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今日もどこかで、本の崩れる音がする~草森紳一『随筆 本が崩れる』を読む~

■はじめに
 外出がためらわれる日々が一年以上続いている。
 「stay home」という言葉が強調されていた時期もあったが、今では個々人の匙加減で、ときには「不要不急の外出」にいそしみ、息抜きをする。
 私についていえば、もともと積極的に外出する方でもなかったため、自炊のための買い物と時々の外食、及び書店・図書館に足を運ぶのがメインである。
 書店や図書館から本を家に連れてくれば、自然と家に籠る態勢が整う。書店・図書館は私たちに、有意義な家籠り時間を提供してくれるのである。
 ここで忘れてはならないのが、もともと家に座します蔵書たちの存在である。既読の本よりも未読の本が圧倒的に多い現状を考えると、「書店や図書館に頼る前に未読の蔵書と向き合えよ」という声が、どこからか聞こえてきそうである。それでも、ついつい同居人の関係性から甘えが生じて、蔵書以外の本に手を出してしまう。まさに浮気である。

 今回取り上げる、草森紳一『随筆 本が崩れる』(中公文庫)は、止めどなく増え続ける蔵書に四方を取り囲まれながら、日々思索に耽ったある男の「闘い」の記録である。
 「本」をテーマにどこまで語れるのだろうか。その手腕を次より見ていきたい。

■本が崩れる
 本書の舞台は、草森の自宅である2LDKのマンション。積まれた本の山が崩れたことで、風呂場に閉じ込められてしまったエピソードが語られる。
 風呂場に「幽閉」された草森は、いたって冷静である。試しにノブをまわして、無駄な抵抗であることを確かめると、顔を洗い、鏡にうつる老けた自分を見つめる。そして、脱衣所に置いてあった豊臣秀吉関連書籍を手にとると、パラパラとめくり思索にふける。
 この時点で読者は、草森と「本」の関係性が尋常ではないことに気付かされる。彼は、風呂場に幽閉されたにもかかわらず、そこに手に取れる本が置かれているのである。草森の言を引こう。

「風呂場に附属した脱衣室には、洗面所がある。洗濯場もあるが、そこにも、置き場のなくなった本が、天井近くまで山積みになっている。狭い二LDKのマンションの中で、まったく本の姿が見えない唯一の場所といえば、浴室のみである。寝室の四囲も本で占領されている。本は、からきし水に弱いので、しぶしぶ敬遠しているだけの空間なのである。」(『随筆 本が崩れる』P16)

 「水場に本を置くなんて信じられない……」――読者の唖然とした表情が想像できる。本に占領された部屋で生活する私ですら、炊事場や風呂場付近には本を置いていない。なぜなら、濡れると困るからである。――まさに、草森のマンションがいかに本だらけであったかを物語るエピソードである。

 草森は本を生き物のように捉えている。自ら資料集めのために購入したはずが、本が我が家を「襲う」と表現する。「私は読書人ではない」と宣言し、本を踏んだり蹴ったりしてぞんざいに扱っていることを告白した上で、そうすると本が「痛そうな顔をする」と口にする。草森にとって、本はただの「モノ」ではないらしい。
 なぜ、草森家に住む本は増え続けるのか。その疑問に対して、草森はシンプルな解を提示する。

「本は、なぜ増えるのか。買うからである。処分しないからである。したがって、置き場所がなくなる。あとで後悔すると知りつつ、それでも雑誌は棄てる。大半は役に立たぬと知りつつ、単行本を残してしまう。役に立たぬという保証はないからだ。仕事をするかぎり、この未練はついてまわり、ひたすら本は増えていく。」(P27)

 この文章を読んだとき、「草森でさえも雑誌は処分するのか」と驚く。また「あとで後悔すると知りつつ」という前置きには頷ける。一方単行本は、役に立つか立たぬかに関係なく残す。ここらへんの区別は、感覚的に分かる気がする。

 草森の二LDKのマンションには、壁面を占めるものだけでも二十一個分の本棚がある。しかし草森は、自らの技巧を尽くして、床に本を積み上げていく。本書には、草森流の本積みテクニックが、溜息混じりに紹介されている。

○「床積みにあたっては、横組みになって見づらくなるが、なんとか題字が見えるようにと積みあげる。五十センチぐらいの高さまでなら、めったに崩れたりしない。」(P35)
○「几帳面に同じ大きさで揃えては、ならない。左右の高さにも、ばらつきがあったほうがよい。そうしないと、すぐにお辞儀して、前倒れになってしまう。」(P36)

 草森は本積みの技術を極めたために、自身の身長(174cm)の高さにまで、見事積み上げられるようになった。ただ、必要な本を積まれた本の中(特に底の方)から抜き出すことは、高さが増せば増すほど難しくなる。草森の嘆きは止まらない。
 (以上の語りは、すべて風呂場での幽閉状態と結びついている。彼は無事に風呂場を抜け出せたのだろうか。ぜひ本書を手にとって確かめてほしい。)

■旅先でも本の話を
 本好きが旅の話をすると、必ず本についても語り出す。草森も例外ではない。
 本書では、草森の秋田旅行の思い出も語られる。この旅は、とあるシンポジウムへの参加を兼ねたものだった。とはいえ、草森はシンポジウムに乗り気でなく、それよりも資料調査・史跡探訪に力を入れている。
 「本」についての語りは、「九九九段」の石段で知られる赤神神社五社堂の場でなされた。草森はこう語る。

「歩きながら俺は体調が悪いというのに、なんでこんな重いリュックを背負っているのだろうと思ったりする。紀伊半島の熊野を一週間まわった時に買ったものだが、旅に出ても読みもしない本をいっぱいに詰めこむ癖がある。」(P96)

 草森は加齢による身体の弱まりを気にしていた。そのため、こんな重いリュックがお供なら、決して石段を登り切ることはできまいと考えた。
 結果的に草森は、道中で立ち寄った喫茶店の店員さんの協力もあって、「リュックなし」で石段にチャレンジすることになる。(このときリュックの中に入っていたのは、副島種臣の漢詩文集『蒼海全集』(六冊)などであった。)

 私自身、荷物になるとは分かりつつも、ついつい本を一、二冊リュックに入れて持っていってしまう。結局は、移動時間中に数頁ペラペラとめくるだけで、きちんとした読書が行われることは少ない。また、旅先で古本を購入し、リュックをパンパンにしてしまうこともある。ただでさえリュックの中には、本の先客がいるのに、そこにゲストまで抱え込んでしまえば、道中は移動するだけで一苦労になる。加えてこのゲストは、自宅に到着してしまえば、立派な家族(積読)の一員になるわけだから、考えものである。
旅行先での本との出会いは罪深い。

■本は心を鎮める
 草森の読書論についていえば、『随筆 本が崩れる』の巻末に収録されている「文庫版付録」も見逃せない。特に注目したいのは、草森が本棚及び蔵書について語っている部分である。三つ文章を引用してみよう。

○「他人に、本棚を眺められる時の気分ほどいやなものはない。たかが知れた本の量を、棚にずらりと並べて平気でいられる人は、もともと本があまり好きではないのではないか、と思えるほどだ。」(P281)
○「現代人は、木に飢えている。つまり酸欠だ。本のもとをたぐればパルプ、つまり樹木なんだから、書棚の乱立は林の中にいるようなもので、気が休まっても、不思議でないだろう。」(P292)
○「本にはね、人間の霊魂が、ぎっしりつまっているんだよ。なにも書いた人の霊だけではない。一冊の本ができあがるまでには、無数の人間の精気が吸いとられているのだからね。それが本箱にぎっしりつまっていれば、一種のエネルギー箱さ。こいつが心を鎮める作用をきっとしているんだね」(P292)

 一つ目の引用分には思わずツッコミを入れたくなる。「本棚どころか、そこから溢れ出した蔵書をネタに、この本を書いてるくせに」と。ある意味、草森にとってこの本の執筆は「羞恥プレー」なのかもしれない。
 一方、二つ目・三つ目の引用分においては、「大量の蔵書にも意味があるんだ!」といわんばかりに、本に囲まれることによる「安らぎ」が語られている。本を「木」との関連性や様々な人間の尽力の結晶として捉える視点には、草森の並々ならぬ「本」への愛情を感じずにはいられなかった。

■おわりに
 『本が崩れる』の中には、野球にまつわる回顧録と煙草をめぐる随筆も収録されている。
 野球・煙草・本――一見すると共通点は見出せない。が、本書を読んでいると、著者はこの三つを「手」に注目して語っていることが分かる。
 グローブを用いてボールをキャッチする。相手に向かってボールを投げる。煙草に火を点けて、喫む。本を持ち、頁をめくる……。
 草森は『本の読み方』(河出書房新社)という著作の中で、「読書とは、手の運動なのである」(P10)と語っている。「本をパラパラとめくる」「本をパタンと閉じる」といった「読書」にまつわる行為自体に目を向け、そこに魅力を感じている。

「本を読む風景というものがある。私はそれを見かけた時の気分を好む。花を見かけるより、はるかにその姿は美しいとさえ思う。本好きのせいもあるが、心がなごむ。花は、人を悲しませることにおいて、なかなかの景物だが、なごませるという点では本を読む風景にかなわない。」(『本の読み方』P133)

 人が読書する姿を花よりも美しいと感じていた草森は、しばしば常時携行のコンパクト・カメラを使い、人の読書姿を写真に収めた。その何枚かは『本の読み方』に掲載されている。
 今回紹介した『本が崩れる』は、ある意味で草森の読書を含めた「本との向き合い方」を客観視し、それを随筆の形で纏めたものだ。草森は自身の読書する姿をも、花より美しいと感じられただろうか。


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