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まっすぐに向き合う。すべては自分次第。MF山下優人【Voice】

常にチームのために走り、ボールのある所に必ず姿を表す24番。相手チームにとって最も嫌で、味方にとっては最も頼もしい存在。闘志あふれるプレーを見せる中盤の核、そして鋭いプレースキックで相手ゴールを脅かすレフティー。そんなMF山下優人選手の登場です。

▼プロフィール
やました・ゆうと

1996年生まれ。ジェフユナイテッド市原・千葉U-15→青森山田高→桐蔭横浜大
2019年いわきFC入団

■選手でいられる時間は短い。今、やれる限りやる。

9月5日にいわきグリーンフィールドで行われたJFL第21節・FCマルヤス岡崎戦。この試合でキャプテンマークを巻いたのは、ボランチの山下優人選手でした。

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「今までは副キャプテンまで。初めての経験でした。試合中、キャプテンらしく声を出してチームを鼓舞しようとも思いましたが、周りのみんながやってくれるのでやめました(笑)。自分は球際の競り合いなど、プレーで引っ張ればいいかなと」

山下選手は新採用した4-3-3のアンカーで出場。前半10分のゴールは自身のCKが起点でした。跳ね返されたボールを再び左サイドから蹴り込み、これをMF岩渕弘人選手が決めて先制。その後も試合を通じて力強いプレーを続け、3対0の快勝の立役者となりました。

「前にパワーを出すには中盤からの縦パスが欠かせませんので、縦につけるパスを練習してきました。今日は前にMF岩渕(弘人)と(宮本)英治がいるので、二人に自由に伸び伸びやってもらえるよう、バランスを取ることを意識。英治と上手くポジションを変えながら、臨機応変に前に出られたのはよかった。ポジションについて、どこが向いているというのはありません。与えられた場所で頑張るだけです」

4-4-2、4-3-3、3-4-3。今季のいわきFCは多彩なフォーメーションで戦いますが、どんな形であろうと、山下選手は必ず存在感を示します。背中で語るプロフェッショナル。チームメイトから厚く信頼される一方、YouTubeの番組『サトシの部屋』では、大倉智社長や田村雄三監督に「暗い」といじられています。

「陰キャに見えますかね(笑)? 一人でいるのが好き、というか多いので、そう思われているのだと思います。人見知りなので自分からグイグイ行くことはありませんが、親しくなったら普通に喋りますよ。

でも、人に合わせて自分のペースが乱れるのは嫌ですね。サッカー選手の寿命は短いから、今、やれる限りやっておきたい。自分には本当にサッカーしかない。他にやることも、できることもない。辞めたら生きていけるのか心配なぐらい。引退したらいつでも休めるのだから、今、行けるところまで行きたい。そう思っています」

翌週のアウェー・MIOびわこ滋賀戦でも、キャプテンマークを巻いたのは山下選手でした。熱いプレーとは裏腹の、物静かなたたずまい。口数は少ないけれど、誰よりも熱心にトレーニングに打ち込むプロフェッショナル。そんな彼のサッカーへの思いの原点を遡っていきましょう。

■強豪で苦しいことがあるのは当たり前。

出身は千葉市。3人兄弟の末っ子として生まれた山下選手は、二人のお兄さんの影響で幼稚園のころにボールを蹴り始めます。小学校時代は地元のクラブでFWやボランチとしてプレー。中学校に上がると、ジェフユナイテッド市原・千葉のアカデミーに入団します。

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「練習は週3から4。学校で授業を受けて、終わった練習に行って、という生活でした。当時はまだ、将来プロサッカー選手になりたいという気持ちはなかったです。楽しくサッカーができればいいな、という程度の気持ちで、特に目標はなかったです」

今のようにサッカーと真摯に向き合うようになったきっかけは、青森山田高校に進学したことでした。単身で青森に行くと、周囲は全国から来た上手くて強い選手だらけ。漫然と過ごして試合に出られるわけがない。厳しい環境で、山下選手の気持ちは変わっていきます。

「当時はAからDまで4チームあり、最初Bに入りました。でも、1年のころはついていくだけで手いっぱい。とにかく上に食らいつかなきゃ、と思って過ごしました。青森山田は、中学時代とはスピードもパワーも激しさもまったく違う別世界。フィジカルの差がすごくて、身体のぶつけ合いも本当にハードでした」

寮生活も過酷でした。まず、6時から朝練。1年生はボールなど練習用具の準備があるため、なかなか自主練ができません。そのため、朝4時半ごろにはグラウンドに出てボールを蹴っていたそうです。そして7時前に朝練を終えると、寮に戻ってすぐさま朝食です。

「朝はシャワーを浴びる暇もありません。食事を済ませたら頭だけ洗って、8時過ぎに全員集合の点呼。1年生はそこにも早く行かなくてはならず、いつもスケジュールはカツカツ。そこから授業に行き、昼食をすませて14時から練習。基本的にこの生活が3年間ずっと続きます。特に1年目はキツかったですね。

でも強いチームだから、苦しいのは当たり前。自分はサッカーをやるために青森まで来ている。だから、遊びたいと考えたことはないです。覚悟して進学したので、文句を言うこともありませんでしたね。中学生のころは練習をさぼることもありましたが、わざわざ青森まで行って、そんなことをする必要はありませんし。

そして青森山田のサッカー部は人間形成を大事にしているので、今考えると、早いうちにこの厳しい環境を経験できてよかった。寮生活では何もかも自分でやらなくてはいけないので、親や周囲の人に対する感謝の気持ちが生まれたことも大きかったです」

厳しい環境でも、逃げずにサッカーと向き合い続けました。3年生の時、青森山田高校はインターハイで3位に入り、山下選手は優秀選手に選出。そして高校卒業後、いくつかの選択肢の中から、桐蔭横浜大への進学を選びます。

■人がどう言おうと関係ない。やるべきことを貫けばチャンスは来る。

桐蔭横浜大ではDF小田島怜選手、村上佑太アナリストと同期に当たります。青森での寮生活を終え、今度は横浜での一人暮らしが始まりました。

「最初は楽しかったです。寮生活から解放された反動で、夜遅くまで遊んだこともあります。でも、それでは厳しいと気づきました。大学は自由な時間がたくさんありますが、結局、その時間をどう使うかは自分次第。自由時間の過ごし方によって、よくも悪くも変わる。だからサッカーに集中しようと思い直し、練習が終わった後はしっかり身体を休めるようになりました。今、一人が好きなのは、この当時の経験が大きいです(笑)。人に合わせず、一人でいることが一番だとわかりました」

大学では1年生から試合に出場し、順調なスタートを切りました。しかし2年目になった山下選手を、苦難が襲います。1学年下に有望な選手が入部し、スターティングメンバーの座を奪われてしまったのです。

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「腐っていた時期もありましたが、思い直しました。当時、ずっと試合に出ていたのに出られなくなってしまった4年生がいて、そのことを他人のせいにしてチームを応援しなくなっていたんです。そのようすを見て『こういう人にはなりたくない』と思い、悔しいけれど、ネガティブな感情を持つことをやめました。

高校サッカーでは苦しい状況に陥った時、監督やコーチが親身になって接してくれる。でも大学でそんなことはない。やっぱり、すべては自分。普段の練習で結果を出すしかない。そう思ってプレーを見直し、ウエイトトレーニングに励みました」

3年になっても状況は好転せず、メンバー外もしばしば。それでも自分を信じ、腐らずに練習を続けました。その結果、3年生の途中でスターティングメンバーに復帰。そこからはポジションを守り抜きました。チームの成績は決して華々しいものではありませんでしたが、山下選手は3年生でデンソーチャレンジカップ関東Aと全日本大学サッカー選抜チームに選ばれるなど、確かな実力を示しました。

結局、道を拓けるかは自分次第。人がどうだろうと関係ない。やるべきことをやれば、チャンスはいつか必ず来る。

そんな確信をつかむとともに、大学卒業後プロサッカー選手になる、と目標を定めました。しかし、夢への道のりはイージーなものではありませんでした。

■半年もサッカーから離れるなんて…。

大学3年の終わりごろから、デンソーチャレンジカップや全日本大学サッカー選抜チームでともにプレーした選手達が、続々とJリーグのクラブに進路を決めていきました。でも、山下選手に入団のオファーをするJリーグのクラブはありません。厳しい現実を見せつけられる中、声をかけてきたのはいわきFCでした。

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「アナリストの村上が大学4年の途中からいわきに行っていたので、以前から話を聞いていました。環境はすごくいいし、これからどんどん強くなるのはわかっていたけれど、当時は東北社会人リーグ所属。正直、もっと上のカテゴリーでプロになりたい。でも、自分は選べる立場にはいない。迷いましたね。

結局、入団が決まったのは大学4年の12月の終わり。ギリギリまで考えましたが、いわきFCにサッカーを続ける場をいただきました。そのことに感謝し、ここからステップアップしていこうと決めました」

山下選手が入団した2019年、いわきFCは東北社会人リーグ1部からJFL昇格を目指していました。昇格するにはリーグで優勝し、全国の社会人リーグ王者が集う「全国地域サッカーチャンピオンズリーグ2019」で2位以内に入る必要があります。いわきFCの選手達はJFL昇格を目標に、年初から厳しいトレーニングを積んでいました。

チームのために労をいとわず、上下にアップダウン。相手ボールを刈り取り前へと運ぶ。今でこそそんなプレースタイルを見せる山下選手ですが、実は入団当初は、まったく違うタイプのMFでした。

「大学時代は守備をして、後ろでボールをはたいて終わり。今思えばつまらない選手ですよね(笑)」

当時の山下選手について、田村監督は

「もともとボランチとしての素質は高い。ただしボールを前につけられず、前を向かない印象があった」

と語ります。90分間倒れない、止まらない「魂の息吹くフットボール」。前から激しくプレッシャーをかけて積極的に上がり、縦に速く展開するいわきFCの戦い方は、今まで経験したことがありませんでした。山下選手は入団当初、チームのプレースタイルになかなかなじむことができず、よく怒られたそうです。

「僕には大学を卒業するまで培ってきたサッカー観があって、以前はそれしか見えていなかった。でも、監督が10人いれば10通りのサッカーがある。監督の期待に応えられなければ、試合には出られない。それをこのチームに来て痛感し、自分に足りない前に行く姿勢を意識してプレーし、フィジカルトレーニングを重ねたことで、徐々に慣れていきました。

当時は前田尚輝(現在はフィンランドでプレー)とコンビを組んでいました。あのころは前田が一番手で、その相方を僕と寺村浩平(現在は奈良クラブに期限付き移籍中)で回す形。前田は攻撃が好きなので、そこは彼に任せてしんどい部分を引き受ける。そんな黒子のスタンスでした」

この年、いわきFCは東北社会人リーグを順当に制覇。全国地域サッカーチャンピオンズリーグ2019を無敗で制し、JFLへの昇格を勝ち取ります。

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「正直に言いますが、もう1年東北社会人リーグで戦うのはしんどいと思っていました。ここで立ち止まっている場合じゃない。だから、地域CLは死ぬ気で戦おうと思っていました。その結果の優勝はもちろんうれしかった。でもそれより『JFLでは終わらない。さらに上を目指そう』という気持ちが勝っていました」

しかし翌年、山下選手は不運に見舞われます。2020年初旬、シーズンイン前の練習試合で右膝の前十字靭帯を断裂。念願の全国リーグ1年目で、半年間の離脱となってしまいました。

「今まではせいぜい捻挫ぐらいで、骨折もしたことなかった。だから、初めての大ケガでした。でも、それほど落ち込みませんでしたね。むしろ、半年もサッカーから離れる生活なんて今まで経験がなく、新鮮でした。『中途半端な治療をせず、すぐに手術をして早く復帰しよう。ケガをする前より強くなって、ここから這い上がればいいだけ』と、前向きにとらえていました。

手術後はすぐさまリハビリ。サッカー選手が自分の評価を上げるには、試合に出るしかない。だから一刻も早く復帰したかったし、休みなんていらなかった。でもリハビリを頑張り過ぎて、ドクターから怒られたこともありましたね」

2020年8月から本格的な練習を再開。9月のJFL第19節・ホンダロックSC戦の後半から試合復帰を果たしました。ボランチの人員不足もあり、試合感覚が戻りきらない中での出場。それでも、山下選手は走り続けました。

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「そこからシーズン終了までフル出場しました。監督が代えずに使ってくれたことはうれしい限り。でもあと一歩のところで昇格を逃し、本当に悔しかった。一刻も早く上に行きたかったし、正直、JFLで足踏みしたくなかった。

1シーズン戦ってわかったのは、このリーグを勝ち抜いてJリーグに昇格するには、もっと圧倒的な力を示さなくてはいけない、ということ。どんな相手でも圧倒し続けないと、たぶん同じことを繰り返す。チームとしても個人としても、ひと回り成長しなきゃいけない。そう痛感しました」

■先を見ず、目の前の試合を全力で戦う。

捲土重来を期した今年。チームはJ3昇格に向けて厳しい練習を積み重ねました。3月に開幕したJFLでは第22節を終え、勝ち点48で首位。山下選手はチームの軸として試合に出続け、好調なプレーを見せています。

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「昨年は試合をしていて『これはやばい雰囲気だな…』という時に、案の定失点することが多かった。でも今年は、やられそうな時でも踏ん張ることができている。攻撃でも途中交代の選手がパワーを持って入ってくれて、点を取れている。ポジション争いのレベルが高く、誰が出てもクオリティが変わらないことも強みだと思います」

田村監督は山下選手の課題について

「チームはボランチの出来に左右される。まだまだ足りないところは多いし、彼も決して満足していないはず。今年になってだいぶ球際で戦えるようになったので、今後はそこで『奪い切る』力を伸ばしてほしい。そして欲を言えば、もう少しコーチングで人を動かせるようになってもらえたら」

と語ります。首位を走る今シーズン。チームの浮沈は中盤の核・山下選手のプレーにかかっている。そう言って差し支えないでしょう。

現在、2位との勝ち点差は7。首位を走るいわきFCは、9月19日にはいよいよ2位Honda FCと、ホームで直接対決。そして10月には昨シーズン王者のヴェルスパ大分、そして今年の天皇杯で敗れているソニー仙台FCとの戦いが待っています。

「先を見ず、目の前の試合に全力を尽くす。それが結果につながっていきます。見に来て下さったサポーターの皆さんがワクワクと心躍る戦いを見せたいですね。そして個人的な目標はあまり言いたくないのですが、もっと上手くなること。自分は何か秀でた武器があるわけではない。だから、すべてのレベルを上げていく。そうすれば上のリーグでもやれる。とにかく、もっと上手くなりたいです」

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▼山下優人選手をもっとよく知る5つのQ&A
Q1:チームの柱、替えの利かない存在としてフル出場を続けていますが、疲れはありませんか?

A1:替えが利かない、ということはないと思います(笑)。しっかり休んでいますから、疲れはそんなにありません。自分は休むことに抵抗があるんですよ。休んでコンディションを落とすぐらいなら、ずっと動いている方がいいと思っているので。

Q2:プライベートで仲よくしている選手は誰ですか?
A2:誰かと一緒に出かけることはあまりないのですが、ご飯に行ったりするのは坂田(大樹)さんが多いかもしれませんね。2歳違いで家が近いんですよ。選手がたくさん住んでいるエリアから少し離れていて、他に近所に住んでいるのは(田中)龍志郎ぐらいですね。

Q3:オフはどのように過ごしていますか?
A3:午前にグラウンドに行って少し動いて、午後はスーパーで食材を買って、夕食の作りだめをしていることが多いですね。夜に眠れなくなるので家で昼寝はせず、録画したテレビ番組やYouTubeを見たり。それぐらいですね。ごくたまに映画を見に行くこともあります。

Q4:彼女はいますか?
A4:いないです。僕はたぶん一生独身。きっと結婚できないと思います(笑)。人に合わせられない気がするので…。

Q5:サッカー選手を引退したら何をしますか?
A5:何も考えていません(笑)。僕はたぶん、指導者には向かないと思います。自分でわかるんです。人に教えられないというか、説明が下手なんで…。

次回もいわきFCの選手達の熱いVoiceをお届けしていきます。お楽しみに!

(終わり)


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