沖縄から南に2200キロ、太平洋に浮かぶ南国の国・パラオ共和国。
鹿児島県の屋久島ほどの面積におよそ1万8000人が生活し、英語とパラオ語が公用語。さらに日本との時差がないことから、人気の観光地にもなっています。

そしてこのパラオ共和国、沖縄との強い繋がりがあるのも特徴です。今回RBCは沖縄県の教員によるJICAの研修に同行し、現地で取材しました。

子どもの名前がオカダにオカムラ⁉ パラオってどんな国

上江洲記者
「朝の市場にやってきました。パラオで採れた野菜がたくさん並んでいます」

パラオの伝統家屋『バイ』を模した屋根の下では新鮮な野菜や総菜が並び、買い出しのついでに市場で朝ごはんも済ませてしまうのがパラオスタイル。

Q市場で何を買った?
パラオ市民
「タロイモよ」
Q何に使うの?どう調理する?
「私たちにとってお米や芋のようなもの。色んなものと一緒に食べるわ」

『A mesei a delal a teild(タロは命の源である)』いうことわざがあるほど古来からパラオ人の生活には欠かせない食材です。

南国の果実、ココナッツは割って中の果肉をおやつ代わりに食べてみたり、小麦粉でできたもちをココナッツミルクで煮込めばパラオ風ぜんざいになるなど、まさにパラオの国民食です。

親日国としても知られるパラオ。1914年から1945年までの31年間、日本の統治下にあり、一時は日本人移住者がパラオの総人口の7割を占めていました。
その名残は今でもパラオ各地で見ることができます。

南洋群島における首都機能を果たした南洋庁パラオ支庁の建物は、現在は裁判所としてその姿を残し、かつてパラオで暮らした日本人の遊び場だった公衆プールは、手つかずのまま残っています。

ベラウ国立博物館 ジミオン・アデルバイさん
「パラオは“スモール東京”と呼ばれていた。パラオは特別だった。1914年以前にも多くの日本人がパラオに移住した歴史があったから。200年前のことで、それがパラオと日本の歴史の始まりだった」

パラオが日本から受けた影響はこんなところにも―

パラオ市民
「Daitoryo, Kekka, Benjyo(ダイトウリョウ、ケッカ、ベンジョ)」

今でも日本語がそのままの意味でパラオ語として使われていて、その数は1000語近いとも言われています。

さらに―

パラオ市民
「私の弟たちの名前は、オカウチ、オカダ、オカムラ。日本の苗字を名前にしている」

日本統治下には、日本人の苗字を子どもの名前につける親が多くいました。

1800年代のスペイン、戦前のドイツ・日本、戦後のアメリカと統治の歴史が長かったパラオですが、なかでも沖縄との共通点は色んなところにあります。

お昼時、お惣菜を求めて多くの地元の人が訪れるスーパーでは『タマ』と呼ばれる小麦粉をあげた伝統菓子が人気。見た目も味もサータアンダギーそのもの!

さらに、パラオでもポーク玉子おにぎりがソウルフード!こちらの店舗ではキムチ、また別の店舗では照り焼きソースを付け足して店舗ごとにオリジナルのポーク玉子おにぎりを売り出しています。

歴史や文化、食など沖縄との多くの共通点があるパラオ。似た者同士の島だからこそウチナーンチュの心を掴むのかもしれません。

RBCでは現地で取材した模様を5回にわたりシリーズ「パラオ通信」としてお伝えしていきます。