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一家に遊女も寝たり萩と月|芭蕉の風景

「NHK俳句」でもおなじみの俳人・小澤實さんが、松尾芭蕉が句を詠んだ地を実際に訪れ、あるときは当時と変わらぬ大自然の中、またあるときは面影もまったくない雑踏の中、俳人と旅と俳句の関係を深くつきつめて考え続けた雑誌連載がまもなく書籍化されます。ここでは、本書芭蕉の風景(上・下)』(2021年10月19日発売、ウェッジ刊 ※予約受付中)の内容を抜粋してお届けします。

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一家に遊女も寝たり萩と月 芭蕉

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北国一の難所

 市振は『おくのほそ道』中、もっとも艶麗な箇所。伊勢詣の遊女二人と同宿、同行を頼まれるが断る。淡い交情が描かれた。掲出句は歌仙で言うのなら恋句に当たる。物語的な箇所である。

 元禄二(1689)年の旧暦の七月十二日、能生のうを出た芭蕉は曾良とともに糸魚川を経て市振に到着する。途中、早川という川で芭蕉がつまずいて衣類を濡らしたことも曾良は記録している。

 紀行文『おくのほそ道』所載。句意は「一軒の宿に遊女も寝ていたことだよ、萩の花に月の光が差している」。

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 北陸本線(現・えちごトキめき鉄道)親不知おやしらず駅で下車するや、日本海の波音が聞こえてきた。静かな無人駅である。駅前には観光案内所はない。タクシーも止まっていない。公衆電話から隣駅となる青海のタクシーを呼んだ。まずは親不知の海岸に行きたい。

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えちごトキめき鉄道・親不知駅

 海岸に面して道の駅「親不知ピアパーク」がある。ここは縄文時代以来の翡翠ひすいの産地でもあった。翡翠ふるさと館には近くの寺地遺跡から出土した未完成の玉類が展示してあった。この浜には青海川や姫川から流れ出る翡翠が打ち上げられる。浜には小石が多いが、なかなか翡翠は見つからない。小石と小石とがぶつかり合う音とともに波が寄せられ、波が引いていく。恋人たちが黙って沖を見ている。沖にはながながと能登半島が見えた。車に戻ると、運転手さんが「梅雨の時期このように能登が見えるのは奇跡のようなもの、運がいい」と言ってくれた。

 芭蕉は親不知を北国一の難所と書いていた。北アルプスが日本海になだれおちる場所である。海岸から垂直に岩がそそりたっているため、道は海岸を通るしかなかった。平家が滅びた後、都から落ち延びた池大納言頼盛の妻は夫を追って、この地を通ったが、折からの高波によって、抱いていた子どもをさらわれてしまった。

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親不知(新潟県)

 その際の歌が「親不知子はこの浦に波枕越路の磯の泡と消えゆく」。歌意は「親は知らないが、子の方は、この浦の波音を聞いて眠っている、越の国へ行く道の磯の泡として消えてゆく」。それが「親不知」の由来となっていると言う。

 現在、海岸からかなり上にトンネルが設けられている。トンネルが切れる「風波かざなみ」の展望台で海を見下ろすと、はるか下に海が輝いている。親不知観光ホテル奥の展望台には、海岸のパノラマ模型が作られ、現在に至るまでの道路建設の経過がパネルにまとめられていた。岩肌に「足下千丈」という字が大きく刻まれていたが、約百メートル下の海岸線をのぞきこんでいるだけでも、かつての旅のたいへんさが偲ばれるのである。いくら難所と聞かされても、この地に実際立たなければ実感できなかったことである。去ろうとすると、道に野うさぎが飛び出してきて、しばらくこちらを見ていた。

桔梗屋の萩若葉

 市振では、まず長円寺ちょうえんじを訪ねる。掲出句の句碑が建てられている。揮毫は相馬御風による。おおらかな書が気持ちいい。

 この寺には芭蕉についての言い伝えが残されている。曾良が日記を落として、後戻りして探してきたこと。

 芭蕉は最初この寺に泊まろうとした、その際、遊女二人と老僕とを伴っていたこと。この段のことは曾良の日記に記録されていないため、虚構としてかたづけられることが多いが、津守亮氏によればそうとも言えないとのことだ(『「おくのほそ道」解釈事典』)。芭蕉の文章の魅力がこのような伝説を生んだのかもしれないが、うれしい言い伝えではある。

 市振宿の入口には大きな松がある。芭蕉もこの松の先代を見て、難所を過ぎたことを知って、深く安堵したことだろう。虚実はともかく、この安堵感が遊女との淡き交情を書かせたのだろうとも思う。

 芭蕉が泊まったのは桔梗屋であると伝えられている。その前で、たまたま当主和泉利信さんの話をうかがうことができた。ずっと「利信」の名を名乗ってきて、十三代目であるという。芭蕉の世話をしたのも先祖の「利信」であるわけだ。大正時代に起きた大火以前、屋根は土地のことばで「からぶき」、杉皮の上に石を置いていた。現在は瓦葺だが、それに重ねて当時の風景を思い見る。大火のころまでは宿として営業していたとのことだ。家の裏に案内されて、庭も見せていただく。かつては池が作ってあったそうだ。影を落としている大きな木は紅梅とのこと。その下に鴨足草ゆきのしたが白い花を開いていた。掲出句の縁で植えられたという萩の若葉が、月光ならぬ日の光のもと、みずみずしい。

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鴨足草

 突然訪問したぼくに対して和泉さんは「前もって言ってくれれば、半日位は案内します、また来てください」と言ってくださる。芭蕉の世話をした先祖もこのあたたかさを持っていたことだろう。

 芭蕉は翌、十三日、市振を発っている。曾良の日記によれば、その際、二人は虹を見ている。この虹が遊女のイメージを引き出したのかもしれない。

 のうさぎの目に梅雨晴の草かがやく 實
 市振の空夏燕よろこび飛ぶ

※この記事は2004年に取材したものです

小澤 實(おざわ・みのる)
昭和31年、長野市生まれ。昭和59年、成城大学大学院文学研究科博士課程単位取得退学。15年間の「鷹」編集長を経て、平成12年4月、俳句雑誌「澤」を創刊、主宰。平成10年、第二句集『立像』で第21回俳人協会新人賞受賞。平成18年、第三句集『瞬間』によって、第57回読売文学賞詩歌俳句賞受賞。平成20年、『俳句のはじまる場所』(3冊ともに角川書店刊)で第22回俳人協会評論賞受賞。鑑賞に『名句の所以』(毎日新聞出版)がある。俳人協会常務理事、讀賣新聞・東京新聞などの俳壇選者、角川俳句賞選考委員を務める。

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※本書に写真は収録されておりません

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