帝蚩尤を討ち霞み水にちりなき夕かな」その制車上に木人あよつて指南車を題叢に「草發句類發蕪村句全篇集もの焚た乞食の火より燒野哉野とゝもに燒る地藏のしきみ哉曉の雨やすくろの薄はらしのゝめに小雨降出す燒野哉雪とけやけふもよしのゝ片便雪解や妹か巨燵に足袋かたし陽炎にしのひかねてや土龍陽炎やひそみもあえす土龍陽炎や名もしらぬ蟲の白き飛かけろふや簣に土をめつる人郊外海脊のひくき馬に乘る日の霞哉指南車を胡地に引去ル霞哉草霞み水に聲なき日くれ哉山越て霞干寺や撞そこなひの鐘霞む野の網望網へ入日哉海燒雪陽野解炎網へ入日哉新旬何付遭遭(手遺旬(句遭題新何何五五苑子子稿集集集草稿紙稿集集草集稿集集
蕪村全集春水春の川春の水山なき國を流れけり橋なくて日暮んとする春の水春水や四條五條の橋の下足よはのわたりて濁るはるの水春の水背戶に田作らんとそ思ふ春の水にうたゝ鵜繩の稽古哉地を追ふ鱒のおもひや春の水たつ膓の足あとよりそ春の水小舟にて僧都送るや春の水なかれ來る〓水も春の水にいる新選) Indianations詩句に「天津橋下陽春水、とものとき、謠曲熊野〓四條五條の橋の느〓〓春風や四條五條の橋の又都枝折(天明二年刊)麗白ㄴの句ありなほ句に一春雨や四條五條の橋の上」とありと足よは-足弱、女子供をいふ何集句集付集付集旬集蛇を追ふ-鱒はよく蝮蛇を捕へ食ふ性ありたつ雁の-雁は殘雪の上にその足跡をつけて歸ると物質を行ている。乾燥的食品〓水も-〓水は澄みて寒冽の感ありそれもやがて薄濁れる春水に流れ入りて何集遭稿遭稿(遺稿ぬるみ行くなり。湖や堅田わたりを春の水里人よ八橋つくれ春の水春の水すみれつはなをぬらしゆく晝舟に狂女のせたり春の水なかれ來て池に戾るや春の水烏帽子着て誰やらわたる春の水重箱を洗うて汲むや春の水辨當にすくひあけけり春の水水ぬるむ頃や女のわたし守枕する春の流れやみだれ髪遺稿(遺稿里人よ-春水或は東に流れ或は西に流るゝ里に至りてこゝにも三河の名所にならひて風流なる八橋を架け葉人とよと興ぜしなり謠曲隅田川の聯樹·8遺稿)遺稿)遭稿(題林集何集拾遺(畫賛(遺草枕する-漱石枕流の故事をふまへたりC (遣草)春の海發句篇
蕪村全集春の海-俳諧金花傳に須磨の浦にて」と前書ありつこの句古選の外日發句集、其雪影句集、發句小鑑等にも出て蕪村の句中人口に膾炙せるものゝ一帆風の-文章篇參照。春の海終日のたり〓〓哉帆虱のふとし流さん春の海古文選集苗代苗代や鞍馬の櫻ちりにけり苗代にうれしき鮒の行衛哉苗代や立ゆかめても伊勢の神櫻ちる苗代水や星月夜(句集.明鳥(新)集葎遺五子亭附畫稿賛錄稿)初午のや」と訓む方可。その家〓〓-「そのやそ初午やその家〓〓の袖たゝみ初午や物種賣に日の當る日發句集(都枝折四ツ塚-京都東寺の南、鳥羽の北。はつ午や鳥羽四塚の鷄の聲五車反古釋〓早春なには女や京を寒かる御忌詣御忌の鐘ひゝくや谷の氷まて御忌のかね時なき京のうねり哉ある人のもとにて命婦よりほた餅たはす彼岸哉永き日をいはてくるゝや壬生念佛なには女やー-この句、日發句集其雪影新選等にも出づれどいづれも前書なし谷の氷まで-智恩院の洪鐘の響に谷の氷も解け初むとなり付集(句集新五子稿命婦-ミヤウブ、もと五位に敍せられし女房をいひ後には中薦の女房の稱となれり。冬の日の附句に「命婦の君より米なんどこす、重五たばすー賜はす。彼岸哉-題林集にこの下五「亥子哉言はで暮るゝ-壬生の念佛踊は無言にて種々滑稽の所作をなすなり發句(句集遺稿藪入出代句篇
蕪村全集安春安(津永六興守舟年帖三やふ入や浪花を出て長柄川やふ入の宿は狂女の隣かなやふ入の夢や小豆の煮るうち藪入やよそ目なからの愛宕山やふいりや守袋をわすれ草養父入や鐵漿もらひ來る傘の下やふ入は中山寺の男かなやふいりのまたいて過ぬ風の糸やふ入や鳩にめてつゝ男山養父入を守れ子安の地藏尊出代や春さめ〓〓と古葛籠小豆の煮る-藪入して歸れる子に母がもてなしの牡人民幣暴子は我家の氣樂さゆのべに新疆生活佛教堂夢は黄粱一代替りのティングスでよそ目なからの 、蔵人にるうちと興じたり歸る子が愛宕山はよそなら遠く拜せしのみにて我が傘の下家へ急ぐさま自筆の遺草にこの下五「傘の中」とせるもの中心 小攝津河邊郡、西國順禮の札所なりc蕪村嘗てこの寺に寄寓せしことありと傳ふ男山-山城石〓水八幡宮またいて-跨いで。子安の地藏尊-山城丹波の國境なる老の坂の峠にの地方に名高き子安地藏あり京より老の坂を越えて丹波へ歸る藪入の子を無事に守れとなり付集(句集(句集付何集集何集稿(遺(遺稿(句集春さめ〓〓-春雨もの淋つゞらの始末などするにしく降る日、出代の婢が古流石に主家を去る別情にたへずしてさめ〓〓と泣かるるなり春雨とさめ〓〓と一古代雛り。の中七「つまゝすありや」。-句集にこ題林集に「たらちめの包ます有や雛の鼻」なりとあるは誤古雛やーこの句にも「上巳」と前書あり袖几帳-袖にて顏を蔽ひ隱すこと。紙鳶雛草餅凧きのふの空のありところ上已たらちねの抓まてありや雛の鼻古雛やむかしの人の袖几帳箱を出る貌わすれめや雛二對雛祭る都はつれや桃の月雛の灯にいぬきか袂かゝるなりころも手は露の光や紙ひゝな彌生三日ある人のもとにいたりて草餅に我苔衣うつれかし付集五車反古付(句集集(句集遺稿いぬき-源氏若紫卷に見ゆる雀十を逃せし童女の名衣手は-天智天皇紙下田の」の御製による紙雛の質素なるをいへり。遺稿(俳諧百歌仙)發句篇
蕪村全集二六耕畑打鳥さへ啼かぬ-王荊公の詩句に「一鳥不啼山更幽」。畠うつや題林集にこの七五「はたうちや」。ぢ五石の粟-粟は穀類の總" ·················一緒になる畑のあるじ顔して耕せりと法三章-漢の高祖咸陽に入るや秦の苛政を改め父老と約するに法三章を以てせる故事芭蕉庵-洛北一乘寺村金寺境内にあり動かぬ雲-今まで春の空に動かんともせず浮びゐし雲の野に大きく影を落せつの間にか消え失せて、郊外は一望只春日煦々として照り、畑うつ人の影小さし畑打や我家も-題苑集に耕や鳥さへ啼ぬ山かけに畠うつや鳥さへ啼ぬ山かけに耕や五石の粟のあるし貌畑うちや法三章の札のもとはた打よこちの在所の鐘か鳴畑打や木間の寺の鐘供養芭蕉菴會畑うつやうこかぬ雲もなくなりぬ畑打や細きなかれをよすかなる畑打や我家も見えて暮かぬる續明鳥(句何集集何集(句集旬集何集新五子稿新五子稿)遺稿「畑うちや我家も見えて暮かゝる」道問ふ人-道問ひし人の摩耶か嶽-神戶市の東北に聳ゆはた打や我宿も見えてくれ遲し畑うつや道問人の見えすなりぬ畑打の目にはなれすよ摩耶か嶽はた打や耳うとき身の唯一人畑打や峯の御坊の鷄の聲鋤の賛畑に田に打出の鍬や小槌より遺稿(遺稿道稿遺稿何集拾遺畑に田に-文章篇參照。種卸種俵(連句會草稿)古河の流引つゝ種ひたし古河の流を引つ種おろしよもすから音なき雨や種俵何集古河の流を引つ-題苑集に中七「流を引や」。付集發句篇
上海交通大学度の長老同じく貧に安んずる儿董の摩經に見ゆ維摩-ユキマ、掛替る-乙二の蕪村發句行を以て名高き故爐を塞ぐ居を訪ひて風呂に入るとな宿梅の圖に賛せるなるべ四千の諸佛を請としこと維ㄱ集に「かしこ」に賢字を宛て集に「畫賛」と前書あり鶯や鶯を雀かと-然むく自動詞にふむべし解に「かけかはる」とあり離落-籬落の誤、ありと口を塞ぐと自ら通ずる趣體なさすぎるとの意かればいともかしこしのなりたるは不可なるべしには藪鶯などの來なくは勿により勅命をうくる程の梅かしこ過ぎたる」はかしこ過ぎたる-方丈の室に八萬釋迦と同時代の印牛肉面春も關にて又默然無言のㄴ淨名居士まがき(税別:の句し鶯句北阮は富み南阮は貧し南に居り諸阮は道北に居るき(晉書)南阮-晋の阮咸性任達に春夜盧-凡董の寓居。して拘はらず叔父阮籍と道炉塞ぎし夜我とり發蕪村句全篇集鶯のあちこちとするや小家かち鶯の二聲はなく枯木かな鶯やかしこ過たる軒のむめ鶯を雀歟と見しそれも春鶯の麁相かましき初音かな我春もやゝあなうくひすよむかし聲宿の老離鶯聞ん野に出て鶯兒落爐塞てたち出る旅のいそき哉爐ふさきや床は維摩に掛替る爐塞て南阮の風呂に入身哉春夜廬會菜畠にきせる忘るゝ接木哉垣越にものうちかたる接木哉一とせの茶も摘にけり父と母種俵ひと夜は老かまくらにも題老農爐茶摘鶯塞接木( ) ) (春安春明歲明歲明(句何(遺何新遺)春安(春安(續明烏、新選)永慶三引年)短永興六永和和和慶慶旦旦二九八八五子帖年引1年年引年帖年帖年し)稿集集稿集稿册
定でかその花とは見つれどと問はれし時至り東に至る途中の峠柏峠-伊豆修善寺こり伊何とやよやよ宗任が-解し難し。ところだ」との意に解せりいて一說に宗任が捕はれて都ににきゝほれて柏峠を立-去三角形成〓〓〓〓初、有機なは貴よし、 、ㄱ呵呵と云ふふい(けぬ先鶯の聲湯のり〓ヘ忘れ時-鶯のこともすで「留主守て鶯遠く聞夜かな」留主守の-新五子稿にに忘れゐたる時分。樹に」低き木に-手紙に「低い日枝-比叡山。領村鵜殿、うどの西へ町あいて」。西の方開けり口明て-撞木町-「高く飛」。高う飛-連句會草稿ににわくあなうぐひす-あな憂し野に出て-街路の狀丁字形をなしc淀川の右岸攝津國三島郡五俳諧品彙に遺稿に「西に」。山城伏見の遊女野に出でてC口發蕪句村全篇集鶯篁にうくひす啼やわすれ時けさ來つる鶯と見しになかて去る留家にあらて鶯聞かぬひと日哉啼あへてうくひす飛や山おろし鶯や梅ふみこほすのり盟うくひすや柏峠をはなれかねうくひすはやよ宗任か初音哉鶯やうくひすの啼やあち向こちら向うくひすや笠縫の里の里はつれ主守や野中堤のをの墓鶯遠く聞日哉下るの竹百竿竹の中うくひすの枝ふみはつす初音哉低き木に黃鳥啼や晝下り烏來て鶯餘所へいなしぬるうくひすや家鶯の日枝をうしろに高音哉鶯の聲遠き日も暮にけり鶯撞にうくひすの鳴やうとのゝ河柳うくひすの鳴やちいさき口明てうくひすの二聲耳のほとり哉木うくひすや茨くゝりて高う飛終町鶯西日揃ふて飯時分遠し畑の人へ飛さりぬる中遺道(遺遺(遺(遺(遺(遺遺遺遺遺遺題新何何旬雪中庵且暮帖名天明所三小集年鏡(はなこのみ) (連句會草稿) ( (連句會草稿)儿童初懷級)安永九年稿.苑五手子稿稿稿稿稿稿稿稿紙稿稿稿稿集稿集集
蕪村全集かねる旅人の風情り笠縫の里-大和美濃などにあり古今集に「靑柳を片糸によりて鶯のぬふといふ笠は梅の花笠鶯の笠に縫ふてふ梅の花折りてかざさん老かくるやと」などあるによりて、鶯に笠縫の里を配せしなり啼あへてー-啼き敢へで。山嵐の烈しきに鶯の鳴きあへでとび去るなりフズヱc枝末-梢に對するエズヱ歩三の意にあらずして、上枝にシェ對する下枝の宛字に用ひたり大津繪に-街道筋の店頭に並べある大津繪に燕の糞しゆくなり糞落しゆく-題林集に「糞こはし行」。宮も藁屋も-蟬丸の歌に〓世の中はとてもかくても同じこと宮も藁屋もはてしなければはならないので」國民大學教育部もを食人事Cなた全集うくひすの枝末を摑む力哉うくひすのわするゝはかり引音哉手紙手紙燕燕啼て夜蛇をうつ小家かな大津繪に糞落しゆく燕かな大和路の宮もわら屋もつはめ哉つはくらや水田の風に吹れ貌わりなしやつはめ巢つくる塔の前乙鳥や去年も來しと語るかも細き身を子により添る燕哉ふためいて金の間を出る燕哉(新虛栗集(句集(句集何集新五子稿(新五子稿遺稿遺稿飛魚となる-俗說に燕化して飛魚になるといふ花に啼くなどの如く花に調和せずと-燕の鳴聲が鶯なり兀山や-兀山の何處に隱れ場所ありとも見えぬに雉子の聲のみして姿は見えざるなりCこの句なほ俳諧拾遺譜(明和八年刊)、獨喰等に出づ新選、一个金色印刷面貞丈雜記に坂上海に由上總千葉三浦、土肥、て て き ま す ) 。大盛梶原、KEXUANは酸辣上畠山豐長島野、川越、の等特色で、と八平氏の豪族が割據しゐたりし往時のさまをしのぶなり歸る家路の-新五子稿に기戻る家路の」。砦トリデ龜山-丹波龜岡、京より寶寺-山城乙訓郡山崎に老の坂を越えて通ふ飛魚となる子育るつはめ哉花に啼聲としもなき燕哉遺稿遺稿雉子兀山や何にかくれてきしの聲雉子啼や草の武藏の八平氏雉打て歸る家路の日は高し日くるゝに雉子うつ春の山邊かな柴刈に砦を出るや雉の聲龜山へ通ふ大工やきしの聲むくと起て雉追ふ犬や寶てら木瓜の陰に貌類ひ住ムきゝす哉(日發句集iの、親五車反古旬集何集句集何集何集發句篇
蕪村全集あり、正しくは寶積寺といふたぐひ住む-木瓜の花と〓子の顏と相並びてある意驛舍-ウマヤドリと訓む手紙に「たひやとり」。いなのめ-曉のこと。」なのめの」は「明く」の枕詞、こゝは朝日山の枕詞とせり朝日山は宇治興聖寺の背後にあり御里御坊-里坊は山中を離れて人家近き所に構へし僧坊をいふ御里御坊は法親王など高貴の僧の別莊理なるべし今日はその木綿織るたゝましいに-今日去に。アイスタン·オブ·ザ·ライン·アンド·アンド·アンド·アンド月の曇るは歸雁情あり且つ去年雁頃の田毎の月かげかりらしむ花を見すてて去る雁の眞意解し難しとなり頡鳥の足跡を見て文字を作りし故事によりきし鳴や坂を下リの驛舍雉鳴やこゝいなのめの朝日山きし啼や御里御坊の苣畠河內女の宿にゐぬ日や雉の聲旬集(遺稿道稿) (遺稿)歸雁きのふ去ニけふいに鴈のなき夜哉雁行て門田も遠くおもはるゝ歸る鴈田ことの月·の曇る夜に花に去ぬ雁の足あとよめかぬる(句集、日發句集)旬集旬集遺稿雲雀雀子「讀めかぬる」の緣語を用側を蔽ふ具、泥障-アフリ。革毛皮などに馬腹の兩て製す。馬上に遊行の人雲雀の聲きかんとて馬より下り、泥障を畠中などに敷,せて休むさまなり舞雲雀-原句稿には「舞〓の字の左傍に「夕」と記せり「夕雲雀」とも作り見しならんC鎧の袖をかざしつ、馬上の若武者などが遙かに舞ひ上る雲雀の姿を眺めやる體。ひえ鳥-ヒヨドリ鵯の古名。ハ廿チ重ねて-伊勢物語に富士山のことを〓その山はにからは、小野あーくりゃんねんむ程して」とかけり。之によりて雲雀のまひ上る高さは鵯に廿倍せりと酒落たるなり岩に翼-或は鮎汲の網を翼に見立てたるなりと解き或は鮎汲む人を鳥に喩へてほ穏かならずいへるなりと解すれどもな泥障しけ爰そひはりの聞所舞雲雀鎧の袖をかさしかなひへ鳥を廿チかさねて雲雀哉飛かはすやたけ心や親すゝめ新五子稿遺草遺草) (連句會草稿)若鮎汲鮎わか鮎や谷の小笹も一葉行鮎汲の終日岩に翼かな(新五子稿(新五子稿蛙凡董か蛙合催しけるに月に聞て蛙なかむる田面かな何集發句篇
蕪村全集蛙合-蛙の句合なり。前に貞享三年仙化の「蛙合」あり後に寬政十二年「新蛙合ありそれ等の類なるべし色紙に遊ぶ-苗代田の色上海交通古今本の黒いたらといとなり連歌して-自筆短册に「貞德翁の古せきへ招かれかる道すから」と前書せるありなほ文章篇參照この句寬政十二年の新蛙合にも出でたり獨鈷鎌首-左大將一〇、〇〇、〇二〇人傳統合夥人鐵道難しむしろが昭は律僧にて獨鈷をもち寂一覽證據中の みなのでありがた例の働點後首と名づけたりと(井蛙抄)この故事よりあちこちの蛙が負けす劣らず鳴立つるを水掛論の蛙と興ぜしなりTEL VEST閣に座して遠き蛙をきく夜哉苗代の色紙に遊ふかはつかな日は日くれよ夜は夜明ヶよと啼蛙夜は夜明よ日は日暮よと啼蛙連哥してもとる夜鳥羽の蛙哉獨鈷鎌首水かけ論のかはつかなうかれ出て背〓〓の蛙かな風なくて雨ふれとよふ蛙哉およく時よるへなきさまの蛙かなイめは遠くも聞ゆかはつかな何集(句集(句集新雜談集旬集(句集新五子稿新五子稿(新五子稿(遺稿)田螺蜆そこ〓〓に京見過しぬ田にし賣なつかしき津守の里や田螺あへ靜さに堪へて水澄たにしかなソヨヤ膓立て驚破田にしの戶を閉る揚土の小雨つれなき田にしかな拾ひ殘す田にしに月の夕かな鍬そゝく水や田螺の戶々によるむき蜆石山の櫻ちりにけり句集津守の里-攝津住吉附近の地住吉にて田螺あをに置しての地が有米の名所食ひ、かしき感を懷けるなり靜さに堪へて-泥の中にあくまで靜かに橫はれる田螺、水には些かの濁りだになし同じそよや-すはやといふに閉る-とづる、しむる、何れにも訓むべけれどなほ그とづる」の方可ならん戶々による-その貝の中に居を定め居る田螺の各々cをいふむき蜆-勢田蜆とて石山勢田あたりの名產むき蜆の出る頃はすでに石山の櫻も散りがたなりと暮春の風物を敍せり旬集句集何集新五子稿(題苑集遺稿(遺稿蜂蝶木丸殿-キノマル(ロ)ドノ齋明天皇が筑前國朝倉に造り給ひし行宮にて黑木のまゝの素朴なる御殿の山蜂や木丸殿の雨の中土舟や蜂うち拂ふみなれ棹遺稿)遣稿發句篇
蕪村全集土舟-土を積みて運ぶ船蜂蜜に孝婦の老親を養ふに喩ふ。蜂蜜に根はうるほひて老木哉うつゝなきつまみ心の胡蝶哉島原の草履にちかきこてふかな伊勢武者のしころにとまるこ蝶哉釣鐘にとまりて眠る胡てふ哉孝婦記(句集島原の-島原は京都の西郊にあり。(新五子稿新五子稿しころ-錢、兜の鉢につきて後に垂れ頸を掩ふもの(題苑集、遺稿)蠶一覽證據,」と訓むべ(三)かに養蠶の繁忙時なりみは怠らじとなり。神棚の灯は怠し蠶時今年より蠶はしめぬ小百姓都(遺新枝五子折稿、稿梅しら梅のかれ木に戾る月夜哉日發句集風鳥-フウテウ、形三光鳥に類し頭黃頰頷黑く背翅及び関連は に脚は鼠の如くたる芒の穗に似たり常に淋木に健康によって岩洞に居て飛風あれば則ち風に乘じて飛舞す上海鮮用鹽の食物なく風に向ひを吸ふと(和漢三才圖會)。この句中七、遺稿に眠んこほしや」。鳴瀧-ナルタキ、山城愛宕郡、にてこの邊今も植木屋多し京都の西北なる郊外鶴裳-鶴警の誤白樂天の詩句に「人被 鶴肇 立徘麺類。-大阪櫻宮に近き淀c川の渡場の名源八を渡れは身は梅花林中の人となり-1て眺囑を擅梅のおろしください。にすとのり下駄かりて-以下六句連句會草稿卷末に出でゝ句主跡句風より見て蕪村の作の名を失したれど、推定せらる梅二輪-一本に「梅の花」とありと。風鳥の喰ラひこほすや梅の風鳴瀧の植木屋か梅咲にけり庵梅白梅や鶴裳を着てうたゝ對す源八をわたりて梅のあるしかな下駄かりてうら山道を梅見哉庵の梅屁ひりて立て徘徊す舟よせて鹽魚買ふや岸の梅梅咲て小さくなりぬ雪丸け散梅に髣髴として霰降江の梅に龜の甲干す書間哉みのむしの古巢に添ふて梅二輪)歲明和旦八帖年)安永五年(鷺喬除元德(几董丁酉之句帖)安永九年)八董初懷紙(連句會草稿) (連句會草稿) (連句會草稿) (連句會草稿) (連句會草稿) (連句會草稿) (五車反古發篇
蕪村全集紅梅の落花燃らむ馬の糞初春しら梅に明る夜はかりとなりにけり草菴二もとの梅に遲速を愛す哉うめ析て皺手にかこつ薰かな白梅や墨芳しき鴻鸕館しら梅や誰むかしより垣の外舞〓〓の場もふけたり梅かもと出へくとして出すなりぬうめの宿宿の梅折取ほとになりにけり摺子木て重箱を洗ふかこと八天董初明三懷紙年初春-この句蕪村終焉の吟(から檜葉二もとの-和漢朗詠集に「東岸西岸之柳遲速不同南枝北枝之梅開落己異」何集(句集鴻臚館-接待せし館舍昔來朝の外賓を墨芳しきといふに唐人などゝ詩文應酬するさま想像せらる舞〓〓マヒマヒ.幸若はならないのですか伊香港国际旅行榜第二十五日發行榜下に舞の舞臺を設けたりとの一個、「もふけ」は「まうけ(設)」の誤。出へくと-「出づべくとして出ずなりぬ」と訓むべし旬集何集何集旬集旬集宿の梅-娘の成人せしことなど含めたる寓意あるか摺子木で-微細のところまで行き届かぬ喩、老子に「治大國若烹小鮮こ とあると同意あふて-逢うて。隈〓〓に-手紙に〓に」と假名書せり。「すみちょ社境内の梅林中にある茶屋北野の茶店-京都北野神螺鈿こぼるゝ-卓上に散る梅花はまさに螺鈿のこぼるゝに似たり室--州州室の津遊女がお客様にしてしのなにののめ-當時本居宣長と上田秋成と、假名遣につきて論爭せしことなどありき。字儀-字義の誤。くせよとは、政の嚴刻なるをいましめ給ふ賢き御代の春にあふて隈〓〓に殘る寒さやうめの花しら梅や北野の茶店にすまひ取うめ散や螺鈿こほるゝ卓の上梅咲て帶買ふ室の遊女かな燈を置カて人あるさまや梅か宿あらむつかしの假名遣ひやな、字儀に害あらすんはアゝ旬集(句集旬集何集(句集まゝよ梅咲ぬとれかむめやらうめしややらしややら-ぢややら。何集發句篇
蕪村全集小豆賣る-小豆と梅の荅と形狀相似たるを思ひよせて作れる句梅遠近-この句手紙に그野徑梅」と前書せるあり。遠近は「をちこち」と訓讀す比丘より劣る-徒然草に그四部の弟子はよな比丘よりは比丘尼は劣り比丘尼上海の日光の物を一個の作品をり優婆夷は劣れりㄴに居き一個中心的なと興ぜしなり春正-山本春正、明曆頃の名高き蒔繪卽賀城の中心下長嘯子に學び禪引きずる-りつ 梅蘭を迎接するの人の飄逸なる風丰偲ばるつる」は「引きずる「引塊に答うつ-盆栽などのと此土をここればしくのり棒にて打碎くなりは手紙に書せり小豆賣小家の梅のつほみかち梅遠近南すへく北すへく紅梅や比丘より劣る比丘尼寺具足師か古きやとりや梅の花御勝手に春正か妻か梅の月梅蘭に褌引つるあるしかな一羽來て寢る鳥は何梅の月塊に答うつ梅のあるし哉さむしろを畠に敷て梅見哉かはほりのふためき飛や梅の月野路の梅白くも赤くもあらぬ哉白梅やわすれ花にも似たる哉何集(句集何集新五子稿新五子稿題苑集遺稿(遺稿遺稿遣稿(遺稿(遺稿梅が香の本日のおよび大空は梅のにほひに月つつ曇りLOもはて紅梅や入日の襲ふ松かしは梅が香の立のほりてや月の暈散るたひに老行梅の梢かな水にちりて花なくなりぬ崖の梅傀儡の赤き頭巾やうめの花梅かゝやひそかにおもき裘むくつけき僕倶したる梅見哉こちの梅』も隣の梅も咲にけり紅梅や黄鳥とまる第三枝一輪を五つにわけて梅ちりぬ無緣寺の日をなつかしみ梅花莚帆に香をうつし飛岸のうめ遣稿(遺稿(遺(手手稿水にちりて-遺稿にに散て花なくなりぬ岸の「水梅」。書簡篇參照。梅かゝ-梅が香。僕-シモベ裘-カハゴロモ。紙紙手紙(手手紙紙(手紙(遺草)莚帆-莚にて製せし帆。(遺草) (遺草)發句篇
蕪村全集柳「出る杭は打たれる」。出る杭を打たうと-諺に「したりや」は「したれば」の俗語。一筋も弃たる枝なき柳かな出る杭を打うとしたりや柳哉軒の茶見世の柳老にけり一靑柳や芹生の里のせりの中禁城春色曉蒼々靑柳や我大君の艸か木か若草に根をわすれたる柳かな梅ちりてさひしく成しやなき哉捨やらて柳さしけり雨のひま君ゆくや柳みとりに道長し春明歲明安(春名和慶四和旦八永六興所小引年帖年年帖鏡芹生洛北大原村寂光院附近の地セリオと發音す。禁城春色-唐の賈至の詩句全詩は「銀燭朝天紫陌長禁城台色曉蒼々千條弱柳垂靑噴、百轉流鶯邊建章、劍佩聲隨玉墀步、衣冠身惹御爐香、共沐恩波鳳池上朝々染翰侍君王こ我大君の-天智の朝に飯千觔あり四種友變態つ時「草も木も我が國なればいづくんやっぱりかなるべき」に諸鬼その歌に感じ退散すミふ(本朝神社考)若草に-上には皇々たる(句集旬集(句集何集新五子稿柳枝垂れ下には妻々たる綠草萌ゆその間に黑みたる柳の古き樹幹あるを忘れ了Cるなり根は根本の意捨てやらで俳諧品彙にㄱ前文有」とし下五「雨の中君行くや自畫賛に「朝來道歸客、復是長河湄、立馬折楊柳、既無前司枝」と前書し征馬を圖せるものあり(十三州-富士見十三州とて富士の姿を望み得る國十柳下もと 咎の賢人。曾て上海市金山區公園區域中となる ··························を怪み疑はざりきとす柳にも寄生木を宿らしめ居るものありと興ぜし句。嫗-オウナ商人-村に見なれぬ行商人なるべしシユ桃の花見にと北京泰克海上海しく小家のさま見ゆの吳産なるとし不二おろし十三州のやなき哉柳にもやとり木はあり柳下惠門前の〓か柳絲かけぬ風吹かぬ夜はものすこき柳哉やなきから日のくれかゝる野道哉三尺の鯉くゝりけり柳影遺稿遣稿遭稿遺稿(遺稿草遭桃梨花喰ふて寢て牛にならはや桃花商人を吼る犬ありもゝの花さくらより桃にしたしき小家哉家中衆にさむしろ振ふもゝの宿旬集句集句集(句集發句篇
蕪村全集桃の花ちるや-自書賛に伏見懷古」と前書し桃の落花を描けるものあり任口-伏見西岸寺の第三世住職寶譽上人松江重賴門にして後談林に歸す貞起司法院一「我衣りに芭伏蕉の吟あ甲斐がれにの 精神は、梨花おやすみ自慢の地い雨の日や都に遠きもゝのやと交へ折て白桃くるゝうれしさよ桃の花ちるや任口去てのち甲斐かねに雲こそかゝれ梨の花梨の花月に書ミよむ女あり長き日にましろに咲ぬなしの花新五子稿新五子稿(遺稿、續桃の雫)句集何集(遺草海棠椿白粉に-白粉とく皿に誤つて紅を垂らせるが海棠の花の色に似たるなり化粧する美人の姿聯想せらる海棠や白粉に紅をあやまてるある隱士のもとにて古庭に茶筌花さく椿かなあちきなや椿落うつむにはたすみ遺稿茶筌花咲く!ある隱士とは蓋し茶人なるべくよつて椿の花を茶筌が花に咲けりと見立てしなり潦にはたすみ-にはたづみ旬集付集玉人の座右にひらくつはき哉椿落て昨日の雨をこほしけりはら〓〓と〓ふり過る椿哉嘆息此人去、蕭條涂泗空沓おとす音のみ雨の椿かな何集道稿遣稿沓おとす-この句吳春筆黃石公の圖に賛せるものにて前書は李白の詩「經下邳地橋懷張子房」の末二句沓落す音とは黄石公が張良に兵法の祕書を傳へ滿人のではなんですか。ないくい順に雨になり百とせの-貞德百囘忌追善の句。〓賛花櫻百とせの枝にもとるや花の主題花花の香や嵯峨のともしひ消る時花に來て花に居眠るいとま哉石高な都よ花のもとり足(双林寺千句)花の香や-この句その外笠やどり、花の翁、句集等に出づ。花七日(連句會草稿)石高な-花に歩き勞れての歸るさ、いつもはさまで發句篇(連句會草稿)句
蕪村全集今日はことさらに腹立たし思はざりし石高の凸凹路がく感ぜらるゝなり適〓たま〓〓。鶯の適〓〓啼や花の山傾城は後の世かけて花見哉花に舞はて歸さにくし白拍子居風呂に後夜きく花のもとりかな花に暮て我家遠き野道かな花の御能過て夜を泣ク浪花人(連句會草稿) (連句會草稿) (連句會草稿)スヱフ連句會草稿及び手紙に居風呂に-この句下五、「歸截花に暮て-摺物に「門子の二三子すり物すとて余に書畫をもとむ固辭すれともゆるさすさはとて漫に寫して與へぬ」と前書せるものあり隱れ住て-高野山麓の九度山あたりにて謠の聲をきき眞田幸村がこゝに隱栖玉川せし古を懷へる句高野山奥の院の附所謂六玉川の一c近を流る、タウキ當歸-一名大芹、根を藥用とす。當時奈良街道の玉培せりきとい水あたりには當歸を多く栽日暮るゝほど遺草に「日くるゝ頃嵐山を下る」と前書せるあり何集旬集句集高野を下る日かくれ住て花に眞田か謠かな玉川に高野ゝ花や流れ去なら道や當皈はたけの花一木日暮るゝほと嵐山を出る嵯峨へ歸る人はいつこの花に暮し旬集旬集旬集何集雨日嵐山にあそふ筏士の蓑やあらしの花衣ねふたさの春は御室の花よりそなには人の木や町にやとりゐしを訪ひて花を踏し草履も見へて朝寢哉花の幕兼好を覗く女ありやことなき御かたのかさりおろさせ給ひて、かゝるさひしき地にすみ給ひけるにや小冠者出て花見る人を答けり明和八年辛卯春三月京師に雨日嵐鴈集に「大炊川にて中国国旅館賀美发生活动的畫賛にりけるに俄に風雨しけれは」と前書し「醉蕪村三本樹井筒樓上おいて寫」と署せるものあり右の自畫賛は羽織の裏地にかきしものに3557076712拾遺集「朝まだ信用金庫山の寒ければもみぢ公任」と故に御室の花咲く比よぼつ〓〓春も深く眠氣も催すなりなには人の-自畫賛に〓花とりのために身をはふしよろつのことおこた特別支付カなる人のありさまほれにゆかしきものと前書しHPCにおいて夜半翁」と署名せるありとC (文章篇參照)。花の幕-ある春の夜兼好が千本の寺に詣でし時女の戯れかゝりしこと徒然草に見ゆ付集(句集(句集(句集(句集發句篇
蕪村全集やことなき-やんごとなきかざりおろす-落飾、髪を剃りて出家すること。小冠者-コクワジヤ、元は寺に召使へる童なるべし服して間もなき少年これ花見る人-十家類題集に그花折人を」。祖翁-芭蕉翁。百囘大忌この追悼會は曉臺の主催にて天明三年三月東山双林寺にて百囘忌をとりこした十囘忌に催されたり空に降るは-折から空にちりまよふ落花は嘗て祖翁の吟魂をさまよはせしみ吉野嵯峨の花とも見んとなりよしのを云々-手紙に「よし野を出る日風はけしく雨しきりにして滿山の飛花春を餘さす」と前書せり歸去來-カヘンナン、陶ツ用明なの歸去※辭の句をか暮るゝまで洛外の歡迎光臨として、時代の歌人藤原〓輔、袋草子の著あ新古今夜半亭を移して文臺をひらく日花守の身は弓矢なきかゝし哉祖翁百囘大會空にふるはみよしのゝ櫻嵯峨の花よしのを出る日は雨かせはけしくて雲を呑て花を吐なるよしの山花にくれぬ我住む京に歸去來〓輔は花にも帝を烏帽子哉花見戾丹波の鬼のすたく夜に下やしき僧都の花も隣けり(續一夜松後集、°ら檜葉風羅念佛新(短遺五册、手子紙稿稿(遺稿遺稿遺稿るを以てその緣より花見にも袋を冠りて風狂せしならんとの想像スダCすたく-集く別莊-之もシモヤシキと訓むべし嫗-オウナ。謗する者を探らせんために六波羅禿-平〓盛己を誹十四五歲の童三百人をすぐり髪を禿に切り廻して京中に徃反せしめたり、その童を·ふ祇や鑑や-宗祇、宗鑑〓光信土佐派中興の名手にして光長一佐の三筆と稱せらること人これを法とすと年歿ろげ、赤烏帽子冠て片肌ぬぎ躍り狂へる人物の圖(大阪土居氏藏)に賛せり花影上欄干-王安石の詩그夜直」ㄱ月移花影上蘭干この向あり山入門-百練抄解に〓山影入門推不出月光鋪地掃還生」四季文集には別莊法師か花も隣也花に來て鱠をつくる嫗哉みよし野に花盜人はなかりけり花さかり六波羅禿見ぬ日なきかり寢するいとまを花のあるし哉祇や鑑や花に香性ん草むしろみやこの花のちりかゝるは光信か胡粉の剝落したるさ手紙遺稿(遺稿遺稿遺稿遺稿まなれ又平に逢ふや御室の花さかり草臥てねにかへる花のあるしかな花影上欄干山影入門なとす(自畫賛、遺稿文集發句篇
蕪村全集この前書「山影入門といひ或は花影上欄干なとすへて(以下同文)」とあり又遺草に俳諧の自在なるを我社月溪子求より句をしたゝめのこす」とせるもありと渡月橋-嵐山の麓大井川に架す。へてもろこし人の奇作也、されと只一物をうつしうこかすのみ、我日のもとの俳諧の自在は渡月橋にて月光西にわたれは花影東に步むかな短册はわすれてもよし花と鯛大井川の上流に遊ひて陶弘景か詩を感すゆく水にちれはそ贈る花の雲鞭石翁の五十囘忌に花の雲五色の雲のうはかさね花曇り朧にちかきゆふへかな畫季文賛集し紙四自手短冊は-書簡篇參照。陶弘景が詩-陶致仕して茅山に入り自ら華陽隱居と何所有」稱す梁の武帝嘗てと問ひしに陶詩を山中山中何所有、上海交通大学附属第六四只可自怡悅、〓福田氏、京都の人似船の門、享保十三年二月十五日歿年七十三。五十囘忌は安永六年に當る五色の雲-聖衆來迎する再紫雲又は五色の雲などに乘るといふ(遺草(短빠新五子稿また寒しー···未だ寒し。題林集に「鼻迄寒し」とあるは誤寫手枕の-手枕のうたゝ寢に夢は吉野初瀨の花に遊びぬ覺むれば挿頭にせる櫻講はれて今の夢路を 00に枝か曉臺か-題林集に「遊へるを訪ひて夜桃林を-伏見の桃林にくない嵯峨の櫻をめづる人となれ11/21年(明治文りをしほの-惜しと小鹽ともく小鹽山は洛西大原野錢買て-茶代などの用意にあり90元起動小金題精算書「絲櫻Lゆき暮れて -平忠度の歌그行きくれて木の下陰を宿とせば花やこよひの主なしを雨とらまし」。自慢におります。り十家類題集に下五〓散櫻」と誤る。歌屑の-古人が「絲によ發句篇旅人の鼻また寒し初さくら手まくらの夢はかさしの櫻哉剛力は徒に見過ぬ山さくら曉臺か伏水嵯峨に遊へるに伴ひて夜桃林を出てあかつき嵯峨の櫻人暮んとす春をゝしほの山さくら錢買て入るやよしのゝ山さくら糸櫻賛ゆき暮て雨もる宿やいとさくら哥屑の松に吹れて山さくらまたきとも散リしとも見ゆれ山櫻旬集旬集(句集旬集(句集旬集旬集旬集何集發
蕪村全集る〓の歌を古今集中の歌屑とし又「冬の來て山もあらはに木の葉ふり殘る松さへ峯に淋しき」を新古今集中の嘴屑と評せること徒然草に見ゆ句は松風に吹かるゝ櫻を憐みて松を貶せるなりCこの句連句會草稿に下五「遲さくらㄴ花に遠く-花は一團になりて爛漫と咲ける感じ酒屋で三はないと一感じは近しとなり仙花花藏藏期上補の望山空では "にはへるに用ひたりこの前書、とせるあり誤脫あるべし、「ヒつていとよみたるもあLご飯をく口の-新五子稿雜之部別の句中に出づ。「烏とあり烏は鳥の誤寫べし。嵯峨ひと日閑院樣のさくら哉みよし野ゝちか道寒し山櫻海手より日は照つけで山さくら吉野花に遠く櫻に近しよしの川一片花飛減却春さくら狩美人の腹や減却すきのふけふ高根の櫻見へにけりいと櫻灯は孤の書院哉門口の櫻を雲のはしめかな山守の冷飯寒きさくらかな飢鳥の花踏こほす山櫻句集何集旬集旬集(句)新題新集五苑子稿集五子稿新五子稿(題苑集、遺稿遺稿人間に-山深く見る人もなくて徒らに咲く櫻花ありたま〓〓通りかゝりし旅人やってるおいしろかくるなり見て人民人の人間なりと解せりたるに 大きあがで下地の運動感ずると遠山櫻といひいく櫻ひと木春に背けるけはひ哉人間に鶯鳴や山さくら平地ゆきてことに遠山櫻哉さひしさに花咲ぬめり山櫻馬下りて高根の櫻見つけたりたのまれてさくら見に行男かな哥屑の松に吹れて遲さくら生田の森にて足弱の宿かる爲歟遲櫻風邪聲のおりゐの君や遲櫻柏木のひろ葉見するや遲櫻花ちりて身の下やみやひの木笠遭稿(遺稿遺稿)遺稿遭稿短册(連句會草稿)册歌屑の-句集に下五「山さくら」。宿かる爲歟-新五子稿、小摺物に「宿とるため歟」なほ摺物には「これは夜半翁いく田の也と附記せり森にての連句篇參遺詠照おりゐの君-上皇。る(新雜談集(森亭畫賛集附錄新五子稿)遺稿花ちりて-文章篇參照。花鳥篇)發句篇
蕪村全集て常に香を炷きしめたりと髭に-宗祇の髭は長くし傳ふ落花を捻りけり-十家類題集に「ちる花握りけりㄱ〓風入馬蹄輕-杜甫の房兵曹胡馬」の詩句 「風入四蹄輕」四を馬と誤れり木の下源三位賴政の子、4月の夏にお譲りがあります。平探題落花木の下が蹄の風や散ル櫻と老闆的に同じ入馬蹄輕L阿古久曾-紀貫之の童名なりといふ、芭蕉にも「あこは知らず梅の花もの人物はありがとㄴC但し「あこくそL.もと一般に子供を親しみ呼びし語なれば實は貫之の名に限るべ花ちりて木間の-鬼貫の旬に「花ちりて又靜かなり國際的な花下に聯句して春を惜む祇や鑑や髭に落花を捻けり風入馬蹄輕木の下か蹄のかせや散さくら花ちるやおもたき笈のうしろより阿古久曾のさしぬきふるふ落花哉花ちりて木間の寺と成にけり落花花散てもとの山家と成に鳧嚏にも散てめてたし山さくらさくら散て刺ある草の見ゆる哉身.に更に散かゝる花や下り坂五車反古(句集旬集(句集(句集短册題苑集遺稿遺稿ちるは櫻-一二片づゝはら〓〓とちるは櫻一團となりて花片の落ちくるは花散る、落る、櫻花の耕を感じによりて使ひ分けしなり一「にに遠く櫻に近しじめの句參照ゆうへー升よとはかる-れてて発売された帽子に拾ひ入れてが桝」といひつはかり興するさまちるは櫻落るは花のゆうへ哉ちりつみて筏も花の梢かな烏帽子脫て升よと計る落花哉大文字筆散花の反古に成や竹はゝき遺稿(遺稿(遺稿遭草出躑躅加久夜長-加久夜長帶刀節信始めて能因にあひし時能因今日見參の引出物に見すべきものありとて懷中より錦の小袋を取出しその中の鉋屑を示して之は長柄橋を造りし時の鉋屑なり明治生物学生物時に節信また數寄一個の一個包める物を取出して、(〓輔加久夜長帶刀はさうなき數奇もの也けり、古曾部の入道はしめてのげさんに、引出物見すへきとて錦の小侍をさかしもとめげる風流なとおもひ出つゝ、す發句篇
蕪村全集袋草紙)。古曾部の入道は能因のこと綴喜郡にあり井手-井手の玉川、古來山吹山城蛙の名所によりて井手の蛙に鉋屑を句は前書の故事とり合せしなりあらぬ所に-そこに麥畠など有らんとは思ひもかけ所いうぬにれし野-嬉しと嬉野とふ地名にかく嬉野は發句題叢後篇名所之部に山城國としたれど、その地を詳にせずC播磨、肥前などにも嬉野の地名あれどこは京都の近郊ならんか大文字や-子規の編せる蕪村句集子規全集第十一卷所載)に大文字や谿間のつゝし燃ん「江碧鳥愈白山靑花欲燃とす此句は三本木の水樓に上り東山の斜景に對して云々(書狀の寫し)」とあればこの句を錄せる蕪村の手紙存せしならん(なほ右前書は杜甫の詩句なりゝろ春色に堪へす侍れは山吹や井手を流るゝ鉋屑つゝし野やあらぬ所に麥畑つゝし咲て石移したる嬉しさよ〓)天董初懷紙)明三年氷し餅なとり集、(句集(句近道へ出てうれし野ゝ躑躅哉つゝし咲て片山里の飯白し岩に腰我賴光のつゝし哉大文字山といふ題をとりて大文字や谷間の躑躅もへんとす石工の指やふりたるつゝし哉大原や躑躅の中に藏たてゝ道を取て石をめくれはつゝし哉何集(句集何集集月遺居附七錄部稿遺稿手紙松の花線香の-宋屋追悼の句なり文章篇參照線香の灰やこほれて松の花(香世界)藤目に遠く-藤の色香のぼんやりとして鮮かならざるが目に遠く思はるゝなり徒然草に그藤のおぼつかなきさましたる」といふ趣な稿るべし遺稿に「月に遠く」とあこの句上五新五子るは誤寫ならむ柴の戶に玉葉集十九に出で末句「色にみなさむ」と法然の-新五子稿にあり源空上人の歌「法然か」。目に遠くおほゆる藤の色香哉柴の戶にあけくれかゝるしら雲をいつむらさきの雲に見なさむ法然の珠數もかゝるや松の藤人なき日藤に培ふ法師かな山もとに米踏ム音や藤のはな(連句會草稿)五車反古(句集付集發句篇
蕪村全集けに-藤の花が下向に垂れて、春の勝に咲くを擬人的にいひし句うつむけに春うちあけて藤の花藤の花あやしき夫婦休けり旬集新五子稿菜の花菜の花や-句集に「春景」と前書あり。菜の花や月は東に日は西になのはなや笋見ゆる小風呂敷菜の花や鯨もよらす海暮ぬ菜の花に僧の脚半の下りけり菜の花にみな出仕舞ひぬ矢橋舟なのはなや晝ひとしきり海の音菜の花や油乏敷小家かちなの花や法師か宿はとはて過し(續明烏、佛の座) (句集何)題新題集稿集集「さかりけり」と假名書せり下りけり-題苑集には菜の花に-遺稿に(水)花や皆出拂ひし矢走卅」。c題叢後篇にㄱなの花にみな出しもふや矢橋舟」油乏しきー菜種を作りな所謂がら却て油に乏しきなり。「遍身綺羅者不是養蠶人」の世態を寓す五苑子苑遣稿遺稿(遺稿遠山鳥の尾の上-遠山の烤肉の意味をとの意武汉大学摩耶-攝津摩耶山。なの花や遠山鳥の尾上まて菜の花や摩耶を下れは日のくるゝ遺稿遺稿春草雜-俳諧八題集に「是切に氷付たり芹の中」ほうろく-炮碌、煎物をする土器。けふは見ておく-明日は摘みに來んとの心がまへななれもしらすよ-題林集に「汝もしらすや」琴心挑美人-司馬相如、臨印の富人卓王孫の家に至如琴心を以て文君を挑王孫に女文君あり故事琴心は琴を以て意を妹が垣根達するなり。-琴を三味線草に文君を妹に轉せし併諧手段すさめぬ-珍重せざる、發句篇これきりに徑盡たり芹の中古寺やほうろく捨るせりの中古道にけふは見て置根芹哉荅とはなれもしらすよ蕗のとう琴心挑美人妹か垣根三味線草の花咲ぬ花咲て霍もすさめぬ薺かな裏門の寺に逢着す蓬かな何集旬集(新五子稿旬集安八種永初九懷紙年し(手紙何集
蕪村全集寺に逢着す賞玩せざる等の意。戴叔倫の詩に「曾房逢着款冬花山寺吟行日已斜十二街中春雪遍、馬蹄今去入誰家句は蓬を間にておれにありが蓬字は草冠に逢なれば逢着すの字義より款冬花を轉じて蓬とせし趣向居りたる-すわりたる骨拾ふに附せし骨を拾ふなり-火葬場にて茶毘防河使-防鴨河使(バウガシ)。鴨河の治水を掌る職にて臨時の官なり桃花水-桃の花時に方り山谷の氷解けて河川の水勢暴漲するをいふ監視大正貳年糕志「來春桃花水有塡淤反壤之害」。居りたる舟を上れはすみれ哉骨拾ふ人にしたしき菫かな加茂の堤はむかし文祿のころ防河使に命せられて、あらたにきつかれたり、さてこそ桃花水の愁もなくて庶民安堵のおもひをなせり加茂堤太閤樣のすみれかな折もてる蕨しほれて暮遲しわらひ野やいさ物焚ん枯つゝしよし野出て又珍らしや三月菜わが歸る道幾筋ぞ春の草(句集旬集手紙(連句會草稿) (句集よし野出て-洒竹氏編句集後篇に中七「人めづらしやㄴわが歸る-文章篇參照。新五百題(岩本氏編全集)海苔若布苑集に「朧月」とあれど新五海苔掬ふ-この句下五題子稿にのせたるも「宵の雨ㄴとあれば題苑集は誤寫なるべし二見の和布-伊勢の國崎二見地方は和布荒布の名產地海苔掬ふ水の一重や宵の雨草の戶や二見のわかめもらひけり(連句會草稿) (新五子稿春雜折釘に烏帽子かけたり春の宿美角世を去て碁年猶聲有かことし句集美角-西村定雅の兄、殁年不明なれど安永九年か天明元年の頃と推定せらる春うたゝ-安永戊戌春應擧が狗兒三疋を描げるに曉臺の句「香に匂へ菊のあたりのゑの子艸」と共に賛せ則大人に小さいて、り。語若紫にうつほ木の春をあはれむ木魚哉春うたゝ犬君か膝の犬張子(はなこのみ)〓賛發句篇
蕪村全集六四夏四月〓マチ巫女町-口寄せをする梓みこの多く住める町皇都午睡、浪華百事談などによれば天王寺の林町はみこ町とて巫女多く住み格子を黑く塗りて黑格子の何々など呼べりきとの句もそのあたりの所見かすます洗濯する。巫女町によきゝぬすます卯月哉(新花摘短夜明易し嵯峨吟行みしか夜の闇より出て大井川みしか夜や八聲の鳥は八ツに啼みしか夜や葛城山の朝曇りみしか夜や足跡淺き由井の濱闇より出て-新五子稿に闇よりあけてー八聲の鳥-鷄をいふ、番鷄は八聲鳴く故にいふと(袖中抄)八つは午前二時相互作八つと重ねし趣個 1.的に の相州鎌倉の由比濱題苑集に「由比の濱」新五子稿に「田井の濱」とあ帶袋(新花摘(新花摘(連句會草稿)給る-たまはる。るは誤寫。この句謠曲熊野の聯想あり雲裡房-渡邊氏、尾張の人支考に學び師の歿後ひ幻住庵を再興せりろく東西に行脚し又粟津に寶曆十年四月廿七日歿年六十九新鮮奶茶中心地下海鮮的全國無法六里の松橋立の長さ六里(六町一里の計へ方)ありといふ同心-江戶時代與力の下に屬せし捕吏。短夜やいとま給るしら拍子雲裡房に橋立に別るみしか夜や六里の松に更たらすみしか夜や毛むしの上に露の玉短夜や同心衆の川手水みしか夜や枕にちかき銀屏風短夜や芦間流るゝ蟹の泡みしか夜や二尺落ゆく大井川探題老犬みしか夜を眠らてもるや翁丸短夜や浪うち際の捨篇みしか夜や小見世明たる町はつれ金車反古(句集(句集何集(句集旬集落ちゆく-減水せるをいふ何集翁丸枕草紙に見ゆる宮中に飼はれし犬の名浪うち際の-手紙に「ささらなみよる」。旬集句集何集發句篇
蕪村全集東都の人を大津の驛に送る短夜や一つあまりて志賀の松みしか夜や伏見の戶ほそ淀の窓みしか夜や芒生添ふ垣のひまみしか夜の闇となりたる廿日かなみしか夜や金も落さぬ狐つき短夜やおもひもよらぬ夢の〓みしか夜や吾妻の人の嵯義とまりみしか夜や淺瀨にのこる月一片みしか夜や淺井に柿の花を汲ムみしか夜や曉早き京はつれよすから三本樹の水樓に宴一つあまりて-道中双六〓川越南瓜るに〓は一つ松の暗き色蕪村がくれて獨りあとに留て殘れるをにおおきに所見大膽麵包闇となりたる-廿日の月の出づる頃は、短き夏の夜は早ほの〓〓と明けかう故闇夜と同じことなり。(句集何新(題新集稿集稿五子苑五子遭稿遣稿) (遺稿物二三を描きし自畫賛にこ月一片-川を徒渉する人の下五「水の月」とありて傍に「此句水の月とせいし置されはこゝろゆかす」とかき添へしものあり短夜や淺井に-この句主그寫經社集」には我則とあり蓋し例の蕪村の代句なるべし遭稿) (手紙遺草) (手紙)三本樹-鴨川の四岸、今丸太町通より北の部分。夜を隱してや-夜の短きを恨む情あり住の江の-住吉の三忘とて忘貝忘草、忘水といふ歌道の諺あり古來歌には住の江に忘草、岸の姫松などよめること多し今して明やすき夜をかくしてや東山明安き夜や住のえのわすれ草明安き夜や稻妻の鞘はしり何集新)題遺五子苑稿集、稿暑日歸りの兀山越るあつさ哉居りたる舟に寢てゐる暑かな探題寄扇武者暑き日の刀にかゆる扇かな端居して妻子を避る暑かな病人の駕の蠅追ふあつさかな旬集し舟の胴の間に帆布を假の居りたる-干潟にすわり日覆として舟人などの畫寝せるなるべし寄扇武者-武者の意を扇にことよせて表はすことかゆる-代ふる。旬集(句集旬集新五子稿發句篇
그狐追ひうつ-題苑集に狐追ふ聲や」。おかすりの蝕堂作り休めて、百姓等もしばしうなㄴ建築物事管制有限公司忙しげにたち働て死ん堂一級中國民眾的一千万人起ににより自動車できるしをお得らした!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!涼しさに-文章篇參照汐煙-鹽燒く烟なり。て の 大 の 法 の 民 法鹽狐ののかね-狐憑のなほにて死せるを葬るなり。遊行の棺-らぬこと遊行の僧の旅長-チヤウ、こゝは村の庄屋名主などをへり宿驛の長者北に貫流せるをいへり都をたてに-鴨川が都を南百姓の-炎天の下の田草暑さに生きてはたらく事ぞ取りなどよくも百姓はこの居して送りしもの四仙亭ー句は四山亭の落成を祝伊勢の人巴水の發蕪村句全篇集飯盜む狐追ひうつ麥の秋麥秋やひと夜は泊る甥の法師麥秋や何におとろく屋根の鷄病人の駕も過けり麥の秋辻堂に死せる人あり麥の秋麥の秋さひしき貌の狂女かな麥秋や狐のゝかぬ小百姓麥秋や遊行の棺キ通りけり麥秋凉しさに麥を月夜の卯兵衞哉汐煙きえて山より日は凉し涼しさや鐘をはなるゝかねの聲すゝしさや都を竪になかれ川すゝしさをあつめて四つの山おろし題四山亭百姓の生キてはたらく暑かなうきくさも沈むはかりよ五月雨床低き旅のやとりや五月雨五や麥月鼬凉雨啼秋なる長か許(遺遺新句新(自(句(句(四新新(遺新(新新新新手々五花花花畫花花花花五百題)山子摘摘稿稿稿稿集摘摘摘摘摘讃集集集紙
蕪村全集ちか道や水ふみ渡る皐雨徑さみたれや鳥羽の小路を人の行三十さみたれに見えすなりぬる徑哉五月雨や滄海を衝濁水さみたれや水に錢ふむ渡し舟濁江に鵜の玉のをや五月雨攝あえぬはだし詣りや皐雨さみたれや鵜さへ見えなき淀桂皐雨や貴布禰の社燈消る時小田原て合羽買たり五月雨關伽桶に何の花そもさつきあめあか汲て小舟あはれむ五月雨(新花摘新花摘新花摘滄海をつく-河口より吐出さるゝ濁流の色は滄海をも黄色き泥海となさんとす衝くといふに水勢の盛なるさま見ゆトール北京市公安局海淀分局つ飯間おおきに思-命浮ぶ酒肉水漲れる江に論かないか危ふく思はる。-敢へぬ總統府第2歲第二百五號鵜さへふに同し桂川貴布禰-洛北鞍馬にある貴船神社根越すべき用意小田原で-五月雨頃の箱何の花ぞもー古今集旋頭歌に「そのそこに白く咲け新花摘新花摘(新花摘(新花摘新花摘新花摘新花摘新花摘新花摘るは何の花ぞもあか汲て-あかは船底の大井越たる溜り水をいふ-昨日わが越えたる大井川の今日ははや川留になりしと聞ゆ我なら賢くも早く越え置きし特大阪155應擧旭日は國民公司月雨のため田の面九州商廳この句芭蕉袖草紙に「落し水」。なほ新花楠右の向といふにあらねといさゝ11月份有限公司法人いかもの御品 はり。空柱雨水を承くる箱樋湖へ-孝靈天皇五年近江富士山湧出せりとの傳說に國地裂けて湖水湛へ同時ふり續く五月雨のために富士も再び湖水へ流し戾されんとの誇張(この句さみたれの大井越たるかしこさよ五月雨の堀たのもしき砦かな丸山主水か畫たる蝦夷の圖に昆布て葺軒の雫や五月雨さみたれや田ことの闇と成にけりさつき雨田毎の闇となりにけり帋燭して廊下過るやさつき雨さみたれのうつほ柱や老か耳湖へ富士をもとすやさつき雨さみたれや大河を前に家二軒さみたれや佛の花を捨に出る新花摘新花摘新花摘(新花摘何集(連句會草稿) (句集何集何集付集發句篇
蕪村全集千里.集新寂遭題苑桒稿蕪村自筆を寫せるものに「芭蕉翁古人となりてのち百年めに浪花の舊國あるしゝて諸國の俳土を集めて京師圓山に會莚有しとき」と前書し中七「もとす歟」とせるものあり。かくて暮れ行く-今日も降り明日も降りして。〓美豆-山城淀の東南、へ美豆の創校とて御願い店淀木津二川の合流點に近く低濕の地なれば五月雨に川の水嵩增る頃は自ら寢覺がちなる小家も多かるべし双林寺-京都圓山にありさみたれのかくて暮行月日哉さみたれや美豆の寢覺の小家かちさみたれや名もなき川のおそろしき遺稿立タ夕立や草葉を摑むむら雀雙林寺獨吟千句ゆふたちや筆もかはかす一千言白雨や門脇とのゝ人たまり夕立や足のはへたる明俵續明鳥(句集かはかす-かわ(乾)かず門脇殿-平〓盛のこと、平家物語に〓にの宰相と申は入道相國の御弟六波羅の惣門の脇におはし宿所はければ門脇の宰相とぞ申しける」足の生えたる-俄雨に明儀人順順利ぶりて走りゆ何集(手紙夏の月兵舟-ツハモノブネ。夜水とる-夜中田に水を水とは里人聲や夏の月」ひくことこの句題叢に「夜とあるは誤寫拔驅の功名明治三十七年四月三日發行けかけのー狀馬の請々として淺謠曲藤戶の聯河童-カハタロ(川太郞)石陣と訓むべし-諸葛孔明八陣の圖一品大阪府立安然高等学校上海交通大学て碎石行列して繩を引ける夔州の東南にも八陣磧あ如しく毎年江磧上に漲れども入蜀記にも見えなり。水退けば陣石故の如しなど寐苦しき-團扇の畫をかきてその中に賛せり。伏屋-陋屋C遠淺に兵舟や夏の月夜水とる里人の聲や夏の月堂守の小草なかめつ夏の月ぬけかけの淺瀨わたるや夏の月河童の戀する宿や夏の月石陳のほとり過けり夏の月殿守のそこらをゆくや夏の月賊舟をよせぬ御船や夏の月寐くるしき伏やを出れは夏の月五車反古(句集(句集(句集(句集遭稿遺稿(遺稿(自畫賛薰風宮島發句篇
蕪村全集薰風やともしたてかねついつくしま高紐にくゝる兜やかせ薰る(句集りて胴を吊る〓高紐-鎧の綿嚙の上にあ兜を脫ぐ時はこの紐にかくる作法なり那須與一扇の的射んとて兜を高紐にかけ判官の前に畏りしさまなどの俤あり新五子稿雲の峰旅意廿日路の背中にたつや雲峰揚州の津も見へそめて雲の峯雨と成戀はしらしな雲の峯雲のみね四澤の水の涸てより飛のりの戾り飛脚や雲の峯宋阿居士卅三囘忌花の雲三重にかさねて雲の峯二十日-二十日經て來し旅路揚州-支那江蘇省の都會揚子江より天津に通ずる大運河に臨める商港雨とな唐に遊び神女と會する戀ー變の蟹枉女別るゝ時我は巫山の陽にりて旦には朝雲となり暮には行雨となるといひし故幽會にい(宋玉の高唐賦)より男女ふ每日川西九州町は夕に行雨となりて戀を解炎天の空に立てる中國民國小說水龙大厦湖開の前有時旬何集集(句集何)遺新集稿稿)五子新五子稿に「春水滿 四澤、夏雲多奇峰こ飛乘り-宿場より定めず途中にて駕又は馬にのるこ實末開門二年燒肉專師早野巴人reaching「八重にかさて、同雜之部には三重かずみ、と出でたり、今アラノ、いと-白栲の幣帛、麻のを靑にぎてといふに對すこゝは「いさ知らず」に言ひかく夏山の木陰なる祠木綿のぬさの色潔く凉しげ祀れる神の名も知らねど白なり京盡し飛ぶ-京のはてよりはてまで飛ぶ。ポ梵倫--論論の誤、虛無僧の始りなりといふ後世の徒然草に宿河原といふ所にていろをし白梵字といふ二人の梵論相戰ひて互に討たれし話あり句はその故事による曠野ゆく身に近つくや雲峰雲の峰に肘する酒呑童子哉道槁遺稿夏の山、野、川白幣夏山や神の名はいさしらにきて夏山や京盡し飛鷺ひとつ夏山や通ひなれたる若狭人夏山やうちかたむいてろくろ引討はたす梵倫つれ立て見野かなおろし置笈に地震なつ野哉行々てこゝに行々夏野かな鮒すしの便も遠き夏野哉新花摘(新花摘何集(遺稿(新花摘旬集(句新(遺集稿稿五子發ゝ句篇七五
蕪村全集ナヘフルーなゐ(地震の古語)ふるの訛行き〓〓て-文選古詩に「行々重行々、與君生別離」。又朗詠集に「行々重行々明月峽之曉色不盡」(源順)。實方-藤原實方。生活 は 小 行 程 度(昭和り句は實方が陸奥守に貶されて赴任すス途中と見立てしなり加悅-カヤ、丹後與謝郡あり、丹波とせるは誤こにの句蕪村が丹後地方に滯在中の吟にして遺草にに細川のありて潺湲と流れけれは」と前書せるものあり音なくなれる-宿の日記新五子稿に「音なくなりし」丸山主水-丸山應擧。ちいさき-ちひさき。仕官懸命の地-官途に仕へて知行として賜はる地尾を泥中に-楚王莊子をして宰相たらしめんとせし實方の長櫃通るなつ野かな丹波の加悅といふ所にて夏河を越すうれしさよ手に草履新五子槁付集〓水泉石切の鑿冷したる〓水かな石工の鑿冷したる〓水かな落合ふて音なくなれる〓水哉丸山主水かちいさき龜を寫したるに賛せよとのそみけれは、仕官縣命の地に榮利をもとめむよりはしかし尾を泥新選旬集何集に莊子は神龜の死して骨を留め貴からんよりは寧ろ生きて尾を塗中に曳かんとて之を辭せし故事莊子秋水篇)意は仕官して羈束せられんよりは寧ろ貧賤にして身の安きに潮州に大效の錢龜や錢を探せし靑砥藤網の故事により山〓水に隱れ住む錢なれずして心安いるべしと龜は流石の靑砥にも探し出大阪市立第一中学校(Bertan)の という言外引くべき-いかにこの りの しをわが宿の庭きかの意山路を分けて流わらし-わらぢ(草鞋)。世に流れ-板橋に芦を描ける自畫に賛せりと寶舟九ノ三に虚明氏の紹介せる所による狐獨-孤獨の誤。すくせ-宿世。中に曳んには錢龜や靑砥もしらぬ山〓水二人してむすへは濁る〓水哉我宿にいかに引へきしみつ哉水晶の山路わけゆく〓水哉石工の飛火流るゝしみつ哉しつかさや〓水ふみわたる武者わらし世に流れ出ては濁るか山〓水宋阿の翁このとし比予か狐獨なるを拾ひたすけて、枯乳の慈惠ふかゝりけるも、さるへきすくせにや、今や歸らぬ何集(句集、蔦もみち)何(遺新遭集子槁槁稿五(遺稿百〓畫賛發句篇
蕪村全集別れとなりぬる事のかなしひのやるかたなく胸うちふたかりて云ふへく事もおほへぬ我泪古くはあれと泉かな云ふへく-「云ふべき事もおぼえず」とあるべきなり西の奧神祇祭の車-新五子稿に「あふひの車」。七日-五月七日。眞葛原-京都八坂神社の南にありかほる-かをる梶寶永の頃祇園鳥居の南にありし名高き茶店の女老北の和歌をよくし文人墨其角の句にも「彼の 集」あり。「七夕やよき歌きゝに梶が茶屋」「あ草草の雨祭の車七日祇園會や眞葛原の風かほるきをん會や僧の訪よる梶か許裸身に神うつりませ夏神樂のの車過てのち旬集(句集、何集何集新五子稿若禰宜のすか〓〓しさよ夏神樂つくはふた禰宜てことすむ御祓哉灸のない背中流すや夏はらへ出水の加茂に橋なし夏祓鴨河のほとりなる田中といへる里にてゆふかほに秋風そよくみそき川木藥の帝流るゝ御祓川つくのみんばつくはふたーさにでうた神官が寸しや酎へしゅう二三言祝詞をて事すむ手輕なる御祓ま. (句集何集(句集特に取ること十日なれば、( 2枚風は己にしくなれるなりに「風そよぐならの小河夕暮は御そぎぞ夏のしるなりける」。木藥-生藥。(句集(遺稿釋〓腹はかりの宿-諺に「腹はかりもの」といふにいひわくこの世の假の宿に過ぎざる意を含ませたり灌佛やもとより腹はかりのやと卯月八日死ンて生るゝ子は佛新花摘新花摘發句篇
蕪村全集裸を示す-人の死する時己れが四大の外妻子珍寶等も身に隨ふものなしその理を先づ降誕の時の裸體に示せり大佛の-四月八日誕生せ佛 の嬰兒が北京の大阪 大阪府大阪市大区句作練供養-四月十三日十四寺にて修する法會中國民國軍事業協同組おかさん おお り ま し た ま つ き ん )折からとなり腹あしき-怒り易き、おこりつぽい味噌汁を-色めかしき妙齡の身にも似ず今日も寫深き變り者の順 に よ り に し味噌汁食はふに變り者な 俤見やかな 950円中七新五子稿に「くは雲裡前出。これは雲裡十七囘忌追善の句なり武府-江戶もふけ-設け。灌佛ははたかをしめすはしめ哉大佛のこれかならるゝ八日哉ねり供養まつり貌なる小家哉腹あしき僧こほし行施米哉味噌汁を喰ぬ娘の夏書哉たもとして掃ふ夏書の机哉雲裡叟武府の中橋にやとりして一壺の酒を藏し一年の粟をたくはへ、たゝひたこもりに籠りて一夏の發句おこたらしとのもふけなりしも、遠き昔の俤にたちて新五子稿新五子稿新花摘旬集新選(新花摘桐の影)なつかしき夏書の墨の匂ひかな夏百日墨もゆかまぬこゝろかな日を以て數ふる筆の夏書哉〇四、日を以て-「筆之壽以 日計、唐子西の古硯墨之壽以年計、硯之壽以世計」何集(句集矢數ネンジヤ念者-衆道にて兄分の者Cをいふ矢數の筋-大矢數の時夜ウチの間は射染の傍に大筋を焚くなり弓師親子-大矢數に用ふ20元起動 2012 0120る弓は京都四條下ル羽津半の一人つけるの居弓少年の矢數問寄る念者ぶりほの〓〓と粥にあけゆく矢數かな若楓矢數の筋もみちせよ大矢數弓師親子もまいりたる(新花摘(新花摘新花摘新花摘更衣袷絹着せぬ家中ゆゝしや衣更舍選發句篇
蕪村全集絹着せぬ家中ゆゝしき更衣更衣身にしら露のはしめ哉ころもかえ母なん藤原氏也けり更衣矢瀨の里人ゆかしさよ辻駕によき人のせつころもかへ大兵の廿チあまりや更衣ころも|かへ印籠買に所化二人眺望更衣野路の人はつかに白し痩脛の毛に微風あり更衣御手討の夫婦なりしを更衣更衣いやしからさるはした錢(句集新花摘新花摘母なん藤原氏-伊勢物語に「昔男武藏國までまどひ歩きけりさてその國なる女をよばひけり。(中略)父はなほ人にて母なむ藤原氏なりけるㄴ矢瀨-洛北八瀨村。よき人-貴人c所化-弟子僧なり。更衣して小ざつぱりせし靑道心100元年8月1日日圓れて鴨の聲ほのかに白し」くれてて欲しいです!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!「海暮と同句法(新花摘何集旬集句集何集何集御手討の-小說的趣向の句旬集何集昔に遠き-病起衣を更ふれば病中の事ども遠き昔の夢の如く思はるとの主觀金覆輪の衣いへて身も馬に鞍おかせ鞭お客様です! Cとなり越すべき、越ゆべきいづれにも訓まるかりそめの-新装の人のり姿°にしばし心のときめくな田蟲-頑癖。な上海交通大学新古今「らへば孔雀牛乳、大、8.5時のことも身輕き袷の新裝に忘れたりとなり그ものくるゝ-徒然草によき友三つあり、にはものくるゝ人二には醫師三には智惠ある人」。弟子よりみ食べる味の中!〓〓なかったし人も五尺の-芭蕉の句に「郭公なくや草」。人も五尺の身體に衣が五尺のあやめへするとなり沐者必彈冠」。塵うち拂ふ-楚辭に「新更衣むかしに遠きやみ上り更衣金ふく輪の鞍置ん一渡し越へき日なり衣かへかりそめの戀をする日や更衣更衣いわけなき身の田蟲哉ころもかへうしと見し世も忘貌二十五のあかつき起や更衣ものくるゝ人來ましけりころもかへ更衣布子の恩のおもさ哉ころもかへ人も五尺のからたかな更衣狂女の眉毛いわけなき更衣塵うち拂ふ朱の沓(新五子稿新五子稿(新五子稿(題苑集(遺稿遺稿(遺稿(遺稿(遺稿遭稿遺稿這稿發句篇
蕪村全集衣かへやをら力はあるものを小原女の五人揃ふてあはせかな袷着て身は世にありのすさひ哉たのもしき矢數のぬしの袷哉しれるおうなのもとより、ふるきゝぬのわたぬきたるに、ふみ添てをくりければ橘のかことかましきあはせかな那須七騎弓矢に遊ふ袷かなゆきたけもきかて流人の袷かな手紙新花摘特においただけにで今年も更太の人なみに袷に上海交通大学附属第一四十九年第二百五百號れるおうな-この前書中に無村自由井기ら筆せるものにはあれのおてくつくたなかないはきいねをくり-おうなはおくり送り。かごと-橘の香にいひかく旬忘れ集花何集(新五子稿、遺稿、(華亭畫賛集附錄(新五子稿の豪族那須氏の旗下たりし那須七騎-永祿年間下野福原芦野太田原、大關岡本、千本醫王野の七士弓矢に遊ふ-騎射の稽古幟粽藥日名譽の家-その昔先祖は感狀などたまはりし武功の家柄なるべし山の半腹。山氣の腹〓青翠小麦·卵·乳·小学生·学生い由¥394 1920年11/20大阪の狂歌を以て名あり始めC天明三年正月廿六日歿粽解て浪速の音信を聞かんとの意を寓す藥園に五月五日は藥日とてこの日藥草を採れば效多しといふ又この日雨降るを藥降るといふ木かくれて名譽の家の幟哉家ふりて幟見せたる翠微哉浪花の一本亭に訪れて粽解て芦吹風の音聞ん藥園に雨ふる五月五日かな新花摘)新花摘旬集(新花摘蚊遣蚊帳腹あしき隣同士の蚊やりかな浴して蚊やりに遠きあるし哉燃立て貌はつかしき蚊やり哉蚊やりしてまいらす僧の坐右かな嵯峨にて新選(連句會草稿) (連句會草稿句集發句篇
蕪村全集三軒家-嵯峨天龍寺の南所の如火焰所伊川になる人の偶々嵯峨に旅寐して蚊に苦しみつゝも風雅の一夜をすなるべしc獨立體日の-暑かりし一日もぬお茶碗自らつの間にか句は蚊やりの烟を禁足の限界なる虎溪まで避けに行&んとなり顏白き-スヤ〓〓と晝寢の夢を辿れる兒の顏、枕蚊帳ごしにさし覗けば色白く肥えて愛らしきが親心に嬉しく思はるゝなり三軒家大坂人のかやり哉垣越て墓の避行かやりかな蚊遣して宿りうれしや草の月蚊遣火や柴門多く相似たり學する机の上の蚊やりかな一日のけふも蚊やりのけふりかないさゝらは蚊遣のかれん虎溪まていとまなき身に暮かゝるかやり哉雨にもゆる鵜飼か宿の蚊遣哉貌白き子のうれしさよまくら蚊帳草の戶によき蚊帳たるゝ法師かな尼寺や能キ〓たるゝ宵月夜句集何集新五子稿(新遺新(新(遺(遺五五子稿稿稿一稿稿稿子五子遺稿遺稿新花摘新花摘何集僧とめて嬉しと〓を高う釣あらたに居をトしたるに釣しのふ〓にさはらぬ住居かな蚊屋の內にほたる放してアヽ樂やあら凉し裾吹蚊屋も根なし草蚊屋を出て內に居ぬ身の夜は明ぬ諸子比枝の僧房に會す、余はいたつきのために此行にもれぬ蚊屋つりて翠微つくらむ家の內蚊屋の中に朧月夜の內侍かなやすき身を先知れ蚊帳の出入より(連句會草稿) (句集(句集根なし草-蚊帳の裾が風吹かれてふは〓〓と動くが根無草の如きなり。(句集(句集比枝-比叡山。翠微-山色をいふ。蚊帳の靑き色を翠微としてはひとりこの室に臥遊セール朧月夜の内侍-蚊帳の中に女の姿の朧に見ゆるを源氏物語中の人名をかりて興ぜしまでなるべし付集(遺稿手紙發句篇
蕪村全集やすき身を-門人梅亭が法體せし時送りし句なり書簡篇參照C扇團扇雁宕-蕪村の舊友。參照傳記雁宕久しくおとつれせさりけれは有と見へで扇の裏繪おはつかなとかくして笠になしつる扇哉渡し呼草のあなたの扇哉古あふき二本さしたる下部かな目に嬉し戀君の扇眞白なる戀わたるかま倉武士の扇哉主しれぬ扇手とりに酒宴哉ゆくすゑはあくたにふれる扇かな扇の裏繪-扇の裏に淡く描ける略畫。舊友の起居いかならんと覺束なく思ふ意を寓す笠になしつる-扇を日覆カざしたるさま彼得!のあなただ題林集に「渡の團哉」古扇二本二本さしたる-を大小らしく腰にさせるなり戀君の扇-新五子稿に그戀君か扇」。旬集(句集旬遺新( (題遺遺集稿草集)紙稿五子苑稿手行く末は-徒然草法顯三藏の天竺に渡りて故〓の扇を見て悲しみし段の文章を前書せり句は芭蕉の「行末遣稿遭草)はたが肌ふれん紅の花」の吟によれりcは戀に惱む美しき少女、繪うちはのうちはの主その手にせる團扇の繪もまた夏との姿繪なり戀に名を流しし〓十郞とお手すさひの-題叢に「手すさみに」。木刀も劔道何段とかいふ猛者の夕涼かろげてふた〓と扇げる大胸うちひ團扇には、打ちこむ木刀なんどは苦もなく受け留めつべく思はる猛首-猛者(モサ)の誤寫なるべし黃昏貌-黄昏頃の物思はしげなる顔なほ殘んの色香あせぬ女なるべし任口-前出褌に團扇さしたる亭主かな繪團のそれも〓十郞にお夏かな手すさひの團畫かん草の汁(マヽ木刀も請へき猛首の團かな突さして團わするゝ俵かな後家の君黃昏貌のうちはかな任口に白き團をまゐらせん新選句集旬集新五子稿新五子稿(題苑集、遺稿) (遺稿稿風鈴土用干風鈴や花にはつらき風ながら蟲干や甥の僧訪ふ東大寺いさゝかな料理出來たり土用干遭草句集遺稿發句篇
蕪村全集夏羽織掛香なき人の-名古屋の都貢を追悼せし句。啞の娘-不具にしてしかも美しき薄命の身の上なるべし何にとゞまる-薄き蟬衣の何處に掛香の匂の止る餘地あるならんかとの意この句下五題叢に「せみの衣ㄴ開始2004年7月19日(月)貴人など入浴の際て、なき人のあるかとそ思ふ薄羽織掛香や啞の娘のひとゝなりかけ香や何にとゝまるせみ衣かけ香やわすれ貌なる袖たゝみかけ香や幕湯の君に風さはる蕭條篇新選旬集何集遭草)簟竹婦人あるかたにて弓取の帶の細さよたかむしろ細脛にタ風さはる簞弓取の-武士が堅苦しき姿にはあらで細帶などにてうち寬げさるまをいへり付集に何集椽-緣の誤晉人の-〓談の徒が草薙大阪書王恭傳に飄逸のさまなるべし( )甘蔗竹中心尺晉簞謂坐薦上、忱大驚生無長物」などある俤にや花項山-京都東山のなんだなのです。花頂山を山號とせり褒居士-褒は龐の誤居士は唐の襄陽の人活せりといふ句は道心にあらば-白樂天の長C比翼籠は小鳥の籠の一種にこの名あり如意圖:一就是水兒を得る。「鴨特別的な事態をと前書せりて不制御出椽はなへ世を遁れ鳧たかむしろ晉人の尻へた見えつ簟花頂山に會して探題褒居士はかたい親父よ竹婦人天にあらは比翼の籠や竹婦人抱籠やひと夜ふしみのさゝめこと遺草)遺草何集遺稿) (遺草納凉川床網打の見へすなり行涼かな加茂の西岸に榻を下して丈山の口か過たり夕すゝみ殿原は細工めさるや夕すゝみ旬集(句集新五子稿發句篇
蕪村全集ありしも「渡らじなせみのし、Lとよみて之をの浪そふ辭したる故事によるせみの小川は鴨川の異名。'舟-凉風をうけて憑り風に御して行を列句。〓たらさん思とやざれ人り然とにㄴと〓い法師ばるよと〓少納言が書けるもげにさる事そかし」といへり自剃-自ら髯髪を剃ることこの句書簡篇參照書簡篇參照我影を!鴨川にての句、Cしばしとてこそ-西行の歌「しばしとてこそ立ちとまりつれ」の句による傳統一千仕方法-北野聖廟にての人々連歌涼舟舳にたち盡す列子哉法師ほとうらやましからぬものはあらし、人には木のはしのやうにおもはれてとはこゝろえぬ兼好のすさひならすや自剃して凉とる木のはし居哉我影を淺瀨に踏てすゝみかな似た僧のしはしとてこそ夕涼床凉笠置連哥のもとりかな葛圃か魂をまねく河床や蓮からまたく便にも遺稿手紙手紙遺草五車反古)付集堂の緣側に群り、笠着の連歌をなせりのちこの事絕えて行はれずといふ句は北野に詣でゝの歸るさ鴨川History川床を踏極樂の蓮臺より交りて卑しげにふるまふ法師を憎むなり。蠅いとふ-世俗の煩を避くる意あり。川床に憎き法師の立居かな旬集晝寢汗蠅いとふ身を古〓に晝寢かな汗入れて妻わすれめや藤の茶屋旬集手紙川狩鵜川鴨河にあそふ川狩や樓上の人の見しり貌雨後の月誰ソや夜ふりの脛白き月に對す君に唐網の水煙川狩や歸去來といふ聲す也何集夜ぶり-夏の夜松明を灯して川狩すること月に對す-月に對して立てる君が姿に網うつ水煙のパツととばしる卽景。唐網は投網(トアミ)歸去來といふ-「もう歸(句集何集句集發句篇
蕪村全集らうぢやないか」といふを歸去來辭の句をかりて言ひしなり名護屋-名古屋。長良、木曾川などの鵜飼を見に名古屋武士の來れるさまなるべし誰住て-殺生を事とする鵜川に佛に手向くる樒の流れ來るよりこの岸に住む人は誰ならんとゆかしく思ふなり情あり老なりし-無常を感ずる殿原の名護屋貌なる鵜河かな春泥舍會東寺山吹にて有け(新花摘るに誰住て檣流るゝ鵜川哉しのゝめや鵜をのかれたる魚淺し老なりし鵜飼ことしは見へぬ哉見失ふ鵜の出所やはなの先朝かせのふきさましたる鵜川哉夜やいつの長良の鵜舟曾て見し身やいつの長柄のうふね曾て見き(句集(句集何(手新新集稿紙稿五五子子吹きさましたる-よべの篝のほてりを夜やいつのーいつの夜なりけむ長良の鵜舟を曾て見し倒裝句長柄-長良川。遺稿(手紙照射火串トモシ老北京卤肉卷一个包子上海鮮中国福利彩票篝誤にに鹿の寄り來るを待ち射取る公近江八幡-工藤祐經の郞は 5周紅 白シャックスのなればその聯想より之ともしを配合せし句照射の炬もふけぬ-まう設けぬ雨やそも-上五の傍に「葉うら〓〓」と細書せり。別案なるべしさつお-さつを、獵夫。(マヽ)射干して呼く近江やわたかな鵜舟漕く水窮まれは照射哉わか宿にもの忘れ來て照射哉葉を落て火串に蛭の焦る音宿近く火串もふけぬ雨のひま雨やそも火串に白き花見ゆる谷風に付木吹ちる火串かな兄弟のさつお中よきほくしかな新花摘何集遭稿新花摘(新花摘(新花摘新花摘(新花摘苗田植田草取獺おその住む水も田に引ク早苗哉水古き深田に苗のみとりかなおそーをそ。水古き-水は暗碧、淺綠(新花摘苗は新花摘發句篇
蕪村全集山おろし早苗を撫て行衛哉離別れたる身を踏込て田植哉けふはとて娵も出たつ田植哉泊りかけの伯母もむれつゝ田うへ哉參河なる八橋もちかき田植かな午の貝田うた音なく成にけり獺おそを打し翁も誘ふ田うへかな鯰得て歸る田植の男かな雨ほろ〓〓曾我中村の田植哉(マヽ)おくひなり席かましき田植哉見わたせは蒼生よ田植時アオヒトクサ世を見れは蒼生よ田植時遺稿발ラ精緻大明通信號しるもの味を目黒豚骨の ある。忙しさに傭はれて先夫の田を植うる哀れ深きさま日發句集新花摘(新花摘業平の舊蹟八橋-伊勢物語に名高き法螺貝の音に午の貝-正午を知らする田植の手をしばし休めて田の畔などに群れ居つゝ畫餉を始めしなり鯰得て歸る-新花摘に「鯰得てもとる」曾我中村-共に相模足柄は曾我兄弟の育ちし地郡にありて地を接すC曾我席かましき-席は序の誤寫なるべし片隅の袵形なる狹き田を序がましく一寸植ゑ行くさま見渡せば-田植時に百姓の多く立ちは靑人尊は 00渡したる句靑きと百姓とにかけたり新花摘新花摘新花摘何(題新(新集稿篇)稿叢五五後子子(遺稿(遺草ッつけのおくし-黄楊の小グッ櫛伊勢物語に「芦の屋のなたの鹽燒いとまなみげのをぐしもさゝず來にけり」早乙女の忙しきさまをこの歌によりていへる句早乙女やつけのおくしはさゝて來し葉さくらの下陰たとる田草取新花摘(新花摘麥 麻眞菰刈麥刈て瓜の花まつ小家哉兎足三周の正當は文月中の四日なるを、卯月のけふにしゝめて追善いとなみけるに申遣す麥刈ぬ近道來ませ法の杖麥刈て遠山見せよ窓の前麥刈に利き鎌もてる翁哉(新花摘)兎足-傳不詳、七月十四日歿しゝめて-縮めて。安永二年な四月に早く取越したる意近道來ませ-七月の忌日を寓す(句集遺稿)遭稿發句篇
蕪村全集麻を刈レと夕日このころ斜なるあふみ路や麻刈あめの晴間哉水深く利鎌鳴らす眞菰刈新花摘あふみ路や-手紙に「あ」利鎌-「利き鎌」眞菰刈-題林集に「眞菰哉(新五子稿(句集雨乞夏日三句-以下三句つゞきて句集に出づ雨乞に-國司曇り の顏が曇ると兩意に國司の-題叢に「國主の」守敏-天長年間大旱ありし時、弘法大師と雨乞の祈を競ひて負けし僧夏日三句雨乞に曇る國司のなみた哉負腹の守敏も降らす旱かな大粒な雨は祈の奇特かな旬集何集何集煮酒甘酒甘酒の地獄-甘酒は箱根の名物にて峠の茶屋などに酒を煮る家の女房ちよとほれた新花摘賣り居たりその熱き甘酒を溫泉の大地獄小地獄などいふに見立てゝ甘酒の地獄備へー供へ松が岡-鎌倉松ヶ岡の東ならば、および とのものと尼と甘とかけたり。箱根にてあま酒の地獄もちかし箱根山御佛に晝備へけりひと夜酒愚痴無智のあま酒造る松か岡何集(句集付集水の粉葛水水飛して製してやるぱくとのも夏日冷水にとか特別生物北京市公安局海淀分局上海のメダメン今日は物足しぶりの上手なる。宗鑑に-文章篇參照葛水や、葛水に-二句文章篇參照水の粉のきのふに盡ぬ草の菴水の粉やあるしかしこき後家の君宗鑑に葛水給ふ大臣かな葛を得て〓水に遠きうらみ哉葛水や鏡に息のかゝる時葛水に見る影もなき翁かな何集集何(句集何集(杜口追善集) (杜口追善集)發句篇
ROOM雀鮓は鮒の腹に飯をつ此君なれ過ぎた-題林集に名產ればいふ開き見るなりして「何能可一日無此君」とはせずやとあわてゝ鮓桶をあはやと開く-なれすぎいひし故事より竹のなれ過て」-晉の王子猷竹を愛( )上題詩拂綠苔。」夏の江村まさに食膳に富ま口座記念物西鉄に句に「林間煖酒燒紅葉、石をおし隣家は酒を釀す逆しまに引っている葛水に-題林集に我れ酒かもす眺めやるさま彥根が城に光帝皇女了山尼之をつぎ六石上に詩を-白樂天の詩にうつらて嬉し老まふすれば-詣づれば時勤行の道場となし給へる善尼之を得て寺と爲す殿の舊址にて足利義滿女性子内親王(後光嚴皇女)入江よい連綿として尼宮御所たこゝに三時智恩寺あり。の南室町の邊を入江と稱し入江の御所-京都上立賣Cドライ-李白、「葛水にうつして嬉-新花摘、三千こ我家は鮓丈千顏盧山詩ㄴ旬尺、「葛水C初を 通江は區下疑袖稱見五更の鐘-曉の鐘なり。發蕪村句全篇集木の下に鮓の口切るあるし哉夢さめてあはやとひらく一夜鮓鮓つけて誰待としもなき身哉鮓桶をこれへと樹下に床几哉なれ過た鮓をあるしの遺恨哉蓼の葉を此君と申せ雀鮓寂寞と畫間を鮓のなれ加減鮓の石に五更の鐘のひゝきかな卓上の鮓に目寒し觀魚亭眞しらけのよね一升や鮮のめし精すし桶を洗へは淺き游魚かな鮓をおす石上に詩を題すへく鮓を壓す我レ酒釀す隣あり鮓おしてしはし淋しきこゝろかな壓鮒すしや彥根か城に雲かゝる鮓つけてやかて去ニたる魚屋かなところてん逆しまに銀河三千尺葛水にうつりてうれし老の貌葛水や入江の御所にまふすれは自畫讃時心太鮓鳥(遺遭何旬旬何新(新新新新新新新(句新句新遺新五五花花花花花花花花花子子稿稿集集集)集摘摘摘摘摘摘摘摘集摘集稿)稿稿
蕪村全集紫野に-句集に15.「大德寺紫野に遊てひよ鳥の妙手を思ふ時鳥畫に鳴け東四郞二郞時鳥待や都の空たのめほとゝきす哥よむ遊女聞ゆなる耳うとき父入道よほとゝきす四郞二郞-古法眼狩野元信の始めの名東が白〓といふにかく句は元信の筆になる時鳥が東も白む曉頃妙技の靈を得て畫中に聲鳴けとなり待つや都の-都の空に時鳥の聲を待つはあてにならぬ空たのめなりとの意自畫賛(池田、稻束氏藏)に「長安元是名利地空手無金行路難、居白易」と前書してこの句を記せるものあり矢數-三十三間堂の通矢數ならぬ-徒然草にㄱ女ありのりあるいかけたる返事とずよき程にする男はたきものぞとて龜山院の御時しれたる女房どキャンプ- )お前の時間のほ〓ともれているこ管)續津(新の守明舟花風烏三摘(新花摘筋たく矢數の空をほとゝきす數ならぬ身はきゝ侍らす岩倉の狂女戀せよほとゝきす鞘走る友切丸やほとゝきすほとゝきす平安城を筋違に子規柩をつかむ雲間より新花摘)五車反古(句集(句集旬集れは難なし數ならぬ身むつかしなど定めあはれけり」。前書なし。大利物中心地下記念京都の北にあり。源家重代の寶劔てがはじめ獅子の子と稱せ之と一具たりし小鳥刀の二分ばかり長かり小吃大好茶色法律師の平家物語劔卷)、をとりて時鳥の銳き叫聲に句はこの傳說配せしなり「春すぎて夏來にけらし」なつかぬ-持統天皇のの御歌にいひかけたりCHANGE稻葉殿-稻葉一徹がの爲に茶室に招かよれり終いる悠マルチュールに滿ちて一座寂たり景一說に山城淀の城主稻葉長門守なりとお茶たぶ-し之を一徹の〓と解すればたぶは賜ふ但賜はるの意に用ひしものと見るべし忘るなよ-伊勢物語 に春過てなつかぬ鳥や杜鵑稻葉殿の御茶たふ夜や時鳥箱根山を越る日みやこの友に申遣すわするなよほとは雲助ほとゝきす哥なくてきぬ〓〓つらし時鳥探題實盛名のれ〓〓雨しのはらのほとゝきす時鳥琥珀の玉をならし行留主に居る人たゝならぬほとゝきす松浦の文かく夜半や時鳥はしたなき女嬬の嚏や杜鵑何集集(句(句集旬集(句集(新五子稿(新 五子稿(新五子稿遺稿發句篇
蕪村全集「昔男東へ行きけるに友だちに道よりいひおこせたるとして中国語大学お客様折からの時鳥の聲を點中眼前の景とを併せのぶ遠友を憶ふ情と旅名のれ~ ---齋藤實盛、加賀國篠原にて手塚太郞に付けれし故事による名우謠の」の語は平家物語、ド曲實盛等に見ゆ句は名の內侍司その他の諸おとな、奴婢の長°足あとを-閑古鳥は古來蒼頡けは見られ(大人なる男の子起けり時鳥失ふた杖も闇の夜時鳥道稿遭草)閑古鳥足あとを字にもみられすかんこ鳥足跡を字にもよまれすかんこ鳥飯櫃の底たゝく音やかんこ鳥食次の底たゝく音、やかんこ鳥自在庵主杜鵑布穀の二題を出していつれ一題を發句せよとあり、されは雲井にはしりて王侯にましはらんより(平安廿歌仙) (句集(新句選集自在庵主-句集にはこの前書「柴庵の主人杜鵑布穀の二題が出していつれ-題に走て王侯に交らむよりはに發句せよと有されば雲井鶉衣被髮にして山中に名利をいとはんにはㄴ白蘿蔔素は蕪村の友人樋口遺立の布穀-ち柴庵と號すかんこどり。C鶉衣被髪つぎはぎのつぬ髪ゞれ衣'亂せしまゝに結ば任民上のし有燒仙台灣或は羯鼓をうつて踊り或は扇をとつて舞へりと居士の首にかけし羯鼓の句は音を開古鳥の鳴く音にたぐへ〓しにしてかけたか」といふうちに時鳥の聯想をも含ませたりきのふも啼ぬ-新五子稿に「きのふも聞ぬ」。麥林寺-麥林舍乙由に그閑古鳥われも淋しか飛んでゆく」といふ人口に膾灸せられし句あるを以て奉林寺の名を思ひよせしなヤマヒト山人は-開古鳥の正體に發句篇は鶉衣被髮にして山中に名利をいとはんには狂居士の首にかけたか鞨鼓鳥ごつ〓〓と僧都の咳やかんこ鳥閑居鳥歟いさゝか白き鳥飛ぬかしこにてきのふも啼ぬかんことりかんことり昨日もこゝに來啼ぬる閑居烏寺見ゆ麥林寺とやいふ山人は人也かんことりは鳥なりけりうへ見へぬ笠置の森やかんことり(マヽ)むつかしき鳩の禮義やかんことり閑居鳥さくらの枝も踏て居る(寫經社集新花摘新花摘(連句會草稿) (遺稿何集旬集何集(句集句集
蕪村全集といふ說などさへあれば、つきては古來說多く猿なり之等の繁瑣なる考證か厭ひて閑古鳥は要するに鳥なりと喝破せし句。この句俳諧に「四明山下の古寺に遊品彙に「前書有」とし手ふ、紙山人は人かんこ鳥は鳥也寺らく寺けり」とあり。四明山下の古賣座ハとして福寺の我な消しがんこ鳥」の誰よかば···己が心に鳩は仁義を閑古鳥は無可もなく-論語に「我則異於是無可無不可。無親もなくーくと鳴くとかく鳴聲の淋しきが孤獨の感を起さしむるなりこの句上五題叢に〓親もなき。」木の股よりや-閑古鳥はえたいの知れぬ鳥なればなり羽色も|人ならばこれ緇衣をまとへる隱遁の法師かんことり可もなく不可もなくね哉親もなく子もなき聲や閑古鳥花なくてかくれよき木やかんこ鳥榎から榎に飛ふやかんことりなに喰ふてゐるかも知らすかんこ鳥金掘る山もと遠しかんことりわか捨しふくへか啼かかんこ鳥鞨鼓鳥木のまたよりや生れけん羽いろも鼠にそめつかんことり閑こ鳥招けとも來す格には旬題遺遺集集、稿稿苑(遺稿(遺稿遺稿) (遺稿(遺稿遺稿遺稿水鷄靑鷺關の戶に-孟嘗君の故事に基きし〓女の歌「夜をこも云々」の反轉めて鳥のそらねははかると、夕風や-俳諧品彙に「加茂川」と前書あり關の戶に水鷄のそら音なかりけり挑灯を消せと御意ある水鷄哉夕風や水靑鷺の脛をうつ何集新幣宿五袋、の子稿片折日記蝙蝠かはほりのかくれ住けり破れ傘かはほりやむかひの女房こちを見る(新花摘こちを見る-俳諧品彙に「こちに居」。付集初鰹鮎朝比奈淨瑠璃和田酒盛などに朝比-和田三郞義秀。奈と曾我兄弟の勇力のこと見ゆ之に勇ましく景氣よき初鰹を配せしなり朝比奈か曾我を訪ふ日や初かつを初鰹觀世太夫かはし居かな鮎くれてよらて過行夜半の門(新花摘新花摘日發句集發句篇
蕪村全集蝸牛蹇-アシナヘ。三熊もふで-紀州の熊野參詣。もふでは詣で蹇の三熊もふてやかたつふり關越るいざり車や蝸牛點滴にうたれて籠る蝸牛てゝむしやその角文字のにしり書蝸牛の住はてし宿やうつせ貝こもり居て雨うたかふや蝸牛かたつふり何おもふ角の長みしか雨にとまる玉水の宿のかたつふり簑蟲はちゝとも啼を蝸牛てゝむしや角を力の遠步行新花摘(新花摘五車反古その角文字の-徒然草に「二つ文字牛の角文字云々」の歌ありC蝸牛のはひ行きしあとのにじり書に似たるよりの酒落。うつせ貝-中に肉無くなりし貝殻雨うたかふや-題叢に下五「雨うかゝふや」玉水-山城綴喜郡、歌に所謂井出の玉水なり。雨垂を軒の玉水といふ綠にてこの地名をもち來れるなり。角を力の-突くに足らぬ角を力とするの愚。(句集旬集何(遺新新集稿稿稿五子五子遺稿(遺草蟇 予子飛蟻月の句を-文章篇參照。長沙-支那湖南省の首都洞庭湖の南にありて水流多く風光秀麗の地屈原はこの地より出づㄱ飛蟻とふやーはありとふ」。題叢後篇に月の句を吐てへらさん蟾の腹ほうふりの水や長沙の裏借家飛蟻とふや富士の裾野ゝ小家より(文集(新花摘何集螢一書生の閑窓に書す學問は尻からぬけるほたる哉摑みとりて心の闇のほたる哉狩衣の袖のうら這ふほたる哉さし汐に雨の細江のほたる哉一書生の-其雪影、新選しには共に「書窓懶眠」と前書題林集にはㄱ一書生か閑を訪ふ」、遺草にはㄱ書生の閑窓に戯る」とあり。狩衣の-源氏螢卷に光源氏か螢をあまた薄き紙に包み隱して玉葛を訪ふ話あり影、句集新其雪選(連句會草稿) (句集(遺稿)發句篇
蕪村全集玉川終わりのな。てもとう老村小川菜天子畫の雪のの0〓原氏信女に年り信し株式会社二な守後その猶和とを學び狩野氏を稱す玉川のすゑやくだけて散螢(岩本氏編全集)蠅蚊雪信か蠅うち拂ふ硯かな蠅のなき菴をたゝくや病上り蠅打て留主居なからや病上りうたゝ寢の貌に離騷や蠅まれ也蠅散て且ウ白しや盆の糊古井戶や蚊に飛魚の音闇しうは風に蚊の流れゆく野河哉蚊の聲す忍冬の花の散ルたひに晝を蚊のこかれてとまる德利哉何集遺草)遺草開始! 大正屈平の辭賦を徒然草の松下禪炒め、大、雞排、青、香、炒、明、10誰だし氏に野河哉-名所千題にとて水面にとび上るなり「小蚊の聲す-新五子川かな」稿に蚊の聲や葱苳の花の散毎にしこかれて-焦れて。遣草(自畫賛發句集雪影集)日其何旬集遺稿蟬馬南-大魯の前號。安永二年夏薙髮して大魯と號を更ふ脫ぎかふる-蟬は梢に殼を脫し、上海市药物学院大学附属中学り三本木衣にかふたり。川の一名にて蟬にいひエ大佛のー閑を榎--をををにかく。- -佛なり獨家の意味艦これに住みし天狗の名なれどこゝは鞍馬寺の坊舍なるべし御飲食物リンチョンつきて鳴比如行臥も蟬の聲のみ喧し昨日は二日蟬鳴いて暮れんとする休みの法則にびし新月の色、なりし故今宵は正に三日のC月なるべし馬南剃髮三本樹にて脫かゆる梢もせみの小河哉(マヽ)寓居半日の閑を榎やせみの聲大佛のあなた宮樣せみの聲蟠鳴や行者の過る午の刻蟬鳴や僧正坊のゆあみ時蟬なくや行人絕るはし柱せみ鳴やきのふは二日三日の月鳥まれに水また遠し蟬の聲(句集旬集(句集(句集何集新五子稿新五子稿遺稿發句篇
立」。蚊屋を出て-都枝折、五子稿にㄱ····立けり夏木新舟の白き帆布に曉の色すで夜走りのー川を下りゆく司など聯想せらる般若を淺流の屈曲して流れ行く西し東す-ほのかさまに動き、よりさめんとして有明のこの句道成寺の眞名子の庄,に光を投ぐ兩岸の若葉も今眠大般若波羅密多經若葉の林の中C月近おちこち-をちこち、伸ばせる隣家の桃の木の毛なな虫が我水に-塀越しに枝さしりどの水面に落ちて浮べ我家の手水鉢遣る水句集拾遺に「古御厨子」避けゆくさまなど通る氣味惡さに笠の如くかざして辛うじては古御達が毛蟲多き木の下老いし女房たちをいふ古御遂-フルゴタチ、この句下五袖を句年頃や衣-頭韻。吟なり그の僧侶にして延享二年板白道上人-丹後與謝地方わくら葉-그この句蕪村が丹後遊歷中の聲梅之紀行」等にその句見ゆ鳥まれに水また赤し蟬の鳥まれに-新五子稿に病葉。發蕪句¥遠全篇集蚊屋を出て奈良を立ゆく若葉哉山に添ふて小舟漕行若葉かな淺河の西し東シす若葉哉般若讀む庄司か宿の若葉哉谷夜走りの帆に有明て若はかな山畑を小雨晴行わか葉かなおちこちに瀧の音聞く若はかな淺間山烟の中の若葉かな路行人は小き若葉哉我水に隣家の桃の毛蟲哉朝風に毛を吹れ居る毛むし哉朝風の毛を吹見ゆる毛むしかな袖笠に毛むしをしのふ古御逹蟬ももひるかへる蟬のもろ羽や比枝おろしわくら葉に取ついて蟬のもぬけかなてかへるさに申侍る日くるゝまてものかたりし給ひける草屋を訪ひ侍りて、白道上人のかりにやとりし寢る頃や衣の袖疊若毛る葉蟲( (不句句新そのし二花新(新新(新(新新新新新(新遺遺遣二花花花花花花煙集をり、集果集花花花摘摘摘摘摘摘選摘摘摘摘草稿稿
蕪村全集-窓よりもるゝ1921號100140筋の灯光若葉の梢を射てかなる綠の色をてらし出窓の燈の梢にのほる若葉哉不二ひとつうつみ殘してわかはかな絕頂の城たのもしき若葉かな若葉して水白く麥黃ミたり地を截てわたる谷路の若葉哉金の間の人もの言はぬ若葉哉茂山や扨は家ある柿わか葉たかとのゝ灯影にしつむ若葉哉今はたゝ獨活もくはれぬ若葉哉やとり木の目を覺したるわかは哉峰の茶屋に壯士餉す若葉哉出家して親王ます里の若葉かな旬集旬集、明鳥(句集旬集蛇を截て-漢の高祖夜澤中を徑る、路に當つて大蛇橫はれりしに高祖乃ち劍を拔いて之を斬れりといふ故事(史記)による。茂山や-題林集に「茂山やさては家有柿もみち」。旬(新道新集)稿稿稿五子五子新五子稿上海交通大学附近有限公司頃とて今は獨活まで食のから路線茂れりとなり。新五子稿遭稿餉-かれひ。出家して-新五子稿に「出家して親在す里のもみち哉、」(遺稿遺稿岸根行く-短册に「岸まねく」とせるものありと。岸近く行く白帆の大きなるが不氣味に感ぜらるゝなり草每鹿、枝にて脚のなき胴體のみの鹿の形を作り、牛皮を張りその間に綿毛を入れて射術練習の的にせしもの鹿の脚が草中に沒して見えざるに擬して草鹿といふ南良-奈良。碁氣-誤寫あるべし。岸根行帆はおろそしきわかは哉遺稿葉櫻實櫻葉さくらや草鹿作る兵等葉さくらや南良に二日の泊客葉櫻や碁氣になりゆく奈良の京來て見れは夕の櫻實となりぬ圓位上人の所願にもそむきたる身のいとかなしきさま也實さくらや死のこりたる菴の主(新花摘新花摘遺稿(句集圓位上人-西行法師のこと所願はかの「願はくは花の下にて春死なん」の咏をさす句は西行の風雅に及ばすして徒らに生ける身の恥かしき意を寓す句集發句篇五
蕪村全集若楓三井寺や日は午にせまる若楓眼若楓學匠書ミにめをさらす若楓まつしき賤の掃さうし箒目にあやまつ足や若楓新花摘)新花摘(新五子稿箒目に-白砂〓く敷きつめし庭の箒目正しきに誤つて足をふみこむとの意遺稿夏木立木下闇蚊やを出て-句集に「蚊屋を出て奈良を立ゆく若葉哉礫うちけむ-袖草紙に「磁うちこむ」と誤れり。水にちり込-遺稿に「水にちりうかむ」かしこくも-木立の涼しきりげに茶店を出せるは氣が利いて居るとなり蚊やを出て南良を立けり夏木立いつこより礫うちけむ夏木立酒十駄ゆりもて行や夏こたち花か實水にちり込夏木立都枝折(句集旬集新五子稿かしこくも茶店出しけり夏木立動く葉もなくておそろし夏木立とろゝ汲む音なしの瀧や夏木立魚くさき村に出けりなつ木立賣ト先生木の下闇の訪れ貌遺稿(遺稿とろゝ汲む-とろゝは黄蜀葵にてその根を碎き水に浸して之を紙を漉く糊に用ふ訪はれ顏-樹下に床几ならしつゝ人の訪ひ來るを待どすゑて筮竹サラー〓となち顔なるなり(遺稿新五百題新花.摘筍若竹笋や五助畠の遺稿にㄱ狐火や五助畠の麥の雨」。笋や五助畠の 麥の中笋や垣のあなたは不動堂堀喰ラふ我たかうなの細きかな笋を五本くれたる翁かな笋の藪の案內やをとしさし新花摘(新花摘)新花摘(新花摘落しざし-刀の鞘の小尻が竹にさはらぬやう落しざしにするなり發句(句集句篇
蕪村全集筍や甥の法師か寺とはん筍や柑を惜む垣の外若竹や夕日の嵯峨となりにけりわかたけや橋本の遊女ありやなし若竹や十日の雨の夜明かた若竹や是非もなけなる芦の中若竹や曉の雨宵のあめわか竹や橫雲のあちこちに見ゆ旬集カウジ柑を惜む-徒然草に栗栖野をすぎてある草庵のさま一( 一八似で垣の外に生出でたる皮上海交通大学40元/份(20元)+ 200米C古へより遊Facultativeありやなしいる。業平の歌をふまへ十日の雨-五風十雨の故事ぜひもなげなる-新花摘にはこの句の次に左の詩を錄せり「春草春草綿々不可名、水邊原上亂抽榮、似嫌車馬繁華地、綿入城門便不生、右劉原甫ㄴ牡丹散てこの明烏神こゝろ、桃李、御食事实集等にも出づ遺稿(瓜の實)續明鳥摘新花(新花摘(新五子稿(新五子稿牡丹牡丹散てうちかさなりぬ二三用牡丹切て氣の衰ひしゆふへ哉付(新寫合小鏡選集經社日光の土にも彫れる牡丹かな不動畫く琢摩か庭のほたんかな金屏のかくやくとしてほたんかな南蘋を牡丹の客や福西寺ほうたんやしろかねの猫こかねの蝶ほたん有寺行過しうらみかなやゝ廿日月も更行ほたむかな山蟻のあからさまなり白牡丹方百里雨雲よせぬほたむ哉詠物の詩を口すさむ牡丹哉山蟻の覆道造る牡丹哉蟻垤新花摘琢摩-宅磨姓の畫家。天曆の宅磨爲氏を祖とし代々佛畫を善くす建仁頃の澄賀最も著はれ不動阿彌陀佛等の遺作ありかくやく-赫奕。シンナンピン南蘋-沈南蘋。〓朝の世家邦烏龍茶間長崎に來り居ること二年法禁徵着色耕稱享保年にして歸るその畫風は當時の我畫界に影響する所大なりきフクサイ福西寺-福濟寺。長崎市下筑後町にある黃檗宗の寺明僧覺悔の開基にて支那より渡來する商人などの香華寺となれり句に「花開花落二十日」やゝ二十日ー白樂天の詩よつて牡丹に廿日草の異名あ山蟻の-眞白き花瓣を這ふ大山蟻の黑一點が分明に見ゆるなり方百里-牡丹の豐かなる威を理想化せる句詠物の詩-詠史などに對發句篇(新花摘新花摘摘新花新花摘(新花摘(新花摘(新花摘) (新花摘新花摘新花摘發句
蕪村全集主題として詠みし詩し天文地理動植物等の物をこゝは牡丹をよみし詩なるべし覆道複道の誤か阿房宮賦に「複道行虹にわいたれなった。製上海交通大学附属中学科学院中学山山蟻の黑く一道を作りて群上海市南京市台北区分布句上海交通大学教育部部附属中心立て又その傍に咲ける眞紅の牡丹に蟻の出入りするより之を王宮の朱門に比したり天の一方に-前赤壁賦にㄱ望美人兮天一方兮」牡丹庭の一隅にあるを遠く眺滋賀県道·市やるなり波の如く翻すなり舌木前書の句出所イ詳。舌根といふに同じ一個月份重き荷物を運ぶ大眼前にその形異草も--牡丹咲ける周圍の雜草をも刈りすてすそのまゝにせる庭のさま隱者の住居めきてなか〓〓心にく蟻王宮朱門を開く牡丹哉廣庭のほたんや天の一方に波翻舌本吐紅蓮閻王の口や牡丹を吐んとす寂として客の絕間のほたん哉地車のとゝろとひゝく牡丹かなちりて後おもかけにたつほたん哉こと草も刈捨ぬ家のほたんかな虹を吐いてひらかんとする牡丹哉みしか夜の夜の間にさけるほたん哉日枝の日をはたち重ねてほたん哉新花摘(五車反古旬集何集(句集(句(新遺遺集稿稿稿五子遣稿)自畫賛し。歡迎光米得知此事有一ホトヽ實體上の有限公司ギス四労働省合同高等の2枚目り重ねたる程の高さなりいへる故事とによりて仕(たりと-鳶の糞せしな芍藥 社若一八題學寮芍藥に帋魚うち拂ふ窓の前かきつはたへたりと鳶のたれてける宵〓〓の雨に音なし杜若貧乏な御下やしきや杜若一八やしやかちゝに似てしやかの花新花摘何集何集新五子稿やが父に-萬葉集卷九〓鶯の一個の一個も鳴かずかす〓人とことを似せるをの歌のりていへり新花摘卯の花金の扇にうの花畫たるに句せよとのそまれて發句篇
百褶裙號こら中にみち〓〓て人に迫香に迫り咲く-香氣のそたへて-絕えて。ほどに感ずるなりあずり花茨の三者相つい同じ垣根に山吹てみ出句新花摘にはの垣根哉」の左傍に「うの花色をきか吹の名所〓馬の貴船神社せたるなり山城綴喜郡にあり無添加香糖果糖茶色素色素「花さく井出山吹に黃金この存して花橋の香にいとゞ昔昔館の-數代つゞく武士の だれの家偲ぶなりひ來る橋の香をかきて昔を古き館はそのまゝに古き館の味爽に匂橘の香にい里をきかせたり花ちる里-源氏の花散る臨〓流而賦詩」來辭に東皐-東の岡なり。「登東皇以舒嘯歸去發蕪村句全篇集たちはなのかはたれ時や古館橘やむかしやかたの弓矢取柚の花や能酒藏す塀の內柚の花やゆかしき母屋の乾隅蟲のために害はれ落ツ柿の花柿の花きのふ散しは黃ハみ見ゆ澁柿の花ちる里と成にけり柿、柚、橘の花山吹の卯の花の後や花いはら愁ひつゝ岡にのほれは花いはら路たへて香にせまり咲いはらかな花いはら古〓の路に似たる哉かの東皐にのほれは茨うの花や庵へ寢に來る小商人卯の花のこほるゝ蕗の廣葉哉うの花や貴布禰の神女の練の袖白かねの花さく井出の垣根哉述椎、棕梠、樒の花の懷花(句新新新句新新遺旬(何五(新何新新車五花花花花花花花反子集摘摘摘集摘摘稿集集古)稿集摘摘
蕪村全集すさめぬ-賞美せぬ自ら世にもてはやされざる述懷の意を寓せり魚赤-傳不詳。たのふたる人-賴うだる人魚赤の主人をいふ椎の花人もすさめぬにほひ哉魚赤たのふたる人の七囘忌追福のためにしれるとちの發句を乞て手向くさとなすも則讚佛場の因なるへし梢より放つ後光やしゆろの花米侯一周忌ゆかしさよしきみ花さく雨の中寫經社集美味佳美味純米吟醸白氏文集に그之緣ㄴ新花摘ゆしさよ-題葉集にゆかしさや」。新花摘合歡山梔芥子花蝮-ウハヾミ、虎雄-傳不詳。津守舟に「出石虎雄」として句見ゆれば出石の人なるべし蝮の鼾も合歡の葉陰哉虎雄か世を早うせしを悼旬集まだきに-まだ暮るゝ時刻でもなきに雨のため早く折せる意を寓す。くらくなるなり虎雄の天籬すべくも-脆くして散り易く、芥子の花のわざわざ籬して圍ふべくもなき趣をいへり雨の日やまたきにくれてねむの花口なしの花さくかたや日にうときけしの花籬すへくもあらぬ哉新五子稿新花摘旬集玉卷芭蕉百合洛東芭蕉庵-安永五年夏金福寺境内に芭蕉庵再興せらる耳目肺腸-司馬溫公の獨樂園記に「明月時至〓風自來行無所牽止無所枕耳目肺腸卷爲己有、隅々焉洋々焉この成語を用ひて直に玉卷く芭蕉とつゞけたり谷の房-谷間の僧坊朱硯に文章篇參照洛東芭蕉菴落成日耳目肺腸こゝに玉卷はせを庵かりそめに早百合生ケたり谷の房朱硯に露かたふけよ百合花旬集旬集遺草)晝顏夕顏晝かほやこの道唐の三十里句集發句篇
蕪村全集割に杭をうの數--をををつつき地てるなり晝かほや町になり行杭の數ゆふかほや黄に咲たるも有へかり夕貌の花囓ム猫や餘所こゝろ夕かほや行燈提し君は誰そ夕貌や武士ひとこしの裏つゝきゆふかほや竹燒く寺のうすけふり遺新(句五子稿稿集よそ心心こゝにあらざるなり戀心ある猫の囓む氣もなく無意識に夕顏の花むさま家の上記腰の-小身なる武こう數位カ集团家族ほや-題苑集十「夕顏に竹燒寺のけふりかな」(句集(新五子稿遺稿道稿)蓮蓮見哉-新選に「蓮哉」。律院- -律宗の寺院C飛石も-圓き飛石の狀蓮の浮葉に似たり吹殻吹殻の浮葉にけふる蓮見哉律院を覗きて飛石も三ツ四ツ蓮のうき葉哉蓮の香や水をはなるゝ莖二寸何集何集旬集白蓮を切らんとそおもふ僧のさま座主のみこのあなかまとてやをらたち入給ひける、いと(句集たうとくて羅に遮る蓮のにほひ哉佛印のふるきもたへや蓮の花蓮池の田風にしらむ葉うら哉戶を明けて蚊帳に蓮の主人哉旬集佛印-僧了元の號なり。蘇軾黃州に謫せられし時佛印盧山にありて相互に章句を酬作すある時軾問答にられし逸話などあり資しけてその玉帶を佛印にともたへーもたひ(甕)の訛佛印の居室に古甕に生けし〓蓮などあらんとの想像遺稿) (遺稿遭稿蓴 澤潟河骨歌ぬなはとる小舟にうたはなかり鳧採尊を諷ふ彥根の信夫哉新花摘)採蓴-支那の樂府江南弄曲に採蓮曲、採菱曲等あればそれにもぢりしなり發句句集篇
蕪村全集信夫--はは鄙賤の樣にていやしき者田舍漢などといふ意水のうらかく-澤潟の葉は鏃の形をなせる故それが水上に拔け出でたるをうらかくといひしなりうらか通るこりくとは矢が鎧の裏まで突き澤潟は水のうらかく矢尻かな河骨の二もとさくや雨の中(新五子稿何集藻の花萍の花藻の花や小舟よせたる門の前藻の花や片われからの月もすむ路邊の刈藻花さく宵の雨題湖藻の花や藤太か鐘の水はなれ浪華の舊國あるしゝて諸國の俳士を集めて圓山に會莚しける時新花摘" の "割り の " ) の " と "からの-藻の花咲いふが表面の意それに灌に住むわれからといふ蟲も住めりと言掛く。(句集(句集藤太が鐘-俵藤太が百足を退治せし禮として湖底の龍神が贈りし鐘なりと傳ふ浪華の几董日記には「諸國の騒客にいなななれて下河原の邊なる睡虎亭に會す」と前書せり。連句篇參照遭稿うき草を-行脚の諸俳士を萍その集れる會席を花莚に比す五疊庵の主-不詳。河朔の飮-避暑の酒宴な〓光祿大夫劉りC初學記に松北鎭哀紹軍與紹子弟〓共宴飮常以三伏際畫夜酣飮極醉以避時暑、故河朔有避暑之飮。」衣をふるひ左思の詠史「振衣千仭岡灌足萬里下記載放送局尙世塵を脫し去りる義なり。うき草を吹あつめてや花むしろ五疊庵の主河朔の飮をしたひ居を洛東にうつす、左に榻を下せは鴨の川風に衣をふるひ右に檻によれは白河の下流に足を濯く、宗祇法師のすさみにも住めは京なるその中に京に京ある住居なり何集けり浮草の花押わけて月の宿何集拾遺蓼發句篇
蕪村全集見えなくに-見えざるにの意砂川や-袖草紙に「···蓼の流れ越」c〓君-ガウギミと訓むか田舍の遊女の義なるべし。しのゝめや雲見へなくに蓼の雨砂川や或は蓼を流れ越す〓君の曉起や蓼のあめ人妻の曉起や蓼の雨旬集何集新五子稿遺草)麥麻洛東の-五車反古には그洛東芭蕉庵にて」と前書せり洛東のはせを菴にて目前のけしきを申出侍る蕎麥あしき京をかくして穗麥哉旅芝居穗麥かもとの鏡たて狐火やいつこ河內の麥畠大魯凡董なとゝ布引瀧見に蕎麥あしき-芭蕉翁かつて蕎麥と俳諧とは上方の風土に適せすといへりと(句五(句集古集車反何集大魯几董などヽ-安永六篇參照年春のことゝ思はる。連句まかりてかへさ途中吟や穂麥か中の水車嵯義の雅因か閑を訪てうは風に音なき麥を枕もと長旅や駕なき村の麥ほこり狐火や五助畠の麥の雨しのゝめや露の近江の麻畠舂や-京都島原、 、雅因-文字屋の主人、無料金錢芝山口服用八の剛財務省人民隱と又在牙樓を營みて住みし第二章章居を市中移す蕪西村相往來して交あ士蠅窠散人等の別號あり安永六年十一月廿六日歿狐火や-新花摘に第十七五助畠の麥の中」舂旬集)旬集(句集道稿(句集瓜の花 瓜 茄子雷に-題林集に「雷に小家は燒て瓜の番」。手紙に中七「小家燒れけりㄴ畫賛連句會草稿には前書なし〓隱君子-瓜小屋に月を見てゐる瓜番を隱君子と興じ秦東陵侯也たるて漢書秦破爲布衣「邵半者故種瓜長安城り、瓜美故世發句篇雷に小家は燒れて瓜の花畫賛こと葉多く早瓜くるゝ女かな句集)連句會草稿句集發
蕪村全集號東陵瓜、從邵平始也」とある故事を思ひよせしなり)あだ花-結實せざる花。吾友-ゴイウと、ふ俳號なるべし、其雪影に「五友〓とあると同人か傳不詳瓜小家の月にやおはす隱君子あた花は雨にうたれて瓜はたけみちのくの吾友に草扉をたゝかれて葉かくれの枕さかせよ瓜はたけ靑飯法師にはしめて逢けるに舊識のことくかたり合て水桶にうなつきあふや瓜茄子兵ともに大將瓜をわかたれし凡董子より初茄子を贈りたまひけれは夢よりも貰ふ吉事や初茄子旬集)何集何集葉がくれの-瓜を探出して枕とし一休みせよとは、草庵の野趣にみちしあるじぶりなり靑飯法師-傳不詳。旬集遣稿凡董子より-茄子を二つ畫きし上に賛せりと寶舟九ノに虚明氏の紹介せる所によるC夢よりも-初夢の夢に「一富士二鷹三茄子」といばない(〓〓畫賛靑梅林檎捧心の人-捧心は胸を抱くこと。西施心を病んでそ之を美とし歸りてまた心をの里に顰すその里の醜人ているお替りにあることに故事(莊子天運篇)による捧心の人とは卽ち西施の如き〓人とへるなり豐後橋-伏見の南、宇治川に架す近くに梅溪あり靑梅や捧-心の人垣を間靑梅や微雨の中行飯煙靑むめやさてこそしりぬ豐後橋靑梅に眉あつめたる美人かな靑うめをうてはかつ散る靑葉かな靑梅に打鳴らす齒や貝のことわくらはの梢あやまつ林檎哉新虛栗集新(新花摘花摘五車反古(句集手遺新紙、五遺稿子稿稿赤くなれるを、わくら葉の-梢に病葉の林檎かと見誤るとなり竹の皮草いきれ脫捨てゝ-門人春洲が人門せる時〓諭ありし句なりとて、常盤の香に春洲の句の前書として見ゆ。發句脫捨てひとふし見せよ竹の皮第盤の香發篇
蕪村全集草いきれ人死居ると札の立何集夏雜慶子-大阪の俳優中村冨十郞、若女形の名人C降りかへて-萬葉集に그富士のねにふりおける雪はみな月の望に消ぬればその夜降りけり」とあるにはて新たに化杜獲子が病魔の望の夜富士のねに雪のふりかふるに比せしない「日枝をはたち」は伊勢物語の故事よる。句は慶子の病後面目一新して新粧いよ〓〓若やぐべきを祝せしなり蘭臺萬里の涼-宋玉の風賦に「楚襄王遊干蘭臺之宮宋玉景差侍有風颯然而至快哉此風寡人所與庶人楚王披襟而當之曰共者邪」文選見のこすやこの句「駿河なる葛人又母の兩子みやこの客舍の暑さをいとひて歸りのいそきあはたゝしけれは」と前書ありC慶子病後不二の夢見けるに申遣す降かへて日枝を廿チの化粧かな見世のはし居もおのつから蘭臺萬里の凉を得へし襟にふく風あたらしきこゝちかな見のこすや夏をまたらの京鹿子句集百〓畫賛遭草)秋初秋立秋今朝の秋秋來ぬと-古今集に〓酸味しょとるㄴこの句中七題林集にの前にて に「令點さしたる」陰陽師-オンヤウジ、又はオンミヤウジ陰陽寮に司りし官人屬して天文占筮 地などをc施藥院,中古時代の官立て慈令和珅商日が照りながら降る雨をいふか秋來ぬと合點のいたる嚏哉秋來ぬと合點させたる嚏かな初秋や餘所の灯見ゆる宵のほと秋たつや何におとろく陰陽師秋立や素湯香しき施藥院てる雨や我に秌たつおもひあり病起〓こしに鬼を笞うつ今朝の秋新選) (句集旬集何集旬集(題叢鬼を答うつ-秋立ちて病やゝおこたりし今朝、病餘の疲れし眼に映りしは今ま發句篇五車反古發
蕪村全集で我身につきて苦しめし病鬼の、ひそかに逃げ去らんないだけでは御食えて思はず笞をすれば形は貧乏に「稼ぐにおひつく貧乏なしの諺を逆〓りC句俳諧品彙「詞書あり」と前書せり貧乏に追つかれけりけさの秋溫泉の底に我足見ゆるけさの秋きぬ〓〓の詞すくなよ今朝の秋今朝の秋朝精進のはしめかな女郞花二もと折りぬ今朝の秋硝子の魚おとろきぬけさの秋うちはして燈けしたりけさの秋方空子に申つかはす御佛のなを尊さよけさの秋何)新遺題集稿.稿集五子苑遺稿(遺稿遺草)硝子--ビイドロ。(遺稿うちはして-團扇して。遺稿なを-なほ。(手紙)身に入む橫川-ヨガハ、の一。叡山三塔身にしむや橫川のきぬをすます時何集付集すます-洗濯す。櫛を閨に踏-題林集 に그櫛圍に踏」。身にしむや亡妻の櫛を閨に踏夜寒秋寒山家にやとる-句集に그山家」と前書せり猿殿の-蕪村が山家に人を訪れを童話的にこの句中七俳諧百歌仙に「夜寒訪ふよき布團出す-夜寒の宿にとひよりしまれ人あるさ山家にやとる猿とのゝ夜さむ訪行兎かな缺〓〓て月もなくなる夜寒哉手燭して能ふとん出す夜寒かな起て居てもう寢たといふ夜寒哉夜を寒み小冠者臥たり北枕壁隣ものことつかす夜さむ哉盜人の屋根に消行夜寒かなきり〓〓す自在をのほる夜寒哉(古今短册集)日發句集、(大阪府)新選新選几董(内申之句帖) (五車反古夜を寒み-新五子稿にㄱなかき夜や物うき官者が北枕。(句集新五子稿(古今發句手鑑:五子稿きり〓〓す-この句俳家古今墨跡集(嘉永六年刊)に發句篇
Political人民幣暴露其中國民主그りに自分で自分を招い破笠-小る我かでに」。の前書となり。印に「趙居」とあり新五子稿に句集には「百歌仙にとの破笠、淋と稱に 誰(NH4)は上海交通大学附属第二百四十五錢ㄱ猿五見まれか山上得皮亭よりみかみのや그まをのそみて」。7,三井の-手紙に福のこと。はなたれて-書-フミおとごぜ-乙御前。とかけりどするいちこ。寒し寐心とはむ吳服町と夜出て、「去年の秋ト居の賀に夜をるべし巫女-カムナギと訓むな在鍵こふく町快の業の申 これした想の夜を寒し-四季文集に渥たれて」と書けり自在-圍爐裡に吊せる自てと前書ありも蕪村の眞蹟を模刻しありC cさむからぬ始や春それには「獨夜擁爐睡」口よせ神おろしな大魯」とあり遺草には「文」遺草には「三井寺阿多ナ淋しひ-淋しい。五「秋の夕」。あちらむきに-題叢に下發蕪村句全篇集弓取に哥とはれけり秋の暮門を出れは我も行人秋のくれ我か手にわれをまねくや秋のくれ結城の鴈宕か所藏に、破笠かこちら向にたつ鴫はなし秋のくれあちらむきに鴫も立たり秋の暮父母のことのみおもふ秋のくれ去年より又淋しひそ秋のくれよとのそみけれは頓てのかたち如此、その畫に賛せ畫たる猿丸太夫の圖あり、そ老懷秋のくれ佛に化る狸かな秋寒し藤太か鏑ひゝく時三井の山上より三上山を望おとこせのうは着めてたき夜寒かな貧僧の佛をきさむ夜寒哉はなたれて獨碁をうつ夜寒哉書綴る師の鼻赤き夜寒哉巫女に狐戀する夜さむ哉夜を寒し寐心とはむ呉服町て秋の暮(何句自蓮旬旬五新何遺遺遭(遺遺四何華車花稿、稿稿季畫會反遺遺遺文集集集賛集集集古摘集草草草草)稿集
蕪村全集淋し身に-に手離さぬ杖をふと忘れて出て老の身のことに淋しさを感ずるなりこの句手紙には上五그渉 し身の」又題叢に下五그製作シ淋し身に杖わすれたり秋の暮秋の暮辻の地藏に油さすさひしさの嬉敷もあり秋のくれ人は何に化るかもしらし秋のくれ訓讀の經をよすかや秋の暮一人來て一人をとふや秋の暮かきりある命のひまや秋のくれ門を出て故人にあひぬ秋のくれ燈ともせといひつゝ出るや秋のくれ鳥さしの西へ過けり秋の暮(句集何集遣稿遣稿稿遺一人來て-訪ひ來し客も人ご購入し人住居桂瓦 (90%)月」とありと。遣稿遺稿遺稿.手紙)遺稿(遺稿手紙)烏飛盡す鳥ひとつつゝ秋の暮(遺草秋の夜新選)枕上秋の夜を守る刀かな丸山氏か黑き犬を畫たるに讚せよと望みけれはおのか身の闇より吼て夜半の秋甲賀衆のしのひの賭や夜半の秋子鼠のちゝよと啼や夜半の秋軒に寢る人追聲や夜半の秋秋の夜の燈を呼ふ越の筧哉秋の夜や古き書よむ南良法師窓といふ字を探りて丸山氏-丸山應擧。己か身の闇といへりおのが身の-黑犬れば煩惱の犬といふ諺あれば無明の闇にく甲賀衆-近江國甲賀の士は忍びの術にたけその術を以て仕へしもの多し03夜長に向けその甲賀衆が秋六ヶしき所かんないところで見んとて賭すㄱしのびの術やこの句題叢に中七越の筧-越後にて石油の瓦斯を竹樋にて引き之に點火することあり所謂七不思議のなり句は普通の筧は水を呼ぶものなるに之は灯を呼ぶとなり何集(句集旬集題苑集(遺(遺自稿稿.短册、畫賛發句篇
蕪村全集窓といふ字を探りて-遺稿に「探題閑燈」秋の夜遠き-遺稿に「秋の夜遠く」山鳥の題苑集に〓ふみかへるなが夜かな通夜の連歌古へ京都北明治37年こぼれ月連俳にて同上の方面に行われたをいふ通夜の連歌も己月をこぼす程になれば卷滿ち刻も曉に近かるべく折から有明の月の殘れるはこれもまたこぼれ月ならんながき夜や五車反古、句集に「夜を寒み小冠者臥たり北枕」住ムかたの秋の夜遠き燈影哉(手紙夜長山鳥の枝ふみかゆる夜長かな長き夜や通夜の連哥のこほれ月なかき夜や物うき官者か北枕常燈の油尊き夜なか哉秋(蓮(句山華會家集集(新五子稿(遺稿暮秋 秋惜む冬近し石職の人-晩秋の一日故實に通ぜる老人など訪ひしにその人は靜に家に閑居せりCをいめおひめ、負債。原本「價の字をあてしは穩かならずこの句題林集にさゝかな價乞はれへあきの暮ㄴある方にてくれの秋有職の人は宿に在す價いさゝかなをいめ乞れぬ暮の秋旬集何集掛り人-寄食せる人。さる身分ある人の今落魄して昔の名殘のよき衣着たるな掛り人となれれど流石にるべし秋をしむ-新五子稿に下五「砧かな」と誤れり冬近し-芭蕉忌を時雨忌ともいふ程なれば時雨の雲も先づこの芭蕉庵より起時雨の雲も-らんとなり。題林集に「時雨る雲も」。跡かくす師の行方や暮の秋行秋やよき衣きたる掛り人秋おしむ戶に音つるゝ狸かな戶をたゝく狸と秋をおしみけり洛東はせを庵にて冬ちかし時雨の雲もこゝよりそ(句集句集(平安廿歌仙)新五子稿)遺稿(句集三日月待宵名月十六夜月十三夜月見後の月月鳥盡きて-史記韓信傳に「狡免死良狗烹、高鳥盡良弓藏敵國破謀臣亡」鳥盡てかくるゝ弓か三日月まつ宵や女あるしに女客所思ヌク宗祇我を戀ふ夜眉毛に月の露を貫(遺草稿遺新虛栗集發句篇
蕪村全集良夜云々-句集にとふかたもなくに「良夜L中〓〓一人なればこそ却て月を反として樂むによし。句集及から檜葉に中七「ひとりあれは望に降る-萬葉集に「不盡のりに零りおける雪は六月の望に消めればその夜ふり湖現沒け水せしり。ㄴParatory今出湖本店舗名八月の望にふる湖の雪なこの句遺稿には前書なく「水の月やよ望に降る雪かとよ月天心-邵康節の〓夜吟の句に「月到天心處、風來水面時」この句新五子稿に「名c月に貧しき道を通りけり」主をとへば-賈島の금고隱者不遇」の詩句に「松下問童子言師採藥去」とあると趣相似たりc百貫の坊-徒然草盛親僧都の故事による(良夜訪ふ方もなく訪來る人もなけれは中〓〓に獨なれはそ月を友琵琶湖湖の月やよ望に降雪歟とそ仲秋淡海に遊ふ水の月やよ望にふる雪歟とそ月天心貧しき町を通りけり山の端や海を離るゝ月も今庵の月主をとへは芋掘に百貫の坊は賣盡すともこよひの月なかめさらんやは(續明烏(連句會草稿)遺草) (句集(句集付集名月やあるしをとへは芋掘にとなせの瀧水一筋月よりうつす桂河鯉長か醉るや鬼義として玉山のまさに崩れんとするかことし、其佛今なを眼中に在(自畫賛となせの瀧-嵐山より桂C川に落つる小瀑布月よりうつすの中へ一筋の水をうつし入月より川るゝが如しとなり月と桂鯉長-とは緣語俳優中村久米太郞安永六年歿鬼義-世說に「山公曰、嵇叔夜之爲人也、巖々若孤松之獨立、其醉也傀俄若玉山之將頽水一句集て月見れはなみたに碎く千々の玉探題雨月旅人よ笠島かたれ雨の月松しまの月みぬ人やうつせ貝月の宴秋津か聲の高きかな(句集芭蕉か笠島-つ て 州 名 附 )上海にあるかなりて折から雨の爲實方の故跡を訪ふを得ず、「笠島はいこ五月のぬかり道Lの吟をづ殘せり句は雨の緣にて笠C島の地名を呼出せるなり月の宴-一本にこの上五發句篇(句)題新遭集後子稿篇)稿叢五
にもお客様や高齢그나라면서宿をか歸朝せ(休の詩句に「綠樹影沈魚上木は今名月に對してかの故事を吟ず、仲丸の-松にりはんとを思ひ出しひて遂に唐に客死せり忠則-平忠度。兎の度る-にあるじの翁-源氏花の宴り。べき心地なんし侍りし」といふ句ありㄴ「翁もほと〓〓まひ出ぬかん ちょう〓波月落兎奔浪」になる、訪の漸にへたるりc歸朝の途難風にあとて明州の津に安倍仲麿唐よ仲麿の靈を弔かば仲麿建長寺の僧目下北京市公安局海淀分局、 につのその塚は翻案せしなとの家cい句靑〓てりげ今に宵ら宿歌あ之句遺草にしてけること興つきて歸りし故事けし夜戴安道を訪はんとて出か中国国民联盟月になく興つきた啞□□書屋にありとある遺草ありと芋煮る坊踏落し秋津「明月にの故事による。氏編全集による)。わ〓「唐山水」と前書せ」とありとその家の門と記せり-王子猷か雪の句-不詳우-徒然草盛親僧か.下此せし詩の起句二句のしてるならーC十三夜の月左に至り傍に山ののの侍い韻を(長谷川發蕪句村篇(長谷川全集櫻なきもろこしかけてけふの月名月や神泉苑の魚躍るひて雨のいのりのむかしをおも花守は野守に劣るけふの月かつまたの池は闇也けふの月名月や夜は人住ぬ峰の茶屋仲丸の魂祭せむけふの月名月や雨を溜たる池のうへ月今宵松にかへたるやとり哉忠則古墳一樹の松に倚れり名月にゑのころ捨る下部哉名月やうさきのわたる諏訪の海月今宵あるしの翁舞出よ梨の木に寄てわひしき月見哉月見ふねきせるを落す淺瀨哉身の闇の頭巾も通る月見かな秋の月古文臺にむかひしも盃に月を碎くや夜もすから興盡た雪にもこりす月の友月になく鳴呼現在の父戀し三井寺や月の詩つくる踏落し五六升芋煮る坊の月夜哉悼(新句雁風呂五手子何(句旬句旬旬何1カ月新新一六1分全(句(〓(遺(遺這の五五本集稿子子氏拾手紙稿集集集集集集集集集夜稿稿集集編遺草)草紙稿
七刀雞肉雞腿雞櫻に雨を祈りし故事艤-フナヨソヒ賞すべしとの意雨の祈月の光は唐人までも等しくの獨占する所なれどし-櫻の美は我國人-小野小町神泉苑但しこゝは只一大阪府大阪市中央区中国内町C明十三夜の月を-我國にてバカタド後更無花法皇の時に始るといふ後の月が賞することき十三夜ありとなりでは菊の後にもなほ賞す此花過ぎて-元稹の詩句鰯煮る宿に「不是花中偏愛棄、しぐれ-時雨せよ。(「夜臥腥臊汚床-白樂天の縛戎」句は唐人よ日本此花開寬平ベ十三夜-題林集に「後の來月の名所廣澤月-嵯峨の廣澤池、C古發蕪村句全古篇集後の月賢き人をとふ夜哉鰯煮る宿にとまりつ後の月唐人よ此花過てのちの月十月の今宵はしくれ後の月山茶花の木間見せけり後の月三井寺に緞子の夜着や後の月後の月鴫たつあとの水の中我日のもとの風流也けり十三夜の月を賞することは水かれて池のひつみや後の月泊る氣てひとり來ませり十三夜いさよひや鯨來初し熊野うら名月やかしこき物は人はかり名月や夜を逃れ住む盜人等月今宵めくら突當り笑ひけり名月や露にぬれぬは露はかり盜人の首領哥よむけふの月名番屋ある村は更たりけふの月月名月や今朝見た人に行違ひ廣や秋澤月とのゝ艤探露題旬何(何遺名(手遺(遺遺(新何付(手何遺遺遺新新稿.五所集稿稿.五五手子小拾手手子子稿紙稿稿集集集集集稿鏡紙紙遺紙紙稿稿稿)
蕪村全集白露の篠原へ出る檜原哉しら露やさつ男の胸毛ぬるゝほとものゝふの露はらひ行消かな白露や茨の刺にひとつつゝ狩倉の露におもたきうつほ哉八董(丙申之句帖何集さつ男-獵夫。強-ユハズ。(句集茨の刺-袖草紙にはりに〓深く旬集何集狩倉-狩場のこと。うつぽー靱(牛奶茶の落-頭髪の落毛なり冷やかに置ける朝ふと髪けいけらけいんなって그霜かゞP2といひて露と對せとある集に「朝霧や」と誤れりこの句上五題苑しら露の-文章篇參照。市人の物うちかたる露の中朝露やまた霜しらぬ髮の落殿原のいつち急そ草のつゆ山伏をのかれて露の聖かなしら露の身や葛の葉の裏借家白露や家こほちたる萱のうへ鍋釜もゆかしき宿やけさの露何集何集新五子稿題苑集文集道稿遺稿舍利となる-露の玉が舍利に似たるよりのおもひつき篠かけや-篠懸は山伏のけろ麻の特殊的特徵生活力士:、俗傳に富樫が贋山伏止めし時辨慶問答の末「山伏は身に鈴けをつけながら音なきはに」と問ひしこ、辨慶立に「打拂ふ露に聲あり」と中国人民解放天然地下のをうちしにその火が露にうつりしさまなほ按ふに「秋の露」は「萩の露」の誤寫ほろ〓〓山鳥のほろ〓〓となく聲と-行基菩薩きけば父かとぞ思ふ母かと(ぞ思ふ」(玉葉集)人をとる淵-主など住め溺れ死する淵ならんりといひ傳へて、人のよく遺稿に「人をとる灘とせるは難波點多くして航行危險なる灘と趣向をいへしなり市の音-朝の町のいろの物音人聲、霧の中に聞ゆ舍利となる身の朝起や艸の露篠かけや露に聲あるかけはつし旅人の火を打こほす秋の露ほろ〓〓と啼く山鳥や露の珠紅の露折くべる御垣守遺稿(遺稿遺稿〓野圖會(遺草霧人をとる淵はかしこ歟霧の中人をとる灘はかしこか霧の海朝霧や村千軒の市の音朝霧や杭打音丁々たり朝霧や畫に書く夢の人通り新選(遺稿(句集旬集(遺稿發句篇
蕪村全集丁々-丁の音タウ又サウ木などの聲C霧はれて-船より見たる景霧はれて高砂の町まのあたり遺稿秋の風悲しさや-此句一度上五を「江渺々」と改めしむども私ものする一、 と ば に い新雜談集なほ自畫賛に「落日獨坐海風秋浦寂し釣上旬菜餚一級雞腿雞腿とせるもの又大和名所圖會にはむしはますことせり蠹ばまず。金屏の-自筆短册に「銀屏のうすも風」。句は寵衰へたる宮女ののは誰か秋のさま聯想せらる酒肆詩うたふ、漁者、樵者-居酒屋、小唄うたふ漁師、木りと詩ふた頃語にして文人畫漢詩C趣味に化せり驚きやすし-唐黍の葉のすぐざは〓〓鳴るをいへりかなしさや釣の糸吹あきの風秋の風書むしはます成にけり金屏の羅は誰カあきのかせ秋風や干魚かけたる濱庇秋風や酒肆に詩うたふ漁者樵者おもひ出て酢作る僧よ秋の風秋風に散や卒都婆の鉋屑唐黍のおとろきやすし秋の風いざよひの雲吹去りぬ秋の風何集句集(句集旬集旬題遺遺集集、稿草苑稿遺遭稿遺草、遺稿畫賛秋風のふたゝひ倒す障子哉硝やこれも籟秋の風付集拾遺硝や-ビードロや。籟--ふきもの遣草野分八董丙申之句帖何集岡の家の海より明て野分哉鳥羽殿へ五六騎いそく野分哉門前の老婆子薪貪る野分かな禁なる我蕎麥存す野分哉市人のよへ問かはすのはきかな客僧の二階下リ來る野分哉恙なき帆柱寐せる野分かな鳥羽殿りし離宮、山城紀伊郡にあ白河天皇の御造營歷史的趣味の句門前の老婆子ある語Cこゝは只語を碧巖錄にり ·用ひたるのみにて、徳島市の門前にすむ老婆が野分のあとに吹折られし木の枝なとを貪り拾ふとなりよへ問かはす-新々五百題に中七「物うちかたる〓何集旬集何集何集柱寢かす」。帆柱寐せる-遺稿に「帆新五子稿發句篇
八万よるど中「七には八反かけの八丈菊菊田摺-日本新永代藏に漕平次の聯想あれはなり劔澤の地名相模足柄郡にあ堅田-稿に「鎌倉にてし酒落にすぎず稻妻や二打-この句、田摺十反三閃するを二打三打といひ稻妻に-稻妻がして幽りれど鎌倉附近にも別にある五題叢に「稻妻のは竹の露なりき。に物のこぼるゝ音せり一網うつ- cへり、句は電が近江琵琶湖の西岸け」劔の緣語にて二閃發稻妻の伊勢の海は、阿又「菊田摺のと前書ときもとも句この句上てく閃種沖り遺葺くもの二つ凾丈二間をし家の記に妻も子も葺くものは寺のこと作れる句すべき家に〓羽の矢が立つ矢のたつ-人身御供を出に避難せしめしなり。つらへ」さとして-「諭して」か。(この句はもと長嘯子の山山櫻瓦葺くしの先づ二つとあるに基く)「常に住む所は瓦-芭蕉の句にふ傳奇的想像より妻子をまづ寺c C瓦底のなひー底の無い。を見舞ふ野分かな」。棒つひて-棒突いて潦-ニハタヅミ。の句題苑集に「棒突て庄屋村句全篇集山賊のさとしてすくる野分かな妻も子も寺てもの喰ふ野分哉西須磨を通る野分のあした哉關の火をともせは滅る野分かな曉の家根に矢のたつのわき哉棒つひて庄屋との見舞野分哉野分やんて鼠のわたるなかれかな野まつ二ツ瓦ふくもの野分哉鴻の巢の網代にかゝる野分かな底のなひ桶こけ步行野分哉船頭の棹とられたる野分かな分して鼠のわたる潦稻稻妻やはし居うれしき旅舍りいな妻や佐渡なつかしき舟便りいな妻や秋津島根のかゝり舟いな妻や浪もてゆへる秋津しま稻妻にこほるゝ音や竹の露いなつまや堅田泊リの宵の空いな妻の一網うつやいせのうみいな妻や八丈かけてきくた摺妻やかな河浦にて二打三打劍澤妻稻妻打劍澤( (遺遺新手遣(遺道旬旬旬句新旬遭道道遺遺新新(遺新集五五五五拾子子子子紙稿稿稿集集集集、選遺稿稿稿稿稿稿稿稿稿稿稿稿
聳ゆる奇峯の姿寒し。眉毛に-仰ぎ見れば一里かなた、眉に迫つて高く白し昨日や鶴を盗まれし帛を裂く-文章篇參照どによる鶴を飼ひし林和靖の故事な鶴を放ちたる-孤山に二芭蕉の句に〓OL梅松明-マツ。稿に「而延齢麓菊川より得し句の俊基卿東下りなとの聯想し故事(東鑑)行卿こゝに宿りてき西岸而失命」うちひらめを待つて旅せんとの意に「昔南陽まだ濡らさじ-時雨の頃承吉公卿衆泊けり」三浦和地址今東海道菊河宿菊水汲下流-扁平この句中七遺及び太平記とかきつけ香菇雞肉意かれば波にて垣を結へりとの浪もてゆへる-四方海な發蕪村句全篇集初潮や旭の中に伊豆相模初汐に追れてのほる小魚哉初松明消て海すこし見ゆる花野哉秋の野や鳥うたんとてゆく袂野路の秋我後ロより人や來る立去ル事一里眉毛に秋の峰寒し妙義山秋の山、野帛を裂琵琶の流や秋の聲秋の空昨日や霍を放ちたるきく川に公家衆泊けり天の河秋の霜うちひらめなる石のうへ秋雨や我菅簑は未たぬらさし秋雨や水底の草を蹈わたる秋の空天秋の雨、霜の汐秋の聲川花野(題遺全岩(句)文か)遺名題何道遺遺旬本苑氏所苑檜小集集稿集編集集集葉稿草鏡稿稿集
蕪村全集落し水秋の水四三十七Contentsの歌とて「ことわりや日本ならば照りもせめさとては又あめが下とは」明る家業に七國の在歌に一個、大小孩い天にす云々」の歌あり)と予約開傳ふ路にひきかけしなり果の旬中七手紙には人のおやㄴ田毎の闇ー今は月を宿すべりき田の水なくなりたればなこの句上五句集に「さつきに新花摘には「さみ上海通用汽车有限公司水を落す頃なれば稻ももはや風害な村人も安らたな橋-釣棚の如く架けかに眠れるならんCたる橋梶の葉-七夕に梶の葉に詠集の七夕の部にその梶葉和歌を書きて星を祭る朗雨乞の小町か果やをとし水落し水田毎の闇となりにけり村〓〓の寢こゝろ更ぬ落し水足あとのなき田わひしやおとし水落し水柳に遠くなりにけりたなはしはゆかみなりなりおとし水田におちて田を落行や秋の水(其)袖津旬雪草守影舟、紙集遺稿遺稿(遺(遺草稿七タ七タを楽として挿めるなり。「しほり」は「しをり戀さま〓〓の糸を星に供へて巧を乞ふ七夕に五絲その五色の糸ももと白きが色々に染まりしにて戀も純なる少女の心よりさま〓〓になるといひかけしなり七夕は二星相逢ふ夜なれば手向くる歌も戀歌多く、長恨歌にも玄宗楊貴妃とこの夜比翼連理を契りしことあり白き糸は墨子が練糸を見て悲しみし故事魂棚を敷に魂棚をしつらへありし間は亡き人在す如き心地せしがそれを解いてしまへば常の座敷に歸りたりとなりしき餘情あり淋初裏の月-連俳にて初折王孫の裏に出る月の句貴族の子弟の稱。楚辭に「王孫遊兮不歸、春草牛兮萋々」徹書記東福寺の書記正徹應安頃の人にて歌に名あり「中々に見ぬ唐の鳥も來じ桐の葉落せ秋の夜の月」の歌聖代た誹謗せるなりとの咎を受けて流謫せ發句篇梶の葉を朗詠集のしほり哉戀さま〓〓願の絲も白きより何集何集魂祭あちきなや蚊屋の裙蹈魂祭魂棚をほとけはもとの座敷哉太祇か一周忌に魂かへれ初裏の月のあるしなら魂祭王孫いまた歸り來す徹書記のゆかりの宿や魂祭送り火や今宵定むる嫁もある句集旬集題苑集遺稿) (遺岩(全稿集編-本氏發
蕪村全らる、翌年魂祭に際し「中中になき魂ならば故〓に歸らんものを今日のこよひLとよみしに、その歌叡聞に達して召しかへされたりといふ。高灯籠-題葉集に「あまたゝひ消なんとする高灯籠」。全集燈籠(句都枝折)集高燈籠消なんとするあまたゝひ秋夜閑窓のもとに指を屈して世になき友を算ふとうろうを三たひかゝけぬ露なからしたり尾の切籠掛たり宵の秋穢多むらに消殘りたる切籠哉高燈籠總檢校の舟の宿友のため露にぬれし灯籠の三度かゝげぬ-三人の亡灯を三度かゝげしとなり。付集題苑集集題苑遣稿大文字十六日の夕加茂河の邊りにあそふ大文字やあふみの空もたゝならね相阿彌の宵寢起すや大文字銀閣に浪花の人や大文字近江の空も-京の空はい相阿彌-畫家。又香道に通じ書畫等の鑑定に長す足利義政に仕へ銀閣寺の林泉はその創意に出づ大文字山は銀閣寺の背後にあたれりこの句上五題林集に「相阿彌、」ひたと大の-續明鳥に中七「鳴町過て」細腰の-題苑集に下五ㄱおとりけり」夜明頃になれの人數も僅か四五月も西山に落ち曉の月下にをどり上海交通大学れ 1個1 400淡く照し「わび新人水いんぱんとを原」誘ふ水あらばの風情あ(電話本局二四)お土屋頂木-錦木立てる家の娘意ある村の若者等がく門のあたりにて特に踊り句集何集遺稿踊ひたと犬の啼町越へて躍かな細腰の法師すゝろに踊かな英一蝶か畫に賛望れて四五人に月落かゝるおとり哉萍のさそひ合せておとり哉錦木の門をめくりてをとり哉付集(五車反古付集付集遺稿發句篇
と思ふます。そのからことかなに題林集に「夜寒哉」とあるはは特に惡句を示すに恥あり恥との意を寓すも親しきかりし」負くまじきーり句を乞れて」〓今日の相撲は負けるの意。門人几董に對して題林集にㄴ遺稿に中七「坐時間はそうな力士が妻との寢物この句下五御飲食物げられぬやう春夜は凡董その日の相撲「負くまじ「春夜と凡失らのにの法か上五「攝待や」。攝待にきせる-題林集にとせるものありと「みや の盆は夜こと猫は應擧か-自畫賛におとりかな夜半から猫も杓子もる百うことし百鬼の夜行するこゝちせうたひのゝしるなと、ひけつくりた蕪村自讃」あふさきるさ薰袖きたるおにか2お發蕪村句全篇集組あふて物打かたる地とりかな夕露や伏見の角力ちり〓〓に飛入の力者あやしき角力かな日ころ中よくて恥あるすまひ哉古郷の座頭に逢ぬすまふ取負ましき角力を寐物かたり哉春夜に句をとはれて二三軒つと入しゆく旅の人つと入や納戶の暖簾ゆかしさよつと入やしる人に逢ふ拍子ぬけ攝待へよらて過行狂女哉攝待や菩提樹陰の片ひさし攝待にきせるわすれて西へ行爺も婆も猫も杓子もをとり哉あけかゝる躍も秋のあはれ哉看病は村か醉畫なり猫は應擧かたはむれ也、杓子の耳に更行躍かな角衝攝突力入待) (新續日新何何旬(遺(遺何遭道旬遺遺(日本名畫鑑)五明發句集選烏稿子遺稿集集集稿稿集稿稿集草稿
蕪村全集誤寫か組あふて-組みあうて。地どり-稽古相撲。あたまうつ家に歸るや角力取よき角力出て來ぬ老の恨哉夜角力の草にすたくや裸蟲訪ひよりし角力うれしき端居哉角力取つけの小櫛をかりの宿ふたつ三つよき名望まるすまひ取ちかつきの角力に逢ぬ繡師題苑集遺稿草にすだくや-村相撲に毎夜力自慢の若者共か裸にて草原に集るを裸蟲が集くといひしなり。かりの宿-借と假とかくしカ士が遊女の許などに宿り體繡師-力士の化粧廻しに繡せるよりの近づきなるベしこの句下五遺稿に「鏽師」と誤寫せり遺稿遺稿遺草(遺稿遺草)道稿(遺草)花火花火に遠き-題林集に「花火に遠し」。淀の御茶屋-淀城內なる淀君の茶亭、川に臨みて矚目佳なり物焚て花火に遠きかゝり舟花火せよ淀の御茶屋の夕月夜花火見えて湊かましき家百戶句續何明烏集集遺稿案山子お客様や高齢者の方向き-案山子の顏や胴足にせる竹棒などとなる場合には、御所柿に武士が御所を守るに比せし滑稽この武者繪、文化頃の俳書に摸刻せるものあり姓名は書簡篇參照三輪の田-¥1,200明治37年な我脚にかうへぬかるゝかゝし哉武者繪賛御所柹にたのまれ貌のかゝし哉姓名は何子か號は案山子哉三輪の田に頭巾着て居るかゝしかな雲裡房つくしへ旅たつとて我に同行をすゝめけるに、えゆかさりけれは秋かせのうこかして行案山子哉水落て細脛高きかゝし哉〓歌仙旬集何集何集秋風の-秋風を雲裡に、自身を案山子に比す細脛-題苑集に「細腰」と誤れり。何集句集發句篇
HANGERあな苦し-水盡きて引板引板-ヒタ。しげなりとの主觀。つとふ-つた(傳)がよく廻らぬ故歡迎光臨繩七七四年十一月新五子稿に「誰を呼ぶ」にせっくりその音苦孤獨の境にして」ふ「我身「か義れ要木として立てりのみは昔に變らず今も明治三十七年四月二日印刷/ 200築を構へて落鮎を漁するをしゆく秋の-句は下り築をかまへし主があまり熱心に見にも來ずとり築」「主訪來す」。主も訪來す-新五子稿になりいふら川〓〓〓---りりは秋春の上り築に對す。行秋や處〓〓に下所名集に「な→折盡す-岩本氏編全集に刈盡す」。發蕪句村全篇集もの云はて繕ふていぬ崩れ簗獺の月に啼音やくつれやなしか〓〓と主も訪來すくたり簗ゆく秋の所〓〓やくたり簗下り築あなくるし水つきんとす引板の音山陰や誰呼子鳥引板の秋されや我身ひとつの鳴子引ちかつきの鳴子ならして通りけり家ありや煙のつとふ鳴子繩音鳴子笠とれて面目もなき案山子哉折盡す秋にイむ案山子哉花鳥の彩色のこす案山子哉稻かれは化をあらはすかゝし哉人に似よと老の作れるかゝし哉木曾とのゝ田に依然たるかゝしかな畠ぬし案山子に逢て戾けり畠主のかゝし見舞て戾りけり錦する野にこと〓〓とかゝし哉錦する秋の野末のかゝしかな引板崩れ築(遺遺遭原味新集.五新(句(遺題題遣(遺(遺遺新新遺(新遺新五苑苑五五五五遺子子子子子子草稿草草稿稿集草)集集稿稿稿稿稿稿稿稿稿稿
蕪村全〓毛見稻刈衆-毛見は田地のの高を定むる爲稻作川は和歌に稻舟の聯想又庄内平野の米を運一級大阪不十分なるものをいふ穀類の實入稻かりて」。見の衆の舟さし下せ最上川秕多き稻をとく刈翁哉稻かれは小草に秋の日のあたるしたゝかに稻になひゆく法師哉伏見やき刈稻の神に仕ふや土の恩(句集(連句會草稿)遺稿、遺草集遺稿、遭稿)道草)新米新酒坂田-羽後の酒田港、内米を積出す商港庄新米の坂田は早しもかみ河新米に假居の君のもとりかな(句集(新五子稿新)題(新五子苑五子稿集)稿大高-食物を盛る高坏、腰高ともいふ句はこれに新米に-題苑集に新米を盛りてすゝむる意「新米い6鬼貫や-伊丹は酒造地なもしてくれて人民代として、じ居るならんとなり句岩本氏編全集に「山紫と千種の濱に遊びて」と前書升飮-一升桝の角に口をつけて一息に飮みほすをい昔新酒の出來し頃は桝歡迎光臨一覽證據書きのた。ㄱ太祗の句にも飮まば價はとらじ今年酒ㄴうき人-戀につれなき人おちこち-をちこち。近の意なれと「なちこ違ㄴといふに自ら砧の音の響ありうき我に-淋しき我にや憂鬱の皆に慰むたらない思更に淋しさまさりぬひしに砧の音を聞きては今は大高に君しろしめせことし米新米にまた草の實の匂ひ哉熊野路や三日の粮のことし米鬼貫や新酒の中の貧に處す升飮の價は取らぬ新酒哉(新五子稿(句集(遺稿)砧迷子を呼へは打止む礁哉うき人に手をうたれたる砧かなおちこちおちこちとうつ砧かな憂我にきぬたうて今は又止ミ子我則あるしゝて會催し日發句集新選(新新續(選)烏集明虛栗發句篇
蕪村全集又砧の音も止みねかしとぞ思ふ我則あるしゝて-あるじ(主) -京都の人.蕪村門。上海交通大学教育学院附属人健康大學 2012年7月19日(この句題林集に「石を打狐きく夜の砧かな」。俳諧品彙砧哉」ㄱ石をうちて狐守る夜の異夫-コトヅマ。我夜しらるゝ-新五子稿に「我家しらるゝ」とあるは誤寫かけるに小路行はちかく聞ゆるきぬた哉石を打狐守夜のきぬた哉異夫の衣擣らん小家かち聲深き庄司かもとのきぬたかな旅人に我夜しらるゝきぬた哉比叡にかよふ麓の家の砧かなこの二日きぬた聞えぬ隣哉貴人の岡に立ち聞く砧哉枕にと砧よせたるたはれかななつかしき忍の里のきぬた哉霧ふかき廣野に千々の砧哉何集集旬新五子稿新五子稿遺草)題苑集遭稿貴人-アデビト、キヒト。又はヨ(遺稿手紙(遺稿夫摺の產地忍の里-奥州信夫郡、和歌に名高き信地なれば砧の音も特になつかしく思はるゝなり道稿(遺稿わたつみや-題林集に「綿取や」追返し題苑集に「追まはし」、題叢に「追戻しL德本甲斐德本長田氏藥籠を負ひてお前の下さい同上の一番〓まつ157綿取藥堀几董丙申(句帖句(新五子之集稿わたつみやたはこの花を見て休ムわたとりや犬を家路に追かへし德本の門も過たり藥ほり藥堀けふは蛇骨を得たりけり(遺稿道稿人事雜さて明日よりは-仲秋名月の夜の近づくを待つ情あ堂地藏會-七月廿四日地藏石地藏などを祭る京都にては此の日六地藏詣を祭り客は地藏祭をする在所などへ參りに行く客駒迎-八月十六日駒牽と人なり八朔や扨明日よりは二日月地藏會やちか道をゆく祭り客駒迎ことにゆゝしや額白角文字のいさ月もよし牛祭句集遭稿何集選)新發句篇
蕪村全集て宮中にて諸國より貢進せる馬を御覽ぜらるゝ式ありその前日左右馬寮の官人がこれらの馬を逢坂山まで受取のため出迎ふるを駒迎といふこの世にはしく」と牛肉炒飯米粉いふをふたつぐなもじゆおやん.ていただけ加藤純美としよんか事見ゆ牛祭の緣に、おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお夜たに奇太りは牛奶執明け征エは、日の祭秦Financialりれば牛祭を見に行かんとな紀伊郡下鳥微辣の焼肉神この日土俗餅を搗きて客に强ひ食はしむる習ありたり小田原一代化に中七ほ〓ーか讀 及(文に」。俳諧十二律(文化十)にも中七「角落ころに」。はゝその木末-鹿なきて物悲しき秋母を亡へる人などに寄せし句ならんか腹あしき僧も餅くへ城南神狩衣の袖より捨る扇かな秋の蚊屋主しはかりに成りにけり題林集遺稿題苑集鹿窓の灯を山へな見せそ鹿の聲小男鹿や角遠近にひとつつゝ雨中の鹿といふ題を得て雨の鹿戀に朽ぬに角はかり鹿寒し角も身に添ふ枯木哉鹿啼てはゝその木末あれにけり菜畠の霜夜は早し鹿の聲新蓮俳選衣集華諧翁會旬集旬集何集句集三度啼て-手紙に下五「雨の鹿」。殘照亭-洛北一乘寺村金福寺の住僧松宗和尙の亭山影門に百聯抄解にㄱ山影入門推不出、月光鋪地掃還生」三度啼て聞へすなりぬ鹿の聲殘照亭晩望鹿なから山影門に入日哉ある山寺へ鹿聞にまかりけるに茶を汲沙彌の夜すからねふらて有けれは晋子か狂句をおもひ出て鹿の聲小坊主に角なかりけり折あしく門こそ叩け鹿の聲秋の佛と云題に鹿の寄下駄のあまりの佛かな櫻さへ紅葉しにけり鹿の聲句集何集晋子か狂句-其角の句、그菜の花の小坊主に角なか·すのらー句は夜も小麦粉面鹿角無しと興でしたてし、も何集何集)鹿の寄る-徒然草にのはける足駄にて作れる笛「女には秋の鹿必ず寄るとぞ言ひ傳へ侍る」とあり。題苑集遺稿發句篇
渡しめん·6)歌ある目的の場所にすることら立」。瀨にするとはそこをせむ時鳥山田が原の杉のむこゝを瀨にせむ-西行の「聞かずともこゝを瀨に寺林を休み場所にせ美國落欵の印と見立てし文字と見、初雁に-急ぎ雁の聲を聞の「與謝蕪村」に見えたり。作れるなりと、かんとて家を出しなり端大野洒竹氏武器が発売「心地也けり」。心地こそすれ-手紙に戀ひわたる-この句前句の別案と思はる。明るのです。僧都が軒べしびて世を遁れ住む高僧なるの誤「ゆうべ」は「山中に庵を結鶴川公司ゆふべ」發蕪村句全篇集鹿笛を僞り鳴らす山屋形山守の月夜野守の霜夜鹿の聲鹿たち聞の心地こそすれ鹿の聲猪啼戀わたる鹿や伏猪の枕もとのといへるにや狸寐いりや鹿の 戀宵の雨曉の 月わたり鳥雲の機手のにしき哉わたり鳥こゝをせにせん寺林小鳥來る音うれしさよ板ひさし雁啼や舟に魚燒く琵琶湖上はつかりに羽織の紐をわすれけり一行の雁や端山に月を印す紀路にも下リす夜を行雁孤ツ探題雁字小男鹿や僧都か軒も細柱卯の花のゆうへにも似よ鹿の聲戀風はとこを吹たそ鹿の聲けものを三つ集て發句せよ渡り雁鳥何何何新新(句五手道遣道題遺遺(遺遺五五車苑子子反集集集稿)稿集古紙稿稿稿集稿稿稿稿
此外,用不可能性シキ發造營のため伐句無限公司法治療酸化の健康を加えるから材料とすべき鯉も盡きたればの句はその故事により今はいざ鱸をその代りにせ機動 公式 公式 (電視)は每條特價$1000元/份「巨口こ鳥せきれいの-文章篇參照鶉-このらつゝき等と訓む啄木鳥-てらつゝき、こゝは鶉なるべし鶉」いづれにも用ひたり字古俳書に(け「椋ウ木の立枝に刺し貫きおける草莖-百舌がその食とすものをいふべき小鳥蛙などを捕り、草그溪し住僧、と鴨いづれかゞ誤寫なるべ鍬そくくののねね哉」鴫遠く-き秋天ひきゝ-題林集にたつ摘參照竹溪-丹後宮津見性寺の秋天たかき」。眠る鴫は蕪村鴫くこの寺に寄寓せり、蕪村は寶曆の初年暫-た遺稿にひきゝは低つ鳴は竹「鴨遠く新花鴫蕪句村全篇集鮎落て宮木とゝまる麓哉鮎落ていよ〓〓高き尾上かな鱸得てうしろめたさよ浪の月釣百日上し鱸の鯉切盡の巨て口玉や吐鱸かなせきれいの尾や橋立をあと荷物手斧打音も木深し啄木鳥小百姓鵜を取老となりにけり〓山雀や榧の老木に寢にもとる鵯のこほし去ぬる實のあかき草莖を失ふ百舌鳥の高音かな此森もとかく過けり鵙おとし鴫遠く鍬すゝく水のうねりかな鴫立て秋天ひきゝなかめ哉たつ鴫に眠る鴫ありふた法師竹溪法師丹後へ下る に落鮎鳥鴫鱸鯊 江鮭類鵙雜遺文遺何(句(日題(句何遺(新何新(句句畫苑五五子子稿集稿集集賛集集集稿稿集稿集集
蕪村全集鮎おちて焚火ゆかしき宇治の里沙魚釣の小舟漕なる窓の前瀨田降て志賀の夕日や江鮭薩埵宮にのほりて月に漕く吳人はしらし江鮭遺稿小舟漕なる-題林集に「小舟漕よる」。「志賀の夕や」。志賀の夕日や-題林集に江鮭-アメノウヲ。薩埵宮-にて琵琶湖上月といふ題を手紙に「幻住庵得て」と前書あればこの薩埵宮は幻住庵の傍なる八幡宮をいへるなり月に漕ぐ-「秋風の吳人はしらじ鰒汁」と類想(句集(句集常盤の香蟲朝寐哉-題林集に哉〓「晝寐蟲賣のかことかましき朝寐哉むし啼や河內通ひの小てうちん(句集何集蓑蟲みのむしや-題叢に「みの蟲の」。みのむしや秋ひたるしと鳴なめり何集笠置の寺-蓑に對する綠よりの思ひつき蓑蟲や笠置の寺の麁朶の中遭稿蜻蛉日は斜關屋の鎗にとんほかな染あへぬ尾のゆかしさよ赤とんほとんほうや村なつかしき壁の色とんほうやいつまてたゝぬ玉かしは旬新(遺(新集稿.稿稿五子染めあへぬ-赤とんぼの尾端まで赤からざるをいへり五子玉かしは-玉は美稱、かカタジハしはは堅磐の約にて堅き石のこと遺草蝉秋の蚊本日開いている卓文君なんから事C蝉や相如か絃の切るゝ時秋の蚊の人を尋るこゝろ哉道稿遺稿發句篇
蕪村全集河鹿かしか啼袖なつかしき火打石加茂川のかしかは知らす都人遺稿遺草遺稿柳散る銀杏神無月-この前書、句集は「遊行柳のもとにてㄴ古選には「神無月の始道のへの柳かけにて」頃ほい(Buss)遊行柳-下野芦野の里に執行-條件は謠曲遊行柳の傳說によりて名高し0西行かこの柳のも立寄り「道のべに〓水流るゝ柳かげしばしとてこそ立ちとまりつれ」と詠じたり。古木の影-古木の蔭。柳ちり-柳は遊行柳、〓神無月はしめの頃ほい下野の國に執行して、遊行柳とかいへる古木の影に目前の景色を申出はへる柳ちり〓水かれ石ところ〓〓稚子の寺なつかしむいてう哉反古炙付集水は西行の歌によまれし道のべの〓水句は後赤壁賦「水落石出」の語に胚胎する(電話本局二四〇九)美味佳美味古選、名所方角集名膾彙題所集鏡句集烟集新五子稿く入口出不是調整子供氣に寺おもひ出るいてうかないてう踏てしつかに兒の下山かなおもしろや葉に柄をすけてちるいてう裂けた歟と見る葉も交るいてう哉遺草苑稿草)集(遺草、題遺遺草紅葉ワイ米立圃-松永貞德の門人野々口氏、延寶九年九月三十日歿年七十五或女の應擧に猿の畫をかゝせて讃望けるに、立圃か口質に傚ふとて初もみちお染といはゝたつた山川かけの一株つゝに紅葉哉紅葉して寺あるさまの梢かな(新雜談集西海春秋(連句會草稿)發句篇
蕪村全集西行の-高雄の文覺かねて西行が遁世の身ながら風雅を捨てざるを憎み居たりある時高雄の法花會に西行參りあひしかSAMEか抄に見ゆひつぢ田せし夜具なるべし-稻を刈取りしあとに櫓の生ひし田こかるゝ-焦るゝ藤澤寺-相模國藤澤の遊行寺それも散り行く-花も散りもみちせし葉もまた散り出家して-遺稿に行く「出家して親王ます里の若葉かな」。しきか俄に判じ難けれど親若葉、紅葉いづれが正は親王の誤脫なるべし橫ひらた-遺稿に「橫ひらき山や扨は家ある柿わか葉」茂山や-新五子稿に「茂c그紅葉見や傘二本。時雨るゝや用意かしこ句集拾遺きに高雄西行の夜具も出て有紅葉哉ひつち田に紅葉ちりかゝる夕日かな谷水の盡てこかるゝもみち哉よらて過る藤澤寺のもみち哉むら紅葉會津商人なつかしき紅葉してそれも散行櫻かな打かへし見れは紅葉す蔦の裏出家して親在す里のもみち哉折えたる紅葉扨しも橫ひらた茂山やさては家有柿もみち紅葉見や用意かしこき傘二本(句集何集旬集(句集) (句集(新五子稿新五子稿新五子稿新五子稿題題林苑集集、稿このもよりかのも色よき紅葉哉山くれて紅葉の朱をうはひけり紅葉見の岩に水取消哉黃にそみし梢を山のたゝすまゐ枯枝に麗龍見たり蔦紅葉小原女の足の早さよ夕もみぢ花紅葉終にしほ木の夕煙(遺稿朱を奪ひ-論語陽貨篇に「惡紫之奪朱也」。夕闇が紅葉の色を隱すをいへり(遺稿)遺稿ひ、たゝすまゐ山の姿、恰好たゝずま麗龍-蔦紅葉の枯枝に蛇の如くまとへるをいへり。遣稿何(岩全(遺集本拾氏遺)集編草菊〓見寺-る臨濟宗の寺駿河國興津にあその名白菊の〓きに緣あり。白菊の一もと寒し〓見寺白菊や庭に餘りて畠まて日てりとし伏水の小菊もらひけり(丙申之句帖ル董新選日てりとし-早年。伏水-伏見。發旬集句篇
蕪村全集山家の菊見にまかりけるにあるしの翁紙硯をとうてゝほ句もとめけれはきくの露受て硯のいのち哉いてさらは投壺まいらせん菊の花菊に古笠を覆たる畫に白菊や吳山の雪を笠の下手燭して色失へる黃菊哉村百戶菊なき門も見へぬ哉あさましき桃の落葉よ菊畠菊作り汝は菊の奴かなしらきくやかゝるめて度色はなくてとうてゝ-取う出て。ずのに ほんとの剰へ長壽延年の緣ある菊の露を承けては益〓長壽なるべしと暗に主翁の壽を賀せり。投壺-支那周時代の遊〓にて壺を臺の上にのせ置き二人對立してその壺中に矢を投込みて勝負を決す吳山の雪-詩人玉屑に出づる閩僧可士送僧詩の句に「笠重吳山雪、鞋香楚地花Lo雪とも見るべき白菊が却て笠の下になれりとの酒落いでさらば手燭してこの二句題叢に句主を天府と誤れり(句集(句集旬集(句集(句集句集)旬集新五子稿(新五子稿西の京に宿もとめけり菊の時ほき〓〓と二もと手折黃菊哉長櫃にうつ〓〓たる菊の香哉二本つゝ菊まいらする佛達けふ匂ふ觀世の辻子や菊の花長櫃に-橘爲仲、北京市公安局海淀分局僕たの價一歸路あるて歸れりといふ故事の無名抄)によるうつ1は鬱々にて菊の香の十分に籠れる形容菊まいらする-新五子稿觀世の辻子-に「菊まゐらせん」京四座の内觀世太夫の住む邊の町辻子はヅシが正し(遺稿(遺稿遺草、遺稿(遺草)木槿芙蓉朝貌にうすきゆかりの木槿哉修理寮の雨にくれゆく木槿哉桐の葉はおち盡すなるを木芙蓉官女日を帶て芙蓉かたふく恨哉何集)遺稿木芙蓉-普通の芙蓉と蓮た水芙蓉草美容のこ句は桐の葉は凋落するに、ふに對す。芙蓉は花盛りとなりの風雨を對照せしめしなり遭稿日遭草發句篇
蕪村全集萩高臺寺-京都圓山にあり慶長年間秀吉夫人北政所の本願によりて創建す萩の名所薄見つ-薄を見たれば多分萩もこの邊に咲けるべしとなり春分ちとる-人の庭に白萩を見てその美しき愛でしあまり來春その根を分ち取らんことを主人と約するなり萩咲て-遺稿に「萩にくれてル名玉所田橫野-仙臺附近の宮城野の萩見に日くれて歸る人々の或は玉田或は權野と別れ行くなり下枝(し開始大夫づえ)と書きを誤れり繪莚織る家の庭に萩の花さけるさま一說萩の花の風に吹かれて起伏するさま繪莚をおるに似たりとの意黃昏や萩に鼬の高臺寺薄見つ萩やなからん此邊り小狐の何にむせけむ小萩はら白萩を春わかちとるちきり哉萩咲て玉田橫野へわかれ行うき旅や萩の枝末の雨をふむ岡の家に畫むしろ織るや萩の花萩の月うすきはものゝあわれなる(新選(このほとり)付集句集稿篇稿(新題(遺叢五後子遭稿(手紙女郞花桔梗日新(句發句集、選集一把に折ぬ-遺稿に把になりぬL二とかくして一把に折ぬおみなへし女郞花そも莖なから花なから里人はさともおもはしをみなへし猪の露折かけてをみなへしきちかうも見ゆる花屋か持佛堂修行者の徑にめつる桔梗哉サさとも-然とも。里人は女郞花を格別珍重もせざる〓べしとの意。그里人」とさとも」と頭韻をなせり。何集旬集何集遺稿蘭朝顏の夕。」特別物語ーションキヤラ(伽羅)。フェニ菊よりも蘭の幽韻更に深きをいへり夜の蘭香にかくれてや花白し蘭夕狐のくれし奇楠を炷む蘭の香や菊より暗きほとりよりこの蘭や五助か庭に昨日まで'付旬集集遭稿遭稿發句篇
蕪村全集澗水湛如監--巖巖錄八十二則に「山花開似錦」の句に對して出づ手拭のはしの-人工の染色の朝顏の天然の花色に及ばざる嘆この句中七題林集に「手拭のさきの〓澗水湛如藍朝かほや一輪深き淵のいろ朝貌や手拭のはしの藍をかこつ何集何集鷄頭野菊にしき木は吹たふされて鷄頭花鷄頭の根に睦ましき箒哉鷄頭の花のはちするいつまてもなつかしきしをにかもとの野菊哉子狐のかくれ貌なる野菊哉旬集題苑集はちする--耻する。「壽則多辱」の意。しをに-紫苑。旬集拾遺(句新)題集稿稿五子苑荻薄二見形文臺の讃此器は祖翁の好みにして殊に筆かへしこそ千々の心はこめられけめ濱荻によせては浪の筆かへし荻の風いとさう〓〓敷男哉追薦荻芒穗に顯はるゝ後光哉山は暮て野は黃昏の薄哉永西法師はさうなきすきもの也し、世を去りてふたとせに成けれは祖翁-芭蕉翁C筆かへし-文臺の端に附したる緣木のこと濱荻-伊勢の濱荻は二見の緣さう〓〓しき-徒然草に「色好まざらむ男はいう〓〓しくㄴ艷氣なき荻の風を木石漢のさう〓〓しきに比す(新五子稿遺稿追澤句村善生集渥)集誹諧品彙に上山口 にして、五永西法師|傳不詳。ほの薄ますをの薄の傳を流なる人となりに比して、知らんとせし登蓮法師の風薄をよみしなり發句篇
蕪村全集ますほの薄は薄の穗先の長ますほの薄-增すにかくきにつきてふとの說あれども實は眞赭(まそほ)の轉なりc辨慶賛-題葉集に「辨慶武者畫」、自畫賛に「梅翁か風格にならひて」なほ文章篇參照線香や-太紙追悼の句。文章篇參照秋ふたつうきをますほの薄哉茨老すゝき痩萩おほつかな垣ね潜る薄ひともと眞蘇枋なる辨慶賛花すゝきひと夜はなひけ武藏坊線香やますほのすゝき二三本花薄刈のこすことはあらなくに地下りにくれゆく野邊の薄哉追風に薄かりとる翁かな油斷して嵐にあふな花すゝき旬集旬集旬集何集文集遭稿遺稿遺稿旬集拾遺葛曼珠沙華葛の棚葉しけく軒端を覆ひけれは晝さへいとくらきに葛の葉のうらみ貌なる細雨哉天狗風のこらす葛のうら葉哉曼珠沙花蘭にたくひて狐啼うらみ顔-裏と恨とかく細雨コサメ天狗風-つむじ風。蘭にたぐひて國民大家教育局院が蘭と相並びて咲三徑-前漢の蔣認、に三徑を開く東京都港区西区西下町陶潜の歸去來辭にも「三徑就荒」とあり野を鹽車曳き行く景甲斐がねや-富士山麓の鹽車信玄に鹽を送りし故事の聯といふに越後の謙信かつて想あり。歌に何の花そも-古今集旋頭〓うちわたすをちかた人に物申すわれそのそこに眞壺に藏す-手紙に白く咲けるは何の花ぞも眞壺にたしむ」。(句集遺稿(遺稿蓼の花、穗 芦の花三徑の十步に盡て蓼の花甲斐かねや穗蓼の上を鹽車下露の小萩かもとや蓼の花黃に咲は何の花そも蓼の中蓼の穂を眞壺に藏す法師哉(句集何集遺稿遺稿遺稿發句篇
蕪村全集鹽淡くほたてを嗜む法師哉たての穗に乾けるしほをたしむかな芦の花漁翁か宿のけふり飛ふ手紙手紙漁翁が宿の烟-柳宗元の詩「漁翁夜傍西岸宿、曉汲〓湘燃楚竹、煙消日出不児人欵乃一聲山水綠」の趣に近し(遺稿蕎麥落る日-五車反古に日の潜りてㄴ按ふに「落그くゝりて」は潜るにあらずして纐纈染の意にあらざる落る日のくゝりて染る蕎麥の莖宮城野ゝ萩更科の蕎麥にいつれ故郷や酒はあしくとそはの花道のへや手よりこほれて蕎麥花題白川黑谷の隣はしろしそはのはなひとり大原野ゝほとり吟行旬集(句集旬集旬集)「紫野丹波近」といいてて黑谷の-ある人一のに對句を求めしに對7日河黑谷隣 とつ 言言こと一休咄に見ゆ旬集大原野-山城乙訓郡。ほとり吟行し-遺草に···ほとりを吟行しLしけるに、田疇荒蕪して千くさの下葉霜をしのき、つれなき秋の日影をたのみてはつかに花の咲出たるなと、ことにあはれ深し水かれ〓〓蓼歟あらぬ歟蕎麥歟否歟秋はものゝそはの不作もなつかしき一つ家のかしこ貌なり蕎麥の花根に歸る花や吉野の蕎麥畠柿の葉の遠くちりきぬ蕎麥畠蕎麥刈てゐるや我ゆく道のはたはつかに-纔に。水かれ〓〓-下五題叢後篇に「そはの花」。秋はものゝ-秋はすべ物の哀れ深き折なればかそてばの不作なるもまたなつしとなり鬼貫の句に「秋はものゝ月夜鳥はいつもなくㄴ根に歸る花-諺に「花は根に歸る」。そばの花の白く咲きつゞけるを根に歸れる櫻の花と見立てしなり(句集(句集(題苑集道稿、遺草遺稿、遺草道稿遺草發句篇
蕪村全集芭蕉敗荷物書くに-言水の句に「神樂歌書かん芭蕉の廣葉りなん物書に葉うらにめつる芭蕉哉されはこそ賢者は富ます敗荷旬集道稿栗椎柿備ふ-供ふ台宗の高僧源信產品生態通信C良源に師作になれる佛像多し幻住庵に手紙に「粟津製作業本「まづ賴む椎の木」(土)日出ありて芭蕉幻住庵にあり夏木立」の吟ありは丸盆に盛りて出されし椎の實に懷古の情をよせしな橫河-ヨカハ。り旬集栗備ふ惠心の作の彌陀佛幻住菴に曉臺か旅寢せしを訪ひて丸盆の椎にむかしの音聞む椎拾ふ横河の兒のいとま哉澁柿ややかて帋子の歸り花句集(句集新五子稿澁を引くゆゑ、やがて紙子の-紙衣にはその紙衣り冬になりて用ひらるべ澁柿の歸り花と與せしなり。春-うすづく澁をとる爲めなり。春や老木の柿を五六升道稿)掛稻落穗斗文父の八十の賀をことふくに申贈る裕かけて-斗文がその老父をよくいたはるとの意を寓す。稻かけて風もひかさし老の松かけ稻のそらとけしたり草の露かけ稻にねつみ啼なる門田かな落穗拾ひ日あたる方へあゆみ行油買て戾る家路のおちほかな中々に落穗拾はすや尉と姥(句新(遺題集稿稿集五子ねつみ-ねずみ(鼠)。ねすみ啼くなる-遺稿に「鼠のすたく」。苑何集題苑集尉と姥よ、中々に-松葉かく高砂のいつそ落穗でも拾つたらどうかといふ滑稽遺稿發句篇
蕪村全集梅嫌句忘旬れ花集集せじといふと、心こぽさじ-親切を無に實をこぼさこの句中七題林集に「心ほとよし」うたゝ來なくや--がを落さんかとて厭ふない鳥居させじと-徒然草に「後德大寺のに鳶居させじとて繩をはらおとゞの寢殿L柿崎-越後の地名、親鸞上人の遺跡。折くるゝ心こほさし梅もとき梅もとき折や念珠をかけなから鵯のうたゝ來啼や梅もとき梅もとき鳥ゐさせしと端居哉柿崎の小寺尊し梅もとき遺稿)遺稿親鸞道稿唐黍 煙草むかご古寺に唐黍を焚く暮日哉〓て下葉ゆかしきたはこ哉うれしさの箕にあまりたるむかこ哉道稿句集箕に-身にいひかく。「嬉り」などの古歌による。しさの昔は身にもあまりけ句集瓢鬼灯腹の中へ-瓢の種か齒にたとへしなり四十に-徒然草にとも四十に足らぬほどにて「長く死なむこそ目やすかるべけれ」。あだ花-結實せぬ花。は種瓢のいつまでいた。 同〓〓と垂れ下れるを、命長電話が多くのを雪信は〓原氏の女にな寫女し鬼灯は順禮の目鼻書行ふくへかな腹の中へ齒はぬけけらし種ふくへ四十にみたすして死んこそめやすけれあた花にかゝる恥なし種ふくへ人の世に尻を居へたるふくへ哉葉に蔓にいとはれ貌や種ふくへ鬼灯や〓原の女か生寫し(松島道の記)付集何集何集遺稿旬集蕃椒小角豆發句篇
蕪村全集俵して-唐の元載賄を貪ること多く胡椒八百斛に至れりといふ故事などの聯想もありにしき木を-題林集に「にしき木も」。餉に-業平が東下りのをり三河國八橋にて和歌をよみしに皆人落淚して餉ほとびたりといふ伊勢物語の故事を下にもてり。俵して藏め蓄へぬ番椒にしき木を立ぬ垣根や番椒探題餉にからき淚やとうからし氣みしかに秋を見せけり唐からし御園もる翁か庭や番椒うつくしや野分のあとのとうからし十七年さゝげは數珠にくり足らす句集付集何集新五子稿遺稿(遺稿)十七年-巴人十七囘忌追善の句なり豇豆の一種に十六豇豆ありその數十七には繰り足らずとなり。戴恩謝茸松露鳴瀧-京都の西北なる郊外歌を擧れば-李白の靜夜思の詩句「擧頭望山月、低頭思故〓」による。几董と鳴瀧に遊ふ茸狩や頭を擧れは峰の月何集にきく」と誤る心にくき-題苑集に袖草紙には「心「心にくう」君見よや-文章篇參照。似雲-僧似雲安藝の人、嵯峨に廣さ僅りに二疊の草和歌をよくし西行に私淑す庵を結びて住めり寶曆三年寂句は鍋の物の煮ゆる間一寸裏山へ行きて茸をとり來るといふ簡素なる生活のさまこんなにした。20元/小湯子面こゝろにくき茸山越る旅路哉君見よや拾遺の茸の露五本茸狩や似雲か鍋の煮るうち茯苓は伏かくれ松露はあらはれぬ新五子稿(文集遺稿旬集末枯竹の春漆をかきとられし漆の樹はからき目見つる-その年廿末枯の草木中にありても樹勢いたく衰ふるものなれいたくしく見ゆるなりうら枯やからきめ見つる漆の樹うら枯や家をめくりて醍醐道うら枯の中に道ある照葉かなおのか葉に月おほろなり竹の春(句集新五子稿(新五子稿遺草)秋雜發句篇
蕪村全集故人-舊友。木曾路行て-この句なほ句集新雜談集、水薦刈新五子稿等にも出で題苑集には前書「斗藪雲水の時」とあり上五「木曾行て」となれり移竹-田川氏、烟舟亭と號す、京の人竿秋の門に入て初名來川とい師風を喜ばず去來の風を慕ひき寶曆九年歿年五十一句は去移の二字にすがりし文字の洒落が主となれり。秋の灯や題叢後篇に그秋の日や」と誤れり追剝を- -高僧の逸話など思ひやらる今宵をしのぶ-「うしと見し世ぞ今は戀しき」と同工異曲故人にわかる木曾路行ていさとしよらん秋ひとり古人移竹をおもふ去來去移竹移りぬいく秋そ秋の燈やゆかしき奈良の道具市行舟や秋の灯遠くなり增る追剝を弟子に剃けり秋の旅身の秋や今宵をしのふ翌も有須磨寺にて笛の音に波もより來る須磨の秋秋たま〓〓躑躅はなさく滋賀の里打よりて後住ほしかる寺の秋五車反古旬集何集題苑集何集秋風六吟歌仙(句集)笛の音-女のはける足駄1920年代末期限定價一何集鏡稿稿名(遺遺所小目に見ゆる秋の姿や麻衣夕からす秋のあはれを告にけり手紙遺草冬十月初冬何集宗任に-、て大內に至りし時梅花を示して之は何そと問ひしに宗任" と上海大众花とは見といふ話ありいかゞいふらん」この句中七題叢に「水仙見せて」來り來たり香花いとなむ-わびしげなる法事なるべしけさの冬-この句上五遺稿、題苑集に「冬やことし」宗任に水仙見せよ神無月初冬や日和になりし京はつれ初冬や訪んとおもふ人來り初冬や香花いとなむ穢多か宿百姓に花瓶賣けり今朝の冬けさの冬よき毛衣を得たりけり(句集(新五子稿(新五子稿新五子稿(句集拾遣發句篇
蕪村全集小春冬至浮ぶ瀨-大阪天王寺の西大阪市立三局小学校家に浮瀨と銘せる鮑貝よく七合半酒を盛れりと二代目市川團十郞なりと興ぜし句この句遺草にㄱいにしへ柏莚か此樓にあそへるをおもひ出て戯かれか句法に傚ふ小春l風眞帆もと合五勺かな右うかふ瀨晩眺蕪村」とあり、新右衞門-蜷川氏、休禪師に參禪せし人この上五題林集に「新左衞門」と誤る蛇足-曾我宗譽、畫家。一木の畫の師なり句は二人誘ひ合せて冬至の日に休を訪ふさまなるべし書記典主-共に禪家の役僧。故園は禪僧が修行せし僧園をいへるにて句はうかふ瀨に遊ひてむかし栢莚か此所にての狂句を思ひ出て其風調に倣ふ小春風眞帆も七合五勺かな新右衞門地足を誘ふ冬至かな書記典主故園に遊ふ冬至哉貧乏な儒者とひ來る冬至哉旬集何集旬集遺稿寒肌寒し己か毛を嚙木葉經遺草曾て三十棒を喫せし道場に冬至の日一山の禪僧たちがより集りて一日を悠遊する樣なり肌寒し-文章篇參照。寒夜ハ鐘老聲饑て鼠〓を食こほす寺寒く檣はみこほす鼠かな郢月泉のあるし巴人庵の門に入て予とちきり深き人なり、ことし末の冬中の五日なきひとの數に入ぬときゝて耳さむし其もち月の頃留り易水にねふか流るゝ寒かな皿を踏鼠の音のさむさ哉大魯か病の復常をいのる痩脛や病より起ッ鶴寒し(新虛栗集旬集郢月泉-箱鳥阿誰、關の人、巴人門下總附方の一、頃留り發句の季節を連俳にて脇句のはgらひ脇に「何々の頃ことつくるなり句は西行の「そのこれられるお客様です。心といふ歌せんのん易水に-荊軻の故事に葱加盟福祉センター東京市小石川區西江大魯その當時の吟な發句篇(阿誰追善集)旬集句集何集
蕪村全集るべし鶴寒し-賈浪仙の詩句に「欲知强健否、病鶴未離群」泰里李井庵馬場存義天明二年歿年八十嵯峨寒し-貞室「いざ上れ嵯峨の鮎食ひに都鳥」の句による故人-友人。泰里か東武に歸を送る嵯峨寒しいさ先くたれ都鳥故人曉臺余か寒爐を訪はすして歸〓す、知是東山西野に吟行して荏苒として晦朔の代謝をしらす、歸期のせまりたるをいかむともせさる成へし牙寒き梁の月の鼠かな漁家寒し酒に頭の雪を燒我を厭ふ隣家寒夜に鍋を鳴ラす借具足われになしまぬ寒哉井のもとへ薄刄を落す寒哉何集晦朔の代謝-月日の移り變り梁の月-杜甫の夢李白の詩句「落月滿屋梁、猶疑見顏:によるそれより更に「月の鼠」といひかけたり、月の鼠は月日の早く移りて人の命のはかなきに喩へし佛說漁家寒し-寒夜酒に親しめる老漁夫、醉發して顏は火の如く雪なす頭上の白髪を燒き盡さんとす我を厭ふ-貧居八詠の一鍋を鳴ら貧困の主には着たなるべしがしなり(句集何集旬集新五子稿新五子稿新遺題五子稿稿)集水鳥も見へぬ江わたるさむさ哉鐵をはむ鼠の牙の寒さかな眞金はむ鼠の牙の音寒し雪舟の不二雪信か佐野いつれか寒き苑遺稿雪舟-足利時代の名高き畫僧個·五·始め相國寺の僧とにもつく周文に畫を學び後明に入りて歸朝す永正三年歿雪信-上野國、前出定家の歌世界開始 好評好好味「駒とめて袖うち拂ふかのわたりの雪の夕暮。ㄴ飛彈-飛驒の誤。(遺稿遺草冬の夜鋸の音貧しさよ夜半の冬飛彈山の質屋とさしぬ夜半の冬(連句會草稿) (句集師走百目もどす年の暮」張良か-後出「石公へ五の初案なるべし。張良か五百目もとす師走かなうくひすの啼や師走の羅生門(しばふく風)何集發句篇
お知らせ風味の煮汁の香り特价有情報告知名行く年の瀨田を-題林集: 大阪府大阪所名集にたりるべし年と雪と兩方にかゝれり飛斷洋 のと新鮮や物館夫婦그おかしさない「面影の變ら北市原野にあ32.4(14.2)俗に小町大事をと變勢中の御飲みにけな電の戶棚-不詳。けもかはらけ〓〓年の市」。面影の-文集に笠着て-文章篇參照。故事を歲末に片方の沓を拾ひて返したるせし滑稽の半分五百目返したるに比石公へ-張良が黄石公に一貫目の借錢「おも遺稿にも「腐儒者」として別賛に上五「腐儒者」とあり句あり。冬されて-遺草及び自畫木立北の家かけの韮を刈」。冬されや-自畫賛に「冬けり浮遊-題叢に「蜉蝣」とかにて蚋のこといづれもブユの宛字發蕪村句全篇集ふゆされや韮にかくるゝ鳥孤つ冬されて韮の羹喰ひけり冬されや小鳥のあさる韮畠冬されや北の家陰の韮を刈冬近江路や軒端によする年の波いさや寢ん元日は又あすのこと除としひとつ積るや雪の小町寺行としのめさまし草や茶筌賣ゆく年の瀨田を廻るや金飛脚夜行年の女歌舞妓や夜の梅行年や氷にのこすもとの水電の戶棚もあるやとしの暮面影のかはらけ〓〓としのくれ芭蕉去てそのゝちいまた年くれす笠着てわらちはきなから石公ヘ五百目もとすとしのくれ題沓歲炭賣に日のくれかゝる師走哉浮遊ひとつ障子に羽打師走哉ざれ暮( - (新-新歲夏何五安永二年春慶引明車旦和五五反八子子古帖)年稿衣稿集(自遭(五(遺(句(句遭題(句遺遺何畫車稿五苑反短子賛稿集古草册集稿集集稿集
蕪村全集冬の日や-此句萬題集以外しても、 それ但したとの菰着て在す芭蕉の句に誰人か薦着ています花の春冬の日冬の日や菰着て在す影法師(發句萬題集)冬の月寒月靜なるかしの木はらや冬の月石となる樟の梢や冬の月のり合に渡唐の僧や冬の月寒月に薪を割寺の男かな寒月や僧に行合ふ橋の上感偶寒月や門なき寺の天高し旬集石となる-俗に樟の年を經たるは石になるといふ。(遺稿手紙)薪を割-新五子稿、遺稿に「木をわる」とかけり日發句集(新選感偶--感感と同意に用ひしならん。或は感遇の誤か句集寒月や鋸岩のあからさま寒月や枯木の中の竹三竿寒月や衆徒の群議の過て後寒月や開山堂の木の間より寒月や門を叩は沓の音寒月や小石のさはる沓の底寒月や松の落葉の石を射ル寒月や豁を茶に汲む峯の寺旬集竹三竿政上人の塚は竹三竿を植深草瑞光寺なるゑて標とせりこの句恐くは上人の塚を咏みしものな衆徒の群議-叡山の僧徒の軍評定か平家物語などの中に見ゆる光景を詩化せに「濟て後」この句下五題林集開山堂の「春月や印金堂の木の間より」と類想。門か叩は-「叩は」は「叩くと訓む寒ければ懷手いたるまゝ沓先にて門を叩ㄴ蕪村の眞跡を寫せるものな寒月や-末二句の遺草は「豁を」の如き誤寫ならずやと思はる付集何集(新五子稿)遺稿(遺稿遺草遺草)時雨養蟲の 養あれば時雨にも怖れぬさまを、しこしと主觀的にいひしなみのむしの得たりかしこし初時雨初しくれ眉に烏帽子の雫哉旬集旬集發句篇
の流を交換禪し神鎭座す上海市药材有限公司淀へ通ふ船着場にて佐太天「水降」とあれどこれは水きは-新五子稿に時雨の音かと欺かれて外を榎時雨して-遺稿にぎ焦風の血脉を傳へたりと人民幣暴跌號す、朔日の誠-定家の佐田-河内茨田郡佐太。り鶯のなりうかゞへば月夜なりきとな際」二柳ヘ挨拶の句に「しくれけり」または、希因の〓を聞くの誤寫なること明らか後乙由の門この句下五題苑集更に「月夜に釜」の-噓をつくと月夜-芭蕉の正統をつ等の別號ありり遺稿に年人不十二電力工業大學に雖むして「禪林の年二月浪華調理「水は「榎三四始め俳を桃天に學び桃居と前に芭蕉の碑あい遊行寺二柳庵美味ど明治卅十年婆娑-古傘の〓ㄱぐろゝ月夜哉」そめけむ」による。蕪村の句として出で中七る べしり神無月たが誠よりしぐれ「渡乳牛の作」の「雨居ずに、てももう雨をもちこたへてめなく、雲忍びすよ-初冬の空定買ふ人のおくれて人に」とあり、はり蓋し例の蕪村の代句なふるは更にㄴの句あり舞ふ貌なり、なほ新五子稿にはすぐハラ〓〓と時きれ〓〓の雲が出加賀山中の人、勝曼坂藥師堂の手紙にのなき世なりけなほこの語の用し)宗祇に-定家の歌宗祇のや그之等芭蕉又世し發蕪村句全篇集朔日のまことかましきしくれかな時雨おとなくて苔にむかしをしのふ哉芭來迎の雲をはなれて時雨かな虹竹に手向侍る鶯の竹に來そめてしくれかな窓の灯の佐田はまた寢ぬ時雨哉釣人の情のこはさよ夕しくれ水きはもなくて古江の時雨哉化さうな傘かす寺の時雨かな又噓を月夜に釜のしくれ哉禪寺の廊下たのしめ北時雨蕉忌榎時雨して淺間の煙餘所にたつ蓑笠の衣鉢つたへて時雨哉いとなみける二柳庵に浪花遊行寺にてはせを忌を夕時雨蟇ひそみ音に愁ふ哉しくるゝや我も古人の夜に似たる古傘の婆娑と月夜の時雨哉しくるゝや鼠のわたる琴の上時雨るゝや蓑買ふ人のまことより楠の根を靜にぬらす時雨哉一わたし遲れた人にしくれ哉たえ〓〓の雲しのひすよ初時雨( ( (新遺新新遺遺新新五五五稿五五題苑集子子子子子稿稿)稿稿稿稿稿新題新新(新(新旬句何句何旬何(日遣五五五五五五發稿苑子子子子子子句手集稿稿稿稿稿)集集集集集集集集紙
蕪村全集三一誠よりしぐれそめけむ」の歌による朔日は十月一日。るは更に時雨」の句によろふらと-宗祇の「世にふふるは經ると降るとの掛詞目前を-時雨が目前の景色を古き昔の景色の如く見するとなり鷺ぬれて-杜國の句に「馬は濡れ牛は夕日の北しぐれ」とあると同じ趣。咲すや-咲かずや子を結ぶ-子は實なり。竹は六十年に一度花咲き實を結ぶといふ熊笹すゞ竹などには時々結實す之をじねんこといひ食す可し長田、館 義朝、尾張の救贖中心開幕誌慶祝日明特によりばした。り半江の-牛は晴れたス景ゞらなど物負ての人じ骨上にに負ひて湖岸を歸り行く夕時雨するさまこ五遺稿に「物置て」とあるは誤寫せしなるべし。「物お(負)ひて」とありしをかいけちて-かき消し蓑蟲のふらと世にふる時雨哉目前を昔に見する時雨哉鷺ぬれて鶴に日のさすしくれ哉海棠の花は咲すや夕時雨題朝時雨雲のひまに夜は明て尙しくれ哉子を結ふ竹に日くるゝ時雨哉しくるゝや長田か館の風呂時分蓮枯て池あさましき時雨かな半江の斜日片雲の時雨かな物負て堅田へ歸るしくれ哉時雨るゝや山かいけちて日の暮るゝ遺稿遺草遺稿(遺稿道稿(遺稿(遺稿(手紙.遺稿遺草、遺稿(遺稿遺草手紙、遺草遺草、手紙遺草T。時雨の爲山影も見えざるままに暮るゝとなり。古河をふみわたる身にしくれかな夕しくれ車大工も來ぬ日かな手にとらしとても時雨の古草鞋下戶ならぬこそ宵〓〓のしくれ哉子を遣ふ狸もあらん小夜しくれ帝軒にとしふるしくれ哉時雨るゝやとあるところに鷺一つ窓の人のむかしかほなる時雨哉ツラ木兎の頰に日のさす時雨哉老が戀わすれんとすれはしくれかな鹽わかる上をからくも行時雨時雨るゝや用意かしこき傘二本遺草ノ手にとらじ-文章篇參照徒然草竹下ブログぬこそーㄱ下戶ならぬこそ男はよ宵は善いいひかく宵々の時雨に晩酌する樂し帘みをいへり-サカバヤシ、杉葉を丸く束ねし酒屋の看板。年ふる-經ると降る。遺草ニ(遺草)遺草遺草遺草)手紙手紙)手紙)分鹽わかる-鹽量るの誤市場などの景なるべしからくもは鹽の緣語「紅葉見や」。時雨るゝや-遺稿に上五句集拾遺何集拾遺發句篇
「煮豆燃豆箕、豆在釜中泣賃に木を炊きて釜中の雪を湯に愚に耐へよと-貧居八詠宿かせと-題林集に馬でうて-馬に乘つて行わかすが七步詩の趣に似た例の代作なるべし雪折や急」と詠ずけ。うなもとつて-戻つて居るやりにも出で句主置吹とありの本是同根生、この句「其雪影」相煎何太雪折の「宿こりました。 大阪府の出でたりの意り底を叩けば-初雪がなりて中国国民党党党委〓会社し時植に迫りて七歩の間に詩その弟曹植と中惡しく或る七步詩-魏の文帝ち殺さんといふを作らしむ。成らずんば卽植よつて(曹不)「さめる時」。さむる時-句集に下五蓑の姿は貧しげなれど雨の時-雨に濡れそぼつ夜なる哉-遺稿にには鶴撃をまとへる如くにりけり」て富める姿なり「夜な雪雪の人-雪と行と掛けたり發蕪村句全篇集雪折も聞えてくらき夜なる哉雨の時貧しき蓑の雪に富リ念比な飛脚過行深雪かな山里や雪にかしこき臼の音烈々と雪に秋葉の焚火かないさり火の燒のこしけむ巖の雪焚火して鬼こもるらし夜の雪愚に耐よと窓を暗す雪の竹宿かせと刀投出す雪吹哉宿かさぬ火影や雪の家つゝき雪白し加茂の氏人馬てうて一二寸降もてゆくや雪千里雪の暮鴫はもとつて居るような雪折や雪を湯に焚釜の下雪折やよしのゝ夢のさむる時鍋提て淀の小橋を雪の人大雪と成けり關のとさし時い初雪や上京の人よかりけりはつ雪や消れはそ又艸の露初雪の底をたゝけは竹の月さ雪題七步詩見容カタチツクリす蓑と笠さ雪(新苟(句旬何(句五(9)新(新新題遺新遺新新新新(新.五(句續新五五五五五五車五苑の花明子子子子子子子反子集稿稿稿稿稿稿稿稿稿集).集集與集集集古翁摘選稿鳥選)
蕪村全集雪消えて-文章篇參照。步行て-「かちで」とよむべきか雪消ていよ〓〓高し雪の亭大雪や上客步行ていりおはす雪沓をはかんとすれは鼠行雪國や粮たのもしき小家かち雪の戶に格をあて行木履哉雪の旦母家のけふりめてたさよ木屋町の旅人とはん雪の朝住吉の雪にぬかつく遊女哉邯鄲の市に鰒見る雪の朝嵐雪にふとんきせたり雪の宿樂書の壁をあはれむ今朝の雪つなき馬雪一双のあふみ哉(四季文集(遺稿遺草.遺稿遺稿雪の戶に-遺草に「雪の戶にカクを當行弓矢取」足駄哉下五二案ありて決せざりしなるべし一品のるをㄱかくを入れる」とて超いむにふこゝは木履を馬に比して齒に挿まる雪を戶に當てゝは打落しつゝ進むをいい)母家のけふり-手紙に그田家のけふりの」。着て寢たる」の句による嵐雪に-嵐雪の「ふとん(遺稿遭稿遺稿遭稿(遺稿道稿遭稿つなぎ馬雪中に繋げる馬の双の鐙に雪積れるなりこの句遺草に「足」とあるが「一双」とお正しあり遺草、遺稿春坡子の-天明二壬寅の春下村春坡が伊勢詣に出發するをりの吟なり、春坡子のいせ詣したまふを見送りて遙拜や我もふしみの竹の雪雪拂ふ 八幡殿の內參おもふこと有て雪を踏て熊野詣のめのと哉風呂入に谷へ下るや雪の笠水と鳥のむかし語りや雪の友古道と聞はゆかしき雪の下小摺物) (遺草手紙(遺草)水と鳥の-水鳥記(寛文深とが酒戰せし軍記)の比地黄坊樽次と大蛇丸底の昔語りなるべし古道と-四ノ四に水落氏の紹介せる雜誌ホトヽギスもの。岩本氏編全集に〓古道と聞えてゆかしき雪野哉」道草(遺草)霰愛矢種の盡る-霰の一しきり降りて止みしを喩へたり發句篇一しきり矢種の盡るあられ哉何集
蕪村全集漂母-韓信の貧なるを憐みて食物を與へし洗濯婆手邊深草の- -天邊人目を忍ぶ通路各三)霰の音烈しくてこゝに通ふ人ありとすぐあらはれやすしとなり2は打消この句下五句集拾遺に一本に「時雨哉」とありそれ鳧」。古池に-遺草に下五「み玉霰漂母か鍋をみたれうつ玉あられうけるや富士の手邊より初雪の出來そこなふてあられ哉深草の笠しのはれぬあられ哉古池に草履沈ミてみそれ哉付集新五子稿新新題何五五叢子稿稿篇集子後木枯凩や何に世わたる家五軒大魯か兵庫の隱栖を几董とゝもに訪ひて人々と海邊を吟行しけるに凩に鰓吹るゝや鉤の魚新選鉤の魚-魚をかぎにかけて漁家の軒先などに吊せる付集)こからしやひたとつまつく戾り馬こからしや畠の小石目に見ゆるこからしや岩に裂行水の聲凩やこの頃まては荻の風木枯や鐘に小石を吹あてる木からしや小石のこける板ひさしこからしや野河の石をふみわたるこからしや廣野にどうと吹起る木枯しや覗て迯る淵の色こからしや荻も薄もなくなりて木からしや碑をよむ僧一人木からしや釘の頭を戶に怒る何集稿にこからしや畠の-新五子「木からしや畑にちいさき石も見へ」。(句集(句集(句集何集新五子稿(遺稿遺草、遺稿(遺草、遺稿(遺草)碑-いしぶみ。釘の頭を-風寒き夕戶を閉めんとて思はず拔け出で句篇(遺草(手紙
蕪村全集たる釘の頭に手を傷け腹立たしく思ふさまこからしや炭賣ひとりわたし舟遺草)霜劔を握る-釣瓶繩の堅く氷れるを形容せり初霜やわつらふ鶴を遠く見る朝霜や釼を握るつるへ繩几董と浪華より歸さ霜百里舟中に我月を領すたんほゝのわすれ花あり路の霜晋子三十三囘(マノ)擂盆のみそみくりや寺の霜松明ふりて舟橋わたる夜の霜我骨のふとんにさはる霜夜哉道稿旬集)舟中に-淀川の夜母なり晋子三十三囘-元文四年忘れ花-歸り花に同じ。にあたるみそみくり-題林集、題葉集に「みそみめくり」とあるが正し。句は三十三囘に味噌をいひかけ卅三囘追善に霜置ける寺にて精進料上海交通大学附280分钟元風味は、大膽11/30元/30元/30にすぎず旬集(句集何集遺草、遺辞) (通草、遺稿はみ折る-食み折る。野の馬の韮をはみ折る霜の朝衞士の火もしら〓〓霜の夜明かな遺稿) (遺草氷句瓜何の集實集山水の-新選に「山水の減る程へつて氷けり」。氷る灯の、齒あらはに二句共に貧居八詠の一山水の減ほとへりて氷かな氷る燈の油うかゝふ鼠かなアラハ齒豁に筆の氷を嚙ム夜哉霍英は一向宗にて信ふかきおのこ也けり、愛子を失ひて悲しひに堪へす、朝暮佛につかふまつりて、讀經をこたらさりけれは旬集)鶴英-伏見の人、その妻柳女、子賀瑞 蕪村に從ひ併諧をなせりおのこつかふまつり、をこたら、らうそく-仕うまつり、怠らなの蠟燭(發句篇
發したるなり息杖にちょっと あげ てんの う れ い急ぎ行くに大とこ-大德。をいひ、る息杖の石と相觸れて火をのこと〓轉じては一般に僧駕籠舁が枯野をとき身を捨てるふと突立てた「子を捨高德の僧春夜樓-八董の居。もれ末りど三ばに相くんとている。 。こし恰落ちかも如く見ゆるなりかも月影がわな發ゝる三日月を見近くに狐狸な句に强橫川-叡山三塔の一。氷の如き響ありば机の隅にふるゝ肱の音も肱〓氷の-寒夜讀書すれ子を思ふ情をのべたり「夜の鶴」といふ諺を引き愛鶴英の俳號とにちなみて、淚にきかせ、蠟燭の淚---涙淚を英のは鶴の形したるものある又蠟嘴蕪村全篇集三日月も罠にかゝりて枯野哉眞直に道あらはれて枯野かなてら〓〓と石に日の照枯野かな石に詩を題して過る枯野哉山をこす人にわかれて枯野かな蕭條として石に日の入枯野かな馬の尾にいはらのかゝる枯野哉息杖に石の火を見る枯野哉子を捨る藪さへなくて枯野哉大とこの糞ひりおはすかれの哉むさゝひの小鳥はみ居る枯野哉春夜樓會畠にもならて悲しきかれ野哉枯冬川や孤村の犬の獺を追ふ冬川や佛の花の流れ來るめくり來る雨に音なし冬の山手拭も豆腐も氷る橫川哉眞夜半や氷の上の捨小舟文机の肱も氷のひゝきかならうそくの淚氷るや夜の鶴冬の山、野川新前半顆酒( (遺題遺新題新五五鮮蝦飯苑苑順天子子稿狹集稿)稿集)稿遺遺何何(句旬何付(遺手(題(遺旬五五苑子子集集集隼)隼)集選稿稿草紙叢)稿)集
「戶の犬の」。戶に犬の-新五子稿にいねふりて-居眠りて。岸かな」亥子哉-句集に下五言ひて拍すなりりて「某の神のおほたき」と「彼思ひにて居るなり。そひたるを、心の山に倚る-壁により山によりたる投じて之を燒く柴を積み神酒を供へ御火燒-京の神社十一月甲の各緣日に神兒へ約 570集をに「心の奥の吉野山」と同じく冬籠りしながら松島の景な松島で-この句も後出の發句篇あたるその卅三囘忌は天明二年に寛延三年七月二日歿古里虹-俳優山下金作。で念佛すとの滑稽る聲とかけぐ音と南無阿彌陀佛と唱ふ茶もだぶ〓〓と-茶を注たうと-たふと(尊)。十夜には茶ま蕪村全集松島て死ぬ人もあり冬籠冬こもり佛にうときこゝろ哉勝手まて誰か妻子そ冬こもり冬こもり燈下に書すとかゝれたり冬こもり壁をこゝろの山に倚冬籠燈光虱の眼を射るいねふりて我にかくれん冬こもり戶に犬の寐かへる音や冬籠冬命婦より牡丹餅たはす亥子哉御火たきや犬も中〓〓そゝろ貌御火焚や霜うつくしき京の町御火焚といふ題にて御影講の蓮やこかねの作り花ふに申つかはすか三十三囘の遠忌をとふら傳燈の光をかゝけて古里虹油灯の人にしたしき十夜かなあなたうと茶もだぶ〓〓と十夜哉御火燒十夜籠御命講亥子(旬遺新( )五鷺喬除安其日車永發雪句反五元起集古年影-何(句ノ旬何題何(里虹追善集)新何五五林子子稿稿集集集集集集集稿集
變化-ヘンゲ、妖怪。山家集-西行の家集。桃源境に比せるなり桃源の-の奥なる冬籠りの閑居をちの細さよ」遺稿に中七「ろべきかと感ぜしなり。の地に客死する騒客もあるど思ひやりふと今頃或はそ句は細き路次雪中庵-嵐雪の居。興引犬の咎める塀の內」。夜興引や-題林集に「夜さむる時」の句と同じ心境。るなり。「雪折や吉野の夢の心の奥の-吉野に臥遊す蕪發村句全篇集茶苦にならぬ借錢負ふて冬こもり變化すむやしき貰ふて冬籠信濃なる下男置けり冬こもり冬こもり妻にも子にもかくれんほ冬こもり心の奧のよしの山賣喰の調度のこりて冬籠禁足のはしめなりけり冬籠鍋敷に山家集あり冬籠冬籠母屋へ十步の椽つたひ桃畠屋根ひくき宿うれしさよ冬こもり源に細道つけて冬籠の道の(マヽ)細さよ冬籠〓興引や犬のとかむる塀の内鳥鳴て水音くるゝあしろ哉夜興引の袂佗しきはした錢爐ひらきや裏町かけて角やしき爐ひらきや雪中庵の霰酒る下村氏の別業に遊ひて几董にいさなはれて岡崎な茶の花の月夜もしらず冬籠爐開夜興引口切網代) (遺全岩(遭新遺新(新遺遺新遺新新(全岩(遺遣) (題新遺題何(遺遺付五林子本本五五五五五五苑氏氏子子子子子子稿)集集稿稿集集集編集編艸艸稿稿稿稿稿稿)草稿稿稿稿稿稿
蕪村全集下村氏-下村春坡。五山衆なんど-五山の僧などもそこらに立ち交りて口切の席に列せるなり領主は茶事を好めるより只ならねー小城下ながら終わりたらはあちこちに尋常ならず口切の隣も-口切の家は茶のけむり。し北○にも召れて-解し難口切や五山衆なんとほのめきて口切や小城下なから只ならね口切や梢ゆかしき塀隣口切や湯氣たゝならぬ臺所口切の隣も飯のけふり哉口切や北にも召れて四疊半(句集(句)集稿稿稿新(遺新五干五子口遭稿口遣稿火桶火燵埋火團炭法師火桶の窓から窺けり炭團法師火桶の穴より窺ひけり老女の火をふき居る畫に小野ゝ炭匂ふ火桶のあなめ哉新句選集炭團法師-炭團の丸きがは火桶の穴より炭團の見ゆ坊主頭に似たればなり句るを逆に炭團が外を窺ふといひし擬人法小野の炭-小野は洛北大付集めは業平が小町の髑體にあ原の山中、炭を產す。あなひてもあなめ〓〓小野とはいは「秋風の吹くにつけてじ薄生ひけり」とよみし故事(袖中抄)による炭取の瓢貧居八詠の-桐火桶自畫賛に上海市建设工业有限公司下の開門りて樂しみしとかや」書せるものありと無絃の琴-淵明音律を解て朋酒の會毎に之を撫で、無絃の琴一張を蓄へ歌に和す曰く琴中の趣を知らば何ぞ絃上の聲を勞せストーカード·スタージェネス文章篇參照「火桶たとんを喰ふや夜毎にひとつつゝ」とありと讃州高松に-新選には그高松留別」とのみあり、われぬへき年もありしを古火桶裙に置て心に遠き火桶かな炭取のひさこ火桶に並ひ居る桐火桶無絃の琴の撫こゝろ火桶炭團を喰事夜こと〓〓にひとつつゝ腰ぬけの妻うつくしき炬燵哉讃州高松にしはらく旅やとりしけるに、あるし夫婦の隔なきこゝろさしのうれしさにけふや其家を立出るとて炬燵出て早あしもとの野河哉宿かへて炬燵うれしき在ところ(句集(旬)集荷鴈短遺集册呂稿風日發句集句新新集選稿宿かへて-遺草、に「宿かへの」發題林集五子句篇
ある場合を捕へたる句れるの議を引き談のことあるにて羽織を被るの意頭巾にかづく-頭巾とし聲のこもるにかけたりこもりくの-初瀨の枕詞發制下特殊の句二人の頭何か密馳走せしなり誤寫なるべし。枝炭白炭-茶湯の時に用ふる汁たうべてし그ざれと願ふ心もちを被りたるさまの浮世めか浮世のさまに- COMひらくや-「ひゝくや峯の寺にて炭燒に汁をの句あり乾鮭の骨にひゝくや新五子稿に我が頭巾汁賜ひて後夜」花のあるじ-櫻の材を炭に燒くなり。に知られざるまでて、高く大阪消火大、消え行くなる我名をかくす-らんとの意(新古今)の歌によるとは見えてあはぬ君な」や伏屋に生ふる帚木のありありとは見えて-人のさまに隱遁して埋火の灰春になる「園原いんて來る-往んで來る蕪村全篇集町はつれいてや頭巾は小風呂敷頭巾着て聲こもりくの初瀨法師さゝめこと頭巾にかつく羽折哉頭巾二つひとつは人に參らせむ我頭巾うき世のさまに似すもかな頭巾足袋紙衣炭やきに汁たうべてし峯の寺白炭の骨にひらくや後夜の鐘悼炭かまの邊しつけき木立哉炭竈にたちよる花のあるしかな文霞炭俵ますほのすゝき見付たり庵買て且うれしさよ炭五俵炭うりに鏡見せたる女かなうつみ火も我名をかくすよすか哉埋火や春に消行夜やいくつ埋火やものそこなはぬ比丘比丘尼埋火のありとは見へて母の側うつみ火や我かくれ家も雪の中埋火や終には煮る鍋のものいんて來る人むつかしき火燵哉炭旬何句蓮續句(遺遺新新新新旬(遺遺遣新(句句鏡新華明會五五五五五五子子子子子子集集集集烏集草稿稿稿稿稿集稿稿稿稿集集)華稿
蕪村全集町はづれ-町の中にてはさすがに憚りしかども町端れとなりたればいでやこれよりこの小風呂敷を頭巾に代用して寒さを防がんとの意引かふて-引きかうで。ひき被ること除合ふーよけあふ路次の暗さに頭巾さへ眼深にかぶりたれば親子とも知らす互に行合ひて道をよけ合ふ滑稽(眇-スガメ。引かふて耳をあはれむ頭巾哉みとり子の頭巾眉深きいとをしみ紫の一間はのめくつきんかな暗の夜に頭巾を落すうき身哉路ちの闇親子除合ふ頭巾哉眇なる醫師わひしき頭巾哉北に向人はまつしき頭巾哉なまめきてざしある僧の頭巾哉足袋はいて寢る夜ものうき夢見哉眞結ひの足袋はしたなき給仕哉めし粒て紙子の破れふたきけり此冬や帋衣着ようとおもひけり句集何集新五子稿遺稿遺稿手紙遺稿北に向、なまめきて-此二句蕪村の眞跡を寫せるものにて誤寫あるかもはかられず這艸遭に旬集眞結の足袋-これはコハゼをかけす紐にて結ぶ足袋なり(題苑集紙子の破れ子のやれを」ふたき-塞ぎ。題叢に「紙旬集句集老を山へ-姥捨山、棄老國などの故事この句上五遺艸には「老を山に」實盛が-齋藤實盛白髮をいます。SHANGHAI SHANG HAI KITCHEN (遞信省) 多數式さらば實盛陳村支那徐州古澧縣の一村落にして全村朱の二姓なる平和〓老を山へ捨し世も有に紙子哉實盛か紙子は夜のにしきかな紙子着て用そこ〓〓に歩行けり宿老の紙衣の肩や朱陳村(句集新五子稿新五子稿(遺稿〓蒲〓 表かしらへや-手紙に그0しにらやかけむ裾にやふろふすまし顆林集に下五「紙ふすま」一沙彌律師-新五子稿に阿彌律師」と誤れりふすま哉-臥すと衾とか紙ふすま-貧居八詠のく一糊ひきて-遺草の貧居八詠に前句の代りにこの句を記せるものあり鬼王-團三郞と共に曾我兄弟に忠勤を盡しゝ家來、かしらへやかけん裾へや古衾沙彌律師ころり〓〓とふすま哉紙ふすま折目正しくあはれ也糊ひきて焚火得させむ古ふすま糞ひとつ鼠のこほす衾かな鬼王か妻に後れし衾かな(句集.明鳥旬集(句集遭新(遺遭艸稿稿稿五子發句篇
蕪村全集大兵の假寢憐むふとん哉いはりせし蒲團ほしたり須磨の里東山の梺に住ところトしたる一音法師に申遣す嵐雪とふとん引合ふ佗寢かな古〓にひと夜は更るふとんかな虎の尾を踏つゝ裙にふとんかな能ふとん宗祇とめたるうれしさよ孝行な子供等にふとん一ツつゝ都人にたらぬふとんや峯の寺唐くさに牡丹めてたきふとんかなあたまからふとんかふれはなまこかな新選忘れ花嵐雪と-嵐雪の「ふとん着て寝たる姿や東山」の句(句集句集虎の尾をふみつゝ-恐る恐るの意高貴の人或はやかまし屋の主人など假睡せ目をさまさせぬやう忍び足にて裾に布團をかくよき布團-遺稿に下五「嬉しさに」唐くさに-題苑集に「唐艸の」。なまこ哉-生海鼠に似たる哉の意。旬集新遺新(新五五子子稿稿稿稿五子新五子稿新五子稿冬やことし-題苑集に中七「能義を」。冬やことしよき裘得たりけり張瓢、遺稿鉢叩寒念佛恰め-句集に「あはれめ」木の端の-枕草紙にとかけり「思はん子を法師になしたらんこそはいと心苦しけれるはいと賴もしきわざを只ないのでないよね。のゆうににケイブ風の上海有限公司る瓢は夕顏の骸骨なるなりいんて-瓢の飮と往んでとかく以て無くなる飮は顏囘の所表太-貞享元祿頃の京都の人、表具屋太兵衞奇行多く常に黑頭巾を着、花に浮れ歩きなどせりと畸人傳)。(近世西念-法然の弟子なりといひ或は西行の師なりとも芭蕉の付句にも「花と發句篇ならし來て我夜怜め鉢叩木の端の坊主の端や鉢たゝきゆふかほのそれは髑體歟鉢たゝき鉢たゝきこれらや夜の都なる一瓢のいんて寢よやれ鉢たゝき花に表太雪に君あり鉢叩西念はもう寢た里をはち敲守信とふくへにかけよ鉢叩終に夜を家路にかへる鉢たゝき舌)平日(其)選仙)集影安廿歌發句雪都の枝折旬集(句集)何集稿冠稿稿新あ新遺五五子子發句
意。「さあ一杯かけてやるぞ」のりさふ題葉集に「寒垢離の」。上五題林集に「寒垢離は」寒垢離や上の町-この句て軍記などによく用ひらるいさまいりそふさふは候ふの約にざ參그尻をむけたり-遺稿に尻背けたる」。りし所備して高石公司 3050元書か授ん着て」の句。嵐雪が懶-嵐雪の「顏見世や曉いさむ下邳の晋子の信-其角の句にc下邳橋は張良が早曉を「ふと染衣を夜の錦と見立てたり墨染の-鉢叩の着たる墨ひたりの中に守信と書ける印を用守信と-狩野探幽は瓢形るのみ叩の坊主の名として用ひた簑)とあり散る身は西念が衣着て」(猿但しこゝは只鉢發蕪村句全篇集顏みせの幕に夜半のあらし哉旅立や貌見世の火も見ゆるより貌見世やふとんをまくる東山傚ふ子か信に背きて嵐雪か懶に貌見世や夜着をはなるゝ妹か許かほ見世や既うき世の飯時分かの曉の霜に跡つけたる晋題戀寒聲や古うた諷ふ誰か子そ寒こりに尻をむけたりつなき馬寒こりやいさまいりそふ一手桶寒垢離や上の町まて來たりけりいましめのほの匂ひけり寒念佛挑灯の猶あはれなり寒念佛極樂の近道いくつ寒念佛細道になり行聲や寒念佛墨染の夜の錦やはちたゝき子を寢させて出行闇や鉢たゝき夜泣する小家も過ぬ鉢たゝき顏寒垢離見世寒聲何(旬題新新遺旬(句旬付遺新(句(日(遭題新遭五五苑子五發五苑子百子句題稿集集集集集稿集集艸稿集集稿稿集)稿
蕪村全集古曆御經に似て-昔の曆は折上海市药材有限公司CHINAれらんとなり昔の曆の表紙スタンと〓りとろは黑表紙で終大晦日が十日まり-十日餘り。紙屋河-京都にあり、上海有限公司開心有點なる場合は、りて宿紙を製せりへり「流れ」は日月の過る意の緣語昔伊豆の三島上海交通大学附近有限公司雞腿 250元ゝましき題林集に그面つゝまれぬ」節季候は一路特色情報き布にて包み明日のオスタード無料プール御經に似てゆかしさよ古曆櫻木の板もやかれて古曆闇の夜に終る曆の表紙哉十日まり日和つゝきて古曆古曆流れ留りて紙屋河古曆踏や三島の宿はつれ旬集遺稿(遺稿遺艸(遺艸)遺艸歳末人事雜節季候や貌つゝましき小風呂敷節季候着たり裏しろ面白(新五子稿題苑集を廻る一種の物乞。面白-節季候の妻女等、節季候と同じ扮裝なれど面は白布にて被ひ家々をまはる之をうばらと呼ぶ句(齒朶)をさし面には白布をはこのうばらが笠には裏白着たりとの意ン外の濱-奥州の果て。〓-昔婚禮の時花嫁にことありしなりと領収書本拠点灯は誰面影し-文章篇參照。夏新五子稿に「面影のかは衣いと としのくれ」。おとろひ-衰へに增特別推薦の上海市南京市小石川區西江大阪市中央区中国内町代寶寶寶寶寶健康大厦話見ゆ句は守るといふが棒鱈を武器にとりなしたる警衞の意にも通ふ故、乾鮭なり柊さすはてしや外の濱ひさしにしき木の立聞もなき雜魚寢哉寶ふね慶子か筆のすさひかな煤掃や調度すくなき人は誰すゝ拂や塵に交る夜のとのおもかけもかはらけ〓〓年の市おとろひや小枝も捨ぬとし木樵樵捨るとし木の枝に雀かな年守や乾鮭の太刀鱈の棒とし守夜老は尊く見られけり春泥舍に遊ひて靈運もこよひはゆるせとし忘津守舟三(句集(新五子稿) (津守舟三遭草文集何集遺(歲明續稿帳年年鳥和旦八明何集發句篇
薪村全集句集に「見こちらは'인'〓題林集に「みへ春泥舍-黑柳召波の居。靈運-晋の詩人謝靈運、法華の筆受なりしかど心常に風雲の思を觀ぜしかば惠遠法師白蓮の交を許さゞりし事徒然草に見ゆ影法師-遺稿には「魍魎」と書けり。小僧等に法問させてとし忘新五子稿麥蒔麥蒔や百まて生キる貌はかり麥蒔の影法師長き夕日かな旬-新遺集稿稿五子納豆汁蕎麥湯泊地にて古來遊女多かりき室-播州室の津。船の碇よゝと參りぬよゝは物を盛んに飲みなふ時の形容に用ふる語c「澤山こゝは召上つた」の意貧居八詠の總統府のハンバーグのムのる我のみのそば朝霜や室の揚屋の納豆汁入道のよゝとまいりぬ納豆汁我のみの柴折くへるそは湯哉旬集何集句集藥喰しつ〓〓-靜々。居へ-すゑしつ〓〓と五德居へけり藥喰藥喰隣の亭主箸持參くすり喰人に語るな鹿ヶ谷妻や子の寢貌も見へつ藥喰客僧の狸寢入やくすり喰藥喰(マヽ)芦生を起す小聲哉袿衣の妻もこもれりくすり喰何集(句集本北麵粉麵線(冬瓜)、海鮮炒飯上海交通大学附属下属下亡の隱謀を企てし所りたるに喩へたり鹿の語も藥食に緣あり芦生-廬生の誤藥食の時假睡せる男を起すを邯鄲の廬生に比していへりCこの句中七發句題叢に그芦生を越す」と誤れり袿衣-ウチカケと訓むべきか妻もこもれり-「春日野はけふはなやきそ若草の妻も籠れり我もこもれり」の歌による何集何集何集題苑集遺稿乾鮭倣素堂-山口素堂の句一浮葉卷葉ヽの蓮風情過ぎたらむ」の蓮をレンとよませたるに倣ひ琴をキンと音讀せしむとなり新雜談集にこの事見ゆ倣素堂乾鮭や琴に斧うつひゝきあり漫興(句集、續明鳥)發句篇
2017.02.26あめの魚」の句あり。すおそろしや」とい都はこはしへるなり-遺稿にtitle "〓虒秋風の起るを景鷹が峯り京都の西北山城愛宕郡にあ老竹ててもて健康の意如意如意小野-洛北大原村附近。炭の骨にひらくや後夜の乾鮭の骨に-遺稿に相如の妻卓文君の作れる詩有名詞鐘」。帶刀殿-乾鮭の太刀に似ん人にたるより、せざる鳶もすさめぬ-鳶も賞美て白頭不相離の語ありその中に之に配したる固いて誰に も人々とろしくお願い「願得一「白。心鰒汁の-獨喰に敲は-たゝくは。て」いる-居る。「ふく喰盛と院と應答せし連歌の上妹が子は-平家物語に忠蕪發村句全篇集妹か子は鰒くふ程になりにけり鰒くへと乳母は育てぬうらみかな逢はぬ戀おもひ切夜やふくと汁ふく汁の亭主と見へて上座哉海のなき都はこはしふくと汁袴着て鰒喰ふて居る町人よ秋風の吳人はしらしふくと汁鰒汁の宿赤〓〓と燈しけり音なせそ敲は僧よふくと汁鰒汁の我活ている寐覺哉鰒汁寒山に木を伐て乾鮭を烹るやとる鷹か峯に遊ひて樵夫の家に風呂敷にから鮭と見しは卒都婆哉から鮭や判官殿の上リ太刀からさけや小野ゝ芒も枯て後からさけの片荷や小野の炭俵乾鮭の骨にひゝくや後夜のかねからさけや鳶もすさめぬ市の中からさけや帶刀殿の臺所から鮭に腰する市の翁かな佗禪-師乾鮭に白-頭の吟を彫鰒( (遺(新遺題遺新手( (新其日道新(句(句新(新( (遺新遺新(新新何何何五五五五五發雪句紙.五五五虚苑子子子子子遺子子子栗橋稿稿稿稿稿稿集集集)選)影集稿稿稿稿集)稿稿稿稿)集)集集
蕪村全集の句「いもが子は這ふ程にこそなりにけれ」とあるに子期伯牙-鰒汁を共に食ふ二人を、知音の親友に比せしなり。五侯前漢の成帝の時及び後漢の桓帝の時の五の おの辭して歸る途中權臣こゝは富貴河豚汁食ふとなりおのれ等が夜-外は寒月冴え渡れど鰒汁食ふ人々は暖かにて恰も朧夜の感じあり鼎に伽羅を焚く-豪奢の世上の人を-王維の詩句に「科頭箕居長松下、白眼看他世上人」ホトキ覺うつて-覺は缶(秦人以て樂器となし之を擊つて歌ふといふ友とはむ-短册手紙にㄱ人とはん」。3〓お前の下さいよつて弘鰒汁の君よ我等よ子期伯牙河豚汁や五矦の家の戾足鰒汁やおのれ等か夜は朧なる鰒と汁鼎に伽羅を焚夜哉雪の河豚鮟鱇の上にたゝんとす純の面ラ世上の人を白眼ム哉甍うつて鰒になき世の友とはむ玉川の哥口すさむ鰒の友鰒の賛先生文を揮はれたりその昔鎌倉の海や鰒やなき望月のその如月に鰒はなし遭稿(遺稿遺稿遣稿新選明鳥旬集遺稿遺稿(遺稿遺稿たりといふ鎌倉の海や-徒然草に鎌倉の海より鰹を產すろことな、へりしかれは當時鎌倉の海に鰒はなかりしにやとの意ヨ月の-西行の「願はくば花の下にて春死なん」の吟によりその死なんと願ふ如月には鰒なしと興ぜし刀をならす-大庖刀をふなりるふなり鯨が眠る-濱には巨鯨眠れるが如く横はり峯には寒月冴えて漁村の夜は更け行く錺-モリ。鯨几董判句合鯨賣市に刀を皷しけり突とめた鯨か眠る峯の月旣に得し鯨は迯て月ひとつ山颪一二の錺の幟かな手取にやせんと乘り出す鯨舟(句集新遺新題(遺遺五五子子稿稿稿稿集稿苑鴨鴛鴦佐保川-大和奈良の郊外を流る鴨遠く-新五子稿に「鴫遠く鍬すゝく水のうねりかな」佐保川に鴨の毛捨るゆうへ哉鴨遠く鍬そゝく水のうねり哉遺稿遺稿發句篇
輩するて故事によれるかての何た그を射んとして、百姓ながらー君子者也」茂叔の愛蓮の說にり花の君子師の錦革の沓も見ゆ鴦穩かに浮びと沓と色彩形狀自ら相似たより贈る號國師-國守の沓も上海市药材有限公司餘年」。この句中七新五子稿にさらば大和物語高蓮のこと。CHANGEN一今こそ百姓百姓が水鳥「蓮花之C鴛は周鴦國は駕割今居る所り陳-凍の誤寫にてを渡れば、ぐ羽色白く見ゆ風一陣-風一陣颯と湖面の池などの景ㄴ水鳥の群の立騒( Cした。 。出入口の池、巨椋-山城久世郡の巨椋伏見の南にありれる橋。戻橋-一條通堀川にかゝ發蕪村句全篇集水鳥や枯木の中に駕二挺水鳥や舟に菜を洗ふ女有水水鳥や百姓なから弓矢取鳥や提灯遠き西の京鴛や池におとなき樫の雨鴛や花の君子はかれてのち鴛をし鳥や鼬の覗く池古し里過て古江に鴦を見付たり鍬洗ふ水のうねりや鴨一羽や國師の沓も錦革水水鳥や巨椋の舟に木綿うり水鳥や夕日江に入る垣のひま水鳥やてうちんひとつ城を出るかせ一陣水鳥白く見ゆるかな水鳥や朝めし早き小家かち水鳥を吹あつめたり山おろし鳥の居所替る使かな(マヽ)磯ちとり足をぬらして遊ひけりうかれ越せ鎌倉山を夕千鳥一條もとり橋のもとに柳風千水鳥鳥(句(句( (遺題新新(句新道(遺(遺(新(續反(遺(遺新新何(遺五五苑子子五五五五明古子子子鳥炙ノ稿稿稿集稿稿稿稿集集集選草稿稿稿集稿)
蕪村全集呂といふ娼家有、ある夜太祇とともに此樓にのほりて娼家なれば渡邊綱にちなみ綱-妓の名。戾橋にあるてかく名付けし、かなるべし風雲の-月冴えたれど風模樣の暗雲しきりに徂徠する夜もすがら、千鳥の哀音かきくc火をきる-加茂の社家にて神供など調ずるためまだ夜深きに起出でゝ火をきるなり羽織着て綱もきく夜や川ちとり風雲の夜すから月の千鳥哉打よする浪や千鳥の橫ありき加茂人の火を燧音や小夜衞浦千鳥草も木もなき雨夜哉渡し呼ふ女の聲や小夜ちとり湯あかりの舳先にだつや村千鳥むら雨に音行違ふ千鳥かな便舟のこたへつれなき千鳥かな鎧着て瀨を汲夜や村千鳥(句集(句集旬集(句(遺新新遺(新集稿稿稿稿稿五子五子五子新五子稿便舟-便船の誤ならん。鎧着て-籠城中夜ひそかに出でゝ水を汲むさまなど想像せらる新五子稿(棒亭畫讃集)附錄甘棠-大阪の人苧屋吉右衞門なほ文章篇參照の前書苧屋に傳へし遺草には一浪花の昔邊に舟をつなきしよりやかて甘棠居に舍りをもとむ」とありと聽へらす-遺草には聽の下に一字ありて消せりと思ㄱきゝ減らず」なるべはるし傍に島山や-遺草には句の左「ふとん着て寢たるすがたや東山はふとんを着たるかことくあはち島山は夜着を着たるに似たり」と記せり甘棠居にやとりて千とり聞夜を借せ君か眠るうち聽へらすむかしなからの千鳥哉四ツの海に足る歟たらぬのちとり哉淡路島島山や夜着の裾より朝千鳥(遺草遺草(遺草道草)冬鶯寒苦鳥冬鶯、鶯やーこの二句、王維の緣垣の詩によりて作れりその詩に曰く「繚垣烏鵠近人飛、簾外瞳々日上遲檜作寒聲風過夜梅含春意雪殘時云々〓かんこ鳥はHANGERむ、大阪市立第一中学校高ひなの 明日にのがこんなになり場を發句篇冬鶯むかし王維か垣根哉うくひすや何こそつかす數の霜かんこ鳥は賢にして賤し寒苦鳥(から檜葉(から檜業旬集海鼠杜父魚
蕪村全集まゝ巢を作らず、夜に入れば奴隷書きに變らずなまりろれ閑てら巢を作らずといふ句はといた場しば大してた〓リを擔貧に安んじて寒苦鳥の懶にならはんとの意この句中七題叢に「貧にして賤し鍼をして見る-遺稿に「鍼こゝろむる」書生-醫家の書生なるべし杜父魚-カクフツ。〓の一種新(手遺五子紙稿草おもふこと言はぬさまなる生海鼠哉海鼠にも鍼をして見る書生哉大鼾そしれは動くなまこかな杜父魚のえものすくなき翁哉遺草(句集狐火狐火や髑體に雨のたまる夜に(句集落葉伐たをす-伐り倒す。西吹けば-東風吹けば又西に吹きよせらるゝの意言外に存す集に「東へたまる」この句中七題林伐たをす木は其儘の落葉哉細道を埋みもやらぬ落葉哉西吹はひかしにたまる落葉哉反古を、日發句集續明鳥待人の足音遠き落葉哉菊は黃に雨踈かに落葉かな古寺の藤あさましき落葉哉往來待て吹田をわたる落は哉(マヽ)隋葉を拾ひて紙に換たるもろこしの貧しき人も、腹中の書には富るなるへし、されはやまとうたのしけきことのはのうち散たるを、かきあつめて捨さるは、我はいかいの道なるへしもしほ草柿のもとなる落葉さへ旬集雨おろそかに-雨が長く降らぬなり吹田-スヰタ攝津、淀渡し場。川の支流にて神崎川筋なる隋葉-墮葉の誤。を好む紙無きに苦しむ鄭虔書時、慈恩寺に神楽を貯 取りてよし とりと (唐書藝文文人七一書藝傳)。又郝隆七月七度に、、日中に仰臥す高等学校大阪市立大学中学校藏の桐製短册箱に次の如く前書せるものあり(マヽ)「隋葉をひろひて筆したるもろこしの貧しき人も腹中の書籍には富る成へしましてやまとうたのことの葉のすてさるはたとき我俳諧のうちゝりたるをかき集めて何集旬集句集何集發旬篇
蕪村全集道ならすやもしほ草かきのもとなる落葉さへ安永戊戌冬三菓洞において夜半翁席上ニ書」柿の落業は輝度の故事のふより「柿」にもしほ草-「搔集め」といあんないの AIC一個人的な人生活力をの呼に時緣人人有有分ち(Rich)그もと」の語を出せり。舍をヤドリた。春白の-落葉の中に白がどつしりと置いれたるを主觀的にいへりこの句上五遺稿に「磨白の」。居る-すうる捨るところも-新五子稿に「捨る所や」。「黃にも白にも」。白にも黄にも-新選に村全集長生の舍をうつむ落葉哉春臼のこゝろ落つく落葉哉乘ものを靜に居る落葉哉茶〓を捨るところも落葉哉屋根葺の落葉を踏や閨のうへ落葉して遠くなりけり臼の音(新五子稿新(遺新遺五五子子稿)稿稿稿(遺稿(遺稿茶の花枇杷の花茶の花や白にも黃にもおほつかな茶のはなや石をめくりて路を取枇杷の花鳥もすさめす日くれたり旬集旬集すさめずーもてはやさず。あるかなきかに匂へる枇杷の花は鳥すらも賞美せすよりつかぬなり。句集冬紅葉人〓〓高尾の山ふみして一枝の丹楓を贈れり頃は神無月十日まり老葉霜に堪へす、やかてはら〓〓打ちりたる、ことにあはれふかし爐に燒てけふりを握る紅葉哉付集)煙を握る-愛惜の情深し冬の梅 寒梅早梅何集冬の梅-短册に「冬梅の」按ふにこの句追悼の吟なるし冬の梅きのふやちりぬ石の上鶯の逢ふて戾るや冬の梅這稿發句篇
の # #嵜刀削除依頼1999 ,000い落葉し一方に講師へり大阪府社陶弘景致仕し純米吟醸同じ木にして時人山中熱湯圓なは歸(二〇一頁參照)によろ。梅の花とは-宗任のり出る火花に比せり。火の迸る-槎材たる枝頭溫泉-に咲ける寒梅を鐵より迸歌賛に幾つ日目し見るや冬の梅」とありと。引よせて-忠臣藏七段目べている。發蕪村句全篇歌集焚火してひやさぬ庭や歸り花屋根ふきかふしんな顏や歸り花山中の相雪中のほたん哉薄枯てまねかすとても歸花木ひとつに飛花落葉やかへり花陶弘景賛八朔梅髣髴として冬至梅早梅や御室の里の賣屋敷寒梅やうめの花とは見つれとも寒梅や熊野の溫泉の長かもと寒梅寒梅を手折ひゝきや老か肘引よせてとらまへ見るや冬の梅る畫法也鐵骨といふは梅の枝を寫すや火の大星力彌の賛迸る鐵より一字二村に質屋一軒冬こたち冬こたち月に隣をわすれたり同二句この句は夢想に感せし也冬歸り花木立冬牡丹一(遺名遺句何新題旬何(句(遺遺新(連句會草稿)何集拾遺五五稿所苑子子遺小拾集)集集亨稿稿稿集集草鏡稿集遺
蕪村全集このむらの人は猿也冬木たち鴛に美を盡してや冬木立斧入て香におとろくや冬こたちみよし野やもろこしかけて冬木立冬木立家居ゆかしき麓哉里ふりて江の鳥白し冬木立(マヽ)乾鮭ものほる景色や冬木立冬木立北の家かけの韮を刈(旬)集美を盡してや-論語に「盡善矣又盡美矣。涼たる冬枯の畏中に滿目先〓造花の神は駕善美を盡せりと見ツ大豆乳幼兒句俳諧百歌仙にそふ」と前書あり、中七「をつくすらん古もろこしかけて今ふに集に「もろこしの吉野の則こもるともおくれむ我ならなくに」。我はるまでし冬木立つよりりとの意。のに 緣體終沈ん島にて船舶村上に上る氣色ありも「松に藤蛸木 とのりにきあり冬木立北の家-この句上五句集には「冬されや」。(句集何集遺稿遺縞手紙手紙、遺稿)遣稿(遺草水仙寒菊石蕗花古仙に狐丘遊ふや宵月夜水五車反古水仙や寒き都のこゝかしこ水仙や美人かうへをいたむらし水仙や鵙の草莖花咲ぬ寒菊やいつを盛りの莟かち寒きくや日の照村の片ほとり咲へくもおもはてあるを石蕗花何集かうへを-頭を。美人の頭痛なり鵙の草莖花咲きぬ-水仙、 、FAX咲けるがける勤しを盛りの-との意寒菊のい)滿開らしきさま見えぬ咲くべくも咲くべしともの意顯林集題叢に上五「さくへきも」と誤れり。何集旬集新五子稿新五子稿何集枯尾花枯草狐火の燃へつくはかり枯尾花金福寺芭蕉翁墓我も死して碑に邊せむ枯尾花千葉とのゝ假家引ケたり枯尾花付集何集假家引けたり-題林集、所名集に「狩屋引たり」何集發句篇
參照花散り月落ちて-文章篇雪月花-牛若辨慶の自畫に讃せり(稻束氏藏)。歸りけり-題苑集にもじのき(葱)」といひかけといふより女房詞にて葱をひともるかな」。一文字と異名す-葱の和名「き」句は「ひと「歸腐儒者-この上五れて」として遺稿に別句あございまの木槿は馬にくはれけり」道べたの-芭蕉のの口合「道端發蕪村句全篇集腐儒者韮物あれて韮にかくるゝ鳥孤つ霜あれて韮を刈取翁かな武者ふりのひけつくりせよ土大根大根の畫讃の羮喰ひけり道べたの御公家は馬にのられけり海士の家の鷗にしらむ夕哉雪月花つゐに三世のちきりかな花散月落て文斯にあら有かたや口合繪入いせ物語葱洗ふ流もちかし井手の里うら町に葱うる聲や宵の月ひともしの北へ枯臥古葉哉葱買て枯木の中を歸りけり大根日あたりの草しをらしく枯にけり草枯て狐の飛脚通りけり柴刈の鬢に障るや枯尾花枯尾花野守か鬢にさはりけり秋去ていく日になりぬ枯尾花雜韮葱狐(遺自〓(文遺(新何何遺遺何(句(新句蓮題遺(遺五稿、集五華苑會稿畫茶子遺拾子手袋草讚集稿稿集集草草集遺稿集)集集紙稿
蕪村全集考證の部○印のものは蕪村の句と認めて可なるもの戶明れは蛙の這入る野寺哉眼覺して出て見よ秋の聲は何右二句共に僞筆にして、果して蕪村の句たるか決し難し。短册短册右二句共に僞筆にして、○冬川や誰が引捨し赤蕪○冬川や舟に菜を洗ふ女あり○ひとり來て獨を訪ふや冬の月○氷踏んで夙に驗者の木履かな琵琶の畫賛○撥音に散るは壽永の木の葉哉(ホトヽギス四ノ四)舟に菜を洗ふ-この句句集に上五「水島や」として出づひとり來て-遺稿に下五「秋の暮」として出づ。驗者-ゲンジヤ、ゲンザ。修驗道の行者、山伏。(同占同占同上散るは壽永の-平家琵琶の緣にて、壽永の昔平家西海に沒落せしをきかせたり同よ以上ホトヽギスに水落露石氏が「遺稿の剤剛なりたる後見あたりたる逸句」としてあげたるものにして、右の外なほ「富士の圖賛、日枝の日をはたち重れてほたん哉」あな苦し水盡んとす引板の音」の二句をもあげたれど、前者は岩本氏編全集中にも收められ、後者は新五子稿に出でゝ共に確實なるものとすべし。右五句も蕪村の作ならんと思はるれど、その出所を明かにせざるを以て暫くこゝに揭ぐ。大將これをとれは百萬の軍兵を動し、美人手にふれは千金の遊客を蕩かす○眉計出して晝寐のうちわかな右田千畝氏の紹介する所。水落氏その眞跡なるを證したる由なれど原物未見なればこゝに揭ぐ。乙鳥や幹をのふかにうちかふと右原物未見。春坡儿董我則夜半いなりや大將にて居るを手中千千代行人民代表大会議院衣がげの美人と甲冑したる鬚武者と背中合せに坐せる繪に蕪村と署名しその上に〓團扇」と前書して記せりと(寶舟二ノ八)畫ける圖に題せる蕪村の自乙鳥や-野景の柳に燕を畫賛なりとのふか-篦深。(寶舟二ノ八)春坡-握月氏藏の自畫賛發句篇
蕪村全集二六二しるし、夜半と署名せりと。にて床几を一つ畫きし上にまにうたけをもふけて、床頭醜僕といふ題にておの〓〓句有○葉かくれのはつかし貌や種茄右虚明氏の紹介する所、原物未見。○ゆふくれをしらぬてはなし羽拔鳥(寶舟八ノ十三)○秋の哀わすれんとすれは初しくれ同上○松島て古人と成る歟年の暮同占右虚明氏の紹介する所。半子氏藏の句軸にして、この外初に「花に遠くさくらに近し吉野川」の一句あれど、この句はすでに蕪村の作たること明かなり。右三句も蕪村の句と決してよかるべし。○ケツテキの逃げたも知らぬ案山子哉(新江戶十四)右岡野知十氏の紹介する所。蕪村自筆句帳を交ぜ張にしそれに月溪が(寶舟八ノ十三) (寶舟八ノ十三)秋の哀-手紙に「老が戀わすれんとすれはしくれかな」とある別案なるべし松島で-新五子稿、遺稿に「松島て死ぬ人もあり冬こもり」として出づ。同上同占ケツテキー案山子の破れ衣を關腋の袍に比せし酒落にして「逃げた」は「脫けた」の誤寫にはあらざるか句意を描きて鑒定代りとせし六枚屏風(假名丸氏藏)一双中の逸句なりとて、「股立の佐々田雄ちぬ雄春の雨」短夜や淺井に柿の花を汲む」及右の句と三句をあげたり。三句ともすべて蕪村の句と認むべきこの句の句意不明なるにより暫くこゝに揭ぐ。老武者と大根あなとるわかなかな船引の尻を〓〓と小蝶哉短我は矢のまとふに暮て行日哉(〓〓畫かしかまし月のひさこの風に亂る〓〓畫以上蕪村の署名あれど、質筆なれば決し難し。○佳棠ちきるもゝ糸柳の其中へ(手○つもる雪枝をならさぬしるし哉(手○行春や水も柳のいとによる(畫以上手紙畫賛の原物未見なれど、紹介者の言によれば確かなるものゝ如し。(扇面自畫賛)短册まとふ-間遠に的をかくかしかまし-珍磧編瓢集の序文を前書にせり(〓〓畫賛)〓〓畫賛佳棠ちきる、書簡篇參照。つもる雪- (手紙(手紙行春や-大雅筆柳に蛙の繪に讚せるものにて、「朝來送歸客云々、滄溟」(四五頁參照)及び蕪村自筆の「此老蛙も春の別れをゝしむなるへし」といふ前書ありと。(畫讃)發句篇
蕪村全集二六四けんふく-元服。明安夫のぬし息のけんふくを祝して雪の山軒や二月の靑二才こひを祝くすそれかし業を繼て家の風長く吹つたへ父祖のおもて起す得若ものなりけり○若艸や藍より出て靑二才右某氏の藏にて蕪村の自筆疑なき由なれど、誤多きやうなればこゝに揭ぐ。藍より-荀子勸學篇「靑取之於藍而靑於藍」。(自畫賛未見にして且つ筆寫のゆふたちや兼好菴に傘二本○摺子木のみそかのやみやほとゝきす右寫眞版にて見たり、ある人の說に確かなるものなりと。(〓〓畫賛摺木子の-摺子木に翼生えて飛行せる圖に題す句は晦日と味噌といひかく(〓)畫賛からかさの面目もなき月夜哉此雨も月の雫よ松のかけよい種を摩訶迦羅□より玉あられ以上寫眞版にて見たり、眞僞不明。卯の花かなと咲そある雛の宿百歲の姿も見せぬ柳かな花のみか物いはぬ雨の柳哉閻王に勘當されて夕涼以上子規氏の錄する所なれど眞僞不明。棊のひまに蓼をつみ取るあるし哉右原物未見。岸駒筆蓼の畫に蕪村の賛せる句なりと。草に戀風も吹田植かな(日畫賛(同上寶を打出せる圖に題すよい種を-大黑の槌にての圖日本名畫鑑にも出づ。(同上) (子規全集十一)同上(同よ創業者250 元起來 大豆國小小に隙を貰ひてというんと醉へり同上金賛〓〇〇道草發句篇
蕪村全集〇尻の咄つきたす時雨哉遺右共に蕪村の眞筆なれど上の一字よみ難し。一本の根は四十里や白牡丹口 |右蕪村が宮津滯在中佛性寺欄間の下繪を作らんとて經ケ岬へ波の寫生に赴きし時の作なりと。遺草口 |碑經ケ岬-一里に三ツの波うつ日本海の難所なりと。橋立や松は月日のこぼれ種右蕪村の句なりとて天橋立にはその句碑立てり。三日月の牙とぎ出せ象頭山右讚岐金毘羅にての吟なりと同地方に傳ふ。口碑(口碑)東風吹くや春萌え出でゝ姥ヶ里右近江草津の姥ヶ餅屋に蕪村の作として傳へたれど、人の僞作ならんといふ。日碑)實は餅屋の主首くゝる-蕪村歲末債鬼にせめられてこの句を示首くゝる繩切もなし年の暮口碑せしに、債鬼その窮狀に驚きかつは風雅を愛して去れりと傳ふ右蕪村の作として大野洒竹氏の「與謝蕪村」にも引用せられたれど確證なく、實は某氏が座興に蕪村の句として出鱈目にいひしものが誤り傳へられたるなりといふ。西行は死にそこなうて袷かな手右樓川宛手紙の中にあれど原物未見、且つ岩本氏は僞作の疑ありといへり。花七日物食はすとも書畫の會長き日を書畫に迷ひて十二月同右書畫戯之記は蕪村の作と傳ふれども信じ難し。芦の穂に沖の早風のあまり哉新五爐開きや先ありつきし母のかほわか竹や村百軒の麥の音智恩院の一重櫻は咲にけり句酒句集竹手紙(書〓〓之記)同上)芦の穗-太祇句選、瓜の實、題林集等に太祇の句と健康的新五子稿に靑蘿の句として出づ若竹や-春泥句選に召波の句として出づ。蕪村の「朝霧や村千軒の市の音」ぜしならんと混智恩院の-信德の句。發句篇新五子稿(芭蕉袖草紙) (新々五百題)句酒句集竹後氏編篇句酒句二六七
蕪村全集寒月や、角の句。からびたる-其寒月や南大門の水の月からびたる三井の仁王や冬木立邯鄲の又寐や園に菊作り以上諸書に蕪村の句としてのせたれど、實は句主を誤り傳へたるものにて、すべて蕪村の作にあらず。○なか〓〓に雨の日は啼し閑古鳥爲經○しのふ夜の己尊しほとゝきす同右前句は霞夫後句は乙總の句として出でたれど、實は蕪村の代句なること霞夫宛の蕪村手紙によりて明かなり。なほ書簡篇參照。木曾過て二日になりぬ更衣さゝやかに袷着初る小君哉花いろの袷や春のうしろ影起ふしの身のたよりなや更衣邯鄲の-沾德の句。爲經社集同上花すりもうつり心やころもかへ山吹のおくれ咲在更衣山蔭や麥より明てほとゝきす旅立を見送りし日や更衣木蓮の枯ずうれしき若葉哉旅なれし人のやとりぬ若葉陰けふは又陸地うれしき若葉哉黑棚に若葉のうつる朝哉古道をゆけは雨ふる若葉哉早すしや鳴瀧の梅實を結ふほとゝきす橘匂ふ夜ころ哉山寺や朝めし過の郭公發
蕪二七〇飛驒へゆく人にわかれてほとゝきす時鳥世は葉櫻となりにけりみしか夜や垣のうの花咲しよりみしか夜か蚯蚓鳴なる草の宿以上寶舟四の六所載水落氏の「蛙笛」中に、蕪村の逸句として近く京の藤井培屋氏より報ぜられたるものとして紹介せり。水落氏も「悉く余が未見の句也」といひ、すべて出所不明なれば句風は蕪村らしけれど直ちに然なりとも決しがたし。連句篇
小圓小孩子野党を開始! -歌仙は一度江戶に歸りし後蕪村の發句は彼が寬保末年一個特色的な御た たんとりはC延享る二れ三有限公司ば邯鄲-廬生が夢の故事に訛か枕かいつて-枕反つてのよる。連句篇ウ餘所へ出ぬ土用の中も冬に似て墨の手て拭ふ泪の手習ひ子陳皮枕大汐に足駄とられし庭の面茶坊主を貰ふて歸る追出シに柳ちり〓水かれ石ところ〓〓かざらり〓〓と納屋馬上の寒さ詩に吼る月一味に藥〓こし〓〓いる古木の影に目前の景色を申出はへる神無月はしめの頃ほい下野の國に執行して遊行柳とかいへ柳ちりの卷つて起す邯(延享、の寬延年中)鄲〓二七三百李蕪同井萬萬井村萬井村
橫-夜着。〓水-上野寛永寺の〓水堂の頃なり振らす-鎗をふらす。十日は三月十日花盛り面に大なる腫物出來たりと中盆ほどに-酒毒のためうなひ-うなゐ、稚子。面をかぶつて-厚かまし類かつれ〓〓讀-太平記讀のと見立てたり三途川-前句の床を病床酒て嗽も-酒でうがふも師釜屋多く住めり西入の所にある町名法體して名を休意とつけた休意とついて-世を讓り鯷-ヒシコ。を賞するなり釜の座-京都三條通新町せおく茶人風の家に後の月-妾など隱して住ま鑄物連蕪村句全篇集道剃刀に反古の文字の錆付て夕蟬笹月影を横ともおもふ仇まくら泣酒毒とて中盒ほとに出來にけり松風と共に經る世のゆかみ形リ鎧のうへに米を背負フ唐閉眠るうなひに神おはします面ンをかふつて掛乞に逢ふ折せ縮敷る戎境のてに土間て絲とる藁庇緬戀をしたる說經てを坐禪するすみ染岩もみの僧ち露尼橋守〓水も十日の上野ことさらに山吹に莚下ケたる〓の戶三途川たはこに醉ふて渡る也釜の坐にやつを隱して後の月萩すゝき〓の培に色そよき振らする跡へふらぬ大名つれ〓〓讀の笠も幾花には去らぬ毛氈の蛇酒て嗽も床の休意とついて樂〓〓の秋死ンた雀を竹に埋けか人形賣も古風なり三たしなみ春りちり阿誰井萬同誰井萬誰井萬誰井萬誰井萬同井同萬同井同萬
ッ製作品出代り-春雇人の交代す小の土器よりやゝ大なる小臍土器-もりと稱する最るをいふ。又小重(コヂユはこてふに似たり待たずし胡蝶に-古今集の歌もあらじ」の句をもぢれり。よし夜よしと人につげやら「月夜棒までも賣れりとなり。師走の市-歲末の市とて池上-池上本門寺の塔。月や昔の-業平の詠やる-ながめやるあらぬ春や昔の」連句の歌によ月の乾-イヌヰ、の彫物なるべし湯屋の彫物-柘榴口など蕪西北。村全篇集鉢米雪隱にヱヘンの聲もかくれ里馬鹿聟の馬の駈出すとよみにて松風も不二より落す甲斐の城池ましら鳴く女房達と連ふしに餘出襷月やむかしの雛ともを燒く乾のかたと浮ふうらかたしはすの市に棒も侍ふ上の塔詠やる花のをかけかメを臍土器にあはれなりはり近き門の小噺の事て神に迯書を書く雲ぬ盜人杖つきに植木貰はん春の月二十年酒うる家をおとつれて夕やけや何歟降へき冬の雲胡蝶に似たり團子取ル犬大根はたけに舟人の路芝居見む花にと云し雨のひま波小鮎を詰も俗なてぬくふ重箱る湯屋の彫物も二、漁泊夕燒の卷(延享、寬延年中)反李蕪百古井萬井村萬井村萬井村萬井村萬井村萬炙誰井萬
のよりにする。あだけぬ-あばれ騒ぐこ扇子投げこむ-年禮に扇とをあだけるといふくは江戶時代るをいふ。脚の入る-吃水の深くなこの物-火桶なり。なひ-無い。月廿二日の親鷺上人の忌。お講-報恩講、卽ち十一詳〓(トコロ)の碁盤-不連おこし-お輿。蕪句村全篇集かまはねは鼠あたけぬ花の春蘇生した亭主の敲く己か門ト沖に吹く鯨の汐も露しくれ扇子投込む禮もしたしき紀の路に減らす山伏の杖冬瓜はかりも脚の入る舟-番鷄に起る粥焚埓もなひ喧嘩に月のしらみ鳧縮緬は角トたちかぬる頰かふり五六里はおこしさへなき松の濱常行燈のこゝろと闇き五月雨長持に注連いかめしき大神樂眉戰國の世に建チし古寺お史記草のはつれに豆腐賣る門春う講にしらるゝ傾城の旅待得たる川崎の溫泉たの霜に並ふ珠數 一册をとらまへて寐ぬ薛の碁盤音絕て三、愛してをなくさまれけるとなん、むかし或翁はうは玉の夜のまくらに女の名を付て、予も又寒夜のつれ〓〓にこの物を老の寢覺火桶の卷(延享、寬延年中)反阿古余誰萬井萬井同萬同井同萬同井萬萬同井同萬
吉次-京三條の長者吉次信田妻-和泉信田森の狐信高、赤前垂--海道筋の出女。名高き人物りを題材とせし名高き淨瑠璃が女に化けて人と婚せし事義經記に見え戯曲等に奥州へ下る金商人なり鳶鳥と呼ぶ鳶烏-蛸、下顎をその形狀の似たるよて足を負傷せる犬のさま薪をくらうて-薪を擲れ烏賊などの上菊なりときゝとるなりは燒七性にせし香の名を白く多量にくゆらすこと燒亡炷-香を惜しげもな白菊-伽羅の名。句滿期の とさ第四十二物質の如果け見れば選州濱名湖。ㄴ海南京市小石川區西江西小学校ㄱ詠んで。と吟じたる翌わたの原ふりしたる重箱提重- 手にさげるやうに連蕪句村全篇集探出す蛸の天窓の鳶からす惜そうに寺ひらかるゝ花さかりそこら中吉次か目見金そかし春白菊とぜうもう性も利とりて振袖を抱た男のよろ〓〓とや忘れしシテに耳こすりするみたれし鬢にきぬ〓〓の酒ねりは手傘てわたる祭禮薪をくらふて足引の犬影繪おほろに信田妻やるの夢赤前垂の膝まくらはり肩をも敲く撿校强飯に寒き濱名もわすれめや唐人に詠むて聞カする家の風行秋に足袋の白きも初心也駕古池に楠の雫のしつむらん前うしろありや火桶の撫こゝろ鷹おとなしう帽子着て居る旭千問客もの呼ふこたま日は落に鳧舁の疊屋のの外頭巾のか鋪に衆袖は中何もな一寸の釋の提重にふる影も薄月夜きゝる折釘海迦菊蕪百李井萬井萬井萬井同萬同井同萬井萬井萬井村萬井村萬井
蕪村全利とり-きゝとり。忘れしシテ-能のシテが謠の文句を忘れたるに耳こすりして〓ふるなり天狗と來ぬる-謠曲花月による全集ヲホソラ虛空を天狗と來ぬる國いくつ木の葉落しに靑錆の塔案內の錢取からにかき消へて鹽屋に入ツて鯛を煮さする文臺に是か成ろふ歟けふの月しら鷄頭もいつ迄の色呼出して狸を見する秋の暮破レ障子になくて有る不二煤掃に草摺切るゝ古具足ごつちやに成し我子乳母か子神主ヘ三百疋の花 の宿彌生てしいる十二盃萬井同萬文臺-短冊をのする低き机俳諧の席に用ふ成ろふ-ならう同井同萬井萬井萬しいる-强ひる。反古炙く「連鎖していて、を立句としたれば○村以卷句も巴人の沒せし寬保二年後のものにして何処理の素材この 個人今日前に前の作延年中と定む四、細工人の卷(延享、寬延年中)哥僊おもふことありや月見る細工人聲は滿たり一寸のむし行く水に秋の三葉を引捨て朝日タ日に森の八棟居眠て和漢の才を息ふらん出るかと待は今米を炊ウ椽はなの立小便に海すこしゆふくれなゐをしたむ雷宋春大蕪雁存阿來濟村宕義來濟三葉--三葉芹。森の八棟-前句の三葉を古今集序の「この殿はうべも富みけりさきくさの三葉四葉に殿作りせり」の歌の三葉に見立てたるなり待は-待てば。椽はな-緣端。海すこし-海凄し。ゆふくれなゐ-夕紅、タ力 大 200 2 0 0 0 元 30休日,國防...連句篇句
蕪村全集るとなり。魁ん恩賞うすき老の身をすゝりあけたる下手の長泣そのゝちの野上ハ風の音はかりいくとせ兀て語鼠に毛もなし錢塔の二文落又五文落根にうつほ木の命ありたけ浪人の智惠の鏡もかき曇(マヽ)信濃につゝく新潟の月百疋の花を角力のあやにとる赤とんほうの染あへぬ尻ナ渡し場に各〓〓駒を引立て乞食坊主といはゝいはねの村宕義來濟村宕義來宕村濟野上-美濃國にあり。へ遊女の多かりし地。古鼯鼠-ゴソ、むさゝび。錢塔-錢を塔の狀に積み重ねしをいふも古新潟-新潟の誤。赤とんぼうの-蕪村の句に「そめあへぬ尾のゆかしさよ赤とんぽ」玉水-軒より垂るゝ雨滴玉水も廓の軒の一つらにけふは女の家あるしかな踏馴し我確にはなれかねいつくをさしてつら當の旅しかももとの草履にはあらす藁草履をほつかなくも慈悲心と啼猿丸の顏をかば茶に彩色て五節の舞の君か呉服屋冬の月岩もる水も東むき松葉焚らむ一しきりつゝそたつ程そたちて瘤は古ひけり發願文をしみ〓〓と聞義來宕義來村濟宕村濟義來しかももとの-方丈記に「行く川の流は絕えずしてしかももとの水にあらず。覺束なくもー「をちこちのたづきも知らぬ山中に覺想いない佛法會といふ鳥の啼聲慈悲心といふやうに聞ゆと猿丸の-呼子鳥は猿なりといふ說あるよりの聯想。彩色て-いろどりてゴ七チ五節の舞-大嘗會又は新嘗會に公卿國司等の娘五人を選定してまはしむる舞0連句篇
第一七進の意。附句をなせり鳥はもの-鳥はものかはさえつり-さへづり。の時計にこの卷は寶曆二年三月十三(遞信省)合計三句おしむ-をし(惜)む。に見ゆる天狗。是界-ゼカイ、甚六なるが通り相場なれば發明-賢きこと。謠曲善界總領は連蕪句村全篇集寢て戾る爲にして置花の宿茶碗に乘てありく仙人おしむ秋日暮の事とおもはるゝ中垣の柳とちらか前うしろ中略三月十三日第三是界にそゝのかされ銀山總領の發明なるは法はつれ留守をたのまれ我庵は留守ヲわらひ貌あらまほしきは涅槃像雲雀の飛たあとてうなつく中略川そひ柳みと り此法や百さえつりの鳥はもの法樂十百韻五、第二雙林寺千句の卷(寶曆二年)鶯於東山双林寺閑阿彌亭興行第一したれて筒に袖はらふ藤すり鉢に花も朧のとろゝ汁痒さをしのふそら寐入にて南降る障子の帋の息つかひ柳一三月十三日二八七丈隆丈(東二八六蕪丈春信蕪田鶴嘉田風石志石村石雄福也村樹石流濟宕義村
初鮭-秋初めて漁獲されし鮭。句は初漁の祝のさま。急用の手紙ゆりて-許されて。屆くやうにと時刻を限りし時つけの狀-いつまでに呑て-酒を。涼しき宿夏陰の宿-木の下今暫く筆寫のままに從ふ寫とおぼしき所もあれどこゝに出せり藏者たる宮津黑田氏が散佚せるを以て筆のものなりし興行せるものるに會しもと二卷共に蕪同地の俳C隨て往々誤がかげの連蕪句村全篇集觀音の前にゆらりと花の瀧長者夫婦の中のよい貌ふり袖に秋の模樣を散めかし帆も月も一はい持てみなと入待ほうけ默てもとる時鳥勘當も母の手前は疾くゆりて藏建る場を菊畠に買とらせ露ほと呑て詩にも下手也砂耳下の關から時つけの狀二階地は草もなの遠いも有かたい僧は事に成た初鮭い小松原てうちんは持せた斗り宵の月あらひよき洗濯ものゝうれしくてはしたてや海に一刷毛靑嵐杖たよりを問へはまた二三度もも六、預(その一)か橋立歌仙の卷(寶曆五、六年)る夏陰の宿餘所目には普賢菩薩も雲の峯四角なる道はふまさる竹荷ひ握拳て後世のた(中略ねまく六、(中南尺催柏路時雨ろ時波布馬雨溪柏(双林寺蕪珍春千句)村之雄竹桂蕪吟雲鷺村松溪龍狸溪龍村松裡
峰兀したき-誤寫か、詳籠などを肩より外して休む時息杖-いきづゑ。支へにする杖。荷物駕と降り來しなりはら〓〓配劑に常用せられたり生姜一片-漢法醫の煎藥云巴-「いつば」とよむな雨のはら〓連蕪村句全不篇集朧月客に隣の夜着かりてうくひすや笠に脚袢の無分別何かなしほに若布二三把(その二)花に來る客に緣者はなかりけり目つかひは峰兀したき朝曇り寢ころんてもの案れは一葉散請窓からくゝる新そはのかさ霞芝居の太鼓またたゝく也出のる內筈も外の間違た文も春色御談義の仕舞に丁度月も出て草息杖の連か追〓〓およきつく雇人も井戶の淺いをよろこんで薩摩から系圖を問につかもないひち枕椽の日うけのあたゝかさきよろりと噓をついたてんかん竈をせゝれは谷のほたる火加干ものに世話やかすはら〓〓塵臥て神も晝寢なくさみになる孫も三人減との網出て雲雀高〓〓云巴生姜か祭一過片も蕪吟桂時時村松龍龍村雲波尺龍馬雨村雨松雲竹村龍柏尺馬波
臥見-山城伏見。ればはたかてくれは-裸で來うら向-浦向ひかなりやらう-不詳。ともよまる。指おられ-「ら」の字「か」おかれ」か「さししからぬ-叱らぬ。さして口-差出口。桐壺-內裏淑景舍の別名連蕪村句全篇集四琉球の人は何とか旅の召ませと互にかふる兀仲間陸なれば遠いに船のうら向藤柄のはやつた事も二十年土橋のあふなう見ユる雨上り臥無朝はたかてくれはなりやらうなり諷をしへになれは町から子供の世話に又猫の世話疊時を鷄のふれる道端見筆半の表て城濟かへして松の月の光る稻て通る金秋妻持眞直な道を曲ンて花もとり糸寢はくれの又寢はくれる雁の聲誰やらに似たとて急に瘦らるゝ精進日に守本尊の指おられさして口女房しからぬ長閑さよ卷いても着ても兎角ちりめん使夏痞のくすり富士を見て來いきいとつれ〓〓の桐壺に雨鬢の嘘つく植木屋か春のふの娘けふは傾城に投只て今成わたすた更百衣兩建柏東建鷺陌龍陌十陌同村十山陌巴龍陌村十巴松同陌龍溪陌山十
見るべし枝ぶりを愛する當主の性格造り樹も-自然のまゝの墮弱-惰弱の誤。入すや-しまずや。近くにありき。巴人の居夜半亭は時の鐘の石町-江戶日本橋にあり忌追善の吟なりこの二卷ともに巴人十七囘內の古社なり式の神名帳に見ゆる所謂式神名帳に乘た古宮-延喜連蕪村句全篇集造り樹も我代に成て延次第山樂しみも朝寐晝寐は墮弱なり月淋しさのあつまる雁の國境ひ我宿とおもへは凉し夕月夜流石に角なくまん丸な苔足る事につき無事に寄友大あとを拜んてそつと通路身には入すや相撲取とも幽の連觀音堂に指を字れをしたふ梅檀の陰過る驛路の鈴さえて一枚そこらみな水(マヽ)折たま〓〓に訪れて浪の暖き駕居へる芝ヘ跡からたはこ盆氣みしかな庄屋に村はつかはるゝさや走る刀も秋の目に寒し山花はまたなる筈のきさらき神和睦の風のかはる手の裏登れは月も登るのり合の名屏帳風にに 霞乘むた薄古墨宮七、石町なる夜半亭を靜なる座臥と定め(その戴恩謝の卷(寶層八年)こむ亡如嘯蝶宗千宋楚故武盛稻執師太礫山夢專虎屋雀〓然住筆松陌十山十山村巴
連ほうがら-不詳。重ひ-重い。吉凶を判ずるなりに見たることを解きてそのあはする夢-夢合とて夢慈明忌-十七囘忌。蕪村全集句篇風薰れ十七年の戴恩謝返り聞腰はほうがらほとゝきす春日野をはだして步行京土產重着に樓よりおりる月の人朝寐好こまり入たる鷄の聲嶺聳へ今川の名と分るらんなからへて重ひおもひのちから事鶯にとふらひ聲はなかりけり撓みたる身を帆にかけて花百里流るゝはもとへ戾して願ほとき逢てあはする夢を評判程よく續く舟曳か道久しき垢を拭ふ姿鏡露いろ〓〓に草をうつさせ座香をなしてしほる帷子流にあそひこゝろ凉しき蟲も膝折ぬりものゝ上其額に皺も見へす永き日枕石屏亡師慈明忌一順(その二)下略町風のに春書捨の入相る恩宋二九六徒流志可仙千鈴盛武東嘯宗宗雁几蕪雁以婦屋遊鶯樂焉漁虎賀住然明山是專使圭村岩文山
忌追悼吟なり追善-幻住庵雲裡の一周揭げて下略とせり以下原本には三ノ裏までを道惡くなれる所に板投げお雨の溜を-雨水の溜りて乘ること乘かけ-荷をつけし馬にたるもの。重の内-きてその上を通るなり重箱の中に入れ連蕪村全集句篇餅好の.大名通る花の山藏付に上座の分る 臺所假橋は疊ならへたやはらかさ月影に舍人は先へ駈て來る節句さへ忘れて居れは重の內乘懸のうへに斯はめつらしい手習ひに外の事まて呵られて啼捨の跡も追はれすほとゝきす見ぬ時は名にこかれけん藪の月須磨の浦淋しからさる繪空こと江戶紫碪そよとも吹かぬ樅の大木世につなかれて山科の秋雨のたまりを板なけて置箒やすめは舞もとる塵胸撫おろす月もみしか夜撫られた損たゝかれてしる犬ひく沙汰のなき狩は虎八、雲裡追善の卷(寶暦十一年)に追善歌仙一巡合下のす略塵もそめ込賤か念佛東桐舍皇都連(戴山西和烏百子文蕪巴似巫蘆恩柳蕪稻雙桃宋羅只文尋鳳丸下村白水山角謝山村太鳧莟里職水
トノヰ雲に掛鯛-諺「雲に機橋夜着を入るゝ袋宿直袋-とのゐもの卽ちのもちり二尾の掛鯛と見立てしか三條五條の橋をㄴ夜の細工-葛城の神は夜のみはたらきしよりいふ。かつらきの-發句篇參照り明和八年歲旦の三ツ物な爲靑帝」鐘」の諺をかく。ど後世多くは春の神の稱とすてうちんに-らん東君-太陽をいふ、尙書緯に「春爲東皇、又とあると混ぜしな「提灯に釣され頑張るもん嚴くしは專ら三月の節物として行鷄合せ-鬪鷄の戯にて昔意人が恐れて敬遠せりとのをり)ふ句はかゝる武土をて 外には の來たか-來たが。連蕪村句全篇集音なしに春こそ來たれ梅一つてうちんにつり鐘凧や霞らん二つみつ葉の匂ふ裏東君道したらくな宿直帝の長閑にて比叡愛宕風渡るなり花の春三條五聖條節雲に掛鯛獨活の香に近つく惡魔なかりけりかつらきの番子脫はや明の春夜の細工を見九、歲旦三つ物(明和八年)歲旦せる蓬萊山雞あはせ拜むといふて大事なし問はすに來たかやはり近道餅人寺のさはらぬ侍のひれのは誰も留主なり花盛炙に草を揃る一〇、(その一)春興の卷(明和八年)九、爲(明和辛卯歲旦帖)蕪子召村曳波召蕪子子召蕪帽和安羽烏只子波村曳曳波村塚角里鱗六蘭
リ役目の爲め特に刀を帶せ江鮭-あめ。しなり役にさゝれた-今日ばか珍陀-江戶時代舶來の葡廣間と見立てたり千疊敷-客を饗應する大萄酒をいへり紅毛-オランダ。人やすみれ-住み、〓麁相致した。-二人の詞なり。大事ござらぬ山の端-洛北山端に平八形容。毛狀の根の如く細く短か芋毛-薩摩芋に生えし鬚白とろつべき-酒に醉へる赭顔のさまき居はる-すわる。連無村句〓全篇集なま長い貌へさしこむ夕日影枝川に江鮭を見つけし小百姓狩紅毛の珍陀葡萄酒ぬるみ來て鳥遠く日に〓〓高し春の水萩役にさゝれた刀わするゝ人やすみれの一すしの道凡き(半丁缺)かぬ千らの袖も身にそふ朝の月疊起敷る風は折と云ヘ々し芋毛ほとの髮眞白にとろつへき藪醫者の何を工夫の長雪隱屋根裏に鍬打かけて休メおく居ハる舟夢は跡なくさめに鳬寄高麁相いたした大事ごさらぬ蚊に一味して降かねる雲鳥書出し入と書れたりけり山粒とり傳ふ八束穗の米方足平の居駄氷は小胯をねらふ猿眼幽山の端ナにの下を流れ去月はの平八筋違あまた女を春興奪ふ强盜々執馬几太蕪子祇董南村曳南祇曳村祇董南祇董曳村筆南董祇村曳
軸に言か風島-發句篇三九頁參照明の方白き飛ぶ」。名もなき蟲の-蕪村の句にりとす。又惠方ともいひ萬「陽炎や名もしらぬ蟲の歲德神のある方代用にするなり暮串-幕を張る時地上に立つる串花一木を幕串の「見渡せば柳櫻をこきまぜて都ぞ春の錦なりける」。春のにしき-古今集に連句馳走ならんと推するなり聞ゆる麵棒の音にて蕎麥すとゝんのとん-庫裡にのなり。下タて-下手。といふ名高き料理屋あり。無村風下の方全篇集明キのかたわするゝ斗春たけて風鳥の喰ラひこほすや梅の風二日月月を友とは申されす留主居なからに翌は寐に來い名もなき蟲春興哥仙の光る陽炎幕引上た網にたかれば馬の沓蜂翌串にも日燕の足らぬ所に花一に和と鳴ル太鼓哉宮殿樓閣木賢人に新酒一樽ねぶらせて松明を下タてに立よ山おろしあ帷幕のうちへ金を借リ込の峰この嶺秋の隅々(一丁缺)禪住メは京こと更花のみやこ人一氏子と中蕎麥と悟つたすとゝんのとん松春のにしきは柳から織ルヶ村みな正直な家來筋僧に折ふし逢ふも藥也に琥珀のよい御託宣の風氷る聲一に(その二)にる召竹猫岱金後宇貫羅鐵烏太自斗田蕪波護帳山龍旦梅山雲僧西祇笑文福村董村南曳
照德本-發句篇一七一頁參平城-奈良の京。聯想あり。鬼鹿毛-小栗判官などの〓策--第策の誤、をいふなり地專賣權を與へられたる人絲割符衆とはその生絲の内買する權利を證する割符。を植ゑしものき0忍返し-め塀の上に尖りたる竹など盜人に備ふるた絲割符-舶來の生絲を賣あきたけ題と酒落れしなりおうしろ着るべき先方の人の年頃分隱し題なりジにへた歲はい-年ごろ。推量するを隱し何歳位ならんかその贈りし衣を煮え立つ。歲暮の衣配連蕪村句全篇集德本は百姓駕籠にゐねふりて有入方を忘れて殘る春の月親の前阿房に成てくらす也新らしき忍ひかへしのするときよ朝の雨そこら濡して晴にけり置法の場掃除は常の事にしてけふも雲雀のあかる平華見にまかる船のこしらへ合歡に吹るゝ鬼鹿毛の汗おもひ切夜のひとつ雷つ失きひし簷早い日蓮築のの筆城舌故銀屏にうき雲わたる月の前うつす松望む處へ枝たれて歲はいはか〓し題なり衣くはり供あよんべはしめて雁を聞候にへたつ釜のあらいさきよや春をまつ氣のうち揃ふ友〓の噺にこそる船の秋歌つかひも絲割符衆仙一一、き衣配りの卷(明和九年)春五蕪馬竹武多(明和辛卯歲旦帖)少村然護南少武雲村南護然少武雲村南護然少
差色の如意色「榎茸に散見す叢生榎根上、裏白有細刻東京市小石川區西江有微茶道-茶道坊主。十性-十種香、水主-かこ。どびろく-濃き濁酒。斷す-絕えず。連蕪村句じしゆか全篇集身に馴ぬ袷にむしの聲かれて御在國には珍らしの月見臺船ことに上つて豆腐捜すなり化そ婚禮も師走のとつさくさ紛れ寶こはり腹廣き座しきにイみて茶道ひとりの秋の夜すから破平此近邊の山ほとゝきすよい機嫌しやと笑ふ十炷家の寺つくしの彫物にあくれ太鼓の時も違へすふな榎茸たつ五月雨の跡の有さま朝風に水主も烏帽子を着たりけりやへ葎除醜漉賣も見かきりて欠〓〓て月もなく成夜寒哉遠秋しつ山高かく遠さに謠山低一し番植込んて春も奧ある華の宿我々盛往來か氏の神とはいかめしきなの音も斷す永らへたる處强飯き日ニ、欠け〓〓ての卷(明和九年)竹儿蕪(明和九年春慶引)筆村然少執董村護董村村南武雲南然雲少村南筆雲
書記も云々象とす候の順を得たるにて太平の吹き十日に一度雨降るは氣馬にて體軀矮小なり。に禪家の僧職五日の風-五日に一度風を休むをいふにて事故の爲參禪又は念誦土佐駒--佐佐より產する-書記典司共放參は禪宗て連歌を興行したるをいふの三人大原三吟-宗祇宗長基佐洛北大原十如院にきし話ありさらに松明の炭もて戀歌盞の裏-伊勢物語に盞の附近大津八町-大津關明神の七ツ-午後四時。人にて奇行多し。惟然-ヰゼン、蕉門の俳とある俤綱手はや引けといふり、佐日記朝風に、日C朝北の出で來ぬさきに御舟より仰せたぶな「楫取舟子どもにい記も扇に-土」など連蕪村句全篇集用冬空の七ツも聞す夕くれて憎まるゝ烏も花の森へゆく戀くさの何をたねにや云よらん逗留ものらりくらりの惟然坊究竟のこのした陰よ藤若葉獨活の苦みも大原三唫ともし火消へて春の夜の月なれ衣濯く波のうね〓〓魚荷の蛸を所望して見るよ日のい記も扇に書てことたる有時は童の見へぬ也葬禮に大津八町土ゆく水に月洩れとてや竹床几狸とはしりつゝも又碁を圍か肌寒う和尙の疝氣揉て居る一五日の風のわたる葉さくら疱身は人質のとしも去ヌめり書貧戀はらけの干間美し狭莚に佐奏わすれ之歌記瘡神駒村とも典司も放參の體にのに見光小鹿を追ゆる葢ぬ 我輝言はしまるくふのを憐鞍聲裏て鐙の董村護董村護董村護董村護董村護董村護董村護董村護
語の歌有りやなしやと-伊勢物やなしやと」の句による。「我が思ふ人はあり五年)廿三囘忌追善その秋太祇三囘忌の追悼吟にしてと前書してこの連句を出せ「脇起之俳諧」(寛政支持精神社はその度あり。の日までをいふ八專-壬子の日よい癸亥間大降雨年に六茶にかうじ-茶に高じなまたく-全く。衒-たらし。に「臺に立る」。臺に立たる-臼唄までも武骨なりとなり關のひがし-關東諸國は連蕪「その秋」村句全編集長家花二代またく色香のおとろへす綻ひも男の縫ふた旅ころも今すくな流にみつ葉川苣降そゝくれて仕舞八專けふは街か二人まて來たに中晝飯時と成にけり懇意を捨ぬ大音人のとふまてに細りし食の味千早振神に仕ふる古鳥帽子臼うたも關のひかしは聲高に茶にかうしたるよ詩にある住居也親も子も鷹野の供に召れつる有やなしやと振る五升樽三日月の舟もろともに棹さして人のこゝろの撓むしら露臺杉に立たる若衆見初る宗祇をとめて輕い寐道具霰こほして苗匂曉雲はの雨晴行蕣やはかなさいふは跡の事太祇師いつの秋にか有けん我亭にて卽興の短册あり一、太祇追善の卷(安永二年) (其)蕪呑几蕪嵐五呑几五嵐吾多執馬雪太祇居士董雲山村獅琴少董村山雲獅影筆南村護董村護
初昔、滴嵐山-「その秋」に「必化」。月廿一日初めて茶をつみと遠きか花-玉水-軒より垂るゝ雨りて製せしを初昔といひその後に摘みしを後昔とい香」といふ諺による。。昔は廿一日の合字なり後昔-宇治にて三「遠きは花の山」。五雲-「その秋」に「嵐譽識-ほめそしり。ㄱ音色も若き山伏なるべし。むしろ帆に」。むしろ帆も-「その秋」に峯入の若き八聲の鷄-一番鳥は八聲なくなりと(袖中抄)席なり碧巖-宋の圜悟禪師の著したる碧嚴錄C席は講義の連蕪村句全篇集錦木のこけてわひしき露霜に懇なくすしも年の老にける句作りのおかしからさる秋くれて中〓〓に遠きか花の友なれや興恨能すなをにはしる亭の戶障子朝摘む初むかし挽後むかし盡あはや焦ぬとみゆる挑灯日に消ぬる顏キる頃の咄しに實か入りて鎌ほしく思ふ百性なき月雪の玉水の松しま(マヽ)世藥鑵とはあまりの事の藥好莚月日來我か小太刀うれしき更衣豊花は櫻さくら散ともよしの山名もなき樹〓〓の立伸る頃音今金八帆も追風うけて奇麗也の朧色も若き法螺の厚総聲にの箱を積日中は翌の町て鷄幾爰に日和の譽議ののや日御か中の幸さねたり聲の雉子行碧巖の席觸來流川今は日谷嵐蕪呑多几吾五八多呑蕪多五嵐几蕪嵐五吾八呑吾多月.山村獅少董琴雲董少獅村少雲山董村山雲琴董獅琴少
れて天九江郡の司此夜樂天-白樂天の琵琶그花落鳥啼-の三十石舟の舟着場なり月落烏啼霜滿天」によるとり高山大学院山城伏見の南、なしたるなりある夜客を送り舟中張繼の詩句前句をその俤靑な左遷せ樂C昔淀川字子告子-神佛に祈りて得しひづみ-反り曲れる〓。く束ねし酒屋の看板さかばやし-杉の葉を丸るもつこ。簀-土などを運ぶに用ふ永元年と定めたり前の吟なるべし序文あればせるこの連句は安永元年以明鳥には安永二年秋几董の,冬季を發句と今假に安連蕪村句全編集ナ燈盞を鐘鳴方へかたふけて隣鍵持京橋や河內路かすむ昏の月古家のひつみ直しぬ兎角してとろ三たひ迷へる哥の占かた花立此冬のひなたを見失ふたり山をはなれて坂にとりつくか小夜ゝ摺ル音春深く聞ゆなる落の疝氣いたはる草枕ら鳥便雪樂天折竹を起しつゝの啼答江州の司馬開へ帳高の損〓〓穢告子頭いさよひの心地更たり宵なからふししけき竹を簀に組わひて施風ひや〓〓と漕かへるふね霜日頃の狸來すなりにけり多村に續キへ行にに才ある聟や撰らんやかけん裾へや古〓の聲ああとのり我床の下て箒秋塵の取帘一四、於夜半亭兩瞼三十六句古衾の卷(安永元年)蕪儿村ゝ董)村ゝ董ゝ村ゝ董村)董ゝ村ゝ董村
「寢殿に鳶居させじと云々」鳶居させじと-徒然草にといふ所あり。宿泊せる時立つる札。關札-本陣などに大名の名せみの小川-鴨川の異作りし緣側。丸木の椽-丸木のまゝで盡へし-つくすべし。りひさげ-銚子。」れば心づくしの秋は來にけの間よりもりくろ月の影見椎の木も-古今集に「木連蕪村句全篇集曇りても晴ても月の名は高し行二十荷と十荷と魚荷群々てすかたを忍ふはかり寒聲丸木の椽のそのみそのまゝ年の哥女歌舞伎や夜の 梅仙ありふれた鯛の料理も花の時上下せみの小川の水ぬるむ春着たる百性(マヽ)の顏關札に鳶居させしとおもふらんたゝ獨り法師なる身の田を植て椎の木も月洩秋と成にけり翌も降へく雲かゝるみねいてさらはひさけの酒を盡へし奈良の鹿物くるゝやと待貌にみしか夜を倒臥たる禿とも離もし此邊にちかみちやあるなきあと訪ふて露にイム釣瓶に魚のあかるあかつき小社のぬしの付イて狂へる宮尊とく守護申つ提器る一五、行く年の卷(安永元年)る明嵐必多武蕪執山化少然村鳥筆董村ゝ董ゝ村董
蕪村全集書よこす-書き汚す。日記-にき。秋おもしろく書よこす日記ウ初雁のわつかに人をなくさめて草履てゆけは沓て出向ふ白妙に散盡したる橢の花いかさま夜やり日やり番匠かまひすき世や常釜を奢とは帋子羽織の燧から倦きぬ〓〓の寒さもともに殘る月すは春色も廿日過から塔普請も華の咲迄に中の雷に裂れたあとの寄生あらかねの土に汚れて二三代几董然村董山少然村少然董山モチ櫓の花--ののののべし縞花は四五月頃細白花を開く夜やり日やり-いつと日천안에이라는事の位事大賞に在ひ又「日やり番匠」とみ多き大工をいふは諺にて仕事の中途にて休番匠かまびすき-大工。やかましきうるさき等の意常釜-毎日茶の湯の釜をかけおくこと紙子羽織の火打-紙衣の袖の部の特に破れ易き所に紙をあてたるを火打といふクツチユウ塔中-塔頭一山內の子院をいふC寄生-ヤドリギ。あらがねの-土の枕詞。は自剃-人手をからず自ら鬚髪を剃ること藤房-藤原藤房。南朝の忠臣、のち諫容れられずして出家遁世す自剃うらやみたまふ藤房ナ折ふしの祠詣てを腹へらし艘つなき捨し裏門片脚て寐かゝる鶴に山おろし翌の法問誦して見るなりとほし火のもとに火鉢か消へて有かゝる師走の果に長尻觸狀も曾我中村は垣隣木綿を着れは暑き初秋抱子より負ふ子の拜む三日の月質屋も見ゆる里の露霜讀うりのつまる所は戀にして村少然村山董少山董化村然曾我中村-發句篇九六頁參照抱く子より資ふ子-諺にㄱ負うし子より抱いた子」とあるを逆用す。讀賣-市井の出來事を繪草紙唄物などの刷物にして連句篇
りあるなり兼題の月に題月」と記せし紙片など貼壁間に「兼巖經-楞殿經。リヨウゴン能茶-よき茶入れてや撰ひし-選びし。騒客-文士。條に出でたり几董自筆の日記安永二年のりなすなり葉を聞きて吉凶を判するあ櫛占とて黄楊の節を持ちてり衢に出で占ひく櫛-辻占の一種にり歩くこと往來にそれを讀みながら賣これ黃楊を告の義にと見えくる人の言蕪村全集連句篇勅我家のなき故〓へ歸り來て初雪の空さりけなき朝ほらけ兼題の月に烏帽子の落かゝり夜の鶴啼捨ぬこそあはれなる一つまみ木挽に能茶入て遣涼しくやとる月の川面擾大百撰ひし廿三脊戶を明れは見ゆる近道使にも里あなたの旅思ふ秋キ巖うなつて菊の口上經の女 翁外は默〓〓日めてたきの罷出てナウ華に暮はなに明たる方百里返し遣る傘に狂歌を書付て更過てとちへもつかぬ鐘の聲春獨占ひく櫛のたしなみを出すのの錦に配るつはくら按か摩れ所の手長あし長や山崎の町萍を吹あつめてや花むしろ一六、諸國の騒客にいさなはれて下河原の邊なる睡虎亭に會す萍の卷(安永二年)呑蕪儿丈舊呑蕪(安永二年春慶引)執筆山然村少董山村溟國董芝國溟村董芝國溟村
實際は、書きなすほうな中津川淺よきを選ぶ。阿瀨川(電話本局二本)小原、明治天皇その所謂熊靑葉の色芋瀨湯金打-武士が約束を違へ髮の生際を少し剃りこむこ줄の契をかへじとなり。角入るる-男子元服前前とかはらし-變らじ。衆道國史-國司の誤C幸流-能樂の小鼓の一流宗達ゆる童女の名茘枝-蔓茘枝なり、宗達-寛永頃の畫家俵屋檀紙-奉書の一種。伊與簾-伊豫簾口にあてゝ鳴らすことぬ證據に刀を少し拔き、を露はすを結び熱すれば裂けて紅肉늘にさしたるまゝにて鍔を鯉. C味甚甘し源氏若紫卷に見〓秋實腰らずおりにさはらす-折に障ヨしをいへりめに石の削られて細くなりようさゞれたり-水のた蕪連村句全篇集陽似合しや蒲の莚に伊與簾角入るともかはらしの金打し鷲の羽の落散る道に杣か聲花鷺一羽とまりはくれて下りて居罰幸流の肘の少ししほれて今佛の日とておりにさはらず糊こき文をつふやいてとく炎瓶水せく石のよふさゝれたり利のと千の生國花あ史石船散盡す妹か許る俗名のも笠嫌に何をひ神也焚宗花守の祖父をことしも年男中わるき軒を竝へし八庄司むら雨の晴てははらり又はらり物喰て痩るいぬきに守りか付晝茘枝に揚枝付て出されし橫日に光るふらすこの魚靑達檀帋の反古のうや〓〓しさよきをすくる元日の松時のの右に狐滿屏風露けき寺の 月坐來のる貧しくも鳴第一の風西羊音芝村董國羊村音芝溟羊國音董芝村國溟董國溟芝
蕪村全集(几董自筆日記)この四歌仙は、續四歌仙の序(天明七年夏)に几董が今より十六年前のことゝいへるより逆算すれば明和八年秋の吟となれどもこは凡董の誤算なるべし樗良安永二年秋に上京一恰も且つ凡董の日記等やはり「この邊ㄴ年代と定むべし。以てその吟咏の潮見にいのこゝに薄あり、に萩もなからでやはたへて-絕えて。今はすでに出舟の便もなくに、に宿とる外はなしとなり。貫之が娘-紀行といふよ90米大半上海上海けたり。でものだろこと見ゆ半部-ハジトミ。弓弦ならせる-主上の御惱などにて物怪を拂ふため鳴絃するなりいそし-いそぢ、五十。一七、一夜四唫の卷(安永二年)四歌仙其一薄見つ萩やなからん此邊り風より起る秋の夕に舟たへて宿とるのみの二日月紀行の模樣一步-變貫之か娘おさなき頃なれや半部おもく雨のふれゝはさよ更て弓弦鳴せる御なやみ我もいそしの春秋をしる蕪樗几嵐村良董山良村山董汝にも頭巾着せうそ古火桶愛せし蓮は枯てあとなき小鳥來てやよ鶯のなつかしきさかつきさせは迯る縣女若き身の常陸介に補せられて八重のさくらの落花一片矢を負し男鹿來て伏す霞む夜に春もおくある月の山寺大瓶の酒はいつしか酢になりぬ五尺の釼打おふせたり(マヽ)滿仲の多田の移徒日和よき若葉か末に沖の白雲村良董山村董良村董良村董愛せし蓮-周茂叔の故事をふまへたり女。縣女-アガタメ、田舍の若き身の-國司が新任の披露の宴などの體田舍の攝津多田に住して多田を姓とす滿仲-源經基の子、移徒-移徒の誤。連句編
の櫻などび鳥海山の噴火のため陸地地形を變ぜしが文化年間再まれたり象潟-羽後由利郡。となる明治卅年 其他の時間を「歸而謀"諸婦。婦曰我有斗之需酒藏之久矣。以待子不時濃酒ありと-後赤壁賦に白菊に-意は白菊に露置けりといふだけのこと連うちまもる-見待と-待てど兩鶴を畜ひし故事の俤。逃げたる-林和靖孤山に迎の紫雲と觀念するなり。念佛申して-藤の紫を來蕪村句める。篇全集小暗借馬に秋を涼しくまたがりて白菊に置得たり露置得たり濃殘そめ手こねの香爐打守りつゝ酒ありと婦の申けりきと明キと燭の二所其ぬるけさの月影二象潟の花おもひやる夕間暮いにしへも今もかはらぬ戀種や朧に志賀の山はとゝきす何物語そ祕めて見せさる小商人秋うれしさに飛步き日やけ田もことしは稻の立伸し黑髪にちら〓〓かゝ夜の雪錢なくて壁上に詩を題しけり松我山に御幸のむかししのはれて祭灯相傘せうと嫗にたはれてうたへに負けて所領追るゝ訴迯たる鶴の待とかへらす念佛申て死ぬはかり也かのを枝は藤の紫咲のこり膳持を出竝るへ女たる月麗し嵐蕪樗几山山董村良董董山村良董村良董村良董村良董村良
蕪村全集かくて世に-大和物語に野大貳(野好古)四位となるべかりしに除目にもれて悲しめる話あり野上の君-美濃野上の宿少將の遊女野上の君花子を愛す謠曲班女に吉田のることあり神中雷筑紫舟-九州より唐に渡る舟なるべしかくて世に四位と成へき身なりしを野上の君か色にしつみぬ中垣の障子に蠅の二ッ三ッちかくも神のとゝろ鳴來ルよき僧を乘せて去りぬるつくし船戎の亂聞もかなしき雪に似て寒ふはあれと窓の月捨扶持囉ふ末の秋かな思ひ出てうかれ出たる牛祭あとさりけなき度拍子の音散つくす花一時のなかめにて雨はれてやゝ暮遲き也村良山董村良山村董山寒ふは-寒うは。囉ふ-もらふ。牛祭-九月十五日の夜太秦の廣隆寺にて行はるゝ祭捨扶持もらふ閑居の主人がくるさまふと思出て牛祭見物に出か良董春の風吳國の貢わたり來ぬ鼻へ出たる宿老の知惠人〓〓の沙汰となりぬる我戀は小袖賣るとも世を恨ムまし精進のゆりし佛の忘られすけふや切へき牡丹二もと敵陣の和哥の書物を盜ミ來て星の光の曉ちかく見ゆ今はとて舟幽靈や失セぬらん心ひそみて太刀をいたゝく此頃の雨後に晝見る月なれや師の喪にこもる山陰の秋村山董良ゆりし-許されし。山村良董村今はとて-謠曲船辨慶などの俤。心ひそみて-心を潜めて一心にゝ董良連句篇
む風習あり重陽の節高所に登り〓を望高きに登り-支那にて昔ぐれたる蟲を選ぶさま蟲合せ催さんとて、蟲の選び-宮中などにて鳴聲す宦袴-官袴の誤。得取す-え取らず。たとき-尊き。離々-るさま、又草木の繁茂せる禾穗の秀でゝ垂る六頁參照泥に尾を引く-發句篇七跡昔誰棲」(菅原文時)「桃李不 言春幾暮、烟霞無花不言-和漢朗詠集にり越しし仕舞は-しまへば。百里屆きし-遠方より贈連蕪村句全篇集半弓のあまり强さに弛へ居て古館秋の千くさに鎌入レてよき程に夜はしつけき七日の月風垣越に麥めしくるゝ櫃なからなさけなや戀路の鬼に追れつゝ梅羽高蟲宦袴の行儀打わすれけりたとき御經を手にも得取す(マヽ)のきに登り物思ふ身のの選ひの沙汰の近〓〓黑の今吹靑の鷹の礒ヘ落來る葉やみて初夜の鐘に花の白妙戀々として柳遠のく舟路哉芥のとやかに菴ひとつを住捨て離々として又蝶を待艸のことき身そ寶なる其三人燈喰ハはや百里屆し佛手柑を花泥に尾を引龜のやすさよ掃除仕舞はうくひすの來ル老籠に火の不ぬ人又言春我殘を老深たるきと朝呼神霞几樗嵐蕪董良山村董村山董良山村良董村山董良村董良村山
蕪村全集秋風の筑紫に奈良の春の月ひとり香きく夜や霞むらんかけ引の中にもおもふ子の行衞名の惜しきさへかなしかりける鳥邊野にかたみの衣を燒すてん良家の恩にほのめきし身は此頃の酒の齒にしむ旅そうき尾花かもとの石に火を打山賊の月夜に塚をあはくらんいつこや露の虎吼る聲やことなきかたをいふせき我閨に都の落首文に聞ゆる良村山良董村良董村良董村が変じけ引-戰場にて或は進引くをいふ平家物語一二のかけの條、熊谷父子の俤あり恩にほのめきし身-良家のおかげにて相應に羽振よく暮しし身。あはく-あば(發)く。やごとなきかた-高貴の人落首-作者誰とも知れぬ諷刺の意を寓せる和歌等をい3る米五升-芭蕉の句に「年立つや新年ふるし米五升」松明-マツ。(泊船集)。米五升芋三ツ四ツにとし暮て老たる人の松明ともし行淀鳥羽に牛の病のはやりつゝ變化退治のあとの吊ひ曉の北の御門を開きけり何のいそきそ雨の晴間におのれのみ花見男のあくかれてたもとを染る春の山風良董村良董村良山其四花なから春のくるゝそたよりなきやかて卯木の垣の山吹花ながら-枝頭の花散り盡さゞるに九十の春光已に暮れんとす樗嵐良山連句篇
故に濡れし猫を、されて憐むさま。ぬれつゝ-戀する人の戀身につま降圍原、三日の粮-左傳に命去之。」命三日之糧、散たへて-散り絕えて。宇佐の-憂さにかく。嫌はれしふるされし-戀人に厭ひ裾引て行く-美しき女の松の用明天皇にも出づ帽子折にその傳說見え、ありしといふ長者、眞野の長者-昔豐後國にいゐにうへし-飯に飢ゑ舞の鳥近十三日の-煤拂は多く十既-既に。二月十三日に行へり走を賞玩して食ひしなり。召され-貴人が山家の馳連蕪村句原不「晋侯全篇集能住居秋の暑さのゆかしくて鍼立の手に恥かしき戀衣黍團子三日の粮と見へにけりさひしさや紅葉散たへて夕時雨白綾の袂うるみて見ゆる也さら〓〓と庭の木賊に風の音遊女を隱す晝のともし火狐釣らんと出る蘆の家月新ぬれつゝもとる猫のひんなきことさら宇佐の神無月にてを聖情靈のの旅給仕する也の宿か上加茂の水ひやゝかに打わたり雨を見るために植たる槇一木煤ふるされし身はなか〓〓に嬉しくていゐにうへし旅の御僧を連かへる摺鉢の獨活のあへ物召れけり萩畫忍はてしのふ宵の間の月眞野の長者の齡かたふく盥既竹か具を滿中なのねに十ぬ皿に裾引て三日の月さしてふる琵琶の音聞る門口の連歌一行牛折几蕪良村董良村董良村董良村董良山董村山良村董良山董村
かいつゝ-飼ひつゝ。たる水をいふ。よるべの水-神前に供へ橋江北に移されて枳になるとの長下下長はし殿-後宮、もちゐ-もちいひ、諺に江南の大奥な餅難のうへの-世間的の係連蕪村句全篇集若き身の平家一ふし語り出て兎まれかくまれはてしなの酒祿賜ふ司あらそふ秋中に月の庭大百姓とうち見へて朝風にふくら雀のふくれたり烏帽子着て煤拂ひたまふやしろかな秣無理な手を取角力なりけるよるへの水の氷動かすかいつゝ膏さしつゝ歌仙花に明ケ柳に鎻す柴の戶に啼鳥我もきのふの我ならすからたちに成リても花の匂ふ也限の鉢にもちゐを送ラれて世のうへの人のほたしもいとはれし主暮母の剃リ髮けふや祭らん長はしとのゝ軒の長雨頭ヲおもくて居ると答へよ客のの街睡を長閑也けり水流れ去る一八、煤拂ひの卷(安永二年)一几多蕪春武五(このほとり)執筆村良董良村董良村董村雲音董少村堂然雲
蕪村全集妾なるかも筋違に行黃昏の煖簾はつせは暫くは節句のためしに許す碁象戯ともつなは只かりそめに結ふらん月おほろなる紅毛の顏散華を案し〓〓て寢てしまひ春やむかしのふるさとの味噌あさましき淺間おろしの荒畠祈れは崇る祠なりとてくし〓〓とふるされし身の置所たゝまく欲しき芳野廣東寂寞と 畫飯過の眞珠庵堂然少董音堂村音然雲董村暫くは-暫くはまだ室內も明るし。象〓-將棋。ともつな-船の纜。紅毛-和蘭人又は西洋人散華-散る花。春や昔の-伊勢物語の歌月やあらぬ春や昔の春ならぬ」によるC荒畠-あらばたけぐし〓〓と-ぐづ〓〓とふるまふさまふるされし-戀人に厭ひ嫌はれしたゝまくほしき-古今集「思ふどちまとゐせる夜は唐衣たゝまく惜し、物にぞ有りける」。吉野廣東島原の名妓吉難して知人 と健康大學廣東と名け、眞珠庵紫野大德寺内にあり一休和尙の庵室たりきさもあらはあれ逆剃にせんつゝけなけ山なき里のほとゝきすしと〓〓と編蒲の小むしろ施すといふはふりにし藥にて能僧あれと寺を守つゝ降雪にたゝ今植し松の色おほんたからに冥加なき御意初鷹のしのふの山の月なれやかねて望みのころもうつこゑ鐵鉢に粟の雜りしおもしろさ記念の華のいつとなく減雲盡て眼下に海の靜なる堂少音然村堂雲能僧-よき僧。おほんたから-大御寶、蒼生、庶民のこと。初鷹鳥屋に入りたる鷹の羽毛新鳥屋出(七月中旬、になりて出るなり)の鷹をしのぶの山-岩代國信夫いふ郡にある山。董少音然雲連句篇
蕪村全集すへりしたゐに-「辷り次第に」。辷るにまかせての意かゆれば-かふれば。腹干す猿のすへりしたゐに是は〓〓駕籠をかゆれははなの友つゝしか中になつかしき道堂村執筆(安永三年春慶引)丸 の の の 宿 の 日 記」になれば右の日記には「三月廿三日卽興」と前書し、歌仙一卷滿尾せり一九、菜の花の卷(安永三年)春興廿六句菜の花や月は東に日は西に山もと遠く鷺かすみ行涉し舟酒債貧しく春くれて御國かへとはあらぬそらこと脇差をこしらへたれははや倦し廿六句蕪樗几村良董村良酒債-宿の日記に「酒價」御國がへ-大名の國替なりe簑着て出る雪の明ほの仁和寺を小松の里と誰かいふ戀しき人の馬繫きたり葺わたす菖蒲か軒をしのふらん雨にもならすやかて燈ともす尺八の稽古くるりと並ひ居て賊とらへよと公の觸早稻刈て晩稻も得たる心也天氣の續くあふみ路の秋門前の舟とき出す月の昏弟子の僧都はよき衣着て花の中家中の衆に行あひぬ董村良董村良董村良董村良小松の里-仁和寺のある地を小松〓といふ「繋きけり」。繫きたり-宿の日記に菖蒲か-宿の日記に「あやめか軒に」。「あて出すなり。とき出す-繋げるを解き連句篇
蕪村全集此春-宿の日記に「此頃」歌舞妓のまねのはやる此春永き日や蒔繪の調度いとはしき御法の道に心よせつゝ董村良古郷の妻に文かくさよふけて若大將に賴まれし身の酒一斗牡丹の園にそゝきけり日は赫奕と佳墨を摺ル翌ははや普陀落山を立出ん豆腐に飽て喰ふものもなく我袖は少しの錢に重たくて海やゝちかく石を行川飛ふ霍の羽に影うつる朝の色董村良董村良鳥キ赫奕-カクヤク。一佳墨-よき墨。(續明我袖は-この句以下宿の日記によりて補ふ村良神に仕ふる老の身のあき露しもの古傘を捨かねつかねを春日の里へ宿かへ起いてゝ落首よみくたすおかしさよ茶に汲水の淺くてに澄ムなか〓〓に風のなき日を散る櫻そしとて欄に 立暮お村良春日-貸すにいひかく。てに澄む-手に澄む。は「ても澄む」の誤か或村良欄-おばしま。(凡董宿の日記)二〇、イめばの卷(安永三年)同夜-安永三年三月二十三日前揭「菜の花や月は東に日は西に行せし夜の漫興なりㄴの連句を興同夜漫興イは花もたゝすむ山路かな樗良連句篇
蕪村全集さへする-轉る。發句に日くれ〓〓-蕪村自身の「日くれ〓〓春や昔のおもひ哉」貧を愛に-貧乏なるを却て愛相として聲ひやゝかに鳥のさへする日暮〓〓むかし顏なる春の月あるしの貧を愛に宿かる泌る湯に筧の水をさし入て土用はけふの牛の刻より旅に病ム虱の衣脫すてむ聞てよしなき人の爭ひ二筋の素矢を箙に燐みて水にとほしき雪の奧山榾の火に鳥の脂の燃上り狂女を寢せる親心かな憂中にうせたる人の名を呼て儿蕪董村良董村良董村良董村良素矢-征矢。る矢をいふ戰陣に用ふ嵐にのほる月のかなしき柿の木に鳥も舍らぬ秋なれや芋にかへ置く百貫の錢晦そと人のいへるもむつかしく福原の京に我家はなしnu難波津の芦火に寒き雪の暮賣置たる純喰に行目さましく博奕に負てしまひ鳬きのふ囉ひし鎧打着る曉の川浪白く水增して藤の若葉の空に雨降る盃を天窓にのせて興に入董村良董村良董村良董村良芋にかへ置く徒然草盛親僧都三百貫の錢を芋頭にかへて食ひし話あり難波津の-拾遺集に「難波人芦火焚く屋はすゝたれ妻こそとこ珍しき」囉ひし-もらひし。連句篇
蕪村全集室-播磨室の津。施主のかしらは室の何某雪隱へ隣の咄し聞ゆなり逢ふて募りし戀の恨み歟白菊にしのふは誰か月の影濁りの酒を曲りして呑む雁一羽袋に入てかくし持關守る人は市て見た顔谷深く老木の花や匂ふらんはるの狐の鮓喰に來る夜は旣卯月にちかき星の空しはかれ聲に便舟ヲこふ董村良董村良董村良董村分し飮器。曲りー昔貝をすりて作り既-既に。しはかれ-嗄れ。(几董宿の日記二一、鄙曇りの卷(安永三年)卯月七日-凡董宿の日記によれば安永三年のことな右の日記には「夏四月七日於夜半亭興行」と前書あ鄙曇り-薄きの枕詞、こは白の曇りて影の薄きを垣のあなたを-宿の日記に「垣のあなたのあづち-弓場の的をかくるため、土を堤の如く盛り上げたるをいふ卯月七日花洛於蕪村亭會長安萬戶子規一聲ほとゝきす南さがりに鄙くもり垣のあなたをみしか夜の川草たかき垜平にならさせて人の履たる足駄借るなり昏の月旅あきなひを急くらん天井はらぬ家のあき風南瓜の末三ツ四ツを取つくし巖を下りし僧の おとろへ曉蕪丈八臺村芝董村臺嵐芝天井はらぬ-宿の日記に그天井のなき家のあき寒」。南瓜-「たうなす」或は「ぽうぶら」と訓む三つ四つを-宿の日記に「三つ四つも」連句篇
蕪村全集ムツキ二の宮は襁褓の內に御聲あり雨はら〓〓と朝日匂へる鳥あさる爰は飛火の森とかや道におくるゝ女いたはる身に添る守本尊をよすかにてねずみ猶鳴く明かたの月こほれたる藥のしめりひやゝかに節句鱠も心はかりそ花咲て貧しき家を明放しアカ岡の赤埴麥のよく生へ殿原の碑もによき〓〓と雪解ぬ口とりあしき馬を借りける臺村芝董村臺董芝村臺芝董飛火の森-大和飛火野附近の森をいふか明かたの月-宿の日記に그曉の月」。花咲て-宿の日記に「花さかり」。赤埴-赤つち畑なり。雪解けぬ-宿の日記に「春の雪」借りける-宿の日記に그借りぬる」。このころは暮るとみへぬ目となりてかたみの衣のおもきから綾おもひなき人の諷へる聲かなしねふさく中に礒家四五軒爰かしこ遠矢の行末求むらん祿いとかろき根來一統甥來しと包ミさし出す枕もと野分やみぬと雨戶明させ月くらき藪にのつそり放れ牛地子ゆるされし秋もいぬめりウほつ〓〓と刻ミみへたるあみた佛鷲にとられし子のあはれ聞く臺村董芝村臺芝董臺村董芝ねぶ-合歡花。遠矢の行末-宿の日記にㄱ根來一統-宿の日記遠矢の行衞」。に그の根來一黨」一一、紀州根來地方地子-ヂシ。公田を貸して耕作せさせ、稻を納めさするをいふ秋に至りて秋もいぬめり-千載集に「契りおきしさせもか露をいのちにてあはれ今年の秋もいぬめり「(藤原基俊)刻みみへたる-宿の日記に「刻みかけたる鷲に-宿の日記に「鳥に」運句篇
蕪村全集宿をかす峠の茶屋の嬉しくてむかし屏風をそろ〓〓と引キ命なり琴に替たる花一木春日に富て蝶の眠れる村臺芝董衣と のき資料なけれども我々子靈寶寶寶恐らく前卷と同年の吟なるべし。代を定めたり安永三年と年なほこの歌仙は「花もよひ」(天保頃刊)にも出でゝ全く同一なり「花もよひ」には卷頭に「瓠形庵の祖丈芝坊よりになった。しようにかへしるし侍りぬCLとありとちものは綴物漱く-くちそゝぐ。日夏二二、あらし山の卷(安永三年)四月十日於几董亭會あらし山松の四月となりにけり袷うれしく激く水訪來ぬる人に箒をまかすらむ少し奧あ る竹の中路丈八蕪曉芝董村臺あ るしぐらき空-しぐれて暗き空。ひしこ-小鰯。風あれししくらき空の有明て入江のかたはひしこ引く聲土痩てあら田の稻葉黃みたち恩地か來家人もとかめす雨しつかたはめに逢へる夜の隙梳れて落る髪をかこちて匂ひ來る柑子の花の覺束な岩本坊の羯鼓きこふるサ酒給ひて從者戾れし月の宿にぶき刄物に木賊刈見るいつかひく野飼の若駒人馴し立まふ振りもあはれ聟かね董芝臺村芝董村臺董芝臺村恩地-恩地左近太郞、正成の四天王の一人たはめ-たはれ女の意か楠岩本坊-石〓水の坊などにやきこふる-聞ゆる。給ひて-たびて。聟がね-やがて聟となるべき人。連句篇
蕪村全集さし入る-「さし入るると」よます。門の花淡しくも日のさし入る二聲三こへ蛙鳴く晝行春や御經書寫の墨へりて母君つらく關のあなたに雲きれてかすかに闇の郭公地黃畑に雨乞ふるころ藪寺の賴むかたなく打かたき長者夫婦の步行よりの旅酒ふくべ持る男にいさみあり白雲ふかく谺するのみ月弓のかゝるや呉楚の際より舟のたはれの風ほそき秋芝董村臺董芝臺村芝董村臺乞ふる-戀ふる。打ちかたぎ-打ち傾き。日枝-比叡山眞搗-あら搗せる米を更に搗き精ぐること片搗せる麥を再びつくにいふこと多し露の身と己をゆるすもろ寢して闇にからすの何を啼らむ山おろし日枝の衆寮の煤や掃眞春にせよと五斗のあらよねこらゆれは泣よりもいと目の熱キくらきとほしを片隅にたて花に問ふ古き佛の佗しさをあたゝかなれは螈ちよろつく董村)芝夏衣」にはこの二卷の歌仙をのせし終に「故人南平此ふた卷をふところにし梓にのせはやとて訪來ぬる頃は羅上海市南京市小石川區西江、サンバーグループと と臺〓衣安永三年四月十五日東山紋阿彌亭にての興行なり幣袋の前文「門阿彌亭にては、いの連歌すとてL又几董宿の日記に그四月十五日紋阿彌亭おいて興行」と前書せり。二三、夕風の卷(安永三年)歌仙行連句篇
蕪村全集夕風や水靑鷺の脛をうつ蒲二三反凄〓〓と生ふきるへしと思ふ節より節をれて十日餘りもおなしやどかるしきり雨吹はれて月の雲つらなる山にたゝ秋の聲かくはかり萩刈とりし人いつち鎖あつかる貫之の門星落る方に小細き水の音馬勞れしと松につなきて此邊り劒磨へき石ありや怪しき童よくものをいふ蕪宰大士几都美曉丈嵐都儿村馬魯朗董貢角臺芝甲貢董節より-宿の日記にから」「節第-つゑ。かくばかり-萩刈取りし人の無情を恨むなり刈とりし-宿の日記に「かり伏せし」鎖あつかる-宿の日記にとさしひらける貫之か門」貫之が土佐在任中留守宅の鍵を預かれるなりこの留守預かりし人不誠實にして家も庭も荒れたりしこと土佐日記に見ゆ劔磨へき-宿の日記に「鎌を磨へ雲丹-サニ、泥炭なり。芭蕉の句に「伊賀山家にうにといふ物あり土の底より掘出て薪とす黑色にしてあしき香あり、香に匂へうにほる岡の梅の花ㄴ焚そへる-宿の日記に그焚添し」。野渡に-章應物の詩句に「野渡無人舟自橫C L世にある夫を-謠曲班女などの俤月寒く折〓〓雲丹を焚そへる笈の佛のこけてましますいかにせん野渡に人なく船も見すン世にある夫をたつね佗つゝ古き〓の調へたゆべく花の前春の夜やすく明てくもりし雉子鳴く山もと近く成にけり小家ふえたる小栗街道放ちやりし盜人恩を報い來て吾カ歸依僧の兄なりといふ浪あらくけふも暮行船のうへ闇の小雨のちとりかなしき宰蕪士大曉丈嵐宰蕪士大美馬村朗魯臺芝甲馬村朗魯角小栗街道-山城國山科醍醐より小栗栖の方へ通する道なるべし歸依僧の-宿の日記に그歸依僧は」。野浪あらく-宿の日記に「浪荒き」。連句篇
Bill Barret察する未定稿にして篇參照)昨日の誠-定家「いつは飛蟬の」とあり中七夜半亭發句帖には啼きながら-巴人の發句を得ざれば暫く未定稿のまこの卷は凡董宛手紙りのなき世なりけり神無月にて脇起俳諧なりむ」。たが誠よりしぐれそめゝを揭ぐENTERSATE按ふに蕪村の獨この句「川神使なりとて專女神狐の官-俗に狐は稻荷のす。などとよび、官位ありと稱命婦干わたす聲いさきよく」。笘ほす-宿の日記に啻は赤貝の類象-宿の日記に「蚶」出羽象潟を思蚶打透し-宿の日記にとふし」。あらしき-粗き。ほそ堪へかた-不詳。蕪連村句金「打集篇櫻さく岡より望む峰のはな苦き酒のよくもさはけて富し家象忍ひつゝ菊折る音の聞えける供御の水あらしき布に打透しイムはせちに戀する人やらむ有日影のとけきむら雨の中しはし狐の官をあつかる笘ほす暮のゆたかなりけりみしかき衣ほそ堪かたのうすものゝ香その這ふ潟の汀の美しき明しらのむ裾寒き秋南の庭物着せてかり寢の秋をおとろかし大津繪に談林流の發句有て啼なから河越す蟬の日影哉やり水をかなたこなたへめくらしつ二もとの榎の間の宵の月踊行とらはれ人に心ときめくをきのふのまことけふ時雨けり人ゆ少るにす裏心門の音太店二四、昔を今の卷(安永三年)幣都儿蕪士大曉嵐美都丈曉儿貢董村朗魯臺甲角貢芝臺董袋ノ
故〓の鱸-晋の張翰の故事上書風諫の表-主君を諫むる·(しのふの里-岩代國信夫。あつぶるひ-瘡。せうとー兄。焚そこなふて-焚き損うて小松の内府-平重盛。なれりたれこめて-のとかなる-長閑なる。とも決せざりしなるべし更に「の」と記せり貧乏神を-「を」の右傍にいづれに「割不正不食」切目正しく-論語〓黨篇連蕪句以下空白と村全篇集ナウ雨もりて夕いふせき長廊下風諫の表おもしろく出來過て石道連はしのふの里へかけ寄てあつふるひ嘘のことくにとめぬれと峰の月舳にたつ人を照すらん故光る茶釜を打なかめつゝおほつかなくも蟇の足取リ戀につれなきせうと達哉秋ひやゝかに山伏の珠數ほたんの園の草履音なき塔郷を二ツ建たる小百性の鱸酢に躍る(マヽ)頃麥めしを焚そこなふて泣計今三とせ小松の內府世にまさば劔たれこめて世忰めが京の遊女をつれて來て大根の切目正しく淋しさよ甥の僧都に法の名を乞ふ髪聲のとかなる琵琶の古糸霜終生里鍛のの冶藥のスミカ貧乏神を相廿栖春城日のもつく〓〓下の能一曉普筋槌の請の町に月也
蕪村全集鴻鴻に夕日の斜也けり匂ひのこりて花の雲桃さくらてふ集編て後匂ひのこりて-上半部紙を擦りて文字を消し去れり桃さくら--巴人が其角嵐雪の三十三囘忌に出版せし追善集。二五、御忌の鐘の卷(安永四年)この卷もと蕪村自筆のものなるべけれど今二三氏の藏するものすべてその摸寫にして蕪村の眞跡に非すつ字句にやゝ異同あり。その宜しと思ふ方に從ひてここに載す歌仙御忌のかねひゝくや谷の氷迄はつ花の香ににほふ山もと蝶遊ふまかきの竹に培ひて風なつかしくのれんかけたり丸こして遠くは行し夏の月めさむるはかり松魚十本蕪帶蘭李月致村川洞蹊溪〓培ひ-つちかひ。行し-行かじ。丸こし-丸腰。+桐か谷-鎌倉の地名前句の鰹より鎌倉を出せるなり自笑則池村洞溪川笑〓溪則川桐か谷定家の旅館建テにけりを召るゝ繪に工なる僧酒買に行やら驢馬にまたかりてあしたに晴つ暮にふる雪みちのくの按察使の妻子倶せられし人まかせなる髪のめてたき南隣の柑子の花や落つくす雨の中なる三日の月影秋はものゝ釣針ほしきかゝり舟彼岸まいりのぬける穢多村折とれは若木のさくら葉のみしてねふたき春の御所を守つゝ我百ゼ按察使-古へ地方の政績を視察するため諸國に遣したる使後世には奧羽にのみその名殘れりけて」といふ程の意秋はものゝ「秋は取分連句篇
蕪村全集唇は朱に-宋玉の笛賦に「摺朱脣躍皓齒」唇は朱に齒白く朗詠す天女の衣うつゝなきかな松風の吹たふひまを松の風手斧はしめのかりそめの音檀越と中よく語る國分寺砂糖に蟻の通ふ晴天有馬山ゆかたに風やかほるらんいなとは云ぬ君か半面情ある寄手の備正しくて更行まゝに千鳥聞ゆる寒月に近つく雲はなかり鳬イみあへぬ石のきさはし洞〓笑洞村池溪則川笑池郷吹たふひま-吹き絕ゆる手斧始-建物の造營に着手する時の式又棟梁などが初春の仕事始めにもいふこゝは前意檀越-旦那に同じ、寺のc信者なり寺のいなとは-前句の有馬山より猪名野にかけし詞。神や在す汗して見ゆる御輿かき日てりのつゝく相馬八〓ひとり旅おもへは遠く來ぬる哉河をへたてゝ犬のとかむる花さかり方百間の塀構くわほういみしく雛も一藏安永乙正月念五日洞溪蹊池笑則相馬八〓-八〓は何處々々をさすか不詳。(昭和「それか角田川とい川のほとりに群れ居て思かぎりなく遠くうけばかな食乙くも果報-安永四年日-廿五日。二六、日の筋の卷(安永四年)ば冬季を發句とせ今かりに安せる道洛東の正阿彌か樓上に會して日の筋や落葉つらうつ夕眺人にもよらす冬の蚊柱曉几臺董連句篇
橫川-比叡山三塔の一。W透垣-目を粗く組みたる垣ガすいがき、すきがき。四目垣などの類さ葩煎-はぜ、たるもの。此の連句、安永五年の條に出づ几董自筆の日記筑羽-筑波。本國電鐵 (電影)-し話などあり夢に見し-宇治拾遺物語もいとはす地藏を拜み歩き曉每に寒さ見えて開眼賣肆-賣るいちぐら。連蕪糯米を熬り村句全篇集鮎汲の小家なからに人とめて花にぬれて見ところ得たり松の幹春にそむかぬゆふくれの色二七、二月廿七日於東山下興行雨日洛東にあそひて花に濡れての卷(安永五年)葩煎といふもの焦しぬる雨の日に花法すのみれ摘なる透垣の下の客橫川の寮に雛持てろき鳴にそ、卷半なる比風雨はけしく、因みの各打驚て筆をさし置ぬ。一大事聞時ならぬ神のおとろ〓〓しうとゝ筑羽なる萱ふき二人雇はや月にぬれて蕣の蔓秋ちかく小ふくさにさめぬ薰リをしのふらん夢に見し地藏を拜ム肌寒き牧を出ていく秋駒の月にあふよき露罪もうれしき有職の身は加持の奇特の帛を地にさすはし居そゝろにたそかるゝ空世になき夫の氏そ口惜し胡の國明酒らへを賣肆の軒ふりてか書に 草ミもとめ去高き原よき續蕪道曉-蕪我明村立臺鳥則音董臺村則音董則音臺村則音村則
蕪村全集葉柴に翌の麥煮る也霧暗く廿日の月を待出しはつかに白き山もとの萩此館に從夫奴となりて秋みとせ文字はしらして人を欺きねもころに朝よさ撫し牛の艶葉にちり水にうかふ紫陽花厨まて夏を宗なる月の亭妬たしと人も見よやしのひ寐引むすふはかりに妹か衣さけて砦〓〓に矢叫の聲風のおり〓〓雨を誘ふらんる呑几我溟董則立臺溟村則董臺立村はつかに-わづかに。從夫奴·-訓み方不詳。朝よさ-朝夜。旦暮、夕などいふに同じ朝夏を宗なる-夏向を主とりやうは夏をむねとすべしたる徒然草に「家の造し〓妬たし-ねたし。おり〓〓-をり〓〓、々折瓦燒く見ゆ山門の陰うかと出て酒屋尋る春の暮うくひす老ぬ櫻ちる頃右一折く溟董則一(凡董自筆日記)二八、寫經社集の卷(安永五年)山にかくれて淨土を修するにもあらす、酒をゆるして社にまねくにもあらす、蕉翁の風流をしたふ諸子とゝもに志を同うして、ことし卯月あらたに社をむすひ、洛東一乘寺邑金福寺の殘照亭に會することゝはなりぬ。植かゝるはしめはひくき田うたかな道夏もおくあるしほり戶の道松茶のにほひかしこき人やおはすらん蕪ことし卯月-安永五年四月、樋口道立發起となりて乘寺村金福寺に芭蕉庵を再興す文章篇芭蕉庵再興記參照。植ゑか寫經社の始めは微力なれども將來發展すべき意をこめたり(しほい戶-校折戶松宗當時金福寺の住僧しこき人-貴人。道松蕪立宗村連句篇
燎火-神樂の時たく庭火靜-義經の妾靜御前。草子文正者鹽屋文正のこと」の主人公。常陸國の長-お伽草子の「文正錦木-昔陸奥にて男が逢立てしといふ木はんと思ふ女の家の戶口につどひ-集ひ。雜穀-米麥以外の穀類。連蕪村句全篇集今すこし辛き酒をと樽さけて夜や露の嵐身にしむはかり也水しのふ名も今はかひなきさかしらに老の身の夏を隣に肌ぬきて朝日さす花の峠にさしゝかり靜橫燎火たくなるみつから刻む歸依の御佛あふり餅賣あつまやの春わらち晶顏かな見のすたれに風の色移みせ履たた囉泣してて行違る兄弟の人里の神ふ業船文正か宿をし露のゆかりにて鷄も啼鐘も聞へて月は西にしきゝもけふを限りと立ぬらんかりそめの雪ふりかゝる草の庵この比の秋に買置雜穀物中河のわたりに三日の月を見て今鴈うき身に重き刀さしたるおほつかなくも早咲の梅火ともし時に客つとひ來車の用意いとしつかなりや解脫かあらぬの時いたる秋か風遠き聲東石龜白霞鳴志守米龜正自月眉大我方春春定美瓢八田瓦友友砧東鳳慶一園〓白笑溪山魯則蜀面載雅角子董福
寢ほれ聲、硯に筆の-徒然草に推定せらる。の.の多き」やしげなるもの····硯に筆c句は實は蕪村の代作と(書簡篇參照)碁に負て-こ그集)。更盡一杯酒俤裸身に-本田善光などので山路くらしつ郭公今山路過行く-元二使安西の詩句に「勸君盡せとすゝむ-王維の送のきかまほしさに」(拾遺「行きやら聲ことし-安永五年。ことつて-言傳。連蕪村句全篇集瓶の酒毎日へりてちからなき秋の詩を蕎麥の袋に題すらん裸とかくして出さむとする掛リ船郭くらかりへかくれて覗く戀こゝろ此ころよわる雪の木からし雁のつはさに風おこるかも山旅に在かと夢におとろく盡身公ことつて聞てかへる商人せとすゝむ一升のめし路心ならさる折もおりに過佛行を背負ひ奉り雨の降出に雲ちりて月の動きのなき夜哉碁に負て何くれとなく腹あしき月〓く晝の暑さを忘れけり硯寢ほれ聲にて明る門の戶西國船の怪我もきこへすに筆の多き拙さ二九、句を乞て誹諧連歌となす。て住けり。あやしの宿をもとめ、ことしの秋は洛に遊んとおもひ出て、ある夜月の朗なるに、むしろうちたゝき蜘の巢はらひなとし入來る人〓〓あり、木屋町の三條なる所にとみに月夜の卷(安永五年)爲蘭樗臺美定月呑路月集蕪樗經執霞乙維稀良臺社良村角雅溪溟巧居馬村良書集筆夫總駒聲
春を胡の-王昭君の俤。溺-いばり。年あり-豐年なりの意足り身安らかなる狀にいふ腹を鼓す-太平の民の食を盜み食ひて月中に奔り入嫦娥-羿の妻、cよつて月の異名とす。不死の藥〓三十-みそぢ。波間-なみま魚餌に-うをゑに。身の代衣を供養する女の話斧を手始めて-手斧始なて得たる衣身のしろ衣-身を代なしにみのしろ衣といへるは蓑の代りに用ふる雨衣なり。その俤か身を人買にうりて得し謠曲自然居士なほ古歌新虛栗集は安永六年の刊行かりに安永五年の冬と定めこの連句の年代を「月の夜」は單行の原本を寓れには第十四句以下は略し部集中のものによれり目するを得ずして樗良七連蕪村句全篇集妻子見るつはくら花に溺すや水_辛クおのれ濁-酒を釀すらん犂を書にかへて貧にあき足らす三_十經る次郞か胤を姙みけんまほろしの暗-夜に雪をうつ礫阿爺か沓うつほ木に足をさし下す腹を鼓すあら田年あり春嫦娥城戶に入るを影_盗む茶にうたかたの粥すくひ喰ふうきは五尺の身をしの···山孝-子を胡二工厨にの紅-粉河_豚にを調泣ク屋1魚餌に飽て波間に月おほろ丁〓と古院に斧を手はしめて霜柳身薗に嘆す蝉髭を握りけりのしろ衣陽_炎を着ルにの富錦の漕く孤リ舟艸かれを裁うすにつかへる帶の結ひめ末略に三〇、六々行霜に嘆すの卷(安永五年)大儿月蕪魯董村董魯村董魯村董魯董々村董々魯々角夜
蕪村全集二月の雪-和漢朗詠集に「倚松根 而摩V腰千年之翠滿手折梅花而挿頭二月雪落衣」綴-つゞれ(襤縷)。劍を磨す二月の雪を掬しけり舊-惡化して蝮を狩ル虱老ふ綴に香を眠らせむ艸の扉へ夫迎ひ駕夕くれを六位の僕たをやかに閑ある雲や矢に文を射ル日をめつら五月雨鳥浴ミして芥を富士の夏_草か原歌の聖酒に賢-者の名を咲り舞入あやにせまりたる聲銀-燭の月露欄干にのほるかも秋を感する永郷の郞魯董村魯董村魯董村魯董村歌の上海市建设工程有限公司一覽證據書籍り集に「酒の名ん聖ことの宜しさ入綾-舞終りて退場せんとする時更に手舞足踏して入るをいふと永〓の郞-不詳。を魯董村立同同集綠-毛を梳る野分のあたし波旅-行萬-里の雨を占フ耀を乞ふ新羅の使わひぬらし音文を織ル八葉の家花の壽南-山に風をいとふ也心をしおくきさらきの郷耀-音テウ、又テキ穀類をいふ。「かて」と訓むきか道音文-諺文。朝鮮の文字なり八葉の家-八棟の家。南山終南山周の都豐詩經に「如南面の前である。あり不崩」。(新虛栗三一、歳旦の卷(安永六年)祇園會のはやしものは不協秋風音律蕉門のさひしをりは可避春興盛席されはこの日の俳諧はわか〓〓しき吾妻の人の口質にな連句篇
ればは狩衣本剤はあしといふべし節會の翌日(七月廿九日)纒頭-かづけもの。に出ノ拔出の力士の皮膚つやゝぬきて-拔出。るをいふかこの鳥帽子にてす仕上にヌキデ句は全く勝ちて祿を貰ひ042元/電昔相撲の實「穗麥の中」。廿六日-八董自筆四歌仙づ自筆日記安永六年の條に出穗麥か中-歌仙軸には夜樓興行」とありの軸にはこの卷及以下二卷共に几董「四月廿六日於春艤-ふなよそほひ。飯袋-飮食するのみにて酒囊といふも同じ何の役にも立たぬ人のこと千貫の馬-價千貫の馬。あれば」の歌の句による。ろも着つゝなれにしつまし着つゝ-伊勢物語「唐ご連蕪村句全篇集第目ふたきて聖の屎を覆らん纒頭給ふぬきての身の白き歲旦をしたり貌なる俳諧師こゝかしこ旅に新酒を試て艤脇紀の川上にくちなはのきぬ廊下の翠簾や夢のうきはし十日の月の出おはしけり三のとかくしつゝもははた何ゝうち霞み〓〓者節の飯貸舂遠騎に千貫の馬こゝろみて片や山穗里麥にか新茶干す中の水頃車谷の坊花もあるかに香に匂ふ着つゝなれて犬もとかめぬ裘うの花に萩の若枝もうちそよき門をたゝけは隣家に聲す貢の使白雲に入三二、廿六日安永丁酉春らはんとて初會穗麥の卷(安永六年)菴中興行蕪二儿(安永丁酉春興小册)道士致帶三立恭〓川貫蕪集子斗田鐵百自月月村柳董村馬曳文福僧池笑溪居立恭〓川貫
火の意八郞潟-羽後國。敷て-歌仙軸に「しきて」いさり焚く-いさり焚くC方國處內巴蜀-酒匂の川-相模國。止て-歌仙軸に「止みて」生贄-ちてうちつれて-·蜀は四川省成都地巴は今の四川省重人身御供。ちつれ立古き狐-玉藻前の如き怪などもなしとなり。尻重き-歌仙軸にき」被く-かづく。六月-歌仙軸に「水無月」聯想。芭蕉の附句に「うき世しき」。ゆかしき-同軸にの果は皆小町なり」みさほ-みさを、操。妹-妻。うき戀の-卒塔婆小町の猿蓑)。5),攅め-あつめ。連蕪句村「尻遲全篇集艸まくら越の菅蓑かた敷て流矢のそなたの空を恨らん酒くるゝ人あらは敲け雪の窓案內知る酒匂の川瀨打つれて御代なれや古き狐もなかりけり生贄の止て祭のさゝめけり巴有墨金別しのひす君か手をひく八郞蜀髪をの潟のの流貢に北僧せ汗漁焚く見ゆのる空に宵闇のに辛腰肩き大根刀見よかす春尻重き鍋に芦火のくゆるらしうき戀の果は卒都婆の立すかた反古にせし日記とり出す月の宿打鎌倉の沙汰もゆかしき身の秋や津木醜十とせふりなる古郷の友嵐をしのく雁みたれ鳴人たのもしく眉攅めたるの被き 妹花秋浪に槿く竹の小笠に蝸牛の殘花さく六月かみさほ可愛き月よき此峯をる山伏の家の雨す二キ村二キ村キキ村二キ村二キ村二キ村二キ村二キ村
蕪村全集後の醒醐-後醍醐天皇。後の醍醐の詔そもからうして落鮎得たる朝の月いさ給へ我蓬生の菊沽めやは露けき玉を袖にして坂おし登る車近くも大德に後の世契る尊さに花また散らすけふも日暮るゝ春の夜の夢も結はす離宮守ルかけろふ見しや三尺の劒そも村キいざ給へ-いざ我家の菊を見に來給へとの意°さ二村沽めやは-沽は賣るなりこゝは沾の誤にして「ぬれめやは」なるべしキ大德-だいとく又はだいとこ、高德の僧をいふまた-未だ。二村キ二(几董自筆日記)額髮の卷(安永六年)同-八董筆歌仙の軸には그四月廿七日於夜半亭興行」とあり同夕風にそよく田植の額髮紺染にほふ袖のさみたれ兎や角としつゝ和睦の調ひてねくらの鴉あけほのを啼落かゝる月の前なる初さくら扨吸ものは海苔に白魚爐の名殘跡見やあると炭次て美童にめつる老のふるまひはやりうた琴には得こそ合すへき風ほの薰るいなの笹はら替竹輿のなくてそしのふ暑日にナ地震愼しめとうらまさに聞二柳董村柳キ蕪キ村柳燼の名殘-爐塞に同じ。跡見-茶席にて貴紳などに饗したるあとの樣子を見學することふるまひ-歌仙軸には「行跡」とかき「傍訓せりふるまひ」と郡猪名野、いなの笹はら-攝津河邊小竹多ければ笹原といふ。竹輿-かご(駕籠)。ナヘ-なるの訛、うらまさに-占の表に正しくあらはれたりとなり連句キ村柳キ村篇
蕪村全集名月を祭れる幅月を見す聟入ちかき宵〓〓の秋ある中に白キ扇を先捨ん竹の瀝を絞るわひしき後れても盛りはもれぬ瓶の花柳の窓に三四坊在り五十年おほろに過し春や夢其春や夢一椀の蕎麥濱やかた隅〓〓遠く箒して伽羅打碎く石崇か富うらみわひ蚊帳の裾を解きけり住まぬ隣の柘榴花咲柳入ちキある中に-歌仙軸に「あるか中に」瀝-したみ。竹は「さゝLと訓ませ酒の意に用ひしならん卽ち酒をしたむなり。る村柳キ村柳三四坊-二柳の別號。に其春や-黃粱一炊の夢を蕎麥にとりなしたりキ村柳石崇-晋人、字季倫豪富にして奢を極めたり嘗て金谷の別莊に觀花の宴か開き詩成らざるものには罰杯をのましめたる故事名高キま村下々の下の客-山崎宗鑑その庵の入口に額を揭げ「上の客人立かへり中の客五日かへり、とまり客下々の下」と書置きたりと(百物語朝朗-歌仙軸に「朝ほらけ」恒の產ある-恒產の語は孟子に出づ句は竹器を賣りて生活とし龐居士の俤五器-椀などの食器をいふカミワザ神業-神事。見取場-江戶時代每年の作方不同の土地に豫じなんから はないから上作の年は多く下作の年は少く納米せしむり。かゝる土地を見取場といへよゝと受持つ-引受けて十分に飮むなり。よゝとは飮食する形容曲物檜杉などの薄き材を圓くわけて作れる器首筋いたき-春色を眺むとてなり。宗因の句に「眺むとて花にもいたし頸の骨」連句篇下々の下の客を見送る朝朗恒の產 ある竹の挽屑五器洗ふ流に魚のさかのほり同し 裸の童むれよる神業の太鼓とゝろく森の月豐とししるき見取場の秋鶴をひく叟嵐も身にしまてよゝと受持ツ曲物の酒散かゝる花に凱哥や唱ふらん水なき川に陽炎を踏海ちかき山うちかすむ里見へて首筋いたき樓の春柳キ村柳キ道立柳キ立柳キ筆いき執連句
蕪村全集(凡董自筆日記)三四、留別の卷(安永六年)留別-凡董自筆歌仙の軸には「五月十二日於荷葉樓興行留別」とあり。十二日於荷葉樓興行留別行かぬる魚や花藻の下やとり夕月出よさみたれの後ひとりして十間の半部揚ぬらん名のうれしさに名をかくしけり積ム雪や書ミ見るへしと思ふ夜に隣遙に碁を崩す音あさましく鳥の奪合ふ鳥の骨二柳董村池立福董出よ-歌仙軸に「見せよ」キ半部-はじとみ。かくしけり-歌仙軸に그かくしたり」。蕪百道田「碁を仕廻ふ音の隣はるけ隣遙に-歌仙軸には此句き」となれり國阿-時宗の僧、播磨のて始めて發心出家し元和四年四十二歲にしはじめ淨土宗に入りしが後時宗に歸して一派を開くいかに國阿の流傳へし傾城の木綿着たしと打歎古郷のふみや筆もえらはす香に匂ふ淺香の粽それなから光秀旣に地資許しぬる五石盛ル瓢作らん我庵に秋わひしさよ袷かさねて入る月の光するとくさし殘リ霧の明石を船走る見ゆ花守もさすかに心なきならす承和の春の古き石塔馬ほく〓〓陽炎の上踏や來し柳福村池立柳村立福柳董池淺香-岩代國安積郡。その地方にありし安積沼は花がつみの名所なり発行!歌仙軸に「地子」。地子は公田な貸して耕作せめ秋稻を納めしむるも號承和-仁明天皇の時の年馬ほく〓〓-芭蕉の句に「馬ほく〓〓我を繪に見る夏野哉」。連句篇
踏は-踏めば。コうへて-植ゑて。漸-やゝるらん」とあるは誤寫か恥さらん-に入れる人の着る道服居土衣-在俗のまゝ佛道上元-正月十五日をいふジ歌仙軸に그恥獲-えもの。晴俳諧數卷あり略」三日の條に出で「十三日、快几董日記の安永七年三月十この一卷のみをのせたり。として檀-壇の誤ひし紙又は歌の詠草など書くに用調ずる-誰歌書し-たが歌書きたたう紙-懷中して鼻紙し調伏する。,藥あやまつ-藥を過つて倉橋-大和國磯城郡にある山の名こぼす九折-つゞらをり。連蕪村句全篇集長閑さや陸奥の使を給りて春惜しむけふの獲や魚ふたつ踏は三崩金るゝ山吹の崖漸十日花に眠らはいせ尾張やふれたる居士衣錦に恥さらん御感いみしき有職のさた菊音なくなりぬ上元の雪苗うへて秋を待也妹そゝろ言いひつゝいつち終りけん有いと萩の蒔繪の割籠露けくて物怪を調する檀のいかめしく倉橋と聞くはあの山ほとゝきす廿誰掌囊人あしからいさ笛かけて聞ん小男鹿か子のいやしき家に長びて明あまりと見ゆる郞等哥書したとう紙そもなかのるけ嵐た落藥る肱を枕に來あぬ村の麥秋るや九ま折つ三五、う惜春の卷(安永七年)へ几蕪大(凡董自筆日記)維池福駒柳立維董村魯村柳董村立池董村柳董立村
築地方向に飾磨のかちん-名產とす。かちん染メニカル 食物 (大阪府)て禪ハシス」休和尙に參して禪を修す蜷川-蜷川新右衞門、冶郞-野郞。紅裏-もみうら。に參籠するなり初瀬籠-大和長谷の觀音捫る-ひねる。く曲節の早き謠ひ物なりと早歌-サウガ。えたり。太平記等にその名見小唄の如少納言等時鳥きゝに郊外へふ俤山井の濱風-靜御前の舞花が多くさせし話あり出かけて歸るさ、卯花させる-枕草紙に〓車に卯の連蕪村句全篇集雨の跡水あたゝかに筧もる稻明安き夜を片われの月なれや家中衆の紅裏見ゆる遙雉子鳴方に地震やふりけんよき衣の虱を捫る日もなくていろ〓〓に夜の變り行月の雲初老し冶郞罪ある人の子を孕ミけり秋の淺瀨早歌うたへる從者持にける刈瀨て籠和の睦の旅に馴たるを花調漕わたる舟もふ過向也行村蜷八朔や禮にほのめく二三人晴るゝ日に餝摩のかちん手染して押やりし蚊遣燃たつ窓の下雪はれて靜に神やわたります舞扇泪見せしとかさすらん聟落足音なくて入給ふ誰ソ杉戶の胡粉日々にこほるゝ卯川波そゝろなる由井の濱風は盡花か隣したさ妻も聯句のせ明くれの貌るる澁柿車引すての筆所の花さる村キ村キ村キ村村キ村キ村キ村魯董
蕪村全集さらしな-信濃國更科、月の名所。右に傾くなるべし。いささらしなの月にゆかまし秋風の右に傾く古烏帽子手斧はしめの木かくれて見ゆゆかしさに異國の寺號襲ふらん수煎茶にほふ 夜の靜なるつく〓〓と我瘦〓の便なさよその事かのこと筆とらせ置く都歸花屑をひらく時萬里の海も春の夕凪キ烏帽子の右折村キ村キ一發財の精神の方向きにる忘るななどいひやるこそをしけれ〓も春筆(九董自筆日記)三六、千代の春の卷(安永八年)翁か年頃もうけ置し辭世の句のいたつらに三そ三とせ埋れぬるをけふ小車かくることふきに披露せよかしと二三子のすゝめにまかせ此むしろの導師に告侍けれは翁が年頃わたしょ篤くして一定價值ち迷ひたと辭世の句を吟ぜしにその後病三年目に七一個の質なせしみ小車かくるー-懸車の年は七十をいふ笈脫いだ-以下百韻を興行し蕪村はその三ノ裏第十三句目に付句句を出せ若餅-正月三ヶ日に搗く餅ふなり。暮に搗く餅に對してい芦田鶴-あしたづ、鶴に同じ角ぐみて-芦の芽の萠出るをつのぐむといふ杜口口上笈脫た辭世まれなり千代の春人まかせなるこゝろ若餅芦田鶴の居なしむ頃も角組て二つよい事あれは有るもの音律は中〓〓續く勢もなし揚子片手に煙草盆提け木造りを又呼戾す暮の月角力の〓雲をつらぬく田刈哥訛氣ぬいて笑はせる練杜丈蘭文其百嘯經石口石石也梅花山童木造り-庭師。連句篇
にい人月々の輸送忘れ扇子-秋季。溢れ蚊-秋の蚊をいふ俗ればしてC一時激地築-ぢつき。引きよするなり。引そばめ-劍を身に近くとする戀心を有耶無耶の關もや〓〓の關襲-「うちかけ」と訓むべにかけていへり啌-うそ。ーもや〓〓たはゝ-たわゝに絞る。頭取-魁といふ程の意。始開言春色從東到南枝-和漢朗詠集に露暖南枝花「誰連蕪村句全篇集大燭臺帶せぬと見しは僻目歟襲歟とかくして字餘りの歌と成に鳧鴨居には忘れ扇子の數見へて玉兎尻をくらへと入ぬらん氷舞子いともかしこき啌のつきやうきのふの雨も懷舊のうち相手きらはぬ溢れ蚊の黨た比叡柱はゝにしほる紫の幕は植木を買た提ヶ心の樂屋もや〓〓の關のの地築半分越年し劒引そはめ月罷出たものは物くさ太郞月春の南枝はしめてひらく頭取三七、色かれにて御わたり候そ烏帽子袴のさはやかなるはよへ見し垢面郞歟そも誰殿のむこは太郎月の卷(安永八年)たゝ朗に〓〓杜蕪ゆかしさの餘りて須磨の歸華にくいほと其美しさ雪の月返事待間に衞たゆたふ聊塵中のつ略)もる塵壺三九四杜蕪(ふたりつれ)南蕪蛾光竹村風甫口村口村村口同村村口同
蕪村全集立春在臘-臘は十二月。年内の立春なり持參-持參金。萬一取外したる轉じて立春在臘花聟の 持參屁負婆々戀も少しはこき交セて京なら只は置かぬ此芝壹石の御朱印御戾し申たは合ぬ眼鏡のおろか也けり橘の香にかりそめの藁草履むかしの袖や猶丸かりし上は筥の書付さへも凡ならす淀屋古庵か雪中の閑猫舌の僧に茶粥を供養して塵とそおもふ拜領のもの定めなき足から山の雨の脚村口口村昔の袖や-古今集に「五一人の ていている。てただった。RT @ L凡ならす-たゞならず。淀屋古庵-淀屋三郞右衞門隱居して古安といふ(長者にて家作善美を極め諸事100千年の日本領収高き症屋辰五郎なC口)村口雲行客のあとの雲介談林の月あり〓〓と又こゝに十八さゝけ盛りたつ芋妹かりに氣儘炬燵の秋寒き身に添ふ闇の硯蹴こほす瘧落て罪も報ひも後の世も忘れ時〓〓おとつるゝ友羸得たり水の不自由も華一木春くれなゐの入日山〓〓村村口村「ひまなく魚を食ふ時は、罪も報いも-謠曲鵜飼に罪も報も後の世も忘れはてゝ面白や」口執筆(ふたりつれ)安永八年四月二十日春夜樓に於て始めて連句會の初會を開きし時の連句なり。三八、樗の老の卷(安永八年)連句篇
する體したるもの囊を膽汁を含めるまゝ乾か熊膽-ゆうたん。,駕籠の女が癪を起した味苦く藥用と熊の膽ては意通ぜざ壁合-とよみおげりろ」ともよみ得れど、壁間。れば暫く「合」合の字「それに雀色時-黄昏をいふ。ざの次第に消行くなり痙-痣の誤。あせるはあ下の月弓-下弦の月。竈馬-いとゞ。干鰯-ほしか。こゝろ寬ひ-心ゆるび。連蕪村句全篇集經熊膽のみてすこし氣のつくしのふ身に酒債をねたる駕奴粉雪ふる背戶の垣根の籔柑子ひか〓〓と下の月弓ことさらに干鰯賣ル上總の船に米積て花見たく樗の老を待れけり野綿摘入し家にやとりぬ小姫か痙のあせる奇しさ雨もつ雲の山をはなるゝ朝讀鴉とく起かて翁に秋を泣せけるてる箒雀色とる夏時秋さひて蔦這かゝる鮓の壓針うせて露の光もゆかしさよ彼岸過て鐘も聞へす成にけりうたゝ寢に羽織被ルよ花の下月の宵小肴買に出る後にも知る聲多き相撲の場半南五助を聟に取りてくやしき竈馬やいとむ壁めし急くなる老に仕ふるこゝろ寬ひに謠うたふてさ過かゆりくに霞む遠大合坂のの月里也秋維蕪百道几月池董居池董村駒立池董村居董駒立池居董駒村池立董居
出てまた-出でてまだ。笊-ざるを上方にてはいかきといふ道殼風呂-蒸風呂に同じ。己か儘に咲にけり」萩すゝき-原句「山萩のり秋また-秋未だ。うしろ愛宕-愛宕山の裏月輪寺の方より登るな留守の寺を-原句「寺の留主を」く訂正せり。とあるを消してか除燈燭等の事を掌る宮内省の被管にて御庭の掃主殿寮-とのもづかさ。とりあげ婆-產婆。積み竝べたる新米のさま所せき-場所も俠き位に皮籠-カハゴ。句なり會の第二會を開きし時の連安永八年五月二十日、連句かいつぶり-鳩の一名。示を射る武術鏑競馬Cせなながら鏑矢を番ひて的流鏑馬。ヤブサメ蕪村馬を馳全連句全篇集啼雀巢を出てまたきのふけふ隔田樂にうき世の花の埃して瓶萩すゝき己かさま〓〓みたれ合白病ひの笊秋小はつかしさに入らぬ殻風呂うしろ愛宕を登る露けさ對馬の留主の寺を守り居るなの雨千また暑き晝水憎き鳥の觜入れてのき人の守ス床傘足らぬ五人 連なを拂ふふる妻る庭の陽炎を預りし過きの月所せき屋敷〓〓のことし米盜人あやにくに月すむ九月十五日野の池や氷らぬかたにかいつふり酒賣舟や夜すからの秋主木とりあけ婆の道いそき行殿立の寮まはらに旭寒けき捨たる皮籠風荒てを近く召るゝ鏑競馬の破具足をつくろはん三九、野の池の卷(安永八年)維正維百蕪百正几百蕪維正月道正維蕪百几(連句會草稿)立駒白駒池董村池白董池村駒白居立白駒村池董1
蕪村全集仕もつれて爭ひ絕ぬ小商人伏見の町の暮はやき空油斷して手綱を馬にとられけり几月董居伏見の町の-原句「伏見の里の」ゝ(連句會草稿)この一卷は「連句會草稿」に右の草稿によれば安福山牛七の月二十日例會席上の吟なり。昨非-正白なり。いくすし-幾筋。簀-あじか土など運ぶもつこのこと朝〓〓-草稿に「あけほの」晋明-八董なり。貴人の-草稿に「よき人べき準備にの意のもふけに」貴人を饗應すタテアケ建明-閉開。柴庵-道立なり。四〇、枯野の卷(安永八年)冬夜興山にかゝる徑いくすしかれ野哉簀に霜を荷ふ 朝〓〓債人の饗に魚のとほしくて建明しけき戶のきしる也めつらしき心地す月の七日頃昨晋維柴非明駒庵明雁かあらぬか鳥ふたつ行衣擣その夫としもなき身にてよきものいひは聞にやさしき水蒔て凉しくしなす瓜茄子騎馬見へ來るそかふりものとれおの〓〓の年は廿チに足らさるや一夜に滿る聯句百韻花にほふ奈良の古寺閑かなる鳥の蹴てたつ砂に陽炎春の水大キな船を漕よせし重き鎧の上帶をとく傾城に酌とらせつゝ月の前非庵駒非明駒庵明非半駒非蒔て-撒て。かふりもの-冠り物。足らさるや-草稿には原句「足らすして」とあるを「足らさるや」と訂正せり。漕よせし-草稿には原句「漕よせて」とあるを消してかく訂正せり夜連句篇
蕪村全集とち物-草稿に「閉物」。いせの音頭をとち物にして露草の花を絞リて繪のすさひおさなき人に灸治勸るむく犬のいふせきまてに老くれし風もそよかぬ脊戶のやれ垣放下師か鼓とゝろく雲の峯あはや羽織の袖を引裂立聞の身にうつゝなき藁艸履霰たはしるあとの月しろ聲氷る水田の鳧に矢を放ち玄番といへる岩くらの聟世盛のむかしを見せる小肩衝半駒非庵駒非明半庵駒非庵ぶせきまでに-草稿にいふせきほとに」。放下師か-草稿に「雲峰放下か皷ひゝくなり」。放下師は田樂法師の類。聲氷る-草稿には原句みぞろ「鴨一羽御菩薩が池に獲して」とあるを訂正せりいへる-草稿に「いひしㄴ岩くらー洛北岩倉村。見せる-草稿に「見する」小肩衝-口に接したる肩壺を肩衝といふ肩衝の名器に昔の豪華をしのぶなりきのふは佛事けふは追善明やすき夜を寐さりける勞れ貌戯れる馬士のあら熟しくさ懷を落ていやしき錢の音松の尾かけて凍とけの道初花か彼岸さくら歟杜の中うちかすみつゝ鐘聞ゆ春半非駒明非庵執筆(安永九年几董初懷紙)松の尾-嵐山の南、松尾神社いてとけ-氷の解けし道松尾この連句は「連句會草稿」にも出で「初懷紙」よりは終の一句だけ多し四一、うくひすやの卷(安永九年)正月廿日檀林會一順うくひすや茨くゝりて高う飛蕪村連句篇
蕪村全集山田に鋤を入るゝ陽炎西國の大名通る春くれて香具屋店の普請出來たり殘る蚊に誰も雨待夕月夜くさ木の花のむさきほと咲石垣に水ひた〓〓と秋の風みやひならさる關守の顏几董道立百池田福維駒正白月居(安永九年几董初懷紙)くさ木-臭木。原野に多く生じ臭氣あり、秋の初蕚赤き五瓣の白花族生すむさき程-汚らしき程。恐しき-連句會草稿にはこの一句だけ多く出でた恐しき世にたのみある從者もちて董桃李の序文によれば次の卷共にその刊行より數年前の作の如くなれども几董が桃李の原稿にそへて春坡に與へたる書には、北京市公安局海淀分局特仕方々はにもつくって年)の作とせり(連句會草稿)四二、桃李の卷(安永九年) (そのこ牡丹散て打かさなりぬ二三片夘月廿日のあり明の影すはぶきて翁や門をひらくらむ聟のえらひに來つるへんぐゑ年ふりし街の榎斧入て百里の陸地とまりさためす歌枕瘧落たるきのふけふ山田の小田の早稻を刈比夕月に後れて渡る四十雀秋をうれひてひとり戶に倚目ふたいて苦き藥をすゝりける蕪几村董すはぶきて-「しはぶきて」に同じ。へんぐゑ-變化。妖怪な妖怪な村董董村董村董連句篇
近の地名番場、松本-共に大津附既-既に。名玄番-玄蕃といふ假の人公事-くじ、(訴訟事件。ひそみて-心を潜めて。平家中にて最も豪勇の士。能登殿-能登守平〓經、麻村。a當麻-大和國北葛城郡當名高き當麻寺あり。連蕪句訴訟事件。村全篇集駕舁見し戀の兒ねり出よ堂供養江に獲たる簀の魚の腹赤き花にうとき身に旅籠屋の飯と汁崇なす田中の小社神さひて十六夜の暗きひまさへ世のいそきタ、勅既玄番鳶も鴉もあちらむき居るしころ打なる番場松本つふりにさはる人にくき也日はさしなから又あられ降便の棒組足らぬ秋の雨のか御公宿申うれしさ事も負色立あへぬ虹に淺間のうちけふり粟樗能登とのゝ弦音かすむ遠かたに鐘鑄ある花のみてらに髪きりて餌にうゆる狼うちにしのふらん隣にてまだ聲のする油うり負し馬倒れぬと鳥啼て博士ひそみて時を占ふ春のゆく衛の西にかたふく兎唇の妻のたゝ泣になく三尺つもる雪のたそかれ當麻へもとす風呂敷に文咲散畷八町村董村董董村董村董村董村董村董村董村董村董村
たしむ-嗜む。てつくりたる弓女の中の第二の人疊紙-たたう。りきく」つのゆみ-弓筈を角骨に二の尼-「二の尼に近衞の花の盛尼となりたる官冬の日あさら井-底淺き井。かしこき-貴き。く杜甫の腸を探り得たりと此句老杜-發句の姿情よ維摩經-維摩詣所說經の略三卷〃氣比-越前敦賀をいふ。けしをいふ。ふくだみ-髮の毛のそゝ連蕪村句全篇集冬雨のひまに救の粮やおくり來ぬ二の尼の近き霞にかくれ住すみれ啄雀の親に物くれん五里に一舍かしこき使者を勞て弭七此春なつかしく疊帋とり出て茶にうとからぬあさら井の水木た句た公し限リ老ちむ杜月骨髓に入夜哉のとの浦人の門敲くか寒き子キラヒ音膓文荒神鄙人の妻にとられ行旅の春月落て氣比の山もと露闇き女狐の深き恨みを見返りていとをしと代リてうたをよみぬらん水歲暮の飛脚物とらせやる頭痛を忍ふ遲き日の影鹿の來て臥す我艸の戶に出船つれなや追風吹秋寐かほにかゝる鬢のふくたみ机の花打拂に殘リし酒屋一けんの棚に夜明の鷄啼てふ維摩經また暮やらぬ春のともし火(その一二)ち几蕪董村董村董村董董村董村董村董村董村董村
二蕪村全集保昌-藤原保昌人と爲り膽智勇決膂力人にすぎ文武(丹後大和攝津兼ね備はるの守を歷任し四位に至る巨盗袴垂を畏怖せしめし話名高し長元九年卒垣穗-垣の上部をいふ投ふる-「ほうる」保昌か任もなかばや過ぬらむいばら花白し山吹の後むら雨の垣穂とび越スあまかへる三ツに疊んて投ふるさむしろ西國の手形うけ取小日のくれ貧しき葬の足はやに行片側は野川流るゝ秋の風月の夜ころの遠きいなつま仰き見て人なき車冷しき相圖の礫今やうつらし添ふしにあすらか眠うかゝひつ阿修羅甕の花のひら〓〓と散董村董村董村董村村董村董冷しき-すさまじき。根繼する屋かけの壁の下萠に巢つくる蜂の子をいのり呼村李(桃年代不詳なれども、「秋風六吟歌仙」中の他の卷々よりは、と年代を定め得新聞 大學おむし-原句「露霜からて草のおとろひㄴ鞍鐙-原句「朝の月鳳輩遠く拜むらん。」四三、身の秋の卷(安永年中)身の秋や今宵をしのふ翌も有月を拂へは袖にさし入鞍鐙露けく駒をすゝませて餅召さすやと聲ひくめたる旅やとり古き家名のうれしさは暮行空の雪ふりぬへく煙たつ竹田の邊り鴨わたる蕪月自田百春儿村溪笑福池面董旅やとり-原句「いほやすく古き家名の宿とりて」。竹田-山城深草の西、鳥羽の東にある地名下運句篇
髪低價$100元/57炷絕ゆてけはひむべし。に沈みて」し更にこの句にかへ〓夫の貌も見し」ㄴ原句ㄱほのたき絕ゆ「佛の化これまではお前」たりと訂正身懸.°一九大学教育学部みをとりて之に代へたりと崇-崇の誤。餌にはみし-原句「餌にはみて」いふ故事あり。かば;)安積沼の花が上海麗的金属制品有限公司つ五筆すさみ-原句て「筆立羽折な主に三世のちきりして」貧乏を-原句矢矧の橋-三河國矢矧川掛かわり-架けかはり。に架すいひかく-羽織。「光陰矢の知し」と「ひんほう寶捨てたる-この一句の暮をうらみて-原句「花候」と蕪村の註記あり、山と身とは 不苦とはきのふに散仕舞たり」。み几董自筆にて、上たの空よ朧月」。月朧-ら留主の扉をさしよせてよききぬも原句「恨あるそな原句昭. C (日)教育その墓鳥羽實相寺にあり。明心居士-松永貞德の號連蕪村句全篇集秋の情扇に僧の夜すからの風に明行閨の月露練の袖聲なき泪かゝるらん松明のほくすこほるゝ凉しさよ光陰の矢矧の橋や掛かわりひんほうを苦にせぬ人に身をよせて炷絕ふ伽羅やいつらかほれる朝鮮人のなきからを守る一二の木戶の山ほとゝきす黑い羽折をけふも着て出るうか〓〓米を春に火鼬屑の小筆魚すさみはみ去へらしたり笈負てゆらりと水を越ぬらん聲だみて物うち語る雨の日に桁あちら村の寺は鐘つく彼岸也月朧物見車のおもたくて能きぬも着つ又あしきゝぬも着つ庄寶捨た明心居士の姪や世にます山暮をうらみてちりかての花くきやうの菖かつみ葺てよ走究な司る竟たらかに春の水音かる身鼠弦を餌にはみし山ユツルののやすき哉崇なす神へらしたり自春百ル蕪自春田月春百蕪八月自田百ル春百田蕪月自笑面池董村笑面福溪面池村董溪笑福池董面池福村溪笑
推定せらるにありて安永年中のものとこの卷も「秋風六吟歌仙」中き花咲て次に花深く琶を抱て通夜のにこの句となれり。や白き花の木の間の花盛なぐさめ合つ-原句」と訂正し、「やとり樹の片枝-最初の原句三四円中그「琵L c見ゆれど不詳。生浦梨-この名他書にもき」又は「鯵-雜炊なり。伏水-山城伏見。いゐ-飯。Cざふすゐ」と訓む·一造酒-ミキ。蹇る-あしなへる。連蕪句村全篇集聲花越みちのくのわかれ路の酒肆比なくさめ逢つ通夜の主從深く檜皮かは彌生れて老の雞脛のやの廊下ゝ十日斜高過也き江に臨む臺を月の明くれに聲なき鳥のしけく下りたつ露の烏帽子をまふかにそ着る夕かほも扇も終に秋の風菓子盆に生浦なしめつらしくかへりことおのれめてたき歌よみて修のきらひに白きいゐ焚ん牡丹花咲て四月のうらゝかさ一たひは君か御代にと人しれす孤村の家に雪かねて斯ク馬塞る遠かたや伏水の城にもろこしの客國半身のいやしきをかこつ初瀨女いたゝく造酒の雫とく〓〓司輪圓.のき弓矢おもひなす影秋寒き袖の簑買フ四四、夕顏もの卷(安永年中)大阪哢魯麥蕪二有李守桃龜百麥魯哢蕪二(秋風六吟歌仙)田ル百春月福董池面溪我文水村柳鳳康大喬友非水文我村柳
大魯の發句は安永三年秋の作が歿せしは安永五年夏なりさればこの卷はその間に成又作者中の米侯て名高き錦を產せり蜀嶮に-さかしさ」蜀の國は昔蜀江の錦となどと訓むべき嶮は「けはしさ、かはほり-蝙蝠。うなひ子-うなゐ子。へ影をだに見む(古今集)ま川に駒とめてしばし水か笹の隈-笹のくまひのく連蕪村句全篇集餘處の夜に我夜をくるゝ碪かな灯すれは身に影くらき花のもと錦織かはほりのおとろふる音霧煙るうなひ子の色ある木の葉拾ひつゝ翌學凡夫いくらの陽炎を經し丹波路の軍ひる蜀嶮に小家にの手痩遠き三日の夕月配て藥ほるさたむるかち僧觀音の甍見かへる朝ほらけさゝのくまひのくま水の片岸にかゝる世にかゝる聖のあれは有て曉のかやりにむせふ別れかな祭とて壬生の里人行かよひ夕日さす山のこゝらに花植ん風呂敷着たるむら雨の下蓬しくれの鳩の觜をたはるゝ金おとせし主たつねける盜人ふたり夜を守りて住むか五步せめて此床几置く春宿に醉て戀する四五、よその夜の卷(安永年中)ち大阪大(秋風六吟歌仙)麥蕪二有李守百龜水村柳鳳康大非友桃哢魯麥蕪二有李守百龜桃魯喬我文水村柳鳳康大非友喬
に、大、大、872、明、明珠を龍宮にとらるゝ話あリン風扇寺惡くなるをも風引くをとい風を引たり-味噌などの連蕪村句全集篇雨ほろ〓〓朽ぬ音降るみなし栗花とさすさくらを酒の鄙心春物狂身の秋の三斗の年貢仕廻たり人にかまはぬ我寺の月哥をさゝめの琵琶を舟漕クふ女錦を着るに堪す奧の間深き家のおとろへの夜の鼠灯を恨むむかし雛の目なら鼻なら富士を見た日は早う宿とる夕くれの烟おさまる蚊屋の月味曾も女房も風を引たり聲此道や三度遊行の札受てさりけなく遠の山もとしくれ降物學ひしつゝ日本へ歸るらん錦木に霜置ける迄立つくし凱陣のおの〓〓名のる聲すみて殘る月わすれ貌なる桐の木に御領ゆたかに鵠の下り居る玉なけうては波の鎭る又針折るゝなれきぬそうき沖よりしらむ家鴨の羽たゝき笏に何やら記されにけり殊更秋の脊戶口をもる八霞志東守米蕪村東魯村董候慶魯董東一候蓄董慶蓄村魯東慶蓄-候村
所をい吉野殿-南朝の吉野の御むつかしと-世間がうる業は牛の鼻木なり。拳-千業の合字なるべしイと訓むべ1六十六きては書簡篇參照我が痩せし皮肉はこの乾鮭爐に氷とく卷と同じく安永四五年頃のを食ひて養はれたりとなりしはぶりて-しやぶりてものなるべし。この卷及次の卷共に他の諸Cこの脇につ和田-和田義盛。羅-あみ。成長り-ひとゝなり。の狹き谷間。山のかひ-山と山との間連蕪村句全篇集牛むつかしとひそみても世はむつかしや鷲隣春の旅刀わすれし人遠きしら梅の朝日に細く咲出て爐乾鮭をしはふりて我皮肉かなよし野殿より御題給はるののこる月より霞そめけりやれる門に語りイムに子蹴ぬらん鳥叫ふ聲氷とく硯匂への拳透す寒空にる木の間より花見ぬ人を橋に見る聞斜なる和田か屋しきの塀普請かつみ生ふ沼も旱の野につゝき隔住む弟あやしき成長リ光りものまた暮やらぬ山のかひ春に狂ひの貌黑ふなる羅佛法ちかくわたり來にけり百盜んてもとる馬に踏れたを里となりは國を爭ふ二の月もかれて鳥高く飛半過たり四六、乾鮭の卷(安永年中)り名古屋月我大八蕪曉(秋風六吟歌仙)芙蓉花蓄東一慶董村魯一慶候村臺董魯居則魯董村臺
初め黃梅山鞍馬の南、は支那禪宗の弟六祖惠能が二の瀨、碓ーカラウス。ふ故事をふまへしなり。に入りてゞきて市原あり米なつれ時確房更にその南につ市原-二の瀨は次の付句時錦帳下山廬山-支那江西省の匡盧中空の箱樋。といふ詩句ありめりうつほ柱-雨水を承くる白氏文集に白樂天この山の麓に住廬山雨夜草庵中」「蘭省花+璃御前のことは十二段草子に名高しの長者。矢矧-三河國。矢矧の長の娘淨瑠長は宿驛關原の役後周防岩國に封ぜ念者法師-念者は衆道の石の明王-不動明王の石士口川の城下-吉川氏の城兄分をいふ下はもと安藝國なりしが像なりりらるかのこ-鹿の子紋り。念者の法師な入れし-入れじ。連蕪村句全篇集秋後夜の雨うつほ柱のゆかしさは碓曉にうくひすの子の初音して寒菊に結ひて文を屆けり山伏の頰にくさけに息絕て丸矢またき冬なる山茶花の咲白き衣きてまきれよる戀二の瀨の醫師を送る市原廬山の雲や月うつむらんをの裸矧に怠りかちに踏くらし興禁酒の僧に酒を乞の長て發心をするか法事最中劒磨く山したゝりの冷かに杉の雨從者の烏帽子に雫して春月丁々と聞ゆるは碑を打歟何吉川の城下しつかに夕日影鷄花戎むかしかのこのあたゝかな袖我待やとや細きともし火うおしむ念者法師につれ立て更入れしと秋守る老の買片花て小家の碪聲恨むて々深馬とくに石雪つのの谷水け明行王うをにとく樗董村則良居則良村董良村董良居則董居村董居一村則居
蕪村全集花咲て鎧の朽る君か代に行人路をゆつる春の野良居(秋風六吟歌仙)四七、秋萩の卷(安永年中)秋萩のうつろひて風人を吹テめはなを夕身にしむ白鵬をはなつ雲間に月見へて馬上の友を呼もとしけり三伏の旦凉しき茶一碗類聚國史足らぬゆかしさ罪に逢し翁か宿を訪らへは樗八蕪良董村良董村良なを-なほ。テ類聚國史-六國史をその内容によりて部を分ち類を聚めしものにして宇多天皇の寬平四年菅原道眞勅を奉じて撰上する所なりといふ後世逸亡して今存するものはその部分にすぎず「足らぬゆかしさ」とはその逸亡せる部分をゆかしく思ふなり。かしこき姫-貴き姫。かしこき姫の只泣になく酒進む上座の鬼の あてやかにしたれさくらの花結ひあけ千部滿て香のかほれる春の庭かたいか五器にもゆる陽炎我旅のうさを語らん人もなくて波打よする石に詩を書(マヽ)うしろさまにとつはい頭脫捨し老てめてたき母の舞の手物の榮は夜こそよけれ月の秋露たはゝなる菊をかゝくる野分せし美人の墳を尋ねかね董村良董村良董村良董村良かたゐ-乞食。五器-椀とつばい頭巾-頭巾の頂の尖りうしろに垂れのある物の榮は-徒然草に「夜に入りて物のはえなしといふ人いと口惜しよろづの物のきらのみこそめでたけれ。。ざり色ふしも夜〓連句篇
き人れる人のさまなりうらなき人-心の隔てなゆかりの色-紫色。獨活を土產にもち來いかに鬼神もたしかに聞け連謠曲田村にある語句句〓たはゝ-たわゝ(撓)。眠らむ-眠るらむ。けり。此家の-この句以下を缺蕪村全篇集ほとゝきすいかに鬼神もたしかに聞ふるき榎の枝たはゝなる川に添て濃酒を賣村はつれたとき聖に二度めくり逢子に乳をゆたねて犬の眠らむ北の屋かけのわすれ草さく湯上りの月涼しさよ七日頃うらなき人の刀みしかき苞の獨活ゆかりの色のゆかしくて涕かみて梅を尋るつきん哉殘る雪ち正月廿一日俳諧之連歌る春於春夜樓中の山かせ此家の狂女世になく成ぬらん蛙呑む蛇あさましと礫して假ノ館ともし火足らぬ春の夜に紀の路を奈良へ出る道連藤の花ちるにこり江の隅恨を諷ふ琵琶の-曲四九、る四八、花鳥篇の卷(天明二年)涕かみての卷(天明二年)る- (天明壬寅几董初懷紙)熊我之正佳月百蕪三則分巴棠居池村宗道晋(秋風六吟歌仙)村因立明董村董
以外の宗(顯)顯密-眞言宗隱るゝこと。時は車の前後に蜂從へるこ御車の軒端-京極太政大多かりしよりいふと。臣宗輔蜂をかひてみこもり-水籠。と今鏡十訓抄等に見ゆて、この附近一帶に昔禪徒水中に出仕の楊子江湖は洞庭湖の義にし江湖(ゴウコ)と稱す。江湖頭-禪家にて僧徒を江は弩-イシユミ。みやび-風雅。通辭-通譯する役人。の序に江を襟の-王勃、田村に湖。」鹿山」ましてやま近き-「襟三江而帶五とある句をとれり「ましてや間近き鈴滕王閣同じくでもない芝居の一座をやとひよんな-村芝居に飛んひ來しなり連蕪密)とそれ村句全篇集まめの粉の指あやまてる小豆餅遠く見てかり寐の貌を愛スらんさみたれにひよんなしはゐを買て來て顯密の僧なりし身を武者修行みこもりに影沈たる朧御車の軒端を蜂のうかゝひてト部の家をつぐ子也けり古柳うしや鏡麥さへ喰へは泊ておく村我ゆく春や戀せすて過のはみとり花林のの蓋夜を踏割ル落はる紅枝月ゐ聲たみて江湖頭の尊とさよ弩を枯野の末にこゝろみて吳むらさきのさむるも夢のゆく衞なる荻萩のおとろきやすし西の京藥種干す匂ひのこりて月夕江を襟の山ふところに舟よせて變化逐うつ夜にみやひして藏飯をにきらは大イにすへし又や通辭の袖ひかへつゝましてやまちかきゆふたちの雲楚かのと見ゆる露の家造際に雨うらむ雲ゐ雪九春佳自銀紫管月吾維正熊是之我田湖湖金佳百几蕪居董坡棠笑獅洞鳥居琴駒巴三岩分則福常柳纂棠池董村
曳く車祭禮の時など飾り物をしてだんじり-山車に同じ。連待ちて拜することは廿六夜などの月の出るを月待-十七夜、黑子-ホクロ。廿三夜又いゐ蛸-飯蛸C岡山-低き山。夕づく日-夕日に同じ。かづけ-被け。蕪村句全篇集藍たしかに聞ケときしの二聲俯あふくさくらの木末花のもと宗因もきのふ江戶からのほられてはら〓〓とあられの中に朝の月秋出たる狀を師走に投込て長三ことしは多いだんちりの數うれしや藁を焚仕廻たりそとは見せしときぬかつけ置瓶雪隱もよいほとか有番へ船肩の手拭落かゝりの鰤のすて賣垣たふす野分の筋の恐しくたはれたる連哥始る月待にいゐ蛸を鹽ものうりの商ふて夕附日すみれの影も尺はかり念萩の御殿の夜のしら露春貌の黑子も兄によく似た佛ゆ唱くふ水るや岡山の船頭の妻裾五〇、正月廿一日於春夜樓興行俳諧之連歌夕附日の卷(天明三年)花正松春我之維道几呑道宰蕪松春魚百蕪老鳥巴化坡則分駒立董篇獅立町村化坡赤池村雨
蕪村全集此日ころ三升の酒を酢にしたり雨踈けれは晝も蚊をうつかゝる地にすくせいかなる遊女して夢に逢たる人のつれなき二千里の外とは見へし花に月うこかぬ水に小舟さす春佳棠百池是岩月居蕪村執筆(天明三年八董初懷紙)すくせ-宿世。二千里の-白樂天の詩句に「三五夜中新月色、二千里外故人心」見へしー見えじ。五一、祖翁追善の卷(天明三年)世界を把握手に年三月芭蕉の百囘忌を取五味肉骨骼骨骨骨折。明太子明太子の有限公司同十七日-三月十七日。寺町斷案與〓-前に洛東於安養行」とありこ元同十七日同所追善之俳諧元正式花咲て-芭蕉の句。花咲て七日鶴見る麓かな水行かたに春や滿らん飜せ永和九年の唐衣ツカと、いとさゝやかに兮角の兒しなひあふ小笹かもとの雫して田鼠わたる岡山の裾る月の旦の雲丹の臭打濕肩もあらはにやゝ寒の空提して酒をたまはる角力取左の大臣入おはしますうき中に當意の答めてたさよ夘の花垣にはさむ玉章曉蕪桃志百呂如五春熊銀臺村睡好永和九年三月三日永和-東晋の穆帝の年號王義之時の士人四十餘人と會稽山陰の精導各詩を賦し序を製すに會して禊事を脩池丘瑟雲坡三獅雲丹-伊賀地方にて泥炭の一種をいふ提-ヒサゲ、銚子。當意-當意卽妙の答なり連句篇
降らすて-降らずして。花ざかり-芭蕉の句。撰者-選者。優婆夷-在俗のまゝ佛道に歸依せる女の稱。花散里を訪はんとて行く途宜光源氏の從者惟光-源氏物語に見ゆる空たのめ-あてにならぬしめし條の俤折しも郭公の鳴くに催され中なげの情て惟光をして女に歌を傳へい加减の情昔馴染の女の宿を過ぎ、句は光源氏心からならぬ世話しは忙し世話しけりける-「世話かりける」の誤なるべしc訓むべし鳳巾-イカ、連蕪又はタコと村句全篇集花さかり奇特や日々に五里六里降ラすて霞む雲の尻元同廿三日四明洞下金福寺於芭蕉庵興行追善之俳諧正式秋雲とほしする用意かしこき僕倶して狐撰者もかなと月をよみ置出船をいそく奈良の商人のの風墨の袂の綻ひし鳴なる露のしのはらへり雨こほし行時鳥ほとゝきすなけの情の曉や替てとる酒と肴に歌よみて乙しのふ間を優婆夷のもとに身をよせて左手に烏帽子のかけ〓結ひつゝ鳳巾の絲心行迄のはすらん鱸鄰萩みるほとの世話しけりける後小原黑木空たのめなる花罌粟の雨鳥の家の從弟むつましれに鳴て箸秋道のを空煙を走る惟光旣立わひしらにる月舷タ〓〓の二執月舞臥管東湖我月桃几雪江元道湖熊湖蕪曉筆則居睡董居艸室立嵒三柳村臺居閣央鳥窻陸
し家柄なり。共に儒家として朝廷に仕へ江家-大江氏。菅原氏とならひし-並びし。與ふるをいふかづく-を挿む風習ありへ九月九日高きに登り菜黄高きに登る-支那にて古祿として衣など幽庵-不詳。から聲-嗄れ聲。下にイめるなり美しき若武者が梨の花ちる黑眉-黛にて畫ける眉。綴-つゞれ、刀禰の川-利根川。襤褸鳴-なる。(泊船集)「年立や新年ふるし米五升」行く年の芭蕉の句に連蕪村句全篇集爐塞杉黑眉に梨花散まふる夕あらしおもしろき霧の月夜となりにけりちゝはゝに綴ころもや打ぬらん行奈良のあたりの芒穗に出る雜魚鮓たしむ幽庵か棚春の小鳥のからこゑに啼露よき武とろ〓〓と鳴城高き月に鴉の飛わたり年霜あるゝ刀禰の川崖て船を催す二三の者餅米五升鹽騎門にイの九ツ松人魚曲水や江家の作者誰〓〓そのこる月山なき空に霞らん唐土脇起俳諧春使かへり來し春米おほき岐阜の富貴は淋しくて老松にならひし椎の木もありことしも纒頭薄いろの衣夫婦高カツきに登る杖曳て五二、のその五車反古の卷(天明三年)こへ春泥舍召波蕪維村駒風執蘿百之管舞筆德五田松橘佛是翠計臥維春念佛池分鳥閣野雲福宗仙仙岩關之央駒坡
齊-齋の誤。產とす。下福島-大阪、胡羅蔔-ニンジン。て古來遊女多かりき。室-播磨室の津。けふりたくぼか-凹みたる所。る反魂香をきかせたり。へ-烟絕えぬ雀鮓を名室君と仙乏三日の粮-三三七頁を見よ-不詳。-不詳。連蕪村句全篇集胡羅蔔の花は咲すもありぬへし亡齊、料の米こほしたる苦しさに(マヽ)入ひか〓〓と室の揚屋の銅盥かへり花ひらき梢のにほふらん丹をべた〓〓と大津繪の鬼小闇キくぼかに杭セうつ下けふりたへぬる香の名はそも隣に耻よしうとめの聲口に人妨の妻の子を懷に通ひ來し春福島の月の雨暗き夜にの晝寐して鮓なるゝ比音珠數挽の二間間口を住なして花かつみ刈とるほともなかりけりあらぬ戀中〓〓人に語らましまとゐして深き軒端の尊さよ祈タ吾妻ふりなる哥そかはゆき日の斜僧に葬の行見ゆの眼とぢたる仙乏のしるへも今は跡なくて藻舟漕く男の髪もみたれたる鵲三日の粮の用意かしこき時巢くふみんなみの松の鼓を打しまふたりる田村福駒村福福駒村福駒村福駒村駒福村駒福
な洗147.7擊て樂器とすといふ酒を盛るものり多くの書をいふ。施多方、其書五車」とあるよ五車-莊子天下篇にほとぎ-書齋狼籍たるさま。冬ごもり-召波の句なりけての隱れ場所とすその陰に隱るゝとうふください獵師が鳥獸を射まちはづれ」と訓缶は瓦器にして秦人は之を製麺)「惠伏見-「臥し」にいひか禿童のさまを附けたり。いふより、かむろ-前句の六波羅と〓盛の召使ひし嘶ふ-イバフ。連蕪村句全篇集郊裂やすき糸のみたれの古袴新宅の夏を住よきはしら組枝伐て一のまふしを定むらし冬こもり五車の反古のあるし哉ちら〓〓と雪降ル竹の伏見道水甥妻を奪ひ行夜半の暗きに小荷駄返して馬嘶ふらん流のすゑの水はふたすちひとり寒夜に〓うつ月外打の何そゝく進物太郞か先口を利ク焚やらん煙しての鯛うたけして花の日なたに老夫婦夢三夜犠をやめよと御託宣菊合兩六波羅のほのめきて月遠ききゝすに近き雉子鳴頭露二おもたき傘を返す日もなきの十踏宵狐や僕を匂引けむ年したく艸來童洪水もなし齒(マヽ)の裏豁門脇起俳諧冬そニ我道之正春也百蕪臥鐵維執則立分巴坡好池村央僧駒駒村福駒村福筆駒
丈山-石川丈山。きふり-胡瓜。ㄱ賴ある-謠曲羅生門に中の酒宴かな」といふ句あつはものゝ交り賴みある甚右衞門門士川-蕪村門のち几董攝津大石の酒造家松岡醒-フツカヱヒ。とる春や昔-業平の歌の句を連いく野-丹波の生野。蕪句村全篇集水無月へ越えても晴れぬ皐月雨梅酒やとくりの底にわすられししのふ身を隣の聟にほしかりて淺井汲徑うれしき山下に醒とけやらぬ春もやゝ過て月の明き夜は賴あるさくら哉調戀の連歌に胸つふれたり垣根なからのきふり花咲樓劔うつ日の朝淨めせん度の灯による胡蝶一片數ある丈山の庵反古ならぬ五車の主よ花の時小商ひ露のいく野ゝ旅なれやなく〓〓も棺を出す暮の月燕來る日の長閑也けり春よからぬ酒に胸を病ム秋や右一巡捻香むかしの山吹の庵五三、猶ゆふつく夜のほと花の邊リを徘徊し侍りけるに叟とかの地に遊ひける時生田の森にて士川は攝灘のあいたにさうなき俳諧の好人也。足弱の宿かる爲歟遲櫻賴ある櫻の卷(年代不詳)四四五蕪ひとゝせ夜半五四四四蕪土八村車田ル湖湖佳自反川董村川董村川董村川董壱福董當柳業笑
の名。翁丸-枕草紙に見ゆる犬ぼさち-菩薩。のどか-長閑。いゐ-飯。連蕪村句全篇集室の津や時雨に添ふる波の音流矢の水に落つゝ行月や甞聞名利をくにむ人やらむ麓遠筋見えすなりたる山の端に君と我苣の酢みそに酒二升琵琶かきならす秋草の上雁ほさちを拜む有かたやそもうたゝ夜を寢ぬ曉のかね春たのしさに小家建たる船訪ふへくとおもふ島守邊や夕暮の風に花の散たつあとに猿聲有花の雲にほひあまりて南す盃からうして唐土の書ミ盜來し土釜に茶を煮る葉柴折くへて月のいゐの香の胸に痞るひんなさよ菫今僧の流る春日のとかにすみよしの浦小草花さく前栽のくまねまきのまゝて戀に朽なむはは都と秋を語夕狐を吼るおきな丸引天かたへ鶴下りてぬ平行寶幸字る淋しさの何道年士士喬董村喬董村喬董村巧董村巧董村巧董村川董村川董村
蕪村全集咏物-連歌の賦物に白黑などを題とすること多し。白きといへる咏物を賦ス川集新雜談五四、君とわれの卷(年代不詳)今年己の未-寛政十年この年秋は蓼太の十三囘忌、冬は蕪村の十七囘忌に相當すいつのとしの秋にや雪中庵夜半亭往來の哥仙ありことしつちのとのひつしの秋冬はふたりの翁の遠忌にめくれは追善のひとつにもととりいてこゝに記す此一卷ひさしく物にひめをきしかはむしはみて文字のゆきかひもさたかならぬを九二庵のぬしはやくよりうつしかき申されしをもて正すわかゝりしときは武江にして俳林の花をあらそひ實をもとめ今は關山をへたてゝいつあふさかのあなたこなたにたかひの老情を申遣しける君と我月にうつらは嘸泣む蓼ゆめのゆきゝも二千里の秋蕪太の發句の前書なり以下蓼C二千里-白樂天の詩句に〔三五夜中新月色、二千里外故人心」蓼蕪太村くつの葉に荻のうは風吹添へてかと守ひとり履つくりゐる歷々のなてしとみゆる古火桶祕曲つたゆる息なゝめなりつくし舟唐土ふねに漕ならひ廿日あまりの夜半の雨風女にもまかへる宮を背に負ひ引はなひかむ袖に御經朝またき戶させる三輪の山陰に五合はかりの米のしら水からき目に夜釣の友のこりなから髮に霜をく母のくり詞同太同筆村同つたゆる-傳ふる。同同太同同同引は-引かば。三輪-大和城上郡。をく-置く。連句篇
蕪村全集在すかとかさりて鎧ほし兜月をかさねしはつ春の餅花むこも雪中庵の三つ物に小舟つけたるむめの片町てら〓〓とむらさめ遠きにしの空頓寫の施物引あまる迄同同村同雪中庵-蓼太。三つ物-歲且の三つ物。同同頓寫-トンシヤ。追福のため法華經などを多人數にて短時間に寫すこと傳なる- -つたふなる。C藤太-俵藤太秀〓傳なる藤太か袴脛こへていはらの花の匂ふ大原澁あへる夏の炭櫃の冷しさこかねに富る僧あはれなりなきあとの公事に成たる甥二人たちなからこそ雪のにしき木同同太同同同夏の炭櫃-枕草紙すさまじきしのゝ條に「火おこさぬ火桶すびつ」。又無名抄に「火おこさぬ夏のすびつの心地して人もすさめずすさまじの身や」。公事-クジ、訴訟事件。神の矢のひとすち思ひ初玉ひ庄司かやとの鷄の羽たゝき大水の三尺落しあさの月いこまの山の淡き秋霧攝待に古郷の人のこしかけて土藏もたてしとかたる嬉しき天草の亂より後は時津風狀につはさのなき斗也同村同同同同太落ちし-減水せし。いこま-大和生駒山。狀につはさのなき斗也とし〓〓の花にとおもふ夜半亭やせ臑いさむ千草の比右往來哥仙大江丸執行て滿尾したり同同同(はいかい袋)連句篇
蕪村全集この連句、几董自筆の日記安永五年の條に出で、第六句までのせたり。五五、斷章(その一、安永五年)百韻あらし吹艸の中よりけふの月露ふり水烟山遠く路細しゆく秋に心の秋や後るらん我貧讓る人さへもなし三つの瓢おの〓〓愛を異にして音なく來たり雪の鶯樗蕪八樗良蕪村八董良村董(几董自筆日記) (その二、年代不詳)古夜半翁いまそかりける比、三吟の表あり、ひて佳棠とゝもに、首尾し侍る今一夜松の時にあ國を去て三月花に故人有春ものうしと布衣を脫らん雨雲の降もさためぬとまり狩川音響く闇の十六夜歸さの童子に秋を諷はせて紅葉手折つ擔ふ酒甕百蕪几百池蕪村几董池村董(續一夜松後集)泊り狩-春の鷹狩をいふ山野に露宿して宵の間に維子の鳴くをきゝて利物所を知り置き、武田信頼を放ちて之を捕ふるない表以下を佳棠、三人にてつぎ歌仙滿尾せり百池、几董(その三、年代不詳)薩埵宮にのほりて薩埵宮-幻住庵の傍なる八幡宮。連句篇
黃金の三瓶子でもの三人。師-か蕪村、しをりの如此有意大利麵包曉臺、天明二年の秋ことなら鮮奶茶碗蒸包粉几董かぶ勿々になぐり書きするをい打付書-ウチツケガキ。江鮭-アメノウヲ。連蕪村句全篇集細道紅葉のとぎれ〓〓や瀧の音大古川に水引一把小引出し懷の子やわすれけん立くらみ月の芋武家は物每やさしくて鰤打我泊りうらから見た歟おつかない文雪賣の付を合せて翌は佳例日梢礫に群れし山雀聲書もの奧も木すゑ也の宿裏に入も金相屏窓近き荻の茂り葉うらかれて月に漕く吳人はしらし江鮭雨になるへき風起りけりあぼしにならふ笘の秋され存せり。むかし園城寺にて風詠したる一卷、下ことし蕪叟十七囘忌の靈前に向ひ、略三師はとく物故し給ひ、常諷經にかへんといふ。盤我ひとり騏几曉蕪の追剝に故郷の錦してやられ(その四、寶曆七年)迫加、紅葉の卷(延享年中)關東下總蕪阿蕪阿蕪阿同蕪田阿机蕪す騏几曉蕪鶴の村誰村誰村誰村樹誰み)村香道董臺村
SHANGHAI SHANG HAI KITCHEN眞壁平四郞-常陸眞壁の人むといふ法心と更めが少時伊達正宗に仕へし令和一年し聘をウ開海南山京の近は眞壁平四郞入道歟濁のく立殊浪更のもなし空柘榴鼻-酒客などによく見るぶつ〓〓したる赤鼻をいふ小部-コジトミ。入らふ-入らう。ふめて白拍子を舞出せりとい島の千歲和歌の前の二人始島の千載-鳥羽院の御時蝶鮫の皮の鞘をいふ花いいらぎ-梅花皮。山法師-叡山の僧徒C破風-ハフ。連蕪村全集句篇朝の月重き一葉やかたつふり梅酒をたしむ阿奢梨のさくろ鼻關の戶を或夜きつねの敲きけり白米のつめたき土にこほれぬる先祖の日娘二人の髮結はん目鏡踏む距のこゝろさひしくて市に出て苦しき餅の賣殘月白し小家に笛を吹そらし山法師かゝる時節やうかゝはんしつかりと燧をつかむ病ほうけ逢はぬ戀待戀まては美しき海都方とは嵯峨歟醍醐歟寒に入らふとおもふ刻限穢多村かけてはやる疱瘡四角に物をたゝむ老耄南と押繪の榮は島長き夜すから鮎は落行花かいらきに秋の野の袖巽破風京のあの雨近濁のる所のの鼬に梟か飛ふく立浪もなしの明き小部目の先へ降殊更のの千載空四五六蕪阿蕪同阿蕪阿蕪阿蕪阿蕪阿蕪同阿蕪阿蕪阿蕪阿蕪阿村誰村誰村誰村誰村誰村誰村誰村誰村誰村誰村誰
摘は-摘めば。蕪文全集聊摘は匂ひの手に殘る古茶も狀は訛らぬ花の國章篇四浪海朱花田春春鶴秋令樹
新花つみ(安永六年)享四年刊。五元集-其角の句集.延ケツ曲鑿、剤剛氏--はは力刀、共に文字を彫刻剛はに用ふるもの剤剛氏に與ふとは上梓すといふに同じサン艾柞-芟は草を刈ること柞は木を伐り除くこと。詩經に「載芟載柞其耕澤々」て嚴選せりとの意こゝは拙句を十分除き去り闇夜に錦富貴不歸故〓如衣錦夜行(漢書)類い-たぐひ。發句集は-蕪村は芦陰句選の序文にも「遺稿は出さずもあらなん。いにしへより作者の聞えあるもの遺稿出て還て生前の聲譽を減するもの少からず」といへ麥林集-乙由の句集。玄峯集-嵐雪の句集。延五元集は角か自選にして、たへ、世にひろくせんとおもひとりたる物なれは、芟柞の法も嚴なるへし。さるを其集も閱するに大かた解しかたき句のみにて、よきとおもふ句はまれ〓〓なり。それか中に世に膾炙せるはいつれもやすらかにしてきこゆる句也。されは作者のこゝろにもとより自筆に淨寫して剖剛氏にあたへ、芟柞の法もいつれもやすらかにしてきこゆる句也。これは妙にし得たりなとうちほのめくも、いとむつかしく聞えかたきは闇夜ににしき着たらん類いにて、無益のわさなるへし。ひとり五元いとむつかしく聞え多く沒後に出せるものなり。家々の句集を見るに、集のみ現在に出せる也。句集出てのち、すへて日來の聲譽を減するもの也。發句集は出さすともあれなと覺ゆれ。句集出てのち、玄峯集麥林文章篇
蕪村全集集なとも、かんはせなきこゝ地せらるれ。況汎々の輩は論すへくもあらす。よき句といふものはきはめて得かたきものなり。其角は俳中の李靑蓮と呼れたるもの也。それたに百千の句のうち、めてたしと聞ゆるは二十句にたらす覺ゆ。其角か句集は聞へかたき句多けれとも、讀むたひにあかす覺ゆ。是角かまされるところ也。とかく句は福落なるをよしとすへし。靑蓮と號す李靑蓮-李白、字は太白麥林集なとは、よき句もあれとよみもて行うち、しきこゝ地せらるれ。やかていとは五元集は其角か現世に出さんとはかりたるものにて、みつから精選して、さて灰うち紙のつやゝかなるにみつから淨書し、やあくうち紙-灰汁を引きてうちたる紙。ほゐとけす-本意遂げず芝神明の社僧某-この事五元集の序に「「こゝに國ゆすりて尊み奉るおほん神に仕ふ大德の在ける云々」と見ゆ旨原-小栗氏、江戶の人、超波の門、安永七年歿年五十四いさゝか故ありて-寛保二年六月蕪村の師巴人歿せるを以て、江戶を去りしなり)しもつふさいふき-下總結城。雁宕-砂可氏、結城の人蕪村と共(巴人歿後結城に歸り又巴人門の高足た諸方に流寓せり安永二年-幕府旗本の士なり江戸の······························年六十三寬延元潭北-常盤氏、下野那須の人、其角門、醫を業とし俳に遊べる外、「野總茗話ㄴ그會〓育の著あり。民家分量記」等通俗なる社延享元かて木にのほすへきほとになりて世を去り、ほゐとけすありしを、芝神明の社僧某其遺書を秘めおさめもちて、世にも出さす有けるを、我友百萬坊旨原といふもの、貴き價をつのり、とかくすかしこしらへて、其書をゆつり得たり。さて余にはかりて、毫厘もたかはす此書をうつし得させよといへるを、容易にうけかひつゝ、いまた業もはしめすありけるほとに、いさゝか故ありて余は江戶をしりそきて、しもつふさいふきの雁宕かもとをあるしとして、日夜はいかいに遊ひ、邂逅にして柳居かつく波もふてに逢て、こゝかしこに席をかさね、或は潭北と上野に同行して、處々にやとりをともにし、松島のうらつたひして好風におもてをはらひ、外の濱の旅寢に合浦の玉のかへるさをわすれ、とさまかうさまとして既三とせあまりの星霜をふりぬ。されはかの文章篇
蕪村全年七月三日歿。好風-書經に「星有好風ㄴ外の濱-陸奥北端の海邊をいふ合浦の玉-昔支那の合浦郡の太守貪欲なりしためその海の眞珠他へ移り去りか孟嘗といふ人代りて太守となりしに眞珠再び還れりといふ故事(後漢書)によりこゝは「歸る」の序歸江-に用ひたり江戶に歸ること龜成-山本氏、江戶の人存義門、寶曆六年歿騰寫-謄寫の誤わいだめ-區別。村全集四六四(マヽ)百萬いかて我歸江を待へき、やかて龜成なるものに騰寫せしめ、木にゑりてつゐに世にひろうせり。すなはち今の世に行はるゝ五元集是なり。原本と引あはせ見るに、いさゝか秋毫のたかひもあらす、よく其角か手澤を失はさるものなり。其原本いま又海友玉峨か家におさめもてり。發句とひら句とのわいためをこゝろ得ること、ゆるかせにおもひとるへからす。平句の姿なれとも鍋提て淀の小橋を雪の人發句ニ成ル也右は蕪村か句發句に近江のや手のひらほとな雲おこる似たる右は雪堂か句也第一の修行なり發句に平句也似たる雪堂-笠家氏、江戶の人存義門、丸山主水-丸山應擧。丸山主水か畫たる蝦夷の圖に昆布て葺軒の雫や五月雨ある人咸陽宮の釘かくしなりとて、短劒の鍔に物數奇て腰もはなたすめて興しける、いかにも金銀銅鐵をもて、花鳥を鏤めたる古物にて、千歳のいにしへもゆかしきものなりけらし。されと何を證として咸宮の釘かくしといへるにや、荒唐のさたなり。中〓〓に威陽宮の釘隱と云はすはめてたきものなるを、無念の事におほゆ。干蛙なからの橋杭、井出のほしかはすも、今の世の人持つたへたらましかは、あさましくおほつかなき事に、人申あさみ侍らめ。常磐潭北が所持したる高麗の茶碗は、義士大高源吾か秘藏したるものにて、すなはち源吾よりつたへて、又余にゆつりたり。咸陽宮-秦の始皇帝が咸〓陽に都して造營せし宮殿釘隱し長押などの釘をうちたるあとを隱す化粧金り。長柄の橋杭-節刀節信と能因法師とり長柄の橋の鉋屑藏せる故事あり井手の蛙の乾物を秘(發句篇五七頁參照)。申しあざみ-言ひあざけV)文章篇
蕪村全集六まことに傳來いちしるきものにて侍れと、何を證となすへき。のち〓〓はかの咸陽の釘かくしの類クひなれは、やかて人にうちくれたり。松しまの天麟院は、瑞岸寺と甍をならへて尊き大禪刹也。余其寺に客たりける時、長老古き板の尺餘はかりなるを、余にあたへて曰、仙臺の大守中將何かし殿は、さうなき歌よみにておはせし、多くの人夫して、名取河の水底を浚せ、とかくして埋れ木を堀もとめて、料紙硯の箱にものしそれに宮城野の萩の軸つけたる筆を添て、二條家へまいらせられたり。これは其板の餘りにておほろけならぬもの也とてたひぬ。槻の理のことくあさやか也。水底に千歲をふりたるものなれは、いろ黑く眞かねをのへたるやうに、たゝけはくわん〓〓と音す。重さ十斤はかりさうなき-ならびなき。名取河-陸前名取郡にある川たひぬ-賜びぬ。ひらつゝみ-平包。たゆへく-堪ふべく。もあらん、それをひらつゝみして、肩にひしと負ひつも、からうして白石の驛まてもち出たり。長途の勞れたゆへくもあらねは、其夜やとりたる旅舍のすの子の下に押やりてまうてぬ。そのゝちほとへて、結城の雁宕かもとにて潭北にかたりけれは、潭北はらあしく余を罵て曰、やよ、さはかりの奇物、うちすて置たるむくつけ法師よ、其物我レ得てん、人やある、たゝゆけと、須賀川の晋流かもとに告やりたり。晋流ふみを添て、其人にをしへて白石の旅舍を尋ね、いつ〓〓法師のやとりたるか、しか〓〓の物遺れおけり、それもとめにまかてぬといはせけれは、驛亭のあるしかしこくさかし得てあたへけれは、得てかへりぬ。後雁宕つたへて、魚鶴といへる硯の葢にしてもてり。結城より白石まては七十里餘ありて、ことに日數もへたたりぬるに、得そ晋流-藤井氏、奥州須賀川の人、其角の門寶曆十一年歿年八十二文章篇
蕪村全集けう-希有。てかへりたるけうの事也。淡々-松木氏、大阪の人其中は.上海老店(昭和)して半時庵淡々と號し牛肉丸メダル們 小 吮 度稻負鳥、活動してください。なりこ俳たる作歌仙」に平句として出づばんぶんじゅるものかな--總總但し日光は下野國なり。丈羽-傳不詳。おひがさみ-生ひ嵩み。淡々は等閑の輩にはあらす。むかし余蕉翁晋子雪中を一幅の絹に畫キて、贊をもとめけれは、淡々もゝちとりいなおふせ鳥呼子とり三俳仙の賛は古今淡々一人と云へし。今しもつふさ日光の、珠明といへるものゝ家におさめもてり。珠結城の丈羽別業をかまへて、ひとりの老翁をしてつねに守らせけり。市中なからも樹おひかさみ草しけりて、いさゝか世塵をさくる便りよけれは、余もしはらく其所にやとりしにけり。翁は酒掃のほかなすわさもなけれは、孤燈のもとに念珠つまくりけり。て、秋の夜の長きをかこち、余は奧の一間にありて、句をねり詩をうめきゐけるか、やかてこうしにたれは、ふとん引かふてとろ〓〓と睡んとするほとに、廣椽のかたの雨戶を、どし〓〓どし〓〓と、たゝく物するに、二三十はかりつらねうつ音す。いとあやしく胸とゞめきけれど、むくと起出てやおら戶を開き見るに、目にさえきるものなし。又ふしどに入りてねふらんとするに、はしめのことくどし〓〓とたゝく、又起出見るにものゝ影たになし。いと〓〓おとろ〓〓しけれは、翁に告ケていかゝはせんなとはかりけるに、翁曰、こざめれ、狸の所爲なり、足下又來りうつ時そこはすみやかに戶を開て逐うつへし、翁は背戶のかたより廻りて、くね垣のもとにかくれ居て待へしと、しもとひきそはめつゝうかゝひゐたり。余も狸寢いりして待ほとにこうじにたれば-こうずコは困ずにて、草臥るゝをい明るかないで引きかうで。-物字の誤か。ござめれ-こそあるめれの約こゝは「よし來た、あ來て見よ」などの意くね垣-垣のこと、關東地方の方言なりしもと-答引きせてめ-身體に近く文章篇關東しも四六九
蕪村全集又どし〓〓とたゝく。あはやと戶を開ケハ、翁もやゝと聲かけて出合けるに、すべてものなけれは、おきなうちはらたちて、くま〓〓のこるかたなくかりもとむるに、影たに見へす。かくすること連夜五日はかりに及ひけれは、こゝろつかれて今は住う長へくもあらす覺へけるに、丈羽か家のおとなゝるもの來りて云、そのもの今宵はまいるへからす、此あかつき藪下タといふところにて、里人狸の老たるをうち得たり、おもふに此ほとあしくおとろかし奉りたるは、うたかふへくもなくシャツか所爲也。こよひはいをやすくおはせなとかたる。はたしてその夜より音なく成けり。にくしとこそおもへ、此ほと旅のわひ寐のさひしきをとひよりたる、かれか心のいとあはれに、かりそめならぬちきりにやなとうちなけかる。されは善空坊といへる道心者住うへくも-「住ふべくL、「住み得べく」、いつれにも訓まるおとな-奴婢の長。しやつ-其奴。をやすく-寝を安く。今夜は安眠せられよとなりほたい-菩提。をかたらひ、布施とらせつ、ふらひ侍りぬ。秋のくれ佛に化る狸かな狸ノ戶ニオトツルヽハ、尾ヲモテ叩クト人云メレト、ラス、戶ニ背ヲ打ツクル音ナリ。布施とらせつ、ひと夜念佛してかれかほたいをと左ニハア見性寺-一心山と號す。淨土宗の寺囘祿の災に罹り今そのあとを殘さずあつふるひ-瘧なるべしさうし-障子。むかし丹後宮津の見性寺といへるに、三とせあまりやとりゐにけり。秋のはしめより、あつふるひのためにくるしむこと五十日はかり、奧の一間はいと〓〓ひろき座しきにて、つねにさうしひしと戶さして、風の通ふひまたにあらす、其次の一間に病床をかまへ、へたてのふすまをたてきりて有けり。ある夜四更はかりなるに、やまひやゝひまありけれは、かはやにゆかんとけり。四更-今の午前二時より四時頃まで文章篇
蕪村全集長さに沿ひて長く板を張れくれゑん-博緣。緣側のる緣をいふ。おもひてふらめき起たり。かはやは奧の間のくれゑんをめくりて、いぬゐの隅にあり。ともしひもきへていたうくらきに、へたてのふすまおし明て、まづ右りの足を一歩さし入けれは、何やらんむく〓〓と毛のおひたるものをふみ當たり。おとろ〓〓しけれは、やかて足をひきそはめてうかゝひゐたりけるに、ものサダゝ音もせす。あやしくおとろしけれと、むねうちこゝろさためて、此たひは左りの足をもてこゝなんと思ひてはたと蹴たり。されと露さはるものなし。いよゝこゝろえす、みのけたちけれは、わなゝく〓〓庫裡なるかたへ立こえ、法師しもべなとのいたく寢こちたるをうちおとろかして、かく〓〓とかたれはみな起出つ。ともし火あまたてらして奧の間にゆきて見るに、ふすま障子さうしはつねのことく戶さしありて、のかるへきひまなく、もへおどろし-恐し。むねうち-胸揃ち。寐こちたる-熟睡せる。とよりあやしきものゝ影たに見へす、みな云ふ、わどのやまひにおかされて、まさなくそゝろこといふなめりと、いかりはらたちつゝみなふしたり。中〓〓にあらぬこといひ出けるよとおもなくて、我もふしどにいりぬ。やかて眠らんとする頃、むねのうへばんしやくをのせたらんやうにおほへて、たゝうめきにうめきける。其聲のもれ聞えけるにや、住侶竹溪師いりおはして、あなあさまし、こは何そとたすけおこしたり。やゝ人こゝちつきて、かくとかたりけれは、さることこそあなれ、かの狸沙彌か所爲なりとて、妻戶おしひらき見るに、夜しら〓〓と明ケ:て、あからさまに見認けるに、椽より簀の子のしたにつゝきて梅の花のうちちりたるやうに跡付たり。扨そ先キにそゝろこと云たりとて、のゝしりたるものとも、さなん有けりとてあさみ中〓〓に-なまじつか言はずとよき事言出でけるよの意おもなくて-面目なくてばんじやく-盤石。竹溪-見性寺第九世の注職觸譽芳雲和尙俳に遊び宮津綠寺の和尙兩巴眞照寺の和尙鷺十等と交游あり後攝津武庫村守部の來迎寺にうつり住み安永八年六月十四日寂す。きける。さなん有りけり-で有つた」の意。文「さう章篇
蕪村全集四七四あざみ-驚き呆れ。種々-種々は髪の短き貌「余髮如此種〓蕪村Cぶちとれ違る木 一くれて」字りに及但ㄱる事になり居れと今。7.の字を生かして 數助ㄴまめやかもの-朱鶴長老-文福茶釜の傳說に名高き茂林寺の守鶴和尙のことかふる-古る、振る。八疊狸の睾丸は八疊敷とふ俗說をきかす金閣---丸丸いひかく中村兵左衞門-常陸下館の木綿問屋風堂と號す安永八年六月廿三日歿年七十四その子孫は今なほ下に て老先生活動國安全りし事あり今同家に藏せらるあへり。竹溪師はあはやといそき起出給ひけるにや、おびも結ひあへす、ころもうち披きつゝ、ふくらかなる睪丸の米囊のこときに、白き毛種々とおひかふさりて、まめやかものはありとも見えす、わかきより痒リのやまいありとて、たゝ睪丸を引のはしつゝひねりかきておはす。其有さまいとあやしく、かの朱鶴長老の聖經にうみたるにやと、いととおそろしくこゝろおかれけれは、竹溪師うちわらひて、秋ふるや楠八疊の金閣寺竹溪竹溪ひたちのくに下館といふところに、中むら兵左衞門といへる有。古夜半亭の門人にて、俳諧をこのみ風篁とよふ。ならひなき福者にて、家居つき〓〓しく方貳町はかりにかまへ、前載後園に(マヽ)古夜半亭-蕪村の師巴人なりつき〓〓し-似合はし。徒然草に「家居のつき〓〓〓といふ句あり前載前栽の誤阿滿奥州須賀川藤井半お酒の寶曆二年五月世田線は奇石異木をあつめ、泉をひき鳥をはなち、假山の致景自然のなかめをつくせり。國の守もおり〓〓入おはして、又なき長者にて有けり。妻は阿滿といふて藤井某といへる大賈の女にて、和歌のみちいと竹のわさにもうとからす、こゝろさまゆうにやさしき女也けり。さはかりの豪族なりけるに、いつしか家おとろひ、よろつものさひしく、たち入る人もおのつからうと〓〓しくなりぬ。其家のかくおとろえんとするはしめ、いろ〓〓のもつけ多かりけり。それか中にいと〓〓身のけたちておそろしきは、一とせの師走春待りやうに、もちゐいつ〓〓よりも多くねりて、大なる桶にいくらともなく藏め置ぬ。そのもちゐ夜ことに減り行きけれは、何ものゝぬすみ去けるにやとうたかひつゝ、桶ことに門扉のことき板を覆て、そのうへにしたゝかなる盤もつけ-物怪、怪しき出來事C春待りやう-春待つ料。正月の支度なりcもちゐ-餅。文章篇
蕪村全集てゝろにくみて-心憎み石をのせ置たり。つとめてのあさこゝろにくみて、打ひらき見るに、覆ひは其まゝにて有つゝ、もちゐは半は過へりうせたり。其頃あるしの風篁は、公ケの事にあつかりて、江府にありけり。·ソされは妻の阿滿、よろつまめやかに家をもりて、まいりつかふるものまてにも、なさけふかくじひこゝろ有けれは、人みないとをしとなみたうちこほすめる。ある夜春のもふけに、いつくしききぬをたち縫て有りけるか、夜いたくふけにたれば、けごともはみなゆるしつねふらせたり我ひとり一間に引こもり、くま〓〓かた〓〓とさしつゆうかゝふべき假隙もなくして、ともし火あきらかにかゝけつゝ、心しつかにもの縫て有けり。漏刻聲したゝり、やゝうしみつならんとおもふおりふし、老さらぼひたる狐の、ゆら〓〓と尾を引て、五つ六つうちつれたちて、ひ江府-江戶。じひこゝろ-慈悲心。いとをし-いとほし。春のまうけ-正月の支度い-美しきけご-家子。奴僕などをいふ。くま〓〓かた〓〓-隈々方々漏刻-水時計。さうし-障子。虛白-虛室生白の略にてすきまより日光がさし入りて白き義こゝはすきまといふ程の意に用ひたり虛白たにあらねば-原本たりこの下數字餘白のまゝあきめかれもー目も離さず見つめ居たるに。ゆきこふさま-往き交ふかきけつ-かき消す。おとろし-恐しざのもとを過行、もとより妻戶さうしかたくいましめあれは、いさゝかの虛白たにあらねは、いつくより鑚入へき。いとあやしくて、めかれもせすまもりいたるに、ひろ野なとの碍るものなきところを、ゆきこふさまにて、やかてかきけつことく出さりぬ阿滿はさまておとろしともおほへす、はしめのことく物縫ふて有けるとそ。あくる日かの家にとふらひて、いかにやあるしの歸り給ふことのおそくて、よろつ心うくおほさめなと、とひなくさめけるに、阿滿いつ〓〓よりも、かほはせうるはし<,のとやかにものうちかたり、よべかく〓〓のけいありしとつぐ。聞さへゑりさむくすりよりて、あなあさまし、さばかりのふしぎ有を、いかに家子ともをもおとろかし給はすひとりなどかたゆべき。にけなくも剛におはしけるよといへは、いやとよ、かく〓〓のけい-かやう〓の怪異<,にけなく-似氣なく。文章篇
蕪村全集四七八つゆおそろしきとも覺へす侍りけりとかたり聞ゆ。日ころは窓うつ雨、荻ふく風のおとたにおそろしと、引かづきおはすなるに、その夜のみさともおほさゝりけるとか、いと〓〓ふしきな引かづき-引きかぶり。ること也。又晉我介我といへる翁有けり。一夜風篁かもとにやとりて、書門人院にいねたり。長月十八日の夜なりけり。月きよく露ひやゝか(マヽ)にて、前載の千くさにむしのすたくなと、ことにやるかたなくて、雨戶はうちひらきつ、さうしのみ引たてふしたり。四更はかりにはしなくまくらもたけて見やりたるに、月朗明にして宛も白晝のことくなるに、あまたの狐ふさ〓〓としたる尾をふりたてゝ、廣椽のうへにならびゐたり。其影あり〓〓とさうしにうつりて、おそろしなんといふはかりなし。晋我も今はえぞた晋我-早見氏、結城の人其角門後介我の門に入る延享二年正月廿八日歿。年七十五すだく-もと集るのなわから、後世鳴くの意に多2〓〓〓えぞたゆべき-「いかで堪へ得べき」との意ゆへき、くりやのかたへたゞはしりにはしりいでつ、あるしのふしたる居間ならんとおほしき妻戶をうちたゝきて、くわ〓〓おき出給へと、聲のかきりとよみけれは、しもべ等めさましてすは賊のいりたるはとのゝしりさはく。そのものおとに晉我もこゝろさだまり、まなこうちひらき見れは、圓の戶をうちたゝきて、あるじとくおきてたすけたばせと、とよみゐたるにてそありけり。我なからいとあさましかりけりとのちものかたりしけり。又白河の城主松平大和守殿の家士に、秋本五兵衞といへる擊劒者有けり。いさゝか主君のむねに背くこと有て、仕を致し國をさりて、名を醉月とあらため、俳諧をこのみ、野總の際を歷遊して、こゝかしこの豪族にましはり、漂萍飛蓬のことく住みところを定めす、まことに風流の翁也けり。此翁も風篁か家の奧の間くわ〓〓-くわはくはの誤くはは「こは」といふに同じく一種の感動詞なり。のゝしり騒ぐ-のゝしるも騒ぐこと。とよみゐたる-原本この下行の終りまで空白となり次行の始より「にてそ」とつゞけ書きたり。漂萍飛蓬の如く-萍の水に漂ひ蓬の風に散る如く所定めぬ漂浪生活をなせりとなり文章篇
蕪村全集にふしいたりけるに、廣椽の下にて老媼の三人はかりつとひたるけはいにて、よすからつふやく聲す。何事をかたるにやと耳そはたてうかゝひゐたるに、ひとつも聞とむへき事なし、たゝ夜いたくふけ行につけつゝ、あさましくかなしくおもはれて、夜明るまてえもいねすありけるとそ。しゐて-强ひて。得たきものはしゐて得るかよし、見たきものはつとめて見るかよし。又かさねて見へく得へきおりもこそと、等閑に過すへか本意らす。かさねてほゐとぐる事はきはめてかたきものなり。らす。コヽウ-股肱)難波の役-大阪陣。梅津半右衞門〓尉けある家のニヽウにて、難波の役にも絕倫のはたらきありて、感狀を給り名譽の家也。されは捧祿も一萬石を=雫-秋田藩の家老、享保五年歿紫紅-田代氏、又紫好と號す、秋田に行きし後通元とも號せりのち江戶に歸り享保十六年八月十日歿(領して、かの家の元老にて有けり。俳諧をこのみて、公務のいとま其角か門に遊ひて其雫といへり。角か集にも句多き人なり。オ、本國秋田に歸らんとす。角と別離する此人武府在勤の事卒て、ことをかなしみ、角を將て行んとす。角したかふことあたはす、角か門人に紫紅といへる有、俳諧老達のものなれは、角すゝめて、其雫に倍從して秋田にくたらしめたり。されは其雫と角と書信絕ることなかりけりとそ。それか中にめてたき文章の角かふみ有。起居寒暖を問ふことはもとより也、次におりからの發句二三章かいつけ、さてその次の段に曰、こたひ何月某の日は、義士四十七士或家の館を夜討して、亡君のうらみを報ひ、ねんなふこそ泉岳寺へ引とりたり。子葉春帆なとことに比類なきはたらき有たり。かの兩士は此日來我凡邊になれて、風流の壯士前の比働の手紙ともの意味的文化文鱗宛のものは頗る疑はしく別に其雫に宛てし手紙の寫し現存せりその詳細は安藤和風氏著「俳諧新〓究」に見ゆ。ねんなふ-念無う。子葉-大高源吾、水間沾德の門にして其角と交あり春帆-富森助右衞門子葉と共に沽德の門に遊ぶ。たらき有たり。文章篇
蕪村全集たとき-貴き。さうなく-又となき物に何晏董賢-何晏は三國時代ので力の秀でたるなりて字は平叔、少名聞ゆ11/20第二章 (遞信省)美味美食館董賢は漢の人台灣檜木古江氏、广州市医院局中心浪華の人と號す寶曆五年四月歿なれは、わけて意氣感慨に堪ずなと書つゝけたり。まことにたときふみ也とて、其雫さうなく秘藏せられたり。そのころ深見新太郞といへる有、何晏董賢も恥へきほとの美童也けり。其雫此少年をあはれみ、蘇李のちきりふかゝりけり。此新太郞はいかいを好キて丈菖といへり、かの角かふみを得まくおもひて、口にはえ云ひも出さて有しを、其雫その心を悟り、やかて其ふみを得させたり。其後年へて淡々か弟子に麥天といへるあり、浪花より秋田に行て、しはらく客居せり。丈菖麥天かはいかいに心醉して、又そのふみを麥天にゆつりたり。それより麥天東都に來り、柳原といふ負郭の地に、あやしきやとりをもとめて住けり。もとより貧しくて、衣食に給するてたても盡キ、相しる人もなけれは、たのみよるへきよすかもなくてありしを、余わ負郭の地-郊外の地。轍魚の愁-莊子の寓言に出で人の困窮に迫れる譬歿ロイナ年六十六早野氏、寬保二年吏登櫻井氏、二世雪中十三。庵なり、寶曆四年歿年九寥和-大場氏.江戶の人嵐雪門、寶曆九年歿年八十三午寂-人見氏、江戶の人其角門、寬保元年歿6靑峨-前田氏、江戶の人大正貳延享三年歿お前の窓點者の列かゝりし時、いさゝかこゝろさしをはこひて、轍魚のうれひをたすけ、とかくして月並の俳席をもふけ、西に東に奔走して鼓-吹しけれは、巴人吏登寥和午寂なとをはしめとして、たれかれあつまりけるほとに、のち〓〓は草庵にこほるゝはかりなみ居つゝ、めてたき俳席となれり。麥天本意とぐへきおりを得て、やかて默齋靑峨か門に屬して、名を渭北と更め、萬句の式ことゆへなく、文臺のあるしとなれり。おのつから作家の名高く、諸侯の門にも出入て、ことにときめきたり。されは渭北、故人戀々情を謝せんかために、右の角かふみを余にゆつらんといふ。余曰、子か家長物なし、たゝ此ふみをもて靑氈とす、いかでたび得ん。無聊の事也とて、ひたすら避してうけさりけり。そのゝち余は東都を去り、渭北は古人となれり。そのふみ今誰か家長物-冗物、不用の物。靑氈晉書王獻之傳に「獻之夜臥齋中、而有偷人入其室、盜物都盡獻之徐曰、盜兒、靑旣我家舊物、可特置之、群盗驚走」たび得ん-「頂戴できよ文章篇
蕪村全かできぬ」の意。無聊-心憂ふる所有りて樂しまざるをいふ避して-「辭して」の誤か全集に藏めけるにや、いとこゝろにくき事なり。新花摘十番左右合(天明元年) - -番螽疇に似し徑まかりて螽かな月居蓑蟲みの蟲に竹取か宿は荒にけり儿董〃蓑蟲難云、汝か句は稻畦野衞の句にして僅に汝か所在をいふのみ。螽陳云、住所をたしかにいはゝ一句をなすへし。汝か竹取の宿も住所をいふにあらすや。古歌物語等にはすかる木の葉、柳につき櫻の塵にましるなといひならはせり。東にこっちの歌に「みの蟲のすすべてのどんなもなき秋のくれかな」(夫木抄柳につき櫻の塵にまじるー-和泉式部集に「雨ふれ梅の花笠あるものか柳 1けるみの蟲やなぞ」。方法は愚草に( )「春雨のふりるみの蟲」。も「蓑蟲々々、そめしより櫻の塵にすがりて定家の心を起し」りの句あ草螽云々-本草綱目によれば阜螽は總名なり數種ありて草上に在るものを草螽(イナゴ)土中にあるを十螽、草螽に似て大なるものを螽斯(ハタオリ)といふと意あまりて-古今集の序文に「在原業平はその心あまりて詞足らずcㄴCarrier,"秋風をむむ蓑蟲は鬼のか、 紙幣吹逃りるなればちゝよ〓〓ト文章篇竹取か宿據あるにや。判云、趣や境やいひかなへたらましかは、いつれも一句の主とマチ〓〓なすへし。草螽阜螽螽斯本草家の說々區々なれと、判によしなクツキけれはやみぬ。さて畸に似し徑屈曲盤囘して、或はかくれ或はあらはれ、早稻晩田の穂末名もなき草の西ふく風に起伏まて、暗にいひかなへたれと、初五字猶あるへく意あまりて詞たらす竹取か宿の蓑蟲は柳櫻にすかり秋風をたのむをやと申へし。陳腐とし、荒にける高津の宮故郷の板間にかゝるなとの古歌におもひよせて、竹取か宿と形容せるなり。併萬葉竹取なとにも翁とは申しならはしたれ、宿の本據たしかならされは、六百番の判にならひて句合にいかゝ、初の番なれはかた〓〓持と申へLo
蕪村全集荒れにける-後鳥羽院御製〓あれにける高津の宮を來て見ればまがきの蟲やあるじなるらん」。故〓の-後京極攝政の歌「古里の板間にかゝるみの蟲のもりける雨を知らせ顏なる」(夫木抄)。萬葉-萬葉集十六に竹取翁偶逢九箇神女贖近狎之罪作歌あり六百番-鎌倉時代の左大將家六百番歌合老初めて引歌不詳。그年過牛白-杜甫の詩句に年過半白不稱意明日看雲還杖藜」。原文「百」は「白」の誤寫草の庵と-西行の歌「柴の庵ときくは賤しき名なれどもよに賴もしき住居なりけり」(山家集求得千金-出所不詳。二見まで-支考の句「二見まで庵地尋る月見哉」(續猿蓑)。二番秋暮老そめて戀も切なれ秋の暮董野分求得し菴に入る夜の野分哉居老初て身のむかしたにかなしきにといふにもとつき、戀ほと切なるものはあらしといへるに、老か身の事々物々に親切なる、テ(マヽ)ニカナハ况人のきくを憚るも、年過半百不稱意といふかことく、かく老か戀の切なれとも、秋のくれのそゝろものゝかなしき、眇ヲ々悲望如思何と、もの字をもて自問自答せるなり。又メタリ草の菴ときけは、いやしき名なれとも、世にこのもしく、求_得千〓金一-草亭、まつその坊のなつかしく、二見まてたつねもやらワタマシ(マヽ)す、一狐裘にかへて、いつ移徙の日も撰らはす、おのれかものになして移りける夜、折しもあれ野分のすさましう耳を驚しける。津の國の-續古今集十二に「津の國のこやの葦ふき野分して隙こそあれと人に告げにやし、豈夫しか論語憲問篇賢〓に「子問公叔文子於公明(中略)子曰、其然豈其然乎」とあるによろまことに津の國のこやの蘆ふき野分してといへるさまおもひやられ侍る。しかはあれと、豈夫しかり豈夫しからんやといへは、いかにわひけんもしらす。いひおゝせぬ所あれは、秋のくれいさゝかまさり侍らんや。三番蕎麥花畑ぬしの名をなつかしみそはの花董野菊折とれは莖三寸の野きくかな居野をなつかしみ一夜ねにけりといへる詞をとりて、畑主か名のゆかしさ好みて作れるならんや、きかまほしく思ふも、白妙に咲みたれたる中に、赤き莖の色たちたる、香氣さへ郁々として、花てもてなすと祖翁の見とかめ給ふも、けに此物に癖する人の多き故ならんかし。野草のなかき根さし、芋小篠につれて、ひ野をなつかしみ-續古今集に「春の野のすみれ摘みにと來し我そ野をなつかしみ一夜寢にける」(山邊赤人)。花でもてなす-芭蕉の句に「蕎麥はまだ花でもてなす山路哉」幸草の茂る貌。こゝは芋の誤寫かこゝは文章篇
蕪村全集わすかに-僅に。よろ〓〓と伸過たる、莖も折とれはわすかにみつかひとつを得たり。然るを莖三寸と決定したる、俳諧の神卒といふへし。よつて至つて好めるそはなれと、野菊をもて勝れりとす。四番名月月の暮神の火をうつ隣かな居十六夜いさよひや闇より後の月の雲董(マヽ)入日さす豐はた雲のけしきにて、こよひ月は空にしらるゝ、或ヲは情〓人怨遙夜竟竟起用思と、風流にとみける人の待わひたる夕まとひ、たそかれ過る頃、中垣をへたてゝ、火うちの音けち〓〓と聞ゆる。さらてたに滅燭憐光滿といふなるこよひしも、かく高らかに聞ゆるは、けにも生るを放つ神の惠みを尊みて、月並の十五日よりも、ことに聞とかめたる名月をうこよ歡迎光臨歌世特數道のりました。しきにてこよひの月は空にしりにき。ㄴ又萬葉集に「わたつみの豐旗雲に入日さしこよひの月夜明らけくこそし豐旗雲の豐は大なる意旗雲は旗の如くたなびける雲情人-出所不詳。滅燭-不詳手だれ-熱練。かさぬ手たれのわさ、又十六夜は、江山既月を吐て雲のたゝすまゐを見付たり。しかはあれとわすかにかけてといふ句によりて、闇のはしめ哉といへる好辭のうへなれは、闇より後としても、十六夜の闇の手柄はいつれふた夜の薄かるへし。闇の字暗用せは却て新意ならん。〓光まさり劣はあらさるへし。五番落穗毛見の衆を見送る路の落穗哉居薄西行の死ぬねかひなし花薄董うちわひて落穗拾ふときゝませは我も田面に行ましものを、〓白の郡代貪欲の代官、いつれにしても見送るみちの落穗、ひらふかひもあらさるへし。闇のはじめ-芭蕉の向に「いざよひはわづかに闇のはじめ哉〓うちわびて-この歌伊勢物語に出づ〓白-〓廉潔白。文章篇
蕪村全集四九〇花薄心あてにぞ山家集-西行の家集。「薄道にあたりてしげしといふことを」と前書あり。其如月を-山家集に「願はくは花の下にて春死なむその如月の望月のころ」かこち顔なる-千載集戀五に出し西行の歌に「月前戀といへる心をよめるなけとて月やは物を思はすなるレ。こち顔なる我が涙山家集に、花薄心あてにそ分て行ほのみし道の跡しなけれは、其如月をねかひしは、艶陽の空に愛けるや、いかなるおりにやかこち顔なる我淚とは詠しけるそや、いつれ花薄にては、ほまれも有まし。例の持にてや侍らん。六番落鰷うらさひて鮎の脊みゆる川瀨哉董鹿鹿啼や宵月落る山低し居鬼貫か句に、夕くれは鮎の腹見る川瀨哉。此句鬼を兄とし腹を脊にかへて弟たり。俗諺にいふ脊に腹の反轉なるへし。貫之か夕月夜おくらの山になく鹿のといへる、五七五につゝめて、宵月の朦朧たるに嵯峨たる山も低しとはいひおゝせたり。しかれとも陳腐の議まぬかれかたし。さはいへ實情たるをもて勝夕ぐれは-鬼貫句選に出づ俗諺にいふ- gへられぬ」の諺「脊に腹は夕月夜古今集五に出づ一個数「聲のうちにや秋は來あとろしくとや申へき。七番董朝寒いゐの香にしたしくなりぬ朝寒み秋夜秋の夜やおもへは翌は佛の日居火入に兩手をおゝひて鼻柱をあふり、或は左右の手を帶にはさみてふく息のかたちを見る。いかれる肩縮る首、朝茶に一時の飢をたすけらるれとも、厨下あさけのけむりにはしかす、よく秋寒き朝のけしき、題意に合し意言外にあふれたり。又秋のよは、志〓士惜日短、愁人知夜長。たゝ我ひとりのためになかく、のこるかたなく物そかなしき寢さめかちなる夜すから、耿々殘燈背壁影に對して、千思萬慮の中に翌の佛忌日を思ひ出たるさま、おもへはの四字力ありて、無量の情をふくめいゐの香-飯の香。おゝひて-覆ひて。よく志士-不詳。「明けがたに秋のねざめ殘るかたなく-家隆の歌なりぬらん殘るかたなく物ぞ悲しき」(新後拾遺)。耿々-白樂天上陽白髮眠天不明人の詩句に「秋夜長耿々殘燈背壁夜長無影」文章篇四九一
蕪村全集四九二り。り。尤可爲勝。八番女郞花かたはらに大きな石や女郎花居蘭蘭の香や風にかしけぬ花の時董小石ましりの岡のへに、ひよろ〓〓とたてりける女郞花の、所得顏にみゆるそ、巨-石倚--草草とといへる心はへならんか。昔より女になそらへて、詩にも作り歌にもよみならはせたるに、それによらすして一句なす、男まさりとや申へき。蘭_花花始白といふに反轉して、風にかしけぬ香氣をいふ。又颯-爾涼風吹|坐愁群芳歇といふをも含めり。然とも結末こゝろゆかすや侍らん。ふちはかまはたおりむしのおりたへて、をみなへしにはきするなりけりといへとも、男まさりの女郞花には及ひかたし。巨石-不詳。蘭衰-不詳。颯爾-不詳。ふちばかま-橘能元の歌「藤袴はたおる蟲のをりたえて女郞花にはきするなりけり」(夫木抄九番燒米燒米を養ひ君にかくしけり董新酒藏あけて旅人入るゝ新酒哉居解を待すして句意顯然、我子にかくすは、常のことにしておゝし。そたてまいらすきひわなる君に、ふつゝかなる燒米を取合して、一句の趣向とせり。定てしる乳母か在所よりの贈り物、かねて好める故ならんかし。富田わきの濱なといふ所、或は三河路伊勢路なと、富豪の酒家八石入の口をたてそめし日や、旅人はさら也。馬子雲介ともいはす、法樂になして新酒のてきのよしあしをトするならん。句意の活達豪能下戶なからも新酒に心うつりはへる。十番おゝし-多し。きびは-幼少。富田-伊勢桑名町の附近わきの濱-神戶市の東端文章篇
蕪村全集雁初雁や寢よくなる夜のね覺かち董鶉草たかき小家の隣うつら啼居(マヽ)寢よくなる夜といふに、炎蒸にくるしみし夏夜の、たへかたきまてもおもひいてゝいふにや。寢こゝろよき秋のよのねさめに、初雁の聲を聞てよくも寢さめける哉。しかし今よりの秋のね覺はいかならん初雁金も啼てきにけり。今より後のと未來迄もふくみていふにや、里はなれの小家かちなる、わけて葎蓬生たか〓〓とはへ茂りたるさゝふきのあたりおもひもかけす、鶉のめてたき聲を聞とかめて、猶隣ありやなしやと、野つらにつゝくさまを、小家のとなりとはいふにや。伏見には町家の裏になくうつらと、古人もきゝとかめたり。左右勝劣難分仍爲持乎。スル〓古-人論詩曰、作詩之難論詩更難、非論之難論而得中正今よりの-新拾遺集五に「今よりの秋の寝覺よならむ初雁がねもなきて來にけり」伏見には-鬼貫句選に「今は昔の秋もなくて、伏見には町屋のうらに鳴く鶉」。之難と。我俳諧におけるも、また〓〓かくのことし、五色各其色をことにす。いつれをか取、孰レをか捨ん。唯其好む處に隨て、漫に加判詞と云。辛丑之中秋望前一日夜半亭蕪村(反古瓢夜半亭蕪村(反古瓢序跋類一、古今短册集跋(寶曆元年)春秋に入る-歲月を重ぬとの意余平生二三子と古今誹諧の異同を論して、かたはら春秋に入。今や誹諧に覇たる者、各其風旨を異にし、彼を謗り是をなみし、肱はり頰ふくれて自宗匠と徇へ、或は豪富を鼓吹し、孤陋を馳徇へ-となへ。文章篇
蕪村全集未練-未熟。けし名西念坊、妙心尼-假につㄱ一匡の功-論語憲問に一匡天下」。一匡は一囘正すなり、朱子は一にし正すと解大夢子-號毛越、京都の人驅し、多く未練の句をならへて撰に備ふ。識者目を覆てすつ。はては西念坊か夜の衾に糊せられ、妙心尼か醬の瓶にまつわる、恥へからさらむや。おもふに雄才の子興て、かならす一匡の功をなすもの出む、夫ちかきにあらん歟。其唇いまたかわかす、大夢子か古今短册集出。大にいにしへの名流を集め、ちかく當時の同盟を會す。まことに其風詠聲あるかことく、その手澤うこくかことし。こゝにおいて人始て誹諧の美をしり、風雅の德を仰く。たとはゝ首山葵丘の盛なる、森然として見るへし。穴かしこ余か論むなしからす、はた毛越を稱して、誹管仲と呼て論中の盟主となさむ歟。毛越笑て余に跋をもとむ。余曰我於子亦管鮑の交あり、辭すへからす。つゐに此言をもつて書。寶曆辛未冬東都囊道人蕪村誌(古今短册集)齊の餓死せる首陽山首山葵丘-首山は伯夷叔葵丘は僖公の九年諸侯を會して盟約せし地(春秋)管鮑の交-管仲、鮑叔の丙人親交せし故事(史記管仲傳)。二、夜半亭發句帖跋(寶曆四年)阿師-夜半亭宋阿。阿師沒する後、しはらくかの空室に坐し、遺稿を探て、一羽鳥といふ文作らんとせしも、いたつらにして、歷行する事十年の后、飄々として西に去んとする時、雁宕か離別の辭に曰、再會興宴の月に芋を喰事を期せす、倶に乾坤を吸へきと。其言をよしとして、翅書さへまめやかにせさりしに、ことし追悼編集の事を告來るにそ、さすかに涙もろく齋團扇の上に酬書し侍る。跋とすやしらす、捨るやしらす。西に去らん-達磨西歸の故事をきかせて蕪村が京都去りしことをいふ雁宕-新花摘四五九頁參照翅書-手紙。齋團扇-白き團扇。釋蕪村(夜半亭發句帖)文章篇
蕪村全集鬼貫句選跋(明和六年)鬼貫句選跋五子の風韻をしらさるものには、ともに俳諧をかたるへからす。こゝに五子といふものは、其角、嵐雪、素堂、去來、鬼つら也。其角嵐雪おの〓〓其集あり、素堂はもとより句少く、去來はおのつから句多きも、諸家の選にもるゝこと侍らす。ひとり鬼貫は大家にして、世に傳る句まれ也。不夜菴大祇としころこの事を嘆きて、もしほ草こゝかしこにかき集めて、數百句を得たり。たとはゝ滄海に網して魚をもとむるかことし。なをもれたるものいくはく歟侍らん。さるを鬼つら句選と題して、はやく世の好土につたへむと、例の氣みしかなる板もとは八文字屋自笑也。おの〓〓其集あり-其角には五元集嵐雪には玄峰集ありもしほ草-かきあつめての序なを-なほ。于時明和己丑春正月三菓軒蕪村書(鬼貫句選四、平安二十歌仙序(明和六年)三吟鶯に朝日さす也竹格子雛の道具を取出ス春又雛のほこりを拂出ス春又袷はをりを取出ス春又いそかし事も先仕舞春又浪化

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