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YAWARAちゃんと呼ばれた日、田村亮子の人生は180度変わった

 ミスターやゴジラ、ゴン、Qちゃん…。人気と実績を備え、敬意や親しみを込めて愛称で呼ばれたアスリートは多い。代表格が柔道女子48キロ級で五輪5大会連続のメダルを獲得した谷(旧姓田村)亮子さん(47)の「YAWARAちゃん」だ。

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 世にその名を知らしめたのは、1990年12月9日。地元福岡市で行われた福岡国際女子選手権大会に15歳で初出場した福岡・城香中3年の田村は、準決勝で過去5度の優勝を誇る世界女王、ブリッグス(英国)を開始28秒で破り、一気に頂点に立った。

 翌日の本紙の書き出しは「テレビのアニメ、劇画で人気を集めている『YAWARA』ちゃんの世界が目の前で繰り広げられている」。86年に連載が始まった漫画「YAWARA!」(浦沢直樹著、小学館)の主人公、猪熊柔も48キロ級。鋭い立ち技で大柄な相手に一本勝ちする柔と、144センチ、44・3キロの体で一回り大きな海外勢を圧倒した田村の姿を重ねた。

 女子柔道が92年のバルセロナ五輪から正式種目に採用されるというタイミングでのヒロイン登場に愛称は一気に浸透。谷さんにとっても大きな分岐点になった。「毎年見学した憧れの舞台に立てるだけで光栄で、1回戦を勝てればよいと思っていた。優勝する選手は大勢いるけど、盛り上げる形で記事を発信し、世の中に広めていただいて…。周りの皆さんの期待も高まり、自分の意識も百八十度変わった」

 髪留めで髪を束ねる姿もYAWARAと共通したが、幼少の頃から母和代さんに切ってもらい、結んでもらった田村の方が先だった。「漫画を読んだ時に、あ、同じ髪形だ、と引き込まれた。だからYAWARAちゃんと呼ばれるようになったのがすごくうれしかった」。柔の祖父、猪熊滋悟郎が語った「柔の道は一日にしてならずぢゃ」という言葉は「漫画の中でもそうなんだ、と励みになった。自分も一日も休まず練習したので」と心に刻んだ。

 バルセロナ五輪で金メダルをつかんだ猪熊柔と違い、田村は決勝でノワク(フランス)に惜敗。雪辱を期した96年のアトランタ五輪でも決勝で無名だったケー・スンヒ(北朝鮮)に敗れた。「本当に半端ない応援で、負けたときは記者の皆さんも一緒に悔しがって泣いてくださった。金メダルを取るまで終われないな、と奮い立たせてくれた」。漫画以上に困難な道のりと、それでも諦めずに金メダルを目指し続ける生きざまはドラマ性を高め、見る者の心を打った。

 4年に1度しか訪れない五輪までの長さを感じつつ、原点の福岡国際女子で10連覇を達成。年々重なる期待と重圧を背負って迎えた2000年のシドニー五輪で、悲願の金メダルを手にした。「漫画の中の柔ちゃんと同じように、自分の中でちょっと完結したな、と。格別な金メダルだった」。その達成感は「初恋の人にやっと巡り会えた」(00年9月17日本紙)という言葉に凝縮され、大会前に語った「最高で金、最低でも金」は同年の新語・流行語大賞の特別賞に選ばれた。

 03年にプロ野球選手の谷佳知と結婚し「田村で金、谷でも金」と宣言した04年アテネ五輪で連覇を達成。08年北京五輪では銅メダルを獲得した。冬季五輪も含め、5大会連続でメダルを獲得した日本人選手は今も谷さんしかいない。

 引退後も「YAWARAちゃん」と呼ばれることが多い谷さん。「私より頑張っていた選手をいっぱい知っているけど、私は巡り合わせというか、柔道の神様に愛していただいた。(人気は)つくろうと思ってつくれるものじゃない」と感謝する。世界選手権女子48キロ級2連覇のビロディド(ウクライナ)ら、谷さんに憧れる海外選手も増え「世界的に柔道が浸透し、すごいスピードで広がっていることがうれしい」と喜ぶ。

 21年の東京五輪で日本は柔道の9個を含む、史上最多となる27個のメダルを獲得した。谷さんは柔道に限らず「見たい、知りたい、応援したいと引きつける選手が出てくるのでは」と期待。プロ野球で3割、30本、30盗塁の「トリプルスリー」を3度達成し、東京五輪でMVPに続いて開催中のWBCでも奮闘する山田哲人(ヤクルト)をはじめ、あらゆるスポーツの世界や子どもたちに目を向ける。

 パリ五輪開幕まで14日であと500日。「世界には飛び抜けた選手たちがいる。アンテナを張り巡らせたい」。現役時代、愛称とともに力をくれた応援を、国籍や競技に関係なく多くの選手に送っていく。(末継智章)

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末継 智章

末継 智章

記者

1978年生まれ。福岡市出身。 2002年秋入社。初任地の鳥栖支局でサガン鳥栖の経営問題に直面し、運動部を志望する。 2008年北京五輪や2021年東京五輪、2018年サッカーW杯ロシア大会を担当。2020年から東京支社で、五輪競技や西武を中心にどこでも出没。 自称社内一の巨漢で柔道やラグビーをしていたのか聞かれがちですが、小、中、高とバスケ一筋でした。

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