戦後、アメリカ兵の歓楽街として栄えた「KOZA(コザ)」の街。
「コザ」とは沖縄本島中部・沖縄市のコザ十字路から中の町(なかのまち)付近の市街地を指し、そこに含まれる胡屋(ごや)地区を米軍が「KOZA」と呼んだのが始まりとされています。
アメリカ軍嘉手納基地のゲートに面していたことなどもあり、外国人を相手とした様々な商売が繁盛しました。
そのひとつが”刺繍(ししゅう)店”。
刺繍を通してみる「コザ」の街の形成や当時の社会状況を振り返ります。


沖縄市の中央パークアベニューにたたずむ刺繍店「タイガーエンブ」。
店内は数えきれないほどの刺繍で埋め尽くされています。

タイガー刺繍店 安里光雄さん(右) 幸子さん(左)夫妻


創業者の安里幸子(あさと さちこ)さんと夫の光雄(みつお)さんご夫妻。

安里幸子さん
「当時は、いつ寝るかねって、本当に寝るというのは考えられない。今思えばゾッとしますね」

1964年、アメリカ空軍・嘉手納基地のゲートにほど近い、コザ(現・沖縄市)の胡屋十字路近く、国道330号に面した場所に開業しました。
1960年代ベトナム戦争時代を最盛期として外国人相手の商売で繁盛していたコザのまち。アメリカ兵のネームタグや階級章などの刺繍の需要が高まり多くの店が軒を連ねていました。

安里光雄さん
「14、5軒ぐらいあったんじゃないかな。少なくても(通りに)10軒ぐらいはすぐそこらへんぐらいにあった」
安里さん夫婦も、アメリカ兵のパッチワークをはじめ航空会社のロゴや、スーツを持ち運ぶガーメントバッグ用など、多彩な刺繍を販売していました。

安里光雄さん
「アメリカの航空会社が12、3社来て、パイロットやスチュワーデス(CA)が頻繁に来るわけよね。その当時、沖縄はあまりお土産がなかった、お土産として色んなものを作ったら何でも売れる時代でした」


コザの刺繍は、本土のテーラーから習得した高い技術が駆使されていて当時アメリカ兵などの間で高い評価を得ていたと言います。
そして、それは『装飾』の域を超えて、複雑な時代の変化を表す鏡でもありました。