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宮城・高蔵寺②―丈六阿弥陀仏の風格と破損仏の美(回想2015後編)|訪仏帳_#4

宮城県・角田市、高蔵寺(こうぞうじ)。
前記事に続いての後編である。

阿弥陀堂を開けていただき、いよいよ本尊の阿弥陀如来坐像(重要文化財)をはじめとする仏像との対面となった。


力強さと優美さをあわせ持つ過渡期の阿弥陀像


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外観同様、簡素で落ち着いた堂内正面に、天井を突き刺すような大きな透かし彫りの光背を背負った丈六の阿弥陀如来坐像が鎮座ずる。

像高2.7mで丈六としても大きい方だ。
平安最末期の作だが、ベースとなる定朝様の優美さや柔和さ以上に、鎌倉時代の気風を先取りした張りのあるたくましい表情が印象的で、金箔が剥落した黒ずんだ体躯と相まってどっしりとした重厚感がある。

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だが正面の力強さに比して体の厚みが意外なほど薄いのは、逆に平安の名残を感じる。

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また角度を変えると、印を結ぶメリハリのある長い指の印象か、わずかに躍動感やエキゾチックさも加味される気がする。

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台座の蓮弁は大きく、反りがダイナミックで生命力を感じさせる。 

決してきらびやかではないが、とにかく引き込まれる阿弥陀さまだ。
しかもこの味わい深い空間と本当にマッチしている。
前編記事で書いたように、猛暑の中、白石側から山越えの10kmの道のりを自転車で来たので、風通しのない堂内ではしばらく汗が止まらなかったが、でもこの薄暗さと差し込む自然光が絶妙に尊像を引き立てる。
これこそお堂で仏を拝む醍醐味であり、高蔵寺阿弥陀堂はその一つの理想形に思えた。


破損仏の息をのむ美しさ


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このお堂ではっとさせられたのは御本尊だけではない。

向かって右奥に静かに佇む素木の阿弥陀如来坐像。
かなり破損しているが、実はサイズは小さめの丈六といったところか。
一つのお堂で丈六仏が二体も拝めるのはすごい。

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傷んではいるものの、よく見るととてもいいお顔をされている。
本尊より古風で藤原的なあっさりした美男子の面立ち。

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またこの阿弥陀像、本尊の阿弥陀像の背中越しに横顔も拝してみると、光と影のコントラストが永遠の静寂をも感じさせた。

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堂内には他にもいくつかの破損仏が。
そのうちの左が如来像(もしくは地蔵菩薩?)、右が菩薩像とおぼしき二体の立像は、サイズや作風的が似ているが元は一具だったのだろうか。
頭部がなくトルソー状態なのは痛々しくもあるが、かえって魅惑的なプロポーションがよくわかり想像を掻き立てる。

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最後にこんな方も。
天部像のようだが、こちらは素朴で地方色豊かな親しみやすいお姿だ。


再訪したいお寺No.1


以上、前・後半にわたりちょうど5年前の今日の高蔵寺拝観を回想した。
うっかりミスで思わぬ遠回りあり、炎天下の過酷ロードありでとても遠く感じたが、この環境でこんなに素晴らしい仏さまたちが拝めて、これほど来てよかったと実感したことはない。
それ以来ずっと、もう一度訪れたいお寺の筆頭であり続けている。

実はこの翌年から本尊の阿弥陀如来坐像と台座・光背も修理に入り、ニュースによれば昨秋戻られたという。

まずは今現在拡大が収まらない疫病終息を待たねばならないが、修復後のお姿も楽しみだ。

そして再訪にはもう一つ重要な目的が。
この日お寺を出て、また白石まで帰りの過酷ロードを自転車で爆走していた時だろうか、

「あ、御朱印忘れた!」

と気づいたのは。
御朱印は実は片っ端から集めるほどではないのだが、阿弥陀推しとしては阿弥陀如来の御朱印は必須である。

でもこの時ばかりは、たどり着けただけでラッキーだったと素直に思えたし、もっと楽な方法で来たとしても、初見ではお堂と仏像の素晴らしさに圧倒されてどっちみち忘れていただろう(笑)。

これを書くために5年ぶりに探し出したお寺のリーフレットによると、近くには滝あり、白鳥が飛来する沼あり、桜並木と「彼岸花ロード」もありと見どころも多いらしく、どの季節に来ても楽しめそうだ。

次回は必ず角田側から向かい、周辺の散策かねて一日たっぷり使うつもりで余裕のある訪仏をしたいと思っている。


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[当記事の訪仏日 2015.8.5]
掲載情報は基本的に参拝・拝観・鑑賞当時のものです。
最新の拝観情報、交通情報等は各所公式サイト、問い合わせ等にて確認のうえおでかけください。
堂内・館内・仏像等作品の写真は、撮影可、もしくはその許可をいただいた場合のみ使用しています。

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