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ダンマパダではなく、アンパンマンです―なんのためにに生まれ、生きるの?

なんのために生まれて、なにをして生きるのか。こたえられないなんてそんなのはいやだ。

ダンマパダではなくて、アンパンマンの歌です。

やなせたかしさんがどこまで意図していたのかはわかりませんが、アンパンマンって、パーリー語のアパマノ=無限(マインドに制限がない状態)みたいだと思うのはわたしだけでしょうか?

そしてアンパンマンは『さあ、ぼくのかおをお食べ!』と言って、自分の顔をおなかが空いた人に食べさせるという、ジャータカ顔負けのダナパラミタ(おしみなく与える行)をします。そういうわけで本日は、アンパンマンの歌の問いかけのとおり、なんのために生まれて、なにをして生きるのかを一緒に考えてみましょう。

なぜわたしたちは生きているの?それは生まれた原因があるから

まず、なんのためにと問いかけられたときに、原因を答えるのではなく、しあわせになるため、楽しむため、学ぶため、と目的を答えるかもしれません。でもそれって、何かをするとしあわせになったり、楽しかったりするわけで、原因ではなくて、どちらかというと結果の部分です。

仏教の場合は哲学なので、なにごとにも原因と結果を考えるということを徹底します。『なんのために生まれたか』も、なにが原因で生まれたかを考えます。そうすると結果の部分である『何をして生きるのか』が見えてきます。やなせたかしさんの問いかけ方も適切ですね。

では、まず原因の部分であるなんのために生まれたかを仏教哲学の視点から見てみましょう。仏教ではすべてがマインドの衝動から発生していると考えます。たとえばわたしたちが原始的な、微生物みたいな生きものだったころから、「あっち行ってみようかな、息吸ってみようかな」といった具合で、あれこれやりながら、分裂してみたり、吸収してみたりしながら、あれはおいしかった、まずかった、気持ちよかった、痛かったという経験を積み重ね、生きたり死んだりを繰り返してきたわけです。(詳しくはアガンニャスッタの回を読んでください)

そうやって長らく宇宙をウロウロしている(サムサーラ=輪廻)間に、生まれるのって「こういう感じ」という大まかな体系ができあがって、自分ってだいたい「こういう感じ」だよね、という感覚(自我)を持って未だウロウロしているのが今のわたしたちです。

こたえられないなんて、そんなのはイヤだ!

そこでなんのために生まれたのかというと、「ため」という意味はありません。ただ、欲求(タンハ―)が生まれてしまった「ため」に生まれています。生まれることは結果です。長い間欲求(タンハ―)を燃料にウロウロしている間に進化という分離も進んで、趣味嗜好も複雑化して、ものすごい多様化して個性的で唯一無二なのが、今のわたしたちです。

ひとりひとりがとてもユニークなので、何をして生きるのかを、一括りに体系化された仕事や役割の中から選ぼうとすると、チョイスの幅がなくとても苦しくなってしまいます。誰かが提示することをやっていても、何をして生きているのか自分でもよく分からなくなってしまうのは、わたしたちの個性のためです。

ですので、まず一番最初に大切なことは、自分を知ることです。アンパンマンの歌でも、『こたえられないなんて、そんなのはいやだ』とか、その後では『わからないままおわる、そんなのはいやだ』と、答えを知ること、自分を知ることの重要性が強調されています。

ここでやなせさんすごいなあって思うのが、その答えを歌の中で提示していないことです。子供たちに自分で考えて、選んでほしかったんでしょう。ブッダも同じです。答えが知りたいんだったら『わたしのところに来るといい、そして自分で考え、腑に落としなさい(Ehipassiko opanayiko paccatam venditabbo vinnuhi) 』と言いました。

ここで気をつけてほしいのが、適正テストのように外の世界が括っているカテゴリーと照らし合わせながら、人間社会の中だけの自分の位置を計っても知ることはできないということです。そうではなくて、自分が宇宙でどんな風にウロウロしてきて、宇宙のどの辺を通ってきて、今ここにいるのかという自分だけの宇宙マップを解析していくことで、自分を知ることができます。

なんのために生まれたのかを知るためのマインドフルネス

何に反応するのか、どんな反応をするのか、どの欲求がその反応を促しているのか、それはネガティブに作用するか、ポジティブに作用するか、どういう結果をもたらしてきたのか、自分の中で起こる欲求(タンハ―)を分析していきます。

地味な作業ですが、これがマインドフルネスです。今この瞬間瞬間で、何に反応して、何に突き動かされてチョイスを繰り返しているのかを観察する。この地味な作業を続けていると、だんだん生きやすくなってきます。楽になってきます。

なぜかというと、「なにをして生きるのか」という命のエネルギーをどこに使うのかの適正なチョイスができるようになってくる=欲求(タンハ―)によって積み上げられた反応癖に振り回されて、衝動的に戦うことや、逃げるというチョイスが減るからです。

そうなってくると、自然に人生が好転します。生まれて生きている間のいのちを、何に使うのかマインドフルに選ぶことができるようになると、自然によろこびが生まれます。自然にやさしくなっていきます。そして、自然に「みんなをまもるため」に人生を使おうとするようになっていきます。そうなると、もう生きる「意味」という固定された定義のようなものを決めなくても、より良い今のために生きることで、「意味」は充分になってくると思うのです。

最後にアンパンマンの歌の最後の部分を紹介して、今日はおわりにさせてください。

時は はやく すぎる
光る 星は 消える
だから 君は いくんだ
ほほえんで
そうだ うれしいんだ
生きる よろこび
たとえ どんな敵が あいてでも
ああ アンパンマン
やさしい 君は
いけ! みんなの夢 まもるため


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