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『サラバ!』3冊、一気読み

西加奈子さんの『サラバ!』文庫版を読んだ。

以前購入して読みかけたのだが、途中で読むのをやめていた。イランで生まれ、エジプトで育った話というところで、当時はなんだか自分とは遠くの物語だなと感じてしまって(そんなことはまったくないのだが)、ちょっと今はいいやと思ってしまったのだ。

ただ、又吉直樹さん中村文則さん、西加奈子さんの対談か何かの動画を見て、又吉さんか中村さんのどちらかが、「読んだときにやられたなと思った。こういう書き方もあるんだなと」という主旨の発言をされていたことが印象に残っていて、「こういう書き方」っていうのは、どういう書き方なんだろうか?と、ずっと心に引っかかっていた。


先日書いたように、今回Audible文学チャンネルで西さんのトーク番組を聴いたので、せっかくだからと手に取ってみた。余計な先入観をあまり持ちたくないため、自分が読む前にその作品の内容については検索したりしないようにしているので、前回読みかけた以上の内容はあまり知らないまま読み進んだ。

前置きが長くなったが、今回内容については触れない。「サラバ」という言葉の意味にも。読後感が新鮮なうちに、自分が読んで感じたことだけ、勝手な主観的な記録として、残しておこうと思う。

西加奈子さんの作品を読むのは初めてだ。映画化された作品も観たことはない。テレビや動画でお話しているのを何度か見たことがあるくらい。Audibleのトークが、まともに話を聴いた最初だ。

物語はとてもテンポよく進む。ずんずんと、どこまでも、大股で歩いて行く感じ。小説、とくに文学は、ねっとりとした描写が差し込まれていることが多いが、一貫してポンポンポンと、主観的に進んでいく印象だ。

そして、作品から受けた印象は、

饒舌
先回り
全部盛り

最近読んだ作品と比べて、読んでいる側が想像をして補うという部分が、すみずみまで言葉で用意されているという印象を受けた。さらに、読みながらあれ?と思うことが、次に説明として出てくるというような展開が何箇所もあった。

いい悪いではなく、普段読んでいるものとそういう違いがあるという印象で、「ああ、こんなに書いていいんだな」と思った。

そしてもっとも圧倒されたのは、その盛り込みぶりだ。作中では、30年以上の時間が経過するから、もちろんいろんなことが盛り込まれるのは当然だ。だが、その間に起こる様々な出来事が、そう入ってくるのか、というところに、新鮮さというか、自分のなかで「ああ、こういう書き方があるんだな」と、冒頭に書いたようなことを思った。その発言をした人と、主旨は異なるかもしれないが、なんか納得というか、着地をした。

文庫版解説で、又吉さんがこんな風に書いている。

家族、人間関係、アイデンティティ、マイノリティ、信仰、芸術、社会的な出来事、ジェンダー、恋愛、言語、コンプレックス、表現、そして世界を構成する時間という枠組みなど、その内のどれか一つだけでも人生に決定的な影響を与えかねない重要な主題が複合的に重なり影響を及ぼしあっている。

たしかに、作中「テーマ(主題)的なもの」はたくさん出てくるが、そこまで深堀して徹底して描いているというわけではないので、あまりそこにはとらわれずに読むことができつつ、様々なテーマについて考えうる、まさに全部盛り作品になっているように思う。


あと、読みながら、リアリティが迫ってくる部分と、言葉数が減って、ここの部分は創作したんだろうなあという感じられる部分があった。ただ、それはあくまでも私の主観、読み手側のまだらなリアリティによるもので、著者の筆がまだらというわけではないのだろうけども、特に中盤以降に、そういう印象を持ったということは書き残しておこうと思う。

これだけの長さを書きつくすには、相当な体力、精神力はもちろん、相当な「業」があったんだろうなあという気がしている。そこはまたこれから、西さんの他の作品を読みながら勝手に想像していこうと思う。

ちなみに、『サラバ!』と並行して西加奈子さんの食に関するエッセイも読んだ。

最後に料理家の竹花いち子さんとの対談が出てくるのだが、そこでこんな風に語られている。

竹花>結局、自分にとって大切なことって、もう身体の中に全部入っていて、それを信じればいいよね。

西>身体しか、信じてない(笑)。小説を書くときは、メモをとったり順番を組み立てたりしないで、そのときに自分にワッと入ってきたものを書く。これを書こうと思って書くと、それが邪魔になっちゃう。

この西さんのセリフのように『サラバ!』という作品を書き切ったのだとしたら、それはもうこの作品自体が、作中に出てくる「ナイル川の白い化け物」であるということなのだろうと受け止めた。


下巻でこんな一節が出てくる。

小説の素晴らしさは、ここにあった。何かにとらわれていた自身の輪郭を、一度徹底的に解体すること、ぶち壊すこと。僕はそのときただ読む人になり、僕は僕でなくなった。そして読み終わる頃には、僕は僕をいちから作った。僕が、何を美しいと思い、何に涙を流し、何を忌み、何を尊いと思うのかを、いちから考え直すことが出来た。

この作品の中で一番共感した部分であり、小説を読む際にはこうでありたいと思う。そして、この作品を通して、自分の一部はこのような体験をできたように思う。

最後に完全なる蛇足だけれど、この作品が映画化されるとしたら「僕」は成田凌さんのイメージ。特に下巻になってからを、うまく演じてくれそうな気がしている。


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