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オタク特有の勘違い

ご存知の方もいるかと思いますが、3月4日、5日は私にとってとても重要で大事な日でした。
10月のワンマンで発表があってからこの日をすごく楽しみにしていたし、地元のステージで楽しそうにしている推しを見るためにこの数ヶ月間過ごしてきました。

結果前日に急病になり行けなかった訳ですが、現在の気持ちは前向きに現場に通おうって気持ちと推しの大切なライブに行けないようなオタクは死んだ方がいいって気持ちが1日のうち何回も入れ替わっているのが本音です。正直死んだ方がいいっていうのが優勢かな今のところ…

たかがそれくらいでって思う方もいるでしょう?でもやっぱりそれくらい重要なことでもあるんですよ推しの生誕とか凱旋って…

現にオレが行けないってわかって普段は同じグループにいないオタクがお土産を用意してくれたり、たくさん声かけてくれたり、周りのみんなにはオレの話は一才しなくていいです。その話をする時間があるなら自分が楽しんで欲しいって伝えたんだけどそれでも本当にそれでいいのか?って踏み込んできてくれる人もいたり、やっぱりオタクとして推しの凱旋っていうのはこれだけ大切なものなんだなっていうのを実感しています。

自分のオタクとしてのスタイルって真剣ではあるとは思うんだけど身の丈をわきまえてる部分もあるからガチ恋とは少し違うと思っていて、どちらかというと幸せになって欲しいって気持ちが強いです。

もちろん自分が1番幸せにしてあげたいって気持ちは持っているしそのためにできる限りは動いているつもりではいます。ただ、本来の目的は幸せになって欲しいなのでそれは自分じゃない誰かに幸せにしてもらうのでもいいと思うし、推しが幸せであってそこに自分が必要じゃなくなったなって思ってしまった時点でオタクとして終わりなんだろうなって思っています。

ただオタク1人の力なんてほとんどないようなものだから自分だけでは幸せにできないことくらいわかっているし、自分がいなくても楽しんだり幸せになれることくらいは理解しています。

だからそれをマジマジと感じたくないから幸せを感じてもらえるような大きな行事(生誕や凱旋)などはその場にいたいって思ってしまう部分があるのかな?って思っています。

本来の目的の推しの喜ぶ顔が見たいってゆうのはあるとしても。

それでもオタクはかけてもらった言葉を信じて自分はあなたにとって必要な存在なんだって勘違いをして生きていく訳ですが、さすがに今回は一生ものの傷を負ってしまったなって思っています。現に楽しかったでしょう?幸せそうだったでしょう??そうなると自分って…って思ってしまう訳です。

これは推しによくかける言葉なんだけど、自分がいないからといって世の中が回らなくなる事はないと思っていて、それは例え総理大臣が急病で休んだとしてもその間日本が全く機能しなくなる訳じゃないように。ただそれでも自分の事を必要としてくれる人はいると思います。そうゆう思いになってしまった時はせめてその人達のために生きてみてもよいのでは?と思うのです。(あくまで個人の意見ですが)

最後にこれを書いているうちに早速心境の変化があったのだけど、冷静に考えて自分が体調崩して凹んで死んでしまうのは勝手だけど、それって推しは何一つ悪い事していないしそんなんで死なれても本当に必要としてくれているのであれば悲しませてしまうだけだなと…

だからこれからも何回も生きようと死にたいを繰り返すと思うけどそれでもがんばって会いにいくから🍲はあなたにとって必要なんだよって勘違いさせてね推しメン!!

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