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リスロマの私が男性と恋愛ができない理由を考えた

私はそもそも、リスロマンティックと呼ばれる恋愛観を持つ。

リスロマンティックとは、「好きな相手から恋愛感情を向けられることを望まない」という恋愛志向で、もっと乱暴に言えば「自分が好んでいる相手から愛情を向けられると嫌になる」人たちのことだ。自分がリスロマンティックだ、と人に伝えると「それって、まだ本当に好きな人に会っていないだけじゃない?」と言われる。けれど、正直、そんなレベルの話じゃない。それまでどんなに好きだと思っていた相手でも、好意を向けられると、おぞましく、気持ち悪く感じる。まるでアレルギー反応みたいなもので、相手によって反応しているのではなく、「好きな人からの好意」が受け付けない。

自分がリスロマンティックだと気づいたのは、「好きな人に告白されるとすぐに萎える」経験を何度か繰り返したからだ。(こういうのを、蛙化現象ともいう。)どうして毎回毎回好きな人とうまくいかないのだろう?と疑問に思っていたら、友人から「それリスロマンティックじゃない?」と指摘されて発覚した。

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今まで、私は自分がリスロマンティックであるということに対して、趣味趣向と同じように「まあ、こういうタイプの人間なんだろうな」と楽観的に考えていた。つまり、リスロマンティックに原因などないと思っていた。しかし、ここ最近でその考えが変わり始めたので、今日はその話をしたい。

なお、リスロマンティックの人の中でも十人十色なタイプがいるので、あくまで私はリスロマンティックの一例だ。書いてることも主観的で何も検証してないので鵜呑みにしないでほしい。ただ嘘は書いていない。

某会長の発言以降、私は自分のジェンダー観について考えることが増えた。その中で、自分の中に男性嫌悪的な考えがあることに気づいた。それは、男性の方が優位に扱われているから、とか、女性に対して傲慢だから、とか簡単な言葉で済まされる感情ではない。なんだか、もっと不安定な、けれど絶対的にある不快感みたいなものを抱いていて、それゆえに私は男性を恐れ、その上で嫌っているという気がした。

どうしてこのようなジェンダー観を持つようになったのか不思議に思っていたのだが、最近その理由が分かり、かつそれがリスロマンティックにつながっていたと思えてきた。

男性に対する価値観

対男性の関係において、私の人生の中で大きなトラウマ(心的外傷)を残した出来事がある。私が中学生の頃、通学中にあった痴漢だ。自分より体格の大きい男性が、自分の身体を触っていて、私は怖くて声が出なかった。誰かに助けて欲しくて周りを見るのに、目が合う人がいてもその人(男性だった)は何も声をかけてすらくれなかった。終点に着くと、痴漢をした男はどこかへ行った。駅のホームで、痴漢されたのを見ていたが同じく怖くて声をかけられなかったという女性が私に声をかけてくれて一緒に駅員に相談しに行ったけれど、被害届は出せるけれど現行犯でない限り逮捕はできないと言われて終わった。

結局、その後も何度か痴漢にあった。めっちゃ勇気を出して「やめてください」って声を出して手を払ったり、車両を移したり、女性専用車両に乗って対策をしたこともあった。けれどそれと同じくらい、諦めて何も言わないこともあった。だんだん、痴漢にあっても「ああまたか」と思うくらいになった。

こうして、私は痴漢の存在に“慣れる“ことで、自分が男性に対して感じた恐怖が無くなっていった、と思っていた。

が、違った。

痴漢に“慣れた“のではなく、防衛機制が働いて恐怖の感覚が薄れただけだった。

何度も痴漢にあってきたけれど、私は一度して自分を痴漢してくる人の顔を見たことがない。だいたい背後から触られることがほとんどだし、もし顔を見ることができる体制だとしても怖くて顔を上げることなんて出来ない。(というより、怖すぎて痴漢されているときには何もできない。誰かに助けを求めればいい、と思うけれど、それも「朝の忙しい時間に周りから嫌な顔される」「誰も助けてくれなかったらどうしよう」「しらばっくれられたらどうなるの?」って悪いことばかり考えてしまう。いや、そもそも声が出ない。知らない人から、同じ電車に乗っただけで、身体を弄られるのは本当に恐ろしい経験だ。痴漢の怖さに関して言いたいことはたくさんあるけれど、それは今回の目的ではないのでここまでにする)

この経験が、私の男性に対する認識に「痴漢をする男性」の存在をうんだ。他の「優しい男性」とか「楽しい男性」とかの種類の男性は、自分の目で見たことがあるから、それが誰かがわかる。ただ、私を「痴漢する男性」だけは誰だかわからない、図の黒い集合みたいに存在する。

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ここでリスロマンティックの話に繋がる。

中高生のときの見知らぬ男性に性的暴力を受けたというトラウマは、私に「自分の性は男性に消費されるものなんだ」という感覚を植え付けたんだと思う。これが転じて、自分に対して「性的な欲求を向ける人」が全て怖くて、気持ち悪く感じるようになった。だって、消費されたくない。消費されるってことは、私は男性とイコールではなくて、ただのモノと同じだ。そんな不愉快なことを許せない。

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そして、中高生のときに十分に抵抗できなかったせいで、「痴漢をする男性」や「性的な欲求を向ける人」に抗えないのだと思うようになってしまった。普通の男性は、私の人権をおかしたりしない。でもこの黒い集合に入っている人たちは平気で私の人権をおかすし、私はそれに抵抗できないと、感じる。これは、思いたくて思っているというわけではなく、知らないうちにこう考えるようになってしまっていた。

痴漢の顔を見たことがないから、黒い集合には誰がいるのかわからない。だからこそ私は男性全体に対して、曖昧な不快感を抱いているのだ。私にとっての敵は必ず存在しているのに、どこにいるのかがわからないっていう状況は怖くて当たり前だ。

なお普段の生活で、私に対して「性的欲求をあらわにする人」は殆どいない。そういったセクハラにあわないのは環境に恵まれたのかも知れない。ただ、それゆえに黒い集団の人々はずっと謎のままだった。

そして好きな人に告白されると悲劇は起こる。

好きな人から恋愛感情を向けられると、「あ、この人が黒い集合の人だったんだ!」と思ってしまい、黒い集合に分類してしまのだ。告白は大抵性愛を含んでいて、つまりその人は私に「性的な欲求を向ける人」だから。

なおこれは私が意図して行ってることではなく、無意識に行われる。告白してくれた人は実際に私を性的に消費したい訳ではないはずだ。私も理性的にそう思うけれど、そういう男性への嫌悪感をコントロールできない。今までの私の経験が相手を許さないんだと思う。

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で、結局、リスロマンティックは中高生の頃のトラウマが原因だって分かった。

ここからが怖い話なんだけど

このことを、飲みながら友人に話してたら、同じような話がボロボロ出てきた。若い頃にレイプされたり、痴漢されたりした経験から、恋愛関係において男性が信用できないとか、セックスだけの関係しか安心できないっていう女友達がたくさんいた。もちろん、そういう具体的な経験がなくても(話してくれていないだけかもしれない)自分より大きな男性に萎縮する・話していて泣きそうになるという女友達がいた。男性にちょっと恐怖を覚えている私は、自分のことをレアなタイプかなって思っていたけれど、そうじゃない。多くの女性が同じような問題を抱えている。

女性って、社会的に出てこない場所で性的暴力を大なり小なり被っていることが多いんだと思う。それは、レイプとか痴漢などの犯罪だけに限った話ではなくて、たとえば言葉の暴力によってでも起こりうる。それを、女である私自身あまり気づけていなかった。社会学のデータとかで数字を見ていて多いなって思っていたけれど、身近でそういう話があると思っていなかった。(こういうセンシティブな話を友達とするきっかけになったので、森会長の一連の騒動にはある意味感謝している。)

(ちなみにリスロマンティックの女性は会ったことがあるけれど、リスロマンティックの男性にはまだ会ったことがない。あとリスロマンティックの話をすると女性はすぐに「あーちょっと気持ちわかる」ってなることが多いけど、男性はわかってくれない事が多い(「まだ真実の愛を知らないだけじゃない?」ってよく言われる。1人や2人どころじゃなく)。このことが、もしかしたらジェンダー観がリスロマンティックと関係しているんじゃないかと思ったきっかけだった。)

きっと私の男性観は簡単には変わらないと思う。周りの友人を見ていてもそう思う。努力してどうこうできるような感じではない。

ただ、こんなの可哀想だしひどいと思う。

だって、痴漢の経験がなければ、私は晴れやかな気持ちで男性の好意を受け取れていたかもしれない。好きな相手から好きって言われて喜べていたかもしれない!私を好きになってくれた人だって、私がこんな経験をしていなければ、私と付き合うことができていたかもしれないのに!

男女平等を徹底しないといけない

痴漢された経験から、男女平等に結びつけるのは飛躍があるかもしれない。けれど、男性から女性に対する性的暴行が社会にあるのは、やはり女性が蔑ろにされているからだ。

フェミニズム運動は、女性によって多く支持されているけれど、男性は積極的に声をあげていないように見える。弱者の側が声を上げているのは当たり前だけど、男性だって男女平等じゃない社会で迷惑や困難を被っていることにもっと気づいて声を上げた方がいい。

だって、男性諸君が対等に恋愛していると思っている相手の女性が、本当は心の中で男性を恐れていたり、無意識に男性を嫌悪しているってことがあり得る。リスロマンティックじゃないにしても、私の同年代にはそういう子がいっぱいいる。でも、このことを滅多に誰かに言ったりはしない。

終わりに

男女平等を積極的に求めている私にも、根幹には「女性は性的に消費される」っていう価値観が根付いて、言葉に出さなくてもきっと行動にはそういう態度がきっと出てしまっている。私の上の世代はもちろん私よりも男女差別に基づいたジェンダー観を持っているし、上記のように私の同年代も歪んだジェンダー観を持っている。それは、今更どうこうするのは難しい。

ただ、私たちの次の世代やその次の世代に向けて、配慮をすることはできる。フェミニズムの話を馬鹿にしたりすることなく、自分たちの問題として取り扱って行きたい。自分たちのジェンダー観を押し付けないように若い世代に接したいし、自分たちの世代で社会的な是正ができるのであればできる限り行ってあげたい。100年、200年後くらいにはきっと、ジェンダーという価値観すら無くなっていて欲しいなと願う。

あとやっぱり、痴漢された当時の私に十分なケアが足りていなかったなと思う。大丈夫じゃない経験をそのまま残してしまったせいで、トラウマになってしまった。痴漢を含めた性的暴行に対するケアは、もっとしっかりなされないといけない。

長々と読んでいただいてありがとうございました。

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