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アイヌの豪傑たちが松前藩の蝦夷討伐隊二千人を蹴散らす「ゴールデンカムイ」みたいな話を幸田露伴が書いていた件

 現在僕なども今諸君の目に觸れぬ某處に虎や熊の十匹二十匹は殺せるほどの藥を持つて居る。まあこんな種類の極手を下し易い簡單な毒殺法ばかりても僕が知つて居るだけで少くとも二三百はある。また我日本の法律で罰せられない殺人法、まだ何人にも發明されない殺人法も僕は知つて居る。自分は或る自分の利益の爲め、或は友人の利益の爲め、若くは一家一國の利益の爲めには、一人、二人、五人、十人乃至五十人、百人、千人、萬人までも、自分を安全なる地位に於て必ず殺し得る工夫を案じ得られると、堅く信じて居るのである。若諸君の中に不倶戴天の親の仇敵か、怨み重なる憎つくき仇を有する人があつて、これを殪さんが爲めに僕に一臂の力を假らんと云ふならば、僕は僕の一身を犠牲に供さないで容易く仇敵を殺得るといふことを請合ふ。(幸田露伴『長語』)

 幸田露伴と云えば『五重塔』というくらいの印象しかないという人にとっては、幸田露伴にこんな剣呑な作品があること自体意外であろうか。しかし幸田露伴の初期作品には確かに剣呑な気配があるのだ。『長語』の物凄い脅し文句は、いかにもテロリストのそれである。

こうだろはん

ゆんづるを番へて、忘るるばかり引絞りしが、矢聲鋭く切つて放つ途端に弓弦ふつゝり切れて矢はあらぬ方に落散へたり。沙良泉怒つて弓を投げ棄て、たり。弓は卑怯なる道具なり、男兒が人を殺すには斯こそ爲れ、と云ひも果てふりかぢず、大刀を引拔いて眞向に振翳し、敵を望んで走せ向へば、古丹比留も弓を投げ棄て、大刀引拔き、敵に走せかかり、先を爭つて薙立て薙立て、不意を喰って狼狽へ騒ぐを追い責め追い責め、其処彼処に斬り捨てたり。(幸田露伴・堀内新泉『雪紛々』)

 この『雪紛々』は前書きにあるように明治二十一年に読売新聞に連載していたところ政府に忌諱され、発行停止処分を受け、中断したものを幸田露伴と堀内新泉が話し合って書き継いだものである。従って第十四章までが幸田露伴の作、第十五章以降は幸田露伴の腹案を堀内新泉が作品に仕上げたと考えてよいだろう。

 そして「語らうか蝦夷のむかし、語れば恨みに聲も立たぬなるべし、書うか其恨み、書かば悲しみに筆も凍るべし」という、明確にアイヌ寄りの立場から書かれた作品である。靜雁村の山奥、朱魔珊の川の畔から物語は始まる。病気の友人の母親の為に薬草の「ウベウ」を捜し歩くアイヌ青年が現れる。度々夫役に取られるが待遇が悪いと嘆く。青年の名は沙具沙允。その友恩菱ははっきりと日本人を罵る。

 汝と我とは仕合せに呑空様に從つていろはも習へば大概の物の道理も覚へた者、道理の違つた事に屈するわけは無い、どう考へても彼等はアイヌを苦しめる馬鹿役人、無理非道に夫役を當て、我儘勝手に人を使ふ似非役人は仮令汝の貧に逼るも繁々夫役を當らるるからの事、忌々しうて腹が立つ。(幸田露伴・堀内新泉『雪紛々』)

 今でもこんなことを書けば公安警察にマークされかねないが、明治二十一年はさらに剣呑だっただろう。明治宮殿が出来た年、大日本帝国憲法発布の前年である。西南の役が明治十年。この最後の内乱を片付け、日本という国が漸くできかかっていた時期である。北海道および樺太の開拓は、重要な国策だった。
 そしてかつまた日本の未来はまだ漠としたものでもあった。明治十九年春の屋おぼろ、つまりあの坪内逍遥が『内地雑居未来の夢』という小説を書いている。

内地雑居未来の夢

 こちらはまさに題名の通り。末廣鐵腸に明治二十年刊行「内地雜居經濟未來記」という作品もあり、未来へ目を向ければ北海道の帰属のみならず、日本の独立国としての地位すら危うい時期であった。

 そんな時期に幸田露伴は敢えて過去のアイヌ政策を批判する。

 恩菱の病気の母知來麻志は薬をくれた日本人を「畜生役人」と罵る。畜生のくれた薬は飲まぬと意地を張る。なるほどこの作品では日本人は畜生で、母の看病をする恩菱の妹伊良武のところへやってきた役人の村塚軍藏の使い六助は、旦那に抱かれりゃ兄の夫役も御免になり、手当も貰えると下種な話をしにやってくる。そこへ母親知來麻志が起きて出て来て「人の皮を被れば少しは恩と義理を知れ、七年前お前が大熊に襲われた時、わが夫がお前を助けてやったではないか」と罵る。日本人の神とて非道は憎もう、と完全に日本人が悪者の世界が描かれる。

 この後伊良武の口に手拭いをかませ、抱え上げて連れ去ろうとする六助を沙具沙允が助け、……といろいろなことは起きるが十四章は沙具沙允と伊良武の結婚式で無事終わる。

 そしていよいよ堀内新泉が受け持ったとされる第十五章以降で、話はなんだか「ゴールデンカムイ」のようなことになる。

 恩菱が家の後ろの山のドロの木の根元を掘っているといつの間にかやってきていた妹が何をしているのかと問いかける。なんでもないと誤魔化す兄。しかし実は母の遺言で四代前の知古茂多允が残した黄金の鍬先を探していたのだ。何日も探したが見つからない。と、何故か、掘り返したところから日本人の火打袋がでてくる。さては日本人が先に掘り出したのか?

 と、考えているところに沙具沙允がやってきてなぜそんなけがらわしいものをものを持っているのかと問う。恩菱は知古茂多允が残した黄金の鍬先のことを沙具沙允に話す。どうも沙具沙允はその火打袋に見覚えがある。それは六助のものだ。どうも役人の村塚が宝を得たと吹聴していた。これは拳で取り返さねばならないという話になる。

 いや冷静になろう、しかし、どうして黄金の鍬先の隠し場所が解ったんだろうか。ここはやみくもに突っ走らず冷静になろうと話しているのを別のアイヌ、沙毛六が盗み聞きしていた。沙毛六は村塚に取り入りアイヌをスパイしていた男。早速村塚に沙具沙允と恩菱の話を告げた。村塚と沙毛六は沙具沙允と恩菱を殺してしまおうと計画する。

 ……結局伊良武をさらって手籠めにしようとした村塚と沙毛六は、屋敷に駆け付けた沙具沙允に頭を杵で叩き潰されてしまう。沙具沙允は伊良武を助け出し、黄金の鍬先を取り戻すも、流石に日本人の報復を恐れて仲間たちと村を焼き払い、旅に出る…。

 幸田露伴の構想はどこまで張り巡らされていたのか解らないが、話は松前藩二千人、アイヌ軍五千人の大戦争に至る。史実としてはシャクシャインの戦いを下敷きとしている。

 寛文十年というから1671年、将軍は徳川家綱の代である。蝦夷征伐とは言いながら、堀内新泉の書きようは

俊苦は例の山彎刀を揮つて、佛登鬼と先を爭ひ、深山の粗朶を走せ潜る狼の勢ひ爲して當先に進み出で、敵の首早四五十も擊碎きしが、一ト息吐きて首を廻らし大將は如何にと打見る沙良泉は光朗晃々たる寶刀を揮つて、瓜なんどをば截るが如く物の見重に敵の首をいとも容易げに切り落とせり。(幸田露伴・堀内新泉『雪紛々』)

 ……とスパスパ日本人を殺し、アイヌの豪傑をいかにも勇ましく描いている。結局征伐隊二千の兵の内、わずかに十人のみ命からがら逃げかえる始末。

 この如何にも剣呑な小説は明治三十四年一月に出版された。その前年義和団の乱が勃発し、日本帝国軍は鎮圧に乗り出す。結果、日本とロシアとの対立が顕在化していった。日英同盟が結ばれるのは明治三十五年である。この時代に日本人とアイヌの戦争を描くことはかなり剣呑である。この作品をわざわざ明治三十四年に出版した幸田露伴の意図に政治的なものが含まれていないと考えることは難しかろう。

 


 



 

 ちなみにテキストデータはつぶれている文字が多いので、画像データの方が読みやすいかも。こんな感じで。

雪紛々の一篇の稿を了るや予はまた直に一部の長々を立てたりき。此雪紛々の一篇は當時の案のおもかげなり。雪紛々は其年の冬を以て書肆金港堂に草稿を交付し、翌二十二年金港堂の發兌せし雜誌都の花に掲載せられき。雪紛々もまた同二十二年冬を以て讀賣新聞紙上に揭載せられて江湖の眼に觸るゝことを得たりき。

 偶々讀賣新聞の記事政府の忌諱するところとなつて、該新聞は發行停止の命を被りしかは、予もまた筆を執らずして過ぎき。然るに解停の命下りて新聞紙は舊の如く刋行せらるべき機を得たるに臨み、予は却つて腹稿を筆にするの機を失ひたり。

 そは解停後の新聞紙の面目を一新せんことを新聞社のしたるがためにして、此望みにより新聞社は予に求むるに別に他の物語を綴らんことを以てしたりければなり。予は年若かりし折の事とて新聞社の需に應ぜざりしのみならず、既に筆にしたりし一章は新聞社に於て之れを其の紙上に揭載すベき道理あるなりと爭ひて、强て此篇に收むるところの第十四章を揭載せしむるととなしたりけれど、また退きて考ふるに、新聞社の要求は新聞社に取りては甚だ道理あることにして、且我が雪紛々は蕪穢粗雜の惡文字なれば人の看ることを厭ひたりしも既に久しかりしならむを、特に日數經たる今に當りて、强て揭載せよと新聞社に逼らんは、いと烏滸なるわざなり、こは此儘にして止まんこそよけれ、と思ひかへして、終に宜き程の辭を書き添へて全く筆を抛ちたりけり。

 かくして雪紛々は露圓々の得たりし幸には似ず、長へに予が腹中の暗き處に潜むべき命を有するに至りぬ。其後予は讀賣新聞社の人々に知られて、遂に其社の一員たるに至りしかば、乞ふて彼の雪紛々の稿を續がんかと思ひしことも無きにはあらざりしが、流石に心を罩めずして書き流したりし拙さの顧られて羞づかしく、且は月日を經るに隨ひて物語の上に就きての好ましと思ひ好ましからずと思ふ節も變り異るまゝふたゝび筆を執らん意もなくなりて、後には全く忘れて過ぎぬ。あやしきことも有るものなり。一昨年の冬のある夜の夢に、積丹の山の義をいど明らかに打眺めて、あれこそは徃昔美しき女の泣きて泣きて生命絕えしところよなど、夢心地に深くもあはれに覺えけるが、醒めて後之を思へは、積丹の出にて美しき女の身を終はりしといふとは、眞實にさる事ありしにはあらで、此の物語を案ぜし折に想ひ得たりし最後の一章の光景なりしを、吾が夢の中にて、我が往昔造り設けしことなりとも心づかず、眞實にありしことのやう覺えて悲しく恩たりしなりけり。

 たゞし積丹の山は藐姑射の山のたぐひにあらず、まことに後志の國に聳え立てる嶮しき山にして、予が年いと若かりし時、函館より小樽に至る舟路の途上、おれこそ積丹の山よとて人の指し教へ吳れしまゝ、沖合より打眺めしに、山の姿もたゞならず鬼々しくて、腰より上には樹立なども有りとは見えず、岩やらん土やらん、むら禿げに禿げたるところの、或は赤く或は黄に襞積なして折からの夕日の光りに映えたるさま、何と無く都遠き風情ありて物恐ろしく覺えしが、夢の中にて見し山は、即ちむかし現にてまことにき見たりし山なりしなり。昔と今との界無く、虛と實とのわだめも無きは、夢といふものゝ常ながら、かりそめに心の中にて想ひしのみのことを、具實のことのやうに思ひ做して眞實に悲みし夢の破れては、餘りのあやしさに、流石果敢無き夜半の夢も、人をして忘れ果てたりし幾歲か前の雪紛々をまた思ひ浮めしむるよすがとなりぬ。積丹の山を夢みし夜より幾日の間は、人にこそ語らね心の中に、むかし我が案じたりし雪紛々の彼のくだりこのくだりのありさまを思ひ出づることいと多かり。歲月經たる事なれば細やかなる節は、思ひ浮め得ざるまでに忘れ果てたれど篇中の大きなる、事のかどかどは、なほ明らかに眼の前に在るが如ンき心地するまでに想ひ得たり。沙具沙允の跡を晦ましかねて古平の「せたかむい」といへる巌の上にて凄じく雄叫びしたる後自ら死するくだり、伊良武が夫を尋ねて積丹の荒山にさまよ)へる後其死を聞きて恨み悲みつ生命絕ゆるくだり、また思と沙具沙先とびたえるつて桃を分つくたり、一旦且び充と古月比留と相爭ふくだりなんとは、いづれも皆むかし我が之を筆にせん日を樂みたりしところなりしかは、今また之を筆にせんとは露思はねとも、また全く急に之を我が胸の中より除き去らん〓とも得せで日を過ごしたり。其情、たとへば今は既に妻もてる身の、或夜ゆくりなくもむかし旅の空にて狎れたりし女を夢みて、覺めたる後之を何とせんなど思ふやうなる意は更に起さねと、さればとてまた、匂やかなりし眉つき〓しかりし眼つきなとの思ひ浮めらるゝにつけて、そのむかしのなつかしさの、一日二日は忘れ難きが如しとや云はん。烏滸なりとも云はヾ云ふべし、されど是もまた世にあるならひの人の情なるまじくや。かゝる折しもたまたま堀内新泉の予を訪ふありき。胸の中に此事ありし折なりければ、さまざまの雜談の次に、夢の上こそ語らざりけれ、物語の全くは筆に上らで止みたることゝ、且つ其物語の終りのくだり、即ち沙具沙允ならびに伊良武の死の一段のあらましとを語りたるに、そは面白し、我これを續きて全からしめん、と;の新泉の言葉なり。さらは君の思ふがまゝに新に思ひを構へて筆を執り玉へ、終りのかたゞに我が君に語りし如く君の書き玉はヾ、我は吾が舊稿の君に績がるゝことを厭ふべくもあらず、と云ひぬ。昨年の冬十二月新泉の稿は成りぬ。何事によらず、我が思ふところと人の爲すところの間には、いと大なる川ありて、其 八相距ること少からぬものなりとは、豫て知りたりしが、の初稿を讀むに及びて、予は今さらに人と我との間の川の幅の、橋をかけんも難く舟を通はさんも易からぬまで濶きことを悟りぬ。此川の幅の濶さは如何にとも爲すべからざるものなれは、我が思ひしところと人の爲せしところと、いと居差はヾ差へ、其儘にてもありなんと、一度は思ひ捨てたれどあまりにかけ離れたるが悅ばしきといふにもあらねば、こはかくあらんとこそ思ひつれ、こゝはかやうにあらめと思ひ居たる、と云ひ出づるに、心かたくなならぬ堀内氏は、さらばそこを改めん彼處を引きなほさんとて、ほと〓〓大〓は皆新にするまでに復筆を執りて書き更へつ、漸く今年四月に至りて、第二の稿は成就しぬ。この雪紛々は即ちそれなり。されば、此篇の第一章より第十四章までは、全く予が意と予が筆とをもて明治二十二年に成り、今度それに少しく改竄を加へたるものにかゝる。第十五章以下は皆新泉の筆にかゝりて、其立案は、予が意に成れるところあり、新泉の意に成れるところあり。且又時に予が筆を加へたる個處も無きにあらず。沙具沙允、伊良武が終り、思菱と沙具沙允との訣別、沙具沙允と古丹比留との二度めの爭ひなんとの條は、前にも記せし如く子が想ひ得しところなり。覺者灣步、獵師佛登鬼等は新泉の〓出せし人物なbo其他は今一に之を區〓して其想像の由つて來るところを擧ぐるの煩はしきに堪ふる能はず。此物語はもと全く虛空裏よりのみ得來りたるものにあらす。想像の區域の廣濶ならんことゝ、想像の核心の强大ならんことゝを悅びたりし當時の予は、實にみだりに粗大なる想像を馳せて、寛文の蝦夷亂を一悲劇として描かんことを企てたりしなり。

 されば此物語の、眞の事實に基づけること甚だ少からぬは、明眼の士の一讀して知るべきところなれと、或は人の誤つて此物語全部を子等の想像に成れりとせん虞も無きにあらねば、今聊か之を辨じて事實と想像との區劃を試みん。pp沙具沙允、一名は沙良泉といふ。こは蝦夷地東海岸澁茶有の酋長にして、寛文九年を以て大亂を起し、實に內地人二百七十餘人を虐殺せし猛獵慓悍の人物なり。恩菱、或は鬼菱こ(ふ。こは沙具沙允同時のものにして、これ亦.一部の長なりしが、其性いたく沙具沙允とは異りて、温厚沈毅、甚だ理義に明らがに、沙具沙允の亂を起せるを却てアイヌのために利あらずとなし、沙具沙允の徒に要せられて謀に加はらんことを求められしも、斷然これに應ぜざりしといふ。雪紛々の記するところは、其性質をのみ事實に依りて存したれと、其事實をば甚だ更へたり。金堀庄太夫は秋田の仙北の人、·流寓して蝦夷地に在りしが、沙具沙允をして大事を發するに至らしめしもの、實に此庄太夫が、沙具沙允の愛見を非常の貴相ありと說けるに因るといふるされば事實に依らんには、生太夫をこそ主として描くべきなれ。されど雪紛々の記するところにては、庄太夫は終に主人公たらずして已めり。呑空法師は烏有の人なり。されど美濃の國の僧にて今釋迦と呼ばれたるものゝ、北海に入りて〓化に勤め、處々に參籠して佛像を納めなとせしは、恰も沙具沙允亂の前後のことなり。これに因みて呑空は作り出されたるものなり。沙具沙允の亂を平げし松前八右衞門は、まことに其世に其人(一一)
(二二)有りて其功有りしなり。事濟みて後五百石の加綠を得しといふ。沙具沙允、恩菱等の東部アイヌの長として松前に來りしは明曆元年にして、沙具沙允の亂を企てゝ敗れ死せしは、寛文九年なれば、沙具沙允等の榮えしは少くも十五年に下るべからず。從つて歿する頃は齡も既に長けたるなれど、雪紛々の記するところは一に事實に依ること無し。東部の亂もまた一度ならず。沙具沙允亂に先だちて承應二年寛文二年、同五年等の亂ありて後、終に沙具沙允亂の大虐殺は起りしなり。されば前後數回の爭亂、多少の日月を隔つどいへども、其間必ずや藕折れて絲連なるの情狀ありしならん。今これを說かざるものは、卷帙の徒に浩大ならんことを厭へばなり。沙具沙允の亂の後アイヌの勢感全く盡きて、復一人の上を犯し兵を擧ぐるが如きもの有ること無く、以て今日の狀に至れbo沙具沙尤等の出でしは、燈火滅せんとして一たび明らかなりしもの耶、·非耶。澁茶利の地は沙具沙允亂に先だつこと四十年頃より、黃金を產せしを以て、甚だ榮え富みしと見ゆ。其金坑の廢するに至りしは何時の頃なりしか明らかならず。沙具沙允の壘の跡は、澁茶利の茶志骨といふところに存せりと記せるものあれと、今猶遺蹟の見るべきもの存せりや否や、知るに由無し。事實は大〓是の如し、これより以上は多く皆予と新泉との想像に成れること云ふまでも無し。X :'本編記する所の地理の實に、違ふものも少からず。裙縫と平取との間は然まで近からぬをば、一雲時の間に往復すべきほど(一三)
(一四)の距離の如く記せるが如きは其一例なり。こは新泉が所謂蝦夷の地を踐みたること無く、また地理の書を熟讀するを敢てせざりしが爲に生じたることにして、其地方の地理に就きて智識を有する士の嗤笑を招かんこと固よりなれど、元來小說の事なれば、然まではとて改竄を新泉に逼らで已みぬ。かく長々しくもさま〓〓の事を記しつれば、人或は予の自ら雪粉々をもて價値高きものと思ひ居れるよりのわざならんと猜すべけれど、まつたく然にはあらず。子は雪紛々を然のみ面白きものとは思はざるのみならず、また、かゝるたぐひの物語は、今の世の人に如何にあしらはるべきかをも知らざるにあらず。しかるにかゝる物語を世に出すものは、全く偶然の一夢より偶然の茶話を生じ、偶然の茶話より他人の之を續がんとするの念を發したるが爲にして、偶然より思ひも寄らぬ行きがゝりを生じて終にこゝに至りたりとも云はヾ云ふべLo譬へはむかし牽牛花の種子を購ひ得て、其花を看んことを樂みに二粒三粒播きたりしが、不幸にして奮さへ出でざるに枯れしかば、口惜く思はざるにはあらざりしかど其まゝ已みて、後には餘せる種子の收めどころさへ、忘れ果つるに至りしが、或日不■火鉢の抽斗の奥の方より之を見出して、カゝる種子を播きたるむかしもありしよなどゝ思ひながら手まさぐり居たりしところへ、人の來りて、試みに我其種子を播かんといふまゝ、さらばとて與へたるに、其人懇に培ひ養ひて終に花を開かしめたるが如し。花だに美しく咲きたらんには、物言はでもあるべけれど、生ほし立てたる甲斐も無う然のみ美しくもあらぬ花の咲きたるを見ては、其美しからぬ花の種子はかく〓〓の故ありて我こそ與へたれと言はでは、何(一五)
(一六)となく心濟まぬ思ひのするまゝ、然までめでたしとも思はぬ此雪紛々の物語につきて、却てかくはくだ〓〓.しうも言葉を費すなり。ゆめにも此物語をば價値高きものぞとて自ら誘るにはあらざるなり。小說は事を叙するものにあらず、情を傳ふるものなり。然るに此雪紛々は單に事を叙するものゝ如くになり果て、ほとほと情を傳ふること無くて終れり。かく色無き花の咲き出でしは、其種子の惡かりしがためなること疑ふべくもあらねば、こは予が快く讀者の前に其罪を受けんと欲するところなり。また小說は〓ぐるものにあらず、感ぜしむるものなり。然るに此雪紛々は、人に告ぐることのみ多くなりて、感ぜしむる〓とはほと〓〓無くて已めり。こもまた予が敢て刑を負はんと思ふところなり。自家の妍姫は自家の手中の鏡にこそ知れ、燒母の醜を以て如何で自ら顧盻して態をなすの陋を敢てせん。。音の人の言葉に、自業自得果といへるがあり。まことに自業自得果なるかな、まことに自業自得果なるかな。此雪紛々の物語よ、禍を新泉に嫁すること無くば幸なり。露圓々は十年前のむかし世に現はれしが、今は知る入も無くなりぬ。雪紛々は十年の後の今に至りて世に出でしが、どれもまた順て人には忘られ果て·んに、兎角を云はんも烏滸がましや。我は此物語の世に忘らるゝ日、〓の鞭の吾が背より取り下されたる心地して、そこに一杯を酌む也三十三年五月露伴迂人識(一七)

雪紛々幸田露伴合著堀內新泉第回n面白い造紛世の中は、嬉しいものか悲しいものか、天地の半分を見れば、はい ざい段々と著くなる大仕拂の有りとは知れと、な2化の配劑、其裏の半分を覗け愚な心からは恨めしい筋書と思ふも2は、情ない神樣のなされ方、かして還よければ、:一うこし。人間生れ面白い舞臺に、住家は煉化作り、烟筒空:たん どしげに聳えさせ、石炭惜氣もなく暖爐に燒きて、柔らかき椅子に身を埋め、L店北風が何處を吹くか知らぬ顏して、孔奮の精靈見たやうな洋服着た美人ロ* : (一) :と膝を交へながらの風流ばなし、折から降り來る紛々たる雪を、ア好
ながめすゐしやうまたまどがらすこみようと''まうやくとゐ(二)い眺望ぢや、と水晶を焮く愈子窓越しに見て喜ぶ氣樂な儲け役を平り當2三のなんつみつくなつれと、それに引きかへて運わるく生れた者は、何の罪作らうでも無く2うぶごとあ々と安心ういのちもろ、、あり昨日産聲揚げたばかりなるに、破れ戶洩る寒氣を受けて命脆く、乳の味おまをはみどりご; Bめゐことひんム爲るよくは覺えぬ間に終る異見の樣に詰らぬ日にも延ふ事あり貧と富と、ながいまわかじにはつたつめつぼうつよちようらおもて長壽と天死と、發達と滅亡と、强いと弱いと、おのづからなる世の裏表なかなこたは、無くて叶はぬ定めなれば、よくあきらむべきことながら、さてあき紛らめはつかぬものなり。かたえセかたcakこそたかヽそのうら語らうか蝦夷のむかし、語らば恨に聲も立たぬなるべし、書うか其恨み、かかなしさてこはかながすみあとこうすわがふで書かば悲みに筆も凍るべし。いで書き流さん墨の痕、濃かれ薄かれ我筆の瀬るまで。第二回み4すそよ:がなきのふけふかぜPar野に滿てる熊笹の戰ざ物悲しく、昨日に今日は風も冷うなりまさりて、おほぞら:ムとゆいだる)けレあを〓〓ナわたてんあな大空の雲吹き拂ひ磨き出せる秋の景色、若々として澄み渡りたる天の彼た法みしリしたけこんばcogあかみしづかりたうげ方に、遠く見ゆる後方羊蹄岳昆保岳、近く見ゆるは靜雁峠、ホロナイ峠、西南に聳え連なるチだけ〃しろっフトラシ岳ヲタニコロ山、其背面に續くブナノキタなとくろまつないやま<るち或はウス岳けやまpたか1、ワラビタイ等黑松内の山々、ロフシ山、低きも高きもはるなつもやうかはさびモながめやまうるし:もめそれ〓〓に春夏の模様とは襲りて淋しさを滿ふる眺望、山漆の紅葉の眼ニさいふか〓ペPc霜に痩せしタランポの一への賴恐ろしむ覺むるばかり美しきもあはれ深く、なかitながをがはすけこrこつおときよこいづくえ紛き中を分けて幽に流るゝ小川一筋磧礫を洗ふ音〓し。此處は那處ぞ。蝦モしまねなエところうちしもばしよしゴかりsやまがしゆまこ英が馬根るるに呼ばれし土地の中の下比所さる靜腫村の山炭にて朱reをりの川の畔なり。きひとりぬ折しも來かゝる一人のアイノ、身には刺繍もなきアツシかまホツシにちいマネリきのこきのみすこばかとた々を着て蒲の脚絆を穿き、小さき腰刀を帶び、菌菓實なと少し許り取り溜かますかたジうつむ)〓icいきあしもとをぐさめめたる蓆嚢を肩より負ひて、俯きながら時々太き息して足元の小草に眼ことぶとしヽのたづつかやがを注ぎ行くさま、遺失たる物にても尋ぬるやうなりしが、疲れしにや頓三)て川線の砦に腰打かけて思ひに沈めり。,いはこしうちレゴいろしろmひたひひろ色白くして髭しなやかに、額廣
2如何なるところに出すとも差しからざるべき男いかSMをとこ(四)くして眼の中すいしく、pxどんりやううであと六とはなるまじき若者なり。め振り、年は二十四五、兩腕を組み合せ眼をム少時して息ホツと吐き、のぶひさ(いつsSp瞑ぎて、物思ふこと久しかりしが、ア情なしさがとていcoくさきかaltら今朝より捜す「ウベウ」の少しも手に入らぬ苦しさ、草木は枯れ萎みて、有aめいか六、:びやうきこゐシごわせいりといふ者も眼に入らぬ歟、母樣の御病氣日に增し惡く、次第〓〓に衰づかあるマンこうのうsたづへ玉ふが氣遣はしくて、或爺に聞きし「ウベウ」の功能、草を分けても尋ねだ出し御藥。作りて進らせんと、くすりつく:00をしはかたちくきあたた紛おぼろげながら〓へられし葉の形莖の形をこゝろあてさかまがさがこニのぼがけはたにつた心當に捜したれと、搜して捜して野を羅へ山に登り崖を遣ひ谷を傳ひてひるゆた;わがめにぶわがこゝろた晝餉も食べず捜したれど、我眼の鈍きか我心の足らぬか、それとも若しこ5なの似たる草さへ見出し得ず、にくさみえわがつか々や此處等あたりには無き者か、我勞れたるはとかくはゝさまこびやうきさまなてたてこセえやう兎も角も、母樣の御病氣をお救ひ申す手術も無き悲しさ、榮耀なされたところかほどこもうたいざんねん(よかあさぎり所が幾得も女を御老躰の殘年を一日一日お苦しませ申して、夜風朝霧の。ふとせnこなかおきふしまをつみよかわれおろかいへし邪氣を防ぎ兼ぬる選床の中に起臥させ中す界の深さ、我愚矇にして家自んミツばいばい二低糖たうま(sいことかな然と貧しく、精一杯怠けずに働きながら美き物一つ御口に納るゝ事も叶ことく殊更度々の夫役に身を一取られて愈々困る中を、さよたび〓a.となかpeいタこゝろすはず、妹の以良武が心柔Eわれ治こかいほうまをそのかたはたすはたp (80しよふけ順に、我に代りて御介抱申し、其傍らに生計を助くる夜深までの機織をさとてベニな(らうL 333にちナ接取る手きニ正シ間無き敬勢をも付て吳ろれはこそ優に一日くととてん かうさまきやうたいこゝろねすこふひんンチたま〓〓しやくさうぐらゐせ、天道樣も兄妹が心根を少しは愍然と思しめして適々知りし藥草位はていくねよけふけムあた手に入れさせて下さツて宜ささうな者を、今日も今日とて夫役の當りしそれよそ明日御役人樣に叱られるは覺悟の前で尋ねたゞやくにんさましかかくニハたづ紛なれど、其を餘所にして、むだばねをりなさけななんふうんきやうかいとちらむウベウ」、空骨折しは情無し、何たる不運の境界ぞ、何方向いても好いこなかなし:同じ人間でも、とシヤうまのなまづめとは無くて悲み計り、ア日本人と生れた者は、生爪一Bらミたいせつ11つ剝しても音樂とか云ふ者までつけて大切にするに、アイノと生れてはオツテナみおほかみ、、電みづこくまあぶらぬれうち電長ともある身が須に鹿れたる純きへ來で挑とて施の組線るだけのわれらなわれとから。せかいなひとりニそのびやうましてや我等の親は、我に取つては廣い世界に唯一人の親なれど、其病こめかあん、すべ(五)よういゆかからうとなひごほか氣に米の粥一椀裂らするも容易ならず、神に祈り占トに問ふより他の術
みニぷるでごにやとなしとは、あさましきアイノの身の上なり、思へば出掛にも早う戾れとニわれこミやうみたと〓ことばこぶんやさいわナ大きくなりし我を小兒の様に見給ひての御言葉、御自分の病は忘れ玉ひこわれゆくさきェもじやなさけはねふたあて此の我の行先に間違なかれとの御慈愛は骨に徹へて有りがたきに、ア爲かかつで,ざんねんあまやく6こと寿行らしきことも出來ぬは發金といふも餘りあり、オヽ無益しき繰言おそつたん遲くなつては以良武しんぱい. ;ごとんに日は暮れたり、に心配さするも拙し、母樣に御心ぼまをなほさらふかう:名古ゐナことたちあがかは配させ申しては尙更の不孝、草の詮議は明日の事として、と立上り、河づたおしわ傳ひに熊笹押分け家ある方に〓ひとかたお、こんおんびしよ紛歸らんとする後より、恩菱との、と呼びか〓をとこめんしよくあかゴはつながひげてたけたかまなこあきけて驅せ來る男あり。面色赭く、頭髪長く、髯濃く、丈高く、眼明らかおんとらう〓〓ふたゝたびよみちcafeはやとはしに、會吐明々百び三度呼びかけながら謗なき所を旦くる飛んで定り若きぬ。第三回よむおんびし조しやぐしやいんどの3呼かけられて振り向きし恩菱、笑まし氣に、オヽ沙具沙允殿か、兎でもと:旨ニあいさつちかようちけ獵らんとの山あるきか、獲物は、と挨拶するを近寄りながら打消して、ゆみうこぎがりけふごようぼちらいまレ:みイヤナニ弓は持つて居ても兎狩ではなし、今日御老母の如來麻志樣の御びやうきたづいもうとさいさがここたでre対象を務むて妹卿からうべうどいふ意を把しに欲が出られたと聞き朋だちとし3位ひまわれなよりきさつきたいぶ雲友の好みに、幸ひ暇な我、助力してあげようと思ひたち、先刻から大分っみあたそなたうんてい#さがしたれど遂に見當らず、汝は運よく手に入れられしか、ハテ氣の毒させんみあたしかそのやうSいこのらてんな、汝も見當らぬとか、然し其樣に氣を屈するにも及ぶまい、此頃の天きる。びやうにん上やうすゐんたんこ15なは紛氣工合では御病人も好い様子、とうか、突が來ぬ內に全愈してあげたいありがたしんせつたび〓〓シみまさ;たブ〓〓者だが、といふ。有難い御親切、度々の御見舞のみか、藥草まで尋ねて下をえたnたちきやうだいはゝさまとこつかいろ〓〓さるとは、アヽ汝は朋友ではない兄弟じや、母樣が床に就れてから色々ンこゝろづけその其度毎に以良武と額おび とといいましたあはかげなこのごおんの御心付、を合せては蔭ながら泣いて、此御恩は一しやうわす:をきのふわがるすいろ〓〓ぎよるるくだ生忘れまいぞと誓ツて居りまする、昨日も我留守に種々の魚類を下されました御禮申すをツイル街違ツて忘りました。れいませかけ たがごんれいいこまコレコレ禮を云はれては困まびやうにんいらうとこF〓Rわれぶやりやうだい(七)う、お前は病人と妹御をかゝへての働き、我は親なし子なし兄弟なしの
ひとりうおなちははをかうちかなんすこばかこヽろづけれい(八)獨身者、同じ持にも骨の折れ樣が違ふ、何の少し計りの心付したとて禮12のしづp.むらこのしやぐしやいんからかに及ぶ者か、靜腫村に四五十人のアイノも居るが此沙具沙允が金を掛けしやうつきあはバそなたかうかういけんしきあつばれがうじやうて一生交際うと思ふは汝ばかり、孝行と云ひ、見識と云ひ、天晴强情の重hそつかんぶくゐどんくうさまつね〓〓〓んびしたすは我も我を折て感服して居る、それに呑空様も常々恩菱を助けろとの仰せ、ししやうさまb 3 cふんかんしんゐ1即匠様の命令もあることなり自分も感心して居ることなり、及ばぬなが:ひなたそなたためド3 15い?、れいら蔭になり日和になつて、汝の爲には朋友だけの實意は盡す積り、禮もけふけニエニハゐビか(はん紛絲瓜も入る者か、今日も今日とてお前にも我にも夫役を當てた馬鹿役人iづかこんく〓のヽしでふaろさたの村塚づらを散々に罵つて出て來たが、扨て快い氣味だツた、明日は定又何か愚ぐゴ志愿cafeらいしやぐしやめし、7々々云ふだらうが、若し汝の所へ〓て掛ツたら沙具沙いんことニEエSANぶん:〃い々尤の仕た事だと突撥て仕舞ふが好い、また我が汝の分まで引受けて云ひさモがたばやくはんばわやくにんみまかるバ窘めてやらうから。其れは有り難いが、馬鹿役人馬鹿役人と餘り輕う思なんビ何程惡う云ツても大事ない、だい何の馬鹿役人、か:ねるいこんたおれはぬがよからう。汝と我とらどん くうこま吉田は仕合せに呑空樣に從。ていろはも習へば大の物の道理も覺えた者、teoたいがいたうりカうりちがことSなむんあいつらくる道理の違つた事に屈するわけは無い、どう考へても彼等はアイノを困しばかやくごんひたうやくダわが我儘牌手に人を使ふ似非役人まゝてこp.えモやくにんめる馬鹿役人、無理非道に夫役を當て、たと-そなた2せとしげ〓〓ぶあてこといま〓〓はうた假分ば汝の貧に這るる緊々夫役を當らるゝからの事、忌々しうて腹が立雲そのばらたちムどんくうさまをししのモこつ。其原立も無理ではないが呑空律に〓へられたぬふといふは其所のこC·あしもと(いそり2 neカちsしひとと、オヽ大分足元が暗うなつた、急ぎませうと、睦じき朋友同志、人こiひとりごごとかたゅゅcは小愛に。一人は大聲に語らひながら行く行くの話し、ない鄙びたる中にも、れいぎすないちそしこうハどんくうほうしい紛禮義あり、また筋道あり、〓への功は爰ぞかし呑空といへる法師、何っころこのしまわたとうざいるらうあんぎやすゑトラかりisしばし、ニ時の頃よりか此島に渡り來て、東西流浪行脚の末、靜雁村に少時止まり、なほしやぐしやいんムつゑかさンおろかよかあはそし今も尙沙具沙允の家に杖と笠とを置き、アイノの愚矇を深く憐れみ、〓さいきのみちぶつじやう品エすづたねまこといとことにちようざつc々へ導く法の道、佛乗の外に世わたる術、種蒔く事、糸とる事、日用雜事いろ〓〓むかかた¥つなおんびししやぐしやいんふたりより色々の昔し語りに及ぶまで倦まず傳ふれは、恩菱沙具沙允の二人はをし、うま生れつきたる林器の上に學問の功の光を添へて、きニがくものこうおそらーこれが〓を受けて、漸く普通のアイノならぬ田ガッ兒とならんとするに至れりとのつQいた(九)
(〇一)第四回ンミさいはうやまロたばんぶつやゝしづseか、いぬうづくエ(かた日輪樣西方の山に寢玉ひて、萬物稍靜まり、鳥は歸り、犬は蹲る募れ方、露じローラおきかわゆふぎりふいサやけんれいきてんちみさくよき々ね無情の沖風夕霧を吹て、邪見の冷氣天地に滿ちわたれば、草葺の屋根、わいたかたひさしあどちやなにれんLしろけたり割り極の片廂などおはれなふままの荒漠より何效ぐだは知ち子白きはそく〓nかなGEあやこせなたミ細々と立つも悲し。尙あさましく怪しきは、少し離れて立ちたる柵のや:oくまさくろふたみあまとしいろ紛うなる者に熊の髑體二つ三つ、雨ざらしとなりたるにて、年を經たる色こすねづみものすこそれミみゆ2cmざいごと淡鼠に物凄く、其に捧げしと見るケゾリカケの如く膣の如きエナオといのななぶなシAいへすふ物の風に嬲られてかさ〓〓と鳴るも無氣味なり。かゝる家にも住めばナLとしいさよつき證ひかうつく住まるゝものとて、然かも年は十五か十六夜の月の顏、光るばかりの美おとめまゆながくちびるあかわらうせうなげかけくろかみしき乙女、眉長く、唇赤く、後の方に投掛し黑髪のふさ〓〓としなやかむかがたてんまかやまにして、昔し語りのトレシマシにも增したる天成の佳人、キロヽイの山なかよしつねあとン〃xちなメ中に義經が後を追ひしカニケシイラブの麗はしきに因みてや、以良武となといちおちらまいしいたしきかたす名に呼ばるゝあり。今しもキテ確一枚數きたるのみの板敷の硬きに坐し{ぬこな:ひまはりちかたこつゐろりかたすみころて申につら貫きし魚類の逆しまに火の局団近く樹ち列ふ爐の片隅に轉げかけくちさくりとみメさてつびん·モかゝりし缺口德利を取りあげて水を差し、鎌瓶といふ物なければ其れを雲わか〃をたしばこもしめりけ吊るして湯を沸さんとす。手折りては燒く朱も能くは燃えず、濕氣あるめなごととうけむセンチ〓うちうづまばかをりからた。故かブス〓〓と音して白き燒り往しに定の中に勸念く計りなる折有唯Pこまどようかせふいけむあふあなたいちだんたかまう一つの小窓より用もなき風吹き入りて煙りを煽ぎ、彼方に一段高く設けし殺臺を〓へる冷氣を防ぐ爲めの垂れ筵の透間より入れば、ねだい.はせたた空すりまい紛ゴポンゴホ:びやうにん글(かはときaゆめやぶ6つよせきいンと咳する病人古びし熊の皮を敷寢の夢の破れてや、頻りに强く咳入よモみゝいたほねなaかへやうすしばりながら餘所の耳痛き骨鳴りさせて、寐反りしたる樣子なりしか、鯨にこゑいンよハイ〓〓母樣御目覺めなされましたか、:めす々れし聲して、伊良武、と呼ぶ。にちにちゆふかたさむ"ふまたひとさむラフリコ一日一日夕方の寒うなりますに、今日は又一しほの寒さ、鳥衣を御着せさむおんびしか、はゝこま申しませうか。ナニ寒うはないが恩菱はまだ蹄らぬか。アレ母樣とした(一一)ことごしんどいぶによるいおつつけお事が御心配なさらずと兄さんも如才なければ、もう追付御かへりになり
御腹が空はなさらぬか、〓·すきしやぐしやいんさていたひたびやい(二一)とませう、沙具沙允樣から頂いた鰈能う燒て置めしあがみセ其れに又今日は、:三ムisきました、召上ツて見る氣はござんせぬか、漸う〓〓の事で御役人樣の所かこやくばんさまEnk : fこめこめわのら貰ふた藥とお米、お米はあのお粥といふ者にしゑモちひとつぶでものまことけつ、かうこくて置きました、蝦夷地には一粒も出來ぬ者なれど、異實に結構な穀物、ャ1.そなだゆままをほきちからったべものはな日本人の强いも其是を食べる故だと申します絶力の付く食料との暗少し召上ツて見ては下さいませぬかめしるみ〓,折角侑めて吳れるがお米も食こめたアヽたへさしそもこゝろひとつぶた日本なほり紛べ度うない、温和くして吳れる汝の志ざし、一粒なりと食べて早う快愈やま〓〓ざん残念なは胸が張つねんた;たいは。山々なれど、てならぬ、食べぬを察しのないw 20きやうたいようカツしやぐしやいんどのしんせつ姫と恨んで吳れるなよ、兄妹の孝行と云ひ、沙具沙允殿の親切と云ひ、セルカ張やううれしかたじけごいうちながを々ほんに涙の謂れる樣に嫌いとも恐ないとも心の内には拝んで居る、とうなほるぶむしもいいいこは、つれあひそもたちけうたいかうゆつせ全愈まい老の病、冥土へ行て先立れた我夫に逢ひ、汝達兄妹の孝行のふいちやう元そカポニほめしたのし吹略したらば定めし能う育てたと〓が褒らるゝであらうと、死ぬにも樂うれ:だいことこゝろたわたしちじやうだいめえさたみがある嬉しさ。アラ勿躰ない事ばかり、心足らぬ妾等兄妹故定めしもことそのやうことおつしと云ひながら鵜機にわんとかしい事もござんせうに、其様な事仰あらずと、つあつめくすりこしだいたまなこおちいしこがみぬ注ぐ熱湯、藥劑拵らへて大事に持ち、面は瘦せ黃はみ眼落入り白髪亂れそばすわ、母樣是はあの日本人の四の上于な御醫者樣が作られた:これャニじやうぞいしやさま、し母の傍に坐り、3ふいさつたか〓;ことねが品むら雲妙振り出しとか云ふ含い〓〓高い御藥劑との事願ひに願ツてやツと村つ.こまいたゞにがきツとだすりめしあが%塚樣から頂きました、苦うもござりませうが急度利く御藥、召上ツて下ふたいツちやうたのこう·いづまことされませ、と振り出し一地を頼みにする愚かきも孝より由る眞情なり。紛第五回:いろち知來麻志は顏色少しくして、じしわむすめシ台おむらづか§ぁ胸の〓い村塚面の吳れた藥。娘置きやれ、る管wiヒなさけっつかみE〓く々は飮までもよい、彼村塚は慈悲も情も知らぬ奴、上に證ひ、下を苦しめたうじやけんやうちくしやうやくにんちくしやう< sあたしる、非道とも邪見とも云ひ樣のない畜生役人、畜生の吳れた藥は私は飮モParごいい45しそちたちこヽろづかひやすはうむてまぬ、迚も短き老の生命、いつそ早う死んで汝達の心道を休めた方が私(三一)ニことどつしそのやうことおつしが願ひじや、といふ。とんでもない事仰ありますな、其樣な事仰あつて
こゝろばそづか(四一) 11 = b.ずくすりは心細くてなりませぬ、村塚は村撫でござりますが藥は藥でござりませたためんめしあがはやなほりげんき元氣な御顔を今一度ら&うに、私に免じて召上つて早うお全快あそばして、〓が、きはくくねが御見せなされて下されまし、いらレ母樣々々、お願ひでござります、と伊良武言が發明な云ひ廻し。まはその,いみやうりほさもつたいわた5其樣に云はれては其理の程も勿躰ない、私しの云ふあやまありがたたは過りぢやつた、;嚥みませう〓〓、オヽ有難うござります、と起かゝ六60あてわんびやつにんis€いらンかほちからなける母の口に宛がふ椀病人は三口四口飮みさして、以良武の顔を力無氣みつめふxこヽろづいそち、ロaな紛は凝視しが不圖心付て、汝の耳には平常に掛けて居た耳環がないの、ととおとろおしかく108とゑハさま15たいさつ間はれてハツと驚きしが押隠して慄へ聲に、母樣から頂きました大切ので、っaか六〇たもしまたたちはたらときおとLエ耳環、平常掛けて居るも者の沙汰、若又立働く時落しでもしてはと仕舞おきエむたしわづらついさん々つて置ました、といふ。それならそれで宜いけれど私が煩ひ付てから汝そばかんびやうおんびしmiはさあせcこのころは傍を去らぬ看病、恩菱も思ふ程には持げまいに、かてゝ加へて此頃はそのなかなか〓〓〓こめニたつと、すい夫役のうるさい其中で、中々得られぬお米を求め、貴い藥まで手に入れしんぱい內々見れば愛の來る寒さに向つて汝等の; 2なほまづみみぞれくこBそちたもる心配、元から貧の尙貧しく、1 nところL (かにゐガこかなやうすじやうきむね寢所に敷く熊の皮まで、彼の借り此の借りに無くした樣子、病氣に胸のいたぷる2ものたヾひとそち、ゆづやわ痛むよりも思へば貧はつらい者、ひよつとしたら唯一つ汝に讓つた耳環むたしtため,なあんこまで私の藥か何んぞの爲に失せさせたのでは無からうかと案じ過したも雲若の癖、(+としごろあたしみごはぬほんにそなたの年頃では私も身にも覺えがあるが、つゞれの刺うつくこまし.マ;さやかつかうはな糖の美しう密かく爲たのも着たからう、佩刀の鞘も恰好よく、花やかに造さげみづかは05やまべねBEまへ彫をしたのも佩たからう、水を汲む川邊、木を拾ふ山邊、多くの人の前であかやそれあたしわかときに出るにも垢つき破れた其衣裳一ツでは私が十六十七の若かツた。に競〓紛べて思へば何の樣に悲しからう辛からう、とふうかなつ.うきょえきたたそれもこれも浮世に益なき私きやうたいあしてまどいせいかろさすが兄妹の足手纏ひになればこそ、そのせなと云ひさして又暖き入れば其脊輕く擦isい5〓ゑからむてれい;ものりながら無理に伊良武は笑顔をつくり、ひイエ〓〓私は奇麗な佩刀も衣物いいまどばヽことすこやかいよこがほのだも要りませぬが、こどうか今一度母樣を壯健に、と云ひつゝ橫顏覗き込めやみうへながになつかは、にねむ病ほうけたる上の長き話しに、疲れしやらん、うと〓〓と早や唾れ(五一)いゾことばソツと元の座に立ち日り、ざた伊良武はこれに言葉を呑みて、〓るさまなり。
あに:おそことbbまたハかい〓め兄樣の御歸りの遲い事の、キー: (六一)と眉を皺めつ、又思ひ返して正しく坐し、眼と吉いつしんを閉ぢ頭を下げて一心に、ら:かみさまこおみさまアイオーヘナの神樣、アイオーヘナの神樣、アイノもメノコも元は神樣すゑちからよわちとにぶきやうだいめぐたまきやうだいむこじの末なれば力弱く智慧鈍き兄弟を重み玉ひて、兄弟の母の病の苦しみをさこかみさまはかたれたのまを:·かみさまいか救ひ王へ、神樣の外に雖をか賴み申すべき、若も母に神様の怒りを引きわかわがaていいけにへかはつみ若き我身を償ひの犠牲として老たる母に代らしめ玉はれ、たまし罪あらば、あたゝかめい。にくBからすこそし紛暖き血をも召さるべし、生たる肉をも捧ぐべし、骨をも命をも少しも惜たてまつねがかみさまぶハニかはめぐふかふねん5 :とかぜみ奉らず、願ふは神樣、老たる母の顔に惠みきを年の春の雪を解く風ニにねんをはとなかどぐちいり くをとこなまのおんびしを吹せ玉へ、と念じ終る時門口がたつかせて、入來る男、怠け者の恩菱はかへらこゑん々まだ歸宅ぬか、と聲かしましく罵つたり。第六回い"ノこあいさつすけきびやうにんいまねルすこシ以良武慌てゝ挨拶なし、オヽ六助樣か、病人が今寢た計り、少しは察しあいcmあにさまかへびやうにんた物云ふて下され、兄樣はまだ歸られませぬ。フ、病人もすさまじい、牛にやいぬやうばゝゐないじトッにいかゆんあも蝨に痩せた犬のな婆を大切さうに飼て置く事もない、可い加減に埓をるなうおんがしベ;)このあひた明けた方がよからう、それにしても思菱はづう〓〓しい野郞だな、此間雲ルプかリれいぶんきじみちあたしづかりたうひEDDこ:みちかシ診腫と聽女本村との近に當き野産峠キョティ峰の二つの小山のつくろこんとまつまへおもて&じゆんけんンいてあひばらないきさまンやくにんさま繕ひ、今度松前表から御巡檢に御出になる相内記樣といふ御役人樣のごんいシほめことばいたヾだん なむらつかさまね御覽に入れ、よしん御宏詞を頂かうとやらが日那の村塚樣は夜の間も寂ずに心ぶれいぶん= usうけもちでこツちceうけもち紛配なさるに、禮文木村の受持はすつかり出來たが此方の村の受持はとつでてまへあにむつaはゝおやげやうさけばり出來ず、手前の兄が惡く誤魔かし、ヤレ母親が病氣だの、今日一日ろすいぬけかみメミでそのともだちしやぐしやだの明日一日だのと云ひ抵て御上の夫役に出ねえので、其朋友の沙具沙元ビかなからしゆんくみやうみこなまけふけ上3あの馬鹿力の俊苦まで見樣見似に意けるのだ、今日は今日とて朝か.すとこかけしから留守、何處をそゝるか知らないがお蔭でおれが叱られるに。ほんにあことばリないなにいふひんくなかそのひなたのお言葉に少しも無理は無けれど、何を云にも貧苦の中、其日〓〓(七一)こい〓、、:びやうき、あにさまうみやまひまかせおかんにさへ困るに、母樣の病氣を抱へて兄樣の海に山にの暇なき拝ぎ、御上
sきとちあに〃き(八一)の大役を努おろそかにすると云ふではなけれども、一日兄樣が夫役に出〓とし{はことかちれば、後は持ぎの成るものも無く、暫の口を干すやうな事さへ出來勝のひ=しばしはゝさまなは家の狀態ゆゑ兄樣の、暫時の間願ふ御猶豫、若し母樣さへ元の通り御全きやうたいふたり〓第快なさツた、晩ならば兄界二人が身を粉に砕き、毎日毎日精一杯働らきまっ日 する積り故。エヽ其言譯はもう古い、おくびの出る程食ひ飽きた、何ですレブみちふいはふも彼でも翌日からは靜雁峠の道普請、岩を碎くやら土擔ぎ、今日まで怠?oて下、ッはなみいろせせす紛けた償ひに汝もきり〓〓出てうせろ、とかう云ては花も實も色も情もな七:そのL±いのだが其所は旦那も粹様よ、其ふわ〓〓した腰付で土舂を脊負へともこコいそぶかその〓仰あらない、昆布刻る瑕夷の荒發にモ深いメノニの其中で御唄の付いたてめうんたえいやうは手前の運、ウンと合黑一つして且那に抱かれて纏りやアそれ迄、榮耀:ばずあんだいま榮華は手前ばかりか、兄の夫役も御免になり、婆に手當も下さるは、今Zけのごたん なまで愚國々々して居たは汝の白痴といふ者よ、速れて來いとの旦那の仰しようもツ上asよもや不承知はあるまいぜ、せ、さアおれ樣と一同に來い。此間から村またび〓〓〓その后めつがい塚樣の度々の其仰せは冥加に餘れと。との字は要らぬ、直に來い。てもひたん なさしづたい·と取り引立つるをまア無理な、それが旦那の。差圖だわい、と無躰に手をけが厭でござんす、一生懸命振拂ひ、エ、汚らはしい、人の零落に付け込んで祭華を枷に自分の慾を遂げやうとする(なるせ役人の慰み物にはなりsかせぶんさやうやくにんcasのその其樣な事云はずとも早う歸つて下され、と情無く云へば腹立ち聲はやか、くだな八五ませぬ、co :おこツかくてヤ此女め、ほざいたな、其方が四角にそう出れば此方も四角に出て行くさB紛は、そんなら來いとは云はねえから明日から失役に出てうせる。針の山きふを:バなきづら程峻しい坂に業の秤も折れる程、重い土番をかつがせて泣顏かゝせて遣こヽろch〓ミらうかい、それとも心を故めて此方へこれから來るならば、地獄の責苦いやまたひき々はさておいて世は極樂と云ふ者だ、まんざら、嫌でもあるまいが、と又引はくco立つる。諄々しい、面倒な、聞く耳は持ちませぬ、と袖を拂へば、いたしきめ.い六助よろけて板敷鳴る。音に眼さめて病人の、ゴホン〓〓と暖き入りな(九一)せばこたがら、むすめむすめ、と忙しく喚ぶ。アイと答へも急がはしく行かんと〓
2/4なは。(〇二)すれば又た止むる。ゑゝ煩さや、と突き飛ばせば、猶も執念く追ひ縋りい.風を障ふる垂れ。進の內に入りたる伊良一が袖を、:て、逃さじものと捉るlあは機會、筵は落ちて病床あらはれ、頰骨出でゝ老眼輝く知來麻志と面を會みおのれ鳴、せたり。蜜れたれども怒に激せる知來麻志痩せたる身を起し、六汝かはおんガきも人の皮を被れは少しは恩と義理とを知れ、七年計り前の事、ルヨウナるおはくまるすんでcitsわがノの溪合で大熊に逢ひ、既の事命を爪に掛けられる所を、死なれた我夫ほどおん3/4 v.紛に助けられたを忘れたか、それ程恩ある家に來て娘を無理に述れ出し、にんなぐさどん びにんふせ役人の慰みに爲せやうといふ人非人、ゴホン、ホツノ此足腰が玉然昔にならは輸倒しても飯たちゐで許してやる故サツサと出て行け。と28おいりに聲も顔はせて云ふ。死損ないめが何を云ふ、昔は昔し今は今、高がた.Kアイノの分際でゑせ役人とは離を云ふ。ゑせ役人で惡ければアイノの血おつきしたが3aたぬきを吮ふ豺狼役人、〓のれは其に付從ふ狐か狸か木皇め、ホツ〓〓娘きつねそれ女々しくおと〓〓する事はない、枕元のエナオを取つて、狐を打つおひいだすけ5て追出せ。ウヌ此婆と六助が振り上ぐる手に伊良武は絶り、ヨ·じ3つぶごとわたし六助さま、〓口短氣は堪え情なき老の癖、何事も私が惡い、とうが勘辨coあc ray〃して下され。恐いと自分を悟ツたら婆を打つのは許してやるから是から雪を、す,直に。·ぢやとて病人の母樣を捨て、何處へ妾が行かれうか。來ぬなら打なかLつぞ。さァそれはと爭ふ中を知來麻志の身は弱けれを氣は〓に、娘默りのみやれ、ホツ〓〓、六助、打てる者なら打つても見ろ、日本人の心も道理+たう紛は知らう、日本人の神とて非道は憎まう、さア打て、打て〓〓、と突つかB :めかる。エー小賢しい道理だて、聞たら膽が潰れ樣が、手前の娘の以良武方なははははな、遠からおらが旦那にはぞつこん惚れて惚れくさつて、夫婦の約束たん な交までした中、おらが旦那の女房をおらが旦那の吩咐で連れて行くのに何き: cほどの故障、なんと膽が潰れたか、自分の娘の乳綠合たを知らぬ程とぼけてisせんぎbぞんばゞあなま居ながら理屈詮義は置いて吳れ、手の煮えたも御存じない婆は默つて引(一二)こし〃L =込めやい、ドツコイ伊良武、眠れ〓〓、此の六助が斯樣底を割つて仕舞
モoうへけてめへたん なかはやなぎ(二二)ふろつた其上は、白を切るにも及ぶまい、今日も手前は旦那に逢ひ、水楊のきかひいちや付いたり引付いたり、っさん〓〓樹の蔭で、散々あまへて居たぢやァないかたか中.コレ伊良武そなたはよもや其様な很な事は爲まそのやうみたらこと1.ハハと高笑ひす。わかけ母は娘の面を見れば、レいせいもおもてはゝさまいがな、若や若氣の、と云ひかけて、いゝえ母樣すけいつごといきふいけみんな六助の爲はり言、と伊良武は急に云ひ消さんとす。いけない〓〓乃み々ofたのSこエnいまも〓おらが日那に遺づて乳れると後が願んだ物とよ一此の乃公がかおついけいみしやうこしかたな:ぼればヾる紛るぞ、云ひ消しても云ひ情されぬ說據があれは仕方が無いは、老耄婆め、つぶEchい1ことばおさKipちあいましこゝろなんと膽が潰れたか、と始は伊良武の言葉を抑へて、終は知來麻志の心ささくぐちすけがうぜんはなからこゝろあたうたがひなを刺す毒口たゝきつ、六助は傲然として鼻に笑ひぬ。心に當る疑念の無こうしようこにゝと々きにあらねば屹となりて、その證據は、と母は問ひぬ。第七回ろくまとところさぐちい、しん じゆはまといだこいま六助やがて懷中を撈りて小さき耳環の眞珠の嵌りしを取り出し、知來麻しめさきっっ:ニしりめ志の眼前に突き付くれば、ハツと驚ろく以良武をば、ヂロリと尻目にかもうばcoをしなみなことばなむツく:けながら、老婆ははら〓〓と口惜淚、言語は無くて勃然と起きたり。アあぶむすめたすそのてむきFのながbはち言レお危ないと娘の扶くる其手を酷く拂ひ退けて、エヽ長生すれば耻多し、ながいはマリツばはなg長生すれば取多し、じゃことこれ以武武、立派な耻をかゝせたの、鄙しい事を爲い",シ(こヽろおもぷはぬいしよカッやツたの、如何に貧しう暮したとて心も等落れ果てたるか、由緒ある我々ヨアニ人ももららに村塚面と不義密通とは何事ぞ、Pムgみツつうなにきとむかしえ之家に生れて、昔時は蝦夷地みちく: Lだいごとほろびちか紛に充篇て榮えたアイスラツクベルの次第くに衰ろ一て沢城を近くな;シmちくしやうせんぞわすきたのも、おのれの樣な人でなし大畜生が先祖を忘れ、さもしき慾にほだいきはひこはしませすウ造フニたツといたすらとあが同されて勢に媚び利に走り、先祖の血系を尊ばで一向他種を崇め算び、ほいや:〓〃ヒツやつふ云;ちくしやク族を卑しき者に見做す惜くき奴の殖ればこそ、おのれの樣な畜生を、ホほろちくしやうわがここのば〓つ、めいツ〓〓、アイヌを亡ぼす畜生を、我子に持ツた此婆は、何の面さげて冥とLホントるせんぞけがちくしやうわがこソこのばヾ土に行き、死んだ夫に逢はれうか、先祖を汚した畜生を我子に持た此婆(三二)カムイモくちをぷる腹立しさと悲しさに五た、かなが、極樂國に行かれうか、思へば〓〓口惜しい、
むドこのよ'子イボクナモりるかつくわえんこげなはじ"〃(四二)廳六腑り此世から大氣ハ地獄にて硫黄の次交に起るより由一億に御こピヾこゼマみツつうい.よここばなつは、ホッホッ、此の婆はな、此の婆はな、密通しろと何時の夜の諭し話し;ましいなわるねちのたるくむるつかムなに〓へたか、况て意地惡、侫け者、唯さへ憎き村塚と不義をするとは、雪おんかほみこにちくばざあもう〓〓〓〓汝が面さへ見たくない、ホッホッ、此の婆はナ、婆はナ、カいとすりふことpaからた^くるしこヽろパイの絲の一筋も曲ツた事はせぬ故に、身躰は病病に苦んでも、心はいやす〓〓うきよわたgのけふけふにいみだつも安々と浮世を渡ツて來た者を、今日といふ今日おのれゆゑ心も亂れtいはちしユユ紛て苦むわい、生きてなか〓〓耻かくより死んだが增しぢや、アヽ增しぢ¥+8ちくしやうちくしやうふ¥みツつうし、や、ホンホッ、これ娘イヽヤ畜生サア畜生、不義密通が仕たければ婆のなのちたんとしみゝわなとkoうとっ亡い後澤山爲ろ、耳現の無いのを問はれた時、まざ〓〓とした嘘を吐き、ばがねちやェわたしナなはうエ婆に氣兼を爲やうより、邪魔な安を野に捨てゝ亡くした方が宜からうご、みゝめいどとことゐむらつかづよなか耳環のないのを冥土から問はれる事も有るまいから、村塚而と中よくしかりてエわたヒの〓ころて勝手にふざけて世を渡りや、サアサア、婆を野に捨てろ、いツそ殺さころでうゆはサア殺せ、さらずばおのれは出て失せよ、行け、行け、行け、行け、をゆ10/3つかそばしょうなこな直に行け、村塚づらの傍に行け、娘でも無い、子でも無い、アイヌの血すなたツとムいたづらやうつくしやうここのばヾおぼえ萩と尋ばで日本人と私通する様な畜生と子に此器は持つた發はござやみちとニしちくしやうミヤ上すけとせぬ、病ほゝけても知來麻吉は畜生の親とは能うならぬ、ソレ六助、何雲こつ,てつがうぎあとさきわんわれつど営處へなりとも連れて失せろ、と一徹爾氣に後先の考へもなき烈怒の勢ひ: LりよふんべつあさはかいなせはSたけ倍は凄まじく、思慮分別も淺墓に、息も急しく罵り哮り、顏をそむけて齒をからだあたモがひきすがこたくひしばり、利かぬ身體に力を入れ、背向にならんとする袖に縋りて愛、、:かんにんかんにんハ〓紛もおろ〓〓と、アヽコレ母樣、堪忍なすツて、堪忍なさツて下さりませ、たつ〓御腹の立のは御道理なれと姿の言葉を一通り聞いて下され、usだろりあたしことばととき<たいメと伊良武のい云ふを云はせ〓ひとうそつもくしやうも果てず、聞かぬ、きかぬ、聞きませぬ、人に嘘吐く畜生に母と云はるゝは耳の汚れ、けがちくしやうハごまよご注文なヒゴこのみヽ々畜生に母樣と呼ばれる覺は無い筈、此耳はちくしやうことばわたしおんびしリツばこちくしやうにゝさまよピ畜生の言葉を入れぬ、妾には恩菱といふ立派な子がある、畜生に母樣呼おんびしきぞでたらちくしやういかはりされては恩菱までの瑾になる、出て行け、狸め、畜生め、と怒りに(五二)これろうくなさけシことばたらNoおやわすの聲も荒々し。情ないその御言葉、狸にもせよ鳥にもせよ、親を忘れる者
·〓L (六二)があらうか、假令妥が愚鈍ちやとて何の獨らなよを仕ませう、日頃から〓として精一杯心を盡して働くつもり、母樣大切に爲しながら、少し許りの:人の謀計に忽ち疎まれ叱らるゝも、思へば平常の孝行の未だ足らぬよりミ〇一部雪母樣の短氣な御言葉をしうは少しも〇〇〇起る事、疑はるゝは是非も無し、ハだ思はねど、つく〓〓我身の愚鈍なが恨しい、去年の冬から母樣の次第にとGRE弱る御病氣を、何うか念してあげたいと、兄妹兩人で氣は揉め と、藥もL 21スこ品紛知らぬアイヌの事、人に頼むで聽音占を仕て貰へども分らねば、神に願ひを幾成か掛くる本幣の一つとて効勝も見えぬ悲しさに、あの村塚がいsib pと尊き振り出しと云妙論を二脂色も用るなは屹皮愈ると云ふ改に、何のさ々樣に効く藥か知らねと、其を欲しと望みたれば、耳環をよこせと慾の言ミ〓むc六、草、遣るも嫌なり、と云ツてやらねば藥も吳れじ、一つは大事の〓〓母6 =樣の賜物なれど一つはまた、大事の〓〓母樣の病痾を愈す藥故、濟まぬハ··ハ事とは思ツたれど、病氣の愈るに比べては、耳環はおろか、此以良武の耳を殺でも苦しうないと、( f E取、心を定めて藥を貰ひ、漸く先刻あげた時、b環を御尋ねなされしが、眞實を云ふたら良かツた者を、遂淺墓な心から耳環まで離すしがなさの切ないことを母樣に御聞かせ中すがつらき故心g〓にもなき磁妄語いふたは安がりつい過失まことに巡うござんしたが六ミ動の云ふやうな事を仕たおぼえは更にござりませぬ、此處の道理を汲み、: noバ分けて、母樣々々、どうぞ免して下されませ、あの村塚めが何日ぞやかcafは紛ら、妾を付つまはしつして、煩いことを云ひかけるを、菅なく撥たら、Pとの様な難儀の事を云はうも知れずと柔しく受くれば圖に乘つて、人を惱める惡謀み、うつかり乘つたは、妾の無分別から、ぢやとて妾も母樣憎うてならぬ村塚の娘でござんす、子でござんす、づらの言葉に何で從ひませう、骨が舍利にもならばなれ、母樣のお傍は離れませぬ、と伊良r武が云ひ釋く腰を折り、六助嘴を尖らせながら、オィ〓〓以良武、小刀(七二)カ日細工の云譯に、吠顏かいて骨を折り、高が腰援同樣の老〓婆の機嫌を取
そんなうそうしろだて(八二)すけさまり、其樣に嘘言を吐かずとも、後楯には六助樣が、しツかりとしてござい5ぶねつスカ30にふるそばいやるから、ナア、コレ以良武、熱と垢とで物ぐさい婆の傍が懸になり、さシャこんむしちたびんごおきやはさむかぜツぱりとした日本人の家、キナの態の痛くない備後表の柔らかさ、寒風雪の洩る此樣な家より且一加の御傍へ行つて榮耀が仕たくなつたのだ、このやうこたんないえにL、、わ耳環わるし=ばヾゐぎやうてんやツたが惡いか、と、ばらして仕舞ツて望めを仰天させるも好いではな4.おやこみcivいちろふかいか、然し親子であツて見れば、獨で婆を振りきツて出掛けてくるのもしにくそれぬゑむかきたせた紛仕憎からう、其故おらが迎ひに來たのだ、さあ立ちなせい、と迫り立つなにい、たとひみゝわやふうふミたちる。エヽくと〓〓と何言はるゝ、假令耳環を遣つたにしろ、夫婦の約束ならだしなわたしことなに耳環を遣るとはアイスの習慣に無いことなれば、妾の知つた事では無5あにこまホソくだいメかこすけい、ア早く兄樣が歸て下さればよいに、と伊良武は喞てば、々六助は、おんびしかへつがふねるなんいつしよここ恩菱が歸つては都△が悪い、何でもおれと一處に來い、サア來いとばかせるり逼りたり。第八、回てごっゆすけいタ手籠めにしても連れて行かんと六助は伊良武を追ひまはせば、らうばち老母の知き雪來麻志大に怒りて、にミLおのれまいろだいcだいじざうむすめ六助汝に娘を遣らうや、わる大事の大事の秘藏娘、惡う云つたは我過誤、いわがるやぶやはブほどせずめなんおってわたいぬちくしやう親ながら重かしい程の娘を何で汝に渡さうや、大畜生おとからづかなか〓〓わたっにも劣る村塚などには中々渡さぬ、わあや15お花び連れて行けと云つたは我が過誤、汚たくみあやまこのわたし号ばむするおんびし紛き謀計に乗せられての過誤、此妾には立派な娘、恩菱にはまた立派の妹りつばかつとふのれら々ナみゝわ選のこわかそ、汝等に遺ツて濟む者か、きたなたく耳環の話しも殘らず分ツた、汚き企みも、みやぶさてにやくやつ'たしたんきロこいニ看破ツた、5おひだ扨も扨も憎い奴等、妾の短氣に付込んで伊良武を追出させるつもりあくさくおやこたんじ2. 2こざいた積の惡策、おほかたそれおにん親子を互に恨ませて、い々疎くならせう小才覺、大方其も汝の入ゑニつかビかものおちaかしわざしれ智慧、村塚は馬鹿者、このちらい汝れが智慧飼ふての所業と知ツた、:し此知來麻志め品.あひだ口千萬わたおんびしといたが眼の光る間は娘は渡さぬぞ、めゐほどはや恩菱でも戾ッたら痛い目に逢はう程に早(九二)かいちよSaたぬきとく歸れ、おのれに遣るべき娘は持ため、か、狐め狸め疾く歸れ、といふ。子
kiしにかゝじょろきとかななんと(〇三)ニヲ小癪な死掛り婆め、そう悟られては仕方がない、何でも奪ツて行く、みぜんわい獸類同前の·止められるなら止めて見ろ、可憫そうだが足腰が利くまい、むすめ〓めしあはせ汝等の娘が、おらの旦那の御眼に付いたは願ツても無い幸福と云ふ者、雪ひつこおれか、野暮を云はずに〓ツて引込め、我は斯うして連れて行く、と又立掛る六明が傍若無人の振舞を防ぐに柔弱き女の力、じんムサさけ伊良武はアレと叫びもあへisてわかろ〓〓かゝず口に手拭衝まされて、小脇に輕々抱へられたり。老婆はこれを見るよゆceさなさ紛りも病苦を忘れて六助の器を把へて放さばこそ、おのれ六助の大惡人、불량が台なみたつcしにみ娘を返せ返さぬか、と激怒に躍る胸の浪、立る聲さへ狂はして、死身にteはやまつだなつて取りつきたる、折から日も既全く暮れて、家の內暗きに爐の火のの〓akみ紅う見ゆるも物悲しく、伊良武は早くも氣を失つて、死せりや生けりがうきやうや正躰無し。エイ剛情な糞婆、と足を飛して蹴倒しつゝ後をも見ずしてさんいであひがしらい( V.たれミL六助は女を肩に駈け出づる出合頭に入來る人あり誰とは更に知る由無ロたやみけれど、面倒なりとすり扱けて行かんとすれば立ち婆がりて、暗に紛れいづ; 2て思菱殿の家より出るおのれは何奴、怪しい奴め動くな、と云ふ聲太きしやいんわがやかけいてきなたさまなぎは沙具沙允にて、吾家よりして駈出られしは誰様で、何御用あツて、とくじつわる優しく問ふは恩菱なり。六助進退究まつて、ヤヽ仕損たり惡い者に出逢E ( 304 2 Eぬ'ひし、されと關夜の暗さを幸ひ、默ツて巧く通り抜けんと、間を潜りてくせものさcoみ駈け出す。さては曲者、と沙具沙允したゝか横腹隊付ければ六脚ウンとたんい上海バツタリ伏す。途端に正氣の付きたる伊良武、半ば夢中に聲立てゝ、兄さん じやる紛樣早く歸ツて、といふ。オヽ伊良武、恩菱は歸つたぞ、此有樣は何事、とせばとごかばたいまつと忙しく問ひながら家にズりて、樺木明を搜り取り、爐にさし込みて炬を?ランぬぐひてばやしやいん-作らんとす。脫れかゝりし手拭を子早く取つて沙且沙尤は伊良貳をいたおんびしゃ店々はりつ家に入れば、思義やう〓〓火をあげて家の内を照せしが倒れたるた老婆の差に人々はまた驚きて此彼ひとしく程權忽梯と呼び立てたも(一三)
(二三)第九回いちらいxしおんびししやぐしやいんみは.こゝろつか喚び活かされし知來麻志は、恩菱沙具沙允を見たる計り、心の疲れ氣の雲ことどないノおやすめるゆるみに言葉も無くてあつたりしが、伊良武は涙をふき〓〓に有りし次たいもの がた3ぐニいんヒセにぎばかなんusづかひぎいきとほ第を物語れば沙具沙九は拳を握り歯を嚙み鳴して、村塜が非義を憤りけおんびししうゆんこひそことばたやゝひさのつミさまゆ00恩美は懲然と眉を顰め言葉を絕つこと良久しくして後、母樣御ゆる%こんにちかへりおそためいろ〓〓しんぱいかさっと紛し下されませ、今日の歸家の遲かりし爲色々の御心配を掛けたるは眞になんまをしわけことミごびやうきからだなやことどう御聞かせ申したまを何とも申譯なし、殊更御氣の御身躰に惱ましき事共、わび御詫の申桃もござりませぬ、まをしやうこれみなwつかしかじつるは、是も皆あの村塚づらめが仕業、實はほゝこまい+ないしよしをことしEゆきふか々母樣にも以良武にも私密に仕て居りましたが、今年の初め、雪まだ深きころこさんくう:と申す御方を圖らずも師と頼み、かたはかたのないとしや頃よりして此處にござる呑空樣沙具沙いんどのいへかく=ンそり〓〓ふたヒモノル3こヽろせまりやうしめせいきん允殿の家に隱匿ひ申し置き、折々二人で〓を受しが、心狭き領主の制禁をんかたとことこごく〓〓ないしよいたティズに文字シ致あるは堅く兼められし玉なれは家より極々移密にやつやかㄸねちら漸く假名文字と平常用ゆる幾干かの文字とを習ひ慮え、いくらならまそのほかさまぐ上ことひとみちかぞ〓〓みなはなしさづ其他樣々の世の事人の道の數々は·皆談話にて授かりつ、らだうり5カ.こゝろさと治ふたりごとを物の道理も略分りて、心に悟ることも多ければ、なほいくとし二人ともまことに喜び居り、をしへぶ種のcaあたけふinかた尙幾年も〓を受けんと思ひしに望は空となつて、やまくだつれた今日の暮力山より降りて二人連立ち歸家んとすか、chちよつと:上こる所を、一寸役所へ來いとの吩附、いひつけセ5一かだいう是非なく行けば村塜めは臺の上に居もつたいきん くう:とけヂわれこちて勿躰なくも呑空樣を土下座させ、ヒすばせいきんをしまたなら我等をも併び坐らせて、御制禁の文宇をアイヌに〓へ又羽ひたる者、:そのつみかろどんくうるナすぐた共に其罪輕からず、呑空は明日直に立このち〓ことあひなつべし、おんびししやぐしやいんかうごー此地に置く事相成らず、つゝしからわたなおなにんゆん恩菱沙具沙尤も向後を愼めとの言渡し、可役にアイミは間し人間でおりなから文字を背ひ學的を爲す事のなじならかくもんなことゆんきたえだうヽむ々か、言語に絕て不道理無慈悲の憎き制禁、たいはいきんふくにか2.こゝろどんくう飽までアイヌを馬鹿となし追使はんとの心なるべし、:ふかシャャモこと呑空樣は慈悲深く、シヶきのれゑてかくとん同じ日本人でも眞の日本人、汝のやうな似非役人とは違ツて御心濶く情厚く、あがニこゝろひろなさけあつおろかわれらきはいたま愚昧な我等を導きて玉(三三)はる御方、かたこつちンことなはそれを此地に置く事ならずとは何事ぞと、ことしやぐしやいんどのい〓沙具沙允殿が怒り
ろんぱんニ.つかいちごん〓5ムいなにいみひて(四三)ての論判、村塚めを一言も無く言ひ伏せられしが、何を云ふにも相手はやくはんさかこん·はまりひおちこつちそんなにいどんくう役人、逆らへば逆ふ程理が非に落て此方の相ゆゑ、何も言ふなとの呑空:そししたがみむ.なboわたkb樣の〓へに一從ひ、見す〓〓無理とは知り云がら是非無く言渡しに從ひ、こんにんどとも(。とかかへかるすむらつかちばんたく雲三人共に口を絨ちて歸りしが、時歸のて見れば我が由守に村塚めが汚き企しあはせいうばはす3ガくもをしわれ5 aみ、僥倖に伊良武を奪はるゝ耻は免れたれど、返す〓〓口惜き我等の身ニごおんどんくうさまなにひとごおんほうことでまみの上、御見になりし看空様に何一つ御意報じをする事も出來ぬ間に、明わけゆみかへおそナ日は御別れ申さねばならず、ゆ;かい紛斯う云ふ譯のありしこと故歸りの遲うなりたら二をんへどんくうさなハこはエれいしは御ゆるし下され、スルかぞ〓〓尊き〓を数々受けたる呑空樣には母樣から御禮をた平55ちふい〓しらうがんなみたいとごと云ふて頂きたい、と云へ)は野に聞き居し知來麻志は老眼の涙糸の如く、にふしまつありがたうれまをつくdat法師を拜みて磕頭をなし、アヽ有難しとも嬉しとも申し盡せぬ。我が喜び、々みなむらつかナけのハこゝろせまわれらあが日本人といへば皆村塚か六助のやうな者と思ひしに、心狭き我等と違ひたうと〓かたおねひろなんえんよしみおろかこのばヾるこやイだて尊き御方の胸濶く、何の線もなく好もない態味な此愛の子を愛しみ下こくしゆはきんぶかや〓〓Serことをしたまこゝろaされ、國主の制熱まで犯して双々の尊き事〓へて玉はりし御心ざし、見ざころこのやせばヽあこいとたまつれまとカルよごyヤ所もなき此疫婆の子を厭ひ玉はず、襤褸を纏ひ垢に汚れて、日本人からみ見たらば乞食にも見え獸類にも見えやう身貧な幾子を、こじみみみひんわがこにんたまひ憫み玉はりし御ぶ早しありがたうれめうm心ざし、婆は死んでもわすれませぬ、アヽ有難い、嬉しい、冥加な、若たすたまかみさまシャあくにんくるしやアイヌを助け玉ふ神樣ではござりませぬか、日本人の惡人に苦しめらる〓アイヌに向ツて御慈悲深い、むかじぶかさだれいぎしわがこふつゝか定めし福義も知らぬ我子の不東なりことよみすをしへたれれい御禮をしし事もあらんに能くまあ見拾てず〓を埀てたまはりし、爲やうにいンこち品ばヾあおろかこゝろたけこ%紛も云はうにも、叩頭するよりは知らぬ婆が愚昧の心丈は汲で下され、ほつ%おんびしそなたさだエれいよかたご察して下され、コレ恩菱、其方は定めし御禮中す良い仕方をも覺えたらちよつといまばマるをしそのとはよれいいらうに、一寸今婆に〓へて吳れ、其通りにして能く御禮申さう、7伊良コそちnよっおつて〓かたしきものb々武汝も眞似たが良い、オヽ氣が付かなかつた、尊い御方に敷物が進げてほンいたしきがは"べるないぞ、キナ一枚では御痛からうに、ナニ敷皮は無いといふか、苦しうあたしふこのかはとつしいゐあたしいはんやない、妾の敷て居る此皮を取て敷て進げよ、妾は痛ことはない、と病み(五三)ほねたるとし;さむみさうぶことわりせくじらて骨立たる年寄の寒げに見ゆる馳走振り、道理責めていとあはれに、鯨
エあこうみえモしまね뜬おほひのもと(六三)うちさすが寄るてふ荒海の蝦天が鳥根の果なれを大日本の內なれや、流石やさしきそんなぎしんせつこもと.よすてびとな女氣の親切籠る取りなしは世捨人をも泣かせける。雲第十回えしいろころゝはじやせくろどんくうはふしちあい"しは立てゐにら得知れぬ色の衣をみひ、瘦黒みし呑空法師は、知來麻志を制し涙を拂ひ、たんねんこさ、부きしゆつけもとこ端然として枯坐したる儘、婆よ、それには及ばぬなり、出家は素より樹かけねむいしけばみしながはcoこゝろざしはやじう紛蔭に眠り石の上にも坐るべき身、敷皮なくとも苦しからず、芳志は旣充ぶんうけ...つかみそのまゝをご:ことおたんこ分受たり、病み疲れられし身の其儘居られよ、少し許りの事を汝の子にをしさこゝろづかンわれほとけつかひと〓えたりとて然ばかり心遣ひするには及ばず、我は佛に仕ふるもの、他きしみち§えことさらびやうきこを〓ふるが我が道なれば酬を得んと思ふにあらず、け々殊更病氣も苦し氣なそのまゝらくaみべつだんこれいつわるchaみり、其儘樂に寢て居られよ、見れは別段是と云て惡き所も見えざるは、ちうびやうめうふ〓かつてくすりやういなおもふに老病といふものならむ、それに妙振り出しを尊き藥の樣云ひ做ぃさいむらづかしんちうか:にくえんして伊良武を欺きし村塚の心中のさもしさ、されと今更憎みて詮なし、さいはわあんぎやラじんぐすりあれのヤ幸ひ我が行脚の用心藥、いとうみべまつaヾふre荒野の一つ家海邊の松が根などに病み臥す時のたすこらあはにんじんゑんあた助けにもと持合せし、八參圓あれば與ふべし、おんびしいノふたりこかうかう恩菱伊良武二人の子の孝行の衞に頓て愈らう程にくく事事にして休みやれ、: CHほほよだいじい(あたと伊良武に藥を與ふれ雲ごやこにんもくれいたたなば、どんくう親子三人默禮して受け頂きてぞ泣きたりける。またしやぐ具沙允に24呑空は又沙向ひ先程そなたが蹴倒せし六町、こきほどけたはLよろとあのまゝ死なせては、しからず、兎にかくいはなよたくやついくも角にも生かして放つが好し、のFFつみに憎き奴ではあれど憎き者を憎むは拙し、紛此處へ昇き込め、ここよみがへねるしやぐしやいんすなほ蘇らして赦してやるべし、と云へば沙具沙允は温順に、てたもか、しやうさま外面に出でしが、御師匠樣彼奴めは自と息を吹返したLあいつぜんいいふきかへやがて立歸り、と見え、み那地へまゐりしか居りませぬ、いづくをといふ。よし〓〓其なら其でよし、それそれこんやむはふことしかco今夜は無法の事も仕懸けじ、ニ、こゝろつかつ 々オ病の上に心を使ひて、疲れしゆゑか氣める年やうすごんびししやぐわがの緩みに婆はすや〓〓と寢た樣子、しやいんともとばこはなし恩菱沙具沙允共に我傍に來よ、談話こよひかぎゐすわかをなさんも今宵限り、めくすとた明日は別れねばならぬなれば、二人の行末の爲め(七三)驚て我が考へ置し大畧を說くべし、わからおきあらEとといへば伊良武は三人の面を替り替ぷかロかはかは
ひしばそモねむはゝたつとそうたのもをとこしんみあに(八三)りに腦ながら柴折り添えて、眠れる母尊き僧賴母しき男親身の兄を、せさむろたきびHあふできニめては寒からせじと爐に燒火す。やさしき胸より溢れたる暖みは一室のうちこはたひあかきどん くつおんびし山.さたいしや中を籠めて、榾の火紅く鮮やかなり。呑空は恩菱の對ひに坐し、沙具沙ひんいぶむかさとんくうaしづかこいなうつもとこえゼち雲允は伊良武に對ひて生せしが、呑空扨て靜に說出す様、元此の蝦夷地はふるxはんこくうちそちたちまたにはんくにたみことこのあひだい古くより日本國の內にして汝等も亦日本の國の民なる事は此間も云ふてとほなかごろあしかゞ〓てんかみただみやうおの〓〓おのきはたらころ聞かせし通り、中頃足利の世に天下亂れて、大名各々自が儘を働きし頃つがふき:あんどうさだすゑまご1なんぶ; :こもねんこのもれた紛津輕藤崎の安東貞季の孫〓季、南部守行に追はれて嘉吉の三年此地に渡Cむつで〓おちむルマおこのも3 gいつにうりしを初めとし、陸奥出羽の落武者多く此地に脫れ來て一方を切り開ききよじやう?またおのれ〓〓てたにぼんじんをさ。わたたう居城を作りてアメンとも又各自加手下のロ本人をも治めし者渡り然はびこりそのヽいくばくとしつきあるひにほんじんどうしたゝかあるひ"ほんじん跋扈しが、其後幾何の年月を經て、或は日本人同志の戰ひ、或は日本人あらそマらんさたpo 244 saいまとアイヌとの爭ひ、治亂定まりなかりし後、漸く一つに治まりて、今ははたにまとまへけ最ぞえん33たま:えさしやうぐん七番このもをさ即ち的前家蝦夷一圓を領し玉ひ、正しく江戶の將軍に從ひて此地を治めことあたねぎどんくうこのちきたCoffeやうすたまふ事、私し業にあらざるなり、されども呑空此地に來りて竊に樣子aいくみちいまいたいつかうむを見るところ、る。撫育の道は未だ至らず、アイヌは一向無智にして、擴くたちおミゴいや少しも。をを受けざれば』じ人にてありながら廿其態ほセレト品その愚に貧しく賤しゝ、さま"のちかくらしさまおくわれと〓〓獸類に近く、こなさけなき生活樣して日を送れり、我は元より世をcosつかまるさまみかな捨てゝ佛に仕ふるものなれど、眼のあたりアイヌの狀態を見ては、悲しくあさましく思ふあまり、さたよさがみなさけとはこれを救ふべき便りを索せど、皆酒に溺れ愚あまぜんうつこちさいこゝろきよそちに甘んじて善を聞けども遷らざるが中に、たち才かしこくして心〓き汝等二えしろはせcarためしあはせ〓セにな紛人を得しは幸福、眞にアイヌの爲にも幸福、蝦夷にも花咲く時の來しなときり、されば我多くのアイヌに淺く〓へんよりは、3をし二人に深く〓を傳へ、はかさん、つた二人の手よりして多くのアイヌを善に、導き、てぜんみちびみちいめあて道に入らしめんとの目的をさだこのなるこのもミンとはふにきんいなん此春よりして此地に止まりしが、つ々定め、素より不法の制禁ありて何日何:わみン〓はかしまんことあら時我が身を追ひ拂はるゝかも測られざるを知りたれば、この万一此事露はれそのあかつきよういわくもてモふたことしよもつし其暁の準備にと竊に作り置きし者あり、其は二卷の書物にして、一つ(九三)とちようざつじ1:くらし三、しゆは日用の雜事を記して、たい生活の狀を進ましむることを主とし、一つは心
もちいやうなみみもちきよすゑほとけみちい(〇四)コの持樣より身を脩め品行を〓くすること、末は佛の道に入るまでのこと1/4 ce食事なぶみムまんぞくにつぱんごしりなんぢらわかを記したり、其に皆假名文にて不備足ながら日本語を知し汝等にも分るやうしたゝンわのちふたりisよくくエここんさと樣認め置きたれば我が去りし後は二人共に能々讀みて悟るべし、讀て悟·2をしへつたご〓9ロビやうつどS無らば多くのアイヌに〓傳へ、追々人の人たる樣になさんと勉め勵むべし、これわp.のぞたいゆゐごんまたわれおんびしエおんじゆん是我が則れに臨みての第一の遺言なり、又我恩菱を能く見るに温順にしつよことはか1せい1)しやぐしやいんみゆうかうて義に强く、事を圖るに思虚を鍊る性質なり、沙具沙允を見るに勇剛にぎつよことなちうちよせいしつふたりけつ紛して義に强く、事を爲すには隣諾せざる性質なり、されば二人は决してcoしやぐしやいんはなおんびしよわおんびしはな離るべからず、沙具沙尤を離れなは恩菱は弱かるべく、恩菱を離れなばしやぐしみいん±ふたりこゝろおたそのとことかねた沙具沙尤は危かるべし、二人心を同じうせば其利き事は金をも斷つ、テはんじやうことま〓〓じやうじこれだいかいごんまたイヌを繁昌せしめん事易々と成就すべし、是は第二の遺言なり、又アイなかあし.つロ¥わしたらうばロイチキこんいんな:00ことニの間の恐き風にて他の族を察に奪ひて遂に婚姻を於す有償あり、眞に:3かなどうそむわさちよちぎそむそのよえん道にも協はぬことにて情にも背ける業なれば、千代を契り初る其夜の宴ロン召フてだよろふたりに人の多く列ならぬを手柄とするやうなることは宜しからず、兩人ともかたつゝししやくしやいんおんびしはやつまあたおんびししやぐしやに堅く愼むべし、沙具沙允には恩菱早く妻を與ふべく、恩菱には沙具沙いんなかだこれことさらジだいたいふたりわのこ允媒妁すべし、是殊更に言ひ置く第三なり、第四には兩人とも我が殘す上ミみのuおもどことセこと〓書を能々見て後、沙流のピラトリに赴くべし、事を起し事を成すにはア雪あさ、はかよところゃふたりあひたづさイヌの都のビラトリならで外に良き所なし、是非とも兩人相携へて沙流びらle iひきrはかりごとなこのあひだわいひとほの平取に赴き、アイヌを引立つる謀策を爲すべし、此間も我が云し通りわれしゆつけaけんホートつなけん또としかたみほぼれ衣山家のみでありなから世間のみと傳ふるは世間の泣き發ふろブ御こヽろかなnそもたちありCHみしの紛心に協ふべしと思へばにて、汝等の有樣のあはれなるを見るに忍びぬよわざそちたちわにいむらんありさまかなりの所爲なり、汝等も我が意を襲ぎ、漸くアイヌの有樣の哀しき者なるさとレこのこうわれBいことこれ かぎを悟り知らば、此後は我なくとも勵めかし、言ふべき事は是限り、たゞハさかこゝろつとをゴふたりおもて幾重にもアイヌの榮えを意にかけて勉めよ、みと云ひ終つて二人の面を見つめぬ。(一四)
(二四)第十一回たちひそしことばaおんびししやぐしやいんらくごけうくん心を潜めて卽の言葉を一々聞ま居たる思逐步見沙元は頭をさげ。御〓訓爲ことく〓そむジふたたいあばちからあはゆくすゑよは悉く背くことなく、番ツて二人とも心を協せ力を協せて行末好きやう江戸まをためはたことシわれらはんもうかね謀り申さん、アイヌの爲に働らく事は元より我等の本望なり、豫てより、おなにんげんわれらまづいやャも: isを同じ人間ながら、我等ばかりは貧しく鄙しく、日本人に比べて口惜しと紛思ひ居しに、〓し師の数を得てアイヌも日本人に劣らぬものとなる事の發造そしへえシャおとことコまでかたこゝろひそかよろこをふの上た土難くもあらぬを知り、心私に悅び居りしに、今また二卷の此書までを賜こおんわすゆゑなひにふせいきんンししやうさまニはる御恩は忘れ申さず、それにしても故無き非法の制禁、御師匠樣を罪とEだうりかみむこa .たいよ〓〓〓たちaたま々して土地拂ひとは道理無き上の酷き沙汰なり、愈々明日は立去り給ふか、とはうがくいづれんちとたまこの15ひとかた何の方角に行かるゝか、那條の道を取り給ふか、此春よりして一方ならごごん東にごわかまをこいろうふ再ぬ御恩を受けしにそれを報ひまゐらす遑もなくて御別れ申す心憂さ、たのド151,そでieとび逢ふも賴みなし、せめては二日三日四日』〓次の袖を捉へて御止め申し、こゝろばかぎよにくやごはみづ底だまを心計りの魚肉野菜、酒はなくとも水など汲んで別をお送り申したけれどそれかなまことあしバとこゝろた其さへ叶はぬ急の事、悪からず思ひ取つて下 、れませ、心ざしの足らぬハんだどんくううたたとひねんねんと思はで下され、といへば呑空打ち笑ひ、離別は假令一月二月一年二年っあことめなけわれS止まりたりとて終には必ず有る事なり、更女々しく歎くべからず、我これかみばしよひがしかいがんこりんへんよしやぐしや22は是より上塲所(東海岸の事)に、越え、陣機應變世を經べし、いざ沙具沙允六々hしたまたんこよひかぎよだいぶんふ歸るべし、一つ家の棟の下に汝と臥すも今夜限り、夜も大分更けたらん、なぃた、しやいんきふあつ、ゐみやうにもカロたま紛いざ歸るべし、と云ふ。沙具沙允急に、頭を擡げて、明日は別れと云給へわれおやひとりあくと思〓は老母ある身の日非もなけれど、おんびし'〃.〓こ·我は親なし子なしの獨身者、飽までしつきそひまをゐおごせいおんてミニりやうしゆ迄師に付添申さん、つく〓〓思ふに彼のやうな酷き制禁を作る如き傾主いぬみおひつか(なけふかしckbのの犬と身をなして、追使はれて暮さんより、慈愛の深き師に從ひ、野に:トGE inゐるかみばL〓もせよ山にもせよ、師の奴となりて共に步行かん、是より上塲所に越えたisまつないゆしるべ加 みづせタがけ玉はんとなら、黑松內の雪に〓導し、オフィ子川の水に潮踏みし、崖に(三四)てまをさかわがせ〓まをやまけのはモは御手を引き申し、坂には我背に負ひ申し、山には獸類の防ぎとなり、
きのみとあつ(四四)わぎすぢばねゐかど野には菓實を取り集め、しためus =我筋骨の有る限り、師の爲守りかしづきて、先いでさたホナつあいごんづオタシユツに出、ひたん南に行かば久遠瀬どうせそれよりは北に向はヾ務都雷電、左田內、ほ何になりと御いつれともいたこのさむそら20 wあやまみちさしかとし供致さん、此寒天に打向ひ、彼の山路に差懸り、年よたまわがしたひとりばなことなにこと寄り下ひし我卽をは唯一人放とすゐらす事は何事にも斷忽然を我ながまんつよわれかまんがたPし御師匠様我が此願ひをば御ゆるしなされて下さしやうさまわこのねが耐忍し難きおもひあり、りませ、おんなづあらえびすなみたながいふcoしやぐしやいんおもてと思には懷く荒吏の涙を流して云を打消し、沙具沙允の面をな紛がめながら、そのこゝろ其心ざしは過分なれど聞く其には及ばぬなり、くわぶんかたそれ2きつぱりいと斷然云ひナおんびしいら〓つ捨てゝ恩菱伊良武に別れを告げぬ。い5 :つかエねむやがて伊買武は晝よりの疲れにいと熱く服りしが、おんびしこゝろこねむ恩菱は心〓えて眠られず、その事彼の事あもひつゝけて明方近くまで眼覺め居けるに、ことかことあけがなちかめさゐ6の物にごそこいまレニミこまいたあはで慶はれはん知來廳心の唾るが如き發を出すに作てゝ傍に行き育をそばせな子とい:しほ七かおん びし摩れば、知來麻吉細き眼を見開きて、おんびらおゝ恩菱なりしか、恩菱なりしか、めめ今のは夢でありしよの、むかしさ=ゆめみバ止さわ昔時の狀態を學に見て思はず胸を騷がせし、あそれにつけても語ることあり、かた:よわこのびやうきはんさ!近く寄れよかし、我が此病氣は本復營東なし、つかつい就ては話し置く事あり、はなジこと外にもあらず此の家は系圖ある家なはかいへけいづかいそなたいましBELいまれど汝は未だ聞かねば知らずに居しならん、だいまへちこ實は今より四代前の知古茂ぼたいんどのを見ずときこオツテナはかことるツキ2たいび多允殿は音に聞えし酋長なるが、る圖らず事を誤りしより次第々々に微祿い:いつたかやたたもみなうして今の態とはなりたるなり、されば家に傳はりし數の寶は皆失せて、ちこたいんどのすましりないミニがたはぢこのちかく知吉茂多允殿が住はれし知內にも止まり難く、われ耻を此地に隱しゝが、我びやうくからおとまいこと紛病苦に命を落す前そなたに云はねばならめ事あり、ならはしsアイヌの習慣とて種ミたたしかみたらわけとラニ% ;くわささまたに々の實を神とし尊むなれど別て尊むは鍬形なり、し長12鍬形は汝も知る通り軍かみこれニkbなびしかわがや事の神にして是なくば人は從ひ靡かず、きうかこがね然るに我家は舊家なれば黃金の鍬形を一つ有ちて、くはさりこれいまうしかx.ごはん々是のみは未だ失なはず、されとも家に置かざれば汝そのありかをしこの々うしろだかやまもとことおに其有所を〓へ置かん、此家の背面の小高き山の、一本特に大きなるドねかたうづひづたかわすロの樹の根方に埋めあり、6そなたに譲るべき實物なれば、忘れぬうちに(五四)かいンりやうさんくうさまをしへ云置くなり、そなたも器量のあればにや空様の〓も受けたり、やがて
きれてこわがいへしもばしよとうかいがんゑんオツテナちトキなハ(六四)昔の如く我家を干期所事湾は)圓の電長のきに回さんとも風そからくはここおこえし老北大おつさおのづしためなび銀飛あらは汝を知らざさものも汝を勞ひて日然と從ひ麗くべし、さればCE :ふかかくたいせつふきもちつたそなたはや鍬形は深く藏して大切になし、心に秘めて持傳ふべし、これは汝に疾くっはば上をりなナ爲より告げん〓〓と思ひながら聞こえを憚かることなれば好き機無くて過つつこといダめaうるそなたこゝろとぎつるなり、さてまたこゝに則の事にて伊良武の眼覺めぬ中汝の意を問いだひたきことあり、と云ひ出したり。紛第十二回おんびしあらたバことばなに さとちあいまLすとおててゑみ恩菱は改まりたる母の言葉を、何事かと聞けば知來麻志は少しく面に笑たそなたこゝろといことなvaroい〆々を湛へて、汝の心を問ひたいと云ふのはほかの事でも無い、娘の伊良武ニこといノ出をPたLか33さだが上の事、伊良武に對つて持ちづらのさもしき金みを仕掛くるも詰り定そとここととしけこわかす;いまりし夫なきよりの事、それゆゑまだ年は山し若過ぎる樣なれど、伊良をつともたはかたれかれさがこヽろばへいこつがらいしや武に夫持せたし、外に離彼捜すまでもなく、志操と云ひ骨柄と云ひ、沙ぐしやいんよはないわこむすめするやうすこひナ具沙允こそ良い花婿、娘も好いて居る樣子、戀とはおもはずとも好いたやはりこひしやぐしやいんwsあたる。にくが即是戀といふもの、沙具沙九も娘にはやさしく當る工合どうやら惜うあんちようすみおんびんいもうとだいじは思ふて居まいと考へらるゝ容態が見える、恩菱そなたの妹の大事ぢやなんそなたしあたしいシンしやくしやいんめをとよ何と後は思ふか知らんが炙は健眞武沙員沙尤を夫婦にしたが好からむるづかいタムはふしかえこのことららいねんぶらいねんおもふ、村塜も伊良武に不法も仕懸け得まい、此事は實は來年か來々年ない〓〓たのみわたびやうきたいていしびやうしあたりと內々樂しみにして居たが、私しの病氣も大抵死病、マア死なぬでたい、こと ひとめエけい〓厭な事一つ免れたし、ことひとのがこのまゝ紛うち目出度事一つ餘計に見たし、此儘にして居たまたむことすハうんじやうややつらじなあシ又無理な事意るであらうと思はれる部上屋の奴等にあ而かせうとヒーラこんいんLとほべつたんこふのぢやが、アイスの方の婚姻はそなたも知る通り別段むづかしい事も〓しやくしやいんいたわけそちしやない、唯沙貝沙九に伊良武さへ引き出させればよい彈なれば、汝から沙しやいんふき、こンゲとくしんンナ具沙允に吹込んで置き、か良武にも得心させて置きさへすればそれで濟なん)うもこんれいやうca또는Dうけたまむ、何と近い內婚禮さする樣にして吳まいか、との談なり。始めて承は(七四)ながわガ々むかしただをす御生いのちる我家の徃昔、必ず空に聞き捨てはいたしますまいなれば、命長う
さかたまンめながあたし(八四)しこん榮え玉ひて、御眼長う私の爲ますることを御覽なされて下されませ、さてまた伊良武が上のことは、ら5 .車リラヘなるほどらみい〓成、程さう仰しやられて見れば、〓しやいんなかこだっやうすこと當つか伊良武と沙具沙允との中に戀の情はある樣子、ミかどこれこんれい殊更村塚の件もあれば是は婚禮さすgはふんべつはヽさま〓にゝろづきこもつともばんこのあひだる」が良分別、しやくしやいん母親の注御意は御道理千萬、あし二なかすしるしあるい強.?過般も沙具沙允が、い蘆の生た濕地の中を跣足で步行て居た妹を見付け、5アいた3のこのオ、伊良武痛からう者を、こうとモノキ?あいse説此頃に一つ夷草履作ツて上げやう、ゑと云へば妹も莞爾とみながら、あなた郞君そのざうりあしは紛にお貰ひ申たならせ草履が足に穿けませうや、こたしやぐしやいんとの答へ、沙具沙允もまたつおまあしめにはざうりた笑ひ得て、多布の足に寔かれなかシななら意思が知つて置くだらか〓との戯言、ゆうたんそのとき其時圖らず二人の知らぬ所に居て始終の話を聞きましたが成せかイヨゆふたりLところゐし〓と〓はきはゝ〓バ·これこんれい;る程母樣の思はるゝ通り、よとしさん くう さま左是は婚禮させたが良い樣、然し呑空樣の仰せこようない〓〓こんいんよもあれば、とうしアイヌの古風の秘密の婚姻は廢して、おもてむきアイヌ同志には公然でこんれいひとレわすめうばこんれい婚禮させませう、人の知らぬ間に處女を奪つて婚禮するといふことは、わんわるならばしちがすこどんくうさまをしへ考へて見れば惡い風習に違ひないゆゑ少しでも呑空樣に〓られた良い事よことこゝSakはかなめをしを自ら行つて、他のアイヌに見せるのも、アイヌの爲〓へになること、母樣どうでござりませう、:いこんいんこしやぶあるだL伊良武の婚姻はアイヌの古式を破つて新に仕よあたしハおんびしあつこたたが好いかと私は思ひまするが、と思変は物やはらかに答へたり。おゝそれよとたいそなたとらよちょおやこゑ夫も良からう、兎も角も、汝良く計ふが好い、と睦じき親子が笑顔しな:たんらちsるそらあか〓〓うみづらいづかげうつくいはやがらの相談、埓と共に明くる天赤々と、海面出る日影美しく、伊良武早ンいきのふさん くうミいたンくすりだいミブあいまめ〓〓たちくも起き出でゝ、昨日呑空樣に頂きし御藥第一に先上んと、實々しく立はたはなしにおんびしどん くう:ちよつとどくしやぐしやいんいへ紛働らくに談話は絕えたり。思養は呑空樣を一寸送りにと沙具沙充が家に^はふししたくえいまでかけところ12·つか行けば、法師は支度十分して今出掛んとする所なり。昨夕からの疲れもウしやくしやいんつえつく2.ざうきやまゅあひだい忘れて一禮し、沙具沙尤が卽の杖造らんと裏の純本山に行きし間に伊良メかたさん くうよろこそれぬんぶ3,こつわれ武がことを語れば、呑空ほくほく喜び、夫は一段と良い思ひ付、實は我きのふそなたさとことばうちそのこゝろそのよろこのこ百わか昨日汝に鹼せし言葉の中にも其心あり、其喜びを見ぬは殘り多けれと別みそなたしやぐしやいんはなえんis aしやぐれ行く身にも汝と沙具砂元と離れぬ綠となると也へば嬉し、ソレ沙具沙(九四)いんジニりつミすよちようど" :けつかつ允が歸ツて來たは、オヽよしよし、杖の寸法は丁度結構、結構といへば
しやべしやいんけつかうこときたん〓ふかへむとに(〇五)沙具沙允、結構な事が汝の身に、降り掛ツて來たぞ悅べよ、他でもないよつ,いことわれよすてびとこと(5が良い妻をそなたに持たせ樣と云ふ事ぞ、我は世捨人のかゝる事に吻をたとしミいにくい出すべきではなけれども、年齢役に云ひ憎いことを云ふのぢや、ハハ、じやうたんはんことどんくうまごいしやぐしやいんおもてイヤ戯談ではなし、具の事、と呑空眞顏になつて云へば、沙具沙允面をまつかSaいがおんびしかへした眞赤にして、言はんとしては言ひかねしが、頓て思菱を見返りつ、暫くこㅂコくねきまわるいいだおん びしざヒゴあと此處を退坐して下され、と極り惡げに云ひ出し、恩菱の坐を外したる後うちはづかわれこんキムはどん くう空に打向ひ、〓ことぶをんなつま紛にて呑御差しき事なれど我思ひ込だる女あり、他の女は妻ふゝい.このことl.ことはゃとして持つまじと心に誓ひたれば、此事だけは師の御言葉にも是非なくそむp " %たんぱくいひはなどんくうはゝゑみそのぞんなたれ背く罪御ゆるし下され、と淡泊に言放つ。呑空微笑ながら、其女は誰とさすがをいとこたへこおんびしceな:問ふに流石の男も答なし。若や恩菱の妹ではあるまいか、と云へば曲に、どん くついよ〓〓ミつぼいしやぐしやいんそもめとハイと云ふ。呑空愈笑壹に入り、ハハハ、沙具沙允、我が汝に要れといそのをんななんエけいもおんびしここふも其女なり、何の餘計な口利いた、恩菱此方へ來よ、めでたい〓〓話しはめでたく出來たといふ者、てわれいよくたきのふい扨我は愈々こゝを立つべし、昨日云ひしよもつそこゆゐきんわすしゆつたつ〓ゆんし書物は其處にあり、遺言忘るゝな、さらばめでたく出立せん、と機嫌つゑいでしやぐしやいんうれかなおんびしうれかなよく杖をつきつゝ山て行く沙具沙允は嬉しさ悲しさ、恩菱も嬉しさ悲だおくみうれかなまゆうきよしさに送り行けは、と送らるゝ身も嬉しさ悲しさ、捻り交たるが淨世そかLo第十三回そろぬ3セレンボみ"こつめナみちぱたいはかどこしか紛本の頭を抜きて作りした管に阿彼粉許て暖ひなから道傍の処角に膣どもたがひ뜸しゆんくけしやぐしやいんいこんならびしアイヌ共互に話す。コレ俊苦、今日は沙具沙允と伊良武との婚れいいままでをんなうばすましまふれいあつおんびし禮ださうな、今迄は女を奪ツて來て濟して仕舞のが例で有たが、恩菱は:いこんれいためかしんるゐしようちごは いいとうしても可敬者だな、婚組は互に一家親類までが承知をしてから多勢まへ上ことけなそのせききたのの前でするが好いとの事で、今日は何にもないが其席に來て吳れとの賴おれとたてこぼんらつゆかバそれよみ、我は取り立の雖三本も持て行うかと思ふ。·オヽ夫良からう、どうで(一五) + sしやいんおんびしごれしかにくこrも沙具沙尤恩菱はゑらい者だ、我も鹿の肉でも持て行てやらう。めでた
おれいはしはあたまニい(二五) 5い〓〓我も祝ふてやりましよと胡麻鹽天窓を振る鑑あれば、伊良武様はモB 3け蝦夷初めて賑やかに婚姻する人、妾しも大きくなツて男持つ時は今日のw coのぞこいちそんやうに村中の者から祝はれるが置ましいと云ふ小娘もあり。靜雁一村さ露ち。だんなか、、Eヾめきたちて日の光さへ一段うるはしき中に耳くすぐツたきは六號、腹isしかの沸るは村塚軍藏、靜雁峠の道普晴地に差圖苛酷く屬り呵りてアイスを〓こともの おは(35)つま追回すに今日は殊更來ぬ者多く、噂を聞けば伊良武をば沙具沙允の妻とそのたんた々ハぎ紛定むる其式今宵行はるべきよし、昨日の遣り損じ、今日の思ひ掛なきにぎやうてんもしやくしやはかことなづかすけそなた々仰天して憤悶するより外もなし。特に村塚は癇癪聲、六助々々、汝の遣Lむづこのさきてり損じで斯うなる始末、男を持たぬ先でさへ六かしい伊良武、此先手にこのm入れる事は覺束なし、このきんぺんはい然し此我も男と生れて然も此近邊を支配する身でいつをんなといたanひつこいや一端思ひかけし女を、人に取られて指を陷へ、引込む事は厭なり厭なり、sなん〓六助何とか工夫はないか、エヽ口ばかりムグ〓〓して居たとて何の役にcた1/ことひと立つ、エヽ小腹の立つ、よし〓〓工夫が付かねばいつその事人の繼路を1 .5.こけいりやく邪魔する計り、首屋よく効得して婚禮を延ばさするがヨリヤ良い計譬、いつすんのびいそのまたよゑ'一寸延れば尋延びると云、其延びる間には又良い智慧も出そうな者、とひとりしいまきよ一人切りに氣を揉めば、旦那樣それは奇妙々々、今急に智慧はないかとPri 1/3はたよきつと曾仰あられては六助も困りますが、間があれは又良い謀計を能度案じ出すpとやつしやぐためこひた積り、兎も角も憎い奴は沙具沙允、旦那の爲には戀の敵我が爲めにはかたききのふ〃行らさきいろ立つぬいたごいま〓〓胴腹の敵、昨日蹴られた所が装色に爲て未だに痛い、重ね〓〓忌々しいこの心しめかね"ほどひとら野郞、此意趣がへしを兼て足腰の立ぬ程苛い目に逢してやりたい者、と〓ひとcoさまたびvoいぬきうし六助も自己が恨みまじりに人の戀路を妨碍んとす。犬は犬同志心合ひてたBPいまちかま互に惡事を助けあひ、其夜に入らばと持構へたるに、日も早や暮れしかやくしよにんをとこくわん〓〓二1,13,4000ば一とたび役所に戾り、三四人の男を引連れつ、寛々として恩菱の家にピかこんにちこんれいジ向ひしは馬鹿氣たりける事共なり。ヤテ御役人樣まで今日の婚禮に御來ミはやえいてな臨になツた、と門口に居たる子供の囃すを聞くより、飛で出たる男、丈(三五)くちびるばいたんちあたなンたれ低く、唇あつく、手足太きは、馬鹿力と綽名負ひし俊苦といふ者、誰に大きかん
じr是は御役人樣何しに御來臨といふ。(四五)〓へられてか叮嚀に辭義しながら、" :うそ貴樣に用はない、恩菱に用があツて來た、其處退け、俊苦退かぬか、旦ミヘくも〓〓だまz那の前だ、と六助等口々に罵れば、ナニを云ふのだ六〓、默ツて居ろ、: 5) gに扨村塚樣今貴樣に用はない、主人と話しをして居るに家來は引ツ込め、だ宵は此家の娘が婿とり、大切の日なれば賴まれて私しは手傳ひ、少しはにしいぬいへ〓山の物海の物腥料理の支度もござれば、若や犬めが嗅付て、家の內へ這80こそ紛入らうと爲まい者でもなければ、門番と定められて此處に居りまする、何か御用なら取次ぎませう、;)其處退けとはあなたの御住居の中で仰しやこ품あいハおん びしいられる言葉、小さくても愛くても思義の家はわなたの自出にはなりませなにごつめ、して其御用は何御用で、といふ。ア喧く喋舌る奴、ともかくも思えあはなにご13こ菱に逢う。何御用で。五月蠅奴だまれ。今宵は婚禮御存じでか。ムヽそまたそれれは承知して居。そして又其に就ての御用か。ム、先其樣なものだ。よみちよつとbpろしい〓〓此方へござれ、六助をはじめ御家來共は、一寸待て、と云ながむつか: ;ら村塚を押て急に戶の內に入れたりけり。第十四回すば素より狭き家の中に坐リ毀扈りたるは此村での年寄様、奪じなアイヌ仲間で庄とんりうふうふぢんぱ;た屋様位には扱はるゝ古頓柳夫婦、日頃自慢の陣羽織引き出して着たる夫sに劣けじと女房もシトキ(胸に懸る飾り)を懸けて熊祭りの時同樣の扮色せおんびしなか紛るは、恩菱に媒妁役賴まれしためなり。どうして宣者やら離も知らぬ婚なニや.禮の式、よい加減に酒孟のやりとりを爲せて古頓柳が、目出度〓〓新夫(おお〓〓しげ婦の行末千代かけて、トヾ松の色變へず、榮え行け、枝も茂れ葉も茂れ9こ々と出鱈目に祝ひ言を謠へば、其方の隅のアイランケ此方の隅のエンリシででなにクも濁聲あげて目出たい目出たい、やがて小松が出來るぢやろ、と何かn L塩各々梳に酒を汲E〔は知もず目出皮がりて互に咎る〓〓悅びを、ひひながら、(五五)ごる。ミたceた:で飮み、少し醉も回りたる所へ、俊苦は例の大力に村塚の帶を執へで引
みな〓〓めでたいで22 (六五)ずり來り、何と皆々目出度ではないか、新夫婦の目出度祝ひに御役人樣aらいめづまで來て下さツた、アハこんな事は蝦夷地開けた以來珍らしい事、ながいな"わざ〓〓われ〓〓こんれい%長生のホースーも御役人が態々我々の婚禮に來て下すツた事は見た覺え重があるまい、良い役人だ、ドツコイ良い御役人樣だ、御親切な御方だ、わぎ〓〓いなハなんゴ師役人さまが越ク本て觀えててるる比其地元伊民武の始禮は何を國めてたいこと24やつてたい目出度事だ、チト羨ましいあやかりたいと云ふ奴もあるだらう、目出度、ビかめで;) 15紛馬鹿で目出たい、ィヤ馬鹿に目出たい、最一度謠へ、最一度囃せ、サアシスーからみな〓〓サアおれが音頭を取るぞ、と云は昔々どつと笑ひ、好からう〓〓と應へしづかり1とづかりだやくにんさきばより3)ぱエたり。靜雁村の。靜雁村の。役人樣は。役人樣は。滅法利口で。改札3)御慈悲が深い。立すこぜたか々口て。御慈悲が深い。少しも威張らず高ぶらず。少しもたかはいつここ感張らず高ぶらず。アイヌの小屋まで這入て來られて。アイヌの小屋まはいつこんれいいはで這入て來られて。婚禮祝ひに見えられた。婚禮祝ひに見えられた。此さこのこんれいこんれいこの役人はよい役人、此婚禮はめでたい婚禮。此役人はよい役人、此婚禮はめでたい婚禮ヨロロプ!。エヨロロプ!と囃し立つ。度を失ツたる村塚は面色赤くなり靑くなり、餘りの事に言葉も出ず、呆れてヘドモド:みなほけいきほいちする樣を昔一同に日頃より憎しと思へは酒の勢ひ、一度にドツと笑ひけにがくおん ひしとんりうむかい)はや雪るが、苦々しき顏して居たる恩菱は、古頓柳に打ち向ひ、式も最早よろしやいんいへだこたのこのこしかべつけけ新新夫婦を移止改元の家に滲し込みてと難むは百原をしやうちミいCetしなり。古粗柳夫婦承知して眞赤になり居し伊良武を伴ひ、沙具沙允とかぜ:にひまくら紛も〓〓出行きける。よしや風の音萱の軒端に騷を、岩打つ波の響き新枕aこよひはつゆめこひむこ·に通へばとて、今宵を千代の初契り、共寢の夢の暖かに、戀婿戀嫁互にcわがつまわがをつと上を〓ひさ、始めて我妻我犬と呼び呼ばるゝ樂き續け百二百まで。むなざんたおらつかしゆんく々胸等々うリと逹けて眠王ハテくのの塜は依會の大方に答しめられ騨た,にひだそのごおんびししやくしやいんいへあば歌に當付られ、堪りかねて遂に迯出しけるが、其後恩菱沙具沙允家を合いよ〓〓aさせめたうぐせて唯まじく容せば愈々指さす事もならず、只管賦役を責道具にして僅(七五) 66るビごとに怒を洩しける。此方は思發沙具沙充家を合せて一つとなり、夜毎々々
どん くうご(八五)に額を集めて呑空が殘せし書を讀み考へ畫は海山に持ぎ怠たらず。伊Ct良武は母の病を大事に朝夕の介抱、力の及ぶだけを盡せば人參圓の効驗ロか又但し安心せし爲か一度は日增に快よくなり行しが、每年初冬の霖雨c ('然時候、又ぶりかへして助かり難く、往生〓らかに寂滅爲樂、僧もなき里。のあはれ深くも或日の朝霜と終に消えめ。紛第十五回CC〇, .4.亠&〓おおもき病の床に昨日よりは今日と賴み。少く見え玉ひても母この世に在ほ:ゆ上か、しゝ間は、終日山に特りくらし海に漁りてダベに歸れは、廣き世の中にまた なも我身に取りては又無き優しき御聲に、恩菱よ今戾りしか、待ちかねた〓れた。り、との暖き御詞を頂く事の何より嬉しく、弓を執るにも網を曳くにもバaハの骨是可懷しき母樓の御爲ぞと以へば試合ありて疲勞も見えず、重き獲物(E :ハ、に足の運びも却つて輕く戾りしが、母樣おはさず成り玉ひぬる今は何を뜸,サか心の張にして海山の勞働は爲べきど、貧しき上にいよ〓〓貧しく、結ic句饅ふても死なば死ねかし、かゝる憂世に何かせん、と思菱は母を亡ひcar 35て雨に愛に食事の量し憂ひに沈みて身も骨立ち、それより後は日を追う6 chニエCLC證も减り行くものから、妹伊良武は愁ひの上に又一ツの忍を重ね、うき秋の總も未だ故め我袖を又擧せどて時雨降りなは何奈とせん、兄樣〓〓愁ひに沈み五ふは去ることながら心强く日を渡り玉へ、と諫め勵ます。沙たん は具沙允はまた沙具沙かにて、紛何時まで歎き玉へばとて、一旦果敢なく成バミり玉ひぬる母樣の蘇生り玉ふべきかは、亡親への孝行は身を立て家を興どん くうき巻母樣は草葉の:すにありと呑空樣も〓へ玉ひし、御身徒らに欺けばとて、々隆にて歎かれこそすれ悅はれは爲まじ、既にイムルの禮も果しゝに去り30たとは餘りに女らし、この儘心を腐らして、愁傷に身をも傷め玉はヾ呑空nニu横の御〓にも背き親への不孝も此上なからん、平素思慮深き御身の今日(九五)〇号cactとげこの頃、我はいかにも合點行かず、と男らしく理を詰めて諫め勵ます。
おんびしゆめあだぶよろづ、ミづなか、ロ(〇六)それもこれも恩菱は努仇には思はねど、万事儘ならぬ貧しき中に母を果かすけよりみこといかむないへゆ: )敢なく一ト緩の煙と見わくりし事の如何にも悲しく、あはれ家豊富なりはゝさまこびやうきちううみやまいP hそばはペせば母機の御病氣中は海にも行かず山にも入らず、常に親しく御側に侍かいほうまをなこうひんめゑよぎいませ〓りて御分抱申しあげたらんものを悲しや、心ならずも貧故餘儀なく臨終われとほやまいの御息造ひをさへ切なくも他所に聞きなし、まつよそ我は遠くも山に入りけるよaゆめさうつゝまぼろしこひバかけなつかなと思ひつゞけて、寐ては夢覺めては現幻に戀しき面影、さては可懷しcerニいなげなにおんびしいちじつしやぐしやいんふうふ紛き詞など思ひ出でゝは數きけるが、何おもひけん恩戔一日沙具沙允夫婦zナうかゞSかたはヽさまごゆゐごんなつせめそれの不在を窺うて鍬を肩にし、母樣の御遺言おもへば懷かし、切ては其に3cmひどりごとゐあしちからなうしろても攝出し〓心の愛さを。慰めんと獨言しつ、日ふいう揚ぐる足さへ力無げに、屋後こカ.ニはつひといきみやすまびさしめはなあた々の小高き山へとのぼりて吻と一息身を休めぬ。目廂しつゝ眼を放ちて四さむコERつのこじ初冬の霖雨はあがりたれど、りんうきけ1:ながたう邊の景色を眺むれば、寒威頓に募り來て天きた かけえた:はやこはりひかをりは雪氣の雲重く、ゆきげ:北風ドロの樹の枝を鳴して地には早くも水光れり。時3ごちビおとsigeらみみかんこくあはれ々かさこそと落業を分くる音するは兎か狐か、見ると見るもの寒國の哀これ:てんち.けbbはやがて是よりぞ增す天地の景色なり。おんびしせうぜんcつたつ;きたかゆふニハゐ思菱は悄然と鍬を杖突き、しなやかなる髭を北風の吹くに任せて、彼方こちンhヨ〓なかひともとこと法此方に生ひ茂れるドロの樹を見比べけるが、中にて一、本特に大きなるをみとはゝ:わがみ:かnかた認めて、母樣のそれと我会に〓へられしは彼のドドの樹の根方なる可し、はゝさまゾはなしうけたまおよ〓わがいへ六たからいで〓〓、母樣の御請にのみ氷はり及びはしたれで未だ見ら我家の重き實こがねくはさきはりいんちかよおちばかきはらモここかしこB黄金の鍬形掘出さんと近寄りて、鍬に落葉を搔拂ひ、其處此處彼處と掘おこモn者かげみ紛起したり。されども其品かと思しきものゝ悉だに更に見あたらず。さてこのnかたこしあたりおもみまはは此樹の根方にてはあらざりしかと腰を反し、四邊落なく見廻せとも、このき此樹に勝る大木もなし。こ(ふしビ上あやまこは不思議なり、さりながら塲處を誤りたりとここヽろニひとくはふにくはみくはよくごはてそのきもおぼえず、いよ〓〓此處ぞと心を定め、一銀二鍬三銀四鍛果は其樹のと下を絞りて根方を大方振りめぐnがたかたほみおんびしたうか?ムLびムL rたれど見えぬに恩菱當感して、不思議不思議24シリうしろこゑをこなにはBEと呟く折しも背後に忽ち人の聲あり。其處にて何を掘らるゝぞ、と詰る(一六)ふが如くに呼びかけたり。
(二六)第十六回ととつぜんよおんびしうちおきろ1たれすり見る人なしと思ひしに、突然呼ばれて恩菱は打驚き、呼びしは誰ぞと振かつエにんい〓あとさまなにはたまトマn重返れば餘人にあらで伊良武なり。兄樣何を掘り玉ふぞ、延胡索の根にてちかよれおんびしかほいろすこあしなにほよもあるまじきに、と近寄ば、恩菱は顏色少し惡くして、何を掘らうと宜そんなことw〃と何時にも似氣なく語氣銳し。しことばするし、女の知つた事にはあらず、ごろ:あにおんびしけなんなことばいpおそた、紛日頃は優しき兄思菱の、今日は何と無く詞あらきに、伊良武は怖れて再といまやまかあにこごすがたみたまちかごろシ:ひきたまび問はず。今山より歸りしに兄樣の御姿見え玉はず、近頃は御風引玉ひうけたまをまなさむゆども〃何方へ御越し成されて居5こしとこそ承はり居りしに、夕風寒きこの夕べ、、、しやぐしやいんいるやら、ハヲ氣がゝりな氣に懸ると沙具沙亢も氣を採んで、もしやと云こヽスあてあれことんりう:たくはう:このへんふを心當に、彼は古頓柳樣の御宅の方へ、わたしは萠から此邊を御跡ね申して居りました、をサア〓〓御供致しましよ、oその鍬わたしが持ちますい〓おづ〓〓そばよる、と伊良武は怖々側に寄りたり。おんびしいらノにいエ七きまゆひそしゆ〓〓きロかた思發は伊良武の詞を他所に聞きなし、眉を顰めて凝視とドロの樹の根方みまは配布、フらみこうい5ゴを矚廻すいかにも物おもはしげに見ゆ。怜悧なる伊良武の〓とゝてこつそくあに.kみととかくこのさらあにここEhsまを早速兄の氣色を見て取り、兎にも角にも此頃の兄樣、かゝる所に置き申のあん:はやンっまをなれ何かは知らねと物案じ御爲せ申すは惡しかりなん、Lして、早く御連れ申しあんあに:なあしミとしだいな兄樣御覽宅成さらぬか、''してと思案して、足元も次第に暗う成りまする、いまきろしやぐしやいんうち:ふたりすがたささあんを今頃は沙具沙允も家に戾りて、二人とも姿の見えぬに、嘸や案じて居りきさままをあばさま¥おんびんこかげため紛ましやう、兄樣え、これ申し兄樣、と誘へと、思菱は木蔭に立つて目を3·くうごと瞑り、組んだる腕を解かんとも爲ず。みやう〓〓せまか₩ひとしははひない〓いゝ夜色は漸々迫り來て、北風も一層烈しく成れるに、伊良武はいよ〓〓心"御藤の色も勝れ玉はず、いろたま元なく、あにさまなんすぐ〓み々兄樣何奈と成されしぞや、視れば見るこかうすはゝさま母樣御果て成されし今は、ロないまンまへたよほど氣がゝりな御樣子、御前ばかりが便りのとうそおんみこたいせつなかばなき:わたし、何卒御身を御大切に、と言ふも半分は泣聲なり。(三六)おんびしちからなみらわれづかいもうと:ねみっ思菱は力無氣に目を見開き、我を氣這ふ妹の優しき顏を見るに謝けても、
ぎさはゝなきあと5. 5〓(四六)おもひ起さるゝは母の遺言、母亡跡にて母を思はや妹伊良武を慈愛む可: : (、し、兄妹が倶に間睦くして、無事に暮してたもるのが、母には何よりの,〓〓わすこまる。で、孝行ぞや、恩菱賴む、忘れな、との玉ひし御聲の未だ明々と耳に殘るを、〓〓それ、〓: m早くも其に御背き中して、妹を我故泣する罪深し、母樣おゆるし下されなはナ、や、と恩菱は氣を取直し、伊良武よ來れ、いざ歸らむと云へば、兄樣御c歸宅下さるか、と伊良武は勇んで小股に近寄り、鍬を執つて擔ぐれば、ぶわがかたら紛それには及ばず、と思菱取つて我肩にし、汝の草履は破れて居るに、刺16いたはこゝろのこ&ばし踏な、と撫恤りつゝ心殘して山を下れば、夜風に咽ぶ谷の水音遠くやみ:聞えて、間に朽木の靑白う爪端近う光るも凄し。沙其沙充は今日しも發ける二頭の死を手際よく料理して、15 ardぎはき既に晩食の準cm =備も了りつ。やがて日も暮れぬれば、今は唯二人の歸り來るを待てり。たきび今か今かと待ち待てと、ン圍爐裏の燒火も幾度か熾にして、それかと思しEばか:おんびし ののき氣合も爲ぬに、これはと斗り膝を打つて、恩、發殿も歸られず、伊良武んと〓CBわざ〓〓ねれて行つたなれど、も未だに戾らぬは何とやら氣遣し、古頓柳殿の宅にも見えず、;こ俊苦が許にも寄られぬとのことなりしが、伊良〓あん武は會うたか會はざりしかと異控でながら案じ煩ふ。ミ折から聞ゆる足音に沙具沙允は伸びあがり、恩菱殿か、伊良武にあらず= acや、待ちあきたるぞ、と聲をかくれば、さこそと言ひつゝ鍬を隱して入ニ〓:來る恩菱、續く伊良武はいそ〓〓とアツシに止れる本の葉を拂ひ、間のミきい紛惡い時の笑止さ、兄樣の跡から跡と追うて行き、跡ねあきての歸途、今: : <で門前で會ひました。と兄の心を酌んで言ふ。出來したり。と思菱窃かにニさむ悅んで、座に上れば沙具沙允も始めて安堵し、寒かりけんと折燒く柴のゆふゆ上り者i夕烟、白く室內に渦卷く時、表に聲あり、沙具沙允殿、兎の肉は未だあこ'かはりや、酒持て來ぬ、と入來るは例の俊苦なり。何時見ても相變らずの醜: S男子、身長はさながら小兒の如きが、太りと肥りし腕に酒瓶大事と引抱(五六) ,'む一、眼バチ〓〓三人を仰ぎ膽て、免し召されと爐緣にあがり、例の厚き
くちびるおさけきといヤしたかだうちまCの:にぎ(六六)唇に戯謔をば言ひ止まず。親しく家族に打交りて、飲みつ食ひつ賑はしきようさまをかいコミいか(しやぐしやいんをり〓〓かはく興ずる樣の可笑しきに、伊良武は更なり儼然しき沙具沙允すら折々顏さくゴどつとうちれることなにあんおんびししうぜんの構を崩し哄然打笑ふ事さへあるに、何をか案ずる恩菱のみは愁然としひざ、しゆんくおさけふ、ごと爲て膝を抱へ、俊苦が戲謔も耳に入らざるものゝ如し。カ第十七回めふべ:そるゐよあらしはゆュためけニ(うす紛昨夜は雪の空合なりしが、夜嵐烈しく吹きし爲か、今朝は曇りも薄らぎヤリ〓〓〓〓証みうれとしなかばゆきなかんこくひと〓〓て、時々日顏さへ見ゆる嬉しさ。年を半分は雪に泣く寒國の人々には、じゆみやういるきつのごとこゝちおん びしいへ六十七ひづか壽合一日延びしが如き心地もすめり。思羨は家の實の見えざりしを氣遣ゆふべひとよねむつ. .けaとおきいこゝろ:ひて、昨夜一夜眠りに就かれず、今朝も疾くより起出でゝ、心は屋後のcいそけふまたあひにくしやぐしやいんふうムいへあかな山へと急げと、今日は又生憎と沙具沙尤夫婦が家に在れば、それも叶はいたあな〓〓〓わたきろまたなで。一。圖腕を船店うちセらめけるが、その中に天蒼々と晴れ渡りて、この頃には又無よきてんなしやぐしやいんニさるいづこなき好天氣と成りぬれば、沙具沙允は弓を携へ、何處とも無く出で行きつ、いタはたかゝそさおとたかシはじをりよおんびんこのま伊良武もやがて機に懸りて、梭音高く織り始めぬ。折好しと思菱は此間ceとりたひどしうしろミのほに鍬を取出して、人知れず屋後の山へと登りたり。け上またれいnかためぐははょx今日も亦例のドロの樹の根方を、廻りて、掘りたり掘りたり餘地無きまで爲ばごSo〓さすがこヽろこをここに掘りたれど、それかと思しき物だに見えぬに、流石心の凝つたる男もがあぐceつゑといきこかくたびといロかたつちうらめ捜索し倦みて鍛を杖に太息を漏し、幾度か鍛を入れたる根方の土を可怨:め交換'さすがこれはりつごうなりゆるしさうに視廻す目には淚さへ浮べて、流石是まで張詰めし心の張も弛びやつすのいこゑげんきなこれなんしこといくたび紛し樣子、物言ふ聲にも元氣無く、ア是は何奈と爲た事ぞ、幾度おもひかみふゝさまこゆゐごんわがいへおもたたたラブひ返して見ても、母樣の御遺言には、我家の重き實を埋めたるは、この家うしろこたかやまいつぼんことおほ.ねかたうけたまの背後なる小高き山の、一本券に大きなるドロの樹の根方なりとぞ承はたよまのふけムこヽ, nかた: 4りし。それを便りに昨日も今日も此處に來て、この樹の根方をこれ程まほかみごらみわがめじょでに捜して見たれど、·それかと思しき物たに見えぬは、あはれ我目の鈍ためいてこがかただためこのきもとなき爲か、未だ捜し方の足らぬ爲か、それとも若しや此樹の下には無きも(七六)とゝ〓そしここ3このか。さりながら母樣の〓へられしは、此處なり此處なり正しく此處な
2これニ(八六)り、幾反訳てとこの山には此より大きなるドロの樹とては無きものを、こ〓nはたん そく此處に無いとて今將何の樹の根方を掘らうぞ、止みなん止みなんと嘆息ロco. :して、さも力無氣に鍬を投棄て、よろ〓〓とドロの樹に靠れかゝりて腕バなにc.を組み、やゝ暫く死せる如く思ひに暮れしが、何おもひけん目を見開き、くちをあたゆゐ れんさりとて此儘止まんも口惜し、所詮見當らぬまでも母樣の御追言なり、いまいちそこよし、命懸けても今一度底の底まで掘つて見ん、左樣ちやと再び鍬追取りんうこんかずMは:紛つて、警雨に浸潤混れたる土を俺まず後まナ力の限り契限り銀の丹先の?かぎわれしと〓〓たまあせごい續く限りは我も止まじの决心にて額に滴々玉の汗、心の中には一筋に、BREわがいへあはれ希くば我家の實物黃金の鍛先とやらを見せしめ玉へ。と一向神にはりIoこれや、祈りつゝ堀行く中、土に混りて此は何物、怪しき物の鍬先に懸りけるよでぎこれと手に取りて打視れば、不思議や是は日本人が持つ火打袋と云ふ物なりけり。いふぎこれ、ささ恩〓は如何にも不思議といふ躰にて、これは是正しく日本人が所持品なSわがいへり、濕れてこそ居れ縞も其儘消えずにあるは、近き頃我より前に我家のnはりと實物、この樹の根方に埋めてあるを聞知りて、既に日本人めが掘取りしたyニた但しは又日本人の何人ぞがこの山に鳥狩でもして遺失したるものか、またシ、か、と6おちばニにぞこれ雲さりながら國らず退失した物ならは落葉の上にも在る可き等。然るに是なかこと·あたは地の中より掘出したるこそ訝しけれ、寧の事に如斯物でも見當らずばキわた又その様に篩めも爲べかりしに、それも同じ種族のアイノの手にでも渡ぎわれ〓〓15紛りしことか、不義、非倫、貪欲、邪險に我々アイノを苦しむる日本人がんわがいへn手にでも奪られしならば何奈とせん、さりながら我家の實物この樹の根方に埋めてありとは、その家嗣ぐ可き我だに此まで知らざりしに、日本〃渡邊地てん人が何宗して是を知らうぞ知る可き筈無し。さりとて何奈も合點の行かぬは此火打袋の在所なり。日本人が取つたか黄金の鍬先、いや〓〓まさ2.か、かへみ方かと思菱は半信半疑、火打袋を打返し打返し心結亂れて疑ひの解けかね(九六) :おんびし·たる折から、恩菱殿、と呼ぶものあり。
(〇七)第十八回うちぶくろとぎLゐことぁ恩菱は愕きて火打我を握り占め、彼の聲は沙具沙允、折惡しゝとは思ヘ爲〓のとも、笑顏作りて打仰ぎ、オヽ沙具沙允殿か、獲物は何ぞ兎か鹿か、我いつと少しは周章てゝ起上る。も一緒に歸らん。すこれこち恩菱如何に避けんと爲るも、眼明かなる沙具沙允、いかでか是を見外す紛べき、突と眼前に近寄つて、今のは何ぞ。と聲明かに問ひながら恩菱のなか手の中なるを訝り疑ふ。おんびしなんほとよしやぐ恩菱は問ひ詰められて當感し、何奈とか程善く言做して、沙具沙允の心a 2 :を解かんと焦慮れども、咄嗟の間には然る可き辭柄も浮び來らず、切無( k当き苦心に胸を裂るゝ心地して、總身しつとり汗合めり。レ'さいとの深き仔細のありとも知らねば、一人はいよ〓〓短兵急に、恩菱殿、それつきだは何ぞ、いで見せ玉へ。とその手を睨んで手を突出す。ことたれいもうとむこしやぐ).この事のみは誰にも言はじ、妹聟の沙具沙允にも明すまじ。と堅く心にかんびしはぃいま:)さすがて誓ひつる恩菱も本意無や今は卒に窮しぬ。窮しながらも流石にその手は)と開きかねしが、突然悟る所あつて、アヽいや〓〓我過てり過てり、元よ盛わがいへせつシなかまたのり我家の大切なる秘密なれば、同じ種族のアイノの中でも他の者なればわれふたりないもうとむこ、われ言はれぬなれど、これは我に二人と無き妹聟の沙具沙允殿、特に我とはCoとうニにニあかたにん意氣相投じて生死も倶にと盟へる男、包まずそれと明した所で、他人に心紛傳へて我爲に惡い事なら言ひは爲まじ、包むは却つて惡しかりなんと氣とりなはc :ぜんかはceかはを取直し、愁ひに曇りし以前と變り、雲を拂ひし明月の光り耀やく顏をこおんみ:ことみん上げて、沙具沙允殿、我は此品に就きて、御身に議る可き事あり。と恩てn.々菱始めて手を開く。しやぐ:の沙具沙允取つて見て、ウムこれは正しく日本人が所持品、火打袋といふ0カこれしやぐみごはとのミ物ぞ、加之も此品には沙具沙尤何處やらに見覺えあり、恩菱殿御前は何(一七)てCobとみ奈して此品を手には入れして、償ひにでも取られたのか、さりとて見る
ヤ'のPまへ(二七)も穢はしい日本人が所持品、御前は先刻から大切さうにこれを握つて居わくとこが+おんびしられたが、その所存我には少しも合點行かず。と棄てるが如く恩菱の手に投返す。おん びししやいんけなたいせつしやぐ雪恩菱は沙具沙允が貶すにも拘はらず、大切に火打袋を懷中し、さて沙具われうちぶくろこ沙允殿、我この火打を持てばとて、怪み玉ふな、いやしみ玉ふな、我Lの:とても元より日本人の可惡は知れり、その日本人が物ならば、觸るも元ハ、出紛より穢れと思へと、先刻より是をと胸に手を當て、大切に握つて居つたふかLにさうだんすなはわれはゝちとい:は深い仔細のある事ぞ、相談したきは即ち此處なり、我恩菱も母知來麻らわがいへ〓:むLて始めて知りしが、〓:志の遺言に我家今こそ見る影も無く零落れたれ、往たいかんエてたいん どのこと:々時は系國正しき家にて、我より四代前の知古茂多允殿といふは、音に聞;なにビことえし首長なりしが、何彼に就けて障害多き世の中は、圖らず事を興りしなた。びど:より、日向の雪の解くるがやうに、次第〓〓に微祿して、今の樣とは成〓いん での·りぬるなり。されは家に傳はりし實の數も皆盡きて、知古茂多允殿が住'ないことかたこそはなさかかはれし知內にも止り難く、一家擧りてこの地に耻を、離しゝとの事なり。わがいへ店ゆいしよひこがねce :·ビ我家は其通りの由緒ある家なれば、その家の紀念として、黃金の鍬先一ミ〓とほわれ〓〓いろ〓〓ツあり。御前も知つて居らるゝ通り、我々アイノが習慣とて、種々の寳にたふとくはさき爲を神とし尊むなれと、分けても尊むは賣金の銀先なりと云ふにあらずや。te :ホひとしたがそも鍬先は軍事の神樣、是あれは人從ひ扉かずといふ事なしと聞きてははおんびし相互に欲しき物ならずや。と思菱は沙具沙允の顏を見る。おんびしとの紛沙具沙允はこれを聞きて面色を改ため、さては恩菱殿は音に聞いたる知いんきののちこんにちは〇いへすちおきろい古茂多允殿の後なりとや、今日始めて聞いたた家筋、驚き入つたるばかくにさきBESりなり。して〓〓金の卸先は何處に税めて置き玉へるぞ。願ふは示し2. :カゆみ々玉へかしと問ひながら恩菱と相對して、これも木株に腰を打懸け、弓をつミづなんおんびしみ兩手に杖突きて、何と無く元氣なき恩〓と顏を見合はす。ぶ=ゆゐごんミコなりはさればなり、母知來麻志の遺言には、我家貧しく成果てゝも、是のみは(三七)わなたしかのこい,か未だ他手に渡さず、確實に遺し置きてあれば、今その在所を〓へ置く可
こだかやまこといつぼんおほウセラブ鵝家の後なる小高き山の、うしろ(四七)し、特に一本大きなるドヨの樹の根方に埋めいへミな中たこん乙九五ゆづいたかにいあり、家貧しく成りぬる今は、唯此ばかりそ汝に讓る可き家の實物、心とわすはゝままれ〓けこnに止めて忘るゝなよ。と母樣は〓へられしが、昨日も今日も此處に來てひとしははこかくはさとみあたがけほりだS人知れず掘れども掘れども搜す鐵先は見當らず、おもひ懸なく掘出した〓まへとがうちぶくろしやぐしやいんまゆしわはい〓バは御前の各めた火打袋と聞くより沙具沙尤同を皺めて、本意無き思ひのえたたんこそいくたび:シてうユ2恨みに得堪へぬ暖(の夏を幾度か視したりしが頓て干を損ち、いや待ちたまにくはさきこふくあた紛玉へ、氣を脫されな、その鍛先は此處にはあるまじ、されども思ひ當ると節あり。第十九回々しやぐしやいんことビおんびしひざ、そのバゐたとしす沙具沙允が言葉に恩差は膝を進めて、して其思ひ當る節といふは、と透ゐはじとしやぐしやいんほのふこいっ時も忘れぬこの秋の初coかさず問へば、沙具沙尤は火燄の如き息を吐き、かたまつまへおきて、えマちじゆんけんジ: K~あひばらないまきま〓いでめつ方、松前表から蝦夷地御巡檢の御役人、相原内記樣といふが御出にいさわちわれ〓〓;こしづかりたうげちゆうやべつななると云ふ騒ぎの節、我々アイノを驅集めて、靜雁〓を晝夜の〓無く、むだう啓つかみちぶしんいそあのときまんあのすけ無理非道に追使つて、道普請を急いだ彼時、自慢くさくも彼六助めが、このしやぐしやいんミ5みあかミこれか此沙具沙允の前に來て、これ見ろ諸面、是を斯樣してかツちり打てば、これInたばこすぐ:あこれ3%なちょうほう是この通り煙草の火も直と間に合ふ。是は火打と云ふ物ぞ。何奈と重寳われ〓〓シ一寸した物でも此通り重寳なこのとはな物ではなヤぞあのちようはう無いか。我々日本人が持つ物は、だいかくかうはこんだミも不便利で、れど、アイノが物は第一不格構で、持運びにソレと云うてこのよみンめミつきつこなた紛は間に合はぬ物ばかり善く視て置け。と眼の前に突着けたを、此方もいcarろたんしやうぶん々っちよいとみ何奈言ふ機であつたか、平素短氣な性分には似も附かず、一寸見せろとかつてと20かながンあのひうちぶくろすん ふんさうゐな笑うて手に取り、打返して眺める置いた彼時の火打袋にす分の相違も無みなゐいっこつそりぬすとこうaわいい、して見れは云ふまでも無い彼奴めか隠從安ふ取つたに相違ない哩。これなにたしかしやうこたうもみのえやくにん:フ.それには是が何よりの確實な證據。道理でこそあれ彼似非役人の村振めちがごろわれ〓〓なか:それ'5もつたい〓れこのごろふとが、近頃我々種族の者に、其とは謂はねど勿躰らしく、乃公は此頃不圖(五七)ことそのはうどなどホンニほうもつていだれした事で、其方共アイノには、何より貴い實物を手に入れた。何人でも
エンれbロあほうびこれこう是さへ持てばこれ(六七)善く乃公が命令を聞く者に、その褒美として是を與せる。ぶりオツテナ〓··ゆく〓〓これていなか=羽振も利くれは酋長にも成れる物。アイノ仲間で、徃々此を手に入れやンn boつけをむいひふらよしラナ〓〓ロLをうと思ふ者は、乃公の命令を背くなと謂觸す山、薄々聞いて知つて居つきやつてじなたねつかたからものおんびしどのジまひせんぞ曾たが、さて「は彼奴が手品の種に使ふ實物は、恩菱殿、御前の家に先祖のつたをそのこがねくばさきことはくにくえ代から傳はつて居る其士黄金の鉛先の事であつたか。ウヌヌささ悪し似非役人の村塚め、やくにんyつひつとも引捕へて擊殺さねば、20ころ胸の問へはぐんと下らぬ。Hつかナニ恩ぶんびしといやうごとことセわいたからものこんやこのしやぐしやいん紛菱殿、その樣に氣を脫される事は無い哩。その實物今夜にも此沙具沙允が奪返す。:かこ此樹の根方に無ければとて、がたな溶けたでも無ければ滅えたでもとななありかむらつかてとはつなりしこの拳で取り返こぶしとカ、無し。在所は村塚が手元ぢやと判然知れてあるからは、うんじやうやREまなこ;おそろいまいはやうこぶしかた1遞上屋の方を睨む、服の光り怖しく今にす、と岩の樣なる拳を固めて麓のだ,ひきごいきはも大事を引起さんず勢ひなり。第二十回おんびしいまもいはる(たとくちひげひね必要は今煎と明でし卷の車にも比一つ可あしなやかなる観を指りつしろじまん〇七七ものうれはしげけしきシよんがいもの がたしやぐしや白く豐なる額に物可愛氣なる景氣を洋べて、憤〓しながら物語る沙具沙いはなしつぶ〓(むこつかぐんざうやくばんゐくわう允の談話を備さに聽き了り、おもへば可惡村塚軍藏、役人と云ふ威光をかきわれくことおんびしきやうたいくるきやつゆみしよたゞ雲笠に、我輩アイノを苦しむる、特に恩菱兄弟を苦しむる彼奴、由緒正しわがらにほろき我家を全くじぼさんとするといふもの、われいちにんためとにかく我一人の爲のみならば、兎角るてやくせんがたわれ耐へ難きを耐へても、こズわざけひひききこ對者は役人なれば、我より進んで災害を惹起し、ゆみしよわがいへめつほうこごちふるまひす紛緒由ある我家を滅亡に歸せしむるが如きなな擧擧は爲まじきながら、わがいへまたなたちほうこううばとこ(やつにくきやつすで我家の又無き養き實物を奪けたりとは何處までも可形ななり可靈奴既わがごたかちものきやつ沼とゆく〓〓みわがごもに我家の實物をは彼奴に奪つて取られしからは、行々機を見て我家を知こたいんどの3Hか。のぞたたわれおんぴしなはこれしの古茂多尤殿の昔に復す望みは爰に絕えぬるなり。我恩菱は猶是を忍ぶとわがいへよしんれいいかになけなにこと、さまいまはきはせんも、我家代々の神靈は何奈か〓き玉ふらん。特に母樣も終焉の際にわれめこのことしかわれいまンニさうぞく我を召されて、此事のみぞ仰せられき。然るに我今その家を相續しなが(七七)かすでㄸbssながじゅきやつむらづから、斯くては既に生きたりとても甲斐無き命を存へて、徒らに彼奴村塚
. 2 (59 "十モ(八七)面の威光に怖入り、此儘に爲す事も無く過さんには、我家の祖先を初め.こA母樣の御靈も何奈にか憎しみ玉はん。去らば我は不孝の子と爲り了るのa〓んみならず、設令知る人は無きまでも、その武威四隣を雲動せし知古茂多いん どの; 3 so當爲允殿の末流かと心に思ひ浮ぶも可耻し。己れツ村塚、我恩菱が勘忍も最はやすで早既に是までなるぞ。是れより直に踏込んで。と流石に遠慮ある恩菱もら今は憤然として突起てり。シおん びんtheん紛先刻より頻りに腕を擦つて、思菱が決心するを待倦みたる沙具沙允、斯ぞ3こくと見るより一倍と增し來る勇氣に顏はさながら火の如し。恩菱殿、いざござれ。と踏み出せば、いざ行く可し。と思菱も續いて踏み出し、鍬:を肩に例の火打袋を片手に握り、日頃は極めて温順しき男の、今日は口岩EDを結び眉を昂げて、おもひ凝つたる一念の力は山をも抜く可く見えたり。おん びしニゆく〓〓: : co思姦は沙具沙充と倶に行々物打案ずる風情なりしが、不圖立止りて鍬を杖突き、沙具沙允殿權く待たれよ。此事猶迂濶には行ひ難し。彼奴村塚せんぎfeめを引捕へて、詮議爲可き樣會は强ち今日のみにも限るまに。さるを一c cm天之時の血氣に逆りて、輕卒に事を企て、萬一大事を誤る如き事もあらは、の後にて悔ゆとも詮術あるまじ。彼奴は役人といふ名義ある者なれば、我我輩二人が、勢ひ彼奴を害ふ如cerミき事もあらば、假令黃金の鍬先は無事に我手w··どん くつこLに取返し得ると爲んも、悲しいかな、呑空樣も〓へられしが如く、下は(°ぶん われa a上に敵し難く、道理は充分我に在りても、終には上の威光といふに壓け〓〓ふたり九九五2紛られて、我輩二人が一命は日本人が刀の錆と成る可し。既に一命を失はac B大きいん きのゞ鍛先ばかりがあればとて、誰ありてか我家をして再び知古茂多允殿のニミ:往時には復す可き、且つ又重ねて考ふるに、御前が先刻この火打袋を視22て、此は〓實に六助の所持品に相違は無いと聞いて、それでは彼奴めがL所爲かと、今が今まで思うてつたが、復よく考へ直して視れば、是もはな なたふ〓nホ太甚不確實なる話。彼樹の根方に其樣な實物が埋めてあらうとは、母樣'(九七)ゆゐ ごんいの御遺言に承はりしそれまでは、家を繼ぐ可き私でさへも知らざりしに
ャさかみsほとけさとな何奈に日本人が賢いからとて神樣にもあらず、か(〇八)また佛樣とやらでも無いろくすけムめいasなうちぶくろつる·カニる上は、六助風情が知らう筈は無し、火打袋が土の中に在づたからとて、これミンcepやつうたが益々以て疑はれぬといふものはsうたが此を以て强ちに彼奴はかりは疑はれず。まとほてつぼうあるこうこの〓le雲彼奴は御前も知つての通り、鐵砲を携へて、この頃は此邊を時々ぶらぶあそれパうちぶくろるきやつあそこたばこら步いて居る。其を思へば火打我の在つたのは、彼奴が彼處で煙草でもとき にかおといはみむこ·そな喫うて、その時圖らず落したと云れて見れば、事ひは决める瀨の無いわけことたこちかに:たいじみつド紛になる事下手に行つてはル「方から却つて此方の大事な秘密を向ふへ知;なんしやぐしやいんぼのこれコおんびしらせる樣なもの。何奈と沙具沙允殿、此は左樣ではあるまいかと恩菱ちここかが考へは何處までも緻密なり。おにつくきむるニたヾひとつかみたちかはseた已れツ、可惡村塀め、唯一攫にしてくれん。と心も顏と倶に燃え立てるさすがおうきしやぐと22ことおもんぱおんびしじんいも流石剛氣の沙具沙允も、理を推して事を虛かる思義の言を聞きて、一のなりっ:)すりく〓には¥こぶしはなし宇形に續きたる眉を時々動しつゝ、握りし、はは放しも遣らず、凝然と思あんレゴいくたびあつくちびるふるおれたんしきやつらねす案に沈みたりしが、幾度か厚き唇を震はして、俺は慥に彼奴等が盗んでrハ六これはきしたしやぐしやいん居ると思ふ。こときやつら併し此程親しくして居る沙具沙尤さへ知らぬ事を、彼等がことなるほどをがてんこと知つたといふ事も成程可怪しい。合點の行かぬ事ではあるが風琴露面前は此に耽いて、に何か思ひ當る事は無いかふたことな何奈じや。クと言はれて思菱おんびし別にこれとて思ひ當ることも無いが、あた、eおんびし兵このことかた母樣の恩菱に此事を語られしこのあきモをミかは、忘れも爲白此秋の天色小暗く掻結隆し夜の事なりし。よことわれじょとこ我を病の床に先刻話した我家の。音の事よりさては黄金の鍬形の事までかるわがいへいたしこと近う召されて、こがねと:こと紛九語られし時、sわが我家の小窓の下邊と覺えて、こまさしたあたりごままびとるBゆえ微に人の在る氣合せし故、もこのこといちたい出し此事を漏れ聞かれては一大事と胸を痛め、いたしの、よ2 or忍び寄りて窺ひしも、人の(ぶあたこのことかた姿は見えざりしが、しやぐしやいん思ひ當るは此事ばかり。と暗るを聞きて沙具沙允、たれ: "すけさうゐそれ其こそ正しく六助なりしに相違無し。さくむたみとイヤ〓〓其でも確と姿を見屆けたでも無ければ、いかだですけcarしやぐしやいんた一〓に六助は疑はれぬといふ。かつ3沙具沙允は頭を左右に打そのころおつかえせもうぎ振つて、未だ其頃は村塚めが、の六號して、ろくL召非忠義者切りに伊良武を奪(一八)ぶんなるほどRELはせんと爲て居た時分ためしの成程その話を聞かう爲に、き忍んで來たではある
7番々ちぬうい·おもていこと引捕へて連行か夜中伊瓦武が戶外へ出づる事などあらば、(二八)まいなれど、おもてひそ〓からはか圖らず其を竊聞して、それたち ぎゝ中子窃み居つたに相違ちがんと、戶外に潜みて居し折柄、それするちからしやぐいん力づくではまたけしきばむ沙具沙允。いよ〓〓其と猜しても、爲こる此方の損、あるまいそんと又景色是非とも此には智慧を以て彼等を制し、これきやつらばSchたか實物も無事に、ここアもんだふじいのちはし生命おんびし端無も無事に、ヌ成る事ならば圓く治めんといふ恩変なことき暫く爭ふ問答を、く此處に通りかゝりて、E木蔭より備に聽取る一人のアイノ、こかけCheとひとりゑたり顔にわたるいまこいつと密に去りぬ。紛膝を打つて、ム此奴はうまいぞ、第二十-回さいしつずこぶとん、ふく30 :けろく性質頗る食慾にこゝに鬱眉村のアイノの中に沙毛六と云ふ者ありけり。;えちかごろれいむもつかわれ我は此頃不圖したこのころふ新智に長けたる小人なりしが、近頃例の村塚が、て、だれめいれい3도またな〓:誰でも善く我命令に從ふ者に東京、ノに又無き實物を得たり、な'リラこれこれ此さへあればティノの仲間で、羽振も利くその褒美として此を與れる、オツテチなのこれほたれわがめいれい春れば酋長にも成れる物、此が欲しくば誰でも著く我命命に從ふ可し。としやけろくよくしんむら〓〓こわれまつ:むらつかさまリ謂ふを聞き、沙毛六慾心勃々と萌し、我こそ眞先に村塚樣に取入つてたからものいたマのち$六七七オツ、テナのぼその寳物戴く可し。この身この後一躍して、尊き酋長の位置にも昇らば露よこれはきLあはせむ5子Bしやけろくそのたからものだ世に此程の幸福はあるまじ、村塚樣が沙毛六に其實物さへ下さるならばさん なこゝろb沙毛六其よと仰るならば、ろくそれおつしやいき何奈でも御心に從ひ申すはおろかなこと、生ひろせうxかなたさきさん生身の爪も剝がすべし、と小人の悲しさには、直ちに目前の慾に迷ひて、ミエこいな紛さりとは浅間しき心に成りぬ。そのヽちしやけるこのこメこりかたまたnoつ1.江さても其後沙毛六は此事のみに凝固りて、他のアイノ等は村塚の不法なふる語いきどほこれいこれことゐたかしうてき是を忌み此を惡む事。怡も響政に對する如き、あるにも拘た62たる行跡を憤り、しやけなかほのせなあししげなんやんしめつにふたらず、沙毛六のみは仲間の者を脊にして、足繁く陣屋の門を出入し、只かなことつとかんちxひつかこれさいはうちうなづ■その氣に適はん事を努むれば、奸智に長けたる村塚は是幸ひと打點頭さつそくてなづさぐいぬ〓かれもちかきろわれたいき、早速これを手懷けて、アイノを探る犬と爲し、彼等が近頃我に對す(三八)る餉靜を密々窺はすれば、す〃沙毛六は又出世の〓手の先に惡りたりと打悅けろ<またしゆつせいとぐちてさき、うちよろこ
uつかはいか:すうじふひやくにんいへ(めやうじめんくわい〓F (四八)び、村塚が亂下に住へる數十百人のティノが來を役曰の樣に致回し、何ひたすらやうすさぐいへとさいはひはなはうす食はぬ顔して、只願にその動靜を探ると雖も、僥倖甚だ薄くして、未きうぶんerつかごとにてがらなa〓け:だ充分に村塚を稅はせ得る在の手柄無きを恨める折から、今日しも山にかりくらかへりみちはかおんびししやぐしやいんりやうにんおしもんだふもれきこに雪狩暮しての歸途、圖らず恩發沙具沙允兩人の押問答を澤聞きて、これ幸こをどりふたりやくだ=とこみちうんじやうやかけこ=アーひと雀躍し、二人の山を下るを待つて、横道より運上屋に駈込み、村振したしだPSたた〓つかceなに親しく會うて、聽きし次第を備にれば、村塚一度は靑く成りしが、しやげろくこますさあのやうしやぐしやいんなか〓〓うつかり粉沙毛六此處ぞと膝を前めて、ナニ彼模樣では沙具沙允も未だ中々に虛然てたしいたよししやぐしやいん〓んるchrsニさまThe手出は致すまじ、設令沙具沙允が奈何と言つて焦じつた所で、上様に敵たおのれるくびとことおんびしがてんを對すれば、己等が首も飛ぶと云ふ事、恩菱めは善く合點して居れば、彼やつそばひつじやうしおんびしこいひはEck bsc x奴めが側から止めるは必定而て思戔めが何處までも言張る所は命をうでづくレこぜニハマこと·エ懸けて腕盡で爲やうよりも、此處は是非とも智慧盡でとの事なれば、彼えしばらかんづ÷こちらきやつじ等に油断を見せ玉はず、此處權くは感附かれぬ振をして、此方から彼等しやぐふただんナ또見事謀略の裏はかりごとつるかうもを二人の油斷を見濟し、を掻いて、その中に時機を見て沙具しやいん: :おんびしSアたきやつ117のこは:沙允さへ亡者にせば、恩菱如きは怖るゝに足らず、彼奴獸類の如く輕捷がんせきつたたかところよをとこいにして、巖石を傳ひ高き所をも能く跳り越ゆるにせよ、それには弓といきべつたふざふさセことまつにふ物あれば、彼奴を斃すは雜作も無い事、爾して仕舞へば御氣に適ひしまんまはいりよむこ 〇·むたこようばんき万事は沙毛六御しやけ伊良武は任意と此方の者なり必ず〓〓御配慮御無用、まをたみさとき々〃ふたり&ひとつ;人の首を列べて引受け申しまして、こゝ月と經たぬ內、見事彼奴等二めかまをナベごとあん;御目に懸け申す可し、·これくらゐ總て物事は案ずるよりも生むが易く、ナニ此位なめしまへ事は朝飮前でござりまする。ゑ:が〓村塚ほく〓〓笑壹に入りつぼ紛と氣輕に謂へば。ぬ。第二十二回:なゑしやけくわむねうちたれtらおんびしま淺智慧にも沙毛六は、我が胸の中を誰も知るまじと思ひの外、思菱先づこのことかぎつあるひしやぐつけしらしやけろくこゝろしやいんミ渡此事を嗅附けて、一日沙具沙允に斯と告知せ、沙毛六に心せでは、と(五八)いかごれを聞きて沙、具沙危は大いに怒り、しやぐ22につくきちくしやう航とし知らLむれは、可惡畜生め、
ム:てぁあの信〃むいのつつよ(六八)四こば昨日も山にて出會ひし彼時、有無を言はせず引捕糊の如く踏み潰Cおんびしせはひきとヾ=しやぐしてくれたらんものをと屬れば、恩菱急しく引止め、先づ待たれよ沙具しやいんどのまへぐわんらいせいまをとこそれさR〓沙允殿、御前は元來性急な勇夫なれば、其と聞いては定めて腹も立つなそれだいじミせうじよ〓しやけあくふぜいやつつけまとる可し、さりながら其は大事の前の小事、設令や沙毛六風情の奴が附纒ヒんところまさかきやつムせいか·50cおとびて、奈何と爲やうとした所で、豈夫彼奴風情の手に懸つて、命を落すか.まへベどんくぐ:か、ガニをかんはん私や御前にもあらざる可し、在空樣の返す返すも〓へられし堪忍と云ふとことはやまことだいやタたちみ紛は此處の事、逸つた事をして、大事を破つて退けるのみか、その爲に身ふやうナ;ことふたりさんくう:をしへを危く爲る樣な事でもあつては、二人で彼樣して呑空樣に〓化を受けた又呑空機も其と御聞き成されたならば、またどんくうさまそれわがみなんぎ效驗があるまい、我身の難儀もかおろかふREかはつとかけうげた顧みず、アイノの蠢愚が不憫さに、上の嚴しき法度まで犯し、〓化を垂ふたりふさこひさりとは可悪者共かなども憎しみ玉はん。いくたニれた効驗も無き二人の行跡、しやけろくしかわn.はかりごとおんびんとくこれほきこ沙毛六然りと知りたる上は、我に一ツの謀略あり、恩菱疾より是を施さことわざとかぜきたんと思へりしも、世の諺にも云ふが如く、風來らざれば樹動かず、霜降こB.かれ、せまためけむならざれば樹の實熟せず、彼より進んで迫らざりしが爲に、今日まで空し:ハいかれ、われはか。待く過せるなり。然るに今は彼より進んで我を謀ると知れたるからは、せつことわれ〓〓ふたりうかれむらつかぐんぶうことちに待ちたる時節來れり、我々二人が智を以て、彼村塚軍藏と爭ふ可きまきたおたしはやたまことばしづかなたところなに雪時節は來れり、必ず逸り玉ふな。と言葉靜に宥むれば、その謂ふ所何がLまたおんびしちらことばしばしやぐしやいんここは知らねと、又もや思戔が道理ずくめの詞に縛られ沙具沙允は爭ひかはぎしみバとまねて、切齒しながら思ひ止りぬ。こ☆(こ上おだやか紛その翌日の事なりけり。よくじつこと恩菱は古頓柳と約ありて、おんびしとんりう幸ひ日和も穏なればひとひふねこぎいあなた3いざりせしやぐしやいん今日の一日は船漕田でゝ彼方の海に漁爲んとて家を出でぬ。沙具沙允はふんしゆんくうちつれたけまたしか;い例の俊苦と打連立ちて、今日も亦鹿狩にと出で行きたり。されば家にはい2美面能しき伊頁武はかりで殘りたる。なにてすひまな六はやかれこれxごはころい何を手に爲る暇も無き冬の日の、最早彼此正午ならんかと思しき頃、伊:いそが,のふをつとかりえかしかにくいとものなてぶり良武は一人忙しげに、昨日夫が狩獲て歸りし鹿の肉を最物馴れたる手振(七八)かないね〓、Pをかくぜんいぶしにくにて、家內の屋根裏に釣下げ居れり。斯して自然の薫肉とはするなりけ
(八八)り。·ゐやBととすきまさしのそメとりろ折から表に可怪しき人あり。戶の隙間より差覗き、伊良武の一人在るをにつたりたる:さて是よりそ靜麗村の山何は伊に殺氣これenさんがEさつ見て、冷然笑うて過去りけるが、重を帶びける。第二十三回しヌがみわれまねわがいのちわがみくうん:えいせいきはまなのごと紛死神我を招くとも知らず、我命は我惡運と倶に永世窮り無き者の如く思まよでがうぜんだかあじさんかいちんみひ迷ひて、爐線に傲然と高胡座、山海の珍味ざらりと列べ爲せて、アイむらつかぐんざうあひてになんろくすけしやうばんくびひねくノが血を飲む村探軍藏、相手は似合うた下男六助、陪食しながら首回轉けふ+け〓みをとつひるれまゐ;つて、今日は未だ沙毛六めが見えませぬな。昨日彼奴が參りました時ろくすけかけまねカ.みゝたヽみことこでいりはひうんきやうや六助を木蔭に招き、壁に耳あり疊に目あり。特に人の出入激しき運上屋うつ虛然話しは出來ませぬが、でここれるたいひとなまさまにては、此處は幸ひ四邊に人無し。御前樣まミすたん な:ちよいとくもガ折を見て旦那樣の御耳(こび わうで申して置くに、ヘ一寸口を當てゝ下され、飛道ぐよういぶつよはやとこあみつかで25き々つ·ふた具の準備も整ひましたに從つて、最早この所三日と出ぬ內、彼奴等二人つとかはりのうろくすけどのしやけろくまわりちがを必然やつて退けまする。その代には哺六助殿、この沙毛六も罷遠へばふたゝいのちがけやことれいこがねくはさきふたりc :か再び得られぬ、命懸にて爲る事なれば、佛の黄金の鍬形は二人の首と引換いたゞそくさはシ約束通つく〓〓まをまゐに戴きたうござりまする、豫ての御りに。と熟々申して參りましあのやうすとほっふたりなまくびひつさLたる彼氣合では遠からぬ內に、彼奴等二人の生首を提げて來るかも知れあのふたり,なえたはしゆんくSおそたそのませぬ。彼二人さへ左樣成れは、枝葉の俊苦如きは怖るゝに足らず。其こことんりつ日つあれすではんぶんつちにほ紛他には古頓柳め、やゝ骨のある奴なれど、彼とて既に半分は土の臭ひの靜腫村は奈何爲やうと那樣の御心次第といふもの、すとしusたん なこまこゝろしだいあの爲る年齢なり、彼伊良武をば朝に夕に御側で御給仕させ玉ふも何の手間暇いらぬこと、るゆきふじたまなんてエひまて〓つツばでツよりとと&さヘと手を膝に突張ツて、太々肥れる首を縮めぬ。々し,ミアみすえたのこゝろc如終を開いて村域も未だ見ぬ木の婚しをを超ひやるにも心はづみて獨とanいをり中めんくだふまたじこくたがり笑壺に入る折柄、御免下さりましやう、と今日も亦時刻を違へず入り(九八) ;よくしんもの九五で來るは、例の慾心者の沙毛六なり。
むミつかみGこEck,あばけは:われら(〇九)村探見るより頸を差伸べ、オヽ好い、所に來合せた、今日は幸ひ暇な我等さかづきろ、) 1しあのいちjと'"盃くれやうぞ、爐綠に進みやれ、而て彼一條は奈何成つた。されはでごわたくしこと居めねふくらゐしんめうしんめうざりまする、私めもその事で、殆と夜の目も眠らぬ位。ム神妙神妙ぞんさむさなわたくしどもそれ:電へい、有がたう存じまする。寒氣に馴れた私共には、未だ其程でもございたにくたんなこまごめんくだとら御話しが致し難い、りませぬが、此處では奈何や旦那樣御免下さりまもみてLとロリよせい。と揉手爲ながら膝行寄る。〓すけカMたひとつわんiきだしやけ(ミニ〓そなた紛六助は身輕く起つて、一個の椀を持來り、沙毛六が前に措いて、其許もこたんたんなさましやうばんつかまわんたさけつ其處で、我等が旦那樣の御陪食仕つれ、椀を出せ、酒注がうぞ。ハイこなみ〓〓うしやけろくぐたヾひとのみしたうちしBEれは〓〓。と波々受けて、沙毛六牛飮と唯一飮舌打仕ながら器を措けわがものがほたかるぐらレゴかりおわう:ふ.かたo··〓ば、世は我物顔に高座せし靜雁村の魔王の村塚、片肱股の邊に突いてしやけざかたたいわkこそのこと首び〓〓尾沙毛六が坐したる方に躰を歪め、濁れる小聲に、其後は奈何じや、ことはかしやけそここしくもびるおしねぐづかよ御氣遣ひ成されます好く事が果取りさうかの。沙毛六は拳に唇押拭ひ、いまきあひにかをじこうりやうじつるな、今軍合を計つて居りまする處をれば既ヲ明日明後日の兩日には。けふこなた:とおろうきやつらいこつそりと必ず遣つて退けまする、今日も此方へ參る途中、彼奴等が家を隠然と戶すきまのでFerおんぴしあか!をゐのうっの隙間から覗きし所、(恩菱めも見えず、赤面めも居らず、彼美而絶しいいひとりこびふとにくnうらせつ〓〓つる伊良武が一人、淋しさうに留守居して、鹿の肉を屋根裏に切々と釣してをすがたみみわたくし居りました、その姿の見れは見るほど美而跪しいに附けましても、私はち;ぶはやあいつひつばつこの〓( 10だん其樣に思ひました、ヘゝ早く彼奴を引張て此御邸へ參つたならば、旦t :まんぞくすけ:ごきようえつかやうまをしやけるこがねくはさきはいりやういた那樣も御滿足、六助殿も御恐悅、斯樣に申す沙毛六も黄金の鍬形拜領致こかしこよこい上ことうれはやaうし、此處も彼處も世の中は、善い事だらけの嬉しいずくめ、早く左樣しはことこわざかるれこれみちて欲しいものじやと、その事ばかり思ひ凝つて、儘彼から此までのなかつLyしかそれこれ66なしようぶろナながれと幾度躓きましたやら、併し其も此も夢では無く、勝負は明日か長うあさつててはぞでをだんて明後日、手筈も出來て居りますれば、御待ちなされて下さりませ、旦な:エなか大分面白う成つて參りましたな、だいぶな:10那樣、世の中は、といふ。むらフ.みさきゝをおんびしひしやぐしやいん村塚は耳を澄して廳居りしが、思菱めは奈何して見えぬ、沙具沙允は何(一九)こそこつといかにこヽろありげます處へ行きしぞ、其處までは突止めざりしか、奈何〓〓、と心有氣に膝を
。た''なごん(二九)乗出す。さればでござりまする、近所の者に其と無う聞きましたに、恩すなどりあか..ひとあしだばかさに戔めは古頓柳を打連れて漁に參り、赤面めは一足後れて馬鹿力めと打連chしかゞりでこととはそらあひ立ち、此は魔狩に出懸けしとの事、この通りの天合でござりますれば、ふたかばん二人倶に歸宅は晩でござりましやう。と聞くより村塜膝を前めて、フジそれきやつらこか其では何か、不在は彼等ばかりで無く、古頓柳も。はい。馬鹿力も。はなしやけ〓〓Bikeい。奈何と沙毛六。はい〓〓〓〓それでは汝の働きで、伊良武を此處ら;たく〇んに賺して來ぬか、怜悧な樣でも多寡がアイノの未だ恍惚女、沙毛六奈何そてchsはハ助手前も酒はツかり云氣に飲む可き。所であるまニ:と善い智慧出さぬか、んはだい奈何とか欺して賺し出し、此處まで引張り込んで見ろ、後は此方のむらつかさまいとみふがずで、と見事伊良武に云はせて見せう、村堀樣御愛しい、サア行け沙(kろくすけたcm毛六〇はい、はい、はい六助立たぬかはいはいはいエ何をくぞ〓〓てに'た透巡手鈍い奴等め、と酒が煽動る情の勢後先も見ず急き立ちたりで港或さうに手を揉む六<は御座りまするなれど、と遁口上を長く引張り、じ;く밍それでは斯樣に致しましやう。と狼狽へながら沙毛六は、生睡を幾とて35度か呑み込んで、此所にと申しては、伊良武到底も參りますまい、それまを品ぎよいくびそわまをわけまゐかと申して他の人ならぬ旦那の御意、首は飛んでも御背き申す譯には參爲これ此は中々骨の折れる御役目なれど、やくめいちばんやらず、エ遮莫よ、-番行つて見まPク一足御先あし:いきつさとしやうなれば、旦那樣はへ私方に御入あつて、吉右左御待ち下わたくしとさりませい、私めはいざ是から伊良武が許に、と起上れり第二十四回むらつか米鞭のぜTel村塚は-腰落しに投込み、上より祖袍を着流して、覆面頭巾目深ふこよところきたかたこゝろさに被り眞發の欲しし小さき耳現を懐中にて弄りながら沙毛六方へとをみきすがらニいろのハ不國立止りて胸を打ち、た たす途上、少しは顏に物思ひの色も見えしが、ナそれはどあ人こと〓ないはしこいEchoそれなかまニ其程案ずる事は無い哩、怜悧などゝ云つた所で、其はアイノの仲間で(三九)はたこのそなた云ふこと、こ首尾よく思ひを果した後で、若し此事を口外せば、其許が生
しやいんもろとも(四九) .命ばかりで無く、恩菱沙具沙允諸倶に斬つて棄つるぞ爾思一、口外爲ぬとあるならば、今日の褒美に此吳る、と外日ぞや森つた此耳環、無事に: cぼばん〓〓戾して吳たなら、一ツは悅び一ツは怖れて、事の露顕る氣遺ひは萬々あ雪るまい、こりや好所に氣が附いたわ。&と打點頭きて打笑みしは、火を取〓Beんんすす良且蟲の翅を燒くを思はらが如しとも云はゝ云エスからんをは、をさ おと伊良武は既に鹿の肉を釣了り、機に懸りて梭音高くアツシを織るに餘念:ロ紛無し。折柄表に人の駈來る是音して、伊良武樣は御在宅か、と呼ぶ。其;÷伊良武樣御在:漫尋常一樣ならぬに、伊良武は驚き振返れば、オつたか(くと周章てたる風情にて、內に入り來るは沙毛六なり。何用ありて來しや:らんと伊良武は心に訴れど、さりげなく會釋して、オ是は沙毛六樣御珍しや、と挨拶す。沙毛六は胸撫でながら、早く一緒に來て下され沙具沙尤股今日山にて人館に引きれ、: :同伴の俊苦も脊中を爬れて、二人な今一足遅かつたら間一。で命までやられる所に、503が二人太した負傷なり、: 13 < a恰好折善く私と隣家の佛登兒めが通りかゝつて、豫防の毒矢に熊を射殺し、沙具沙允殿は沙毛六が、俊苦は佛登鬼の肩に懸けて、兎にも角にも〓兄御は御不在が石私方まで御供申して戾りました、ア其ならば御前樣n丈なりと少しも早く來て下され、沙具沙允殿も伊良武を早くと言はれまゑ1した、サア〓〓早く、と喘ぎ〓〓急立つる。:た伊良武初めは虛然乘らず、左や角と問ひ返し、容易に梭を投げざりしがと〓紛沙毛六少しく風あらゝげ、是程言ふに機を下りぬは、私の言ふ事疑ふてこれたけいかよし其ならば無理には勸めぬ。死目に後れて後悔なさるな。是丈言へば沙毛六が、〓仲間に對する役目は濟んだ。ドレ御暇致しましやう。と6チナカ、:後目に懸けて腫を回せば、脊は血汐に朱く染れり。伊良武は此に膽を消沙毛六樣御待ち下されし、行きまする參りまするナニ疑はしくばぶ:00 3杯分其には及ばぬ。イエ〓〓行きます、參ります。疑ふたは私の誤り、堪忍(五九)わと顏色變へて機より飛び下り、して下されや。眼には阜くも淚含んで我
やカ家を賦ど(六九)こ,〓しやけろくかたかげこ出し、何處を奈何して行くとも覺えす、沙毛六方へ駈込めは、不ムし醫しきないかにメにモここ思議や然るべき景色無し。これは奈何と伊良武は訴り、其處か此處かとみここいきちdur nしやけろく:をつとと見廻せと、こしやぐ戀しき·天の姿は見えず、しやいん沙毛六樣、夫は何處へ、沙具沙允はと10か、しやけたすで:としめきりやうてひろ那方へ、いらと振返る。沙毛六は既に表の戶を締切り、兩手を擴げて伊良武かこしやぐしやいん〓プ〓いまいとonを圍ひ、沙具沙允の赤面めは居無くとも、今に愛しい殿御に會はせるニ先ア〓〓上に、おしもどCBUををんなみかたと押戾す。さては欺り居つたか、と女ながらも身を堅め2になかごinロ突退け〓〓逃げんとす。ハの最う斯樣成つては籠の鳥、羽擊きしても遞しはtひぬし煮んこれひたたあらそうしろまたひと爲ぬ哩。主ある女に是は暴爲。と爭ふ脊後に又一人、何時の間にやら突のつちこいおほそとこぶつか入りすく然と顯はれ出でしはアイノにあらぬ大男、し伊良武を緊乎と抱縮め、しやけまろくうまやを沙毛六巧く遣り居つたな。第二十五回しやべしやいんしゆんくちしゆまさんかぼベリづたやまふかちに沙具沙允は俊苦と打連れ、けふ朱魔珊の川綠傳ひ山深く分入りしも、今日長;はせ子とつねいらづもうごはえtheは太だ幸福薄く、かゝる時の常として、徒らに勞のみ多く獲物は少し。狩塲を轉へて又轉へて、ビかまたかせめしかいつとうらさがみあた切ては鹿の一頭もと搜せど捜せど見當らぬにしゆんくぶつくし1こぼしやぐしやいん(しゆんく俊苦沸々不平を溢せば、沙具沙允も氣を挫し、いかに俊苦、日は未だ少たかすけふこれきりあをえににこし高過ぐれど今日は是にて切揚げずや、か汝もこれまで例があらうが獵%ふしかゝること: chよき屋まりろには折節如斯事あり、こんな時には逆はぬものなり、好程にして切揚げこけかんはいなめ:たん、いざ〓〓來れ、今日はこれにて歸らん、と左も本意無氣に前に立つしゆんくぱりあひなとチIsたら一人は勝れてと紛俊苦も張合無く思へる時とて、直ちに應じて歸途に就くたけたかをとこないしん おもしろとむあたりけしき心身長高き男の、內心面白からざる時とて、四邊の景色に目も配らず、顏えきみおほまたふあとまたに凛たる怒氣を見せて、のつさ〓〓と大股に踏み行く跡より、これは又かくべつこ口35しゆんくかほさゑみふくロンはづか)格別に短軀の俊苦、顏に少しく笑を含んで、外見可耻しきまで少き獲物かろ〓〓かた(またばしりおひつきヨかたくだほそ みちくを輕々と肩にし、後れては小股走に追附〓〓、里の方へと下る細道、落えふすねらるなここヽろまかさすがあちかこいゆふかゆな葉脛を沒して、足の運びも心に任せず、流石は冬近き頃の夕風、馴れた(七九)みはないたる身にも鼻に痛し。
raけなんなおもしろ海へと向ひし恩麥麗は、(八九)我には今日は何と無く面白からぬ日なりしが、a日のわれか、未だかと家に戾つて見れ :思ふ程の獲物あつて、我より先に歸られしか、やうすないすこはた おごんびしx中伊良武も見えぬに少しく氣振し、機織は、恩菱は未だ歸りし樣子無く、てミみづく水汲まんとて出で行りかけて何處へ行きしぞ、手桶も家にあるからは、いこまはきしにもあるまじ、伊良武、伊良武、と二聲三聲見廻しながら呼べとこたかさいは幸ひに榾柚は善く燃えは〓、答ヘナ。先ア宜い哩。その中には歸りて來べし、あがべね々打寛ぎて(〓〓〓つかれすたく爐邊に悠紛たり、暫く疲勞を休めん。と沙具沙允は座に上り、セレンポ手に取り煙草一たばこいつぶく服喫ひ了りし所に、今がた道にて分れし俊苦、いしゆんくaこしやて顏を見合息を切つて駈來り、沙具沙允殿在宅か、と呼ぶ。オヽと答へす。さ疾御座れ、と切りに俊苦は打招くし23まね奈何だ、んと沙具沙允も少しく間(かたヘに豫て御前達のいまそ御前に册れ、三、章てる。今其處で沙毛六方の邊まで行けば、最負を爲る愛關化等四五·八集り、奈何やら事のありさうな爲躰、何事ぞむらしやミ今の事なり村塚め、と辞めれば、御前は未だ知らずにか、沙毛六に伊良xざ俺ね武様を誘き出させ、手込に爲やうと爲て居るとの事、サア御座れ、もなんこと:〓行く、奈何でも事が危いらしい、と急立つる。斯と聞きたる沙具沙允、うつぶんいつどき뜨けつこれまで壓へ壓へし憤一時にドツと發して决いきはとこの稱河の勢ひ、一二そく ざ止めても止まち点此日此時恩兼察に在らされは即座に有合ふ: (たけみ杵を提げ、俊苦來れ、と逸散に鷲より疾く熊より猛く翔り走つて行き見かどとかたいき、み:定れば、門の戶固く鎖れたり。裏面の動靜は見る便無きも、正しく其と思いよ〓〓しんとうど紛しき物音戶外に、漏るれば、沙具沙允怒り愈々心頭より起り、おのれツ、bo 2/3ひと疾風迅雷耳を持11たけと言樣杵を揮つて戶を一撃に翠破り、ふ暇も與れず、猛こつかおきろく吼つて跳り込む。村塚愕き迯げんとす。眼明に業早き沙具沙允、一いかこれのがぷeつか÷でか是を遁すべき、飛頭つて村塚の襟領緊乎と引攫む。物も云はずに振:なはかいくめんだうしやぐしやa2よこばら拂ひ、猶掻潜つて迯げんとす。面倒なりと沙具沙允、橫腹したゝか蹴附:00ぱつしやいんそのまへたちおのれこんにちくれば、村塚怯んで換地倒る。沙具沙允其前に立塞がり、汝が今日まで(九九)ねつpeわが:こおのれの重なる罪、我は恕すも我持つ杵は恕すまじきぞ、仔細は言はずも汝が
〓〓: :大る:杵(〇〇-)心に覺えある可し、いざ思ひ知らせてくれん、これを食へと立懸り、むらフまつかうめおろかなさ§を揮つて村塚の眞額目懸けて擊下す。擊たれては叶はじと橫に退く撃しやぐしやいんいちふきはひはけるふた損したる沙具沙九け一段焦立つ勸熟しくエのれッ、と叫んで再び翠つ。雲債なのさまの必ろしきに村提眼もくれ心も消えて眞報一ッを疑劇らぶんぬどそesつかめこゝろ목かつふた3, 26 2/8〓, 03日頃の怨み今日こそ、と力任せに杵を揮つて續けさまに打つて已またBはなわいぶねば村塚遂に糊の如く眼鼻も分かず打潰されたり伊良武よ、伊良武よこ村塚めは斯樣してくれたぞツ、2.紛其許は怪我は爲なんだかと手に爲し杵なひすいメか.こてあしていたレビ(を投捨て、伊良武が傍に駈寄れば、可愛や手足は手痛く縛られ、口にはかたてぬa〓圓く手拭の猿轡をば銅められたり。これさきだしやけしやくしやいんから是に先立ち沙毛六夫婦は、沙具沙尤の入り來りしを見るより、命からが考ざごもんばか3 ctら我家を迯出す折しもあれ、斯もあらんと慮りて、先刻より戶口に待受ビしゆんくみりやうてけたる馬鹿力の俊苦、それと見るより躍りかゝつて、夫婦を兩手に引襲ん20 :我等と御身は是迄何等の怨みも無きに、ゃこれむ。これは俊苦殿にあらずや、われかみ斯く提々ようふceかせいじつかうくわいめ夫婦を捕へ、上に敵する惡漢に加勢して、後日後悔召さるゝな60をな=あることかぎといふ。エイ犬めが人らしい口を利き居る。アイノの仲間の有事無事嗅だsmしツぼ尻尾を挿つて耳を垂れ、り出して、村塚めに密告し、日こそ〓〓出入しい。xばん%ニ·いぬいぬて、彼奴の餌食に太腹を脹らし、それでも犬では無いと吐すか、犬も犬くそいぬい品なvo〓か糞犬よ、ナニ犬では無いと言ひ居るか、犬で無くば犬で無いと、沙具沙龙縣の行に會うて辨解爲い、いんiニ落着いては居られまい身悶躁するしやいんどめc.紛は迯げる積りか、どつこい左樣は成らぬ哩、沙具沙允殿の杵を待たず、,すふたりくびすなにじたばた悶躁くと斯樣爲るぞ。と何の苦も無く二人を引据ミ、頸筋摑んで石に押着け、2如何だ少しは徹へるか、動けるならば動いて見ろ、馬鹿しゆんくくびすちニめ、虛假め。と俊苦はニヤ〓〓冷笑ひつゝ、頸筋ウンと〓み殺せば、夫〓だく〓〓でロ:ㄸ婦は滾々血を吐きて、沙具沙允の杵を待たず、やがて冷き身躰と成りける。(一〇-)
(二〇一)第二十六回うんじやうやふしむうつかまじりそれとも知らず運上屋には、しやけろくかたで役頭の村塚目毗を下げて、沙毛六方へと出かのつg懸けし後は、六助から先づ高胡座、たかあぐるだんなきのけふけい旦那殿も今日といふ今日こそは、伊5/8よはやう良武がふは〓〓した肌に、んおとし快き保養をば爲らるゝなる可し、その邊の樂ねがかなわれ&よせんせめナおにみは希うて叶はぬ我等四人、:切ては好きな酒でも飲んで、鬼の居ぬ間に紛いのちせん だくはnつツくべさけこさかな命の洗濯、あるたけた榾柮をずつと突燒ろ、酒を持て來い、下物も有文さらけ出せたいsろ:ころてあしシふみのばア、退屈な。と爐邊に轉び、大欠伸す。手足を直と踏伸し、アヽアツとこゝろえさんばんひと齊しく起つて酒肴の準備し、たしよういにんぐる心得たりと三人は、ろうもかこ四人廻りと爐を打圓み召くる〓〓いろこたうしことニごと下司の常とて口々に色の戀のと沙汰しつゝ牛の如く飲み馬の如く食ひけるが、かぎ限りある腹なれば、は·何時しか、れれ胸胸まで問へ、っさんBつかぜんさしく自然と刺來るゐね÷うつう〓뜬セこぶツたふあたまおもひ座眠に昏昏ふらり〓〓ひちまくらどいつ果は其處邊に打倒れて頭垂氣に敗枕、何奴もぐ모つすり眠りに落ちたり。のおと通商けすけふつとめ折からドウと物音して、コ頭をしたゝか蹴られしに、六助不眼を醒せば、はにびさんとセルdなしゆじんLあけそまな柵柚火の炎炎と燃へたる中に、首こそ無けれ主人の死骸、朱に染つて投すけみこし〇〇こ1/ひとたんれげられたり。六助見るから腰をし、ツと叫びて振向く途端、血滴け:つきつは、たまひみたれりきりやつかねわがよこぼら漏の杵を直と突着けられ、再び魂消て〓れば誰、その力量は豫て我横腹しやぐ+ぶんユダロかたてわうたちじつゆつませにわれKoに覺えある沙具沙允、杵片手に二王立、日月の眼に我を睨んだり。これおそりやうてあはた:50しやぐしやいんねめつ六助は是にいよ〓〓怖れて、兩手を合せ唯拜む。沙具沙允は睥睨けながセリちかよとうcすけセツ능ゆるわれなんし紛ら直と近寄る。同時に六助直と退りて、恕せ、恕せ、我は何にも知らぬことばんじこれしゆじんさしづわれエきなことうなん事なり、万事は是なる主人が指揮、我は餘儀無く爲た事ぞ、この上は何そなたいとはいつすんはいすないちつまこあでも其許の言ふ通り、一寸たりとも違背は爲まじ、內地には妻も子も在みゆいのちいるておしもたんぐわんる身、恕せ、恕せ、命ばかりは恕してくれよ、と手を押揉みて欺願す。じゆくしごとゑつぶこれほひわよをきゝなモこ熟梯の如く醉潰れて、此程の騷動をも他所に聞做し、其處等にごろ〓〓とな: ;がん ゆんやうにらS :さんせんこの時不國めこ轉がりて、雷の如く鼻を鳴しゝ三人も、眼を醒し、眼前の體(三〇一)ニ노ゆめちゃかるてあは、裁に同じく腰を脫し、pわる恕せ恕せ命は恕せ、恕してくれよ。と手を合
ほえづらそうL (四〇一)せ、泣面かくこそ笑止なれ。:といん:とりのはねあすけコじやうニうぬい沙具沙允は杵を取伸べ、齒の根も合はぬ六助が頭上に加へ、汝めが何時ぬすをおんびしとのいほうもつこがねくはさき¥こゐぞや盜み居つた、恩菱殿の家の實物、黄金の鍬形は何處に在る、きりき重たこだことばほかせめといめちたすり起つて此處に出せ、と言葉烈しく實問ふたり。命さへ助けてくるればはかのぞ〓わんくはさきしゆじんaエaようたんすひきたしそつくり他には望みも無き我等、その鍬形は主人の居間、御用軍笥の抽斗に全然toまゝしまにあんないしせんかたないすけを;其儘藏ふて在る哩、案内爲やう、と詮術無しに六助は、戰慄きながら前しやぐしやいんあんない紛に立つて沙具沙允を案内す。こさんんこれみさニセンいかはみ:30 ,なづらsこモ殘る三人是を見送り、吻と一息、顏見合せ、〓頭き合うて裏口より胡鼠にひだここちかアトラしめんくみ〓〓と〓出せば、先刻より此處に待附けし馬鹿力の俊苦それと見るよごまをふたいつしよりやうてニあざなんねきふり心得たりと躍りかゝつて、二人一緒に兩手の早業、何の苦も無く捩伏ひざれんっタシ:。きふしよきふしよ所を刺微す。:はけおくいちにんせて、膝に壓者け山刀を引抜き、急所急迯後れたる一人はGEまきつ:〓たここあんけうで子まちつ暫く躊躇き、表を指して迯出せば、此處には愛陶化が腕を擦つて待附けをとびだあしもとかきすくみごとにおさいつすんいるタ'居り、飛出す足元搔抄ひ、見事に倒して押へ着け、一寸一分も動かさず。沙具沙允は六晩に案内爲せて、しやぐすけあんないさ室aみみここがねNEつきうば一村塚が居間に踏込み、黄金の鍬形奪ひ返てピや6番とりなはよこめこれべつけんすけばやにひいたして、手早く杵を取直す。橫目に之を瞥見して、六助早くも逃出す。に逃とび、無差よこんにちわれがしはやらじと飛蒐つて引倒し、2.今日までの我等が怨み、今日こそ思ひこれ知らせにかみなら: 1/3 :てくれん、;是を喰へ。と齒を嚙鳴し、杵を揮つて躍りかゝり、引たちかあたふたたすすけなうてんめか倒されて今や倉皇起たんと爲る六助が腦罩目懸け、ちからまかうちっ力任せに擊附くる。こつしろばつたりたてといんゴツたいに呀ツーと叫びて後方に撰地。3.4こめかみふか沙具沙尤追かけて第二の杵に蝉谷深く擧こうこれまでScLあくゐん あくS.むくいてきめんルこん〓〓紛碎けば、此迄アイノを苦めし鶏因惡業の果報は〓面、わた六助は滾々と湧出と:そまいまSchむしいかいさんユタニ25きたす血潮に紅く染つて今は親に蟲の息第三の杵の頭上に降り來るを待たミず、てあしわづかふるまゝ3:まここ手足幾にぶる〓〓と震はせし儘、とこれも淺間しき最期を途げぬ。しやぐしやいんこれみにちたか沙具沙允此を見て、たとオヽ心地快い〓〓アハと高笑ひし、血潮した:のつさ〓〓と大股に一一間の中より立出づれは、3またひとまここたちい滴たる杵を提げ、しゆんくあい俊苦愛らんけaたも&て33 3 と關化は三人の首を手に提げて入り來りぬ。みしやぐしやいんわ(五〇一)見るより沙具沙允また笑つて、よよなんしゆんくえエかおゝ好し、おゝ好し、何と俊苦よ、運の好い狩獵であつたのう、ア
ざれことろニとしやうじたしやくつと幾言いい〓〓墟の火の上に戶障子の會釋なく積みて燃しかけた重第二十七回またおんびしことんりうりやうにん:)まだ" 3こぎいこyoばこゝに又恩菱古頓柳の兩人は、朝未明より海に漕出で、此處ぞと思ふ塲とたんref Bこれまたしやぐしやいんら÷れふ:か所を擇びて、漁を始めたりけるに、是は又沙具沙允等が不獵に引換いとあみえものはなばこほたりしあせはよこと紛垂るゝ糸にも曳く網にも、獲物甚だ多かりけり二人は仕合宜しと悅び、:てるしをっかれ右10 3欺る時の常として、手足に少しの疲勢も覺えず、時の移るも知らざりしゆふひひかりはななみあころ〓ム〓またシが、夕陽の光華やかに波を彩どる頃にも成りて、二人は數多の魚を獲しxがんしよくいたばこぶ;ト、まゝ倶に顏色怡怡として、煙草の二三服一ト息みし、いざ歸らんと云ひあたこくえんうづまとみみくがきので靜雁村の方に當つて黒烟酒卷きてpながら不圖目を瞻げて陸路を望むに、てん2たこと天に冲り、徒事なりとも見えざりけり〓をかたこうおんびしミニその変察見るより恩菱は、直然と起つて眉を寄せ、陸の方を信と矚る。たマ;こん표たち あがおんびしをかの徒ならぬに、Bissこ老人も話を休めて起立る。とんりうどのあれ思菱陸を指して、古頓柳殿彼たこ我住む村に事ありとえたり、ことごおんびしかひを見玉へ、とこいざ。とて思菱權を取る古とんきうカン高ロンたまあせ〓じやう古はしもほどな頓柳もまた權を取り、いそ冬も額に玉の汗、波上に船を疾走せて、程無く磯こぎつえて〓といへかたこゝろざに漕着けつ。はし獲物は捨て置き飛びあがり、家ある方を志して走ること二さらたちどまてあがかたぞと:うんじやうや三丁、立止つて火の手の揚れる方を望めば、火元は正しく運上屋なり。陣屋、なんやなんや陣屋、火元は陣屋。となんやあととせっことんりうさけふヽと後より駛着く古顧柳が明ぶを聞きて心いよ粉いよ安穩ならず、キ:息旋巴ひ當る節の無きにもあらねは心躍りて無言に突おんびしぶミあたよしなこゝろをとむごんと風呂かけことんりう;じんあしよわとわがいへせば、古頓柳は老人の足弱く、はりあひゆる一ツは火元の我家ならぬに張合弛みおんびしおくびて、見る〓〓恩菱に後れたり。おんびしマ.せなきとわがやあたりはせちかづとうちみ愚變は乾を放れし矢の如く我家の邊に走近附き、モ不圖打見ればこは什麼なにさひとあまたうちる)がんしよくいづい何事、人數多打集まり、何やらん慶事のあるらよろこびきと顏色孰れも怡々として、てんでbo·さけくごよめしく、手々に酒器を取持ちて、おんびしがてんゆ(七〇ー)酒酌みながら響動けり。恩菱は合點行かなほちかよのかけct usつかaず、尙近寄りて物蔭より窺へば、きりくちるをだけつきこ村塚の首を討つて、切口より靑竹突刺
チヤテロンチセたか〓いつからおんびしいほうもつこれ(八〇一)、し、柵構の杙に高く結着けて、その一方には思菱が家の賓物、是あればよなびいこがねくはきたかまつひと〓〓アイノは捉ひ靡くと至ふ黄金の銀形を画く祭りてエナオを挟げ、人々のホかたてなに酒酌み交す中に在つて、むなかるこれさけわんかたてニうた此も酒椀片手に抱へ、片手は掉りつゝ何やら謠爲きろこゑまんでツぶりせいこたるたひやうしとかためはろふは、日頃美聲自慢の肥滿聲鼓、樽を叩きて拍子を取るは片目の母衣矢ををとこれあはそこさまはねまはままいかか例此に合せて其處邊を狹しと跳廻り、その樣奈何にも可笑しく踊るは、ビかかたいまひとり:4るさろはこる뜌crecの馬鹿力と今一人は、その疾足を日頃語る阿部花と呼ぶ男なり。おんびし!のかげこれさまCas 24いよ(するしやぐ綴恩菱は物蔭より此等の動靜を備に窺ひ、さては愈々それかと推し、沙具しやいんどのいまもどとつゆんたちいみしやくしやいんいんしちか沙允殿今戾りぬ、と突然として立出づる。それと見るより沙具沙允も近けしミラPierかたひと〓〓おんびしまはりあつまくもく〓品寄つて、今日の始末を備に語る。人々は恩菱の周圍に集り、口々に祝ひこれおんびしゑみさニわれまんぞくみ沙を陳ぶる。此等には恩菱笑を含みて點頭、我も滿足らしく見すれど、しやいんミヒEksをはたびよもなけ具沙允には打解けず、その謂ふ所を聞き了り、あまた度打歎きて、さてはやこのがたとしきい最早落居て此靜腫にさち云ふ樣、さりとは餘り酷かりし、は止まり難し、設あくにんかみやくにんすあまツキこつんば奈何なる惡人にもせよ、上より置かれし役、を討つて衆て、剩へ家ほなかん<我々は生れ故〓の可懷しくて、3心きやうっsまで灰と爲したる上からは、まゝこ此儘此處にと#そのことかなナことい止まらんと爲るとも、其事叶ふべからず、過ぎたる事は、奈何に悔ゆとかひなこのらいみぎよこのちたちコかねどんくうさまわれも甲斐無し、いで〓〓此上は潔く此地を立去り、兼て呑空樣の我等が爲ためをしだまたかのくはx neとりうつりすまきくかねころゝざしCamに〓へ玉へる日高國は沙流の平取に移住ひ、悠々と豫ての素志を貫く可かなふごもはくSけんりよいかおんびしとし、斯く成りし上の我所思は斯くの如し、賢虚は奈何に。と恩菱が問へわれさふしかナしやぐしやいんは、ぎ我も左こそは思ふなれ、然爲ん、然爲可し、と沙具沙允も一議にも生どういことすでか"まこゝ·このち及はず同意したりゐ事既に斯くと决定りし上は、危き此地に在らんより、みやうてうまだきはつそくびらとり出このぎいかおんびしと+明朝拂曉に發足して平取に向ふ可し、此義は奈何に、と恩菱問へば、沙しやいんaびaぎ;とい具沙允は更に首も拈らず、その議最も然るべし、と云ふ。〓こなかまかしらぶんれいことんりうにうこんおくればせかけつさいは折から此處にアイノ仲間の頭分例の古頓柳老人も後馳に駈着けしを幸ごんびしからどうこもカツ.けLうこまシえん ゆつ$ことば:ひ、恩菱は一同に打對ひ、今日の始終を細密に演舌し、重ねて語勢優しみぎLまうわれ〓〓おちゐこのといかた右の始末なれば、ちく言ふやう、我々は落居て此地に止まり難し、(九〇一)就いてみやうにちひとまづさるuミうつりすこんにちふは明日この地を去りて、バ一先沙流の平取に移住まんと思ふなり、今日不
かうことSupひと〓〓こじつわざはひみxおそわれ(〇--)幸にして、事に預りし人々は、後日災害の身に及はん怖れもあれば、我われともこのちことあづかセンたゞこんはちこ々倶に此地を去られよ。さりながら事に預らざりし人は、單今日此處にあつゆゑここきやうごよ:集まりしのみの故を以て、可戀しき故〓を去らるゝには及ばず、猶このとよ;じゅだないながくこつなさけらせつな地に止まりて、世を安穩に送り玉へ、長々と厚き情に預りしが、切無くいまわかせつなえつまたかさめぐりみも今は別るゝ時節に成りぬ、さりながら綠にし盡きずば又重ねて避近ふせつph BC suなづか時節もある可し。我はその日を樂みにして、倶に在りても可懷しき、可ひと〓〓シさかづきcarこましばし肥紛戀しき人々に今宵を限りに暫時册れん、いで〓〓今は盃を新めて、れ:く中:をまをさかづきてといちどうみbたの酒を酌み交し名殘を憎み申さん、と盃を手に取つて一同を見渡せば、襲れも齊しく頭を便れて涙宿々糸の如しひとたなんださん〓〓いとこと0第二十八回: :おんびしごなみたさしぐこの暫時は顏を得擧げざりしが、しばしにニこの狀態に恩菱も同じく涙差合みて、此儘あといとりなはにして止みなんも後にて左こそは本意無からん、いで〓〓と氣を取直しふたゝさかづきわ たすなにゆゑことんりつはじめから:さかづき再び盃を渡さんと爲れと、何故にか古頓柳を首として一同は杯を受けずみやうてうついくわいちぎおのがじヽことありけわがやたちね明朝の再會を契り置きて、各自事有氣に我家を差して立歸りぬ。おんびしいちとうみだてごろこがこ昭くはさきとりかろいくたびおしいたヾ恩菱は一同を見送りて、日頃焦れし黄金の鍬形取下し、幾度か押戴き、)がたかたじけたちうちどろがしん〓〓これレンかたつく〓〓有難し屏なし、と心の中にて拜みつゝ、心神此に凝固まりて、熟々と打ことほつみなや:たまむ:〇.目戌るに就けても、おもひ起すは祖先の榮え玉ひし往時のこと、近きはとしし母ザの画影、:いまはせつしみ〓〓うけたま:3えんさては終焉の節に浸潤と承はりし御遺言、おもへば思づありがたミったいないはゝ出たてまつふに連れて有難しとも勿體無し、この二ツに聊か酬い奉るは、わが零落たいへむかしカニそこいつといれたる身を立てゝ家を往時に復すにあり、其處を思へば一刻たりとも斯わがみ表彰化たからかわがてか、くて在る可き我身にあらず、アイノに又無き實物の斯く我手に復りしかこれいたんひとまづさびらとりら33いへさいかううならは、此を力に一先沙流の平取に移住して、家再興の工夫を爲す可し。われらけうひたたまどん くうさまあきたなんならこの秋この地を御發錫の節、せつ我等に〓化を垂れ玉へりし呑空樣も、汝等りやうにんわがのこふたまきなよみよく〓〓みのつ .5 Illおもむこと兩人我殘し置く二卷の假名文を能々見て後、沙流の平取に赴く可し。事(一一一)おこことセみやこacとりを起して事を成すには、アイノに取りては都とも見る可き平取ならでは
ニよところりやうどん みひたづさ·旨むじ;是非とも兩人相携へて沙流の平取に赴き、(二一一)外に良き所なし。アイノを引はかりごとreをしてベびらIS 2けつ立つる謀略を運す可し。と〓へられたり、徃く可し平取に、と未然の結b台ゑがじつふこいろ:00これおんびしやうすにほんといちく〓果を胸に描けば、同時に强まる心の張、此より恩麥が動作は俄に活々とかとでことしやぐしやいんしやうぎceたよういとりニおんして、首途の事など沙具沙允と商議を凝し、直ちに準備に取縣りぬ。恩びしもひたすこいそすでよういをはこよひこのやロをさめいつする菱等は一向急ぎて既にその準備も了りぬれば、今宵を此家の寢納に一睡またり〓ともう." cカルいのことば士、しゆんくし、拂曉に起きて途中の無事を神に膽りて約束の塲所まで進み、俊苦にあときたまも,ガなこどん、ゆうじつ粉等の後より來るを待受けたりしに、去りとは思ひ懸け無き古頓柳の一家とca :こマこと:のしゆんくつまここ族旅装して先づ出で來る。續いて來るは獨身者の俊苦、妻も子もある愛らんかけでつぶりせか こかためはろはや あしはなはじめーュ蘭化、肥滿聲鼓、片目の母衣矢、疾足の阿部花なんとを首として、昨日あつまものどもかさあ모,と-セ空〓みなおんびし集りし者共は家族を擧げて旅裝を整へ、その敷凡そ三十人手り、皆恩菱とくこわれわれあつおんびしうれの德に懷きて、我も我もと集まれり。斯くと見ろより思菱は、嬉しくもまたしんぐわいいたたかこ:なる또上部へりくたすな亦心外の至りに堪へず、如斯時のアイノが習慣に從ひて、身を.譲遲り沙われめえせん我故に何等の罪無き方竹をして、つみなふるさとに手を突き、住み馴れし故〓を脊に爲まをつみふかこの償ひには方々の望まるゝ物何なりとも我は拒み申すco〇でものなにhaいなまをせ申す罪深し、わかやからニろんことなにcおんまじ、我家の實物は勿論の事なり、何を召さるゝとも苦しからずと思pLひたすらひと、〓〓これCHHくるししやぐしやいん菱は一向に謝び入りめ。人々は此を聞きて、返す詞に苦めり沙具沙允こBはなはいほれなヒム또coらころ聲を屢まし、さりとは太だ出緒無き事なり、不法の村操等を單したはごのしやぐしやいんしわき御前の、十りし事にはあらず、エ、ウルことニラとが此沙具沙允が所爲にて、異日備し各めを受fa cわがいのちsexなんかなるエミゼヘことけなば、我獨り我命を以て償はんのみ、何ぞ必ずしも同に連累の怕れこよニヒー紛あらんや、厭なる奴は來ずとも宜し、この儘この地に止まらんのみ、無ためひやうぎ9つえうとろなゆいでた益の評議に必要なる時刻を移すは愚の抄決なりいざ徃かん、いざ出發おんびし:そのてろしㅗならたたん、恩菱殿疾く其手を揚げちれよ、と足踏み鳴して急立てたり。thおんびしすなてるなほつく〓〓わびいじたく〓然れとも思菱は、沙に突きたる手を揚げず、猶熟々と詫入れば、人々はたすけおこかて識入り、とりよ肥滿聲鼓が美聲の音頭にゞせいひせいからとう:でめ扶起して却つ同和して、首途芽出たくいたはやみちいちら、これやまみち、はた度出で立ちつ。早里程の四、五丁も治み行き、(三一一)此より山路に懸らんか、將またがんゴな又海岸傳ひに行かんか。しうぎまちくそりだこまあと衆議區々なる折柄、オーイーオーイしと聲揚
と:エのげて、後方より切りに呼ぶ者あり。第二十九回÷むなんびとそなはおんびしはじめいち同は齊しく後方に振向きて、: L思菱首一何人ならんと怪めり。尙もオーイっわんぽ!オーイ!と呼びつヽ、〓てヒヨコ〓〓追附きしは、灣步とて三十五六だいくてうこくこのざ2ものぐわんらいかたはらその技藝誠に巧妙なの寒なり。この者元來大工にて、傍に彫刻を好み、rRてだヾぼそのいくばくさだ人我に向つて彫刻を需むる時は、ことと"分り。唯酒にて其價の幾何といふを定め、たんとてうこく:るた金錢に對しては心甚だ冷淡なり。こゝろはなはされば人ありて彫刻を需むるに方り、そのきんぜんニ:とういくばく幾何の金にても其を以て直ち若し其勞に酬ゆるに金を以てする時は、かひとゝこれニ: :とことなに酒を?買調へ、先づ此を呑み盡したる上ならでは、誓つて刀を執る事無ゑじやうけミなをてこつね常に酒に醉ひたるを以て無上の快樂と做せり。こく.さればこの男常に素2 :なまたいわかんちういさあたゝかじん せいカム面の時無く、又奈何なる寒中にも衣服を温に着たるを見ず、人世五十年たゞBナ我〓みは充分足れりと、わがのぞ又至低呑こc唯酒だに飲みて過し得んには、これはよさと;ひさ:こゐざりaざ氣に世を悟りて、最も無欲に暮せるなりけり。尙この〓は、膝行りながはしごつたむねじやうけさと〓じりやうすなまたら階子を傳ひて、屋の棟に上下するに少しも不自由らしき樣子無く、又むねいたそのてじことじやうじんたちまさじつco.てぎは屋の棟にて板を葺くにも其手早き事常人に立勝りて、實に驚く可き手際またうまくわうやばなのちじんらこれcoゅを有てり。又馬を曠野に放ちおき、後にて土人等此を捕へんとて行くもうまにげはしcoがたときひとみなわんぽたのわんぽあひだその馬迯走りて捕へ難き時は、人皆これを灣步に賴むに、灣步は草の間そば,、こ:はか:かひとつぜん うまGを潜りつゝ馬の傍に突進み、くみつ呼吸を計りて草の蔭より突然馬の領に組着これらからわひどたびいつことact紛き、此に轡を嚙するに甞て一度も逸せし事なき男なりさてひしや々しやえわんぽまへちかよわれ〓〓却說それと見るより沙具沙允、と灣步の前に近寄つて、我々を呼び止めしセんためたづわれいつつつasじ音うは奈何の爲ぞ、と訊ぬれば、我も一行に加はりて平取に移りたし、と云たいしやいんわんぽがんかふ。沙具沙允灣步を眼下に見下みくだして哈々と打笑ひ、うもわるその志は殊勝なれとこゝろざししめしようふた3ヒほさへだところそなたあしかななるはきちかところも、行程餘程隔たりし所なれば、其許が足では叶ふまじ、成程近き所なおくれがちいつかつあとえいcけせさんがらば後勝にもヒ一) -行の後に尾き得んなれども、幾多の鹼しき山河を越えでそのもいごch :わんぽきたんねがわれ〓〓いたく(五は其地に到り難き所なれば、斷念めよ灣步、汝も希ひ我々も將て行き度
そのあしboかななはねつ步(六一一)は思へども、其足なれば此議は叶はず、と索氣無くも刎附けたり。激こゝろたいしか下より凝然と瞻ぐる館に可怨氣なる色を見:めしげいろこここは心得ずと云ふさまにて、ソリヤ奈何あつても灣ザめとあしなへゆゑっいつかうちういちにんはし、は寒なるの故を以て、一行中の一人にゆるなぶつしや際く謂ふな、いあしみは御許し無いと有仰るか。それで平取までは旨その足見ろ、まえたうひいつしよこ×ことばするさおろか、禮文華峠も一緒には越えられまい、おもひ止まれ、と詞銳く謂はなしゆんくたBurこと{笑止な事じやが痛鬱步、モこひ放す。俊苦なんども口を出し、其處邊をヒヨaおいしやぐこれしやいんどのが言はれた通り、紛コノ〓膝行ると違うて、今も沙具沙允殿是から沙流のびらとりから)ござEchまだおんびしどのいレゴ·平取と云へば、行程も餘程の所、それに又恩菱殿の謂はれるには、靜雁れいぶん〓アム·あぶたナをさxもんべつから禮文華、辨部、フオレナエ、虻田、有珠、長流、紋證、チマイベツ;こんわしべつまいつかいがんづた〓ャしば〓〓〓·ことめん室蘭、鷲別幌別と海岸傳ひに行く時は、日本人に屢々出會して、事面からきやゑみちてん:なるべくシめ倒に及ぶ故道を轉じて山から山、可成日本人の眼を避けて、加之も急こちみちな深き脂をもこれぎの道なれば、近いと聞いては道無き山をも超え行く可く、ね をまんぞく行憎を事多かる可きに、こと渡る可し、されば手足の滿足な者でさへ、そ、のかられなはた는しよせんぶびらとりえことかたベこれ身躰では猶の事、所詮無事にて平取まで行き得ん事は羅かる可し、此はバとみためなだごといことなん奈何にも思ひ止まるが身の爲ならん、と宥むるが如く謂ひ敵す。奈何と謂つても灣步は容かず、わんぼしきわしらつちよいづるなけな切りに頭を打掉つて、さりとは孰れも情無し、こなこのわんぽじっつばか:あかまこるみづ足こそ痿へたれ此灣歩、胸突く斗りの山はおろか、一ををふふは物かは、これとこゝろひと〓〓いつロン火の中にも飛び込む心は、ひとなみいかでか人々に一步たりとも譲る可き、尋常おそ店ofセなみわれならぬ身を以て、山と聞きても怖れず、河と聞きても怯まず、人並に我ときことも從ひ行かんと云ふは、れたtbろんからナ紛事の難きを避けぬは勿論、命まで棄てゝの上のけつしんつれなこばたちなさけなうらめうらめいち决心なるに、それを情無く拒み玉ふは情無し、可怨し、可怨し、と大地すわ当きゑ はな:じゃに座り、大聲放つて泣出しぬ。わんぽ、方程はそなたなん ぎあたたとさりとは灣歩聞譯無し、汝の身の雞黛なる可きを思へばこそ我等は止め。そとか、われら2ほぼれいばれなそなたひとうらしに其處は思はず、却つて我等を怨むるは甚だ以て所謂無し、汝他を怨みムたかへるま安井ねば、しやいんあしまんより身の不具なるを顧みよ、と沙具沙允は足(七一)疾く歸れ、妨害爲な、踏み咀す。:4おんびしせは思奏急しくこれを観して堯の前に進み出で、a第ミほどこゝろざしそれ程の志あら
よんEんcoよろこ:すゐ:る(八一)は殷んば他は奈何と言はうと、我は悅んで倶に行く可し、水火の中をも來れ激步、きたいざ〓〓倶に行かんと云へは、ミcayeさ、きれん避けぬとあらば、蹇は再び淚:しまたa ceなきた含んで、何かは知らねど又大聲に泣出したり言第三十回またをさまんうんじやうやけふとりありなまぐさきかめムことしこゝに又長万部の運上屋には、今日靜雁に腰膣風の吹きし事は知らず、ことあたううんじやうややくがしぶこんとはちらうざゑえぜんじしよこがらかのむらつか紛特に當日は當運上屋の役頭、相良八郞左衞門とて、萬事の所爲柄彼村塚x cheたんじやうびあくにんながいまノットさちけち(に酷く似た男の誕生日、惡人ほど長命したがつて、相良は日頃の吝嗇臭こミさけるかなきゆうぶんよういのうたねえき性質には似も遣らず、酒肴充分に準備して、飮めや唄へと養しければしたやくめん〓〓いづaといのちせんたくかこゝろえどれだけ下役の面々は孰れも大いに悅んで、命の洗濯は今日ごと心得、幾何飮んける。はちらうざゑほんたヨでも食つても今日は主人の八郞左衞門、これも本價を叩いて見れば、結すこ局は命の欲しいといふ。心からか少しも可厭な。顏を爲ぬ儘からるはよくしんい: :これ幸ひとことのみくらよなほさかづきをさきめうよん日一日飮暮し、夜に入りても猶盃を納めず、充分に飮んで食つてぐつすらoょなかとつきん きたんとびら" xヽ大聲於つてとえ はなりとれれも瞳に落ちたる夜中、突然來つて門の扉を打叩き、うんじようやむたえ切りに運上屋を訪ふ者あり。いびどたれいちはん ねむ:なこと家内には、射の音のみして、誰人眠りを覺す者も無く、よく〓〓の事なろう〓LhジラCafればこそ斯る夜中に訪ひも來たらん者をして、やゝ暫くは徒らに訪はしミ;もんやッとことむるのみなりしが、その中に八郞左奮門辛の事にて眼を覺し、他家とはこのうんじやうやよ:ことづなはやつたれ違ふ此運上里に夜更けて來り訪るゝは何奴なるぞ、誰かあらん見て來よ、あの注意こにつ:とみこまミー=アレ彼聲は何奴ぞ、誰ぞ疾く起きて見よ、といふ聲に辛く眼を覺し、こた品をとこりやうがんこすまきすがたな;れと答へて一人の男兩眠を擦りつゝ寢卷妾のしどけ無き樣して、誰だいだれとがさぐりあしたちい誰だい、と咎めつゝ探足して立出でぬ。たれとめきまこいま今は殆んと待倦みて門に立てる男:きもんぜんたまたに識にても疾く目覺して來よかしと、〃にs.左樣謂はれるは源助殿か、いすけどのさういそれと見るより嗄聲にて、といふ。ム爾謂ままたやちうなまようこんやふ御前は鬱福の武平殿か、レゴかりぶこの又夜中に何用あつて。さればなり今夜の(九一一) :たいまつとしかよュた:,みたるれいぶんげCouこ闇に松明も點さず、加之も夜更けて唯一人、薄氣味悪くも禮文準時を越
ふしさいことなにこもやく; (〇二一)えて來た、これには深い仔細のある事、何は兎もあれ此方の役明、相良さまいつこくはや、〓や139げんすけどのンとりV樣に一刻も早う御目に懸らねば成らぬ、夜中なれとも源助殿、御取次をたのなれ御願み申す。まをせうこいありさまいかはかしにありげと急込んで言ふ有樣は、奈何にも何か深き仔細の有氣なり。斯くと聞くより源助手。く門を引開け、ひんすけてばやんきあよみちフタへいいただpr夜道に疲れし武平を勞り、一間すこかよしこが5 :っ相良も少し胸を騷がせ、さがらさわなどに控へさせ置きて、この由相良に取次げば、何ceごしめなはメ2〓ことンへい事の起りしならんと帶總直し、ニ武平に會うて仔細を問へば、武平は相良の麓を見て、ぶい50やーたち:ばそつたうせん き人人紛心の張の弛びしものか忽焉その塲に卒倒して、前後も辨みひと〓〓あたふたかいほうしやうきかへおとまちぜぬ身と成りけり。人々倉皇介抱して、正氣に復るを遲しと待受け、奈かよレこタinたび〓〓といけとえ何爲しぞ。と仔細を問へば、武平は度々太息を引いて、今朝疾く一人運いぐれじやうやたゝ日沒に歸りし我身の鞄は、〓ジ〓ね。役〓の上屋を立出で、山から山へと狩暮し、むらつかどのはじめみなしやぐしやいんて、ロさいこうんじやう村塚殿首皆沙具沙允等が手に體り、果敢無き最期を遂げたる上に、運上たから治ム〓くわうゑみも屋は燒かれ實物は奪はれ、昨日の威光の盛なりしに引換へて、見る影もなあはニきやつもひツどらくび20らなも無き今日の衰れさ、早く數等を補聽へて首打離すにあらずんば、この後おそぶるひんあなさにんばうじやくぶ佛若無人の擧動に及ぶ。多かるべし、まE 1ごけんりよ恐らく上の威嚴を侮りて、御賢慮いかとうけたまドふこれしにむかた奈何承はらん、と武平は拳を握り固む。にちらうざもんしうおらにツくきふるto八郞左衞門始終を聞きて大いに怒り、さりとは可惡アイヌ等が擧動なるはた果して然らは奈何にも共許の謂ふ通り此儘には棄て置き難し、サムそなたいまこの、ンがたエかな、夜も明けなば我自ら人馬を具して走向ひ、われみづかじんぱはせみ:のはふアイヌと見ては一人も遊さず屠ころかみaくわうほどしめわれHつかぐんざうり殺して上の威光の程を示さん、さるにても我若し村塚軍疲なりせば、よいかビめいて、595おと假令ヲ衣何なる場合なりとモテメス風情の子に形りて命は努すまむ,ごと,て、はわさいと' Lのを、意外や彼奴等の手に懸りて果敢無き最期を遂げたりとは武士にあかくコたなにんじふはんふいるまじき不覺の沙汰なり、何んのアイヌの五人や十人、不意に斬つて懸Ehs在ひとあしけここいな々っのゝしつた所で、唯一足に蹴散さんものを、云ひ甲斐無き奴等かなと罵りぬ。第三十一回(一二一)·相良は再び寢床に入らず、さナートロ上はん ぞシるついれしth te夜の間に人數を驅め、東の天の白むを待つ
〓ふんうんじやうやつもたみちいそWしば(二二一)て、禮文華の運上屋を打立ち、一向に道を急ぎて、靜雁村に到着し、暫ひそやうすうかマいちとわう:一人も往時人數を木蔭に潜めて、村の動靜を窺ふに、一面烟に包れて、:がこはなはcapあやしaとん ぞ)5ちかづやうす來する者なし。相良甚だ疑ひ恠み、遂に人數を引連れて烟に近附き樣子これちなにゆえ原この、逆にはアイヌが家の二三十戶も在りけるに、こを見るに、何故にかisいつそんしぞ?今回の反賊たる沙具沙允等は云ふに及ばす、な殘り僅に燒盡し、:ふご-村擧つことレガ。ていみて姿を隠し、誠に寂寞しき景色なり。相良この躰を見て大きに呆れ、さすてつみみ紛ては既に彼等には罪の其身に及はん事を怖れて、事に干らざりし輩までlいにaみも自ら家を燒き棄て、逃去りしものと見えたり。ヽさりとは遺感千万いまひとあしはやだいざいはんしやぐいん,ひツIsけづほねなり、今一足早かりせば、大罪人の沙具沙允等を引捕へ、肉を削り骨をaしめcheたこうくわいら刻んで上の威、光を示しくれたらんものを、(sせと李を固め後悔しても今は是このすできやつらさて此處置を奈何に爲んかと思へども、: :非無し。既に彼等の風を喰つてはがだしはたいおんせんすべビ〓今將奈何とも爲術無きものか此塲を逃去り、行方知れず成りぬる上は、D Dいいつたんこの、よんRうんじやうやら、相良は熱せし拳を改め、旦は此儘禮文華に引揚げて、他の運上屋さうたんニハこう:とも相談し、·その上にて善後の策を講ぜんと思ひしが、イヤ〓〓それでてのてのスきやつるすでこのばがたしㄸその行方知れず成りぬとも、ハは手鈍し手鈍し、彼等既に此塲を去りて、其後リ荷物を取纏め、家に火を懸けなんどして、此地を去りしものなる可しこa 54けことさすれば彼等が此處を去りしは、早くて今朝の事なるべしとは、未だ彼こおにやうすLそのはやとほの方此方へ燒殘れる火の樣子にも知られたり。さて其後彼等は早遠く遁れLのその3こゐしibしか、設令遁れたりとも其中には、女子見の足弱きも多かる可し。さらは如何に急くとも、みいでた紛未だ五里十里とは行き居るまじ。さらば身輕に出立われ〓〓あんまかジ¥ことてる我々の、足に任せて追行きなば、何とで及ばぬ事のあるべき〓o然るねんかBeはねぞしみきやつら:ミうんじやうやに我今其程の骨惜して、これより彼等を一追も追はず、この儘運上屋に引掛げなば、じつかみとが3.キッco後日上より御各の程も如何あらん、饒令彼等を引提へ得ざミむなる○〓がたるまでも、この儘空しく引揚げては、わが一分は相立ち難し、いで〓〓あんむねわめん〓〓いひさと追はん追ひ行く可し。と思案して、この旨を部下の面々に言論し、(三二一)いざ打立たんと爲たれども、たこ忠?これことお酒此處に一ツの迷惑あり。是より彼等の跡を追行
みち4 Bいぜ(四二一)あやまこれ10もうこうなむたばねきりこいかんにも、その道筋を誤りなば、是ぞ所謂勞して功無き無益骨折、是よきやつら:あらましきやつらみちずたしかはうがくり彼等を追行くには、大略にても彼等が行きし道筋を確めて、その方角おきやつらこれかみばしよむかコに向はざる可からず。さて彼等は是より上塲所に向つて去りしか、それ雲またしもば上のがあるまたた15がむかさすとも又は下塲所に遁れしものか、或ひは又その他の方角に向ひしか、流石の相良も其邊までば推量屆かず、さ:そのへんすゐりやうとマたするd Bをところさきさ:只願首を捻り居る所に、前に相良の下知を受けて、こがをちからこぶはん一人にてもとデイノを捜しに行き居りし力癒ある五六人てしたどもとこさがるおやこむむ:紛.の配下共、何處を奈何して捜し當てしか、父子のアイノを無理無躰に曳がめん ゆんきた摺つて、相良が面前に連れ本りぬ。がらつうじゑえはとしン〓しやいんら相良通辭の茂衞門して、先づ年老いたるアイヌに何ひ、い沙具沙允等は何っきろごないづはうぎさと時頃此處を打立つて、つぶさあ何れの方角に向つて去りしぞ、備に告げよ、と訊わたくしどもけふ〓このむらこabいつさいことあづかはしむる。私共は今日こそ他より、札村に戾り合せた者にて、一切事に干Cことぞんあこれをずたレり居りませねば、何事も存じませぬ、と戰慄ぎつゝ言ふ。是全く知らぬ: :おんびし※をにあらず、この者共も兼てより、恩菱の德に懷ける者なれば、身だに患けさいつ行に從ひて、ニセラa.こ沙流の平取に向ひしならんも、"もかとろ災ならんにば、今朝一近頃こう:なやこゝろこのるといまとらニ篤き病ひに惱みて、心ならねど此地に止まり、今捕へられし時までも、こヽろやさおんびし·大阪たながべつミせいハつせつななみだ心優しき恩菱が去りける方の天のみ眺めて、死別に勝る生別の切無き涙12をものどもこおやここゝろうちたづに咽び居りし者共なり。それと知りつゝ明さぬ父予が心の中を尋ぬればびやうきためわわゃ.きためなつかおんびしどの1老いたるは病氣の爲、若きは病める父ある爲に、可懷しき思菱殿の御倶とうませめこれニゆく;ことは心に任せざりしが、聊ては是を日本人に知らせず、その行方に事の無やうらまを2 curハ〓やこすんしモなたき樣、計らひ申すが彼の人の情に關いる父子の寸志、其許も言ふなよ、chいめいろはなひんけがアツシいろきたこうrb我も言はぬと眼色に話させ、貧が汚した厚子の色こそ機なけれ、心は錦おやこけなかことらの父子が健氣さ、思ひ定めし面色なり。なにとしいつう:五もんばなはよわ。よしさからつう何を訊ふても知らぬと言ふに、通辭茂衞門甚だ弱り、この由相良に通ずがiいう3cさ5ふヤア、茂衞門そんなゑことのクれは、相良は頭を左右に打掉り、事では手鈍い〓〓ぶツたゝはく口やうささきほどもうざ五入ふたりやうすにつを打撲いて白狀爲せい、先刻より八郎左衞門、父子の擧動を睨んで居るに、(五二一) $たがめめろん11±ひやうすしやぐしやいんらゆ口こそ利かね相互に目と目で胡亂な所爲、この樣子では沙具沙允等の行
しcc :けた:ことい(六二一)方を知つたに一極つたり、又た今日こそ他より戾つたと眞實らしうは言ひをンヤなこど〃:を居れど、この病みほゝけた、電めが、何處から奈何して戾り居つたぞ、へんコツたづみ:めいなるほどつうじゑえんその邊信と尋ねて見ろ、嚴しく聞けッ。と命ずれば、成程と通辭茂衞門えりがみむんづひツつかおやきあしこしき老いたるアイノの襟首緊乎と引摑み、ヤィこの老爺め、足腰利かぬこのとこ,ことこp.ざまで、何處から奈何して戾つてうせた、これまで何處に、サアそれ吐16こうじんくびロち1.モとこおそろしミせツ。とさらでも弱れる老人の首捩伏せて實め間へは、子は可怖さも打まろてまをやくばんさまや忘轉び寄つてその手にり、ェアヽこれ申し御役人樣、これれ、これは是病み〓1)なが〓〓:としほゝけて何んにも知らぬ老人のこと、しそれで無うても長々の病ひと年にうちよわいのもたんtせまとう立たる萬方卸ゆるし下され。ハ〓打弱り、命旦夕に迫れる者、と涙ながらに詫び入ゑもんそのてすこ15しかたづけムれば、茂衞門其手を少しく弛め、然らばおのれに尋ねるが、今日この地をいまでとことをB :に戾り居つたと言ふからは、これ迄何處に奈何して居つた、前の前までせんぎLありていはくじやうととた詮議を爲貫く、サア有躰に白狀さらせ。サアそれは。サア奈何だ、兎角へんじくち:品やツぱりしやぐしやいんらにあなふるたぬきけつ返辭の口籠るは、奴等も矢張沙具沙允等と同じ穴の古狸イエ〓〓决しわたくしども$こ:はツきりぬかAて私共は。それなら何處から戾つてうせた、サア明断と吐して見ろ。とことば語勢飯く理さそれそれつりよくとぼかなを推して、其から其と問ひ詰むれば、智力乏しきアイノの悲こたつまうなたこもんこゑ:三五こたでしさ、答へに窮りて便頭るゝさてこそと茂衞門聲を屬して、答への出うねらに、そしやぐしやいんいるみBiz .っやヘc來ぬは奴等父子も抄具抄允一味の者に極つたり、'サア彼奴等の行方を勿ぬかレいとありていはくきやう々と吐せ、ナニ知らぬと言つて事が濟まうか、サア有躰に白狀しろ。とふん ぜんつツたちあがいつたうひきぬ&さしつ忿然として突立上り、一刀スラリ引抜いて、老いたるアイノが首に差附カヤミツはらいぬかをい紛け、若きを佶と睨みつゝ、これでも言はぬか、吐し居らぬか、言はずば斯樣してくれるぞ。いつたうまツカ,ムンくびうちおとと一刀眞額に振りかざし、老いたるアイノが首擊落みサわカ''一ごやくにん;まをいましてさんと身構ふれば、若きは目もくれ押區て、御役人樣申します申ます、ニvseたす老爺の、命は御助けといふ。:ぬか·カニヨ然らば吐せ、サア吐せと笠にかゝつて問ひつこれそなたミニといちとし55むさもうむる。アヽ是其方は血迷ふたか、何うせ一度は死ぬる命、無益しき苦勞こな:だまサをと相良がいかして、それを明して成るものか。(七二一)エヽこの老耄め獸り居れ。忿またふりあやいばわかなく〓〓てあはンたすごまをつて又振揚ぐる刄の下に、若きは泣々手を合せ、御助け下され申します
ORK +おうめあへぎわかしん ない御尋問の沙具沙允一味の者の落行く先たづねしやいんいちみ(八二一)と遮る。若きは進退こゝに谷り、さるニ〇十そのみちすないかりたつひこは沙流の平取。ムヽ善く吐した、而て其道筋は。靜涯峠を越えました。まおつる店これん涙を呑んで言ひ了りし其時、そのIsと相良さ;親の命の助けたさに、えい、が喝すごころむねこたわがくび=まへピツたりおおむはぶいしわくびは雪る一聲胸に徹へて、我首先づ前に換地、返す刀に老も皺首刎ねられたり。第三十二回えAよろづよまさても其後、一行は禮文華、そのゝらいつ. nメんかじゆんじaたつきがん給辨部と順次に經去りて、萬事に便利好き海岸6みちことさらけはレゴかりたうげうち、はじめ,ろふけん通の道を行かず、殊更鹼しき靜雁峠に打懸りて、初發より迂路を踏み鹼必やまづたることつとめを凌ぐを厭はず、山傳ひに沙流へ向ふ事とせしは、努めて日本人のロをえすでムけばしい頃しも既に嚴谷の初めtheと避けむとの恩菱が意に出でしなり。天の景色はとううんきびよい電<いかにといふに、形雲密しく布きて雪を催ふし、今にも消えなむ靑雲のてみそりカニかうなか〓〓こゝろもとなムツ行方の天にわづか見ゆるもセ柄の一行が目には中々に心元無く、tいつ吹かけたいぬくみナさことかはくじん2. Sしもばしらては五體の温熱を吸ひ去る北風、白月を植ゑ列ねたらん如き霜柱、山路P.おムひとあしこゝろいたいづれが辛きものならぬはなし。雪降らぬ間に一足にても、心は急げとまやまたぐま중층R日胸突くばかりの坂も多きに、.ンはンk山又山の路は進むに連れて岭しく、負ひ荷かろごいてこミセあしはここゝろ:輕きは老の手を引き、さらぬは小兒を脊負ひたれば、足の運びも心に任4この日は名高き有珠岳の裙野、ハ·すそのあら:せず、只ある荒野に日を行き暮しぬ。こゝろあたせい志さすがにぎやかあらのくさまくらよヒこんみ心令うたる多勢の旅の流石賑によし荒野の草枕、夜半の嵐は身をも斬こよかこじゆくことまたそのならはしえんじれ、今宵は此處に野宿と事の定まれば、うれしやと其習慣に從うて、おビしよえるにゝっむしろしあたゝか:○いぶしゝか給もひ/〓の塲所を擇び、荷物おろしてキナ籠布き、暖に火を燃し、燻鹿ぐるはしじやけこゝろよゆトロなにこ;すことの肉、さては乾鮭などにて快く夕飾を了り、火を何よりの御馳走に男はまたにをんなせんなどことしとやかかしここそ たかかたうちゐ男女は女同士の話、こゝには閑雅に彼處には聲高う語る。その中に在れいこゑまんでツよりせいこしたぶくれニガとく小ユ1ヵおたりて例の美聲自慢、肥滿聲鼓が下膨の頰を抱へて、得意の夷淨璃理を語いビかモしゆんくかためはろャるざりわんぼばせcmり出たせば馬鹿力の俊苦、片目の母衣矢、寒灣步もおくれ走に加はりこ:をかけっとじゃいちいうきよう木株を叩いて、可笑しき調子にオホツ!オホツ!と囃す。同興に入つ(九二一)一:. 2おんびしニらュせいたる中に、獨り思菱のみは腕を父んで、物おもふらん風情なりしが、や
そのいちにんニ:なすしやぐしやいんさゝやこなたたいる。ンて(〇三一)がて其一段終るを待つて、何やら沙具沙允に叫けば、此方は例の赤き面culあふなから〓〓1/3わらとりこしくらうに曇りたる天を仰いで、苦も無く呵々と打笑ひ、それこそ取越苦勞といまんいち10こわしひとりやツつおちつユふもの、萬一その時は此の俺が一人で遣附ける、マア落着いて夷淨瑠理らたませい、こぞんぐわいうまをわらえんaでも聽き玉へ、聲鼓め存外巧くやり居る、ワハとまた笑ふ。恩びしたふかがこんどやくめごいつしやうけんめいにんぞさだ注菱は頭を振つて、向ふも今度は役目柄から一生懸命人數も定めて多かSch必しの手間すこはれをしみ多くの災害を蒙るは愚なる分別、わざ8もいふんべつて=る可し。少しの骨惜して、おんびしししやぐしやかんうなづはかしゆんくばっ紛なるものを、いで〓〓と恩義强ひて沙具沙尤を肯かせ、その他俊苦、佛ろもツとちからこぶにんさいとすぐかねようとあいよんげ母友矢なと云ふ最も力潤ある五六人の男を擇り、い登兒、愛關化、豫て凖アマグウのs :け上〃みちいつちやうひツかへ備せし自發督を残らず取持せ、今日來し道を一丁ばかり引返しぬ。さてマグウたんかたちはヾいしゆみにこれこの自發誓といふはアイヌが獨具にて、その形略弩に似たり。此に毒矢つる品はなかいとっけものかよひみちよこぎ:ビを裝置けて、弦に一筋の長き糸を附け、獸の通路を横断りて引延へ置くたらーいとレとあどくやHis矢直ちに弦を外れてび船つると獸來りて機にても此糸に觸るゝ時は、cotこの14けものゐたふおんびしこよひろまたア名さし、獸を射つて〓すなり。さて思菱等は今宵熱多多自自〓弩に毒矢ばかりっニこEnkナまたさが:さa〓けコしづかりを注け置きて舊の處に歸りたり。さて又相良八郞左衞門は、今朝靜雁におやこッteこのたびむはんてうほんにんしやぐしやいんらいつて父子のアイヌを引捕へ、今回反謀の張本人たる沙具沙允等が、行行、そのちレゴかりたうげやまづたさzであleシャうちきの後靜雁峠にかゝりて、山傳ひ沙流の平取へ向ひたりと打聞き、さらばなかせゐぶんあしよわごほ雪追へ追へ、中には隨分足弱めも多かる可ければ未だ遠くは行居るまじ、ベゆきを盡ぃいとわれビ5ンしつたいつかうあとしたおつ〓.げ、急げ、と我は馬上に部下を叱咤し、一行の跡を裏うて追蒐けたり。レフかりたうげこわきめンゆabけは先づ靜雁峠を越えて側目も振らず退ひ行けと、路いよ〓〓嶮しきものかビ55こゝろあぷびとなんろなやかうていこゝろ紛ら相良は馬上に心集嫌れで部下は奮しく難路に惱みて、これも行程心に:ちう日は途中にて暮れ果てたりけり。とからなはつかンかほ任せず、相良は尙も疲れし部下を勵まb切りに馬を鞭ちつゝ行一クを睨んで追ひ行く中、ミむるつて:ンぃcにしなたきび000して、端無く燃火の光をみとかしこじゆくなだふりか、認め、ソレ彼處に野宿爲し居るぞ、と鞭を指しつゝ振返れば、おくれし〓これこいろ: 1かんつこゝろもたたきびざどこ部下も此に心の張を强めて相良に續き、心燃2立つ燃火を目差して何處をほ〓まなかおしよことしを行くとも覺えずに早間近くも押寄せたり。(一三一)この事あるを知つてか知らせいこENHこゑたか十させではうたいニカつくかたずか聲鼓は俄に聲を高めて、日本人を嘲る出放題の実淨瑠理作つて語り
モいろぐんをとこをんなてたはやつうじゑこん通辭茂衛門それよと〓(二三一)出せば、アイヌが-群男も女も手を拍いて囃す。かはじめいちミニなかひとかたなひぬるくるひらめぐれば、相良を首一同は怒つて齊しく刀引き抜き、或ひは鎗を閃かし、:ととたんかおんびしふ〓マゲロいと吶と叫んで飛び行く途端、斯くもあらんと恩戔が伏せ置きし自發毎の系あしムまPときだシーにんぞまんぐ〓爲に思けず足を觸きれは奄大海しく形が來つて過年の人數を取クに弟だんまdeつかた〓からあやうのが射られて驚も苦むこと東の開にして氣息絶を果つ。相良ばかりは危く遁ビじやうひねたけにつくふる:けふやつれしが、斯くど見るより馬上に鎗を撿つて狂り、可惡き擧動、卑怯の奴沙具沙允めは何處に居をるぞ、さ々ちしやいんさご紛等、毒矢を用ゐしはきたなし〓〓、このよピニこ ごこ叩いたり老爺め、おいぼれをとこ鎗受けよ、と呼はれば、間に聲あり雷の如く、その男ゐおのれBやりみごとわれみ旨ムヅカリふるこゝに在り、汝が舗鉛見事我を刺いて見ずや、と呼はりながら鐇を振ついからあゆのくにんげんに相良これを聞いて大いに怒り、ニて飛んで出づ。ヤア物々し、人間に似たけぬもの2.みかま: ;レこをりろぼう獸め、先づ奴から、と身を構へ鎗引索扱いで待ちかけたり。折から路傍:きおしわCつきだ1からうま;'いきの能笹押分けモツと明を突出しヽ變の謂形、相良が乘りたる馬の尻を突なりせげむち2おさろくるはしだんあわて"づなて然烈しく鞭うてば馬は驚いて狂ひ走る、相良は周章て手綱を手にする途たん〓あたしやぐしやいんをとあがぞis.ふたcoわ端に馳せ來りし沙具沙允、躍り上つて相買が頭をさツくり二ツに學割つたり。第三十三回たか:たに〃わたかぎこうぎゆうしろかねしC高きは山か低きは谷か、見渡す限りこの頃の大雪に銀などを數けるが如2すそのたちえた〓Bかぶしたきトナイ山の裾野、木立の枝も地に伏すまで雪を被りし下を潜つて、にん何やら捜す五六人のアイヌがさがひとつれ100 BBこたム一一、折しも雪を卷き立てゝドツと吹き來ぶごん: :ェことあと ざまむこせなる一陣の北風、これ避けんとにや齋しく後樣に向き直つて脊に受けつゝけさむさまたかくべついみてcoごしろ今日の寒威は又格別ぞ、と号矢持つたる手を寄せて口に押當てつ、呵けそのいきBこは日きとかナまたまへさま와なほぁち々ば其息髭に冰りて針の如し。北風過ぎぬれは復前樣に向き直つて、彼方こたんみ1ゆうちかしらぶんみばかり此方と油斷なく視廻しつゝ行く。この中の頭分とも見ゆるは、三十前後たけたかをとこいろくろPみたまなこまろ·くちびるbの身材高き男の色黑くして鬆亂れ、眼圓くして居さながら朱を塗りしが(三三一) 2ゅうち弓を校に行方を眺め、このをとこつみやてながLぎぎまゆ如し。やゝ行く中に此男、不思議、不思議、と眉
にが彼の大熊を遁(四三一)を寄すれば、殘る五人もおなじ樣に弓を突いて首を拈り、このやま..〓ましては、朝から斯うして此山を狩り暮した甲斐が無い、正しく射込んだだ(あた彼の毒矢、いかに大きな熊にもしろ、最うそろ〓〓と毒に中つて斃れる.温〓〓こと雷時分、這く逃げてもこの邊では仕止る事だと思つたに、雪は成程この通さ(あしあとり烈しく降つては居るものゝ僅の間に彼の熊の足跡が一ツも見えぬと: (。云ふは可怪しい、これは何んでもこの雪に席の駝つた路筋を外れて來たはみした紛のぢやあるまいか、といふ。先刻より弓を杖突きて、脛より下を雪に埋KBまゆため、向ふを睨んで眉を寄せたる。頭らしき大男、この時足を拔いて後樣にこちらこ向き直り、ウム乃公も左樣おもふ、成程彼の時一旦は、確に此方に狂ひこ·はと弓にて向ふを指示し、出したが、左様おもへば、彼の木の下で橫様に外れた樣にも思はれる。といへば、吾儕も左樣おもふ。〓イヤ吾儕も左樣Lるb〓七番の(6おもふ、その證據には彼處からふツつり足跡が見當らぬ、と從ふ者も口くにん々にいふ。イヤ何んでもそれに違ひ無い、サア來い。と五人を從へて、向ふを指して一散に嶮をl.らいつ頭らしき大男は、雪を蹴立てゝ風を脊に負ひ、bo .凌いで走せ去つたり。う、ナcayのぶにん こゝに又恩菱等が一行は、有珠岳の裾野に於いて、追手の人數を討拂ひあかつき、; :かう〓〓し夜の曉より、その日終日掻曇りし雲は凍つて雪と成り、號々と吹き卷rex左へん〓〓やう〓〓号くる朔風に伴ひて、顏に冷く大雪の翩々揚々として降り來り、路傍の笹いちにさら〓〓と音を立てけるが一同急ぎ朝餉を了り、いでこれより此塲上〓わたはやか所を出發たんと爲る頃にも成りては、·見渡す限り早一面の銀世界、これヨあ: 5.よりぞ日に增し募る寒感を凌いで、一足毎に深み行く雪の旅路に野宿のじふいくよらぶ數を重ぬること十幾夜、雪深き山を越えては又山にかゝり、老を扶け幼)在き者を劬りつゝ道を行くこと殆んど百里近くにして、越ゆればやがて其th地に近き此處膽振日高の國境トナイ山の麓に達しぬ。にきびこの日は雪殊に激しく降りて寒威嚴しく、既に疲れ果てたる一行は、(五三一)身も冷え手足かゞまりて、その難儀いふべからず。尙忍びつゝ行く間に
きやまitまた5.こと(六三一)日も程なく暮れんとすれは、この夜はこの山の麓にて又もや野宿する事さだいつかうちゆうみ無さかん。:たきゃさがかたむかに定め、一行中の身壯なる者共は、薪捜さんとておもひ〓〓の方へ向ひうもぶツとひとあやうたはわたはるかなたナめつその中にても佛登鬼は、獨り危き谷を渡りて、遙か彼方へ進み行くシラとゆきbeーラおはぐまさんちういもの君中、只ある雪の凹みに一頭の大熊、この山中にて如何なる者にか射られよこばらゐたりひとすなプシヤニカ心こ= Lえしりたけけん、橫腹邊に一筋の毒矢を深く射込まれて、未だ死に得でや切りに猛(ゐぶツとセかりうどみおはよよろこり狂ひ居たり。佛登鬼は名たゝる獵人なり、これを見て大に喜びつ、こくつきやうものわれいましとおんびしどのrac粉は〓〓屈强なる獲物なり、我今これを仕止めなば、恩菱殿を首として、いちどうごとことシレメシロひきね-同も左こそは喜ぶ事なる可し、いで〓〓と腰なる山刀を引拔いて、だいたんおはぐまas xま室いつたうふかc大膽にもその大熊に狙ひ寄り、急所を一刀深く突き刺す。刺されて熊はたけはなならタツととぶツとおろこれいよ〓〓猛り、鼻を鳴し牙を剥いて佛シ兒兒跳跳かかる。佛登鬼危く是のがまたひとたちまDIつかヲか(す〓ふかでを逃れて又一刀、急所を柄まで通れと刺す。流石の熊も數ケ所の深傷にうちよわBニひざりた'レと打弱り、雪の上にドウと地響して斃る。これにて熊は仕止めたれども、;ンはぐまするきてひツかゝりういつりんりちたこのつめcer左の手首したゝ佛登鬼も亦此大熊の銳き爪に、かに引爬れ、流血淋漓としたゝゆうかんこと,こ:すそきりと雪に滴る。男敢なる男のことゝて毫しも怯まず、アツシの裾を切取つてミフ€てばや=つ店ものえうちよろこシロとりあ傷口に手早く卷き附け、こは好物獲たるぞ。と打悅びて山刀を取揚げ、いまカニにすケリこなたかけくあしおとあんな今やそろ〓〓皮を剝がんと爲る折しも、此方に駈來る是音ドウ〓〓大地くまわれなにやつたい んん ばなとがに響きて、その熊は我等が物ぞ、うぬ何奴。と大音放つて谷むる者あり。第三十四回やぞら今や熊に向つて徐々山「力を加へんとせし佛登鬼、(タシロ&ふソとこそきなにやつ紛その聲明いて何奴なる÷むみたけなかいろくろおほそとこいづちからこぶにんぞと振向けば、身の丈高くして色黑き大男、孰れも力瘤ありさうな五人なかましたがわれのぞはきた斯くと見るより佛登鬼は例の大熊aぶツとじおほぐまの仲間を從へて我を望んで走せ來る。うしろタシロかたてたショうぬらなにやつわれよとがを背後にして山刀片手に立ち向ひ、〓等何奴なれば我を呼び各めしぞ、ないおんかなたこのまはや...ひたたンほまどこと大音に呼ぶ。彼方は此間に早くも走せ來つて、頭とおぼしき大男は、みたじ:きた かぜごおんたないやつわれらブシヤ亂れし鬚を折からの北風に泳がせつゝ、汝そも何奴なれば、我等が毒矢(七三一)こ¥そのてふきびなじぶツと"を射込んだる能に其手は觸れたるぞ、と嚴しく詰る。佛登鬼これを聞い
2.いかりムじんことらぎとうぬらのみめ(八三一)て大いに忿り、こは理不盡なる事を云ふ男かな、汝等物を見る目は有たかあふじよふたたちつきaしゆびふっおはくまとずや、斯く急所を二刀までも突刺して、首尾よく此大熊を仕止めしはこわがうではたらかさぶれいなかことばはげか、れ我腕の動作なり、重ねて無禮を云ふと勿れ、と言葉激しく言ひ返す。おはをとこモツちかよBerそつcこといおのれタシは大男はこれを聞いて直と近寄り、汝は卒爾の事を言ふかな、汝がその山c.もれたEプシヤホこ刀のいかに利くとも、我輩が初めにこの毒矢を深く射込みしにあらざれおのれひとりやせうでかはみ4とスロめこもは、汝一人の痩腕にて、いかでか斯程の熊を獲り得ん、人の眼を遮つてぬすなはらぎたなシテトことくまをとこわれらて紛倫みを爲すは腹穢し、愚な事を云はんよりこの能男らしく我等が手にはニいつべんは〓にくぐらゐSohあたおうやうCL還さずや、さらば、一片二片の肉位は汝に與へもせん、といと鷹揚に罵つぶツといかあらんいところはなはBたり。佛登鬼これを聞いていよ〓〓悉り、汝が云ふ所太だ聞えず、よしかのれらはじこかんしと〓等がその初めにこの矢は射込んだるにもせよ、我これを仕止めしにあおほぐまつひのがPCてがらめすひ、くまうばらずんば、この大熊は終に遁れん、他の手柄を倫み居つてこの熊森ひ去はらぎたなうねらことはじめブシヤゐこいはれらんとや、腹穢しとは奴輩が事ぞ、たゞし當初に毒矢を射込みし所以をコこのくまなかせわからカラなわれまた以て此農の半分を分ちくれよとならば聊か壹理も無きにあらず、我も亦いつきよふたいまおのれいEkaまだつりモ潔く與へもせん、然れども今汝が言ふ所は大いに道理に外れたれば、そぶんcにくいつべんはれあたけひとすゞぬわるの分にてはこの熊の肉一片だも我は與へじ、毛一筋たりとも抜くを饒さわれかわ〓モこみわがじ、いで〓〓我は皮を剝がん、おのれ等は其處に見て居よかし、こは我と6ふツとひタルロとりなはおはをとこふんぜんぶツど仕止めし熊なるぞ、と佛登鬼は山刀を取直す。大男は忿然として佛登兒pubおのれるジれいいわれらけめちおか、るとつを突退け、汝飽くまで無禮を云ふや、我等が今朝より雪を胃して跡を尾CI4プシヤるとこのくまおにんこぼれざいはひしとしかけ、辛く毒矢を射込みし此熊、汝はたゞ僥倖にて仕止めたるのみ、然るYourくまかつてせいはれなおのれいさぎよくなじんたてか紛に汝この熊を勝手に爲んとは所以無し、汝潔くこの熊を我等の手には還る소にふいのいつべんにくもとこのこぶしさずして、飽くまで不法を言ひ募らは、片の肉は固より、わが此拳はおのれ广aこうくわいッぶツとき汝が頭を饒すまじきぞ、後悔すな、と儼然と云ふ。佛登鬼これを聞いてまたいかおるんそのこぶしcheゆるいことタシロまた亦忿り、〓が其拳わが頭を醜さずと云ふや事をかし、わがこの山刀も亦おっしいのちゆるとしかなにくだん汝が命を饒すまじきに、疾く去らずや、と叱りつくれは、何を、と件のがほせとここぶしるぶツと〓たちまをとこにんこかしる大男、拳を揚げて佛登兒に忽ち曜りかゝつたり殘る五人も拳を揚げて(九三一)ひとぶツときおツとりまときおそかのときじやはしなこ齊しく佛登鬼を追取卷くこの時遲し彼時疾し、端無く此所に來かゝり
し沙具沙〓たけ.にん(〇四一)允、それと見るより奔雷の如く吼つて走せ來り、直に二三人をけうしろごなにゆえむかる、れいC蹴倒して佛登鬼を後に圓ひ、汝等何故にわが仲間に向つて敢て不顧を加れいゝんとなじよツとほふるぞ、と例の音吐に儼然と詰る佛登鬼言葉短に仔細を語れば、沙具しやいんながはつおか2mいかいEkh雪沙允長き頭髪を振捌き、彼方に對つて大いに怒り、さらば汝等が言ふ所はなはらわれいま"あは'いしな太だ以て道理無し、我今こゝに來合せし上はこの熊の肉の石に化るともいつべんおのれらreとみをはこれし一片だに汝等に與ふまじ、取んとならば取つて見よと云ひも了らず、奉ヨツ:うちたふかおほぎとこれつくわきといか紛を揮つて又一人、眞前なるを打倒す。彼の大男これを見て烈火の如く恐たやつシあなどはなはタれいわれり立ち、おのれ何奴なれば、を侮る、太だ以て無禮なり、我を誰とかおxをはまたいはSレもひ居る、後悔すな。と云ひも了らず、これ亦巖の如き拳を揮つて、沙のぞたけをどわしいきはひミ々具沙允を望み勢ひ猛く躍りかゝる。此方に鷲の勢あれば、彼方に虎の威ij·シかやだみみかた風あり。折からどつと風起つて、滿山たゞ見る雪紛々敵も親方も見えすがた2 : sfわかず、姿は吹雪に埋れたり。第三十五回紛々たる吹雪の中に双が八人なかさうせうにんいちだん〓と成つて負けず劣らず零を揮つて撰合な〓こぶしふる- Ekと〃りやうじやあひたかた〓〓雲ふ所に、一人の男雪を蹴立てゝ飛び來り、兩者の間に割つて入り、方々1ktわれまたoおこり治權く鎭まり玉へ、我先づ爭鬪の源因を聽かん、と呼はつたり。これ即ちびん〓:にぎこれりる恩菱なり。それと見るより沙具沙允、佛登鬼倶に握り固めし拳を弛め後かなたThe 180めみいろしろB紛方に引けば、彼方も同じく拳を弛め、眼をあげて見れば白く髭しなやaゐ歳かなる男の立るに、何かは知らず疑ひ視ながら一先づ後方に追きたり。この考おんびしなかれいむか、此財思發は先づその中の頭らしタ例の大男に向つて越數に一門すれいんぎんれいか、の3.おんみいづれわれ大明もまたこれを見て思懃に體を返して後卿は何處の何人なりや、我かuふたりをとここれなは後の無はなそ二人の男を打變さんと思ひしに來つて是を述り止めし何や云おんびし、そのばうよこた故ぞ、といふ。愚義其男の容貌世の常ならぬを按くも見て取り恭しく答(一四一)かれらしやうサリ200,へていふやう、彼等二人は我朋友なり、その性甚だ正直なれは、自から
皮三ことにあと(かれ5つねこところけ上また後にて悔ゆるが彼等の常なり、察する所今日も亦(二四一)短虚にして事を起し、もちミたんりよとなふるまひベまことしやうにその性質の短虛より燒曲無き擧動をなせしなる可し、されど眞實は小兒CEつみなわざなにとぞわれねつたまならはしの如く罪も無きものゝ所爲なれば何卒我に而じて赦し玉へ、とその習慣ねひたすらしやぐしやいんみセツkb雪に手を突き一向に詫びズりたり。てに從うて、沙具沙允これを見て直とごエおんびしどのそのてはらぎたなぬすびときもむか近寄り、恩菱殿、其手を下ぐることかは、かゝる腹穢き盜人共に向つて〓てっびKELもつたつり〓こいつ5ぶツと雪に手を突き謝罪らるゝは甚だ以て道理無し、そも此奴等は、と佛登鬼(じらのヽしおんびしふたりにらとっとまたあひておほをとこ紛倶に口を揃へて罵らんとす。恩菱二人を睨んで退け、さて又對手の大男むかひつきやうかれらふたいドれい〓まをしさいまに向ひ、畢竟彼等二人の者、如何なる無禮をか加へ申しゝ、その仔細先ひとゝはりそれがしきかまたうけたまはうへまたあらたびまをやうづ一通某に聞せ玉へ、それ承りし上にては又改めて御謝罪申さん樣もあかれにふたりことうけたまばなおんみらいかりる可し、彼等二人の事なれば承るまでも無くさこそは卿等の怒を引きことわれかなたたおほをとこいまミをし事ならん、と飽くまで我を卑下して彼方を立つれば、大男は今更少し:めんていみわれいまあらましかたまを=そのく赤面の體に見えて、さらば我今その大略を語り申さんに、先づ〓〓其てたんれいナかれまなあなニ手を揚げられよ、と我禮を以て爲れば彼小飽くまで禮を守つて、先づまおんびんてぁおほをとこおもむろいちぶ例の大男徐に口を開きて、くち:ごそひLづと思麥が手を揚げさせたり。爭論の一伍一Iかたおんびしいつしんみゝかたぶとまゆわとp什を精しく語れば、恩菱は一心に耳傾けて聽き了りしが、眉を顰めて雪てなんンあびまをやうこふたりふるまひれいぎ:に手をつき、そは如何と御詫申さん樣も無き二人が所爲、禮義に嫻はぬまたあまxれい御立腹はさ言ものとは云へ、さりとては又餘りの無禮なり、もこそならんわんめんれふたつみわたまおんわけまぞまた≦が我に両して彼等二人の罪を救し玉はゝ御ほは忘れ申すまじ、又その熊にくいつべんB Bひとこの·ローまをいはれなたゞ〓〓つみめるは肉一片爪頭一つたりとも此方に申し受く可き綠故無し、唯々罪だに赦たまありがたぶわれこれふたりしながふもとのPS.な紛し玉はゞ有難く思ひて、我は是より二人を從へ麓の野宿に歸る可し。とおんびしg日本もあついおほをとこおんびしおんじゆんゐ恩菱雪に額を着けて篤く詫び入れば、大男は恩菱が温順にして飽くまでぎ2ことばはちいつみそちなわれ〓〓いちも義に强き言葉に耻入り、イヤ〓〓罪は其方ばかりには無し、我々も一sけつこヽろはやあまそつなたおんみvなしエ々時の血氣に心逸りてさりとは餘りにも卒爾なりし、又卿の執成に依りてかことわかニ( ccmこちららのいなるはど斯く事の分りし上は、この能も强ちに此方の物なりとは云はれず、成程當初に毒矢一筋射込んだるは〓々なりしが、はじめブシヤひとすなこわれ〓〓こしとこれを此處にて仕止めしは(三四一)たんとをとこ;ばれみあまたあき(われ卿の朋友と聞きおよぶ彼の男の天晴見上げし幽作なりし、この熊我等の
とだうりないはぎよかへまをわれらとちか我等は取らじ誓つて(四四一)みにて取るべき道理は無し、いで潔く返し申さん、とわれいすでたびあやまいかゐちそふだゝナ取るまじ、我等既に一度過てり、如何で過ちを再びせんや、と捨てたるゆみやひろとミPナ.おんびしヨムユけが弓矢拾ひ取り、その儘別れ去らんと爲れば、恩菱急に追ひ縋り、さりとハよこととペおんみらくまとたまいはれきは思ひも寄らぬ事なり、取る可き卿等この熊を取り玉はずば、その所以なわれ〓〓これとまをおほかるやまひめもすか無き我々のいかでか此を取り申さんや、この大雪に山を終日狩りくらしのえたまなかたならうこうすたまて、かゝる獲物を發玉ひながら空しく歸り玉はんは、勞して功を棄て玉おんびしなさけふかせつ、よツとドしやぐしやいん23紛ふなり、いで〓〓、と恩麥は情も深く切に勸む。佛登鬼、沙具沙允の兩ことそかほいろなほなニにん雪に葉重る大竹の見事に打れて顔色直し、1 :〓だけみ人さへ、持て行き玉へ、持てな我々とても何とて取らんや、なとかたま御身等これを取り玉はずば、みと行き玉へ、此のむなす'みやつりさつccm程の獲物を空しく藥つるは狩人の冥利惡して、え·いで〓〓、と切に促す。もはかほをとこふとさんにんさまためxおんびし"がいやうこの時例の大男は不圖三人の姿に目を着け、先づ恩菱に向つて云ふ樣おんみちいづこセンみいづたびじたくせ卿等はそも何處の人なりや、見れば何れも旅仕度爲られたり、これよりいづれしたきとおんびしねんきろこたいわれ〓〓何處へ行かんとは爲玉ふぞ、と問ふ。思麥慇懃に答へて云ふやう、我々ミこれにるしもビ上ものたびすこレこいつかつ共は此より遙か下塲所の者なるが、この度少しく仔細ありて、一行三十2にんteと,さむナ〃ムやまit餘人にて、これより沙流の平取に赴かんと爲る者なり、今日この山の麓はやくれ:こんち: itいちヤあかハにて、日も早薄暮に迫りぬれば、今夜はこの山の麓に一夜を明さんと思すで·5.7よういたシたち露ひ、已に野宿の準備して、新材を搜さん爲におもひ〓〓の方へ向つて來こはかこじんみたまみこたおほをとこかりしに、圖らず此處にて卿等に見えたるなり。と答ふるに、大男は斯とまいうち辛こう: :、レかちやうとつかれ聞くより眉打顰め、この頃の覺の山路加之も長述の疲勞はさこそなる可これむれとびら¥のおんみらたま紛し、幸ひ我等はその平取の者なれば、卿等これより行き玉ふとあらば、16きちかみちしるべナまたたきいちcosかしこ雪浅き近道を案內爲べし、又薪材拾はんとならば、この邊よりそは彼處Lたま50むcわれこんや6ぐまcにて爲玉ふべし、と遙か向かふを指差しつ。我等も今夜はこの山の麓にエ:みやうてうまたきいn ps旨かつ:々て夜を明し、明朝拂曉に出で立ちて、平取へと歸るなれば、これより倶かしにいたたきマひろところエじろこのおほぐまおんみらnに彼處へ至りて薪材を拾ひ、おなじ塲所に夜を明し、此大熊も卿等と共1.じむこたっ〓みちしるべいたに煮て食ひ、燒いて食ひ、一時の爭ひを笑ひとなして、(五四一)明日は道案內致ことば:いたおんびしはじめしやぐしやいんぶツとすべし。と言葉優しく劬はれば、これを聞きたる恩及首沙具沙允佛登鬼
;ともエ라みなよろこ(六四一)諸共に、好き人にあひぬ、とて皆悅びけり。第三十六回に"いはことことの一あさけふBすかたこの雪那日霽るゝ事か殊に昨日の朝より今日にかけての激しき降方すまだム.きたかぜすきこゲぞまそればかりが吹き過をては又吹き來だる北風に据えゝも慶き小合作みやこびとロンしのこうまこはふ同士の住めばとて、Lす都人には一日も忍べまじ。此處に生れて此處にセたぜんないちかゆ紛成長ち、自然馴れては苦にもならぬが、この雪この風それ程にも思はぬニ:いたさむニ?き言をピさまらしく、幼稚者に至るまで、寒威身を斬る冬去り來ても、雪を叔母樣caでまねいち6¥ロさまうれなじ寧ろ我から出て招く可傷しさ。北風を叔父樣と嬉しみ馴染みて、おとこヾるまたべつじいうかほは住みては都の心地もすらんこの地も、亦、別に不自由らしき顏も爲ず、榾たあたゝさしくなかむつまものがたりよめしうとしうどめさんにんたがこゝろかと柚暖かに差燒べて、交情睦じう物語する嫁舅姑の三人、相互に心に角もなに12かたるcと:ちミ=ゑ笑顔に何やら打語るは世に有がたき人無きか、圓う画爐裏を取卷きて、てほんなる はきs〓オツテナコまたの手本成程素行が斯う無うては、酋長樣とて下が立てまじ。よめ〓けふこむさoなはだとこと嫁が燒く火に今日の寒威を凌ぎつゝ、何おもひ出してかほく〓〓と悅んまめきよいくやうとこかはんカツコロで、嫁女幾度も云ふ樣ぢやが何處の加減かこの皮衣はほこ〓〓としてあたかはばぬs去年この老婆が縫うてくれたは、up暖かい、おなじ熊の皮でもな、最うそイキリるtかぜc sろ〓〓と目が霞んで、縫目の荒い所爲でもあらうか、何んと無く風の潜;ことしそなた〓けわやさむさLる樣な氣がしたが、今年其許の縫うたのは今日の風にも寒威を知らぬ、かこカツふ:こちるかたきけと悅ぶは七いと斯う來なけれは皮衣も個値が無い哩、有がたい、辱ないわ、モらう〓しろはつうちかぶ紛十路ばかりの老夷なり。先づ見る白き頭髪をゆら〓〓と打被り、おなじみめちしろここあこひげいちむねまたながしたはら〓たく今日の雪と白さを爭ふ鬚は廣き胸を蔽ひ隠して長く下腹の邊まで垂れとしすでりやうがんじつけつ30gはないろゐかゞねきと右たり。齡已に老いぬれども、兩眼日月の光を放ち、その色銅の如き顏はなばるぶらひかりtoほねぐみあ;だいいまたくお猶膏光して皺をも見せず、骨格飽くまで逞しうして、五躰も未だ肉落ちこうばうたう〓〓ゐふうおのづそなca.つやたほどすなはず、相親堂々として威風自から備はり、聲さへ艶を猶帶びたり。これ即c〓ないヨ:ばいオツテナあざなひげながちやうけんアらくみなisそち平取の大部落を文配せる點長続名義長の長賢なり部落皆その德に服(七四一)かbsしてカムイ〓〓と呼ぶ。カムイとは神の謂なりけり。
かは〓あらえぞ=とこバかくま能の皮もて作りたる一枚の新しむちミいちまいろ(八四一)斯程の荒夷も時に取りては小見に復り、カツコロa ?みごとそばビわがきsonカツコロき皮衣をさも船しげに打視つゝ悅べば、傍なる老嫗も我著たる狐の皮衣、あたたちやうけんよよめ、守よこれも未だ新しきを長賢に示し、わたしのも嫁女が縫ふてくれましたが、よ·らよめ1なうみき矢びツたりと身に合ふて好い着心地、嫁女は何んでも器用でござんす、いかこんこぬあれにんゆんわざでこと:伊香が今度のアツシの刺繍でも、彼が人間業で出來た事かと思はれます、々かニか〃じやうプはよめちよしかエそし矢伊香も早う期權上手に成つて欲しいものじや、嫁女や叱つて能く〓へやいか:なか〓〓とgち)ロか紛てや、といふ。イエ〓〓矢伊香様は中々御器用でござんす、一ツ斯うぢをしませぶんふうじやうづやと〓へ申せは、一ツは御自分の御工夫で、何んでも上手に成さいまする、と其方で寝むれば此方でも向そはこちらふに花を持する優しさ、ははきたやさを目折から雪踏みこさム々くだ碎きて長賢が門に近寄る一人の娘あり。ちやうげんかとちかよとニいろしろ色白く身材すらりとして、いめ目元Nとさくちびるゐかうしろこisかみとゆ温てふえぞはるうつく凉しく唇朱く、後に投し黒髪に止りし雪は花に蝶、蝦夷地の春を美飽しわがみロンるつきいなにてみたごとはりあひ"き我身-ツに集めし風情なり何に力を落してかさも張合の無ささうゆきうもg CBいま:こaやぃカとに、雪打拂うて家に入り、今戾りました、と聲かくる。オ矢伊香、異きこいりやつたか、めきまたむ.たあし し何處まで往つたぞこの雪に、みビぜさすがきやうだいこいろね又無駄足爲たと見えるな、老姐よ見ろ、ハ、流石は兄弟ちやの、その心根がいぢらしいわ。ひげまへざこと鬚前樣とちやうけんうちとちあによめモがんしZに扱ぎつゝ長賢が打笑む中に埋の曾巖枝前、はゝふきさく6ろ·たちょっ母吹咲も爐緣を立つて娘を露瓣へ、あた:み未だ兄樣は見えなんだか。〓:ヒと返辭も强の無き妹を慰め顔にいもうとcasあい。あによめせB. :はらャいかさむ嫂は脊中の雪を拂ふて遺りつゝ、:現矢伊香樣、嘸寒かつたでござんしやう何處まで御來しに成りましたえ、ここないまニびらとりがは,オヽ今の間に平取川の緣までとや、サこあがないと那時も變らぬ。痩の忠實しき親切、っかは紛ア〓〓此方へお上り成され、あによめしんせつちやうけん長賢はたいってよろこ3ぬ,さする心の中に悅びつゝ、うちわら雪に濡れたる娘を見て、ワと打笑ひ、ナニすこにほど あんことなわい少し歸宅が遲うてもそなたあれこたん其程案する事は無い哩、at E其許が兄の古比留は平取いるかう'さすぐやつ連れて行つたも擇りに擇つた奴ばかり、ベ一の剛の者、ろにそしとりになヒ部呂も仁征矢も可志鳥も山には馴れた名たゝる獵人、:かけぬ:んうおほぐまあれ丈行けば山の樣な大熊なりと目のがにさへかゝれはなか〓〓遁しは仕やるまい、Lこんどがうりき(九四一)こんかしゆつくわりいそれに今度は强力の、參加出火利なども徃つて居る響ヽを射て誌の大熊を今に携いで戾るであろ、はなし利、ごはぐまいまかつさ
しんぱいちやうけんセレンボとつは·とつ矢伊香は猶も胸いかなほを安めず、す(〇五一)心配すな、と長賢は煙管取て阿波粉を詰む。あにこまざんもべわたしナイ山にそれでも私は懸心でなりませぬ、彼の日彼樣して兄のあひにくこのなにかじよさい〓あぶ出獵の日からマア生憎と此大雪、とそれは最う何彼に就けて如才の無い兄けガところい日ふとんじゆくゆめとよさま御怪我は無いとした所で、それも一夜様なれば、雪を蒲團に野宿の夢、はやみばんさんゐかはベリか早三夜、今日はと思うて三度まで、彼の川緣までは行つたなれど、あ:こゝろミかをんな、あしをどこ雪は降つても、かゆれから先は心に任せぬ女の足、アヽわたしが男なら、風さき、かあんこき先の先まで御迎ひに行かうな紛は吹いても、家で斯うして案ずるよりは、なにかよわをんなけやいかいと矢伊香れど、何を云うても繊弱い女、アレ最う今日の日も暮れるに。あくあまえ〓七がん しざたごちいは飽まで兄を案ずる折から、自巌枝留は突と座を立ちて表に出でしがにツまねぃ:ことありエ嫣然笑うて打招けり。ンアレ矢伊香樣と事有氣に呼びながら第三十七回らかさとあしおときこそれと察して矢伊香は悦isムみ碎く人數の老音聞えしが、10元このとき表に雪踏こおきてでエなおやびとたヾいよ〃まツさきいび、飛んで表に出る間も無く、親人只今、と呼びかけつゝ先づ眞先に入ちた〓=まうそのひとこたん ひるとり來るは、一座のものが待ち設けたる其人なれば、オ古丹比留戾つたそのひとしはでから、一層の大雪、p8なんぎこはたか、出た其日さこそは難儀せしなるべし、幸ひ榾柚はあたゝなこcishオツテナ:たゞいくち〓〓暖かに燃えて居る、いざ〓〓此處にと言ふ所に、酋長樣只今、と口々にい:ごとごはぐまはこりがほかきこベろ〓セかL言ひながら山の如き大熊を詩顏して擔込むは。部呂に仁征矢に可志鳥にえんしゆつくわにん參加利、出火利の五人なり。ちやうけんつツたちかよたいりやうがん愛(うちみ紛長賢突立ち近寄りて、例の明かなる両眼に件の能を打視つゝオヽいづくらうてからよろこ〓みなをとこ星さつふたり机も御苦勞手柄〓〓、と悅ぶ折しも、見馴れぬ男の旅裝したるが二人しならばししたがらこしわりやうてひだしたるいますて、その慣例に從ひつゝ〓れも低く腰を屆め、兩手を膝の下に當て、寸るシやびときやく步して入り來たる。こたんひばしちやうけんはじめか々親人客なり、と古丹比留が目端すれば、長賢首一家こと〓〓ろ,なほきやくしづかヶリ.ぬろ,,ゐxじちやうけんる。悉く爐綠に復る。客は徐に雪踏を脫きて爐邊にあがり、戶主長賢に打向年4すわむさんあふみちやうけんまたむごんる、あふひて端しく坐り、無言にして仰ぎ見ず。(一五一)長賢も亦無言にして、敢て仰ぎつまふきさくはじめメノコいづせきでむちやうけんハイf見ると無し。そが素なる吹咲首女は孰れも存を考に向けて長輩の右側に
あたじゆんじEかたすみかをまたむきんおちらゆんめんた(二五一)當り順次に列びて片隅に届み居り、これ亦無言にして髪を前面に垂れ、でてa 8 S cheきやくかたその形いかにも。客に面部を見せざる者の如し。さま暫くして客の方にては、Cいろしろひたひヽろいつけんおんこたまごとそとこちやうけんk色白く髭しなやかに額廣く、一見温乎として玉の如き男、長賢に向つて3.はつながこたたからつれいなつきかほいろ: bi愛濃く身材高まなこあきら露禮を爲せば、次には顏色諸く頭髪長く、く眼明かなる、けんふうりん ぜんをとこまたちやうけんれいxちやうけんまたふたむかれいをは見威風凜然たる男亦長賢に禮を爲す、長賢も亦二人に向ひて禮を畢れば、つぎまたふたりそうあるじつまとミれいなじゆん〓メノコいもどうジ次には又二人の客、戶主が妻の吹咲に禮を爲し、順次女一同に及ぼせばメノコミまたじゆんじれいニいれい:そかことい紛女等亦順次に禮を返す。これオンガミと云ふ禮にて、その嚴肅なる事云;ことニをとこどうしたおこな·こ·れもつとRはん樣なし。殊に女は男同士の禮を行ふ間は、最も肅んで見向きだも爲をたいめんととううちジェたか上れいこと〓〓-〓ず、一を垂れて屈み居るのみ。さて初對面の禍悉く畢りぬれば、同打とs解けて座を崩す。なづこだん:ちやうけんふたりむか御身等は何處の人ぞと等ぬれば、みらいづれBEかたはるこの時長賢二人に向ひて、傍なる古丹ひきとどしばしよひと〓〓こなたおにびしこなたとんせんい比留引取つて、こは西塲所の人々にて、此方は鬼菱、此方は沙良泉と云シたびいつわつよにん雪を冐し當平取へと向はるゝ途中たうびらEとらふ人なり、この度一行三十餘人にて、われ〓々〓らず昨日彼のトヽナイ山のの麗に於いて出會ひしかば、かざんふもと〓で:あきふかみち雪淺き近道しるべ.ニンごなつほくてんさい、うへふゆgせつを案內せり、聞けば一村この夏より種々の天災に罹り、その上冬の季節こ子えのいたすくなためLあなりはひこまいちに及びて、海も山も獲物至つて尠き爲に、自然その日の生業に困り、とうなyたちみちすがられふごはんこのこハしの:づた同止む無く村を立退き、途上獵を營みながら此頃の雪を凌ぎて山傳ひにたうびる〓忘みちづれよさせけわれくムしぎえん當平取へ來られしとの事、旅は路連世は情とやら、我々不思議の緣にていちとうてろレついさいたたさくやじめくことー同に出合ひ、仔細を聞きて氣の毒の至りに堪へず、昨夜野宿を倶にしこうるつたひと〓〓でとりㄸろらにん紛て、打連れ立ちて戾りたり、善き人々ぞ、と父に執成す。部呂等五人もたん、ことばセうた傍より言葉を添へて始終を語りぬ。酋長は是を聞きて不〓に思ひ、これんんかさね〓〓Goことそは〓〓重々の不仕合せなり、殊にこのco頃の學を冐して山行の財源、ゆ:やまぶきかつつかたま"とく〓〓いちどうさこそは疲れ玉ひし成る可し、疾々同をよたきびなしのまを呼び入れて、B燒火までは間に合はざるも、假に雪など凌がせ申せ、イヤこたんひ;けふたかたこかぞくしゆうわがかた何んと古丹比留、その樣な事躰ならば、この二方が御家族衆は我方に止(三五一)まを〓かいへ〓〓わりつやとまをことめ申し、他はそれ〓〓部下が戶々に割附けて、宿らせ申す事にせい、部
ろそちたちそのてはぞかろ"凌ぎ難い今日のboがたけふ斯うして爐邊に居てさへも、(四五一)呂汝達は其手筈をせい、ゅ雪ふいとちやうけんなさけふかことば鬼菱沙良泉兩人は大おとびししやらせんりやうにん日ハ急げ、急げ。と長賢が情も深き言葉を聞きて、いに悅び、いと爐邊を起つて表に出で行き、ろベリたcitいよろこその首尾奈何にと氣遣へる古頓しゆびいかいごかちやうけんらいつこIZか皆々大いに、喜びて戶内に入り、みな〓〓〓もつらからどうか長賢等一家柳等一同に斯くと告ぐれば、なあんたに向ひてオンガミの禮を行ひけり。おにびしおんびしと5せんなしやぐしやいん(鬼羨と名乗れるは恩薩にて沙貢泉と名のもしは沙具沙瓦なり。)紛これより鬼麥沙良泉夫畑の三人は長質が家に止まる事と感り、ひカツゐせんふうふニさんにんことちやうけん〓いへニ.おとびしことちやうけんおやこ他はそのたなさけ部下の家に割當てられて止まる事と成りぬれば、鬼菱は長賢父子の情をよか深く感佩し、わんぱい引率れ來りし部下には更なり、:っきたダさとその性極めてあら〓〓しきせいさはよせんちやうけんいつかはじめンかたいそりやくなやうい之たち長沙良泉にも、長賢一家を首その部下に對しても相容無き樣旨ひ合め、とフみいときじつもやうけんメまじ山に獵りか途に疲れし身をも厭はず、その翌日より長賢が部下に混りて、ちやうけんよう: Sうやま?かこ、たんの」xち海に漁りて夕べに歸れば、うみこ長賢夫婦には親の如く敬ひ仕へ、古丹比留夫ふいもうとヾいかきやうたいごとcerいうあいるつ主人が部下の人々にあるじメひと〓〓婦その妹の欠伊香には同胞の如く交つて友愛厚く、み、%したしㄸ〓しやうびこそおばびしとセブヱシも身を譲遲つて親み馴染めば、上下擧つて鬼菱が德に懷きて、善き人なと品味りと褒めぬ者無し。やきたかんまたちやうけんすぐ:)鬼変わが家に來りし以來、おにびしせうこゝに又長賢は世に勝れたる眼を以て、談笑ゅ汽·本いつきよいちらうかゞひとヽなりおんじゆんろの中にも油斷無く、その一舉一動を窺ふに、爲人温順にして飽くまでもつよヽいことたちとからごちんちやく義に强く、些細なる事にても心を止めて粗忽にせず、その沈着なることしん えんみづCおんこう뚱かごとしんちしんゆうみなおのブ深淵の水の如く、その温厚なること春の日の光の如く、眞智眞勇皆自かisまた なか〓〓なさけふかとしわかともがらたぐひすくなあつばれじんぶつレ紛ら備はつて、又中々に情深く、未だ齡若き輩には類少き天晴の人物、加ち)どうしゆうれいこれとア19 5 xほしなかつきごと之も容貌秀麗にして、是を世の常の者に比ぶる時は、星の中なる月の如ひとだれ(;)これchしたことんりうRISく、人誰かは自から是を敬ひ墓はざらん。さればにや古頓柳を首として上こととくなかまのchことかみごとしたことせきし々每夜に訪ひ來る仲間の者の、これを敬ふ事神の如くこれを慕ふ事赤子Sちやうけんこれこゝろひそかんたん·りやうすぐそとこの慈母に於けるがし。長賢は是を視て心窃かに感歎し、器量勝れし男そと行末多くの望ゅのぞたちわれ:だつかミわたまたみを屬し、我にさながら親の如くに事ふる儘に、我亦(五五一) Lゆんこやうよろゴことうちろさうたんたがひたま自然子の様に思はれて、萬の事を打明けて相談し、相互に親み交はりけ
(六五一) 00ほどおにびしらちやうけんいへあしとふた2すごほどよやうさる程に見破等は良質が類に足を傍りて二月はかり猶せる間に、世は陽とん·こうたちヽとき きたきちこが:やう〓〓あるひこん春の候に立復り、その時來れと待焦れし學も漸々あがりたれば、一日鬼雲びししやらせんむかついみKa日い"ごりな菱沙良泉に向て言ふやう、見らるゝ通り雪も今は名殘無くあがりたり、ニなほひといへミニここゝろないわざこの上尙他の家に止まらんは、餘りにも心無き業なりかし、いで〓〓수도ふたりシルトルaた歩ちやりがはえだがはかくんぬひがはは那時ぞや二人して、窃に相立ておきし染沢川の支流なる、彼の裙縫川のはどりうつそせんうなづわれおきよこと紛頭に移らん。沙良泉これを聞きて首肯き、我もさこそは思なれ、この事ひといそおにびしるるかをえちやうけんいつかうち一日も急がん、と言ふ。鬼菱一日機會を得て、長賢一家の者に打向ひ、なが〓〓あつなさけらーまをいつup :これわれ〓〓さて長々と厚き情に預り申しゝが、今は早雪も全くあがりたれば、我々るナかねはな豫て御話し申したる裙や川の明へ參り、まをくんぬひがはceこ: 0.どもは明日よりして、山には木かやぉかしこいつさだまそちやうけんいつかたを切り野には茅刈り、彼處に家居を定め申さんといへば、長賢一家はさわか〓しかわりなくひきとまを向に別れとも無くおもふものから、爾のたまふを無理引止め申さんも不つけせつかくごなじまをまことしいちねんわかベ躾なれど、折角御馴染み申しゝ甲斐には、切ては今年一年なりとも我家とた三かしこるたまこぼるすかぎにうに止まり玉はずや、彼處へ移り玉はんは、强ち明日にも限るまじ、と心;おにびしに滿たざる樣にて言ふ。みこういふ+くわぶん日かたじ鬼菱はその厚意を深く謝し、過分の仰せ辱けなサイト人この上の御慈悲にも尙止日へ申したけれど、なは あままそなかし、のみならば、仲爲百それ,ともがるいっ10m kミおつ間も多し其等の輩那時〓〓までも打棄ておきて、他にこの上の煩ひをまをこヽろぐる2だいことあいさつちやうけんはじめいま懸け申さんは心苦しき次第なり。と事躰を分けたる換拶に長賢首今はキかたるかしこ3つたまいつか22っし强ひても止め難く、さらば明日より彼處へ移り玉ふか、と家齊しく打ときくひたすらカリかなそのよ紛萎れぬ。分きても矢伊香はそれと聞より、一向別れの悲しさに、其夜はまくらっロがへりがちひがしとbどかく;あさひG枕に就きても寐られず、窯返勝にて東は白みぬ。兎角する中朝日上りて、これひと〓〓金か1/ :ハいざ是よりと人々の言ふを聞きては、矢伊香はいよ〓〓思ひ迫りて、幾たび: casてみゆ七を々皮か拂へと宿る睫の露これ見られんもと戶外に身をは潜め居りしが、い'ふひふりミナみニゆきぎわ伊良武の一人我が前を過ぐるを見るより、わか草の燃えて雪間を分くるに思ひに堪へかねてや、1.か:きちらゴいそつと差し招けばオ、矢伊香樣、何方へ御出でな(七五一)されしかと御跡ね申して居りました、:をなが〓〓おはせい〓ばわこれ長々大勢御世話に、と是も少しく
なみだぐあかよそのてとりすがい5アま御前の兄樣は未だ眞個御獨身ニミあにさま=まことひとりみ伊良武様、(八五一)合淚んで近寄る其手に取絶り、とこまミきこか、と問ふ聲も聞ゆるか聞えぬほどなり露第三十八回おはびしらはヤちやうけんいcジかつくんぬひがはほどりいたのの自身装等は朝みくに對が家を都して部ずを引みれ地被川の頭ににkbきビしよみた:とんその慣例に、從ひて先づ〓淨げなる所を相立て、ば雪未だ白く積りたり。いどうもからみはゆきかきのところ屈强なる部下を擇りて後よりやくつきやうメかすぐこ紛一同力を合せて雪を掻退け居たる所に、さんrミこたんるかせいとん ぞたうちやくおんびしら恩麥等大いに悅び倶がてと約したる古丹比割が加勢の人數も到着せり。をばさじついち: : 20えにんミラざいミこの材倶に·野宿小舍を造りて此日は終り、翌日-同山に登りて山神を祭り、ふxとり、、ごとんりつつなかだいuとしがしもくじゆうぶん古頓柳は中にて第一の年長木。九分に伐出していよ〓〓普請に着手れり。こうじんこれらこと12じPつのなしかのみなら人を使ふにも物馴れた者、加之ずこの老人は是等の事には最も明るく、おんびしこあひはかこの; )このたびタぎやうさまこうこ恩菱等相議りて此役目にれば今回の御率行機には以て來いの人物なり。よろこいろおもてりかみふとんりゆうらうたいいやうく然らば身不は古頓柳を推せば、老躰意氣揚々として喜びの色面に光り、せういちばんやハはやまなここらと早くも材木に眼を凝しぬ。、肖ながら一番遣つて見ましやう、すて頃しも雪飯に名殘なくあがりて、めきCそらのどかなわたごとうらゝをが天長開に晴れ渡り、毎日麗かに拜まるチユフカムイひれりあたゝこめでいうテasる太陽の光暖かに、木の芽もやがて萠え出さうな樣子、これまで久しく: 2旨こゝろうきたおすすこ)らうたい〓タぎやうさまこゝろ等に埋れし鳥も心の浮立ちてや護がくれに喘れば、老躰の御奉行樣も心BESわかがへりひんじたれ〓〓か多へん誰々は先づ木の皮を剥ツしやれ、たれ〓〓そめ頓に若返して元氣よく誰々は其邊にたうかはぶは々〓よういまた又〓々には麻蔓ふなかからある野葡萄の皮を剝いで家根を着く準備をさツしやれ、まくあほのまいたのなにがしそれなれがしこれ紛を取つて材木を結ひ合せる凖備を賴みましやう、某は其を某は此を、とさしづエゆき、わた:ところてに、;おにびしまたかたはことばやさの指揮能く行渡りて痒き所に手の屆く樣なり。鬼菱亦側らより言葉優しかせいの書きDかいたは:ひとよろこいさく加勢の者を勞ひて、部下を撫恤り勵ませば、いづれも齊しく悅び勇んたちはたら時に取りて何よりisしあ はせたびこうつまうで立働くの幸福には、この度此處に移りてより天候マきのふけふむるみよきひとあたゝ:續きて昨日も今日も無類の好日、一日〓〓と暖かう雪ずん〓〓と消え去ひとこいるおのうきたはるけb =じまんこそりて、人の心も自から浮立つまでに春の景色の增し來たれば、自慢の聲(九五一)をひさひそぶでツぶりそより〓〓の春風に喉笛ふくらし、らのとぶえを久しく潜め居りし例の肥滿、オイ
a.こかはなたか〓〓22 (〇六一)こりや平取の人達、美聲一ツ聞しやうか、と自慢の鼻の高々と唄ひ出せはろ々bせやせいなかL reまたしasは、母衣矢なんどは切りに囃す。加勢の中にも可志鳥とて、これ亦至極かおそわれ¥·こゝあえをの美聲自慢、美聲にかけては天下恐らく我に及ぶ者無しと心得居る男せいこおれ2モ雪聲鼓が唄を一節聞くや、今度は俺のを聞してやらう、未だ〓〓其樣な遺coはらサルあざわ.せいこをは=立口ではと腹の中にて冷笑ひつゝ、聲鼓が唄の了るを待ちかね、節おもし'た: d.いろゆかうぐひすこ·ろく唄ひ出せば、その聲後の山まで響きて、音色床しき鶯も喉を縮めて、たほどびさすせかこいろよろさ流石の聲鼓もおそれ入つて龍の色を失。が粉逃げ出す程の美聲なり。へば、萬:ビかなからしゆんくニこれ事負け嫌ひの馬鹿力俊苦、聲には己等の方で負けたが、是は如何じやとはむ人二人しても助かし得ぬ程の材木、ふたり2、云はぬはかりに、何んの苦も無く輕出らをとさん〓〓〓とa cかた々輕と引擔げ、片手は宙に踊らせつゝ散々數けて運ぶを見るや、平取方に:さんかしゆつくわ:だちからも力にかけては參加利、出火利などゝ云ふ强力ありて、負けず劣らぬ力モんことこちらおれC a其樣な事は力で出來れば何方も複める價値は無し、業す。俺の仕事を見だ15あなめいてくれい、と口へは出さねど腹には自慢の穴堀名人これは平取方の葦リシヤクシルアとかんこはしらたあな は無シ進取り此處彼處柱立つ可き穴掘り行くに一つ二つ三うと刈と云ふ痩男、ウれ:ひらとり四つ、見る間に十まで掘つて退けたり俊苦等これはと呆るれば、平取方では如何じやと笑ふ。:向ふを凝視め居みこの時眼蓋をバチ〓〓爲せて、x2い★いすサア最う彼で鬼菱殿のがは出來たぞ、りし寒の灣步、ソレ其處に居る母、ちよつとはしごたの灰矢殿、島渡梯子を賴まうか、斯うして居る間に一棟でも葺いて仕舞はcoなるべくひろくだ彼は鬼菱殿の家じや、可成廣さうな木の皮投げて下されや、と云ひpがたErr Ca紛〓〓ひよこ〓〓近寄れば、平取方は大に笑ひ、塞が如何して梯子には昇みなたりゆう〓〓もみわんぼるぞ、と皆とり〓〓に囃し立つる細工は流々先ア見てござれ、と灣步1/3まいかはa〓ろはしさは振向き、一枚缺けたる齒を見せて、その間に母衣矢が投懸けし樹子にてやH anム할手を懸け、何んの苦も無く屋の棟に登つたり。これさへ不思議千万なるしたはろかはてピやおツといつに、下より母衣矢の投けあぐる木の皮手早く追取り追取り、見る間に一方葺いて仕舞へば、よasなBこいつcom平取方は首を捻り、イヤ此奴は妙じや、と驚きける。(一六一)とこ5めぐすでかれびしいつこの時こゝに古頓柳鬼菱等と回り來り、既に一方葺きあげたる鬼菱が家
855 3ャ〃と5〓xかわ(二六一)を指し、先づ斯樣して一度木の皮で葺いて置いて、これが乾いて裂破るニ、かや;かさいくねんゝ頃に、この上から草又茅の類を以て重ね葺に爲ますれば、幾年經ても:ニ.な、せう〓〓てす雨風の漏る氣遣ひ無し、少々手間は懸かつても、この葺方に限りまする、がほおにびしておち〓いち:ほねをり爲と得意類に說明す。鬼菱は古頓柳が手落無き指圖を悅ぴ、一同の骨折をあつしやます〓〓かんげきいそはひ厚く謝すれば、いづれも益々感激して、ソレ遺れ、急げ、と勵まし合ひ、さほねをしみ1kおめづ彼我に少しも骨惜せず、夜を日に次いでの普請、その時來ぬれば自からIはかどか·あば らや紛消え去る雪と倶に果取り、假令や四本柱に假登したる白屋にもせよ、彼こおしならヒロ?.〇.たち方此方に二戶三戶と押並びて新しき械を列ね、朝夕の烟豊に立上ろ様になさびしくんぬひがは成りては、これまで圓寂かりし初經川の頭も侵然に部らかしく或りる。第三十九回がはおにびしらくん ぬひ織川の頭に住ひて、:中Cみちこれより鬼菱等は裙山に狩り河に漁りて生業の道を立つるに山も川も獲物貂く、:水を汲むにも薪材拾ふにも極めて便利好きらa所なれば、一同大いに悅びて其日の勤務を忘る者無く、夜を日につぎてMiとわづらロます〓〓かげよ稼ぎければ、いづれも間無く食に富みて、心に煩ひ無き儘に益々家業をやう〓〓あたゝ三·8顧みけるが、日數積りて時候漸々暖かに成り行き、今は早殘雪も大方解之nけぬれば、鬼發はこゝに始めて時機を得て、一日尙沙良泉と商議し、豫どんくうはふし2ちやうけん(はかて呑空法師より授りし道を以て我が部下は更なり、長賢が部落その外近ばうこれをしそのふくとくがは傍の諸部落にも此を〓へて其福徳を增さしめむと思ひ立ち、先づ裙縫川10たDこれたがやn s紛の頭に然りぬ可き土地を相立て、部下を率ゐて之を耕し、種子を蒔きてaつむ實を收むる事を〓へ、次はこの道を長資が部落に及ぼし、次は近傍の諸いつぱんしため部落にも一般これを〓ふれば、いづれも音悅んで此事に從ひける。それ: cまんさま〓〓ニいとつむことは、すべまたをとこ喜Lかたと同時に女には種々の草より系續ぐ事、機織る術、又男には漁する方法§い2たぼゃばんぱんしんせつぶうより草刈る術に至るまで親しく〓へ、その他萬般親切に心の時きアイスぶをして明るき方へと逆けば、皆鬼菱の德に懷きて、これを視ること親の(三六一) Sず如く、その交情は日に月にといよ〓〓深く成行きける。こゝに平取運上
おにびしら÷まひ分左あなしない〓〓こなか中に(四六一)屋は、鬼菱等の所爲を見て大いに怪み、內々これを探らせ見るに、よな〓〓おにびしもとなまつまへけぎびはつともんじこいをは夜々鬼菱が許に通ひて、松前家より嚴しく御制の文字をさへ習ひ居のぎ〓こといもだいじる者ありと聞き、その儀いよ〓〓事實ならば、これ由々しき一大事なり、ナニがたやつ:と役頭猪股權九郞首、15ゐのまたさんらうはじめしたやく:すゑd : g棄て置き難き奴共ぞ、下役の末の末まで首を拈り、おにびしらふとまひとてことミあるひとつめんをさまんペうんじやうやひ鬼変等が擧動に齊しく、〓を注ぐ折しも、一日突然長万部の運上屋より一モリミときたなにごとろく、ら甘うちニいつぶうふ人の飛脚は飛び來れり。何事ならんと權九郞は胸打騒がせ、封の文をとよ(〓1ねんよめはじかたこ"たしやぐしやいんい取るより讀み下せば、去年の冬の初め方、當地方に沙具沙允と云ふ者あしコ, usうんじやうややき うるやくとうおうづかはじめしよやくにんどものこころり、靜雁村の運上屋を燒討にして、役頭の村擦首諸役人共を變らず殺し、ともおんびしハたゆい:っこのちほうちくてんての友愚家を價に多對のテイネを引ボれて此地方を後電なしのみなnぶんうんじやうヤいあまたにんぞ追手に向ひし禮文華の運上屋役明、:うんおつてミ30相良八郞左衞門以下敷の人數を有ゴすとこうがいなとじるこ行ガす球岳の褥野に於いて殺生爲せし事も明白、のその後雪に跡を晦まし、たちかごろゴールゝん1ひとはくにやうう絕えて知れざりしが、近頃拷問の末一人のアイヌが白狀に據りて、彼奴anとことちその:いまne wお等は砂流の平取に逃げ行るたりとの事なりよし其者共今平取には在らせんぎうへ、ううくしくびtベしやぐしやいんおんぱし1.ずとも、飽くまで捜索の上匆々首に爲らる可し、沙具沙允恩菱の二人はもちろん、あぎうちいちにんうちもじつかみたた〓とがめ勿論、:右の中一人たりとも討漏しては、後日上より必ず重き御各ある可し、尙思菱沙具沙允の兩人は云々の人和にて、なほおんびししやぐしやいんりやうにんしかくにん;なか中には斯樣〓〓の者共もかやうの: Seまた右の者共爲居る筈なり、のiおんびししやぐしやいんりやうなん·cosりよりよくしゆうは思菱沙具沙允の兩人を首、いづれも膂力衆さ: :うるもゆめ〓〓モ六これを計取るにも努々粗忽の擧勵ある可まに邁れし者共なれば、からず、こというなはおんびししやぐしやいんりやうにんとんさう:ヒニごんく:おほと委細に記し、尙思愛沙具沙允兩人の人相書をも稀たりけり。權九郞大0.紛いに愕も、おきろ早速配下の諸役人を呼び寄せ、さつきぐはいかしよ〓こんよよみぎ右の始末を備に語り〓まつ○てつぶさわた今日長こんにちをさまんべぶんいならこのはんさうがきよおんびしいおほびし万部よりの文意、か並びに此人相書に據る時は、恩菱と云ふは彼の鬼菱がことしやぐしやいんか+せんこうみ〓すできやつらきは事にて、沙具沙允とは彼の沙良泉に相違無し、既に彼等と極まりし上は、かみたいいちじつみの:がた:うちとてかて上に對して一日たりとも彼儘には棄て置き難し、ヒ彼奴等を討取る手段はいちr :みわたしかおにびしすできんぽう〓いかに、ミと一座を屹と見渡したり。然るに鬼菱等は既に近傍の部落をなつじんしんしゆうえんことびらとりちやうけんふたがひしびめき懐けて人心を收攪し、ラン(五六一)特に平取の長賢父子とは相互に繁く徃來して、最した:いつてうおばびしみことときあやうけんふめ親しく交はれり。されば一朝鬼〓等身身上上事ある時は、し長賢父子
ほんじきんぼうむ5くけつほうくわんせ花饒令それ等の(六六一)を首として、その近傍の諸部落も决して傍觀爲ざる可し。なすけうんじやうやちゃんおにびしら1/3とことぶ援助なきにもせよ、運上屋のみの力にて、鬼菱等を討取らん事は思ひもcmいちざうれまゆひ七たれ害らめ所なれば、...一度はそれと聞くよりも惡ひの眉を観め合誰あつそのぎあづかレさいなBいまco雪て其議に關る者もなく、徒らに仔細らしく首を拈つて太息を漏すばかりいままゆひそ6ごんくらとかくLあんくびほねいた今は同じく眉を艱めて切りなり。權九郞も兎角の思案に首の骨を痛め、いま:ときはるまつざかかどこいつめつに太息を漏す時、遙か末座に控へし勘十船と云ふ、男、オヽ此奴は妙じや、ひざこ〓〇七. :かんじふなはも〓でご飯紛と膝を打つたりその聲聞いて權九郞、勘十何か好い智慧出たかと太こpfよちゑよじやう〓〓むるゐち즈でり肥えたる膝を前む。好い智慧も好い智慧か上々無類の智慧が出ましおのくめんをはたシソこんうそばよた。各位御免、と云ひも了らず座を起つて、直と權九郞の側に寄りこぎいか、、くちあなにさいやさんくもうきよういcmの議は如何、と耳に口當て何やらん呼けば、權九郞興に入つて聞き了り、しんめうきとくけいりやくたとちんべいちやうりやうおそこれ25ゑさて〓〓神妙奇特の計略、譬へ、陳平張良たりとも恐らく此程の智慧はあさつそくそのはうひそかちやうけんこよ.るまいぞ、さらば早速其方窃に長賢めを此處に呼びやれ。第四十回ちかシくままつり今朝長賢は部下の重なる者共を呼び寄せて、ちやうけんタかバものどもょュ近き中に熊祭せんとて、こそやをせんたのしゆつくわりそのことておならさんかれは仁征矢汝に賴まう、出火利は其事を何うか手落の無い樣に、參加利そなたあのことわするそれかし늠これはんみxやくわり汝は彼事を忘れるな、部呂は其を可志鳥は此を、と人を見立てゝ役割のさいちゆうオツテナゑしやくしいきうんじやうやこやくにん通最中、酋長在宅か、と會釋爲ながら入り來たるは、運上屋の小役人、綽さるまなこかん:おこつとこさいさいちやうけんむからいゐと紛名猿眼の勘十郞とて、鳥渡小才の利きたる男なり。長賢迎へて來意を問ようすかなに〓ちよつとし役〓樣が鳥渡御前を呼んで來てくれいときざままいる。御用の筋は何か知らぬが、ねみcrsべつたん、てかことなく5との仰せ見た所では別段手間の懇りきうな事でも無いらしい、御苦勞いつ上うんじやうやむざふさい:ちやうけんかはしかながらわしと一緒に運上屋まで、と左も無雜作に言ひ廻す。長賢顏を顰名ゴ郵、ゆあとさよさまめて點行きます、行きます、それでは後から直に行きます、御前樣ひとあし:あひなるべくいっしよこゝろなもとみ一)は一足前にといふ。可相成はわしと同道に。ハテ心無き男かな、見らる〓いこちはなしえいちゆうホルツあとこつそくりニる通り今は此方も相談の最中、これ形開けて後から早速行くと云ふに、
"ヒレとかんこたちかつわしひとあしと例に無く腰を折りて十郞は立歸りぬ。(八六一)フムそれでは私は一足前に。あとうちやうけんかん:かなほなに、かミニさうだんP空物に動せぬ長賢は勘十郞を追歸し、尙も何彼と祭の相談、緩り構へ込んErkかん:またと·ハオツテナきのてニで居る所に、勘十郞は復取つて返し、·酋長殿手間は懸けぬさうな、サこ〓我せていちやうけんふしようぶトラdだな鳥渡、と急しく云ふ。長賢不承無性に座を立ち、ハテ何んじややら今日おあひにくすいかんうちつうんじやうに限つて生憎な、アヽ氣が進まぬ、と云ひながら勘十郞と打連れて運上であとこたんやるジかやからかほみあはうん口やうやいそ屋に出かけたり。跡には古丹比留、部下の輩と顏見合せ、運上屋から至をおもしろ台rよびだし22 ;またなにからぬ難して云紛急の呼出、彼の權九郞め、又何を云ひ居るやら、と面白なんい,テナどのよるわは、さればじやて、何ぞと云ふと酋長殿を呼びつけて、彼樣せい此樣けんべいづくをさははげろたまごんくとう,くままつせいも權柄盡、癪に觸るは彼の禿頭の權九郞め、それは左樣と熊祭はいsて〓なづかLとり=おやびとよ〓〓明後日に成さるゝか、と尋ぬるは可志鳥なり。それは先づ親人がニだえん長年の戾つて來られた上の相談、何にしても賑かにやりたい者じや、いよノくんぬひあんないおほびしとのる)て:可志鳥文は裾縫まで案内に行つて來い。どりおぬし明後日と極つたならば、鬼菱殿ところくるゐあさてこと:けの所へか、行く位ではござりませぬ、いよ〓〓明後日と事が極れは、今いしやるせんよう〓日かChr日これからでも行つて來ます。沙良泉夫婦も來るであらう。馬鹿力めもまる口ろおもしろやつせいこ參りましやう。母衣矢といふも面白い奴でござりますな。聲鼓も呼んだよろここ〃ことさいつこいつら悅んで遣つて來て、嘸唄う事でござりましやう。ム何奴も此奴も面13てこじやことのにぎやさわわいにんぐるり寡の事に殘らず呼んで、あ20白い手合、賑かに騷がう哩と六人廻と爐を打こまつはなしミシさいちゆうこうなにさとたいかいごとむれ100いろ圍んで、熊祭の相談の眞最中、平素は何事も大海の如き胸に藏めて色にとうゐちやうけんけけ:だち:まなこするとたんは見せぬ老夷長賢、こ今日は何んとやら氣色はみて立戻りぬ。眼銳き古丹比留、〓しよくみとろ·すわまちかうんじやう紛早くも父の氣色を見て取り、爐邊に座るをおそしと待兼ね、運上しゆびととちやうけんまなこ:こたんひきツとK.屋の首尾を急しく訊ひかくる。る長賢眼を瞋して、古丹比留等を乾度睨み、ことシえきなおのれらそこつわれ過ぎたる事は谷めて益無し、かこいろさりながら汝等の粗忽から我まで虛然と心か:) 5やいあざむ§n City正七なにをゆるし、彼奴等風情に欺かれしは熊が小石に隨いたやうな記なり、何おのれらおにぴし〓かのバをかやつもとにしはおいて、後等は彼の鬼菱等を如何なる者と思ひ居るぞ、彼奴等は固西ビしよしづわりWeおはびししやらせんりやうにんいおよかいるみ:D塲所靜雁村の者にて、鬼菱沙良泉の兩人は云ふに及ばず、(九六一)彼の一味の者:おちしれもの:まですでしよ〓〓タこくわうかう日こち共も驚き入つたる惡徒共、これ迄既に諸所の部落を橫行して、人を殺し。
たかもうばとことかぞしこときよねん공·はじレブかりむらうんじやうや殊に去年の冬の初めは靜雁村の運上屋を(〇七一)財を奪ひ取りし事は數知れず、やき;るたやくにんころだからうばなうびらとりさちくてんとちゆうまたあま燒討にして數多の役人を殺し財を奪ひ、當平取を志して逐電の途中又數かやつらこのたびちたおつてきりころILなはゆるこ多の追手を斬殺しゝ山、そは猶恕す可し去りながら、彼奴等今回この地いこわれちかづわれはかわがしはいto〓うばに向つてズり込みしは、我に近附き我を牒つて我支配せるこの平取を奪たくみかエいつこくす〓がたはんず計略なりと聞くからには、彼の儘にては一刻たりとも棄て置き難うんじやうやことロ·エルわれたびくままつりかやつらいちみのこし、運上屋この事を窃に我に〓げて、この度の熊祭に彼奴等一味を殘らエニュてはどさだンはびししやらせんりやうにんはじめいちみものどもいちにん紛ず呼び寄せ、豫て手筈を定めおき、鬼差沙瓦泉兩人を首一味の者共一人しやうまたかやつ'ことcmゐたうちとかみン遁さず討取らば上よりも重く賞せん、又彼奴等が事を企てざるに當りてわれさきうちとわがびらとりぶらくちばせ〓あたいは我より先に討取らば、我平取部落にも災害の根を斷つに當りてこれぞ所ローいつきよりようとくはづうんじやうやくれ〓〓、謂一舉兩得、この機を逸す可からずと運上屋にて呉々の慫漁、いづれも六ちやうけんいちざた如何に思ふぞ、と長賢は一座を見渡したり。あいよだくこなんひるELB年かいちらごはいれ克く愛し克く惡む古丹比留首部下一同もそれと聞くより大いに怒り、まやっニ33ならかぶ〃¥おほかみさては彼奴等は表面に兎の皮を被り居つて、裏面には食に餓ゑたる狼のCこゝうやつ6にツくしにツくしかはひツば如き野心を有てる奴等なりじか、可惡、可惡、いで、いで、その皮引剝22まなこどしくまゝつりのろまのろぎくれん、と齊しく眼を血走らせ、イヤ熊祭などは間鈍し間鈍し、これたキくんぬびおしかせきけたちやうけんせいいちどうざより直ちに裙縫に押懸け行かん、と席を蹴て起つ。長賢制して一同を座つかるはづみことふ;ちけるらつはやてはきじゆうに着かせ、輕擧は事を破り易し、徒らに血氣の勇に逸らんより、手筈充えこねくままつり上おはひしはじのひとあみどくや分に定め置き、熊祭の夜を期して免萎首たゞ網毒矢にかけて射て取そのてはやふおそろたくしめ々いかるべし、其手筈は云々なり、と聞くも可怖しき計略を示しぬ。矢伊香はものかけNes店てゐごいちな紛これを物蔭にて漏れ聽き、はつと愕き、胸に手を當て、つらきを心に泣2ひとし12 sしのいたlaいちねん ききくんぬひきけるが終に他知れず裏口より忍び出で、燃え立つ戀の一念力、裙縫かたのぞはやてごとはさの方を望んで疾風の如く走せ去つたり。第四十一回とことんcafeこんおやめびふたけわぶく〓〓わたを那處で轉んだ機やらロの母指二ツに蹴割つて血の滾々沸き出し居るにも(一七一)いまくんねひ口ヤいかcaおにびしいへかむ氣が附かず今裙縫に走せ着けし矢伊香、嬉しやと鬼菱が家に駈けつけ夢
;せりふしゴきやうなよここえはなおにびしさまかにびしさきおに(二七一)中の折節それとも氣附かず、狂女の如く聲放つて、鬼菱樣、鬼菱樣、鬼びし:うちたゝこ〓かぎErs P +5こたな%ナ菱樣、と戶を打印き厚を限りに訪へと圓寂として應變無し。さては留守뜬あひcmそのへんこゝろいらぐみまはEvsもェかと始めて氣の附き、アヽ生憎な、と其邊を心焦燥見廻す所に、折好くとは〓々か三いメきたがロエ通りかゞりし以良武、オ、矢伊香樣伊良武様か。と相互に走せ寄りし:〓ロppロールすここヽろゆるいブしばが、その姿の尋常ならぬに一人は訝り、一人は少しく心緩みて孰れも少l uさんい)としたけき〓ら)よまあ〓〓こちら:時は無言なり。伊良武は年丈氣を取鎭め、好くこそ、先々此方へ、と先たンにびしかとなりわが。ゑんは々いかその=こゝろせいノ紛に立つて鬼蕊が家の隣なる我家に進く。矢伊香は其間も心急き伊良武:いダeかつたいじおにびしまま"樣伊良武様、一大事でござんすぞえ、鬼菱樣は御留守かや、といふにミニけふこ(とゑんぱううさぎがりでこた伊良武は驚きながら、今日は生憎遠方へ兎狩にと出ましたと答ふれば、いかRレプまたあひにくきことかやうかやう照 8.1.矢伊香は頓に沈み入り、それは又生憎な、實は斯樣々々の次第、ただ:)いかな先は知れませぬか、妾はこれから參ります、と呼吸はづませてり聞かみからぷいこしびちやかたす。身の一大事とは、と伊良武も急き込み、染褪の方とばかりは聞きまやう:らまゐさまそれは斯機〓〓したが、何方へ參りましたやら、さりながら矢伊香様、lまつ"あたしみとsほとゝさまこさまカテごの始末、何んの妾の兄樣が、御前の父樣兄樣に、惡い心を持ちませうとおわけ20けしをなに云譯するを打消して、イエ〓〓それは知つて居ります、何にしても御留ナる。くなや疾う知して進げたあこなた守が生憎、いものぢやと此方もうろ〓〓氣をあせれカいことけあときといは、斯う云ふ事と知つたならば、〓今朝彼の時に止めたものを、と伊良武3〓〓ところ3 :こ+せんやいおても狼狽する所に、折よく戾り合する沙良泉、見るより矢伊香は手を拍つエところしやじせんさまかるあらて、オ好い所に沙良泉樣、一大事でござんすぞえ、これ〓〓斯樣、とかたなかばたはけsoきはれつくわことけ:紛語るを半分聞きさして、淺慮漢めらが、と云ひも了らず烈火の如く血色かと5たいなうラーとかけいたミアさうかばみ家に飛び入つて、入刀追取り駈出す。いたちふさがけつ前に伊良武は立塞り血相變へミて御前は何處に、こすがてふりはらだいたうかだてしやらせんp isかたと経るを手あらく振拂ひ大刀片手に沙頁泉は平取の力のぞ〓を望んで走せ去つたり。第四十二回(三七一)はる春とはいへど朝夕は未だ燒火の憎からぬ此頃ミたきびにくこのさいちやうけんおやころ·る長賢父子は爐邊に在りて、
こひそ〓〓かたEchこさんいかナはつつツただいたうかたでレツぶうこ大刀片手に疾風の如く(四七一)何やら密々語れる所に、眼を嗔らし頭髪上て、るこしやらせんろバぶやこみこs〓とき暴れ込む沙良泉、處邊に叉子の在るを見るより此は折よしと跳りあがる。こなたまなこするはわざはやこ長人の〓はやちゝうしろかこたいたうひきつみ此方も眼銳く業早き古丹比留、疾くも父を背後に翼蔽うて大刀引着け身かつおのれいかどろぞねわれ〓〓おやこさ上その稱構へし、汝如何なれば泥船を我々父子の坐に踏み入れて、其あわてたるつるなにハことばはひCおのれらたくみ面つきは、何をなさんと思ふぞや、と言葉烈しく罵れば、汝等が惡計のほどマいかじいしにHごおのれるきとはかわれ程は矢伊香に聞たり、仔細は胸に覺えある可し、汝等如きに謀らるゝ我おのれらこ々らニ、わがこのかたなあなし6いきほひらいごと紛ならんや、汝等が毒矢の効をなす前に我此刀の味を知せん、と勢雷の如みaたいくままつりよsくわんねんくに叫ぶ。吼いたり賊め、知つたるからは熊祭の夜までは待たじ、觀念てばやいつたうひツつかそ"くわいせんぱんむのれらわれさたいせよと手早く一刀引掴む。賊とは奇怪千萬なり、〓等我を指して賊とはなんそのわけこたなねむくびいかた何ぞ、其理由云へ、聞かん、答へ無くば捩首に仕て吳れんと怒り立つ。しやせんひところいむねんうはおのれらやっ謂ふな沙良泉、人を殺し、家を焼き、賓を奪ひし汝等が、賊で無いといさすががうたいあざたつしやらせんまたふ歟、流石は强賊、たけ〓〓しい、と冷笑へば、沙良泉も亦あざたるさつしどこいろどなんと冷笑つてア笑止〓〓、人を殺し家を燒いたが、何で賊たo Pめらにんにんいつむ6シはんぶん"かや、多寡が人の命の十人百人、家なら村落の一つか半分、無くしたとなに〓L yをとこB.たあかつきおのれらなはひと2ころで何が不思議か、男兒が腹を立てた曉汝等は猶人も斬り得ず火もはなえをとこぶおのれらやっといますこasやつバを放ち得ぬを男兒と思ふや、汝輩父子は今少し骨ある奴と思ひ居りしにうんじゃうやけいりやくュにふかみうどおびびし運上屋の計畧に釣り込まれ、不法の日本人に比黨して、鬼。菱を擊たんとことこほつびこれにたらわれ〓〓つらよごし(は事をかしや、些細の褒美に涎を垂す我々アイヌが面汚め、その腐つたうでおにびしクこけミた,おにびし2n. =腕で鬼姦を討たんなどゝは虛化の沙汰、計つて可い兒菱なら故等を待たこしやらせんだうぬらおやこことャいちみ紛ず此の沙良泉が討つて棄てるは、賊とは奴輩父子が事、日本人に一味し、そり、みにおのれるぞくたいぬねぞみアイスに反く見下げ果てたる汝等は、賊にも足らぬ狗か鼠か云ぶこと.5のヽしこたんひる玉かかたましやらせんありや、と銳く罵る。古丹比留これを聞いて大いに忽り、默れ沙良泉ニおのれみひ台かくおにびしはじめおのれらでちくいちろけん口ひろし、汝身の非を盡ひ匿すとも鬼羨首汝等が悪事は逐一露顯せり、こわ にちかゴわne ipうぜロケ:なくみ品じ殊に我等に近附きて、我が平取を奪はんなどゝは可惡陰謀、奴輩風情のはかりごとにわれ〓〓おやこのが遞れぬ塲所なり觀念せよ、上くわんねんか計略に陥る我々父子と思ふや、と刀勵に手を(五七一)かますつツたしや らせんこれさくくわんねんしやら〓おのれ懸け膝突立つ。沙良泉いかでか是に後れん、觀念せよとは酒落臭し、汝
¥びらヒミニうもこのて輩父子は云ふに及ばず、と一ト(六七一)この平取を瞬く中焦土にしてくれんず、あしすさぬかれこれどうじないかつさかはたさやはら足退つて引き拔く一乃、彼此同時に大喝一盛彼方も鞘をば拂つたり。합こたん ひった。せんでんひらめせいと きあやふそのおりか斬る古丹比留、合はす沙良息、紫電閃き、靑蛇躍りていとも危き其折柄、いかぎ〓つふたりをんなみまろいけんくわうみたそら息を限りに駈者けし二人の女、それと見るより轉び入つて劔光亂れて空つゆりやうしやかんみとうに露散る兩者の間に身を投じたり。第四十三回きさまはやまだこたん ひ%て%々いかわつまたん兄樣逸つて下さなな、と古丹比留の手に縋る矢伊香、吾が夫短慮な、とせんガがノをんなふたり人,がてこること沙良泉の脚に縋るは伊良武、こ女二人に隔てられて流石に手暴き事もなら☆なをとこたいちあたたとさかなたこなたず、右と左に別れし男の、互に刀は收めぬながら、彼方此方にためらへもやうけんicいかい番こwニ矢伊香よ如何で遞るなとは兄に對つて云ひたは、長賢この時聲をかけ、おにびししやらせんみニ製法だしそのわけるぞ、鬼護沙良泉の身の上を汝の知つて云ふこと歟、左らば其譯聞かせとかたこたんひz〓さいそのニうちとよ、疾く語れ、古丹比留權く待て、仔細を聞きたる其上にて討取るともおそいしやゝせんだいたうかたですわかんAニまことこと遲からじ、と云ふ。沙良泉大刀片手に坐つて、我等が身の上の眞實の事のろをんなくらこのしやらせんてきばきいニ廻きたくば間鈍い女の口よりも此沙食景が愚白と言つて聞せん。いかにわれ〓〓にしば上レブ1/2 :00さうゐセきよねん6はじかたやくばんいるも我々は西塲所の靜雁村の者に相違無し、去年の冬の初め方役人共を斬ころうんじやうやことそあこと雪り殺し運上屋を焼きしも事實なり、されど其は好んで爲せし事ならず、かたながわがむらひとりあんぎやそうどん くう: :われ〓〓語れば長き〓とながら我村に一人の行脚僧、呑空樣と申さるゝが、我々ア:かたけうかめぐたたきからわたなエふみかイヌに行趣き〓化の窓みを垂れ船はんとて我が家に渡らせ推小、文書くいた術より日常の事に至るまで怒ろに幾へにちじやうことひんなをんたましのboかたじけ:2紛給ふを忍び忍びに辱なくも習ひしわれおにびしふたりありがたチユツプカムイくわういゐは我と鬼菱たゞ二人、有難き太陽の御光にあうて聞の夜の明くるがやう-七〇、ゑさ、〓〓うんじやうやこれンなさけぶかししやうさまに二人の智慧の進む中、運上屋にて是を知り、慈悲心深い御師匠樣をばびとよなweつゐはうわとうけころ一夜を名殘に酷い追放、この怨みばかりでも我が氣象として說殺して吳さとうしも〓〓かみ〓68かされたく思ひしが、それのみならず、役頭はじめ下々までが上の威光を笠まいにちわれらニさつかこばむちせめせつかんそのニ、とうzニに被て每日我等を賦役に使ひ、拒めば鞭うつ責折檻、其上に役頭の村塚(七七一)ぐんgおにびしいたかめナ未だその上にこれなる伊良武に想ひを懸軍藏鬼菱が家の寳物を盗ませ、
いくたびうばコあ<われらxナうかわつまさだ我等が留守を窺うて我が妻と定まり(八七一)けて幾度か奪ひ去らんとせし揚句、〓かどはかしやけるくこシふるまひい沙毛六といふものゝ家に連れ込み、し伊良武を勾引し、無理の所爲せんめゑわれあピッこヤには廿一うちころざとしたりし故、我これを聞いて其塲に乗込み、矢庭に杵もて擊殺し毒を:うんじやうへはおにびしいほうBとりかへやくにん ども雲食はし皿までと軍上屋に走せつけて鬼甚が家の實物を平返し、役人共をニがたどうしc殘らず遣附け家は烟としてくれたり、ヤツついへけむりされば家にも止まりく、同志一にん おの〓〓いへはこ;いこれヤゆゑなこ、いち行三十餘人各自家を焼き拂ひ、노馴れし故〓源はと云へば是も日本人故、あとたびサゆめ〓のぞそもたちふたくどんくうミそし紛を後にして旅路の雪を眼前に望み、汝等二人將來はと呑空樣に〓へられたうびらここゝろぢとちうおツかきたャ15のちびし當平取を志して來し途中、追隨け來りし日本人めらを殺し、その後平ペえどんくうまつにcmきた別に野心取へは來りしなり、のあつてにあらず、呑空樣より傳へられしみちつた5ふくとくらーけので道を傳へてアイヌ等の「価德を聊か增さんとの外に兎の毛の望みも無し、モいまこひ〓〓いあれも五〇たnみまこと其は今事々しく云ふまでも無く、荒地を耕し種子蒔いて實を收むる事よきんた其他一オスいた七ののちこん〓〓〓のれらをしり女には機械3術に至さまで其從總す次等に〓へしにても知らる可こうんじやうやわれ〓〓らかうんじやうや此地の遲上圧は我々を如何なるものと云ひしか知らず、おもふに運上屋の如等故等父子の者を欺き、やつ6 o atいるみ〃せるまとわれ〓〓一味を討たせんず計略なりとも悟ちゑまんまつ左旋門ものうめとうでおにびしはじめしやとせんくびる智慧なく、任意と釣られし淺慮演の汝等が腿に鬼菱甘この沙夏泉の首バをかたはらいた三十おにびしたれハいまびが討てると思ひ居るは片腹痛し、又彼の鬼菱を碓とか思ふ、今こそ微祿はをそせんたれバム:し2あつしもばしよなし居れど祖先を云はヾ離あらう、その武威久しく四脚を壓せし下塲所いちゑんそうオツヲナちこたゐん どのLせいそんうんあおしねぐ一圓の總酋長知古茂多先殿が四世の孫なり、疑はしくば眼を押拭うてこそがしやらせんいけんおおにびしたぎやうcasれを拜め、と云ひながら沙良泉は意氣軒昂、この日鬼菱の他行のため預こがねくはさきふところとりいだかたてたかさしかざちやうけんおやこ紛り居たりし黄金の鍬形懷中より取出し、片手に高く差翳して長賢父子をがんKE暇下に睨む。ちやうけんおやこさいゆんこといつメレ;こゝろひそか29ち:長雪女子は最前より事の一伍一什を聽きて心我に育く折相、また今又かねて徴を慕へる。丸菱が素性を聽き、たしたごにびしすらきんくわうらんくばi眼のあたり金光爛たる鍬形を見て打驚くこと大方ならず、みうちおきろかたおやこPEのな:せんミひれふ父子齊しく刄物を投げて沙良泉の前に平伏よせんくはさきふところそうムぎしたり。さもこそと沙頁員は無形を懷中に收めて威儀をつくろひ、サアしほいおのれらこのたこせん云ふ可き仔細は云ひ聞かせたり、かくても汝等此沙良泉を對たんといふ(九七一)とばむりからいちやうけん〓と呼はる折柄入り來る。長。賢が部下の頭分、かしらぶんろさき〃そヾや、部呂を先にして仁征矢、〓
〓cえんしゆつくわりひとつれこのばありさまいづれ此塲の光景を解しかねて、(〇八一)可志鳥、參加利、出火利なとの一連、も訝り佇立みたり。少ツたゝをこ古丹比留此等に打向ひて、たんひzこれ5こs鬼菱沙良泉の身の上より、おにびししやらせんみニ、うんじやうやわれじあいひかくみあばつげしかこんはげるかま彼の權九郞の禿頭め、こ運上屋の我等を欺きし陰謀を發きて告知らせ、ミすまうでさ、aじゅ,ルせんうも::ぼの儘にては濟しがたし、と腕を扼して大いに怒り、さて沙良泉に打向ひ、こいまはやすこおんみうたがふしなわれ〓〓〓わんらいちゑるみ仔細を聽きて今は早毫しも御身等を疑ふ節無し、我々元來智慧淺くして、かきん;)ともしcおんみらてきいはさse彼の權九郞に欺かれ、一時なりとも卿等に敵意を挟みしは愧かしかりし、おやこノかひきいいおんみらがつたいちんあたとさら紛われ我々父子は部下を率ゐて今より卿等に合體し、浮沈榮枯は云ふも更なりしやうじきはてとえぞことャモミreかre今ま生死の際まで倶に手を取り、蝦夷地に蔓る日本人共を追ひ拂はん、つみゆるたまいきましやら:おほこ〓とおもしろ面での罪は免し玉へと息卷けば、沙良泉聞いて大いに悅び、面白し、th 2ね。ちやうけんこの;みaよろこながはくせんにぎ々白し、と打笑ふ。長賢も此樣を見て大いに悅び、長き白髯を握りながら!くわんじたちあがいへよ:たかこがねづくりほうたう315莞爾として起立りしが、わが家代々の重き賓物、黃金作の實刀を携へ出かたちたずしやせん2かにちょっこゝろざしで、容儀を整して沙良泉に打向ひ、聞くも勇ましき卿の大志ほと〓〓ちやうけんかんchかたただこ此の長賢も感じ入つたり、これは我等には得る〓と難き日本人の實とするかたな六ちらんげよろここと刀ながら我家に古くより秘藏せり、卿を况ぶ我が丹誠を表はすばかりにはつたうおんみぞまたおとびしどのととミそうオツテナこの實刀を卿に贈りまゐらせん、又鬼菱殿は昔に聞えし總、長長たりし知たいん めのせいそんみビそう古茂多允殿の四世の飛と聞くからは今日より關はくは下塲所の總會長と; t/sしよためいたいそ我々父子が異志無きを四はん爲に我女矢伊香をば鬼戔殿にごやこ〃年パンわがむすめや5おほびしとの戴き申さん、たおんみこのことはかこぬおきそかたま沙良縣L·まゐらせ度し、卿此事を計らひ玉へ、と聲服肅に云ひ出でたり。聞いて大いこと.かさね〓〓ごん みこいしやらせんしやことばなこと殊に御息めに悅び、重々の御身が厚意沙良泉〓するに辭無し、々5かどのおにびしつまわれとむときち24氏紛女矢伊香國をは鬼幾が妻にたまにるけ我に取つても無上の幸顧、さらばそれがしなかうどまをおとびしつ:やくめかロンわれ某媒介申さん、鬼菱の妻を擇ぶべき役目は豫て負ひたる我、これにて呑; :ことばばた〓そなた空樣の御言葉を果すことも叶ふといふものなり、かない伊良武汝も聞いたかra〓しかえぞさんが2宝ごみウム嬉しからう、らう、と蝦夷の山河も動かんばかりの大聲に、2わらいさぎよごこつちやうけんいつか:メハクハと打笑ふ。この潔き挨拶に長賢一家はいふも更なり部いち:ジんしよくい下一同も顏色怡、々たる其中に、そのなか...カさしうつ分けて矢伊香は差俯向き、取までポツと(一八一)はている火照したり。
(二八一)第四十四回こちしびるやりきん125こかなやまこがねいだおびたゞの頃絶観近傍に大いなる叡山ありて黃金を由すこと郡しかりけれはメあいともがらとうざいなんぼく添きたうちあつまかねロおしし無賴の徒東西南北より流れ來り、打集りて金を掘りけるが、その長をばしやうたいふこのひとごSくにせんぼくうまるいつ庄太夫といふ。此人出羽國仙北の生れなるが故〓に在りし日、一揆を起ことこつみはつかいのがとたしん〓つひかねほりし、事破れて罪を北海に遁れ、常人の耐へざる苦辛に耐へて、終に金掘もたなたけたかりよりよくしゆうたいDLG4ふかe粉共の長とは成りしなり。身幹高くして膂力衆に勝れ、額に深き刀痕あるロビあたなむかふきぞしやうたいこゝろかねはりた:たまゝ人これに綽名して面傷の庄太夫といふ。その心金掘の長を以て足れ<かPEかみ2こうしゆうらんたいりとせず、目下齊しく上を怨めるアイスの心を收攪し、あはよくば大勇たロットル.としあるひ、いちにんらめうしや一部分ねを立てんとまで密に思ふこと年ありしが一日一人の從者を從狩にBすきしびちやりざんむかすそのふたりそこ一日を過さんとて、染褪山に向ひしに、裾野に二人のアイヌありて其處d sかきわなにこがやうすうまとみたよう邊に繁れる能笹を搔分けつゝ何をか捜す様子なり。馬を止めて二人の容たかぢさうもみひと一人は身材高たかためロニいろしろ貌を篤と打視るに、き片目にて、一人は色白く、〓しなや·モニしやうたいんぱとうじめうしや:あいつふたいづれかなる男なり。庄太夫馬上に從者を願みて、彼奴等二人は何處の者で、このるたりかつやつハとじゆうしやこたたこ此邊には甞て見かけぬ奴共なり、と問ふ。從者答へて、未だ知り玉はずいろしろまと、ちかきろ彼の色白き男こそ近頃〔何處よりか裙緩に移り住める鬼菱といふ者にかくん ゐひうつおにびしseや、今一人は母衣矢とて其"間の者なり、はろそのなかまのしやうでいふうちうなづじゆうしやて、といふ。庄太夫打頷き、從者ふた品汝等何奴なれば我が此の處を遁るを見ながら目武こcheとはみとれいして二人を呼ばしめ、とンれいいき なりおにびしい)·の母衣矢け飛ろやとをも爲さやるぞや、無禮者め、と突然鬼菱を弓にて輩てば、くつわP Cもくれい紛びつきて轡を摑み、あのれ如きに目證せずとて打たるべき理由いづこにいきまxしやうたいふふたゝあつゆみてしたありや、と息卷き疾視む。生太夫再びちのれッと鳴し弓にてその手を充たかううたろ舉れて母衣矢はくわツと怒り、つかおびんひきと分擊つ。覆みかゝらんとすれば鬼菱引止われあした〓しやうたわる庄太夫は少しも。恣を解かず、いふとうぬらめ、我等惡かりし、免し玉へといふ。汝等りやうにんこのまゝゆるこんにちやまがりともな63兩人此儘に赦さうや、今日ごれより山特の我が供爲さば赦してもくれん、だけ大人NEごにびしひたすら如何にも御供仕。いかいかに、と猛つて眼下に瞰む。兎菱一向にわび入りて、(三八一)こふたり〓山深く待入れは、空ふかおとびしらん、といふ。さらば來よ、とて二人を從へ、鬼菱は
いかはろやめピル元/かとなそのあとニセリnしやうカいうがう きん庄太夫は傲然とし(四八一)怒る母衣矢を目端に宥め、温順しく其後に從ひ行く。とこ÷むCHおにびし〓れい"こなたをこんて屡ば振向き、何彼に就けて鬼菱に無禮を爲せと、此方は少しも不滿のいろ でなびごとつつなほど、こ云南うちしやう色無く、その度毎に打館びては、尙何處までもと從ひ行く。その中に庄ろ19 HE·ツいcarみときよう모ベ〓と:だ太夫は路佛の笹原に一の兎を認め、こは興ありと一矢に射止め、腮にゑや短變止めめいは母友矢代つて行かんとするを、て鬼麥に取り來たれ、pとと命ず。50 Saういむか{ 24と"しやうた庄太夫又一またいつて自ら向ひ、謹んでその兎をば取り來たる。方に狐を認め、たかくモ笹の〓音に姿を沒しね。こ、ことこは急よ面白し、〓と射たれどその矢は橫に外れ、しやうたいふおにびしたこのたびあしわとめいロゑ庄太夫鬼菱を顧みて、今回は足にて彼の矢を取り來たれ、と命ず。母衣おにびしまたとの第いろ行かんとするを鬼戔又引止めて自ら向ひ、矢勃然と色を作し、繁茂れるそのヾひろわたとこいちキかたしやうだ熊笹插分けて其矢を持ひ、;走せ戾つて渡す時、心づかねば銀の方を庄太ce aたな鎭を人に向くるといふは、夫に向けて差出したり。こは何んたる無禮ぞ、あぶみ示さんぶ悲た:おにびし鬼戔の肩をハツタと鐙に蹴る。と詰りもあへず、再三の無禮に耐へかねただたおにじしまた〓〓かいろて今はと母友矢猛り立つを鬼菱又彼引止めて少ししも怒る色だにも無くこんうてっcatたいとねんきろ頭を垂れて最懇に謝び入れは、わこのときしやうだいよきふ地上に手を突き、此時庄太夫急に馬よりとてとだすこにびんおこ御身の胸の廣さには庄太夫ほとひろしやうたいふ飛び下り、手を把つて鬼菱を扶け起し、ミモいこゝろことゴれいBるそれがし〓〓恐れ入つたり、試みたりしは我が過り、無禮の罪は甘んじて小生あミそれがしせんぼくしやうだいふこのななまた人像に御身ひとゴマへて受け申さん、小生は仙北の庄太夫とて此鍍山の長なり、ひとゝなりゞよいセンたびゐきそおの爲人を聞き及び、そ如何にもして一度會ひ申さんと思ひつれとも、機會え券のchxこんどち日にみあを得ずして徒らに日を延しつる所に、今日圖らず御身に遇へり、さればさつそくなな紛色まじはりこバまづ〓〓御身を試みて其後,みたいそののち早速名を名乗りて交誼を求めんと思ひしも、故意數々の無識を加へ申しゝは、ざとジはaまをいまつとわ;にこそと、今更詫びまゐらせん樣も無Bish辱しめられても更に怒らぬ尋常ならぬ御身の深沈かたは、なみみBおんみこヽろし、御身の心ふかのでみとし五たびくんねひこ、に深き望みのあればこそ身を惜みて然は仕玉ふらめ、この度裙縫に來らたにふかLほそれ がしsのや空:づきれしには必ず深き仔細ある可し、先づ小生が草屋に來玉へかし、訂交のPかはゐいまっおにびしそのしんちうひたすら酒を酌まん、ニ. (五八一)と打つて變りし挨拶なり。鬼菱は其心中を測りカコね、一向まわれおねびしみんみことビあたおそれ入つたる躰にて、いかにも我は鬼菱なれども、御身の賞詞に當る
ことのたびくんぬり:きよねん〓さまく〓てんこ(六八一)が如き者にはあらず、この度裙縫に參りしは、去年我が村種々の天災に、なりばひこまためニタわれ〓〓こんにちうさぎがり罹り、その日その日の生業に窮りし爲に外ならず、我々も今日は兎狩にIナでR (そこつゆる" 122參りしもの、既に我々が粗怒をだに免し王はらそれにて御暇たまはらん。しやうたつくおにびしいされとも庄太夫は言葉を盡して、と程能く云ひて去らんとす。よさ鬼菱の辭t b 1/3おにびしつひcえするを更に聞かず、切りに我家へと招きしかば、鬼菱も遂に辭するを得よう;ずして庄太夫いふ·とが許に赴きたり。第四十五回のもひととりうんじやうややくとうはりめかたづくなまつりエニその後平取運上屋は、役頭首固唾を呑んで、熊祭の夜を待ちわびたりしなちやうけんおやこそのゃおにびししやらまえむつ得かはが、その甲斐も無く長質父子は其夜鬼差泣宣集等ノ呼まいく酒を訪み変ことなちやうけんきたあまつさして事無く册れしだに不思議なるに、その後は呼べども長賢來らず。剩むすめやいかもか〓〓20おにびしよんいCうんヘ娘矢伊香をば近々の中鬼義方へ嫁入さするといふ噂さへ聞ゆれば、運だひと かたなかごんいた左右の恩集に日を送じやうルる中にも權九郞は胸をめ、; L上屋の驚愕一方ならず。沙良泉が媒介にて鬼菱は早矢伊香と千代の契を結びぬ。ぜんうとき또はやんいかちエいずむすごんく:る中、權九郞はいよ〓〓胸安からず思ひ、ハるした々(ねぇあつこと一日下役共と首を鳩めていふやう、さて事躰ますめんたうさればとて此儘に打棄ておきては上に對して我等s 20かみchは益す面倒に成りぬ、いちぶん あひたがなたいなよようなの一分相立ち難し、彼奴等を退治するに、何んとか好き工夫は無いものはくたがともでといなぎか、と肉も流れて倶に出さうな太息を吐けば、ムこの議はいかゞ、とにじよなにか何彼に就けて小才を利するこ:シなさるまなこかんじふこう膝行り寄るは、例の猿眼の勘十郞なりまたしやうたいvにかしびちやりざんおにびしてあしたこゝに又生太夫は過し日圓らず染種山にて鬼焚に出合い、そのひとゝなう紛親しく其爲人こゝろしん もしんいうおのづかまだにごろかうち中には未だ甞て見おを試みしに、眞智眞勇自ら備つて、a愚昧なるアイスがきんぶつこれてなづいろ〓〓こゝろicざる人物、いかにもして是を子懷けかかんものと百方心を碎ける折から、: 3とつきん びらとりうんじやうやかんじふちうはきたやくとうきんくらうきのャれん一日突然平取運上屋より勘十郞走せ來つて、役頭權九郞殿の御召なり、われいつしよとく〓〓しゆつとうしやう乃いふなにきとこゝろひそかうたが我と同道に疾々出頭ある可し、といふ。庄太夫何事ならんと心窃に疑ひかんじふ;うもつときううんじやうやいたごん くこうお七〓勘十郞と打速れて時を移さず運上屋に到るに、(七八一)つゝ、權九郞遲しと待ちさつそくひとまころかはねん きろ、あいさつなほなにくれはなわび、早速一間に呼び入れ、平生に異りて慇懃に挨拶し、尙何彼と話し
ヒてなら君15い順て茶と成り菓子と成"くわし(八八一)かけつゝ手を鳴せは、豫て準備したりと見えて、ことけつこうめん よまts.しやう乃いふこれり、果は結構なる臘部きへ前にずらりと列べられたり。庄太夫是を見て、そ,ていよとはをごろがうまんさヒラけしみcar e素知らぬ躰には裝ひ居れと、日頃傲慢なる役頭の、今日の頭の低さと云いまたさけさかな÷〓エひつきやうわれなばごとつかしたこゝろ雪ひ、今又酒肴さへ養應はんとするは、畢竟我を何事にか使はんとの下心ベこヽろceごん く:ふるまひあまこあざわらなる可し、と心の中には權九郞の所爲の餘りにも見數らしきを冷笑へり。¥ごんらうまみさくまいつばいしやうたいふさかづきわたわれこんにちきふ時に權九郞は笑を含みて、先づ一杯、と庄太夫に杯を渡し、我今日急にSそこもとまねまたんしこと何事かは知らし紛其許を招きしは、些と商議爲たき事あつてなり、といふ。にんンガaccそこちかうけたまいさぎよこたごん くふうactけ〓打潜め、:ず承はらん、と潔く答ふれは、權九郞は餘人を退其許は近きろくんぬひこびしし1おにびしこなた頃裙縫に來たる、鬼菱等をば知れりや、といふ。鬼菱と聞くより此方はひざドもかきろかしことを膝を進め、いかにも然る者共の近彼皮に來たれる由は聞き居れども、ことなつたおにびしごろ六未だ面を合しゝ事無し、傳へ聞くに鬼菱とやらんは、愚昧なるアイヌがじかじんぶつことこそのひとヽなりEき役頭は定めて其爲人をも知り玉はし中には珍しき人物なりとの事なるが、7.ごち權九郞は龍を織めて首を打振り、ごん く; &うもニニ元ん、と心を引けば、いな〓〓彼奴等は、かみピしよしづsらつ;一刻たりとも彼の儘には藥ておき難き奴共なり、るミすがたやつとゝ上場所靜腫村の者にて、モわけきよねん高靜腫村の運上屋を燒討にして、eうんじやうややきうちやくとうむらづかはじめやくにんども其譯は去年の冬、役頭の村塚首役人共をこゞごとせつ※またたう又當平取を差して逐電の砌、ve (〓てんみだりうつてむかhぶんけうんじやうや悉く殺害し、討手に向ひし禮文華の運上屋やくとうさニ·こう3ミもんはじめあまたてのせつ がいだいざいにん役頭相良八郞左衞門首數多の手の者を殺害せし大罪人なるを以てなり、ちかごろにしばしよかたふさんませつむにことつぶさしようちこつそくきや近頃直患所の方より再三の飛脚に接して我この事を備に承知た、早速彼めしとらいかんこんにち:三たうびらニオツ奴等を召捕へんとは思へども、如何せん今日の姿勢にては、當平取の酋テナちやうけんかやここのきやっがつたいなにんぞさまたう うんじやうや紛長良賢父子の者さへに彼奴等に合體爲し居れば、人數少き當運上屋のみ(th 66めしとら台こさたそこもとこん どちわざの刀を以て首尾よく召捕へ果せん事は少しく難し、よ其許を今日態々呼びしやうだいふざのそこいとかみたいちゆうぎこゝろざし一六しは此處なり、いかに庄太夫殿、其許上に對して忠義の志あらば、手下かねほりひきつおにびしにじめきやつ5なかまのいつきよはふ?の金掘共を引率れて、鬼菱首彼奴等の仲間を一人も殘さず一舉に屠り盡ことしゆびにし おはレおたたしやうそれがしかみさずや、この事を首尾よく爲了せなば、必ず重き賞あるやう小生より上まをたしやうだいふけしいそいうにやつへ申し立てん、といふ。庄太夫ことさら血色ばみ、イヤ其奴は可惡き奴(九八一)しろうちとまをいこぎようべなごんく:うちつなづ宜しうござる、いかにも討取り申さん、と潔く諾へば、權九郞は打額き、
ひとiきんっミいたいつ: (〇九一)さりながら等しくアイヌと云ふ中にも、彼奴等は第あり力ある奴共なれことうそれたきやつう上てんにゴかは、この事虛然とは行ひ難し、彼奴等を討つに良き策ありや、と氣遣へこな たなも〓こゝろづかこひうそれがしたくことちは、此方は苦も無くせゝら笑ひ、御心遣ひ御無用なり、某巧みに事を構おにびしはじめかしもたやつども名い:よちやうけんおやこC露いて、鬼菱首頭立つたる奴共を我家に賺し寄せ、これに長賢父子を加へbbえんchiどくしゆソ:つタいつばうわがてしたかねはりどもくんぬひミて、酒宴に託せ毒酒を以て盛潰し、一方には我手下の金掘共に裙縫を取エとちvsうちゐまそkchそれがし:卷かせんには、埒は一夜の中に開き申さん、この儀は、權く某に御任せあたくわひやくにんせんにんくびうAsざふさこと紛る可し、ナニ多寡がアイスの百人千人言討つて退ける位は雜作る無い事ごん く·そのてめてこヽろあまはなるはとなるゑ@でござると云へば、權九郎其方便を心に玩味ひ、成程、成程、と笑壺に入りて切りに酒を過しける。ま第四十六回ごびしミくんぬひ法あみはノのあめますINこゝに鬼菱等は一日裙縫川に網を張らせて、部下の者ともに競鱒を捕へところとつきんきしこゑたかよおにびしま居させたる所に、突然岸より聲高く呼ぶ者あり。鬼菱先づこれを聞きつ; :ちやうけん おやこ〓かハ5 ' ;うちまねけて振返れば、長賢父子部下の重なる者を率ゐて川線より事有氣に打招24せんたにうミつ;いたちやうけんおやこ€そろくなり。沙良泉もこれを見て、二人打連れ岸に至れば、長賢父子口を揃少しく商談したき事あり、さうだんことおにびしどのいいる。先づ鬼菱殿の家に行かん、といふ。さ〓おにびしら長實父子は部下を川線に止めおきてらばとて鬼姿等先に立つて案内す。:ちやうけんおやこ:こおにびしムいたひんしゆせきまたちやうけんいこんにちしびちやりかに: t鬼菱が家に至り、實主席定まつて長賢云ふやう、今日染観の鑛山より例しやうた いふつかよこひとんねけふぐれわれの庄太夫使者を寄來し、窃に告げたき旨あれは、今日の日沒を期して我々に遲灌無く來よとの事なり、たいなことseおにびしELいで〓〓倶に行かん、といふ。鬼菱は頓こたたせんかろすでちやうけんどのおやこに答へず。沙良泉これを聞きて氣も輕く、既に長賢殿父子さへ行かるゝ〓々の何を案ずることも要るまじ、なにあんこたん ひ8÷むといふに、のう古丹比留殿、と振向こたんひことビおちおにびしどのかならしやうたいふうたがたま〓けば、古丹比留もまた言葉輕く、鬼菱殿必ず庄太夫を疑ひ玉ふな、同じャcoうんじやうややくとんどるとんはらあひちがとことく日本人といふ中にも、これは運上屋の役人共とは、、頓と腹合の異ふ男いで〓〓御身も部下の重なる人々を從へて、ン六とんじkいこれより倶に行かれよ、と(一九一)ことば、ちやうけんモその儀は少しも仔細あるまじ、¥しさい勸むれば、長賢も言葉を添へて、といふ。
てまたしやうだいふものふはかごん くこうこもおにびしらすc53コ(二九一)却說又こゝに庄太夫は、昨日照らず權九郞の口より鬼菱等の素性を聞き、めいJEよろこかわれうつてaccこの機乗ず可しと大いに悦び、且つ我に討手を命じられしを奉ひにして、したこゝろごしたpubゐちやうけんことつかハびこれも下心あつで像て親しく交際は居たるお實が許に使者を送り、美々しく酒肴の準備して、かうよういけふぐれまちじにさ〓雪今日の日沒を待受けたり。はやその時刻にも成りしやうないいまかミンとんちやうけんおやこぶか: :たぬれば、庄太夫は今か今かと待つ處に、長賢父子部下を從へて先に立ち、おびびししやらせんりやうにんそのあとことんきゆうしゆんくぶツと5あいるんけ鬼菱沙良泉兩人も其後より古頓柳、俊苦、佛登鬼、愛關化なと云ふ部下30上記しかぞおよじふほんなしやうたいふいそが紛の重なる者を從へ、その數凡そ二十人ばかりも來たる。庄太夫忙はしくみづかあんない出遊ヘいち:ほをせきSaくエたま自ら一同を引きて設けの席に案內し、各位善くこそ來玉ひし、それがしこよひおの〓〓ひそかまゐことわざ〓〓らっ.まを某今宵は各位に窃に告げをらせたき事ありて、態々これまで勞はし申し:ねんきろかられいこなたまたごびしはじめれいか、あつそのこう++々ぬ、と慇懃に-禮す。此方は又鬼菱首禮を返して厚く其厚意を講す。やしやうたいふらいえくばさかんふ: aれつず:すうこうのつがて庄太夫は準備の膳を配らしめ、盛に飮酌を催して列座酒數行の後、むか4ふんいまる合を計つて庄太夫ははかいふいもさおのよひわざ〓〓こね時分は今ぞと氣一座に向ひ、さて各位を今宵態々招七れがしさくじつうんじやうやつかせつなにきときしは餘の儀にあらず、某昨日運上屋よりの使者に接し、何事ならんとおにびしはくおいざいんどんちやうけんら行き見れば、5 :、と鬼菱等は斯々の大罪人なり、これに與する長賢等も元よりとうざいそのもとう〓よかおねはり:り:うちご同罪、其許早々部下の金掘共を率ゐて、彼奴等を殘らず討取る可し、とことそれがしいつはこれ〇八レよ名の事なりしかば、某僞つて是を諾ひ、加之も今宵を期して、いかにもおのうちとまとたちかへい; Lたいことすでがん ぜんせま位を討取り申さんとて立歸りぬ、以上の次第にて、事既に眼前に迫れり、それがしこよひぶくむかロイチまゐいこれ某今宵各位に向つて、窃に告げ參らせたきことありと云ひしは是なり、熟々分別爲玉ふ可し、よく<べつしたまおの〓〓けつしんいかんあひだ第このわれ各位の决心如何に由りては、間に挾まりし此我もp上もけつところなあんいるゴせんどうしゆうみなヨコッ紛窃に决する所無きにわらず、と暗に一座を煽動す。衆皆これを聽いて大まんrけt Aセにぎなか:こたんひさかづきじらいに怒り、滿座血色ばみて、予を握る中にも氣早の古丹比留は、盃を抛つつゝた:なにためたうんじやうやて突立ち上り、かくなりし上は、何か躊躇はん、これより直ちに運上屋はかごん;やつさきをはさななに走せつけて、、彼の權九郞を八裂にしてくれん、と云ひも了らず座を離おにびしきふこれせいたこたんひzどのわれ〓〓ゆみpeれんとす。鬼菱急に是を制して、まづ待ち玉へ古丹比留殿、我々故に平コタンわざはひまをつみはうんじやうやそれほどわれ'つみつゐ取部落に福をかけ申さんは罪深し、運上屋にて其程までに我等の罪を追(三九一) raたこせんいてぞくいづこに※みか窮せは、我と沙良泉一族とは、これより何所の山の奥にも身を隱さん程
ナとくさつしやうたいふとのよろはかたま〓,古(四九一)に、打つて棄てたりとも考我せりとも庄太夫股宜しく計らひ王はれきんちるどのかろはぞみまうだへつにことなかと云ふ。こ古丹比留鬼菱たんひzゴロびし丹比留殿は輕率して連果の罪を受け玉ふ事勿れ、の前にむんずと坐し、まざあな本意無き事を云はるゝ者かな、はんいなことい、今更いかで然いまごらさりやうにんしやうし=ふわれ5まりだたちナモ既に御身等兩人とは、生死も倶にと盟へる我等、ことい連座る事を云ひ玉ふぞ、つみエスルおそこれいづこ々まをちやうけんまたことばの罪を何の怖れん、是より何處に造り申さんや、といふ。長賢も亦言葉そ〓こびしたヾふたりこういしやを添へて切りにこれを止むれど、鬼菱に唯父子の厚意を謝するのみにて紛うけ承知かず、いちどう-同に別を告げて今は早この席をも退かんとす。わかれいまはやせきしりぞこ古丹比留はたんひき一さふたりcbbあらそしやうだいふことおにびし庄太夫は飽まで引止め、鬼菱は飽まで去らんとして、二人互に爭へは、これかんたんそれがしハゴいか6いよしx是を見て感歎し、某こゝにて號れを如何にと吻を容るべき山も無けれで、それがしせつかくいつべんこういてtoわざ〓〓かた〓〓In何は兎もあれ某も折角ーと片の厚意を以て、今宵態々方々を招きしなれば、このほこゝろよきたなおの〓〓こ〓ろまかL正と云ふ。いおにびしニ鬼菱先づ此酒を快く盡し玉ひて後、各位心任せに爲玉ふ可し、もそれ迄は拒みかね、までこば、進まぬながらもさらばどて席に復れば、:かへしやうカ庄太夫はいふさとかなそいあたへねんごろいちとうもてなこたんひx更に下物を添へ酒を暖めさせて、慇懃に一同を待遇せり。古丹比留は大こざ大酒杯を手に取つて、さかづきてといつばいいつぱいいついば正直胡坐かいてとつかと坐し、一杯一杯また一杯と忽ち六七杯を重ねしが、:きふじceyなみ〓〓き·呆れて目護る給仕を促し、また滿々と酌させつ、こゝろしゴこれきはCいたみit心靜かに之を味ふ。酒は腹に入つて燃えや立つらん、見る〓〓面は火の雪きとまなこ·ロ·かやくじらみづすニとづくあま如くなり、眼の光りも輝きたちしが、鯨の水を吸ふが如く涵瀝も餘さずたいはいる. ?いなたんしやうたいふどのこたんひ大杯を仰ぎ盡すや否やからりと落し、アヽ醉ふた〓〓庄太夫殿、古丹比8はやさけ たしやらせんめたちあがはやか留は既酒足れり、と云ひさま沙良泉に眼づかひして、立上るが早きか驅いだおにびしはやそれさつひきとたしやらせんおにびし紛け出したり。鬼戔早くも其と察して引止めんど立てば沙頁泉は、鬼菱よさかたわれゞすか?.きたいあとしたaりも先に立ちて、我追ひ縋つて連れ來らん、と云ひつゝ跡を慕ふて去つおおびしなはこゝろもとな鬼変は猶心元無く思ひて二人の跡を追はんとおのれも同じく出でぷふたニいたり。しやうたいふちやうけんみすでしやらせんどのしんとすれば、庄太夫長賢これを見て、既に沙良泉殿の有かれしからは仔ふミセさけたまみぎひだりx細も更に無かるべし、先づ〓〓酒を酌みエヘヘと左右より引き止めたり。おにびしぜひな:か: =ニか六七a鬼菱是非無く席に復つて、待てども待てども待つ甲斐も無く二人は終に(五九一)かきたちやうけんおにびしざおものみとしゆんくしゆつくわ歸り來らず。長實は鬼多が坐に安着かぬを見て取つて、俊苦、出火利な
んどの五六人の部下に打師ひ、にんcoしやる沙良泉殿の斯く手間取は畢竟我儘の古丹せんとのかて=とるひつきやうわがまゝこたん(六九一)比留を引止めかぬる事と見えたり、ひzひとこと〓おのくく各位沙良泉殿に力を添へて疾く古丹しやせん どのいたたヒとこたんたれかれ:こざだめいこゝろえっ比留を引連れ來たまへ、と命ずれば心得て誰も彼も先を爭ひ座を立つた00第四十七回こたんひxしめせきいのちびらとりヒ夜陰に紛れて運上屋の構內〓みまぎうんじやうやかよへうち紛古丹比留は酒席を出でゝ後平取に走せ歸り、かしこたちおくざLぎHesのかげ〃ち靜動を我へば、2.に入り、物廢より裏面の彼處は確に奥座敷と覺ゆる所にともしび燈火の影燦爛として陣子を照し、みさんもんしやうじnt今や酒宴の最中なり。いしめえんさいちゆうなにごと何事をか語りてかたよあらしはゆとreモミわ:も塀に沿ふては打笑ふ樣なれども、折から夜嵐烈しくして聞き取り難し。つくば34かけぎふししやうじうついsニき:ゆ木隆に臨踞ひ窺へば、かめ影法師障子に映りて、逸早く風下に廻り出で、Eck :はなしきゑいちゆまさててとミ腕を鎮めて、その言ふ所を漏れ聞けば、同の話聲ー言一句手に取る如し。r日にてはやおとびし·ハしやうたなどゆゑか最早鬼菱等役順權九郞慶音高く、ほん くらうこ庄太夫は何故斯ヨり手間取るならん、くびう〓ころはひからにんこれNe :〃の首討つて走せ來たるべき頃比なるに、といふ。一人是を慰めて、彼奴くびじこれ:ニほさこたま&コ等が首は頓て此に參りぬ可じ、先づ〓〓酒を過し玉一、と言ふは正しくさるまなこかんじふこうたんひzすツくたつツ大乃の柄に手からつかて猿眼の勘十郞なり。古丹比留これを聞いて直然と突起ち、ミかどきしやうじすこたい.〓ゐしもの折〓を打懸けしが、この時障子を少しく開けて、天の景色を見る者あり。そのすき24ふさよあらしnしびかひうちゆよしと其隙より親へば、吹き荒な夜嵐に燈火の影チラ〓〓と打搖るゝ。こたんひみにうちあそにい〓きゝかしこをさ古丹比留これを見て眉を打顰め、さて心に思ふやう、この儘彼處に跳りどもしび2そんシ擔きやつらめら紛入るとも、燈火滅えなば討損ずる事もやあらん、權く彼奴等に命を貸しすさまエあらしco大いなる光を點して後々天罰加へあかりとものちめる〓〓てんばつくはて、この凄じき夜嵐こそ幸ひなれ、とん面白し〓〓コゑみふくcyとうしろもとくれん、然なり〓〓と笑を含んで頷く時、背後に人ありわがせつsisすかいっ=わがそば上ともせんたて我脊を突く。驚きて振返れは何將の間にやら若傍に沙良泉の立ちて居:影法師賑かなる障子を指差し、ばふししやうじBさよきしはなにゆゑたゆたたまたるにて、好機ならずや、何故躊躇ひ玉なじしにこやないしやらせん、§なにごとふぞ、と詰る。仔細あり、逸り玉ふな、と沙良泉の耳に口あて何事をか(七九一)らこなたうちわらたちじてとseそと叫けば、此方はにつたり打笑ひ、さらばと互に手を執つて、倶に外面へ
(八九一)立出でたり。る;たたいおのいへいたいちさうすでBBOっあ古丹比留先に立ちて直ちに己れが家に至れば、たん一同既に眠に就きて、爐きやうすソナとせんicとこしたうるしショの火も消えし樣子なり。沙良泉を表に止めて、舌打爲ながら內に入り、モがんしとsぁちかよはい문ちょうはたるほどleひと曾〓校留不圖眼を覺る雲爐に近寄りて灰を掘れば、僅に螢程の煆一ツあり。いまかへなまニ〓はたてがひた。なとし、今歸り玉ひしや、と起き出づる。帆立貝の殻にても無きや、と問へここたんひ2ごきこニたまほはは、そは此處に、とて持ち來たる。古丹比留その爆を黃金か玉かに觸るSたいせつはさとはたて がひねけしぞみくは上ごこシェ紛が如く大切に挾み取りて帆立貝の殻に入れ、消炭加へて吹き熾し、表に七六三せんこなただいじうけとそでかこをがんし本をつと出でゝ沙良泉に渡せば、此方も大事に受取りて袖に圍ふ。曾巖枝留は夫モよりガそんなにきと歩みをつといつたんおもていまたの素振合〓行かず、何事ならんと訝り見るに、夫は-旦表に出でしが又かばたいまつシラントうちたにちやうがうきゆうとすちと立减り、樺松明に魚の音を打注ぎ、二張の强弓に十筋ばかりの矢を取りいゴこヒ〓て何處とも無く走せ去りけりふたたうんじやうやしのクようナうかゞisえん二人は再び運上屋に忍び入り、裏面の靜動を窺ふに、酒宴ます〓〓盛んもうらて店のき2ひはさまたへいづたぶにはななり。折好し、と裏手に廻りて軒裏に火を挿み、又塀傳ひ奧庭の木内にほしの〓すみごと(そらエあらしムつの左翼廻りて忍び居たり。星の如き曇り天の夜患ドウ〓〓と吹き募れば、忽ちいつぺんゐほのふのきやぶはじめ-片の紅き炎燄は軒を破つて燃えあがりぬ。初は然のみにもあらざりしまたここ。一層激しく吹き來たるに、PひてL 15おしまはあんやにはかが又もや嵐の火の手は四方に押廻り、闇夜俄いつべんかいこはかぞあきらゐか囂に一變して、風に散る木の葉の數も明かに讀むべきまで明るくなつたりうんじやうやめん〓〓このていたるく: :くわじくわじこきそけり。運上屋の面々は此爲體に膽を冷し、火事よ、火事よ。と先を競ひにはさなとこたん。z名みくじらおさして庭前に飛び下るゝ。古丹比留は遠くこれを見て、鯨の啻したゝか喰はふなかづらしんよりいとふとづるかしやくあまxんてまるDがうきう紛せし藤蔓の心の撚糸の太弦懸けたる四八餘りの棋楠樹の九十の强弓おつとさんじやくなまだけ=ロふたにやうもつがむゆうぶんひきしば取り、三尺はかりの生竹に眞羽二羽はげたる矢を打書へ、充分に引絞つすで255 :e inつるゆるて已に、兵と放たんとせしが、何に思ひけん弦を弛めて、ホとばかりにひそたるたちせんうf?ごろおんみわゆんきいさせるおち々窃かに笑ひ、さて沙良泉に打ち向かひて、日頃汝は我が弓勢を侮り輕んた2よきをりミルつ=とわれきゆうじゆつ(たまじ玉へる如きが、好機なり、彼奴等を目的にして我と弓術を比べ玉はんひたるせん三うasy sしろ(や、と云へば、沙良泉も笑みて打ち頷き、(九九一)そは面白し、比べん、といふ。われにあやっるめてゆLめゆみ20ださらは我先づ彼奴を射らん、と馬手にて指さし示して後、弓を打起して、
こしだめ;뚀にかねそんにく〓さるまなこかんじふ(〇〇二)腰撓になし、兵と放てば過たず、兼て一村の憎惡を負ひたる猿眼の勘十あたこ:つかいの〓こほんあまたしやらせん20郞この矢に中りて虛空を摑み生命絕えたり。古丹比留又沙良泉に打向このたび立みばんるうたいづナやつひ、いで〓〓今度は御の番なり、彼の中にて何れなりとも好きなる奴たまいたにせんたけたかさとすく言を射玉へ、と云へば、沙良泉は身幹いと高を一人の男の火を〓はんとしひやうはなあわてる304めうちつがきり〓〓と引絞り、て周章居るを指し示して矢を打番一、兵と放てばこそのたかうんじやうやDBた古丹とたんは如何に、其矢は高く飛び去りて運上屋の軒にすつくと立つたり。みわちなんみきゆうじゆつすこぶひろわれこのたび:紛比留これを見て大いに笑ひ、御身の弓術頗る妙なり、さらば我今度は彼かうたつか弓を射るには斯くしつ〓と指差して、てはや奴を射らん、手早く二の矢を打番へ、さなかおほをとこあたGざまうちたふしやらせんx,沙良泉てこそ、と兵と放てば、彼の大男はこれにりて仰樣に打倒る。いつかつうまん;いいなまんげつSひき治焦心つて二の矢を番へ、通辭文四郞を、と云ふや否や、滿月の如く引絞クはなはじそこぶるひたちみきつて兵と放つに、その矢は橫に外れて飛び去り、矢振して立木の幹に射aきた2たつみきゆうきゆつた古丹比留これを見て又へいに打笑ひ、こたん ひ本立つたり。御身の弓術はいよ〓〓ろうひbyたちヱこたこのたびわれきやっ妙なり、非情の立木も左こそは强く微へしならめ、さらば此度は我彼奴ハそのごんかここぶん:たふ〓せんを射ん、と云ふかと思へは其旨下に忽ち文四郞は倒れたり。沙良泉これを見て大に焦燥ち、いるだみたびてニキやさらば見られよ、この度こそは、と手早くもまた矢つが忘るゝばかり引〓りしが、beベごえするとこことたんゆんづるを番へて、矢聲銳く切つて放つ途端に弓弦ふやかたごゐしやとせん。いか日か=すつゝり切れて矢はあらぬ方に落散つたり。沙良泉怒つて弓を投げ棄て、ロサけふだうぐをとこ男兒が人を殺すには無こそ爲れ、ひところすいに弓は卑怯なる道具なり、と云ひも果てでたうひきぬまつかう1/3かまてきのぞ敵を望んで走せ向へば、〓こたん ひず、大刀を引拔いて眞向に振翳し、古丹比留も·ロセてきげ棄て、だいたうひさぬ?はさきこちな〓紛弓を投大刀引拔き、續いて敵に走せかゝり、先を爭つて薙ぎ立て〓〓、不意を食つて低狼へ騒ぐを退攻め〓〓此處彼處にて斬り伏せた:うろたこせこかんこ上りきんく;ごなま〓おそ羽織聡を乗て、かか、,大身の槍み權九郞この期に成りては流石に怖れず、うちほどさりたちあらいしづりだいサこふt〓サラくむしを提げて庭前に立見はれ、鍬に大地を突いて聲振立て、おのれ可惡き蟲たゐさんこヽろえごん< :めものみ螻蛄等、こゝを誰が居處と心得たるか、權九郞こゝにあり、目に物見せ(一〇二)かつこたんひzみichのぞchaあひてん、と喝したり。古丹比留それと見るより、汝こそ望む所の相手なり
しわcはいつたうまつかうふりわさ〇〇てきけ:遮る敵を蹴散して、(二〇二)いで、破首を刎ねてくれん、と一刀を眞向に振騎し、六たな.としエきんくらう左二ツに成れと斬りつけたり。年こそ老つたれ權九郞は、槍には覺えのああはすさえい〓〓かけきゑもろともをぜなかゆみたEたろう丁と合せて引退り、るものなれば、曳々の懸聲諸共尾花の風に亂るゝ如いつツこたんひ3けつこみかはふく息をも吐かせず突かくる。古丹比留飛鳥の如く身を飜し、踏み込みごんくこういつすんだんみひじゆつふるシ〓〓斬りつくれと、權九郞一寸の油断も見せず、秘術を振つて突き來たこたんひるひつしわたe 20はやる。古丹比留こゝを必死と渡り合ひ、たゞ一撃にと氣は逸れど、習ひしわず10。さん くらうったそうしんしつとりあせし紛藝には敵し兼ねて、終に權九郞に突き立てられ、總身浸潤汗ばみて、次だいあとし第〓〓に後退りぬ。ときすでしやるせんどんてきいま〓むかあひて"この時己に沙良泉は、十四五人の敵を斬り伏せ、今は刄向ふ相手の無き、ビ=しめんくしたちこのところとs僅、ちくれ走せに走せ來たれる後苦勞を經へて正處に飛び來たりしがこみことxちすちひとたん ひzて大いに笑ひ、おつ古丹比留を見さて〓〓見事なる太刀筋かな、人を斬るにいヒ〓よこあひピかつは斯くするものぞ、と云ひも了らず、側面よりヤツと斗に一喝するに、そのこゑたい··いてんせんじんいはは〓〓Sごんく:)おんえ其聲大雷の天より落ちて千仭の嚴を覽く如くなれば、權九郞は驚きて振ひそのときこの60かれこれ°しわくびはつt. 2ごとり向きしが、其時此時彼此一時に触首發矢と對落されぬ。第四十八回あらし々よはやかうころぼひしやるせん らいたづらまたまた嵐も止みて、夜は早四更の頃比にもなりぬれど、沙良泉等は徒に待せ待こンにびしこいやすつヽうもごおのづせて戾り來たらず。鬼菱は心いよ〓〓安んぜず、謹しむ中にも語氣自然つよあく各位の仰せに從ひて待ちしに今は不足も無からん、したがいそくないまと强く、されと未だセんツーづれなたいちこれせきた紛に那等の音信無きは、いかにも心がゝりなり、いざ是より、と席を立つ。しやうたいふちやうけんりやつにんことばいま〓さらは〓々も、ひツそ庄太夫長賢の兩人も、今は止むる辭なく、と引添ひて立沙頁泉諸共走せ戻りしであひがしらこたんちとなまくびひツさせんもろともuもどちあがる。山合頭に古丹比留一級の生首提げて、おにびしたちいいりんぜんてGが、鬼戔が立出でんとするを見るよりも、意氣凛然として手にせし首をおは びしめさきつっしめごん く;しまつおにびしどのらく鬼菱が眼前に突き付け示し、權九郞めはこの始末なり、鬼菱殿、那處へじんみかたレにい= :00は行かんとせらるゝ、御身に語りたき仔細あり、(三〇二)先づ〓〓席に就かれよ、といふ。
またざ天んけ:さ一同も亦座。正正しく席に者きぬ。だヾこ(四〇二)鬼菱これを聞きて席に着けは、古丹比い(6 ceまんざしゆくぜんしんく上留未だ口を開かざれば、滿座肅然として音なく聲なく、沈々と深けに深ウランたゞ見る猪股權九郞が目は樺松明の光りを浴み즈またごん く;·PPけたる夜と共に靜にして、なはいこみDBおにびしは1びて猶生けるが如く眼を瞬間きつ兒差が昧の前に在り。こたんひた。おにびしニBこtやゝありて古丹比留、容姿を整して鬼萎に打向ひ、われ今宵御身の心にそむきん く;このことこら つ背き、權九郞を斯の如く討果しぬ、此事今宵の企圖にあらず、此奴等役にんにく〓〓当巳ま很り御身等の静脈村にてのみ縱いまゝにされしこみ紛人の憎々しき所爲は、いちゑんみなsaiくとならず、般男地一圓いつれの地にてもアイエには皆その暴威に苦しめ我等が平取にても此奴を首下役面の末の未まで、Rこいつ1り、アイスと見れば大;とりあつかことわれ〓猫同樣に取扱ひ、爲る事作す事我々の手を捩ぐやうな事はかりす、されいつおそいち1晩かれ早かれ何時かば所詮此奴等とは一ツ月日の下には住れず、一度はおんどんやぶEkyぶやまんま堪忍被るゝことあらんとは疾より思ひし所なりしに、我等父子を旨々と〓んつみおんみんことはか欺〓き、を那等の罪なす御身尋を間一些の事にて謀らせんと金國み居つたるときすで!かん どん腹黒さ、彼の時既に斯うしてくれんと思ひしが、事には機あり物は堪忍"せつヒ早咲過ぎては花に實が無し、時節を待つてと窘み居りしに、今日といふ我花ならば春は來ぬ、濃:かん、にん:ミヂ曰、'古丹比留が勘。忍も是までと終に此奴等を打たま仔綱は獄身の知り玉ふ如し、Lにここきんbおんみしんじ殺しぬ、古丹比留御身の語に從ひ、この機품らたい花咲く者··を逸して逡巡はゞに會はずして、一生空しく恨を抱いて終にた、われは土に入るべきのみ、こは忍び得ることなら。んや、御身試みに我と身をたんおんみら古丹比留若し汝等の如く、ミつ紛かへても思ひ玉へ、何等の罪なきも、住み馴:まなめそののちに〃:,れし故〓にだに住みかねて、旅から旅にうき目を重ねし其後御身に値遇フ:督しやうじseして、辛くも身を安むるところを得、日に月にと交情ふかく生死も倶Gutに身に屬ひの及ぶといふ時にと誓ひし曉御身我等を止めおきては、我き、an等御身〓·"の許を立退き、復び旅から旅に漂泊ひ、果はいづれの山の奥なり: sup身を隱さんと云ひ出でなば、さらば何れへなりとも行く可し、と情うす(五〇二)よそ〓〓われ ら또らときがらくも他々しく御身は我等を遣り得玉ふや、利に走つて義を顧みぬ輩なら
からStuおにびし旨のよもや其期に番外(六〇二)ば左もあらん、情に厚く義に强き兒菱殿に限りては、みを見棄てゝ遣りは爲王ふまじ、命を棄てても助けんと思ふは男の意地にph 5 x rurerあらずや、こは尋常の比喩なり、况てや吾等は相互に日本人が非道に苦かた〓〓もツ赤にもだしむ間、旁々以て此奴等を斯く首にして大事を起し、日本人といふ日本こあやま人を敵とせんと思ひ立ちしは、此の古丹比留が誤りなりといはるべき歟z 5古丹比留が所爲短虛に似たるも、此奴等が今日までの所業を云はば、とOAL我とても固より事を好み紛イオーベナの神樣も短氣なりとはよも宣はた、Bはせねど、おなじ流の水にても、淵には音なく瀨には鳴る人も行方:わがいつしやう·せに障害なくば、藍なす淵の穩に我生を過さんも、塲合に因りては潮のv ssの石に觸れては鳴りもする、山水の、雪消の水の春三月、機を得て張る其時:ことル石幟はすべし、ロ·チは岸漬やすべし、何を憚る事のあらん、アイノが何等のシ〓そ罪あつて、那時まで日本人の暴感に服せん、おもひ玉へや鬼菱殿、さはと云ふものゝ此の古丹比留、固より勝れし智慧も無き我獨斷にて爲せしここの爲却つて黴身等に如何なる難儀を悪け申さんも知り離けれど、〓r〓Lにと、いをとこCHEお人間一生長生しても略見當は知れたもの、男も男らしく世を送ればこそ男と生れし甲斐はあれ、こに乏·505わ、Bぶ何を榮にか命を惜み、首を垂れてのみ月日を送と15 Lらん、固より命は投げてかゝつた今宵の仕事御身我が所爲を惡しと仕.ミ+玉はヾ、我は此世に生きむ氣も無し、御身の前に罪を謝して、潔く死しをし御ズて退けんのみ、胡丹比留まことに死を惜まず、生かすとも殺すとも、みLぞん ふんンにびしミ紛身次第、いざ存分に爲られよ、と言葉銳く理を詰めて、鬼菱の前に摺り寄つ[たり。ことば〓x古丹比留の言葉の斷ゆるを待ち兼ね、沙良泉膝を押進めて、古丹比留殿2フまの義に强くして、界をは我れに置けじとの志は誠に過分なれども今宵鬼L :ぽん、: 30たんxどの菱殿の心に背き、權九郞を對察てしは古丹比留殿にあらずして、實は斯ふはおんみ、く云ふ沙良泉なり、今宵の席の行きがゝり、御身はこの地を去らんと云(七〇二) z :ひ古丹比留殿は又、去らせては義が立たずといふ、男兒は左もこそあ
doよんひなごじょこれしやらせんむ〓コか〃ちころ(八〇二)る可き云分、いづれに無理は無き爭ひ、それも是も沙良泉が村塚を擧發ことにじ:10どヒこたんひx BOみかせしたが事の發端、いざ去らば止めて止まらぬ古丹比留殿の身に、り事をわがみちロらぬすとな我身に引受けん、と做る可き時に得も散らず葉かげに命を倫めはとて花のちムよあらししやせんらっはなre彰何時まで散らずにあらうや、吹けよ夜嵐沙良泉が命の花の散る可き時こバ品かくおんみさすじこたんひxどの〃は此處なりと思ひ定めて死ぬる覺悟、御身を欺き、古丹比留殿を走せ抜うんじやうやミツしぐらとさこじん、こうまツこごとうちはないのちき、運上屋に騫地、跳り込んで權九郞めを眞斯の如く討離したり、生命なかこことかみやくにんころる紛を棄つれば世の中に何んの怖るゝ事かあらん、上役人を殺したが惡くばたれなんあひてまつまへなる〓しやうぐんおそ誰が何とするとや、對手は松前の殿にもあれ、江戶の將軍にもあれ怖ろ御身は是より何れの山の奧になり身を隠さんと言はるれと、これひづ;みしからず、ことわれてん白虎おん しどん くうここレフおたちなんちらこの事我には合點行かず、我等が思師呑空標も靜雁を御出發の砌、汝等シテきをしひたすらみいといのちこれより愚昧なるアイノを導けとは〓へられしが、向身を厭ひ生命ををしこいのたモ憎みて何れの山の奥になりと隠れて心を安くせよと宣ひしことの何時有かくにんゆんいつしやうはるいねきゝも×せいてんたちまちくろくもたりしや、人間一生春の夜の寐心地よき時のみあらんや、晴天忽地黒雲立世の上
ペいひぶんじセあらそこれしやらせんむらづかうちこい(八〇二)る可き云分、いづれに無理は無き爭ひ、それも是も沙良泉が村塚を擊殺ことごまりととこたんるとのみかはつみしたが事の發端、いざ去らば止めて止まらぬ古丹比留殿の身に代り罪をわがみ: 15えちはから3ぬすはな我身に引受けん、散る可き時に得も散らず葉かけに命を偷めばとて花のつ上よあらししやらせんから25になちba T何時まで散らずにあらうや、吹けよ夜風、沙良泉が命の花の散る可き時ここLざこごんみあざむこたん ひzとのローは此處なりと思ひ定めて死ぬる覺悟、御身を欺き、古丹比留殿を走せ〓うんじやうやミツしぐらをとこごん くじつまツこごとうちはないのちき、運上屋に騫地、跳り込んで權九郞めを眞斯の如く對離したり、生命なかなお七ことかみやく도ころゐ紛を案つれば世の中に何んの怖るゝ事かあらん、上役人を殺したが惡くばなんあひてまつまへとの2としやうぐんおそ誰が何とするとや、對手は松前の殿にもあれ、江戶の將軍にもあれ怖ろおんみこれいづやまぶみかくいしからず、御身は是より何れの山の奥になり身を隱さんと言はるれど、ことわれてん ゆも比化おん しどん くうさまレブ留バたちPerなんぢら々この事我には合〓行かず、我等が恩師呑空樣も靜雁を御出發の砌、汝等おろかひらRをしひたすらみいといのちこれより愚昧なるアインを事けとは〓へられしが、向身を厭ひ生命をシゆ:やすのいつあ惜みて何れの山の奧になりと隠れて心を安くせよと宣ひしことの何時有かくこヽろにんげんいつしやうはる上いねごゝちとせいてんたちなあくろ(たりしや、人間一生春の夜の窯心地よき時のみあらんや、晴天忽地黑雲立なかいなびかりおそつて雨の中より電。光する恐ろしき夏の夕もある可く、なつ·ロース:うには笹の上葉にかさこわだわせつもとせたいこぎのわきムあきそと通りし風の募つては千歲を終たる六木を根椒になして町分吹くあしたはかな;·それたCH旦もあるなる可し、されど果敢無き草本すら其には堪ふる習ひなるを、奪にん かんなかふうシモにエ2ふムふあめかき人間いかで世の中の風雨を怖れ憚らん、降らば降れ、吹かば吹け、雨風まつ三々<にんどもえまひいち〓〓もまたをかしからずや、つく〓〓思ふに松前の役人共が所爲は、一々理モみちそひわれP늘これたくしやらせんこれけつきみに外れ道に背きて、自他倶に是を憎めり、沙良泉おもふに是决して君となみつてまつことめはんいよしまたまつミとのほんい紛して民に臨む松前の殿が本意にはあらざるべし、縱又松前の殿の本意なモおたるえとしやうぐんたいちよしえどしやうぐんこゝろりとするも其は必ず江戶將軍の意にはあるまじ、假令江戶の將軍の意なきとこみくくししおほぎみだみこゝろりとするも、よもや眞實の日の本の御國知しめす大君の大御意にはあらベまつミヽやくにんせかゝたふるまひざる可し、松前の役人めらが爲しごとき斯る正しからざる所爲は、わがかみのもとあまてらすおほみかみみこゝろよしLたまアイオーヘナの神日本の天照皇大神の御神虛にも、よしや善とは爲玉らかみくぜんドあくこいたましはざる可し、神といふ神々は、善を勸めて惡を懲し玉ふものとこそ師の(九〇二)言葉には聞及びたれ、:ゝよわれらけニきそぎる三さくあくひだうさては我等が今日競ひ起つて義に聚り、極惡非道
の役人共を討つて乗てたればとて、いかで神々の御ヒ心に叶はざらんや、にいる(〇一二)ぽん紳も知しめせや我等が。心は大君に背くにあらず、しちそむヒツ日本國に反そむcoくに非ず、たゞ非道なる役人奴等を此眼夷地より追拂はんとするまでなり、たうこのモおツビらい生きと;つCASむしけらそのせいたのわれ〓〓なんし生くる者は分に應じて土に蠢く蟲蟻まで其生を樂しめるに、い我々何等つみとがまいたをとこわってたちゝはゝの罪科あつて那時まで日本人に首を低れん、一男が百を低るべきは父母にミうさぎローロとのみと覺えたり、兎は人に蹴られもすれと、熊は人から避けらるゝアはづかしめEBほはやつニ紛イノが日本人に耻辱を繰りてのみ世を經るは、脊梁骨の柔軟い奴が多うぬまかう、たbな(3て、故も無く首を低るゝからのこと、此坐の人を見るに鬚髯の無うて居いれやみりつぱそとこみに驗したも無ければ、いづれも立派な男と見ゆる、よ3るp 505シニごもやっ鬼と成つて野の末の穴に潜まうとは思はれまい、命は毒矢に落すとをとこにぞもおめず信せず大熊の野山を自由に荒さうと男なら思はいではならぬ習さ:い:にんげんいつしやうい.+.せんから3なひな人間一生何時まで生くる、沙良泉が命は投出したり、アイオーヘナの神: ;アイヌ全躰の爲を計つて、み我は唯わが身安かれと都はゞこそ、to年も見玉、そ:そむシ+あひてと店cip廻に外れ道に昔きたる日本人といふ日本人を相手に取り、骨に粘のあるつるたゝかこかにびし旨のおは中は飽くまで戰はんと思ひ决めぬ、さりながら鬼菱殿、師の仰せられしことばごんみわれがほあひたことたおんみ言葉もあり、御身と我とは裂き難き間なり、よしんば事は正しくも御身エそガこゝろえ.nくはたての思はくを他所にして、我意のみ徹さん心は無し、御身わが企圖を可かせんふたゝsanおん みミEひと〓〓aたま御身の前に腹を屠つて、らずと仕玉はゞ、沙良泉復び言はじ、人々の罪な:われつみカルトしやいさぎよこ+ン無きを明らかにし、我と我が罪を法に謝し潔く此の世を去らんのみ、鬼びしとのおにびしがパルチおもぼくかた左生をはたいたう:っ紛菱殿、鬼菱殿、いで〓〓御身の所思を語り玉へ、と言ひ了つて大刀引着け詰め寄つたり。おにびしいまことばはつざきはウィンとこつぜんだい' .しゆんくIN鬼菱未だ言を發せず、一座極めて靜なる時、忽然として大力の俊苦は虎cえとしやうぐんpbみしゆつくわあんしふたえと々の吼ゆるが如くに、江戶將軍の面が見たい、出火利、汝と二人して江戶コこcいる〓とうちたbまで行つて提げて來うか、と呼はれば一座哄然と打笑ひぬ。おびびさわるひきゑみゝとシつやくてつbハ鬼菱は一座の笑聲を耳にも止めず、末に下つて恭しく手を仕へ、我が思(一一二)さくたわおもにくただいとナかんがな慮は足らざりし、我が思慮は足らざりし、大切を取り過ぎて考への却つ
ことばいまさらヒプて遠きに及およおの〓〓バ(二一二)ばざりしは、各位の言葉を聞くにつけ、今更差かしく思ふなこのばはらつみおの〓〓bみり、鬼幾こそ此塲に腹を裂きて罪を各位に能ぶべきに、いかで御身等二しやざいことビたわれいまaを人より謝罪の言葉を聞くに堪へんや、我今御身等の理に明かなる〓へをうけたま(たにいは34わたこゝちあさはか承はり、暗き窟の內を出でゝ晴れたる海を見渡す心地す、かゝる淺薄なこのみおの〓〓すて たまいちざかみ土る此身をば各位の猶見捨玉はで一座の首席に捨ゑ玉はんとの御芳志は云セフかどんごはせあたがたさつたまきも慚愧しくも亦罪ふかくして、なか〓〓御仰には當り難し、察し玉へぐモみちそむシ+とい:なの人々おとびし紛や一座鬼菱とていかで理に外れににける日本人を憎しと思はしの去れど師が仰せられし。 ふといふは此處のことなり、こざらんや、わづかひとすないとた子つなみたことだこのち一筋の糸にても斷るは容易く繋ぐは難し、猥りに事を起しては、後を善ことかたためかへはかわば はひいたミくする事難く、その爲却つて測られぬ觸災を惹き田すこともあらんと根おくミルツおそ:5みを呑んで日を送りしも、强ちに日本人を怖るゝとにはあらず、逸つてこと; :いたこ口五年Sわれひととも事を破らんより時の到るを待受けて、東風に蕾の開くが如く自他倶に競こ六本宅5えぞ〓み記いとひ起らば、一夜の中にも春は來て、蝦夷地に花は咲き滿たん、寒さを厭ミひて急けばとて、冬には夏の日も照らずとのみ思ひ込みし我が愚さより、こたんひとのきづいそむとにせんどのバモ古丹比留殿の情にも背き、沙良泉殿の思はくをも他所に見し罪深さ、過こと左しやうじ生死も倶にと盟ひし御身等、rみすでぎたる事は悔ひて乃ばず、いの既に生命を無き鬼麥いかで生命を惜み申さん、まをものにして事を擧げんと仕玉ふからは、鵬ふは此上は御身等二人の指揮に從ひて奔走せんのみ、BMこのふた香菇ほんさう彼を斃すか、我ニやまのカロ果つるか、ると海にも、山にも、野にも、河にも、日本人といふ日本人を敵てあひだはたらおの〓〓ねがおにびしいまとふ紛にして、手足の利く間は働かん、各位顯はくば鬼蒸が今までの振舞を女:す女しとして見棄てたまふこと無くおにびしとをしこれよりは鬼菱斯くせよ兎せよと〓しめへ示して小生にも幾許の班を立てしめ玉へ、いくばくたたまさいつたなたいとに才抽けれど心の誠はやはかひと〓〓で日ロンチこゑあき人々にも後れんやと胸には私に思ふなり、:こゑと聲明晰に勢ひ込んで飽までをはちうわい自己を謙退りつゝ云ひつつ靜靜に座中に對し、首を下げて一禮せり。おにびしいみぎよけつしん〓:わ たよろこさなか鬼菱の潔き决心に、一座は山の崩るゝ如く鳴動き渡つて悅び直ぶ中にも(三一二)しゆんくノツとたよろこまはちやうけんしゴ〓〓ざた俊苦佛登鬼なんどは、起つて悅び舞ひ廻りぬ。長賢徐々座を起ちて、鬼
Pまうんく、ミびんどのおんみへりくだりはおこたれこんaじ、誰か御身を罪(四一二)菱の前に恭しく進み、鬼菱殿、御身の謙遜度を越えたり、むんみこゝろふかとくたかざこと〓〓みましありとせん、御身が心深く御高きは一座の悉く認るところなり、况てやごときこちこ."いんどのせいそんこがねくはさきたまおんみ音に聞えし智古茂多充殿四世の孫にて、黄金の鍬先をも有ち五へば御身のでなんびとわれらホルト154 L 5たまを除きて何人をか我等の首領に載かんや、下座に居玉ふことあるべから·これかなたまなはたま我が言葉は是一ビこれいちざず、いざ〓〓彼へ直り玉へ、座の者の意なれば辭み玉ふしやうざいちざまた22せきたことなかれ、と正座を指さして云ひ曲でぬ。一座も亦齊しく席を立ちておにびしみまはりあつもてとこ〓しやうざなはすからひがし1:5紛鬼菱の身の周圍に集り寄り、手を執り腰を推して正座に直す折柄東も白泡こと旨いさエるっこみ渡りて八聲の鶏の男主しく夜は明けなりと言ぐるが聞えぬ。じよしなじやうざおにびしaぎi. C人々に推されて辭するに由無く。一座に着きたる鬼菱は、ン威儀を繕ひて殿われロ 2ことくセちたじんちゆゑかに、我人に超ゆるの德は無けれど、智古茂多允の後といふ故をもて各s〓かりじやうせきいE5 baおの〓〓石十日位の推すところとなり、假に上席に着ける以上は、願はくば各位の助にエ:まちなことなしつた上もか。?依りて過失無く事を爲し琥を立てゝアイヌの爲ウ且かれと力を盡さん、沙りやうめう190 Lおなひと〓〓おろここたん〓いづれ劣らぬ勇士なれば、良泉、古丹比留の兩雄は、同じく人々に將ととニせんどのひたりまこたんひ.とのaずかみしやうたいふSして、沙良泉殿は左班の上古丹比留殿は右班の上たるべし、庄太夫殿ちやうけんとしたたまそれがし활3M )長賢殿は年長け玉へば、生の併に在りて、車の談に與る傍かたへる)まだは師と仰がん、えのだしrnことつかさとたまかンごいつ1/3ら糧食と器杖の出入の事を司り玉ふ可し、て斯く事を起しゝ上は一刻たりたちにきばつたにことたゞひがしえゼいちゑんむニ爲とも猶豫ふは極めて拙き事なり、これより直ちに東蝦夷一圓の部落々々ロンロなんらこのたびくはだてつだことしんじんともャに人を走せ、我等が今度の企圖を傳へて事を擧げさせん、神人倶に日本けムときひがしえごきそごかれくるうつごと人を憎しむ今日この時、ニ東蝦夷先づ競ひ起らば、枯草に火の移るが如く、えzところわれ6くはたてどう安部花は新冠に、る표しゆん紛蝦夷地いづれの處として我等の金團に應ぜざらん、俊さ亡ふツともんべつしゆつくわりみつv.その他の面々其處彼たそこかし苦は佐留太に、佛登鬼は門別に、出火利は三石に、ませ行きて我等が事を起ロことこPhとャこる。〓し共に倶に日本人を逐處、しゝ大抵を述べ傳へ、Eくはたてみたゞちすかうれいあきい々ひ拂ふ企圖に一味せよと直に勤めよかし、と號令明らかに云ひ渡せは、をはいちどうわれ:たこゐベはなしゆんくweb聞きも了らず一同は、我おくれじと先を爭ひ、安部花、俊苦を首としてとうざいなんごく.は東西南北に走せ去つたり。(五一二)
(六一二)〓第四十九回a.ビま店人はの常に漁塲通ひしm松前に丹後屋與兵衞といふ者あり、て世を渡りけるが、L Lこの度の大亂を知らず、例の如く辨財船を仕立てゝ東蝦夷に向ひしに、海上旋風に會ひて、五艘の內四艘は破船し、殘る一般辛じて厚岸の灣に〓入りぬ。與兵衞はホツと一息し、ヤレ〓〓浮雲事であつたが、切ては一紛機でも取止めたを天の御救助だと、ばねばならぬ、船頭殿をはじめ、皆;)にの衆御苦勞であつた、何は無くとも一盃飮つて、今夜は此處でぐツすり크と寐ることだ、先ア給神樣に御燈明でもあげて、といふ。此方には既船頭友左衛門、n古え々酒樽を中に水夫と圓座し、銅色の膝露に高胡座、茶碗片手に一座を見廻し、と大の躰軀を搖つて打笑ひ、何奴も彼の·: : ; ' :時は皆眞蒼に成り居つたのと云へば、水夫とも一同言葉を揃イヤ最39.う今度の旋風1/3腹の心底まで震ひあがつた、には、流石は海に白髪と成ら15まれた船明殿、彼の時の落着方は憎い樣であつた、と聲も2た高らかに打笑ふ。折しも突然耳を劈きて鯨波すアレはと齊しく座を起折柄の夜嵐に陸の方を見れば、まtoつて、暗夜の雲を燒いて、天いと紅く、火炎盛んにPhe刮雜雜と燒け落つる物の響きまで躍ゆるほどなり。こぎらく〓ミ稱同こ: 2 Enskれを望み見て、火事だ、火事だ、と騷ぐ處に、一刀提け海岸に走せ出でたふ"し者ありしが、此方に船の在るを見るより身を躍らせて一足飛、波上に紛ざんぶり昔立てゝパツと水烟をあげたるが忽ちみ出てゝ此方の船に淤&ぎ着くを、それ這がしてはよアイ〓が一隊緊しく後より退ひ來れり。此08ゐ方は船頭友左衞門、それと見るより猿臂を伸し、:件の男を引揚げしが、其画見るより愕然として、たうさまオヽ九八郞樣か、といふ途端、彼方は急き込六む言葉もしどろに、ヤ、汝は友左か、この船疾く出せ、役頭首殺られてござ仕舞つた、アイヌが謀反を起したるは、と辛くも語りながら後振りかべ(七一二) : (たれば、アイヌ等は既幾十艘の小舟に飛ひ乘り、鯨波を作つて此方を目が
こエちうこゝろいら〓ととづななす友左衞門は錨を揚ぐえぎ(八一二)ゐけ漕ぎ寄せたり。九八郞は心焦燥纜を切り拾つる。かこPE とこrese :の6.水夫は齊しく船欄を取つて此處を命とえんさ、えんさ、沖を望んでこいさてミはやされど「數百の敵は早くも船を取卷きて、とりまわれ:漕ぎ出でたり。我先にと武器を÷せんちゆう露み売いなとこしやくと友左衞門、ざゑ·)もろはだおしね·26揮つて船中に亂れ入れは、何ツ小癪な、双肌押脫ぎ權を揮こん くラツ:らうまたてにあれたよるサムをいう九八郞亦手疾く刀を抑つて前後左右に斬伏する。:つて散々に擊散す。水2か.÷るこつつL LEE天六つひたきい夫も齊しく權を振揚げて、此處を必死と暫くは戰ひたれど、終には多勢10何れも無修なる最期を遂げぬ。むの敵に取急れて、友左衞門九八郎の雨人こさとさゑにちりやうどん紛1/きe壹てこれ今は數ヶ所に創をりてじりゝ〓〓と引するのみなり。リも、敵は是をみからラそのいきはあた元うみと見て、一齊に哄と喚いてかゝる。其勢ひに當り兼ねて、二人は海に飛びこ:うんじやうやHやけ〓かいじやうふたい込んだりこの時運上屋の種はドウとばかりに焼路とて、海上再び闇のよをて〓みCOらうどたい夜に成りぬ。アイヌ等は、既に敵の無きを見て、貨物を奪ひ盡して、松明數多投入れて船に火をかけ、なけまx勝間作りていづれも我れも暗顔に、ごこの地の宮長なる關芳がへと引掛げ行きたり。オツテナ;ごまぎむ; CECごよさむらつか九八郎等は、闇に紛れて、夢中に暫くは泳ぎ去りしも、したゝか戰ひ疲のちてるしはたら日とはoれし後とて、手足の働き程なく弱ケ、遠く遁れ得べくもあらねど、岸にてるがたこ1こゝろもとは歌ありて上り難し、何處にか泳ぎ着かん、と.心元なく思ひながらも、:むかいつそう:うかをりbcたいい闇を透して向ふを見るに、ー焼の小舟らしき物浮べり折柄の心の所爲ふた七こ〓もかづPh二人は是に幾分の力を得て咫尺の間に近附けば、い<かと怪しみつゝも、嬉はたのでchaのなかひとふたり〓:30しや果して望む所の物なりけれど、中に一人の人あつて、二人の舟に近えみづそこふかてp.すこれを見て友左衞門は、が、深くくををみ紛附くを見るより權を振揚げたり、さつ言うしろほふとベリニ右ceあしせしがやがて其舟の北後に廻り、舟緣攫んでぐつと引く舟なる人は足ackよろめすきさうはう店を、うでッp.塲を失ひ、幽腹く隙に相方より翻然と此に眺り込る利腕むんずと引頼む。つかふピ口÷54ちよこさいけだものめ掴まれたるは踏ん張つて、弛みをくれて振放し、猪口才な獸奴等、このと威勢を示して思つたり。レ老爺をば何と爲る、譯(九一二)
(〇二二)第五十回その聲聞いて友左衞門、こゑきぢゑ:すかさしのそふなめとバレ闇を透して差覗き、ヤア船主かと思はず知らずいせんどう明かつたか、ことろ云ひ出づれば、かなたことばオ船頭か、と彼方も驚きて言葉をかく。27 :)上れば友左衛門は、六さゑえ船主御前は如何してミヤア茂兵衞か、と九八郞も船にて彼の塲を逃げて退けたか、よくまあ逃げて出られたの、此處で御前に遇こBつたのは、夢ではあるまいか不思議な、といへば與兵衞も喉コを塞らして、ことまる〓じらつきやつとその後の事、は全で中さ、こを:とし彼奴等が飛び込んで來居つた時、齡こそ老つoよおのれらぜいおそあしやうばいたれ此與兵衞、モうかでの汝等風情に怯れるやうで蝦夷の荒海に商買が出來る者かニひんまくにん、はりたふなはこつと腕引捲つて二三人撰倒し、すねツぶし尙も經りずに來る奴を脛節にてあしらひつ·aかいさぐBABにくつ眼に物見せんと接授れで暴のことゝて生憎無服、シレ:にんたちなら折から四五人立列び乃錯銳く切りつくる、す引外して飛び退く途端、たん片足舷頭踏み外し、ににP Crkかまと思つたは却つて僥倖、にれて海にざんぶり、しる且沈たん仕舞ツた、一んでぶツグてなかこのこぶねさいばうちのくり浮べば、手近にアイヌが乘り棄てし此小舟これ幸ひと打乘つて、あぶなEAXが左衞門、ず危険い處を適れたのは、たと悪く思つて吳れるなよ、再び取つてかへしよせんこツちところ徒死するより此處は所是此方が勝てるではなし、ばんしゑん返した所で-番思案ていたらく警とまつまへひツかへ2nミcavたん如何がなして松前に引返し、この爲躰を訴へて、御前を首二十五人彼奴等をばツさり唯一網キャpあみさかばりつけの水夫の仇、逆傑にも爲て賞はんと述げ延び:かみナ委は判然見えねども、こちらおよたしかた、この闇の中此方を差して泳いで來るは、確にアイヌと合點したが、來たのは笑外二人の衆、beこ紛俺は未だ何うやら夢の九八郎も胸をでおろし、わか樣な氣持が爲る、こ:といふ。仔細は何か分らねと、眾耳に水のアイヌの謀反、むHBSこととうはじめばん,られた上に番家まで燒か暴の事とて役頭首やわれれし上は武士の身として此儘如何も我は逃れがたきところなれど今と成みこのまゝど2かなニ、こなにこのふねはや〓るやふつては返らぬ事何はともあれ此船早く此地を漕ぎ離れでは危からん、と語るに合縣だと友左智問、:たニもからこぶいつちやうね〓がひ店修練ひし腕に力瘤、わづか一挺の練權に舟(一二二) Eたやす大黒島を左に避けて學片激を雖無く漕脱け、:ひだりよ3ツわんなんなねいまを箸より容易く動かし、今
せんほうしま長ceしはかか(二二二)や仙風趾岬を廻らんとする時、ほがらかに東白みて朝の汐風袖冷かに吹ゆふべきかへす。九八郞與兵衞の兩人は昨夜の動作に打疲れ、那時の間にやらもたを占め舟緣に靠れて熟睡と寢て居りしが、頓に舟の搖るゝに眼覺し、欠伸しな乙酸〓2 190あかがねいろッばた君がら頭を擡ぐれば、友左衞門は濡れたる者物を取捨てヽ銅色の業練留、たいちのばとう〓〓しはざゐた今や撃々潮騒激しき仙國際岩の如き躰を巧みに縮めつ伸しつ舟を操り、ばisルどま岬を廻りかゝりぬ。漸く岬を廻つて岸に沿ひつゝ漕ぎながら、不圖陸のかたのぞにんな紛方を望めば、この邊にも事あるらしく、アイヌの五人十人と隊を成し、さゑこれこ."友左衞門先づ是を視我々に武js器を携へて、彼方此方を走せ廻るが見ゆ。6 3 aて二人を振向き、イヤ此奴は浮とは行かれぬは、彼の向ふを見玉へと二Bis vb人に指し示す間にも、アイヌが一群此方を眼がけて舟を出さんとする態;とほうゆ6なり。九六郞屹度見て、成程これは浮とは行けぬ、若し彼奴等の目に着てcumいては、多勢に無勢到底も敵はじ、オ、幸ひ彼處に岩の見ゆる彼の蔭に표なな た隱れて眼を避けん、と云ふを友左衞門皆まで聞かず、舳先を其方に漕向けたり。第五十一回友左衞門船を奔らせてちに最下に漕ぎ着くれば、ゑ天下さいは幸ひなるかな岩ケ根左に奧深く列れて海上然の窟を形せり。はx右これ屈强の隱處なりと舟を小Enk s。ツツ岩わり。暗き處まで乘り入れしに、此處に亦萬一を慮りて尙そのいん〓〓さんにん紛後方へと漕ぎ入りしに、怪岩日光を遮りて温氣陰々と充滿ちたり三人は何んと無く身毛彌立つ心地して雲時が間も居堪らず、たこ、今や舟を漕ぎ戾sが取をさんと爲る時鷹の入口透と覺えて、練權の音頻りに響く立つれ近寄る多数の話屋、ば此方へこれより先に見えぬを思へば、何んでも此〓にや窟に逃げ込んだに相違あるまい、と語ふ間も無く早くも幾隻かのアイヌ台PCS Bさ二)が小舟は、舳艦相含みて突進し、三人が潜みたる岩の彼方に漕き來りし若しや何ぞと見進へたのみ,が居らぬ、見えぬ、此程捜して見當らぬは、
これではあるまいか、是は如何も左樣らしいと云ふものあれは、(四二二モイヤ〓〓サ:たしさんにんづれ" IS.決して見違へは爲ぬ、確に日本人の三人連、こゝに入つたに相違はない、おくふかにこんといふもありこの奥深く道入りはすまいかと一人が云へば、イヤこのらのあとれふLこたんウッと背れに這入れば占めた者だ、近きは跋惠加の漁夫芝口丹父子が好例、かニいら此より奥に舟を入れて、無事に出て來た者は無いこれに舟を入れた(ごころいま ごろk々が捜して殺すまでも無くさんとんおそろと爲れは、我最う今頃は三人とも可怖しメン子かじゑじふここはか〓ロン白龍神の餌食に成つて居るたらう、舟漕ぎ戾して他方を搜さうとcmにさちどうセよねか大の云ふ成程左樣だ、と一同は齊しく舟を僧を返す。これにて隠れしんこレン3一八も居いつたまンツて高三人は幸く虎口は通れしもそれと聞いては堪らず、追手の舟六ぼツ2にんゆめ顏見交して吻〃なの去るを待ち、辛くも、ガを漕ぎ出したり。三人は夢心地、と。息天を飛して難爲に卅を隠し、〓B上レつかれヲ雲時疲勞を休むるに、おほいづれも大いに飢渴を覚えて果は殆と堪へ難く成りぬれども、mなミニ10いちわんめし陸には敵あり一椀の飯ムとしhsとうしえEAKをりよも求む可からず如何にしてか凌がんと一同思案に暮れたる處に、折好いツひきおはひらめ2こたふなべりつく一尾の大平目浮ひ來つて舟線を突くが見ゆ。みともざたもんまか大いに悅び、22cかひふるうちころひきあ店も友左衞門先づこれを見てしめ梱を揮つて擊殺し、てん引揚げて二人に示せば、ゐたらうかれたぬこれしはあら天の與へと九八郞、しよくそのあち刀を拔きて之を截り、ばひすこぶa汐に洗つて〓するに其風味頗る美なり。か雪なんのがこまたなんくして一つの難は遁れけるが、たおきあひこたのがこ此處に又一つの難あり。はこれより直ちに沖合に漕ぎ出して遁れんには、こへんしうとてのぞと木の葉の如き扁舟の到底も望みは途け難がた3.そこゅ。てきどくじんLo岸に沿ひつゝ漕ぎ行かば、さび〃をは128終には敵の毒刄の錆と爲り了らんは疑ひ紛な無し。さればとて徒らに那時までか此處には在らん、むらいっこゐしよせんなみる。5いるいきしモいプ所詮無き身と絕念めて、沖に出でんか、岸に沿はんか、せ3Mひやうぎたやすほとまさすかふし:)店6孰れに爲ん、と危みて評議容易く經らざりしが、b流石は武士の九八郞、こムはげ:むかつて突進れ、つツばし15 1 503すな二人に向つて聲を勵まし、ことせんぎ沖に向甘く行かねば命を棄てる丈の事、いBいへば、ともざ友左衞門、〓るん沖だ、もかひおりといつき詮議は要らぬ、ちやうこ13極つたとヨヨ〓となと權を追取つて、一氣に四五丁酒ぎ出したり。りくちやうすとほのゼ沖へ沖へと離れつゝ陸地の靜動を這く望めば、さくんこのち(五二二)ひとこあみかしこ昨夜あたり此地に於いても齊しく事を擧げしと見えて、たしかおのふうんじやうやあ彼處は確に昨口まで運上屋の在りしと思ぷる~い
いツびきごほひらめ:こふな,っさく一尾の大平目浮ひ來つて舟線を突くが見ゆ。みne近もんまみ友左衞門先づこれを見て大いに悦び、ごとんカ·六て撃機し、ころかた〓欄を揮つ引揚げて二人に示せば、ゐふたりてん天の與へと九いた汐に洗つて食するに其味 原る美なり。八郞、これごきそのあな刀を拔きて之を截り、はひすこぶぴかくして一つの職は遞れけるが、ここれこんたヾ此處に又一つの難ありこれより直ちにおまあひこが木の葉の如き扁舟の到底もは沖合に漕ぎ出して遁れんには、ごとへんしクてのぞとがた望みは遂げ難;てるLo岸に沿ひつゝ漕ぎ行かは、コきくじんこびをは2mp終には歌の毒刄の錆と爲り丁らんは疑ひじゅ紛無し。さればとて、徒らに那時までか此處には在らん、るしよせんなみ:所詮無き身と絕念Lモりめて、沖に出でんか、岸に沿はんか、きひやうぎたやすまとまf "ム:孰れに爲ん、土五むかと危みて評議容易く纒らざりしが、こゑつツばし流石は武士の九八郞、二人に向つて慶を勵まし、沖に向甘く行かねば命を來てる丈の事つて突進れ、505たけことせんぎいまともざ もも詮議は要らぬ、極つたとざ&淋b.ジとらnいへば、友左衞門、だ、と權を追取つて、氣に四五丁漕ぎ出したり。ろやうこた沖やうすとほのぞへ沖へと離れつゝ陸地の靜動を違く図めば、ミこのち〓(五二二)昨夜あたり此地に於いて22ことも齊しく事を擧ばしと見えて、かしこなしかきのふうんじやうやゐゞ彼處は舘に昨日まで運上尾の在りしと思
ゆきけ上きとじる(六二二)はるゝあたりに今日は火の後の烟わづかに見えてアイヌ等の往來するさまのいと〓〓幽微に見えわたりぬ。なかひさいは幸ひにして海靜なれば友左衞門は雲うみしづかreすゑ〓ヒヒ:にしみなみニチよねはこんぶ9 L時も休まず、沖合を西市一と早五六里も井を進めて見市森の沖にかゝりちよまでおきあたりめふばえそらうつくフ。なみけるに、向ふは何んでも猪麻別の沖邊、夕映の天美しく連なりたる波のさんにんこれみジン高しろみ三人は是を見て大いに上に、何國の舟か帆影雪のやうに白きが見えめ。ヒトルとぶをaはしきたかよろこさとさて彼の悅び、數助を求むる印を上げつゝ飛が如くに舟を延らせ來る。かうえいまるさふとはたひるかへかなたきに所ふめちかよ彼方は怪み誘紛船眼がけて近寄れば、幸榮丸と筆太に記しゝ族の飜れり。りながらも視を移り獨を投げて三人を乗り移らすれば、上つななさんばんうつ九八郞はじめ皆:みなのにこのたびだら(せんそうはじめおほおちろ彼船に撃ち上りて、船頭首大いに驚き、イヤ今回の次第一々告ぐれば、しこれ是は宜い事を聞いた、若し知らずに行かうものなら飛んでも無い目に遭こんどさうめう入もちモいるゑんEnh圓う所であつた、それでは今度の騒動は唯この邊ばかりで無く爆死地ドうこもとおつ何んでも陸たいらん爾開けば此方へ來る途、もも梅穂の沖合で、の大亂と見える、あれとき: 8うんじやうへISは火事らしいと云つて通つたが、くわじ彼は彼の時白糖の運上屋を燒き拂つてゐさうゐこれは虛ケノへへ寄寄れぬ、そか居たのに相違あるまい、よいのちあきなでおもてたうや、生命あつての商買なり、九八郞は船頭に打向ひ、:ニと面を變へて當惑す。あきなひとき25とつとへもとより商買など爲べき時ならず、早く松前に船を廻はしてだいちゆうしん¥5となかもつみこの次第を注進せずば後日汝等にも罪あるべし、疾く〓〓船を松前に乗り廻せよ、とまつこまはふなぬし船主こゝに居ら;ばときたれさんずとも非常の塲合のかゝる時なり、たうざはからあし誰か汝の當座の計ひを理しといふもたうむんことのあるべきや、ことせんだうと理の當然をもてゐせば、かうえいもつともこ、幸榮丸の船頭も實に道理と點その頭きて其まゝ船を後へと戾しぬ言あともど第五十二回こつミヘけしんにrき松前家の臣に蠅崎作左衞門といふ男あり。き〓さいこいろをちからつよいこととう〓ろうまにと19)心雄々しく力强く、如何なる事にも動ずること無くたいい自ら古の勇士に比べて、'しやうこうたことなヒラおい太平の世に生れしまゝ一生功を立つる事無くのでCLAWなか(七二二)徒らに老に臨まんとするを窃に欺く折もありけけばんあた當の如く庭前に出でゝ獨り身を鍛る刄引つねCり。今日も非番に當りければ、ひとみは
たヒぶりかけきゑいさしきりほけusをからうしよく御家老職より(八二二)の太刀の索振に懸聲も勇ましく類に屬み習ひ居りしが、ようれんみたくそこくはやこゆし少しも早至急の御召と用人の云ふに、身の仕度さへ勿々にして、くと登なにきとじゃうちゆうおほひろミともしびひかりさんらんかゞやわたわ:城すれば、何事ならん娘中の大廣間に燈火の元燦爛と輝き渡り、家老佐とうきんざもんしやうざまつまへすゑこんだまきく;たベ雪藤權左衞門を正座にして、松前儀左衞門、樋田孫九郞、仁井田部瀨兵衞、あひばらないきたうけれち〓〓さいうかはかカちゆうハめん〓〓せき なみ相原内記などいふ當家の歷々左右に扣へ、その他家中の主なる面々席次年Cimき〓現もんこゝろひそかビきはこまつざて正しく列つたり。作左衛門心窃にこの塲の樣を惟んで、末座に手を突き、こんつみわをは·ごんざゑもんじやうざ三七みくだr大きうじまち紛遲參の罪を謝び了れは、權左衞門上座より遙に見下しオ蜩崎氏か待ロすゝおのくごめんくだ兼たり、ずつと進まれよ、いざ〓〓といふ。各位御免下さる可し、カルモミ: :權左衞門凱崎の。逞しき顔を見て、ゑもんかきざきたたえいと谷に進んで席に直りぬ。貴殿は未だcoざたびひがしちえセこんともととう壱る時此塲の仕儀を知られまじ、この度東地にて、蝦夷人共徒黨を爲し、當家、にんころうんじやうややすかはしいふる はの役人を殺し、運上屋を焼き來てるなど、上を上とせず、恣まゝに振舞とこんにちのとのくに、としやうせんおつえいまるささんたひ居る由、今日能登國七尾の商船、幸榮丸に數はれて歸りし、三田九八(一:ゆうしんことあき:とミなうまつまへけ郞の注進にて、事明瞭に聞き取りぬ、この儘に棄ておきては、當松前家ゐくわうこLかいの御威光にも關はる次第なれば、すこはやうつてさしむごじつふたゝうれむゆうぶんうちたたうけ少しも早く討手を差向け、後日再び憂ひの無いやう充分に對懲し、みくわうら當家の御威光を示しおかんと思ひて、い3ところ今その評議にがゝりし所なり、といふ。ミんか6 ,ことばまちか作左衞門は家老の言葉の了るを待兼ね、席を進んで覺を厭まし、ご案(chang)い〓〓〓。ものめさりとは可惡きうしよくいかにも御家老職の伸せの通り。めぶとらその儘に赦しおいては、:うさぎめなはこ虎なき山の兎奴等、よい氣に成この御役目は誰彼と御議あらんより、たれつて跳ね廻らん、やくめふれせんぎごからうしよくぞん御家老職にて綺御異存なくは、さくざちよいとい作左これより鳥渡行つて、よまる〓たゑようゐ宜いやうにして參らん、とい仁井田部潮兵価容易ならずと膝押進め、ますおしすゝふLec zカラまき20イヤ暫く待たれよ蜩崎氏、たびえモじんどもかみいかにも今度頭夷人共の上を犯すは可思けれど、〓〓BOOか¥やくなんなところまたはなばよろ仄に聞けば彼の地にて我が諸役人が爲す所も亦甚だ宜しからざりしと云ふ、それがし:しよちここと某おもふに、この度の處置は、先フ〓便に扱はるゝま去る暴々しき事を爲んより、;こたうけが御當家の御爲なり、たん·yおん(九二二)また刄を以て鎭めんより、恩を以て懷くるが、ぶヒなが、にこの後の無勢ひ熾に燃え廣がる山.人事を消すには水より銅崎氏。Eaこえ事は長く續かん、いちやまくわニのうかき: 2
こん: : :てふまたいよういかちうしよくnub (〇三二)四邊の草木を切拂ふが火の手を防ぐ第一の用意なり、御家老職を首とでんまくかゆうすこしたまうてして、貴殿も薄々は彼の地の情况を聞知り玉はん、それには討手を向けかもうしよくゐぞんそれがしいちにんえモくだドほ2.んより、御家老職にて御異左なくば、某一人鍜夷地に下り、遠からぬ中;)ミ&もんいろなながこと鎭搖めて參らん、ミ霹といふ。作左衞門色を作し、さて〓〓御氣の長い話、g )ナルなるほどいつたん〓を続香の火で福着物でも、るやうな御考せんこの成程それでも一旦は鎭り居らやまくわあんあたゝまりうが山火事を消す段には、地の暖氣まで冷して置かねば、風の吹く日けき〓でんさくざよてひんそん紛が氣にかゝる、その火を消すには貴殿より、この作左が善く手加減を存ヒいきんざゑもんふたりaりやうしよゑ權左衛門二人を制し、じ居る、と瀨兵衞を疾視んで息卷きたり。御兩所ばたうけ言葉はおの〓〓異れども、らchx chaむい心は何れも御當家の御爲を思の言はるゝ所、は〓さんいおもんいづいづまをがたたびえぞじんどもはるゝに外ならず、權右衞門孰れを號れと申し難きも、この度蝦夷人共こミふるまひつみまさあたげんざいやつの上を恐れ憚らざる振舞は、その罪正に死に當れり、現在彼奴等上なきロー:たヾ口頭にてのみ、ははんは、ことすこ大氣を犯し居るに、;〃;事少しく緩慢なり、ま;もゆうしんょフらんどうろう:00にはん2た九八郞の注進に依れば、彼奴等の亂暴狼藉なる、我が日本人とだに見たれわれ; +せつがいなとしに〓たベ:5こたうけiんかたれば、諸彼の容赦なく殺害爲す由、仁井田部殿は御當家の重き御仁なり、みやふと1てのもの2こたまおんみかろさる危き塲所に手勢も連れられず、獨り赴き玉はんは、御身を輕んぜらことえききEこの殿の御思召も如何あらんぼしめしるゝに似たり、この事の江戶表に聞えんには、ぞんたびやくめむんそのしよくかき「bニまをと存ぜらる、この度の御役目は、寧ろ其職の蜩崎氏に讓り申されよ、と〓モさくざ五もんえやすンいふ。潮兵衞眉を顰めて扣ふれば、作左衞門得たりとばかり身を搖動り、それがしろモまかりくだ」よ;こいごんさらば某明日にも蝦夷地に罷下つて、宜き樣にして參らん、といふ。權左衛門打點頭、2 'ゴいくきてのよるとさらば幾千の手勢を從へて行き玉ふぞ、たちさくざゑと問ふ。作左衞!!んこた門音も指c Bにじふヾん: :らず、何四五十人もあらば十分ならん、と答ふ。蜘崎氏、とごん ざゑ〓これおかモこつせんぱんをよ久ツ權左衞門は聲を高め、そは粗忽千萬なり、能く泳ぐ者は得て水に瀧るゝためしでん)忠いたまにんてのものぐるゐ例もあり、貴殿いかに武藝に秀で玉へばとて、わづか四五十人のエ丁勢位ごんやくめはたえたませめせんにんカラにて、いかで御役目を果し得玉はん、切ては千人ばかりにても從へて行作左衞門耳にも止めず、ミざとこからうしよくことばごかれよ、といふ。こは御家老職の御言葉とも覺(一三二)··ESとロとコsまつまへけひ〓えず、風に埃の飛ぶにも等しき彼奴等を取つて壓ふる位に、松前家は仰
日はさてのもの、くりたビた(二ヨ二)はんp.まを仰しく、左程の手勢繰出したりと聞えては、他藩の嗤ひを招き申さん、それがしにんむゆうぶん〓こゝろもと左某は四五十人にて充分なりと思へども、:御心元なく思し召さば、二百若にんぐらゐいたまをせんばんくば三百人位に致し申さん、と胸を反たち千人などとは、ヽワハ2カルかほつきこ、もして打笑ふ顏相は、いと心地よげに見えたりけり。第五十三回よなかなにことこうみやうわれミツさきかね世の中何か事あれかし、こゝろが功名は我眞先にしてくれんと、兼てより心懸けつる彌﨑作左衞門は、こゑえんこのたびとしきろがミニaさうどう騒動取鎭めの上意を樂り、Lじやういかうむ今度年頃の願ひ屆きて、いめん登れごとこらにんての:ひきつえぞち家の面目身のを署なりと悅び男んで三百人の手勢引連れ、蝦夷地を指して〓地に走せ向ひしがまツしぐるは:みすこわあたL途次もアイヌと見ては少しも赦さず、見當り次たいタツいまくくびさくざ作左衞門が向ふところは、ゑえない第に追かけさせ、一々首を列ねさすれは、鷹むらしはうのがはしさんちゆうかくに追はるゝ雀のやうに、こうアイヌは四方に通れ走つて山中に身を認し、荒のさくざゑもんうる作左衞門馬を止めて此の躰を打見遣り、このうも〓き息をも吐く者なし。さつE.いきはひがしえzㄸむかおに我が察しの通りなり、いでこの勢ひにて東蝦夷に走せ向ひ、鬼ずにひうま:よローかね いはや菱めを摑み挫がん、いづれも續け、と馬を跳らせ、晝夜を兼行き今は早をざもんけ長万部川の頭に達しぬ。aこベこたつさくz Eks作左衞門今日は是非ともこの所まで來たらんとこどどうこいBEが로っこらち思ひ定めて一同の心を勵し、我强くも終に此處まで來けることゝて、同大いに打疲れ、つかはやにしかたぶこ10こなん日も早西に傾きたれば、今宵は此處に歸營を布きて、Giveねむわたとかく2. :30ミき暫く眠れ、と云ひ渡しぬ。兎角する中日も暮れて、藍も滴り來たらんば:ひかりみいおみかはかやさニわたかりの天に、光鮮かなる星の影ばらりと見えて、川風涼しく吹渡りぬ。さくざzゑいかめさたばこナいヽひがしえ作左衞門は只ある木かげに廢然しく座を占めて、煙草吸ふ間も心は東蝦たちはとり日くまざゝへでなに도やうす夷の天に走する折柄、一むらの館笹兩てヽ何やらん事ありげなる様子なにはをとこしば しおもp.こつツたこのときかのとき あと:くせものり氣早き男の雲時も落着ず、彼は、と突立つ此時彼時前後なく、曲者めしとよばGTうしろでくヽりあおり〓〓あゆあり、召捕つたり、と呼はりて、一人のアイヌを後手に縛揚げ、疾々步かつみはりのものにんに(日)さくざめと喝しつゝ番卒の四五人して、我が前に引立て來たるあり。作左(三三二)もんめみはなにやつとがみいちにんひざまづもの たす¥衞門眼を睜り、それ何奴ぞ、と各むれば、番卒の一人跪き、この者只今
なんやきうす(四三二)ニひきr物かげより陣屋の樣子を窺ふは、て敵の斥候にみ怪しき奴ぞと引捕へしが、さうゐ3相違ござら、ぬ、といふ。さく作左衞門見る〓〓〓の色を變へ、ゑもんひいろこくに、と命めいづつたひきっえんきつとREこゑBIE L 8 sレキじて一刀引着け、件のアイスを乾度睨んで聲を勵し、ヤア洒落臭し、洒落臭し、奴等風情の分際で、せいぶんざいなんやC.1かきさcityとら我が陣屋を窺ふは、風にも縮む野兎の、虎の住所を覗くも同然、:かのでこんサア何處より來せたるぞ眞直に白狀せよ、ちつまツすぐはくじやうと喝しかつたり囚人は少しも屈せず、とふ れれすこsさくざ作左衞門を睨みかへして聲振立て、ゑ〓につこまふり大將鬼たいしやうおはびしどのミは!斥候に向ひし此阿部華、このゐはなうんつたなニュて紛菱殿の仰せに從ひて、運抽くして汝等が手にはに捕はれしも、こま細言聞く可き耳は有たず、この首くれん、ないさぎよ潔く受取れ、うけとと覺悟の面つき、か心とみ※生命は厭はぬさまを見せたり。きんざえ言ふにや及ぶと端左衞門、焦燥つて刀稱に手とかけしが、てなど低何おもひけん顏色直し、なほワおにびしたいしやうことかつくんぬひまめ鬼菱めを大將とは事をかし、つぶほど15かほ聞けば其奴は補縫に豆粒程の城を構へ我が松前家に弓を引かんとする由なり、まつまへけと:ウチン高が烏合の僅の手勢、それもアイスの飜類奴等、人〓に向つて何程の事をか爲し得ん、こんされ はさこと我これより走せつ2〓おのれこゝろこ〓とわけて一揉にしてくれんのみ、よしなき者に從はんより、汝心を改めて我いのるカチさとはな:が言ふがまゝにならんには、生命を助け得させん、と諭せば阿部華は冷xけばcrkめくるへびたpenことシこしき山を後にし笑つて、盲蛇に怖れずとは汝が事なり、鳥も越え得ぬ鹼くん ぬひたchよたま:2況てしたかこだいふ、前には裙縫の流を扣へし城に據り玉ふ鬼菱殿、魔下の數も次第に增いせんよxなほひしよなうオツテナvoさこりして今では五千餘人に及び、尙日を追ふて諸方の酋長、手勢擇つて先をㄸふつこれたいしやうとca是を率ゐる大將には山をも引拔く沙良製ひ、我おくれじと走せ集まる。·Cabばんぶ:しめんくよツと無線こ たんとの紛岩をも射貫く古丹比留を首として、萬夫不當の俊苦、佛登鬼、ニモちかころしうねらまち此火利、Co仁征矢の配々は、腕を擦つて力足、奴等が來たるを待受けたり、レひんちゆうたが醜を見首を洗つて行き居れ、こと属れば、陣中いづれも聞怖して、相互にたうりむL 2 :作左衞門陽きも了らず大音張掛け、ミぎ館せたり。默止り居らうぞ砂按子め、なんまんにんあた'o五千餘人はおろかなり、よ何萬人居溢れ居らうとも、多寡がアイヌのへろ2 STいき、うちわ〓はん たうR〓〓共鯨の糠鰕を追ふ如く、追散さんは瞬く間なり、我が日本刀の切五三二)るハまけといつたうつかPこゑゐ装d味見せん、と叫びも了らず、一刀摑んでエイの一聲、阿部華の首はころ
ン(六三二)りと地に落ちたり。さくざEこんみはきのものしやうずなはたんなふゝ作左衞門は推卒等を實突して摺も油断無く心を付けめいそのよミことな明る朝よ、と命じて面前を去らせたり。あく其夜は再び事無くして、となれビあと長万部川を渡りて進み行くに、とさベわたばこの塲を後にし、バあな た: :たち わた彼處の山には霧立渡り、こな た此方の川には湖の音早く、みわたかぎsすヽかや見渡す限り熊笹の、風をふくみて露おもさまえモ蝦夷は蝦夷にて〓た。しほの朝思色なり。モげに見ゆる樣など、あさLこゝろせは性急じき作左衛門は目も止めず、ゑとけinかならnぶんひたふけ今日の日沒までには、必ず禮文華峠の上まで行きつかんと思へば、こゝろいも心焦燥一かるはひひたずらいそ言さて同を勵まして、-向急ぎ行く折しも、行方ひとハ:に一人のアイヌ見えしが、みいつ熊熊の競音の:それツ、と云ふ間に逸早くも、なかとこ中に飛び込んだり。さくざ五んんよしきたまがうちと作左衞門この由聞いて手綱を控それ捜して討取れ、:ごとそのあと"といふ。これに先達、疾くにも其後追かけし者ありしがやゝありて笹の中より出で來たり、こんPあたまいかに捜しても見當り申さず、といふ。これしく〓たさくざえうちうなまでにも屢々ありし例なれば、たづなかいく:ふもと作左衞門は打〓頭きて手綱掻繰り、これより山の麓にかゝりて、右へ〓〓と總りつゝ行くこと凡そ七八丁にして、めぐおよそ33しつぶうじんらいたちまちcoときたがぜんごひときっと,つく疾風迅雷、忽地〓あり。時も逹へず前後より齊しく此然と鯨波を作りてエさくざゑもんみキリおツとばじやうみでおんじやう寄せ來たる。作左衞門見るよりも鎗追取りて、馬上に身を反し大音聲まつまへにうつてかと:さきさくざゑえなんならけたものめ松前殿の討手の頭、蜘崎作左衞門これにあり、汝等アイヌの獸類奴等のaこをはやりひツしこ; Laむらがらすとと目に物見せん、と叫びも絡らず、鎗引扱ぎ、引扨ぎ、群鴉の飛ぶが如くにくてきつきたふつきたふほうこり÷こな たしゆんく:に走せ來る敵を突倒し、突倒し、暴虎の勇を振ひたり。此方は俊苦、佛ふたいのちしがうリさハえ··よるゑば登鬼二人、いづれも命知らずの强力、おもひ思ひの武器を揮つて、餌におほかみたまたにくみといまはおしならこ五えまなこき:紛餓ゑたる狼の偶ま肉を認めし勢ひ、押並んで作左衛門に眼を注ぎ、先をゑもんみばやしぬんくの 2たさくざ手早く鎗を引扱き、て爭ひ斬つてかくる。作左衞門見るよりも、俊苦を望つツえしゆんくhe山彎刀揮つて跳りあがる。なたふる:ミんで突かくる。得たりと俊苦は身を飜し、作죠えた、つツEまたつ日ふうと發すばやひだ左衞門こゝぞと一再び突かくる。拂ふ。又突く。その隙に佛登鬼素早く左:ごしゆんくまたしゆんくてきひと方に回り、鎗を拈つて搆へたり。俊苦は又俊苦にて、この敵他には討た··たけteをさ正面より勢ひ猛さくざせじと、跳りあがり、跳りあがり、く斬りつくる作左(七三二) 2いらだやりきねつぶんひヅしきするとつツしゆんくP衛門は焦燥ちて、鎗充分に引扱ぎ、えいツ、と銳く突かくる。俊苦は翻
か(八三二) Tぶツとすまさくざcええ佛登鬼こゝぞと狙ひ澄し、わきr然と身を飜す。とは作左衛門の脇腹を柄まで徹れと刺貫いたり。子ザがうりはべりを品こゑやりしつかP流石强氣の早雄もウンと一聲、·その鎗礎と擱んで拔かせはぎ·:ふたりコとECず、E切齒して、二人を乾度睨み居りしが、&好とうーん、この首與せん、受取と勇しく云ひ了つて息氣絕えたり。psたれ、第五十四回か〓ざきまJゑえひとてこころ蛎崎作左衛門が?紛ニ150道一手の勢ほと〓〓殺し盡されて、却つて敵に勢ひを付くミ示とぐんぎまつまへじやうるに止まりしかばし再度の軍議は松前城に開かれしが、けはやかたむ今日も日の既傾く頃、ころいづれは君の御爲なれと、;おんため1 Enkたがひざ各自おもふ所を陳べては、互ひに膝をニンatさひやうぎまとま進めあひ、さ負けず釀らず爭ひし軍の評議も纏りたれば、いつしたい遠一座漸次に退き去りて、まつ松前侯の大廣間は、まへこうおほひろまるE.な: aとうごん左衛門は後に殘りて、もんあとのこの暴風雨の頓に風ぎしやうなり。ごまい家老佐藤權ミ物おもはしげなる體なりしが、ゆこ〇今しも聞ゆる入相店:たちふレゴ〓〓さナ言の鐘に席をば立上り、ふすまて:ひき徐々去らんと爲る折しも、袂手暴く引開けて、御しばらtheこませばよさん〓かもうしばら轉ぶがやうに入り來家老暫く、暫く、暫く、と聲も急しく呼びかけて、KhめそとりすがCつつも3いろしろまなこすゞたり、袴の裾に取糎りて凝然と我が顔打仰ぐは、色白く眼涼しき十五六さんざ五おもてごことばせうねん權左衞門見るよりも、の、あはれ可愛き少年なり。面を和らげ、言葉優これまだ: 20すけ何朋あつなれ其許は蝋崎梅之助よな、そこしく、オて是は又、左のみは急しうならしさてつ3すけ呼び玉へるぞ、といふ。ハツと退步つて手を仕へ、おそれながら梅之助、どうしよくシムねが:さんじやうつかまつn御家老職に御願ひの筋あつて、これまで參上仕りぬ、といふ。ナニ願ひSheとたマいまひと〓〓cesうけたまあ紛の筋あつて、と靜に問へば、ッ、只今人々の瞬に漏れ承はれば、今たびえご.ミこ15めうざゑもんどのそうだいしやうせん なん回江戶より御歸看ありし御同苗八左衞門殿を總大將にして、先陣は樋田どうめうぎ五.ばん ぜんxるなベモゑとよこ; :ぱん なん同苗儀左衞門殿、孫九郞殿、二番陣は御三番陣は仁井田部瀨兵衞殿、四ないきばん ちんそうたいしやうc) pusひみやう截陣は相あひばらと原內記殿、五番陣は總大將にて、都合二千の兵を率ゐられ、明えごしゆつなんとじやくねんうめすけきん2朝六ツ時蝦夷地へ御出陣の由なり、若年ながら梅之助も、五陣の內いづ"Gみやうてうとも〓〓しゆつぢんいたぞんr :れへなりとも加はりて、明朝共々に出陣致したく存じまする、この儀何(九三二)とぞ.うしよくそうたいしやうおんとりなしほどDENねがたてまつ卒御家老職より總大將へ御取成の程、偏に希ひあげ奉りまする、といふ。
ごんざ温もんとくをははや(〇四二)はやうめすけかはうちまけなげ權左衞門篤と聞き終りて、ねが早りに早る梅之助の顏打目戊り、健氣なる願ハとまよそのもときとじやくはいひなれども、feその儀は思ひ止るが宜からう、未だ〓〓其許如き若輩の戰たにんぞそくニたうけたびとしさかんに立たずも、人數に不足を覺ゆるやうな當家にあらず、この度は年壯な雲る人々に委せおき、ひと〓〓まかわる悠々學問武藝の道を勉め勵みて、(がくもん)けいみちつとはひ往々は御當家の御ゆくたうけじんため爲に、あツばれちゆうぎはげさけあつときまとうめのすけ2めし天晴忠義を勵みくれよ、と情も厚く說諭す。梅之助は可怨げに、さん ぢ죠えかほうもながその御慈悲は厚なうなさけかたじけぞん權左衞門の顏打眺め、なびらんみん存じますれと、この度の亂民紛え蝦夷人奴等は、ぞじんめきみ君の御仇なり又二ツには、にあたまたふた父なる作左衞門が命の仇なりこ、さくすゑx 25:あだこといまあらたこか:ぞんぢはぞといふ事は、今改めて申さずとも、御家老には、よく御存知あるべき筈うめすけじやくねんまをはやことしこまんなり、梅之助若年なりとは申せども、最早今年は十六歲なり、况てや御か5うおんとりなしよすでわかき:いさうぞくいたをくんぶ家老の御取成に依つて、既に我が鯛崎の家を相續致し居りながら、君父あなよセたびいくさしたらエたの敵を他所にして、¥) aこの度の軍に從ひ行かずんは、かくべつ世の取沙汰は格別なり、きみ君に對してはたい不忠の臣と爲り、:えんかでたいかうこまた地下なる父に對しては不孝の子なは我が家代々のエタめいけがと爲り果つるのみならず、タたうふ武名を汚し、我が武士道も此にすたまをベごか:かちうごんざZもんさまなにとぞ28すけこのロジこん癈れ申す可し、御家老、御家老、權左衞門樣何卒、梅之助が此願ひ御ニくだロニロはがみひれト聞屆け下さるやう、偏に願ひ上げまする、と切齒を爲して平伏したり。さんざゑもんもつともハそおちっ豆ウル權左衞門道理なりとは思へども、益す落着き、一しほ靜にビとしきけはやれうけん我が言葉に從うて、もたびさりとは年丈早まりたる了簡なり、この度のsトらつ4かうなまた不考い戰に漏れて行かねばとて、不忠にも爲らず、にも爲らず、今のcha 1ふんぶハ·ごいきみなにちゆうぎハさくざ所は文武二ツの道を勵みて怠らぬが、君には何よりの忠義なり、父作左ゑんくさばかげかへまんぞくいたそのととかきさまけひとつぶたね紛衞門も、草葉の蔭より却つて滿足致すであらう、其許は頻崎家の一粒種とねがかな:なたじや、おもひ止まれ、その願ひは叶はぬぞ、と諭し宥めて行かんとすれうめすけまなせば四五五すそとりすがとかこづしよくば、梅之助は又急しく袴の裾に取縋り、さらば何うあつても御家老職にうめすけをはなみだは梅之助が御願ひは、いかにもは、と云ひも終らず涙ハラ〓〓齒を切み鳴し、おも元協いろしよせん かん、こくだいきながらかひさ·其ひ定めし顏色して、所詮御聞屆け下さらずば、生存へても甲斐なき體はらかきさをはさしぞへ〇·:ひなこの腹搔裂きて死にて退かん、と云ひも終らず、差添光らせ腹引開くれ(一四二)ごんざゑこんてとぎたんしこ표にこすけかほうちまは、權左衛門その手を握つて、度に爭ふ花にも似たる梅之助の顏打目戊
あつばれうるつやかはゆかはゆさすがこさ:んすなそなた(二四二)り、さ、天晴有爲奴、可憐し、可憐し、流石は作左衞門が血統の其許、を酷く親の義性を禀け居つたり、よこゝろういうちしあんフーム、フーム、と云ふが中にも思案して打點明き、うなふねがおも.しか:、ミっコレ瓶之助、願ひの趣旨、確と聞屆けて遺はすぞ、と聞きとばうめすけそのばてかたじけぞんも終らず梅之助は其塲に手を突き、ハツ、ハヽツ、辱なう存じまする、われ.おにびしこの備御聞屈け下さるからは、·べまツさきむかくびひツさ我眞先に走せ向ひて、鬼菱が首提げくれいにやごんざゑこんこゝろざしけなびおたinん、と勇み早れば權左衞門、イヤ〓〓その志は健氣なれども、必ず共にロや、ことSb "エエそなたでさくざゑルやす〓〓紛早まる事は相成らぬぞ、宜いか、宜いか、其許が父の作左衞門さへ易々と散取られ、とエにんてのふいきながらとわづかさんばんかなら三百餘人の手勢も、生存へて戾りし者は僅に三人、必ずアあなどあやまちゐ口五三Lちゆうぎイマと侮つて、過失有つてはならぬぞよ、逸つて死ぬるばかりが忠義でねんごろをしさとこしさしぞへぬきとなxうめのないぞ、といと懇切に〓へ論しつ、腰より副刀援取りて、イヤ何有梅之頭、と言葉を新め、ことばあらだそなためうゐなんかどでいはひとこし其許が芽出たき初陣の首途を祝ふこの一腰、いさぎよく出陣仕やれ、さしたうめすけうけとおしいたマおしいだヾと差出せば、梅之助受取つて、押戴き、押戴き、ハツにはこれにはこれGこハスづけうめもかたじけぞんみ2るハ何から何までの御心附、梅之助、辱なう存じまする、と身を震むたるむせ;雲ゐはるかに時鳥の、ひとこゑなのナはし、淚に哽ぶ折しもあれ、一聲名乘りて過ぎ行きたり。第五十五回くわんもんじふねんぐわつとをかあかつきゆきにはかおもひがけなくも曉より製行卿に重くなりしが、:寛文十年六月十日は、人々の眉を皺めて眺むる間もなく、まゆbbながまあやばくあめBふな生憎にも雨烈しく降り來たりぬ。さまつまへはちさZえんこのたびえセさいばつ七うだいしやうるほんどお紛ても松前八左衞門は、今度暇夷征伐の總大將にて、この朝の六ツ半時、せんよはんてのしむらまつまへおもてしゆつばつさだぐはや二千餘人の多勢を從へて、み松前表を出發と定めしかば、遲れず早らず身たせいぞろひビしよいたせんきんひたまごく:ての:00びやくにんkkp仕度して、勢揃の塲所に至れば、先陣樋孫孫九郞、手勢三百人を從へてまつ:ゐだいばんなんまつまへぎざ죠こんてのものでくじふにんだいぱんぢんにるた當先に在り、第二番陣松前儀左衛門、手勢三百五十人、第三番陣仁井田で〓じののできじふにんたいぜん なんわvoのひやくれんがふせんよにん手勢四百五十人、つ部瀬兵衞、第五番陣は我が手勢五百人、都合二千餘人つはもの,こうつたキだんそなわきめふという雨中に整しく五段に備へて側目も振らず、〃令の兵(三四二)時刻の來たるを、か、まだまち かね:そうだいしやうざゑもんぜじやうめたか忌はいと、たい未か、と待兼たる樣なり。總大將八左衞門は、馬上豊に采配取つて、第
だいだいえたいばんにいたうちうなプ第五番と関め了り、30 (四四二)一番第二番、50ml第四番、徐ろに打頷きて、〓たきつささ那時止む可くも無き天打仰ぎ、〓めの雨じや、吉左右、吉左右、進め、ぎ〓と聲號令すれば、陣笠洗ふ雨の中を、先陣より漸々に、長き陵などのあしなみしづかかぞかさひがしちいた露動ぎ出でしがやうに、步武徐に繰り出したり。日數重ねて、東地に至れば、こじ1/3定い幸ひと日和つやきて、進むに便利宜くなり、行程大いに果敢取りて、今はややさるがはもんべつ3いべつかんは早長流川を渡り、紋監を經て今宵は知麻伊別に露營を布きたり。この々はちざaこあひばらないなニひと〓〓じや紛夜八左衞門は、相原內記以下の重なる人々を呼び集めて、最早いちじるすみあかづこざあなど、しく敵の巢窟に近附きたり、作左衞門の例もあれば、侮りて輕率しく進ものみはななほよみや끄やつせむ可からず、斥候を放ちて、尙善く行方の動靜を捜り、過失なき樣攻めごブ行く可し、といふ。瀨兵衞先づ〓頭きて、仰せ御道理なり、某おもふに、のscaつたな此より先の斥候には、敵の目に觸れやすき者を遣らんは甚だ拙し、いか.てつかにもして一人二人のアイスをは手懷けて、其を斥候に遺はさば、土地のないあかうたうれなやうすみまる案內にも明るくして、途に討るゝ患ひも無く、動靜も精しく視屆けて參をはないきひざこさいばち:る可し、といふ。聞きも終らず內配はハタと膝を打ち、此處は幸ひ知麻うじゆんけんzどじん伊別なり、某先年此地巡撿の砌、當所にて頁宇宙といふ土人を一人善くみそのせつものこならわ見知りおきたり、其節物數多與せたれば、某に懷きて、歸りの節は虻田ぶかtyばんそつふたりひとまで見送りたり、彼の者在らば、と云ふ折しも、番卒二人して、一人の〓たかててだしいと誘顏に引老いたるアイヌをば、高手小手に縛めて、立て來たりぬ。らうめみとなにやつとがのおんややうナうかゞ孫九郞目敏く認め、それ何奴ぞ、と答むれば、物蔭より陣屋の樣子を窺めしとごaないなひとめaで紛ふ曲者、斯く召捕つて御座りまする、といふ。內記は一目見るよりも手こまめしうどおそを拍つて、オ汝は良宇留にあらずや、と聲かくれば、囚人はおそる怖たさしのぞよろこいろる內記の顏を差覗きしが、オヽとばかりに悅びの色は見る〓〓面に溢れzちかちかなうちまねやつ良宇留か、近う、近う、苦しう無い、サヽ此處へ、此處へ、と打招ながなつかそたx安九男御役人様、にんさまンけば、良宇留はほろ〓〓涙を流し、二、御懷しう存じまする、たまををうま先列山の中より貴方樣力の御通行を拜み申して居りましたに、;あなさま五日:栗毛の馬(五四二)とはめ、きをに御乘しありしは、あな たみ遠目ながらも何んとやら貴方樣のやうに御見受け申
(六四二)の正:先ア何うがなして御目にかゝり、どせんねんシれいまをしました故、あ先年の御禮申し上げたく、ご七ごぜんしよP.まゐこの3) :ご恐れながら御陣所近う參りましたを此有樣でござりまする、ン何うか御ゆるし下され、バと戰慄きながらいふ。おそれをのゝは勢の內記番卒に命じて、ばんそつめいいきしめ縛の繩を解しめ、なはとか雲(B)よゞゑもんはじめいちどうるひとゝなりかたいづうはゴ近く呼んで、八左衞門首一同に良宇留の爲人を語れば、何れも點頭き、ないきp.あひどらうじさつそくcoピと言葉を揃へて急しく迫る。ンのそんせばまま内記に向ひて、相原氏、去らば早速此者を、ないきcyるたびそち5なかなこゝろえ內記頷き、これやよ良宇留、この度汝等が仲間の者の心得違ひして、ちがごと恐白.れ多くも上に向つて弓を引きしは、おおそちPas L紛われ〓〓汝も備に知つてヾあらうの、我々はかみごtoそのムはふやつどもいち〓〓ぶばつためか三上の仰せを蒙りて、其不法なる奴共を、一々重く罸せんが爲に、斯く强てぜいIえぞちんだそなたむろらんしのき手勢を催してこの蝦夷地には下りたり、其許これより室關に忍び行きかしこミヤっるいなそのほんぞレかaヒニて、彼處に彼奴等の在るや否や、また其人數などを確乎と見屆け來たらはうびのぞまかieいかんには、すり麥美は望みに任せて與せん、ユいかに、如何に、と摺寄つたり。るとかく〓あんおよちゆうぎつかまついほぎよcak良字留は左右の思案にも及ばず、ないきe忠義仕らん、と潔く諾へば、內記大いに賞美して、しこうび其許大切なる此御役目を勤むるからは、モ江たいせつこの〓やくめつとつまこたうなんしよ妻子は當陣所にて'つまここっ.こまちしかニシつかェ過失なきやう確平と預り遣はす可し、先づ妻子を此處に連れ來たりて、こう〓〓かしこi .こばた六七ぜんそつ匆々彼處に赴く可し、とかへば、良宇留は拒まず、直ちに二人の番卒といつまこせんしよないきことばよこヽろえ山にズりて、妻子を陣所に連れ來たりしが、內記の言葉を熟く心得て、よさつそくむろらんからほどさたもんよくじつひとち1ぃべつこの夜早速室蘭に向ひたりさる程に八左衞門は、翌日一日を知麻伊別ニふもつかnゃするとミに駐軍りて、途の疲勞を休めがてらに、良宇留の戾り來たるを待ちしが、3.〃づれなつひこの(如何に爲しものか、待てとも待てども音、信無くして、終に此日は暮れぬいちどうひがしかたながかれこれcs : 3つ,ると紛れば、一同東の方のみ眺めて、彼此の噂に時を移)せども良字留は戾ちず、ざ죠ELB :になるたいなていたるく八左衞門を首として、夜は旱亥の刻ばかりに成りぬ。この爲躰に何とはのすでておてceい無しに脇安からず、;ある或者は、既に敢の手に捕はれたるならんと云ひ、まるむうにんてヨおはよみ知利朋、ちわしべつへんた或者は、室蘭に敵の多の見えざりしが爲に、若しくば鷲別邊ゅためちこく々るつとロニまで行きしが爲の遲刻ならん、といふ。この夜良宇留は終に戾らず、他ことなF조もんいまはやにと=にも事は無くして明けしが、八左衞門今はとて、最早良宇留の戾るを待(七四二)いべつなんぁひかモあさyらくち1陣を引揚げて、たず、勿々知麻伊別のはや耀々と充り初めたる旭日に向
むうらんのぞナゝ30せんなんひ(八四二) " Taまごくらうさきてのち=ひ、室關を望んで進み行く折しも、先陣樋田孫九郞の先手の者は、知麻いでコさんちゆうら〃zさばみと伊別を去ること一里はかりの山中にて、良宇留の姿を認めたり。第五十六回〓みさたもんいかにん同じ所に打集りてEchうちあつま真字留見るたりと聞くよりも八左衞門以下の五人は、るめしよでじやうすとるかしね良宇留を召寄せ、敵の動靜を問ひかくれば、良宇留はハツト畏まり、仰したがむろちん、ひとむれわるものあむろこんがはカさんど紛せに從ひて室蘭に走せ參りしに、一群の惡徒在りて富關川の向ふに陣取ずれたこやまなこ焼いた場うさまなほり、姿を小山の陰にかくして、此方の到るを待受けたる樣なり、尙そのやうす'Aたそのどころいたわれみかたっとしまな動靜を見ばやと思ひて、直ちに其處に至り、我も味方に附くべき由を申はじ〓チめるいろくいあざむいりこし入れしに、初めは容易く許さゝりしが、種々に云ひ欺きて終には入込み、おち落なく見屆け參りしに、〓ニまゐ部呂、ベろ仁征矢、にモ可志鳥、かレ:むろらん室蘭の酋長阿朱亂オツテナゐしめらん:たっがふせんにんをはんきゆうあまたプシヤようい魔なんとを頭にして、都合一千人ばかり居り、半弓に數多の毒矢を準備しば〓〓〓こなたものみいだようじんきびみまをざ〓して、屢々此方に斥候を出し、用心嚴しく見え申しぬ、といふ。八左衞もんとくしあんㅎエやくめつとモなたいさをしLかふと門篤と思案して、良宇留善くこそ役目を勤めた、其許の功績は確乎と認つかミたうざほうこれとことところ、めおき遺はすぞよ、先づ當座の褒美には此を與せん、とて懷中より、斯る折にもと用意爲しつる大判一枚取出して與ふれば、をりよういなまいとりあたらる、うち良宇留は抱へて打重なが眺め、押戴き、おしいだマおしいたマ押戴き、よろこ悅びめづる有樣なり。るツさま八左衞門は打頷きて、さたえうちうなづこzいまモなたたのことセ〇五れやよ良宇留、今一ツ其許に賴みたき事あり、何んと諾ひくれずや、とい5 zをヒなはごと名云ふを良宇留は聞きも終らず、何事なりとも仰せられよ、といふ。そのらなむろあんあつ;とうしろいわみち儀は他でも無いがの、.紛これより室蘭の、その惡徒共の背後に出づる間道なとなたあんないし〓じやうと馬。上より良宇留の顔を差るこあらば、何んと其許、案內爲てはくれぬか、ゆでらじっわんをひざ覗きたり。良宇留は凝然と考へ居りしが、膝を打つて伸びあがり、オょわさみちよわりみちある〓〓、イヤ好い間道がござりまする、といふ。ナニ好い間道があるまそLそのみる〓とほどどせばとと申すか、而て其道は馬も通るか、何うじや、何うじや、と忙しく問ふ。みぢのそのほうぜんあか三とほさ里程は其方が直と近うござりますれど、(九四二)馬は通りませぬ、といふ。八左〓もんきつとうなブばんばんぱんてうまので〃衞門屹度〓頭きて、さらば一番二番三口はは馬を除きてこれなる良宇留
ないてきうしろからいわれ·このみもむろらんがはきしいた(〇五二)を案内にし、敵の背後に廻り出で、我等が此道よ〓室蘭川の岸に至りて、たかすではじきあやまうしろにはかおそむにた戰ひ既に開まりなば、機を追たず背後より突然に製ひかゝる可し、必ずも;めい주おツたせんでんぢんちんてのもの機を誤つなかれ、と命ずれば、良宇留を追立て、先陣二陣三陣の手勢はりんせん かんだんわかわから八左衞門は四陣を先あらたこれより分れて間道にかゝりたり。陣に改めて二段そなほんたうむろらんのぞ、よくじつあさまたきむろらんがはLに備へ、本道より室蘭を望んで進みけるが、翌日の拂曉に室蘭川の岸にいたてしおそまちかね:いかるいs至れり。敵は遲しと待兼たる樣にて、如何にも良宇留が云ひしやう、向:こやまはセラこいい:はや紛ふの岸の小山の陰より稈つて見はれ出でしが、それ、と云ふ眼前に早くブシヤあめこモコcakとほう、こなたみなかつちゆうも毒矢雨の如く注ぎ來たれど、その間の遠きが上に、此方は皆甲冑に身かたいつぽんとはわれはひてつばうあたを堅めたれば一本も通らねど、我より激しく撃ちかくる鐵砲は、徒なくてきうち또かなたこれいちはやこ:かげみ數を打倒しぬ。彼方は是を見るよりも、逸早く小山の陰に身をかくして、われてのものさしきねにわたありままない きはや向ふの岸にこ我をば避くる有樣なれば、內記手勢を魔いて川を渡り、;て〓六七、c.いプシヤるっないくつ近附くに、敵は再び見はれ出でて、頻りに毒矢を射付けたり。內記屈せてつ:ミたちミ八左衞門が手勢もざゑての:ひきつヾLあがほず岸に上りて戰ふ中に、引續いて岸に上り、激しく鐵ばう〃b =こんちたふ砲を擊ちかけて、ないちまたわれ時の間に百人ばかりも打倒し、のぞせま内記は又我を望んで迫むろこんキツツナぁしめふんまたゝかさこれり來る室蘭の酋長阿朱亂魔と戰ふて、うちとて しきchsいろニいきほた既に是をも討取つたれと、ひどあし敵は少しも驚く色なく、あと却つて勢ひ增し來つて、の一足たりとも後には退かず、ここちかよ808そし;踏み込み踏み込み近寄りて、さ=カ。ハ〓〓'命は惜まぬ有樣なり。さて間道より敵の背ろさいはぞみあやまいちじ後に廻りし勢は、うしスお七こゝぞ、と時機を過たず、一齊にドツと背後を襲ひて、ひといききんらとてきこれたい一氣に二三百人討つ取つたり。うさいろます〓〓たけたゝか敵は是にも動く色なく、益々猛つて紛戰へども、うつて計手はぐるりと引包んで、ッつきたそた:たいき突立て、擊立て、斬立てて、息をせめばたむねん"がみcも吐かせず攻擊けば、わかこみいづれも無念の切齒を爲して、いつばうつきやぶむてのぞ.ナガあと我が包圍の一方を突破り、コツ東を望んで走せ行くを、ろロモゃ土8ヲ2てつぱこおとこな透さず後より追かけて、た(部呂、仁征矢の二人を馬より鐵砲にて擊落し、ますからほこいづこシッ此方は益々勝誇つて、何處までもと追ちべつるこたんひxじらかけたり。知利別に在りし古丹比留は、てえおほいかと5, co火利、さんかふたりせんなんらんぼうこの報知を得て大いに怒り、ほうゆつ出參加利の二人をば先陣にして、つきのカツ(一五二)えけ' ;ざんにんそれ〓〓てしたカンこだんそな蘭芳、抱月、月之江、夢蹴、擁山の五人に各自部下を分ちて四段に備へ、あるあまたえxせんにんあら自ら又擇りに擇りたる千人の荒
おニチこんじつがふ上にたてしたひきつしつぶうごと〓むか(二五二)夷を從へて、都合二千餘人の部下を引率れ、疾風の如く走せ向ひしがたらきちよせてせんぢんうちふふおしゆれんがうきゆうまごくらうビじやうまつさかさま忽に寄手の先陣を打破り、兼て手練の强弓に、孫九郞を馬上より眞逆にみごとぱんロんぎさaゑみニいら〓てののはひ射落したり。二番陣儀左衞門、これを見て大いに焦燥ち、手勢を勵ましsてつばう〃ひつしなたゝかうちばんやんせzて、烈しく鐵砲を擊ちかけさせ、必死に成りて戰ふ中に、三番陣瀬兵衞ての: Ehkとあんたあはすりまてつぱうつるべうもが手勢この處に走せ來たり、力を合せて隙間なく、鐵砲を連發に擊ちかいかいかこちんちるのものまじろがさまきそ〓くれど、なりに忽れる古丹比留が手勢は目退だもせず、先を競ふて走せは%おはなみ一位せめはたたちどころ紛かゝり、走せかゝり、岩をも碎く大波の勢ひ爲して攻撃き、立所に二三にんうるとこムこきりくゴよせてこそなへみ心いど百人討取つて、踏み込み、踏み込み斬崩せば、寄手は終に隊亂れて、今いつこく:えロチナやセかばせないおは一刻も支へ得ず、腫を廻して一里ばかり走せ歸り、おくれ走の內記がきんみとうこたん ひ3まツしぐら" 250をしたゝか陣に身を投じたり。古丹比留〓地に追ひ來たりて、命を惜まず戰へば、ないそなへすであやうみchaさ〓えてのものはs內記が隊も已に危く見えし處に、八左衞門が五百の手勢走せ來たりて、いちはや:ひだりめぐしやうぶこゝてそろてつぱうう逸早く敵の左側に廻り、勝負は此處ぞと手を揃へて、激しく鍛砲を擊ちこたんひてしたはねそなへDoわれまつささ2、ないかくれば、古丹比留は部下を磨いて隊を開かせ、我當先に馬を進めて內なんをどいBときユにんつきたふみちはらいま記が陣に跳り入り、鎗を拈つて時の間に二三十人突倒し、路を拂つて今たちまへせまさゑ八左衞門この形勢を見て大いに焦心り、さ=みろ:まつさきは內記の前に迫りぬ。彼奴當先うちとのライ。ひツしこないきそなへ.もに討取れ、と自ら鎗を引扱いで、內記が隊に走せ行かんとする折しもあ露うしろときのこときこふりへてきたいぐんくろわたはキわれひつゝれ、後方に鯨波聞ゆ。振返れば敵の大軍黑み渡つて、早くも我を引包みすはそなへたてなはいたまたいがけつCarなンしが、驚破、と隊を立直す暇もなく、大河の决せし勢ひ爲して押し來たまうしやうしやせん: Erksたいぐんしやらせんいてたちれり。こはこれ猛將沙良泉が率ゐし所の大軍なり。沙良泉この日の扮裝くまかは?うちかけよろひみかるな左けがはダルモかぶ粉は、熊の皮にて作りたる打掛鎭を身輕に着做して、同じ毛皮の兜を被り、となんたつREふるさびつきげ2かんつよさんがしゆんく手に陣刀の長やかなるを揮つて、宿月毛の馬の滴强なるに跨り、俊苦、よツとめうせんよにんてしたしたが2ふうだう〓〓あたりcmいま佛登鬼を左右にして、二千餘人の部下を從へ、威風堂々四邊を拂つて今cha = 5といまみたてきほんぜんこの所には走せ來たりしが、時機は今ぞと見るよりも、直ちに敵の本陣ひツつゝじゆうわうむきりくづ〓信あーはしすゞめつかとcityを引包みて、縱橫無碍に斬崩し行く勢ひは、荒鷲の雀を攫み、猛虎の兎こにしゆんくれいやまなたふタツとさきあらそを食ふ樣にも似たりけり。俊苦は例の山彎刀を運つて、佛登鬼と先を爭(三五二)みやまそたは〓おほかみいタほなまつ:、いてもくびはやひ深山の相架を走せ潜る根の對い爲して當先に進み山で、敵の首早四
(四五二)ら五十も擊碎きしが、一ト思吐きて首を廻らし大將は如何にと打見るに、沙良泉は光明晃々たる寳刀を揮つて、くわう〓〓"ミa瓜なんどをば截るが如く物の見事1cm cinに敵の首をいとも容易げに切り落せり。あゝ羨ましき利器かな、と遙にのび あがら聲をあげて伸上りつゝ我を忘れて佇みれば、沙良泉笑うて、見よや俊と云ひも丁らず、3ドTo :こ苦、馬を進めて又一群の敵に斬入り、嵐の枯葉を散すが如く、さくり〓〓と切り立てたり。蠣崎梅之助は八左衞門の側に在り= a 4 EAS給て、戰ひの形勢を見て居りしが、沙良泉の向ふ所は、味方披靡して、ぱa a :つと左右に避くるを見て切齒を爲し、おのれ、と云ふなり月毛の駒を躍と"おに比すaた、らせて沙良泉に近寄りしが、小腕に鎗を拈つて唯一刺にと突かけたり。1沙良泉飜然と身を翻し、e a。こ:顏差覗けば敵とはその鎗摑んで手元に引寄せ、〓ないへと、あはれ手折らは爵ならん花とも見る可き若武者なり。殺すも酷''引掴んで、るしと猿臂を伸し、梅之助をソレと地上に投落せば、部下走せニ八左衞門&寄り捉つて押へ、藤蔓にてくる〓〓と見るも殘酷に縛めたり。は沙良泉、ふ〓こairニ、こ古丹比留に挾み擊れて、已に手勢の半數を失ひしが上に、內不3えが記は古丹比留に撃取られ、。儀左衛門は出火利に組落され、殘る瀨兵衞もNo痛手に惱み苦しむ折から、大いいとに今又梅之助を生捕れしかは、つて沙良泉に近寄り、:とシやう〓〓ちからおとろ、銘を扱いで人交も爲ず戰ひしが、老の身の漸々に力衰へ肩先ズンと沙良泉に斬られ、行きて、Enk我が身も已に危く爲りし處に、何Lさ50衝除かは知れこれぐ次服審建にれと知らるヽ味方の勃の去せずたり〓粉は、力盡きて、その中に身を投ずるや否や、五ㄸ名も無き輩に圖らずも忽ち€おそ松d首をば討れたり。:これ面傷の庄太夫が、部下の金掘共を引率れ來たりてむ巧みに敵をば欺きしなり。ミかくて沙良泉等はおもふが儘に敵を破りて、, 12て右往左徃に逃げ迷ふ敵を後より追ひすがり、: 2々此處彼處にて、斬倒し、突倒し、日本人と見ては一人も遁さず、+ Pく數を盡して討取つたり。時に日は早暮に迫りて、雨サツと降り來たり、(五五二)見放くる天は黑色なして、電光切たレゴ〓〓りに閃く中をば、いづれも孰れも肩を怒らし、隊伍整しく徐々と東を望
ひきあ五二)んで引揚げ行きたり。第五十七回ミつほけどうしんたはぐちなさぶこうのあるときことthe雪松前家の同心に谷口喜三郞といふ者ありけり、有時事を爭ひて、おのれニハ:る:つみまぬががたのレルかばふとciにげむたずはんとらの同輩を殺めしかば、罪免れ難くして、窃に樺太島に遁渡り、姿を土地こん々としつきおくをたびおにぴしらの土人に扮裝して、おもしろからぬ年月を送り居りしが、この度鬼菱等ことつたこうにくづㄸLロこ にPと紛の事を傳へ聞きて、枯骨に肉附きし思ひを爲し、これを機會に何がな一おとEALつみゆることたみほんだう廉の働きして、罪を赦さるゝ事を得んと思ひ立ち、身をば本道アイヌのなくんねひアルルてきやうず244そはか姿に扮裝し爲して裙経に來たり、窃に敵の動靜を窺ひ居りしに、圖らずとまたかてこてとこたいしやうおにびしまへ番本の目に止り、高手小手に縛められて、大將鬼菱の前に引かれたり。おにびしとくさぶとうつちまはろやめねろャきさぶ鬼菱篤と喜三郞を打目戌りて、母衣矢に目くばせすれば、母衣矢は喜三20むかpoロイル部わがじやうちゆう:うかゞをILばんそつ: 3元よ郎に打向ひ汝は窈に我城中の樣をば親ひ居りし由、番卒共の訴へに依りゐB. Pretきゝとなんびとたのいづれきたて、委細は備に聞取つたり、何人に賴まれて、何處より來りしぞ、サアほりといはくじやういたねめつBこふちうすゝ有躰に白狀致せ、いと疾視けたり。めいわくせんばんる仰せなり、広我が身の上をば御存じ無き故、わaニごぞん喜三郞進み出で、なゆゑさりとは迷惑千萬なとこけつけつやう··ごさその御不審はさる事ながら、决して、决して、ろ左樣な者では御座りませぬ、は々にみときといふ。母衣矢頓には言ビロいづれの定食堂わじやうちゆう:葉を弛めず、何處の者ぞ、うかゞを我が城中の樣を窺ひ居りしぞ、となとこん)うさぶらう有限公ことばよさと問ひ詰れば、聲に應じて喜三郞は言葉も淀まず、それがしaタヘさらば某が身の上をば、一、通り御聞に達し奉らん、なたたてまつそれがしいてかはふとな某は元樺太のアイヌにて、zたんまそ名は佐留丹と申すたびこの度御地へ參りしは他にもあらず、ちまゐほか紛者なり、わかばふとシtぞたうふるこBHHおや我が樺太にても日本人の非道なる所爲は日を追うて甚だしく、しやこたんまをの のこためいちじつぶミ我が親の沙古丹と申す者、病ひの運上屋に引出して、うんじやうや爲に一日賦役に漏れたりとて、み〓ざんくるし見るも無慘に苦めしそのうへみせしめ懲戒なりとて首を刎ねたり、われ2むし其上に、た我怨みと悲みとに堪へかねて、今등たび°ibとんそころジマ2〓度その下手人めを擊殺し、かくな親の怨みを報いしかば、いつミ住み別れし家はあれがたわたる務に樺太を逃走りて御地へ參り、ふとにびコども止まり難く、もまゐ(七五二)たいしやうおんはたしたつかまを品いかにもして大將の御歳下に仕へ申さんとの願ひなれとも、たうじやうaおんおきてそな御當城には嚴しき御掟備はり居〓
わねがとたよなにけ上かしここねまゐ(八五二)て、我が願ひを遂ぐる便り無きに困り、今日も彼處の木陰に参りて、つレあんteはかいましめひと〓〓ceかく〓〓と思案に暮れし折から、圖らずも警固の人々に捕はれて、斯くはたいしやうぜんこかおにびしし:)きゝをはき:ニつ大將の御前に引れたるなり、といふ。鬼菱終始を聽了りて、喜三郞の佐ニたんみたんそばミこ)めしつ留丹が身をば憐み、これより側に止め置きて、よろづの事に召使ひたり。さぶらうハうねーしゆつせたよりありってんひいin喜三郎は巴ひしよりも達かに出世の便利に有付きしかば、天にも沖る思なおにびしじやうたゆうやうすCheうかゞをあるひひとりざふひやうひを爲して、鬼蔘が城中の樣子を備に窺ひ居りしが、一日一人の雜兵あしよくもつうつはみかたにさまみとおんみすこしばかり有らぬ方に運び行く樣を認め、紛り、少量の食物を土器に盛りて、御身はふいづれにいるたづシャモめしうどの是より何處に行くや、と試みに尋ぬれば、日本人が囚人めに食物與れんわれニぬみそのゅcits〓〓とて行くなり、といふ。さらば我も倶に行きて見ん、とて其行く所に從つるこざふひやうこまをかとardみとかひ行く中、此處なりとて雜兵は、木深き岡の下に止まりたり。見れば岡こ=あたららほaかビなまげんちゆうの下に未だ新しき土窟ありて、前には大きなる樺の生木にて、いと嚴重ミからなこぶらうての:みことこのうちるに柵を構へ爲したり。喜三郞は此樣を見て、いかなる人か此內には在るミあひださしのぞうやうすコカンならん、と柵の間より差覗きて、裏面の樣子を窺へば、まだやう〓〓にうつくひとりせうねんひしきなんしめひゝルううすぐらと十五六の、あはれ美しき一人の少年、緋羅紗に金絲の縫模樣、薄暗き土くつなか〇·七んむんば"なおミミやつれせうぜんうで窟の中にも光明は燦たる陣羽織を着飾りし儘、面憔悴して悄然と腕を組みかありさまうつぶきがちすわ: comみ、おもひ亂れし有樣にて、俯向勝に座りたり。喜三郞見るよりも、あいたはたすやこゝろこちようじんきひてきなかうか〓〓な可傷しや、と助け遺りたき心は逸れど、用心嚴しき敵の中なり、虛々ン:ごふたりIbいのちあやうughしのをり=あらら事を引起しては、二人共に生命危し、暫く忍んで時節を待たんと思ひ明ざふひやうこのところたちとかくこゝろ〇.ことしばしわすめ、雜兵と此所をば立退きしが、兎角心を引されて、この事雲時も忘らかシ+ゼめしうさいcoゆく〓〓ざふひやう紛れず、彼の日本人が囚人は、那時いかにして捕へられしや、と行々雜兵たづあいつかきざきうめのすけすだしひむろらんいくさしやらせんどのみづかに尋ぬれば、彼奴は蜘崎梅之助とて、過日室蘭の合戰にて、沙良泉殿自いけどりしたまこたんひ石との討つて藥てんと仰せられしも、〃す÷ら生擒に爲玉ひたり、古丹比留殿は、沙せんどのなんとたまむしひとこわつぱ良泉殿は憐み玉ひて、虫にも等しき小人めを討つて棄つるにも及ぶまに、このちめしつかる〓ありさまさぶ: 30懲らしめて後召遣はん、とて彼の通りの有樣なり、といふ。喜三郞は打うなプすみかかじやうどゆうありさまおはかだみシ點頭きて、おのれの住所に歸りしが、城中の有樣をも、(九五二)はや大方は見屆こ、うめのすけさ;) ceまいだまつまにかへけしかば、この上は梅之助を土年の中より救ひ出して、松前に逃歸らん
かるじやうちゆうようじんいか最た子くはたて(〇六二)と思ひたり。されども、城中の用心如何にも嚴しくして、手易くは企圖はたえ等出こがたくを果し得ず、徒らに胸を焦して日を送りたり。うめのすけしやらせんいけ:てきやうすCCCみかた梅之助は沙良泉に生擒れしより、つら〓〓と敵の樣子を窺ふに、味方にっことごはなかことおにびしcubしやらせんどん くうお告げたき事の多きが中にも、殊に兒菱を首として沙良泉も呑空といふ我にほんあんぎやそうしうやまかみはとけつかごとありさまが日本の行脚僧をば、師として尊敬ふこと神か佛に仕ふる如き有樣なろみ()いまこのところるのルルせんさくなをを見て、その僧今も此處に在りや無しや、と窃に穿鑿爲し居りしが、あしよくもつはこのむかよそどんくうことたづみ紛る日食物を運び來たりし者に向ひて、他所ながら呑空の事を尋ね見しに、ひたりいむあるおはことこれおほよあこその聖僧今は此地に在さず、との事なりしかば是を聞くより大いに悅び、かかたてうんするひヲas ?いくさぢんとう:むさらは味方の手にて、その雲水めを引捕へ、次の戰の陣頭に引摺り出しおのれらまつまへのゆみさんくうむ々て、〓等もし松前殿に弓を引かば、この呑空をは寸断々々にしてくれん、よばよLかうさんいきはなかばよりベわれと呼はらば、假令降參はせぬまでも、その勢ひ半分は弱るなる可し、我しおら〓ロしのよながらいかこのことハかたごう暫く耻辱を忍んで世に存へ、如何にもして此事をば味方に〓げん、と心こハさだみに旨むかつこいろは敏くも思ひ定めぬ。さりながら身は籠の島の、徒らに心を雲ゐにもするいっいかこのよしみかたtたよ〓いトのみにて、那時如何にして此由をば、味方に知せん便りも無し、如何にせいかなにち々ウごいつか·)いる々こそと爲ん、如何に爲さんと、日夜の工夫に心を疲らせたる折から一夜柵の外なにのあいかぶいかこいしchなげに何物とも無く忍び來たりて、如何なる心ぞ、紙に小石を包んで竊に投雲こうめのすけからよもすがらねしつけてと込み行きたるものあり。梅之助これを拾ふて終夜眠らず、東の白むを待たいせつかみひろけしぞみじ子なさけあつエスちかねて、大切にその紙を擴くれば、消炭の文字は薄くも情は厚く、「天Cyせんしな15はんれいなこと20,すけみ勾踐を空しふする莫し、時に港盡無きに非ず』と記したり。梅之助は見るこん天を無し、ち地を無し、われこうせんなぞ紛よりも、我を勾践に摸らふるとにはあらざるべけたいとうこみかたまはしものじやうちゆういりこれど意を寫したる此の句によればさては味方の間者、この城中に入込みをごさいはこのかみいちアレじふしたゝ{居ると覺えたり、幸ひなるかな此紙に一伍一什を認めて、その者を少しはやまつまへはしごくちはやたてうめのすけまた々も早く松前に走らせん、と心は逸れと矢立も無きまゝ、梅之助は又これたうかてはりおほこレあんくに當惑して、さて〓〓障害の多きことよ、と胸を組んで思案に暮れしが、ずめいき〓〓み:やゝありて膝を打ち、オヽとばかりに眼を生々と見開きたり。(一六二)
(二六二)第五十八回うめのミまいちてカccえだほそハラ梅之助は柵の間より手を出して、幸ひに落ち散りたる樹の枝の細きを拾雪とほどおしをそのかみくだ:とかくよでひ取り、適度に押折りて其片端を咬碎き、捌きて舐むれば、兎に角筆のお疲れ〓うめすけながにツニわら〓isはちじやう形に爲りたり。梅之助これを眺めて粲然と打笑ひ、次には袖口の黑八丈is (と6すて60はせた장を口に合み、嚙んでは染汁を吸ひ取りて掌に此溜め居りしが、これをばおばびしじやうちゆうどんくうことあらましかしたい紛墨汁に代へ爲して、鬼戔が城中の有樣より呑空が事などを大〓書き認め、こ10ものしのかねじやう今宵にも其者忍び來たらばとて、日の暮るゝを待兼しが、警固嚴しき城:ぎHiこ中の事なれば、その者も虛然とは來たらず、夜を一夜徒らに待明したり。つまたつぎょまたまたさ、dur々その次の夜も又次の夜も、徒らに待せ待するのみにて再び衰を見せざれすけこいろはりまたゆるていためみと,は、梅之助が心の張は又弛びて、若しや敵の爲に認められて、討たれしためかへまたP :〓にはあらずやなど、その爲却つて又一ツの思ひをば增したりけり。待てかのをとこきたすけaわれaこのぶはたども〓〓彼男の來らぬに梅之助は終に心用して、我は終に此思ひをば果aみえそs .いまcm #なし得す、見す見す蝦夷の土に腐るか、武運も今は是までか、と易齒を爲たんしよ上·上つゆハみchaして悲みしが、ある夜深けて木も草も夜露重けに見ゆる頃ひ、圖らずもこあたりまあんン2てんこうせんむなㄸひそかあひづ柵の邊に微なる足音して、天勾踐を空しふする莫し、と窃に合圖をするのうめのすけたちあが、ちかよぶんみたづ者あり。梅之助聞くよりも、突と立上りて棚に近寄り、御身は、と尋ぬまつま〃こはやこのいつつうれば、松前の喜三郞、とのみ低聲にて言ふ。辱なし、早く此一通を御家:くもどやはみつしよコしたさぶ;はだ老に、と口早に云ひながら例の密書を差出せば、喜三郞は取つて肌に着280そのエおそこヽろいら〓〓おしやみとが紛くる。梅之助は其間も遲しと心魚燥押遣るやうに、見谷められては面倒とこはや2 Bこぶ:りびすかへこそなり、少しも早く落ちよ、といふ。喜三郞〓頭きて瞳を回せは、闇に聲くせものとがるえこなためあり、曲者、と各めも敢す組みかゝる。得たり、と此方は業早く右手の〇gきふしよだのツしめ肱にて急所を突く。突かれて撲地倒るれば、起しも遣らず乗かゝつて絞はるか(はなゆこかねこ熊笹の深みにはツさり投込みしが、殺し、死骸を遙に引摺り行きて、兼みこぬけたの25て此處ぞと見定めおきし隙間より城を脫出し、西を望んで夜の中に五六(三六二)里ばかりも走せ去つたり。
まつまへせんよにんての0もわから(四六二)じふにんいのもから〓〓とげミニみぎさて松前にては二千餘人の手勢の中にて、値に十人のみ命辛々逃戾り右かもむきらにじやうかchaみきさしあたaとうらたしの趣を訴へければ、上下おしなべて驚き呆れ、差當りて嚴しく非常を警をじやうぐわいじゆんらてきのAいけとしめ居りしに、ある日城外を巡邏せる者、敵の斥候を生擒つたり、と爲た#二うつたいり顏に訴へ出でたり。まつまじやうちゆうなびえくだまつまへたこうざたもんしやうざなほこの日松前の城中には、この度江戶より下りし松前太郞左衞門正座に直か:とうきんざゑもんいかカじ3つ六ひと〓〓えセばいぜつせんぎよねんりて、家老佐藤權左衞門以下、家中の重き人々と暇夷征伐の詮議に餘念なをりみぎおもむき〓ら古& crsもん何紛無き折から、右の趣を聞きしかば、太郞左衞門を首として、いづれもゴロごとん÷いつこcm3ひきぞたrれも大いに悅び、さらば其奴めを此の所に引摺り出して、先づアイヌのやうすたれつざかたいかものこめい動。靜をば糺すべし、と列座は肩を怒らして、その者此處に、と命じたり。とらScheカたにぐち々捕へられたるアイヌといふは、實はアイヌにあらずして、彼の谷口の喜: cmときいひミとほ〃むコー三郞なるが、捕へられし時は所言通らず、く有無を云はせず引縛られしかメムこゝろみモいまばんそつは、この末いかに成り行くかと、心も身には添はざりしが、今番卒に引じやうちゆう城中の大廣間とおぼしきところの前の砂上に引据ゑられけまへコこうつひきす立てられて、か、しあはせこゝろよろこkうやく〓かられば、こは却つて僥倖なり、と心ひそかに悅びて、我より先づ恭しく一れいなみニあらましのごんざゑえんたこなほごュしん禮爲し、身の上を大略陳べて權左衛門の面を視つめ、尙御不審あらば、うめすけらのみつしよこんいたてまつ!さぶらうこのはカむねつき梅之助殿の密書を御に入れ奉らん、そは喜三郞が此肌にこそ、と胸突雲だ、ごん ざ#ももうなづいましめとかさぶらう出して進み出でたり。權左衞門〓頭きて、その縛繩を解すれば、喜三郞BE日ひといじわたくしホルトおはびしまんまごちゃしたは始めて吻と一息して、私め、この姿にて、鬼菱めを甘々と欺き、親しくんぬひじやうちゆういりこやうすかまゐトリえうがいなか〓〓きびく裙縫の城中に入込みて、動靜を伺ひ參りしに、城の要害中々嚴しく、これ:てのかぞおよはんおにびしそうたいしやうた紛是を守る手勢の、數は凡そ七八千人あり、鬼菱を總大將にして、その他の頭立つたるかたいせんちやうけんこたんひzことんりゆうらんぼうはうけつ者には、沙良泉、長賢、古丹比留、古頓柳、蘭芳、抱月、2えむツ〃えうさんいづあなどかたやつどもからざきうめのすけ月之江、夢蹴、擁山なんど、何れも侮り難き奴共なり、また蜘崎梅之助どのととうなかつなたなみおんいたばありヨ:らういか殿は土牢の中に繋がれ給ひて、き見るも御傷しき有樣なり、喜三郞め如何シあうきりやぶさぁセてきいまにもして、彼の土牢をば切破り、救ひまゐらせんと焦心りしも、敵の警しめきびaそのこゝろざしはたスさんねんそんいつつう固嚴しくして、終に其志をば果し得ず、(五六二)殘念に存じまする、この一通はうめのすけseこからうしよくげんてシンミまるくれく〓店梅之助殿より、御家老戰の御手元に屆け參らせよ、と吳々も仰せられし
みつしよごけん くたなはふところてさしい(六六二)密書なり、いざ御披見下さる可し、と云ひ了つて懷中に手を差出れしが、ないみつしよとりたうやく〓といだやくにんうけときんざゑえ例の密書を取出して、恭しく取り出せば小役人これを受取つて權左衞門わだ迄今&もんうけとようおしきひととはりよをはに渡したり。權左衞門は受取つて封を押切り、さら〓〓と一通讀み了りはた号たいちぎレンよていごんざしが、確と膝を叩いて一一座に向ひ、こは好きものが手に入つたり、權左ゑんこれPasエまをぶ.ベらをは衞門、是にて備に讀みあげ申さん、いづれも御聽きある可し、と云ひ了かた ちたたもうざゑD·BISれつざみゝCBご人 さつて容儀を整せば、太郞左衞門を首として、列座は耳を傾けたり。權左衛門は密書を廣けて聲張りあげ、ゑみつしよわろことはうめのすけぎむろよんたヾかしやらせん紛梅之助儀、室蘭の戰ひにて、沙良泉にいけどうくんぬひしろぶど: 30 1號所をまをさふらふはづかしめ生撿れ、裙縫の城に送られて、土牢の中に繋れ居り申し候かゝる耻辱なが5をまそさふらみれんいのちをしみいた"をば受けながらも、世に存命へ居り申し候ふは、未練にも命惜致す儀にこれさふもふいかてきやうすこましまをしゐぞんねん々は之なく候如何にもして敵の樣子をば、大畧にても申上げたき存念に〓ムよながらをまをさふらふおにびしたうくんぬひはんじやううしろて、今日まで世には存命へ居り申し候鬼菱が當裙縫の本城は、後方にけはゴミくんぬひがは:.はことえうがいなざさふらふてのS嶮しき山を負ひて、前には裾縫川を控へ、誠に要害の地に御座候、手勢せんにんこれ:れたのおはびしそうたいしやうしやせんも七八千人あり、之を率ゐる頭の者は、鬼菱を總大將として、沙良泉、こんここ六九xことんりゆうこんぼうほうかつフ〓mむツけりえうざん長賢、古丹比留、古頓柳、蘭芳、抱月、月之江、夢蹴、擁山なんどいづことなのあまたあつまをまをさふらふなにとおに、びしられも事に馴れたる者の數多に集り居り申し候、何は兎もあれ、鬼菱等がかみらとうやまああんぎやそうどん くうまをものこれさよるふ師として神の如く敬ふ者に、我が行脚僧にて呑空と申す者之あり候こそういこのもよしまさおよまをさふらふいかどんの僧今は當地には在らざる由正に聞き及び申し候、如何にもしてこの呑()めしとらかつせんみぎりぢんとうひきたおのれらるくまつまへどのゆみ空を召捕へ、合戰の砌陣頭に引出して、汝等若し飽までも松前殿に弓をさんくうもだ:ナG∴かうさんせ引かば、この呑空めをす斷〓〓に斬棄てんと呼はらば、假令降參は爲ぬおとびしこいなはおたたおたたみきとくじまをさふらふ「粉までも、鬼菱等が勢ひは、必ず、必ず、見るが如くに挫け申す可く候うんぬんエをはさんざそもんうちうなづこぶらうたいぎ云々、と讀み終つて權左衛門は打點頭き、オ、喜三郞大儀であつた、そはうまそEch 380すがこのみつしよわりふあはみへうシあやの方が申す所と梅之助が此密〓、符節を合せて見る様なり、人を殺めたつみめるつかさぶとうゐかたBRE.ち〃ごん々罪は赦して遣はすぞ、といふ。喜三郎は有り難しと額を地に着けて恩をきこiceごんざEえらみれつざPEみわたおく謝し、頓て此處をば退きたり。權左衞門は徐に列座の人を見渡し、各位にやニとかくひやうぎいSTきんくうその呑空といふ好い餌のあるよ最早この上は、左右の評議は要り申さぬ、(七六二)おにびしじっよくびたやすことからは、鬼菱等を釣り寄せて、首にするは手易き事なり、ハヽワハ
Lかは2たつたこうざ(八六二)ゑもんうちけた子と爲たり顏に打笑ふ。太郞左衞門打消して、イヤ〓〓左樣手易くはまみどん くうSOかせきじやうエわたあんぎやそうこと參るまじ、その各空とやらは何下石上に世を渡れる行脚の僧の事なれば、いづれてゆく處を目的に行方を跡ねん山も無し、たづとないをはこんざゑえ何と云ひも終らず權左衞門は、またgニセンぶくむごはいりよ〃ちさんとどんくう打笑ひて徐ろに、イヤその御配慮は御無用なり、いかにも眞の呑空をば、にちいめしとことすこなんぎこれ·といどんくういまを假に召捕らんは事少しく難儀なれども、是には具の呑空は要り申さず、うんすゐねんしゆめよ如何なる雲水にもあれ、たいろ々isの多年の修業に色疫せ黒みし者だにあらば、それこと1.えごそそれおよまをそのぜん くう紛にて事は十分なり、イヤ恐らくは其にも及び申すまじ、たヾ其呑空といなニきやつふまをはれつざ品ふ名前のみにて、彼奴等を釣るには餘りあらん、と云ひ了つて列座の人5を凝視と見渡し居りしが、みわだれつざ15ふうゑどう〓〓品すぐP列座の中にて風彩堂々として他に勝れ、兼てことみわさいちたべんぜつまたさわ辨舌亦明亮なる新しんがひりゆうのtさき々より事に騷がず、才智に長けて、貝龍之助といふ男にめとしんがひうじたいをでんひがしえモ)シた目を止め、L xo新貝氏、大儀ながら貴殿これより東照夷まで使者に御立ち下めいされ、と命じたり。第五十九回しんがひりゆうのすけさ〓えむねさくとったヾいつきくんぬひちか新貝龍之助は權左衞門の旨を含みて、從者をも連れず唯一騎裙縫近く乘つこなたばんそつ:ば:かンほひろまいたご鮮着けしが、此方へと番卒共に誘はれて、設けの家の大廣間に至れば、鬼모しやうざ80かたしやゝせんことんりゆうむツッえうさんみぎかた菱を正座にして、左の方には沙良泉、古頓柳、夢號、擁山、右の方にはちやうけんこたんひzらんぱうはうゆつ2えっがふじふはんいづゐふうりんぜんさ長賢、古丹比留、蘭芳、抱月、月之江の都合十人、何れも威風凛然と座なみたゞつ一五いままちう:紛次整しく列りて、我が來たるを今やおそしと待受けたる樣なり。りゆうのすけまたすこぶくしやなんぱどんすのばかまこしりやうたうニーモ龍之助亦少しも畏避れず、緋羅紗の陣羽織に緞子の野袴、腰に兩刀を橫ゐふうどう〓〓あたりはらいおれびしる。だいいうぜんまうけへて、威風堂々四下を拂つて入り來たり、鬼菱と相對して、悠然と準備:ひやうてっひざ朧を反して、ていいちざの.00の席に着くよりも、兩手を膝に、一座の者を睨むがやうにきつとみねごんとにう〓〓〃〓それがしまつまへとのごんししやしんがひりゆ〓の屹度視渡し、音吐朗々怖めず臆せず、小生は松前殿の御使者、新貝龍之すけいちさひと〓〓せいめいいち〓〓うけたまよピおにびしはじめいちとうな助なり、一座の人々の姓名々承はらん、と呼はつて、鬼菱首一同の名(九六二)一のシールとたがいちれいをはいなこたんひるひざ乘るを靜に聞き取りたり。相互に一禮終るや否や古丹比留は、膝を前め
ミ(〇七二) Lて龍之助を睨みつけ、汝は松前よりの使者なりとや、この期に及びてのLは花びソ使者沙汰は、甚だ以て心得難し、鬼菱殿の道理正しくて汝風情にも面は↓+·合して遣はさるゝものゝ使者の口上は聞くまでも無し、再度の戰ひに手露われ〓〓50嚴しく打負けしかば、松前の殿め、力屈して我々に和睦を願ふ其爲に、はる〓〓よこ.汝を遙々寄來せしならん、いかに、如何に、と詰問つたり。). uひ.龍之助は徐に口を開きて、何と云はるゝや、事可笑し、相互に弓矢を執= a s紛るからは、勝つも負くるも有る習なり、然のみ誇り玉ふは見苦しゝ、何ひとく〓とくur、は兎もあれ、我が君の仰せを傳へん、人々篤と聞かれよかし、と膝を前年bめて容儀を整し、我が殿の仰には、そも〓〓戰爭は不祥の事なり、弓矢( ch :〓々を取りて長々と爭ひては、罪なき者をば殺すのみにて、那時の日果てんバ〓bとも期し難し、可惜罪なき者其をはヲ嫁砲に殺すこと不偶なり無慈悲な:まりと思はんには其方等自ら松前に上り、一揆に及びし所存をば備に申しこシ聞ゆ可し、道理ある中体ならんには何事なりとも快く聞き局けて速かに.たひと〓〓なんバ元はつ穩便の沙汰に及ばれんとなり、人々何と思はるゝや、此は是我が役目を以て傳ふるなり、さてまた別に鬼菱沙良泉二人に傳ふることあり、此はこれ我が好意をもて次手に告ぐるばかりなるが、老僧呑空といふものあ、:露りて、汝等二人の謀反を勸めしものゝ、なる事の趣き訴人あるを以て松II che前の獄屋の中に繋がれあり、其僧〓等に謀反をは實に勸めしものならざるに、故等が爲に罪を負ひて松前のものに責め殺されなは、汝等は永くひと〓〓紛心ある人々の爲に笑はるべし、こは小生が汝等の人となりの卑しからぬA ineを見て心ばかりの手土產として〓ぐる〓となり、二人は何とか思はるゝぞと2 "や、されど是に其答を求むるならず、先づ我が君の御思召には、いかゞと建々答へらるゝぞ、返答致されよ、と鬼義沙瓦泉の顏を睨んで固唾を呑みて=待ちかけたり。きに六、鬼菱は師が上を聞くよりも、心を動かしゝ樣なれば、丹古比留再び聲を(一七二) Bわれ〓〓ミ店Dくこ勵まし、イヤ我々を松前まで招き寄せんとは物々しき言ひ條なり、再度
ていたはいぐんちからくつわねが(二七二) (khおよの手痛き敗軍に力局して和ぼを風はし細しいことといふに及ばず、アイャモさかひたシャモ女人死いつすんとちこのごまスと日本人との境堺を立てゝ、日本人に我等が一寸の土地をも此後は踏やくtheことすとく疾々去つて此由を告げよ、このよしこたせずと約束だにせば事濟まん、とはかり答へ露たり。しんがひりゆうのすけ20セーなにた:ことそのはう新貝龍之助は打笑ひて、そは何よりも手易き事なり、さりながら其方が〓ほんえぞ:.たのちたが:云ふやうに、みちさ日本と蝦夷との堺を立て、この後相互に交通の道をば塞ぐよせうし:る.きなみちうてたそのはうどもこれ紛は可し、たゞ笑止なは、それと共に通商貿易の道打絕えて、其方共は是さつたいこめむぎha tooはじにち))しよひんうて〓より早速、米、麥、鹽の類を始めとして、日用の諸品を得るに困るであそのなうともうみやまえしなcmふづれむかすらう、また其方共が海由に額たさ品物は何處へ向つて賣ちんと爲るや、にほん久ぞさかひたゆき1/3きサンデれにても日本を眼夷との境界を立てゝ交通を寒ぐを得あるとこたんひるこたんひzまふしよっせつばや、古丹比留、古丹比留、と急所を衝きて說破せり。たうぜんだん ひりさいもかことばなChe¥はがみな理の當然に古丹比留理は爭ひ〓ねて言葉無く、拳を握つて切齒を爲せば、+せんむつくふはりゆうのすけたいゑざわとくちがしこほさ沙良泉勃起と顏をあげしが、龍之助を睨みて冷笑ひつゝ、やア口賢く吼いかわみちふさたちにこんきうたシ+いたり、如何にも交通の道を塞がはアイヌは忽ち困宛すべし、但し日本そのならこんことなあきなひりやうため人どもは其爲に全く困ること無しとや、商買は兩利益なり、アイヌのみおんKRなよしさんことばとはわばく恩に被るべき理由は無し、縱また汝の言葉通りとするも、さらば和睦の言つぐのまつまとのcasシいわれ〓〓てしたな償ひとして、松前の殿を首、日本人は何れも我々の配下に爲りて、このととしはるあきいつぱんたい〓口こめむぎ上たぐひPEさま後は年の春秋に、アイヌ一般に不足の無い程、米、麥、鹽の類を始め様ぎまみつぎめちをム10たいげんさす〃樣の貢献を出せよかし、許して吳れん、と飽まで不〓の大言は、流石にンキせんいえざちやうけんcasこゝちおきてあみ2.沙良泉、言ひ得たり、と一生は長賢を首として心地よげに面に笑を浮ベ,しやりゆうのすけゐだけたかいつたうっしこら。弱使者龍之助はこれを問くより居丈高になりて、一刀引付け、死なば此ここそはげノふらせんわヒほんこくしろめa處にと一聲を勵まし、やア無禮なり沙良泉、我が日本國を知し食さるゝ大こん24こゝろうてんふたなふたりきみましま君を、奴等は何んと心得る、天に二ツの日無く、地に二人の君座々さず、ふてんとそつとxじわおほじみしろめところなん普天の下、一率土の濱、何れか我が大君の知し食さヾる土地あらんや、何くわんしよくたれえおのれらみつぎとおのれらしつかの官職を雖より得て汝等は實献を取らんといふや、汝等が師として仕へ(三七二)どんくうことたすtナかし呑空めも、よもや然る事は〓へは爲まじ、若し〓へたりと爲れは、彼
きん くうてんちいだいざいばんニつひあぶりしそのい(四七二)の呑空は天地容れどる大罪人なり、彼奴めを火刑にも爲てくれて、其後ふたゝおのれらゆみ々とこいだうりLおのれらうちかたらむ再び汝等と弓矢を取りて見えんのみ、道理を知らぬ汝等と打語はんも無や(すつくたすでこのばさ益のことなり、去らば、とばかり直然と起つて既に此塲を去らんとす。おとびしせはしすけエと强ひて龍之xっLE =鬼菱忙しく呼び止めて、助を座に就かせ、イヤ暫らく待たれそれがしまつニth =せんきみうちけよ、某これより松前に出でん、と云ひかくるを沙良泉急に打消し、イヤおにびしとの2まををりゆうのすけうちじか鬼菱殿、それには及び申すまじ、と云ひ終つて龍之助に打向ひ、さらばおうまつよへとのえこなたおん紛一應松前の殿には會ふて得さすべし、されと此方よりは出で師はじ、汝さう〓〓はニ、まつまへとのこれつこ3cmわ5のぞこれより早々走せ歸つて、松前の殿めを此處に連れ來よ、實に和睦を望そなたきたよりゆうのすけコロゴまんには其方よりこそ來りて宜けれ、といふ。龍之助機を外さず、さらピは何れに七五さつせうおよみちのりしよえららも偏らず、相方より同じ里程の塲所を擇んで出で會ふべし、こぎいムしやらせんうなづそなたの儀は如何に、と云へば沙良泉點頭きて、フムそれならば枉げて其方ののぞかなしま노いづれいりゆうのすけしぜし望みを叶へん、而て塲所は何處ぞ、日は何日ぞ、といふ。龍之助は少時ビcoあん塲所は相方より略同じ生程の昆保岳の頂上として、と:注みちのこんぽCyいたひ打案ぜしが、日は來はちぐわつ"つかじたいしやううまこいさうなういたる八月の二十日、時刻は正午の刻を以て相方より出で會はん、といふ。沙良泉屹度思案して、せんきつとLあんこんぽcifせちぐわつはっかしやううまこいよ上フム昆保岳、八月二十日、正午の刻、可からん可ンにびしどのいかゞバたまとおにびしぞんなこた如何思ひ玉ふ、ゐからん鬼菱殿、と問ひかけたり。鬼菱は異存無し、と答雪のちりうのすけうちむかことピないおにびしまをまつまへとのつたへて後、龍之助に打對ひて言葉を正し、この鬼菱が申せしと松前殿に傳52さうだん:う=だいわれ5していこころどんくうへられよ、和睦の相談に及ぶ上に兌づ第一に我等とは師弟の因おる君姿はふしこなたわたこなたおざきうめのすけいけどりシニあた法師を此方に渡されよ、此方よりも蜘崎梅之助といふ生擒を返し興ふべcaことすのつじさうだんぶよくれ〓〓おにびしまい紛し、此事濟みて後ならでは一切の相談に及ばどらんと、吳々も鬼菱が申おにじとのつたりゆうのすけえ물おしすゝせしと必ず殿に傳へられよ、と云へは龍之助は得たりと膝をば押前め、てきごんみいぎかなにんじやうだにうめのすけえ敵ながら御身の云はるゝところ義理に叶ひて人情あり、必ず梅之助と呑くうとりかこのりうもはかなとのstrえこちあづミたこ全と交換のとは此龍之助云ひ叶へて殿の許を得ん、然のみ心を勞はし玉これど上ぐわつびなら並びに時刻は定つたり、さんまこのふな、さらは是にて、塲所、月日、いで此上はこはういにん をさだよつま:0 EBD相方より出で會ふ人數を定めおかん、重(五七二)松前よりは我が君を首として、かたにんかぎそれがしすとLecっがふじふにんどんくうほふしき仁のみ九人を限り、某末に列りて、都合十人その外には、呑空法師を
めしっやくをくごしよいたおんみらこのいるすよにんかぎほかわ(六七二)召連れて約束の塲所に至らん、汝等は此一座の十人を限り、外には我がうめのすけめしつこのやくきいニ)〓ことそれをは梅之助を召連れて來たる可し、若し此約束に相違せば、事は其にて終るおにびしaだんおだしやくそくまもおとびしはつ可し、鬼菱いかに、異存ありや、といふ。必ず約束を守らん、と鬼菱明: cmしやらせんそばめみはそのはうへんがい断答ふれば、沙良泉側より目を睜りて、其方にても變改すな、といふ。なんへんがいなおうたいすししやりゆうのすけ何の變改爲すべきや、といふ。應對これにて濟みければ、使者龍之助はレゴ〓〓ビた徐々この塲を立ちて去つたりけり。いちざりうのすけみおくつることばなゐ者ふすまてる: :紛一座は龍之助を見送りて後、言葉も無くて在りける折から、襖手暴く引るいモいしやうだいこときのふしびちやりゆx啓けて、急ぎ入り來るは庄太夫なり。事ありて昨日より染褪に行き居りいっかい)ト.せんしやうだいふきのいしが、何時蹄りけんと沙良泉オヽ庄太夫殿か、と云はせも果てず、まつミれたLし々このこだつた+ 5どの松前より來りし使者の姿細は殘らず既に聞き傳へたり、エー沙良泉殿はanよふ"わあいつまツぶたせみLはかり人が善い哩、何故彼奴めを眞二ツには爲られざりしぞ見す〓〓知れた詐こほふしこおにびしどのっれうけん(NH4)いか、謨、は師を餌にして見差殿を釣らうとの了西に定つたものを生かして、しんぐわいいき どはneしやうざむかおにびしどのおたしあたたいましせし心外さ、と〓〓つて更に正座に向ひ、鬼菱殿、必ず、必ず、今の使Cer BECしたまししやことばみないつはさんくうほふしまつまへ者の言を眞と仕玉ふなかれ、使者の言葉は、皆僞り、呑空法師を松前に四へ在りなどゝは恐らくは虛言、るごそうそまこたとんくうとらたにまつまへと眞實呑空の囚へあらば、必ず松前に取っがふよふみしたゝくそのことなモ는まことりて都合好き文を認めさせて持て來べきに、其事無きは虛言の證、信とふが百里を見徹す眼は有たねど。圧太夫が胸の鏡は曇らず、みめしやうだいかゞみするは不覺なり、必らず詐謀と見て取つたり、ら造みとゅたんしたまおはびしをは油斷爲玉ふな、といふ。鬼菱これを聞き終そうぜんことばなひと〓〓法みねぎざさびりて、然然として言葉無ければ人々も顏を見交すのみ、一座淋しく見えた器みの;みをりかやみな紛りしが庭に實りし梨の實の、あやしや折から風も吹かぬに、皆ばら〓〓こほと散落れたり。第六十回々"こぞゑいち々しはやめつ5 :まくらこなむし樹々の梢も一夜の霜より、早滅切り秋めきて、枕の下に鳴く虫の音も、こまようころおにびしゐナまたりたびたちこんごCayや夜毎に弱る頃とはなりぬ。(七七二)鬼菱は明日の拂曉に旅立して昆保岳に至り、師の御委をば拜み申し、ナカルながまたまつまへごのあたびわきかな松前殿にも會ふて、この度和睦を叶ふるからに
食ハ。こゝろい〓々いか(八七二)は、これ〓〓の約束をは爲せんずと思へは心も勇み立てど、矢伊香は兎かくくろあるあ:おにびし角黒かみの思ひ亂れて物言はず、うれひに沈める有樣なり。鬼菱は之れすめうれDを見て悅ばず、明日芽出度首途なり、憂はしげなるは心得ず、氣を引雲(七·五)々立てよ、と窘むれば、矢伊香は閑雅に手をつきて、この頃の夢見のわるこゝろいさえいと品26さに心勇まず、と後は得云はず凉しき目元の露に漏みて、氣づかはし氣かはおにびし20.ためてたびだちに夫の顔をば観つめたり。>鬼菱は打笑ひて、この芽出たき旅立に、其許COちうのナはむか紛は何を云ひやるぞ、昆保岳までは僅の里程なり、明日より彼處に走せ向.nつぐのひものか、Dひて、師の御供仕り、松前殿よりは、數多の償物をば出させて、歸り來なんなたらんは程なゐ=き中なり、何にも案ずる事は無し、心丈夫に待ち玉へ、とやま〓〓なみ〓〓こと々宥むる樣に諭したり。引き止めたきは山々なれど、尋常の事にはあらねごpeば是非に及ばず、首途に涙を見せまゐらせては、出で行く人の氣に障へせつこゝろことばあらた玉はん、いざ去らば、と切なくも心を張りて言葉を改め、あな芽出たしにナまチニたてまつや、さらば恙なく渡らせ玉へ、わが身は明日より神の前に木幣を捧げ奉御身の上に事の無きやう、ニりて、ひたすら祈りまゐらせん、と健氣にも〓うちま笑顔を爲して勵ましたり。鬼菱は點頭きて、妻の顏をば打目戌りしが、モなたフあナむときそ其許も無事にて居やれ、明日の首途は六ツ時なり、と口數云はず他所を: aりとこゑ:こ向きたり。折から戀する鹿の音は、一聲あはれに城後の山に聞えたり。たびたちLこゝに猛將沙良泉は、早くも旅立の仕度を爲して、時刻の來たるを待受r nたふういけ居りしが、曉〓ぐる鷄の聲を聞くよりも、疾より準備爲せおきたる宿'ニ(そくピいたBLAかたのぞ紛月馬に打乗りて約東の塲所に至り、屹度東の方を望めば、朝霧深く立渡s = 46〓〓みづぶととう〓〓いはりて、草木も未だ夜露おもげに見えたるに、裾縫川の水音のみ鼕々と岩ミミかたひと〓〓に響きて聞えたり。沙良泉は馬を西の方に乗向けて、さて〓〓人々の遲こと.たづなひか= chyこゝるごこせん々き事かな、と手綱を扣へて待ち待つ所に、いと心地よく吹き起る一陣のじ3 Carミほとづなかいく朝風に連れて、馬の嘶き勇しく聞えしが、程なく手綱搔繰り搔繰り乘りこちんち〓あとBなが一五〇ちか〓〓のg來たるは古丹比留、後なるは鬚長の長賢なり。(九七二)二人は近々と乘り來たり1ガこな たながそれせん どのをはて、霧を透し、此方を眺め、ヤア其なるは沙良泉殿か、と云ひも終らせ
こたんひ.どのさいまつぎらんぱう(〇八二)まつきず、オヽ古丹比留殿、イヤ長賢賢、と互に挨拶する折から蘭芳を當先にひと〓〓いづいづcep口うち:ほとおにびしcして、人々號れも孰れも馬に跨り走せ集りぬ。待つ間程なく鬼菱も時刻ニかいく. 9しやらを違へず、いと勇しく馬の手綱を搖繰つて走せ來たれり。沙良泉それと雪見るよりも、鬼菱殿、にん ぞ人數は已に揃ひたり、すでそろいで〓〓目出度首途せん、めでたくかとで"〇.ばんどみわたいち〓〓ねんさろれいBELと呼はつたり。鬼菱は手綱を扣へて人數を見渡し、一々懇に禮を施してしのゝめはやしこいでた東を顧み、オ東雲の天も早白み渡りたり、さらば是より發足たん、とめいなか:のらんばうはうゆつフ〓のむツけりえうざん紛命ずれば、鬼菱を中にして、先驅は蘭芳、抱月、月之江、夢蹴、擁山、あとおさへzほかめしうど後押は沙良泉、長賢、古頓柳古丹比留、都合十騎にて外には囚人の梅上タKLのぞはいち之助のみを從へ、西を望んで走せ去つたり。去るほどに一同は、八月十にちゆよこんばCLBふもとアルア; chsまたあと々九日の夕方に昆保岳の麓に至り、暫時疲勞を休めし處に、庄太夫も亦後しゆんくふツとろあいらんけしゆよりして俊苦、佛登鬼、出火利、參加利、母袋矢、愛蘭化、閣利朱、可L i ELSいつ"たうせんつはものじふとんこのところ江志鳥なんどを首として一D騎當千の兵四五十人を引率れて此處に走せ來た:00こヽろえしやうだいふさののこりぬ。鬼菱は見るよりも、眉を皺めて、こは必得ず、庄太夫殿は跡に殘しろ:たきりて、城をは守らるゝ約束なりしに、CH何故こゝには來玉ひしぞ、: "〓と糺せたいしやうだいふいかにも仰せの通りなりしが、は庄太夫は馬より飜然と飛び下り、樣子こ忠高を探るまでもなく、向ふの麓には松前勢の居溢れたらんと猜せらるれば、雪われ〓〓:せめこれa,ひかまんいる我々も明日この山の絕頂までは叶はずとも、切ては此に差控へて、萬〓そなうくはれいの變に備へんが爲に、斯くは一同打連れて、後より早々走せ來れり、令たがつみたナむらそののちかに違ふの罪は受けん、但し明日一日だけを許し玉ひて、其後は如何樣にシ,左書はやと思ひきつて云ふ折から早くも此處に、とまつまへしや紛も罪し玉へ、松前方の使者一騎〓ほミとのおんしさんだはちらう走せ來たりて、一同をじろりと見廻し、松前殿の御使者、三田九八郞、co :あツかためづると名乗りたり。蘭芳その顏屹度睨んで、ヤア九八郞、厚岸以來珍しや、さわ々といふ。九八郞は少しも騒かず、、、蘭芳か、好くこそ、好くこそ、とゑみこきビじやう3ぎrikしやほか笑を含んで答へけるが、やがて馬上に威儀を繕ひ、使者の趣は他にもあかねやくそく七四ロ;ハかなたtらず、兼てよりの約束に從ひて、我君は疾に彼方の麓に居まして汝等を(一八二)すしやううまいたゞきさ待ち玉へり、明日の正午の刻を以て、この山の頂上に出で會はんとの約
にん やならそくわすすじていてたが必ずきた(二八二)束はよもや忘れは爲まじけれど、人數並びに時刻を違へず、來るやこゝろづけこかこ)めいたちこよろづ( .そむうにとの注意までにと御宗老の命を受けて立起えたり、萬般約束に負くなたかエしやらせんころはひのぞへところからやうのことは無きや、と高く叫べは、沙良泉聲を勵まして、望む所の云えこのほうミ;赤いつsyおほおのれらしゆじんことばたがぎ分なり、此方にては約束違へじ、僞言多き汝等が主人こそ言葉を違へぬこのしやらせんとく〓〓かへ上いとあうやうにせよ、と此沙頁泉が、云ひたりと疾々返つて〓げるが好い、と最鷹やうこたく뜨らううちうなづそのなしかいちゆんみ:揚に答へたり。九八郎は打點頭きて、オヽ其確實なる一言にて、身共もあんといたおによcこくたがらとかぞさうゐな紛安堵致したり、さらば必ず時刻を違へず、人の數にも相違の無きやう、いはしやらせんにん:かつと云はせも果てず、沙良泉ぐつと睨みつけしが、エイ諄いわい、と喝すはちらう3セリうまむたんたてなはこう〓〓ビてされば、九八郞はまた頷きて、馬の頭を立直し、早々この塲を走せ去つたしやうだいふひとなEksしやらせんいませpacよおんみboこの夜庄太夫は人無き所に沙瓦泉を誘ひ行きて、我今宵御身に向つ六こと?しやらせんとのよよこゝろしたまろナて二ツの事をば告げおかん、沙良泉殿、能く能く心爲玉へや、明日このいた:いたゞさ若し約束の時刻までそくこくまつまへがたおはびしどの山の頂上に至りて、に松前方の來たらずば、鬼菱殿にまをさつ〓〓ふもとくだたま〓だん〓やみ〓〓てきはかりごとおちいをば勸め申して、早々麓に下り玉へ、油斷を爲さば闇々と〓の計略に陷り玉ふベこっこと約束の時刻は違とくcこいたか可し、是れ告げまゐらする一つの事なり、また、かなたまつまへどのどんくうはふし土七みへず來たるとも、彼方に松前殿を呑空法師との二人の見えずば、いかなかんめんヅさそおにびしとのてとこう〓〓こな.rとたまる甘言を以て誘ふとも、鬼菱殿の手を取つて、早々此方へ引取り玉へ、はかりごと油断を爲さば必ず敵の計略に陷りて、だんなたたち:こいめseおとたまとつ命を落し玉ふ可し、是れ告げまゐだいことこゝろしたまくれ〓〓しやらせんうなコよらする第二の事なり、心仕玉へ、と吳々もいふ。沙良泉は點頭きて、可エあんたましやうだいふこゝろづよごまし、可し、その儀は案じ玉ふな、と云へは、庄太夫も、やゝ心强く覺えs 5cmばしよゆん紛て、倶に野宿の塲所に歸りぬ。その+ことaむにひちとうはやきりはらn 5.5とこ其夜は事なくして、明くる朝となれば、一同は早霧を拂ふて、野宿の床あさひのcyいたまちをを起きあがり、ゆる〓〓と朝餉を物して、時の至るを待居りしが、やヽおにびしひさし:あふみいまcたくなしやうだいふありて鬼菱は、日影の樣をば仰ぎ見て、今はとて身仕度爲し、庄太夫そ〓たちわかの他の者に立別れぬ。(三八二)
(四八二)第六十一回おにびし鬼菱は今日といふ今日、けみ;なやくたちさだアイスの身を安らかに爲すべき約東をも定め、雲;おかとことクたいき出みもゑ師の君を迎へ取る事を得るよと思へば、喜び胸に滿溢れて、おのづからたいはあしさわれ:たこんぽのですいたゞきのほビしよ心も進み、步も進み、我先に立つて、昆保岳の頂上に登りつき、塲所はこわれさきろほまつミヘかたいま'此處なり、若しや我より先に在ると見廻せど、松前方は未だ來たらず、紛山空しししし、あざ秋風袖に冷かなり。かぜそでごおにびし鬼菱日影を仰ぎ見て、ざしあふみ最早追刻約束はやおツつけやくそくの午の被なり、はさDこ之ミラ,にしむか程なく來たらん、いで〓〓此處にて待受けん、と西に向かたち年えうざんうめのすけいましめなわつか口香かたたちつらなつぎつて容儀を整せば、擁山は梅之助が糖の繩を摘んで左の方に立列り、次ことんりゆうみきかたちやうけんつこたんたミヽ감6せんふんぱうはうゆつは古頓柳、右の方に、は長賢、次は古丹比留、前には沙良泉、蘭芳、抱月つきのえむツ日いんんたセンてるたる店いゴゐふうりんぜんあたり月之江、夢蹴の五人、整しく一列に立列びて、何れも威風凛然と四下を:おにびしみ3はしかたきつとにらまつまへがたいまきまち拂つて鬼菱の身を守り、西の方を屹度睨んで、松前方の今や來たると待,受けたり。cほささしいまやくそくニこいなナはこくげん斯くて暫く待つ間に、日影は今や約束の午の刻に成りぬ。驚破刻限ぞ、いちとうかたづにしみいまいま〓なかbと一同固雖を呑んで西を凝視め、今か、今か、と氣を張る中にも、別けしゆりやうおびし2つききくろくもはて首領の鬼菱は、吊らるゝ如く伸びあがり、月を蔽へる黑雲の、晴るゝらのハないまニませにIcを祈る思ひを爲し、今か、今か、と眼を凝しぬ。しやこせん ちちす)しやううまシーすてナいまロン沙良泉待兼ね、日影を仰ぎて、正午の刻は既に過ぎたり、未だに一人のかマシまゴさすがしやうだひこすがたと云ひさして强く獨り點頭き、姿も見えぬは、流石に庄太夫殿はよく他cみ中おにびしおにびしさの:そく三といすでナ紛の腹を見らるゝ哩、鬼菱殿、鬼菱殿、約束の午の刻は既に過ぎたり、いごたちコとこてとおはびしざ、この塲をば立去らん、疾く來られよ、と手を取れは、鬼菱おもはずまたのヒにaうちおもロンおそこと又伸びあがり、西を脱んで眉打顰め、さて〓〓他の遲き事かな、いかにやくそく:すかしんがひりゆうのすけあれほどしかことばも約束の時は過ぎたり、さりながら彼の新貝龍之助、彼程確乎と言葉をつこiおにびしさいいましばし番へおきながら、この期に及んで、よも鬼菱を欺きはすまじ、今暫時、いましばしにちりんさまむかみまつえだたまたいち今暫時、日輪樣の、向ふに見ゆるトヾ松の枝にかゝらせ玉ふまで試みに(五八二) せんどの待たれよ沙良泉殿、といふ。
沙良泉心は逸れとも、せんこゝろにとことばおにぎし(六八二) :こさまでは他の言葉を戾きかね、去らば、と鬼菱のてじなここにぎにしKSおにびしはじめいちどうひとかげこ手を放し、拳を握つて西を睨めり。鬼菱首一同も、ソレ人影か、非ぬか、かむxいくたびむな〓ゝ木の葉にも、こいろニこと風に搖らる幾度か空しく心を配りて、待てども待てどおけみざししだいおたしいまはやまつ交も影だに見えず、日影は漸々に傾きて、今は早トヾ松の枝にかゝれり。大とせんふたゝけトきおにびしどのおはびしどのあまつえたみ沙良泉再び氣色ばみ、鬼菱殿、鬼菱殿、彼のトド松の枝を見られしや、おんみロミせんねんまんねんまいつはりおはャ御身こゝにて義を守り、千年、万年待たるればとて、虛言多きは日本人thまつまがたきたtくなまたてとせ粉の習ひ松前方は來るまじ、いで〓〓麓に下られよ、と又手を取つて急きたおにびしなは2 aしやるぜんどのいやいつこく立つれと、鬼菱は猶も動かず、さは去りながら沙良泉殿、苟しくも一國きみたみのぞまつまへとのしさいひとヽきふたときの君として、民に臨む松前殿、仔細あつて一時二時はおくるゝとも、よこのミこンEはやながおのれいせめも此儘に來ぬ事はあるまじ、さらば最早長くとは自己も云はじ、切てははちりんさまかまつ〇九七かピcoseうつたまこヽろニ日輪樣の彼のトド松の左なる樺の梢に移らせ玉ふまで、心しづかに待たいをはまたのつきのえつき꼬そこまつれよ、と云ひ了つて又伸びあがり、月之江、月之江、未だ其處よりも松まへがたみ前方は見えずや、といふ。せんしややすこちさて〓〓御身の心長さよ、〓こゝろながっ沙良泉は安からぬ面包して、それに就けてもねる腕の〓いは、まつまへS2めふるこしやうだいふどのみめたが松前の奴めが女々しき所爲、庄太夫殿の見た目は差はず、なにいつはりことごこニ26にでりんLだいむもし何か詐謀ある事と覺えたり、と腕を扼して待つ中に、日輪は漸々に傾き爲表Cakeか、cしやらせん み+ごはびしてひツつかて、樺の梢に懸り初めぬ。沙良泉見るより容赦なく鬼変の手を引掴み、おにびじどのおとびしどの御身は彼の樺の。稱を見玉はずや、かかばcheみたまいつこミニ鬼菱殿、鬼菱殿、那時まで此處に止ま空しく敵の計略に陷らんとは仕玉ふぞ、ceにかりごとたにたをcnこの:りて、いで〓〓我と此山をば下おにびしいなぜぎふゝのこうちつれたcyf紛られよ、といふ。鬼菱今は是非に及ばす、心を殘して打連立ち、腫をかこんことおの〓〓しどらニエ上いちどうよりかへへせば後に聲あり、各位暫く待たれよ、よ呼ぶ。呼ばれて一同振返れば、しんがひりゆうのすけ:ちんがさまぶかばかまにひとつれまつまへゆいこなた新貝龍之助を先にして、陣笠目深に野格穿きたる一連の松前勢、此方をさ、(おにびしきつとむきなほ〓ゆんPayこ,よい...せんいか指して進み來る。鬼菱能度向直つて威嚴を繕ひ待受くれば、沙良泉以下いりんゆんたち〓おにびし〓ヨ35 SIがたゐ정くづ1だいも意氣凛然と立列んで鬼菱の身を守る。松前方も威儀を崩さず、次第にちかよきたたがいちれいしやらせんはやさんぞときつ近寄り來りたり。和互に一禮する間にも沙良泉早く人數を見て取り、(七八二)屹とにこそふりたまつとへがたIoまをあれ はどかたやくいく度疾視んで聲振立て、松前方に物中さん、彼程固く約束せし時刻におく
さだにんやひとり2そくかまた:わたさ'(ま(八八二)れ然るのみならず、定めの人數に一人不足し、且つ又引渡すべき呑空法LいかこヽろえがたむこうBeりゆうの師の見えざるは、いかに、如何にせしや、心得難し、と銳く詰る。龍之は:シンニもツともことばかcこいた助は騷がずいと靜に、道理なる言葉なり、さりながら斯まで時刻に遲れまツたcoそのふたかためふたしは、全く以てこの中に其二人をは欠きしが爲なり、これに漏れたる二すなにとのどんくうふほしLこほか=ウレン穿人こそ即ち殿と呑空法師、その仔細は他にもあらず、先づ〓〓靜に聞きなくかねやくそくすこそむこんどちいちどううちそろすで:五一、兼ての納束に少しも背かず、今日一同打揃ひて、既にこの山の五がふめこもしのほちトらてきごとおそおほわがきみおんかよわき紛六合目の邊まで登りし折から不意なる出來事、恐れ多くも我君は御蒲柳御躰に御在しまし、みたこんにこととほ:たいまた一人は知らるゝ通りの老躰なれば、この山の毒あたわがきみどんくうほふしセルにほかごふくつうおんなやみ、氣にや中りけん、我君も呑空法師と同じやうに、暴に御腹痛の御惱に罹たまCaterひとかたそれゆゑいちどういつたんあとかへふきとごむんしよ々らせ玉ひ、何重氏-方ならず其故に、一同一旦後に返して麓の御陣所にだんともつかまつとうざんなめそかこいぐ御供仕り、その上登山爲せしこと故、斯くは時刻に遲れしなり、といふ。しや5せんふたゝこゑはひませうLせんぱんあ空しみ沙良泉再び聲を勵し、そは笑止千万なり、さりながら殿と法師との見えこ、おんみらなんはんきたまことはやざんねんこれざる上は、御身等何人來玉ふとも事は早それまでなり、殘念ながら是にまをごんざこんかたて御册れ申さん、ときごとうゑんこゑたかといふ。この時佐藤權左衞門、後の方より聲高く、イそのぎしばらエエとさいまつまへけからうしよくコとうヤ其儀は暫く待たれよ、と呼び止めて進み出で、松前家の家老職、佐藤五分즈ゝんごにびしわがきみしまのかんどのごしゆいつたとくうけたま權左衞門、兒發に我君志摩守殿の御趣意を傳へん、それにて篤と承はらわがきみだ〓たび〓〓あらそひ6ひふしろはせ雲れよ、我者の仰せには日本人とティスとの度々の爭國は相互の不幸といそのただいヤモさかひ元ふものなり、されば其根を断つため、第一には日本人アイヌの境を定め、第二には日本人を治むるは日本人の手にて爲、シヶセsてし13アイヌを治むるはアイスてすartこだだいしなもの;かへるきなひはふわたくしな紛の手にて爲るといふ法を定め、第三には品物交易買賣の法私曲無きやうめやすテ2このヽちシr.なかこのゆえぢき〓〓たいめんの標凖を定めて、此後の無事を計られんとなり、此故に直々に對面あつ三くだりs元こなうやくそくしやうもんてういんぎよいて、細かに條件を取定め、相方約束の證文に調印あらんとの御意なれば、わづかゆきちがひけねんなとこなた11/2べてしやうぎ?さわ些少の齟齬に懸念無く、疾々此方の麓に下りて、商議を盡されよ、と爽やかしやらせんみなひとしみぎ〇〇おにびし快に述べたり。沙良泉これを皆まで聞かず、人知れず右の肱にて鬼菱をとこつ2計おにびしこヽろなはけつとかくへんじ突き、疾く此處を去らんと告げ促せど、鬼菱は心猶决せで、左右の返辭(九八二)いねごんざゑもんたゝそのはうざもかくしんも云ひ出さず。權左衞門疊みかけて、さりながら其方供にて隔心あらば、
われ〓〓と〓に、↓jsこれ(〇九二) aいう:我々共も强つては勸めず、不承とあらばそれまでなり、是にて左右に引カ·どん くうほふしうちはたニバ、ロッャとまみおにびしおにびしこれも分れ、呑空法師を討果し、再び弓矢を取つて見えん、鬼菱、鬼菱、返辭せまゆるといちとせんこたん ひzことピそろを聞かん、と促らず緩めず問ひかけたり。沙良泉は古丹比留と言葉を揃雲一、さす流石は松前家の家老職男兒らしう口を叩かるゝは、がまつまへけかちうしよくをとこisハどんくつほふし、呑空法師を討果うちはた再び弓矢を取られんとは、ゆみやとしろあざみ面白し、15ハ逆いろし、ハヽ面白し、と冷笑の色を見せいカごんざ〓もんしあんうちおにびしにいちどうきつといちて云ひ返す。權左衛門思案の中に鬼菱の顏を見て、一同を屹度睨つけ、くわごんせんどんしどんくう또는おのれらみしゆしやう紛さりとは過言千萬なり、師の香空を爲むが汝等が身にしては殊勝さに、Dとこゝろふびんおぼわがきみはる< :ふもとにぶこ人ししも心を不睦と思して異骨にも毎々この山の然そで特に師來しあけふひとえびすごゝろあらまか:00セカ野こぼせしぞ、飽くまで獸類に等しきところの夷心の芒びに任せて、人の情を侮ようセせおにびしさい:けらば、容赦は成らず、爲んやうあり、鬼菱去らば、と云ひも了らず、何8チナなおはびしきつとしあんンの〓〓しばらLBB insれも來たれ、と腫を回せば、鬼菱屹度思案して、各位暫く、暫く、暫く、こゑあきらかよとごんざ죠もんあしミンよりむいことと聲明晰に呼び止めたり。權左衞門足を止めてわづかに振向き、言ふ事するとごおにびしなか上まつまへどのわれ〓〓ありや、と銳く睨む。鬼菱おもむろに近寄りて、さては松前殿には我々しきみたセたてまつしゆしようこはめはる〓〓ミiことが、師の君を尊み奉るを殊勝なりと思し召され、遙々この山の麓まで特おんこじん: CAなたみのでいつこく3cmきなけに御來しありしとや、仁を以て基と爲し、民に臨まるゝ一國の主、情ははぞしかそれエモまゝあとひツ上さもこそある可き筈なり然るに其をは所にして、この儘後に引返さば、まつまへとのまをおよをしがなものともしンたまほど譚松前殿は申すに及ばず、〓へ甲斐無き者共かなと、師の御思し玉はん程5 Cetあめふひかいふふ空ひとこも差かし、劍の雨も降らば降れ、火の風も吹かば吹け、この山一ツ越ゆためらごんざゑもんどのおはびしかなたゅるをばいかで躊躇ふことのあらん、權左衞門殿、鬼菱いかにも彼方に行いさんざニるんかばいろやばらしめしようしゆしようおんみら紛かん、と云へば權左衛門も顏色和げ、カ、殊勝なり殊勝なり、汝等これわれらと0 iきんしよxu〓第ごまんぞくもをより或等と共に麓の陣所に赴きなば、我が君の御滿足は申すにおよばず、ミおんみらしどんくうこといかい2mそれにも勝りて汝等が師の呑空が喜びは如何ばかりならん、と云ひ了つ[つきあふロニと3こちんしよわきみはじ々て日影を打仰ぎ、ヤア圖らず時刻を移したり、御陣所にては我が君首め、はふしま&法師も左こそは待ちわびつらん、いざ〓〓來たれ、と行きかゝりぬ。おなびしごんざムへこうともかなたtさだしやこせんうちつ鬼菱も權左衛門と諸共に彼方の麓を指して下れば、沙良泉も打連れて、(一九二)ふたあしみあしすゝにあるぴツたりのけ證うちだふてゑちあわはがんしよく二足三足進みしが、暴に撲地仰樣に打倒れ、手足を縮め泡を吐き、顏色
60ふおにびしおとろしやらせんいャかいせう(二九二)かを變へて苦しみ腕きぬ。鬼菱驚きて沙良泉、如何せしぞと介抱すれば、しやらせんくるいおにびし:なづかたまやままことこ沙良泉苦しき息を吐き、オー鬼菱殿か氣遣ひ玉ふな、この山は眞實に毒沼かわしどんくうはふしcruまつまとのこんにち: inあた氣多き歟、我が師呑空法師を首、松前殿にも、今日この山の毒氣に中り、雲xxxふくつうジ大·せんまたやまあた·KIB暴に腹痛あると聞きしが、沙良泉も亦この山の審氣にや中りけん、暴の御身は腹の痛みも無くて御座すや、いたㄸ脫3, (3 ca n ce〓き.痛、あな苦し、あな苦し、毒氣にあ々こヽろづかおえびしどの10くこたんは當りながら心付ぬにはあらずや、鬼菱殿、あな苦し、なあ苦し、古丹るこいかちやうけんらこいたニふさしうつむ紛比留、腹は痛まずや、長賢等腹は痛まずや、と顏を顰めて差俯向きたり。きん ざc.もんじゆうちひそそばよあやchせんばんことはこ權左衞門眉打顰めて傍に寄り、そは生憎千万なり、かくまで事の運びしあかつきそのもとひとり:ゆ3かんしalなしやらせんやまつと:曉其許一人を漏し行かんは遺感至極、何んと沙良泉病ひを勤めて、共やまくだしやるせんかしらうち2そのぎにこの山下らずや、といふ。沙良泉頭を打振つて、アヽいや〓〓其儀はめんちシしゆりやうおにびしとのはじめちやうけんどのこたん ひzとのほかおも御免を蒙るべし、首領鬼菱殿を首、長賢殿、古丹比留殿、その他重なるめん〓〓かうちまえむに とせんひとりかさ面々の、斯う打揃うて行かれるからは、沙良泉一人その數に漏るればとことこはりしやせんごかまよきとて、事に障害もござるまい、この沙良泉には御關係なく、いで〓〓麓へくだめさん ざもんことば御下り召され、五たにそのとと. chsいち〓〓〓〓〓〓と云ふ。權左衞門言葉を和げ、其許の云ふ所は一々以て!ことわりこんにちそのもとともいちだいじビとに:道理なり、さりながら今日は、其許共が、大大の塲所なれば、病ひの苦コこといまひとたびしあんわれ〓〓xせかた15しみは去る事ながら、今一度思案して、我々共の脊肩に縋りてなりとも、重共にこの山下らずや、といふ。: "c +せんあつとまつまへけか:沙良泉屹度顏をあげ、ヤア松前家の家老aとうごんざzん;·とよつこにぷこのしや佐藤權左衞門、病ひの苦しみは人に由つて異るものと思はるゝか、此沙せんさ〓こいろえがたほどだいじしゆつくわいこんにちままへどの良泉を左まで强ひらるゝは心得難し、左程大切の出會ならば今日松前殿:なにゆましともせまつまへとのやまやくそく紛の病ひをば何故强ひては供爲られざりしぞ、松前殿の病ひには約束をも:沙良泉が病ひには約束せぬとをもしやらせんいそくLち。ぱにせ破るべく、强ゆべしといふ理は抑もだいちたゝ、ごんざゑもんことばさホいづくにありや、と大地を叩いて罵つたり。權左衞門言葉なく、流石に少しく歸躇へは、ため ちたせんものしづかなでんせつかくことば々沙良泉再び物靜に、さりながら貴殿が折角の言葉をば、せんめながそむ沙良泉强ちに反き申さんも奧無し、'まうきようなしやらニせんま:足この上は沙良泉先づ病ひを勤めて、:なかビまかりくだあひだニでんらこくくくかとの:しこの山の半腹まで罷下らん間、(三九二)貴殿等は早々山を下りて、殿の病ひを强たてはつおなやまなかビいかのほいづひ奉り同とこの山の半腹まで如何にしてなりと登られよ、さらば孰れに
むンむ古ㅎ我が言葉(四九二)も無理はあるまじ、權左衞門、に無理ありや、と云へば、權左〓うちはヽムそれがしおんみらaう衛門靜に打微笑み、オヽゆるせ沙良泉、こは某が汝等の身の上をば、餘きこりにも思ひ過し、その爲却つて粗忽なる事を云ひしは我が過失なり、今そのSchyほど:その;くつきやう雪其許が云ひし所は、成程道理千万なれども、我が君には其許の屈强なるかるだ22ごんかよわちみしんかみ身躰とは異りて、おそれ多くも御藩柳御躰なれば、臣下の身として、いらやましやらせんしたとここかでか御病ひをば强ひ奉る事を得ん、さらば沙良泉、その許は暫く此處xもか、はちうなた、紛に止まりて、一同の歸り來たるを待受けよ、と宥むるやうに云ひ了り、おにびして100 8鬼菱、鬼菱、その他の者も、いで〓〓來たれ、と麓を望んで先づ去りた60とくやゝaおこnb〓こ首領鬼菱は、默々として良久しく沙良泉の面を階り居しが、山は里よりはや;ニ€な早き秋風、いと冷やかに袖を吹くまで、木の葉の戰ぎも何と無く悲しくこめしやら閉ゆる四邊の光景に、愴然として自ら眼を潤ませつ懐しげに、沙良泉のてと〓'おにびしかなたくだおんみこれ手を取りて跪き、沙良泉殿、鬼菱は、いよ〓〓彼方に下らん、御身は是·ヒョルこ〓おはみみより或ひは俄に事案く成る事もあらん、此山毒氣多げに見ゆれば身を大ユーわ切に能く厭ひて深く毒氣に中らぬ内、とく〓〓我がこの鍬先を懷中にして疾々こせはロ ビことばし出るの塲を走せ去られよ、人の言葉に從ひて山の彼方の毒氣に中らば其は我〇一〇〃むかなたが運の拙きなり、毒氣の無有は知るべからず、彼方をのみ疑はんは心きわれいのちをはことばしん, Lたなし、若し我生命を終るとも人の言葉を信して死するは彼には抜しき2はちななにうれわれことならず、死して耻無くば何をか憂へん、我は行かん、汝は去られよ、くはさき紛いざさらば、と云ひながら黄金の餌ルルを懐中より取りて沙良泉に渡す。と、せん くはつく〓〓そのてin.沙良泉鍬先受取りて、鬼菱の面を熟々と護り、其手を取りて頭に戴き、品〓〓ごいた如何にしても行き玉ふか、鳴呼兄上の心の正しさ、死して耻無け〓みてんうちまかカ、たま5そのむはacce々れば悔むに巨らずと今も大命に打任せて顧み玉はア危きに入る其腸生xぶ4にはアイヌの神も感じ玉ひて守らせ玉はん、止めんとは思へどもこの沙モかみく〓だち또良泉も我耻かしくて止め得ず、願ふはアイヌの神々達、我が兄上を助け(五九二)たまたヾをたヾ···玉ひ、アイヌに幸福あらしめ玉ひて、正しき人の正しき行ひに正しき報
たまさすガたけしやとせんハあまかいのまた、(六九二)あらしめ玉へ、と流石に置き沙良泉も思ひ餘りて神に祈れば傍に聞くもみなよしめあなるなかこたんひるがいぜんぢんたうのいづれも皆伏目になりて涙ぐめり中にも胡丹比留は慨然として陣刀ねる:てんるむよとせんどのこゝスやすたまジを脇挾み天を仰ぎて、沙良泉殿、心を安んじ玉へ、よもやとは思へどもまことなふるまひかなたみaたてしのこたんひおたしおにびし言信無き擧動彼方に見ゆるならば、身を楯にしても此胡丹比留、必ず鬼菱soさまうまん〓〓いきはひひはてきか.ひつくさしちがし殿を救ひ申さん、萬々一勢窮まらば、敵の首領と引組んで刺違へて死なわかくしゆびわ5せい しとた. 10かしもうず我が覺悟、首尾よく和睦の誓詞を取るか、但しは敵の首領と死ぬか、ぜん あくきつきやうこのをとこいのちかおにびしどのひきそ紛善惡、吉凶、いづれにしても此男が生命と賭けて鬼菱嚴に引發ふて行くうれたまひさろにしやらせん どのあんすごめほどに左のみは憂ひ玉ふな、平生にも似ぬ沙良泉殿の案じ過しは女々しちとをとこche L 3cmしからずや、些男兒らしう笑ひ玉へ、ハヽハヽハと强ひて慰め强びてからたんせんカ·"きとなほいきほひな笑へば、沙良泉も如是て果つべきならずと、氣を取り直して勢を作し、いさこおんなzゆん あくをだれたのたか1かなたやつオヽ勇ましや胡丹比留、善惡ともに汝に賴まむ、高が知れたる彼方の奴はこLたみ·志五ゅなんあん等に、些少の謀計のあればとて、汝が行けば何の〓〓、案ずることは無はわLたらをりかこさら、ごんざ五ぇい筈なりし、と强ひて笑ふ。折柄前に進みし權左衞門おにびしもて:·こヽとなにいまさらためたaupたは、鬼菱等の手間取るに小戾りして、何を今更躊躇はるゝや、と促し立ミびしばじめひといなsごんざゑこんつれば、鬼菱首いづれも齊しく、さらば、と云ふを名殘にて、權左衞門いては1tかたをゆに誘はれつ、麓の方へと下り行きたり。ちのPEかげにるか心nかなたcmこつぜん12さしけみなか一行の人影やゝ杏に林櫻の彼方に消えし時、忽然として熊笹の〓苔の中やまなたりやうてをといおといしやらせんめるこれみより山彎刀兩手に跳り出でたる男あり。沙良泉眼を擧げて之を見れば、か,るるきあ泡みれいピかあったとしゆん行の中に八れられざもしを飲みて忍び來りしを見ゆる例の馬屋力の〓エひざまづしやらせんどのアイスはらなはいた紛苦なるが、つか〓〓と走せ寄つて脆き、沙良泉殿、御身の腹は猶痛まる:けムよりあひ:ことゐかこo cmし、、山の上の今日の會合に者もの事と有らん氣と此處一 んんで來りしきろにごんみわづ:あるくるし〓こハが、日頃にも似ぬ御身の病患、步くこと苦くば負ふて此處を下らん、とせなさしレ.htせん わらなんcいだルまこと背差向くれば沙良泉笑つて、何の腹の痛むことがあるものぞ、縱や眞にいたこのやまdi caeごあることひやくり痛いにせよ、行かうと思へば此山の麓まで位は愚な事、百里二百里も行ナべうきなはちつきかねやうや、だヾ氣が進まぬので病氣になつたが、(七九二)もう癒つたやら毫といたたちあがちからあし〓しゆんくる ことは末も痛まぬ、と立上つて力足踏めは俊苦は呆れて言葉も
だ2めみはしやらせんしゆんくめ々おにびしさかたなが(八九二)出し得ず眼を睜りぬ。沙良泉は俊苦に眼も遣らず、鬼菱が去りし方を眺ろシンみづ,なづしゆんくとんたしのcha 0あはめ居しが獨り自から點頭きて、オ、俊苦、汝が忍んでこの處に來合せしさいはらをはこしほうたうぬとしゆんくめさきセツこそ幸ひなれ、と云ひも了らず腰より寶刀拔き取つて、俊苦が眼前に直つきつこれそなたかねのぞBrksほうたうわれそなたあた雪と突着け、こは是汝が兼てより望みし所の賣刀なり、我これを汝に與〓とひと〓〓あとこしのゅしこと16んほどに疾く人々の後を尾けて悟られぬやう忍び行き、萬一事あらば敵ミふおにびしとのたすめいしめんくほうたううけとを斬伏せ、鬼菱殿を助け來たれ、と命ずれば、俊苦は寳刀受取つて、さんつもなが·かたるがたほう紛も嬉しげに打眺め、ハヽワハヤ、有り難し、有り難し、この賓たうよしまつミまth ('わ たかれくつ刀のあるからは、縱、松前のへろ〓〓勢、麓に黑み渡るとも、火の枯草ニかたツばし〓ぎりおはびしどのsinおもしろおもしろを燒く如く、片端より撫で斬にして鬼菱殿を護るべし、面白し、面白し、シャせんどのナツくマたかなたのセちかるあし増々沙良泉殿、さらば、と云ひさして直然と突起ち、彼方を望んで力足、勢ロさひ込んで走せ去つたり。第六十二回24 5せんしめんくにしみきわれジュふもとのですでガ·ス.12 %沙良泉俊苦を西に見送り、我は車の董を望んで既に七八合目まで走せ下をりたいちなんかいつますときこときこここいろえてきかりしに、折柄一陣の風に連れて、微に関の聲聞ゆ。是は心得ずと手近なたかきニサのぼごまんふもとおろ10こふきこことBる喬き木にすら〓〓と攀上り、遙に麓を見下せば、関の聲聞えしも道理Catすんばとうじんやめしかわてきみかたいりみだbegなり、これぞ誠に寸馬豆人、差別は確と分かねども、敵味方入亂れて鎬けづついちゆうみるっはかわれら(かね紛を削る最中と見ゆ。さては飽まで根强く計りて我等を殲さんと豫てより:かゆCふのたいないてりけんぺん日.かしん山影に兵を伏せ置きしと見ゆ、憎さも憎き敵の權變、計られたる歟、心Soた.たせんほのほいぁtheごしつぶうごと.んで外なり、と沙良泉次友の氣息吐き敢へず彼を指して疾風の如く走せ下りみ〓かたはやた心てきとりまかおほかたうちじねしやうだいうい々しが、見れば味方は既多勢の敵に取卷れて大方討死なせり。庄太夫は如うちみこれまたすう上いだでおろかみごはわえはふりみたいつばん何にと打見るに是亦數ケ所の痛手を蒙り、髮を大量に振亂し、一本のドうしろだいたううちふ〓ュてきはせロの樹を後方にして、大刀を打振り打振り、(九九二)わづかに敵を防ぐのみにて、われ·おとじすごっかひ〓みかた三サヤ我より進まん力は已に盡きしさまなり。甲斐無き味方の態を見るより沙
いかまぐこいたもしゆんくと5良泉これに大いに怒りを爲し腰を探れば是は如に太刀は俊苦に與せたせんなこしか(〇〇三) 5.いちらマキなが·の25なにはさことれば、僅に小き腰刀のみなり。長兵ならでは持つも煩さし、何程の事かにんひしころだい大手を擴げて敵の中に蹴りズり、ひろてるセルそうにはあらんと、忽遽に一人を拉ぎ殺して大だう うばとからここにんそこにんまたゝうるたs刀奪ひ取るや否や此處に三人、其處には五人と、瞬く間にハタ〓〓と多めいてもまり上あらしかれはE Sひといいあるてきのみ勢の敵を所伏せつ、嵐の枯葉を拂ふが如く、たゞ一息に群る敵を物の見20 %しやうだいふハハ:ゆるかた事に追退けたり。庄太夫これを見て、心の張や弛びけん、ドロの根方にすわちがたなつまこ、す上いたでくるしやうたいふきの紛とつかと座り、血刀杖に喘ぎ〓〓數ケ所の痛手に苦しめり。庄太夫殿、しやうだいふとの...せんこヽろづよゐなよばしやうだいふくる庄太夫殿、沙良泉これに在り、心强く居玉へ、と呼はれば、庄太夫苦しいきニしやせんどのしやらせんどのか"oき息を吻と吐き、オヽ沙良泉殿か、沙良泉殿か、斯くあらんとこそ思ひゆゑいち はとことば3いさごろるくハ々し故、一度のみかは二度三度、言葉を盡して諫めしも、日頃は飽まで思allはかおにびし:しやうじきす、いばんじごんみひと慮深き鬼菱殿の正直過ぎて、聞入れられざりしに萬事は休めり、御身一ムかうなかさいばひおにびしどのたすかせビ人のみ見えたるは不幸の中の幸なれと鬼菱殿は助からで歟、と忙しくしやらせんはならにしにらおんみさつE問へば、沙良泉は齒を切み鳴して西を睨み、いかにも御身が察しの通り、し:まつま$3やまこゆえしやらせんいくたびミニ師の君も、また松前の奴めも、山の上に來ざりし故、沙良泉幾度か止めおにびしどのつひっしや'せんことビ、.いいるとうと評価しも、鬼菱殿には、卒に、終に、沙良泉の言葉を聞入れず、一同を從へ". i 'nかたをはしやうたいふひねんせんばんしやて、向ふの麓に下られたり、と語りも終らせず庄太夫は、無念千万、沙電らせん どのおにびしどのめyこのばやうナかむか良泉殿鬼菱殿の眼は瞑ぢたらん、此塲の樣子斯くあるからは、向ふのptハゐゐコいめでここch麓は思ひやる可し、嗚呼、嗚呼、骰子の目は出損ふたは、わツはヽLたなしこの,こやししやらせん仕方は無い、死ぬるばかりぢや、此ドロの樹の肥料にならうよ、沙良泉の のかいしやくたのニョルむねおしくつろしやらせんてish ce紛殿介錯を賴まうか、と靜に胸を押寛ぐれば、沙良泉その手を確と捕へ、はやまたましやうだいふかねこやしくちををとこし逸り玉ふな庄太夫殿、ドロの根の肥料とは口惜しゝ、男兒が死して世のこ:まなんしときいたで人に神とも祀られいで何とする、死すべき時にはあるべからず、痛手なきふしよモしやらせんかたすがいまいちとくん々がらも急所は外れたり、サアこの沙良泉の肩に縋りてなりと、今一度裙ぬひたちかいおにびしどのNi.どおんみはな〓〓いつぜう花々しく一方を引受け玉ふが丈..たまをと縫に立蹄りて、鬼菱殿の吊ひ戰に御身もこさてとひきだこのときかのとなあたかひと夫ならずや、·いざ、いざ御座れ、と手を取つて引立つる此時彼時恰も齊(一〇三)ばけたおとたにしやうたいふむないたざくろしくズドンと激しき彈九の言して燐むべし、庄太夫は、胸板柘榴の實の
こわのけざまたふいきた(二〇三)如く破れ、仰樣に倒れて息絕えたり。しやらせんいかふりむけむりうづまそのかゆスてた沙良泉怒つて振向けば、旭の渦卷く其蔭に銃を手にして立てるものあり、にしひツつかつこたらそのあひたへ遊からねば、其間さおのれとばかり走りかゝつて引擾みざまに顏を睨こいかねおとびしつかぞ주たんごぶらう言めば、此は如何に、兼て鬼戔に使はれ居りし沙留丹の喜三郞なり。さていかりえた左右,びはちB5しやうたいふしはおのれめ、と憤怒に得堪へず忽ち首を刎ねて地に抛ち、庄太夫の死せところ〓そのしるしかきとらはうづめまでしオンコし所に馳せ戾つて其首を搔取り、地を掘りこれを埋めて目標に棋楠樹のわかてばや,にとにしかたこ·北九のぞはやちか〓〓よ紛若木を手早く植うる程もあらせず、西の方より此方を望んで早近々と寄てるむれよんせんだいたうまつかうこしかざわれせ來る敵の一群あり。沙良泉それと見るよりも大刀を眞向に差翳し、我〃か.ふんきつさきやまいはほ%こより迎へて走せかゝり、燃えに燃えたる悲情の光錐、山も岩も碎きて粉てたふたかにんゆんなんきんむれな5ニまくらならに爲ん、斬れば斃るゝ高が人間、何万群爲し來たるとも同じ枕に並べてはツたしやうぎだふきりたふてなかやつはツた敵はいくれん、と手近き奴より撲地撲地と將根倒しに斬倒せば、づれもみけたにひあしたはこめんいきのこぶツときしゆつくわリ모身の毛いよ立を翅足立つたる側面より生殘りたるは佛益鬼、出火利、-き〓たaたんごまつかう÷かざこcりそきり〓人は山彎刀、一人は大刀、眞向に振翳して跳りかゝり、先を競ふて斬立てるわざはやさんはんひつし6日あたかねこまつれば、敵はいづれる來早を三人が必死の勢ひに當り畢たる樣なりしだ、Pきびすかいのちから〓〓にさやがて齊しく腫を回して、命辛々迯げ去つり。しやらせんながおひなとこかげたちタいきさはりあたEke沙良泉は長驅爲さず、只ある木蔭に立休らひて、悲憤やらん方なき所に、爲佛登鬼、ぶつとしゆつくわ出火利の兩人取つて返し、りやうにんとかことな事無き沙良泉を見るよりも、しやらせんみ倶に勇=らなこゑたか2.たつaしやらせんどのふつとみを爲して聲高く、ワツハと打笑ひ、見られよ沙良泉殿、佛登けふたゝか〓'ヾモくびひやくあまりうちといまだんぴらはとほ鬼は今日の戰ひに日本人が首百級餘討取つたり、今は大刀の刄もこの通つきた税しゆつくわリまたいつばうは紛り、と突出して誇れば、出火利も負けじと亦一方より、刄もぼろ〓〓にハルやまなたしやらせんめ:ヨつ七七.せんでのしゆつくわりなたひやく碎けたる山琴刀をば沙良泉の眼前に突着け、沙良泉殿、出火利も亦百級るまりうちとやきな〓はみしやらせんふたりm餘討取つたり、この山彎刀の刄を見られよ、と云ふ。沙良泉二人を睨みおにびしどのあんさ鬼菱殿の安危も問はで。心長開なる手柄話か、とこゝろのどかてこのしやらせんおにびし(25)々つけ、此沙良泉は鬼菱殿をていてこしやうだいふどのtくん めひか、ひと〓〓ゐ敵の手に取られ、生太夫殿をも死なせたれば、裙縫に歸りて人々に會はさいなとおのれらとこわれらさいごすべき而は無し此地にて死なん、汝等は疾く此地を落ちて我等が最期の(三〇三)ニつたふもろともめんぱくあり: 3うなコ狀を傳へよ、と云へば二人は諸共に面目なき有樣なりしが、打點頭きて
かはひと〓〓そのつみわれらニしやらせん沙良泉(四〇三)顏をあげ、人々を打たせたる其罪は我等が上にこそあるべけれ、sおんみなひとしづかEhsたさわれ〓〓りやうにんふ殿御身は無くてならぬ人なり、靜にこの所をば去り玉へ、我々兩人踏10なんまんばんよないちばんおんみあとンま;枉げみ止まりて敵何万人寄せ來たるとも、一人も御身の後は追はせじ、上た〓いよんこ〓たこいのもか〓て二人が言ふところに從ひて此所を落ち玉へ、生命を賭けて追ふものをかならとまをしやらせんきうちうなづさすがりやうにん必ず食ひ止め申さん、といふ。沙良泉聞いて打頷き、オヽ流石は兩人、たの六七〇こヽミToきようしやsさ賴母しゝ、さらは二人は爰に止まり、敵よせ來たらば容赦なく斬つて斬CHEきれあちいまいとたびこゝろのわれこれくんぬひほんじやう粉つてアイスが刄の切味を今-度ゆる〓〓と試よ、我は是より裙縫の本城たち.ともらいくさよういないをはふたりむこあは、に立歸りて、吊ひ。戰の準備を爲さん、と言ひ終つて二人の面をば憐れのうもなが三十かへあいしのぞ〓たてんごとロさものやと打眺めしが、やがて雖を回して車を望んで章歐天の如く馳せ去セつたり。しやらせんひといちやまから.はゅ子エはやううころほひ沙良泉は一にに八里の山道を走せ行きしが、折から夜は早三更の頃比およこすがすこつかれごはみちのべいはニ、よのに及び、流石に少しく疲勞を覺えしかば、路傍の岩の上に攀ぢ上りて、:まくらみまたたちまちおにびし=いつかうEchsきひ肱を枕に身を橫へしに、忽地鬼菱等の一行この所に來たりて袖を引き、〓·せんどのいで参:むさぼいざ起きられよ沙良泉殿、k今は徒らに眠を食るべき時にあらず、といふ。しやらせんさんわれわけンなんはかたいしばし:沙良泉は悅ばしさに我を忘れて起きあがれば、何ぞ圖らんそは徒雲時交ろかめみわたさんちうすみいろなよしん く〓かん睫みし間の夢にして、見渡す山中墨色爲して夜は森々と深けわたり、眼下の山河夜嵐に咽ぶ音のみ聞えたり。こん14ンこ第六十三回くんしろから:かみうよおにびしELBかしらだひとびと裙縫の城にては、一同が神とも仰ぎし鬼菱を首として、頭立つたる人々のこん ばcay wマニしろの:やみよてらの殘らず昆保岳に向ひしかば、止まりて城を守れる者共は、暗夜を照せともしびにはかバなこゝろぼそおくきかLる燈火の遠に滅えぬる思ひを爲して、心細く日をば送れる折から、可志:いつきて:な.とかへこんぼのぼりさまかたとニカcaf鳥一騎手負と爲りて走せ歸り、昆保岳の樣を語り、切齒をなして、恨をむ<かないこれがく ぜんてら報いでは叶はじと言ひければ、か之を聞くもの愕然として面の色を變へざか=いたてよめほとほねむみちいそるは無し。可志鳥は痛手の上に、(五〇三).夜の目も殆と眠らぬまでに、道を急ぎㄸニさすががうりきうもよわわれし独知すず少し=とろて走せ歸りしかば、流石の强力も打弱りて、く微睡みしが、
たちまちはしやうふうモしなやのでたさんかう忽地破傷風と爲りゃ仕けんその惱み。方ならず體えぬ。よこ(六〇三)この夜三更の頃Lとりぶいしとり·ことこと〓けたヽま比に、可志鳥殿、可志鳥殿、事あり、事あり、起きられよ、と急遽しくちょうみ可志島それと聞くよりも、1レときまくらあ呼ぶ者あり。おもき枕を僅に擡げて、見れば雲あす。蹇の灣歩なるが、わんぼか可志鳥のさも苦しげなる樣を見て、しとりくい: aヤア可志鳥殿、かしとりどのン御前機まで左樣成つたか、:ニクなるしたアー氣が揉める、氣が揉める、この足が立つなかしとりまくらもとえのつゑわんぽこの〓らば、といふ。可志鳥は枕元なる兵器を杖つき、灣步殿、何んと爲た、しか"どこわんぼせつ;よたのなひとこゝろと顏を顰めて身を起せば、灣步は直と摺寄つて、アー賴み無き人心なり、ま표는いちとうひと〓〓Beをひとにふたり"御前の話を聞くよりも、#一同密々と話し居りしが、一人迯げ、二人逃げ、わんぼ果は十人百人と關に紛れて落行く者の數は幾干とも測り知られず、t.にんひやくにんに三おも10りかぞい5 F.灣步たこのあし門前に立塞がつて怯れた奴等を打離し、たもふやっとまはななが此足の立つならば、何んとかやうあん오じゆうかLとり·あし仕樣もあらうものを、エーこの足の不自由なが、可志烏殿、エーこの足トゆうくもをしみふるLの不自由なが口惜い、かとり、いつたうつゑと身を震はしたり。可志鳥聞くよりも、一刀杖にた館口瘤んで心に任せず、いたぶいハゞつ;なんはかなら立たんとせしが、擅乎と倒れて齒を嚙み鳴し、われビrf 2 :かく成り行くと知るならば、我も彼の塲で潔よく戰死して退けたものを、:々少しも早く走せ歸り、ニひと人々と共に敵はぬまでも戰鬪の準備をせんと思ひreかなたBよういいつしやうこたの"ゼひとく〓こん ほ昆保岳の大〓を知らせCityよそししは我が一生の過りなりし、賴み甲斐無き人々にCふ、たおはびしどの·cas〓かたがたまうしわけEしは我が大の不覺、鬼菱殿を首として、重き方々への申譯はこの通りなわんぽきのかL cいつたうひきぬわんり、灣步殿、さらば、とばかり可志島は、一刀すらりと引拔きたり。灣ぼみまろ上L kyて〓ははんはや步は見るよりも、轉び寄つて可志鳥の手に取縮り、エ、早まるまい、早しちゆうぎこのしろやいか: ras紛まるまい、死ぬるばかりが忠にあらず、まだ此城には矢伊香樣をば首ぃノ:ふきさくこまそがんしコ三このドミおれとして、伊良武樣、吹咲樣、曾巖枝留樣あり、此期に及んで御前や俺が5% Kるかた〓〓:ふかでかし早まつては、誰あつてか彼の方々をば守らうぞい、と云へど深手の可志=とまけbわんぼことば:00御前の言葉はさる事ながら、まへこと鳥は、おもひ止らん氣色も見せず、灣步殿、しよせんかなこのいたでいか〓かLとりかたがたLでたs所詮叶はぬ此痛手なり、生きて甲斐無きこの可志鳥は各位の死出の御供てはなわんぽつきのわれわせんのみ、いざこの手をば放されよ、と止むる灣步を突退けて、(七〇三)我と我てのんとつS〓ことLが手に咽喉を突きて物の見事に死んで退けたり。
とせんか: .や、(八〇三)沙良泉は斯くとも知らず、可志島に一夜おくれて走せ歸り、城中の樣をみせん あと左aふカンニ見るに、八千餘りの手勢なりしが、今は大方遁去りて、止まれる者は僅〓に千人ばかりに過ぎず。沙良泉灣歩に仔細を聞きて大いに怒り、さりとらん:·〇こしぬけなんまんた爲は愚なる奴共なり、可し、物に畏縮ける腰脫は、何万あらうと役には立ごようどやつたのもわれといろせんにんたず、この期に及んで動かぬ如こそ賴母しけれ、我に心そろひし千人のてのものだかじを手勢のあるからは、高の知れた松前のへろ〓〓勢、何万人群り居らうと:長、いろ(三五のこの蹴散しくれんは瞬く間なり、と顏の色だも變へざりけり。止り殘れる者ミせんことなきたす〓こ共は、沙良泉の事無く戾り來れるを見て、心細く留守居せし稚見の可戀二年え.ならたこせんまつまへしき親に會ひ得たる思ひを爲して、城中再び勇み渡りて、沙良泉が松前おしだ:と、せんいもじつ々に押出す日をのみ待受けたり。折から俊苦は沙良泉に一日おくれて走せ: NHしやらひとめ:、戾りしが、心窃に待受けし沙良泉は、それぞと一目見るよりも、膝を叩しゆんくおにびしとのかたづいて目を睜り、オ、俊苦戾りしか、而て鬼菱殿は、と固睡を呑んだり。しゆんくらがみなb俊苦は撞乎座を占めて、沙良泉殿、と切齒を爲し、物も得言はぬ樣なれ〓とれことき、ましゆんくせなは、沙良泉早くも其と悟つて復び物も云はざりしが、俊苦は脊より厚子つゝみ"と、せんミ15 cerい:せんの包を大切に取下して、沙良泉の前に擴ぐれば、現れ出でしは沙良泉がいまたづBいやしふるまひ今尋ねたる人の首なり。日本人の賤き所爲をは死に至るまでも價りけんふたつ、め.5 ;らしやら兩の眼をば閉ぢもやらず、睨めるやうに視開きたり物に動ぜぬ沙良泉たかななんだおにびしむげんも流石に堪へぬ悲哀の涙を讓とはふらしつ、屹度鬼菱の面を護りて無限バこのときたちましつないなの思ひに沈みしが、此時忽も轉ぶが如く室内に入りて泣き伏すものあり。たれなみだ紛誰かと見れば、矢伊香、伊良武、正體も無く取り亂す。無理ならずとは〓なけ思へとも、ユ、喧しい、何を泣く、斯く爲る上は欺くも及はず、今はたこGたヽ松前めが首を取つて、鬼菱殿に手向けんのみなり、而て俊苦、その塲た...ひざ1の樣子は、と沙良泉は膝を前めて問ひかけたり。第六十四回(九〇三)しゆんくがみな+間はれて俊苦は面をあげしが、切齒を爲して眼を瞋らし、さればなり沙
せんどのいつかうあとteくだなんあか良泉殿、あれより一行の後を尾けて麓に下り、難なく近々と忍び寄つて、(0一三) (熊笹の幾百を。個刈拂ふて、す、みわづかかりはらまくまと様子いかに、とうかゞへば、幕うち廻した陣ゐ〓babミいつ行屋ありしが、內には人の在りや無しや、いと靜なる有樣なり。我が一さんざ죠トルさそぢんやおいたの權左衞門等に誘はれて、3陣屋の門に至るや否や、それをは遲しと待ちけてあんぎやそうい受けし樣にて、一人の行脚僧出で來たり、オヽ來られしか、よくこそ、LさんくうほふしおんなやKわたなき紛好くこそ、我が師呑空法師には、御惱みます〓〓重く波らせ玉ひて、今生は唯御身等の見ゆる" =たるこざそを待ちわび玉ふのみなり、疾く此方へ、と誘ふて內"2われとこときに入りしかば、さては眞實なりしか、と我も少しく心落着きて、その時なかばひきぬをたさやおこかだてつばうぶと半身引抜き居りし太刀をば鞘に納むる間もなく、俄然に起る鐵砲の音、山も轟きて聞えたり。こちすははなんなくむり驚破事あり、と走せかゝつて陣幕切裂き跳り込めほふしとのむねみかにびしどの·508むツサえうざんいたば注師も殿めも姿は見えず、鬼菱殿をば首として、夢賊、擁山に至るまっしょひそ〓にんおめいミふしたハ2ぬかで、幕の後に潜みや爲けん、十四五人の伏勢に急所を充分打貫れて、いすでにちは:いきとはさんざゑもんらづれも既に事切れし樣なり。我が憤りに引きかへて、權左衞門等はこのいさ有樣に勇みを爲し、cシひと〓〓くびとナ先を鏡ひて人々の首を取らんと爲る態なり。憎さもをら30せなニ〓憎しと跳りかゝつて、先づ龍之助めを眞二ツに鞏離し、不意を食つて身と3.4さんざ五ぇてきおにの度を失ふ權左衞門が皺首を刎ねおとし、二三の敵をば斬つて棄て、鬼びしどのはやわれ9かたはし菱殿の首を取りしが、敵は早くも我を取卷き、斬つてかゝるを片端より空すでゐたまそこ〓5 x斬り倒し、斬り倒し、既に二三十の頭を其處邊に列べくれし折から、陣chsいちめん くま ざゝしげみなかとをてつぼうう、か用の後は一回煎部の邊音の中を遣く退まて線形を類に打を描くるもをわれどハ紛70惜しからぬ生命なり、我のみならば何處までもと一旦は思ひしが、われおはびしたいせつ눌てけがか、我若し死して鬼戔殿の大切なる首を數の手に汚させては、と思ひ返せばレだいつばうけふやつ〓:こんほ死ぬに死なれず圍みの一方を蹴破つて、追ひ來る奴等を追ひ戾し、昆保岳に走せ登つて一夜を明し、.のほいも々あかアルアI: =こなたi .くな東の白むを待ちかねて、此方の麓に走せ下みaかたたいかさこうりしが、見れば此處にも味方の大變、重ね〓〓に驚きしが、是非無くもひかroもニたに、ニすu見返り勝に過ぐる折しも、馬の嘶き聞えしかば、驚破敵あり、我を追ふ(一一三) ;まてきおにびしとののこのりうまぞ、と踵を廻せば、敵にはあらで、鬼菱殿の遺しおかれし乘馬なりしが、
みした.おとなたあな(二一三)我をば一目見るよりも、後を慕ふて走せ來たり、温順しく頭を低れて悲:こ:しむ様なり。餘りの殊勝さに、鬼菱殿の首を示して、最後の樣を云ひ聞しゆんくしばしめなしぼむしすれば、沙良泉殿、と俊苦は暫時眼を泣き絞りて、畜生でさへ悲み憤るなほのそ向直つて西を望み、むS yach雪さまなりしが、齒を剝き出して、怒るが如くに斷きふりたしが、我引き寄せて打乘れば、鞭もあてぬに〓を振立てゝ走せ歸りぬ、かはいろなは ぎしりしこ:30がたしと俊苦は悲憤の顏色爲して、齒軋爲ながら事躰明らかに物語りたり。沙をはたきつとしゆんく良泉は聽き終りて、轉た悲憤に堪へざる有樣なりしが、屹度俊苦の顔をほた左·と 七わたISわれ〓〓さくし見て、汝が働き大いに宜し、鬼菱殿の首を渡さず、腹黒くも我々をば欺ZんELBば2ナきし彼の權左衞門めを首として、その塲に見事打棄てくれしは、をでをわれて々出來し居つたり、出來し居つたり、この上は我と汝とにて下下の者を引とつまへコは連れて、日ならず松前に押懸け行き、日本人といふ日本人を屠ふり盡し또§B aと云へ炭て、松前の城を燒き拂ひ、草木の根までも断絕してくれん、ば俊〓にる) : to苦は沙良泉の顏を仰いで、二人揃ふて出かくれは、赤子の腕を挽ぐ樣なビこまいすぐこの時沙良泉はしゆんく俊苦の言葉に答へもの、今から直にも行かん、といふ、したいたはんはて い今姉去山の置ま; tiんとする間も無く、部下の一人走せ來たりて、敵あり、おしよしやこせんきすこ一おどろをどはで押寄せたり、と注進す。沙良泉聞いて少しも驚かず、跳りあがつて走み一六七=ぶ伊良武の二人に向ひて、gせ去る俊苦を靜に見送り、矢伊香、おん身等はま〓このしるしせつはうむ金をはたちるが落居て、此首をば、大切に葬り玉へや、と云ひ終つて立上れば、伊良武ヒヤ+せんどのあに:九七くだは物具取出して、サア〓〓早く沙良泉殿、兄樣の敵を討つて下されや、並ばかI:〓\32店紛と口には健氣に云ふものゝ虫が知すか何んとやら、名殘可惜げに夫の顔セル九せんどそミと左b沙良泉は遲しと物具引つて身をを打目戌りて、僅に淚を忍びたり。: iのむかふでみめ、鬼菱が形見の槍を小脇に掻込み、櫓に登つて屹度前面を望み見るに、てきすて3こなたさうしゆんくおは數の大軍地を掩ふて既に間近く押寄せたり。此方は慓悍無雙の俊苦、鬼にし。2おのれこ:菱が形見の馬を乗り放して、今は自己が愛したる秘藏の荒駒に打路り、あ2手には我が與せし黄金作の實刀を揮ひ、手勢二三百人引率れて、已に裙(三一三) :縫川を打渡し、〓を待つたる有樣なり。
つてそうたいしやうまつまへたらうざ〓こわらうさとうごんずた(四一三)んはかりきとしめこ討手の總大將松前太郞左衛門は、家老佐藤權左衛門と計略を譯し合せて、かれおにぎしたこん ぼのですすかよことなわんたいほんもとくんぬひニ彼は鬼菱等を昆保一出に賺し寄せて事を爲し、我は直ちに本據の裙縫を擊ふコカてほぞごとねこヽロきただもうざ破らんと豫て定めし手筈の如く、今しも此處に馳せ來れるなり。太郞左雪ゑゝそのいきはひひともみおしよしゆんく:ひとそなへあらたびす衞門が其勢、たゞ一揉にと押寄せしが、俊苦が率ゐたる一隊の荒夷、そいエかはわたか、かセルトいか,さうほういづられと云ふ間に河を渡つて却つて彼方より遂へ擊つたり。雙方何れも命ををえい〓〓ごゑことふんね日おにびしどのともき惜まず、曳々聲して揉みあひしが、特に憤怒のアイヌ勢、鬼菱殿の吊ひいくるてなみみよばよば3.きそ、アイヌが手波を見せくれん、く紛戰と呼はり呼はり、先を競ふて進み來るなかがうりきむそうしゆんくちからひごろひやくばいうまじゆうわうのりまにたちどころ中にも强力無雙の俊苦は、力日頃に百倍して、馬を縱橫に乗廻し、立所よせてせんちんBらうしいきはなに〓はうに寄手の先陣を斬り崩し、暴れたる牛の勢ひ爲して二陣に馳せ入り、寳たつ21 < 4ほ法ていづその즈おそあらし,こ々刀を揮つて狂ひ廻れば、寄手は何れも其威に怖れて、嵐に打たるゝ木のはミいつにはしさん ぢんたいしやうまつまへたんご:み葉の如く左右に散つて逃げ走れり。三陣の大將松前丹後、この樣を見て大いに怒り、いかあるあ:六(まつこのりいたしゆんくの ちかよ自ら銘を揮つて馬を當先に乘出し、俊苦を望んで近寄つたしゆんくすであゝた15うちとめたび〓-ちよし00俊苦は既に數多の敵を討取りしも、目立ちて美々しく裝ひたる丹後ちかよニなきここすみやかうまわたたてなほほうたう÷近寄り來たるを見るより何かは堪へん、速に馬の頭を立直して實刀を振かざたん ごのぞいきはたけ、エちよんどそまち〃わざはや翳し、丹後を望んで勢ひ猛く進み寄る。丹後は遲しと待受けて、業早くつツしゆんくはきさきはとこた、ゐはとなんたちなか突かくる。俊苦穂先を拂ひ退け、再びかつしと合する途端、太刀は中よ雲たんごxツしゆんく: aカセりほツきと折れたり。丹後は得たりと突かくる。俊苦は飜然と身を翻し、C.たおまんしんちわらこたかつたことたん ごかけん殘れる太刀に滿身の力を舘めて投付くれば、その太刀過たず丹後が眉間あたたちままなこくらニ3cmエえに中りしかば、忽ち眼眩みて馬よりドウと逆に落ちたり。得たり、とつうまとたんご;沼ときうしろあら紛ヾいて馬より飛び下り、丹後が鎗を奪はんとするこの時後方に現はれた秀人ミどうめうしゆぜん々りしゆんくわきばらてつべきanつきつらぬる丹後が弟の同苗主膳、鎗をもて俊苦が脇腹を、鐵壁も通れと突貫きたさすがもうゆうゆつ2ひニをとこきふしよいたでぜつたいぜつめいり0流石益勇紀信にして次よりも想しきりなれる意所の茄子に起躰絶命ち보률とみ: :たぐしゆ ぜんひきよわとi血走る眼を睜開きしが、鎗を手繰つて主膳を引寄せ、我が供せよ、と属Gこわち:はさしめころこうともいきた〓ときすでルやりつ頸を小脇に引挾んで絞殺すと諸倶心ええてたり。らこの時己に沙良せんてきむんなんきりくゴてるはん ぢん、いうろこSたもなら泉は、敵の三陣四陣を切崩して、敵の本陣に進み入り、魚鱗の如く立並(五一三)てほうこ〇そうたいしやうたちうざ〓えつきとゐせびし敵を四方に追ひ散して、總大將太郞左衞門を突止めんと焦心りしが、
かたhたのひうたわせんいみ(六一三)我が片腕とも賴みたる强力無双の俊苦を討れて、我が軍おのづから色めくんぬひはやはな首を、回せば裙縫の城は既何れよりか敵の手勢攻め入り火を放ちvき渡り、:みン:最たる樣に見ゆれば、事に動せぬ沙良泉も、今は支へ難きを覺えたり。寄これいきはこ〓 〓〓よば#手は是に勢ひ募つて降參せよ〓〓と聲々に呼はり、殘卒を散ぜしめて沙せんにかせんきつと三:良泉を討たんことのみを圖りたり。沙良泉屹度思案して、馬を跳らせ鎗LES vsなやをつひかこいつビッなコを揮ひ、暫く敵を惱まし居りしが、終に圍みの一方を何んの苦も無く突; %めよやみ: :がたしおち紛破つて、折からの夕間に跡を昏まし、行方知れず落行きたり。第六十五回、れxおとかなみ積丹おろしに友摺する贋のかれ葉の音さわがしく、寄せては返す荒浪の、2 u4じやうみぐれおかむいみなみどん〓〓と浦に響き沙上の鳥を追ふかと見ゆる夕間意、神威岬の南なるニ概內の濱に一人のアイス出で來たりて、sミは藍なす海面を見わたしながら物つけやつ待顏なるさまなりしが、最早退刻こゝに來る可き時刻なり、彼奴めを捕へて引總れば、3びのぞ,だいに夜美の金はこの佐留太が望み次第なり、と捕吏の頭は云したんミ〓bみに飛び込んだり。はれたり、暫くこれにて待受けん、と蘆葦の繁ねりがひンこ占れふしやゝありて、練權の音ゆるく、こゝに小舟を漕ぎつけし一人の漁夫ありはやたそみミヤひづなこbyか彎しが、早黃昏の四邊を見廻して、紡綱をは木株に緊乎と繋ぎ止むるを佐大プ:れふし〓留太は得たりと打點頭きて、蘆葦の隙より漁夫の容貌を窺へば、身の丈눈:いはながゝ八九尺に餘りて、骨格さながら岩の如く、長き頭髪に面をかくして短きけs :ぶびこし うち粉厚子に毛脛をヌツと露出して、藤蔓の帶を締めたるが、舷に腰打懸けてら:すこさわPおとつら〓〓と物おもふ樣なりしが、折しも蘆の騒然と響く昔を耳聴く聞くモなたまなざしするとひげみたいろくろよりも、其方を疾視む眼光銳く、鬚亂れて色黑き大男なり。a石たちかよ高うつ佐留太は充分に覗ひ得て後、つか〓〓近寄りて、遠虛なく舟に乗り移り、:みオイ漁夫殿、今夜は少しおそかつたの、といふ。漁夫は身を伸し、それジェニごそこZerは時の都合に因るわい、早い事もあれば、また遲い事もある、して汝は(七一三)ことわり÷なじをは斷も無くこの舟に飛び込んだが、用事があるか、と詰りも終らせず、オ
)じはたためこも實は先刻から此處に來て、(八一三)ある〓〓、その用事をば果さう爲に、汝のごとん來るのを待つて居つた、とばかり云ふては埓が明かぬが、見れば汝は此らぐれ〓.ニ、x ;たし四五日、日沒に成れば爰に來て、明くれば沖に行かつしやるが、汝や全つき躰何處の者じや、とa.盤と面突着けて問ひかけたり。れふし: m :ふるびら2/3漁夫は氣にも止めぬ樣にて、俺はこの先の古平じや、といふ。ナニ古平、ぐる。ワハ世の事は斯うしたものちや、隱すより見はるゝ、古平などよそ〓〓いごとゝ他々しく云はつしやるが、笑止な事には、汝の言葉は西塲所じやのう、まはりいろしめにく〓〓れよしは漁夫は機つた〓も爲ず、と冷笑の顏色示して憎々しく詰問つたり。1せんきなるはさ노こりや行き屆いた身元の穿鑿、成程さう云へばこの四五年、西塲所に行を:こゝろて居つたが、彼方は近頃戰つゞきでの、海山の稼ぎも心に任せぬ故、ま4 ~ . .にNeたこの邊に戾つて來たのぢや、といふ。佐留太は屹度睨みつけ、しやアk口がしこく吐し居るわい、見れば漁夫に身を信し、殊勝振つては居るなほろないaた2まつまへどのれど、この幌內の佐留太をば、言とおもふか、おのれこそ松前殿の御たくん ぬひ24せんはづね者、サア裙縫の落人、沙良泉めに相違あるまい、と肱を張つて詰めよ、Shuガなしや寄つたり。漁夫は騷がず、いと靜に、所謂も無い事云はつしやる、沙良せんどのたれしのと)泉殿と云へば、誰知らぬ者も無い、こん度の戰の大將株なり、それが如, io〓〓·何して此邊に、うか〓〓と漁でも爲て居らるゝ者かい、ワハこたc.とりや旅の者ちやと、無つて、い之:途方も無い難題云ひかけ、この船腹の獲物をこヽろそかつ〓れうけんは、卷き揚げうといふ心か、イヤ其奴は善く無い了簡ぢや、さう聞いてめびanそよ、chいたい紛は指は衝へて居られぬわい、沙良泉殿程は行かずとも、これ位の力はあたなぐら·ウツ:〓るぞ、と佐留太の胸座引摑みしが、問かせも爲ず突出したり。xたをさあかよすで佐留太は焦燥つて、また舟に跳り入り、怯まず漁夫に近寄つて、已にこx rらににんぞ: iの佐留太が訴へに依つて、捕吏の人數この沖を取卷くからは、所詮おの·50 beせんせる面をかくした其髪を拂へ、れが命は遁れず、沙良泉ならずば其までなり、DRBてなたいで、とばかりに跳りあがつて、漁夫の額に手をかくれば、(九一三)此方は直と韻を引きしが佐留太が、、 無 手 と う み 、たむんづのぐつと睨んで物いふ聲を改たま
こせxわ たせん(〇二三)しやぶみり、さう見はれては是非に及ばず、いかにも我は沙良泉なるぞ、見ればおのれさだこれャはづかしめうき汝もアイヌなり、定めて是まで日本人が耻辱は受けしならん、に、利欲にしやうね3シヤモいぬなを노を性根をば失ふて、日本人が大と成つて尾を振り居るか、さて〓〓アイヌつらよきし+せんなすなじをはにうでが面穢め、われ沙良泉ならば何んと爲るぞ、と詰りも終らず、摑みし腕と法たら〓かみないposしぜほうを取り絞れは佐留太は屈せず切齒を爲し、言はずと知れた汝を縛つて褒美の金に爲てくびなときふ。ふせんいけれるわい、ハ何んぢや、この沙良泉を生とうかねニからたほうびうけとか紛捕つて褒美の金に憫はふとや、何の身體で褒美を受取らうと歟、つヲばな: " xニン2とがと突放し、組まんと來るを權追取つて唯一ト單に拜み擊、さ〓ふたこちわたふジニけこ沙つくり頭を二ツに擊割り、仆れて間燥くをざんぶりと海に蹴込み、血したかひひぢさはツひといきつをは2.まふいっヨおねぞら橋たる權提げて、吻と一息吐き終りて打仰げば、那時の間にやら大空に、りかり:つきてわたあきおこメ%っじやうさつDこと光も〓く月照り渡りて、秋風袖に冷かなる折しも、頭上に颯と物音して、いづちこえこたcとしやとせん何地へ行くらん腫の一列、ロひ聲も哀に愁ひを曳いて飛び去りたり。沙良泉は智時行方を見送り居りしが、ひばとをて:うらや手にせし權をドウと突き、あな羨ましきルに夫の文化 じく行く、ものを、0批判は。人民國夜寐並びて正の形にも夢やすからず態みに宣ひし入れは何れも、何れも吾既に世と去られたり、また我的就けて昭起さる〓はその効能源の場に優しおきり 近頃世上の取沙汰には、我等が一味 の者共は、矢に捕けれてにづれも重き刑部に行にれたりとの事な不感や胎見直僕に、6の何に成りたらん既に我が身に先は落延び得て未だ世に在べな明日の今すしら第の彬ベ我が身の跡そば君税夢にも、へるかそんも是も皆日本人じしよクチめ良見かくて在るからは焼西場所の酋長ともを說き伏せ二度は思い知せてくれん、し徹ふるこの便み、mと切國を爲して天地〓き(用にせひと述とる折しむ、蘆の繁みに其處役處、こ:怪しき合■の笛の音は風に亂れて起りたん。
: "われ(〇二三)さう見はれては是非に及ばず、いかにも我は沙良泉なるぞ、見れば七き汝もアイスなり、定めて是まで日本人が耻辱は受けしならんに、利欲にy·を性根をば失ふて、日本人が犬と成つて尾を振り居るか、さて〓〓アイヌ雪せんが而穢め、われ沙良泉ならば何んと爲るぞ、と詰りも終らず、摑みし腕温ニはを取り絞れは佐留太は屈せず切齒を爲し、言はずぐ知れた汝を縛つて褒〃おa Lい美の金に爲てくれるわい、と言ふ。何んぢや、この沙良泉を生ほう紛捕つて褒美の金に潤はふとや、何の身體で褒美を受取らうと歟、ピなと突放し、組まんと來るを權退取つて唯一ト擊に拜み雙、さ泌つくり頭を二ッに擊割り、仆れて悶燥くをざんぶりと海に蹴込み、血ひといきつ20 3,또名s滴たる權提げて、吻と一息吐き終りて打仰げば、那時の間にやら大空に、Pらら光も〓く月照り渡りて、秋風袖に冷かなる折しも、頭上に颯と物音して、b.列か·高圧z何地へ行くらん雁の一聲も哀に愁ひを曳いて飛び去りたり。沙良泉?みぞcitは暫時行方を見送り居りしが、手にせし權をドウと突き、あな羨ましきps is〓024こ雁の列かな、鳥だに友の交情睦じく行くものを、我身は一人此處彼處、모に,ゆめぶひと〓〓旅泊の月に路碰ひて、浪の音にも夢やすからず、賴みに思ひし人々は、se RLB鬼菱殿をば首として、何れも、何れも、既に世を去られたり、また我が奮aせんぎ:だみぎりくん たひ1/3身の詮議嚴しきに就けても思ひ起さるゝは、その砌裙縫の城に殘しおき〓..われ5々たる伊良武が上なり、近頃世上の取沙汰には、我等が一味の者共は、矢ニざ10ハLおきSia伊香殿を首松前勢に捕はれて、いづれも重き刑爵に行はれたりとの事な나紛るが、伊良武は如何に成りたらん、不愍や胎兒諸倶に、既に我が身に先だ久Bre rese達ちしか、但しは落延び得て未だ世に存へ、明日の命もしら露の、結上、みしたる野邊の旅寢の夢にも、我が身の跡をば慕へるか、それも是も皆日本人オツテナが爲す業なり、沙良泉かくて在るからは、西塲所の酋長ともを說き伏せ〓いちどtb "て、骨身に徹ふるこの恨み、一度は思ひ知せてくれん、と切齒を爲して天打仰き、月に懷ひを述ぶる折しも、つきハ:蘆の繁みに其處彼處、uこし こあや(一二三)怪しき合圖ぎの笛の音は風に亂れて起りたり。
(二二三)第六十六回沙良泉耳聰く笛の音を聞きつけて、ときつのぞ屹度睨めば蘆のかげより我を望んで舞品モこ窺ひ寄る捕吏の人數は一人二人、其處には五人、彼處には十人と何れもしこはぬしやる扱は今の奴めがを告にいまやつこ白刄を拔きつれたり。沙良泉それと見るよりも、〓いまこれ魏を捕る準備の成りたりと見ゆ、〓aの今は是までなり、去りながら逃るゝだのふなぞこかくいつたうるさやばらひ紛けは逃れて見ん、と舟底に匿しおきたる一刀追取り、月に晃と鞘拂して1/3岩をも斬つて碎かん威を爲し、x =眞向に振翳し、今やおそしと待ち受けたり。ン)こちわれ'せんboいきは々捕手は功を爭ふて、我先にと馳せ來たりしが、沙良泉の物凄き勢ひに怖tこゝちあとしざりため5かしらさかれを爲し、身も辣む心地して、いづれも後退して躊躇へば、捕吏の頭坂& :分法いかよはひ上源兵衞、この樣を見て大いに怒り、當先に進み出でゝ聲を勵まし、沙せん かくご法まつす〓おと良泉覺悟と呼はつて、これも一刀を眞向に振翳し、折しもドツと吹き落はしす積丹蔵と彼此一時に走りかゝり、鏘然とばかり斬り結びしが二度三度七六せんはな〓ふたな打合ふ間も無く、沙良泉がえいと放ちし聲に應じて、源兵衞は二ツに成な?〓レせん3にん、のつて仆れたり。續いて懸かる者共を、沙良泉は空擊も無く五六人まで物雪の見事に斬つて仆せは、みこと捕手は益す胆を冷して、: PP續かんと爲る者も無し。?せん沙良泉は左もあらんと睨め廻して、Eすんみかたてお身に一寸の隙も見せず、片手に梱をシ=よね〓追取つて、直と小舟を出さんとすれば、捕手は遣らじと馳せかゝりて、つなしやひづな·こんこあばえい〓〓:よ.とせん紛木株に繋ぎし紡綱に取縋り、力を合せて曳々と引き戾さんとす。沙良泉ラ:ニごあひはるかは舌打して、當先なるを二三人斬り、綱押切つて、舟突出し、沖合遙に漕ぎ去つたり。第六十七回:ロて後の方には丹く禿げたる積丹岳、高く聳えて峰は雲に交はり、(三二三)前は際涯務なみそら133 a byなき荒海の波天を洗ふ所に突出でたる岬の靈面は、削り立てたる如き斷
ロけば3のだいかり〓な(四二三)岩嶮しく海に臨みて、その形鬼神なんどの悲を合んで突立てる樣をは爲〓どん 〓〓:いははやて言どしたり。屋下には怒濤の撃々と鳴り響きて岩を憾し、疾風しば〓〓吹起おのづそんきやうsatつて雨を呼ぶ。土人古より此處を怖れて、自から尊敬の意を起し、尊ひ信稱へて御神威岬と呼び爲したり。iほくかいないゝるなんじよこっ無實に北海第一の難所にして、船あり此: 3みさきお子まつ岬をば廻らんとする時は、先づ身を〓め御酒を供へて、この岬の神を祀このれい〓り.船をば行るが例にて、尙し此禮を欠く時は、神直ちに祟を爲して、みふね%つた紛見る〓〓舟をば碎き玉ふ、と何時の代よりか云ひ傳へたり=どこ:だ雲かと見紛ふ秋霧の、消えつ起りつ御神威を見せつ隱しつ走せ行く朝、のぼ%ガニたロいかにしてか登りけん、この御神威の峨々たる岩の上に立てる人あり。これしやらな뜬い1オツテナ々こは是一世に威を揮ひし沙良泉が成れの果なるが、今は西塲所の酋長なことんこんはかのぞみさんあだきびまつまへてくばりる古教蘭に依りて再擧を圖らん希望も全く空となり、嚴しき松前の手配3〃みいくたび5ぬ.ぬioに海にも陸にも身を置きかねて、幾度か斬り抜け斬り抜けつ、船をさへかぎなはa. 2mけんそごそ熊手動索に終には批破られて是非なくる此庭に飛び上りしに、嶮岨を懼:はつこしうもれて流石に急には寄りつかにに吻と一と息吐けるなり。沙良泉巖に腰打〓carうみをかわたまつまへゆい掛けて遙に四方を見下せしが、海にも陸にも黑み渡りて松前勢の十重二われ=にがことてつばうはceyこなた十重に我を取り卷きて逃さぬ準備、特に鳥銃の一隊さへ胴を促して此方三わが, teかpresのがたさだ一寄せんをする光兵に今は我身天刻ける緊ありても絶れ難しと異情かしるおほざきをとがうりきむる折しもあれ、捕吏の頭大崎兵馬、いづれ劣らぬ强力の組子を擇つてひきしたがう三くるひと書やぶのぼたが引從一、獨卷を荘ふ一むもの霧を渡つて此皮に然お登り來たりしが、相めcy Crkかたl 29,の互に目端、紛頷き合ひ、岩癒を踏み占め踏み占め後の方より窺ひ寄り、物五五ととおさをも云はず二人は飛びつき、兩手を取つて楚と押へぬ。爲て退けたり、に生よろこまつヨヘとのとりてむたあはやろまたニと兵馬は悅び、松前殿の捕吏の頭、大崎兵馬これに在り、最早數多の組ソこの御神威岬をば取卷くからは、ざき=しよせんおのれのがじんじやう子を以て、所詮汝が身は遁れず、尋常〓しやらせんへいまに縛の繩にかゝれ、と聲ふり立てゝ呼ばはつたり。沙良泉兵馬をじろりこおたとをわ。と見て、小雀共めが聒しいは、獸つて退き居れと冷笑へば、(五二三)それツ、とに三はげしく下知す。二七七xまゝしやらせんすつくたちあが兵馬は烈二人に兩手を取らせし鑑沙貢泉直然と立上しりが、
se cheいみ〓かるかる一六〇うみふりおとつヾ(六二三)腕に力を入るゝよ、と見る問もあらせず輕々と二人を海に振落し、續いくつきごとい80けごとなけおとにんとさいごて來るを突落し、或は蹴落し、投落し、十人ばかりは取つて捨て、最後Cニね& teる.ひといきそのさまとじ異常を振る首にして天を伸いて一旦吐またミ其儘人間とも思いれまたうちとおとものアレ射て落せよ、ゆみき撃つて落せよ、てつぱう復打取らんとする者無く、弓よ鐵砲よ、さわたたキとはまきソンヒせんらさだと騒ぎ立てゝ唯遠卷にするのみなり。沙良泉も今はと思ひ定めて、こゝこちにしば上なんじよさいごビしよENDよときこヽちエこのは是れ地西塲所一の難所、最期の塲所として所も好し、時も心地好き此貯んたわかさいごとた5.つよから紛朝いでや潔よく最期を遂げん、正しきは勝たいで强きが勝ち、詐らざやぶたくみないほ〓〓にらだゝうりよ20みるものは敗れて計謀あるものゝ成るこの忌々しき腹立しき浮世に怨恨はつだいかいみづかぎふんぬねんながのこいはう盡くべからず、大海の水の乾ざる限りは、憤怒の一念長く遺つて、岩拍なみもろroじんみふさいくるくるよ、せんたし2はなつ涙と諸北に處未來際狂ひ狂ふ沙貢泉が黑りのありと知れよ、死して耻なうれなわおはびしあつみしこゝろ無けれは憂ひ無しと我が鬼愛は笑つて死せしが、身は死なせても精神はししいしやらせんみわこのうしは死なせで、死しても生きんとおもふ沙良泉、見よ〓〓我が血の此海潮をそひととこのう上노中さくほくいくたりなしやらえん染むると同時此海潮の、寄せ返す浦々岬々には、幾人と無くこの沙良泉またにうまいしんこせんふんぬ:っをの必ず生れ出でゝこの沙良泉の置窓の念を受け積ぐバし、いで惜しからこのかはぶくろつんざナだいかい、いうくく々と岩ぬ此皮囊を劈き捨てゝ火と燃ゆる血をハ海に濺いで吳れん、と悠かとはすつくたむねisこしマキリぬめて角に進み出でつ、直然と立つて胸おし寛げ、腰なる小刀引き拔きて右手サルモはらか〓ごおとくきつさきふかつたえい爲におるつくな手には頑族に權でしか頓て忍を尊先添くゆき立てゝ虫せんけつたきSeはしかれこれどうじみをどかりに一字に引けば、鮮血瀧の如くさつと述る彼此同時に身を躍らせてこくたかまつさかさるなみたち くるcニそこすがたかくはこのときはやて千尺の高きより眞逆樣波立狂ふ荒海の底に姿は沒れ果てぬ。此時疾風HBPごこうな.さわたこaおりばくくたたき暴に起つて、海面騒立ち動くと見えしが、霧漠々と立ちわたりて、天はいちめんすみいろなis :ラブ=くなo bいなづまものすごC.4一同星色爲して黒素混凝き舞い下ネと共に時ならぬ電の物産く因きていかづちはゆ〓ELB 3,ごとあめ고雷激しく鳴り動き、礫の如き雨パラ〓〓と降り來たれり。第六十八回こきへいまアかもゐso Lちにちせんさいことえゼ大崎兵馬は御神威岬にて死せしかと、沙良泉もまた最期を遂げしに蝦夷(七二三)さうとんどはかたレフざんたうかつくそのせんぎとよ〓〓さびの騒亂大方は靜まり、たゞ殘黨を芟り盡さんと其詮議の處々に嚴しきの
い=おとうとげんのじようくみこしやこたんびゑん(八二三)にたたしやらせん600兵馬の弟源之至組子を奉るて積丹美國一圓を糺し居しが、沙良泉がつまいタくんぬひしちなゐちこち·bせんゆヘさがすゑ妻の伊良武器縫の城より逃延びて、彼方此方と沙良泉の行方を探しゝ末、ちかごろしやこたんあたりむシ.5さすらをうつたおほごと近頃は積丹邊の部落部落を漂泊ひ居れり、との訴へを聞きて大いに悅び、雲そのものしやうびくみこてわけなしやこたんむら〓〓重く其者を賞美して、それ〓〓組子の部署を爲し、これより積丹の村々たヾchsひとむれじんだをとこひし〓〓いましBを糺さんとする處に、一群の土人ありて、大の男を〓々と縛め來たり、おんしやうげんのじようめむなにやつとが御恩實にあづからん、といふ。源之丞は目を剝き、それ何奴ぞ、と谷むれと じんどもくるそろおとびしいちみものゆんの159紛は、土人共は口を揃へて、鬼菱が一味の者なり、といふ。源之丞つらつその·〇〇りやうがんひかかほあかゞねいろ4ドひかコいうかたナらと其者を視るに、兩眼光つて、顏は銅色を爲し、頰髭左右の肩を過ぎ、みたけ눈あますしよいたでちじきどぐちいま身の丈七尺に餘れるが、數ケ所の痛手を被りて、その創口未だ癒えず、なやあり:かんじようてNoわめのまへひツた々いかにも惱ましげなる有樣なり。源之丞は手負を我が眼前に引立てさせ縛繩解せて面を和げ、いましめとのたにんそちごゝろえ380〓おにびしらさせいしが、汝も心得違を爲し、鬼菱等に欺かれて、そ:きまなぶるさいわいひつけ七Bたちの有樣には成りしならん、これより心を改めて、我が命令に從はゞ、心えふがつみpわれしやうびないか得違ひの罪は赦すのみならず、我おもく賞美爲す可し、いかに、如何に、ことば:とすかて:むっこまaコなと言葉優しく問ひ賺したり。手負は勃然とせし樣にも見えしが、左は無きはおとなわこれまでつみゆるくだなにごとくて極めて温順しく、我が是迄の罪をだに御救し下さらば、何事なりとあふゆんじよう〓よろこそもコほかも仰せつけられよ、といふ。源之丞は爲たりと悅んで、汝に爲するは他ごはびしてしたをさだしやら、せんつまいまでも無し、鬼。愛の部下に爲りて居りしからは、定めて沙良泉が妻の伊良タみをとてBUまゆあい〓武は見知り居るならん、と問へば手負は眉を〓げ、彼の伊良武様、イヤ.いタいシよnしをげん彼の伊良武とや、伊良武、伊良武は善く見知り居りまする、といふ。源545いだそち〓みわくみこ紛之丞は膝を乘り出して、さらば汝は馬になりとも身を乗せて、我が組子のしやこたんいたぃ"めしと.われと8bをの者と積丹に至り、その伊良武めを召捕り來たらば、我は此地に待ち居なるそちてから上ちしまえてじBりて、重く汝の手柄を賞せん、いかに、と利を以て誘ひたり。手負は聞いさた할ざふさなことてBeヱゐLこんいて勇み立ち、その儀は雜作も無き事なり、手創は負へどもこの阿芝蘭、たかかよわるをんな〓っしたいひツくゝわれいちにんことあま高が纎弱い彼の女め、見付け次第に引縛るは、我一人にて事餘れと、さおんうたがほろはかLまたかほどにんぞからcガタりとては御疑ひの程も圖り知られず、さりながら又斯程の人數一時に向(九二三)かぜ(〓aほかせめにんぞにんはヾ、厘を食つて逃げ去らんとも圖られず、切ては人數を十五六人に爲
50その。ぎのぞ(〇三三)られよ、といふ。源之丞は快く點頭きて、其儀は何れなりとも汝が望みと〓isさう〓〓うつたこのに任せて與せん、必ず倶に過るなよ、さらば早々發足つ可し、殘卒は此:にんニどんくう·cas隙に三人五人と組を爲し、此界隈の部落部落に彼の呑空とやらを、百としと:こたがらゆて、一揆の殘黨共を探り糺せ、と役目柄油断なく言ひ渡したり。はか積丹岳の麓に方りて、際涯は何處そ奧深き竹の細道あり、踏めば落葉の"さびみしみ〓〓かさこそと鳴る音さへに淋しきを、はや北風の身に染々と吹き通ひて、: t IIなヒい紛天は朝より雲おもく、今宵のほども白妙の雪ふり來たらん景色なり。今xをんな;÷しも此處に遁げ入りしは、若き女の黑髪おどろに振被りし後につゞくはB Uみたso :を髭亂れたる蹇なり。倶に何をか怖るゝ樣にて、四邊の樣子を視廻し居り廳を押へて顏を見合せ、みるはvo cey寒は〓色常に彼いろつねしが、偕に一息吻と吐きたり。かほうちいして、ア伊良武機、あぶない事でござりましたな、と顏打仰げば、今: aかや〓〓造p更ならねど可愴しや、積る憂ひの數々に、昨の花の面やつれして、いと〓と)こなのかなacy capた惱しけに杖に倚り、芙蓉の外皆露を含みて、物悲しげに頷けり。寒は頭ぞんこゝろぼそおもげに俯向き、アヽおいとしう存じまする、御心細さは去る事ながら、じせつ·D :時世時節で此も是非なし、さは去りながら伊良武樣、熟う思ふても御覽:ひと〓〓カルシじましや、矢伊香樣をば、百として、一味の人々いづれも何れも、皆日本か、ばおもえ人が手に懸りしその中に、彼)の塲を首尾よく落延び得られしのみならず、い今も今とて浮雲所を斯うして遁延び玉ひしは、びえ未だ、未だ、御運の盡きm2旨て:ぬといふ確なる證據なり、今に追々雪降りつもらば、日本人が捕吏も引aこ〓D紛揚げ去らん、左樣なるからは此方の物なり、雪には馴れたるこの灣步、ぞむおよここした。ゆんめく蝦夷地の部落部落は申すに及ばず、何處が何處までも沙良泉樣の御行方シ必然と御夫婦の御智面あるやう計らひてまゐらすべし、12 2はかをば探し申して、44 BB acu々沙良泉樣も雪の時節をは待たんと潜み玉ふに疑ひ無ければ、此處少時をしのご〓"さへ忍び果さは、芽出度悅びもあるなるべく、御心强く御在しませや、たのこs麓を打と世に賴もしく勵ませば、伊良武は嬉しき思ひを爲して、(一三三)灣步の=上/mな目戌りしが、オヽ善う云ふて下さつた、住み馴れし裙縫の城を出でしよ
あさゆふこヽろたよりモなたわみ(二三三)みナながつきひり、朝夕の心便も其許ばかりの我が身なるに、見棄ても遣らず長の月日カロなにかしんみごモなたなさけph 6を變りなく、何彼につけて親身も及ばぬ其許が情、嬉しうござんす、過ぶんをはわんにひれふもつたいこと分じや、と聞きも終らず灣步は平伏し、勿躰ない事おつしやるな、おもg 521- yrかりミたちのときたひと〓〓あしなへへば昨のやうなれど、靜雁村をば立退く時にも、他の人々は足塞じやとさけすとうたうらンなさけぶかreっ,た蔑視んで、同道ならぬと云ひ切つたを、御情深くも御供に御伴れ下され食べるあにうへおにびしさまくんぬひうつの6かたはのしは、御身の兄上鬼菱樣なり、それのみならず裙縫に移りし後も不具者撰安定わんば上びんエcくだおんほねみLこえい紛灣步、灣步、と不愍を御加へ下されし御長は骨身に染み込んで、永こふわすいたむげんなみたCarせめおんまんぶいち劫忘れは致しませぬ、と無限の感淚に袖を濕し、切ては御恩の萬分一なり好うした時に、あしなへらくじやうCeあまたてり: 2と足塞ながらも落城の砌には、數多の敵を斬伏せて、ャいか三ごんみふたかたおんともつかまつしろからめて〓ジあしなへ矢伊香樣と御身の二方をば御供仕り、城の搦手より込げ落ちしが、足寒みかなゆんひとかたやみくてきてうばときむねんいまの身の悲しさには、御一力は暗々と敵の手に奪はれし時の無念さ、未だシまそこの上は御身の御隨從して少しも早く沙良泉のごんみとは々しやらせんに以て忘られ申さず、;御行方をは探しあて、シおんみわたおにびし:わんぽあ御身を渡しまゐらするが、鬼菱樣へ灣歩めが切ておんがへさんおのこいちかたなほさま〓〓の御恩返しでござりまする、と涙ながらに己れが心を語りて、尙種々にい(Nニシリさつ上くいもむんかねっよぶこのふえ伊良武を慰め勵ます折しも、颯と吹き來る一陣の風に連れて、呼子笛のにげかくいうよとりてせいさんにん音耳近く響きしが、みゝちかpt "遁匿るゝ猶豫もあらせず、捕吏の勢の三人まで馳せいタまきなめしとちかよ兌雪來たり、ヤアこれこそ伊良武に紛れ無し、いで召捕らん、と近寄るを隔わんぼいノかこわtheななてゝ灣步は伊良武を圍ひ、こりや我が娘をば何んと爲さる、と云はせも〓ぬひょくうぬら노たりかぜ(ハしやこたんたけやぶほん果てず、吐かすな寒め、汝等二人風を食つて、この積丹の竹數に近入りにんぞ、ッこのあたりとり=しよせんのがそのをんな:紛しと聞くよりも、人數を以て此邊を取卷きたれば、所詮遁れぬ其女、疾てしやんゐ: .くわた灣步は騒がず、;コ,ひおよなれ々渡せ、と罵つたり。左樣現はれては是非に及ばず、何スこのによしやうおときこしやらせんどのうちかたいノ3まぎなをか包まん此女性こそは曾に聞えし沙良泉殿の內寳、伊良武樣に紛れ無るしここのわんぼドそばつりそをその·し、さりながら足こそ蹇へたれ此灣步が、御側に附添ひ居るからは、汝々:はびうでまかととと等如きに指もさゝせじ、それとも腕に任せて取るか、取れるものなら取ものすごさけいな300んほかみがる:リとつて見よ、と物凄く叫ぶや否や、蹇なりと思ひの外身輕く飜然と飛びあ(三三三)とへやつながものひきぬうばてもとみたふつマがり、前なる奴の長兵を引拔き奪ふ手元も見せず斬り倒し、續けさまに
よこたい.しさまたひとりむないたなゝめ당これかれいつしよ(四三三)一人を橫に拂ひ、驚き退る又一人を胸板斜に斬り割りしが、此彼同時にわれひたりかたさきいちねんロさきさんにんもら我もまた左の肩先をば斬りさげられたり。念の刄先に三人漏さず切りムまたいたでニたまえ·中心はなきぞぐちーいた伏せはせしが、おのれも亦痛手を負ひて堪り得ず月を放し、創口抱き、2ピたらたふ雲後に撲地と倒れたり。い:おもさゝろうなをか伊良武は先より膽心も消え失せて、たゞうろ〓〓と爲し居りしが、斯くみまろよcoわんぽただ"なげじ在ところと見るより轉び寄つて苦しむ灣步を抱き起し、泣きつ歎きつ劬る所に、捕更の人數四方より先を觀ひて走せ來れば、とりてにんぞL :こといら〓ふぉみそ紛伊良武は心も身に添はず、Cakうぐひすこ〇しせやみ元をりからとりてcm巢を失びし霧の風雨に惱む思ひを爲し、身問へ焦心る折柄に、捕吏は早〓われ;しやたぶさP.てnうだいなくも馳せ來たつて、我先にと容赦なく醫を摑み手を捕へ、强と大地に捻ゐレじんいづゐとぎないタぢつけて、阿芝關は何れに在りや、疾くこの女をあらためよ、伊良武にミ〓よみメゐ12相違はあるまい、と呼はつたり。ドレ見てくれう、と進み來る阿芝蘭といふ男の顔をば見るより幾步は創を押さへし手もし、をどこみわんぼきむンてはなぶツヤアおのれは佛とまなこいかロがみなゐLえんわんぽにらめ登鬼ならずや、と眼を瞋らし切齒を爲したり。阿芝蘭は灣步を睨んで眼·ア ロ アふツとそのざミなんナよく〓〓を光らせ、佛登鬼ならば其姿で何と爲るぞ、5わんぽいよ〓〓※:いだでくせつきすゝと憎々しく言へば、灣步は愈々怒り狂ひ、よわ50痛手も苦に爲ず突進み、ヱゐたの〓ひとごゝろいしんざんもの弱きに離れて强きに合ふが、ざふひやう賴み無き人心なりとは云ひながら、ンニわれ新參者の雜兵でもある事かい、5雪ためいっかたむけいちめいすおにびしさの我等が爲に辱なくも一しつカリこのかた〓をさへ棄てられし鬼義威の評腫以來の御忌に育き、〓えふむおヤモじ6ななムのれが日本人の犬と爲り、はらみたをけ尾を掉り、ふけ노L腹を滿し居らうとは、エ今日がさらけ今日まで知らなんだぞ、ア情ない、斯うい、ふ中にも未だ何うやら、se =どおらやう己紛にや夢の樣な氣がするわい、ら々nuぶツと佛登鬼、わ汝や本性かい、ほんしやうと伸びあがり、のきつと屹度白眼んで齒を咬み鳴せば、ぶツとあざわ。のとS佛登鬼は冷笑ひ、つ物には何うでも理屈の付くなるほどいちcおにびしたけもの、成程一時は鬼菱めに欺円られしが、上ぐるりひツくりナー今日では俄然と引繰返つて、ミツたいかみてさき勿體なくも上の御手先、レゆいことばか〓サンドい〃々おのれ風情に言葉交すも汚はし、と云はせも果ながものつかわんぱ、みかぎてず長兵摑んで灣步は進み、"うぬこんじやうさ〃ェー見限り果てたる汝が魂性、左樣聞くかシャモまつにくひやくばいぶツとらには日本人にも勝つて憎さは百倍、き(五三三)きめいどひきモゅおばびしどのミ、いおん來たれ佛登鬼、つみ30kこれより冥土に引摺り行きて、いちねん鬼菱殿の前に山で、cet汝が罪を訴へくれん、っ.と一念の力に釣
5ぶツと)みぎみなわんぽき、(六三三)れて跳り上り斬り付くる。佛登鬼右に身を飜し、飛びかゝつて灣步が利つかきのうでこのふツととマキリash腕楚と摑み、淺慮者め、汝が腕に此佛登鬼を爲止めんとは、小刀で鯨をしよせんたす-SLAらら刺すやうぢや、その痛手の樣子では、所詮助かりはせぬ汝が命、昔馴染cun : CH3 reくわんねんわんぽてu gの情を以て、世の暇を與せてくれん、觀念せよ、と灣步が手より何んのなえものもぎとしためO4Hこふりふたふりみ苦も無う武器を捩取り、舌に刀眼を潤し締めて、一一、二振、三振、四1/2んい上:まなざしかは振心を止めて振り試みる樣なりしが、佛登鬼の眼光は見る〓〓變つてそのながのまつかざG 20さとa、に其長兵を眞向に差翳し、ばつたりと灣步の首を擊落す、と見せて突と走〓·こと= :り、伊民武を取り圓みし五六人を物の見車に先づ斬り倒し、不意を食つおよくそのきよみぎまうしろたぜいて驚き避くる其虛に附入り、右に、左に、前に、後に、多勢を驅るに刷じん、にん き御子奮進の手を碎きて、てたちところ〓々れたる佛登鬼、立所に七八人切り倒したり。捕なはただ手は猶も多勢を賴んで、佛登鬼をぐるりと取圍み、しやア可憎奴なり、こいつセしらはぬきつさきすると.先づ此奴から討取れ、と齊しく白刄を〓きつれて、切尖銳く斬りつくるcなたちまちi、、ce ,aまたあらたを拂いつないつ金地に衰に進む三人を同じ状に切伏せしが、身も亦新にいたでかつふかうぶツと%ら數ヶ所の痛手を後りたれど豪氣の佛聲鬼如何な周せず、殘る奴原一散に迯ぐるを遺らじと追ひ行きたり。うつかはい4ゆめごニ、打つて變りし佛登鬼が動作に、伊良武は夢を重ねし心地して、たゞうろみこぶおな: xモンチcha〓〓と見廻すのみ。思ひは同じく灣步も呆れて、倶に言葉も無き所に、:はやのこてきこと〓〓Lとえらモ店いろあをざよろめ佛登鬼は早殘りの敵を悉く爲止めて、得物を杖に顏色青觀め、蹌跟き端たんし造すで:タ:〓開き立戾りしが、日頃の體なる聲の張は既に弛みて、伊良武樣、御怪我をはいな(つう。たセたびぜつたり紛はござりませぬか、と問ひ終るや否や苦痛に得堪へで一度は撲地倒れしはs〓わんぽどの:ほどが、齒を咬ひしめて息を吐き、、、貴方は伊良武樣、灣步殿、先刻の佛=ジョぐわつすゑ登鬼が振舞、さこそは訝しく思はれしならん、去んぬる八月末つ方、昆〃G 1たじひつし保岳の麓において、多勢の日本人を對手に爲し、必死に爲りて我が戰ひこミすでとにC cmし事の大略は、既に沙良泉殿より聞れしならん、その砌、見らるゝ通り上いたでiはやくんぬひ15かむ數ケ所の痛手を被りしかば、心は逸れど裙縫の城にも歸られず、無念な(七三三)こん ばces 'oしてたち25がらも見保岳の岩屋に込びて少しく創の極めるを待ちしが、立出て風評
どちて沙良泉殿の行方は定ならずどいデはうかく報を採にはこの方角に注}'〓ナー月メフィと路ましも通招くして建り合いすシナV 3さむきぞぐちあるひはげ爲未だ癒えやらぬこの創。の一日激しくの、日に增し募る寒さにつれて、ねつたかたんみちたふseとしムたそのあたりneごはんらだと熱高まりて我知らず道に倒れし折節、不覺にも其邊の村人奴等に糊めちとりでかしらおほま京へのjgまへひツたことかわれて、捕吏の頭大崎源之丞が前に引立て行かれしが、その事却つて我がだいaためしろはせな今日しも測らす御身等に廻りあひたる次第な〓ムはかみレ紛身の爲には幸福と成りて、あきらかなつみぎひたりことばせはし々と聞いて二人は事躰明瞭に納得し、ことたい'、右左より言葉忙しく、さらば沙せんどのみがひだりたづとふツと良泉廢の御行方は、か未だ判然らずや、と右左より尋ね問はれて佛登鬼は、しやこたんじらつなととりてこゝろあざむこの積丹へ向ふ途中、とさればなり、捕吏の心を欺きて、それと無く問ひこゝろわれ〓〓いちみうん めい+らせんさのこのつきかつか試みしに、我々一味が運命もいよ〓〓笈に盡きて、沙良泉殿は今月五日、さわやかたちレせうヤだはしばしよだいいもたんしよ御神威岬にて夾に立かもるg四方を日本人に國ませて、西塲所第一の難所たる、Fなみたちあらうみそこふかレづことかた腹召され、波立暴るゝ荒海の、底深く沈まれたりとの事なるは、と語りをはふツとまなこかつこ;) :15、、たふこと絡りて佛登鬼は眼を瞋らし、虛空をくわつと睨みし儘、倒れもやらず事きわんぼあつおどろこいろミゆるそのまゝたふよみがへ切れたり。灣步も呀と驚きしが、張りし心の急の弛みに其儘倒れて蘇生いこヽろてんだうムならいかほいろかは%らず。伊良武は心轉倒し、かツばと伏して泣入りしが、顏色變つて髪ふゑtざゝしの花けかたそらみはしませしじっり亂し、小笹篠竹掻きわけて、すつくと立つて空を視る星の眼の凝然とaうらめoとしわざたつひとりあに:いまいま動かず、あら可怨しの人が所爲や、唯た一人の兄樣はじめ、今が今までエみ: coタc 3ベヨかみさまいのしやこ世に在る人とのみ思ひ、どうぞ無事にと海山の神樣かけて祈りたる沙良せんどのうちとつゆはおxのね紛泉殿まで討取りしとや、それとは知らずおく篤の栽に重き野に森たり、:はしらつるだな:よさむbエゆめにつこと〓いっいちど霜の柱の劍爲す山に夜寒を凌ぐ夜の、夢にも他の事は無く、何時か一一たがンcかほみかはA :だくおくゆきそこはめぐりあふて、互ひに無事な顏見交し、よしや深山の奧の奥、雪の底なる岩窟に世を潜みても、むろPとつまをつとなことかな。よ邦は夫と交情むつまじう日をおくる事さへ叶はさい なひaあまごう10ゐさせは、幸福は身に餘らんとそれのみを、心の張にして居たに、エヽ情ないセルツあに,水·コマこんたのふたりまくらNo.情ない、兄を討たれ、夫を喪ひ、賴みにしたる二人まで、枕を並べての(九三三)シままいま·たれたよこどちゆこの有樣、今は誰をか便りにして、いづこの里に落行かうぞ、アレ〓〓
孱弱きに、路さへ知らぬ荒山中、日は暮れかゝる雪に降る也用のノいまふきれ!は皆敵こゝが我が身の死塲やら、今降る皓潔な此雪に、寧そ埋もれてL ."さここ空しくなり、死にたい樣な思ひがする、と彼方に進み此方に戾り、身もはややう〓〓やみ1/8世もあられず歎きしが、日は早漸々暗に迫りて、一居烈しく渦卷き下ると+台oた、紛夜の吹雪のいと酷きに、伊良武は花の寒牡丹、終には雪に伏し轉びて復÷ro 1伏す篠もろともに一圖の雪の下とゆび立つべき力も無く、共に萎れて撓みなほ あやぞなりにける。伊良武が涙の痕遺りて積丹の竹は今に猶奇しき斑ありとそのる:モ2云い傳ふる北物國の大廠は大都是の如くにして右突接師の診斷は無つとL或ひはんに發されしとも傳ふるあれど亞ならずもとより垂水の份とL山阿水隈如何なるところに入家せしか知るべからず、其終定かならずとか云ひ傳ふるは却つて眞に近きならん。(大尾) 6/34明治三十四年月十四日印刷雪紛々同、三十四年月十七日發行實價金八拾錢●著者堀幸内田文成麿行內に發行者東京市日本橋區通四丁目五番地發行者和田む免翌日〓0吾東京市牛込區市ヶ谷加賀町一丁目十二番地印刷者佐久間衡治四海域東京市日本橋區通四丁目⻆●三日早安又●發行所春陽堂電話本司五拾壹番東京市牛込區市ケ谷加賀町一丁目十二番地印刷所株式秀英舍第會社一工塲(電話番町十九番)
後任主輯編行發日五廿回一月每時社藝諸國噺欄譚文雜眉山、天外、鏡花、風葉、曙山、春葉、秋濤、鶴伴、宙外その「新小說」は小說を主とし文學、藝術、社會に關する小他十餘名あり饒味有益の記事に富む日本第一の大雜誌なり福本誌に執筆せらるゝ諸大家には紅葉、露件、柳浪、苑叢苑文錄說〓欄欄欄欄欄欄て之れを揭ぐ一には毎號長短數篇の作を新舊諸大家に起草せしめには演劇名人の逸話等を募集して掲載するものは全國の名所は社會各方面に涉りて一代の名家と稱せらるゝ人俊秀なる物を併載して光彩陸離には諸名流の新躰詩、美文等を採錄し、傍ら寄書の界を評論して除さゞるべしには宙外氏が公平程健の筆を以て縱橫に現時の文に社會各方面の銳利周到の墓道に關する多趣味の記事を收む相撲々の話說を筆記して風丰意氣共に躍々上下一般の歡迎に背かざるべしには高尙鈎玄の文と平易饒味の記事とを併載してて文の足一落語奮跡傳說講談、口碑察配を載せ、淨瑠璃その他百般俗謠、便歌、傳腸春角目丁一四通區橋本京東元兌發日市話室(番十五局本電)

095663-000-8 90-73雪紛々幸田露伴堀内新泉/著M34 DBQ-3366


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