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【意訳】なぜジャスパー・ジョーンズは20世紀を象徴する画家なのか

Source: https://www.artsy.net/article/artsy-editorial-jasper-johns-icon-20th-century-painting
※英語の勉強のためにざっくりと翻訳された文章であり、誤訳や誤解が含まれている可能性が高い旨をご留意ください。
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Why Jasper Johns Is an Icon of 20th-Century Painting

By Jon Mann
Dec 14, 2017 6:03 pm

2017年の秋、当時87歳のジャスパー・ジョーンズは自分の死後、コネチカット州シャーロンの田舎にある170エーカー(68.8ha)の静養地をアーティスト向けレジデンスに転用する計画を発表した。
アメリカ最高の画家・版画家として知られるジャスパー・ジョーンズは、画家だけでなく詩人、音楽家、ダンサーが3ヶ月間滞在できる静養所のために基金を作ろうとしている。
ジャスパー・ジョーンズが分野横断的なアーティスト・コミュニティ育成に価値を見出しているのはとても納得がいく。1950年代から60年代にかけて彼はNYに住んで活動し、作曲家のジョン・ケージ、ダンサー・振付師のマース・カニングハム、また長い間パートナーであったロバート・ラウシェンバーグといった才能達と交流していたからである。
ダダの巨匠マルセル・デュシャンを手がかりに、ジョーンズとラウシェンバーグはアートの基本的性質に疑問を投げかけ、ネオダダアーティストとして知られるようになった。更に、彼らの日常的なイメージに対する問題意識はポップアートのきっかけとなり、言葉と記号への着目はコンセプチュアル・アートにも影響を与えた。
近年もその活動は活発で、2011年にはアメリカ政府から自国民に与えられる中でも最高位の賞、大統領自由勲章を受賞している。彼は抽象画、特に抽象表現主義が覇権を握っていた時期のアメリカ近代美術に具象的なイメージを再導入したことで知られている。
ジャスパー・ジョーンズの最も有名な達成は、支持体を旗、ターゲット、地図などの抽象化されたシンボルで覆い、固定された意味しか持たないと思われているそれらのイメージが、実際には答えよりも多くの疑問を投げ掛けていると示したことだ。
ではジャスパー・ジョーンズと、彼を20世紀で最も評価されているアーティストへと引き上げた意図的な不可解さを纏う作品についてどう語るべきだろう?

ジャスパー・ジョーンズとは何者か?

https://www.artsy.net/artwork/jasper-johns-flag-3

ジャスパー・ジョーンズは1930年にジョージア州のオーガスタで生まれ、幼少期をそこで過ごした。両親の離婚に伴う理由から思春期にサウスカロライナ州へ移住し、サウスカロライナ大学で3学期を過ごしたのち、1949年にNYのパーソンズ・スクール・オブ・デザインに転入した。1951年から53年は朝鮮戦争に従軍するために休学し、日本に滞在していた。1953年にNYへ戻ると、彼はロバート・ラウシェンバーグに出会って関係を持つようになった。このことがアートシーンに参入し、有名ディーラーであるレオ・カステリに作品を見せる機会へと繋がった。1958年、カステリはジョーンズに自分のギャラリーでの初個展をオファーする。その際にMoMAの館長アルフレッド・バーがギャラリーに現れ、3つの絵画を購入した。事実上無名のアーティストの作品購入は前例がなく、彼は公式に“発見”されることになる。

彼が有名な理由は?

https://www.artsy.net/artwork/jasper-johns-untitled-from-the-color-numeral-series
https://www.artsy.net/artwork/jasper-johns-figure-7-from-color-numeral-series

恐らくジャスパー・ジョーンズの絵画で最も有名なのは Flag (1954–55) だ。MoMAの収蔵作品の中でも最重要作品のひとつである。(この作品はバーが購入した3つの絵画の1つではなく、建築家のフィリップ・ジョンソンが寄贈したものだ。バーは美術館の作品購入委員会から非国民的だと思われるのを恐れ、美術館のために本作を購入してくれないかとフィリップへ依頼していた。)※ややこしい話だが、冷戦時代、マッカーシズム(赤狩り)の余波によって仕事を失う危険性がまだある時期に、国旗を絵画のモチーフとして軽々しく扱った作品の収蔵を提案するのは政治的誤解を招く危険があった。バーはそれを回避するため、とりあえず作品を購入しておいてくれないかとフィリップにお願いしたのだ。

この絵画は、ジョーンズが好んで使用した素材である紙と布のコラージュの上に、蝋画法でアメリカ国旗を公平かつ正確に再現したものだ。だがその国旗はくっきりした線と明確な配色を避け、ウィレム・デ・クーニングのようなアクションペインター的手さばきの跡を残しつつ、エッジの荒い質感的な描写で厚塗りの表面に描かれている。そのためFlagはアメリカ国旗との関係性に関する疑問を起こさせる。この旗は、実際に旗なのか?それとも旗を再現したものなのか?全てのアメリカ国旗は単純にアメリカ国旗という既存の概念を再生産する、アイデアを反映するだけのものなのか?Flagによってジョーンズは、シュルレアリスト作家ルネ・マグリットが1929年に提示した難問──パイプの絵と“これはパイプではない”とフランス語で書いた文字を並べた作品、“Ceci n’est pas une pipe” を更新してみせた。鑑賞者が見たもの、そして最初に視覚から推測した意味は結局躱されてしまう。これは旗であり、旗ではないのだ。

ジョーンズ作品を購入して展示するという行為を通して、そのイメージが持つ意味がシフトするのは確かだ。カステリがTarget with Plaster Casts (1955)を購入したのもその一例である。美術批評家のロバート・ヒューズは1980年の自分のTV番組、The Shock of the Newでこう語っている。
“一度ターゲット(標的)が審美的に見られると、一般化されたデザインとしての用途を失います。記号であることを止め、イメージになるのです。我々は対象を明確に理解しているわけではない。その自明性は推測的なものへと変わります。”
だが、タイトルの“Plaster casts”とはなにか?彼は9個の木の箱をターゲットの上に取り付け、その中に顔、手、耳、ペニスといったバラバラの身体の模型を入れている。

https://www.artsy.net/artwork/jasper-johns-target-with-plaster-casts-3
https://www.artsy.net/artwork/jasper-johns-watchman-1

彼がアメリカ軍の英雄からその名を付けられ、陸軍に入隊していたという事実から、ひとつの仮説が浮かび上がる。Flagは同名の軍人、あるいは彼自身の任務に関する自伝的作品なのだろうか?ではTaegetは?これらのシンボルはジョーンズにとって、あるいは広島・長崎の原爆投下や朝鮮との衝突を経た日本人にとって何を意味するだろう?
Targetにおける石膏像は、最前線でバラバラにされた身体なのだろうか?あるいは家庭における抑圧と監視だろうか?もしくは第二次大戦後の10年間に家庭内で横行していた、共産主義者(そして数は少なかったが同性愛者)を標的としたマッカーシズムについて言及しているのかもしれない。
1953年、アイゼンハワー大統領は大統領令10450に署名し、連邦政府機関でゲイが働くことを禁止した。ジョーンズのセクシュアリティ(一種の公然の秘密であった)を考えると、そのバラバラの身体は標的にされるかもしれない自分の、沈黙し閉じ込められた欲望を表しているのだろうか?ヒューズのことばを引用するならば、ターゲットと同様にターゲットに取り付けられた人体の自明性も大幅に推測的になる。我々は自分自身のかたちもしっかり認識していないのだから。

実は別バージョンのFlagが間接的に展示にされたことがある。ラウシェンバーグのコラージュ作品、Short Circuit (1955)の中に、様々な構成要素のひとつとして組み込まれていたのだ。キャビネットの開いたドアから見える部分的に隠された状態の国旗からは、様々なメッセージを読み取ることができる。(Short Circuitに組み込まれていた実際のFlagは紛失してしまい、後にアーティストのスターテヴァントによって再制作されたものに置き換えられている。)

なぜジャスパー・ジョーンズは重要なのか?

https://www.artsy.net/artwork/jasper-johns-flag-moratorium-3

“この全てを取り除くため、我々は何年も仕事してきたんだ。” 抽象的な色面を描く画家マーク・ロスコが、ジョーンズの個展に展示されていた具象作品を観てそう皮肉ったのは有名だ。この2人の作家のコンセプトの違いは明白だ。ロスコのような抽象表現主義の画家が深く内省的で理論的に重厚な作品を作ったなら、そこには隠れた意味が分厚く込められている。一方でジョーンズは瞬間的に理解できるシンボルを具象的に描いた作品を制作し、そのシンボルが定義済みの意味を持っているという認識を排除する。

ジョーンズは抽象表現主義的な手さばきと色面を用いて絵画を制作し続けたが、彼はその背後に意味を持つ完成されたイメージに注目することから方向転換した。

1960年代、ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタインの哲学に影響を受け、ジョーンズはアートにおける言語と記号に対する問いかけを推し進めた。Map (1961)において、彼は“ブラシマーキング”と命名した技法を取り入れる。くそでかい筆跡で描いた半言語的な要素をキャンバスに配置してイメージを構築する技法であり、ポスト印象派ポール・セザンヌが使った“コンストラクティブ・ブラシストローク”(建設的筆致)とは異なる。
Mapにおいてジョーンズは、ブラシマーキングを使ってアメリカ合衆国の地図を描き、抽象的なドリップ、こそぎ落とし、筆致によって画面をまとめ、各州の名前をステンシルした。
すでに馴染みのある相互作用が心に浮かんでくる;このアメリカの地図は何を表現しているのだろうか?誰を表現しているのだろうか?各要素は他の要素、および全体とどう関係しあっているのだろう?ジョーンズはまたしても親しみやすいが馴染みのない、概念と記号論の可能性に満ちた領域へと我々を連れて行ってくれる。

彼はコンセプトの追求によって絵画を嫌いになることはなかったが(デュシャンは絵画を1913年頃に辞めたことで有名だが)、レディメイドのアイデアを用いた実験的なオブジェクトも制作した。
“カステリはどんなものでも売れるらしい、それが2つのビール缶だったとしても。”とデ・クーニングが吐き捨てたジョークをネタに、ジョーンズはブロンズで台座付きの2つの筒を鋳造して、それをバランタイン・エールの缶のように塗装した。
ひとつの缶を空け、飲み物として、あるいはシンボルとして空っぽであると表現している。ジョーンズはレディメイドをひっくり返し、2つの極めてリアルな缶を手作りしたのだ。

https://www.artsy.net/artwork/jasper-johns-thermometer
https://www.artsy.net/artwork/jasper-johns-ale-cans-ulae-20

またジョーンズは大量の版画を制作しており、部分的な労働合意契約をUniversal Limited Art Editions (ULAE)と結んでいる。彼のこの制作方向性について、メトロポリタン美術館(Met)のキュレーター、ナン・ローゼンタールが2004年にこう書いている。“ジョーンズはデューラー、レンブラント、ゴヤ、ムンク、そしてピカソに並ぶ、歴史上で最も偉大な版画家の一人です。”彼は複数の自分の過去作のイメージを組み合わせてDecoy (1971)を制作した。ULAEで制作したこの版画はTate曰く、“この作品は、彼が初めて手動プレスのオフセット・リトグラフを使ったものです。”このプレス機が許容する自由度の広さによって、ジョーンズは文字(七色の書体)、イメージ(石膏製の身体のパーツやエールビールの缶)、抽象的な筆致を使った複雑な構成を生み出せるようになった。

“間違いなく、ジョーンズは彼の年代において最も重要な画家です。”イエール大学の美術学校の当時の学部長であったロバート・ストアは、2008年のMetでの個展“Gray”に関する記事の中でジョーンズについてそう答えている。“彼は絵画的要素の断片とコンセプチュアルな実践を、誰もやってこなかった方法で組み合わせたのです。”


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