アラブの国の一つ、パレスチナ難民が多く住むヨルダンへ

ヨルダンは、シリア、イラク、サウジアラビア、エジプト、イスラエルに国境を接する内陸国。アラビア語を使うアラブの国の一つで、イスラム教徒が93%を占める(7%はキリスト教)。人口の70%以上はパレスチナ系の住民で、中東戦争(1948年)が始まってから難民として逃れてきた人々が多い。

最近では2011年に発生したシリア危機に伴って65万人のシリア難民を受け入れている。中東の国というと石油産出によるオイルマネーを想像するが、ヨルダンは産出国ではなく、製造業、インフラ事業、ファイナンス、そして観光が主な産業だ。あの「インディージョーンズ 最後の聖戦」(1989年)の舞台になったペトラ遺跡は観光の目玉で、他にも塩分濃度が高い死海沿岸のスパを併設したリゾートも人気があるそうだ。

交易都市アンマンの気持ちいいカオス

東京からドーハを経由して17時間ちょっと。アラブの交易都市として栄えてきたアンマンに到着した。ここからヨルダンの旅を始める。この街は古くからの旧市街と、比較的新しい新市街に分かれていてその対比が面白い。
旧市街には、アラブの文化が息づく人間臭い魅力的な雰囲気が残っていて、旅ごころが高まる。一方、新市街は道も広く整備されていて、いくつものショッピングコンプレックスやビジネスビルが立ち並び、新興住宅地が広がっている。海外の有名アパレル店や、自動車のディーラー、ファーストフード店なども進出しているので、世界のどこにあってもおかしくないようなグローバル化された街並みとも言えるだろう。ちなみにアンマンではUberが(日本よりも圧倒的に)便利。アプリを開けば、そこら中をUberと契約した車が走っていて価格も明朗でリーズナブル。

旧市街の中心にはローマ時代からの宮殿の遺跡がある丘があり、その周りにさらに劇場跡などの遺跡が点在する。並々と続く丘には人々が生活する建物がひしめき合って目が眩むようだ。そしてこのあたりは高低差があって道も入り組んでいるので、なかなか思った場所にたどり着くことができない。ゆったりとカーブしていたり、道が直角に交わっていなかったり、急に階段が現れたりして、方向感覚がついていかないのだ。一番の目印となるランドマークは、旧市街の中心にあるフセインモスク。金曜日には多くの信者が集まり、そのそばにある市場も賑わう。

人がひしめき合い男たちの声が飛び交う市場=スークへ

市場はアラビア語ではスークという。そのスークは、いわゆるバラックのような簡易な建物で、裸電球で照らされた内部はよく言えばエキゾチックだが、最初は緊張する。近隣から届いた農産物、羊や鶏肉、牛肉といった新鮮な畜産物、日用品までが売られる屋台が多く並び、男たちの盛大な売り声が歌のように響き渡っている。歌のようにというは誇張ではなく、一つの屋台の店主が声を出し始めると、それに呼応するように他の男たちも併せていくので「仕事歌」といった趣だ。

その市場の片隅には数件の食堂があり、男たちが何やら湯気をあげた旨そうなものを食べている。スープにパン、茄子とトマトなどを煮たもの、それに鶏肉を使ったコメ料理も並んでいる。アラブではシッカリとした硬さのパンが常食されているし、中東のピザと言われるマナキッシュもあるが、実は米食も一般的。このコメ料理はカブサと呼ばれ、もともとはサウジアラビアの料理で、ヨルダンでも定番の料理。食べてみれば、スペインの鶏肉を使ったパエリア(シーフードを使わないバレンシア地方のもの)に似ている。なるほど、スペインもイスラム教の影響が強いのだから納得できる。

旅から帰って東京でカブサを作ってみた

アンマンでも、ヨルダンの他の街でもよく食べたカブサ。帰ってから作ってみた。ヨルダンの米はパラパラした長粒米。インド料理に使うバスマティ米にした。いくつかのスパイスとミントで中東らしく仕上がる。

元パレスチナ難民キャンプへ

元パレスチナ難民のキャンプがあった場所に出かけてみた。ワヒダットキャンプは商店が立ち並び、今ではこの町に同化しているように見える。1950年代にパレスチナの地を追われた難民たちを収容していた面影はない。歩いていると、写真を撮ってくれと若者が寄ってきた。ヨルダンのどこでもそうだが、みんな人懐っこい。

夜になって旧市街を歩いていると、道が交差する小さな広場に本屋の明かりがあった。若い学生がベンチに座って仲良く話をしている。中東の国でありながら石油産出もなく、勤勉な人たちが毎日をきっちり生活しているといった印象だった。日本からの経済協力も積極的で、日本人だとわかれば歓迎されることが多い。
ヨルダンは、アラブ民族の生活とイスラムの文化が息づく、まさに異国の雰囲気を楽しめる国。20世紀以降のパレスチナ問題、最近はシリア問題に巻き込まれながらも、つつましく生活する親切で優しい人が多く、旅のストレスが少ない国だった。

All photos by Atsushi Ishiguro


外務省
ヨルダン観光局 
CNN


石黒アツシ

20代でレコード会社で音楽制作を担当した後、渡英して写真・ビジネス・知的財産権を学ぶ。帰国後は著作権管理、音楽制作、ゲーム機のローンチ、動画配信サービス・音楽配信サービスなどエンターテイメント事業のスタートアップ等に携わる。現在は、「フード」をエンターテイメントととらえて、旅・写真・ごはんを切り口に活動する旅するフードフォトグラファー。「おいしいものをおいしく伝えたい」をテーマに、世界のおいしいものを食べ歩き、写真におさめて、日本で再現したものを、みんなと一緒に食べることがライフワーク。

HP:http://ganimaly.com/