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らしゃめんの石油井戸掘り若葉照る 芥川龍之介の俳句をどう読むか111

若葉に掘る石油井戸なり

若葉明きぬれ手の石鹼の匀

異国人なれど日本をめづる柘榴

花柘榴はらしやめんの家の目じるし



[大正六年五月三日 恒藤恭宛]


 最初はこれは詩かと思っていたが、どうも破調の句である。

若葉に掘る石油井戸なり

 書簡は鎌倉から出されている。新潟からならまだしも、鎌倉と石油井戸がうまく結びつかない。

 インターネットの世界ではこの句に言及している人が見当たらない。しばらく色々調べてみたが、若葉、までしか理解できない。有効な情報が見つからない。

 つまり掘っても掘っても何も出てこない。

 掘るのは自由だ。


朝日年鑑 昭和3年 朝日新聞社 [編]朝日新聞社 1927年

 掘るのは掘る側の自由だが石油が出るかどうかは石油の自由だ。いや、石油が沸いてなければいくら掘っても石油は出てこないだろう。その代わりたいていの所で掘れば水は出るだろう。

 つまり芥川はここで大いなる徒労を詠んでいるのだろうか。とりあえず明確に訳が分からない句である。さらに、

若葉に掘る石油井戸なり

 454?

 破調も破調。

 これは本当に句なのか。

若葉照るくさみず筒井掘る人や

若葉明きぬれ手の石鹼の匀

 この句もわからない。

吹きおろす若葉明るし奥の院


 若葉明き、という文字列が国立国会図書館デジタルライブラリー内に見つからない。ただまあ大体若葉が日に照っていたのだろう。しかしということは屋外で、石鹸を使い手を洗っていたのか?

 石鹸を持ち歩いていて、若葉明きところで、匂いをかいだのか。そういうことをしてはいけないわけではないが、そもそも何をしているのかわからない句だ。

 あえて『歯車』的に読めば、

彼の手は不思議にも爬虫類の皮膚のように湿っていた。

(芥川龍之介『歯車』)

 こうあるのは、

・手を洗い
・よく拭かなかった

 と考えられることから、彼は何か石鹸で手を洗わなければならないことをしたのであり、

若葉に掘る石油井戸なり

 この井戸掘り人は芥川自身であり、手を洗わねばならなかったのではないかと考えられる。つまり石油掘りに値するような徒労があり、現実に手は汚れたのではなかろうか。

異国人なれど日本をめづる柘榴

 この句の「異国人」は外国原産である「柘榴」の擬人化かと思えば、

花柘榴はらしやめんの家の目じるし

 この句と並んでいるので、

 羅紗綿はいたものと思われる。

 はい。ストレートに読みますと、花柘榴が目印の日本びいきの羅紗綿の家で、僕は石油井戸を掘るようなことをして石鹸で手を洗うよ、若葉が日に照っているな、ということでしょう。つまりらしやめんとした手を洗ったと詠まれており、石油井戸を掘るとはピストン運動を指しているのだ。実際井戸掘りというのはいくつかの方式があるのだが、私はそういうピストン運動を見たことがある。

 羅紗綿がいなかったら石油井戸も掘らないし臭水も出ないわけですよ。

丸ビルは、
海に入るとも、
口つぐみ

 として我が天津麻宇羅を丸ビルにたとえた男の句である。

 まあ下品といえば下品だが、らしやめんを出されてお上品な解釈もできまい。まだ独身だから大目に見てあげよう。

のど〓〓といふ詞も又同じからん。のんどりと神垣ひろき宮所可賴のんどりと古き駿河の町つゞき嵐雪のんどりとしも鶴を見る袖如風世の中を觀じのどむる詩の心可賴うら〓〓春也。あまり用なき詞ながら、すつべきにはあらず。みゝづく冬也。猿簑撰の例に隨ふべし。木兎やおもひ切たる晝のつら芥境みゝづくは眠る所をさゝれけり半殘冬也。ちら〓〓や淡雪かゝる酒强飯荷兮あは雪のとゞかぬうちに消にけり鼠彈支考が僞作二十五ヶ條以來、各門春に用ゆれども、あら野集に隨ふて蕉門は冬なるべし。耕雜、勿論也。又、春にも用ゆべし。鍬立て耕す肩を打休め梢風白魚あけぼのや白うを白き事一寸翁一塩に初しら魚や雪の前杉風兩句のさまは打あらはれて冬なれど、大坂白魚のしろき匂ひや杉の箸之道この句は紛れもなき春なるべきを、炭俵集冬の部に出たり。案ずるに、西南海の國には、白うを嚴冬之節さかりにて、とし明てよりはある事なしと。之道、かしこの風土なんどの折にふれたる吟なるべし。又、むつかしき拍子も見へず里かぐら曾良此句も猿簑集秋の部に出たり。是も祭祀の見る所を先にして、秋冬の詞をゑらばざる也。此例諸集あまたあり、一〓に見るまじくや。さらば千梅が詞もこと〓〓く非にもあらざるべし。又、里神樂、打まかせては冬ながら、いつあらんもいふ也。宮司大宮司は格別、宮司とばかりはミヤジとよむべ二三九翁杉風可賴嵐雪如風可賴すつべきに芥半境殘嵐亭話淡雪
Lo是に似通ふもの綾の寐卷にうつる日の影泣〓〓もちいさき草鞋もとめかね又馬に信する瀨田の秌かぜ花ざかり掛ならべたる首を見て是に似通ふもの我跡からも鉦皷打來る山伏を斬て掛たる關の前又簑をくむとて寐ぬ渡し守火ぶりして歸るおのこは何者ぞ是に似通ふもの雨氣の月の細き川筋火ともして藥師を下る誰が嬶又耳たぶを削るゝやうに橫しぶき行儀のわろき雇ひ六尺系大書俳本日宮司が妻に夜這するらし正章松の木に宮司が門はうつぶきて宮司が妻に惚られてうき支考曰、附はかならず一句に一句也。去來曰、附句は一句に千万也。場は多くなし、句は一場のうちいくらも有べしと。二子の語よく盡せり。支考が語ことに深微なり。此語に理ある一ツふたつをいはゞ、經よみ習ふ聲のうつくし菰竹深き笋堀に駕かりて梅まだ苦き匂ひ成けり是に似通ふもの塔にのぼりて消るしら雲賣に出す笋堀ておしむらん茶時の雨のめいわくな空又羅に日をいとはるゝ御かたち熊野見たきと泣給ひけり正章是を〓倒したるもの伴僧はしる駕の脇削やうに長刀坂の冬の風又鳴子おどろく片藪の窻盜人につれ添ふ妹が身を泣て是を〓倒したるもの〓をなを泣く盜人の妻明るやら西も東もかねの聲但し、鳴子おどろくと恐怖の体を、儉惡のものと定たる翁の妙所は、野水が及ばざる所ながら、附は一場也。その餘のものも心を責て深くさぐれば、おほくは此論を出る事なき敷。長命丸今は尾籠なるものゝ名になりて、句にも結ばれねど、むかしは虫癖のくすりに此名ありしと見へて守武千句に、腹のいたきもやすきはたものきりはたり長命丸やあはすらむ帆ばしらの蟬よりおろす雲雀哉との其角が句も、例のもとめ過たるやうにおもふたれば、旅の儈都嶋かげの船の帆ばしら蟬ありて永運子秋雨鐘の音砧うつともにすまじきは勿論也。されど俗談平話の誹諧とならば、又限るべきにもあらざらんか。前に出せる五十韻にも、岩翁〓雨の句あるが如し。鐘のおと·鐘の聲は却て口なれ、耳にふれず。鐘のね、野人の常語也。尾陽のト枝が句に、へ斧のねや蝙蝠出る妖のくれ。此ね、いかゞながら、1まりこ川沓のね高くきこゆればあすか井たまへさきにあり〓〓、とも聞へたると同じやうなるねなるべし。天王寺の鐘の黄鐘調とかや、十二律おととは言ふまじくや。さらば鐘のね、又くるしからじ。衣うつ·うつ砧なんどは正しき詞也。されど正しき詞をのみ、中人以下の誹諧におしおよぼすべからず。支考二十五ヶ條ニ、鐘のね·砧うつとはせぬ事也。かねのおと·衣うつといふべし。口博子タノコップさればよくし二四、例の旅の儈都永運おほくは此論嵐亭誹話
貞享元年八月に江戶を出て、翌二年東海道を下りに甲斐に懸りて四月末歸庵也。箱根ならざる事明らか也。朝附日貞德翁の曰、朝月日と書也。朝附日ならびの岡.など枕詞におけるも、月日のふたつならびておはするといふ事なり。夕附日も同之。皆秋になりて面の月を持也。是正說也。うたがひ給ふべからずとあり。されど新式も限りての說にもあらぬか。賦物の朝何·夕何に月日と取よしもあれど、只それ迄の事なるべし。その連歌にも朝附日といふ句出て、面の月外にあれば、誹諧もおもての月、限りて持にはあらじ。うら枯又曰、薗·野邊·原·庭などの文字を入る也。うら枯とばかりはせずと。下萠も同じ說也。理りながら、此說もひたすらに連歌により給ひたれば、誹諧には不自在ならん。枯るといひ、萠るといふふたつの名目、外物に混ずべきもなし。あながちにかゝはるまじきか。いはゞ、へとさか哉海苔明らか也。ヘ三ツ葉或芹としらる。打きこへたらば可なるべし。なべての說も、くらきはもとよりまどひ也。くわし過んも又まどりてするは、一座の扱ひによるべしと書たり。是又僞作、附會の說也。遠鐘ほのかにひゞき聞ゆるなどは、ねといはんも難なし。砧うちて我に聞せよや坊が妻は衣の有無にかゝはらず。砧は、きぬ板の義也。そのきぬいた、かたばかりにも打まねびて我に聞せよとなれば、砧うつ、論なしと敷。さにもあらず、やはり衣うつ事ぞ。是とても常談也。初懷紙後住女きぬたうち〓〓其角湯殿山本坊興行ニ北も南も砧うちけり梨水十年の學問を跡へもどりて誹諧せよとは、支考みづからの發明ながら、龍頭蛇尾の傳まゝあるにや。山路來て何やらゆかしすみれ草翁箱根山の吟也とて、いづれの年にや、かの山中に碑を立たる人あり。是は其角が新山家に出たるより心得違ひたるべし。類柑子に匡房卿の、箱根山うすむらさきのつぼすみれ、とよませ給ひたるなどおもひあはせて、筆力に書出たる迄の事也。甲子紀行に、大津に出る道、山路を越て、と端書ありて、かしこの吟也。此紀行、ひ也。帝の字の如き、御にも門にも不嫌と定め給ひたるは識見也。すべてかくあらぬはおしむべし。鳶に鳶の附句の前句の見やうの一ふしあるはいはず。格は古きによりたる也。翁にもあれ、言ひたきまゝの新格はなき事也。老杜飮中八僊歌の重韻、山谷が七言三句の詩なんどの珍らしき、前後にもなき事ながら、是また古格のあれば也。さればとて後の作者、ひたもの眞似んは奇ならぬを、未練の風客、鳶にひとしき附句まゝあるも見ゆ。所を、トコといはんは、一卷·一句のさまによるべし。常と心得たらんは非なるべし。一二うら葉の柳聟の紋所氷花この卷のもとめたる風流也。さればこそ表の月にも、靑空をつく夜になぞへ晝寐せん擧白かくも言ひ、又、春もなみだの流れかんぢやう李下などもすねくれたり。錦から來て臺所に付て居る乙由是もまた山王の額を打たれば也。ゆへに、一步に豆が四石八斗の季覽みな一卷の風体也。發句にも乞食の寐所かゆるやおぼろ月毛統彥根の手垂ながら、初句と二の句と詞釣合ひよからぬやう也。蝙蝠や出所わすれて家のうち會友白雪やよごれたとこが道通り桃先これら其頃一變の流行にて、俗話の諷調也。五句七句のはこび、あるひは一卷のさまにて取捨あるべし。猶大切り許を、ばかといふも同じ。竹の子やさて〓〓酒もちつとばか舍羅口ばかで見せておかるゝ祭かな湖舟影法師の笠ばかになるあつさ哉松針さらば煙を、けぶといはんも、山東の鄙言とも片づけがたからん。場所により句体によらば、あながちの非にもあらじ。季覽常嵐亭李下誹話乙由二三五
嵐亭俳話一卷、新月菴二世奚疑子做詩話之體例所著也。(2個)論議簡明、援据正校、不唯便俳學、其辨乃斷二百年來之滯疑。先生有將傳之于世使覺來裔之志、而草稿纔脫、忽就鬼錄、可爲痛惜矣。先生甞余之親戚有舊。且余姊有故幼時蒙先生撫養以至于成立。姊聞其凶赴也嘆曰、高恩久不報、幽隴此長局。烏虞哀哉。今玆癸酉春、阿姊造先生之舊廬、搜遺書於几笈得此卷。於是命余以上梓事。余乃與姊戮力以出其費、以附剖剛。非敢謝覆育之恩也。聊以終先生之志耳。此書未甞經再校、魚魯亥家恐亦不少。余素非俳徒、不宜猥加手訂。姑以識歲月而已。若夫是正敢乞諸覽者云。文化癸酉三月ねまる凉しさを我宿にしてねまる也翁ある書に、翁といへどもこと〓〓く邊鄙の語には通じ給はず。ねまるを寢る義とし給ひしは、此作の謬也と見へたり。此說非也。翁さはおもひ給はずしての作なればこそ、其角ちから艸の文に擧白集を引て、今暫しねまり申べいを、それがしが旦那のえらまからんとて立ぬる。かれがふるまひにつけて、と書て翁この記の詞により給ひたるよしをいへり。凉風、時に颯とし來るを我ものとして、此宿にかりに居るとのこゝろ也。加州ツルギ這出て落葉にねまる蛙かな跡松今川大草紙に、馬上の人も馬よりをりては、弓を搾より少上を、弦を下へしてひつさげて持て、ねまるべし。勁齋主人岡印齋が古學截斷字論上·下北元著
臣安万侶といふ人。古事記を撰錄和銅五年正月二十八日貢進けるよし。同本序に見えたり。凡是まで千四百余年カミツヨサ十を上代といひ。神武天皇より前を神代といへり。此上代の哥を集緣て万藝集と言漢の文字を我國の音訓に借用ひTo馬はいと啼故に。馬聲と書ていとよませ。蜂はぶといふ故蜂音と書てふとよます。手爾袁波のかもには鴨。テつるには鶴と借用のるゐ。擧て算がたし。かく不自由に文字の開けぬ時にだに。てにをはの自然の定は。言靈のハタラキさきはふ日本なればなり。古今集までは。てには詞の活此所にいひたきとあれなどいさゝかもたがへるよしはあらぬをど別にいふべし其後の集には歌の上にも。てにをはのとゝのはざるが有よしは。本居翁が詞の玉の〓にも擧其外にも見えたり。中昔の頃より手爾波詞の道のあれこれ亂たるは。前〓太旨平記前太平記平治の亂哥の傭定家卿のまします頃は平家の世。保元の春の花壽永の秋のもみぢ葉と物さわがしく。續て源家の世になり。南朝北朝足利應仁の亂。永祿天正の頃迄によりての事也。有難き今となりては世の中靜謐上代にもためしなく。泰、平に治り〓〓て。四民安堵の思二比總敍神代の昔より。手爾袁波の道は天然の定りあれど歌の文字の數も定らで。三言四言五言六言にも。おもふ心をよみなせり。其歌の始といふは。伊邪那美命阿那爾夜志愛衰登古衰とのり給へば伊邪那岐命阿那兩夜志愛賣登賣食と〃のり給ふ是なり。其後須佐之男命夜久毛多都伊豆毛夜幣賀岐郡麻巷黴爾夜幣賀岐都久流會能夜幣賀岐麦とよみ給ふ是三十一字の歌の濫觴なり。人の代となり神武天皇の御時の後までも。今のごと假名眞名の文字なく只口に耳言つたへ聞つたへし事ぞかし。日本紀十八代履中天皇四年秋始之於諸國置國史記古事とあれば。是より前にも朝廷には史士有て記されしとしられたり。其頃も今の假名文字なくて漢の文字を借用ふ。古事記は四十三代元明天皇成姫帝と申奉る女帝の御世。年号は和銅大和國(三)奈良の都也此御時稗田阿禮といふ者。神代よりの事をよ(ソ)ラく記慮に覺えるたれば勅して阿體が口より聞とらせ太朝億(大)截學古神代よりの事をよ
大夫寸土貞享元祿の頃なれば。彌世の中治り々て廢れたるを興しAヽ)絕たるを嗣給ふ御政事にならひて。古へ學びする人出たるは。難波に契沖法師ありて。万葉代匠記を著し君(に奉り。世に和字正濫抄を出す。是假名遣ひの書の濫觴也。續て荷田東麻呂。加茂眞淵。不二谷成章。本居宣長。同春庭。前後數有。此翁達は古學の先達。古學といふは。世の私に立たる學にはあらず。正しき考据有事也。鈴の屋翁古事記日本紀万葉集より古今集迄の哥の手爾乎葉を考合せ。詞の玉の〓なれり時代のうつりかはりて。今の世の有難く開けたるをも知らず。芭蕉支考の申されし事を334のみ。頑に守りゐる人あるは。無下に怯き事ぞかし。たま〓〓開けたる今の世の考をもて。てにはの〓とをいへば。それは歌のてにはなり。俳諧には俳諧のてにはありなど聲高に詈りいふめるは。愚なるうへにもおろかなる本性なれば論におよばず奔置べし。哥のてにはは俗言を一ツも遣ふ事なし。俳諧には雅言俗言ともに遣ひて。自在なチノ、る物なり。されば祖翁の著されしといふ梧一葉に。切字十八字のかなけりらんといふも皆雅言ならずや。此書をなし。各我等念ぜずして極樂に生れ出たり。恐多も悅ぶ恐多と悅ぶべし。往昔靜かならざる世のうち。正しべし。쥰きと代の詞も手爾衰波も家〓にかくれ廢たるやうになり八七行し乎。有難き世になりて開けにひらけたれど。我道の祖翁の頃迄は。今のごとく微細にひらけず有故にや。翁の俳諧に手爾袁波截斷字の事ををしへおかれし梧一葉。支考が古今抄などを見るに。發句切字の事は十八字の品有て。哥にも連歌にも其沙汰あれど。何故と其事祕すれば。意(マン)ささらにしれず。只童の心經をよむ心地ぞせらる〓と書れたるを見ても知るべし。其の〓への目安には。挨拶切中の切無名切心の切玄妙など。いろ〓〓に名目をたて。かれはかれにて切。是は是にて切る〓と〓へられたれど。二師もしかと心に分明ならざるが故に。一坐の衆評をうかゞひ。猶百世の明監を待と。所〓謙退の詞を述置れたり。此事此書を見ておもひあきらむべし。是以祖翁支考其外七部集に有人〓の句に。てにはのとゝのはざるあカツり。是等の人の句におきては。會て誤なしと思ふべからず。一〓後に擧て其誤を見す。扨祖翁の世に鳴給ひしは。明外に見しを見た。行まじを行まい。寒きを寒い。あくる與をあける。あたふるをあたへる。合するを合せる。敲る晴ゝをたゝかれる。はるゝをはれるの類。又一段俗に下りT 。どうする。かうする。さうぢや。なんぢや。めつさうなとんだ事抔遣ふ詞又へねめまはすへいやがる〓はんなりと、めつたに ひだるき抔。又物の名に竈の火を搔ず江戶物を。江戶にては。じうのう京にては煻かき。ざるをい京江戶京がき。ながしをはしりのるゐ又國〓の方言。皆俳諧に用爽ふる所也。矧や古今集にも甲斐歌とてへかひがねをさやにも見しがけゝれなくよこをりふせるさやの中山此しがといふてにははいもかいしの常にいけゝれなくは。ふしがとはたがへり心なく也かむの是にならひ方言也北方寒南てや風俗文選に近江ぶりとてへ鶯にきどろはさぶいみな邊己 等所來べらのうらゝがことの軒にけよやれ。何れも擧るにいとまあらず所謂俳諧の俗言正例とする所也。又嬉し。久しと言べきを。嬉しゝ。久しゝと遣ふは一向の誤也。輝やかしゝ殘しゝといふべきを。かゞやかせし。殘せしと遣ふは詞の活きをしらぬ誤なり發行にはせを劣へ玉川の水におほれそ女郎花たん十八樓記に高欄のもとに鵜飼するなど誠にめざましき見物なりけらし鹿鳥記行に誠に愛すべき山の姿なりけらし共にけらしといふてにはかなはず。なりけりといふ。けりを延てけらしと遣ふとならば例もなし。文にも不叶散烤肉引何なにしと振舞に馬ではゆかじ雪見哉此事は本文定られたる句ににいふべしにか生挽哥に柿舍先へことしはいかなる年なればかくあぢきなき人をかのみ見るらんらんとなくてよしら同じ双六のへには是より誰が身の上をや烏もなくらんと。はかなみいひしが。去來はいはる〓人の數に入て。かくいふ我斗殘り居たらんとつゞくか。のこ沖の船のり居と切るゝ格なり友を失ひて。老の浪のよするかたなき心地ぞせらる2中畧じかし老の浪あはれとは思ひけめ驚くほどの悲しさにはあらずの十七かたなきとせねば。とゝのはず。よするにては他なり。此所は支考が自にしていはるゝ所なれば。よるといふべき格也又心地ぞせらるゝとせねばならぬ格なるをせらのはず 印は。るととててるもひひとつたらでとゝてには替たき所なり是等はてには。詞の誤也。前にいふ雅俗のたがひは論におよばねど、詞の活の誤はよく學ずんば紛れ安し。一向の誤と言は發句詠ほどの人にはなき事ながら。や〓もすれば名ある人のうへにも有事なれば。本文に擧て其一二を見す。てにはの上に於ては芭蕉支考とても誤は誤なるべし。抑俗語を正例とするうち0なるたけはいやしき詞を遣ふなと梧一葉にあれば。二·九
+vもて。私に推あてがひあみなす書にあらず。前にいふ先達のいろ〓〓考おかれし書藉を操返し〓〓。猶道の委し籍(税込)き人にもたづねもとめて編る抄なれば。俳諧古學臺裘抄となづけつ一名切字論とせしは名を呼に安からん爲なり天保五甲午年六月橿之本北元芭蕉翁の流は雅言の方を多く遣ひて。俗言のかたはすくなしさるを心得ひがめ。俗言を一向にきらひ。句のすがた艶にせんとて。連歌やら。俳諧やら。何やら分らぬやうになりたるも。又俳諧の邪道といふべし。比諭ていは味ゞ。佛の道は八宗九宗とやらに分れて。淨土は淨土。法花は法花と。其〓化する所の趣は替りたれど。其說所の言葉てにはにおいて宗旨はなし老子孔子の道も同じ。唐二土の詩をよむにも。我日本のてにはをいれてよまねば其意解せず。言葉の道は歌連歌俳諧狂歌舞句女わらべの赤本。うたひものには。神樂催馬樂謠淨留理下〓のはやりうた。いろ〓〓さまゞ高く低く品替れど。てにはにおいトホキクニヒトタチては只ひとつなり故に天踈人等。俳諧には俳諧のてには有といふ事をやめよ凡例多一行〓上より書下したるは。擧る書の本文なり一一字下て書たる發句は。本文にある所の句也一又一段下て書たるは。此抄の論なり一 点掛たるは。論に引所の發句古歌。又は詞のわかちなり一はもやかなけりかくの如く字のかたはらに点掛たるは。其所によりて要とする文字の。見安からん爲なり文選盧子諒詩曰。崇臺非一幹珍〓非一腋いふ心は家を建るに一本の木にてはたゝず。皮の衣も一疋の狐にてはならぬといふ事なり。今著はせる此抄も我一人の力俳諧古學臺裘抄一名切字論橿之本北元著しきと定りたる格にて留たるをえけせての掟などいふめるは。一向にてにをはの事は。しらぬいひざまなり。文の內世の中の俳師のことを。今世盲俳師といひ。其外俗俳師と言たる所も有。翁の口より人をさしてかくの如。今の世の自僣といふ俳師のやpsyうに拙くのたまふ物かは。是にても梧一葉は僞作なる〓とを知るべし此書有也無也の關は。支考が古今抄に言れし如く。祖翁の夜話を后に門人誰か書集て翁の著述とし。世に殘したる事あきらけし。上の卷のうち。五尺の菖蒲夜の柱乞食袋人の兒ばせ。其外式目の事はいはず。此抄はてにはと言葉のみによればなり一手爾於葉の事手爾袁波の乎文字を。於と我古寫本にあるは全く寫し誤と思ひ奔しを。あしの丸家の藏板にも於の字を書れたり。こは古寫本のま〓を書いれし物か。其後寛政九年の板本白雄寂葉にも於の字をかけり是も古寫本の儘とおもへど。此抄を補へる拙堂老のいかゞ二五、芭蕉翁著述梧一葉といふものあり。いづこの人か僞作せる。上の卷は俳諧の式目を擧。下の卷は截斷字手爾乎波を〓たり。段〓に寫し取たる物にて。殊に予が持る本は寫し誤多き惡本也寛政八年芦の丸家藏板二册世に行はる梧一葉古寫本芭蕉庵桃靑著本文句口にかなひ。心にも叶ひ侍れば吟心より來り。心吟より行と古人も申されける也。されば猿丸太夫哥に、奧山に紅葉ふみわけ啼鹿の聲きく時ぞ秋は悲しき。ぞといへるには。えけせてねへめれの留りの掟なれども。此哥きと留りたり。心と吟ひとつになりてかくつらねたれば。何の子細かあらんと云れたるはいかにぞや。此哥はぞとかゝのてかな此哥はぞとかゝのてかな
梧一葉有也無也の關貞享式新式をだ卷芳山が曉山集白雄が寂しほり或家の抄。是等の書の〓のみ眞心に用ひて。其余は大かた是は是にてよからんなど。私に推量てよしと定め。てにをは。詞の道は。さま〓〓入組て紛らはしき事あるを露しらで。只輕い)はづみに麁くおもふから今の世に聞ゆる人達の文章發句にも誤多くある事ぞかし。へてらし見よ本末むすぶひも鏡三くさにうつる千〓の言葉をと、鈴の家翁のをしへ置れし本末結ぶ事も三くさにうつる事も七分しらで。只私によしと定しよりの僻事也一かな切字十八字の事ふるむくいつの留りにては哉と留らず。落付ぬ物也おもはれけん直しも改めず其ま〓おかれたるはいかにぞや。是を見てや。初學の人の今にあやまる事多くあるは。うれたき事ぞとかく驚かしおく一切字はかなもがなやしじめはね字かけり리기회서비치시비いかに以上十八字也キ截斷字くすつめふむりるう ののははは。斯十八字とをしへられけん。此內やかよせれ12へけいかに抔は切字ならで。詞とてにはなる物を즈總ての俳書に切字と〓へたるは。大かた此十八字より出たれば。初學の輩是をもとゝして。やかより抔の文字を一句の內に入だにすれば切る〓と心え。やといはれぬ所をやといひ。かと置れぬ所にかと置6殊にやの字は遣ひ所多きゆゐにかといふべき所も。よととふふべき所も辨へずやとさへいへば切る〓と心え。切や疑のやの差別もなく。宗匠兒する人までも遣ひ誤る事多きはいかにぞや。ひとつ〓〓句を擧て初學の爲に見せんと思へど。まがつひの神の崇も恐しければいかにせん。とにかく此誤多きは。此系大書俳本日落付ぬ物此說は捨べし。浮哉といふ事なり。奧に生得の哉といひたるぞよき一や古來七ツのやといふ。へ切やへ中のやへうたがひのや〓はのやへすみのやへ捨や、口合のや中のや切やといふ名も古學の方にていふとは違り。奧に生得の哉とやの事はくさ〓〓多ければ別にいふべししし古來三世のしといふ事ッ一ナ此名目も奔べし。未來のじといふはずの將に然する詞にて。ずの轉用なり。見せじこゝろを。みだりに人をよせじ物をやと。躰言へも續く詞なれば。니とは違へり。此事は古今抄にいへば合せ見るべし一けり落着の詞なりへけり下に置ときは。中七文字の末ににの字を置てへけりといふべしへけりへけらしへきけりの反きなりへけらしはらしの反りなり皆けりと同意とあれど皆捨べし。をだ卷にも此事をいひて。へ初夜と四つあらそふ秋になりにけり、荷ひ茶屋も花見る人になりにけりといふ句を引て〓へたれど是にも限らじ。にの字との字に意の替る事はあれど。てにはのとゝのひにかはる事はなし。又阿佛尼のけりといふ事あり吾妻問荅爲相卿之母九月晦日會連哥のほくにへけふはゝや秋のかぎりになりにけり。同十月朔日の會にけふはゝや冬の始となりにけりとあり。是もにととに意こそあれ是を二句共にになりにけりと。これの書にあるはいかゞたづぬべしあれ扨けらしけり引此三ツの事は此書を始曉山集にもいへり。其をしへたるは十七字の內にけりと遣ひて。一字あまるときはきと遣ひ。一字たらぬ時はけらしと遣へよといひて。同意のよしを〓たるはいかにてや。き|けりけらしと遣ひて三ツながら意の替る事は知らずやけりは來ると書て言定けらしはるてには推薦ならきは現在と過去の二品あり又次にいふべしーがが切字にならずさりながらへ見しがへきゝしがへいひしがといへば切なり傳書のをしへといふにはいと麁し。へ見しが、聞しがへいひしがは。上に過去のしの字添たれば。只のがとは異なり。しがといふは。へ見しがな、にし哉リの上下を省きたるものにて願ふ意なるもの也又、見入三しかへ聞しかと。か文字〓てよめば常の哉なり。又次三しかと〓てはこその結詞なり。俳師のぼ句に作るはテ·ハ多く此格に外てものをといふ辭にあたりて。下に詞二三五論字斷截學古
をふくみ切る〓格と。又上のしの字過去より受たれば。俗言たの字に轉用してたがといふにあたれり。然るを初學の輩もとの意をしらず。しがとのみ言て截斷たる心に濟しゐるは拙わざなり。又しがと濁と0しかと〓て讀とは意も替り有事なれど。今の人の句を見るに多くしがとのみ濁り。しかと〓てよまねばならぬ句も。口にはしがとにごりてよめり一はね字へ一字ばね、二字ばねへ三字ばねと。いふ事有、きん、見んの類一字ばね〓咲らん、縫らん、別つらん右へうくすづぬふむゆるに通ふ一一字ばね也、やらん〓ならんへるらんを三字ばねといふ皆切字也一字ばね二字ばねといふは中〓手早き〓へかたにてよし。三字ばねは然らず。やらんは疑のやより受たる也。又やらうをやらんといふも有。、早乙女に結びてやらん笠の紐なり。ならんはなりなるなれの將然言より受たるなり。けんてんなんも同じ。るらんは截斷言辭より受る二字ばねなり。總てんといふは活く詞の將然言を受て。連用連躰截斷の三ツをかぬる詞也一らんとはねいにはやと疑い〓と古來よりの法なりらんは察する詞。疑の詞とのみ思ふは。少したがへり。上に疑の詞のやいづれいかにたがいくかなどの詞あれば。それに引れて疑の詞となる。なきときは只察する詞也。察するとうたがふは些の違有つつへ花は見つ、鶯は聞つの類なり。心なういふべき切字にあらず。鶯は聞つ。何はと外へうつる時の詞也。つるといふる)をつめたる也花咲ぬるといふるの字をつめて。花さきぬといへば則切るふ心なり。聞つるといふるを添れば語絕せぬなり。いづれも下のるをいはざる所にて切字になるなり見つる聞つる咲ぬるとつゞく詞も。ぞのや何よりかゝれば定りたる結びにて切る〓也一かか古來まれなる切字なり。五七五の留りに置字なり驚たる詞。切字の下に心なき字を置ては留らず切れず月雪花時ぞのや何よりどばずじん氷とかでいましといへば他なり。此るい詞によりて自他入替る也集と散と寄と放と也よくせずんばまぎるべし。以下せへけも皆同じ一こそのてにはれといふをあましたる作例しばしこそ人も影せし花ちりてかげせしなれ道あればこそ雁の來る空空なれしばしこそ人も影せしと過去のしにてこそを結び。花ちりてと遣ひたり。影せしなれと意をふくむにはあらず。右切字十八字也初心の人あやしき切字用事なかれ。上工のうへは心が句になり。句が則心なり。此故に切字なくとも語絕するなりあまり大まかにをしへられて初學の爲にならず。あやしき切字を用る事勿れとはいかにぞや。切る〓か切ざるかはしらねど。大かたこれにて切る〓で有うと推度て遣ふ人もあればなるべし。又上功のうへにては心の句になり。句が心になりて切字なくても語絕するなりと有ては老俳にも初心にも只ぼんやりと三五鳥梅櫻等の景物などを置てよし。是もならひの切字なり連歌一聲は思ひもあへずほとゝぎす俳諧御簾からおもひもよらず雪礫是等の〓とは取にたらず。別卷にいふべししよかろき下知なり又かれよこれよと片付たる下知なり是もならひの切字なよの字かくいひてはあらし。よはやの裏なりやといひてもよしと思はるふを。よととふふと有。義利替れ聞は筏士は七夕やより。恨みずやよ思はずやいふが%此類いくつも有べし。是を呼出しのよくとへへり。又てよ とよよなそよなども有へえけせてねへめれへいきちにひみゐの下によ文文字を添て皆下知なり。別に輕き下知もなしれ下知にもおのづからの心にも。雪もこそふれ自氷れたゞ自しめりふれ知下急でかへれ下知氷れたゞはいかにも自。氷らすれといへば他なり又氷とくれとば氷とけけんつゝんずじけりといへば自にて氷とけどる氷
してはきと分らず。かの十八字は皆截斷字の目安なり。大まかなる〓により遣ひ誤る〓と多し。や黄けりしぬなども上のかゝりによりてとゝのはず。又つづく詞も上のかゝりによりて切。又上のかゝりテ·ハにかゝはらず切もし。續きもする辭あれば。是を切字と定る文字なし猶次にいふべし一に留現在有過去有おもはぬに現在おもひしに過去是はぬとしにこそよれにの字のあづかることにはあらじ一過去のしにて留る事法あり。過去のしは。下に詞なくてはせぬ〓となり。近來の人の句を見るに。過去のしにて留たる句あり。一向にせぬ〓と也其句に見ぬうちに花に鐘鳴日の暮し此句を擧。切れぬとて難ぜり。此句はのとかゝり過去のしにて切たり此頃の人は此格をしらでかく難ぜしか。此のは紐鏡にいふ春の日秋の夜などいふ常ののとは異なり。鶯のなく。月のかくる〓などいふのにて別なり一むかふしは留る也經むし雪白し言葉嬉しゝ嬉しゝとはいはれぬ詞なり。よく人の誤る所。此抄の文の中に。片輪の噂など好みていふ事あしゝ。浮哉とてあしゝ此格を見てや名高き人の句にも。嬉しヽ久しゝと遣ひたるも有。是は詞のはたらきといふ事をしらぬひが事なり一あなはかなあなたうとうたてあやな是もやノしノをいへば切れずかくあれど。や文字を添れば歎息にて切。しを添ふれば現在のしにて切なるべし一二字切三字切といふ名あれど一字ならでは切字なし上の切字やくにたゝぬやうにする法なり風すゞし何とてもてる扇かな此かなばかりが語絕なり。上は問荅なり此句作なればやはりかなとは留らず一浮かな光る哉見ゆる哉開く哉匂ふ哉の類あし此事は前にもいへり。捨べし。浮哉とてあしきは系大書俳本日あやなしを添ふ月に柄をさしたらばよき團扇哉宗鑑靑くとも木賊は千〓の見物かな文鱗あの雲は稲妻をまつたより哉はせを是らは七部集の內の句なれど浮てよろしからず。此外、大廻し、玄妙切、二段切、三段切、押字へ見ゆ留は有也無也の關古今抄貞享式蓼太家の抄など大かた此梧一葉より出たる物にて引句の違たるはあれど。一ツ〓となれば次の有也無也關に擧て見す。註の違たるは梧一葉はヘキリ貞享式は、古と合印を付て見す。是等の書十に四ツ五ツ僻が事有故。今もほく文章のてには詞のあしきを常に和學家より笑はるよ〓との多かり。されど片田舍の人の言事をきけば。俳(ワガ)マゝ諧には俳諧のてには有など强情をいふめれど。和哥の手爾波俳諧のてにはとてふたつなし。是日本のてにはなりと祖翁も申され。支考が古今抄に百世の明監を待といふ〓をを幾所も書〓たれば。是にても悟べし。かく同じ事所〓〓にいふをうるさしとなおもひそ幻住庵有也無也の關古蹟味芭蕉庵桃靑著元祿の新式ともいへり序に曰むかし花の本に於る神代八雲の和哥を始中畧虛をツ實に綴るを是とし實を虚につゞるを是とす。實か實といひ虚を虚と顯すも俳諧の道にあらず。正風は虛實の間に六十遊んで虚實に止らず。是我家の秘決也學中中口中に曲を貪る〓となかれ。心中に曲を捨る事なかれ。口曲は他門にして。心曲は正風也此文によりてや芭蕉翁自正風を立るといふ〓と諸書に見えたり。案ずるに正風正門正流といふは。祖翁がミヅカラセン門人の心より師を敬いて言る名にて。蕉翁自僣して正風正門と申されしにはあらじとおもへど。此序實に蕉翁の自作ならんにはいかゞならん。故に松屋一夏、与〓が俳諧歌論に。芭蕉翁に一棒を与たり。ある人それに荅へしかどよしとも聞えず。又是等の人松の家の學にもしかず。されど今芭蕉翁の俳諧四海に廣りて熾んなれば。たとへ邪風なりともいかでか松の二九七芭蕉庵桃靑著
に書殘しゝ物とおもはる。かなもがなけりなどのけくはしき解は。初學の人にもよく分るやうに次にいふべし挨拶切いざゝらば雪見に轉ぶ所までサ挨拶切は他に對するの一ツにして。挨を天とし拶を地として。いざゝらばは天也。雪見にころぶは地なり此類の上下の詞、主客の隔を以て一句の切とす。是あいさつなり此句の截斷とする所かくむつかしくいひては初學のをしへにならずへいざゝらば雪見に轉ぶ所までと動かぬ詞にて留りたり。切字といふは。彼十八字ならで。くすつふむるが截斷字なり。此文字が切たりつゞきたり。遣ひやうによりて自由に活く。早く元祿頃の臆度のをしへを奔て。正しき古學にならふべきなり。扨此句は曠野集員外にいざゆかんと有。かく有ては切字の論なけん。土芳が赤双紙にいざゝらばと後に直されしと也自他切屋がいひごとに降參すべき。予がおもふ今も正風正門といふうち。蕉風蕉門蕉流などいふもあり。かくいはゞ何の子細かあらん發句切字の事は十八字の品ありて。和哥にも連歌にも其沙汰あれど。何故にと其故秘すれば意さらにしれず支考が古今抄に貞享式といふは。前にいふ梧一葉有也無也の關をあつめて貞享式と号け出ししよし同本に見ゆ古へ昔より切字の事は十八字の品有て中畧同文其ゆゑをあかさねば。童の心經をおぼえたるやうにて自己に分別する〓とあたはずかくの如く此頃は事開けぬによれば也。かくいへるはかの十八字のかなもがなしじめかけりな呂ど。總て十八字の切字の其解をしらず童の心經を讀こゝちすといふめるは。かなといふ義利も。けりの呂譯も。もがなしじとは何の事やらしらねども。斯いへば品切字になるとこゝろえしものなりかし。今の世にて見れば蓮二坊はづかしげもなく怯き事を世人に家を買せて我はとし忘古此切は全く新製なりへ貞享式には引句たがへりいかに蕉翁とても切字に新製といふ事の有べきぞ。此句ははとかゝりて。年忘と動かぬやうの詞にて留りたり忘ルヽxルととくくををうごかぬやうの躰言にいひなして遣ふ一格。何の子細もなき事なるを。天ぢやの地ぢやの新製ぢやのといふめるは。無下につたなきいひざまなり動かぬ詞にて留る哥の例を引て見すあら玉の年立かへるあしたよりまたるゝものは鶯のこゑ又文字をへてちへさびしさばみやまの秋の朝ぐもり霧にしほるゝ槇の下露かくの如はとかゝればはの字の意の下迄至るなり。はの字に限ら口·大ず。總て首とする辭のてでにをはばものとどへ是等を一ツに合せて。紐鏡に徒としるせり。續く詞の首たるは。ぞの疑のやなどなぞたれたがいかにいかでいづれいづらいついく此るゐを合せて一ツに何としるせり以上の文字を口十大辭の本とも首ともいへり。是等の辭を上に置て。下を結にかゝはらず。動かぬ詞にて結ぶ一格なり。こ購は元祿のをしへにいまだいはざる所。不思儀にもおもふべけれど。此格を遣ひながら此格の事を知らざ(秒)れば。へ挨拶切、中の切、心の切へ無名切〓玄名。口傳秘授などいひて初學の用にたゝず中の切猫の戀やむとき閨のおぼろ月猫の戀止時は言明也。閨の朧月は立春の後にして。物と物との七文字の中に。心言葉ともに替るを。中の切とい古ふなりへ貞享式引句同じ和哥にもかゝる句讀有て習ひとやらん有識の人に聞傳へ侍りき是もむつかしく言て初學の爲にならず。只うごかぬ詞にて留りたり。此抄にいへる挨拶切自他切玄妙等の引句に·印付たる〓すつふむる名詞の所に意を含め切るゝのと。續く方に用ひて。下を躰言に結ぶとの二品有。そは句に依て辨ふべし心の切秋風に折れてかなしき桑の杖三七七
り。四十雀はでくりかゝり。動かぬ詞にて切たり。初學の人や〓もすればて文字にて切るゝとおもふは違へり押字何の木の花とも知らず匂かな押字はのとの〓狹き紛らしき切也。是は上にて押。下に古て浮。一句切たりへ、貞享式、何の木の花とも前にもいぶがどく。ずはぬの轉用。しらぬにほひ哉ずにほふ哉共いふべきを。しらずとして深き意をこめ。歎息なり。源氏桐壺命婦の歌に、鈴虫の聲のかぎりを盡しても長き夜あかずふる淚哉。哥は文字數あれど。ほくは文字すくなき故、何の木の花とも知らずヨヨハ〓哉哉と。한 人稱歎の辭なり。此句は皆人の知る所、何ごとのおはしますかはしらねどもかたじけなさに淚こぼるふ。西上人の歌より出たり。又此哥は中庸の文末に文王の詩を引て。天下之載ハ無聲〓無臭。至ルカル矣是より出たりと抱字古註取にたらずへ貞享式には追善の格として。この句かなしやとも歎息のやを用べけれど。追善は情を先にして平話の儘に演たらん。そこを俳諧の實なれば是この句格を鑑にして切字の有無を論ぜざれ此るゐ皆かくのどいひて。しかと留る所の自己にも知れざれば。いろ〓〓あやなし書ちらして用に立ず。是全く十八字の切字といふ。其切字句中になき故。さま〓〓なづみもてあつかひていへればなり。是は支考の申されし如く。悲しやとありてもよき所なるを。かなしきとつゞけられたれば。是もによりかゝりて。杖と動かぬ詞にて留りはすれど。格別意のふくめるとも聞えざれば悲しやのかたまさりて聞ゆ。又追善の格と一格立ていはれたるもをかし。悲しなとあらばよからん古へわづらへば餅さへくはず桃の花眉はきをおもかげにして紅の花老の名のありとも知らで四十雀煩へばの句は喰ずにて切。紅の花の句はてよりかゝ下に夕がほや秋はいろ〓〓の瓢哉右のやは切なり。しかし五文字のいひやうふがいなくして不切。秋はとはの字にて抱へたれば上のなり。彌きれず。よりてかなと留りたり。哉はうき哉にて不切一句分るべしかくのどくやを切といひ。又不切といひ。又浮哉といひ。一向にわからず古へ此やは疑のやとしるべし。秋はと句を切て。下に心をことはるなり支考が此やを疑のやといひしは。いかに物に狂ひけん殊にをかし。此や哉の事は不二谷が手爾波抄にいへるをよしとおもはる。いかにもやと哉の心をよく辨へてのうへはくはしく分るべし。何丸が七部大鏡に。此哉を未來の哉といひしも珍らしき說なり。前にもいふやもかなも何ゆる。にと其譯しらず。童の心經ツ讀如しといふ心よりは解しがたき筈なり。此やかな学の事を具にいはゞやといふはもと切字にあらず。嘆ン息にて切也歎息といふは。嬉しきにも。悲しきにも。よきにも。あしきにも。月を見ても。花を見ても。何にもかにも。物の至極したる時の事を歎息といふ扨此夕兒やのやは歎息にもあらじ。總て此類のヘ々兒や〓明月や、白雪や、梅咲くやといひて。たんそくになるも有。又ならぬも有て紛る〓事有せずんば有べからず。此夕兒やのやは。や文字の本義なり。成元がいへる。やは內のもやうの他を添せんとすれど。あたはざる事を思ひ入るゝてにはなり。夕皃のとしてもよき所を。のにては內のもやうの付そひがたきを。おもひ込迠にはかゝらぬ也。かくいへば初學の輩は蒙朧としてわからぬやうに聞ゆれば。予猶もくはしくいふべし。夕皃の花を見れば皆同じやうに白き花なるが。秋ふくべどなりては。長きみじかきいろ〓〓の象に變るといふ事の。外の花にはあらで。此夕兒にのみあるといふ心を。かく永〓といはで。只やの一字にこめたるてにはなり。是を成元が他を添せんとすれど。あたはざる事を思ひいる〓てにはといへり。夕兒のやの字截斷切ざるの二六、又不切といひ。又浮哉と秋はと句を切て。下に心を
論にかゝはらず。秋はいろ〓〓のふくべになる事哉といふ心なり。是にかぎらず。すべて上の五文字にへ元日や、明月やと。題よりうくるや文字には是と歎息のふたつ有。心すべし。是やの字の正義なり。猶此事は饒舌錄の所に言ば合せ見るべし無名切咲みだす桃の中よりはつざくら無名切は一句の立所なし。何を切字ともしれずして吟聲に切あるを。無名切といふ是も咲亂す桃の中よりと躰言へつゞけて。初櫻とうごかぬ詞にて留りたり。吟聲に切有などいふめるは。取所なきいひどなり四方より花ふきいれて鳰の海明月や花かと見えて棉ばたけ家はみな杖に白髮の墓參此解もおぼろ〓〓として前に同じ。前の二句はてよりかゝり。家は皆の句。はの字下までいたりて。墓參と留りたり玄妙春もやふけしきとゝのふ月と梅赤〓〓と日はつれなくも秋の風玄は玄〓也。妙にして心も詞も及ばず。詩に觀見庭前梅与松ならべ返してよめる心なり。是玄妙也むつかしくのみいひて是も用にたゝず。始の句は同じく上より言つゞけて。月と梅と結たり。此事元祿の〓にはいはず。赤〓とゝいふ句は。つれなしと切たるを。つれなくと詞を活し。もと遣たり扨もの字は切字にあらず。歎息にて切ともなりやの字なども切字にあらざれど。歎息にて切るゝは同意也。猶此外にも歎息にて切るゝ文字あり。後編にいふべし。但にし是も夫もなど遣ふもにはあらず。此もは我おもはぬ事をいひて我おもふ事に思ひよせさせんとする心なり。故に歎息の詞となるなり。作者はかくまでくはしき筋を知て遣はれたるにはあらねども。我日本ウト、の人が。我日本の詞を玩ぶ上から假令知らずもよく叶ふ〓との有ものなり。今の初學の人の言へるはくにも。切字手爾波詞の活抔はしらずも天然と十に六七はよく叶へるが有如し。然れば知らずに遣ひ中と。知て遣ふとは。大なる損德あり。祖翁此てには知りて遣はれし事ならばたれ〓〓にもよくわかるやうに〓へらるべきに。其事はいはで。玄は玄〓妙〓心詞も及ばずと。其上詩まで引れたれば。中〓知り給はざるに等しくて。人の爲にはならじ二字切三字切句讀切はればいはずさしたる事もな二段切夕にも朝にもつかず瓜の花空鮭も空也の瘦も寒の中水無月の暑日にも。瓜の花のみ露けくて。夕皃にもあらず。朝兒にもあらずとは。慥に二段の差別成につかずとは詞の双關にして。爰に句法を稱すべし夕にも朝にもから鮭も空也の瘦もと。ふたつ物はあれど。切る〓所とてはなし。是を二段切とはいかゞならん此もはつゞくるもにて。前のつれなくものもとは異なり小まはし柚の花にむかしを忍ぶ料理の間桐の木に鶉なくなる塀の內柚の花の句はしのぶ흰意を含切たり。此抄の註はくだ古〓しければ畧す。古今抄にはへうづらの句は田莊の酒屋といふ題ありて。こなたより其家の富貴を思ひやりたるやうなりとぞ。然ば五文字に句を切て。桐の木やともいふべけれど。さいへば桐の木ならん。是は桐にも鶉にもあらず。田家を稱するほくなれば。鶉なくなりと句を切て塀の內を隔つべきにもあらず下畧かく長〓と書れたるは用なし是も塀の内と躰言にてむすべりを廻し靑くても有べき物をたうがらし米くる〓友を今宵の月の客心に赤〓と見る余情を。をの字に含て下の轉ずる所すくなけれども。上へ返して切侍るなり。何底心なければ切れず。殊に裾がれなどいへる病句なりコノヲシヘオホム子這〓梗よしと聞えたれど。下の轉ずる所と書るより以下。事のわからぬやうにせし言事なり。此句意は。靑くても有べき物を。靑くはあらで赤きたうが二六五此抄の註はくだ論字斷截學古
うにては。文をなさゞる故に。祕授口傳と書紛らしたるものなるべし。哉の治定を恐れてと書るも。をかしきとなりにてと留るは。上へ返るとかへらぬとの二品あり。此句のにては上へ返らず。はとかゝりて下に詞を含切たる也次の行春の句は定りたる格にT 。おしみけりといふべきを。古學には變格といひT.けるの下へ。事よ事哉などの辭をふくみ。意を深くしたるもの也。何の子細もなき事なるを。蕉門の祕授口傳天地未分の切にして。初心の人しる事なしとは。いかにぞや。此外いく所もいひたき〓とあれど略す。總て是迄にいふ。へ挨拶切、中の切へ自他切、無名切へ玄妙へ、に囘しへを囘しへ大まはしへ心の切、句讀切、押字、未來のし抔の名目は捨んじゃ前に具にいふが如く。僻事のみ多く交れり今の世には是等の名目用る人なしとおもへど。返す〓〓も俳諧には俳諧のてにはあり抔いひて。是等のをしへを證とし用ふる事なかれ。祖翁の詞にも俳諧に古人なし。いにしへをもどきて今をつゝしめと申されしにても知るべしらしと。裏ヘ返る詞を含たるてには也ものをといふてにはは。皆かくと。心うべし上へ返りて切侍るなりといはれたれど。此てにはは上へも返らず。切も侍らず。米くる〓友をのをは。歎息のをなり。米くる〓友をといひ。客といひ此をの一字に。いろ〓〓の心籠れり。故に歎息にて重きをの字なり。然るを何底心なければ切れず。殊に裾がれといふ病句とはいかにぞや。大地に辛崎の松は花よりおぼろにて行春を近江の人とおしみける天地未分の切にして初心の人知る事なし口傳あまり大いなるいひごとにてをかし古へ芭蕉門には祕授なるが。是は正しく哉の治定を恐れて。にてと心を返されけん。然れば心詞の殘る所は下の五文字の句絕にして。是を下段の切とや言ん蕉門の祕授といふもこと〓〓しく。大躰祕授口傳などいふ物は。自己にもはきと分らぬ事を。分らぬや크,這段は二師の金言にて返す〓〓も味べき所也丈艸; ;猿養跋曰。猿養者芭蕉翁滑稽之百體也。史記姚秦曰滑稽猶俳諧也屈原ト居之語日突梯滑稽王適註轉ノ隨ニ修ニ也如脂如韋柔弱曲也以契楹乎謂同詔諛也されば俳諧は。人とむつましくするの媒此抄にも諷諫をもて道となし。談笑をもて法と言り。人の上にていはゞ。學んで學ばざるが如く。才ありて才なきがごとく高擧ならず。人を妬まず。人をあしざまにいひ下さず。禮を正し約をたがへず。常にをかしみを持たる人。則是を滑稽とも俳諧とも言べし然るを世の俳師の中には。萬これに反し。學ずして學びたる兒をし。才なくてずある兒をし自借にて情强く負をしみウツ、有。然して后。己が拙は露しらで。常に人を怯く言下す癖あるにより。今迄むつましき朋友も。俳諧故に中惡敷なりゆくものまふあり。此輩は此道の不正門といふべし卽興躰景〓も花見の坐には七兵衞二六五古今抄白金大東北大東花坊支考著(1)芭蕉翁十九ヶ条を。貞享式と題せしは。減後門人の稱なるよし序に見えたり。享保十四年板本蓮二房。前の有也無也の關にあらかぢめ引上て言ば合せ見るんじ6此抄の要とする所。てにはの事にかゝはらざれども其ひとつをいふ東花坊序に曰。俳諧は五倫の交を和らげ。諷諫に談笑の用なるをとしるべし申畧はせを庵序に。聞ずや聖典の掟にも。道は日夜におごそかならん事を思ひ。法は年月に安からん事をおもふといひ中畧世法は五倫の和を本としス·て君父の善を進めんにも。婦弟の惡をこらさんにも。善を善とし惡を惡とし。直言を以て直諫すれば。其時其人の機嫌をまたず。夫を一音の大道とはいふなり略楚の子西が王の惡を和げし故事を引出。又所〓〓百世の明監をテ待といふ事を擧。學べきは俳諧の機變にして。恐べきは俳諧の高擧なるべし下畧古學截斷字論
やとかは同意なり。哀やなども。哀なる哉とも。なの字は日本の助語にして。漢には刑の字を用る也是を詠嘆の餘韵といへば。那今と詞を詠べし。倭眞名には哉那の二字なるや漢家の字書にあてゝ。歟乎哉の輕重。刑の字のと言出たるより。總て此抄にいへる。日本の手爾波の事を。漢文に引當て言るは。何れもよろしからず。いかにもかなはかといふ辭になを添たる物なり。故にかなといふべき所を。かとのみ言たるも多し。万葉にはかなといふ所をかもと有。又かねとも訓ず。又やとかの同意別訓なるはよしと聞えたれど。漢には那の字を用ひ。倭には哉那の二字ならんといへるも。よからず予が考にかなやの事は。いまだ先達の發せざる所なれば。いかゞと思ふ人も有べけれど一說を儲て言ん。かなといふ心は。此抄にも稱歎なりといへる如く。治定歎息したる所を哉と言り。歎息といふ〓とは。前にもいふ。月にも花にも物の至極したる所を歎息といふ。歎きの意のみにもあらず。嗚呼よむかしきけ秩父殿さへ角力取右二章は一坐の談笑にして切字の論に不及ふらずとも竹植る日は簑と笠當歸よりあはれは塚の堇艸爰には切字のさだかならで。蓮二等が管見を加ふ發句に何躰何格とは減後の推量なれば。例の明監を恐るべきは是なり切字といふ〓とに苦勞あるにより。かくのごといへり。定りたる切字はなしとも。意の留りだにすればよき〓となり。秩父殿の句は下知して角力取とゝまり。余の三句ははとかゝり。動かぬ詞にて留りたり。はともは殊に譯あるてにはなり。依て紐鏡にもはもとして。其余は徒と一ツにいへり。は)は物を分る意。刄也葉也齒也くはしくは後編にいふべし二品のかなの事かなといふ〓とは何故といふ〓とをあかさゞればしれず。漢家の字書にも。哉の字は疑と稱歎と二用。倭には只かと訓ずべし。歟は疑の重きをいひ。乎と哉は輕きをいふ。Iき咄嗟かなしき於痛き客たのしき。抔いふが如く鳴ㄹ呼といふ。惟歎息也。新撰字鏡に。阿者嘆聲也阿は五十員の始。言靈にいふ所。永ければ略す。櫻哉月見哉光哉思ひ哉といふも。よい櫻ぢやなあ。よい月見ぢやなあと。いふ心をかなといひたる物なるべか|もと皆あの一字になる。し。かなの反かの反 ああを重ねてあ〓と歎息なり。やの字も同意。反あなり。物を譽るに俗語。やんやといふ。則歎聲なり。故にかなやの三字同意別訓なることしるべし古式の名目に願のかなといふ事あれど。漢文には決て其字なし東花にも蓮二にもせよ。いかにひらけぬときぞとて。あまりつたなきいひごと也三品のやの事古抄よりやの字の事は。七品八品の名目あれど和漢に通用をば。只三品に過ざらん。第一疑の那といふは。和風に耶やの字の正義なれば。一用にして餘衍なし。第二に稱歎の哉は。漢家の字書にも多用にして。彼いふ一名二意にも限らず。第三に口合の也は。漢文の常にして。爲道也囘也白也韵會の言る間ならん。然ば也の字は句勢のみにて切字にならぬ時もあり。春雨や秋雨やの類は句躰によりて哉と留るべし。名所の也に留るは論なく古式の常法也。疑のやをやの正義といへるは大なる僻が事也漢文に中てよからざるは前にも言り。春雨や秋雨やのやの事。かくの如いひては。初學に惑安し。猶やの〓は。有也無也關。夕兒やの段。饒舌錄冠のやといふ所にいへば。合せ見るべし三ツのしの事助語の中にも。三世のしは明らかならず。連俳の兩家ともに。現在未來は切字にして。過去は切字にならずや。夫には外イの口傳あり。暑い寒い喰まい飮まいと。いに通ふを切字となし。見た聞たと。たに通ふを切字ならずと。古抄にはかくいひすてゝ。例に其二字の道理をあか1さず。口傳古實とは言り畧中未來の喰はじ飮まじとは。眞名には不少喰不少飮と書て本より文句の用にして。助語にあらざれば。切字に用べき道理なし古斷字論二九百
かなの打合よろしからず。とにかく此句は。時の人切字重なりておだやかならずといひしぞよき。作者の心には。振舞に馬ではゆかじリトモノバチュクバ雪見哉といふ心をのべられたらんなれども。さまでは詞もはぶかれず。外に句の作り方も有べきを。然しては哉と打合ず。天理の冥合にも叶はじとぞおもふ。此抄のへ心切へ中の切、挨拶切、二字切、三字切へを(炒め囘しへ大囘し、玄名等の〓とは有也無也の關に引上古へ印を付ていへば畧すかく言るは。切字を助語と思ひたる誤成べし我家の式目には。現世と過去は切字にして。未來のじは切字にあらずといはんか。是等は一部の大騷にして古式の名目を減ずるに似す。我家の學者は心〓に或は用い或は捨て天理の一統に任すべし東花云此一段は大切の沙汰にして。漢土の文字に音韵のあまりならんとは。一發百中の的言と言べし。猶撰ずるに未來のじの字は。驢馬に乘たる東坡の〓賛に振舞に馬ではゆかじ雪見哉とせしに切字重なりておだやかならずと。其時は人の難(30ぜしが。今思へば故翁のいへる衆儀はおぼえず。東花坊に定りて天理の冥合に叶ぬるやと尊としずのいまだ然らぬをいふ時はじといふ。俗言にじはまいといふ詞。此抄にもタイの口傳と有是也。ずテ·ハと定ていひがたきとき。じといふ辭也。ずは强くじ(チームチは弱し。ずはすめねと活き。じはずの將に然する詞にて。留りの格はずに同じとあり。又じは。有也無也の關。三世のしにいふ躰言にもつゞぐ詞なれど。持たるかくの如く△印付たる所を結びといひ。切ともいふべし。此抄の切るゝ所とて、印付たるは。から大皆詞の首なり。△なきは動かぬ詞。又言かけにて結拘ぶなに切るゝ何。又結びに抱はらぬ何外にさま〓〓格有けれ我こゝろ鞭におそけれ櫻狩松木なく鹿もさかるといへばをかしけれ團雪此二句切るゝとをしへたれど。上にこそとなくてはとゝのはず。啼鹿もさかるといへばコソをかしけれ; )の。社を省きたる物といはゞ。笑べし。こそを省きT.けれとのみ遣ふ例はなし一九〇七ちらすほどきらはゞなきそ花に風道村イ是は下知に似てすこし意違へり。禁しむる詞也勿のなといふ。な例引の。なの字。なきなるべし。此例なるは、玉川の水におぼれそ女郞花。芭蕉翁にもかくの如きの誤あり。此例にならひてや。今の世二六八(古學切字論下)をだ卷元祿十年板本洛溝口竹亭自序に古人の式にしたがひ。かつみづからが趣をも童蒙のたすけにもとおもひ出る折〓〓下略をしふる所。前の三書にるゐしたれば略發句切字として切るゝ所に、印を掛たりそは何五月雨、何を茶にくむ淀の人鞭石ぃ、子をもたば、いくつなるべき年の暮其角たれぬしは、たれ木綿なだる〓秋の雨尙角いかと扇折、いかに持たる汗のごひ千那かくの如くへ印を掛て。此所を切字とをしへしはひがどなり。故に初學の人の誤る〓と多し是等の句は皆上に疑の詞ありて。下に其結びあれば。其結びにて調ひ切たる也。其結びと言は何を茶にくむ〓いくつなるべきぬしやたれ木綿なたる〓いかに
かくのどあれどさにはあらずへはよりへにより、てよりかゝりて。下は動かぬ詞にて留り。外に分別もいらず。とかく切字といふ物になづみもて煩ふ故。いろ〓〓むつかしう言て用にたゝずゃは福壽草やは明がたの梅の花富丸かはくらべ馬神の科かは負の方周木千·やはとかはとは些の違ひあれど。大抵同じ事にて。共に意の裏へ返る辭也へくらべ馬神の科かはトガニテハナシ負の方といふてには也。やはとすればへ神の科やトガニテハは有マジといふほどの違のよし。福壽草のやはゝは一格あり、福壽草やは明がたの梅の花ガロトカヤといへる辭のよし北邊翁の申されたり。やはかはの事委敷は後編に擧煤やはくにごれる京の流哉口傳にいふ後に置たる五文字なれば。上に切字有ても哉と留るなり是は圖のどく。上は上にて辭とゝのひ。哉と留りたい。口傳といふほどの事はなしの人の句にもあれど。こは其人の罪ならず。古人の罪なり是も、玉川の水にナおほれそとの如くなの字を省きたる法などゝいふ人あらば笑べし。下のそをはぶくは定りたる例なれど。上の首たるなを省く例なしへ玉川の水におぼれな女郞花と。なの字ばかりならばよろし一段强く禁る意也數ならぬ身となおもひそ玉祭はせを皆かくのどくあらまはし。万葉にへいもがあたり我袖ふらん木の間より出來る月に雲なたなびき。かくカラッのどくたな引そといふ。そを省は定也。夫木集源仲正哥にへちりぬとも外へはやりそいろ〓〓の木のはめぐらす谷のつぢ風。此哥はなの字なくてその字ばかり也。依て此うたも誤なり切字なくて可有分別句是は〓〓とばかり花の吉野山貞室余の草にたとへおとるとけふの菊和及にくまれてながらふる人冬の蠅其角かへす〓〓も初心のすべき事にはあらず貞和其室及角哉と留りたたるぬるつとありなりげにばかりが|是等の字いづれも切れずとあれど。たるぬるはぞのや何よりかゝれば切るゝ也へつゝは上へかへりて留ると。下に詞を含て切るゝと。てに通ふとながらに通ふとあり。いかにも切れずへありなりは七部集の所にいへば合せ見るべしけにばかりは元より切字にあらず。詞なり。是によらず。一切の詞動く詞と動かぬ詞あり。名は元〓動かず山川の類。山は山。川は川にて事すみ。切もし續さもし。躰言にも用言にも續くなり。成分是はとばかり。こゝに意を含め躰言に續け。花の吉野山と留りたり。余は皆是になぞらへしるべし定りたる切字の外なりへが見しがといへば。見しがなの畧にて切なれど我が君がといひては不切。是を一ツにたるぬるつゝありなりげにばかりが切れずとせしはあし曉山集元祿二年板本應〓芳山著ぬるはぞ下の卷百二十八丁メ。てにをはと言事ひとりのいふ手爾於葉へ今ひとりの言。於にあらず袁なり。又はにあらずばなり、荅て皆よろし皆あし。しらぬ人の爭ひ也。假名四十七字共にてにをは也。其內てにをはの四字は。殊に近く活き侍る故に。四十七字をちゞオノヅカラめて呼て。てにをはと言自の名となれり。又畧して。てにはともいふ予が考も是に同じ。荷田訓之が國語考寫本と言物に。へてにをはといふとの考あり經緯終始の四言を一ホ子語にして。へてにをはと名づく。てにをはは骨也。經緯とは。アイウエオの五言をたてとし。アカサタナの十字をぬきとし。終始は萬にある〓と。此四言一語にするとは。タテの反て。又キの反に終始の頭の。をは の二字を取て。へてにをはとし。又ハヲの反対。ニテの反子なれば。てにをはを骨とせし物なりと。よくこぢ付たれど。是は猶曉山集の說よニーニ
にうけがはであしざまにのみいひふらし。書林に活(右)れざるは我親の噺に聞たり。近き世となりては。彼紐鏡玉の〓。神佛の御作のやうに尊みて。風雅の道に遊ぶもの。机の側をつかの間も放たず。既に玉の(A)〓板磨減先年再板せりヘ)へあなたうとへあなたうとやへあな笑止へあな笑しやへあなたうと春日のみがく玉津嶋の句を引てあなたうとやと。やの字いはぬ所に切たりといへど(〓と)かく遣ふ例はなし。前にある思はる思はるゝといふ例とは違へり。たふとゝは一ツの詞なる物を是はみがくといふ緣に。玉と續け動かぬ詞にて留たり神垣にふりて久しき松の雪此句切字なしとて。久しゝと改めしよしなれど。宗砌もとの久しきとするかたよしと申されき有也無也關に言。秋風にをれて悲しきといふ句の格と同じ。元より久しゝとはいはれぬ詞也此句は久しやと正例に遣ひて難なし。翁の追慕の句も。秋風にをれてかなしやにてしかるべし。しきといふ詞はつしと思はる伸縮家にはよく此やうなしひどをいふ物ぞ又假名四十七字共に。てにをはといへるもよろしからず。別に條を立ていふべし事替りてるいする切字の事へ凉し、嬉しは切、涼しき、嬉しきは不切へつへぬは切へつるへぬるは不切、思はるへ恐るは切へ、思はるゝ〓恐るゝは不切。是に紛れて切れざるは、替るへ溜るの類なら。系大書俳本日替る溜るの類切れぬとあれど切もし。つゞきもする辭なり。初學にもよく分るやうに。紐かゞみ詞のナッツ玉の〓に〓へられたるは。推に闇き夜に挑灯の出たる如く。ひとつも誤る〓となく。有がたき書なるを。シ夫さへ見ずて世に僣上し。又潜に紐鏡。玉の〓。八助協ちまたを見ては。只譯らぬ〓〓といふ聲聞えて。解らぬ所をわかる迄に學びたるも聞えず。句をよみ文ワを作る人〓は。よくこれらの書を譯る迠學ずんば有べからず。さて此翁のへはも徒へぞのや何、こそと目安を三條に立。始て世に出しゝ時は。世の人さら宗砌もゞく格にて。ぞのや何よりかゝらねば不切。皆前の三書に引上いへば畧す余は橿の木の花にかまはぬ姿かな翁雲折〓〓人を休むる月見哉仝山吹のあぶなき岨のくづれ哉越人如此-引たるが。則下の哉へつゞくべきが其間に〓姿(税)へ月見へ岨の崩と言事の狹りたる也。是をもてもとは靡の哉が正例たる事を知るべし靡の哉といふは。いはゆる浮哉といふかな。是を哉の正例といへり。へかまはぬ哉へ休むる哉の類也心は言。花にかまはぬ哉姿をといふ心也。さればかまはぬ姿哉とも詠べけれど。下上になすは深き理ある事なりといはれしは返てむつかし細〓〓とごみたく門の乙鳥哉怒雅團扇うる侍町のあつさ哉野坡へごみ焚門、團扇賣侍町。上の詞直に名につゞきたればしからず。打合詞をやがて哉に含たる例なりと可知是は、ごみたく門の乙鳥ナル哉へ侍町の暑キ哉と言心にて。元は靡の哉を正例といはん爲に。かくいはれたれど是もうるさし。是等皆物の名よりかゝりた二·三手爾波抄文化三年板不盡谷成元此書は言靈の學を元とし。五十韵を正し。古學より出て七部集發句附句により。てにはを〓へたり。宣長翁のをしへ方とは異て。又一見識有一派の書也さればこそひなの拍子のあなる哉上にこそとあれば。けれと受べき句なり。然るを哉と言たるは。こその例と哉の例とふたつをひとつに遣ひたるものなりかくいはれたるは聞えず。是は、花すゝき大名衆を哉と祭いふ。嵐雪の句の前文に、さればこそ鄙の拍子のあなる哉神田祭の太皷打音 足足子子づまわけなりとやとあるを取出。季立もなく靡の哉といふ引句に出されたるはをかし第二例名の哉
とそとよく字形の似たれば讀違へて叱しはをかしほとゝぎす啼〓〓飛ぞいそがはし翁此句哥にはかやうにうち合せぬ事也へいそがしきといはでは。正例にはあらざるなりかくいはれたれど違へり。自他の事有。歌にも發句にも。我彼に暫くなり替りてよむは常の〓となり。此句我彼に暫くなり替り。時鳥の上を察して。肉麵粉〓飛がいそがしさうぢやと察したる句なるべし。然るをいそがしきと定りたるぞの結びを付られては。我と彼。自他ひとつになりてとゝのはず。やはり祖翁の申されし いそがはしにてよく和合り此ぞはつむるぞなりいづくにかたふれふすとも萩の原曾良いづくにかといふかの字。あたらぬとなり いいくくかといへばへたふれふすべきへたふれふすらん抔こそいふべけれ。もし又かくのどく。たふれふすともといはゞ。いづかたにといはではすまぬ事也テハ、といはれたれど。かく言ばいづくにかと疑ひたる辭の結びには叶ひたれど。曾良が句意には叶はず。此る哉にて子細なし。大峰やよしのゝ奧の花のはてすラシ曾良五月雨にかくれぬ物や勢田の橋ヲラン翁大峯やのやは。やの正義。かくれぬ物やのや文字は。歎息のやなり。是をへ中のやとして。疑のやの格にいれ下にナランと詞を含むよしいはれしはあしあやまりてぎゞぞおさゆる鯖哉嵐蘭此句の遣ひかたよからぬ也。是はもとより下にかなといひたる事なれば。ぞの字は置るまじき事なるを。しひて遣はれたるは。哉の上に遣ひても苦しからぬ物と思はれけん。されど是は上古以來例なき事なれば。たとへ此事有ともゆめ〓〓遣ふべからずかくのど永〓書れたれども。成元が見誤にてぎゞぞにてはなし。本書にもきゝうと書て有をぎゞぞと濁りを付 ぞと有てかなはよからずといはれしは。大な学や、る見損じ也ぎゞぞにはあらずぎゞう也鰭又〓俗にぎゞう鰍と同じく山川にゐて。針の有物。よく人を刺。ゆゑにへ誤てぎゝうおさゆる〓哉とあるを。シ良句意は會良が行脚の身の上。もし倒れ死なん時は。いづくにもせよ萩の原に倒れ死なんといへる句なれば。かく定りたる結にて、いづくにかたふれふすべき萩の原。又はたふれふすらん萩の原。かくのごとせよといはれては。萩の原が倒れふしたいといふやうに聞えて。曾良が萩の原に倒れ死なばやと願ふ意には叶はず。もし又たふれふすともといはゞいづかたにといはではすまぬ〓とといはれたれど。是も聞えず。かくいへば、いづかたに倒れふすとも萩の原はいやぢやといふ心になればなり。此句はとにかく曾良がともといはれしが叶はぬ也へいづくにか倒れふしなば萩の原又、倒れふすならなどこそ有べけれ山は皆蜜柑の色の黄になりてはせを此句發句のやうにはあらねども。附句にあらず。珍らしく遣ひ捨たるての字なり是は伊賀の猿雖が家にて。興行有し五十員の內の附句なるものを。かくのごといはれしはいかにぞや。成元和學者にて俳諧師にはあらざる故の誤なり。是を思へば此附句を發句と心得違ひしたる例は。明和五年の板本伊賀上野簑虫庵が著はせる。蜜柑の色といふ集の序に曰。其頃も此句を發句と定め第三としるせる沙汰聞えければ。其懷紙の儘を梓に上せて。アッサ祖翁の爲に此句の忠臣となり。同門の好士の爲に百世の惑を解ん〓とをしかいふと桐雨がしるせり。初折は雪芝が執筆。二の折より支考執筆せしとなり戌九月四日會猿雖亭松風に新酒をさます夜寒哉支考月もかくるこ石垣のうヘ猿雖町の門追る〓鹿の飛こえて翁二ノ折三句メ中略道場の門のさし入だゞくさに雖一里の船も腹のすきたる望翠山は皆蜜柑の色の黃になりて翁日なれてかゝる畑の露霜考下略支猿翁考雖雖翠望翁考寂栞古寫本有文化九年板本春秋庵白雄著拙堂增補凡例に拙堂曰安永本寛政本二品有よし。二十五予が持る寫
椌木やうらがれの秋を立盡し冬川や蕪ながれて暮かゝり吟じてしるべし。立盡す。暮かゝるといはゞ子細なし發句の收り肝要は。切字といふも一句を收めんが爲也かく難ぜしもあたらず。是は活詞を躰言に遣ふといふ一格なり。立盡すといふよりは。立盡し暮かゝるといふよりは暮かゝりといふかた。丈高く聞ゆる物也。其例句を引て見す水風呂の下や案山子の身の終り丈草初汐や鶴の羽白う暮かゝり荷兮余はなぞらへしるべしきり〓〓す腕しびるゝ添乳かな宗匠なりをもせし人の句なり。もとより女の自の句ならば論なし。男の句ならば添乳いかゞ。他より見たる句といはゞ腕しびるゝは自なり。いづれ自他さへ辨へざる身にて人の師たるはと笑はれたれど女の自の句を。男の女になり替りて作するは常の〓となり。又男にても添乳せぬ〓とはな本は雪門蓼阿が持しを。若年の時寫し置たれば安永本なるべし。初學の輩見るべきもの。道に於て德をうるの書なり。今文化の板本を見るに大むね違はず。此書世に弘まりてよく人の柱となす書なれば。其內誤ある所を取出て珍重する人を驚かす初ノナおとろひや齒に喰あてし海苔の砂翁おとろひとはいはず。おとろへといふべし。書損とも思ふべけれど。下の卷九丁メにも同句を引ておとろひと書れたるはいかにぞや補とあるは拙堂が增補せられしなり、古哥を見るに先抄を見るはあしゝへ姿をあしゝといふにはあらずなど書り。是は詞の活きをしらぬ誤なり。あしあしきあしくと活てあしゝとははたらかず手爾於葉の事こは梧一葉の誤を傳へしものなるべし。てにをはのを1の字だにしらで。人にてにをはの事ををしふる居は。紙の橋を渡るよりも危きわざ也下の卷十四丁浮句の事系大書俳本日丈荷草兮あしカ、し。稚子を抱へ寐かす事は。我〓が身の常なれば乳+tはなしともどりや己が添乳してやらうなど眼前なれば。乳なくて男が添乳すると言は俳諧なるべし。難ぜしは利屈なり同員外二丁メ浮哉月〓し今宵は汐も滿るかな浮たる故に上に切字を遣ひしなり此いひ事もよらしからず。此句は二段に切たれど滿る哉を一句の切とす。はものてにはに心を付べし梅柳さぞ若衆かな女かな翁拙堂曰饒舌錄に古寫本に有と僞て、梅柳さも若衆哉女哉と出せり。梅と柳を若衆と女にたとへたる意にて。さもと作り替て。人をたぶらかせり。此句は延寶天和の吟なり衆道大に流行.故に梅咲柳みどりせしを見て。嘸若衆や女の立派にて物見に出るならんと其世のさまなり略中さぞといふ詞にて思ひやりたるおもむきを重ねしなり此說さぞといふ詞を推量の詞に取たるなり推量とはさぞ暑フックタデさぞ寒カックテテといふ則推量也春秋庵が句の聞かくの如し。前に言る如く。梅咲柳みどりせしを見て。さぞ若衆や女などの立派に物見に出るならんといふ事ならば哉と留ては。てにはとゝのはず。故に此句。てにはとゝのはぬとて。饒舌錄の外にもあれこれ人のいふ事也。そは皆さぞといふ詞を推量の詞にのみ取たる故の事なり。嘸といふ詞。もとはそのやうにぞといふ詞也。さもは其やうにも也。後に轉じて推量の詞ともなれるよしは不二谷が考おけりソノヤウニゾ引哥に、あづま路やはまなの橋に引駒もさぞ待わたるあふ坂の關、歸るさをよしや恨みじ春の雁さぞ古里の人も待らん轉じて推量の詞といへど。きつと推すべき故のあるか。又はこなたに引くらぶるものゝ有て。夫も此や論字斷截學古さもと直せるはあしけれど。句の聞は予も是に同じ此句は。其頃の風俗をよく述たり。其時代は人派手にして。伊達なる形容をなし。途中にて雨などに合たるとき。傘もさゝずぬれながら歸るをはれとせしなり中略取わき
うにぞあらんと知る心なれば。饒舌錄の方聞よしとソノヤウニゾト切テ思はる。扨此句のてにはのとゝのひは梅柳さぞ若衆哉女哉と三段に切れて留りの哉を一句の切とす。よく遣ひ給ひしてにはなり。同五丁メに饒舌錄といへる書は。詞の玉の〓といへる哥のてにはをあらはせし書を其まゝ俳諧のてにはに無理に合せし書なり。詞の玉の〓を用ひざる和歌者流もあり。いはんやこゝを以て俳諧を極むべけんやかく言れたれども。上の卷二十二丁に古人の語をつみて。和哥のてには俳諧のてにはとてふたつなし。是日本のてにはなりと書れしはいかにぞや。是は尊とき遺語也腰折の哉何鳥の卵か落し野松かな何といふ字をかと受てさて哉と留たり何といふ字をかと受て哉とは留らず。何鳥の卵か落いと。何の字を過去のしにて結び。野松哉と二段にとゝのへり。是てにはの定なり捨やとしの暮女のめがねすさましや如此上にてにはなき五文字を居へし。上に切るゝ心ありすさましやは切やなり。すさましと切たる下に置やなればなり。てにはなき五文字とは何事ぞや口合のや是や世の煤に染らぬ古盒子翁吟じてしるべし。口合のや。切字にもなるに限らねど此句は一躰の治り有故に切るゝ也。先にも出せし如く。口合のやは句によりて哉とも留るなり是や世のゝやは疑のやなり。染らぬと不のぬにて結たり。如此定りたる格をしらぬ故に。此句一躰の治り有故。切るゝといへるは。どこにて切たるやらしかとしらぬやうの出格なり五合帆に蚊もあらばこそ沖の月是はいひ放つ詞にして。こそを切字にせしなり。こそれの差別にあらず此をしへ殊によろしからず。抑こそといふ切字はなこそれ抑こそといふ切字はなしこそとのみあるは。こそに打合辭を省きたる物也らん留は上に疑の詞を置べし。さなくては留らずアラノ第三夕霞染ものとりて歸るらん冬文此句上に疑の詞なし。染物取てやとやの字を句中にこめたる也哥にはへ久かたの光のどけき春の日にしづ心なく花のちるらん。しづ心なくイカデ花のちるらんとィカデの詞をこめたる哥なりと。哥の傳にも見へたり。然れば。上にうたがひの詞を遣ふに子細なしかくいはれたるは。らんの事にくはしからぬ故の事也らんと句を留るに。上に疑の詞なくても遣ふなりらんは察する詞。疑の詞とのみおもふは違へり。桐の一葉らんの所にいへば合せみるべし。此句は。夕霞染物取て歸るであらうと察したる句也。又称麵とりて歸る哉と。かなにも通ふてには也。是に久かたのゝ歌を引るは意違へり。此哥は花のちるらんと。のよりかゝりて。らんと留りたり。らんと結びたれど其事を疑にはあらず。然る故をうたがへるてにはなり故に是も花のちる哉と。かなにも通へり。然る故を疑とは。花のちる事は疑にあらねば。花のちるかなと言意なるを。其やうに花のちる故をうたがひT 。何とて花のちるらんといへるてにはなり。夕霞の句とは意たがへり饒舌錄文化元年板本元木阿彌著此抄に上の五文字に置。冠のやともいふやの字。ヘ明月や、白雪やなど發句の題より受るやの字又名よりうくる、君が代や、曉やなどの。や文字を詠のやとし。此や文字を一向に切れずといへるは違へり。呂や文字はくさ〓〓の譯あり。有也無也の關。夕兒やの条にも。又此次にもいへり金十八灌佛や目出度事を寺參ス反考十九君が代や筑摩祭も鍋一ツナリ越人仝あかつきや灰の中よりきり〓〓すイツ淡ふかくのごとく。動かぬ詞にて留りたる下ヘカリィッと。一字入て手爾波合するを。十八のてにはといひ。二二·〇文化元年板本元木阿彌著
へ六月はといふべきを。六月やとしたるは五月にも七月にもあらで。六月に限るといふ事を。やの一字にこめて歎息也。此抄にもいへる如冠のやにて切るゝといふにはあらず。今の俳師かくのごと遣ふや文字を皆切るゝと思ふはひが事なり。もとやの字は切字にあらず。歎息したる所にて切るゝ也元日や神代の事もおもはれつ守武此句は諸集に。おもはるゝとあるを。此抄には。おもはれつと直して入たり。思はるゝにては切れざるにより。例の寫本にありとして。思はれつとせられしも中〓にあし。やは前に同じ。此句はおもはるゝ事よと詞をふくむ意。何のてにはにても。かくのどく。續きたる辭の下は。詞を含といふにはあらず。上へ返るも有。よく〓〓辨ふべし玉の〓の〓ぞのや何の。のゝ字の事をいひて春の雨日和になれば風のふく宗夏かくのごと引句を見せたるはのゝ正例なれど京筑紫去年の月とふ僧中間丈草字を十九。三字を二十のてにはといふ〓とは古人の說もあれど奔べし令A上かけはしや命をからむ蔦かつら翁△是は蔦かつら命をからむと切たりかくのごとくいへるはよからず。棧やのや文字はやの正義。命をからむにて切もするを直に躰言へつゞけて動かぬ詞にて留たり。かくの如蔦かつらを中へやり。命をからむを下へやりて、棧や蔦かつら命をからむにて切たりといへるはあし此句自他とゝのはず。別にいふべし令全六月や峯に雲おくあらし山仝前に同じ。爰にや文字の正義をいはん。棧やの句は棧に。六月やの句は。六月はとしてもよからんなれど。棧や六月やとや文字を遣ひたるは。棧は木曾の棧にて。千似の深き谷の上に。藤蔓などもて。からみ掛たる橋なれば。命をからむと作せしは余の所にあらず。此木曾の棧に限るといふ。あまたの詞をやの一字に籠たるてにはなり。是や文字の正義なり翁鳥籠のうきめ見つらん時鳥季吟此のはへぞのや何ののにはあらず。徒ののなり梅一りん一りんほどのあたゝかさ嵐雪變格といひて出したれど。變格にはあらず。うごかぬ躰の詞にいひなして遣ひたる一格なり山路來て何やらゆかしすみれ草翁此句てにはとゝのはぬといひ寫本に有とて、何かゆかしきと直し見せられたるはよろしからずやはり何やらゆかしにてとゝのへり。何やらは何とさすべき物なき故に何やらなり。結びにはかゝはらず。何|やらは何やらんなり俗語なり朝霧や宮より神も出るやうに朋水霜月や鸛のイならびゐて荷兮二句とも切字なしへ神も出るやうぞへならびゐつともありしを寫し誤たるならんといはれしはよろしからず。句意は朝霧やと言て。題より受たる歎息のやなり。さてかく朝霧やと言て。すさまじき霧のもやうを。宮より神も出ますやらんと朝霧の註したる句作なり歌には常に言事。發句にも其題の、梅さくやへ明月やなどいひて。其もやうを思ひ〓〓に註するは常の事なれど。此註するといふ事は。俳師の〓へに言ざる〓となれば。いかにと思ふ人もあらんなれど註したるが常に多き物なり。是一ツの句作の目安なり。朝霧の句のてにをはの事は。宮より神も出るやうに見ゆと辭を含て聞もよし。又神も出るやうに見えたまふと一句心に添見るもよし。發句は字數すくなければ哥の例にならひて。かくのど作るは常の事ならまし總てに留て留は。上へかへると下に詞を含と二品あるは。てにをはの定たる法なり霜月やの句は直されたる如く。居つともいふべきを。骨折て居てと置れたるてにはなるべし。それを又ゐつと直されては。てにはの骨折見えずなりていかにテ·ハぞや。此辭の骨折。木阿彌には見へざるやうにおもはる。此事七部集の所にくはしくいふべし嶋むろに茶を申こそ時雨哉其角二ハ一論字斷截學古
此人數船なればこそすゞみ哉仝此句も寫本には、時雨なれ、すゞみなれとありで。此方よろしとあれど。此抄にいふ寫本といへるは僞なり此二句はこその下へよきと。打合の詞を含てかなと引留りたる句意なるべし。さなくては社と有て哉と留る例なし。欲得と有て。現在のきと結例は。古今集このかたにはなしとあれば好みてすべきにはあらじ。されど發句は字數すくなく不自由なる〓ともあれば。ゆるす方もあらんかし万葉に〓玉釧卷ぬる妹も〓あらばこそ夜の長きもうれしかるべきへなにはびと芦火たく家はすゝけたれどおのが妻こそとこめづらしき袖にこそちぎれ花折野分哉さればこそ花におもひし野分哉へしたにこそ人の心もうつろふを色に見せたる山櫻かな是は下にこそ人の心もうつろへと結ぶ意なれど下へ結びながらつゞくるには。人の心もうつろへをとは。いひがたければへをふに活かしをととて。下へ續たれば。下に胡ともいはるゝなりかくのごとく云れたるはあし。是は下にこそ人の心もうつろふをととびび。下は徒のかゝりにて哉と切たり。此をはものをのをなり。玉の〓にもかくのごと有を。木阿彌の見損ひて出されたり。前にもいふ上のへ明月や、白雪やのや文字。詠のやとして切れぬと心得違ひせられしより。此書を見て初學の輩大に迷ひし人有よし。此書所〓〓里語と目安を付て。願ひのなんはテクヘテクレヨ畢ぬのぬぬるぬれの里語はサシャルターなど元阿彌の書れしはいかにも初學の人には。大なる德をうる〓とにて。雅言を俗言に直し。手早くおぼゆるの術なれど。是は今より昔六十年ほど前に。かざし抄。あゆひ抄といふ書に。京の不二谷が始ていひ置れしを。元阿彌が生捕にし。詞の玉の〓をよくも見わかで柱とし編たる饒舌錄なれば。よき所もあしき所も雜ある書なり。明月や北國日和定めなき翁是はもやの意の疑のやにて下のきは結也日書翁かくいへどさにはあらじ。此やは稱歎のやにて。な|きは前にいひしがどしじねん此藪ふく風ぞ暑かりし野童ジ子ンコ本書には。じねんこのとかなにて書り。管といひて竹に病の付て枯たるを言り。皆赤葉に成ていかにもチ·暑き姿なり。然るをじねん此と書ては自然と此藪ふく風があついといふ事になりて。わけも分らず。發句にもならじかくの如人の誤をしかりながら。我もかく誤りしは。成元が、神田祭くぎゞぞへみかんの色と同罪なるべしかくいふ我臺〓抄も又是に同じ此やは稱歎のやにて。な|だにいへば切るゝと心え。やといはれぬ所にやと遣ひ誤る事多かり。やはは歎息のや、疑のや、切や。其外くさ〓〓のや文字有て。今の世に聞ゆる人の發句にも誤り多く有事ぞかし。何と疑ふ物にうたがひのやを遣ひながら。疑の意にならぬや文字の句作あPり。又治定したる事を自も治定しながら。句作には疑の意のや文字を遣へり。是今人の誤ならず古人の誤なり。古人の誤擧るにいとまあらず。グ今人の誤はいふ迄もなしわづかに七部集の內や文字の行ちがひたる所をつみ出してこゝに擧ソク寐道具の片〓〓やうき玉祭去來疑ふ事なき物を疑のやの遣ひざまなり。ゆゑに不和合此類いくつも有。此ぞは疑のぞにあらず。結ある。中のぞいふぞなり一袋是やサ鳥羽田のことし麥之道鳥羽の麥か。何所の麥かはしらねど。大かた鳥羽の麥であらうと察したる句ならば。是やといふ格なり。此句はさにあらず。前書に麥の粉を土產にすとあれば。かねて鳥羽の麥としりてゐる麥なれば。是やと二八七部集の內てにはとゝのはざる發句集中へ春の日は。 炭俵はスへあら野はア。と句の上に印しつ。△印は切るゝ所。文字を此中に書たるは本文てにはのとゝのはぬ所。片はらに細字もて書たるは。かくあらましかはとの意いづれの俳書にもや文字を切字とをしへしよりやとサ
此や何れも切れず。又やの字。遣ふ所にあらず。常に人のよく遣ひ誤る所。皆かくのごと。切るゝかもじなるべし又是に二品有。後編にいふべし。是に似て正しきはァへさみだれにかくれぬものや勢田の橋翁是は切るゝ稱歎のや也。前のやと紛れ安し抑疑ふに。やと疑と。かとうたがふとのふたつはいとも紛れ安し。皆定りたる格あり。今も古も高名なる人の句〓を見るに。此差別なく遣ひ誤る事の多きは。扨も〓〓四ツノ杜撰なる事ぞと驚かしおくゾク、靑柳のしだれや鯉の住所一暖是は正しき疑のやなり。疑の結び有は。切るゝやと紛れねば擧ずか△芭蕉葉は何になれとやや秋風風路通何になれとやといふ詞とゝのはずぞーよ旅寢して見しや浮世の煤拂はせを巳かやの字居らず自旅寢して世の煤はきを見たる句ならば。見しへなとすべき格。人に問ふ句ならば見しかなるべし。見しやと疑ふすぢはなき句也ゐしだ△簑虫のいつから見るや歸花昌碧いひてはとゝのはず。是ぞといふべき辭なり。前のぞとおなじくがに通ふぞなり。一袋是が鳥羽田の麥といふ句なりぞ△サ今は世を賴むけしきや冬の蜂且藁や文字居らず。つむるぞといふ。ぞ文字の行べき所なり。前のぞとは又異なり。是を見てやとぞの行ちがひたる事を辨ふべしゾク流れ木の根やあらはる〓花の瀧如雪かス麥跡の田植やおそきほたる時許六テ喰物」や一門うり步行冬の月里圃やの字居らずかなり。是を中のかといふ。結びて切るゝ別なり。皆おしあて問ふかなり。喰物やの句疑のやとしたる說あり。然してはやの置所あし。かにて難なし。おしあて問ふなりサ山鳥のちつとも寐ぬや〓峯の月宗比かスけうときは鷲の栖や雲のみね祐甫かサ三葉ちりて跡は枯木や|桐の苗凡兆ソクその蔓〓〓西西上戶の花の種沾圃ササ路通ア宗祐凡沾比甫兆圃ア昌碧の小米花奈良のはづれ「や鍜冶が家万乎發句に切字なくてはかなはぬ事と思ひ。やとさへいへば切るゝと心え。何の差別もなく入たるやうのや也此やの遣ひざまよく有事也。たとへやの字にて切る〓とても。此所にて切ては句とゝのはず。續かねばならぬ所也そよ〓〓〓〓藪の中より初嵐且藁アちら〓〓や淡雪かゝる酒强飯荷兮此やもかなはず是に似てよきはアきぬ〓〓や余の事よりもほとゝぎす除風ソク折〓や雨戶にさはる荻の聲雪芝ア稚子やひとりめしくふ秋の暮尙白題に詠ずる物下る有ながら。上の五文字一句の要とする所なれば。や文字よく叶へりきソクすゝはきや御敷一まいふみくだ く惟然き松茸やしらぬ木の葉のへばりつくはせをアほとゝぎすどれから聞ん野ゝ廣き柳風さ何となく植しが菊の 白きかな巴丈二八いつから見るやといひては。てにはとゝのはずし や鶯になじみもなきや新屋敷夢ふきか△新屋數にて鶯が人になじまぬといふ心ならば鶯のなじみもなきかといはねば叶はず。人が鶯になじまぬといふ心ならば。鶯になじみもなしやとせねばかなはず。なきやにては切れず。總て如此見しや見ぬやなきやと續く詞より受るや文字は心すべし。皆疑の中に置やなればなり。や△ス秋風に蝶」やああなき池の上依〓是も疑のやの扱にてとゝのはず。秋風にといはゞ蝶のあぶなしとすべき格なり。148はソクタ立に傘かる家や眞一丁圃水(いく)前の句に似て異なり。やの字おらず。切もせず夕立やとして論なし。いはゆる稱歎の切やなりやぬけがらにならひて死ぬる秋の蟬丈草死ぬるにては切れず。歎息のやなるべしへ餅みかん吹革祭」やつかみ取。かくやの字を遣ひ誤れることむかしも今もいと多し此集にもサア且荷藁兮ス惟然はせを柳風巴丈ア
文字なるべし。ながらといふを〓の字に替て遣はねばならぬてにはなり。てはながらに通ふ右行ちがひたるや文字の条考へ合すべし。猶くさ〓〓のや文字集中句に見えざるは後編にいふべしもにこそ萱草は〓隨分暑き花のいろ仝もといふてにはにて。此外に晝兒凌霄百合などいろ〓〓暑きさまの花有事を余情にこめしものてには也。其中より萱草を見付出したる手がら有べしハ昌陸の松とは盡ぬ御代の春利重いひたき〓とあれど御代と有にはゞかりて畧えつサ鷄の聲もきこゆる山ざくら凡兆切字なし。桐一葉にいふ所なれば畧すサ鼠ども春の夜あれそ花靱半殘此てには前にいへば合せ見るべし。是にてはとゝのはずはアちるたびに兒そ拾拾ぬけしの花吉次きに物いはじたゞさへ秋のかなしさよ舟泉しかして上へかへるてにはなり活く詞を躰言に遣ふ一格。句のたけ高く聞えて。天然なる物なり。くはしくいはゞ。すゝはきに御敷一まいふみくだくといへば。何故にふみくだく事ぞ。ふみ碎かねばならぬやうの事にも聞ゆ。依てふみ碎く哉ともいはるゝ也。碎きとすれば若者の元氣に任タハムレせっ俳に碎きしか。怪我に碎きしにもなる。又句により。碎く。へばりつく。とせねばならぬ所も有スヘ竹の子や兒の齒ぐきのうつくしき嵐雪此句など。うつくしさとは遣はれずソク白雲「P垣垣をわたる百合の花支考白雲の垣をわたるやと切るゝやならでは不叶。又垣根の根の字も作には劣て聞ゆ。是非垣根といはんとならば。白雲の垣ねをわたるといはでは馬かりて竹田の里〓〓ゆゆくしぐれ乙劦是もよく人の遣ひ誤るやなり。此や切もせず。又やの字も居らず。ア連立や一従弟はをかし花の時荷兮此句は連立ながら從弟はをかしといふ句なれば。てハサ兆サ半殘是にてはとゝのサア吉舟次泉アてねぶたしと馬にはのら堇草荷分續く詞なるにより。然しては堇草が馬にのらぬといふやうなり里人の臍落したる田にし 哉嵐推なき事を有やうにいひたるは聞へたれど。しかして)は詞たらで哉と留らず。里人の落せる臍か田にしはといふやうならではけれど靑くとも木賊は冬の見物哉文鱗月に柄をさしたらばよき團扇哉宗鑑あの雲はいなづまをまつたより哉はせを杜若生ん繪書の來る日哉釣雪藪の雪柳ばかりは姿國探丸皆かなとゝのはず同集中聞えてさにあらぬ句〓てにはとゝのはぬやうにや文字のくさ〓〓△ア行人や堀にはまらんむら薄胡及梧の葉やひとつかぶらん秋の風圓解上下撫子や蒔繪書人をうらむらん越人桶の輪やきれて啼やむきり〓〓す昌房うたがひのやなり。切るゝやにあらずソク松の葉や細きにも似ず秋の聲風國やはのとも有たきやうなれど。秋の聲をつよく聞せんとてのやの正例也。ずは別格也ずしてずけり恨|みずや抔遣ふ。言結るずは又違へりサ夜神樂や鼻息白し面の內其角ソク鷄頭や雁の來るとき猶赤し翁白しは白き。赤しは赤き。とも有たきやうにおもはるれどさにあらず。霜夜のしん〓〓と物寂たるに。神樂の面の息見ゆるがどし。是句の魂なり。白きと遣ひては句をなさず。上のやは。くつろげたるやにて。やの正例なり。夜神樂にとせば是も句をなさず。けいとうの句も是に同じゾク明月や灰ふきすてる陰もなし不玉明月や遠見の松に人もなし圃水切字二所有やうに思はるれどしからず。かくのどきの句作。常〓よく有事にて。今も点取などの懷帋を二八七昌房サ角プ文鱗宗鑑はせを釣雪探丸アサア胡圓越及解人
やらんいひてもよき所ならんか。一ツいふ事をかくして遣ふ。てには此外にも數〓あり。其かくれたるをしらで。表にあらはれたる所をのみいひ。武士組非をいふは。童の如しと古學家にて笑へり。されど荷兮も此意もて作られしかはしらず馬ふんかき凩の松の葉かきと連立て野水是も前のてと同じ。意は連立つといふ句なるべしさなくては切るゝ所なし風流のはじめや奧の田うゑ哥翁(米)無菓花や廣葉にむかふ夕すゞみ惟然中のやといふ一格。切るゝやと思ふべからず羽春の野やいづれの草にかぶれけん爲紅(ロ) (計)野の宮や年の且はいかならん扑什佐保姫や深井の面いかならん鼠彈野の宮のやは正例なり。野の宮故元日にはきつと元日らしき事があるかいかならんと推したる句也佐保姫の句は是に似て少し違へり菜の花や杉菜の土手のあひ〓〓に長虹見るに。なしをなき。赤しを赤き。など加筆せし判者もあれど。そはてにはにくはしからぬ故の事なり猶次の條にいふべし初雪や門に橋あり夕間暮其角是も切字二所有て。ありはあるとせねばならぬやうなれど。ありといふも切字にてはなし。詞なりありとりの字に引れて。有%れる舞はととててのツ一と活て一ツの格となりたる物なり。其角はよく此事を知て門に橋ありと手づよく遣はれしなり。是に紛れて前の白し赤しは又異なり。白は白。赤は赤にて語をなせばなり。有はあと斗にては語をなさず大比叡やはこぶ野菜の露しげし野童七夕やあまりいそがばころぶべし杜若前になぞらへしるべし後へん又講説にいふべししきくのはたらき又一格有霜月や鸛のつく〓〓並び居て荷兮此ゐてはつむるてにて切也。ゐつといふべきを。ゐ|てと活したるなり。ての活てつとなる。又重ねてつ〓ともなる。つはての居たる也。是等は祕傳口授とアサシクサ童若アサフア長虹此類は下に詞をふくむ意ソク行としや親に白髪をかくしけり越人速蓮翹や其望の日としをれけり胡及行年に蓮翹も。ともにすべきやうなるを。やの正義を立かく遣へり。やの正義は切の事にかゝはらず一ツのてにはなり。されど此頃は此〓へ見えず。やと切ていはゆる二段切といふてにはにして見れば。行年の方はよけんなれど。蓮翹の方はいかにぞ聞ゆ。傳なくもかく變格にてとゝのひしは自然なる物也初雪やおしにぎる手の奇麗也傘下永日や鐘つく跡もくれぬなりト枝(マゝ)二句とも歎息のやにて切、たりなりは言放したる輕きてにはにて心なし。歎息のやとて。俳書の〓にいふかつな九はしゅららもらめしやはなかな々此類のみ歎息と思ふべからかなしや、物うさやなさけなやず。嬉しきにも面白にも感心したる時の事を歎息といふ。歎きの事のみにはよらず。かく同じ事幾度も言を。うるさしとなおもひそ。戀といふ事にも是に似し事有。戀の棄にいへば略。此事我友老俳に語き。不請こは古學を學びざるが故なり物好やむかしの春のまゝならん越人サ春雨や屋根の小草に花咲ぬ嵐席是はくつろげたるや也。切の論にかゝはらず松嶋や鶴に身をかれほとゝぎす曾良是も歎息のやなり。名所のやといふ名もをかし名所にあらでも遣ふものを右や文字のくさ〓〓是になぞらへしるべし。此外にもよきとあしきとあれど。うるさければ不擧 4640べし余は後編又講談にスこねかへす道も師走の市のさま曾良ゾク田植哥まてなる兒のうたひ出し重行アあゝ立たひとり立たる冬の宿荷兮スほとゝぎす啼〓風が雨となる利牛ゾク職人の帷子着たる夕すゞみ土芳此のはがに通ひ定たる結びにて切るゝ也肩つけはいくよになりぬ長閑也冬文七F大鏡日津守の哥としよんだんだんしそめせずしてありの浦に此うたの詞をつみしといふさも有べし。てにはの事は圖の二八九サ名所アア論字斷截學古ア
ア澤庵の墓を別れの秋の暮門松を賣て蛤一荷ひソク余所に寢て團子の夜着の年の暮ス踊べきほどにはゑふて盆の月鋸にからきめ見せて花椿なじませて鶯一羽としの暮サ常齋にはづれてけふは花の鳥アすびつさへすごきに夏の炭俵上下のさはらぬやうに神の梅からながら師走の市にうるさゞいサ雜水の名所ならば冬籠待中の正月もはやくだり月スみな〓〓に咲揃はねど梅の花サ此暮も又くり返し同じ事ア曉をむつかしさうに啼蛙いそがしき春を雀の柿袴ア柿のなるもとを子供の寄處ハ霜寒き旅寢に蚊屋を着せ申ア玉敷の衣かへよとかへり花變格にて此なりはにありのなりといふ俗にどく二重にとゝのへり長閑ぢや長閑であるといふ心也舞姫にいく度指を折にけり荷兮同大かゞみに元日より白馬踏哥端午豐明と五度也爰にて治定したればけりと留りたる物なり。古往今來珍らしきてにはにて。中〓凡慮の及ぶべき所にあらずと書れしは。此作者てにはにくはしからぬ故の〓となり。古學にては變格として常に遣ふ珍らしき事にあらずをしむらくは此句。。舞姫にいくたびもと。もの字あらば。いく度と察したる詞は濟て。五節の事も慥に含めり。是又字あまりの正例也。凡慮に及ばぬといふ程のてにはにてはなしア文內支李嵐知千其昌越其揚野杉越洒利如荷鱗習考由雪月那角碧人角水坡風人堂牛行兮系大書俳本日アサアサ同集中定りたる切字なくしてとゝのひたる句サ藏ならぶ裏は乙鳥の通ひみち凡兆、うき友にかまれて猫の空ながめ去來、欄干に夜ちる花の立すがた羽紅おちつきは魚屋任せの櫻狩利牛ゾク伏見かと菜たねの上の桃の花雪芝、アハア右に擧たる句〓定りたる截斷字なし。上のかゝりてにをはばとどものよりかゝり。下は動かぬ詞にて結たる物なり。のよりかゝるのゝうち。ぞに通ふのあり。がに通ふのあり。にはのに有。物をのをあり味ふべし。皆徒のかゝりにて下に請る切字なければ。是等を元祿のをしへには玄妙心の切無名切中の7切 挨拶切。に囘しを囘し或は天ぢやの地ぢやの挨ぢやの拶ぢやのと言て用に立ず迂遠なり。皆うち捨T。安き古學にならひ給へかし袖すりて松の葉契るけさの春梅古さま〓〓の過しをおもふ年の暮除風初雪にことしも袴着て歸る埜水ちり椿あまりもろさに繼で見る野披百姓も麥に取つく茶摘唄去來人に似て猿も手をくむ秋の風珍碩是等の句前に似てさにあらず。定たる切字あり〓にいはざる所なれば其一二を擧いろは四十七字皆切字といふ說古人曰。いろは四十七字皆切字なりと。古人は誰去來抄曰先師曰。切字に用る時は四十七字皆切字なり。蓼太が雪の幸に幽齋法印。白雄寂葉には許六云とあり。こは古人の說あるを。許六のいはれしなるべし。支兀がいろは切には羽官と有。羽官何人かしらず。此事あれこれの書にも見え。予も若き時より聞し〓とながら。いかにおもひめぐらせども。あまりあらきをしへにより用にたゝず。たま〓〓老たる人に聞ば。遣ひやうによりて皆切字ならざるはなしなどゝいひて蒙朧たり。今は昔三十年程跡。切字四十七字辨といふ物有。おの〓〓引句を擧。折本にし書肆に出たり。今求るにさらになし。近頃それに類し。いろは切といふ物あり。此書わけもなきひが事をの二〓み書載たり。是等の書爰に取出いふべくもあらねど。四十七字皆切字といふ事を頑に思ひ信じて。かくのごと板本にさへ出したれば。初學の人〓天疎のたれかれ。十人に一人は。是等の事に心迷はさる〓もあらんかと思ひて二九一アス論字斷截學古サ
へいろは切に羽官曰。伊呂波四十七字ひとつとして切ざ句に作りて見せたるはるはなしと有により。イちるに咲花の文臺二見浮夜をそゞろ身に初秋の天津風(カ)ハ黑かちも實角刀取の身のこなれ夕立の物くづる〓と見えてゆくルうきも春めでたの空を雨に風ワ我三ツ輪ぐみも果さぬ氷風ウ草庵に搗米五斗としの暮もまれ〓〓裂る松がえちるふゞきオ緞にらん橫にうゐのお窓の秋走れ馬麥刈空の片くもり文臺のいの字。春のるの字。かくのごと。くづるゝとのとの字。松がえのえの字に。印を付。是を切字とせば。いかにも四十七字皆切字ならん。中にもをかしきは。うゐのおのおの字。此字外に切かたなかるべしと傍註せり。まの字は不切。走れのれの字の力にてまの字切字になると せせり。松がえ此え誰どのへなどいふへなり。へと系大書出たるなり偖いろは四十七字。皆切字なりと〓へしを麁きをしへと言下す故は。五十韻五十字の內い引えの文字ふたつ宛あるを一ッ取のけ。高野大師の作りたまふ。いろは四十七字殘らず切字といへど。切字にはあらずかなもがなけりらんまし のどく。二字三字組て切といふにもなれり。又一字にて。くすいふむる判加ぞなども。〓〓は咲すは任と。上の活きによりて切となる。や이かぞなども。上のかゝりによりて切となれば。一字にて切るゝといふ文字なし。四十七字皆てにはといはゞ麁き內にも論すくなからん。此てにはとおいうえおの五文字はてにはに遣はいふうちにも。いいしいえは。又わからず。遣ふのは。や行うはわ行也。の三字も遣はざれば。てにはと言も四十七字の內彼これ四十二字には過ざるを。皆切字と古くいひ傳しよりあらしといふ也然るを皆切字とかたくなに思ふにより。さま〓〓のひが事も出來て。板本になりたる其始に。是も手爾於葉と書誤る。支兀支考が門葉ならば。支考は古今抄に手爾遠波とかゝれしものをハルワウオ通ふといへり。つたなきにもかぎりの有もの。かばかりの事は。彼支兀が俳友の內にも誰か有て。早く絕板すべし抔諫言も有べきに思へば彼連も皆心よしと見えたり。かく思ふなかに大宗匠と名乘老人此書の跋に曰いろは切は支兀が切字をあらたに句作せし也是はかの四十七字皆切字なりとあるにもとづきての巧言と見えたり。いづれも初心の爲には錦囊の賜開卷有益の先言見ずんば有べからずと書添しはいかにぞや。此外にも書くにいひたき事あまたあれど。いかに我門の初學の爲に道を〓へんとて。我に敵をもとむるやうになりてもと筆をとゞむ
顧系大書俳本日俳諧茶はいかいさ話わ言
刻俳諧茶話序〓惠雪のあした月の夕每に師が庵を訪ふて、誰彼が書集めし茶話を、こたび同門一柯の上木するになん。こはもとより一時の問に應ぜしまでの事にて、猶あたらぬ解の多か(一字闕)るべけれとて師はゆるさゞれども、壁に耳あればら高野の餘所にもれて、人〓が貸してよと望まるゝも詮かたなし。やがて魯魚のあやまりも心苦しと、ひそかにかくははからひしなり。かの茶てふものは、よく人の渴を止むるなれど、あながち茶のかはきを止むるにはあらじ。堀井の水のよければなり。茶話も又よく俳諧の渴を止めんや。是茶話の渴をとゞむるにあらず、蕉翁の眞流を汲めるによれり。さはいへど、人の口にはあふや否や。我もしらず、師もしらず。後の陸羽を待んとす。嘉永七年彌生不物菴許一述俳諧者小技也。然且有道存焉。詩也歌也連也俳也、雖各異其名而其致則一也。是故四者皆至其精妙之域、則感鬼神動天地矣。無他晋子所謂句中之魂吏之能然耳。譬如風雲月露及人物禽獸山海艸木無一而不俳諧中之物也。今人動輙以俳諧爲戲玩、遂至僻慮邪思而隨、落于俳之魔道。悲夫。我東杵顧言先生、盖刀圭之暇、値雪曉則嘯其皚〓、値花晨則吟其都〓。或誦月之〓輝、或詠霜之嚴肅、賦煙霞歌雲霧頌〓〓風。而歡欣憂苦愁悶悲傷發之言舒其情。然皆不失蕉翁之遺韻。且以其道諄〓諭其門人。吾儕從而筆之輯成一卷、名曰俳諧茶話。今又刻之以省膽寫之勞云。嘉永甲寅四月佛誕日こはもとよめるによれり。もしらず、師もしらず。可磨齋一柯誤再書保慕義卿嘉永七年彌生誹諧茶話二九七
門と臂を張り、別派也と心得んは非が事ならん。一問云、貞德·宗因はいかゞ。蒼貞德·宗因は蕉翁の風にはあらず、是は一派也。其作意みな本歌に俳諧歌あるが如く、其頃狂歌とてもてはやしたるを移して、連歌の狂句を宗祇の門人宗鑑作り始めし也。次で伊勢の守武、專ら是を世に弘めたり。その後松永貞德、此一風を盛に興して、御傘といへるものを著して、その式を連歌に習ひて、連歌に二ツのものを俳諧に三ツとゆるべて用ひられたり。餘もそれに準じて差別を立たり。是よりして俳諧の式始て定まれり。されば歌の俳諧体より連歌の俳諧体興りたる也。夫は宗鑑が老て思ひ付たるなるべし。同時に守武壯年にして此才に長じ、今も守武千句といふ書刊行せしもの殘れり。眞僞はしるべからず。宗鑑は師の連歌に及ぶ事あたはざるを看破して、別に洒落に作り出したる也。さるによつて筑波集井師の新筑波に習ひて、犬筑波といへる集を作りたり。則その名はや俳諧集の名に成たり。爰に古人の風流は深きところありてその俳諧茶話東杵菴顧言先生口述門人筆記一問云、當時蕉門·雪門·其角坐、其外にも一派〓〓有て各〓自門他門と申事、いかなる趣意にや。一貫、詩人唐に比し明に擬し、あるひは宋元に比する、作者詩家の常也。皆その繩墨を出る事あたはず。我が俳諧に至て又しかり。貞德にあらざれば必ず宗因を稱し、芭蕉にあらず其角也と稱し、伊勢·美濃·雪門·杉家·葛飾と一派〓〓にわかれたれど、他門はしらず其·嵐·杉·素は蕉翁の風を學べるものなれば、伊勢も美濃も同じ流れの水とおもふに、門戶の別〓〓になりたるは、その人〓蕉翁沒後に、おのれ〓〓が見識を立て〓えしまでの事にして、別に趣意あるにはあらず。されど其門人流傳して、おのづから一派〓〓のやうに云なせる事、是自然の勢ひしからしむるものなれば、唯それのみにてうち過んはよかるべし。こと〓〓敷自門他味ひあり。一問云、許六が滑稽傳に、守武·宗鑑と次第したり、いかゞ。一貫、いかにもさう也。され共宗鑑、實に俳諧の權興也。守武は是に次て行はれしもの也。宗鑑は隱者也、守武は伊勢の神職也。世に立交ると、世をいとひたるとの差別ありて、宗鑑は守武の跡に付たるやうに世の人〓〓思ふ也。一問云、晋子の句は解し難き事の多きに、幸に空然翁の五元集小觿ありて、あらましは分りたれど、いまだしかと會得せざる句共まゝあり。先ヅ、日本の風呂吹といへ比叡山此句、小觿の註に、日本天台根本三千坊ノ比叡山といふことを斯興じたる也とあり、いかゞ。一六、小觿の解は、たゞそのあらましのみにて、猿簑·炭だわらの注解のやうに委しくは書れぬなり。されば其餘意を愚案だけに說キ申べし。此句は晋子が句の中にても殊に解し難き句也。空然、始て此註を下せり。扨比叡山は、傳〓大師唐土の天台山に受法して皈朝の後、延曆中に日本へ始て天台宗を弘る根シ本シ最初の山也。坊數三千坊あり。是よりの作意にして、晋子が弟子淡々なぞが好みし句風也。世に謎句といふ。されど晋子が滑稽酒落より出て一興の句作と知るべし。坊の字、ぼんと讀の例也。されば風呂吹の句にはあらず、比叡山の句也。それへ風呂吹大根の酒落はたらきを見るべLo三千本の風呂吹と心裏言外に見えて、日本の二字動かずと知るべし。一問云、いざよひや龍眼肉のから衣此句、小觿の解に、十五夜明る迄月を賞玩して十六日の夜は、もはや專一と見る所の目もつかれたりといふ句なるべし。夫を例の酒落に龍眼肉のから衣と作りたAco.龍眼肉とはよくも思ひ寄たる手段、文字に力あり云〓。其文字の力といふところいかゞ。一貫、此ものゝ肉こそ藥にもなれ、売は不用のものなれば、我が眼もきのふは月の肉をよく〓〓詠めたり。今二·九守武·宗鑑と次第したり、いか俳諧茶話
は眼も心も草臥たれば、龍眼肉の売も一樣にて十六夜の月はきのふの賞に及ばずと也。仍て龍眼肉の文字に力ありと云れたる也。一問云、一問云、氷肌玉骨とかや昔見し花にも香にも梅の皮此句いかゞ。一貫、氷肌玉骨は李益が靑梅の詩に、靑梅如シ豆ノ試ミニ甞ム新ヲ。脆核虛中未有仁。勘ミニススメバ〓香香藏スル白ヲ處ブ。氷肌玉骨是レ前身。と是也。句意と題書とよく味ふべし。昔は氷肌玉骨なりしも、今は枯瘁の老木なりといふ意也。梅の皮とは力ありて尤絶妙といふべし。猶小觿の注にて見るべし。一問云、芭蕉翁の沙彌かけものほしがりて、繪讚を乞けるにせめてもの貧乏柿にんめの花此句、いまだ會得まいらず、いかゞ。一貫、小觿にいわく、蕉翁の沙彌乞けるに井〓〓なるもおかしからず。扨、歌人の家のこのみにはと心寄たれば柿ひとつ〓がきて、人丸の垣ほの柿·窻の梅と讃したるなるべし。貧乏柿とはあやしき垣と云んとなり。有〓梅山家得春の意也。通小町の謠曲に、歌人の家のこのみには、人丸の垣ほの柿、山の邊のさゝ栗·窻の梅·園の桃といふを取て一作せし也云。今案ずるに、柿·垣·書、三字いづれもかきの訓ありて皆その意を含めり。餘響猶味ふべし。實に作中の作人と稱せられしもむべ也。芭蕉庵をとひて鶯や十日過ても同じ梅此句いかゞ。一貫、端書にて思ひめぐらすべし。鶯はもはやはつ音を啼に只此梅は、すでに十日を過るといへども猶同じ姿にて、いまだ得開かざる花あり。されば老木とは聞ゆ。扨小觿に云、其角おのれを鶯に譬へ、翁を梅にたとじ梅へし也云。此解にては其角が自負のやうにも成るべくや。愚案にては只翁をさして作れる句なるべし。しからば翁平常趺坐靜心自若の有さま、無爲自得、三百六旬猶一日の如し、と言外に深く味ふべし。一問云、うぐひすに藥〓ん聲のあや此句いかゞ。一貫、鶯は聲をもつて人に賞せらる。人間に音聲をよくする藥あれど、鶯に音聲の藥なし。もし鶯によき藥を我知りたらんには、此うへいかなる妙聲も發せしむべきものを、人と飛鳥と生を隔つれば、只此鶯を聞く度に歎息すと、酒落せし句意なるべし。あやは文にて猶ツ艶といふが如し。一問云。腕押のわれならなくに梅の花此句いかゞ。蒼人は欲あるゆへに爭て衆人に冠ッたらん事を欲すれども、此梅は無心にして、おのづから百花の魁ともてはやさるゝ也と、觀想の意にして、腕押は俗に腕だてといふが如し。猶小觿の解にて味ふべし。一問云、鶯の身を逆には つねかな此句いかゞ。一貫、うぐひすの立春に至りて樹上に來り、轉々反側してはつ音を發するは、まさに人の聞あらんを欲するに似たり。一聲旣に發すれば人皆これを賞す。凡物事歎賞を得るには劬勞して始てこれを得る也。角が句を作るも亦然り。身を逆にとは、一聲すでに力を務むるの意也。句の頭書に止丘隅とあるは、鶯は其とゞまる處を知りて、かえつて人よりもまさる事のあるものをといふを表せり。猶小觿の解見るべし。一問云、ねかな俳諧茶話茶物にとまりたる繪にうぐひすの曲たる枝を削けん此句いかゞ。一貫、鶯の曲たる枝は餘の木にてはなく竹をいふ也。三〇〇其
し。上林某などの旅寐の頃を思ひ出せし句也。一問云、茶もらひに此晩鐘を山ざくら此句いかゞ。一八、小觿に、茶もらひ一服と所望して腰うちかけて休ては、此山櫻の入相の鐘撞の風情を見んが爲也といふ句なり。入相の鐘をやまと縣言葉に取たる手爾葉也云〓。此句唯吟じたる斗りにては、初心の聞得がたき手爾葉也。惣て句作のこなし、理屈より出てその理屈、道理をのがれて一句の姿をなすは、晋子が句作の强みを覺えて自由自在の手爾葉をあやつるべし。句の善惡は時に取て出來不出來あれども、こなしの自在なる事。實に蕉翁の高足なるべし。扨此頃初心の句に、鎌倉に杖の集る十夜かなといふ句を作りたり。是にては年寄の多く集る事を理屈に云立たり。されば句とは云がたし。杖千本の十夜哉と一直してこそ、理屈を離れて發句の姿は出來たり。されば初心には聞得る事かたくなるなれば、古人鶯の踏〓曲たる竹を以て茶抄を作りたるやらん、さなくば今又來て此茶抄にとまりはせまじと打興じたる意也。一問云、登山口こよひ滿り棹のふとんにのる鳥此句、待乳山よりの眺望、眼前体也と小觿に注あり。猶こまかに承り度。一貫、こよひ滿りといひて十五夜を含めり。月光あきらかにして白晝の如きに、烏もいまだ森に歸らずして、猪牙舟の小蒲團に人なきをうかゞひ寄りたる樣を句作れる也。棹のふとんといふにて舟を含みたり。晋子が句作如此所多し。よくその境に入らざれば聞得る事かたし。一問云、しかぞすむ茶師は旅ねの十三夜此句、小觿に、是は宇治の茶師といふ事を、鹿ぞすむと句作れる也とあり。其外に何ぞ意味ある事にや。一貫、別に子細はあるべからず。晋子の滑稽大〓斯の如の手段は初學の聞得ざるは元よりの事と心得て、よく其句を聞分るやうに執行すべき事肝要也。古事に據り歌を引き、あるひは詩を引きたる句は、その事にたづさはらざれば聞得る事ならぬもことはり也。さまでもなき句の聞えざるは、此道の執行·師傳の元手薄きゆへと覺えべし。一問云、晋子が書れし終焉の記を、世の中に枯尾花の序といふは誤りにて、文体も序の格にあらず。されば宗祇法師の終焉の記によりて書たるものにや。一貫、さも有べし。元祿七年十月十八日、此日翁の初七日にて百韻興行あり。右の集を枯梶花と標題す。其集の始にこの終焉の記を出せり。依て世に枯尾花の序と心得たるは實に誤也。猶文中に、愚かに終焉の記を殘し侍る也とあるにて明か也。一問云、終焉の記に三更月下入無我といふを、宜麥の註に、入無我は入我·我入對したる所の一体也といへり。いかゞ。一貫、宜麥の註當らず。そは江湖風月集卷一、三山ノ偃溪聞和尙の偈に、路ニ不資粮ヲ笑テ復歌〓。三更月下入ニ無ー何一。大平誰カ整ヘン閑戈甲。王庫初ヨリ無如〓是刀。と是也。其角、暗記の一失にて、何を我に書誤りたる也。一問云、曠野集に、蓮の實のぬけ盡したか蓮の實か(マゝ)越人此句、ある人の說に、越人、素堂亭へ行に、例の蓮池より蓮の實を取りてもてなすに、皆くひ盡して、ぬけ盡したる蓮の實がもうないかと、馳走を忝くするの挨拶也。物を殘すは不敬にあたれば、かくは興ぜし句作也といへり。いかゞ。一貫、さにはあらざるべし。越人が素堂の所へ行て蓮の實の馳走にあひたるにもせよ、皆喰ひ盡して、ぬけ盡したる蓮の實がもうないかと、馳走を忝くするの挨拶也とはおかしからず。愚案にては、蓮は花の〓香なるもの也とも云て、佛家その〓香を愛して、專ら蓮花を玩びて佛坐とも成し、又淨土の池中、其花の大サ車輪の如しとも說り。唐土には美人の顏にもたとへたり。三〇三俳諧茶話そは江湖風月集卷一、三山ノ偃溪
一貫、それは〓歌仙といふ書の序に、芭蕉の俳諧三百五十卷の中百五十卷は僞作也と、宜変が自筆にて書れたり。猶又別に其僞作の卷、一句每に凡俗也、精神なしなど評してあり。是も自筆にて書れたり。其書もいつぞや見すべし。實に宜叟は卓見にして、凡眼の及ぶ處にあらず。一問云、古來傳書に百韻四花八月のうち定坐を立て、みだりになす事を禁ず。それは月花の景物、連俳の眼目なれば、短句にさせまじき爲也といへり。右の如く心得てよろしきや。一貫、しかなり。宗祇法師なども是等の事云置れたれば、さる事あるべし。しかれども蕉翁の俳諧は、宗祇の連歌を本として俳言を用ひ、連歌の式を取て連歌の式を用ひず、規外の有規·規中の無規と深意より出たら。規を守る時は連歌一轉の俳意なく、規を守らざる時は俳諧の連歌といふ意なし。されば四花八月は、百韻の式なれば缺く事あたはず。されど長短句の差別なく、時宜により差合·去嫌の場をよく見定めて居ゆる芙蓉"不及美人ノ粧といふも、其蓮花の〓香の、かたちよりはまたまさりて美人なりといふ事也。芙蓉といふは卽ち蓮花の事也。今いふ芙蓉は木芙蓉といふもの也。素堂は山口氏某の隱遁したる也。かの謝靈運が癖を傳へて蓮を愛せり。蓮菴と云、素堂といふ。尤白蓮を愛せしと見えたり。其氣性〓潔たる、推して見るべし。その素堂に對して、越人亦其向上の趣意を句作れり。其ゆへは、此〓香淨潔の蓮に實の多くみのる事こそ本意なけれ。されば蓮の實は皆ぬけ盡して跡かたもなく、売ばかりに成たるが蓮の實の本意であるかといふ句作にして、尤蓮の實情を尋出し見附出したる向上の趣向也。唯ひと通りの挨拶·洒落の句にてはあるまじ。朝顏や此花にして實の多きといふ句をもつて解すべし。此句、作者忘れたり。のづから句意明か也。一問云、祖翁の附合に僞作ありと、し、さやうの事にや。お宜麥が申されたるよ也。依て蕉門に月花定坐といふ事なし。唯表には月なくてかなはず、裏に月花なくてかなはずと知るべし。されど今時の老俳、片腹いたき事どものゝしりて、祖傳の師傳のと口走るやから多ければ、猶わが覺えたる證句一二をいふべし。○花摘表四句目ニ月川舟の綱にほたるを引立て曾良鵜の飛あとに見ゆる三日月釣雪○伊達衣名殘表十句目ニ月伽になる島鵯の餅をしたひ等窮四五日月を見たる蜑の屋栗齋○ひさご表六句目ニ月紫蘇の實をかますに入るゝ夕間暮珍碩親子井びて月に物くふ仝○同集裏十句目ニ月花結ぶ旅姿稚き人の嫗つれて路通花はあかいよ月は朧夜仝○桃實集 名殘裏三句目花人目にたつと引なぐる珠數酒堂一息に地主權現の花ざかり其角○句兄弟名殘裏四句目ニ花老たるは御簾より外に畏り芭蕉花の名にくしどこか楊貴妃彫棠一問云、や哉やけりの事は、猿簑逆志抄にて會得いたしたれど、疑のやと申はいかなる事にや。蒼、やの字、上下の味ひにて詠とも疑ともわかるゝ事也。よひの雨しる、や土筆の長短か闇指かれはてゝ名にも耻(ずや女郞花杉風Qすこ〓〓とつむ(や摘まずや土筆其角夕やみは螢もしるや酒ばやし水鷗すゞし、やとむしろもてくる川の端野水これらはいづれも疑のやの正しき例也。らつたれなになど云詞の下には、やはつかはぬ例也。かは遣ふ也。たとへば、いつからかみると遣ふ也。けうときは鷲の栖や雲の峯祐甫8.18酒其堂角曾釣良雪等栗窮齋珍仝碩路仝通祐甫
內藏頭かと(イートよぶ聲はたれ乙州名月や富士みゆるかと(思フテ駿河町素龍盆の月ねたかと、門ちをたゝきけり野坡これらのかとは、みなカト見テカトキ、テカトシテなどのカト思フテカトイフテ心也。一問云、中のやといふあり、いかゞ。ーサ中のやに二例あり。下のうち合せを畧すと、畧さぬと也。中のかに同じ。(永き日(やけさをきのふにわするらん荷兮ガ子やまた(ウんあまり雲雀の高あがり杉風レルダロウカたふとさのなみだ「や直にこほ(るらん越人是等皆中のやの正しき例也。又畧せる例ならば、さみだれにかくれぬものや勢田の橋(tips)はせをたびねして見(じや浮世の煤掃(ナラン仝名月に麓の霧や田のくもり(ナラン仝梅白しきのふ(や雀を盗まれ(しカ仝象浮の雨、や四施が合歡の花(ナラン仝夕立に傘かる家やま一町(アルラル)圃水是はかといふべきを、やにあやまれる也。春雨のあるかや軒になく雀羽紅柳よき陰ぞこゝらに鞠なきや重五これらいづれもかと云て叶ふ句也。又かは問ふ心也。やはおもふ心也。奧山はあられに減るか岩の角湍水千子が身まかりけるをきゝて、みのゝ國より去來がもとへ申つかはし侍けるなき人の小袖も今や土用干芭蕉らんけんなど置べき所も、みなはぶきたる例のみ也。これを中のかといふ也。但し略すると略さぬと二例なり春の夜はたれか初瀨の堂籠りChert曾良いく人かしぐれかけぬくせたの橋〓丈草たれ人かこも着ています(花の春〓はせを天井まもりいつか色づく(ラン去來夕立にどの大名か一トしぼり(ナルラン、傘下是等にて知るべし。又、湍水畧さ兮風人水ながれ木の根「やあらはるゝ( とう花の瀧如雪風流のはじめ、や奧の田植唄(ナラン芭蕉すみれ草小鍋あらひし跡やこれ(ナラン)曲翠たの〓〓〓〓鴈ゆくか白子若松芭蕉山やかきね〓〓の酒ばやし龜洞花(サキツラン€麥跡の田植やおそき螢どき許六見おぼえんこ(し方やあらたまの年の海(長虹やいづこ、五月のぬかり道笠島芭蕉(ゝゝ(スルラン水鷄なくと人の いくは、いへばやさや廻り仝是等の類也。一問云、よの字の義いかゞ。一貫、よの心は上の詠のやの眞反也。五十音ヤとヨと眞反也。やはむかふへとゞかぬ心、よははなののとの方へとゞかぬ心也。いなばのそよといふ人のなきなどよめるそよは、俗語にソレヨ〓〓といふ心也。此故にこのよはあり過たる事を思ひかへすほどの心也。これその今の場よりは、うしろの方にて循せられぬ場となりてある也。こゝの差別よく辨ふべし。これを知ら雪蕉翠蕉洞六虹蕉ぬやからは、〓思はずよ〓、うらみずよなどゝ、心得もなく常によむぞかし。此心ならで此よくを用ひば、あたらぬ所もいでくべき也。やとよとよく味はゞ、眞反なる事手にとるが如くなるべし。ちる花は酒ぬす人よ〓〓舟泉ちる花はあはれなる物とのみおもへば、酒ぬす人とは、人〓〓心もつかぬ事を歎息せる心也。この心をもてやと眞反なる事をさとるべし。一問云、詠のもといふはいかゞ。一貫、あか〓〓と日はつれなくも秋の風はせを笠ぬぎて無理にもぬるゝ北時雨野水またも大事の鮓をとり出す去來是皆詠のも也。一問云、なの字の義いかゞ。一貫、此なは物の持合の他のをよばざる歎息也。たとへば飯を食する時、そへてくふ物を俗には菜といふ。いにしへは是をなといへり。そのいにしへなといひし一〇七はせを野水去來
俳諧茶話終がゆへの名也。くあたれりにしへによ是等の句にてもさとるべし。心はしるべし。名の義も飯とよく持合て、に、たれど、ばかり殘りて、ふは、を、落葉かく身はつぶねともならばやな二日にもぬかりはせじな花の春いにしへのなといふ義にて、むざんやなかぶとの下のきり〓〓す飯にそへてくふ物の名也としるべし。音にて後世はサイといふなるべし。さにあらず。さればなといへば、野菜の事とのみ世には心得魚肉をも野菜をも押くるめていふ事、これひとつをもても、魚にはいはぬやうになれり。すべてなとは、他の菓子などはおよばざる今なといふは野菜の方になといふ詠嘆の魚肉·野菜ともさて今越此なといふ仝今サイといふはせをはかへつていすなはち人茶とい靑炎降ぬけて爪琴に夜も霞まれて春雨を我がもの顔のわら家朝兒のけふもひと重に咲にけり磯の香に四五丁醉ふや小春風秋近う成りぬ寐おくれ起おくれ鶯寒名月が春は朧でおもし目むつみあふて夜は氷るらめ鴛二ッけふの月さて夫からも待れける藤の花眠し〓〓と 鐘の柳天梅印の來ややや吹豆客柳ヘ戾ろ野みちる一木井のをま占際立ちの飛水の込ふけの新疊ヘぬ雪む天春のがのののろみ隣鳴中河月し心畑哉る哉女女顧柯壽宜汝惠柯秋智素一靜一景旦越仝はせを人言正扇麥柳雨月良光學仙雅柯里山人素學が、過るころ、たるに、かの禪師が唐茶の鍋煎はいさ知らず。ろそかには吹まじと、ツの德とやいはん。〓、二三子が早くもよく悟りたるは、莖長に卷末へ書つけ侍りぬ。爐中の塘をかき立つゝ、松尾の松の千代かけて忍川巢の、そゞろに自慢顏して、されば此けぶりには、風話の耳にとゞまり素汝村が稱嘆せる六番茶の澁の出流れ學落花の風もお氏より育つ山吹の盛り橋越せどもとのひとりよ寒念佛武藏野のうけらが花歟雨後の月ち試瓜むけばはや松風のそよぎけりうぐひすやくつろいで來る跡の聲市の雪積り直して暮にけり駕產毛剃る手元へ來るや冬の蠅下りて朝凉拾ふ繩手か心には松島書んほとゝぎすあらかねの土に成る身をに水もゑら落ついた日の暮やうぞ濱の花撰む心もつかであさ明月や水見とめればもとの折取て尾花かざゝん鱸か輪かざりをほぐれて來たり春の風蓬萊や見勝手もなく思はるゝる人〓〓の書留の櫻既に彌內より四時の吟撰ま生も吹濟す出ぬ新茶し厚な衾哉秋櫻空なし三·〇三〇八女爲李柯杉記月蘆東柯下總樨言空許柯白改顧吟柯埜水蝶明宇月草舟和丈柯蘭宜一タ蛙調熊
系大書俳本日不白翁句集はおら
不白翁句集敍金剛劍本-邦〓之和-歌"猶如シ中-華ノ之詩ン也凡ッ有ルバ感ニル〓於情一必形ニル於言一奚シン謂ムシャ異下さ於其ノ撰ヲ乎哉和-歌ノ之道岐レテ而有シ聯-歌有ヲ俳-歌亦"如"詩詩詩ニカシカ古-風近-體然ッ其ノ溫-柔敦-厚優-遊不-迫ナル「此ル愈ニル「於彼一リ也遠シ矣蓋シ藉シ本邦之之-情使之ニ"。然。焉耳斯ノ集、者蓮-華老-翁良-辰美タ弄一)花ヲ嘯4月ニ所ノ寓ニル〓ヲ于俳-辭一之麗-什ナリ也翁雖ニル固不一用ニ意ヲ締-搆一乎其ノ天-然ノ韻-致可ニ挹ノ而知一矣自壯至老ニ前-後ノ諷-咏無シーノモ留ムル稿ヲ者矣振〓〓〓亭〓主室_邇フ交_密ナリ談及ジ#ハ俳-事一則隨レ聞聞1記記レバ輙ヲ整-然トノ成ひ卷ヲ翁ノ令-嗣日-〓------〓-主ヲ珍-襲スル〓不唯〓弊-〓千-金ノミニ遂ニ謀シ上ヒ〓梓〓廣ノ布シト同-志一顧テ徵余ニ辨-言ヲ夫レ翁ノ之德ノ之劭チル也實ニ足レッ不ル"朽ニ千千-載(豈ニ假ジシャ斯ノ一-集ノ雖ニ〓〓余不〓能爲ニ皇-甫抑-タク爲曹丘、乎翁天-資坦-率不脩邊-幅フ不狹ヲノ不レシャラ齡踰ニテテ!!〓〓〓猶_尙〓-鑠シッ眞ノ神-仙ノ人も矣且ツ至ゾ、若キニ其ノ粹シルカ於茶-儀一則海-内嚮-恭スル〓之誠ニ如シ斗-山ノ咨-摩亦タ可シ謂ッ盛ナリ、矣寬政戊午季冬謙金剛劍不白翁句集序玆に蓮華菴のあるじ不白翁は、茶道の先達にして盧玉川が皮、陸桑苧が肉、利抛至の骨を得たる人也。紀〓新宮の產にして、姓は藤原、氏は川上といふ。すなはち新宮矦につかへて江都にいたり、十六歲の時千先生如心齋の門に入、京師に赴き、千家をあるじとして茶道を學び、默雷菴宗雪といふ。しかりしよりこのかた、日夜の修行·功夫·練磨は、磁磁ちて美玉の明をてらし、礪砥もて雄釼の靈をあらはすがどく、此道の奧儀悉く成就しければ、普く今天下に千家の風を弘めんものは、汝にあらでは。いでや東都に赴て身を立、揚名して我をあらはせよと、如師の嚴命をうけ、旅立ける時秋風に乘て歸る や東人如心と餞別の一句は、是もろこしの飛衛が射を甘蠅に學て巧なる事、其師に過たりといふにたとへて翁をよみし。又沖虛眞人が風を御したる古事によて、誠に譽れある賜なり。すなはち習〓として此〓風に乘じつゝ江府におもむき、するが臺に默雷菴をつくり、柴崎の社の傍には蓮華菴をいとなみ、左に酒瓶を提げ、右に茶筌を曳て、一たる や不白句り。き、謙堂氏蔭凉謙堂書三一五
話の折〓〓のむかし語に、口よりまろび出る玉の言葉も、我に琢よ磨けよとあるをしるしとゞめしを見れば、いつしか二百三十余章こそありけれ。是を、いとまなき我筆のいとまにつらね置しを、或時日〓菴のあるじ見つゝ、是はこれ阿父の風骨、吾家の寶貨也。此集に序して得させよとあるにまかせツゝ、短才の疎臺、鄙序はゞかりなきにはあらねど、たゞ其聞けるまゝを述けらし。嗚呼、茶者南方嘉木、翁乃紀陽英兒、遐齡八十益壯。孤峯不白居士、別号は蓮花菴·默雷菴·不美齋·亭〓亭·圓頓齋といふ。げに長命は飮茶にありとか。唐帝いまさば、此翁も又保壽亭におらしめ玉はむ。仍て狀し因て序す。後の此集を見んものは、翁の風流雅〓、高年、令名、もておもひ、もてうらやみ、もてしたはざらんやとしかいふ。寬政戊午仲秋び不審菴の紫、旗をひるがへせば、地位〓高の蒼生、千となく萬となく、皆風を望て門下にすゝむ。然れば竹園の花閣·松林の月亭に招引され、聚螢の草盧·映雪の野家に逢迎せらる。亦、向上宗乘堅固法身の樞機は大德寺大龍禪師に參禪し、大道無門の關を蹴破て乾坤獨步の躬となりしかば、竜師是に萬里一條鉄の錫杖を打て孤峰不白居士といふ。因て其友とするの智識は、大川·萬輝·無學·龍門。萬保·大嶺、其外黄檗山の湛江和尙·本方寺の貫主日詮上人のたぐひ、皆碩學の高僧也。長入·宗哲·淨益·正玄·利齋·庄右衞門が輩は、もとよりのしたしみにして擧るにいとまあらず。曾て翁の風雅あまりあるや、若き時は沾洲に會し、壯年には珪琳に逢、老ては我雪中菴の蓼太叟にちなみて、花に月に或は〓賛、物〓〓にふれつゝおもひを述し詠あり。又今の玄盧は我白屋に隣れば、常に行かふて雨に零に芭蕉翁の迹追て、冬の日の閑居に炭俵の口をほぐし、猿が人まねの蓑笠に四五輩の考參ては、彼橘中の仙人のたのしみをたのしむがどし。されば此夜日雪太郞三駱誌雪三良太〓大德寺にて鷲峯みるや世界の別の春孤峯不白は大竜禪師の賜ひし号なり。仍て老の身の樂しびは、やすくながからむものをと、安永二年の春よりはこれをもて我名とし、宗雪をば嗣子宗引に讓てゆづりはの末葉こやせよ千世の春天府君より、浪花のふる國とやらんが、住よしの小松引てまいらせたりし其松の根に付たる土にて、茶わん造りてと好みこし玉へるに手づくねしつゝ、岸に生てふとよみしわすれ草と名づけてまいらせける此松にひかれて老をわすれ草若菜猿曳鳥追雪の間をまた二ツ葉のわかなかな雪のゝを先駈したり若なつみ飛〓〓に跡うつなみや磯若菜猿引や世わたる業も綱わたり鳥追やだみし調子もはるの風不白翁句集雪太郞三路撰春之部(耳)歲且茶の道や古きをもてけさの春若水や夏より〓き朝ほらけ門〓〓や何里目出たき松の春うら白や表はあをき松の門あたらしき海の詠やけさの春松建て是へましませはつ日かげしづかさや門には松に松のかげ去年は老〓としは若し松の色我菴は臺司の方を惠方哉大ぶくやかはらぬ色を初むかし元日甲子あら玉の玉をうち出の初日哉不白翁
宗雪云、其節の花生は無銘にてありしかば、すなほち乞て淡雪と銘ぜられし。はるなれや櫻となつて暮の雪春雨や枕も榮花物 がたり此ごろや去年は何して春雨若草若草や是より右へ春日山洛外わか草や乾坤杖の立所蒲公や野渡まつ夢 の枕元春風春月冬としの皺をのしてや春風しら梅の誰すむ宿ぞ朧月雲と見し花より出たり春月柳靑柳や水なでゝは見〓〓〓水にて願へたゞ慈悲の光の柳かな梅雪どけの垣ねつたひや梅花梅がゝや隣もおなじ朝ぼらけ梅もたぬ軒の端もなし里つゞき神鏡にひづまぬ梅のすはひ哉鶯うぐひすの南向てはつ音哉鶯や啼そむる日を揚松葉うぐひすや朝ねの窓の夢に入身延黄鳥や通本橋のたに間より霞雪いまだ遠山白し夕がすみ帆にかすむ大江の岸やみほつくし春雪春雨日〓菴にて茶湯の時、侍合にありしうち、冴返りつゝ雪の降出しけるに淡雪の降も茶湯の花香哉系大書俳本Hへ春日山杖の夢 の立枕所元哉角田川渡舟賛船頭のはなしを聞ば柳かな初午初午や福不可量の種おろし涅槃東福寺にて涅槃會や香のけぶりの夕霞雉子鳥巢蝶蛙刈殘す薄に花の雉子かな鳥窠に僧も宿かる山路かな葉を喰た身に花吸て小蝶哉雨近き野澤の月やなく蛙新田に隱居家建て蛙かな春日はるの日や遲牛も淀鳥羽繩手永き日や繪馬をみてゐる旅の人到重慶抛てる茶筌に花の匂ひかな聚光院詣春每に勅許の居士や塚の花紫のゆかりあればや大德寺の聚光院に靈をと附ゞめ給ふ不審菴拠筌齊利休居士の寶塔を、東都万松山東海禪林にうつしゝてと思ひ立しより、いづれか此靈地ならんと、大德寺三百七十世萬輝禪師、宗旭大和尙の東海寺九十二世の輪番はてゝ爰の〓光院に在し玉ふに合躰して、そこらもとむるに、〓光に隣れる琳光院は堂宇苑壤し、近ごろは住なせる僧もなく、庭は荊藏心のまゝにひろごり、狐狸もえたる栖とやなすらん。是を再興し、且法塔建んは猶功德大ならんと思ひけるころ、相摸國の杜多なるが、觀自在菩薩の御厨十再興に御佛負奉て此精舍に來つる。其破れたる厨子のうちに識の笥入たり。折から佛意伺ひみんと信心して是をとるに、第十八番なり。識の詞にいはく、離暗出明時。麻衣變綠衣。舊憂終是退。遇祿應交輝。とあり。此識、奇なるかな妙なるかな。出明は〓光に應じ、變綠衣は身立の意、交輝は則萬輝也。遇祿は此大和尙、琳光院を中興し給ふべき兆にして、誠に佛意·祖意にもかなひける大士の御〓へと、發心決定し三·五不白翁
居士の靈を祭るC巧夫に成し七事の式をもて、居士の靈を祭る事とはなりぬ。めぐむ茶の惠みを摘て手向かな東叡大王隨宜樂院の准后の宮、或時此琳光院に渡御ならせ玉ひけるに御茶奉りて御園の花や竹田の森祝ひ最上乘院法親王の上野の御本坊にめされて、御茶湯の事申上よと、おそれおほくも御師範の御ゆるし蒙りし時伏てみる雲の上野の櫻かな內裏へうち〓〓献じ奉り玉ふよし、准后の宮のおほせを蒙り、御花生たてまつりけるころ九重の花に仰ぐや一重切長門少將重就朝臣、茶御稽古の日、或とき花月を題して晴曇る中にひらくや月に花巨福山建長寺の山門は、同國長谷寺の觀世音の御堂なりしを、むかし其御堂修補の時、其古材を引て建たりしものとかや。夫を又此開て土石の功をつみ、居士の塔及び本堂·庫裏·門·塀迄悉く成就したり。殊に此門は、聚樂の御所の傍にありし居士の門を世に揚土門といひし、是をこゝに其摸しゝたる也。將、此事跡を林祭酒信言朝臣撰述ありしかば、禪師筆を揮て石上に勒し、猶万歲を祝し玉ふ。則此供養は明和五年戊子春二月二十八日、居士の祥忌正當也。東海寺一山の智識をはじめ、各僧侶を招待し、偈をもて拈香供養、如在の禮をもて敬て供佛齊僧。時に萬輝禪師一偈あり、日、大千沙界現全身一塔巍〓東海濱地先苔深今酒掃烟雲瓦礫爲生春云〓。因て我又謹て和。毫端点出現全身塔院中興東海濱薰破幾人無鼻孔茶香偏滿万松春落誠の慶讀、挿草の功績、既に事をはりぬれば、別に一句子を餘してつぎ穗して古き匂ひや梅花扨此院·此塔成就してより年〓歲くの春、利休忌と号しつゝ此所に會して、先師如心齊の(山大覺蘭湊禪師五百年忌の法養に修營有しかは、土木の助予が微力を進めし時、此古柱一本乞とりて東都にひかせ、道安好の數寄屋たてゝ床柱に用ひたり。誠に千載の古木、友としてなを老を養ふべし。活てみる春やむかしを花の友三駱問、如何是茶。荅曰、立歸みよ我宿のむめの花花櫻幾たびか又古道や櫻がり杖立ていづこへゆかむ山櫻先師如心翁とゝもに嵯峨に遊びけるころ、西行堂にて西行のむかしをけふの櫻哉あらし山いとはじの花やあらしの山櫻野〓宮ちる花を雪に黑木の鳥居哉〓水白雲もひとつに地主の櫻哉予十五歲にて、手束弓紀の新宮を出しより十とせを經て歸國古〓の春やむかしを夕櫻白居士問鳥窠禪師、如何是佛法大意。窠ム、諸惡莫作、衆善奉行。白笑曰、三ナ孩子如是。鳴窠曰、三才孩子言可云、八十翁不能行云〓。鳴呼語なるかな、我心肝に砭す。八十とせの耻を老木の櫻かな一とせ蓼太老人、振く亭にあそびけろが、晝のほどはまだ荅たりし花も、永き日のいつしか咲出たるゆふべを興じて、とくさけと君やいひけんタ櫻とありしをおもひいで〓〓、朝櫻みばやと眠鳥·蒼鵞などかたらひ、此亭に夜込して雲雪とさくや櫻の山かづら雲林院に、英巖和尙の時、茶所の催ありければ、予、路次を櫻の一式と好けるを、如心齊甚感じ申されしが、其程もなく巖師近化せられしより、此事もむなしくなりてやみにし。三·八の花不白翁句
三鶴云、此琳光院の路次數寄屋を、隨宜樂院の法王めで玉ひて花浴今出川の御閑居に、此どくいとなみうつし給ひしとか。日暮里に遊て春每に其日ぐらしや花心花にきてみても物なし建長寺修理大夫久貞朝臣の庭に甘棠あり。春毎に蔽帯たる盛をば、いませし時殊に秘藏し給ひしが、げにさる事よ、いにしへの人は剪となかれとしたひしものな。我も又甘棠や君なつかしき花曇汐干品川にて元船の火を吸付る汐干かな大ひらめ泥にぬたうつ汐干哉茶摘宇治唐音の外に花あり茶摘唄暮春行春やまだいとけなき櫻坊行はるや梢にすがる花二輪其のち或とし膳所侯へ茶に召れけるに宗哲をいざなひしが、此御城內に、櫻木の中に釣鐘の半ば草に埋たる有き。其さまいとおもしろかりければ、宗哲が此所のさまを路次にせば興あるべしといへりしを、歸て後如師に語りければ大に感激の余り、つり鐘に櫻の路次のひとしくてと口ずさみ、下の句決てのゝち、したゝめあたふべしとの玉ひしが、世中の其事この事にまぎるゝうち、如師も又世を辭し申されしが、畿(マゝ)爰に此句の不可思儀なる、我薰のいふべくもあらねど、遠く此道の內秘を仰ぎ、近く此句の外理を類ぐより、師沒後三十余年の今、心にうかぶにまかせたる下の句は、其優遊に對せんとにはあらねど、心をもて心に傳るには、花はあけぼの雪は夕ぐれかく〓寂の心を述しが、是を東海禪刹の琳光院の路次に摸して、褒貶はよし、百世の明鑒にまかせんとす。しづかさや花にさはらぬ鐘の聲系大書俳本日夏之部花ごゝろ深み草なり白牡丹影うつすふりわけ髪や杜若京種を江戶紫やかきつばた卯花や妹が垣ねもみしりごし身延詣しけるころ、切石とかやいへる民家に咲る花をみて裏富士やかゝる里にも美人草葵祭御車の跡に二葉のあふひかな二いろに神風ふくやくらべ馬扇もろこしの風も涼しき扇哉或時は螢もまねくあふぎかな五月雨田植五月雨や日に〓〓肥る瀧の糸住よしや植るを花の御田笠蚊蚤春の野とみしもうつゝの蚊遣哉關取の蚤にはまけてねぬ夜かな三一一更衣わすれては袂さぐるや衣更郭公山彥のそへて二聲郭公雨雲に消ゆく峯や時鳥いたゞかぬ枕科なし郭公獨尊とのたまふ朝やほとゝぎす一泊り岩倉山やほとゝぎす足柄山あしがらや足の下から蜀魂北野さては此繪馬が啼たか時鳥水戶黃門の君、いまだ相公にあらせられし時、東海寺へわたり玉ひし、御目通へめされけるろ天邊より御意いたゞくや時鳥牡丹杜右集
花とみし枝かしましゝ蟬の聲虫ぼしや匂ひ目出たき具足櫃鳩鳥の身やとんふりと眞桑瓜タ立夕だちやぬれる短氣の無分別薩摩中將のとのゝ仰によて、數寄屋花月樓に物すきし。また其御庭の路次作りける日、タ立しければ白雨や此地がための幾千とせ雜夏近衞殿下、御祈願所北野なる西王寺に成せられけるころ、御茶点じて奉れよと有て、御相伴は柳原亞相の君などわたらせ給ひし。御飾付はみな其御方のきよき御道具にて、壷の口切事御覽あらんとの御事ゆへ、平手前に点じ、御茶碗は御臺に載てたてまつる御茶や薰る風の色旅立人を送る靑梅や口のすくなる暇ごひ閑呼鳥水雞 鵜柴の戶の何焚鍋ぞかんこ鳥ねた人をみまふくゐなの月夜哉筩火や下る鵜ぶねの千鳥かけかゞり火の芦間縫ゆく鵜舟かな〓水にて〓かりし瀧の音羽や夏木立十年ぶりにて古〓に歸り、熊野の御山を拜す氏神の杉見違る茂りかな〓水夏氷足あらふ水に事かく〓水哉若水の其〓きよりしみづ哉手にとれば齒のうく夏の氷哉靑田日本の繪圖あり〓〓と靑田哉暑菅笠の影もひづまぬ暑かなあら野行我影もなき暑哉蟬虫于瓜系大書俳本日石敬瑭世〓〓を經し石の宮居や苔花東吳の手水鉢といふは、そのかみ豊國明神の( )朝鮮を征し給ひし時、名にしおふ先鉾たりし〓正大將のいきほひは、擊ところ勝ずといふ事なく、攻るところ拔ずといふ事なし。されば彼國深く東吳とかいへる所迄攻入て、猛威を震ひし後の證にとて、其所の橋柱なりしを押折て携來りしものなりとかや。それを數奇人の賞翫し、京師にありしを、其石に似たる大和石をもて摸しければ髣髴として、からしかそれならんと思ふばかりになん有ける。しかるに其本の石は祝融子の災にかゝりきとか聞。しかれば是ぞ其本をとゞめしぞ、よくも摸しせし事よと嬉しくて、いよ〓〓めでものじとんもろこしの露をく月や苔の花橘寺香ぞしるき橘寺のむかし哉或ところにて夕がほやたそがれ時を化粧〓や(一七)父母及びおほぢ·とをつおやの菩提を吊ひまいらせんと、熊野新宮の本廣寺·東部雜司が谷鬼子母神に一石一字法華經を書寫して奉納す。法界のもれぬ光や蓮の露轉法院にて宮の御茶亭〓と〓きを蓮の御茶かな谷中安立寺開山日新堂建立して法の花ひらきて蓮の臺哉夏月刈込の甲斐ある松や夏月影おちて夜は早瀨也夏月小石川の御庭を、宗雪とゝもに拜見してすゞしさや月常住の橋の上旅中すゞしさを訪よる松の舍かな銀閣寺凉しさや雪にしてみる銀閣寺¥1,2哉白不翁
四條川中の中に火宅のすゞみかな備前のかうのとの信敬朝臣の別業に遊ぶ。井戶にいたりてすゞしさや心を洗ふはしり水御秡身の垢をすゝげる風や御秡河てらしつ加茂河の底をこがすや大文字稻妻いなづまや見合す顏も妹脊山虫草の戶の夜〓〓虫を枕かな松むしやりんとして待しらせ鉦月照といふ花もありけりけふの月名月や野ずゑの空に浪の音明月や蟻の這ゆく垣隣さして行牛嶋黑し月見舟段〓〓に山染てゆく月夜哉寬政丁巳の春、長崎の人より〓人の書とて贈りこしたり。おもひかけぬ事ながら、ひらきみれば、余頗嗜茗飮夙解老湯之法〓骨之味丙辰之春舘於日本長崎因象胥熊君聞東都有河上先生以陸羽之癖專稱於時列矦貴人延爲賓師余想見其葛巾野服品試烹門之狀爲因漫脈蕪詞寄呈亦將神交乎千里之八爾系大書俳本日吹秋之部立秋秌たつといふて來にけり荻の風七夕わたるかと星みて更つ天川牛嶌を猪牙で行夜や銀河朝皃朝がほやたゞ露の間の三世心しゝが谷の大文字は、弘法大師の御作とて筆力の余勢、今も孟蘭盆の送り火に凡俗の闇を嘉慶元年八月賜進士及第經莚講官南書房供奉都察院左都御史平湖沈初書云〓。又其翌午の春、錢字文陳晴山詩を贈て、予が八旬のとぶきをなす。各の風雅の志忝うして、これか謝せんとするにも.こと國の人なれば憚る事侍りて、彼仲麿と聞えし人は其國にては晃監とかいひしが、明州の津にて、あまの原ふりさけみたる心には〓となるべけれど、其風雅を忝うする事は、雲ゆく雁も告よかしともろこしへよい便ありけふの月鶴岡月古し神の御前の大銀杏身延にて月〓き影見る鷲の御山哉又はれわたるわしのみ山の月は今身のぶのそらに影のさやけし師如心齊は、寬延四·八月十三日、良夜に先だちて身まかり給ひしかば夫〓〓の法養、大德寺にて修行して大空にその名は滿よ月の〓師恩の厚きを拜して三十年ふり積りけり月の雪秋風秋かぜの裏戶にそよとたそや誰あき風や破れ障子の調子竹身のぶにて〓風や雲吹わけ て七面或時、紀の本宮より和歌山へ至る道にて、山河の出水にとゞめられし。此所は粮てふものも、麥にそら豆入て炊たるを喰て、一日二夜そこの藁家に泊りしが、山中といひ、家居といひ、喰ものといひ、旅は憂事のためしにも、是ほどの苦しさは有まじと思ひし。捨し身に何としみるぞ秋の風(マゝ)新宮に、辨慶の產る楠とて、十抱にもあまりぬる大木有しが、古木となれば空穗と成しに、三一五大不白御山哉
茸狩や醉ねど山をちどり足紗つりや面壁九年岸の上鴈小鳥はつ鴈や先井目は置ならべ繰いだす雁の備 や霧の奧雲路にも八重の徑や渡鳥山がらやから〓〓〓〓とはなれ業砧山ひとつ越て里あり小夜砧西東風ふきわけてきぬた哉夢やぶるね覺の里や小夜碪菊憂秋と思ひしが此菊の花或所の祝に千世やちよひらくためしや菊花後月木守の梢に寒し後の月秋夜長き夜やね覺て咄す友白髮弱法師どものすみかとなし、火をあやまつて今は其焦根ばかりぞ殘ける。ふんぞつて生れた根あり楠の〓稻花野うちよする稻の穗波や花ごゝろ鍬に掛稻の〓に秋に富實のりを花の田づら哉兩の手に折つくされぬ花野哉是にこそ小金の名なれ花野原花ははな心の直なるをよみするに、左によぢ、右にひねり、花が實をうしなへるは、花もさぞめいわくにや侍らん人心千ぐさに花のあらし哉風早殿より、御花生きりてまいらせよとありし。是は、はこやの山のうち〓〓の御ながめに成べう侍ると仰こされければ、敬みて奉りける折にけふよりは猶万代や竹の春茸狩勉多火をあやまつて系大書俳本日月明かねる夜や寐ながらの一字觀鹿糸による夜の戶ほそや鹿聲鹿なくや時雨亭の北南紅葉下染のまだき時雨や初紅葉亞野牛紫の寺を奪ふてもみぢ哉發現事袖浦袖裏を浪のにしきや夕紅葉峯も尾もげに名高尾の紅葉哉松杉も色に出たり蔦もみぢ今はむかし、和哥山を出て高野山に詣。古園、(土)熊野に趣きけるころ、はてなし越にかゝりしが、此山は人の行かふ事稀〓〓にして、たゞ杣山人のみ至る所にこそあれ。半ぷくより上は雲霧常に有て、禽獸すら棲とせず。おりしも秋なりしかば、一しほ霧深うして、書屋上では咫尺もわかず。連たる僕のわづか一二間隔る顔もみわけざるばかりに、たゞ呼かはしつゝ聲を力に行先覺束なく侍るに、又虻といふ虫の多くむらがりて笠のうちに入、目鼻もわかずとゞまりければ、薄を折て打はらひ〓〓してゆく。霧深き浮世の外も憂世哉ま〓とに王安石が、一鳥不啼山更幽なりといへりしも、かゝる所にや侍けんとおもはる。かくしつゝ行程に、此山中に山なまこといふて、大なるでゞむしの一二尺ばかりも有が、うねり〓〓岩はな·樹くの木ずゑ·道のほとりに有て、是にとりつかれば、いかならんうきめをやみんと、いとおそろしくぞありし。立よれば大樹の露や山なまこ扨たどり〓〓行に、水ひとつのむべき所もなく、かろうじて尾にいたれば、頂上に家ひとつも。居なしいやしからず、よしある家作なり。かゝる所にも人は住けりと、ふしぎにこそおもはるれ。是は國君の仰事うけ玉はる獵師にして、大小の熊皮のいまだ血に染たるを三·五ぢ哉
つが村といふへ出たり。いはゆる是十津川にして、ますら男のたけ〓〓しく、家居も藐くしくして、鎗·長刀·弓·矢飾り、鏃きら〓〓磨たてゝ、ふりにし建武の御名殘も今さらのやうに思ひ出らる緋おどしの御味方おほき紅葉哉天府君にいざなはれ、上つふさなる大多喜にまかり、猪狩をみて浪うつてよせ來る勢子や花薄終日狩くらして、各獲したる猪·鹿·狼·狐·兎の類提げ、大守の御覽に入んと、五角山いへる山神の社の前へならべ立たるさま、げに物〓〓しく、富士野·小金の御狩の事〓〓かりし、是にぞ思ひあはせらる。其獲結付たる竹を乞て茶物に削り、猪の牙と名づけて宗雪に土產にす。荒猪の牙もなごめつ草の露或とし長月もけふあす斗なるに、濟松寺謙堂和尙の室に至れば、菊の花いろ〓〓唐の錦を織はへたり。いにしへ祖居士、朝兒の茶湯あ軒に釣て、もの〓〓しきさまなり。則立よりて湯水などもらひ、息つぎしつゝ、あるじを問に、しか〓〓のよしをいふ。さて熊膽所望しければ、いつ〓〓調へられし事ありやと問に、いかでか此山路しかる事あらんやといへば、さあらばとて掛目五分吳たり。是は少し也、價はいかほども出すべしといへば、いや〓〓此品多く賣まいらせたりとて藥の功·不功をもいまだ不辨人に、多くは賣まいらせ難し。病に用ひて利あらば、其節はいか程もまいらすべし、是我宿の法なりとて、いかやう乞ても五分の外はうらで、我姓名聞て書留たり。是は後に乞の證なりとぞ。斯る山中我と渠ばかりにて、誰人のしるべきならねば、い程も當座の利にかへてんものを、まめやかなる心ざし社、げにめでたくゆかしくて雲霧に曇らぬ月 の心かな其家をはなるれば竜岫を出る。黑雲は莫〓〓として前後に覆ひ風穴に遮る。白雲は片〓〓として左右にはしる。此雲を踏で下れば、と系大書俳本日りし。夫はたゞ一輪に天下の譽れをとり、是は百花に禪林の寂をみせたり。朝顏につゞくや菊に名殘の茶金龍山の轉法院を、隨宜樂院の御座所にさだめられて、彼是御物ずきあるが中に、御床の御掛ものをはづせば、夫ほどに御壁をうがちて、遙なる富士の山を置ものゝ御詠めに遊ばしけるぞ又たぐひなくありし。或日此宮にて御茶有けるに、折から四方の景色、樹くは染て夕陽色をそへ、をのづからなる庭上蕭條錦繡林、山は雪に靑天そばだち、ま〓とに白雪千秋突兀看、げにいへらく、勝地本來無定主。太都山屬愛山人とかや。げに〓〓〓き風雅に遊び給ふける。此御まへにさぶらふ事のかけまくもかしこく、かたじけなき恐れおほさ、誠に有がたくて天地のめぐみ身にしむ名殘の茶是冬之部時雨しぐるゝや肩もかくれぬ小風ろしき西山を留守にして降時雨かな山門にしぐれたのむや圓覺寺凩落葉木がらしや拍子のぬける瀧の音凩やみえすく奧に淨明寺下枝に秋は殘て落葉かな寶鐸を鳴して落る木葉哉久米仙人賛紅裏のちらり〓〓と落葉哉口切利休翁の玉へる事有口切の沙汰に及ぶや色付柚口きりや友を松葉の敷心くち切や千世もと契る竹の色啐啄宗匠、はじめて江都に下られし砌、木白日、
透間もる夜のにしきや浦衞淀夕汐に浮洲の泡や鴨の枯蘆を夜のふしどや鴛の妻岩はなの假寐も鴛鴦の妹脊哉顏見世袴看兒みせや春けき宵の人通りはかま着や千歲も鶴の一步より神樂氷る夜や內侍所の御鈴の音千早振霜雪もふる神樂哉水仙寒菊寒梅兒わげも若衆盛や水仙花先がけて空から梅の春邊かな寒梅や其色としも雪の友寒菊や花にしてさす葉のもみぢ安永五年の夏四月日光山御社參濟せられける其冬霜月、上野なる准后の宮の御本坊に大樹のわたらせ給ふ日御座の間の御花つかまつれと、宮の仰ごと有ければ、寒菴の号を書て宗雪にあたへられし。其額びらきの茶は予を招じ、相客は津輕屋の武陵なりしが、あるじのまうけ、掛物は白紙を表具しつゝ予に所望しければ、則武陵に松を〓しめ、其上に斯口きりや日〓に重る松の霜滋味道達磨忌や枯木の風の味もなし枯野くれなゐの色おとろへて枯野哉露に貸花の宿なし枯野原冬籠紙衣頭巾柴の戶や柴を焚ほす冬籠紙子着て輕さや老の出立ばへ年を經て都に登りける頃顏に皺よるの錦や澁帋子よの中をくゝつて丸き頭巾哉水鳥聲細う吹きる風やさよ千鳥系大書俳本日菊を入奉りけるが心のうちに寒菊や君が八千世を花心御茶屋の御庭に大木の櫻あり。是に作り花を咲せつゝ、今を盛の春邊と、二なき御こゝろくばりに、又其御茶屋の御花には石南花の爛熳たるを、日光の御山よりとりよせられしを、すなはち仕て石南花も歸るや冬の日の光安永三年、先師如心齊廿五囘忌追善の爲に上京しけるころ、風早宰相の君·千種中將の君、予が草扉をたゝかせたまひ、しのびて御入ありけるに、御茶まいらせてはゞかりの一間や雪に囘り炭或時轉法院にて、法親王の御まへに侍りけろい、折ふし天寒かりければ、めさせ玉ひしおほんぞをぬがせられて下し賜ふ。おもひがけぬ有がたさ、身にあまりて御衣の花咲けり老の冬牡丹氷流よるものをとらへて氷かな瀧の音もたえて久しき氷哉寒下手念に今宵の雪や寒の入雪はつ雪や行屆ざる庭の隅初雪やせめて薄茶の仕廻迠芭蕉翁の內に居さうな人は誰との給ひしを思へばはつ雪やよくも在宿つかまつり又、一晶が芭蕉葉は初ゆきや雨となり又風となる鎌倉にて大乘の雪白妙や松葉が谷老床夜は雪と思ひし事よさればこそ利休居士の立像は、雪中路次のさまをうつせるなり飛石の跡踏ばかり雪の杖啐啄宗匠出生の朝、千家の榮へ、幾千歳もと心のうちに念じて秀るや雪のあしたの男松Nニ1谷
鷹雪空の擧に鷹のいさみ哉むらさきや朱をうばふて歸鷹歲暮煤掃や竹のいく代のとし男千七一大同の煤を掃也千世の竹としの瀨や笑て流す年忘春每の世話に暮行 師走哉年もはや梅の一重の隣かなよい春に明んと季の暮るぞや胴炭も置心よし除夜の鐘名づけたりしくれ竹の千世や月雪花の友或日振〓亭に遊びけるに、机上を探れば一草子あり。是我が老翁の、靑山綠水に心をやり、花曙雪暮に思ひをのベ又はかれに讃し、これが需に隨がひし五七五をば、夜話の折〓〓この主人にかたりあひ、且斧を乞れしを、雪太郞まめやかに筆し置れしもの也き。見る〓〓歡喜のあまり、亦我耳底にとゞまれるをも三四七八と是に增くはふれば、塵つもりて山の井の淺からぬ駱子の深切を拜し、猶其撰を乞て册のついでをなす。たゞに阿父の癖として、事〓物〓捨るがどく、其日其時の興にしつゝ、しるしとゞむべき事もなければ、八十年來の玉藻の數もや〓渚にひろふのたぐひなるべし。げに〓〓風雅には富りけるものを、是我川上の家の流たえせず、千載の寶鑒とし、ついではまた我黨茶道のたすけともならんやと、櫻木の花にもうつさまほしくおもふて是に跋す。戊午の冬日 ふ菴宗雪月菴自得雜振く亭に篁あり。此うちによきを撰て花生につくりてと有しかば、むかし利休居士、韮山にてかゝる事も有しと興じつゝ藪中にわけ人て、周り尺ばかりなるを掘せ、一重は愛たき事侍れば千年の友といひ、二重は其勢ひ靑雲の擧るかたちにより登龍とし、根は春風のなこの海にうち霞るがどきをもて、遠帆とこそせ靜能草莊丹
すでに渭濱の浪を額にたゝみ、われまた商山の霜を眉における朽入道となりぬ。かゝるひさしきまじはりもめづらしからずや。此集の序かゝむもの、われをおきてたれならむと翁の申さるゝにまかせて、なほゆくすゑもかゝれとぞおもふ、かゝれとぞおもふ、とかの俊成卿の杖にそへられしふる哥を、かへす〓〓うたひて隨齋成美序。此みちにかばかりたくみなる人の今の世にのこれる事、きしかたゆくすゑ有がたかめるを、御會のたびにつよ〓〓としてまゐられし、としるされしは俊成卿九十の賀の記文なり。げに才と年とうちあひたるは、むかしよりまれなることなるべし。莊丹翁、わかき頃よりいま八旬にちかきまでつくれる句どもをつみあげなば、たかき年の老もかくるゝばかりならんか。もとより名利のさかひに足をふまず、江戶のかまびすしきをきらひて一所に杖をとゞむる事なく、ひたすら閑を得靜をもとめむと、いまは与野といふ所に薄のほやつくりて人にしらるゝ事なからむとす。西行の撰集抄は遠ければいはず、元政の隱逸傳中の人なる事はうたがひなし。かくるといへども人ゆるさず、したがひまなぶものすくなからずとぞ。是その句にたくみなる故なり。翁たゞよく靜なれば、人呼て能靜翁といふ。此頃句集を上木せんとして、予にひとことそへよときこゆ。翁のいまだ若かりしむかし、猪武者の編集あり。その頃予幼名は良治とて作者の中に句をならべたり。つら〓〓おもふに是五十年の昔にして、翁は文化戊辰成美能靜草叙吾蕉-風にをけるや、翁が酒落は置て論ぜず。たゞ其·嵐の風骨をうかゞひ、蓼〓先師の譚〓笑をしたふ。しかるに壯-年-來の口號をしるし、かつ筆して、すなはち能-靜-草と題して巾〓箱のものとなし置るを、門-生菜-子ひたすらに寫し與へよの責めをふさぐ。もとより大-邦の俳〓客の覽にあづかるべきにあらざれども、譚-言微-中、聊みづからの心の紛をとくものなりけらし。能莊郞書享和元年季冬
鶯の右手を放つて初音かなはつ午やあまぎる雪の十二銅初午やまづ拍手は酒杜氏誌〓〓〓〓〓〓〓シ〓〓〓〓うぐひすや朝な〓〓の布施に何しら魚につらぬきとめぬ價哉何作る日向の脊中桃の花はる雨や二葉に眠る牛の角春雨や橋場菴崎眞乳山春雨や奈良の鹿には紅葉傘筑波むらさきの塵に交る御山哉出_流_屈おがむ淚岩屋のしづく春雨歟稻づまに其身を悟れ小鮎汲江戶半九郞、半太夫と名をあらためけるにはる霞いほり看板幾代へむ能靜草藏于黄蝶堂一者全矣系大書俳本日○春之部時"在于田〓家一馬の尾のしづかに垂る初日かな大和行をおもふて蓬萊やこゝろに花の吉野榧はつはるや老をやしなふ草册子元日や王母が桃の童子〓自ラ壽四-十ノ春フわか水やまづ立よればかゞみ山初春や若きが中に干大根はき燕脂の春めく肆と成に鳧梅がゝに塵こそさぐれ片折戶綻る業平蜆むめの花おどけ客七種うつて戾りけりうしほ煮の花柚なりけりちる櫻庭作り旅に手をうつつくしかな牽馬の若殿樣や花盛花ざかり極彩色の日和かなさくら見る人の歩みや鬘事朝〓〓の鏡見せば や家櫻新百合鷄を雉子に見ばやの華の宿途中小娘の木登りしたる櫻かな鹽飯君之もゝの花纔に入し御門かな需一嚢〓〓五千句けふひと日此文覺は花の瀧太平無シ日トノ不二〓〓〓〓風音信る囃子はいづこはるの風晝見ればさもなき池や鳴蛙臥-龍-槑同-うめがゝの這渡りけり茶店が床師-日-本堤うぐひすや堤八町むかし節懷蓼-師わすれめや服紗さばきの海苔二枚向上の一路なりけり海苔の味出代や人のこゝろの鏡磨駿〓府時〓雨窓窓ニ有談「笑道-場ノ之額春は滿俳道場の旅寐かな三保かすむ日や松にもかけずしほ衣寺町に雪蹈の音や飛胡蝶欠する人の多さよもゝの花季-吟先-生ノ之墓上野から寺は木間ぞ花の春方丈の灯はしらみけり山櫻山吹や蓑ひとつある筏乘り欵冬や橘次が駒も步行渉りな能靜草
武州小河河-調-園〓藏百富士之寫ノ中別有騰リ龍之形雷のはるかに春の高根かな寛〓政辛亥季〓春六_日修ニ造ス壽〓藏ノ。在手武州足_立_郡鈴_谷邨妙-行-寺ノ裡。因觀兼-好法師之和承華さくら雙岡のおもひかな吾呼古されし菜窻の號を贈るとて花ながら參らせ籠や莖立菜菅神法樂墨の香の殊さらにこそ神の梅涅槃會や雪も氷も四句の文〓つらぬ頃でおがむやねはん像磯_邊明神神の前むかし蒔繪の櫻かな那-珂_湊いざさらば靑きを蹈んより若和布讀蒙求物よみの我も雀や春の空觀唐崎新之助輕_飛→ほめたりや蝶のふるまひ下リ藤我死ばもゝ梅柳うすき酒かもの曙鳩のむら雨晋子我しなば桃と櫻に草の餅足利學-校釋菜の跡のしらべや春の鳥行-道-山岩角や水ぬるませぬ谷の聲系大書俳本日春の空○夏之部うつせみの足袋片づけつ更衣ひろ蓋に乘べき花のぼたんかな妙觀が鈍き刀や花牡丹觀世水寶生雲やほとゝぎす乙鳥に巢などは借ず杜宇草の戶に丁子がしらや子規よし原のうしろ姿や郭公探幽が墨繪かけた歟ほとゝぎすほとゝぎすをのが力や硯墨しのゝめや袖摺稻荷ほとゝぎす伸あがらねば見えぬなりほとゝぎす笠木ばかりを三めぐりの杜鵑鳴今さら朧月紫陽花や只一輪のよし野山笋やうしの角文字直な文字題〓〓引引_比奈ニ筍や項羽が山をぬく力灌佛のけふや鑄物師を摩耶夫人鎌倉右ひだり扇が谷や麥の塵若宮神前惡ー禪ー師のむかしをおもひてかくれたり鴨脚の陰の蝸牛杜若帽子に名あり澤之亟桑ノ弛·蓬ノ矢大太刀を弓に蓬のかぶとかな軒あやめいづれ幟の美-髯-公下闇やところ得顏の墓市_川雷〓藏助六の出端水〓〓と水の市川かきつばた撫子や馬骨の中の唐錦夕〓殿螢_飛テ思ヒ悄ー然大內へ推參したるほたるかな鍬鍛冶の澤へうち出す螢哉椀久に狂ふて見せるほたるかな岸の竹ほたるに撓む斗なり大傳馬町天王祭禮祇園會や幟の義なら木綿店腹中の書物にあらず夕すゞみ題鐘入一ゆふ納凉鐘にうらみはなかりけりよし雀の拍子揃ふや船大工能や麥の塵靜
僕佛-生-會ノ之日、當に喫蓬議フ。此時板齒搖-落。於是乎有感。花御堂旣落葉のおしへかも蓼師と周竹叟、みちのくの行を千住に送る舟〓中吟夏川やはなれぬ鴛の船二艘蓼先師のいはく、句は觀の一字と。うの花や座せば明るき胸の中靑丹よし楢の廣葉のわか葉哉人形町人込を歌舞妓役者や夏の月川狩の淺瀨とひ鳬都人かはほりや衞も通ふ藏やしきリム金ノ夏草や莊子が云る眞の馬個數幟見る風を端居のはじめかなみじか夜や國守の泊る宿のこゑ伊良少_時師事ル先生生於武-江。爾シ後越在、子四〓方一。今-歲四〓月念二日謹テ聆ッ先-生以ニ去去-歲孟-夏十-有-一日ラーテー良不-幸ニノ不得執之綿ヲ也。彼子貢六-年ノ之厚キ實ニ不可企及ノ矣。於チャ是乎請チ諸〓家ノ之瓊〓章一、且作ニ鄙鄙ヲ以テ奠〓〓、先-生牌-位下一。仰_翼ハ神夫レ享ぼ之。夏衣着やこゝろの藤ごろも系大書俳本日○秋之部〓上る刀に寒し今朝の秋町もはや鰺すさましき光りかな七夕やさそなら傘も春日山たなばたや鳥羽白河の車かし七夕やいとはなやかに竹の露七夕や明るわびしき牛の面けふ洗ふ若紫の硯かなそれながら糸屋 の娘星祭白瓜のひま行駒や靈祭靈察鼠尾草や松山鏡水かゞみ大_平_山木の下露覚をあふぐ御山哉名月や染らぬ色の糸すゝき要出名月や花にも寺の十五日老らくのそら耳歟もし虫の聲瑞巖信士一回忌江戸半太天也その〓の片瀨參りも寒かりし雨竹庵にひと夜かり寐せしに雨歟むしか枕に通ふ明のこゑ誰_家ノ玉〓笛ッ暗ニ飛」聲ノほし合に吹はすさみそ一節切鹿の音のながれて屆く筧かな身じろぎを抑なさるよけさの秋おもしろや飛蝉も牧の駒張倣が筆のすさみよ三日の月三日月やまばゆき昏の娵かざり新場夜がつをの火影なりしを秋のくれ日本橋邊朝霧や歌舞妓の太鼓河岸のこゑ經にとく諸天の外や高灯籠鳥さしのしらぬ梢や高灯籠先人十三周に、其墓のちかきあたりに在て此秋や吾健かと手向草しらつゆや箒にかゝる朝〓め途中女郞花多かる野邊や菌狩后の月氷の鯉の箇かな老境甘ぼしに寒き齦や十三夜古河永仙院裏に、三〓喜先生の旧跡おおきで、能靜草三四
波てるや我にことたる七日月川霧や勤ほのかに弘福寺名月や水想觀の水の物跡やその道を傳への松の露行秋や芒の波も飛鳥川境筥島氏にやどる。其夜は碁盤人形に殊更興じければ出つかひや坐敷の錦木ゝならで大江の佐國は天性はなはだ花を愛す。其子の夢みらく、亡父來り告て日、蝶に化し、每春花園に遊ぶ。其子追慕に堪ず。衆-花を栽て、房ごとに蜜をぬりて羣蝶に供す。しらつゆや佐國は蝶のいたり者直道を孟母が機の花野かな眺望松嶋や定ぬ月の置所新大橋の邊を散歩すまつ宵と標零に見ゆるうしほかなもの云はぬ亭主ぶりかなけふの月神奈川に遊ぶ。折から葉落て十二天の汀明らかにして系大書俳本日○冬之部手ごゝろの卵たゝくや初氷濡て行數寄屋大工やはつしぐれ水仙や兎の耳も旭影いくばくの雨露や吸けん枯野原はせを忌の花手向ばや芙蓉巾旅中風雨に逢て艸廬に歸ろ芭蕉忌や吾破笠も旅の味あの中に鰥の家や濱ちどりにぎやかに篷屋くらすよむら衞室八島遙拜に里は小春の茶の烟その音も冬來にけらし水車家と見る灯かげはうれし枯野原松の置所きぬ川しら鮨やしぐれに染ぬ川の面故雪中葊忌日木がらしや烟這行齋支度眞間行落葉たく祖父は若木ぞ寺紅葉市川日あたりに小春の市のきほひ哉舟-中吟月はひとつ影は江に鳴千鳥哉至〓〓〓〓一陽や寒きが中に鳥の聲菜は春の色に冬至の日向かな白氏負冬〓日の詩をよむ醇醪の日に向けり冬の梅爲以ニ汝ガ安〓心シ竟ル達磨忌や庫裡に大根の肘を斷田-家日あたりに垣結ふ人やとしのくれ歲〓ヽ年〓ヽ人不同顏見せや綿を常磐の雪の松莊〓子云、藐-姑射山有ニ神〓人居焉。肌膚若氷-雪一、----若若ニ處〓女ン。かほ見せの脂氷らめ鬢かつら顏見せや燕脂ほの〓〓と朝朗喜事老店なかか見見せや靈山會下の切落し狂言綺乘因かまくら行(+·)稻ふらも穗に出るものよ今朝の霜千種ノ濱かれ〓〓し果や千くさも浪の花古河より十八町はどに野-渡村萬福寺に兼栽櫻あり。今も猶月もれとてか冬ざくら梁〓雲信〓一一一周忌甞て部鄲の調に淨瑠璃のふし付あり邯鄲の其松風やしぐれ月はたらきも三〓面六〓臂としのくれ三重度能靜草
まうでられ、吾は父-母親-族の戒-名、はた兩-師の亡名をたづさへ、先〓達とたのみ奉れるは前の妙-行-師にして、旅ごろも日めもす夜もすがら枕となし袖になしぬるは、草-山-師の紀-行一帖なりけり。草〓〓立出るは卯花月十一日、兎〓角して江戶に在て同じき廿四日、妙-行-師にしたがふ道-心の僧と三たり、先堀之內の大ぼさちまうでして、としのくれ其角と飮し人は誰兒の紅粉翌殘りけりとし忘能登録判とりの往來や年のくれはとり蘭室女七旬の賀冬の夜や王母が桃のたまご酒としの市晝夜を舍ず隅田川系大書俳本日うの花のそれを包むや御洗米日高けれど下布_田といふ所に舍る。廿五日、晴。府〓中を過て藪むら藪天-神にまいりける。けふといひことしは御神の九百年に當り給ふぬれば、ことにたうとくぞおもふ。玉_川をうちわたるに調布は見えず。さら更にむかししのばしく、八-王-子を經、駒_木野の關こえて、こゝに旅まくらす。廿六日、晴。小佛-佛、郡-内の嶮-岨を過て鳥_澤にいたる。廿七日、晴。猿〓橋は腹のいたはりにて轎に凭てすぐ。笹子子を下りに、附錄若葉の晴紀行此山の茂りや妙の一-字よりと、阿師の靈-場の妙をつくせる遺-吟も、あが信じ奉れる所なりけり。且は其境ヘ、住し年さゝげ申ぬる、常-住のひゞき尊し春の山と愚吟せし、是を首途のちからぐさと、まだ朝じめりおかしつゝ、こゝろには鶯谷を夏寒し艸-山の政-師は、母のねがひにて、此御山に母を奉じてほとゝぎすふりさけ見れば有聲の〓此夜は栗ばらといふにいたる。廿八日、心にかゝる雲もなく晴たり。石和なる鵜飼川シに高祖の德をおもひ、遠〓妙寺に念〓珠し、庫、裡に茶をたまひ、笛-吹_川をわたり、酒_〓〓〓ににかかづき、甲-斐の善光_寺はほどちかう立せたまふ甲〓府を過て、あら川·釜_無_河をわたり、鰍_澤につく。夜雨ふる。廿九日、晴。宿を出れば路-邊、富〓士_川のいしぶみあり。致〓景いふべからず。杜宇早瀨に寒し不二おろし道のほとりより便-船して下山山いいに着。羊-膓をたどり身-延-山にちかづく。此時にいたり、吾ねがひみてりと、そゞろ淚に袖をうるほし、御山の麓につかれをやすらふて竹の坊にやどる。五月朔日、晴。御山高祖の御影、および御-骨の寶-塔に安じ奉るを拜む。草-山-師の歎〓息さこそとしのばれ、安穩のまこと仰ぐや夏木立又一ヒ上ル靈-山ノ色行雲-氣深經〓聲都テ世-外寶-閣照ス人-心ノそれより奧の院へ攀のぼり、坊にかへる。二日、晴。坊をいでゝ麓のとある葊にて、妙行師に袂をわかち奉る。道西-行_坂·西行の松といふある峠に眺望す。夏蔭やしばしとてこそ人もよれ三日、雨ふり、晴。萬澤より岩淵に出て、それより根方にいたる。歸-路新-晴レ日延-山綠-樹深)滑-稽甘ニ水-飯フ自ラ是レ故〓人ノ心菜〓窓先〓生遊シテ身延延山一歸-途、過茅屋敢テ和之。富士山下伊達維博俳号日多少。學〓儒京師巖垣能醫家伊達甫折叟,之令子、俳号日多少。氏一、學俳、雪中庵一。根方比奈村自足亭歌仙半折·伊達氏亭同一卷于」略略、。雲步恭阿彌陀佛應求靜草
二のどかさは隱逸傳の不審紙八端がけや栢莚が友やね船を隅田河はらに乘放しいづれ菖蒲に百草を採貧しさの中に養ふ母ひとり他國あるきもとし〓〓の留守寬政十二年八月三日於角山養氣館系大書俳本日獨吟風蘭の簷たちまちにけふの月槇に霧たつ前栽の奧篠の弓曳しぼりたる棹鹿にはさめる腰の烟管いやしき洋〓〓と音なき川の水の色荷.に作りにし綿の豐年莊丹門並の新地はすこし仇めきて貰ふ祝ひの七ところ銕醬むらしぐれ傘とるまでもなかりけり未だ更がてに夜講果ぬる蝉の吟そここゝに月の頃圍炉裡にはねる栗の山里錫ふつて俊乘都の寺勸化兒に愛相もいふて別るゝとをり雨跡なくやみて日は斜樹〓〓に聳る城の萬歲鞍上の頓に句を得る毫とりて金華の臘酒今に醒ざる秋はたゞ窓の小草の朝じめりうちすてきぬた薄月の下我戀は身を簑むしのしのび啼醫に問るゝもつらき煩き花あかり土圭は鳴ど暮遲くめぐる茶臼の靑き春かな中〓〓に咄せばやさし相撲とりたより求るかり物の禮雫して鰭ふるまゝの苞の鯉猶たちまさる市の人ごゑ(原許)〓瑞籬のすが〓〓しくも花の中ながれは淺き如月の水こはかき捨たりし詠草を、そのまゝこゝに附錄するものなりけらし。書ものもて人を導にあらぬ莊師の言行を世の人に施さんと、道の道にあらざる文のあやなるものを、その有のまゝになすと、う婆そこの菜英、勸善懲惡の筆を信心のために採。かくれ家も今は求めじいづくにも老のすみかは靜也けり。能靜老人、年頃の發句·獨吟の哥仙·身延の記行等を梓行す。册子の後に完來筆とりて、その能靜なる老がすみかに贈る。干時文化六年己巳冬霜月能靜草
系大書俳本日をのゝえ草稿さらから乙二
坊が其先はいさしらず、いその上ふりにし代より我家のけんざにて、坊は鬼子父君の遊びがたきにてさへ有ける。花をとひ月をおもふにつけつゝ、いと親しくつかふる。いと親しくつかふまつりぬるまに〓〓、予も又難波津の何事もたど〓〓し此道の〓となど、千代のふるみちふ我聞、佛ののたまへる〓とゝて、心の師とはなるともこゝろを師とする〓となかれと。何くれの〓とにわたりて、いととうとく覺え侍りぬ。松窓乙二坊は、俳諧の伎に此境にもたどらで堪能なる〓とは、駒の蹄のいたれる際み、舟の舳のとゞまるかぎり其名あまねく聞えて、何國となくす杖の停るところ、山梨のすき人等が年頃のまどひは、いなのめのあけゆくど明らかにもなりけらし。將、齡既に七十年のしほに近く、いたつきにさへかゝりて、え起もやらず侍るに、十竹坊はらからの女とかたみにかぞの叟のこゝろのはな、いたづらにちりうせ、と葉のはやしむなきいはけなき時より、千代のふるみちふりにし文どもなど、かた糸のより〓〓にものしけるなさけの余波、みぢかき筆のつかのまも忘れがたく、又はかの、花の藥もみぢの下葉かきつめてこのもとよりぞちらんとす亂、とかいふふる歌にもよく協て、いとまめなる〓とに聞なされて、渠が需にそむき得ず。そが〓とはりは松井梅屋が眞名がきに讓りて、拙きかぎり世の嘲りを打忘れて、卷のはじめに、文政癸未季夏、白石城西常盤崎の隱莊聞蛙亭の北窓に筆を採る。い齡既に鬼孫しく埋木とならん〓とををしみ、もしは末の世のため、且はなきあとのかたみとおもひて、こたびあるが中の金玉を撰びて板にゑり侍りぬ。おほよそかぞいろにつかふ道多古しへかしこかる中に、志を養ふをもてむねとすとか、き人のをしへにそむかぬこそ、いといみじきわざなめれ。五二
行方の海苔柴多き月夜哉のり柴も風が吹ぞやあさぼらけ海苔のよるなぎさも過ぬ馬のうへ松風や時うつりして海苔の寄るときん着て見れば淋しき柳哉靑柳の中より見たり朝朗へなたりをへなノ〓と吹柳哉正月の下戶くゞり來る柳哉寐て起ておろかもこれやはる心吹ためて風は置やらはるごゝろ麻の種三粒持てもきく蛙のり喰に鼠は來るになく蛙はるの朝蜆は黑きものぞかし春の風市の月夜の身にそはね鶯や田づらより來て見へずなる反故燒て鶯またん夕ごゝろうぐひすのはつ影うつる紙帳哉鶯やはらみ雀はくるしいかをのゝえ草稿正月やわすれてあれば袖の月母のあるむ月七日の寒かな正月のころもにさはる染木哉む月の閏あるとし、武さしの友人へ申おくる元朝の不盡ふたつ見んうら山し江戶に年を迎て吾妻橋より眺望万歲ものぼれつくばの朝南川風のさらば吹こせうめのうへ大津繪は梅にうつらぬ寒かな子を呼に出て子を連て梅ゆふべ奥の細道に、月の輪のわたしを越てとある所也かはる瀨の月の輪わたり梅の花しのぶのおくにて梅さけば茶の實植るときく日哉うめの花これや小家は繪にも書山間の空を嬉しとさく梅か老が身は薺屑にも劣けり親と子の間にこぼるゝ薺哉木のほやもかすみ殘さぬ夕かな水呑て哀さめたり八重がすみ鬼つらや井戶のはたなるうめの花丈艸が宿や梅待茶摺小木江の空や歸らぬうちは鴈のもの月のある夜を唐めきて鴈の行手習に越しはむかしはるの山ふる事をおもひ出てえぼし着て白川越す日春の山常盤崎鬼子公別莊はるの山に取まかれてぞ住れける鶴などはとしよるものをはるの山いかのぼりまだつめたいか山の空家に七ツになる三郞もちぬ夜は夜とてわすれね紙鳶の置所東風吹やまがきが嶋の注連はりに水と山はるにして置ところ哉春もまだ子の淋しがる月夜哉うぐひすを吹や小城のあまり風苣のうね〓の徑なりにけり雨に鳴尾長もこれやはるの鳥野の空をうけてありくや春の鹿雀子や家のうしろはあさぢ原子をよぶかすゞめの聲のふとくなるはる艸によきゆめ見るかはなれ家春草にそつと置たし我いほりきさらぎや起はぐれしも朝ぼらけ霞戶や死んだふりしてけふは寐んかすむ日やあまき物くふ布留の里雪どけや近おとりする妹が家ちる梅の片空かけてなくひばり小田に降雨見ても引小鴨哉雛追てすぐにこがるゝ男猫哉目黑みち
酒こぼせすみれの外は山のもの腰の法螺堇つむにはむつかしき羅漢寺のものとなりけり春の暮花に乞食增賀のころも着てありくさきの世は朱雀の鬼かつゝじ賣なまなかにつゝじ植てぞ山ごゝろ露なしの里鬼子公の別莊まてば來るきゞすの外は松の風小鳥らが餌もありげ也つばな原芹提て出たりな鷺のすみかより行かたにゆけば鴈にぞ逢れける七くさの七朝過し柳かなはる雨や木の間に見ゆる海の道晝の月春は減るとも思はずやころもがえ根つかぬ松ぞものたらね何となう子の日嬉しき袷哉降雨にくらゐつけたりほとゝぎす梁川竹隱居が許木がくるゝ人うぐひすよ〓〓はるの夜のねぶたき眼にも峰の松春の夜の爪上り也瑞巖寺鶯の日はくれにけりきじの聲花さくや朝めし遲き小商人ちる花や脚布してゆく道のほど花の雪ふすまかぶりし夜に似たりはなの香や夜のこゝろのほそ長き木の股の哀なりけり夜のはな途中葊に見ゆる花の山風ふきにけり墨繩にうつくしうちるさくら哉花守の不沙汰か小田の片あらし上野にて一句ふるさとにくらふればちる櫻哉佐保姫のたぶさの風か少しヅゝ佐藤庄司が丸山の舘の跡へ、入〓〓とともにのぼりて子規鳴やこゝにも山のつゆ麥ふみし人のうの花咲にけりしきみつむそこらあたりの若葉哉若葉吹風やさけゆく馬の沓山のはの空もほたるも夜明かな螢火や雀が家の竹の影乙二とは、をうなめきたる名なりといふ人に戯て荅ふ。鉄漿捨に出れば艸の螢かな鬼灯の花は暮たに飛ほたる蚊一ツに靑空ちかき夕哉蚊に起て御兒淋しやみろく佛こぞより江戶にありて、花にきさらぎの十五日も、つゝじに彌生の晦日も暮て御ほとけのうまれし今朝や不盡の山かたばみの花雨ふると鳴すゞめかたばみの花の宿にもなりにけりさみだれのすゝきむら〓〓夜の明る五月雨の水鷄鶯尾長鳥みじか夜を寐たや牡丹の花の上酒田高野の濱にてよる波の砂に濁りて夜みじかしものゝ露落るも嬉し牡丹越笠嶋の人が笠着て眞菰艸書窓かぐや姫紙魚の行衞ぞおほつかな哀げもなくて夜に入藜かな古妻やあやめの冠着たりけり酒田にてふるさとを思はぬふりぞ粽とく仙府にありて粽とかで雄嶌の僧はいなれける投込で見たき家也さゝちまき戶あくればけさの影さすあやめ哉押水によごれぬけしのつぼみ哉あやめふけ目白の不一一の暮ぬうち(19.2)常盤木の大こゝろなる落葉哉
鮮なれよ松をかぞへてくゞるうち桂女も鮎つる糸は流しけりたちばなのつぼむとくさきむかし哉途中急雨に逢し時かれは塩がまの琵琶法師に踏つぶされ、は多賀城のあとの畑守にもらひぬ。靑桐の笠に見てゆくしづく哉山駕の淺香も過つ靑あらし鳩の中はしり過たる鹿の子哉風かほる暮や鞠場の茶の給仕世わすれにはしり入けり靑すゝき蕗の葉を引裂て見る暑かなゆふ立にすはやこゝろの深山めくすみだ川卽興蘆の根に落すと見しかぬれ扇水鷄なけ水乞鳥は暮なり龍宮の圖八大龍王すゞしさうにて小淋しき山人は山草かれや夏の月松島の方へ行巢兆法師を、わすれず山の下流まで送る。松葉ちる竹筒は酒の盡やすき朝の間に見てゆく野路の〓水哉妻と子が大事のしみづ濁しけりこれはむすめが緣ならずして家に歸り、家刀自は病にあやうき時の句なり。わすれず山の下流これ水かけてあかるくしたり苔の花出羽行脚の頃はし姫のひとりはあれよ最上川かたびらや風のそばへる舟のうへ嘉右衞門は惟子時の繪書かな帷子にはなれ切たり朝の空鵜匠らがひたと濡たり小夜嵐ゆふげしき鵜のあし水にはじまりぬ粟まくやわすれずの山西にして旅ごろも奈須野のいちごこぼれけり久保田旅窻あした蚤のあときゆるまで見んつくば山山の井にあすまで殘れ夏の月蓮の糸はすの莖とも詠けりしら雲や茅の輪くゞりし人の上生物多土用東風天の川より吹やどり小松途中暑ければ雲のいやしき山の上さうぶ湯や濡手に受る雨三粒水飯やあすは出て行くさの宿蟹の泡、鬼のめしなどいふをあぢさゐのあらぬ名を呼山家哉戀路山のほとりにて紫陽花のあすはどこまで道つくりあぢさゐやしまひのつかぬ晝の酒藏林が我を見送てたてる兒も、ちいさうなりて双の關にいたる松しまへ行影うつすしみづ哉さくら花ちりぬ早苗の風まつり鶯のうしろ見らるゝあつさかなばらの花ちりぬるをわが岡の家朴の木のまくらは、つぶりのいたきものなれ南天の花こぼるゝよ腹のうへみじか夜の滿月かゝる端山哉成美が幼きむすめの一めぐりに申遣す其親に其子とゝきし合歡や咲出羽のゆきゝ、蘭丈が家にやどりて松の葉の歸れば來れば軒にちる螢火や屋根よりこける苔の音花げしや空もかざりになればなるほとゝぎすまたあけぼのゝまみれ哉母の身まかり給ひし時とり付てだゞ子ごゝろや夏の闇なきがらを棺におさめまいらすとて煙さへとゞまるものを蚊屋の內星となりて夜は見へたまへ母の影高き木に花もあれかし星の戀すゞしさや願の糸の吹たまる星待やさもなき門の糸芒
しのぶちかき所にかり寐して七夕の闇のひろがる名所哉鉄船が魂か迎るとて我つくる茄子の馬に乘て來よ天の川田守と語る眞うへかな母の喪にこもりたる頃裏の家をはやくかたぶけ天の河北の岡山に葬奉れば、あさ〓〓其所の霧を分て置露にいつまで減るぞ墓の土萩ちらぬ方へ蒔なり雀の飴右も喪中の句也よんべ寐しころにもなりぬ秋の月蓮藏密寺にとまりて粥腹のへるともしらね峰の月さす月の寐所やすきすゞめ哉かけのぼる背戶山あれや秋の月名月や鯖野の奧は露どころ秋立やうすは荻萩の葉にも劣らで三日月や世すて人らが立さはぐ鬼子公に扈從してふたり見る月こそ出れ千賀の浦松のなき世ならば何とあきの月けさも寐て行かむぐらの鹿くさき住鹿の菅は秣に苅れけり疎籟老人が山居を訪ふ日露寒し我あし跡を又かへるつゆちるや朝のこゝろのまぎれゆく山にある家のやうなり露の闇夕露の梢揃はずみちの隈碁笥ほどの芋もちて候艸の宿大風の紫苑見て居る垣根かな寐冷せし家や紫苑の片なびき十七囘つもる秋親のしらがに似る斗あさがをや白き雀をけさも見る堂守が菜英まで喰ふからす哉鄙たる聲と荒たる宿と並居たる人のなみだと、ひとつ所にあつまりたる哀をさしのぞきて木槿さけ〓〓とやあつさ呼ぶ山風に別れていく夜旅の月榎の實はむ鳥の中より鳴からす笹垣をくゞれよ秋の花もらひ平浮にて鹿の聲うしほくさくもなりにけり野分吹空もせまれり山しみづ山陰の野に暮いそぐすゝき哉三日月を見にこそ來たれすゝき吹友人を訪ふ扨は留主すゝきむすびて置れたりさし館して鵙に秋をぞかたれける靑空や芒に寒い癖がつく疊にも萩のにほふか蟻の來る山陰やこゝ住人の木綿もふくいなづまや谷の小寺のとまり客佃島親もたぬ舟のねづみやあきの風角田川道遙、雨に逢ふ鳩とりのかづく蓑なし芦にあめ初鮭やつゝめばそよぐすゝきの穗波よけの合歡苅分よ秋の月名取郡の道ばたに人まち兒の小家あり田のくろに豆のかはりかきくの花膓などをころす家さへ菊の花傘ほして浮世めかすな菊の花窻前しら雲は遠いものなりきくのうへ赤いとて淋しがりけりきくのはな上毛道中ちゝぶねの裾引はへてきくの秋きくを見てとしよりたまへたつた姫出門口號成美は題目にひたとかたぶき、巢兆ははやく酒に醉とか。みち彥は同ふ嶋に隱居するともきこゆ。きくの秋しらがくらべにむさしまで
なぎの花こんにやくの花後の月月となるうちも穗芦のいそがしき日のさしてとろりとなりぬ小田の鴈我ものとさはげや鴈の九十月あさがほや今朝は八月十五日月しろはかならず吹よ根なし風立琴や家の四隅に風の吹〓逸·春翠·素菊をぐして、天王寺といふ山里に分入て霧雨やあまりにひくき木のうつほ松のかづらの長くみじかきにかげろひて、タぐるゝ谷に人あり鹿笛をひたすか水におよび腰川稻の花おさまりし月夜哉荒谷より澤邊といふまでは小みち四十里ばかりのよし。立るかゞしの弓と矢もこゝろぼそく見ゆるところ也。いとせめて艸花多し道くだり山の目玄くが許にて重陽に逢ふに、中尊寺の武さしのしたしかりし人〓〓の家も遠くなりぬたゞこの山のみ、ゆく〓〓我うしろかげを見送るもわりなく、大田原のすくに入時秋これよりつくばねにさへ別ける松窻獨坐名月はすゞしき苔のにほひ哉天の川名にながれたるこよひの月もうらみになりぬ。息せまる病の堪がたければ、派心地中へくゞり入時あすの夜も御宿申さん月さらば中秋無月月にふりておのが哀となる雨ぞ君が代の千世の數かも稻すゞめ關守が棒の先なりあきの山我が腰につけたる朝ぼらけに、はいかいの古人達を供養する事ありて置露の菊勸進に 出ばやな老躬ともすればきくの香さむし病上りタばやな十日の哀をも見せたしといふて、が使に我が來てあすはきくにわらぢはけとて歸けり同じ人の住ところは東谷なれば坊の名とす木槿なく秋はいつまでひがし谷光堂露の身にあかりさしけり堂の內仲秋末七日、祗詮が宿素湯あまし末の三日月見るやどり吉岡と古川の間にて稻たんとつけてみじかし馬の首とんぼふや片脚擧し鷺の上しのぶのおく水はやし龍膽なんどながれ來る山人は木祭すらしはつしぐれしぐるゝや山鳩取が來るところしぐれけりほち〓〓高き竹のふし時雨雁箕手にならぶ時もあり下紐の關を西に出て二溟法師我時雨てや大分見ゆるさくらの木とにかくに篠屋はむすべしぐれ人秋の別をきのふ吹送りしが、けさもやまで月越の松風ぬらすしぐれ哉淋しさに富や時雨のくだり闇飯坂春翠山水や鴨の羽いろにながれこむ靑竹のそなた表や池のかも月の夜をきたなくするな鴨の聲其角にたのまれし吹井の鶴も、おのれが功な( )きを限て今にこの日をや鳴らめ。冬の朝日の哀也けりはせを翁笹のかげ火桶にうつるあしたより十月や日のくるゝ日のうめの花塩買てかへる徑や落葉時木の葉とはちる頃の名かこのはとは戀路山ちかき家にて灯の影は冬こそよけれ鹿のくるふすま着よ〓〓とやみねの松
冬の夜や淺香の客はうめの花塞空や筏にのせし鍋の跡消まいぞあられの音がうそになる落馬しておもしろげやむ霓哉こぼるゝとのみ申たし降霓いたつきのいゆるをまつ事五日ばかり、の人〓〓に案內せられて足利へ行途中くたら野の鶴にもまけし脚二本あしかゞ學校踏まじよ冬の薺も昔めく水仙や齒朶買ふ心あすになる冬三月折角あそべ濱ちどり雄じまの夜またもつめたひめにあふたみぞれにはさせる句もなし山の坊田に麥を蒔國へゆけなくからす草庵雁鴨の日さへみじかくなりにけり十時〓に行事六たび、さるほどに雪としぐれと降かはりて家ありときくも寒しや山の陰竹の葉の世にうつくしき寒かな冬鹿のあまりちかきぞむとくなる朝茶のむうちは居よかし冬雀池魚の災にかゝりし時二句佛達をものゝ落葉にのせ申琵琶形に雪の降けり家の跡降雪の深山しきみは高くあれまがきが嶋を北に見る所は小鳥井の小磯といはめ霜日和梅も家も燒し四とせの冬が來た針に苧を長く付たり冬の宿湖の明ぼの覗けみそさゞゐ我があとにつきて來る太呂が背の高きに、ど苅萱は枯てひくき。野しぐれやさはこの御溫泉に降つゞく冬艸やはしごかけ置岡の家枯蘆の麁相にあける月夜哉太田な都鳥なるれば波の鷗かな小坊主は風もひかぬや散このは一しぐれするや素堂が嫁菜まで門を出る時いつの旅も時雨さそはぬ事ぞなきいではの國へ赴とてかさゝぎの巢をこそはこべ老の道赤湯入浴二句松かぜや湯婆のさめる夜にも似ず山鳥のおのがすそ野も雪ふりぬ尻去りに鴨見て入りぬ門の口萩すゝき從弟のやうに枯にけり親の日の朝日を拜む枯野哉風ふけばふり込雨や炭けぶり鷹狩の歌にもれたるわらぢ哉きさらぎ廿五日、菅神法樂きのふ見しこゝろには似ずうめの花鴈よけもはるぞ名取は古郡木鋏のおそろしげなり接穗時四五文の油買ふ夜の花しろし酒田日和山眺望風すじはあつみになりてほとゝぎすほしの宵きくの宵にもなりにけり馬の尾もくれゆく九月九日哉五位鷺のくらゐまけする野分哉すゝき野も薄垣一重雪の降門前の老婆が何がし行脚をすゝめて、頭陀俗を燒せし火のあやまちたるにや、そこら野のやうになりしよし、あはれなり。されど膝をいるゝ所は恙なしと、人してふるさとの文にきこへければ燒たるも殘るも古巢かへる鳥法務の世を遁んと思ふとし、ものへまかりてとく〓〓と身の春さそふ山水歟花見るやつほ〓〓と鳴水のおく六月朔日、つがる玉之亭手にのせて氷見る間を朝こだまむかし誰が旅寐はじめて梅に鳥
三十四初雪や御難の餅の過しけさ草琚を訪ふに、一間なる所に上を着て殊勝におこなひ居るを、しばらくこなたに待ていたゞいて御文置間やはしり炭脇本といふ漁家にやどりを求る言葉こゝは屋根よりして壁のかはりに蘆茅からめつけて、つぶりのさはるほどの口有。引よせ戶もふけたるかたはらに竹の筒をかけ置ぬ。いとあやしくて、とへば、地が鼻の崎を東に、小田面を西に、小舟をうかべて鮑つく時、波の上にしたてゝ海底をあきらかにのぞむ油を入る具なりといふ。また妻なるもの外もて來しがしづくせし今朝の眼にあり燒わかめやす〓〓と萠こむ草や家の內こぞの冬、孫をもふけてかさゝぎやむ月の中の子は肥る藝蔆上水二筋夏花そゝぐと田へゆくとそもはいかいの旧跡須賀川に住て、世の人の見つけぬ軒より、ひとりは栗毛の馬に乘、ひとりは笠の〓の玉さやし〓と鳴らして、武さしへ旅だつは老人雨考と多代女なりけり。うらやまし、いくら寐てつくばねのはるを見るぞ、幾日經てすみだ川の鷗に逢ふぞ。蝶のぞく宿なら覗け道のほど山の月あられこぼせし兒もせず師走野のあしもとにある畑かな傾城の讃赤人の眼にはすみれか寐る一夜あすもふるとてけふも降しぐれ哉今朝虹をかけしともいふ柳哉草屋花の香に出ては鼠の暮いそぎわたぼうしかづくは、波のうかれ女か蜑か母かさも似たり風ふく中をゆく鷗はこだての空は九月のけふ、霓の先がけをまたでまたもまた秋たつやうな田の面の日宮古嶋にありて大せつなうづみ火ひとつかりの庵なつほ峠より眺望蜷ほどな舟にも冬のうつりけり平角が別莊そこらから出るとは眞事山の月去年は人の國にありて大雪に肝つぶしたるにもこりず、ことしは我國に旅して鬼柳といふ迄ぐたり着ぬ。秋風のふくには中〓〓老が身のゆだんならず。ちる事をわすれし萩の少しヅゝ宇曾利山山艸やこれも佛のみをむすぶ橫はまにて二十七夜の唫八月もうらくづれして鳴ちどり布席が住はこだてへ渡る舟の、追風なくて大間の浦に日を經るに、言づてやらん膓さへ鳴ず。思ふにも波をしほりの月夜哉ひぢ曲坂見よがしに靑き實のありものゝ蔓餘の艸は名のないやうに野撫子ほしにかす心よ明る夜はかへれ小鳥鳴門も野町の子の日過馬さしが淚もろさよ御霜月遊ぶ日は菜賣になしや冬椿たぐゐなくしぐるゝ名なり艸枕師走菜も霞む住家ぞみそさゞゐさます事煮梅に習へ子の寐起一戒ほとけの一めぐりの日、矢越の崎のこなたに舟かゝりして、ねぶつ唱ひぬるに見るのみか霧の雫を膝のうへ富士見ゆる所や朝のかんこ鳥螢減る秋を淺香の橋つくりへりゆくや月と酢瓶と蕣と芦ばかりつらし師走の角田河
石住と云奥山家にやどりをもとむ皂角の花の香をのみ吹あらし川野氏の息、うまれ年より七ツ目の兎の繪の賛のぼりては月の中にもすむすがた鴈門が何母九十の齡を壽て十株ヅゝに千代添へきくの九うねとんぼ追ふ影と、念佛申聲のやさしきが、眼と耳をはなれぬ無南道元小法師。撫子とけさまで見しを佛の子今としの良夜は兒孫を側に置て、月見るもおろかにたのしくて旅寐せば月にも逢はじ葎の戶分外にまたせてこよひ月は西月うれし乳房はなれし子の心鳴音は添水なるべし月の中うねり笠はかぶらずも、卯月末の二日我につきたるは惟然が歩行神か出てゆくも紙魚のすみかの捨人ぞ春をゝしむさほ姫もいく度けふをふりむくぞこま〓〓と穗にこそいづれ河原蓼月さして歸るもありぬ墓參はらむとは芒にやすき言葉哉西王母讃佐保姫の弟の君とも見られけり富丘を出て木戶のうまやちかき西に、ぎす山といふをゆく〓〓見る。片乘になる駕の戶や苗の道久の濱とは、久に世を經る人の付たる名か、あしよはき老にも風景をゝしまず、さす日のかげの晴わたるもたのしくて扇だけよけても波は來ざりけりなこその關より道をいぬゐにとりて根岸山中に入る。さかしき坂にかゝる頃、駕かくものらが眼に村雨の降かゝりて、すゝみがたしといふを聞て〓水よりむすびかねけんわらぢの〓系大書俳本日ほとゝ眼あぶくま川に小舟をうかべたるは誰そ時鳥鳴ならしほれ釣の糸我行道のさちあれとて、只竹あざりをはじめ人〓、大粒の雨のあしばやに、すはたふげの茶店まで送り來りぬ。携しひさご押すえ、盃をめぐらすうち、かたはらより、ひさに經ず歸れや〓〓と、うたひ出したるもうれしくてこゝろみな凉したとはゞ雨の松出羽と越後をさかふ太里塔下にて來るも山しみづまたげば越の山途中彌彥山を仰草まくら神もすゞしと御覽ぜよ長岡を流るゝしなの川に遊ぶ日、舟梁につらつえつきて、何やらん案ほれ居たる石海を驚し、問ふていふ、こゝはさいつとし、みつきが、六人をつゝみて嬉し篷の雪といひし下流ならずや。荅ていふ、しかりと。いはゞ、みち彥は上手たり、松窻は閑人たり。帷子の袂やくめば水のもる新浮にて待星のこゝらや合歡も波の艸七夕や拾ふてもどす蜑が櫛新浮より海越の佐度山を望小木の間の祖母もかすらめから衣同じ處にてはし書有月の晝波のよるとて皆おどる彌彥神社(株)束の間にかはるや住連の風おもてみのむしにまけぬ寶もちて、などこの束の山のむら雨にぬれたる笠敷て着る事しらず小楢の實柏崎町中にねまりたる御像はいとも尊し。今はむかし尾張のくすし何がしが、ひろく國〓〓の事をあつめてものせしものにもありけるよし御ほとけもしめぢ賣子や待給ふわにの住大いその根と呼べきさいはま四里ばかりの間、裾にゆく〓〓波かけられて蕣のさてもあかるき寒かな三光
かしき名の所なれば、しばらくさし覗きて蘆垣の夜寒の鬼よ寐ずおはすうきね鳥のうか〓〓とつめたい秋になるのみか、日みじかな影の、旅のこゝろをせむるよ。こゝの椎谷に椎なくて我袖の上に置露を、ふる里人は夢にやみつらん。ゆめに見ば今少しまちて、蘆の葉分の古道に、蓑に雪ふるすがたを見よ。繪によする戀にも似たりかへる波一まがり出てあら海よ落し水小千谷より高田·出雲崎の間に遊ぶ事四十有六日。長月十八日ふたゝび長岡に歸來て解〓庵に入。あくれば父の忌日にあたりぬ。ぬかご燒て我いほふりに奉る(マゝ)おなじ廿三日、長岡のひがしけ白といふ里に入燒帛にさめ〓〓と降しぐれ哉臨海鮮旅の哀たぶけせうものはせを佛長岡より小千谷へ行途中直江の津の三夜さの月を、ひとり〓〓にあて見んとて待宵の日たどり着ぬ。あくるあした、うしほの嵐、旅やかたの窻に吹つけるより雨ふり出ぬ。夜もふる。ひとり〓〓といふは、ちくま川を右ひだりにしてすむ石海とゆつるとなり。雨の神磯ありきする名月か五智にて住はこゝ椎の風折月さして歸路直江の津より黑井の間にてたまぼこのこれが道かや蘆の中米山麓にて蔦の葉のおそらく赤し茶やの茶は長月四日、柏崎にありて九日に逢はゞ黃ぎくの寺とまり重陽も同じ所にとゞめられて初君にけふのきくにも逢ざりしこほろぎ橋より思案小路と言にかゝるに、をを凍るぞといふ聲佗し草鞋〓粟生津のやどり寒い筈彌彥の道を軒の下むさしとむつの二法師、喜年が別莊にうつりて年おしむ日もよき程ぞむくさの屋かくいふは師走の末の六日なりけり。こぞの秋もこのあるじのもとにありて、七夕や拾ふてもどす蜑が櫛といひしが、この國をさすらへて又こゝの初がすみをかぶる。蜑がはる櫛の繪の松はありふれし乙姫の手向の齒朶かうき身宿錢提てあらはしたなや薺買〓絕の橋の其爪がもとへゆくに、德一といふ山根を過苗取も植るもひとり子もひとり山·はなるゝ峰、たとはゞ親の袂にすがれる兒鏡のうへに腹ばへる孫に似たるべし。待冬を岩木の山にかたれたりしらかみの麓に、からくさき名のレフケと呼ぶ濱村につゞきて、宮のうたといふやさしく哀なる所あり。胼となる風もふせがず小家ども南にさかしく立る山を七面といふ。根山のなだらかにひろがりたる上より人すむ家あり。すこしくだりて、商家·靑樓に十字街をなせる所、すべて山のうへとよぶ。住はすむ七面の冬を背戶の口斧の柄と名づけて僑居に移りし時折柴の猶細かれや爐のけぶりあくるあした寒けれどたのもし月のもりし跡はこだて斧の柄にとしを迎て、閏きさらぎのころは、松まへ靑標老人の方へうつらんと思ふこゝろあれば海外之部名にをふ怒潮を隔て南の空をしのぐ。影はそれと、此地の人くにとはでしりぬ。つらなる豆大丸
置ざりになるとも知らず春の來るかの艸をうちはやす事もなきならはしの嶋にあるに、雪さへいとふかゝりければ薺なら垣根中なら見ざりけり留主の嫗はさぞ鶴髪打たれて藪つたの芽にいひ出すか歸る事このやうにあやめ葺ても寒哉去年よりの旅寐に老が身は、あすをもたのむべからずなど人につぶやきし事有しが死なぬこゝろ今宵の月に見られけり人の許より粽を贈りけるに、山菅にて結しばりぬ。この艸をヤラメと呼ぶよしを聞てあやめよりすゝきの名より哀ありほし合の空晴のきて、外が濱へおしわたるよき風の吹出たるとて水主ども、便船を乞ふ者のやどれる家〓〓の戶たゝき歩行もいとさはがし。舟人や梶の七葉の七ツ起病すこしこゝろよければ、はこだてより松前へうつる留別あさがほに立出る身は木槿かな種ひてず麥まかぬはこだて·松前に四とせありて、鰺が澤へ歸〓の舟上りせしあくる日、山添に田を植る人を見る。されば道のかたはらに捨置たるすら、あまき露ふる蓬萊の艸のこゝちせられてうれしさはこれにもたりぬあまり苗小湊にて立秋旅の夜はまだみじかいに秋の風先人、手づから庭裡に數種をうつし植て、とく繁陰をいのり申されしは、二十六年のむかしなりけり。殊に雪のあした·月の夕は、此君ならでもこれに對して硯を鳴らし、盃を擧たまはざる事なかりき。ことし文月中の九日千秋のかたみを殘してなくなり給しが、吹風·置露も身にしみて、たゞ哀とのみ覺ゆるこよひ名月や親の位牌を松の上若艸や野に立る木もないところ君見よや榾伐山を窓の先ほたはらや芒の芽には波も來ず古禪師の手向芋あぶるけぶりにつれて去られしな山家にやどりて祖母ひとりいざよふ月を見ざりけり江戶よりかへりて、草菴立春旅寐せしはるは昔よむさし坊御降もまれなる數におぼえけり長嘯が鼻かむはるの月夜かなあすの夜は滿月さそへはるの水隣から南へむく や春の水たんぽゝや一目に見やる莖と花ねはん像ひまゆく駒も見ゆる也これをふみに出て蛤や波つまづけとならべ見る六里來て田をうつあたり中尊寺かすむ事わすれて居るか梢ども有明は雫になりしさくら哉月させどよく〓〓闇き椿かな(大)袖が崎仙臺大守公の別莊に、我が片倉君に陪從して春に逢ふ。屠蘇なめて來る人よみな國の聲松除亭さほ姫のやどりとならば軒の松ふそくなく夜に入ものや梅の花作寺に錢なきころやけしの花山里のならひに葺とはや霧吹かけるあやめ哉秋立やうすは荻萩の葉にも劣らで三日月や世すて人らが立さはぐ燈籠が消ても來るや水もらひこれがこのうしろくらさよ露の主晦日の又も過けり雪どころよきことはことはすくなし歸花雪車負ふて歸るにしりぬ遠い道こがらしのいぬゐに去りぬ世捨人云·七.
木がらしや女あるじの明し兒巢居が身まかれしよし、きよが許より文こしけろに驚てけふよりや佛をつくる雪と見る難波人の文を得てうらやむ事有住のえの岸に行てふとし忘旅思待もせぬうちぞ瓠の花も咲寐る事をあまりきらいな小鴨哉包まれてしづまる此や白い紙松前、をのゝえ早春三日月を出て見るあとは嫁が君ふむ苔の匂ふさうなり鳴かはづみのむしの雫にうつるほたる哉あら海や佐渡に橫たふとありし翁の句も、この地の哀にくらぶれば、中〓〓ものゝ數ならでこさふくもこゝろもとなし天の川事しげき人の爲にや月二夜小國といふ里を過て、しのぶ摺の石ある所へ山越する時晩稻苅れ赤そぼ水をふむあたりしら雲の濁る日もある落葉哉芋澤といふ山里にて鳴けば名の聞たくなるや雪の鳥伊勢にかしこき長官何がしの米字の壽の句を、同じ國の人より乞れて遲日の神代に似たる翁かな撫松樓迂翁壽詞古稀をもろこしの人は逢がたきやうに申置ぬれど千世の數貝まいらせよ伊勢の蜑翁の道ばたの木槿の詠を楠亭の圖したるに、いせの人の賛を乞あり。甲子紀行の時を思ふて旅の日のまだ露置ね句の心中尊寺二句帷子を着て寒がりぬ御僧達經堂を守る老ほうしは、いさゝかしり人にて紙魚わかぬつゐでに蚤のはなし哉山鳥は人ひく鳥よ蚋のさす酒呑のうるさがるなり蠅はぢきふたりの孫と笑ふ〓〓、六皮半にむきて瓜くふて蟻にひかれそ木かげまで邊〓鶯の老にくらぶる老もなし杯一抔の茶ももの〓〓し扇置他に三とせやみて、五年ぶりにてふるさとの盆會をつとむ。我箸も苧売にかぞへまぎれけり法と願と糸による心のすじのひとしければ七夕の夜もよそにせず西東矢にはねをほしげもなくて立かゞしこれとてもさかり有けりまんじゆさけずゞだまを植し母なし芙蓉咲そこらうちいひ合せてや飛いなごからす瓜そも〓〓赤きいはれなし蕣のあはれをかへせ新酒汲佛にも初穗といはめ木綿所晝ばかり人來る家か梅もどき日は西になりぬ柚みその釜の影蘭白し蜘のふるまひにくけれどわたり鳥とりの海には灯がとぼる祭迄すゝき苅せぬ小村哉朔日の禮からいふやけさの秋雄爲より南一丁ばかりさしいでゝ、此國の人のはかなくなりにける遺骨をおさむる所有。立ながら珠璷する僧の後を見るに泣人のなみだ吹きる野分哉熱をくるしみて待つけたる空に月も戀しく、戶口の萩も嬉しきはじめ、かたはらなる寶物集をとりてよむに、尊く哀なる事多し。小槌はめでたきたからながら、ものみな跡なくあさましきよしをも書のせぬ。今の世にいかなる鬼のこの寳を持つたひぬるにや。打出した秋なら消な鐘の聲尾花白阿がともがらのあるじせる遊舫に日のかたぶきて瓦·五
斧の音かすかなる谷にひゞきて、木の間に暮いそぐ影は、世に繪がき殘したるゆかしきすがたなり。雪に樵る翁もひとり蓑と笠きのふには似ず、日はなやかにさしのぼれば、おなじやどりを出るに駕もかなはで負れてもあしする雪の桂橋橋の名はおかしけれど、寒くくるしきは負ふ人にもまさりたる老が身なるべし。述懷慮外なりなやらふ宵の足たゝずところは塩がまの法蓮寺とおぼしくてはつ夢や訪へば出さるゝ桐火桶春や祝ふ嵯〓にて向井平二良白石城主の家の子の末のすへにつらなるものゝ中に、我庵ちかく住あり。木兎曳も捨扶持もちぬ春立ぬ所思我とても墨はく烏賊の迯所鯛に手をさゝれにけりな外が濱多竹人をして野ならしむ。我すみかにとゞまる一峨法師に贈る。ふすま着てきけ鶯の步行音はつ雪や晝降ものとおもはせて翁の日は朝とく起たれど何をかせん、極のひさへものうくて時雨まつのみをのゝえの朽法師達摩忌や南天の入汁の中荒神の松も買れぬみぞれ哉鰒ひとつ來て見劣るや遊ぶ魚宿かれば木綿の實をふむ寒哉うづみ火や蘆火たく家の更てあるふし漬のしづむを覗く小舟哉そも漁者の短艇にひかれ、閑鷗に伴ふは、詩つくる人のうらやむひとつにものしぬ。中にもひとり釣寒江の雪といへるはよき詩のよし。嵐にへだてられて出羽の國矢代峠の麓の里にある事二日、菰すだれを押て戶外を見るに、系大書俳本日極のひ哀に悲しきは、またふる年にかはらざりければ、巢兆佛がたぶけに朝每にあさがほ植んひとつづゝ木の芽くふ小鳥もまてば待れけり山彥もぬれん木の間ぞ雪雫めし粒もはるは來にけりいかのぼりものふりぬ梅の鳴子の鳴あたり梅に月待れて出るもうと〓〓し泥つきてゆかしくはゐは何の玉老慵爐ふさげといふ人けふもまたありぬかたばみの花雨降るとなく雀卯の花の暮も見がてら茶振舞山家の夏といふ和歌題を得て爪木こる日をさて置て豆植る井に落す硯もやがて夏の行すゞしくも見へず大工の筆硯竹竿頭上に付たる願文我すむあたりより十府のすがごもた織里も遠からず。道のほど、川〓〓もあれど人のかけたる橋ありて、かさゝぎを待わづらひなし。尤しのぶの空の忍ぶ山もちかく候。戀せぬ夜あまくだりませ二ッ星草の戶ざしの月夜〓〓は、訪ふ人もおもひ絕て露なれてむしのやうにも寐ざりけり仲秋無月月やこの芙蓉も持ずくもる菴松前へ行とて旅立し蘭叟が、つがるにさすらはんと思ふ頃なれば今宵しも雨の月見ん水鶏村いざよひや不斷さくらの影がさす十六夜の明てきこゆる鳴子かな今宵の空に降そゝぐ雨のうらみは、姥すて山のふもとまで糸の如く引はへて、なぐさめがたし。おろかなる老心に束の間もぬれたるひかりを宿さんため、床にかつらの花を活、戶口にさゝめの蓑をぬぎ給ふ所をもふく。待せはし月を迎にそこらまで三·五
寒月や御鷹の宿もするあたりそれ鷹に擧見せたり西あかり庚申の夜に逢ふ寺や榾明りかまくらの代を先おもへはかり炭先に立て鉈を腰にしたるは、山中に入て松きる親なるべし。手習の友にや行違ざまに、いづこへと問ふに、其いらへするをきけば人の子やはるを迎にゆくといふ今はむかし、越の喜年が許にありて、むさしの巢也とゝもに年ををしみ、ことしは尾張の不轉法師と、出羽の赤湯といふ靈液のわく山際の里にとゞまりて、年をゝしみ病を養ふ。ひとつ橋あやうき老が年ぞ行睦月十五日、赤湯の里の山に添ふて行事あり。鹿の飮流れも、氷のくさびひまなく打て、さらに春とはおもはれず。大步〃に月日をねがへ谷の梅万歲が留主の妻子や飯時分あの畑はしつけぬ麥かとんど焚松竹になる氣もうせる野分哉しらゝ迄こゝろをやりて扇おく鎌ならす秋はどこでも稻葉山老婆が七日〓〓の花も、呼ばもて來てたぶくる農家もあれど稻かけてきくの日遠し垣隣俤は軒にあやめのはつ時雨木兎曳が身にも大事の月日哉草菴を出て米澤へ行途中冬來たぞ山路のきくにもらひ泣ならの葉はまだなくならず柞の木みちのくと出羽の境、湯の原にて山風の吹出口なり冬の鳥米澤高畑の里飴包む見世の木の葉も冬げしき同途中胼いのる神もありげに遠小里彼は來る人、我は行人出ぬけたか橇ながら小さゝ原遲き日に着たら倦うぞかくれ簑酒折は十日も遲し植る菊老てもはるは嬉しく飯鮹の飯より多し遊ぶ事拾子や薺の花の夕ぐもり山下·龜戶·川ぐちとめぐり詣る夢の中に薺にも花さくこゝろ六阿みだふんばつて解ぬ氣になれ松の雪鶯や菜刀投て出るあるじ森岡に久しくありて曆書田山の冬も今少し田山はめくら曆の中所をいふ。病ながら松前よりかへりて、無月雨の月ふたり見る夜を月の雨うづら鳴野を片脇に水見舞まんじゆさけ遊ぶ鳥さへ持ぬなりまじなふて蚯蚓鳴せず菴の僧我をはじめとしてはいかい師梢の柿の蔕ばかりふそくぞとおもふ朝なし麻の露四十八年を經て谷地に至る書懷小手まりやしらがと知らで昔見し彌生末の九日より石蘭亭にやどる。ある日薺屑にも劣る老が身の旅情をなぐさめんとにや、あるじみづから園に入て、床頭の器に挿たる影の夜に入けはひは、そも瑤池の仙か姑射の神か。おしげなく活し牡丹を見るやどり六田を前に、野田のわたりを跡にして麻とてはまれに蓬のまがり道舟中氷雨ふりし雲納らず最上川板敷山の麓、最上川の岸頭に家居せる古口にやどる。おろ〓〓し闇の皐月の初る夜象浮の風景、みな砂にうづもれし前の年なりけり。酒田にくだりてあやめふく日に逢ぬ。曆し〓が許にて仲秋
老が身をしたひ來にけん舟の蚤世に名高き跡のおのづからあれゆくは、あれゆくにつけてなつかし。この象浮のあらびたるに、荒びたる自然をうしなひしよしは、鳴神の音にのみ聞つたへて、けふしたしく見る事を得たり。まことさかしらに利をむさぼるものゝ一言より、浮のかぎり田となりて、能国家からす爲をはじめ、ありとある鳥の松も、むなしく早苗吹よのつねの風にかはり果ぬ。さるにても立去がたく、そこらさまよふうち一村雨の降出て、たゞきさがたのとありしむかしのけしきにかへりたる哀は、秋のみにあらず。ゆふ暮は泣にふそくのなかりけり蚶滿寺苔ふみて花にもなさず岩根12道マゝ)秋田の湊に、つくしの乙澄とゝもにかり寐する頃、波にぬれ露にしほれ來し旅衣はす日なくて雄鹿山も鵜も見ずなりぬ雨つゞき今年又はからず爰にさすらへて此日に逢ふ。かつてこの粽ときしがちまきとく長翠佛、苗五寸を見て白川を越しより、予が庵を出羽のゆききの中やどりとして、畫廊(聲に草鞋をときはじめて、いく度といふもしられず。あるは松嶋の初日を詠、葛のまつ原に櫻さくかたを枕と覺英僧都を想像し、忍ぶ影山には秋の日の暮てもくれぬその願をしのびしも、今は昔のかたみぐさと成ぬ。予もさいつとし、はこだてに病て、死なではかなくも生のびしが、身は老、命は露ながら、いまだ歩行神のはなれず。この塚に來て涙をこぼすは、濁りにしまぬ葉の上に向あはするも遠からじとおもへば松ぞ散るひとり言いふ膝のうへ河道上人の院内さみだれや葉守の神もおはす庭酒田より秋田の湊へ行。蓬の底に起臥して塩越にかゝるゆふべ、蜑が家にひとしき客舍にうつる。久保田にある有名に巢兆が繪がけるえびす大黑に賛を乞れてむつましき神の宿にはうめの花家〓〓に書てたぶくる者の同じ心なるはほしの歌覺る事にせざりけり乙彥、すけひらに伴れて杖のむくところに遊ぶ砂山も道ありけりな初月夜三崎山は二里斗の間石するどにしてわら沓を嚙み、いはに尖りて衣をさくよし。予あしの病ありて、かの山ふみする事かなはず。本庄の人〓〓の酒田へ舟にて送らんといふまことの心うれしくて、又四五日とゞまるに、帆かける日なくて十三日になりぬ。おもへたゞ盆の佛も越山路高野の濱にて吹浦とこゝろはなれず波の雁枯木ほど更るものなしけふの月羈中露置や我も艸木にいつなりし捨人の飯はつめたし紫苑さく入るな月夜明ぬうちはけふの菊最上川のほとり扁鼠庵に半月ばかりあるに稻舟のいねともいはぬあるじ哉松前の礒ありきして指さしてさむからせうぞ岩の鹿臘八のこゝろを師走菜を召シにや山を出る佛師走中の九日、三厩にて二句よる波のこゝぞ曆の軸はづれ降雪を仕事にはくやかゝりぶね県の都さむいにもよい程のあり楫枕錢百で買れうならば波の鴨素月は耕春寺の客として、予は希酷亭をあるじとす。ものいはぬ人のうへにも年ぞ行松前のかへさ玉之亭に齒朶買ふ頃よりありて、三とせの草枕に老をかさねし書懷三·七八
〓水をふみ、茨の香をつたひて雲居の住給ひし山にまうづ。壺の茶のとふから盡てむかし寺子子よ蝶になるさへにくきむし蝸牛淺茅に花のさくをまて露くさくなりぬべらなり汗拭けしに須彌入れし心よ露の月山吹や荒鵜に暮を見せに出る病中春日松島の鶴になりたやはるの空入れば入る我も出羽の雲に鳥今としも病を身とし、草をまくらとしてどこの花どこの芝生か死どころ鶯に逢ぬ日はなし袷時五日新庄接引梵刹に有て我眼にはくすり降日も雨の露秋田雄勝峠を越時夏霧にぬれてつめたし白き花神宮寺川を舟にてわたる。乘合の中に端を濃はる立ぬ山にすみれを摘もせで芦の芽に肝つぶしてや居ぬ千鳥七くさの秋に逢へとて柳さす芽柳を見ぬ人がいふさむさ哉はるの夜や袂の熨斗を思出す鶯やものゝ芽をはむこゝろなき御法會の埒もとらぬに春の雨菜の花の中や手にもつ獅子頭さう鳴は嬉しい事かはるの鳥加茂へ來て捨火の沙汰もはるの月さりとては齡かたぶくさくらかな廣大な事で泣れずねはん像神鳴るを出て聞家や夏木立さびきつて碇の暑し海のはた村中の鏡くもるにわくしみづ長生をするも詮なしひきがへる穗に出れば一品くだる田麥かな禰宜殿に馬も借れず麥の秋淺黃の木綿にて緣どり、いたゞきも同じ色のを丸く縫つけたる深き笠を着、前に鉦皷をあてたる人有。側に扉をひらきておろし置うちを見るに、こがね·白かねの箔きらめきて、さながら尊げなり。すゞしかれ笈の佛も同じ舟秋田湊雨を伴ひ雨に伴れて此地にさすらへしより、小鯛と烏賊うる聲も十日ばかり絕て、又十日斗過ぬ。あはれ晝さへくらくて、たゞ海の鳴をのみ聞。百合しみづ山路床しき折も有いなづまの一夜になりぬ酒の味松しまに隣る名の象浮の田となりしを、あらすきかへしてにくまれ業するは、そも何のすさみだるゝ中におもひつゞけるあくせぞと、まり降雨のほたるともなれ小百姓ある行脚、予がみなとの佗寐をたづね來りければ、戯に行先をトしやるとて水の粉の吹ちるかたへ往てやどれ秋をさだむるはじめとは、七夕の夜を翁の申されし。立秋の眞なしからね六日まで風誘ふものゝみ多し御秡の具ほし合や白き袴に更る人岩木の山を言かよふ斗に仰ところにてつゆほどに思はれにけり老が形ふたゝび外が濱にいたる日は八月十二日なりけり。吹風身に砭し、眼のとゞくかぎり物みなすさまし名月の來ぬに來るにや十三夜よべかりそめに降いでし雨のやまず降に、帆をおろしいかりをおろして、はこだての內山背泊りにとまりぬ。誰がしらせたるにや、布席·草琚·來車をはじめ人く、竹筒·旅破籠を載せて漕來たる迎の舟に乘うつり、ひとり〓〓に酒くみかはして、日さへ良夜といふ日、ふたゝび逢ふ老のいのちの嬉しさに泣けば、おの〓〓渡海の恙なきを賀して泣ぬ。とかくし三八、
ある時は雲のふすまを着るやどり鶴龜に見せたきものよ蛭子講編笠を着た人寒し衞より埋火といふ名をもてり星ひとつむかし繪を見て尻さやは誰やら雪の鈴鹿越なき人の來る夜近かれ冬籠花をふむ鳥よりにくし鰒のつら水仙に花なき里の小鴨哉しら魚のとれる噺や水仙花未練とはこれらなるべし薄氷はこだて斧の柄居いくたびかあぶるすゞりも年一夜歲首羽子板をやりたし雪の奧山家奧のうみのこの嶋まで、日のめぐみいたらぬくまなきにつけて、やさしきかたもあるすまゐかな、と西上人のよめる伊勢にての哥を思ふ。けさの春にし吹山にあるこゝち七くさやうまや祭の猿もゆくて楫取ものらがいざといふに隨て行〓〓山もゆくに、ひつじ過る頃膓來舍に入る。やゝ醉色の顏にのぼりぬれば、しばらく遊仙の枕をあぐるうち、例の人〓〓またつどひ來りて、千嶋の空あかくなりぬといふ聲におどろかされて眼さむるに、すみにしあともゆかしければ/ g/斧の柄の朽でも明な月こよひはこだての間にかゝりゐる中に、こゝろおぼへのみよしも見へずなりてきくの日に逢はでいにけんつくし船水張の菅家の像も十三夜待もせぬ月や夜寒の黍ところ橘に火かげさす家のきぬた哉鬼灯や旅せぬ人はゆめに見ず月をさへ先へまはして秋の行枯野をかけめぐるとありしも、けふの哀におもひ合せてしぐれせよ翁の夢のきえしほど寒月はなみだこぼれぬ照やうぞ市姬の神もおよらじ若菜の夜花椿鬼門射る矢のむけ所ねはん會の前夜、高龍蘭若に詣づ燈のかげもにほへねはんの經の紐つく〓〓し風の小松もうらやまず御忌の鐘死なぬ藥もありときけさほ姫といふも正月言葉かなまた嬉し二日灸の過しはるみちのくに生れてきさらぎ廿五日も、たり聖廟をおがまぬをうらむ。空かける鳥ともならば一夜松(一字闕)繼穗した木もなし酒も無あた雛の君あづまくだりをなされける袷着でまいり居るなり文使卯の花にきのどくがるやめくら馬ころんだを繪に見て久し鍋祭川風のちどり思ふやところてん我影の寐やうとするぞ夏の月みじか夜や山の咄が水になるをのゝえの軒近き七面の山の奇景も、あやめふくけふに成ければ素月尼に贈る。これ提て七面見に立テ粽二把さらし井やよそへ家鴨を誂へる龍宮でつく鐘の音歟五月雨蓮一葉うくやうれしきものゝ數わらべどもの淺瀨に瓜を流して、あらそひ取て上ツ瀨に投やり〓〓するを見る。あかぬ間を玉川にするあそびかなあけぼのゝはるを見せたし竹婦人むそじに四ツを添たる良夜いのち也月見る我をくふ蚊まで去年より薺あるところに、しるしの竿を立置ぬるに、それさへ雪にうづみてお雪めがとても逢せぬ薺かな途中立秋けふからはほしの草なり野撫子(マゝ)六とせばかりおもてせぬ宇考老人が、今としのはる世をさりしよし、此國に來りて聞、哀を赤湯の里よりおもひつゞけて見し友をへらして今宵月の前三八五まのあ明治4
行秋を鴨は迎に來たさうな起しても又伏菊や九月盡龍膽はどこの山根のはつ冬ぞ枯てこそ忘中なれわすれぐさ正月がいつくる事ぞ霜の齒朶北枝があらはしたる集に、角つゝむ越後の牛の寒哉といへる句を、この國にある日ふとおもひ出して角つゝむ牛を見やうぞ散るこの葉今年は長崎へ行んと思ふ心あればはつ夢や追れてありく須磨の波なら坂といふを、七めぐりめぐりて、·2·8·柏も見ず、綱木の里に下る。つゝ鳥の木がくれみちもつゆの秋檜原たうげをのぼりつめたる所に駕籠をすえて山萩のちるや日のさす膝の上行〓〓て水音と鹿に又逢ふ山路哉さかしきにうら表なき會津嶺のもみぢふみ分るのみにて小男鹿や里へとゞかぬ聲をもつ四ツ谷の里を過麥萠て冬にしてあり小家の秋あとの月の末松韵が許にたどり着て重陽に逢ふけふまちぬ越路の露を見し日より旅にしあれば椎の葉にもる、とありしむかしの人のくさ枕ならねど、老てはものにふれて心ぼそき事ぞ多かる笥の飯も我家ならず后の月後の月彌彥に寢しもはや昔霧雨や白ききの子の名はしらず·2·8·右松窓先生句集一卷、句都若干、平生所吟詠隨得而錄之。門人會請刻之、不許。蓋詹〓之言爲不足以傳於後乎。將有不慊於其心乎。庚辰之冬荷病自越歸荏再三年。其子〓商通與其姉謀竊取刻之。刻已成而先生逝矣。先生晩年踪迹多在東海上。故其句亦多東海行間之吟。辛巳之春有西遊之志。欲以西遊諸州所得之句足前爲全集。罹病不果。抑往不許刻之者、其意亦不得不在於斯也。文政癸未九月念五松井元輔書萍集窓樗堂
尋常一樣窗前月。纔有梅花便不同。樗堂氏が家の集、の梅月を同じうするものとおなじからず。芒の糸の長くさびわたり、萩の露のよく栞して常に古人とこゝろを同じうす。尾張朱樹叟士朗序萍窓集序樗堂翁嗜誹詞也蓋五十年一日矣。乃雖造次之頃風雲月露未曾離其懷。是以奇言俊語動有驚人者。翁本豫人。愛藝之三盤境頗幽奇、遂寄萍蹤於此多年。集成稱萍窓者以是也。予書其由冠卷首。文化壬申春日劉元高援筆於三盤高橋盟水亭八七
格別な日はあたらねど梅の花うと〓〓と虱を捫りつゝ梅が香の我をやしなふ旦哉須磨の日のちいさく出たり梅の花月の夜に十日はやくて梅の花門よくさしてよ、野良犬の壁かきこぼち、筵のうへを寐所にするぞと、および越につや〓〓と梅ちる夜の瓦かな出たければ出る夜が出來て梅の花寒い水は流れて去し柳かな柳陰田を作ふとおもひけりどし〓〓と枕もと踏あらす舟の男等が尾籠に驚き、篷のひまより首さし出せば靑柳や雨に濡たる淀の城木の間から春の見へ初る柳哉出て見れば春は柳にとられ鳬萍窻集系大書俳本日春部けさの春何所ぞに誰ぞ草枕あたらしき此さびしさや菴の春おもふ所先何シぞ、山舘の梅·野亭の柳あたゝかになるが嬉しき花の春例の二三子とく集る庵の春二日の夜より更にけり九〓庵がかきたる不盡の〓に我國の春たつ山の姿かな遊ぶにはたらず寒さの梅若菜靑柳のうごくも寒し御忌の鐘多所思松處〓〓あり春草のむかし道一日も捨る日はなし梅の花春は春なりけり、西へ行人、東、行人柳陰何所への旅かいとま乞鶯の長居や小野の家づたひ高臥避〓喧黄鳥のこゝろに成て聞にけりうぐひすとふたり春たつ菴かな鶯や鵙の古館を踏おとし遊ぶにも月日は減るぞ百千鳥竹の小窻突あけ、机の端を叩き〓〓寐は寐てもすむ身を春の朝雀春の鳥寐る迄も啼林かな今もゆかしき松は花より辛崎の朧問ばや蜆賣秋風も春風も寒き菴哉海はみな白魚になれ春の雪霞む田に下りて雨呼ぶ鴉哉草の戶の餘寒や去ぬみそさゞゐ西へ行人、東、ありく間に忘れし春の寒哉書齋火もくれぬ火桶に春の眠り哉初午や兒見せによる乳母が宿此頃の俳席五三夜もうちつゞくにまた草庵の月次を催す。ちく〓〓と見減らす春の月夜哉春の月むかしが見へて哀なり春の日の足らで出て行月夜哉春の夜は寐處に寐ぬ夜也けり春の水酢賣とふたり渡りけり陽炎の中へ散す や麻の粒良峯より小塩へ越る山中、管人、ずして雨降る事急也。雉子の聲しばしは鳥の聲もなしものに氣の狂ふ鳥也松むしりあはたゞし夢の中より歸る鴈眞野も堅田も霞こめて、湖上の美萍窻集
魚店ヲや遲き日影のつり筵爺婆の寐處出來て桃の花雲雀鳴たつ道野邊のけしきは花堇何所から來たぞちいさい子倚杖看孤石すくなしや春每日の行處十日ほど花に捨たる都かな花盛散より外はなかりけり岩のうへにも寐は寐なむ暮かねて花に淋しや尾長鳥けふの日の年に二度なし花盛瓢酒空しく盡て人の顏花に見られて居にけりおほかたは散そめて花の盛かな大炊川さて散花のさかりかな我住む松山の南十里ばかり、阿山のおくに寺あり、岩屋といふ。高野大師の開かせ給ふ所也とぞ。尊くも金胎の峯さかしく立並び、眼景ふたつみつを殘す。見て居るや鴈行あとの峯の松鴨減て水のさびしき二月哉蛙子の蛙にならぬ水もなし槃特が箒は心の塵を拂はれしとや出て啼けと蛙掃やる垣根哉ものいふか田螺の口の水の泡蟇の出て萩の芽を喰ふ小庭哉身のほどをしればしらるゝ寄居虫哉猫の戀逢ふ夜がちにて哀なり須磨の猫あかしの猫に通ひけり漫遊の僧三河の普天に贈る名を捨に行よ胡蝶の草枕初櫻花の世の中よかりけりけさがたや夢に笑ひし初櫻ひと春を花にかたよる椿かなおのこ子の無理いふて雛かざり鳧八尺庵探顯得筵字にふるゝものみな千歳の俤を殘し、白雲常に覆ひて斧打音だにも聞へず。仙人の窟は蝙蝠ひら〓〓と行かひて苔の滴り乾く隙なく、梯子の禪定は老の足もとよろ〓〓と一歩もすゝみ得がたし。下に一宇の坊舍、いはほをかたどりてあやしき屋根に作りなしたり。此あたりわづかにひらけて登りくだるに、寒巖の老松落〓と聳へ、鈴鳥·佛法僧の聲〓〓水に落、〓に響て百千の音樂自然におこる。されば彼匡盧天台の御山も心にうつりて、見返り〓〓不請の念佛四五遍を唱ふ。そも花は風雪のはげしきにおかされ開落をのづから他にかはりてやゝ遲しとぞ。木がくれて櫻久しきさかりかな牛馬の骨折見ゆれ山ざくら山ざくら靜にうつる琵琶湖哉土くれうつ老父を呼かけ、花は〓〓と尋れば、是もいさしら雲と苔へけるぞおかしき。人の行兎の道や山ざくら遲ざくらつく〓〓見れば遲ふなししりがたき花のこゝろや遲櫻漢人丸山に遊ぶ圖花に鳥鸚鵡の舌のほしげなる山吹に最早と出たりかたつむり順禮の子や煩ひて木瓜の花春〓〓とおもへば春も暮にけりやよひ晦日よしのゝ麓にてけふばかり春を六田のとまりかな萍夏部窻かさねて嵯峨に遊ぶ日夏の來て夏はや深きあらし山三九九集
みじか夜のうしろに立り不二の山夏の夜を足す每日の枕かな老ぬれば初音も遲し郭公更てまた外のはつ音やほとゝぎす懷古夜曇る八島の海やほとゝぎす只居れば晝も待れて蜀魂御手洗へ渡らんとて風早の浦に出れば蛤の口開くうへやほとゝぎす伊勢の山神代より啼ほとゝぎすある上人は人を深山木にしてとこそ靜なる四條の辻や郭公何所までかこゝろを誘ふ杜宇月の鳥雨の鳥也ほとゝぎす行基菩薩は一生杖にも柱にも此木を用ひ給ひしとて、翁ある山中に花靑葉人の三月四月かな庚申菴の小池をめぐるかきつばた花にかくれん老の影踏欠て卯の花つかむ夜道哉關の東へ行人に馬の錢す逢坂の朝酒すゝむ若葉かなそろ〓〓と若葉になりし老木哉村舎に立よれば散罌粟の中より見ゆる白髮哉見て居ればひとつもちらず芥子の花茶筵に疊み込たり柿の花室の津より船あがりして此さかひ這わたりけるは、卯月もまだ三日月の影ほのかなる頃麥枯る風が吹なり須磨の山麥の穗を葎のからむ戶口かな田を植て後に麥刈る山邊哉草の戶や人の惠みの初がつほな系大書俳本日て世の人の見付ぬ花と聞へしも西の木の栗に寐るかよかんこ鳥樹を立て其後は見へず閑古鳥白飯風蒔てある粟など拾へかんこ鳥靑鷺の我身もしらぬ眠り哉朝雨や水鷄追行淀の犬引よせて松葉さしけり蚊帳の穴賓や扇ばち〓〓と蚊帳の中かねておもふよしのゝ山ふみも花にははぐれたれど、さすがに若葉·ほとゝぎすの空なつかしく、吉水院のあたりかなたこなた見めぐりて、先蕉翁の吟跡を探る。むかし聞ん夏衣うて坊が妻花鳥の筵ふるへば蝸牛ノ貫が佗にも落ず、蜷川が禪にもよらざる此あるじの高致に驚く。靜さを鳥にとられな苔の花竹はまだ植しまはぬに月夜哉そこ退て竹植させよ墓一卷書を開き、一盃聖を樂む水うつや掃や植たる竹のもと鶯の氣みじかになりぬ五月雨菖蒲〓の需五尺ばかり出たり菖蒲の夏の月砂川や鷺のまたがる夏の月傘開けて行やうしろに夏の月世忘れの風が吹なり夏の月おもふ事品こそかはれ夏の月快哉氷簟けふの日の目出たく暮て夏の月蜑の子の田植眞似るや磯の草鳰の巢に鳰のとまりて眠り鳬六月や旅人に逢ふ夜の山子のほしと晒布搗〓〓唄ひけり三九五萍窻集
おもふ事の捨處なり蓮の花行て寐たし蛋蚊の居らぬ不二の山草踏めばまたあらはるゝ〓水哉樹下避暑こちにこそ見て凉しけれ藻刈舟涼しさのひとりにあまる菴かな芭蕉の〓に嵐雪は遲しはせをの下納凉南潮山の遊び、局上烏鷺のあらそひ、日關て客散ず。小坊主や榎にすがる夕すゞみむかしある殿上人の扇に、西十七寳及王位、臨ニ終終時不隨者といふ文を書てもたれけるを、御門町覽ぜられてこそ世をそむかせ給ふの御心しきりなりしと。今聞さへもいとありがたく覺へ侍るに、かなれば我等、あしたにはゆふべをのみたのむおろかさ。いづれの日か此心盲のひらけん事更に覺束なし。系大書俳本日秋部來る秋の寐もせず荻と遊びけりけさの秋兒も洗はず步行鳬絲瓜·朝がほの垣根〓〓蜘の古巢拂はむとて、笹の箒よろ〓〓と振廻したる老の朝起ぞ憎まれがちなる。柴の戶に入るや秋たつ山の影いつくしまにて秋たつや潮みち來れば鹿の影ほつちりと眼に秋來ぬや啼雀水りんとして初秋のかきつばた出かゝれば來かゝる人や宵の龝遊ぶ子に枕くれけり夜半の秋此春のさし木の柳散にけりの〓を經て出るとぞ。よしが淵·后が淵なンど數峯影を倒にうつして、見るさへもまた目くるをしき。龍の口といへるより、水ふたすぢに分れ落て其下一幅の帛を裂が如し。雲霧たちまち起り重りて、幾千尺ともさらにはかりがたし。かの小柑子のおほきさにて亂れ散と云しもの、覗ける岩にほとばしり、怒る聲·咽ぶ聲しばしもこゝろ安からざるにつく〓〓と聞ば瀧にも秋の風白露のうへにもしばし旭かな小柴さす嵯峨野の神や露の中しら浪のうへまで露の夜明哉路うねりまがりて特牛月に吠る露は露の心をつくす夕かな霧雨や身を木にふれて鳴鴉はら〓〓と稻妻かゝるばせを哉三五無造作なるものは田家さむしろや飯喰ふ上の天の川のつと出る日の露けしや銀河〓賛踊れ〓〓露稻妻の夜短し秋風の下に寐て居る漁村哉住の江や鶴もとしよる秋の風悼大魯これ聞ふとてか此頃秋のかぜ龝の風人ほど死ぬものはあらじ老死藥なしといへど、無何有の〓のあなたにはまたありとやらも聞ぬ。秋風や鏡の翁我を見るあら海やものに離れて秋の風秋風に向けて飯焚く小舟哉別に記あり廣村瀑布觀首屋茲に略雄瀧あり雌瀧あり、水上遠く黑瀨萍窻
朝がほのけふもめでたし花の上我菴の朝がほ今朝もまた白し十とせばかりを經て友人に逢ふあさがほやならべていはゞ花の皺朝皃の一日若し花の朝老懶萬事を休し、盧を出ざる事凡一月朝がほやうか〓〓咲て菊の垣萩の花散ねばちれとおもひけり夕陽鴉背寒荻のうへじつとして居ぬ日影哉岡崎や念佛うち消す荻の聲男塚はいづれ、女塚はいづれ女良華立よれば踏む蛇の衣行水の音聞すますとんぼ哉(先カ)道野邊や小萩にうつる稻の虫元へ〓〓行や螽の草うつり一絃の琴を能する人の問れし折から鈴むしの夜寒しらせる垣根哉我死なば菴をゆづらんきり〓〓す春夏に來ぬ人來たり初月夜山陰は三日月ほどの月夜かな默釣亭遠眺三日月の下へさし行小舟かな出るたびに秋は大かた月夜哉山里や婿連ありく宵月夜いつの夜も高き處に秋の月常に見る夜はなかりけり秋の月夕ぐれをおもひ捨れば龝の月月いれたる槇の戶、けしきばかりにおし明たりとはかゝるけしきか。人の來て燈ともす月の菴かな葛の葉の裏まで秋の月夜哉六俳仙の圖にむかしとても人は數なし秋の月見へ初てはや夜を照らすけふの月名月や山の奥には山の月〓風明月、一錢の買事を用ひず風流の罪かおそろしけふの月けふ〓〓をいくつも捨て今日の月靑山ながれて流水とゞまらず。江上の風光仰ぐ處俯す處。明月や眼を休ればあきの風あり明て見れば大きな榎哉萩の宿すゝきの宿や駒迎壽祝山里は月日も長し花すゝき見るまゝの夕をうつす芒かな廣野に行くれて夜もすがら琴の音を聞たりし彼梅頭が娘のしら骨は見へねど、哀なるさまの何となくおもひ捨がたければ花芒鹿の泪によごれけりよく見れば芒とはよく云に鳬淋しさを芒にむかふすゝき哉突立て枴にすがる田刈かな夢捨に鴫の立行月夜哉書まさりするもの、かきおとりするものゝあるが中に鴈下りてはや海になる芦邊哉辛崎や雁の來るたび夜の雨夕ぐれは鴈の啼也和哥の浦啄木鳥の月に驚く木の間哉田の緣や追崩さるゝ秋鴉粟刈ればやがて來て臥す小鹿哉日経費此頃や菊の白きも只寒し鶯の足音寒し菊 の花うす紅葉よき鐘の音の聞へ鳬啼に來る山鳩寒し柿の色末枯や日の出見に行園城寺萍窻集
露露霜に輕し雀の笹烏帽子着た船頭はなし都鳥こゝらの水の秋もしれ千鳥ほどの鳥が飛ぶ也秋の水日の出てもたゞちからなし秋の空無常迅速のいとゞせはしきとて、ある法師は居處をさへ筵に付ずしておはしけるとよ。鴫ならばつゝ立行ん龝の暮秋の夜の明ればおもふ夕かな此頃は夢にも秋の夕かなおもひ草臥て柱にすがりつゝ秋の暮日は短うもなかりけりの笹枕ね佗けり十月や枯木の中の花の寺大原はざこ寐の沙汰や初時雨初しぐれいろ〓〓におもふ住所蛸壺の蛸も出て聞け初時雨そよ〓〓と芒活出よはつしぐれ大津に赴く走井や行あはせたる初しぐれ懺悔淺ましや遊びごゝろの時雨會奈良七夜降やしぐれの七大寺鵜の舟を芒にかこふしぐれ哉いそがしう世のおもはるゝ時雨哉山驛荷を付てしぐるゝ馬や軒の下時雨するまでも盛や山の萩霜の夜の鼠來て踏む枕かな初雪や鳥屋の鳥の啼立る系大書俳本日冬部十月や櫻は花の木なりけり瀨加井の〓水·さへのゝ沼など尋冬の日のさすや蠅とる庵の猫無事此靜坐一日當兩日といへど只居ても追はるゝ冬の日影かな三日には三日月ながら冬の月冬の月人に遠退て靜なり忘れても居ずや師走の三日の月こゝ住吉の濱邊にて白浪や見事に出たる冬の月松風のだまれば寒き障子かな日頃來る人の絕て來ざりけるに寒き日を捨れば冬はなかりけりたゞ居れば只居るほどの寒哉行逢ふて寒しやしばし人の影投宿寐さゝれて二階は寒し旅ごろも葉がひとつ落ても寒し草の意南枝老人の葬を送るこがらしにすがる煙の名殘哉冬枯て鶴の眼はじく芒かな衞啼川洲の芒枯にけり牛飼ひ童の相撲塲にせしあたり、いつしか露霜寒くふしおれて、殘れる風情よろ〓〓と枯佗て時雨を招くすゝきかな人を送りて歸ると云し心を梵灯の烟のたねや枯尾花義仲寺の祐昌身まかりけると聞て、千影のもとへ申つかはす。外ならぬ終り處や枯尾華平砂に舌を擧れば、子は泣〓〓蟹を摑む。浪に引ていぬべき家や枯尾花引て行汐なき芦の枯葉かな枯なりや菊押よせる柴の垣行鳥の泪こぼるゝ枯野かな冬枯の家に並ぶや桑の畑三九九萍窻集
ともし火花を結びて丑みつを過るものおもひ居れば崩るゝ炭火哉炭〓〓と手まねきかへす戶口哉鶯も寒くばとまれ桐火桶かぶり居て何もかも聞〓かな無畏三藏の佛子を撲殺すと云れしは、汝にまさりていかなる行德かある。命長き蚤よと〓振ひけり烟してのどけき冬よ山の家風かげや道にして行冬の川我國の冬は大かた梅の花梅柳より出歩行て冬籠けふがなくば明日は〓〓と冬籠鉢たゝきの賛月雪にほしくば叩け南無瓢須磨迄の連に誘はむ鉢叩淋しさを祖師のつたへて鉢たゝき茶の花をかゝへて虻の活にけり時雨·风間なく時なく孤客膓尤寒し加茂川や菜の葉ながれて啼衞磯千どりつめたき足も只置ずむかしより千鳥啼也淡路島あらけなく門打叩き、付廻しの一順なりと投込てはしる長吉を呼び系大書俳本日雨の夜の燈を消に來る衛哉吹れ來て障子に月の千鳥哉群て來て榎の實をこぼす衞哉須磨寺は千鳥も踏や草の屋根鴛鴦よなぜに寂しい山の池鈴鴨やころ〓〓落る草の上鴨の中よけてあちこち小鴨哉積かへる榾に敷れなみそさゞゐ榾つむや梅を相手の古畠鐘の聲落けり榾の消るうへ嬉しいか雪の古江のかいつぶりこれよのう〓〓と我名を呼るものあり。頓て雪の小簑かいつくろひ、むしろ戶の陰よりつとさし覗けば、むかし相しれる人のいさゝか故ありて、身をこがらしのかくは落ぶれてぞありける。あはれ今のありさまを夢にだも見るべきかはと、顏打そむけて居たりければ、いやさなおもはれそ、窮達時あり、富貴いづれの日か髑髏を潤さむ。やをら尾を泥中に曳んこそと、製大方きさがし、足焙り〓〓、よりもつかざるけしきなりければ杖も笠も取落し、そこ〓〓にして門立出ぬ。世の中の沙汰なき雪の田畑哉雪の鴈羽を叩き〓〓眠る也降る中へふれ〓〓と雪の詠哉呂洞賓云、雖貧樂有餘菴の米雪の雀に喰れけり浮雲やまた降雪の少しづゝ雪の鳩堂掃く人にとまりけり眠れば死たり、さむれば生たり雪にばかり冬長かれとおもひ鳬雪の江の舟へ提行薪かな蕉像開眼二句月雪の古びまたるゝ表具哉雪ちるや筆の翁の襟祝ひ宗祖五百五十年の御忌、大谷の御廟に奉る。南無むかし何ほどか越の雪氷人はくるしみを見てたのしみとおもひ、佛のたのしみ給ふをば、凡夫はくろしき事とおもふ。是を〓倒とも流轉ともいふとや。鐘も氷る朝や手の先足の先目の明て見れば師走の日なりけり氣長さや師走の海の釣の糸四三〇萍窻集れけり
行としの行あたりけり梅の花梅くれと邪魔しに行や年の暮只居るを年おしむかと問れけり風流は風流に役せられて百年一日閑なるなし度見たし暮行年のよしの山藝州御手洗山本町肥前屋嘉兵衞藏板跋坐右に文庫あり。叟のしらざるを幸に、偷出して此集成ぬ。これを瞽者の象を相するにたとふ。漆桶掃等其一端を搜るのみ。世の鏡面大王なるもの、眞の全象をしるべしもし人、叟を罪せんには、我等小子五百生が間眼なきものに生れむと、かしらを並べて五十棒に伏す。文化九龍次壬申夏阿岐靜嘯盧鹿門葛盧才馬屠龍之技抱-
屠龍之技序輕擧道人。善誹諧十七字之詠。觸於目。感於心者。皆發之於言。其所發者。皆獨笑獨泣獨喜獨悲之所成也。而不知人之聞之者亦與我同笑耶泣耶喜耶悲耶。惟言其所言。發其所發焉耳。道人甞自謂曰。誹諧體者。昉於唐詩。而和歌效之。今十七詠。盖其餘流也。故其言不論雅俗。或雜之以土語方言鄙俚之辭。又何門風之有。諺云。可言而不言則腹彭亨。吾則言其可言。發其可發而已。道人可謂風流之巨魁得其髓矣。因題其首。文化九年壬申十月こがねのこまうぐひすは鳴ともかたし腰瓦から傘のほねのたくみも柳哉筑山の戶奈瀨にをつるやなぎ哉うめが香や爰の巨燵も周防どのかげろふや野馬の耳の動く度ゆめに見し梅や障子の影ぼうし芹喰ふて翼の輕き小鴨かな雛よりもかしづく人のひゐなかな而或江戶鵬齋興鵬齋花ひと木鞍置馬を蔽しけり傾廓夜ざくらや筥挑灯の鼻の穴茅の實の四もたらでや暮遲し屠誠其實鶯の身をさかさまに初音どんかわら燒く松のにほひや春の雨花びらの山を動すさくらかな龍技
ほとゝぎすこれを喰ふか栗の花飛ぶ蝶を喰んとしたる牡丹かなわか竹の弓にうたるゝそだち哉郭公たゞ有明のかゞみたて晝中に入梅のしるしやほとゝぎす達摩の讃石菖や尻も腐らず石のうへ脫かへて花見虱に別れけり近付の森のあたりやほとゝぎす匡衡が壁をのづから五月あめ紫陽花や硝子吹きが椽の先闇暑し舟にもうごくあふぎ哉とし〓〓や御秡に捨る多葉粉入すゞしさは家隆の歌のしるし也牛ほどの蟻見付たり桃のゑだ蝶〓〓や獅〓のねむりの上を飛衆徒よ兒木葉天狗よ山ざくら連翹の荅喰ふかかわら鷄鳥追の昔し相樣やうめに鳥三〓箒木の袷尋る晦日かな悼米翁老君聰き人も耳なし山や呼子鳥船頭も象と成けり夏まつり舟行ながれゆく椎木屋舗ほとゝぎす無同剃髮しける時よし野よく櫻ん坊の天窓かな爐に寄ればよらるゝ夜也杜宇守る人に枕かそふよ瓜ばたけ居眠をりつぱにさする扇かな一樹の蔭他生の緣ぞ心太系大書俳本日箒る晦日かなかぢのおと星一ッ殘して落る花火かな生鮹や納屋が柱の菜黄〓明星や沖から戾る鴈の行あゝ欠び唐士迄も秋の暮小五十飛ぶ駕や時雨來る夜の膝頭こがらしや明は木の椌園の竹河豚喰た日はふぐゝうた心かな靑樓此年も狐舞せて越へにけり繪馬かきやくれゆくとしの走筆遊べ春梅の鼻毛の延次第余處になき箸帋賣りや梅の紋遠望散る花を汲とも見へつ菌柄抄車ほど舟押す人や汐干がたほとゝぎす手燭にくらき夜の空空懸明月待君王今上る客は化物ほとゝぎす翌も又こゆる暑さや雲の峯行暮淺草の富士詣にこれよりして御馬がへしや羽織不二すげ笠の紐ゆふぐれや夏秡七里濱にて浪に立人も馬鹿鳥磯の秋かひ卷もとられし音の野分哉後朝湯豆腐のあわたゞしさよ今朝の霜出山寺に晋子の發句碑たつるとて草莖の今に殘るや人の口告わたる木綿付駕や年の關をさがりの雫荅むや梅若し張子屋も梅は咲たり豆達摩花街松は皆人に植たる二日かな靑柳やいなりの額の女文字春眠たらぬ夜に日を足す日有花の雨屠龍之技
燈籠も號の〓と代りけり素麵にわたせる箸や銀河はつ秋や心に高し空の鳶琴流君の一周に當給ふ川風の行て歸らぬ綱火かな蜀黍やさしも隱せし閨の中秋聲蚊の觜にさゝらと言て初けり紫式部の〓の賛に明月や硯のうみも外ならず乞巧奠牽く牛のはなの穴そも星二つ狸の腹皷の〓にうち落せ秋の夜雨のふる瓦野分立つ空やからすの弱法師臘八や隱者は山に入るも有りうね火山耳なしやまや二た時雨江戶〓圖の冬田や鶴の一跨米翁老君の三周に高宗が三年ははやし桃李松山の花のけむりや春の風鏘々錚金鐵皆鳴はつ秋や嗽茶碗にかねの音榎嶋辨才天法樂名月に松明もたのまぬ岩窟かな沓音にくれたのもしき紅葉かな神田明神祭礼柿賣の迯行かたや猿のだし上薦のひとり步行や月の秋今下す雁は小梅か柳しまみの笠も草を遁ぬ野分哉雲の月見しやそれとも有馬筆鶺鴒や芥は見へず水のうへ野路や空月の中なるおみなへし先ひと筆り〓や雁のふみ傾廓竹取の翁や煤の太郞冠者もちつきの駒のかしらや杵の先沾德が手帋とゞくや塩がつほ至日藪蔭のうめを探るや稻光かた足はちろり下げたか雪の鷺餅花や昔ながらの筥階子八橋やながるゝとしの疊臺行年や株にかゝる金もがな江を渡て惠方參りやうめ柳ゆきみぞれつもり〓〓て梅花夜下捨し玉子の売や飛胡蝶蚕玉を祭捨たる貧家かな起よ今朝上野の四ぞ花の雨初午や犬に嗅れな此趣向花礫亭の娘はつ鉄漿に先ふくむかねは楪はなの春錢賣の覗て行や朝ざくら上巳傾城やまづ曲水の椽に腰深山木を几帳にのぞく櫻哉鴨の花吸ひに來る夜明かな多田藥師法樂稻光みやこどり伐木丁ミ山更にひゞ切る音や秋の風豆其の中這て居る弟かな樹の丈に姿見へけり秋の雨昔みし御花小判やけふのきく木兎曳きや初笑ひし輩は舟猿の舳先にさみし九月盡木槲の照葉見つけし時雨哉傾廓君平が占もあたらず大晦日〓の讃に屠龍之技四〇·
此土手の馬追ひ虫や舟かふね地にあらば二股大根天の川中秋無月物干の芒に雨を聞く夜かな十六宵や去年の日記も雨の事けふぞ知る鶩の愚かりの聲膓も田に居馴染む頃や十三夜昏る日を荷ひ戾せよ紅葉賣いつ月になりて時雨は松の聲其以前鮟鱇くひし人の膽寒菊の葉や山川の魚の鰭水鳥の脊中を走る霰かな丙辰春詞竹藪にうぐゐす笛も生けり君が爲まくり手したり若菜摘人の日の粥も雪間のわかな哉鶯も舍那王どのやうめの肘藤房と正成と花ひとへかな是は目の藥になるか花の雪皀角に階子わすれて春の雨牝丹一輪靑竹の筒にさして送られける時仲光が討て參しほたんかな案內子が小便したるわかばかなほとゝぎすいたき枕に寐たよ哉もれ出る籠のほたるや夜這星悼嘉魚膝抱て誰もう月の空ながめ山茨や卯の花をそき垣根より五月雨やいつ見しまゝの淡路島木髪が湖十と名改するに姓筍やこの百性も六代め山樵がきれ口にくしほとゝぎす湯泉に立し人の噂や凉臺羽をためす乙鳥高し今朝の秋鵠のはし子呼也ほしの竹系大書俳本日三味線の名にしをひぬる薺哉花未開笑わせて笑ぬ花や車僧汐干狩比目の裏に哥書ん艸色遙看近却無何草と見へずに靑く野は成ぬ欵冬の水なぶりする夕かな往昔のお腰かけ石藤のはなうの花や槇の柱のわれにさせ鶯の子は宗盛かほとゝぎす〓賛狂句、彥根侍の口眞似してさして見ろぎよやう牡丹のから傘タほとゝぎす鳴やうす雲濃紫魚狗や笹をこもれて水のうへ田の畔に居眠る膓や旅つかれ山陵の吸筒さがす夕かな木兎も末社の神の頭巾かなおし鳥のふすまの下や大紅蓮蒼鷹の拳はなれて江戶の色夕立や靜に步行筏さ し綠樹影沈では仙藥を魚もなめてや雲の峰秋旣ちかづきふへて螢がりきぬ〓〓の橋に成たかあの鴉寐やと言ふ禿またねずけふの月花方に團子喰せつ今日のつき名月やもと塩竈の人通り印籠の一ツ下るやからす瓜貝の斑の雀に似たり夜蛤降り年や初茸賣りが聲の錆や車哥書僧ん椎の木かげ十鳥千句獨吟卷頭うぐゐすに北野の繪馬かゝりけりとぶ迄を走つけたる春雉哉乙鳥や汲ではなせし桔桿屠龍之技
いく度も〓少納言はつがすみ菜の花や簇落たる道の幅うぐゐすぞ梅にやどかる鳥は皆のり初る五ツ布團やたから船はる雨のふり出す賽や梅二輪火もらひに蚫の売や梅の晝出代の唇あつき椿かな欵冬や水のけぶりも此ごろはちり積て山樵が荷や花一朶却走馬以糞はるの田や墨繪の馬の幾かへり更夜音八が鄭人形も袷かな待ぬ蚊の聲の高さや杜宇樹作りが衣かゝれり庭若葉夏山の火串は〓の紙燭かな板行のこれも久しきのぼり哉たけがはもうつ蟬も碁や五月雨重陽太刀懸に菊一とふりやけふの床見劣し人のこゝろや作りきく冬の野や何を尾花が袖みやげ見し夢や時雨の松の〓から紙來ぬ夜鳴く衞や虎が裾模樣俊成卿の〓におもふ事言はでたゞにや桐火桶河人が初七日に橋塲の保元寺に參り松を時雨むかしうき世の鞠日附仙人の碁盤に向ふ巨燵かな望白馬津市人の喧〓やとしの川向ひ麓にも手を組む松や師走山としの菊うち拂ふ袖のほこり哉行年や何を遣手が夜念佛丁巳春興系大書俳本日はつ秋や寐覺て笛の指遣ひ七夕の硯に遣ふ楊枝かな秋にはたへぬと良經公の御うたにも月の鹿ともしの弓や遁來て黑樂の茶碗の欵やいなびかりかけ稻を屏風に眠る小鷺哉寛政九年丁巳十月十八日、本願寺支如上人御參向有しをりから、御弟子となり、頭剃こぼちて遯るべき山ありの實の天窓哉草の戶や小田の氷のわるゝ音鴫立澤にて三千風に見付られけり澤の鴫箱根湯泉本福住九藏がもとにとまりて先むすべ冬の出湯泉のわく火鉢御關所冬枯や朴の廣葉を關手形薩埵峠にて夜山越す駕の勢や月と不二降霰玉まく葛の枯葉かなうつの谷峠にてあとからも旅僧は來り十團子汐見の觀世音に參りあとになる潮のおとや松のかぜ十一月十八日京着、木屋町にて布團着て寢て見る山や東山〓水寺に參りて春待や柳も瀧も御手の糸戶奈瀨の雪を山の名はあらしに六の花見哉朱雀野に日くれて島原のさらば〓〓や霜の聲佐谷川にて水鳥は流るゝ沓や橋の霜江尻の驛寺尾与右衞門が許にて四三三糸屠龍之技霜形
置巨燵浪の關もり寢て語れ光廣卿の倭哥によりてなり。十日の夜小舟にとりのり〓水の湊をこへ、三穗の明神が遙拜して、絕景言葉につくされず。いつ迄も夢は覺るな霜の舟十二月十四日江都にかへりて鯛の名もとし白河の旅寐哉ゆくとしを鶴の步みや佐谷廻り戌午春興うぐひすや雲水の井を水かゞみ塩竈のあたりに煙るやなぎ哉遣しける。其夜降山の雪見よ鉢たゝきはつ秋や夏を見かへる和田峠夕露や小萩がもとのすゞり筥泰室改名春來嶋臺の鶴と成けり茗荷の子刈除けて鴈待つ小田の景色哉待宵や降出す庭の捨箒明月や曇ながらも無提燈晚器改名朝四いろ鳥の中によき名を鶇哉しらぎくや籬のうちの羽林軍龍膽や慈鎭の菊の後にさくをり屑の堰にかゝるもみぢかな落葉して都の見ゆる菴かな存義先師七七囘忌ふるどを鳴て千鳥の磯めぐり雪おれの雀ありけり園の竹千づかのいね春雨のほろ〓〓和へや御もの棚鳴かぬ田もなく田も動く蛙哉水貝の鉢に小嶋やまつ嶋や水無月なかば鉢扣百之丞得道して空阿彌と改、吾嬬に下けるに發句ゆきの夜や雪車に引せん三布團一年好景須君記口切や南天あかしうめ白し百兩と書たり年の關手がた胡麻節を軒端の梅のつぼみ哉はるさめやかるたの鬼も綱が手にから貓や蝶嚙む時の獅子奮進人影や月になりゆく夕櫻三〓ゆくはるを小塩の曲せや一と奏老驥伏櫪而志在千里、烈士暮年而壯心不止唾壺も四ッ迄たゝく水鷄かな妹許の櫻煙草や十三夜鵬の枝踏むおとや冬木だち庚申春詞汐擔桶は沖のかすみや汲に行讀抱朴子首延て霞を呑か嶺のつるありと云ふ二王の筆やおぼろ月松を〓に昏行梅や金砂子はるさめや筏になりぬ竹かへし朝妻ぶねの賛藤なみや紫さめぬ昔筆聞そめてなかぬ夜ゆかし鵑きりはたり提燈持も虫撰み逢ふやいかに夜のにしきの星の竹惠〓口紅葉見やこのころ人もふところ手歲暮一文の日行千里としのくれ辛西春興今や俳諧蜂の如くに起り、麻のごとくにみだれ、その糸口をしらず。貞德も出よ長閑き酉のとし榎島參詣屠龍之技四三五
さくら貝手ごとに拾へ島同者惟質初七日に鼻くそ餅も間にあわず名月や八聲の鶏の咽のうちきくの宿碁經見て居る主かな會式佛力やまだ見ぬ花のよし野紙(父)門覺上人の院宣を持來たる處〓た良夜飄風驟雨宵寐して雨夜の月は夢にみむ露吸て蟲も千代經ん溪の菊未白が一周忌にひとめぐり廻りて居るたかへ哉月の晝うき寐の鳥をかぞへみむ年尾としの夜や庭火に白き犬の兒植木屋が歲暮の梅のにほひ哉系大書俳本日伊豆千鳥その足あとを力かな李笠翁になろふて一幅の春掛ものやまどの富士井の水の淺さふかさを門すゞみ水になる自剃盥や雲のみね永代橋のもとに銀鱸をあぐるときさし覗く顏も鷗や五兵衞舟朝がほや花の底なる蟻ひとつ新蕎麥のかけ札早し呼子鳥潮のおと鳥さしが手際見せけり梅林から傘に柳を分るいほり哉錢湯も淺香の沼の六日かな鉞に氷を碎くあつさかな物申に返事のおそき暑哉とび移る蟬の羽赤きあつさ哉御秡して各〓〓包む袴かな是歲文化丙寅春二月二十九日晋子の百年忌たるにより、肖像百幅を〓き、上に一句を題して人々にまゐらせける。又追福の一句をなす。囀れや魔佛一如の花むしろ田から田に降ゆく雨の蛙かな護田鳥の鳴く木屋が置場や宵の月剖葦や燈火もるゝ夜の川鷲の栖む其木末とは柏餅さきのほる葵の花や段階子初幟を祝ひて〓を餌に釣上たりな吹ながしやよ水鷄さいたる門を敲とは巨園八十賀に突ふるせ神の切けん此藜賣藥が黑き扇の暑かな立秋先一葉秋に捨たるうちは哉七夕空に二ツほしきもの有り機道具人有や暴風の中を飛ぶ筵いなづまや夜と晝との田一枚旅人にかしてうたするきぬた哉臺笠も立傘も有り作り萩柿畠やけろりと二本休みとし鶴の子の額は赤き梢かな霜葉紅於二月花もみぢ折人や車の醉ざまし歲暮ちよと鳴けとしくれ竹の庭雀讀王充論衡わか草や鶴の踏だる跡は皆初子の日、長浦とゆふ所にて松眞木も引けや若菜の茹加減乙鳥の棚うちつけよ花のやど屠龍之技かみきぬた百舌のなく木末は昏て十三夜四十七
駒宮如岡を悼て露霜に手を合たる紅葉哉箕輪石川矦口切出し給ふときゝて軒にけふはこび手前の時雨哉歲暮鷹の栖む山は霞むかとし木樵四十五鴨のりて氷ながるゝ春日かな鎌田の梅見にまかりて萬歲を居並て待つ田舍哉はつ午やしるし斗りを揚豆腐芹摘みに出て孫もるす彥も留主文化丁卯春、當流の宗義、製作ら惑亂悉く御裁斷有て、二月十八日築地御坊に召れ、關東三十三ヶ國の御末寺、各御〓受有り。本如上人の御德義四海にあふれ、誠に鳥驚きぬといへるも今此時也。うぐひすに御堂の皷靜也金澤の汐干に經緯の潮や蜊の縞このみ漢土揚子江、日本隅田川茶の水に花の影くめ渡し守甲子の大黑天を〓て月花もいざうち出さん小槌より元木の彌陀に詣るとて御影供の團子も花も降る日かな卯月の八日に珍敷ひものが咲ます垣根かな今ひと聲荅る山やほとゝぎす落る音おとすおと有り園の梅乞巧奠袖ふるは廓の屋根や星の竹牛牽て川越す人や星の宵堀川院の御時よりとぞ虫撰聲なきは皆うつくしき笠脫でみな持せけり萩もどり馬市の借屋に一と夜秋の月み也雲の飛とぎれは月のみなと哉啄木鳥みねのあらしや谷の聲つる引けば遙に遠しからす瓜秋雨や筏の床の夕けぶり燕の殘りて一羽九月盡から傘を返せばもとの時雨哉達磨忌や朴の落葉の沓片し遠山に赤き宮あり冬木だち鷹犬の繩に引るゝ枯野かな時賴の寐酒を笑へみそさゞゐ枯葉ゆく葱の小川や牛の繪馬かみ置や男の肩にこぼれうめ粥一ツくうや不喰や鉢たゝき鶤のひと足ぬきや冬の川歲暮いせや伊勢今としも賣らす鏡〓注連なはの餅さしくべつ庭竈春興見て笑へ若菜の藥に天下筋師遠が荅をひくやけふの松墨子悲絲そめやすき人の心やいとざくら錢突て花に別るゝ出茶屋かなかね撞ぬ撞樓有けり夕ざくら瑞麟寺をよぎるゆきとのみいろはに櫻ちりぬるをほろ〓の山かげ忍べほとゝぎす壹二丁先をゆく帆や麥の浪山寒し瀧より下の蟬の聲初茸や廻さば獨樂にまわるべく屑買ひの吹れて步行野分哉海山と名の立分る角力かな秋雨やそれは降る鳩晴る鳩東陽精舍にまかりて地に敷や佛の場の天竺花屠龍之技
我かどに松屓脊せ馬やとし儲市人の天狗礫や土のかね春奥難波津の習ひ始やうめの花うぐひすの遲音笑ふや垣の梅初午や二ツ瓶子の黑羽おり二月二十五日鞠塲が庭の菅廟にて、はゐかいもよふしける。一順をつけよ蛙もうぐゐすも花見ても依怙ある人のこゝろ哉畠うちのよくも反る也老が身を己巳四月江の嶋辨才天三社惣開帳有ける時扇にて扉ひらく や狂言師八專に明るき麥の田一枚かさゝぎの橋場を渡れ星迎いなづまやしばし明るき椎が本名月や筆法居士が露の不二はつ鴈やはつかの闇に聲は月龜貝判者披露隱家は同じはちすの垣根かな名月や洋に見なれぬ獸あり芥川わたるところ繪たるに抱かれたり屓たり風の萩すゝきいぎたなき隣も有を飼うづら橘千蔭身まかりける。斷琴の友なりければから錦やまとにも見ぬ鳥の跡吾〓る菊に讃なしかた月見山茶花や根岸尋る革文筥しぐるゝは鷲の羽影や冬の海きぬ〓〓のふくら雀や袖頭巾神名川に旅寐してさま〓〓の鳥を千鳥と聞夜かな和田海の底もにしきや冬ざかな歲暮車井の音や雲井の渡り鶴小夜千鳥未だ寢ぬ船の咄聲水鳥や行あたりては右左當て來よ大和路かけて二の替り鳥一ツ梭を投たりいとざくら讀仙經朝〓の洗ひ流しや蜂に成れ小田返す初いなづまや鍬の先人麿忌ちる花やあまぎる雪の鍋鑄かけ文臺之銘前書畧しら魚や是も居杭の橋柱花に飽て机にねむる胡蝶哉佛生會生れ出てうき世の花の一御堂なま鯛や先綿をぬけ更衣たゝかずに水鷄の入や戶なし庵竹醉日よひさめて竹もる月や十三夜ゆふ立の今降るかたや鷺一羽山梔子の花を相手や世捨いほ四三一花ぬふとり己巳の冬、居を藤塚といふところにうつして取遣りもおかしき村の歲暮哉( /前季候は百轉のはじめかな元日の朝寐起すや小田の鶴うめ守に硯借れば筆もなし山蔭の梅まだ寒し活大根うぐゐすや梅に氷れる枝もなし梅を縫ふ糸ならなくに春の雨桃洞に送る前書有畧この道の手綱ゆるすや春の駒朝三いつのとしか予と京師に遊ぶ。ことし又心牛にいざなはれて花洛にをもむく。その餞して屠龍之技
榎見へ白壁見へてかすみ哉芹賣れてさみしき鷺の栖哉初燕くるふよふなり袖袂江戶節一曲をきゝて紫陽花や田の字盡しの濡ゆかたほとゝぎすなくや有馬の火見番毛虫今蜘蛛のふるまひ杜宇ほとゝぎす猪牙の布團の朝じめり住吉をどりの〓の讃にふけや此すみよしの風うちはより魚一ツ花野ヽ中の水溜り百舌鳥の尾のふる里寒し稻ほつち鼠とる猫、鳥捕る鷹、みなこれ世上のありさまなり。草の戶に蠅扁をながめけり宇治の里一見の時いな妻や二度にみせたる寺と橋葉月十五夜寒光洞にて七タかさゝぎとけふは呼るゝ鴉かな晝寐して晩待星を顏に筈十二五熱燗をふくや後の月の松店賃のかりも結ばず九月〓野州旅行問ひ來かし榎の紅葉地藏堂山川のいわなやまめや散もみぢ東武興今朝解くや氷のわか菜霜の梅鸛の來て豆煮おとや二日灸三冬雪なし、睦月十七日雪ふる。刈らでけふ雪待つけぬ庭の荻鳥追の足袋の白さや川向ひ人の氣のほころび初つはつ櫻干海苔に小海老見付て哀也をきふしも竹の自在や梅の花十六宵も獅子の氣遣りか廓の月名月に御哥所も覗きたし藤澤にて人知らでうけらの花の盛りかな榎島法樂すげ笠の月と時雨や山ふたつうぐひすの舌うちしたり花の味紅梅や今朝は未だ來ぬ白すゞめ人日ふるとしのふる名は呼ぬ鈴菜哉うぐひすや今谷を出て身づくろひむ月十七日杉田にあそびて解き舟の橋を境やうめの華これは〓〓爰をや梅のよしの山上巳居候夜着の洞出て桃のはなすみだがはの花見にゆきて遲りやいかに張良朝ざくら蜘の圍に暫く花も舞ふ小蝶苗賣りに初音問ばやほとゝぎす圓覺寺にまかりて鐘凉し女の力聞へけり權田坂と言ふ處にてほとゝぎす楓花咲く山路かなうめの立枝客船に入日殘して時雨かな傘はまだ時雨るゝ音や星月夜から〓〓と日本堤の落葉かな至日今日よりして春の歩行や日の鴉餅花や柳さくらを一木にて歲暮大名は鸚鵡に似たりとしのくれ壬申春興梅わか菜皆よし〓〓や庵の春屠龍之技鐘り
絶學經をよみて解脫して魔界崩るゝ芥子の花靑樓草市市分てもの言ふ花やをみなへし新蕎麥や一とふね秋の湊入りはつ茸や荅斗りの小むらさき啼く山の姿も見へつ夜の鹿良夜名月や何に似たるぞ鍋の蓋炮焙に何ふすぶるぞ秋の雨趁浪を追かけて刈るすすき哉紗魚釣りや蒼海原の田うへ笠みねとなり渚と成るや秋の雲山紅葉照るや二王の口の中又もみぢ赤き木間の宮居かな(4)みの虫や啼ねばさみし鳴く又歸去來歸なむ居酒一と口菊寂ぬ春興うぐひすの口明く影や下地窓梅白し眞の手桶の星月夜こもれても若菜の土や二疊臺む月二十五日、下谷源空寺の御忌にまかりて圓なる春の光や江戶の御着うぐゐすに糸針借む梅の宿正月四日南岳〓師身まかりけるよし、門人寬柔が書狀とゞきけるに春雨にうちしめりけり京昆布初午や霜解道の竹いかだ新梅莊滿開朝飼かう鶴もまだ來ず梅の宿終日花を詠て落日にいたる林處之家か。うめ暮て歸る鶴待つ端居かな美十日系大書俳本日寂ぬ小閑波を歩行て取む春の月葛城とゆふ謠曲、一聲一張をうけ調たまわりて聞け春の夜の月なし梅しろし詩骨牌に女もひとり春の雨二月二十八日、駐春亭以一が利休忌にまかりて竹藥にかすむ一間や無盡燈狗子のころび歩行や花の雪慈雲山にまかりて暮の雉子鳴く度に散る櫻かな三月二十三日夜、隅田川をわたり花を見る。歸路八百屋善四郞がもとにて行春の袋比目や餅かつほ卯月九日榎島參詣とて立出ぬるに川崎を蜂の飛ぶ日や女 旅富塚にて百貫目の長持ふるや若葉山神奈川はね澤屋にて天に有らば干鰒のなりや杜鵑八十の賀に先づ祝へ八千代の春の椿餅摑む手にあまる螢のひかり哉夏山に何射弓ぞ弦のおと高野山蓮華乘院を招じて蔓ものも包ぬ草のいほりかな三叉江擧銀銀いざ月に願かぞへむ活けすゝき肴核旣盡て樓船に藝子只二人打水に目通ゆるす下部かななでしこや吳服穴織が手のすさみふみ月三日木釜が身まかりぬるを聞て波羅密の舟にもがもな桐一葉敏行が驚れぬる三日の月柳屋安五郞、さごしとゆふ魚を送る時屠龍之技四三五
(原註)暑さにもさわらぬよしの見舞哉遊百花潭之水樓折琴よ繼三味線よすゞみぶねふぢ袴誰にひかれてほころびぬ靑樓八朔仕附苧の殘る暑や節小袖葭翠簾に蝶のはさまる野分かな八十六翁巨園身まかりける時仙境の新酒呑にかいなれける良夜名月や尻うちたゝく十寸の駒文化十癸酉年夏六月、西洋商舶載南粤巨象來、將貢江府。發現し受、却異邦。狹ひやら象は南へかへるかり重陽園の中の星にしたむや菊の酒十三夜の月を見むとて、人〓のそゝのかすにまかせて、玉河わたりに杖を引て月の今日入べき山や稻ほつち武藏之野無山島。月出ニ於卓入於草。明萬曆中之人農丈人ニ言ものゝ詩なり。めづらしければ其意もてうける也。栗燒て雨占む十三夜うつおとは翌の豆腐もきぬた哉懸魚やかけてぞたのむ鰯網山蜂に乳房吸るゝ葡萄かな飛そうなからす驚しや柿畠駒形の碑を摺て來よ草の花千兩で賣るか小倉の初しぐれ塗裝壓如何なれば祖師さいの目の納豆汁藏經に目の引渡る長夜かな十夜種冬瓜汝も法然天窓かな日蓮忌山ざくら昔しながらの吉野紙系大書俳本日な惠比須講下戶も一ツうけて三郞ゑびす講ぬくめ鳥明ればこぼす湯婆哉芋頭鳶や落せし酉 の市席は無か獅〓はいかにや獸店沽む哉花屋が室の玉つばき持ながら雀を折む雪の竹洗硯魚呑墨わか鮎やすゞりを洗ふ流にも烹茶鶴避煙つる高き松の木蔭や花見茶屋ト鄰に送る前書有鴈金は燕にかへし申候甲戌春興若菜ひく女の鶴の步行哉羽子の子や梅にとまれば呼子鳥筏ゆく跡又白しうめの影七種のうち揃たる田舍かなはる雨に濡て戾し女貓哉隅田川梅屋にて默禮の思ひ出されず梅の道藥王寺のうめを枝垂梅彼岸ざくらに後ト向き洲蛤月頭には西に有りうら人が握拳の榮螺かな涅槃會ヨヽにふる佛の道や春の雨四百郞其衣更着の餅草を團子哉石濱にゆきて東岸の花を見る帆が隱し帆が見せてゆく櫻かな口明て鳴や燕の子安貝三月五日隅田川を花を騏驥の布引く花の堤かな駐春亭利休忌に螻蛄刻のうごくよふなる春の雨ハニ八哉鴈候屠龍之技堤かな
此花莫遣俗人看新染鵞黃色去乾好逐秋風天上去紫陽宮裏要頭冠舞ひ人の冠に似たりねりの花大庭や家の床有萩すゝき靑樓俄狂言番組影は空にすみよし踊けふの月荒神の繪馬かけるあふぎに鼻聲の御釜拂や秋の蟬鶺鴒や又來ては尾をふる井筒さして行から傘白し初時雨初氷うつりにけりな妹が顏尾頭をいざ言問む海鼠うり遠千鳥弓矢の沙汰もなかりけり文晁が〓がける山水のあふぎに夕ぐれや山になり行秋の雲初雪や椽に小鳥の足のあと至日子を申聲も春めく冬夜哉鶴の割る氷のおとや朝ぼらけ侍とても花にねぬ夜はなきものをほとゝぎすいかに難面き筥枕う月十八日古筆了意が宅にゆきける時、岩倉三位殿不二の山見むとて、忍びて吾嬬に下り給ぬとて、立よらせたもうに不計謁見して岩倉のしのび音もれつ時鳥御かへし三位殿山寺の靑葉がくれのほとゝぎすきく人がらに聲はそへぬる夏草や深き思案の斧の主小金花龜住む池の玉藻かな楞嚴經摩登伽が化粧崩るゝ芥子の花淺草人丸堂建立の時俳諧師等も雪と見るさくらかな扁の子の乳のむ音や苔〓水悼白賁朝がほや瑠理の世界に人は今朝系大書俳本日善男子善女人御講參や西ひがし京藝番行や年すい煤竹の伏見町節季候や竹の林の羣すゞめ市人や雪に頭巾のひた兜餅花やほこりの見ゆる朝掃除煤膾樒柑の乾はきくの花金杉も餅搗唄に廓嗅し〓の讃に釣上た鯛よ小判よとしの市蕋雲樓にて傾城ふくさ捌先 大晦日松と梅折かけ垣の竹の障去年甲戌の秋の頃より瞽者春雲と言ものゝ謎〓〓流行して江都に喧し。去年かけた謎は解たり春の雪程ケ谷に駕乘捨つ梅の花うぐひすにほゝう日の出る山路哉阮箴が三味線は晋子に聲をかけられ鶯や摺小木しばし朝朗はるさめや更て笥に入石のおと二月十七日追福秋香菴巢兆名は殘る棟の實の木ずへ哉蒼蠅の糞して行ぬ白牡丹うめ散て鷺草白き木蔭哉蛤のにじりながらや遠干浮田の畔に花見て歸る鴈も有笹住の里に蛙合戰ありとて人々まかりける車前子に手負ひを荷ふ蛙哉九皐のもとより初鰹送ける魚の脊に鎌倉山の靑みかなその一ふしを龜田先生へ送ければ初がつほ一句も出ぬうまみかな勅をうけて切かねて居る牡丹哉ふみ碎く蝶の刀や芥子の花四·八屠龍之技鵬齋
玉姫のたま〓〓見せつ月の顏初鴈が聞てさへかえる余蒔の木瓜かりの聲八月廿日、弘福寺の普茶に罷て風子惠良に謁す。玄關の左右、木樨の大樹二本あり。蚊方鐵牛何有分別木樨や金銀の香を悟り不得東陽山賢を賢として色にかへでの紅葉哉上野〓水にて舞臺から短冊の飛ぶ紅葉かな髮置を祝て冬の田に鶴脛長し飴ぶくろ至日むりやりに咲や一鉢冬至梅古田高麗の茶盌を〓にうつし、其上に讃しておくるとて幾時雨ふるやふる田のかたみ哉靜養庵を訪ふ。座いまだ溫ならずして蕎麥を出す。其味奇々、更科をそしり栗山を笑べし。うつに曳く涼しき浪の勝手かなおよし婚禮を祝ふてやよすゞし夏も屏風の蝶番ひ仁德の御製にもれぬ蚊遣かな風呂敷の日除も涼しみそぎ舟乞巧奠をり姫の織屑飛や星の影秋に先仕たり新蕎麥新豆腐(原吐)茴香かげほしの唐繪に似たりくれのをも啄木鳥に日暮殘る木末かな初鶴や晴れば見ゆる無人島晝の間の一ト時あつし夜半の虫良夜名月や引ふくらめし五人張いざよひやいざ〓見がた田子の浦淺茅が原の松間を過とて系大書俳本日東叡山の〓水に如意輪の頰杖したる落葉かな水却て炭を斗るやかたし貝石落の日蔭は寒し猫の鼻瀨良の崩れ次第や冬の川歲暮塩魚に正月ちかき日ざしかないざ珠を拾んとしの浦傳ひ跋單識抱一隱君盖三十有余年。隱君之操。終始如一。性好誹諧。善圖〓。覃雖不知誹諧者。觀其〓之日進。而又知誹語之韵。響中宮商矣。古云。詩有聲〓。〓無聲詩。隱君之思有以有聲發者。有以無聲發者。有無不遣。亦何自在也。宜乎辭朱門而處白屋。舍熏灼而就閑曠也。屠龍之技。可以消日矣。若夫庖丁之刀。目無全牛。陳平之肉。宰割天下。果何益矣。龍乎々々。屠而獲珠。如覃俗吏。希其鱗爪。亦不可得已。文化癸酉〓明後日南畝覃書于網林樓中南一〓屠龍之技
系大書俳本日成美家集せ上下
みて、みて、其木陰に拾集たまひて、こたび花ぐはしさくら木にゑりて、天地のいやとほ長く傳へてんとかまへ給ふるは、おのづから孝の道にもかなひ、且は世のすき人も、時じくに此櫻の陰によりつゝ、名にしおふ芳野のはなをこたび花ぐはしさくら木此集は故有てはやう見めでにたれば、いで我も序をかきまゐらせてんと成美ぬしに契侍りしかど、ぬば玉の夜ひ四方八方の責をふせぎかねつゝ、春日·秋夜は、且は世のすき人も、るとなく、春日·秋夜を、を、くれがたく明がたき物としも覺えず、たゞまぎれにまぎれ筒のみ在ふる間に、心にもあらで年さへこえぬべう成にたれば、萬なげうちてなん。抑俳諧の道は我しらぬ事ながら、古今集にすでにはい諧哥を撰入られにたれば、其根ざしふりにたらずや。されば末の世には、橘の八千またに枝葉たち榮ん事うべ也けり。謂と俳諧のけぢめは、只みやび·里びの詞のみにあらず、其もとむる意に在とぞ。思ふに〓少納言が船のみちを、とほくて近き物といひしにひとしかりぬべし。何がしとやらんの句に、麥くひし雁と思へど別かなといひしなど、げに遠くて近き物となん、いと若かりしをりきゝ侍りき。今、成美ぬし、とし比この陰によりて月花は更也、をりにふれ事につけて、大方の思ひよらぬふし〓〓を、はつかなる句にいひのばへ給ひしを、埋木のくちはてなんをゝしたゞまぎれにしも見が如く、めでざらめや、唐にしき立田の紅葉なす、たゝへざらめや。しく物なしと賀茂季鷹成美家集序其もとむる成美翁、俯仰古今之觀、包含自然之思、攬天地之慘舒推遷人事之聚散離合、喜笑怒罵、所會之境、所遇之景、(非皆寄之徘諧。其抽思也無窮矣。故能寫人難狀之象、其吐奇也無測矣。故能述人所未道之妙。寄之山嶽歟、孤峯萬似絕嶺千丈、可以攬象緯、可以決雲漢焉。寄之江海歟、浩蕩瀰漫、一瀉千里、波濤馳驟、風雲飛騰之狀、可以奪膽、可以駭目焉。寄之富貴華麗敷、金屋珠欄、紅翠分輝、貂瑞俊雅之豪、嬌嬪媚嫵之麗、可以悅人之目、可以動·八に、成美をりにふ家はつかな埋木のくちはてなんをゝし可以動·八四五五
之心焉。其餘隱逸緇流徘優雜伎之意、千象萬狀、使覽者拭皆極目、心駭神悸、瞠乎莫甄別。其所以寄懷也。是以四海騷人推以爲一代之宗匠。嗣子包壽與及門之士、就其華林金谷之園、挹其菁華、咀其至味、錄爲二卷、上梓刷印以布於世。雖未足醫翁之富贍、覽者須觀其瀾而測其浩澣泛濫無所不有之大矣。文化丙子春正月綾瀨龜田長梓撰古作春翠校字成美家集上之卷贅亭諫圃仝校男常菴子强坎窩久藏補定春としのうちに春たちける心をふゆの春卵をのぞくひかりかな年のはじめにけふに明て無筆歌よむ國の春おろかにもをしみし年を君が春看經もそこ〓〓にしてはなの春ぬけて出る夜着よりすぐに花の春元日も過ゆくくさの扉かなものむつかしきあたりなれど、さすがに松ども立わたしたるは小家みなわが春〓〓とおもふかな芒に霜の髭四十一と、はせを翁のたはぶれ申されけるそのとしのはるをむかへ、吾蓬萊のかざりものに白蓮の交を思ひよそへてわらへ人〓と海老とわが髭と哭素崎子雪あられふりあるゝにつけても、いかに〓〓と思はぬ日なし。さりとも梅さくはるにうつらばなど、はかなきたのみをかけしに、日こそあれ元日といふ夜のほどに、むかし人の數に見なしぬ。門にたてたる松竹も、いまは恨みのたねとなり、小庭に來なく鶯も、たゞなみだの友となるばかりなり。なに事もひと夜につきし千代の春元日もはやくくれて、ふつかもすでに過ぬ。三日減るはるやそれだけ月になる松しまもそこらにあるかはつがすみ門さきの枯木もかすむこゝろありせりよめ菜すこしの事も霞けり日にあきて龜のとびこむかすみかなかすみ來てまぎれにけらしふる小袖葎かきはらひて春をむかへしも、〓としははからず市中にありていまさらに面目もなしかどの松人日にしたしき人のうせけるにおもひつゞけし門まつもなみだをそゝぐものなる歟人日對久城薺うつ江戶品川は軒つゞき妹が子は薺うつほどになりにけり老の浪年くはゝれども丈山翁の心操なし春を見に淺草川をわたるなり春のれうとて靑竹にて製したる茶筌を賣人あり。その人病なくして卒にたふれたり。牛の價を論ぜし成美家集
梅がゝや灯心かけし軒のつまうめが香の家一ぱいに小雨かな子どもの道中すぐ六といふものうつを見て東海道のこらず梅になりにけり擬古梅に立や錢なき詩人〓く瘦て紅梅に大根のからみぬけにけりうめ柳ひとつふたつはとしもとれ題〓家ありてまた柳ありどこまでもおもしろや柳の間を人のゆく春の柳もたれごゝろになりにけりでくるぼのやなぎをわくる扇かな家はみな春は柳でおもしろし靑柳に留主はあづけむ門の鎻くゞりこむ春となりけり門やなぎ魚提て柳がくれにもていりぬよりも猶はかなさのたぐひなくて大ぶくや泡と見し世の人のうへ子日せし跡とや人の立ありくまづひとり旅人通る子日かなさくと見てふた夜過しぬ風の梅咲梅にひかりあはすや貝のから假家に名ふだかけけりうめの花人すめば水もこぼれて藪のうめわれことし三十六、安仁が發の髮やゝしろみたり。宗祇法師が髭とは〓とたがひたれど香をとめて白髮愛せん窗の梅野の杭の人とも見えてうめのはなふる家や賣そこなふてうめの花寒村野梅古澤や牛に嚊るゝうめの花淺くさや梅すくなくてはるの空うめが香を袂にいれてそら寐かな亡父の忌日にしかられし夢は柳のしもとかな階子とるあとは芽になる榎かなとし寄の鳩によばるゝ木の芽哉田家わか菜摘てやがてけぶりを立にけり猪のふむあとさへ春につむ若な春の草ひきむしりても喰ふべしよくいねて今朝目にかゝる春の草はや誰か扇すてたるはるの草別玉屑はるの草心さぶさを抱きけり草菴鶯をきくにもさはる葎かなうぐひすのうすくろくなるゆふべ哉うぐひすのかくれあらはれ見えずなりぬうぐひすや浮世にすまば中二階うぐひすのなく音を顏にかけてけり鶯やふた聲ほどは案のうちかつしかの旧居のなつかしきに住し藪の鶯かいま聲するはと申いで侍れば、かたへにある人春さびしとやしたひ來つらんかく附侍し。これらはいかいの連歌ともいふべきにゃ。海苔たゝく家とて杖を入やすし正月はからかささへもおもしろや正月のこゝろ崩るゝ彼岸かな涅槃曾のあくる日、すみだ川に棹さゝせて三河法師が幽扉をたゝく。春さぶし月まつほどの後世かたりある禪師のいはく、風雅は俗にちかく、俗は風雅に遠しと。はる雨や博打に隣る夜手ならひはる雨や窓はいくらもほしきもの春雨はみるふさぬるゝ雫かなはる雨や編笠ごしの音羽やま春雨やふるにさはらぬ茶の煙題按摩取成美家同一九九
はる雨や化物ばなし錢五十起〓〓や舌もつれしてはるの雨朧月やなぎの枝をはなれたり朧夜や吉次を泊し椀のおとかまぼこの煙へだてゝはるの月さゝやかばくもりもぞするはるの月少年行印籠をたづね戾るやはるの月(ひゝ)錢嗅き人にあふ夜はおぼろなりくさの戶や丸くなくともはるの月鯛の汁喰ふて出たれば月かすむ讀論語春の夜や酢を乞に來る隣あり餘寒はるの寒さたとへば蕗の苦みかな古沓の唐までもゆけはるの海光琳が〓に汲るゝやはるの水すぢかひに寐ても見ゆるや春の水墨水晩望人うつす水のこゝろもはるなるかはるの水まがり〓〓のおもしろや乙二坊に對す春風のあとさきもみな咄かな鎌倉の世から畑うつおとこかな寒食のこれをもいとへ唐がらしかげろふやいせの御秡捨てある陽炎や世はとにかくに捨にくし何となく見らるゝ鳥のから巣かな巢をたちて鳥の心はあともなし艸の雨土器屑になく雉子魚提て松やまゆけばきじの聲草山や潮じめりにかへる鴈かへる雁ばら〓〓になりて見ゆるなりはたご屋は夜も戶たてずかへる雁雲雀たつ七野をふたつ見殘しぬ蛙なくそばまであさる雀かな蕗の雨おのが二月となく蛙かはづ鳴里の雨夜も小百年春の鳥何をおもひぞ胸ふくれ草臥や身をたふれたる蝶の中とびたちてもろきは蝶のこゝろかなひら〓〓と墓原までもはるの蝶蝶まふや薪一把も門ふさげ白魚のすこしまかりて長閑なりしら魚はお儈すこしはまゐられよわかき時より虚弱多病なるを、亡父のつねになげき思はれしに、病身つゝがもなくて、やゝ老の數に入ぬる事、わづかに孝のひとつとやいふべき。かい撫の春やむかしに吾しら髮讀實婦賦春の夢さめて隣のはなしかな接木して花さくと夢に見たりけり侍花はなやさく心にかゝる夜着の襟何どもなき世の中やはつざくらあはたゞしけふ花さくと人はいふ田家にひと夜ふたよ泊りて寐過すや麥のあさ露桃のあめはら〓〓や桃はちるときをしいもの番雛は花見る顏に書にけり歸らうといふまで人の汐干かな西行は汐干を見てもなかれけりねるほどは風ふく花の木の間かな花の中大事にもてよ桶の水をれながら芽をはる花の下枝哉貧乏が追ふても來ぬぞ花の陰おもふ事花にまびれて何もなしはなに寐て起てももとの春日かな朝飯を過すや花の鐘がなるわが多辯なるを人のにくみけるに四三五成美家集
-ニものいふもいやなりけふは花の蔭へな〓〓とするや小橋もはな心なまなかにかへる家ありはなざかり花のなかすこしちれともおもふなり源氏物がたりかり侍て、そのぬしなくなりて後、空庵へかへしつかはすとて花鳥もおもへば夢の一字かな江口の女の象に乘たる〓に賛のぞまれてねぶき眼をひらけば花の浮世哉石川や飛わたりするはなごゝろ上野にて宮さまもおよらぬさうな花に風焦正品ちとせふる松だにくゆる世中にけふともしらでたてるわれかなこれは松樹のきりくひに火のもゆるを見て書寫の性空上人の吟じたまふとなり。ちるはなの中にたちたる此身かな花の句あまたよみける中花を折こゝろいく度もかはりけり願に杖する花と身はなりし冥〓が七十の賀いつまでもかくてませ〓〓はな千句六になりける娘の、そのかの母と手たづさへて堇ほり、つばなぬきてあそぶに、あるやんごとなき方の花見し玉ふとて、上〓たちの立ありきつゝ、あこよ、名はなにと、としはととひたまふに、ふしめになりて名は糸とまうす。年はこれとて、ゆびひろげたるに、みなあひきやうありとてわらひ給ひぬ。たかき人に名をきこへあげしを、かれが一世のめいぼくにして、そのみな月なくなり侍しが、ことしかの花の陰もなつかしく、ひとりすみだ川に杖ひきて花見ありくに、系大書俳本日さらにこゝろもなぐさまず。古墳の柳のみ風にうごきて、したふがごとくうらむが如し。しなばやと櫻におもふ時もあり晋子·嵐雪が像に、おの〓〓花の句を題せよと人の望ける。二句花に醉て涎もすぐに十万句出ぎらひの身をふり埋め花の雪重箱に鯛おしまげてはな見哉掛乞の顏もわすれてはなの蔭閑齋が古家もとめてすみはじめけるよろこびうす壁や鼠なく夜もはなの空をれぬすめとても花には狂ふ身ぞ遲日を泥水もはなをうかめて暮かねし哭浙江膝をかさね願をもたせて俳句に交りし事二十余年なりし閑齋が閑も、いまはま〓との閑になりて、ながく作意を聞事なし。はる雨やそこにより居しはしらありいつのとしもすみだ川に腰をおされてたづさへ遊びしも、ことしは杖とたのむ人あらば花も見やうもの關屋の里のみやこ鳥、嵯峨の鮎くひにといざなはれて、旅ねの夜のうす蒲團に東山のたゝずまひ、まづなつかしと、此曉杖をはじむる秋香庵が笠のうちに顔さし入て、かくぞさゝやきける。踏ところ草鞋にかゝるはなの塵あるやんごとなき人の、枚つくやうやしりてあるとの玉ふに、なにともおぼえ侍らずと荅申せしに、杖をいさゝかもたのむ心なくつくべしと仰られし。此ことわり何事にもかよひてたふとくおぼえし。われ脚病、脛よわければ、はつ老四四三な成美家集
のけふより杖をもちふるに、かの御ものがたりはおもひ出ながらかくぞ申侍る。たのむなり花の跡とふ竹の杖さつとちるはなを拍子やもどりあし灯ともすにこれはいつまでちる花ぞちるはなや舞も出べき腰あふぎ永日のこゝろをよく見れば捨し山葵の芽になりしこゝろのとまる戶がくしに咲たりなひのみこ阪の小ざくら是はしなのゝくにの臼ひきうたなりとぞ。此こゝろを發句にせよと、柳莊がもとよりいひこせしにあふむけば口いつぱいにはる日かな野遊のこゝろをくれるまで我もすみれの上にゐて野の菫しづかにあゆむ烏かな狼に夜はふまれてはなすみれ勇の字の題を得て蜂の巢をひとうちにして晝寐哉一瓢上人の新室は俳士をあそばしめんれうなりと。われまづひと夜·ふたよの枕に疊を汚さんとす。夏ちかの誰も柱によりやすし山吹に晝なく雞のすさましややまぶきや牛だまされて芹生までやまぶきやさくらがちれば我もちる山ぶきに日のさす春もいますこし菜のはなに夜のおぼろはやぶれけりものいはぬ人も春なりふぢの花身のひまやうしろあゆみにふぢの花かたげゆくこゝろとなるやふぢのはなとしよれば見さだめがたし藤の花竹をみるこゝろとなりて春はゆくよしもなきしる人ふえてはるは行長恨歌養在深閏人未識ゆく春を鏡にうらむひとりかな春の山けふはや夏におしかゝる三月盡の日、江嶋にあそぶ賴朝の献立つきて春のくれ巢兆が千住の茅舍にひと夜とまりてゆくはるやおく街道を窗のまへおもくわづらひて、はるもなかばすぎゆくころいかのぼりいかになりゆくわが身ぞとおもふもそらにくるふこゝろかるとてう月たつ宿は草木にまかせたり白ぼたん崩れんとして二日見るこのゆふべ鬼に喰れし牡丹かな日くるゝにいつまでつぼむかきつばた杜若花のそばよりつぼみかな虫糞に葉はたちのびてかきつばた人〓〓筆とりて一紙を〓けば一句を題す。むかし〓少納言が古歌の一字をかへていひし事を、ふとおもひ出てかきつばた疊に墨はこぼれても杜若人ありと見えてこぼれ米灰捨てしばらくけしのくもり哉すみよしの松の木間にもけしの花よしや世は木棉ひとつに茄子さくすめば世に山のひくみの麥ばたけ橋ゆけば人に見らるゝ若葉かな三一夏我まへに雲行影やころもがへ耳のなる〓ともわすれてころもがへ更衣膝にまづおくひねり文世まかせのこゝろともなれころもがへ四月はじめ、はこねのゆあみに出成美家集
柴かつぎ見あぐるそらやほとゝぎす市街はいかいうたから臼のとなりにすめばほとゝぎすなけども〓〓まぎれこそすれこのすぢを人もきくらん蜀魂はやつゆの草木となりて杜宇塵ほどのものが鳴なりほとゝぎす夏來れば人しづまりて閑子鳥やまぶきに實もとまるかや閑居鳥石臼はぬすみ人もなしかんこどりけふもまた梨子をかぞへてかむこ鳥かんこ鳥柳のむしもかくれけり秋田の無事菴、わが草室にあそぶと十日あまり。あるあさみづからき本鳥おし切て、すみだ川の流にながし捨ぬ。その胸中ちりばかりの念慮なきをみな人うらやむ。從來の無事、またいよ〓〓無事ならんとたはぶれてわか葉して佛のお顏かくれけりあさ起も朝寐も竹の四月哉一日百句の中ひろごりて伊吹にさはる〓とし竹若竹やひきたわめても寐て見たし竹の子やかたばみ草のとりついて待郭公といふ事をはらのたつこゝろのはしもほとゝぎすほとゝぎす鳴や佛の爪はじきちら〓〓と見しかとそおもふほとゝぎす藪寺や笋月夜ほとゝぎすはしり出て帋魚も聞らん時鳥蝶夢法師の旅寓をたづねし日、月川上人·重厚法師などもろともに、いざ給へ、すみだ川の若葉のけしき見せ申さんと、かしこより小舟にのりてほとゝぎすもひとこゑさそへみやこ鳥五加木茶やふり出てなく時鳥系大書俳本日似たものは客にあるじにかんこ鳥鳴わびて戾るも見ゆる水鷄哉世中を是でまぎらす蚊やりかな蚊やりするはりあひもあり眞土山後の世や蚊をやくときにおもはるゝ葛飾三憎の中蚤とりて有明の月は出にけりなつのよは土器ぬれて明にけり夏めきて人顏見ゆるゆふべかな四月六日、草菴の名殘鼠なき葎しげらん今宵よりみじか夜はとてもかくても過ぬべし右移栖辭あり、略レ之。大磯に泊りける夜、ほとゝぎすのあまたなくよし人のかたりけるが、曉までおとせざりければ夏のよは燒酎賣のひと聲に結制を一笊の塩やとけゆく夏百日五日粽ほどくそれにつけても草の宿粽ゆふ小冠者に戀のこゝろありをかしやな葎の中にふくあやめ五月雨のあすは檜もたのみかな五月雨や三日見つめし黑茶碗きのふ見し旅人もどるさつき雨五月雨や西もひがしも本願寺さみだれに鶯なくや何のひまさみだれのまたをとつ日に似たりけりつゆの身をもてあつかふや五月雨さみだれや吾かつしかは蕗の蔭いつのむかしならん、柴扉に杖を同胞之短夜や蜆くふさへもどかしきみじかよや橘にほひ月はさす夏の人といふ事を題して句せよと人の望けるに夏の人月にもありのすさびかな成美家集
わびぬれば蚊の入かやもたのむ也たちばなの香にせゝられて、ときこえし風流にはたがひてかつしかの蚊に寐かねつゝ椎の月庭鳥もふりかへり見るゆりの花我宿は夜さへ見ゆるゆりのはな古家や草の中より百合の花傘にあまりて見ゆる夏の山丸山眺望不二は眦よりおこり、三浦·かまくらは腰のほどにつらねたり。欲ものは箱根·あしがら、臥るものは大嶌·はつ嶋、ちかきは眞雀のうらつゞき、遠きは甲斐·信濃のやま〓〓、さゝやかなるは三嶋·ぬま津の家居、大なるものは夏山や袂によする伊豆の海橘やひと夜とめたる泣上戶(マゝ)あなにくや獨老鬼婆のたぐひ、釼むかへて在芝の三吟ありしも、たゞめのまへのやうなり。さみだれて我宿ながらなつかしき右」朗朗翁一味噌水もさみだれくさくなりにけりさみだれの中に三度のけぶり哉さみだれは喰ふてはこするたとへ哉虎が雨といふ題に尺八の雫におちよとらがあめ蟬の羽も夏はへだゝる心かなこゝもまた蟬を浮世に山の家なにゝこの袴着る世ぞせみの聲いて戾れ大津車にかたつぶり百般の世塵靜ならず、たま〓〓人來りて、いかにやなどいふにこたヘよの中はかくして過せ蠅はらひ蠅打てつくさんとおもふこゝろかな海までも吹てとれ〓〓蚊屋の裾た系大書俳本日をぬきて追しといふ古こともおもひ出てよし原の蠅になげうつ小判かないづかたに夜はしるらんはつがつを晋子が口氣白眼に貧乏人やはつ松魚ふたりまで友達死で初がつをむつかしき世も日はくれてとぶ螢小ふくべの靑みにつくやとぶほたる貧しさは螢とぶにもまぎれけり南無〓〓といふにもくるふほたる哉くさの家は百萬遍にとぶほたる塵境に身をしたがへて靜なるいとまなし。たゞ日くるれば俗事おのづからしりぞきて、しばらく寸心をやしなふ。人に遠し宵よりこもる〓の山たちばなやむかし小袖の賣に出るおくの東琚より十苻の里のすがごもをおくりこせり。うち見るより古き名のゆかしく、めづらしく、さていとすゞしげなれば、あしたにしきゆふべにひろげつゝ、三苻もなゝふも誰をかふさせんなどめで興じて夏はたゞひる寐むしろに夜の月小梅閑室杜宇しば〓〓鳴わたり、水鷄まれ〓〓おとづれたり。ほたる飛かふ稻葉の風も、軒にしげれる木立よりおとして、さらに扇もわするばかりなれば月と雨かはる〓〓やなつ座敷あさぢが原の中に木だかき岡あり。そこに三阿法師がかたばかりなる菴しめてすみける比尋行しに、世ばなれたるすまひのすべて西上人の物ずきにかなへり。松ふかし人目おもはで夏の月戸凡丸成美家集
しれる人のもとへ狀書てそへよといふに、したゝめつかはすとて夜すゞみやかならず袂ひくあらむとかくして崩れも行やくもの峯題范蠡くものみねかくれ處は見ておきし此ごろの見るものとては雲の峯先師去年の此比、八仙人のかたを〓て給りければ、とく一軸にしたてゝ見せ申さんとせしに、さのみはたさず。今おのれがおこたりをなげきて皐月來ぬ死なぬ藥も〓そらごとほそみちの古きひとすぢをたどり、しら川の關こえんとする羅城法師をおくりて夏草のおくものこさぬ杖ならむ山芋の蔓にひかるゝ〓水かなのら猫の眞葛わけ入しみづ哉庭中に階子のかげや夏の月施米といふ〓とを麥米やころもの袖にあまるほど貧しげに扇の見ゆる戶口かな夏野行扇のはしもたよりかな身のむかし戀せし人か夏野ゆくうちはもつ人はこゝろのやはらかき牛嶋にある釋迦像の貞觀の古碑、うすき墨にすりもとろかしたるを枕かみにかけたり。涼しさや夢を佛に見せまうす何事もむかしになりぬゆふすゞみすゞしさにいくらも喰ふや枇杷の玉凉しさや百合も芒も手にさはるすゞしさや家のまがりは夜見えず貧すれば身をさま〓〓に夕すゞみすゞしやと人いふ聲をほだし哉家〓〓にあひるももどるすゞみかな南Fの一草、はじめて京へゆく。系大書俳本日題西行このおくにしる人あれな山〓水吼犬もしづまる蓮の夜あけ哉撫子のふし〓〓にさすゆふ日かななでしこのばら〓〓になるもあはれ也新成松齋半日は浮世わすれてねぶの花民玉子、みちのくの名たゝる所〓見めぐらんといふに、西上人の〓と葉をそのまゝにいひ出て、けふのこゝろをのばへ侍る。合歡の旅ねおくゆかしくぞおもほゆる素嶠居士は、をとゝしの春久しくやみて家にをはりぬ。麥宇は、西の國へ下らんとして伏見の舟の中にて、にはかに病おこりてむなしくなれり。したしき友どち、本行上人のもとによりあひける日、懷旧の附合して此ふたりのなき玉をなぐさむとて、おの〓〓香や花やといとなみけるに夏くさのつゆもかゝるや反古さらへ曲直老人、七十初度の賀にあはせて、あらたに家つくられしをなつ桃に老せぬ門とたづねけり夕立や耳のそこなる雞のこゑ白雨や安居の沓の流れさるゆふ立のむしりて給へ門むぐら題長明夕立や家こし車の雨そゝぎゆふだちやまたあらためて百日紅あつき日や軒のつまなし落もせず暑き日や目をふるかたの烏賊の骨あつき日のたよりともなれ靑楓あつき日やこゝろなぐさの桶の漏天狗のうへを題にわかちて發句して戯けるに、呑〓鉄」といふ事を胸あつやあさ夕倦し茄子汁あすも見むはつ花茄子吾なすび四五、成美家
讀莊子ねぬや人蚤より大なるはなし晝がほの赤みに人も秋ちかし山家のなごし、いぐしたつるわざもなければおもふ〓とみな白雨に流しけり帋屑の袂をぬける御秡かなみそぎ川こゝろねぢけし人もなし成美家集下之卷贅亭諫圃仝校男常菴子强坎窩久藏補定秋はつ秋や何の烟も眼にかゝるはつあきやけさは柱に手のとゞく立秋のこゝろを灯ともすもまづめづらしや夜の秋はや秋の柳をすかすあさ日かな賣家のとなりにすみてけさの秋淋しさにつけて飯くふ宵の秋月僊上人の大なる茄十ふたつ〓るに書つく汁好のうれしきあきにうつりけり殘暑のこゝろを七夕にねがひのひとつ涼しかれあふぎ臥あともまくらも天の川ほしのあふ夜や我がちに草の花薙髮してのちたなばたや凉しいさへもうれしきに窮郊井をさらふによしなし銀漢豆腐の水にかよへかし桐ひと葉手を打かへすけしき哉よをこめて鼠はじきにひとはおつかりそめや壁に釘うつ玉まつりなつと秋とふたつにわりし西瓜哉燈籠や顏見し友はひとりなし高燈籠見まじとすればめにかゝるをどり來て山もとちかくなりにけり珠數のすく袂も秋のかたびらや角力とり露の妻子もありときくつゆの身とおもひもかけず相撲とり秋のくれ立出にけりすまひとりおくの乙二がもとより、かつしかの秋の風、垣のはこべ實やむすぶなどいひこしける返しとはなくてくさの露蘩見し人をおもかげによく見れば露もしばらくひとさかりふつか三日四日五日露の置まさる我歸る家は見ゆるぞ露の中身ひとつは水汲ずともくさのつゆ草庵餘長なしのぞみならいくらもくれん露の玉美しや世にたとへたる草のつゆつゆの身といふもま〓とやまくらもと玉川はふたつも見たりつゆのあき家はみなつゆの中にてうつ火かな乙二とわかるゝ時つゆ淺茅たがひにながめられにけりいなづまや人のあゆみもおそいもの稻づまや念佛十聲の間に入いなづまや野にたつ人もあればある成美家
秋風をまつとてたつやをみなへしはじめから吹をられけり女郞花かなしさのちらりと見ゆる萩の花簑むしよ甘露ふれりと人はいふ有明や馬のなくまできり〓〓す(よカ)月や入癪に鳴まるきり〓〓す牛の尾にうたるゝ秋のほたる哉小屏風やたてはさまるゝ秋の蝶躡展無勞問惠休杖むけてまづあはれなり秋の山柴の戶はあくるよりはやあきの風人すめばすむとてふくや秋のかぜ鴛鴦も吹わけられて秋のかぜ身ひとつにかうまで吹かあきの風鎌倉にて名をとふや畠〓〓の秋のかぜ病後褄ふみてころびやすさに秋の風稻妻とひとつになるやくそかづらいなづまに梨子の接木のいたみけりいな妻を待や佗ねの探しもの杖を曳て梅山居をたづぬるに、無門の關たかく鎻せり。是秋風一時の情。秋の聲門たゝけどもこたへなしあさがほの句あまた作りける中精情出してさけよ朝がほ人もつゆあさがほのはや此秋を咲へらす抄子とるいもがあさ顏咲にけりあさがほをあすも〓〓とおもふ世かあさがほのはやしぼむ見るけふの秋草堂兀坐あさがほのさく見てけふも過すなり朝は蕣夜はいな妻の世となりぬ一日百句の中牛捨る野にも立るやをみなへしそりかへるほどあはれなり女郞花ひとつ灯の消もはたさずあきのかぜあたりさへものむつかしきかきほに、はひまつはるものあり。夕顏の露けき風情にはたれも〓〓見なさず。そこに咲るはととふ人もなきに、たま〓〓柴扉をたゝける隱士に對してはづかしや絲瓜にかゝる夕けぶりなにはに一とせあそびて、來源草の月の比には必歸り來むといふに、老後の露命おぼつかなしなどおもひながら再會の期を約してそれまでの命こらへん風の秋月〓しふところにせんかんなくづ陰に居て月に座しきをゆづりけり身のひまや朝寐よきころ月の比名月の雲にほゆるや山の犬脚病一歩をすゝめず名月を追ふてひけ〓〓庭むしろ名月を大事にふくや松のかぜ名月や〓とばつゝしむ夜の人名月やわするゝころを風のふく名月も葎の宿にかへりけり草菴名月のひかりばかりぞにぎはしき名月にあふや小庭のひとつ瓜名月を人にも見せずかくれざとはや出しわが庭松に月は出し家ふたつあれば月見るもやうかなふはとぬぐ羽織も月のひかりかな十五錢里人の〓のぼりて月のくもさびしさにたへたる人のまたもあれないほりならべむ冬の山里。れまた庵ならべん心ざしあれば、其由上人の新居のまことにうらやまれて成美家集
これよりして秋の日よわるすゝきかな芒はら果はしほやくにほひかな飯櫃や下葉をれこむ風の荻これさへもへりゆく秋よ唐がらし秋はたゞなみだもろくも唐がらし何人かすみて顏出すまどの蔦ひと寐入よくしてきけばころもうつ大かたの茄子たふれてうつきぬた庚申の三弦のこるきぬたかな箒木にかくれてうてる砧かな陽子なくなりてのち、狂句をかしきふしもなき事をくゆ。ひとたびは亡人をかなしみ、ひとたびはのこれる命をめづらしとおもふ。悲憂かはる〓〓胸をせめてこゝろほれたるが如く、狂せるに似たり。しるやいかに我さま〓〓に秋の雲浙江潮かれ盡てより春秋行かふ〓と既に七度、ひさしく波浪の〓音を世にあくと人にはいひて月見かな仲秋無月雨見ゆるそれさへ月のちからかな乙因が故〓におもむくわかれにのぞみて有明のひかりしみつく袂かな世中やなるこ曳てもわたらるゝちる木槿掃あつめては見られけり白木槿每日しぼむころをみる何もせず木槿さくまで世はなりぬ門の秋木槿咲簾ほつれたり亡人呑溟がみづから寫せるひとつ橋集、わが方にとゞめありしを、つま子のもとへかへしつかはすとて葛の葉をかさねて夢の古さうし秋江晚望松芒そのほかのものなかりけりちゝぶ山窪いところや花すゝき此おくにしる人もあれ花すゝききかず。俗耳を洗ふによしなし。風悲しわすれぬをわが秋の友喰て寐る身のつたなきに秋のくれ閑中日月長といふ〓とを秋の暮鐘長閑なり人なしに露の家は鴈ととも寐や壁ひとへ夜增戀といふ題に夜の鴈かさねかけたるおもひかな大竹もなびくや雁のわたりぞめ破れ戸に釘もきかずや宵の雁秋の日は雁の羽風に落にけり眼のまへに蝶死でなく鶉かな古沓や荻にかゝりてなくうづらおろ〓〓と人に見えけり曉の鹿やせ〓〓や身をつまだてゝ男鹿鳴しかきけば木の葉のやうな我身なり三夜さきくおなじ所やしかの聲食に肉なしわびぬれば柚味噌の釜を喰ひけり蜻蛉もちとふりかへれ神路山蛤の息もつきあへず野分ふく淺草やすゑは稻葉に三日の月みか月のひかりをちらす野分哉後の月鴈大聲にとぶ夜かなのちの月葡萄に核のくもりかな白雨居士の一周忌に、人〓〓あつまりて追善のはいかいしける日、懷旧のこゝろを后の月かたりあふほどたのみなやさゞ浪も身にかゝるかとのちの月のちの月藜は杖にきられけり尾花みだれてむなしくまねかず、桐おとろへて葉のおつろ〓とはやし。臨海主人、にはかの病に物故のよしをきく。時しもあれとおどろかれて後の月あれよとおもふ人はなし右哭ニ春蟻一成美家
みそ燒は小金もへりて菊の花菊を見て一日やりのこゝろかな園女賛菊の香をもてしづめたる硯哉菊は花のとぢめなりとや、ものこゝろぼそきをりから來年も見るとやすらんきくのはな寒ければ顏もてよする柚みそかな秋茄子藥に燒ぞあぢきなきあきもやゝ黑みに入ぬからす瓜落栗や兎のあそぶところなし閑室獨坐日は過る梢の柿と見あひつゝ吾ふくべ種なるまでに秋を見し椎ひろふ浮世過すもやすいもの神田祭鄙の拍子はむかしにて花芒大名衆の警固おごそかに、神輿のわたら老懷酒はいかいロはさかりてのちの月寐られぬ夜におもひ出るむかしもなくばいかにして寐ざむる秋の夜をすぐさましうれしさや夜さぶの陳皮唐がらし茶をのめば目鏡はづるゝ夜さぶ哉小判よむとなりをもちてよさぶ哉長夜のこゝろを秋の夜は松しまの松もかぞふべしながき夜を我にむかふや屏風の繪骨柴の崩れてのちも夜ぞ長き菊さくや五つはのこる唐の皿夕ぐれにけふもまたなるきくの花きく咲て雀の米も日和かな行燈の晝さへ見えてきくの宿きくの香に下部が桐油こゝろせよひと壺のなめものなれて菊の花せ給ふさまいと尊し。神人·氏人どもけふをはれと出立つゝ、はなかざれる車ども曳つゞけ、笛·皷お大もしろく打吹たる、實に大平の音なるべし。此車を花出しといふ、東の俗語なり。是は加茂·八幡などの祭に、出し車といふを出させたまふにおもひよそへてかくいふにや。花出しやうごき出たる秋のやま魯隱と舟をおなじうして此長流にあそぶかなしさや秋の日は入角田川うら枯やふねは下るぞおもしろき末がれやつきそこなひの鐘の聲やま里は是を人目に案山子哉見る人の唇かわくもみぢかな水くむも浮世がましや夕もみぢ我からの鼻息見えてゆふ紅葉底すみて魚とれかぬる紅葉哉ひよ鳥も來て悲しがるもみぢ哉住なれて魚なき國のもみぢかな若一王子の田樂踊、さはる事ありて秋の末におこなはれけるに參りて、花のころは花もて祭るといふ古〓とおもひ出て舞人よ紅葉のころは袖のかぜ名月もふたつ過たりつゆしぐれ秋の果龜は小藪にはひ入ぬ朝がほを芋と見るまで秋たけぬあきの日のさすやかぎりと山の腹小の九月にこの秋は晦日さへなくて暮にけりゆくあきや門の小草のほつれより墓秋のこゝろを秋の山すそは時雨とふりにけり音にたてゝふくべもなるや秋の果暮秋きり〓〓す曾我ものがたりよみはてず同九九成美家集
けふの供米を勸進申されけるにつかはすとてはせを會に瓢の底をたゝきけり几董が伊丹といふ所にて、にはかになくなり侍りしよし、はや便にいひこしける。風雅にかゝづらふ人の道路に死なん、是天の命也と、はせを翁も書のこし申されける事などおもひなぐさめて旅笠をつひのやどりやかれ尾花一天四海皆歸妙法御命講子どもの親も呼れけり十夜酒賣の十聲ひと聲たのみありすくひとれ十夜の汁の芋抄子見佛聞法生海鼠さへこの時にあふ十夜哉十夜とて袖ふりあふもたのもしや葱の玉神のお留守とにほふなり系大書俳本日冬猿曳の小春機嫌に出にけり大名のもみぢふみゆく小はるかな名所犬吼る晝も淀野のしぐれかな人ゆけばやがてしぐるゝ野中かな宵の中上野淺草としぐれけり人は寐て鼠の顏にもるしぐれ靑草のすこしもあれば時雨けり梟の身をまかせたるしぐれかな蕉翁の像數枚を〓がきて、人〓〓にわかちおくるとてくま刷毛に上野のしぐれそゝぎけり光廣卿聞書に、秀歌の躰大略狼藉無極者歟といはれたる定家卿の首をしめて、問たきなりと。此こゝろ誰もあるべし。芭蕉會にその唇を守る哉る哉木がらしの人も草木に似るものかこがらしのふくや瓢の種をさへ木がらしになに事もなし豆腐槽落葉して日なたに立る榎かな貝むきが手もとまぎるゝ落葉かな明るまで人はよく寐ておちばかな鷗まで落ば寒がる風情かな人さらに狸のあとをふむ落ばこの比の疊ざはりも落ばかな落ばして小寺〓〓のあそびよき鳥めらが來ては屋根ふむ落ば哉日みじかに見てもをらるゝおちばかなちる木の葉いくへの下の我ならむ花にうかれ月をもてあそびしもすみだ川木の葉がちにもなりにけり松竹におもひもいれずみそさゞい浙江二七日に人をとふ我も冬野のきり〓〓す見るほどに歸らんとおもふ歸りばなわがすむ軒端つゞきの其由上人は、今の月川大德の古き名を乞得て、狂句にあそばんといふをよろこぶ。水僊に霜の白さをつたへけり水仙は葱のきはにて咲にけり麥まきやその夜狸のつゞみうつ辛崎の松も見ゆるや大根びきかまくらやをさまる御代は大根曳大根ひくその夜や松にきり〓〓す大根ひきて松はひとりになりにけり長明が車もおせや大根びき棒提てゆけば鴨なく澤邊かなぬす人も妹とぬる夜やなく乳鳥川千鳥牛の喰ものなかりけり肩ほねの鳴るにつけてもなく千鳥すみ〓〓にものおく冬の夜はをかし炭つむも物氣に入らぬ浮世かな成美家集
家さぶく桐の赤葉のひとつ哉寓感つたなさの寒さにつれてまさりけり藤棚の下に米つく寒さかな賣てやる夢さへも見ず冬ごもりあさ顏の蔓もはらはで冬ごもりうしろには松の上野を冬ごもりひとつ灯にひかりかはすやふゆの月梅などもうめと見ゆるやふゆの月はつ雪や灰にかいたる梅のはなから家とおもへば煙る雪のくれあさのゆきおなじ文こす友ふたり魚くふて口なまぐさし晝のゆきさゝやくもたま〓〓見えて雪の人雪になほけしきもてとや鐘がなるゆきの日は腹たつ人も來ざりけり擬一瓢雪の日は疝氣の虫も音をいれぬ炭なしといふ聲小夜も更にけり鐘なるやすみのはねしも宵のこと炭といふ題に木のはしの法師も炭により給へいつまでか鳶にもならで古ぶすま引かぶるよし野のおくの衾かなうなり出す三斗の釜も霜夜哉旅人の捨た箸なり曉のしも老情寐つくさへ拍子ものなり霜の月哭巢兆三十余年の旧交、たゞ一時のあだことゝなりてながき恨をいだく。書〓の雅名も今朝一片のけぶりとともにあとかたなし。なにごともひとつ殘らず霜の草亡妻が墓まうでして塚の霜われも苔にはちかき身ぞ鋸をかるも戾すも寒さかなゆふべまで捨たい宿をゆきの宿醉人狂客かはる〓〓見まひ來れば、塵のこゝろ物にうつりて靜なるいとまなし。しばらくは雪にかくれん市の門韓人不二を見る〓にのけぞりて雪の上なる雪の山ことしは市中に居をうつして大雪や我を山家に庭の松氷捨てたゞ何となくあはれなり我やどは氷をつるすあたりかな梅の咲をりもあらうか厚氷柴の戶や氷しまゝに捨ておく月霜や齒ぬけとなりて鉢たゝきふとん着て山さへ寐るをはちたゝき枯菊をまたもてはやすあられかな豊鑑禪師の扁によりてねぶれる圖冬至なりふたりのわつぱはや戾れ冬至とて疊の墨を拭せけりくすり喰箸を下せば鐘がなる河豚汁妻といふものなくもあれ君が代は誰もくふなりふぐと汁孔子·盜距一塵埃河豚くはぬ人さへもまた夢なれや久臧と題をさぐりてから鮭は花さかぬ梅の木ぶり哉暑天にあふぎ臥て、わが書をさらさんといひしものしりのうへにはさもあるべし。このはいかいのまじはりはから鮭の腹にはかくすものもなし乾鮭の梅を喰をるけしきかな冬川を二度こす事がおもひかな冬の夜やどこを明ても月はさす寒月や藥の番のそらにとぶ寒月の柳などにはかたぶかず寒月やひとり破れしくすり瓶ひく汐の淺くさすぢや寒の入成美家集
み、なにどかなれる。東都十年もなほ速なりといはむか。我こゝろ是にこたふるにことばなし。たい籠の目にとしこそたまれ事納すゝはきや水うちかけし松の色まがはしや小家〓〓の煤はらひせきいに市のかくれ家見られけり前季候はいかなる人のなりぬらんせきいよ名のため狂ふ人もありせき候にふみ過らるゝ伏家かな三十九の暮にさすがまた老といはれむあすの春年はかく氷をはしる入日かなはや暮よ三日ばかりは何にせむ題〓〓襖の人にもとしのくれゆくかかつしかの草堂しづかさにおほえられつゝ年ぞゆく貧しさにたゞ居するなりとしの暮寒聲を鬼もきけとや羅生門埋火や我名わするゝこゝろありうづみ火やよし野のおくも是あらば埋火や眉やくばかり小夜ふけし虬戶ぬし、旧里にかへる。春はまたかへりのぼらんといふに、其詞かならずわするなといひて梅さかばおもへ炉に手を交へしを讀莊子腮の髭火桶に臍をかくしけり仁波海の外にながれて琉球の聘使まうで來しに、おほやけよりさま〓〓のものたまひ、から衣袂ゆたかに、おもゝちほこらしげにゆきかふさまめづらし。よき時をうるまが袖に寒鶏卵成美みづから心にとふ、かしらの雪霜はらふべくもなく、腰に梓の弓をかけたり。なにごとをいとな系大書俳本日脊をほすも入日がちなりとしのくれとしくれぬ喰もはたさぬ唐がらしる守〓〓と宿の鸚鵡にいはせけり樵夫木をこりてかくまで老ぬあすもまた母のうせける時母なしに我身はなりぬ身はなりぬ去來叟百年忌辰人は土地の〓きによりでよく閑に、土地は人の雅なるを得て其名ます〓〓久しきにつたふべし。去來叟が落柿舍における、人と所とふたつながら相得たりといふべし。それよりして見し人はなし嵯峨の山初戀きのふ見しも詠られけり庭の草親猿の愚かに見ゆるもあはれなりいづかたに車はとまる夜のあめ我宿やとし〓〓山によりかゝる雜秋の雲そゞろにはしりて、國子中俤まのあたりをさらず。あしたのつゆむら〓〓見えて、陽子があだなるちぎりをおもふ。陽子なくなりて後、われ世にいけるかひなし。われさらに陽子をわするゝ事なし。陽子、地下にわれをなにとかおもふ。ひとゝせはよくもへにける命かな翁の像に題す笠を着て草鞋ながらの佛かな鶴すほ〓〓と夕くれて見ゆ雀の尻鸚鵡成美家集四六五
四六大跋排家君夙攻徘諧之學、簿書計算之暇、情之所遇、節序景物、離合忻戚、〓今懐古、備以成章、其至斟形迹於無朕、洩造化於傳神、乃語言文字外別出一機軸矣。於是四海賢達、郵寄廣唱、推爲主盟焉。晩罹疾退老、葛飾之瀬、風味果石、每長林〓寂、水流花開、環坐兒孫、吟哦自娛、積久成帙。人有請上梓刷印以貽於海區者、必拒之曰、老鈍頽唐、每意與境會、結習未除、聊復爾々、要之意薄色淡、奚足當觀哉。今玆二三同盟與子弟輩心期於必傳、固請刊之。乃拔爲六百三十七、衷爲二卷。又命余記其後。因謹錄甞所聆左右者記其後云。文化丙子春正月本石町十軒店萬金產英平吉男包壽撰壽包曾波可理巢兆
敍巢兆翁。善誹諧十七字吟。之里。其居之東。て我に問ふ。我も又句作して彼に問ふ。彼に問へば彼譏り、我にとへば我笑ふ。われ〓ばかれ題し、かれ〓ば我讃す。かれ盃を擧れば、われ餅を喰ふ。其草稿五車に及ぶ。兆身まかりて後國村、師を重ずるの志厚し。一四四草紙となし、梓にのぼす。其はし書せよと言ふ。いえきべきにもあらず。頓に筆を採て、只兆に譏られざる事を巢兆翁。善誹諧十七字吟。厭世之煩囂。而隱于關屋之里。其居之東。稻田萬頃。一望彌空。因號日秋香酒庵又自稱菜翁。性嗜、愛容錢到手則散之不惜。瀟灑脫落。其人可觀矣。翁又善〓。氣韵高古。有鳥羽僧正之風。其常所用之松甫印。卽其父山本龍齋先生表德之私印也。翁以爲〓中欵焉。先生於余丈人行也。因余與翁交情殊密。翁弃妻子而行于道山者。已三載。今玆其弟子國村者。集其句而欲傳諸同志之士。乃徵序於余。〓讀之不勝感舊之情。於是濡筆於涕。而題其首。文化十四年丁丑夏五月り、之里。瀟一四四いえき只兆に譏られざる事をなげくのみなり。文化丁丑五月上澣日抱一道人屠龍記文詮於是濡筆於涕。友人鵬齋老人興撰曾波可巢兆句集序秋香〓巢兆は、もと俳諧のともたり。花晨月夕に句作し九
坂倉素交と梅見にまかりけるに、雪のけしからず降ければすべつても梅にすがらん杉田みち難波にて舟曳や五人見事に梅を嗅梅散るやなにはの夜の道具市蠣家根の出村へむくも梅の春うめ散や蛤貝の蝶つがひ魯隱が別莊柿壺や奧に老木の梅の花十團子に氣のつく梅の荅かな苞もの脊負たる老人の繪に今出た歟花の梅田を梅の花(警母上の密柑召けり梅の花梅が香や樣子のよさに芹を摘〓島夜泊梅が香やおもへば寐たる龜の上七福の讚巢兆發句集自撰〓筆歲旦大あたま御慶と來けり初日影俊成卿玉箒はつ子の松にとりそへて君をぞ祝ふ賤が小家までけふとてぞ猫のひたひに玉はゝき竈獅子が願ではらひぬ門の松野店酒〓やとうふ和らぐ御代の春梅藪尻にはづみのつくや梅の花とりわきて蕎麥粉の禮や畠の梅皿鉢の寒いうちなりうめの花山家に遊びて梅折やこれも雀の寶ものとし每に圍炉裏借るなり梅の主隣から梅に階子や福祿壽旅僧を布袋かと見し春の水初寅酒樽を鉾でまねくや番おろし巳待福天の御息もかゝれ玉の春大黑天小ねらに松をひかせ給ふ人麻呂に鯛もあれかし若惠比壽乘かえの鶴もあるなり落し角柳靑空に馴て米ふむ柳かな黄昏は湯衣かけたる柳かな傘かりて疎き人見る柳哉待戀の翌日に延たる柳かな靑柳ほどけて枸杞の垣根かな稻村を町家にまぜて柳かなあかつき衣紋坂と云處を過るに四ばづけか家根にもさつと靑柳人日とく〓〓の水より淺き若菜哉金春がひと群出たり摘わかな七種や御末かしらに藤ばかまむく〓〓と若艸はゆれ艸の庵わか草や鍬のさわりし小笹道へたと置鍋のめぐりも春の艸堇ゆく水に嗅で捨けりすみれ艸市女笠すみれ尋ぬと荅へけりなの花菜の花や染て見たいは富士の山菜の花の舞こんで居る坐敷哉菜の花や小窓の內にかぐや姫なの花に造り木見ゆる明屋かな小袋のこぼれ花咲菜種哉菜の花や初土器の井堰の里山吹曾波可理同日一
(マゝ)白魚の爰等で孕むさくら哉扇借せ花見出て來る鼻の先老懷 遊女奧州が慢言を摘挑灯のてれんも見へぬさくら哉朝の間にさくら見て來て老にけり金輪寺〓音閣村雨の若葉をいそぐさくらかな〓嶌片瀨からこゝろにかけし櫻かな手のくぼに殘る小鯛や潮の花生嶌奉納藤折らし扇にかけると呼子鳥腹赤燒家を卷なり藤の花むかふから旭湧なり藤の花藤咲てゆらつく橋のすがたかな流れ汲隣もひたすつゝじかな山姫や溫泉壺に活し花つゝじ三圍の鳥居とそだつ杉菜かな山吹は峯入ちかき盛りかなやま吹やぬき手を切て九折山吹に蛙のたゝく扉かな花いくとせも花に風吹さくらかな鵜の枯す木の間の花の咲にけり道命とうしろあわせの花見かな歸るさに松風きゝぬ花の山築かけて一夜明たり初ざくら椀家具も音せで花の小塩山かし鳥のあたりに今朝は花見哉宿かりて又見ん花のあらし山先花の大山崎やひがし白ちる花や帶しめ直す石の上寐ごゝろも燕持兒や門の花隅田川にて四阿を馬屋にしけり花の雨暮そめて小家したしき櫻哉苗松のひとつに育つ杉菜哉紅梅にいともかしこし御鷹宿放下師が雪をかほらせ桃の花桃咲や西瓜畠のあらおこしうたぶくろといふものに哥書たるを見ておもひ入る蛙や摘んつく〓〓しはびこらぬ顏で芽を出すちよろぎ哉駿河なる山葵越るや箱根山連翹や鵙のわらじのかけどころ國村、柳翠兄といせ參宮する馬のはなむけに双六の六部に逢ん宇都の山太〓や福引とりてぬけ參り初午鎌くらの佐助や誘ふ旅ごゝろ朝ぐもり六浦の煤竹今や焚太箸や削らぬさきの杉の月蓮根の穴から寒し彼岸すぎ初雷あしがらはまだ出ぬ神のとゞろ哉田やかへすへたら〓〓と谷の底畠打や穴のきつねに餅居てどこぞでは婆〓にやならんたけり猫田家鶯の啼や色めく繩すだれうぐひすや竹の子見たる市戾り鶯にこの曙を田舍かな鶯を二籠釣て野は遠しうぐひすの家根からをりる畑かな鶯やもとの〓水の原屋敷鶯のみがく椿や藁屋なみかまくらにてうぐひすや夢想國師の堂の前雉子が啼餅屋の脊戶も塔の辻高茅の刈らぬ裏戶も雉子の聲同一旦曾波可理
春風や一期さかえし榛の花春雨や斯しておゐて峯の雲はる雨や簾を卷て崔御覽芹生にて芹田持たし春の雨炭賣と手に手をとりて春の水曲らずにくわゐの角や春の水山里は麥飯すゝむ雪解かな雪解や穴のきつねの宦上り由井濱覽古佐保姫の額に見ゆれ磯の浪佐保姫の野道に建る小旗かな佐保姫に駒もよまるゝ鼻毛かな茅屋根に鵜の長閑也嶋の雨山姫の動かす松に春深し二葉より豆銕炮やきじの聲廣畑に雛もまだなき雉子かな鎌倉覽古灰蒔し畠があればぞ啼ひばり旅人の五日遲くばさぞ雲雀つばくらに殘す築地や撞木町蛙かたむきて田螺も聞や初かわづ我からと藻屑の中に啼蛙禪門にをくれては飛胡蝶かな鍬笊に盛ればこぼるゝ田にしかな柴の戶や泥かけて行田螺とり隣同士白魚買ん夕月夜しら魚やしらぬ葉に盛舟の上霞和布を刈や霞くむかと來て見れば霞む日や佛のあかし遲なはる防風で濱は葺なり春の風系大書俳本日時鳥谷へ掃はゝきのさきやほとゝぎす啼け聞ふ木曾の檜笠で時鳥遠山やところかはればほとゝぎすひがし山とつてかへすやほとゝぎすよし田殿末社巡りやほとゝぎす新しき橋のにほひやほとゝぎす時鳥まだ見に來ずや隅田川ほとゝぎす九反かけたよ紫屋時鳥啼や御繪師の宿衣いざやとて脊を干す鳩よ時鳥あかつきは鉄漿もにほへやほとゝぎす早乙女が橫轉ふ庵やほとゝぎす茶引草裾になびくやほとゝぎす三圍で聞もやすらむほとゝぎす廬艸庵の膚橘大雪にいたみて、わか葉の頃も不沙汰なりける八千代の蔭をしのびあへざるにほとゝぎす啼けばむかしの軒端哉上野國赤岩高恩密寺に高野大師の持せ給ふ五鈴あり。それが中に松虫とやらん、〓音すぐれて涼しく聞へたるありければ松虫の音にふりたてよほとゝぎす桐生米室を訪ふ脊戶口の伏猪もやさしほとゝぎす三井寺もほろ〓〓あへ歟ほとゝぎす山寺浴室に苔がはへたり閑子鳥とゝ鳥の日馴て啼や閑子鳥閑子鳥啼や朔日十五日十景を握て啼や閑子鳥眺なら常山の花やよし雀笈佛の戶をたてゝ聞水鷄かな成田にて盃が出ればはや來るほたるかな隣から灯かげのさして行ほたる曲りこむ藪の綾瀨や行螢同工五曾波可理
赤貝にひかるゝ裾やころもがえ山寺や蜂にさゝれてころもがえ艸堂茶釜ほどある歟なきかの牡丹哉門守の婆〓も野等こく牡丹哉打水の雲きりにたつ牡丹かな岩からもはへずにやさし杜若おし出して塔一蓋の若葉かな山路來て見事に歩行若葉哉傘のちいさく見ゆる若葉かな爺婆〓が寐所掃出すわかば哉ふるさとの梅の若葉や堂籠路川が兒の追善に卯の花やかくれん坊のそれなりにうの花や振て投こむ松明売卯の花を粉にはたきたる嵐哉卯の花やそも〓〓これは土器師庵を出て雪ほどしろしけしの花豆の葉や豆腐に着せて飛螢螢追ふ門や風呂焚やせ男糸竹に蝙蝠の舞月夜かなかはほりが眼を射てやらん小挑灯糞他が五禽の戯といふことをして〓の月後は臥猪の鼾かな旅中芒から蚊の出る宿に泊りけり蠅追ふてひやうたん町に入にけり紀の關も越ば伴へかたつぶり艸庵に茶立虫といふもの啼。ある人のいひける。この虫の聲を聞時かならず好事あるべし。諺にかくれ里ともいへりと。米櫃のそこらであらん隱れざと蟬啼やとばしる瀧にはぢかれて蟬の音に薄雲かゝる林かな南湖系大書俳本日鷺の來て伴ふ宿やけしの花駕の醉葵見しより醒てけりあぢさゐや煮てかためたる花でなしタ顏夕がほや逢たき人の途飯時分夕顏やよその空なる稻の殿夕兒や夕越へくれば馬に餅晝顏や芒の玉の消るとき馬借て伊香保に行んあやめ哉雷晴て蓼また苦き氣色哉土持は買人やつきし蓼屋敷若竹や竜這のぼる藪からし竹の子や筧の通る路すがら竹の子や客に問れて雨の簑たけの子や馬飼ふほどの藪の主竹の子を花活に切る安さかな竹植て犢鼻褌かけばやとおもひけり舟中見落すな合歡の小家の酒ばやし合歡咲や柘の小櫛もほしげにて藻の花やさそひ分たる紺屋形川骨や碎けぬ花にさゞら浪蓮の香に起て米炊あるじ哉鴫立澤にやどりて鷄が啼翌日はかならず乕が雨妻沼にて五月雨やまくら借たる桑の奥五月雨や眞野の長者の菅を刈夕立やいたゞく桶もぬけるほどひるがほに足投かけし植女かな植かけて飯くふ小田はなかりけり夏の夜や茶木の楯に敷むしろみじか夜や三味せん草に蝶のかげ夜をこめて打や淺黄の夏衣六月は稻の葉伸に朝茶かな端午江に添ふて家〓〓に結ふ粽かな曾波可理
こそ〓〓と夜舟にほどくちまき哉尾上から大根おろしやはつ鰹憂人の鮮にもすこし初がつを飛魚の蜑のいきりやはつがつを江の嶌や傘さしかけし夏ざかな芋の葉で一夜育ん初なすび村中にうからやからやひと夜酒玉鉾の白ひ日傘も通りけり凉しさは田舍に見ゆる夫婦かな涼しさにかたちづくりす山の上風薰るまくらや小笠小風呂敷竹の葉や沓を擽るたかむしろ〓水ひや〓〓と田にはしりこむ〓水哉駒の出んひさごをひたす〓水哉花桶もいたゞき馴し〓水哉見し人の鍋搔て居る〓水哉馬に鞍醫者を夏野の行衞哉春夏都二百三十七句巢兆發句集系大書俳本日善光寺客中なに事かしなのぶりなる今朝の秋秋たつや田の艸とりをよぶこ鳥ひとわたり菜のかいわれてけさの秋初秋や〓をうかゞふ五位の聲猫のかくはしらもひかれ今朝の秋隣家看白夜ざらしの二布干なり天の川星逢に見やる山田の立樹かな鱸舟すゑによる瀨や銀河七夕に星の入たる色紙かな年〓〓や梅ぼしくさきかし小袖信州若人亭七夕後朝朝皃の花に澄けり諏訪の湖文月七日まつ島やされば琴引秋の風かはほりも里のやつれや秋のかぜ鳥蜩に打まかせてやあきの風野分にも關屋の芦の片葉哉しなのゝ國吹嵐と云處にて粟少しこれや鳴子の吹あらしもとあらの萩をしほるや秋の雨尻へたの蚊を打芋の葉風かな修理の太夫顯季卿なりしか、木賊刈その原山の秋かぜにみがゝれ出る夜半の月かげ、と詠るをその娘の君、鏡のうらに鑄させて戀しき時の父の記念と見たまひけるを、尼になりてのち法隆寺の峯の藥師佛におさめけるとかや。玉棚のおくなつかしきおりにこそとおもひよせられ侍りて孟蘭盆やたまに呼込鏡磨老ぬれば西瓜に辷るおどり哉八朔や鰯の兒のめづらしき鹿馬屋より下に來て啼小鹿かな笹山や小男鹿急ぐ夕間ぐれ大坂の便に申遣る河內屋で膳を出さばや渡る雁旅ひとりひはら〓〓と鴈がなく乙因を歎くもありや南部雁鵙一羽來て搔まはす梺かな友人薗窓、野もせにすだく虫の音を狩て、あまた竹叢の軒端に掛おけり。唐もろこしの籠の目あらみ、赤土の露を絕さず、瓜·茄子の養ひおろそかならねば、うぐひすの子の笛に馴るごとく、たがひに〓音をたしなみて令〓〓とふり出る聲、長月のはじめに至るまでもうちかれず。是をもつて人間五音の同·十九曾波可理鏡磨
朝寒や夜明し寺の鼠ども美濃の國善司野と云處にて翌日はく草鞋打家の芒哉一休が魂迎するすゝきかな弓取の見込も深き芒かな寐たがらぬ家を追こむ芒哉隣家萩咲て夫婦の小言かくれけり立臼に小根がはへてや萩の花病中重陽菊添よおろかながらも藥鍋きくさくや驛〓〓の酒祭一枝折盜の戒を得ざる菴なれば腹いせに溫石あぶるもみぢ哉釣柿の干兼て染る紅葉かな日ぐらしも啼ねば淋し初もみぢ秋草關の戶にほの〓〓見ゆる糸瓜かな調べおよばざるを愧るといへどもむべなりける。鈴虫になるや竈のきり〓〓す土へたの鐘もひゞけときり〓〓すまつ虫や風の吹夜は土の中閑庭ほつれ笠着た僕もあり虫の聲探題たもとから裾輪の田井の螽哉蜻蛉や錢百つけし杖のさき白露のたけもたゝぬやつゞれさせあら物おもひの翁や、上田の辨才·松もとのはり箱とて、あだし仇名のゆかりもなつかし。淺葉の湯げたあさくとも汲て見ましを、さゝのふし寐に。はり箱がまくらに狂ふ夜寒哉山家年よりの推にもはまる夜寒かな系大書俳本日先いはへ小ぬかに似たる稻の花端近に客はおかれぬばせをかな壁ぬりの隣へまはる紫苑かなこま〓〓と垣根結びておみなへし足弱の杖にからまる眞葛哉露艸の戶や井をとり込て露の玉みよ〓〓と夕兒つたふ露の玉姥山良夜里人や白髮になりに行月夜明月に都は芹のもやしかな旅程鳥居出るおしさや杉に秋の月明月や小島の蜑の菜つみ舟貝われの菜畠のおくや初月夜對〓光病中抱おこせおのれ月見む萩芒仲秋無月十六夜もはづれて松の草鞋哉中川といふ處に至る。小家がちなるあたり、それとなくしのばしくてさしのぞきけるにどれからと萩の隣や後の月象浮の合歡の落葉や后の月柞原薪樵るなり秋のくれ時雨柴の戶に夜明烏や初しぐれ兎や角と筧せしより降時雨尼達の旅寐催すしぐれかな取あへぬ山桝さかなやはつしぐれ朝夕の不二もけぶらぬ時雨かな感市人の炮錄冠にしぐれかな時雨ゝや一降ふつて峯の松生田の森にて曾波可理
小雪せよ笠着て舞ん神の前急がねば初雪のふる旅路かな初雪や關の〓水の埋れむはつ雪や石に敷たるさんだはら霜月なかば松もとより故〓へ歸るとて初雪に着るや古手の蔦の紋雪明りあかるき閨は又寒し大雪に餅をならべし莚かな初霜や田の土とりて竈をぬる伊勢の御師の折敷に溜る究哉武甲山の谷間を通るに落來る瀑布のそのまゝに氷るあり。さながら千條の玉杖をかへたるが如し。まだ見ぬ人の土產にもがなとおもひけるほどに鞍壺に瀧を負せん氷柱かなこがらしや口もきかずに艸の菴須磨夜泊あら寒やかの村雨か閨の月比企の郡毛呂と云處より同行の江戶に歸るを送る。この日十月晦日なり。栞さそ小手さし原を歸る神小笹吹風も何やら神無月野火留や宵曉のかぶら汁冬枯のなつかしき名や蓮臺野鎌の柄を空に伸して冬木立小金が原にて菎〓に馬の踏こむ狩場哉梵院照法燈明るさに蕎麥切賣も十夜哉風邪ひかぬ御法の聲や御命講信〓柳莊追福月を見に今年も出ばや寒念佛斗入法師身まかりけるしなのゝ國七くりの湯といふ處に行て、その跡を吊ふとて惟茂とおなじけぶりや積落ば梵論の行梺靜に落葉哉かゞみ磨寺町のぞくおちばかな爺婆ゝの有がたくなる木の葉哉みちのく行脚の頃榾焚てよしつね殿をひゐき哉明ぼのを結びながすや炭けぶり炭賣は小野で別し碁打かな千どりまつ原や馬にわかれば啼ちどりには鳥が啼ば聞へぬちどりかな旅烏磯にともなふ千鳥かな一年三百六十夜寒閨の恨をかこつといへる釀家の婦人をあわれむ。きぬを踏脛より鴨のあぶら哉越後からふたつ連てや浮寐鴨その芦鴨の寐るより外はなかるべしかならずや三千の後宮、午房のちからをたのむにあらじ。にんじんを好ものゝ琴心を挑るとて、淺づけの淺からぬちぎりとこそかきならされける。錦木や染ぬ大根に啼家鴨むさしのゝ野中に引や土大根(マゝ)盤築の城下にやどりす。諸客混雜の中にて葱の香や浮世をわたる其中に山家に遊びて茶の花や茶菓子のなさにおりに行神無月の末にやありけん、むさし野を越ゆるとて迯水の果や花さく茶の木垣水仙や屋根が出來たと啼鳥轉び人もなくてや殘る冬のきく一夕相如が駕をうながせば、三日同人生曾波可
東坡が千錢を愁ふ。あなあぢきなや白鶴城東の乞食。難波津や酒をひかへて冬籠年暮煤竹もたはめば雪の雀かな年暮ぬ市に住なら明石浮行としや千代の衞の須磨の浦我菴はよし原霞師走かな秋冬都一百十九句あなあぢきな大坂心齋橋南久寳寺町河內屋八兵衛江戶馬喰町三丁目若林〓兵衛書房先師菜翁の句集一卷、弟子吾がともがらはかりて、のちに傳へん事を欲す。翁世に在し時手づから撰て、そば刈と題すもの、已に春夏二部あり。其頃わづらひがちにし赴て自撰するにいとまあらず。遂に黃泉に趣ぬ。その餘若干句、等閑に捨べきにあらざれば、別に人を請ふてこの擧をはじめ、終に全部となして梓にあげぬ。庶幾は翁の志業を空しく成さずと云。國むら謹書は枇杷園句集乾·坤士朗
枇杷園句集(前)卷之一十朗先生以刀圭ノ餘暇ツ。慕〓〓翁之風フ。至老益〓篤シ。雖身在ヲトル市一。心常ニ遊ジェルの丘壑一。其所居四窻皆有名。南ヲ曰シテ樹〓。一根ノ赤松。欝トノ掩ハリ比鄰フ。四〃曰テー枇杷疎雨蕭〓。閑"彈ニ四四フ。如シー珠ノ落ニット"〓"。"〓"。"故ニ世或ハ春年內立春としの內に春は來にけり靑莚園→。疎雨蕭〓。閑"彈ニ四四フ。如シー珠ノ落ニット"〓"。"〓"。"故ニ世或ハ稱琵琶園主人ハ。北ヶ日〓〓募〓〓。黄鸝ノ所も宿ル也東ヲ曰ニ望山月→。猿山ノ新月。影升一樹樹。先生對ツ之ニ曰。是レ吾ガ望山月→。歲旦何支もなくて春たつあした哉煙霞疾〓ト也。盖〓其ノ賞心殊在シ月下一故ニ其ノ所咏最多シク甞テ又吟シ富嶽一而歸レリ。先生之聲。幾シト與二勝相_並ぶり矣。此ノ集"則卓-池椿〓堂蕉〓雨宇-洋松-兄ガ所も他輯ムル也。書成テ。謂フ〓ニ"〓〓〓〓ニ〓ニ〓。〓〓〓〓〓〓與先生往來最久シ。是ヲ以不ノ題〓其集ニ。而狀スル「其行→如シ此ノ文化甲子之秋桂五望日一句井遊〓。磨磨一。元日子日松はまだちつぽけなれど花の春佗盡し〓〓てぞはなの春久シ。賀としつむや年〓〓に年の美しき一句井若菜老がつむ若菜をひとのもらひける句園杷枇集古のわたりにて道くさは蜑の子もする梅若菜薺同人比
梅がゝやかたじけなくも宵月夜芭蕉翁肖像開眼眼も鼻もひらかせ給へうめのはな月前からびたる影や藪木のうめの花暮雨巷法會散うめはみな墨染の匂ひかな五十は山の麓、六十は山の半腹、老の山路大儀にはあれど、そろ〓〓まゐる。つゞいて來させませ。山にふるき春あり梅の下傳ひ鶯ほうと啼鶯遠し峰の松鶯に霞のかゝるゆふべかなゆかしきは只鶯のこゝろ哉北の小庭に鶯の來りたりとて、庭掃のをとこの告たりければ鶯をもどすな梅に垣ねして鶯に〓瀧の水しづかなり睦月六日の夕ぐれ杉村といふ處をゆくに、杉の生垣引をりたる、たゞにこのもしき菴あり。宵月の西にといへるけしきして、やがて薺を打出たり。世わすれに薺打らん月と梅梅澤山な月日が出來てうめの花花さいて梅をらぬ日はなかりけり江の上や二人してをる梅のはな白梅の大げしきなる野中かな筑州山鹿のさと秋枝氏求に應じて若ゑびすといふ夏を釣のいとも香に匂ひけり梅の花きたなきが人のこゝろかうめ乞食九百年うめがゝや藪の中まで掃ちぎり初瀨にて貫之の草のまくらぞうめの花系大書俳本日どこでやら鶯なきぬ晝の月柳靑柳にうき世の垢はなかりけり伊勢にて靑柳のあめや小家のひとつロ靑柳や暮て啼續淀の犬矢矧にて靑柳の東海道は百里かな若草われに句なし若草みゆる塘哉霞とし寄のほく〓〓とゆくかすみ哉古鳶のきげんなほりぬ朝がすみ初瀨朝螺貝の初瀨にこもる霞かな春雪はるの雪鳥のさはらぬ枝もなし旅人よ雪はふれども春の空土山にて消のこる雪にもあそぶ子供哉春雨大佛のあめを見にゆくはる邊哉春風明日も出んあすも野に出ん春の風はる風やむねにあてたる檜がさ陽炎陽炎を淋しきものとしらざりきかげろふやつぶりと落しかたつぶり春月春の月雉の遠音に 傾き ぬ春の月松にこぼれ竹におろ〓〓す糊すれと鳥がなく也春の月花とし〓〓や花守やどの薪一駄起〓〓に花見るやどの菜汁哉散來るを花と見てこそ目はさむれ同六九かな枇杷
ゝろみに浮世すゝがばやとのたまひけるを思ひ出るに身はすゞろに寒け立ぬ。されば晝はわれ〓〓が訪ひ來るにも〓閑をけがすべけれど、夜はま〓とに常住の月澄て、心もいとゞすみわたりぬべし。世を捨にありくさくらの山路哉嵐山松さくら一木置なりあらし山花七日ものもくはさぬ嵯峨の宿ふたゝび嵯峨にゆきて淋しかれとけふこそおもへ花のかげ右侍郎花に鉦いかなる罪のほろぶらん年〓〓に花の見やうのかはりけり泳といふ所にてこのもしき庵やさくらにさひかへり虎足菴つく〓〓と見てをれば散る櫻哉芭蕉堂新成矣。肖像安置し奉りて蝶鳥もみなやすげなり花のかげ贈吳井よきことはいひたきものよ花のかげ宇津の山にてよきほどに花のかげある山路哉問たきは花盗人のこゝろかな芳野行甲子吟行に曰、ひとりよしのゝおくぞたどりけるに、まことに山深く白雲峰に重り、烟雨谷を埋んで、と書れたるが、其雨けふも降出づ。おぼつかなき欠道を分入て、とく〓〓の〓水のとく〓〓と聞ゆるをちからに山をくだる。つら〓〓此西行菴のさま·〓水のやうを見るに、とく〓〓の音心にひゞき、散かゝる花袖に〓し。芭蕉翁の、こ眉山の花見むと、豊宮崎の文庫を過て水に添ひて山村に至る。かり初に分入る山のやがてすまばやとさへおもひければ花の木にむすびかけたる菴も哉歸路はなの事いひ〓〓もどる山路哉こゝらの土は錢喰ふ土ぢやに錢まかしやれとうたひゆく童女に案內させて、辛洲の神宮に詣づ。燒塩の辛洲のさくらけぶりけり玉市中玉野のやうをみるに、しづかなるを躰として淋しきを用とす。鳥の樹に啼水の岩にむせぶ音、いづれか淋しからざらん。されど躰は一にして用は百千にわかる。百千にあそぶ人猶多しとせず。況や一にあそぶ人をや。世のうきよりは住よかりけりと住る人にやあらん。ちいさき松の菴に文机の外見るものなく、かたはらに同じさましたる僧のありけるが茶を煮る。いかなる人にて渡らせ給ふにかと問へど、うち見たるのみにてものもいはず、うらやましき栖哉と、そこの石に尻かけて、花の雲これらも閑ならざるやいかゞとおもふ心よりかく申出侍りぬといへば、あなかしましとて、かたはらに有ける僧の戶をさしこめたるこそ、いとゞこゝろは床しけれ。日は西の山にかくれて見るものみな朧〓〓しく、小倉の山のをぐらき木の間にぞなりにける。朧夜やおほつかなくもほとゝぎすと口ずさみければ、かの僧の出來りて茶のよく煮へて侍るぞ、しばしとてむかへられたる、いとうれしくてたちいりぬ。浜野智これほどに見事に死ねば佛哉盜人の返してゆきぬ涅槃像薪買にゆくひととへばねはん哉菜花菜の花に大名うねる麓かな桂五亭菜の花にそめよすゞめの柿衣かくいひけれども親すゞめはさせるけしきも見へず、子雀は先に心得て枇杷園旬集あなか
人もふえかはづもふへて山家哉燕乙鳥の煤にもならぬ小皃かな塩木つむ中を燕の往來哉雉かへり來て啼か燒のゝ雉の聲ほろゝとは花に雉なく拍子哉岡うつりしては又なくきゞす哉幻住菴にて松もとの雉聞へけり菴のあめ雛ひなの駕花のかげよりみへそめぬすゞめ子も來るや雛の膳まはり桃伏見にと日くれて來たりもゝの花汐干久能山の麓にて汐干ともしらで過ゆく波間哉藤菜の花に口ばしそめて啼雀梅に肥て菜の花吸はぬ鳥もなし藪入藪入や小さき箱をうち明て歸鴈三夜二夜聲絕て空に雁一ツ西湖いま一度堅田に落よかへる雁熊谷にて鳥雲に入る熊谷 の塘かな蝶つまゝうとすれば蝶ゆき蝶とまる堇すみれ草けし人形をこぼしけり几巾鳳巾かけてさびしき夜の柱哉蛙浮しづむ夜のけしきを啼蛙塘かな藤のはなながくもがなとおもふ哉たり。ま〓とに佛の手をとらせたまはではと見ゆ。旅になれたる衣の袖うちはらふけしきもなく、よろぼひ出て群集しけるぞかたじけなき。朝な〓〓虱掃出す御堂かな暮春あさ〓〓は寒し春ゆく荻の門ゆく春をあはれむ竹の日影哉客半日の閑を得れば、あるじ半日の閑を失ふ。されば閑は得がたきもの也。小原の霜にともなひ、高野の霧にまじはりし後世菩提の修行者も、閑を得るに骨をりければ、柴引むすぶ菴のうちに松の枝折くぶるけふ半日の樂は、主人もゆるし給ふべし。幽篁に琴を彈て月をのみ友とすといふ、けふのわがこゝろばへ也。山藤の棚はしかけし住居哉題しらずふうはりと鷺は來にけり春のくさ父母のありかを竹になくすゞめ美しき砂に小松のみどり哉月花を捨て見たれば松の風花とりやさらでも竹はみどり也椿堂輯枇杷園句集善光寺に通夜こもりする人の念佛の聲は、まつ風にたぐひておびたゞし。夜明るまゝに見れば老たるひと半に過
なかぬ間よ空一ぱいのほとゝぎすとは丈草法師の風興なり。こよひの月殘霞につゝみて、ほとゝぎすの來べきけしきなりとて、二三子は例の瓢携來て、松下の飮に整の足どりちらしぬ。迎には誰をやらうぞほとゝぎす若葉逢さかやいつまで寒きうら若葉御塩殿にて御塩荷をつくる榊のわか葉哉茂たう〓〓と瀧の落こむ茂り哉灌佛尾化が崎をゆき過るに、山のかたはらに旅ゆくひとの結緣にとて、むしろの上に御坐して花御堂をつきすへたり。道ばたで佛はうまれ給ひけり枇杷園句集卷之二夏更衣けふこそは父のもの着ん更衣老慵更衣人のけしきにおどろきぬ卯のはな卯のはなもしらで垣ゆふ男かな時鳥美しき空や高音のほとゝぎすほとゝぎす思ひ捨ても月夜かなむら雨はむら降もするを時鳥住よしの橋かゝりけりほとゝぎす野にやまに身は三ツもあれ時鳥菩提山萱堂にて念佛を米かむやうにほとゝぎす竹子蝸牛たけの子や子供たてこむ寺の門眠たさに竹の子をりに出にけり伊勢が家はきのふうれたり蝸牛牡丹どや〓〓と牡丹つりこむ塀の內25)苟藥五六代苟藥つくる山家かな芥子白けしに窮屈もなき小家かなあらし過て又咲出たりけしの花苔花苔生ぬはや花咲ぬ露もちぬ強姦馬閑古鳥靑葉まじりの花の中蚊帳連日のあめに日たくるまで寐すミニ餅ひろふやすゞめのありく蚊屋の外螢宵の間や大竹原をゆくほたる粽此殿やむかしながらのさゝ粽うれしさにいくらもほどくちまき哉五月雨五月雨のいせに鐘なき夕かな萱津の里掘さみだれがやめば屋ね堀る烏哉粟手の森ひとりたつ鷺の白さよ五月雨依舊日たけ植る日もひとの來て遊びけり竹うゑてまた植にけり苔のはな枇杷集句園竹なき庭は人の住居もきたなく俗なりといふいにしへ人の〓との葉を同九五
夕がほやもたせかけたる老の杖鵜川待ほどもなくて過ゆく鵜舟哉金花山の麓に立て鵜のかゞり消て長良に灯の一ツ短夜みじか夜や關屋に殘る笠の露夏月太秦は竹ばかりなり夏の月夏の月ぬれ〓〓しくもみゆる哉團扇光琳がちどり啼なり古團扇〓水鶯の笹葉を散らす〓水かな蟬蛭の口搔ば蟬なく木かげかな蓮晝ねぶる身の尊さよ蓮の花暑あつき日や小庭のまつに迯かへりきゝ覺て、俄に小さき竹を植たれば、したゝかにおもしろさ人とはなりたるつもりせ。たけうゑに來た皃で啼すゞめ哉靑嵐むしろ取てたてば舟ゆく靑嵐靑田うゑて去る山田を鹿の通りけるいせ吉兵衞が茶店にあそぶ田を植るひともかへりぬいざゝらば松ざかにて雨雲の垣鼻ゆけば靑田かな水雞さまよへばくいな啼出る草の門古井のさと雨〓風〓亭にてこゝゆかむ水雞の小田といふ處無恥ず紫陽花やみやこを雨の木間より夕がほ系大書俳本日晝大蟻のたゝみをありくあつさ哉雲峰道ばたに撫子さきぬ雲の峰夕だち夕だちや頓て火を焚藪の家納凉あらましのすゞみ草なり粟と稗居こぼれてすゞしき月のむしろ哉檀溪すゞしさに人の來ふるす菴かな枇杷園句集坤中卷之三秋初秋はつ秋の川瀨にたてる小ざゝかな獨坐松の露落て秋しるひとりかなちゝめくや秋たつ竹のぬれ雀菴の戶へ拾ひ入たり桐一葉星タかも川やたれやらわたる星の夕天の川糺のすゞみ過にけり水あびに烏もゆくか天の川舟行一さほに舟漕入れよ天の川灯籠丙午の年六月木曾にゆきぬ。谷のひま〓〓雪をつみ、檜原のおく花を殘して、四時のけしきひとつとしてのこるものなし。何ぞ別に仙境を尋ねむ。(3)とし奇の多さよ木曾の夕すゞみ御秡御秡してはや花いろの袂哉宇洋輯枇杷四九七
むつましきかぎりを師弟の中といへば、まして此松兄は身にそへる子のたぐひにて、年のよはひもいと若く、老を捨ては先だつまじきならひなるに、けふのなげきは何事ぞや。秋風や行空もなき夜の鶴朝皃ひや〓〓と蕣のさく垣ねかな朝さかぬあさ兒はなし朝な〓〓いくほどの世を蕣のまつの枝蚊屋ごしに蕣見ゆる旅ね哉萩露萩やむすび捨たる繩すだれのぞくまでものかく萩の夕かなよきほどによごるゝ萩の小庭哉桂五亭よき夜とて土間にも居たり萩芒萩にしをれ芒によわる西日哉荻灯籠の油ながるゝ榎かな露檀溪露に音あり誰住なれて茶の煙素外法師がむかはりの追福の日、をりにふれて思ひ出る人〓〓は、丹波の靑阿法師·舞津の紀鳳なり。白露に取あつめたるおもひかないなづまいなづまや終にすゞしき庭の松山に居れば稻妻みゆる海の上舟よりあがりて稻妻に爪づく淀の塘かな秋風あきかぜや舟より舟へゆくからす秋風の吹すかしけり藪の月須磨寺は戶を閉にけりあきのかぜ悼松兄な塘かな虹のねや暮ゆくまゝの荻の聲これとても老ゆくものよ荻の聲女郞花をみなへしみやこはなれぬ名なりけり芒陽炎の秋にもあへり花すゝき芒より出てますをのすゝき哉淋しさにたへてや野邊の芒散る霧さめのさとに日のさす芒かな都にて法輪のすゝきをかたる雨夜哉艸花鳶のなく日のさびしさよ艸の花稻花湖のみづのひくさよ稻のはな蛬明る夜のあらしを啼かきり〓〓すきり〓〓す啼やいつまで瓜のはな鴈雁並ぶ聲に日の出る河原かなかならずやくれて雁なく門田哉十日ほど荻吹しきて雁の聲雁がねに烏のまじる堅田哉三河の楳堂を訪ふ日、小舟に棹さして矢矧川の下流にあそぶ。はつ雁のおのが空問ふ夕ぐれや童謠雁〓竿になれ、あとの雁先へなれ、先の雁あとへなれ、鍵になれ、竿になれ、竿になれ、鍵になれ、雁〓さほになれ雁ひとつさほの雫となりにけり鶉わが聲におされてひさる鶉哉鴫聲くれてまたたつ鴫もなかりけり砧小夜ぎぬた關のひがしはあはれ也枇杷園
月見とてゆけば錢とる小橋哉十五日山行おなじ人と同じ事してあそぶほどおもしろきものはなLoされば二日三日の月のころより例の人〓かたらひかはして、南陽が母の住る露もる山の柴の菴をとふ。白雲跡をかくしてわが來し道もさだかならずといふけしきながら、思ひしよりはいと淺くて市中を去事わづかに一里、晴嵐夢をやぶりて現に秋色にたどり入る。木〓の梢も月をまねきて、けふの日のくれ初るぞことに嬉しく覺ける。松やまを枕にあてゝ月見かな雨の日信濃にゆく人を送りて姨捨を雨にのぼりぬけふの月雨晴山月高海山を洗ひあげたる月夜哉中秋前一夕雲月をつゝみてくらく、十五夜は雨いたく降、風木ををるばかり吹あれてすだれを揚ず。降あめをながめくらしつけふの月小松吹伊賀はきぬたの夕哉芙蓉月宵〓〓芙蓉日〓〓にはなの露月宵〓〓に來るものなれば月を友須磨行ひぢがさ雨の降出ければ、あやしき小家にはしり入て海人が家は袖にもたらず月の雨あかしへゆかむとする曉須磨すだれ煙るも月の名殘哉あかしにて月高く鴈がね低し淡路島蜑が家を覗てありく月夜哉ひや〓〓と月に聲ある木間かな萬代や山のうへよりけふの月松かげのはや月にてぞ有にける名月といふはめでたき月夜哉あや秋の夜は明てもしばし月夜哉自由は古さとや老の寐ざめに出る月洗顔料夜もすがら月の傅する菴かな國師事いざよひや月になりゆく荻の聲八月十六日、瓢合といふ事をして十六夜の闇にぬれたる瓢かな井戶田にていざよひも過て月見る在處哉十三夜梅いろの田にたつ人も月見かな三河紀行空也上人はこゝろも〓と葉も世人には引ちがへておはしければ、わが住給ひける山の菴のさはがしきとて、都の四條が辻に菰むしろ引廻して住給へり。そは行德を積かさねての上のことにこそ。あはれ貴くかたじけなし。愚癡の身にはおもひとるべきわざにもあらず。山にそひ水にそひ、心のはるゝかたもやと、三河の國におなじ心したるひと〓〓をかたらひ出て、そこの大樹寺といふ御寺にまうづ。時は九月十三日なりけり。又、瀧の山寺といふ處あり。〓淨幽閑にして夕霧の底には水聲を湛へ、白雲の頂には秋の色をとゞめたり。ありがたき地なればと山家に宿かる月のけしきおもしろければはやくも寐ず。主出て此夜ごろ鹿の軒ちかく來てなくといふに、待となけれどこゝろにかゝりて終に其夜をあかしぬ。夜あけてもはなれかねたり萩と月〓賛海老を喰ふほとけの膝も月夜哉贈伯先四十賀千代の坂路のほどには雪もい、花もい。月の光りは〓とによくい。おもしろう年よるひとよ月の秋となりにはむしろ疊むか月の雲
住なれしさとこそよけれ秋の雨ころもが浦にて秋のあめところ〓〓に日は入ぬ彼岸藪寺の鳩に豆まくひがんかな秋山枯て久しき松こそみゆれ秋の山秋水鴛鴨の毛ごろも染よあきの水鹿鹿老て妻なしと啼夜もあらんイめばけもなしゆけば鹿の聲音聞山雪江が菴にあそびて門たてにゆくひともなし鹿の聲秋葉山の麓和田の屋といふ處にやどりて啼鹿の聲より深き栖かな明果てかなしくも鹿の啼音哉菊〓頓て岩根の松のかけにこゝろをすましぬ。名を得たる月なればこそ瀧のうへ秋夜秋の夜や壁にかけたる泣面秋の夜のありさまを思ひつゞけて書出るに、帋十ひらにはたらで七ひらにはあまりあり。いとむつかしきすさびかなと、其もの〓〓をかぞへあぐれば、みな古へ人のいひふるしたる古言のみぞ多かる。うるさしや、きたなしや、墨引けしてかいまくねたれば又淋しく閑にして、西行·はせをのあとなつかしく、これ達のすがた作らば朽木哉朽木はなに〓〓、うめかさくらか、思ひ入にはよき木かげながら、山の奥にも鹿の啼ば、こゝすみよしとは誰人かおもふべき。頓て心をひきちがへてかたぶく月にさしむかふに、夜のけしきぞあはれは深き。秋の夜は山のおくにもまさりけり秋雨秋擧が菴ニてしらぎくの山路わすれぬもあはれ也むだ〓とに身は老くれぬきくの花送花叔歸故〓父母を見るたのしさを菊の花訪草菴うらやまし菊もつくらぬ庵の庭白露のしらでありしか黄ぎく哉花ことに菊にもあらず八重葎客中九日たび人に一枝くれよきくのはな紅葉かへり來れば水に散しく紅葉哉秋暮西に見る山の高さよあきのくれよい月が出やうとするぞ秋のくれ大蘇亭日のくれぬ日はなけれども秋のくれ案山子おもしろきひとにはなりてかゞし哉無題蜻蛉の十ばかりつく枯枝かな稻こくや刈や田に焚夕けぶり片扉閉て久しき匏かな松かさよ松露よ菴の灯はほそし悼如東贈帶梅あきはものゝ人の親さへつれてゆく八月八日の日、遊行上人近江の國へわたり給ふとてひしめく。やがて四十九院といふ處につかせ給ふ。興の內をみれば髪髭はおどろにして御膝の上をもすぎて、いと殊勝にぞまし〓〓ける。おどろふくあきや遊行の旅の空東須磨にて何をしてひとはくらすぞ須磨の秋九月十六日、遠江の國有玉といふ處にて月と日の間に澄り不盡のやま集卓池輯
枇杷園句集卷之四靜なる趣を弄して手向草とす。月時雨さりとては古きけしきかな系大書俳本日一雲に夜はしぐれけり須磨明石山茶花に手をかけたれば時雨けり茶室迎友窓ぶたになるやしぐれの松のかげ夜しぐれに小鮠燒なる匂ひかな冬時雨はつ時雨野守が宵のことばかな鳴海にてしぐれそめけり草鞋の〓情報解さゝ竹にさや〓〓と降しぐれ哉獨居や古人がやうの小夜しぐれ條重量世にふるはさらにはせをの時雨哉東門公子と申奉る公子おはします。雪後の野邊に狩くらして御獲ものあまたあり。中に雁ひとつを平の士文子に下さる。此士文子琵琶の上手になんありける。其家に吳捌といふ家の子あり。ちか比あらたにはつ音といふ琵琶造り出してまゐらせたり。そがはつ音聞まほしとて人〓〓の入つどひ給ふ夜は、かの雁たまひたりける夜なりけり。荻野撿技、その夜の宗匠として四絃かきならしたりければ、嘈〓切〓と聲をまじへ、ま〓とにあはれにして、時雨も月もけしきをはこびぬ。時雨來るか雁がはつ音の琵琶の上素堂は蕉翁の善友なり。一日風のばせをの破れやすく、霜の荷葉のかるゝを悲しみ、世の形見草にもとて甲子吟行を評して曰、靜なるおもむきは秋しべの花に似たり。その牡丹ならざるは隱士の句なればなりと。けふまた其かゝる夜のありさまこそ世の勝事なれとて、の〓と葉をつゞりぬ。琵琶ひらきこがらしや海一ぱいに出る月網代守宇治に妻ありあじろにかゝる思ひ哉千鳥生海鼠ほす袖の寒さよ啼ちどり柿寺や藪のうちにも啼ちどり五百年鴛鴨がなけば枯たつ芦邊哉大津にて湖を鴨で埋たる夜あけかな冬月あくまでも閑に出たり冬の月さり〓〓と苔ふむ冬の月夜哉さま〓〓と降あぐ空や冬の月大魚追悼泣は父なかるゝは子よかれ尾花枯野むつましう住やかれ野ゝひとつ家落葉落葉たく軒のまつ風夜をさらずあさ〓〓や落葉搔下す屋根のうへ不破の關にて霜にあけて馬の鼻ふく落葉哉大和の國を行脚して畝火のやまはいづこ、耳なし山はどれぞとたづねありく。水のあなたに樵夫の立たるを呼かけて、のう〓〓もの申さん、のう〓〓もの問むとひしめけど、聞とがむるけしきもなければ、此人も耳なし山よ落葉搔木枯こがらしやけさはふへたる池の鴨機車はちら〓〓と日もこがらしの苔の上こがらしや日に〓〓鴛鴦のうつくしき搔枇杷
ひて日を見ず、風あらく雪さへ降て寒さはだへを徹す。白浪のかけては氷る小ざゝかな冬木立芭蕉翁百囘忌千句卷頭ちなみよるもの無量也冬木立雪靑天に雪の遠山見へにけりはつ雪や人のくれたるひの木笠曙やあらしは雪に埋れて雪掃やわがあとへ來て啼雀さはつても雪は降なり奧山家月雪やこよひも月は宵の內衾笹に音あり衾にさはる夜もすがら鉢たゝきあともなき寐ざめの友よ鉢たゝき南無月夜南無雪時雨鉢たゝき詩仙堂歸路丈山のさたもくれゆく枯野哉訪野雀かれ〓〓や野邊に出向ふ庵の犬麥阿が菴を訪ひてこれ見よと霜の田芹を菴の窓花にかたらひ月にちぎる夫妻の枕は、五百生の宿緣と聞へながら、一夜の露ときえぬるぞはかなき。靑霞も此悲びに逢り。そが中にいたはしきみどり子の殘れるあり。いまだはへばたて、たてばあゆめといふばかりにはたらで、花ちるあとの實一ツを見るこゝちせらる。是も又なみだなれとせめてものちから艸也。山吹の實や霜寒き枕も と鵜沼のさとを經て關にゆく雉も啼犬も霜夜の山邊哉氷勝山を舟さし下せば藤竹引まとも と歲暮年のまさに暮むとする日、末森といふ所にゆく。爰に湖水あり、猫が洞といふ。藤竹をよぢ溪水をわたりて其上に出づ。池塘尾花枯て雪のどく、鳬鷗影沈て水底に〓し。是より路を西にとれといふ。苔路中〓〓に廣く、松高して民家適に見ゆ。いざや年の用意にとて蓬萊のかざり松·齒朶やうのもの引とりて、ゆくとしの廿九日も子の日かなこはことしむ月の一日、したしきもの三五輩、暮雨巷の大人にいざなはれて共に子日せし處也。竹にあけ柳にくれはな·ほとゝぎす·月·雪とのさばりつゝ、おもはずも亦爰にめぐり來て、一年の始終を松によせたる事、いとめでたくいと感あり。野秀幸煤はきや飴の鳥うる藪のかげゆくとしのこそりともせぬ山家哉年もはや小松うり來る日、市上に立て童戯を見る。としくれぬ松葉角力のあらそひに花月一變のあそびにけふの日も既にくれて、としもはや一瓢の酒の殘りすくなく成ければ(税瓢單で鯰おさへてとしくれぬ蕉雨輯枇杷園句集
枇杷園句集卷之五大大阪府花よ實よ四時かやうの子の日草系大書俳本日多春園の櫻見せさせ給ふ。參りてうかゞひ侍る。泉石のやうは申さず、抑、木を植ること子のどく植させ給ふ。七日の日早き櫻はちり浮びて、汀のけしきことに〓〓おもしろし。かの花の上漕と聞へたる象浮の景色もおもひやられて、花に漕出よ小ざゝ舟とはつゞけ侍れど、こゝにかしこに心も身もはしりありきて、五文字はいまだとゝのはず。遲ざくら木深き處に分いりて停雲岡に登る。朝上停雲岡雲在花深處暮下停雲岡花深雲未去雜倉澤けふも見へ〓〓けり不盡の山よしのゝ馮月が四十の賀によしの山若きはひとの耻かしき大空に隈なき在のよはひかな住わびてかしこき竹のはやし哉海人の子等の潮の干浮にむれ出て、汐木拾ひあるきけるが頓て汐みち來れば、みな芦邊をさして歸りけり。さて驚かしたるにはあらねど、おりゐる浮のなくなれば、聲〓〓に立あがりて多くの鶴の鳴ゆくは、幾千代を重ねたらんといとめでたし。雀啼やからりころりと和哥の浦無津晩望東望三千五百峰芙蓉白雪千秋色晩雲中斷出芙蓉長入圓林照古松平曲會式床頭置琵琶二面。彈中或弦斷則預設一面急以代之。曲中蒙談笑.吸烟管、打唾壷、必應有意。凡曲調者貴舒暢、々々則說盡。心中無限事鶯の聲こまやかに月の光閑なり何の御時にかありけん。瀧のもとにて連歌あそばされけるに、岩走る水の音の心にさはりて、句案にわづらはしくおぼせばとて、頓て瀧壺に松が枝を打入させて音をとゞめ給へり。ありがたき事にこそ。曲終不收撥、更唱祝世之句。擧少助音ことぶきの曲終て撥を弦のうちにはさむ。脫袴。把盃。洋峨在心形、素己忘蕩然、山頽亦復不妨。瓢歌〓序形便〓としてみづから不用の才をたのみ、自然をたのしむ瓢有。ある翁の是に一口をひらき給へば、居然として忽有用の物となる。赤人の菫·西行の庵の落花·寂蓮·顯(197)性の歌の反古·高野大師の爪印·芭蕉の翁の雪と雪·越人が風雅の藻思までもみなおし入たれば、さらに便〓として磊落たり。瓢歎じて言て曰、わが自然をうしなへり、わが自然を失へり。翁叱して曰、汝に炭をもらば何とかいはん。曰、寂し。酒をもらば何とかいはん。曰、躁し。米をもらば何とかいはん。日、靜なり。又叱して曰、閑ならば汝何ぞ自然をたのしまんや。瓢愕然として歌て曰、鷗〓〓機をわすれ同じ流の藻鷗〓〓機をわすれ同じながれのながれ出ば やたる塩たるふる冬の鷗草鷗瓢海虚瓢杷枇集虚虚瓢瓢素己忘蕩然、山頽亦復不妨。松兄輯
跋朱樹の翁、常にいへる事あり。一年三百五十余日、風月花鳥をそゝのかして日〓に狂喰すること三百余句。自得のものわづかに八九、余はみな棄つと。こゝをもて年〓叟自得の八九を拾ひあつめて琵琶園句集なせり。かくて風月狂吟の情をしたふは、輯る者の雅情といふべし。扁足庵岳輅輅東壁書房永樂屋東四郞檗集尾張名古屋ば素句
素檗發句集佛像造立の願を感ぜられて蘇生すといへども、食物には荷葉ばかりあたりて、よろづの物を食するにみな吐かへし、荷葉のみ氣味よろしく食せし人ありと也。福〓素檗はいかなる願を感ぜられしにや、よろづの物氣味よしとせず、たゞ花鳥風月をのみ氣味よろしく餐して、したゝかに腹ふくれし人なり。則此風月華鳥は、其腹に味はひふくれたる處の花鳥風月なりけり。文政癸未年五月嵐外書春の部春はやく不盡の白雲出にけり其腹に味はひ年のはじめに一日の物おぼへなり不盡の山元日はあまりに淺し不盡の山嵐外書元日もよほどくらしぬけふの內元日のこゝろのみこむ二日かな世中は起ると春になれにけり朝霞わが年德はいづくにぞ閑居歲旦今日人が訪はねばとても我春ぞむやくやと春は來にけり雪の宿蓬萊手のくぼに蓬萊のかげ匂ひけり
夜明なば二種は世にふれ芹薺老ぬれば上手に喰ひぬせり薺子日嬉しさは手にもかゝらぬ小松かな君がため筆も植たし小松野に草庵松毬の椀に飛込む子日かな黃鳥黄鳥はしらで啼けり福壽草黄鳥のへらりと立や初音すぎ鳴きらぬ聲を黄鳥の姿かな社頭神さびてどの黄鳥も音の高き梅梅一輪よろづの花を動かしぬ花はしらず梅は荅てふさがりぬ明る戶や葎の梅の一たまり千代のいろを先うちこして梅の花蓬萊の中道かけて春の 月霞はつ霞起たばかりの謂れかな有といへばなくてもありぬはつ霞松持た手を振ひけりはつ霞靜なれば寒さも寒しはつ霞かの岸の不盡も見にけり春がすみ万歲万歲やさればこれはの春の友存分に万歲見たり老が目に万歲や春は霞の袴着て丁寧に万歲舞ふや松のかげ万歲や世は鶴龜の草枕五六人万歲ふへて通りけり万歲や齒朶うら白に腰かけて若菜芹薺古へもこんな物かははつ若菜磯わか菜煮て喰ふまでを霞みけりの 月系大書俳本日一日にさくや信濃の梅の花おしいかな鶯遠し梅の花忘れたる枝も出て來て梅の花朧朧月寒き夜を榾一本の朧也睦月はやあまり噺せば朧なり横に見る月やはじめて朧月長閑若草正月もうき世といへば長閑なり長閑さは旅寐にあまる言葉哉長閑さは何がはじめぞ人ごゝろ長閑さの聞ゆる春の山路哉若草を心にしむや薄がすみ若草を十日しのびぬ八重葎柳七種のあと吹おくる柳かなほの〓〓と中に物なき柳かな鈍な枝のあるがまことの柳哉しばしとてこそ立どまりつれ旅人の足をくるめる柳かな木を伐て山田に殘る柳かな我植しわがまゝ柳みどりなり猫戀薪わりが摑んで行や猫の妻梟の面もつくるや猫のつま歸れとて火をうつ宿や猫の戀留守の戶に猫の氣違直りけり歸雁雉子行かゝり〓〓てやかへる鴈花守がいふにちがはずかへる鴈啼にくき事か只行春の鴈わかるれば鴈は去年の姿かな身のほどを越て啼たつ雉子哉雉子の尾や尻につかへし一霞春雨雨はじめて日頃の春は今宵哉素檗句
咲もせぬ櫻をる日や初ざくら今シ日の名にこそあらめ初ざくら初ざくら朧は花の道理なり嬉しさにこりても見たき櫻かな花なれば淋しさもたる櫻かな棄べきはこゝろの花よ山ざくら一重にも足らぬは穂屋の山櫻もとめたるあはれはなくて山ざくら年〓〓に櫻すくなき故郷かな草庵櫻花さくや葎の花じめり鼈澤山花の中は猶もかはらぬ日かげ哉蝶と遊ぶ稽古も出來て花見哉今ひとりすまばつぶれん花の宿出てゆけといはるゝまでを花の宿ちる櫻根をうしなはぬばかり也睡后美しやはつ春雨の少しづゝ春の雨烏の足に泡のつくほの〓〓と目にからまるや春の雨寐ごゝろにゆられて床し春の雨遠山はけふの宿なり春の雨春風春の月はや過てふたゝびふかず春の風寒がりに人は出にけり春の風古里は久しくふきぬ春の風をかし氣な春のしるしや月ひとつ梅咲てはじめて高し春の月人の來てながめ出しけり春の月堇椿小男はいやしからずよすみれ草菫草人繁ければ咲たらず花につれてみどりをいそぐ椿かな散てからいきほひの出る椿かな花さくら系大書俳本日ちる櫻骨もおらずにながめけり小町讃花なれば散ことも足る櫻かな桃藤夜の桃あたゝかなれば哀也咲あへず色染にけり桃の花畑うちの月代長し藤の花松に藤かげろふ花のあて處くさ〓〓〓粥杖や花守が子の汐子顏旅人にけさはなりたし縣召西行忌我〓あはれみ給へ春ごとに鶴さもあれ若いは先に並ぶ春よしや世に草臥て見ば春の雪畑うちの霞むもしらでかすみけりおもひ出し〓〓飛蛙かな若鮎やどの瀧壺を生れ口噺するこゝろありけり雀の子今こゝに居たも忘るゝ胡蝶哉隙を得て田にし音を啼諏方の湖初午珍らしき神の名聞や午祭おもふさま旅で喰けり雛の飯色なくて春をふくめりつく〓〓し櫻にはおくれて赤きつゝじ哉山吹の友崩れする垣根かな春の夜は旅の姿で寐て見たき〓水みな誘ひ出しけり春の水寐て居ても春がたまるぞ椎が本暮春行先に春のつもるや晝の月素檗句
系大書俳本日集句檗素亭
先消て其後を初ほたるかな明る夜の鮮屋を出る螢かな竹の子や手より落して賑はしき竹の子の二本はことに姿ありほとゝぎすしづかさや初子規二度に來て今朝はじめて何とか啼し子規四五日や飛ことしらぬほとゝぎす橘やもとの空より郭公草庵蓼紫蘇を庵の若菜 や子規卯月來て燈火やさし 郭公魚鳥の淚時かなほとゝぎすかはり合て空はひとつの子規一聲の腰かけ雲やほとゝぎす啼そ〓〓あだしの山の郭公からき音は峯にかくれて子規住人もなき庵にやどりて聞ためて庵かへさむほとゝぎす系大書俳本日夏の部更衣片袖はけむたきいろや更衣澤山に着るや山家の衣がえ兩の手を捨たこゝろや更衣ぬぎ捨し布子と我と並ぶ朝牡丹花のうき世おくるゝは此牡丹哉老が手に植てとぼしき牡丹哉誰人か醉ふて提行牡丹かな燕子花若葉いづれをか初花にせん燕子花燕子花夢の藤浪殘りけり卯月まで春風は吹若葉哉淺みどり其中に今朝若葉哉灌佛螢笋灌佛の跡まで洗ふ小庭かな產れ佛翌日はいづくへ遣り申みじか夜の空飛露や郭公ほとゝぎす汝も裸のみじか夜か時鳥なくやしのぶの宿便り時鳥雲の近道飛出してほとゝぎすきのふをあてにするばかりほとゝぎすあまりちかさに似もつかず郭公すべり落たり朝の聲子規夜るのうき世にながらへてほとゝぎす聲より聲へ飛うつりほとゝぎす笠着て寐たる心して時鳥二つ並ばゝあつからんほとゝぎす迯ても〓〓庵の空ほとゝぎすたのまぬ時が最中かな蟬ほつかりともがれて行や竹の蟬空向て不斷とまるや蟬の形今年中逗留顏ぞ庵の蟬閑古鳥蠅飛もやらで音につながるゝ閑古鳥人にものをいはせぬ鳥か閑古鳥澤山な蠅のいのちよ八重むぐらおのれらも寐られぬ事か夜の蠅早苗田植投つけてみどりの出る早苗かな靑鷺や人も蓙着る早苗時嬉しがりて旅人通る田植かな四五人の身をひろげたる田植哉五月雨鵜五月雨や夕兒棚の屋根の出來五月雨の降きる竹の間かな川ひとつ呑んとするぞ鵜のけしき少しづゝ鵜も臆病になる日かなみじか夜短夜の浪はよろけて明にけりみじか夜を横おりふせり荵草みじか夜に紫陽花ばかり朧月朝〓〓の明やすければ又淋し五三八素檗句集
帷子に魂の入る晝-かかな帷の袖は淺茅が夢なれや暑凉我に似た人のみ多き暑さ哉暑ければいやしくなりぬ草の蝶凉しさや動かぬ瓜の起かへり涼しさのほど經て淋し蛭の跡百年歡樂凉しさの旅はねづよき裸かなたらぬがちに吹て凉しき夕かなくさ〓〓花も見ぬ人にとはるゝ卯月哉葉の靑きはじめ見て居る葎哉葉ざくらのあるじとならば三日頃日をふれば猶こまかなり若楓芍藥に樂しみかへる葎かな紫陽花や咲あまりたる花の媚新麥に蓬菖蒲の味もがな夏の月おひ〓〓に夜のこゝろや夏の月西に見る夜は常ながら夏の月吹よする皐月あかりや夏の月夏の月しばし葱のあれた夜に扇弱法師が扇くはへて寐入けり人も我もよく笑ふ日の扇かな淋しさに扇かりけり早泊り足あふぐ扇夕兒のゆかり哉蓮開とは蓮にかぎりし言葉かな植るとて軒端むしるや蓮の花風音をはねかへす蓮の盛哉月夜にはあひたき物や蓮の花蚊帷子身がはりに枕殘さん蚊の馳走草鞋も笠もおぼへてつく蚊哉咲かけて半老けり栗の花世の常に花撫子の日數かな月に植ばいかなる竹に成やせん諏方の湖によろひつれけり薄とり朝な〓〓藪に戶のあく皐月哉おもしろふなるまでは見る〓水哉夕だちや疊の上の足いそぎ水無月や桃の葉にたつ一あらし晝見れば寐ころびて鳴水鷄哉うさんなる葉につられたり蝸牛あはれさやおなじ火串の色かはる祇園會や扇の風の神さびて六月二十五日聖廟奉納榊葉を見る〓〓松の匂ひかな長い手を延して凉し夏神樂湖邊逍遙御祓の夜凉しき椀にとりあたる穐の部立秋秋たつや一夜二夜のつぶれ蚊屋夕兒の下掃出すや今朝の秋今朝の秋むかしの秋も手傳ひぬさむしろに勢ひ持ぬけふの秋存分にきのふは遠しけふの秋秋やけふ常の秋にはいつからぞ七夕七夕や入相の鐘をはつ便り七夕は竹にくるまり給ひけり七夕の飯たく宿の芒かな七夕は橋をわたるが傳授かな七夕やむかしながらのひとり道妻もしるや七夕の字の一字二字星合や空は今宵の壁隣星の夜を鬼灯賣の旅寐かな素檗句集
分集句檗素系大書俳本日
しな〓〓と吹や穗屋野の飾鑓柱までますほになるや穗屋の家翌日ほどく庵を結ぶや穗屋薄穗屋の日や薄引するまくら本秋風消れどもどちらにかありて秋の風山〓〓の名も飛出てあきの風闇の夜も目はいそがしや秋の風月見れば音もちがひぬ秋の風水の上に消るはしぶし秋の風秋風や垣より下りて飛蛙黃九升秋風のくたりと消る草鞋かな(マゝ)種風に吹あまささるゝ僧ひとり戶一枚あれば實の入あきの風鹿じだらくに鹿は歩行ぞ哀なるなかずして鹿のさわぐや奧山家朝がほを嫁入草とも見る夜哉おなじく後朝ねぶり〓〓露に醉ふ夜は明にけり文月のかげや扇の下あかり蕣花と見るまに朝皃は事たりぬ朝兒は桶と盥を乗にて朝皃や花のとまりは若葉して女郞華女郞花疊におけば朧なり女郞花うさんなればぞ哀なる朝兒はいろ〓〓あるに女郞花虫燈籠外のむしをみな寐入せてきり〓〓す名も顏もしらぬぞ哀れ庵の虫燈籠ひとつまるめこんだり艸の門消いろを幾日も見する灯籠哉御射山祭遠山になみだ引てや鹿の聲松茸竜田姬松茸をたゝき出したる扇かな松茸やこれもちとせの種のはし御名の出ぬ日はなかりけり竜田姬鬼灯の山かせもがな竜田姫二日·三日月しりつゝもけふ聞名なり二日月二日ともしらで見たしや二日月燈籠の空うつりして二日月さも扨も二日の月のあり處これを見て翌日は何せん三日の月二三度に三日月さすや草の門月人も老たり我も老たり名月をおぼへたまゝの葎かな名月の初かげかゝる軒端かな名月や來年までのひとり言名月や一夜二夜の露の出來名月や暮れば弱る夜の湖生涯の先に立けりけふの月あのまゝで〓〓けふの月は入消る空なくてやけふの月に鴈見た空をみな打捨し月見哉あの月におしへられたる月見哉眞夜中を案山子にゆづる月見哉いにしへ洛の言水順禮の頃、更科や馬の恩しる秋の月といへろも、百里の旅をたどりての句なるべし。何となく月には人の丈夫なり此歸路八幡の里を出て姨の俤を去る事二日朝な〓〓月は若くぞなりにける苅萱道心六百遠忌夢の世はとてもかくても在明の月をやどせる露の間でかし三七一素檗句集
白菊におもへば露が不足なり宿の菊愚にかへりたるうこん哉しら〓〓と黃菊のさめし山路哉欲山里は常にも菊は慾しき哉紅葉色見へて埒の明たる紅葉かな簑むしの靑葉へもどる紅葉哉花に來た宿も見へなく紅葉する紅葉ゝや秋すむかたにはさまりて紅葉見し足はからびて戾りけりゆかしさは有べき葉にて草紅葉秋暮何處を見て人はおちつく秋のくれ晝にあるをしらで過しぬ秋のくれ蚊に蠅に中よき宿の秋のくれあのまゝで鴈も寐こくれ秋のくれくさ〓〓何すぢの遊びをしてや魂まつりときゝおきて復も覺へる今朝にぞ有ける月のかげいく夜さも十五夜つゞく山家哉世中はよき月夜のみ殘りけり旣望十六夜は月の下道潜りけり何やかやいざよふ月の雲たまりいざよふて隣へ飛や月の雲寐られねばふしぎに月はいざよひぬ後の日所垣あれて月三昧、の十三夜翌日の夜は何と眠らん十三夜十五夜は無月の年十五夜にこりて寐かぬる十三夜すくなげに日はくれ初て後の月さむしろの因緣深し後の月菊菊遲し花をもまたぬ葉の匂ひ露の玉ふたつにわれんばかり也桐の葉のたまりて凉し竹の中ひとつ穗のひらけば足るや花薄花もたばしのばしからじ荵草雀麥は何ともしれぬ秋の色只中の一ゆるみする芭蕉かな香は古く華は新らし藤袴たつ頃か又見る鴫の飛あがり古き世のつらしてたてりすまひ取晝は消る姿をもちし踊かな少しづゝ鴈は遲くぞなりにける宇宙のはりきる秋のゆふべ哉簑むしの飛かとばかり初しぐれ松かげに今朝のあと足す時雨哉かた〓〓は枕でやめるしぐれ哉枝に並ぶ鳥の欠るしぐれ哉落柿やこれもしぐれの戾りかけ千鳥曙や田に飛こんで啼ちどり枯芦にとまるとうせる千鳥哉山高み鳴や湖水の小夜千鳥氷湖諏方にては年をもとらぬ千鳥哉しやひ〓〓と啼や歩行や川千鳥冬の月鉢却蕪見て寐すば猶寒からん冬の月靜さは我家ならぬぞ冬の月鉢たゝき心ありける寒さかな茶筌うり師匠の兒に似る頃か我宿の垣根草ひく蕪かな三八素蘗旬集冬の部時雨我宿は四五尺遠し初しぐれ此まゝやまた四五日は初しぐれ
居ぬ人の煤を拂ふや笠の上煤に醉て草の戶を出る夫婦哉ほつりんと年はくれけり諏方の湖年の暮雨の來る夜は夜の殘る年くれぬ又節季いにだまされてくさ〓〓〓蛭子講諏方は神代の馳走哉小春とて蟾の啼夜を馳走哉十月や苅田の不盡の晝過る冬枯や芒にとまる不盡の山水仙の花のおこりは霜雪か葱植て華盜人も年のよる翌日も亦ひとりにならへ冬の花君もつくれ蓑を手本に帋衾何處やらで鳴子のなるや玉霰死にかぬる海老は霙の名殘哉門明て茶のから投る雪吹かなイと屋根をかぶるや網代守松は霜蕪は露のあはれ也雪初雪の二度ふれば二度かはりけり初雪の降かけて朝は朧なり啼ことも忘るゝ雪の烏かなむかし降し雪のふる也奧山家家ごとに道もつ雪の山家かな雪積て心をねらす山家かな片空は雪で垣もつ山家かな雪積や夜るはたしなき人の數降をさへわするゝ雪のしづかさよ信中寒殊切旅人に一夜かくしぬ夜の雪露おかばせはしくもあるを今朝の雪我雪に不足な雪はなかりけり隆之追悼此雪を花とも見つるあはれさよ煤掃年暮おし鳥の龜踏出してさわぎけり炭竈やちからを入てたく煙着て見れば簑はさわがし寒の內芦火焚人や寒さをゆづりあふ木の葉燒榾たき梅を匂はする罪のなき發句書ばや御佛名雨雪と寒さのわかる師走かな世がたりの雪は降りけり年一夜除夜寐てや見ん翌日はどふした春が來る湖はきさらぎの頃氷とけ雪消て、四時不盡のかげを浸す。すはの湖や盡せぬ雪を種として天龍川は諏方郡より流れ出て遠江の境にいたる。天の中川ともいひ、また雨流れ川ともよめる川也。時雨ながれたあとや夜半の雪善光寺は、いにしへ善光よしすけ、如來の尊像を守り奉りて水內郡に來り、芋井の〓に佛都をひらきたり。よしすけが脊中たづねん今朝の雪千曲川は佐久郡より流れ出て、越の境にいたる。うち越て雪の瀨もあり千曲川木曾路の梯は、都て崕道のかけ落たる處を、木をもて土をとゞめし我住かたに雪見る方角を案内す。諏方は諏方にて往昔諏方の一國なり。天平の頃信濃の國ニ入。はつ雪や神の御狩の道しるべ天滴の井はつねに雨降井にて、宮の瑞離のうちにあり。木の間〓〓雪をもふらせ給ひけり素檗句集隣へも梯かけよ今朝の雪
高井山は高井郡の名によりて、高き山〓〓をなべていへり。大年は上なき雪のゆふべ哉御シ嶽は木曾也。葉月の頃より雪ふる山なり。御たけや雪つむ中の雲ちぎれ安布知の關は阿智の驛なり。駒場といへる處也。向關·中關とていにしへの跡のこれり。雪の戶の二關越て行とし歟久米路の橋は更級·水內の境にわたす長橋なり。中虫はみてあやふからん事をよめり。積雪や崩れもやらず橋の上〓水の里はいにしへの驛ない。家ごとにわき出る〓水あり。雪ちるや伏家〓〓の〓水かげ佐倉山は甲斐の境より、佐久郡へつゞきたるちさき山の重なれるを高いへり。一雪に來るや佐倉の朝あらし筑摩郡林·神田の二村の間なる小山に、男神女神をまつれるほこらあり。其山の左右より流れあふ川を相染川といへり。雪にさへつながる水の行衞かな出湯あまたある中、名くはしき温泉七ところあり。月雪や老を養ふ七ところ古禮毛我崎は湖の東南にして、不盡の嶺を望む所也。はつ雪や衣が崎をいくめぐり淺ば野は草もおどろもあさ〓〓と見へて、はつかなる野なり。雪寒し何をあさばの草の宿しばし里あるとよめる御射山は廣き原なり。穗屋のまつりといへる祭あり。芒して庵をつくる也。系大書俳本日穗屋むしろ着る人見ばや雪の朝園原は伊々、郡也。古哥によめるはゝき木は、木曾路より見入たる處をよめり。はゝき木も雪の小松となる日かな菅のあら野は荒熊の野を構ぎる中道也。其邊は空飛鷲の羽音さへ絕す。哀なり荒きあら野も雪にうせて風こし山は伊奈郡にして、木曾につゞきたる峯なり。吹かへす雪や天路のうら表桐はらはいにしへ牧也朝ぎりや桐原駒の雪なぶり姨捨山はさらしな山をいふなり。おば岩は禁にあり。いさゝか庵のかたありて、むかし住にしあとゝぞいふ。姨とひに烏の行や雪の朝木曾路は木立しげり、空せばまり、峰長く道高し。小木會女やはつ雪たはむ額髪有明山は峯の木立四方になびきて、安曇·筑摩の間にたてり。月とゝもに雪をなびかす峰の松淺間山、煙絕せぬは常ながら、時ありて焔立のぼる事又哀深し。雪はゆきで降ものながら淺間山たのめの里は今小野といふ里なり。誰かたのめの里といふらんとよみし處也。老ぬれば我はたのまじ夜の雪木曾古城白砂にこゝろはあれて夜の雪木曾の御坂は古への官道也。美濃の國より木曾に入て安布知の關へ通る山路也。八重たつ雲の中をたどり、あるは千尋の谷にくだりて、正三重素檗句集雪の朝
雪遠くして松は目にしむ寒さ哉安曇郡大町の〓に佐野といへる細野あり。越路にかよふ道なり。永曆の頃西上人此國行脚の折から、こゝに住ける二人の聖の往生をとげられける時行かゝり給ひて、なき跡のしるしなど殘し置れし處なり。はつ雪やふたつの笠の有處楴枝の渡といへるは村上の軍破れし時、義〓が妻女千曲川のほとりにて舟をこふに、渡し守とかくむつかしく渡さざりければ、かざしのかうがいをあたへすかして漸一瀨をわたすに、猶兵どもおひ〓〓に追來るをしのびかねて、二種、渡にいたりて終に身を投、むなしくなられけるとなん。さしもあはれふかきわたりにこそ。雪とんで花とも見へず日は寒き行かふ人の心をなやます山路なりしを、今は此道すたれたりとなん。耳に來る御坂の雪のひかり哉此國は隣國の境〓〓により高山多き中に、蓼科山は十郡のうちのたゞ中にたてり。諏方·佐久の二郡にまたがりたる山也。此山はるかに見やれば、禁より頂上まで松のみどりをたゝみあげて、嶮巖さらにおもてにあらはれずして、其かたち柔和なる山也。いたゞきまろらかにて器物にものをもりたる如く見ゆれば、土人飯盛山ともよぶ也。山の名のひとつあかるし雪の空戶隱山は水內郡の西北の間にして名たゝる深山也。外山いくへもかさなりてさながら人界を放れたるがごとし。常に雲霧おほひ隔りたる靈山也けり。系大書俳本日犬飼山の外山に放光寺山といへるあり。古へ木曾の一族此山の名を氏として、犬飼半左衞門といへる人の住しと也。犬飼の名此處よりはじまりて、水內郡までもつゞきて山〓鷹多すめり。禁に犬飼のさと·大飼の御湯などいふあり。狩人の御湯あらし行雪吹かな筑摩の御湯は修理大夫惟正の哥などあり。白糸の湯ともいふ也。白糸の空にも降て夜の雪笠原の庄のうちに六道の原といへるあり。行人稀にして何となくあはれなる野なり。其ほとりなる小山をあだしの山といふ也。雨見ても雪見ても山は世に遠し浦野山は筑摩より東へ出る山路にして、木草生しげり、おぐらき山也。此かたへなる小縣に向ひたる外山を望めば、野につゞき岡にそひて、平らかなる山あまたあり。なべて浦野なり。浦子の山も此うちにありとなん。浦野山かくれ〓〓に雪ぞ降ことはりやこゝぞ浦子の雪の花都井は、信濃の宮と申奉りし宗よしの親王の此諏方にわたらせ給ひし時、都井の名をゆかしみたまひ御哥など侍り。其後又多ヽ良の親王と申せしもいらせ給ひけるとぞ。其頃より都井を御所の〓水ともよびたりとなん。今も田圃の中に〓水の涌出る處あり。みな古への都井の水脉なり。都井の名にこそはるれ雪よ雪石井は磯邊の〓にありしとなり。今は戶倉に其名あり。素檗句集五三品
雪〓し石井いかなる石なれば兼好旧庵たゞさへも這出る宿に今朝の雪望月牧はつ雪や望月の駒先白し川中嶋夜は明ぬ千鳥のかよふ雪の上寐覺の床はつ雪のちるや降やと夜もすがら素檗が薙髮の時、願王和尙のいはく、檗が五十年の俳諧、一髪剃とや。其そりかみ、風月にこぼれ花鳥にちらかりたるを、頓てかきあつめて此一册子となす。望月の駒先白し濤觀若人雜いつとても朝のまゝなり不盡の山松はたゞ閑なるをぞよろこびぬ松にこそ人は豐に眠らるれ醉ずとも身は入安し竹のかげ夜るまでも竹の〓さは殘りけり江戶日本橋通二丁目野田七兵衞書肆彫工黑川友三郞ば梅室家集上つ
ればおのれ如きの筆とるべきわざにはあらざめれど、師言の重きを荷ひて、此書のしりへにひとくだりを添るになん。みる人あざみ玉ふ事なかれ。水哉舍于時天保內申仲秋通流誌水哉流通書屋自撰林曹按梅室家集全二冊于時天保內申仲秋誌流通京都書林懷玉堂梓玄子書梅花室に遊べる誰かれ語りあひて師翁の歸杖をまつ事、仙家の桃實をうかがふ心地して欠伸しけるに、はからずも一封の鴈書飛來れり。ひらき見て先は恙なきを悅ぶ。はた其文にいへる、こたびみづから筆を勞し、家集めき例言一嚮年此集を企ることありて既に草稿なれり。しかるに一時池魚のために紛失して其事やみぬ。こはその後師の記憶せられしを、より〓〓に記し置ろあり。はた吾徒の記し置るをもつゞりあはせて、こたび木にのすることになりぬ。一近來大小の集あまた世に行れて師の句をのせざるはなし。されど誤おほくして師を怒らしむる事しば〓〓なり。今この集を見合せてその誤をしるべし。一再案の句あり。又校合にのぞみて直されしもあり。はじめ、はた其文にいへる、たるものを書すさみて、おのれに一言をそへよと贈りこし玉へり。凡風流の大家枚擧すべからざる中に、師が風骨、仙家の幻術にひとしき一筋ありて、門下のわれ〓〓龜鑑を得まくほりするを、理にしあればすみやかに梓にのぼせて、同盟の人〓〓にみせんと囁きけるを、書肆懷玉堂耳はやく聞つけて、彼の桃實を盗とる事とは成ぬ。さしを、梅室さ家ぼせて、集さはじめ、豆·九
日櫻をる音といふを紅葉折とし、雪に眼のちるとありしを、花に眼のちるとし、小橋かなを.丸木ばしとして題詞をくはえられたり。此類尙有べし、惑ふべからず。又、鶯の影たゝみ込肝(マゝ)風かな海棠の朝かげたゝむ屏風かな此兩句は同巢なり。(マゝ)一句は省くべしとあるに或人論じて、こは換骨奪軆なりとい、い)。其論いまだ治定せざれども、兩句ともにのせて衆人の論をまつ。一師云、自作自撰はいとしにくきものにて、校をふるごとに見劣して、是もかれも省さたしと墨を引れしもの、なかばに過たり。かくては編をなすに足らざりければ、わが徒しひて擧るものすくなからず。見ん人悉は師の得意にあらざるを思ふべし。天保十亥年梓行林曹誌梅室家集上歲旦之部元日や鬼ひしぐ手も膝の上元日や二日はあれど翌はなし元日はかくて二日の待れける(木)東都は大陽東海より出て西山に沒す。この金城は又是に反せり。海山の枕かへしやはつ寢覺御さがりやこゝぞと開く朱傘酒掃の奇特見へけり初日影初鷄はつ烏初とりやすみかへ歸る狐なく吾こゝろわれにある時初がらす元日は日たけて起出けるに、訪ふ人もまれなりければ、終日ねむり覺ず。寢にかへる聲を今更はつ鴉蓬萊門松ほうらいや夜は曾祖父の枕元新宅を祝して(水)蓬來の山におさへし柱かな我人の物とは見えず松かざり吉原も女松は立ず門かざり屠蘇大箸雜煮佐保姫の袴のいろか屠蘇〓指につくとそも一日匂ひけり太はしをふとく思ふもひと日かな箸につく柴のほこりも雜煮かな無線福壽草くさとは見えぬ影ほうし市中ト居万歲の袖にも足らぬ戶口かな萬才や休みがてらの本國寺遠望豆人の中に萬歲わかりけり人日小松風人の日と思へばをしき曇哉君が聲そふて引よき小松かな手ばたきの若き翁や小松引正月のちからわざなり小松びきわの鉄買たほどこぼして行しわかな哉わすられぬ詞つゞきや芹薺やがて煮る薺をはやす稽古かな忘井にちら〓〓浮やわかな屑つむあともなくて家〓にわかな哉眼にあかで暮るまで摘若なかな郊外にあそびて梅室家集春興之部萬歲まんざいや跡の太夫は色白き五四、
芹薺事かはりたる有どころ是ならば踏でも來たり佛の坐七艸の屑にえらるゝはゝこかな見て置て捜しにやるや蕗の薹突羽紙鳶人の親の翦羽子取に長階子山里に春をむかへて羽子つくや住ばみやこと思ふさま蓬生や日暮ておろす凧の音かゝり凧うらやましげに戰ぎけり高鳴をして夜に入ぬかゝり紙鳶梅梅さくや旅人山へかけのぼる祖父が田は四隅もなくてうめの花ほそ道の末はしれけり梅の花梅の月七たび見ればなゝけしき賀千代までの杖にと梅の立枝かな追悼をる梅にいさみのなきも泪かな人だかりするや山家の梅の月此ごろや朝茶夕酒うめの花梅かつぐ一人にせまし渡しぶね山里や垣のはしらもうめの花おひ分や釼先家の梅のはな花賣が梅はつめたき雫かなをられても脊戶より門の梅花垣通す枝のさきにもうめの花日は西に梅ほろ〓〓とこぼれけり貧交飯焚て梅をりゆきぬ庵の友くせにして梅にもたすや釣瓶竿いがの國尾山長引てふ所にて山鳥の尾にひく梅のにほひかな神の守るやうでをられぬ野梅哉疾起たいさみに折やうめの花文臺に記すすゝみ出て膝にのせけり梅の影里も暮野もくれ山の梅白し桑の樹も氣力ましけり梅の中柳寢勝手のよさに又見る柳かな人呵る聲に見劣る柳かな旅人と婆ゝと見てゐるやなぎかな宇治にて橋守の鐘はし姫のゆふ柳上坐して柳の雨をかぶりけり美玉根深きを翠に見する柳かなふり上る杵すれ〓〓の柳かな柳見た灯で庵の灯をともしけり夢裡柳見て思ひ出しけり酒の債發會わが庵の草木をかねし柳かな居眠もうまし柳も見に出たし雨ひと日降はことしの柳かな浪花にて蠣わりのくらい灯で見る柳かな三木あれど森にはならぬ柳哉見おろせし柳見上る泊かな何處そこのせんさく無用遠柳餞別縮ぬれば袖にもはいる柳かな鶯鶯も拜まれて居る朝日かなうぐひすもつゞいて飛や馬に鞭鶯や二こゑ聞ば見たくなる四塚·竹田を過て黄鳥の名所がましや小枝橋柴をれば鶯かへる夕べかな聖廟の尊像を懸奉りて梅室家集五二〇
椿おちて池の夕浪立にけり船あてゝおくやあまりにちる椿古稀の賀花さくやことしも折らぬ椿杖春月朧月霞一夜かる宿も廣かれ春の月人だかりした跡ぬくし春の月人ならば笑ひざかりやはるの月門口に綱やいかりやはるの月白濱や鶴たつあとのおぼろ月開田や霞めばもとの磯の形年を經て御堂たちけり霞けり通る人皆顏なでる霞かな有磯にてとりとめぬ蜑が仕事や薄霞題酒銘霞關關守も往來も醉ぬ八重霞野雉雲雀鶯も來さふな二十五日かな鹿嶋遙拜うぐひすの寢に行かたを拜けり鶯やほうと鳴ねばならぬ兒うぐひすも驚く午時の時計かなよく聞ば飼鶯ぞ森のおく尾を反す鶯やがて鳴にけり黄鳥の影たゝみこむ屏風かな神祇膽鶯の七五三に憶する榊かなうぐひすや松の中なる若松に鶯や妻もあらふに一羽づふ耳順の賀黄鳥や耳の果報を算ふ年うぐひすや河はゞよりは聲ちかし椿椿にも一筋つきぬ山のみちつばき落鷄鳴椿また落る系大書俳本日山陰の田も乾たか雉子の聲聲はどに威義はつくらぬきゞすかな鳴きじのきほひや岩を踏はづす田八反ひばり十丈庵五尺地にあれば苣にもひそむ鴿かな雲雀より上に休ふ峠も、足高山ははるかに望むなるべし。富士のたかねはいふもさらなり。雜木を見おろすのみのひばり哉春雪餘寒淡雪や神酒に醉たる朝の內あは雪や年をこえたる壁の草春寒し荒神松の深みどり池浚へまでした寺の余寒かな粟津が原にて前書有木曾殿にこりよ粟津の春の雪春雨春風春雨や野になりそふな遠干浮一日のはる雨竹にたもちけり春雨や杭のかしらに鳥の飯春風やわざくれらしき扇折猫の戀ねこ老ぬ只一春のおもひより五器の內妻にもわけぬ牡猫かななま壁に爪とがんとすうかれ猫白魚蛤百錢の白魚消るばかりなり白魚の眼にも見ゆる歟不二筑波蛤や口をあくれば京の水海苔山深く來て海苔の香はまさりけり海苔の香や障子にうつる僧二人のりの香の掃ても殘る一間かな菫たんぽゝ眼にしみる色に又つむ堇哉鍬の刄に堇をのせて子を連て梅室家集
春の山窻から見ても時うつる神風といふかぜの吹汐干かな爰折れといふ前のたつ蕨哉寢てゐる歟早蕨つむか岨の人山門へ糞しにかよふ巢鳥かな化鶉田鼠や春にうづらの衣がえ雛實盛が佗し姿を雛哉手にとればはやにこ〓〓と賣雛歸雁燕別れとて寢耳に入ぬ雁の聲にくけれど我田に肥て歸雁田を賣て手打ば鴈も歸りけり馬のみゝすぼめて通すつばめかな家はまだ見かけぬ岨の乙鳥かな藪中の裏戶おぼえし燕かな奧山や雪ある門へ來る乙鳥尼たちのすみれ摘けんこぼれ米すみれ草はすみいれ草をつゞめたる名なりとぞ。そは木のたくみがもたる墨壺てふ物に、花のさま似たればなるべし。薄すみれ見て濃菫覺けり山吹はなしたんぽゝの小金原わか草のぬくみ通るや一重壁福祿壽の片足上たる〓に春の草ふむも命の藥かな混題よく寢たり陽炎のぼる枕前傀儡師しの田の森に入にけり馬殿も一抄まゐれ春の水たふれ木に添てめぐるや春の水こしらへて泣や涅槃のからし和御冥加に畠ふまれつねはんの日春の田へすゝむで行や山の水蝶蛙田螺乞食も蝶も日長し下河原舞蝶を門にたてこむ上野かなぬる蝶の影早き瀨に流れけり初かはづ麻の二葉にさし向ひ鴨の來る水筋たえて鳴蛙子を持て靜なものはかはづ哉樋口から落て息つく蛙かな井も桶も蓋して蛙聞夜かな眼の雨をしぼり出しては鳴蛙そも〓〓といふ行義にて初かはづ鳴たてゝ鷺を歩ます蛙かなすいりして鯲をうかす蛙かなたつ鴨の腋からおとす田螺哉菜の花垣こえしなの花いやし松の庭菜の花や屋根に鷄畦に猫なの花や住吉の松を果にして常陸十六嶋てふ處にて菜の花や奧ある嶋の鷄の聲桃花海棠さし植の素性はなれず桃の花上巳人の手にあればめでたし桃の花木母寺の先は桃さく在處かな吉野山に遊ぶ日は彌生三日なりければみよしのゝ里にも桃の前句かな海棠の朝の香たゝむ屏風かな花さくら雲ばかり見るまで入ぬ花の奥松風もたしかに吹て花ざかりあらし山花と松ひとり〓〓に向ひけりいつとなく花になりけり峰の雲矢脊にて梅室家集
錢もたぬ心の鬼も花見かな幽泉亭卽事にぎはしや竹には雀花に客興に長ずれば必不興至る、とかの鼎をかづきて舞出たる法師の〓に散花に狂ふて突目おこしけり折て來た花にたかるや一在所つくばね櫻に題す翅ある花や雲にも入るたぐひ洛の幻華坊、生前には東行の志ありしも竟に果さず。わきて上野·隅田河の花の頃は、いかばかりの思ひにやと今更おしはかられてまぼろしを誘ふてけふの花見かな右は天保三年三月十一日、於東都天德寺中小祥忌執行席上の吟あるときひとつの趣向をさぐり得たれど、五七五は更なり、七〓をそへてもおよばず。よて短哥めき見えそむる花にいそぐや花の中寢をしみの二人出あひぬ花に月待花花といへば早幻に嵯〓御室嵐山斜陽花と人はなるゝときかさわがしき東叡山二句跡もどりして鐘きくや花の中陸尺の大袖ふつて花見かな閑坐灯につくや花の香雨の音戰〓兢〓渡浮世花に眼のちりてあぶなし丸木橋色外にあらはして花の往來かな侍の定家やう書花見かな羽織きて花折さふな女かなあるうへに灯置たし花に風骸骨の上を粧ふといへるに對して系大書俳本日たるものを吟じてこゝろをのぶる。雲と見てのぼれば是は山ざくら又あなたなるつき根をに今を盛の花あればいざとのぼりて詠むるに是ぞ誠の雲にぞありける又あるときの醉興に咲しやと問へばちりぬとこたふまで花をこゝろにのみ暮しけり筑紫の雨堂餞別子は雲とたちて故園に歸れども、われ龍となりて是に從ふことあたはず。されば韓雲孟龍の盟もむなしきかなと、頻に盃をすゝめて別れをゝしむに、情話おのづから和して雲龍の實有。一盃〓〓又一盃、醉に乘じて終ニその虛實を忘る。いひとれぬ花とさくらの別かな日暮るや杉に抱こむ山櫻明た夜はとりかへされず散櫻人去ば一ゆるみしてちるさくら途中馬士にゆるされて折櫻かな散かけて人にしたしむさくらかな深草は露の里なり遲ざくら木陰にははや栞ありはつ櫻ひし〓〓と木を伐る傍に初ざくら牛を隱すといへる當麻寺の庭の松は今もありやなしや。越後國吉木のさとなる勝德寺の庭のさくらは、稀代の大樹にして寔に牛を隱すべし。雪國にそも無量壽の櫻かな山姥てふ謠曲に、佛法あれば世法あり、佛あれば衆生ありといへり。その衆生あれば俳諧あり。はいかいあれば上手あり、上手あれば下手あり。柳はみどり花は紅の色〓。(〓)煩腦としりつゝ花の山めぐり梅室家
混題棚せずば家とられよぞ藤の花山吹のしづくの下の小家かな着よごれの羽織を春の名殘かなゆく春やいつ眼をさます小田の鷺則月短夜塵ほどに鳶舞上る卯月かな水底の草も花さく卯月かなさき〓〓に橋普請あるうづきかな越前にて短夜のあさむつ河を垣根かなみじか夜や玉江の芦の一嵐みじかよを吹て取たる渚かな明易き夜やすり鉢のたまり水子鵑久かたや聞ぬ年なきほとゝぎす鳴そめてなく空もちぬ時鳥子規つき出すふねを十文字凌雲閣に宿してほとゝぎす鳴や屏風に寒山寺東には山ほとゝぎす西に月鳴とて歟亦木隱れし郭公往て歸るほどは夜もなし子規夏之部秀·あん袷太良より次郞がさきに衣がえ鯛賣のこゑを景氣に更衣綿ぬきてほすもうるさしまのあたり膝に手のおさまりかねる袷かなあはせ着て耻し氣なり桑門試にきたあはせにてついと出る橋錢を袂に鳴らすあはせかなたち咄するうち寒しはつ袷道づれが袖の塵とるあはせかな松に風そのまつかぜに不如歸ほとゝぎす雲と曇の間にて鶯のかいこのといへるにうぐひすに寢起慣はず時鳥影さすは鳶なり空にほとゝぎす大路にたてる葵車の花やかなるに、時鳥二こゑ三聲鳴て行かひたる空のけしき、たゞならずおぼえてあふひ祭おなじ雲井を時鳥木戶さして境內しんとほとゝぎすほとゝぎす鳴や手ぬるき斧つかひしなのにて聲白し黑姫山のほとゝぎす蚊蚊遣蚊帳我ひとり喰て淺茅に鳴蚊かな閑靜をほめて晝蚊にさゝれけり茅屋蚊はおろか螢もはいる壁の穴懷古たなびきて跡なき須磨の蚊遣かな月の空たゞ立のぼる蚊やりかな我宿へよりもつかれぬ蚊遣かな大津夜泊唐崎と矢ばせを蚊屋の釣手哉蚊屋つれば蚊もおもしろし月に飛人もなき蚊帳に日のさす宿屋かな〓つりて椎の樹めぐる獨かな牡丹杜若芥子散ほたん重ねて置ぬ留守の內四五輪に陰日南ある牡丹かな成田不動尊深川にて開帳錢金を砂の臺のぼたんかな人について麥分行ばかきつばた足代のうちにさかりやかきつばた灯を見せて猶剪にくし杜若取次のをれ葉ことわる杜若梅室家
貝吹ば小虫こぼるゝしげりかなそれ〓〓に池の小嶋も茂かな常陸松江の追善洩るものは泪ばかりの茂かな卯の花百合撫子卯の花や人がこぼして溢れくせ卯の花を添て戾しぬ破傘蜘の糸ひくやねぢむく百合の花客遲く亭主もゆりも眠けり敦盛の塚にてなでしこの哀につよし一の谷松魚寢ながらに引さゝげたり初松魚庖刀の血を見せ申すかつをかな見おくれば小家に入ぬ松魚賣蝸牛子予蝸牛淵にのぞむや篠のさきかたつぶりはふや菜賣の來た匂ひ預りて簾にさすや燕子花ゆふ晴や床にも飛てかきつばた息つめて荅をきるやかきつばた露もつもかわくも芥子の一重かなけしの散る光ひまなし枕元すれあふてちるやけしにも一競花の底覗けばにくし芥子坊主床にけし庭に芥子あり田舍茶屋白壁の前でもしろしけしの花わか葉若楓茂年きれの木練のさはる若葉哉雪をれを健氣に隱すわかばかな花も實もゝちて椿のわか葉かな見こみよき寺やわかばに柿衣寐た跡に若葉うつりて又寐たし紅葉より赤くてそれも若楓おしあふて槻もゆれる茂かな宮守は貧しけれどもしげりかな斧入る木に落ついてかたつぶり蝸牛角ふり分よ須磨明石とこの句のさまをおもへば、鍬がた打たる兜を着、母衣をおひて波打ぎはに打出たる無官の太夫を、はるかに望みたる心地せらる。蝸牛扇子鳴らせばふりかへるぼうふりも降たか雨の溜水尺蠖の屈するは伸んがためなりといへるに子子よ身のふりよいが樂しみ歟灯蛾蠅蚤草に月何乏しくて灯取虫すさましや早瀨の舟に灯蛾灯を消せば我を責るや灯蛾蠅をうつ時はちいさき心かな打つけに蚤のはなしや旅歸り老鶯水雞鶯や餅にほだされて老を鳴音を入た鶯もあり道具店水門の內からたゝく水鷄かな雲やけを見て駈もどる水鷄哉舟虫につくか磯輪に鳴くひな閑古鳥夕暮に似たあけぼのや閑古島吹れ來て一日なくやかんこ鳥數戶をさせば戶の外へ來て布殼梺川一度もこえずかんこどり訪隱士不逢閑古鳥二十日は留守の十日坊灯もせばあちら向けり閑古鳥若木では鳴れぬ聲ぞかんこ鳥鵜飼舟ばたに心はなさぬあら鵜かな鵜つかひの目くばり凄し煙ごし鵜もふねも煙まとふて過にけり葛の葉の火風によわる鵜川哉梅室家
靑鷺行ゝ子靑鷺のなくや立去る雨宿り柳橋てふ所にてあを鷺のねぐらなるべし柳橋見たやうでまだ見ぬ鳥や行ふ子行〓子鶯よりも身は靜鹿子親に似て月につゝ立鹿兒かな赤鳥居目あてに走るかのこかな笋茄子いつまでぞ竹の子まとふさねかづら竹の日をほる丹誠や人たかりかごのめを洩らぬばかりぞ初茄子百もぎる跡に花さく茄子かな天保巳の年卯月二日は、亡母三十七回忌の逮夜なれば、香花かたばかり供へ、牡丹餅をねり澁茶を煮て、人〓とゝもに懷旧を語りつゞけぬ。夏草の數かぎりなき恨かな三日は深川淨心寺中において寸善の法事を營み、齋侍る。けふの命も父母の賜なる事を今更に嘆じて竹の子のこぼす雫も笹の露又けふこほす泪もはゝの記念ぞとおもへば袖もしぼりわびけり靑梅覆盆子實になれば忘れもおかず藪の梅靑梅に塩のしむ夜か蟾の聲靑梅や折ふとしたるその枝にいとけなき子を失ひし人を悼手のひらの泡とこぼるゝいちごかな田植早苗乳を隱す泥手わりなき田植かな泥足で禪寺ぬける田うえかな系大書俳本日すてゝある苗やおぼえのたばねくせ植とめはどふ押廻す早苗ぶね山の日を襷にかけてさなへ取菖蒲紫陽花葺てある門でしひるや菖賣莖長に刈を手がらやあやめ草旅人の笠にやどるやあやめ賣甲斐の漫〓を悼む。終焉五月四日ないだあやめ葺日にさへなれば泪かな紫陽草のしづくや地にも花の跡粽幟粽ゆふ手ばかり見ゆる簾かな親ごゝろかたちよかれとゆふ粽淺茅生や笠に並べてつる粽御ふくろの細工か曾我の紙幟五月雨雪解も果なし利根の五月雨棧や藤つなゆるむ皐月雨降殘し〓〓雨の五月かなさみだれの果ぬ匂ひや茗荷竹雪の日にいづれ山家の五月雨煎炸串露さへも旅はおもきに皐月雨さみだれも伽になるほど老にけり藏の戶をあはせて淋し五月雨蝶に羽のあるも不思義や五月雨苔の花とく〓〓の〓水にて西行の米やこぼして苔の花梅室家集趙北枝先生墓マニール成ニ五月十二日終焉右は古墓の銘なり。加州河北郡卯辰山淨土宗心運社境内に有。天保四年今の翠臺、梅田年風催主として土を築き石を積て一丈五重
笛の記をあふぎに書て泣にけり扇子買にふねをつけるや花川戶寢た人に會釋してかるうちはかな鎗もちの小擧を取て團扇かな螢ほたる追ふて足元の闇は忘れけりたち木かと柱をめぐる螢かな吹つけしまゝや葛葉にねる螢はなす手にしばしそばへて行螢吹落て筈にはさまるほたるかな日暮れば我笠からも飛ほたる我まゝに飛で靜なほたるかなあちこちに呼ばさまよふ螢かな蟬桐の木や雨のながるゝ蟬の腹夕露の口に入るまで鳴せみか草籠を飛出すせみやたき火影楠公の墓にて餘に築上、玉垣を結ひ、灯籠一對を置、傍に新碑を建、に需む。銘日趙北枝先生は北方の逸士なりと略傳にもいへり。さるに近世に至りて下流をくむもの海内略なかばにも及べり。吾徒の愉快是に過たるはあらじ。年風こたび古墳を再飾して名趾を輝せり。大德百世これス祀るといへるも、人必これをまつるにあらず、天人をして祀らしむるものならんかしと、頓首再拜して識之。灯籠一銘を予系大書俳本日讃千代をふる初花咲ぬ塚の苔信州さか木橫吹にてせんだんの花吹まくや笠のうち競馬我思ふ人は落にきくらべ馬扇子團扇出女に扇子とられて泊りけり酒のみの日に〓〓かはる扇子かな須磨寺にて蟬に身をかりて時雨よ墓の松煎つける聲に蟬なく瓦かな悼淡路素原はかなしや蟬さへ秋を待ものを合水竹雪といふ物が降ぞよことし竹わか竹に衣ほしけり御影堂ひる皃夕兒晝がほやあぶらのやうな松の露ゆふ皃は是ぞとしりぬ時處蓮蓮の香や遠し近しと敷筵夏の月雲の峯ついて來て我田のうべに夏の月夏の月苔の色なる靑だゝみ吹さわぐ芦を根にして雲のみねぐるりから月夜になりぬ雲峰雲の峰夜もくづれず泊り川淡路にも隣出來けり雲のみね麥秋麻刈麥秋や雲よりうへの山 畠麻刈ばつれなく折れる蓬かな氷室夏の雪開く日も裏白そよぐ氷室かな箸つけていたゞかせけり夏氷越後赤倉温泉にて湯煙のとゞくところに夏の雪帷子虫干かたびらにまばゆくなりぬ廣小路須磨寺に女客あり土用ぼし〓水報謝より〓水をしへよ里の姥池こえて〓水に入ぬ鳥一羽笠の影終日たえぬ〓水かな蕗の葉で〓水のみけり馬の上暑梅室家集
うち水やあらし集る樹ゝの中文字書香の煙や風かほる賀靑稻を穗長にかへて祝ひけり御秡茅の輪風そよぐ女房達の御秡かな夕かぜのむかふへまはる御秡かなえぼし着た心でくゞる茅の輪かなあつき日や立寄陰もうるしの木暑き日に長口上の見廻かな麥籾の人に喰つくあつさかな凉凉風に身をおしあてゝ步行けり坐の辭宜に涼しき柱殘りけり煎豆を抓みにもどるすゞみかな鵜のまねの鴉もすゞし岩の上暑かりし咄のみきく納涼かな家產のためには夏雨を喜び、風雅のためには秋月を弄ぶ。風雅の花のうるはしからむは、只家產の根をかたくするにありと、ある人にしめして隙あけて月待こゝろ先凉し神田に居を移して柳原ちかしといへば先すゞし打水風薰梅室家集湖南夜泊近過て只あき風の三井の鏡露稻妻うれしさになぶりなくしぬ笹の露山住や柴に焚こむ露の玉跡もどりする人もあり草の露竹の友といへる酒銘に題して君子にして是に醉ふべし竹のつゆ金令居士十三囘忌に花と降露も供養の光かな數日雨なく、黑部四十八瀨は只一面の白河原となりぬ。雨遠し五十瀨の浪も草の露稻妻のしばし流るゝ大河かないなづまや松の香こぼす靑疊いな妻や畠むかふの咄しごゑ稻妻やをんなの端居つらにくき小西來山の所藏せし小雷といへる至九九下立秋文月〓たつや驚かれぬる我いびき釣て行松に聲ありけさの秋あるうへに米を買けりけさの秌伏見はつ秋や爺婆ゝおほき上り舟松帆の浦松ごとにまねくも秌のすがたかな秋の來て出來た樣なる入江かな文月や晝寐がはりの草なぶり妖風軒下の田水あかるし秋の風あき風や奧底しれぬ蟻の穴〓風や板繪馬さわぐ藪の神里見えて牛もはしるや秋のかぜ梅室家集
の家に遊ぶ。句なくてやみなんもいと本意なければ、翁の發句につゞきをつけてあるじの責をのがる。文月や六日も常の夜には似ず木の間の月も其六日の夜銀河霧天の川見つめて居ればつにむせる蜘の糸見ゆるや闇のあまの河天の河たらひにうつす胴ふくら山舘旅人は皆おさまりぬ霧の中越後臨海堂にて霧がくれ皆こゝもとへむかふ舟同姫川にて秋暑き中たち切て水寒し一葉かざし來て馬おどろかす一葉かな三葉のうちひと葉落けりことし桐もげやうを二階で見たる一葉かな大盃あり。一たび池魚の災にかゝれるを灰燼の中にたすかり、ふたゝび藤村の家に傳はりしとぞ。是に發句せよとあるに稻妻に棚から落な小かみなり朝皃朝がほの日覆とや見ん草の軒あさがほや花にかまはずそよぐ蔓蕣のつるとゞきけり籠まくら朝皃や蔓をちからに花のつる朝がほや八朔からはかへり花日を見ぬ日咲朝皃も一期かな明石にて朝がほや人丸の宮ほの〓〓とをれかねて哀のさめる木槿かな咲かひも菜畑の垣のむくげかなそのかみはせをの翁、文月六日この坂本なる山田が家にやどりて句あり。をのれゆくりなくこよひこ系大書俳本日芭蕉ばせを葉や音も聞さず破つくす萩身をよけて通るばかりの萩見哉留守の間や鼠もこぼす萩の花二分咲て一分こぼしぬ萩の花心得てゆけど萩ふむ山路かな庭掃が役のほかなりこぼれ萩萩の花一本をればみなうごく送別隔ればどちらも寂し萩芒おなじく露の萩つかむに似たる別かな荻長風呂の客を見舞ふや荻のこゑ行燈で小橋見せるや荻の聲夜着かりに舟から來るや荻の聲刈萱支配雀麥や雨をふくみて見ちがへる蜘の圍の執着深しをみなへしをり力なくて又折をみなへし盆の月宿とれば先淨土なり盆の月美翠園の庭中に湯盥を置、無事實實して殘暑を凌ぐこと數日。湯だらひの功德池もあり盆の月玉祭攝待迎火魂棚やつひのなじみの臺所桃栗の三とせは夢や玉祭わざくれて蓮の葉かぶる生身魂攝待にやとはれ給ふ佛かな迎火や裾風たてゝ人通りをどり松の根をよけ〓〓をどる山家哉秋もやゝ西にきこゆる踊かな角力梅室家集
なでしこのおされ兒あり角力取兒に日のさして猶豫ふすまふかな案山子吹あれていさみのつきしかゞしかな立にゆく案山子大勢おくりけり高みから見て置直すかゞしかな鳴子里〓〓の畫寐さめた歟鳴子引ク鳴子引いづくも見えぬ藪の中八朔八さくやきのふうえたる塀の松八朔に正月するや寺おとこ越中泊にて風たえて海のおもても田面の日月越中三日市にて百里來てまだはつ月の三日市待宵は月見た跡の月夜かな待宵すみだ河にて月はやし今戶の煙きぇぬうち船頭の氣隨なだめて月見かな名月や草木に劣る人のかげ松風は大事なりけりけふの月名月や鶴とも見ゆる白德利名月やさかなにかざす松の影草陰の猫もけしきやけふの月めい月やどの舟からも柴拾ひ新橋のわたりに宴して芝の鐘きゝはづすまじ月今宵一とせ廣澤のほとりなる寺に宿して冥加なや名所の月を在あかしおなじ所にて月の雲ふくやちかくにあらし山月の雲鶴はなしたる氣色かな風をいとひ雨をいのる田守の翁が心づかひに、老の身をも忘るなら황雨降ばさぞな月さへもる小家大伴黑主の讀おもかげやかゞみの山の世〓の月越中泊橋本堂卽事はし本に入るとき拜む秋の月いざよひや疵のついたる小さかづきいざよふ歟山よりはこぶ雨白しいざよふとしれけり傘の下明りよべの月に草臥けん、つね來る人も來ざりければ、いざよひは宵よりふして膝たてゝ寐るをけしきや庵の月望の夜は雨いたく降、風ひややかにして仲秋の空ともおぼえざるに、今宵はなごりもなく晴わたりけるにいざよひやきのふの雪の不二の山朝寒夜寒朝寒や舞臺にのぼる影ほうし都には加茂河ありて夜寒かな寐るもをしする事もなき夜寒かな乙鳥の巢に鼠鳴よさむかな秋暮〓のくれ松見て立ば人もたつ秋の暮簀のぞけば鮠一つ物申に肝つぶれけり秌の暮山臥の山に入けり秋のくれきぬた隣には人をとめた歟やむ砧漁のなき夜汐と見えて碪かな祇王寺のきぬた鉦より哀なりやとひ女の出直して來て碪かな行ゆけば左右になるや灯と砧芒尾花釣人のわめいて通る薄かな梅室家集
手をさへる草にひゞくやきり〓〓す小庭にもおちこちあるや虫のこゑたゝずめば虫鳴出すや笠のかげ虫鳴や枕にちかき松ばしら蝉やまださめきらぬ風呂の下關屋の里にてむしなくや晝の戶ざしも里の癖秋の蟬やゝもすれば家に入けり秋の蟬山行ふところに入らんとしけり秋のせみ悼聲はわが耳に殘りぬ蟬の売妖の蝶秋の蠅秌のてふ途をうしなひぬ鳩の中秋の蝶たてこまれけり秣部屋人中で生れたやうに秋の蠅いなご土橋の下にもまねく芒かな田の中にそも〓〓からのすゝきかなまねくとて岩角たゝく尾花かな水つきの泥の中より尾花かな稻いねの浪はる〓〓と來て枕元八幡宮奉納稻を啄む鳥はゆるさじ弓矢神賀此うへに年をつむべし稻の花おなじく靑いねを穗長にかへて祝ひけり西瓜寺入の子の名書たる西瓜かな庖刀に赤みのうつる西瓜かな薙髮の祝なでるほど齡の長き瓢かな虫十里ゆく舟に飛こむ螽かな蜻蛉とんぼうや帆ばしらあてに遠く行蜻蛉のおさへつけたり鮓の壓とんぼうの羽にもすくなり三上山ひぐらしやつひに飛こむ月の松鈴鹿山にてひぐらしや近江の入日いせの月秋鮎崩築まし水や茨にさゝるゝ下り鮎見るうちに鮎のさびるや市の雨腹見する鮎のよわりや逆落し焚ほどに干るや瀨落の崩やな雁畑あらす行義ではなし雁の列さわがねば野になじまぬか渡鴈まだ聲を聞ぬ雁なり田に並ぶ竿なりも崩さず雁の旅寢かな鶉鴫入相の鐘なき里やうづら鳴おし水や人はさはぐに鳴うづら立鳴の兒にうつるや長柄の灯大池の眞中ゆくや鴫一羽小鳥眞白に又まつ黑にわたり鳥小凌鳥さへわたるや海は鳥の道いかなれば鴫より肥し木啄鳥草花花野小料理もする宿ならん草の花門ありて國分寺はなし草の花息才な子やくさ花を餅のさい金綱の袈裟吹れ行花野かな菊雨のもる最中菊の匂ひかな留守事になめて見にけり菊の露菊の香に一坐しばらく默りけり梅室家集
雨風や菊の香うちへ皆はいるよめがはぎ九月は菊に成にけり菊をると威して亭主起しけり塗格子半輪出たるきく白しぬつくりと菊の屋かたに蟇給はれといひよくなりぬ十日菊熱田法樂久しさや蓬のまゝの菊の花日光山中菊の香や水音もする垣の內紅葉紅葉折音ひと谷にひゞきけり家遠く闇にかたげし紅葉かなさし出たる枝にもあらず初もみぢ無水解足元に雨吹おこる紅葉かな掃分ておくやもみぢと檜皮屑此ごろは晝月のある紅葉かな鹿道もなき茅原に立り明の鹿鳴しかや森の一つ灯立ふさぎ山端へ出てはもどるや雨の鹿(きび)蟬丸も琵巴さし置ぬ鹿の聲いせ朝熊にてこゝかしこわたる聲なり月の鹿後の月落着の黑椀さむし後の月奥山で見た月出たり十三夜日あたりもよい田のうへや後の月あつ物に坐敷くもるや后の月灯臺のもとをてらすや後の月長月はつかばかり醍醐のあたりを過けるに、唐がらしを摘みてほすとてかずの莚にかきひろげて、軒もかきねもからくれなゐに道もさりあえぬばかりになん。供しつるをのこ打うめきて、あなおびたゞし、かばかりのものを人は一とせのうちに喰ひつくすめり、あれあそろしとつぶやきける。いとおかしけれど、こゝろあまりてほ句にはならでやみぬ。唐がらし笠にさすべき色香かないつこりて鷄もつゝかず唐辛番菽箸いたはりて撮みぐひ空家のたなに殘るや唐がらし琴棊書〓てふことをこめてほ句せよとあるにむだことに松葉をかく秋のゆくゑかな例のわざくれ述懷水かゞみ見れば見るほど我かげはやせの山田のかゞしなりけり冬之部三日月もあるやまことの初時雨しぐるゝやしぶとく靑きたばこ莖義仲寺のふみ濡て來る時雨かな沖見ゆる障子の穴もしぐれけりしぐるゝや鵜は水くゞる一おもひ洩るまでは聞すましけりさよ時雨しぐるゝや戾駄賃のまけをしみ琅玕翁三回忌おとゝしの竹色かへぬしぐれかなはせを忌けふこそは日比忘れぬ時雨かな播州別府の松ながらへるはづよ時雨もゝらぬ松しぐるゝや棒立なりの筏さし時雨して入かはりけり池の鳥笠に着た黑木は賣てしぐれけり亚十七梅室家集
霜夜もすがら雨を聞しにけさの霜よく見れば蓼のふしにも今朝の霜翁の像を安置してさむしろの霜も世にふる宿りかな霜月もこぼるゝものは松葉かな追善塚の霜とけるを見てもなみだかな落葉木の葉ふる奧にひかえて松の月田の水にわざとがましきおちばかな旅中膝にふる木のはを夢や馬の上掃よせた落葉うごくや蟾の穴落葉火や一もえづゝの窻明りこがらし凩の日に松うえる長者かな日暮るゝに凩ふくに磯の鶴奉納木枯の野に住吉の宮居かな小春京の鐘聞ゆるさとの小春かなみの虫に人たかりする小春かな水底の砂も小春の日なたかな惠比須講輪かけに洗足させて夷講鯛くはぬ乞食もなし夷講歸花かへり花闇にも見えて哀也さた聞て夜る見に行ぬ歸花はせを忌木の下にたつかひありや歸花枇杷の花茶の花掃だめの所かへけりびはの花茶の花や余計日のさす芥塚枯野系大書俳本日すみれ咲ばかりに成し枯野かな日暮れば皆山になるかれのかな統一起空也寺や町から見ゆる枯尾花吹よれの戾らでかるゝ芒かな鼻はやき牛さへ嗅ず枯を花すみだ河にて紫はかうもさめる歟かれを花大根角力取宿もちけらし大根引婆ゝが子は傳馬休て大根引大根を鯛ほどほめる山家かな麥蒔麥まきや野路の玉川一またぎあられ二三合蜆にまじる丸雪かな鵜はしづみ驚は雲井に霰かな降こんで肩をぬかするあられかな氷氷る足ぬいて飛けり泊り鷺雪まばゆさにまけて雪掃戶口かな雪ちらし〓〓寐に入森の鷺ゆき持て水にひたりぬ沼の家跡先に人なし雪に撓む松雪ふるや行灯むける戾り馬松の雪物たしなみのよいあるじ明る戶にのさばりこむや雪の竹はつ雪や人の底意はいとけなき大森にて海苔柴や遠淺かけて雪の花おもたさの衾ほどあり雪の傘雪掃て埋み生姜もなくしけり袖のゆき見せて佗人起しけり雪見漫興御肴にまひとつころべ雪の人梅室家集
降雪をいとふ御顏やゆき佛ゆきの竹撓むもしらぬ宿鳥かなある人の薙髮に雪ならで黑髪はらふ袂かな琉球人來朝わが國の雪見に來た歟うるま人松の雪猶豫し過てかぶりけり埋まれたふりしてゐるや雪の鳩寒糊の干ぬ行灯ともす寒さかなはせを像前捻香寒けれど背きかねけり窻の月鷹影ぼうも眠らぬ鷹の旅寢かな岩山や切れとを過る鷹の聲鷦鷯雪花をまぶたにつけてみそさゞい飛先が月夜になりぬみそさゞい千鳥望汐の橋につまづく千鳥かな里に來て桐の實鳴らす千鳥かな日よければ千鳥もいやし里わたり藁塚にねぐらはなさで飛千鳥明石蛸つぼに跡もどりして鳴ちどり志賀の山深入しては鳴千鳥をし鳥かざし羽の帆になるをしの浮寢かな陰日なた隔てぬをしのつがひかな鴨鴨なくや汐さす堀の行留り風呂に居て鴨の料理の差圖かな水鳥水鳥のあさり消したる日南かな水鳥に夜かげかぶせて峰の月水鳥もふねも塵なり鳰の海水鳥の中つきわつて長いかだ風雅の流れ滔〓として犀川·淺野川とゝもにつきず、諸家連綿とたち好士爭然と起る。こたびさらに松裏庵の立八を祝す。水鳥に慣ふてあそべいつも春河豚鰒にくし魚の錦の市に出てへつらはぬ腹つき出して店の腹生海鼠越光風なまこさへ迯るこゝろか手をすべる魚だなやかくぶつばかり藁敷て巨燵出た跡をふさぐも巨燵思ひかな松風やこたつの底の炭の音寐くたれて踏飛したき巨燵かな火桶膓もにえよと抱く火おけかな又出たとはじめはうとむ火桶かな西山の薄日にほすや張火桶炭胴ずみを先うたがふや炉の煙炭もえて今朝まで殘るけむりかな口解かで虚になしけりすみ俵かた炭や臺所婆ゝがひとり言老慵炭わりし勇氣暫く殘りけり炭がまをさして飛けり夜の鶴榾一里ほど見かけて來たり榾明リほだ焚やけむりの中に嫁が皃膝出せとすゝめる榾の馳走かな衾帋衣百足はふ音すさましや帋衾ぬくもりの宿鳥に劣るふすまかな水もくみ火もたく所化のかみこかな音のするたびに目のつく紙子哉梅室家集
すゝ掃や取かへされし鶴の雛草庵のむかふなる家にうぐひすの江戶子鳴なり寒の內節分の日大內に詣でゝ鈴の音に泣やこゝろの鬼やらひ我宿は柊さゝず鬼も來ずと先師は申されしが、もとより鬼はおそるゝにたらざれども、福神を招く心はいさゝかなきにしもあらず。我門やひゝらぎさせば人笑ふ年の市藁一把にもかけ直かな龜の尾のみじかく歲は暮にけり人について吹しづまりぬ除夜の風年內立春靑筵賣と買とに古年ことし春までが來て手を取ぬ年の暮十六日立春春ちかく正月遠きことしかな納豆叩く音もらすを罪や納豆汁椀の湯氣額のゆげや納豆汁銅方子水は行月は落るにあじろ守しづかさに犬もおどさず網代守冬月脊高き法師にあひぬ冬の月在明て入る山遠しふゆの月寒月や雨さへもらぬやねをもる冬ごもり冬の夜鼻にまで墨を付けり冬籠窻へ來る雀ふえけり冬ごもりふゆの夜や針うしなふておそろしき神樂袴着我子等が笛も身にしむ神樂哉はかま着や稚ごゝろに威義の眉歲暮混題煤掃の中からたつや木賃客系大書俳本日淨害したゝめ終りて後、つく〓〓思ひ出るあり、又人の告しらするあり、さし出たる句にもあらねど、紙のあまりあればのするものなり。四季混題元日や玉に角ある人ごゝろ元日や人の妻子の美しき鶯のくせおぼえけり影ぼうし春の草喰へる限は覺へよき靑柳や人立こみし居合拔鳩のくふほどになりけり柳の芽藪ごしの月夜にあへり初ざくら遠里にあらし聞えて遲ざくら布干せばまばゆき兒の蛙かな此外に柳さくらやねはん像ある人の薙髮にさびしくば螢を入よ紗の頭巾家一つ野中に消してゆく螢磯くさき松からもどるほたるかな百合いける人や小首をゆりの花ル·五無季之部初登録けふの命はじめて嬉し神路山春秋もとゞかぬ不二のたかねかなはし立や見ながすにさへ一日旅題酒銘老松老てはます〓〓壯にして、醉てはいよ〓〓樂む。仙境の遊といへども,げに此うへや有べき。春秋も醉てわすれて松のごとしある數奇者の庭に相生の椎の樹あり。これに發句せよとあるに土も木もむつましき宿や茶のかほり梅室家集
大名もひと夜とまりや虫の聲雨にあふて人らしくなるかゞしかな捨ぶねに雨たまりけり神無月突出した舟はのがるゝ時雨かな翁の讃かうばしき翁なりけり冬の菊はせを忌二句はせを忌や伊賀の干そばみのゝ柿眼の花のとし〓〓ふえる霜夜哉つかねたる手にさはる迄落葉哉塩賣の赤手さし出すほだ火かな脫すてゝ見れば恐ろし雪の簑宵に來た人もめづらし雪の朝人のあらたに造りたる家に年をこえて古きものは我身ばかりぞ花の春上京や桶屋がおけも花の枝名月や小門に立し白うるり入梅ばれや先見る山の大文字ゆふだちの長橋わたるをとこかな芋の葉に溜てはこぼす夕立かな夕立におはるゝ鷺やひと田づゝゆふだちや羽織ながるゝすみ田河秋參宮せしときしづかさの事かはりけり秋の靑葉いづち行膝行ぐるまぞ〓の風茶は水になりしといひぬ秋のくれ落馬する人あり空にさわぐ雁いかめしく風折したる紫苑かなよし野の擣衣てふ題を得て音よきは葛のころもの砧かな室町や二階に見ゆる菊の花小宿には傾城をらずきくのはな引かけた藁取のける紅葉かな蟷螂や水に落てもまけおしみ桐の葉の二日にふた葉落にけり白露の中で手をやく蚊遣かなうぐひすや人は汐時しらぬ里この外猶脫漏おほかるべし。又えり捨て擧ざる〓多し。追〓に遺れるを拾ひ、はた自今以後の作をあまじへて次編に出すべきなり。自撰梅室〓吟集同家集同後編同文集同浪花附合集百五十遠忌祖翁追福集二郎二册二册年風按林曹狡おなじくおなじくおなじく梅室選礪山校出版仝近刻或人問て云、哥集には戀の部といふもの必あり。すたて發句の集にこれなきはいかなる故にやと。荅て云、俳諧にも戀の句なきにはあらねど、戀の題といふ事なければ、おのづから稀にして。部を分つほどには至らず。我家の戀は附句をもて專とす。さきに予が附合集を著し、戀の部を擧ぐ。開て見給ふべし。仝二册浪華書肆南え入東側心齋橋安土町河内屋和助梓梅室集方圓齋藏板テ·五
系大書俳本日鳳朗發句集ほうら上下
鳳朗發句集上春の部正月蓑のけて正月さする柱かな佛元日元日や頭にゐます弓箭神世に住ば元日世話し箸三度山田に年を越て元日の底の見ゆるや五十鈴川日先師鳳朗、一たび句藁を上總の船路にて、わだつみの神にかくされ、二たび續集を難波の旅寐にて、相やどりのをの子にうばゝる。さらずば八十有余年の吟章、万をもつて算へつべきをと門生是を歎きあへり。されど師は常に、古人歌を水に投じ、發句を烟になしたるふる事など語り出て、我は求めずして句數のへりぬるは風雅のうへなき幸なりとて、たゞ暗記の詠のみいさゝか書遺されしを、こたび社盟の手記これかれ取集て梓に上せぬ。かゝればかのかくされ奪るゝのうれひあらじと、よろこばしさに筆を操れり。元日の日のさす眉のあはひかなやつと來た元日が只一日かな花春守口如瓶色も香も其木〓〓の花の春百濟堂如息然愚初日
拜まれぬだけが草也福壽草去年今年八十の春秋、人の問にこたふ此うへの夢は覺えず去年ことし八十の上に一ツある事をしりていと珍しくおもひしに、五十七また二ツも有けり。去年今年夫もきのふの言葉哉二日春や世話し二日は月の入はじめなつのことしにもきのふが出來て松の內福引羽子板福引や御降濟て殘る雪福祿壽讃曳當た寶見せうぞ梅柳羽子板の箔のこゆるや小笹垣子日小松引踏出した痘に紙はる子日哉大空のせましと匂ふ初日かな人の見たあとのみ拜むはつ日哉夜に入にもひとつほしき初日哉初霞初十承日の出のは一先きえてはつ霞養老の瀧壺くめやはつ手水惠方惠方はと間はゞ年〓〓よしの山筆始はせを翁の不審に荅ふ角折た鬼を本尊に筆はじめ御降御慶御降や庵の嘉例のもりはじめ連の名もひとりでいふて御慶哉万歲万歲や鷄なくかたへ行野道万歲のはやしといひぬ立月日無盡費税系大書俳本日福る雪ある口かしこき男の、なものよ子日のと句作りて、又なき句也と思へり。されど余情にあるべきうらゝかをさへおしあらはしたるのみかは、物の字の手づゝなるはいかにぞや。趣向のをしければかくいひておのれが句とす。白濁りするや子日のたまり水年〓〓に曳ても足らぬ小松かな曳を見て居て氣のつまる小松哉葉のさした跡寒がるや小松引若采薺鈴代こぼるゝを姿におくる若菜哉初若菜三筋四すぢとかぞへけりむかしから薺のあての垣根哉めでたさにせゝりちらかす薺哉喰ものとなればさびしき薺かな東都繁花葛筋の舟荷にとるや薺屑すゞしろや春も七日を松の露藪入養父入や白無垢見せる立はしり女子ひとりふたり連立たる土佐〓に賛す藪入のあと連待や小原道春雪淡雪殘雪人中に舞てはひりぬ春の雪淡雪や僧に刀の供まはり柊も掃やられけり殘る雪余寒うれしさの丁度ほどよき餘寒哉霞空むいて子供弓射る霞かな明石夜泊夜霞は須磨とあかしのとぎれ哉長閑麗灰蒔てのどかにしたり門はたけ第八六道鳳朗集句發
はる風やわびいふて出す塩肴春風や人の見殘す鳥部山はるかぜの吹かくしても須磨の浦春風やあつてもいらぬ門の錠野間の內海に義朝の昔のあとを春風や馬も乘人も友眠り撫やるやむしろの下の春の風內に居る日の耳際も春の風築上て春風流す堤かな春雨はる雨の夜〓〓はるゝ旅路哉流れしと見ゆる跡ありはるの雨もの植ぬ庭こそよけれ春の雨春雨のうれしさう也池の水居風呂に肱うかしてはるの雨西月が身まかりけるよし.その門人より告こしけるに春雨にぬれてとゞきぬ須磨の狀老懷長閑さにおさへ歩行や膝の皿うらゝかな仕事見ゆるや野に柱長日遲日長き日のながき覺がつきにけり」や暮遲き加茂の川添下りけり山笑畠打桃亭にてこゝ向て笑ふて居るや東山山うてばかま鉾形のはたけ哉春夜春宵春の夜や心眼にうき耳に出るはるの夜や逢坂こゆる人の聲大船に坐敷もありて春の宵春月春の月若う見られに歩行けり東風東風そふや開くをまぢる藏の塵春風系大書俳本日春山春海いざそこへ膝すりよせん春の山もどかしき日の越ぶりやはるの海見かけより夜深かりけり春の海春水土積ば潜つて行やはるの水山蜂の踏で迯るや春の 水梅何の木によりても梅の匂ひ哉入相がいくら鳴てもうめの花世の中に門は井べて梅のはな梅が香や散ての後も二三日今日迠はちらりともせずうめの花梅か日かわきまへかねる匂ひ哉鷹すゑて次手ぶりする梅見哉難波の八千房、男子をまうけしよし申こしけるに土地がらや松が生ても梅の花香をひくや梅取次てのく袂家根もり柱朽てむさ〓〓しかりければ、いそぎ新造してわたまししけり。起臥のいといさぎよからんと思ひやりつるに、はじめのはにふも今のも同じ寐心にさい。白いのでしろくおもはず梅の花柳こゝろ添心はなるゝ柳かな枝影の組ではのほる柳かなさし枝に所望のたえぬ柳哉くらがりへ枝とり迯す柳かな蓑むしのはなさぬ風の柳哉曳ば來て相手にならぬ柳哉すら〓〓といく夜も明日柳かなまがふもの二月にもなき柳かな椿氣もつかずなる迠にさく椿かな受八鳳朗發集句
ばかりの昔がたり盡べきにあらず、かたみにまめやかなるを悅(税抜)ぶのみ。將、諸堂の破懷をあらためて再建の大願、きゝしに倍せる大功に眼を驚かす。鶯も並〓〓ならず雲に聲雉子山彥や京へとり次きじの聲往還もすぐなはさびし雉子の聲雲雀麥國の二ヶ國井ぶ雲雀かな草ふみに稀にはもどるひばり哉笑るゝまで見つからぬ雲雀哉駒鳥奧ありて駒鳥なくや關屋村百十五吉田詠久が老父、をとゝし米の賀をうけられしが、二とせかさねて九十歲のよろこびをすゝむ。眞夜中をしらせの椿落にけり椿ではしれぬ月日のいそぎ哉うりかひも落ながらすむ椿かな若草蕗薹若草もけぶりそめけり鳥部山若草をのぞくや鹿の片足たち坐敷から急な無心や蕗の薹鶯うぐひすや己が鳴音に立すがり黄鳥のうぐひすになるはつ音哉うぐひすの來ぬ日春めく木の間哉黃鳥や雀の米に眼もふらず鶯やなかで立日もをしまるゝうぐひすを見もせぬうちの初音哉黄鳥や聲のおもてを垣の外黄鳥と我とはしをりかゞみ哉うぐひすに踏れてうくや竹柄抄玉澤に一瓢上人を訪ふ。廿とせ系大書俳本日聲此すゑなほ幾年かひさしからん。此うへの數もにぎはし百千鳥猫の戀京の夜にしてはさわがし猫の戀かたみかとおもふほど也猫の五器戀にうとき猫とはなりぬ物おそれ白魚白魚やつまんだあとのうす曇をしさうな白魚うりの手つき哉白魚にこゝろ遣ひや傘雫朗詠あが若冠のむかし、父が求て得させられし肥前守盛町が作の鋏あり。あはれ坐右の用をなしけるに、累年を考れば、ことし天保七年丙申は還曆にあたれり。よつて彼を賀し賞するに、紙袋を穴の如く拵、是をあたへて多年のいさほをねぎらふ。空鋏む小蟹ともなれ春遊び大雪に閉られ、火桶賴みにやゝ日のふりゆくもしらず。ふと出てそこら逍遙しつれば、らっか松も過て案の外のどやかなる空にぞ有ける。古人は初秋に驚き、我ははじめて春におどろく。見えもせぬ凧にあわてつ春の聲正月は朝きさらぎはゆふべかな二月畑がちに見ゆる二月の麓かな默ては居られぬ二月央かな初午はつ午や御庭の橋の渡りぞめ橙の酢もはつ午の名殘哉帋鳶嵯峨にあそびてきれ凧や柿の木過てあらし山日は凧に別れて先へ這入けり一八五鳳朗
淡州志津木の浦、靜女の古墳にて今も操そのをだ卷や帋鳶朧月鳴し行朧月夜の扇かな中ほどやみじかい橋も朧月ひいと鳴ものゝ吹たしおぼろ月朧夜の眞向は四条五条かな事納いつも見る月の出てあり事をさめ彼岸涅槃彼岸とは花さく頃の名なりけり淡路の濱邊網船の目印に妙法蓮華經の簇を立たるあり。誠正じうへには似つかはしからぬ事なれど、思ふにけふは二月の十六日也。自然の結緣のがれがたき因緣あればにやと、時にふれてひそかに隨喜す。御涅槃のあと追魚のいのち哉山燒山〓〓や燒くせ付てひるもやく若芝觀世音奉納若芝やこれもこゝろのさしも草紅梅(特許手から手へ紅梅わたす小性哉初櫻ちる梅を待てなけれどはつ櫻高砂や尾上はふるきはつ櫻待た日のいくら過てもはつざくら菜花大地店菜の花に色うしなひし佛哉法螺ふくや菜の花の方うち向て」筑波をも見る眼のはしや花大根五郞米春の香もこゝらは淋し五加木汁歸鴈雁に霜一かたならぬ別れ哉系大書俳本日かへる迠みじかかりけり雁の足乙鳥鳥巢草庵雨やどりばかりに寄し乙鳥哉巢のふちへ乘ちゑつきぬ燕の子閑居鳥の巢の影もさしけり膝のうへ蛙くらき夜のはるかの奧やはつ蛙己が影さすや蛙の咽の下けしきみな山に暮こむ蛙哉鳴ぬ間も喉のたゞ居ぬ蛙かな蝶はつ蝶をわするゝ頃や飛小蝶大津へも京へもいらず舞小蝶田螺鳴といふはなしのみきく田螺哉ふと鳴たやうな田にしのゆふべ哉若鮎鮎のぼる瀨のわれて來る山根哉二替りいにし天保七とせ、種いもの實のらず、未聞の凶歲にして、世の中飯うゑすなるばかりなれば、歌舞妓も見べき人さへなく。例の顏見世もとり置ておの〓〓憂にたへざりしと、人のかたるを聞て七轉八起のはるぞ二の替り雛雛譽る心づかひや忌言葉犬猫や雛にかざれば睦ましき四日にも四日と見えぬ雛かな花花の香や朧も空の咎ならずいとまなき日ばかり花は咲にけり殿山にて花と我間にきゆる月夜哉遊台獄鳳朗發句集哉天九七
かな立歩行われのみ花でなかりけりいく度か初手見た花に車坂花を出て空うしなひしおもひ哉丙申の上巳、嵯峨天龍寺中南芳院に泊る。五更過るばかりに吹あれ來り、やゝさわがしかりけるが、やがてうちやみたる後は、はじめのほどよりも猶靜さ增りにけり。花のちる音かと雨をきく夜哉(〓ゝ)明るおそしと渡月橋に湲歩す木よりちる花にはあらずあらし山塔の峯をこゆるこゝろのこゝになくて見ゆるかと〓〓花のよしの山おもひつめし花見て足のふるへけり花七日散ての後ぞしられける上野あちらでも我にはぐるゝ花見哉面倒に耳の聞る花見かな旅に病ける後餅さめて臍のさびしき花見哉口もとでけふもくらしぬ花の山よい癖や花見る人のもの言ず見えもせぬうちから花の夜明哉芝冷て立わかれけり夜の花江戶を出て川崎わたり迠は、送りの人〓〓多くていまだ旅情なL六〓を渡りて旅しらぬ友まじはりや花に鴨(通)薩陲嶺にてつく〓〓と見るや松にも花の浪いたづらに星霜を經るの耻かしめも思はず、たゞ暗然として八十の賀をすゝめらるゝ禮節にあふて花は雲何をいつまであすならふ櫻系大書俳本日ふりかへる時雲となるさくらかな露ほどの花も殘さぬ櫻かな一もとは散のもほしきさくらかなちらぬ間もちらずには居ぬ櫻哉ちるを見ればさくのもをしきさくら哉散を見て氣の高うなる櫻哉散たれば明日の日のあるさくら哉三觀大悟を身に行ひ、世にあき人にあき我にあき、三義もつて生涯を果したる人也。西行の大口きかぬさくらかな山ざくらきのふ我來た足のあとL 200夜も出て鳥啼里や遲ざくら桃梅にかつ月はもたずやもゝの花桃の花何とて雨にむつまじきうつとしき譽人の來るや桃の花桃をればよい年してと笑はれし海棠海棠に春のさびしきゆふべかな梨花夕ぐれになる空すむやなしの花藤朝の事わすれ果たりふぢの花藤の花岩屋に鬼はなかりけり我のみの人通り也藤の花辛夷咲て居て花ともしらぬこぶしかなによき〓〓と花になじまぬ辛夷哉山吹つゝじ山吹や馳走に並ぶ薄草履山吹のみな一重めくさかりかな山吹や氣の休らぬ馬のうへ山吹や今朝出た家の遠ぐもりない道をつゝじの蜂に追れけり菫色こくてむね打さわぐすみれ哉嵯峨山や只の道にも花すみれ亜九鳳朗發
むすんだら結ばつてゐるすみれ哉ゆかしさに葉も見屆けず堇草母子草佐保姫のゆかりの色か母子ぐさ茶摘唄ふので等閑になる茶つみ哉蚕一おろし蚕に來たり山の冷春暮原·よし原を中央にかた〓〓は不盡かた〓〓は春の暮行春三日盡四ッ谷を過、笹寺のあたりをたどる行春の人牛馬にかくれ鳬何氣なや三月盡の明の鐘朗詠獅子舞を追て步行や春の塵起〓〓は膝もめづらし春ごゝろ道芝にこす枕なし春心忠度墓しぼるには片袖たらず春の露吾をうかすわれ哉春の科ならで奉送喜緣矦ふりあふぐ別れまばゆし雲に在夏の部四月旅人も草も夜明の四月哉男にも女にもむく四月哉更衣見附の宿を過てはや春の心なしふりかへる不盡とはなりぬ衣がへ我名を鳳朗とあらたむる時大空の洗濯もしてころもがヘ武府を出しは稻妻の如く、皇都に入はかげろふのごとし。今日としるきのふさへなし更衣袷懸おけば薄ぐもりする袷かな思ひよらぬ事に老の哀はあるもの也年ましに縫上のいる袷かなぬれ色に出來てうれしき袷哉夏衣綿貫白地にてあるべきものぞ夏ごろも着た日から月のさしけり夏衣金洞山夜泊水音の寐覺冷すや夏ごろも綿入つ拔つ年經るころも哉拔し綿興がるまでに重かりし短夜みじか夜やうたゝ寐の森ほど近し一旦にみじか夜いふな二寐覺夏威夷月に名のたゝでいぶかし夏坐しき夏の月はた〓〓と寐しづまりけり夏の月」250夏の月つまめば消る菓子ばかり灌佛灌佛の跡まで洗ふ小庭哉夏入夏に入ば明る間遲し茶立むかし扇團扇奇麗さにかこひ古せし扇かな義仲寺にて百五十回忌を奉扇會に取越行ふとて、發句望み來りければ、十とせの秋も百いそとせの昔語白扇古〓と書て手向けり蚰のさわぎにうせしうちは哉蚊屋宿の〓蚊迠はひりて泊りけり蚊屋際に手燭も置や馳走ぶり〓のうち足手の捨場なかりけり五九一鳳朗發句集
牡丹夕風や牡丹崩れて不二見ゆるひわ〓〓と牡丹によわき枴かな袖風のゆらりと越る牡丹かな一日は牡丹につぶす家越かな芍藥芍藥やけふは野守の小酒盛芍藥を見せぬが庭の趣向哉葉櫻葉ざくらに古跡めきたる飼屋哉應〓尼を悼む葉がくれて春も殘さず姥櫻橘香の戾る花橘の間風かな夢造がはな橘の匂ひかな杜若一八花の似たあやめにも似ず杜若剪て來て明る日咲ぬ杜若一八の手入も漏の次手哉卯花紙燭して垣の卯の花暗うすな小雨村卯の花を折手の甲や雲煙る若葉靑葉矢一筋もたで分入若葉哉朝風を疊にこぼす若葉かな丹誠で若葉になりし植木かな火ともさぬ若葉とてなし伊都岐島加茂川となる雫する若葉哉蚰蜒の早住ふるす若葉かな竜田にて(焼われ見たり靑葉にも染む瀧田川夏木立下闇茂行燈を馳走につるや夏木立下闇へまな板提て這入けり下やみを蕗にも持や一盛り好もしき下やみもあり旅の空系大書俳本日なな網見せて友達まねく茂り哉若楓細川家の別邸なりし戶越の一構にいざなはれて行ぬ。およびをかゞむれば四十有余年の再遊にぞ有ける。其まゝで松にあやかれ若楓麥秋跡もどりして宿かるや麥の秋麥秋のうつりの黃ばむ野松がな旅空やけふも出ぬけぬ麥の秋米囊化迷惑なとゞけもの也芥子の花種えらみした甲斐もなしけしの花(通信)芥子の花けふ二篇めの盛りかな用心に伐添た芥子散にけり貰ふたが不了管なりけしの花散た芥子跡のゆるりと見ゆる也玉卷芭蕉葵玉をまくうちもあぶなきばせを哉加茂川や結んで見れば葵草櫻欄花機欄の花葉にさわがれて哀なり百合百合一寸のせし埃りや笠のうち信陽澁峠切たのを置日かげなしゆりの花夏草空豆花夏草を花さくものとしらざりし蝶に雨うき空豆も花ざかり杜鵑待ものとおもひ定めつほとゝぎす時鳥なかぬきのふは待ざりし山路來て其日も過てほとゝぎす木に鳴て啼ずに飛ぬ子規聲捨よ〓〓ひろはん不如歸なくなかぬにはかぎらじな蜀魂錦帶橋一橋に一夜づゝなけほとゝぎす五五500鳳朗發句
鰹見てはつきりとする寐覺哉螢瀨田こえて旅へおもむく螢哉山川や見えぬ螢の影うつる蝸牛蚤売になる無常もありて蝸牛迯る蚤高い椽から飛にけり飛蚤の事ともせぬや向ふ風蚊蚊遣父をうしなひまゐらせて御影像の蚊を追拂ふ泪かな早船に漕すてられて鳴蚊哉此庭やよその蚊遣の通り道松山に焚込である蚊遣哉酒肴より急にいふ蚊やり哉五月端午深山木の底に水澄五月かな孫六が太刀の銘きる端午哉侍になつた子の來る端午哉國家事二羽となく日もなけれども閑古鳥人ひとり見付てなくやかんこ鳥羽音して鳴ず止けり布穀住うともまだ定めぬにかんこ鳥かはる日を聞人ひとりに閑古鳥老鶯行〓子黄鳥の連になりけり老の坂世話しいはしれた月日を行ゝ子鵜かくれ火の山に明るき鵜船哉草先を鵜の影ぼうの登りけり鵜の筩朝あらしとぞなりにける鰹魚明ぼのは夏の花なり初鰹手奇麗な提やうをする松魚哉もてはやし過て朝經しはつ鰹引さげて疊欠ぬく松魚かなあやめ草切よとひけば延にけり腰老て二重に廻るあやめかな鶴翁が新宅を賀す軒ふかく根はかたまりぬあやめ草田植親子して二日植たる山田かな呂叟が松島行脚を送る旅は日さへわするゝものぞ田植唄早乙女早乙女となれば若やぐすがた哉早乙女や家每に出て只二人早乙女の來て給仕する泊哉二三ばい早乙女渡す船かな竹植植た日のむかはり竹に來たりけり植繼て去年の竹の掃除かなしるしして留主也竹の植どころ竹植ぬ山の影さすあしらひに合歡樗幟粽押立て見れば程よきのぼり哉震ふ音のみで木深き幟かなゆで上た色を粽のさかり哉穗か花か出さうに見ゆる粽かなほどきやみ〓〓とくちまきかな売の中ひとつ實のある粽かな競馬鞍馬をも駈こしさうな競馬哉五月雨湖へ不二を戾すか五月雨一隅も晝の空なし五月雨五月雨せんかた盡て馴にけり桃灯の底ぬかしけり五月雨五月闇席が雨簾かけてかくしてあるや五月やみ席が雨田のよろこびと成にけり菖蒲月遠し折角さした軒あやめ鳳朗發句350野九九
鹿子はや峯に立事覺えけり水雞朝しばし日和の水雞鳴にけり風ほどは水雞もとはぬ柴戶哉庭つくや水雞の小田も繩の內聞かたに夜晝のあるくひな哉浮巢調享不親鳥のかちわたりする浮巢哉かるの子や水見覺て浮に行蟬板の間にへた〓〓寐るや蟬の聲六月六月や事もなげなる.日枝の山北國紀行六月や音には波も有磯海氷室明りさすさへ氣遣ひな氷室哉暑暮すてゝ其日〓〓の暑かな降ぬにもおとつた雨やねぶの花合歡の陰帶仕直しにかゝりけり日の前の雲すわりけり花樗靑梅難波津や靑梅見てもなつかしき苔花西行の茶椀につきぬ苔の花日を經るやたゞ苔の香の苔の花釀正山杉の香や一かたならぬ苔の花萍藻花浮草のうかしておくやおのが花引よせたのは花もなき浮藻哉撫子紅花撫子に日すがら遠し浦の山いたづらに抓みて見るや紅の花十藥十藥や夏のものとて花白し鹿子系大書俳本日深山木も人と見なさば閑なるべからず.陋巷も仙蹟とおもはば安かるべし。偶、水篶家を訪て塵の奥の靑空あをし薰る風夕立雲峯夕立の二三日めぐる禁かな雲のみね淡路の右とひだり哉波みれば出たあともなし雲のみね〓水たまる過待ちからなきしみづ哉泡にして百粒流す〓水哉旅費用暑がるも祇園まつりの愛相哉鉾濟や流るゝやうな人通り土用岡本氏水樓あら海や磯の芥を土用掃心太賣きれて梺にもなし心太受九七飯時を子にすねらるゝ暑哉暑き日や葉虫みだるゝ軒の竹凉涼しさやすゞめとせがむぬしもなくすゞしさや苔へわたるも石傳ひ涼風に氣のつかぬ迠すゞみ鳬暮過や人の納涼を見て通る來ぬ人のかはりに凉むゆふべ哉加州府すゞみけり家鴨を陸へ追上て丸龜旅亭凉まずに居てさへすゞし千〓の波土くさくなるまですゞむ莚かな月凉し袖に吹込鳰の聲四条川原またがねば祇園へこせずすゞみ臺風薰薄月やすれあふ人に風薫る鳳朗發句集
灯に通ふのみの風ある御祓哉茅輪通れともいはでくゞらす茅輪かな茅の輪から見ゆるも常の糺かな我限でくゞり仕舞の茅の輪哉出迎ふや茅の輪の先の秋の山朗詠龍風矦の庭園にて打水のきかぬほど也夏坐敷田家にやどりて灯もとらぬ蝶迠舞や小くらがり苅てまで麻につれ添蓬かな灯取虫灯とりむし腹あらはして居たり鳬筑波根もこえよと投つ火とり虫くらがりを鳴いて通りぬ灯取むし靑田五畿內で名の通りたる靑田哉小松川にて風と成てみな江戶へ入靑田哉蓮蓮の後曙の夏なかりけり風雅の間に一物あり、名付て神といふ。森羅萬象の宗なり。使用にやどりて正風と現ず。花もさかず荅も咲ず蓮の花晝皃ひる兒にしめりの行ばしぼみ鳬ひる兒を跨だ裾の雫かな晝兒の朝さく秋のきざし哉御秡鳳朗發句集下今朝秋にうつりしときく暑かな稻妻秋聲稻妻に追るゝ瀨戶の夜舟かな稻妻や草に珠數くる僧の皃甲州谷村の西に白瀧といへる有蕉翁此地に遊びていきほひあり。氷柱消ては瀧津魚其眞蹟、某が家に祕藏す。予も是に傚ていきほひの稻妻けすや瀧のおと稻づまの所定めぬ夜は寒しすれあふや草にはじまる秋の聲七夕天川棚ばたや近頃にない夜の雨羈旅棚ばたや馬かすほどはへだゝらず夜中にも見つくろひけり星の空星合をきのふがましや男山事なげに雲のわたるや天の川五九九秋の部立秋そも〓〓は秋も闇から立そめぬ秋立やまとまりかねて少しづゝ萬代の秋は立けり日の御門心のりばかりの秋の立にけり蚤取てゐれば秋たつ衣かな初秋今年夏はつる日は丁度水無月晦日に當れり。明るあしたとく起出て初秋や朔日をさへ見しりなき宵朝と來て初秋と成にけりはつ秋やたゞ近付の空と雲初秋にふかれて泡の流れけり殘暑鳳期發句集50 4
くらがりへ休みに這入をどり哉水の音踊たあとへ戾りけり踊子や兒月になり闇になり扇·團扇置餞別扇より二日もはやき別れかな捨際もたゞでなくなる團扇哉露白露の果はこぼるゝばかりなり光明のさす露もあり露の中明石の一香子泉下に去給ふと告來しける。封めも切あへずあわたゞし百里をしぼる袖の露秋日秋夜さかしまに空ひく秋の日ざし哉秋の夜のこゝろをほどく焚火哉秋風月と日の向合に出て秋のかぜ雨をかなしむ織女にかはりて月の出る山さへ見えず銀河魂棚魂祭魂棚とのみ見て過す月日かな有とある常をあつめて玉祭り魂の坐に露は直らせ給ひけり燈籠草市簑笠の向合につる燈籠かなめぐらせばよそほひのつく切籠哉まぼろしを賣ちらかすや草の市施餓鬼七月十六日吉原の驛より伊豆の國にさかふ浦〓の限り、浪打際に數千の箭を焚て、海上に命をあやまり.底の藻屑と成しハミの跡を弔ふとて、濱施餓鬼といふ事をするおって施餓鬼火や不二を屏風に駿河濱踊系大書俳本日常に吹ものとはなりぬ秋の風若き時も吹はふきたれ秋の風しばらくは日にかくれけり秋のかぜ秋風の長き寐覺に餘りけり秋の風火でも水でもなかりけり源の直義、波にてる日はつれなくもとよめりけるを思ひ出て蚊柱に秋風きくや須磨泊秋水窻の灯の際から深し秋の水槇の原より大井川を望みて谷形りに空のたゝえて秋の水冷身はぬれ紙のとり處なき冷つくや袷の下の旅の垢桐一葉書ものもなくて捨けり桐一葉たゝまつて雨水やらぬ一葉かな散柳秋中に果さうもなしちる柳木槿官をやめる心ざしなりて、波士の木槿と聞えし吾翁のいましめにならふ。かくれ家や馬もしらざる花木槿つゝがなく木と成とげしむくげ哉跡を捨〓〓さく木槿かな稻獨骨質苗取て夜には幾夜ぞ稻の露朝皃蕣の朝でない日も出ざりけり朝がほやいく朝見ても咲ばかりあさ兒の葉のうるはしや花の側朝がほの氣遣ふほどに傾ぎ鳧活やうの祕事とて人の傳へけるころ鳳期發句集垢方〇〇
又君が代のかたじけなきひとつならんかし。ゆりすてゝやすきにかへる芒哉おのが葉のさゝえてかたくすゝき哉萩日の影の萩よりしめるゆふべかなもと〓〓へ寐せて起すや椽の萩探題に高臺寺といふを得て過去帳に定まつてあり萩苅日ひとゝせ余りの旅がへりに、留主もる呂叟がまめやかに草一葉あれまさゞりければ、心よく長途のつかれをやすむ。寐處に蛛もたからず露の萩荻雀麥七月晦日、松橋の浦邊に夜遊すしらぬ火やひとつ消ても荻の聲かるかやゝ尋過ては見つからず桔梗蕣の水揚て咲てしぼみけり朝がほやおのが蔓では咲たらず藤袴當させにつかみて出るや藤ばかま古記すこしでも長う折たし女良花おろ〓〓と立や嵐のをみなへし花と花の間ひも黃なり女郞花澤山な心地はせぬや女良花月に立ぬ暮ると見えし娘へし芒うちふれば葉癖のもどる芒かな夜はもとの通りに揃ふすゝき哉瘦たれば名のつり合ぬ花薄二見の浦にて折しけば扇に似たりすゝきの穗都の旅〓にいみじきなゐふりにあふ。人屋破れ橋落などしけれど、我も人も身のわざはひなし。是や系大書俳本日提た手に桔梗の開くひゞき哉白いのにふいと見當る桔梗かな中明て見たき桔梗の荅かな草花ゆれるのか匂ふでもなし草の花草の花錦と見ればさわがしき草の花折にかゝればをるもなし芭蕉夜の葉の傘おどろかすばせを哉糸瓜發車日につれて縮まりもせぬ糸瓜哉實ひとつに色せまりけり秋なすび番椒唐がらしまづしき色はなかりけりけなげにも泪さそはす唐がらし蟋蟀折〓〓はまたれてもなけ葢傾けば晝の月にもきり〓〓す鳴うちはかへつて隙歟蟋蟀長鳴がすわりになりぬきり〓〓す松平四山子、竹をわりて一絃をすげ、さま〓〓の和歌などに曲節をものして彈ぜらる。其音〓にして簫瑟たる事妙にわたる。須磨琴の裏こゑ更せきり〓〓す秋蝶黄ならぬはまことしからず秋の蝶雨やどりした儘飛ず秋のてふかくれもし出て飛もして秋の蝶秋蟬蜩手のいたみに勞れてしばらく午睡するに、行脚一人來りて蕉翁の像を乞ふ。圖出來て高吟を書んとする時夢さめたり。時雨ゝと見しは夢にて秋の蟬蟬といふせみ蜩に成にけり秋蚊螽鳳朗發旬集方の三
殘る蚊や蚊にもまじらず一ツづゝぬれさうなもの降かゝるいなご哉鴫己が影さすともしらず草の鴫立鴫の引殘したる流れかな鶉鵙處ではなくともいはぬ鶉かな一聲の鵙に引たつゆふべ哉鹿鹿に指さす間に暮る尾上かな立鹿に虹の片足かゝりけり空さまに立のぼりけり鹿の聲鹿なくや今にと語る口の下立添や鹿にひとむら芒の穗聞にけり笛にも一度鹿の聲礒山を日のさす鹿の傳ひけり治れる御代のありがたさは鹿聞や傘さして下駄はいて麥中十鳴子今立たかゞしにもあるゆふべかなきら〓〓と音に日のさす鳴子哉引ぱつたばかりに騷ぐなる子哉八朔梅八朔はけふかきのふ歟梅の花初月初月や藪になれとは植ぬ竹待宵こゝろみの名月すめり前の宵今日の月ぎつしりと空にはまりぬ今日の月居こもればひとりのうれしけふの月有明もせぬ立派さや今日の月名月名月のぐるりの空やうや〓〓し名月に一足よれば木の間哉名月の枝うつりする山路かな名月やけぶりて仕舞夕明り名月といふ迠もなき今宵哉名月や月夜と迠は眼も及ぷ名月やむら雲ひとつ見殘さず名月や草には草のすみだ川魚眼射浪紅なりとは、此山のゆかりを賦せるよしなり。名月や玉ある阿蘇の後よりめい月は秋をもらさぬ夜なりけり名月雨名月や雨ふればこそわすられね雨の中名月一寸こぼれけり名月の雨さへたぐひなかりけり秋月はじめから夜每つゞきて秋の月おどろくや旅でもあはぬ秋の月一夜さの十五夜ならし秋の月仲秋無月耳底やみなぎり流す秋の雨晴をまつたのしみ出來ぬ月の雨月すみだ川を棹さしりけるに、夕汐に向ふてはか〓〓しからず。待宵をあすに氣のせく月見哉仲秋の〓光近頃に覺えなき今年なりけり見明さん人にもかくと語るほど新月蚊のうせて夜の奇麗な木の間哉月を待手は揃ひけり四ツの海歸庵小車や巡りをうせて月に逢川べりに灯を釣月の遊びかな狹うれしさにいらぬ水くむ月夜哉挾むしろへ取次月の手紙哉見るとなく見て居る月のかたぎ鳬隣りでも月が漏との寐聲かな一香子を悼む鳳朗發
人聲の處のしれぬ夜寒かな獨りほど夜寒きはなし五位の聲何ぞからこぼれたやうな夜寒哉野分熊谷の堤でたるむ野分かなあやにくに月の出て居る野分哉秋夕十重廿重笠のぐるりの秋の暮無事問ば無事とこたへて秋の夕」。秋のくれきのふの息もつきあへず蝉と兒見合せて秋のくれ秋の暮あまりの事で苦にもせず蝶にのみ日のさす秋のゆふべ哉砧新酒似た音の添てふけ行きぬたかなうつ音に陰日向ある砧かなはじめから跡振て見る新酒哉落水素よりや眞如の月の明石人十六花いざよふを待ひまもなし秋の月十六夜やくらしと造は見もとめずいざ宵や待て日暮てもどかしき十六夜の雨といふ題にてくらきにもいざ宵はあり傘の下星月夜季節をいれずして秋の句せよといふに星ばかり出ても闇夜はなかりけりものいはぬ神輿うつしや星月夜長夜さむしろにはれものいたむ夜長哉なま中に耳は聞えて夜の長き夜寒よき香さへあれば夜寒き衣かなかげろふの卷よみかゝる夜寒かな夜寒さや鳴してわたす納屋の鎻系大書俳本日門行を見ればはつかや落し水千川迠出た跡はあり落し水木犀長崎客舍木犀や麝香鼠の通ふ聲柿梨同所聖堂の侍に去來が住ける跡とてあり。落柿舍の事などおもひ合す。柿の木や嵯峨のむかしも忍ばるゝ人の來て語れば落す夜の柿庖丁の手のうち見せん梨の露蕎麥松茸上毛吾妻郡を經て更科を隣に白しそばの花梵論〓〓に逢たばかりや蕎麥の花松茸やほる嬉しさに疵付し鴈渡り鳥はつ鴈のよそへ〓〓とわたりけりいつになや起て居るうち渡る雁鴈なくや訪かへしても和歌の浦雁の來てしまふた空の靑さ哉今來たも見わかずなりぬ鴈に雁ついそこで鳴やきのふの天津鴈そく〓〓と影の通るや渡り鳥菊朔日はまちもせねども菊の花菊見よと驚かされし九日かな菊の香のしづめ課せし埃り哉菊提た手の小半日匂ひけり年久し同じ株から菊の花岡崎や大根の中のきくの花脊の高き菊作りけり松の露紅毛人旅舘硝子の障子も寒しきくの花丈と葉にのみ菊肥て果にけり后月木鼠の通ふ聲鳳朗發句
橋の名になつて折れぬ紅葉哉やごとなき御館の人〓船場まで旅送りしけるを、うしろになしたる心のわりなくて見かへるにあまる名殘の紅葉哉祖翁の尊號をかしこみ奉りて神の戶の開き時なり野は錦末枯うら枯や布施の魚買小商人末枯や京をわすれし東山行秋行秋のけふに成ても秋のくれ」650行秋やひとり轆轤の幾廻り秋名殘風爐名殘病中うき秋の暮さへけふの名殘かな春窪侯草堂を訪せ給ひける時沸音の時雨を風爐の名殘哉九月盡後の月心細さに見明しぬ靑空の押えて居るや後の月等閑におもふな月の後の月池いまだ古くもならず后の月木母寺茶店此木の間誰もしらぬや後の月何世間文政午年九月神風の伊勢に旅寐して御迁宮只〓靑き深空かな太〓や蒼人草をからにしき紅葉道かへて我からぬるゝ紅葉かな友よぶに聲うけのよき紅葉哉築守に戾りをちぎるもみぢ哉ことはれば鐘もつかする紅葉哉牛馬の鼻でおしやるもみぢ哉戶隱山下系大書俳本日さりげなや大根畑の九月盡朗詠咲花を秋の凋めて廻りけりむかしより名もなく、いとちひさき虫の、葎の底にあまた鳴あり。其聲の一ッ處にちりて空に響き、さものどやかに聞ゆればにや、近頃世にもてはやして草雲雀と呼はじめけるぞをかしき。野を花に秋とはいはじ草の春山付に見處多し八九月綿弓や板でもさける秋の聲天目山懷古水音やゆゝしき秋の草の果雁鴨の來ぬ先からの寐覺哉賀鴈鴨の影くみかはす祝ひ哉冬の部初冬はつ冬の山〓〓同じ高さかな神無月多いものは日暮ばかりぞ神無月赤〓〓と磯山兀て神無月小春膝のぼりするや小春のきり〓〓す狼の子を祝はるゝ小はるかな冬日冬海冬の日もまた白菊の明りかな蒼うても枯ぬけてあり冬の海亥日御玄猪や鼠の巢にも明りさす疱瘡神のねだり事いふ亥の子哉時雨鳳朗發旬集好る。此
うたがふなむかし時雨し月の松臨時間いたゞいて硯ならぶるしぐれかな深川の豆煎噺時雨けり花本大明神賛なべて世は留主なき神の時雨哉木枯凩や大和の地にもとゞまらず木枯の水海くゞる響きかな根つよく木がらし不二に當りけり冬月山伏に並ぶ脊はなし冬の月大灘に眞中のあり冬の月冬の月空なき空にやどりけり我眉の目にかゝる也冬の月寒手にふるゝものよりうつる寒さ哉寒いのも寒さこらゆるちからかな定めなきものなればこそ初時雨われをよけ〓〓してはつ時雨日の早う暮たばかりぞはつ時雨寐心に存分降りぬはつ時雨なつかしき文見つけたり初しぐれ時雨會今日にあふのみか旅して初時雨小夜の中山にて蓑ほしと石も今日泣けはつ時雨時雨降らぬ日の猶定まらぬ時雨哉分けあふたやうな時雨や少しづゝ起出る間に音絕えし時雨哉しぐれ川水の覺えに曲りけり時雨するほどは間もあるゆふべ哉延た夜にしては甲斐なき時雨哉しづ〓〓と來たのにぬるゝしぐれ哉東盛寺を桃靑寺と書る古圖に題す系大書俳本日寒さうで脊もあてられぬはしら哉水引やとけぬ寒さを箔のちるいはぬ日もなくて親しき寒哉あまりにて日も出兼る寒かなしのがれぬ寒さや後も先も闇口あてゝ吹てもさめず手の寒さ枯野鳴に出て居るや枯野のむら雀物しばし匂ふて止みぬ枯野原春抔が立さうもなき枯野哉ゆふ日さす枯野の高み低み哉見たほどは踵もさゝず枯野原冬籠冬構眼ごゝろの不盡を小笹に冬籠一ばいに日のさす屋根を冬ごもり多くの人を深山木にといひけん、解時に山の笑はん冬がまへうぐひすの好にまかせむ冬がまへ火桶火鉢常人と住にはまさる火桶かな籍いれて浮世のとれし火鉢哉埋火うづみ火に庵預けて寐たりけり埋火の灯をつゝむくもりかな炭ともをれやうたれし炭とうちし炭炭こへば火をほりにくる宿屋かな榾燒をれて二本になりし榾木哉ひる焚ばうは烟りする榾木かな蒲團爪先で裾卷こむやうすぶとんぬくもれば懷もあるふとんかな出す音のどさりと響く蒲團哉〃鳳朗發冬ごもりわれをあるじにしたりけり
傘さしてやるや鰒さく夕霙さら〓〓と〓よや霙の小豆粥雪初雪と見る間につのるあらし哉はつ雪の降て居にけり明る朝初雪やあぶればしめる小風呂敷豐見城王子來貢の折ふし、雪のしきりに降ければ初雪や不二でもてなすうるま客積にけり消る力のなき粉雪あぶなしや海へかたむく雪の山二日路といふや舳先の雪の山ほち〓〓と雪うつ雪の雫かな雪のうへ乘て見たれば乘られけり雪の中の雪見付たりひとつ松跡へ二里先へ三里や雪の暮なさけなく門さす雪の詠め哉ひとつづゝ窻があるなり雪の家〓枚方の朝日をはたくふとんかな納豆扣のも馳走に聞す納豆かな嵯峨ふけて納豆うつや一所皸戰とまで身を旅に捨にけり十夜胡椒飯炭つかみ行や十夜の人の奧親船に內客のあり御取越夷構えび須の讃一條、海原を臺所にしてえびす構霜釼うつ槌のひゞきや軒の霜瓢の音霜夜は妙を出しけり花ほどはあはれのしまず霜の鐘霜の聲廿九日をはじめかな霙起さねば飯のはてぬや雪の客雪の人行暮ふりに見ゆるなり淺草の眼當や雪の本願寺大雪のつみ殘しけり腹のうちない事のやうに來ていふ深雪哉あかるさに蠅の出て行深雪哉朗詠もめあふて雪も時雨も來ぬ日哉病中よそ事にへがたく見ゆれ雪霰氷見て雪をぬくしと思ひけり氷駄荷もけさ起た沙汰ある氷かな橇橇や女子がはけばはしたなき散紅葉よく見ればちる影もちる紅葉哉ちるちからついて日のたつもみぢ哉黄ばまずに散口のたつ紅葉哉落葉一日南あてゝ屋根はく落葉かな神事も過て夜の澄落葉哉東幻住庵名のないはひとひらもなき落葉哉鳩などのぬけ羽もいぶる落葉哉夜すがらや落葉の音にそふこゝろ閑居みの虫の無事を問るゝ落葉哉老とのみ見らるゝもの歟落葉搔木葉ふる木の葉東しらみになりにけり桑門契月、新庵ひらきけるに、くだものにそへて送る。たち花や木の葉の色にまじはらず復花かへり花今年はじめて咲木かな鳳朗發
かる〓〓とした日和なり枯尾花散はせで舞て仕舞ぬ枯尾花貨店區夢を穗に殘して枯し尾花哉鎌倉よりかへる道のほど川べりはまだ相摸なり枯尾花枯菊枯萩枯荻白菊やおめずおくせず枯かゝる野の冬の序に枯つ庭の萩聲はまづありのまゝにて荻枯る水仙水仙の寒きかぎりを咲にけり根あぶりに水仙下る御次かな水仙や撰退た葉も無疵もの水仙や花好な子の手もつけず大根引たび人の國ほめ行や大根引千鳥たのまれぬ葉に〓びけり歸り花視翁の遠忌に當りて神號を給りける有がたさを、伊賀の連衆に告まほしう立寄ける時、塚の御前にすゝみて隱るれば葉まで明るしかへり花枯柳入らぬ枝は一筋もなしかれ柳傾城に枯て見せたる柳かな枯たれば暗くもしたし門柳冬梅冬椿恙なや梅見ぬ里の冬の梅冬の梅義理にせまつて折にけり贈ニ本本生しる人に先一枝や冬のうめ日の本や梅薰らずば冬しらじ冬椿みな白かれとおもひけり枯尾花系大書俳本日啼やむに夜一夜かゝる千鳥かな羣て居て慾に友よぶ千鳥哉聞てさへ居れば夜明る千鳥哉先一つ來て種となる千鳥哉千鳥聞く家も三ツ四ツ五ツかなちらほらと晝來たきりや川千鳥水鳥水鳥の闇の出口や八軒家水鳥や兵追し兒もせず鴨鴨のなく聲よりうへの月夜哉言付た迎ひの來ぬや鴨の聲暗がりや鴨鳴方の北らしき見たよりは松山淺し鴨の聲小一時門たゝけども鴨の聲鳴ぬ鴨ばかり晝つく門田哉病床、夜に倦折〓〓や唯近付の鴨の聲鴛鴦をしの羽音しのびやかにもなかりけり妻をしの影さす鴛の橫身かな鷦鷯尾の聲歟頭の聲歟みそさゞいみそさゞいこけたやうにて居ずなりぬ物おそれしてしほらしやみそさゞい木兎木兎聞て迯て來た木兎鳴にけり木兎や明るい方が聲の裏河豚生海鼠河豚さげた供も連たし旅の空ひつぱれど一分も延ぬ生海鼠哉抵抗杜父魚のやすげな腹や空ながめ綱代かみ下と一年置の網代かな祝賀町鳳朗聲
咄すには手品もいるや夜興引冬至行水のゆくにまかせて冬至かな待て居て忘れてゐるや冬至の日神樂初八代くらがりを面の見て居る神樂哉をし鳥のふすまもかさず小夜神樂御火焚や鎌倉山は星月夜顏五郞顏見せやまぎれぬものは天の川鉢抑はちたゝき眞似て見たればさわがしき東都へ修行に鉢叩の來りければ鉢たゝき池を廻らば案內せん鷹鳥叫區〓〓や鷹の日和を鶴の聲鷹あれて雪の袂と成にけり鳥叫びや海へ吹込む星明り暖鳥わりなしやことし巢立の煖島並〓〓に朝餌拾ひぬぬくめ鳥寒入寒月家並に精進するや寒の入寒月や庖丁ひろふ納屋の門寒月の燃付もせぬすゝき哉寒梅寒梅やをればほつきと手にひゞく老病快然寒梅や雪刎ちらす枝ちから乾〓乾鮭の塩引わらふ眼口かな師走下駄の齒を蹴欠て戾る師走かな雨二日師走の宵寐まうけたり節季候節季候のにくまれいはで殊勝也大千世界中の三大都會にて日本系大書俳本日の武府第二に位すとかや、實にもさる事ならん。前季候や隅田渉しても二三杯煤掃餅搗煤掃て休て常の掃除かな形のよき餅ひとつなき莚哉大黑の槌ふり上たるに讃すやよ拾へみかん橙年の餅來ぬ筈か仕似せになりぬ餅の札豆打挿柊豆うちや初手一聲は咳ばらひくらがりを相手や豆をうつちから手ざはりや蒲團の下の鬼の豆さし柊無理に枯葉と成にけり年忘壁ごしの鼾とふたり年忘れ顏子にならふにあらねど年を先あとは急がぬ忘れ事如息矦にて當坐實に梅はとく年を忘れて見ゆるなり年市年取ふと買て無用な笊や年の市庵中ほちりとも鳴らず年取炭火哉門松營松賣がまけに筋りぬ庵の門年暮年の暮二度たつ用もなくて濟手のひらをふせて休めて年の暮老後の月日一瞬にたらず一跨年の暮からとしのくれ朗詠椎橿やえり殘されて枯もせず梅迠は待課せけり年のうち雜頂の白ければこそ不盡の山大空のとりまはしけり不盡の山松島やこゝろさぐれば夢ならず8鳳朗發
の新奇、ひし、鳳朗老師は近世俳場の畸人にして、の匂ひと、めむとにあらざる事尤しかなり。凡眼の見る處を異にし、精神は老莊の無爲に遊ばしむ。五七五にこぼれ出づるものならんか。たゞ心月の光りと德華俗耳の聞をよろこばし行跡は我浮屠にたぐかゝれば作〓自然棧はしだてのなくば見られん与佐の海や銅雲山も柱の片相も正訂蒼虬翁句集う柱護持院權僧正梧靑蘭洲島鷗書の惺卽事庵詠久梨雲舍在翁可布庵逸淵庵西馬片相き820合校編盛有丈草去來仝仝鳳朗發句自然堂獨吟千句七部集連句早見惺庵西馬先生著述校合俳書目錄後編集佳句を輯む右に漏たる小折全一冊册本上下江戶書林寐轉伊勢紀行草日本橋通十軒店合本一册文苑閣後合本一册佳句を輯む右に漏たる小册刻播磨屋勝五郞刻近刻再成刻成梓成
もれたるをくはへ、うたがはしくまたはおなじさまなるやがて木にのぼせてさきのとがをあがなふ事とはなりぬ。されどかの玉をみがゝむとしてかへつて瑕をおはせたるかも。後の人なほよくみがきて光をまし給希世の名玉もみがくことおろそかなれば、其うるはしき光を見がたし。いはむや瑕をおはせ泥をぬるにおいてをや。さきにあらはせし對塔庵句集は、老師蒼虬世にいま其うるはしきをはぶき、とはなりぬ。や。せしとき、人〓〓の乞求るのしきりなるに、ひとつ〓〓荅むことをいのるにそ。ふる事のわづらはしとてをしへ子等に託し、庵中の書記どもよりひろはせて木にのほしたるものなるを、老師迁化の後はいよゝかぐはしき名の遠近に聞へわたれば、四方のすき人この集をきそひもとめつゝ、これや今の世に弘化丙午仲冬平安靑慰舍梅通謹誌四傳祿蒼虬翁は成田氏にして加州の藩中高錄の士なり。天正式量、相兒雄偉にして若きより弓馬の道をきはめ、かたはら俳諧をたしみて闌更を師とす。故ありて仕を辭し、洛に入るの後師が終焉にあひて、遺旨にまかせ東山芭蕉堂を守り、南無庵にあるじす。のち退隱して八坂のさとに對塔庵をむすび、老を養ふ。そも〓〓俳祖芭蕉翁、此國に自天正式蕉門正風のよきのりニして、すゑの代かけしよきかゞみなりとたふとみあへり。さる中にも殊に此道にふかくこゝろざすともがらは、此集に書あやまりのさはにて手爾を葉のたがひたるを恨み、またはよき句のもれたるをを守り、蒼虬しみつゝ、おのれにせまりてたゞし改む事をほりす。のれ日頃老師にしたしくをしへをうけ、お塔庵をむすび、老を養ふ。そも〓〓俳祖芭蕉翁、此國に自然にそなはれる風雅の道の中頃よりせまくなりたるを歎き、萬葉集の趣をうつし、俳諧に正風のまなこを入れ、俗談平話を旨として風雅を弘く都鄙におよぼし給ひし處、迂化の後門下の高弟或はみだりに變風を好み、あるひはさきにこの事に翁句集もあづかりながら、かゝるあやまりを後の世に殘さむ事、常に心おだしからねば、ことし冬籠の机によりて同じ心の友どちをかたらひ、そのあやまりをかうがへたゞし、の友どちをかたらひ、オニー
俗談に過て野卑となるなどさま〓〓にくだりしが、さすがに十哲の人〓〓は正風の微旨を失はずといへども、其門葉支流に至ては、たゞ一癖を傳るのみにして次第におとろへ、のち百年は此道絕たるが如し。さるを安永·天明の頃、洛および尾張·加賀に名哲競ひ起りて專ら蕉門正風をとなへ、諸風士を導くといへども世の人たゞ俗談平話を輕しめて、累年の弊風をあらたむることかたし。ゆへにかの祖翁が開發の始に倣ひて、春の日·冬の日などの高調より導かんとせしかば、おの〓〓一世に本意を達することあたはず。ひとり虬翁長壽をたもち、しかも名吟海內に響きて、發句の姿は靑柳の小雨にたれたるが如く、附句は薄月夜に梅の薰れるが如くなどしめされし祖翁の骨鹽隨を得て、終に天保の始より虛を設け、詞を餝るの弊風を改め、目前平話の正風をあらはし、諸師の本懷を達し申されける。されど天年限りあれば天保十三壬寅とし彌生中の三日、八十三歲にて滅を對塔庵裡にしめす。なきがらは二条の東妙傳梵刹のうしろに隱して、かたばかりなるしるしの石は苔むすとも名は千載に朽ずして、實に薫門中興の祖師と仰ぎ稱すべく、また有がたき翁なるかな。蒼虬翁發句集(上)系大書俳本日春之部柴の戶を左右へ明て花の春しら雪のすゑより見えてよもの春元朝やよつにたゝみし帋衾元日や峰をさだむるひがし山古稀の齡をかさねてひとつづゝものなつかしやけさの春高田の旅寐にとしくれければ、五智の人〓〓に迎へられて坂本小林何がしがかたにやどる。このあたりは旧府にして、いにしへのさまもしのばるゝに、今は北陸のちまたとなりて古〓人の往來も多く、ことさら此亭は國の守も休らはせ給ふとかや。かゝる所に春をむかふる事のひとかたならずおぼえはべりて、けさはひとしほ大路のさまもなつかしければ旅人に盃さゝむ花のはることしは隅田川の流に手洗ひ口そゝぎて、よろづ心のまゝなる春を迎へて箱根ある事もわすれて花の春一聲の姿も見たし初がらす備中の玉島にて太箸の嬉しさしるや草枕太箸をふとしと思ふひと日哉持て出て夫に並ぶ雜煮かな蓬萊にしばらく向ふ夜明かな蓬萊の橙あかき小家かなこの雪にまづつゝがなし福壽草ひと雫するや朝日のふく壽中しほらしき根の薄氷や福壽草己がなまりのぬけたるにはあらねど古さとは同じ聲なる御慶哉雪花も正月らしや膳のうへ万才のうしろ見かけぬ智恩院萬歲のまづ作法ある扇かな万才や堤を通る高足駄万才のことしも譽る柱かな柴さして置けり雪の下若菜手にとれば松風わたるわかなかな犬ひとつ先に立けり若なつみ甚五郞も出て來てはやす薺哉雪花や薺子の日のはる永き西東飛ぶ鳥多き子の日かなちさきほど松はめでたき子の日哉見世先をかるや松引身ごしらへちよつとした煙をたてゝ小松引若中や日に〓〓人のむつましきわか草の志賀も過しぬ舟の者黃島のよき聞場なり池の面六九一る蒼虬翁集句
山水の走りとまりやうめの花島のうめおよそ一里といふ處人の見るが表なりけり野路の梅すくなきは庵の常なり梅の花山里や梅の咲日もあればこそ大日枝や小日枝の下の梅の花折かけて人呼で居る野梅かな家に添ふた跡もあるなり岨の梅大空に近いけしきやうめの花山間や白梅すこし家すこししらうめやまだ風あらき岩の注連春の夜のみじかくなるも梅の花梅が香やよその夕暮先見ゆる近よればまばらに成ぬさとの梅梅林夜を啼わたる鴉かなうめひと木夕山近く見ゆるなり梅の花ものにかくれぬけしき哉山間やきつと暮もつうめの花鶯やおどろを潜る身のほそみうぐひすの骨折きくや桑ばたけ黃鳥の引て出たり田每の日日馴るや鶯垣のうらおもて鶯の麁相や笹葉踏はづしうぐひすや去年の初音も此あたり黄鳥の踏で行けり小かはらけうぐひすやさゝ啼交る崕づたひ鶯の川浪かぶるところかな黃鳥の心も見ゆるはつ音哉うぐひすの手がら顏なり聲の隙鶯や隣まで來て隙の入るうぐひすの夕啼聞や朱雀口ひと吹雪黄鳥こゆる堤かなちか〓〓と鶯きくや船の窻(現)金昆羅にて鶯や裸まいりの行木の間眞中に窓ある家や梅の花うめさくや木かげの柴もへる時分みちて來る潮やみつよつ梅の花西院の梅正月ごとに遠く見る藪川やうら戶〓〓の梅のはなつぼみからすき間も見えず崕の梅あるはづの朝月見えずうめの花世の中の願はしらず月とうめすき間なく冴かへりけり月と梅雪とけたばかりの庭や月と梅酒賣らぬ恨は捨て月と梅空のないけしき成けり月と梅人のいとま薺も過て月とうめ立退て見てもはなれず月と梅十五日たつや左右の梅やなぎいとまあるものや柳にもどる舟近道はまた雫する柳かな子細なく平地にふとる柳かな降雨にこりず見に行柳かな靑柳のある顏もせぬ小家哉きぬかけたやうに成けり江の柳ついさした枝と言ふなり門柳干網の間〓〓のやなぎかな柿寺と日ごろおもへど柳かな藏米を運ぶちまたの柳哉遠まさり近まさりする柳かな何日とも人の定めぬやなぎ哉ふた輪三輪盥にたまる柳かな塵掃てまた活ておく柳かなあら壁にけさは影ある柳かな庭はきの肩にかけたる柳哉どし〓〓と米踏音や糸やなぎ雨一日おのが柳になじみけり撞く鐘の響おさへる柳かな街道にかまはぬ里の柳かな蔦の家の垣根にさし木せし柳の、やがて老の手のとゞかずなりて九二五蒼虬翁旬
紫陽花の宿はいづこぞ朧月引汐やその有明のおぼろ月朧月夜の更てある九條かな猫の戀馬蘭がくれに覗きけり松かざり二日立ぬに猫の戀淺茅生の隣も見えて猫の戀寺〓〓の鐘に都の余寒哉掘棒樫の堀捨てある餘寒哉材木の障らずにある余寒かなひよ鳥の地に啼春のさむさ哉木守の柚ひとつ殘る餘寒哉藪入や梅津桂の雪はれに藪入に言れて拜む持佛かなやぶ入の撫て通るや古榎付て居て掃すや脊戶の蕗の臺鐘の聲田一牧ヅゝかすみけり博朝がすみ掉の雫のひろがりぬ人の無事聞はしなれや朝霞やなぎのみよそにおとらぬみどり哉鵜のやどる下の椿も咲にけり春中の花の相手 や赤椿幹見れば二木なりけり落椿淡雪や葭簀かこひの小料理や黃鳥の詠めて啼や春の雪ぬれ柴の間〓〓やはるの雪いつ暮て水田のうへの春の月玉水も井手もわら家ぞ春の月行燈のいやしき夜あり春の月炭がまのけぶりのはたの春の月竹の葉に袖すれそめて春の月鍋洗ふ水をてらすやはるの月暮たれば朧になりぬはるの月關寺のほとりにて杖に手を重ねて見るや春の月山の井に蓋する音や朧月山水の何に古びておぼろ月小橋まで歩行て來たり朝がすみ沙汰なしに汐は滿たり春の雨春雨や鼠も古き法隆寺はるさめや物落付ぬ晝はたご春雨や山路入ほど鷄の聲隙あいたやうに思ふや春の雨はるさめや大和路ははや綿売火一泊りまづ白魚の馳走かな紅梅や住あれたれど崕造りしほらしき薄紅梅や花のしべ進蓮翹の葉は覺えぬぞ花の時連翹にさはつては行雀かな立よれば松の月夜や啼蛙まだ聲も古葉の下の蛙かな松の根にひとつ聲よき蛙かな次第して啼や四隅の田の蛙野ゝけしき年〓〓雉子の遠音哉雨のきじ流石に聲の遠くなるひる過や命投出す雉子の聲大瀧や小瀧のさまもきじの聲瀧つぼに入よと見えてきじの聲雉子雲雀啼や十步の杖のうちきじ啼や嶋の夕は近いものほろ〓〓と雨かゝりけりきじのこゑきじ啼や永い居酒も一しまひ朝雉子のはしり出たり二尊院如才なく雉子は居るなり小松原朝きじの步行て下る小坂かなとつかけて雉子啼ふもと〓〓哉夜は山へ歸ると見えてきじの聲行先の見えてあるのに磯のきじ苅あとのするどき篠やきじのこゑひとつづゝおのが田を持雲雀哉關の戶を出るや空に啼ひばり大橋の末より揚るひばりかな嬉しげに揚る羽ぶりや初雲雀蒼虬
花に來てしばらく遣ふ扇かな人音や花のあとなる石ひろひ庵の花遲くて雨をのがれけり病後に杖を曳てたのしさや花に莨のひとひねり朝の花見んととく起て木母寺に至れば、夜はしら〓〓と明わたりてたばこ火を余斗囉ふて花見哉よく寐るものはものゝ修行は覺束なしと、門人南溪が薙髮に申おくる。油斷して門たゝかれな花の朝あらし山の雨の景色はひし〓〓と心に花のひゞき哉若狹にてはつ花をふもとにおきて後瀨山岱李·若雅が參宮しけると聞ていせの花不斷櫻もわするゝなそれさうにしては居直る雲雀哉東風吹やふす〓〓けむる田中の溫泉春風や小藪の蔭も伊勢海道子を持ぬ蜑が家はなし春の風かちやしきの人〓〓に別れををしみてはる風のまことは寒きものなるか畑打の尻つき合す日暮かな只ひとつ鴈は行なり石部山浦の夜は秋ほど鴈の歸るなり春の夜のものにはしたり風の芦梅ほどの寒み持けり鮒なますはつ花や夜は力なき犬の聲脉取て見るや花の夜只ひとり小寒きはさすがに花の盛り哉朝日さへ心おかれて花のうへ翌は花の盛りぞと見て此夕花の雨おぼつかなくも暮にけりうつくしき手で錢をよむ花見哉な夜は花に木兎啼てひがし山嵐山にてじり〓〓と寄るや夕の花と水おなじく日は峰にかくれて花のさかり哉ほとゝぎすまねくか麥の村尾花と百とせの墨色いとうるはしきを拜し、吟風が齡のめでたきをかたりて花鳥のこゝにあつまる林かな月をさへたのむけしきやはつ櫻谷底に塩賣る聲や初ざくら櫻もちて人は歸るに旅のそら松山のこなたに午刻の櫻かな我さくら見て居る嵯峨の小家哉なか〓〓に夜深く見ゆる櫻かなすわるより早名殘あるさくら哉柴になるほどはのがれて山櫻道〓〓もさくら見て來て嵐山嵐山にて山水や櫻やしなふ夜の音よき雨のはれて戶口の桃の花もゝの花こゝろ安さに見て歩行梨の木のかげに幾代の雛かなあら壁に雛落つく燈かな男手もからでひゝなの馳走哉眼ざむるや枕の先の中の餅松の聲けふの汐干も暮ぬべし犬も出て汐干の川を渡りけり菜の花にくるり〓〓と入日哉なの花をめぐるや水の跡戾りなの花をあしらふふりや松の風堀捨てあとでひらふや野大根溝ひとつまたぎ歩行や雜菜摘ちよつぽりと堇影もつ西日哉山吹は靜なものよ水ぐるま山吹や竹を年貢のひと在所天元丸蒼虬
花に鳥退屈しらぬ齡かな屋敷衆の几巾よけて行堤かなをとつひは花のさかりなりと嵯峨人の言けるに、けふは早若葉となりて大井川の流れは其塵だに見えず。行春は筏の下にかくれけり家每に山吹ちるや桶の水山ぶきに一あし踏や人の脊戶茶を好る人の岡崎のあたりに住けるを尋て山ぶきを入口にして藪の家近江路にて春の水渡るところやかゞみ山今おりた鳥も見えけり春の水さゞ浪に折ふしなるやはるの水杜蓼が江戶にくだるを送りてひるからは水ますものぞ春の川春の海淺きとまでに思ひけり日永しとひとり思ふや鳩の聲鴨のなくもかまはずうそのこゑむら雨に袖打ぬらす茶摘かな年風が初老の賀に申贈る花はいつ笈負ふつれは出來にけり八十二歲自壽系大書俳本日夏之部山水の音もほどよき卯月哉聞しらぬ小村の鐘も卯月哉松風の世界となりし卯月哉去年の冬より東武に遊びて、むつましくいひかたらひし人〓に別れを告るとて杖とりて見ても卯月の朝曇りしたしげに鳩の啼日や更衣綿ぬきのつい手に掃や鼠の巢みじか夜と思はるゝ也貴船川鳥もけさ取つきかねるわか葉哉棒突て旅人出る若葉かな嶋先に一つくなりのわかば哉嵯峨の大悲閣にて一日の心を得たるわか葉かな春峰が別莊にて若楓人まつふりのそよぎかな鐘供養濟だ空なり わか楓我庭と思ふ日もあり若楓古井など人の覗きてわか楓若楓午時に間のある戰かな三日月のちよつとはさゆる新樹哉ものをしみする神垣の新樹哉世わたりのしれぬ小村の新樹哉花御堂八瀨のさと人並びけり灌佛や盥のはしに啼すゞめ霜よりも白きは芥子の一重哉墨繩の墨が付けりけしの花道ばたや一足づゝに芥子の散蟻の來て引ずるけしの一重哉けしの花下行水にそよぎけりなまぬるもかする音して芥子の花うれしがる手にくづれけりけしの花膳につくまではありけり芥子の花古溝を苦にする庵の牡丹哉藏の間二丁も過て牡丹かなほつちりと落ぬ牡丹の一雫廣澤や一輪見ゆるかきつばた杜若竹のはづれに見えそむるみじか夜の花は咲けり杜若材木をあつかふ中やかきつばた山かげや咲もほこらず杜若かきつばたなどもあらふぞ由良の海燕子花開くや松のひと雫たつた今活た處也かきつばた六五三旬集
踏付し蕗の匂ひやほとゝぎす百草のかほるや空に郭公蜀魂ゆかり有べき野のすがたその聲は霜夜に似たり時鳥妙喜庵にて救引て無言のうちのほとゝぎす靄を出てもやに入間の杜宇不用意に出て野深し時鳥ほとゝぎす聞や野にたつ身のしめり追かけて聞や大野のほとゝぎす時鳥折〓〓こすや高卒都婆人の行衞ちいさく成て閑子鳥夏ならぬ峰の夕日や閑子どり閑子鳥啼や檜原の吹返しかむこどり草山高き晝の月日のさせば居らず成けり閑子鳥此里も年寄多しかん子どり靑空やそれにも啼て閑子鳥卯の花や薺には見ぬ此小家卯の花とともにぬるゝや垣の幣なつかしき加茂の卯の花吳たらず卯のはなや物なつかしき古部うの花や折て見たれば折おとりほとゝぎす遠き在所の月夜かなぬくもりは臥猪のあとか郭公蓬生の夜の大きさやほとゝぎす時鳥夜も物喰ふ神の馬一嵐靜まるや江のほとゝぎす時鳥啼や夜汐のひた〓〓とほとゝぎす水鷄にゆづる夜は明て薄雲の夜の隅よりほとゝぎす杜鵑なくや楓の花が散る冷やりとして落來るや郭公時鳥啼夜の雨をおぼえけり薪つき水盡き空に時鳥筋違に飛くせの有り杜宇ひとりして此山を啼閑こどり草むらに家藏見えて啼水鷄朝露のこぼれじまひをなく水鷄草の戶の油をへらす水鷄かないさゝかな水に都のくゐなかな灯をともす家のうちよりなく水鷄花からの草臥出たり水鶏の夜草の戶の腰かけ客や啼くひな艸庵のさまを壁の穴ことしも水鷄聞ゆなり世をのがれて龜井戶に住ける誠阿夫婦に對してそら豆の花に眼のつく住居かな蚊柱や通つて見れば通らるゝ身ひとつをあふいで廻る蚊遣哉夕ぐれは蚊に浮世めく住居かな蚊遣火に井べて行や一德利燃あがる蚊遣に見ゆる馳走哉旅人の箸で扱ふかやりかな朝每や葎に近き庵の蚊帳竹の子や牡丹にも此露はなし若竹の葉につく月の光りかな靑梅や月のゆかりもなきけしき紫陽花や溜てはこぼす雨の音あぢさゐや澄切てある淵の上紫陽花や仰山過て折らずなる紫陽花と同じ色なり筑波山あぢさゐや舟も通はぬ元在所百合切て〓べておくや草の上馳走した其後は來ぬ鹿子かな色香なき夫婦の中もはつ鰹野の末や幟のうへの鳶からす松かざりせねど蓬は葺にけりけしきあるものや粽の朝使五月雨の覺悟もなしや芦火焚さみだれやわすれて居りし淡路島蒼虬翁
旅人の木かげ掃けり蟬の聲裸身や團扇をしほの遠步行大水のひくや川邊ははやうちは江戶ばなしするくらがりの團哉草庵に團扇あり。大なるを太良冠者とよび、小なるを次郞冠者と呼て常に机邊をはなたず。山ひとつあなたへ行ぞ團扇こせ麻かげをけふも流るゝ〓水かな里人のちらほら通るしみづ哉晝顏の花くふ磯の鴉かなひるがほに一息つくや米飛脚夕皃やすだれのうちも花ひとつゆふがほやたしかに白き花一ツゆふ顏の上に行合ふ煙かな凌霄や水なき川を渡る日になでしこにひとつ聞けりひるの鐘日盛や蜘に引るゝ蠅の聲さみだれやふしぎに烟る山の家五月雨や枕もひくき磯の宿早乙女に祝ふ詞もありぬべしはてしなう見るや田植の初あした木がくれて猶なつかしき田うゑ哉一里ほど先から見えて桐の花杭際の渦にまかるゝ螢かな二階から見るや浮巢のはるか過流れ來るあくたに開く浮巢哉山風や是迄と見る鵜のかゞり草の風やがて出て來る鵜舟哉落來るやむしも松葉も鵜の箱のびあがり〓〓見る靑田かな山本石露子が初孫を祝してゆたかなる靑田の中や宮參りはつ蟬や須广の鍋屋の戾りがけせみ啼や心に遠きひとしきり〓瀧や夢のやうなる蟬の聲六月や待事多き晝の空松の葉の散るさへ移る火串哉箸かたしのせて淋しや一夜酒腰かけて蟻にさゝるゝ蓮見かな剪をりに行合せけり蓮の花さむしろのはしに蓮見の小脇差しほからきもゝ喰たき蓮見哉夏の月むさと落たる野面かな己が戶に向ふて蜑の納涼かなゆく水の四条にかゝるすゞみ哉ひとり前掃てはすわる納凉哉韮くふて來てさむしろのすゞみ哉凉しさや來るあと殘る浪がしらすゞしさや手に松脂のつくタ涼しさや雀もしらぬ椎が本すゞしさや唐藺一本をれてある凉しさにくせの付たる門田哉すゞしさや根笹に牛もつながれて茶壳など湖水に捨て暮凉し大津梅林にて梅さへも凉し木の間に海を見て暑き日や啼たる蟾も居らずなるあつき日やふつと見かゝる屏風の〓根氣よき人をうらやむあつさ哉あつき日や柱踏ばる土ふまず眞中に膳すゑて有る暑かな蔦の葉やあつき中にも眼のとゞく樹に花の咲たぐひ也くもの峯走り穗のちら〓〓見えて雲の峰たま〓〓に居る人は寐て雲の峰身の上の夕立なれや池の鳩夕立のあとで暮るや斧のおとゆふ立の過るや森の夕神樂ゆふだちや願のわるき氷うり待わびし夕立そなへなかりけり(木)夕だちや未も通らぬ芥川蒼虬翁句
湖邊唐崎がなくば何所まで麥の秋先師の十七回忌を營とて、一八〇〇花のかげにふして一炷の香の煙にむせぶ。夏草の心に高きばかりなり同二十五回忌にあり〓〓と芥子のうへにも立日哉同三十三回忌にめざましき手向草なり百合つゝじ系大書俳本日蒼虬翁發句集(一)秋之部犬も尾をきりゝと卷てけさの秋吸がらの道にけむるや今朝の秋山の井の花は咲けりけさの秌人ひとり田中にたちてけさの秋はやまりて葎引しぞ今朝の〓何なりと市に買ばやけさのあきもの言ぬ柱によりて今朝の〓くらいから起て居たれば四方の秋江のひかり柱に來たりけさのあきわきひらも見ず加茂へ來てけさの秋今朝の秋まづかりに遣る宇治拾遺けさのあきつく手に戾る鐘の聲草庵うつかりと起て見たればけさの秋來る秋やしたしき隣もつ心一二寸〓水もふえてけさの秌立秋や凉しかれとて灯も置ず秋立や堪忍のなる庵の水あきのたつ日より芒は水のうへたつ秋やすいと眼に入る鐘の聲はつ秋や夜明て起て口をしき初あきやたばこ火殘る竈の下はつ妖やまだ市くらき摺火打初秋や洗ふて立る竹箒はつ秋の頃墨の江にて住吉の秋のせて出る小舟かな稻妻に翌の水汲伏家かないなづまや更行夜の身のたゆみ芦かげは早稻妻の小舟かないなづまや藥休みし宵の空朝がほや花のあたりは夜の露市中や初蕣のふたつみつあさがほや地にしみ殘る宵の水蕣をしるしにいふや瀨田の家あさがほに磯の匂ひはかくれけり朝がほに蔦は下葉と成にけり朝皃や是ほどの世を花の瑕桐一葉うらも表も靑かりしおき床の團扇に並ぶ一葉哉梶ひとはくれてやるより庭すゞし梶一葉提て出るや藏やしき七夕は隙で鐘つく野寺かな七夕や出て詠るわが垣根たなばたを思ふて居る歟渡し守殘暑を凌がむとふたりみたり伴ひ、加茂川堤をのぼるに、いなづまのかげすゞやかなれば七夕や秋にめでたき此けしき蒼虬
手をり人に露をかけゝり女良花井戶の名も野の名も知らず女郞花蜑が子の打檻すむで荻のこゑ門の荻よそ〓〓しくも聲す也荻のこゑ星はかよふに違ひなし飛込だ鴉も居らぬすゝきかな見ず知らぬ野とはいはれじ花芒花すゝき翌のあはれを吹殘す暮いそぎして暮殘る薄かな山中ゥで一はしそよぐ芒かな山伏の螺にしづまるすゝき哉水おとの峯にまであるすゝきかな雪兎窟にやどる日は秋の雨いと靜に降て、殊更見風老人のむかしを忍ぶに、となみ山の高きも有磯海の深きも、この亭のあるじこそしるらめと、翌の旅寐も猶たのみあるこゝちして藪寺の空まで星の逢夜かな加茂川の上に都のあまの川ふるさとの夜は早長し銀河薄くれは見殘すものぞ萩の花石垣のほめきをうけて萩の花來たときに見た斗なり萩の花咲とはや萩は日かげに成やすき枝ごしに肴をはさむ萩見かな花少し散より萩のさかりかなおき直す盥やはぎのひと盛り行人の影さす萩の垣根哉ものに飽日やちら〓〓と萩の花ゆら〓〓と夕日をうけて山の萩なか〓〓に萩におくれてちる木槿どれほどの雨にもまけぬ木槿かなひる中に剪て活たる桔梗かなかるかやゝ瀧より奥のひと在所夕ぐれや見捨てもどる女郞花佗人の便りをそよぐすゝきかな梅室が東に行をおくりて分行もやすし芒も穗に出て面影の似て面白や荻すゝきくれぬより蚊帳釣宿や荻薄心得て火を焚蔦のやどり哉いつく嶌にて三句とり分て盆はめでたしいつく嶌是でたる秋のけしきや大鳥井虫の音も神慮に似たり波の上見ごゝろの付けば露けし盆の月大文字やはじめにほつと一けむり燈籠や釣ばえのする竹の奥しら露の中に手を打踊かな月ひとつ野に捨てあるをどり哉土橋をこして夜深し高燈籠さし鯖や隣へやるも表むき刺鯖に添けり伯母のひねり文吉備よりのかへるさ播磨路にてまだ殘る暑を屓や日笠山おく露のちまたに響くきぬた哉小夜磁そこらあたりは山ばかり金澤へこゆる道にて鎌倉にとまらでくやし小夜磁人住ばかくは降まじ山の露早稻の香やむく起ながら遠歩行わせの香や水打てある床几先晴て行雨や隣の稻のうへ大寺の朝寐も見たり稻の露なく鳥の尾上はなれて秋の露をちこちの聲と成けり秋の蟬日ぐらしやみの山見ゆるやまの間虫いろ〓〓艸のみだれを聞夜哉隣なき夜とは成けりきり〓〓す行燈による隙出來てきり〓〓す腹撫て寐る宵〓〓やきり〓〓す六九九蒼虬翁
是のみの小野の小家か唐がらし草むらに染ても淋し唐がらし一日もおくけしきして秋の雲石山に心のちりやあきのくも膓なくや橫をりふせる夜の山夕陽に引もどされなあとの雁藪こゆる時よく見えて鴈の腹蓬生に入とまで見る月の雁水際の松葉こぼれて天津雁備中笠岡の太六が初老を祝して秋の賀にゆたかな日なり天津鴈聲見ゆるほどに暮けり小田の鴫くれの鳴朝がほほどの世も持ず世並よき秋につれてや渡り鳥伏見にて草も木もみな人顏よ花火の夜三日月や土なぶりせし手のかわき植木屋の木の間覗くや三日の月土間の灯のきかぬ四隅やきり〓〓すこほろぎの聲に月ひく軒端哉しら濱やはてはよわりし秋の風水と日のしたしくなりて秋の風竹われば竹の中より秋のかぜ塩濱に人の動きてあきのかぜ秋かぜを綿に吹かせて山の家親しらずを越る日は秋風とにはげしくて二句あきかぜや命をはしる波のひま命活てやすらふ岩も波の泡椀の香の薄らぐ空や秋の風ひか〓〓と干浮を吹や秋の風魚さげて霧の垣根をめぐりけり鷄頭やまづ朝市の口ひらき參宮しける時、松野とかいへる茶店にいこひて鷄頭や草鞋しめしてひと詠め椽先のぬれたやうなり三日の月一とせの色は見えけり秋の月松かぜは明る夜に似て秋の月しづかなるものを丸めて秌の月見ては行見ては行けりあきの月野に居れば野が捨られず秋の月傘かへす家はよく寐て秋の月藪山を終に出ぬけて秋の月ものかげは常よりくらしけふの月望の夜は例のどく眞葛が原に出て竹一葉ふたばさはるやけふの月月今宵明るけしきはなかりけり月こよひ風の吹べきかたもなし名月や摺火こぼるゝ松のかげ名月や一夜深山に住こゝろ明月の汐にぬるゝや人の裾名月やなつかしとのみ見る斗年〓〓の名月步行たらぬなり名月や梅の立枝も久しぶり名月の傍に更たり水ぐるま名月や行燈見ゆる谷の家名月や物なつかしき野のゆきゝ炭なんど運ぶやうすも月見哉さむしろのはしに鎻おく月見哉鳰ひとつ相手に池の月見かな出しほ見て心落つく月見哉落殘る土橋のうへの月見哉榮耀したあとで畑のつきみ哉松葉かく男も月のあるじかななか〓〓に首骨たるし月の雲押ぬぐひ〓〓行月のくも峰だけはさすがに見えて雨の月人に逢て歸る氣出たり山の月藁少しあるをたのみぞ須广の月思案してとざして入りぬ月の門堅田にて蒼虬翁旬集大國
草の戶の外は思はず秋の雨眼の前に暮るばかりぞ秋の雨あと低きすわり心やあきの雨菊の日や御嶽烏も出て啼里深し藪またふかしきくの花夕かげとなるや一しほ菊の花住吉の松は暮たにせどの菊きくの香やすべり込たるかくれ里山里のきくも盥も日なたかな垣ごしに貰ふや菊は皆赤き畑菊の外に垣根のきくの花兩隣同じ根分の菊のはなきく作り妻にしたしきふりもなしなまぬくき湯桶の上や菊の花高つきは古風でよいぞ菊の宿白ぎくにとゞく莨のけぶり哉かちやしきの若水がもとにやどる人〓〓に對して月代やはや人聲の野に響く八月十五夜眞葛が原に床几をすゑて月の露ちるや心に隙のなき十六宵の闇をのせたり浪花舟いざよひやきのふの道の裏通り十六宵にしばらく覗く木の間哉小海老煮る火は限りある夜寒哉牛にもの言ふて出て行夜寒哉芋莖さく音を夜寒のはじめ哉はつ茸やそつと並べる盆のうへひと德利別にちいさき新酒哉秋の野の幾ところにも夕日かな聲たてゝ引や西日の鳴子守鳴子守夜はちゝはゝも有ぬべし夕山を下に並べて鹿の聲江をへだつ心も付ずしかのこゑ日のさして一聲啼や谷の鹿系大書俳本日さま〓〓に咲けり菊の匂ひけり瑠理燈もひとつは淋しきくの花姫川や鴈さへつらをみだし行立山にかゝれば近し秋の雲伊勢路記行是ほどの磁は聞ず石部山鈴鹿あたりにちいさき燒栗を、串のみつまたなるにさして有ければくし栗も古事あらむ鈴鹿山椋本の驛はふるき神社なども有べきやうにおぼえ侍るに、只大なる椋の木のみありければ椋本や宮は見えねど鵙の居る老行まで宮川を渡らざる事を心に悔けるに、ことしはからずも兩宮を拜み奉りてけふの心人に語らむ神路山うたがひもはれぬ二見の秋にさへ小家ごとに竈馬もひとつ相の山白馬城のもとにことし庚申の夏、ひとつの草庵をむすび、とみに十境わかち定めたり。さるをわづかに拾薪庵の名あるは、道を修することを本意とするなるべし。ときは文月廿日にあまりの空はれわたり、秋色胸にみちてしばらく眺望のまぶたをふさげば秋の詠め終には松にもどりけり甲午の秋束武にくだるを人〓〓におくられて新わらやどこで休もとまゝなとし暮秋八ツ橋にて花の時來て見直さむ杜若ぐるりから秋は暮けり三上山宇都の山にてうつむいて旅人來たり秋の暮山ひとつこゆるや岨のあきのくれ我たてるけむりは人の秋の暮大豆屋山蒼虬翁句
こゝに居て程よき谷のもみぢ哉畑からおりる小寺の紅葉かなよう染る木部屋のうへの紅葉哉箕面にてもみぢ皆夕くれないの中の瀧ゆく秋や雀の步行草の中一さとを日は打こして秌のくれ庭はけば掃ほど淋しあきの暮不破にて何なりと見ねば立れず不破の秋吳山が寶晋堂を尋侍るに、光一級後に杖を引てこのほどは佐渡に有と聞ゆ。ともに水食雲樓の身は何をかへだてむやと、やがて留主の戶の葎をかなぐりツヽ、柱に簑笠打かけたる、いと興あり。爐あれば飢る事なく、油あれば寐覚も安しと、今宵訪ひ來る人〓〓に對して物たらで猶むつましや庵の秋甲申の秋九月、修學院へ御幸有けるを加茂河のほとりより拜み奉りて御幸濟て松風秋をかへす也一まはりちいさく出たり后の月かゝはらぬ杉の木立やのちの月上京へ行ほど晴ぬ后のつき系大書俳本日冬之部十月や歸る所有る松葉搔十月や早珍らしき赤椿くれがたや障子の色も神無月あたゝかなものよ小春の雜木山藪掃て望みたりたる小はる哉松坂のあたりは紀の御領にして、取わけ鶴の多かりければ日も永いやうぞ小春の稻に雀羽をこぼす梢の鳶や小六月野は鶴の觜ふりあげて初しぐれはつしぐれけふ汐竈も薄烟り降にけり紅葉のうへのはつしぐれはつしぐれしばらく有て波ひとつ茶に塩のたらぬ朝也はつしぐれ稻垣の見ゆるところや初しぐれ家間に野水の見えて初しぐれ一聲は鷄もうたふや初時雨芥火の細口あけてはつ時雨剪ておく菊を洗ふや一時雨ひと岬は汐汲で居るしぐれ哉一しぐれすかさず啼や山の雉子杣が火のけぶり行あふしぐれかな白菊の殘る甲斐あるしぐれかなしぐるゝや絕ず網打川むかひ時雨るや手元へうつる斧の影しぐるれば出る事にして五位の聲鶴啼もあてにはならず夕しぐれ下京はしぐるゝはづよ塔ひとつ斧の音とゞきて雲のしぐるゝか泉涌寺を顏でをしゆる時雨かなしぐるゝや一隅うごく池の水まな板の音時めかすしぐれかな橋筋は夜の賑ふしぐれかな二見にて二句ひと朝の時雨の色も拜みたし御さがりと言ん二見の初しぐれ佳景を見ては人を思ふ。此日この興その人にあり。夕山や紅葉に翌 の時雨雲每條式砂〓し時雨過行鳥居さき庵をゆづりて朝陽にしめす心せよ時雨も早し東山御幸塚に登りて三湖を望むに、今江浮は往還につらなり、なかばは六四五時雨雲さき蒼虬翁句集
安濃の蜑に木の葉かゝせむ翁の日義仲寺にてひとしぐれ塚をめぐると見る斗翁の日坂本にありて義仲寺の灯がともれるや飛衞去年の翁忌は木母寺に會し、今年は庵に箒をとりて十ばかり柿も樹におく會式哉舟つけて草原あがる十夜哉心すみ行や木の葉のちる度に近〓〓と城の崎見えて散木のはしら壁にあたる月夜のこの葉哉次〓〓ヘ木の葉散行天氣かな人〓〓のかへるを待て音のするたびに出て見る木の葉哉客中香花を備えてはせを庵のむかしをしのぶ常にさへゆかしかりしを散木のは山鳥のひとり寐に行落葉哉並松の梢にかくる。柴山浮ははるかに藪村の炊烟にへだゝり、牙浮は眼下にして岸の殘葉水面にうつるもさぶし。しばらく夕陽ををしめる中にふたつの江尻眼にかけて初しぐれ翁忌にみちのく行脚の昔を思ひ出て米山のふる道ゆかむはつしぐれ翁忌月時雨もるを庵の會式かなけふだけの水は來る也時雨の樋赤みそのしぶみをほめる會式哉掃よせた木の葉も塚と見る日哉我會式余所の十夜の鐘のこゑ水仙やまだ葉斗の 手向草木兎も夜を來てさやせ翁の日ものたらぬ月や枯野をてる斗ありがたき御膝の上の木のは哉洞津の翁忌に系大書俳本日惠心寺を行過したるおちば哉鷄の來てくふものゝある落ば哉木がらしやねぐらを鶴の聲もるゝ凩の日をけづり行膝のうへこがらしの吹もへらさず彌彥山凩や猪の來てふむ脊戶の芝敦賀にてこがらしの浪吹わけてかねが崎奧山にかゝる日和や大根引我畑の卑下もやさしや大根曳掘堀たての大根ぬくし山のはた大根曳御城の見ゆる天氣哉志賀にて大根引志賀は人氣の揃ひけり行雲の家より低き枯野かな時めいて來るや枯野の柱賣はなしあふ脊中のぬくき枯野哉水際のたちて日の入るかれの哉折節は高うもなるや枯野の灯酒しほに醉て見に出るかれ野哉鵜の道も一すぢ出來るかれの哉須磨にてこがらしの中にも須磨の夕かなさびしさをはなれて久し枯尾花蔦かれて浮世に近し庵の壁ひと林揃ふて高し冬木立小春の空の長閑なるに、杖を曳て近きあたりに遊ぶ雲かへり盡て裾野の冬木立かくれ家や冬をさかりの菊の花寒ぎくの文や傍からもらはるゝ寒菊や握て來たる葉のぬくみ寒ぎくや夜はむつましきひと薰り珍らしき月夜も見たり石蕗の花散ほどのちからは見えず歸リ花君が代の松風添ぬ冬牡丹秀比比蒼虬翁句集
炭賣の道や幾世の朝じめり丹後の內宮にて猶寒し茨の中の日のはじめ腰越にて寺へ來てこぶしを握る寒さかな寒空や礒の小松の親もなし水鳥と同じうねりの丸太かな水鳥の羽にもつけぬよ二日月越中の國布勢の海に舟をうかべて水鳥もものいひ顏や布勢の海朝〓〓にかぞへる池の小鴨哉夕雲のてるや藪根のひとつ鴨汲水の波をよけ行小鴨かな鈴鴨の虚空に消る 日和哉すゞ鴨や日くれさかひの野の曇り何處からか出て來て並ぶ小鴨かな朝川にひたして赤し鴨の足夜すがらの心づかひや眠る鴛公氷が難波にト居しけるときたのもしき垣根や冬の蕗の臺水仙の名所らしき月夜かな水仙や脊戶は月夜の水たまり水仙や筒の工夫に日のくるゝ水仙や田へ行水のもる垣根山茶花を椿ときくも草枕壁ぬりが山茶花折にもどりけり澤庵が色見たあとで納豆汁逢坂を雪踏でこすや蛭子講約束の松風吹て冬ごもり鈴ひとつ鋏につけて冬ごもりひと廻しまはしてあたる火桶哉冬がれに問ず語りや須磨の僧上京は似た人多き帋衣哉紙衾梅にゆかりのあるをとこ炭竈やひとつふたつの夕鴉すみの香や夜の心を富貴にすあら海や別に千鳥の夜が聞ゆ松のうへに道が付けり朝ちどり西に月千鳥聞にはよき夜頃有明にたつあし見ゆる千鳥哉川上は柳もなくて啼ちどりきはまりて道よりするや川衞波に入る月見て居れば飛千鳥あら磯や我足あとに啼ちどり笠ふんで啼あら磯の千どりかな啼ときは見えず成けり川ちどりひと走りしてたつ朝の衞かなひと吹雪千鳥のまはる岬かな有明の濱にてありあけのはまやさながら飛衞ことしは長成が大祥忌にあたりぬ。さるものは日〓にうとしといへども、老の身は月に花にたゞ人のなつかしくて夢に見たまゝを寐覺の衞かな蔓つたひ屋根へ行けりみそさゞゐ結搆な日は何處に居て斤鸚網代守夕ぐれは子もある男とかくして旭にあへり網代守網代守うしろの家へもどりけり餅搗た夜から來ぬなり網代守戶口から芦の浪花や冬の月此家も人の居るのかふゆの月上加茂へふと參りたき冬至哉行水のとゞまる霜のわら家哉むつましき煙こそたて霜の家へつたりと窻さゝれけり霜の家里の灯も曉らしきしも夜かな臂に網かけて過るや橋のしも霜拂ふ音は入江の小舟かな白子の子安堂に詣て御誓の內のさくら歟霜の日も六九九
はつ雪のひるにもなるか斧の音けさ迄はしらぬ芦あり庵の雪につと日の出る山間やけさの雪鳥の道ばかり有る也雪の山兒出せば兒出す雪の隣かな芦に舟雪に見るもの揃ひけり何となく明るさかひや雪のうへやゝありて一枝ちりぬけさの雪雪の舟世間かまはぬ姿かなゆき近し水田にうつる松の影松明買ふて出にくうなりぬ雪の家雪の眼を休むる麥の堅田かなよき流れ持て暮るゝや雪の里大雪と成けりけさは鶴のこゑ木つゝきの一雪かぶる木の間哉雪花やまづ行先は淺草寺月さえて二日に成ぬ雪佛吹て來て袖に付けり竹の雪播磨にて降たらぬ雪を明石の姿かな眸鷗亭雪見かく降れば雪ものどけし庭の松越后妙法寺にて垣根かと見るとき雪の日くれ哉氣比濱眺望大雪の降とは見えず浦のさま丙寅の冬ふたゝび古〓を出て、細呂木の關をこゆるとて雪ちるや何處で年とる小田の鶴見る日より雪の願ひや与謝の海すれ合ふて樋口に氷る薄かな桐の實のこぼれそめけり厚氷五六間飛や霰の網の魚野の末の雲に音あるあられ哉寒月やありともきかぬ須磨の藪寒月の加茂にもひとつ小家哉咲たやら折たあとあり寒椿50あすの夜は月もかゝらん冬の梅水仙の花なき宿や鰒と汁鰒汁や今宵枯野の月はすむ俵なりのあとつく雪の師走哉うす雪のかげより出たり鉢叩枯盡す梢の音歟鉢たゝきすゝ掃やはたして居らぬ池の鴛田の中に雉子つくなりて年の暮驛見えてひと息つくや年のくれ讃岐富士は飯の山といへるよしをきゝて行年の宿はなくとも飯の山大年や風情の出來る日暮方折て來て灯で見る除夜の柳哉餘所へちる氣色は見えず不二の雲あし高は見ぬ日もないに不二の山追加伊賀の國月が瀨の勝地に對して發句を乞はるゝ故人吉野に句なしといへるもことはりにおぼえ侍りて何の木も斯くは咲まじ梅の花390「蒼虬翁句集跋むかし芭蕉の翁、人丸·杜子美が幽玄を此道にうつされしより、其蔭とし〓〓にひろごり月〓にしげりて、今やたかねに薪こるをのこ、荒磯にみる苅海士も、さびしをりの名目を聞しりて常に向上の境をのゝしる。されど大かたは一時の巧言に譏譽のあらそひを事とし、たま〓〓古人の室をうかゞふ輩も、連句に巧を好るは發句の姿つたなく、やゝ句に体を得たりと見ゆるは、俳諧の變化にうとしとぞ。こゝに我師なりける蒼虬翁ば、句に連にふか六三二翁雜之部橋立や戾る文珠も夢ごゝろ殊
盈く祖翁の骨隨を得て、生前の風雅至れりつくせり、試に是を古人に比せば、誰か貞享·元祿の作家二三子の內にとらざらんやと思ひ出るもなつかしきに、ことし句集の再刻なりて猶も世に耀んことのよろこばしくて、我はた其向上をのゝしるひとりなるものから、口を戶ざすことあたはず、すゞろに蛇足の一言を添るにこそ。伴水園芹舍六角通柳馬場西ぇ入町平野屋茂兵衞華雜書舍通說本集には、假に名けて一茶時代と稱する-文化文政を中心として寛政より天保に到る-時代の俳話と發句とが輯められてゐる。先づ此時代の俳話に就て、後に其發句に就て私見を述べようと思ふが、さて、此時代の俳話の特色といふべきは、考證、訓詁を主としたものであつて、體驗や批判を語つたものでない事である。一言にして云へば、考古的であつて、藝術的ではない事である。芭蕉時代の俳話たる「去來抄」「三册子」「山中問答」などいふ書は、〓ね作家としての體驗を語り、又は作家たる立場から作品の批判をしたもので、其言葉は暗示的であり又は獨斷的ですらあるけれども。其內容には說者の見識が見え、少くとも說者の個性が出てゐる。蕪村時代の俳話になると、此個性味は大分にぼやけて來てゐる。けれども、麥水は芭蕉の古池の句を「少々不出來の方」などゝ批判し、几董は蕪村等が句作に苦心する體驗を話したりしてゐる。それが此一茶時代の俳話になると、全然考古的になつてしまつた、誰々がどういふ芭蕉の書翰を藏してゐるとか、其角の此句は斯ういふ意味だとか、要するにそんな事以上に出ないのである。之を好い風に云へば、〓究的態度の勃興であらうし、惡く云へば、取も直さず創作的精神の衰退であつて、さういふ〓究ならば句作道に多年の精進をした俳人を俟たずとも、讀書する閑暇と根氣とのある博覽多識の人ならば誰にでも出來る事だとも云へるのである。「誹諧根源集」の著者、素外は談林を宗として「誹諧を以て一家を江戶に爲し」(北山の序)たる人であらうが、誹諧といふ文字の出所などの穿鑿をした末に、「俳諧は滑稽なる事を悟さむ」といふのだから其頭の堅さは解る。彼に從へ通說
ば、「滑稽を嫌ひ閑寂をむねとする」芭蕉の徒は俳諧といふ正しき言葉の意義には合しない邪宗門なのであるけれども、さうも云ひきれずに、「閑を好まば閑なるうちにも滑稽の意の扱ひあらんか」などゝ云ふのはちと苦しい。乍然、此書には史記滑稽傳、古今集其他の歌集の誹諧歌、連歌の誹諧等々、誹諧といふ文字の文献を集めてあるので辭書的には便宜である。又、誹諧の根源を知るといふ事は必ずしも誹諧の本體を知るといふ事にはならぬといふ事實も此書が(著者の意圖に反して皮肉にも)好く語つてゐる。此點に於ては、其本を明かにして其末を知るといふ東洋流の名分的觀念よりも、其發達の狀態を以て其物を究明するといふ西洋流の史的觀察の方に眞理があると私は思ふ。同じ著者の「玉池雜藻」は、俳諧に限らず、いろんな話を書集めてあつて、街學臭紛々たる所が、斯うした雜筆の一種の興味だといへぬ事もない。此中に、百日紅は夏か秋かといふ辨、晝寢を夏とするのは「圓機活法」に據る爲だ、老鶯を夏、枯尾花を冬とするのは誤だといふやうな事が、鹿爪らしく如何にも大事らしく說かれてゐる。夏とか春とかいふ曆の上の區別は人間が定めたもの、百日紅はそんな事に頓着なく咲く、圓機活法を見た事のない百姓が一層好く晝寢の味は知つてゐよう。「うぐひすや竹の子藪に老を啼」は鶯の句(春)にしようとも竹の子の句(夏)にしようとも、此句の價値に變りはあるまい。今日、此の素外の說を讀んで、如何にも馬鹿らしいと感ずる程の方は、進んで、一體、何の題は春だ、何は夏だなどゝいふ季題の規約を固守して、俳句の趣味は爰にありと考へてゐる現時の俳壇一般の常識に就ても、懷疑の眼を開かれていゝ筈である。「枇杷園隨筆」(士朗著)は、重に芭蕉關係の古い反故を集めただけのものだが、其反故に考古的價値の高いものが多いから、〓究者にとつては好い書である。笈の小文の里程を書いた猿雖宛の書簡など、後の諸書に好く引用されてゐる。丈草の長い書簡も甚だ面白い、之は潘川が丈草の消息を貰ひたい爲に彼の所へ筆を送り、其筆で返事として書いたものらしく、「はじめには走り好き筆、後にねばりなき墨おくり給り、誠ものもらふ友といひし古も、今もかはらねど、ふるき事をくりかへし、御返事とて申入候事、隙人の所作と御しかりなく······」、炬燵と鍋と茶碗の外は殆ど無一物であつた丈草の氣持が味はれる、又そこへ訪ねて來た去來と、蒲團がないので、起きたまゝ話し續けて夜を明した有樣などもしのばれる。「芭蕉葉ぶね」(鶯笠述)は、當時の一家言としてなか〓〓聞くべき點が多い。「句はさびたるをよしとす、さび過たるは骸骨を見るがごとし、皮肉をうしなふべからず」など彼は確かな事を云ふてゐる。彼の考は素外とは正反對であつて俳諧といふ名に拘泥してはいけない、名は所詮かりものである、何と云はうとも苦しくない、といふ芭蕉の言を據どころとして、彼は俳諧と稱しながら其字義にかゝはらずともよろしいと主張する。「そも〓〓蕉翁は一家の道人にして傍に俳諧を好まれしなり、しかるに此癖終に捨がたく、幸に其道をもて一筋の新風を發し、生涯のはかり事となして是に道志をのべられしなり」、斯うまで云ふと、一種の臭味となつて感心せぬけれども、それでも素外の滑稽傳統說よりもよろしい。又、點取の流行する卑しい風を嘆き、諸國俳士の番付などいふものが出來た事に眉をひそめてゐるのも、當時の俳壇に對する苦言として聞くべきであらう、蕉風に心を寄せる比較的まじめな人だとでも「たゞ議論穿鑿のみに走り、口授口訣ばかりを聞きたがりて術を練るにうとく、たゞ上ハ走りて天狗づらをする輩、當世のはやりもの也、かゝる人は決して上手にはならぬもの也、是を名けて節用俳諧といふ」と、此言は敢て其當時のみではなく、今日の俳壇にとつても蓋し頂門の一針たるべきものであらう。「隨齋諧話」(成美著)は「枇杷園隨筆」と共に〓究家に珍重されるものである。史料たるものは何でも搔き集めたといふのではなく、そこに撰擇が行はれてゐるのは編者の眼が高いからである。一個、芭蕉を中心とした周圍の事實に三通說
四は記錄の徵すべきものが割合に少いのだが、其故にこそ近世になつて考證家といふものが其〓究を擅にする餘地が與へられたので、常に是等考證家の對象となる所から、芭蕉といふものが雲の上にある何かのやうに、ぼうばくとしてゐる所が貴いといふ風な感じを自然と與へられたのである。若し、芭蕉の門下に一人の克明な記述家があつて、巨細な事實まで殘らず書殘しておいたならば、考證的研究の必要はなく、好事家の注意を引くたよりがないので、是ほどに芭蕉の名が喧ましく云はれず、從て其道も是ほどに弘まらずに終つたかもしれないと、さうした皮肉な觀察も出來ない事はない。芭蕉の發句にしても、解つたやうで解らないものが多いが、其が却て宗〓的の有難味を加へる所以となり、後世いろ〓〓な說を出さしめて、遂には芭蕉を偶像化せしめずばやまぬやうになつたのではないか。いや、そこに俳諧發句といふものゝ元來漂渺たる味があるとも云へる。「芭蕉の句の中、初心には聞得ざるもの少からず、是にさま〓〓の論辨をまうけて解をなす者あれども、多く其意に的當せず、たゞ自らつとめて深く味ひぬれば、多年の後自然に豁然として眼の開くる時あり」と成美が云つてゐるのは一理ある事である。「嵐亭誹話」(奚疑著)には又、蜩は夏だ、蟇は春だ、蟬のからは蕉門にては夏だ、淡雪も蕉門にては冬だなどゝ、斯うした穿鑿に力を盡してゐる。靑葉といふ題でも、「あらたうと靑葉若葉の日の光」「目に靑葉山ほととぎす初鰹」等の句を證として、漸く「蕉門は夏なるべし」と論斷するのだから、まだるこい事ではないか。然し、其も笑へない。「氷といふ題は夏かい、冬かい、冷し氷は雜かい、歲時記を見なければ解らない」といふ俳人が今日だとても、なか〓〓多い事なのである。「俳諧茶話」(顧言著)には其角の解し難い句などに解をつけてゐる。解つたやうで解らない句は却て有難味を添ふる場合もあるけれども、其角のやうに、まるで齒が立たぬ句は人困らせである。然し、謎句とすれば又其謎の解きやう系大書もあるといふもの。其を解ききかして、之は理屈より出でゝ理屈を離れたる所などゝ賞めあげてゐるのは、好い氣なものである。「古學截斷字論」(北元著)は古學卽ち國學の文法を以て發句の手爾葉を論じたもので、宣長出でゝ後、言葉の用格が科學的に〓究された今の世の事も知らずに、俳人達が芭蕉や支考の說を頑固に守つてゐるのは時代後れである、而して今の說を以て發句の用語の誤を指摘されると、いや、それは歌の事だ、俳諧には俳諧の手爾葉があるなどゝ遁げるのは間違つてゐる、日本の言葉に二つはない、芭蕉だとても誤は誤であると此著者の云ふのは同感である。而して芭蕉が好く使ふ文の癖である「高欄のもとに鵜飼するなど誠にめざましき見物なりけらし」「誠に愛すべき山の姿なりけらし」のなりけらしに、なりけりを斯く延べて用ふる例はないと槍玉に擧げてゐる。それから古來、切字を論じた書に就て批判をしてゐるが、國學者が俳句を知らずして單に文法上より非難するのは當らぬと云つてゐる程、此北元といふ人は俳人だけあつて、發句の事は一通り解つてゐる。其評もずゐぶん肯綮に當つてゐる。然し、それでも發句のリズムといふものを無視して重に國學的見地から、此句はとのはぬなどゝ云つてゐるものゝ中で、ぬけがらにならびて死る秋の蟬丈草死ぬるでは切れぬから死ぬやとせねばならぬといふ如き-死ぬやといふては嘆息の意が强すぎる、それで死ぬるとゆるめた調子、これはリズムの問題であつて、文法の上からの非難は當らぬ、又、「秋風に蝶やあぶなき池の上」依々)は「秋風や蝶のあぶなき池の上」とすべしだと云ふが、前句のリズムと後句のリズムとは各別なのであつて、前句のやうに現したい場合もあらうし、後句のやうに現したい場合もあらう、之はどちらが好い句になるかといふ批評とはならうけれども、語法上から一つが正しくて一つが誤だなどゝいふ事は云へない譯である。其を解ききかして、之は理屈より出でゝ理屈を離れたる所などゝ賞めあげてゐるのは、好い氣な通說
ば、以上芭蕉時代の句句を取つて見よう。ないが、以て門戶を張つた俳人は澤山に居たのであるけれども、高踏趣味をもつてゐるものでなければ其に共鳴することは難い。の發句のほんとうの味といふものは、るやうな所ばかりをうたつてゐる。いてゐたのである。次に本集に載つてゐる士朗、先づ大衆的である。此時代にはそんな學者らしい事は好まれず、う鶯鶯ほ鶯鶯鶯ぐやののやにや所が、ひ聟あか感遠茶元來、すや銅蓮水をたゝあちこちとするや小文化文政時代の俳人になると、にな路發句は和歌に對して見れば、の成美、來るるな竹芭蕉蕪村時代の發句には、に鶯木しかく大衆的に味解されるものではない。抱一、乙二、其他の俳家の發句に就て一言しよう。がけきの畠らる1は子つの禮や芭蕉の句を換骨脫胎せしめる位が關の山である。朝佳い作品を殘した人達は何れも藝術の岡に象牙の塔を高く築がの羅しさういふ風はなく、へ家が生月へか大衆的、古歌を基礎としたり漢詩を翻案したりしたものも少くぬ一る間ち門夜しな勿論、民衆的、芭蕉時代にも蕪村時代にも、召太蕪來丈其芭其發句は誰にも解り、蕪村になると猶更である、平民的などゝ云へようけれども、此時代の發句を〓觀的に云へ波祇村山草角蕉誰にも同感され平俗なる趣味を水試に同じ題の詩人的の芭蕉來る。となつてゐる。つても、といふ事が出來る。味を解する事が出來る。が一寸解るまい。以上、五月雨が好く降る、芭蕉時代の句、斯うした一茶時代の句になると、蕪村一黨の句。五五調子をもつて上手に詠ひ生かしてある句が少くない。鶯鶯鶯さみだれの芒むら〓〓夜の 明五月雨の又おとつひに似たりけり五所が此時代の句になると、月月月やにやところが-此大衆的といふ事は內容-趣向の上に於てと共に、殊に蕪村時代の句には、雨雨田此水が出るといふ誰も云ひさうな平常な事を取材としてゐながら、雨浮此點から見て、是等の句の味は、ややをづの世しきりに暮る雲あらあに雀つけ誰の耳にも入り易い、よりきて見えず住鳴めぼ此時代の句は、取材が平常であると共に、くてのま句作に相當苦心したものでなければ、ほ早言葉に一種のハリがある、をばどし田ゝ水芭蕉時代や一茶時代に比して著しく大衆的色彩を帶びて來た中晴最舍句作道に少しも骨を折つた者でなくとも、二上右の鶯の句でも解らうが-のてなかる上又川るな階其表現も亦、ヒビキがある、其表現-調子の上に於ても云ふことが出乙成きはめて平常である。表現の調子が高いので、太支芭內容としては平常の事であ乙巢成それが「鶯」として面白いといふコツ蕉二美祇考七之を聞けば其意二兆美佳吟ひ聟あか感遠茶あなすや銅蓮水をたゝちこちとするや小に來にける子のへ家がぬ一あな路のるるるるな竹鶯木がきのきの畠ら1は句作に相當苦心したものでなければ、1つの禮やつ朝が羅し生月へかる間ち門夜しなそれが「鶯」として面白いといふコツ召太蕪來丈其芭波祇村山草角蕉佳吟
壇は其を承けて、徒が、する意味でへたのである。のではなく、水のひくや川邊は皆團扇」の如き、る。せらるべきではあるまい。である。味を理解しない一般の人々には親しく平易に語りかける言葉となるので、調子にハリがない、餘りに大衆趣味に媚びた爲めに、で、(彼等が月次句會を開き自ら月次の發句と云つて發表してゐたのをそのまゝ)遙かに元祿時代から糸をひいてゐるものではあるけれども、俳句は大衆的な文學としてこそふさはしいものだといふ見方を主とすれば、大月並趣味も亦大衆趣味の一つではあるけれども、水文學的には殆ど墮落しきつてゐたのである。のひくヒビキがない、然し、大衆的といふ事と月並的といふ事とは區別せられねばならない。之は月並調である。やつまり調子が低い。通俗より卑俗となり、川 邊はは抑も月並的なる俳諧趣味といふものは、而して其調子の低い所が、や其が殆ど全國的に俳壇を風靡するに到つた。團そこで、月並的になつては、扇子規が、文化文政を過ぎ天保時代に入て梅室蒼虬のそこが一般向きであり、發句の革新を叫んで、もう文學とは云はれぬものであ彼等に月並派といふ名を與此時代の大衆的傾向は非難俳句の調子といふものゝ特殊の蒼此時代に始まつたも上に擧げた句の「大大衆的たる所なの虬八天保調を輕蔑明治の俳これらが月並調の代表であらう。影畑蜻雪日あ蛉と向らいのへすおふだ行さも貫、率されてゐたけれども、あるし、後者は月並調である。別し難いといふ風である。なつたのである。代の作家は-一茶一人を除いては-其持ち味としての個性が甚だ乏しい。來山、次に、此一双の句の取材や見方や表現や、なほ此時代の發句の特質を求めたならば、曉臺、才麿など異色ある作家が其時代には澤山あつた。色鶯鶯鶯鶯尾の聲お尾蓼太、手が香がやのも一つ、やし去鳴な打ち白雄、か隣其角、らきのよ年く此時代の句には、之は決して賞めた事ではないが、あの樗良、まい嵐雪、夫夫たのや心でとま の闌更、婦婦初きもと去來、外見相似てゐるやうであつて、隣のな來音の靑蘿といふ風に其時代の作家には各自の持ち味があつた。聲の丈草、な新しみ(フレツシユネス)中りかてもふきつみ隙素堂、個性なき事といふ事も云へよう。もし此のそ海い初をのであ今許六、さ鼠此時代の大衆的傾向、蕪村一黨とても、松更入た時かゞか惟然、魚衣いなるなり分其內的價値は霄壞の差がある。が乏しといふ事も云へよう。太祇、野坡等等夫々に其個性が出てゐる。名前を隱してしまへば、平凡主義といふ事から自然と斯う召波、芭蕉一門の人々は好く芭蕉に統蒼蕪鳳去蒼蒼樗凡董とそれ〓〓に特色は一村朗來虬茶虬良前者は正しい句虬所が文化文政時九新しみ(フレツ誰の句とも判外に、鬼て儀のへがぬ鴛鴦のつでつはけ降ぞよことし竹なたしり雁鮓がののひ哉列壓同同同梅村朗來虬茶虬良前者は正しい句虬室
り舊いと云はれたらうと思ふ。がある。れば、うにすら見える、く思ひ入る事もなく、經が老い込んでゐる爲め、てゐる句で、シユネス)若し後句が前句から脫胎せしめたつもりの作とすれば、此句などがさうである。前句には一種のフレツシユネスが感じられるけれども、おひ六六若三卽ちフレツシユネスがないのである。とは、蝶の羽のいくたびこゆる塀の屋根ほんのりとほのや百年二百年を經ても、楓井よろ〓〓と猶つゆけしろ〓〓と立月月珍しい取材とか前人未發の試みとかいふ事ではない、それほど前句の方にははたらきが多い。や午寺何れも淺いまゝに要領を得てしまふ通弊から生ずるのである。や事峯時や所が、ほんとうに物を感ずるといふ事がなく、もにに日新しい取材を使つて、な間ちつとも舊くならない句がある。雲はやげのお午元日なりにけり嵐なあく文化文政時代の句は〓してさうである。にのるある迫女や日戰新しさうな表現をしても、又、枝らぎる何と拙い脫胎ではないか。女郞し若後句はたゞ舊いと思ふ。假に作の前後を念頭に置かずして、郎のか花花山山胸に感ずるより早く頭で解つてしまふ所から、な楓又、出來たてから舊い感じのするものごく有りふれた事柄をごく普通の言葉で現し其句が元祿時代に出てもやは寧ろ前句が後句より脫胎したや鳳芭鳳芭蒼蕪次の句を較べられよ。つまり作者の感覺が鈍くて神鬼芭句として味つて見朗蕉朗蕉虬村貫蕉深「不白翁句集」-川上不白、「枇杷園句集」-井上士朗、「素檗句集」-藤森素檗、兒凩船星夜鶯タひた靑十あわの頭月のと りのやだう 〓〓柳に夜桃けちの〓やまみのあも苅をや立東瀧〓え話と信州の人、若た晩年江戶の人、名古屋の人、鬼頓つ田で〓〓を瀧海のす鷺〓衆ての灯の道水かざくき火の文化四年歿-落不け賣奧けなかり文化九年歿-を白はしの文化四年歿-こ盡ふ焚さむ百づのの旅れにばくよばや淨柳茂里か晝月寐哀水藪五かな過かな仙明かりは以下各家の集から私の好きな句だけを拾ふとしよう、かなの月り過かなはなりる入花寺な家雨哉なり各家の歿年の順に並べて採る。ごく有りふれた事柄をごく普通の言葉で現し一一二
「をのゝえ草稿」-釋乙二.奥州白石の人、「成美家集」-夏目成美、濡て行く數寄屋顏藪日あたりによし雀落重しら魚寒けれ五うしろには松の上野花春もまだ子のさびしがる月天松風のさ葉月寺箱見や時うつりし て世くにして日川ば雨やや鯛やの田や顏お僧すこしはまゐや笋江戶の人、お燕垣拍守朝もてとな西月し脂結子めよも夜ほふ大語た文化十三年歿-しま揃人やとしのくれ工には東ほのるまうげやふ遲文政六年歿-るを立ぐ海もとはつしぐれき柚てや冬 ごるへ小苔の榎そみ本と花らと船商夜か寄か願ぎ見れ朝大かも りかなるなな寺す哉よ朗工「能靜草」-高柳莊丹、「萍窻集」-栗田樗堂、「會波可理」-建部巢兆、唐靑象靑三か蟬煤湖朝天末枯日崎柳ゞ潟の空はこがらしや日に〓〓鴛鴦のうつくしきのさの月の音川 糺今もゆかしき松は花よりやのやみのにき水か雨伊豫松山の人、磨合ぬにや武州與野住、日朧馴下寺江戶千住の人、の朝のに歡薄飴の出へ問町てのひ兒さし行はぬの雲米くす鳥文化十二年歿-見にゆく園れの落かはず文化十一年歿-ぞ くゞ文化十一年歿-うる藪なふさた葉1みく小しやるやるむよ過落舟蜆淀葉後林柳の稻朝にうのかかのなけ城かのかか寺なり城な月ななげ花くりう城かのな人なる寺なり城な月なな
日本俳書大系第十四卷麥貝「梅室家集」-櫻井梅室、暮空御我糊つ蠣夕 ぐの秋吹ばわ遲む火眉れの干やばきりのくらきい焚小に加て目ぬ落雲金澤の人、や虫行ちな茂子によこ鎌燈鷄るの供かりぼ倉と鳴い嘉永五年歿-空川弓〓るき灯で見る澄射山もすう添1るむ寒へし椿や下るは也のげ又り霞星冬さ梨「鳳朗發句集」-田川鳳朗、惠羽山朧「蒼虬翁句集」-成田蒼虬、塩花剖紫「屠龍之技」-酒井抱一、い口羽荒心を吹月つ魚に葦切を陽いなづまの一夜にな神梅も家も燵けし四とせの冬が暮寺こや夜に飽ややた花のぼて南をの正月てめや松竹燈江戶の人、熊本人江戶住、行水机金澤の人、天すす更硝び、も買を火過梢て田のうへちにあ乙子年もしかね鳥れのあか吹文政十一年歿-天保十三年歿-たきむ高ぬ貢る弘化二年歿-鳶るしき日る落やの九のざ胡る1う今しがぬりみぞ小一夜葉條春し蝶め朝椽酒れ終り霞星冬梨か山かり落か柳のけか月のか六在かのかかの白のののか來な畠なるな花りな夜月な月所な月なな川し秋先味なた(荻原井泉水)
系大書俳本日( 14發昭和二年八月三日發行昭和二年七月五日印刷行所ハドミ東京市日本橋區數寄屋町·春秋社内日本俳書大系刊行會振替東京二六八七二·電話大手二一二四二二二四印刷者東京市牛込區早稻田鶴卷町四〇三谷口發行者著作者者東京市日神本橋區歐寄屋田豐町一番地神口非田田熊之豐豐賣助穗穗品所刷印所刷印社秋春印
RESTORY OF
2年11調查濟月29日

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