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自己紹介書いてみました!~松本佳奈です!

はじめまして!松本佳奈と申します。

ずっと、私なんかが自己紹介を書いてもなぁ、、とためらっていたのですが、特にTwitterで交流するみなさんの自己紹介をたくさん興味深く読ませていただいているうちに、自分も書いてみたい欲がでてきてしまいまして。

まず、簡単にどんな人かといいますと、、

・1991年3月1日生まれの現在29歳
ひとりっ子
神奈川県出身、今は東京在住
新卒でソーシャルビジネス(社会問題をビジネスで解決する)の会社に入り、現在8年目
シェアハウス事業(運営&マーケティング)→革製品事業立ち上げ(商品開発、広告運用、その他マーケティングいろいろ)→新規事業立ち上げ部隊(マーケティング分野で立ち上げのために必要なサポート全般やりますが、メインはWeb制作ディレクション)
・26歳の時に結婚、旦那さんと2人暮らし
・趣味は昔のミュージカルを観ること、刺繍バイオリン近所のネコを愛でること

という感じです!
もしもう少し読んでもいいよ!という方がいたら、もう少し詳しく今までを振り返ってみたので、読んでみてください♪

①幼少時代~小さいころの大きな決意

内向的な性格で、運動神経も激しく悪かったためか、「自分は何をやっても人よりダメなんだ」という思い込みが強くなっていきました。←人生しょっぱなから暗い!!
ちなみに、今でも若干この考えが抜けてないところがあります(笑)
ただ、小学校に上がるちょっと前のタイミングで、「私はこのままじゃダメだ」と幼稚園児なりに決意したことを覚えていて、周りの人に優しくするとか、できることからやろうと思って実行をはじめました。

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②小学校低学年~ちょっと無理してたけど楽しかった

基本的に内向的な性格は変わってませんでしたが、その決意のおかげで友達がとってもたくさんでき、みんなにも先生にも好かれる子になりました。
休み時間には自分の席にみんなが集まってきたり、先生からも褒められることが多かったりして、学校は楽しくてしょうがなかったです
それでも、「○○ちゃんは運動ができる、○○ちゃんはすごく頭がいい、○○ちゃんは可愛い。でも、自分は何をやっても人よりできない、不平等だ!」という気持ちは抱えていました。
そんな時に、途上国の貧困や飢餓に苦しむ子供たちのことを知って、「自分の考えている不平等なんて大したことはないな、世の中にはもっと不平等なこともいっぱいあるんだ」という衝撃を受けたのを覚えています。

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③小学校中・高学年~性格に転機が訪れる

私の性格に一つ転機が訪れたのが小学4年生のときにアメリカに父の留学に1年ちょっとついていったこと。

英語なんて「ハロー」くらいしかわからないのに、いきなり現地校に放り込まれるというスパルタでした。

最初に覚えた英語は、クラスメイトたちが私に向かって連呼した、「スーシー」と「ポッキモーン」でした。 それが「寿司」と「ポケモン」という意味だと3日後に判明した時の感動は忘れられません。
そこで言葉が通じるありがたさを実感してからは、決して自分から人に話しかけることの無かった私も、次第に人と抵抗無く話せるようになりました。

クラスメイトのみんなからすごく優しく接してもらえ、みんなの妹のような感じになり、「なんだ!何もできなくてもこうやって人から好かれることはできるんだな」ということが分かりました。
そこから、みんなに優しくて好かれるいい子でなくてもいい、もっと自然体で楽に生きよう、と思えるように!

④中学・高校時代~健康的きわまりない6年間

中学・高校は神奈川の私立の中高一貫校の「洗足学園」という女子校に。
その時はそれが普通だと思っていたのですが、勉強と部活にだけに打ち込んだ、健康的きわまりない6年間でした。
部活は弦楽合奏部に入り、バイオリンを担当。
生まれてはじめて勉強にもはまり、中学時代は朝5時半から起きて勉強をする習慣がありました。勉強をしてよくハイになっていました(笑)
大学受験は、とりあえず何がしたいのかが分からなかったので、大学に入った後に専攻が選べるところを中心に受けました。

⑤大学時代~ソーシャルビジネスの世界に期待を持つ

大学は「早稲田大学 文学部」に。
結局入ってからも、「これが勉強したい!」という分野は見つからず、なりゆきで心理学を専攻しました。

そしてこのとき、小学校のときからずっと持っていた、「世界の不平等をなくすために何かしたい」という想いを行動にできる時が来たな、と思い、まずは塾講師のバイトをして、その一部を寄付することをはじめました。

しかし、もっとできることがあるのではないか?と思い、アフリカの給食支援をする学生団体にも入り、活動。
そこでは、自分でも出来ることがあるんだ、という喜びを感じたとともに、さらに、もっと大きな影響をあたえられる方法はないのか、と考えはじめました。

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そこで出した結論は、「ビジネス」でこのような問題を解決すること、そのために自分はベンチャー企業に入り力を身につけることでした。

そう思って就活をはじめたものの、最初は自分の興味のない分野でのベンチャー企業しか見つかりません。
そうして悩んでいた時期に、たまたま参加した学生と社会人の交流会でソーシャルビジネスをやっている「ボーダレス・ジャパン」の副社長と出会いました。
副社長からやっていることを聞いたり、私の考えていることをその場で話して、パズルのピースがピッタリと合った気がして、「絶対この会社に入る!」とすぐになりました。
内定をもらった後、当時ボーダレス・ジャパンは社員20人くらいのドベンチャーだったこともあり、周囲からは入社を反対され続けました。 しかし、入社の意志は揺らぐごとはありませんでした。

⑥新卒時代~とにかくがむしゃら!!

最初の9か月は、国際交流シェアハウスを運営するボーダレスハウスに所属。
内定者のときは優しかった副社長が手のひらを返したように厳しく、心が折れそうになりながらも、反骨精神で頑張りました。 
始発と終電をセットで頑張っていた日も。
とにかく仕事のヒントになるものは何でも吸収しようと、月の給料の半分は本代に使っていました。

⑦革製品事業時代~辛いことも多いなか、事業を大きくする過程を学ぶ

1年目の冬から、革製品のカスタムデザインサービス事業である「ジョッゴ(JOGGO)」の立ち上げを上司と2人でやりました。
 最初は全然売れず、、、オペレーションを回して時間のない中、事業をどう大きくしていくかも考えなければいけない、新規事業の厳しさを身をもって感じることとなります。
ゆっくりと寝ることもできない日が続いて、体力的にも精神的にも蝕まれてしまったことも何度もありました。

しかしその後、みんなの努力の甲斐もあって、かなり事業は大きくなることができました。 今ではJOGGOを使っている友達に、このサービス、私が立ち上げたんだよ、とプチ自慢できることが嬉しいです(笑)

ジョッゴでは、5年間かけて、広告やSNSなどの施策を考えて実行したり、商品開発をしたり、多くのマーケティングを任せてもらえ、自分の得意で好きな分野を見つけることができたと思っています。
↓こちらはJOGGOで最初に発売した、私が初めて商品開発したパスケース!

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⑧現在~めまぐるしいけれど、今までで一番楽しい!

2019年4月に、よりマーケティングを専門に色んな事業に関わっていきたいという想いで、新規事業の立ち上げ部隊、スタートアップスタジオにジョイン。
数週間ごとに違う事業のサポートをすることも多く、めまぐるしいけれど、こんなに楽しい場所はないな、と思っています。 今後どんな事業に携わっていけるのか考えると、いつもワクワクします。
最近では、Twitterの運用アイデアを社内でシェアしただけで、社長から会社の公式中の人に任命されるということも起こり、とても楽しく日々施行錯誤しています。

最後に

ここまでこの長文を読んでくだった方!!本当にありがとうございます。

少しでも興味を持ってくださったり、共通点があったりする方は是非Twitterでも仲良くさせていただけたら嬉しいなぁなんて思います!

noteでもこれからちょくちょくアウトプットしていく予定ですので、よろしくお願いいたします♪


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