11月11日「ハリー・ポッターと秘密の部屋」という映画を観た。
原題は「Harry Potter and the Chamber of Secrets」。2002年のアメリカとイギリスの合作映画で、クリス・コロンバス監督の作品だ。
キャストは、ハリー・ポッター役のダニエル・ラドクリフ、ロン・ウィーズリー役のルパート・グリント、ハーマイオニー・グレンジャー役のエマ・ワトソン、アルバス・ダンブルドア役のリチャード・ハリス、ミネルバ・マクゴナガル役のマギー・スミス、ルビウス・ハグリッド役のロビー・コルトレーンなどである。
あらすじは、
といった内容。
で、観終わっての感想。
いきなり現れたトビー。何者?
第一作では出てこなかった「トビー」。この第2作のはじめに当たり前のように出てきたので、何者?と思ってしまった。
なかなかのイタズラぶりに、「屋敷しもべ妖精」と知ったのは、映画を観終わって調べた後である。それにしても、なかなか憎めないキャラクターであった。
空飛ぶ車のシーンは楽しい
友だちのロンたちが、空飛ぶ車でハリーを迎えに来る。なんだか楽しいシーンである。
また、特急に乗り遅れたあと、再び空飛ぶ車を使用して学校へ向かうシーン。こちらも普通に笑えたし、木に引っかかり振り落とされ、さらに木に襲われるシーンも、面白かった。
「自分が何者かは能力では決まらん。何を選択するかじゃ」
1作目の組分け帽子が、スリザリンも勧めていたことを思い出し、グリフィンドール生で良いのだろうかと悩むハリー。
ダンブルドア校長は、
「自分が何者かは能力では決まらん。何を選択するかじゃ」
と、ハリーに告げる。
つまり、能力ではなく、自分が選択した事実こそが大切であるという意味にボクは受け取った。
この映画の中の名言であると、ボクは思った。
魔法界の純血?
魔法界にも、純血があるのだろう。この映画の中では、そう感じるシーンが散りばめられている。
つまり、魔法使いと一般人の混血より、魔法使いの両親だあることが純血で上位にいるという考え方だと思う。
これって、もしかすると、今の世界に対する風刺ではないだろうか?
人種差別を思わせる、純血。
意外に、このようなメッセージが含まれているように感じるのである。
今回、ハリー・ポッター映画の1作と2作を観終えた。
結構、楽しく観ることができた。
しばらくの間、週末の映画タイムは、ハリー・ポッターの作品を連続で観ることになるかもしれない。