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豊川悦司を「お稲荷さん」と呼びかわいがった名優・緒形拳を偲ぶ レジェンドドラマ 名優たちの共演

木俣冬フリーライター/インタビュアー/ノベライズ職人
待ち時間の緒形拳(右)と豊川悦司  (C)緒形事務所

2020年ももうすこしで終わり。少し早いが振り返ると今年の顔として豊川悦司が浮かぶ。再放送ながら「愛していると言ってくれ」(95年TBS 以下「愛くれ」)が大きな話題を呼んだ。耳の聞こえない青年画家(豊川)と俳優の卵(常盤貴子)との純愛はかつてのファンのみならず、新たなファンも獲得した。

豊川悦司の名作はまだまだある。今こそ地上波で再放送熱望作のひとつに「エ・アロール それがどうしたの」(2003年)がある。渡辺淳一原作の、隅田川沿いに建つ高級老人ホームを舞台に描く人間もよう。豊川が演じたのは「愛くれ」で母役だった吉行和子に恋い焦がれられる老人ホームの経営者・来栖。

高齢の女性の心も体も燃やす魅力をもった来栖に色気で負けない俳優がこのドラマにもうひとりいた。それが稀代の名優・緒形拳である。「エ・アロール」で緒形が演じる立木は二十歳も年下の女性と恋するような魅力ある男性。

ドラマは老人たちの第2の人生を軸にしながら、緒形と豊川の作り出す、ふたつの世代の男性たちの関係性を濃密に描き出した。

豊川はいまも緒形の書いた「向上心」という書を自宅に飾り、撮影時には持ち歩き、励みにしていると言う。横浜市歴史博物館で行われている企画展「俳優緒形拳とその時代 -戦後大衆文化史の軌跡-」のトークショーにも出演し(11月21日に開催された)、緒形の思い出を「エ・アロール」プロデューサーの貴島誠一郎(「愛くれ」コンビ)と振り返った。

そのもようを紹介するとともに、トークショー後に豊川と貴島に改めて取材したことで見えてきた、時を経てもなお愛され続けるドラマ、愛される俳優とは……。

壇上にあがった貴島プロデューサー(左)と豊川悦司 (C)横浜市歴史博物館
壇上にあがった貴島プロデューサー(左)と豊川悦司 (C)横浜市歴史博物館
横浜市歴史博物館外観 撮影:筆者
横浜市歴史博物館外観 撮影:筆者

「俺は明日から君を“お稲荷さん”と呼ぶ、それでいいか?」

向かって左(下手)に貴島誠一郎さん、右(上手)に豊川悦司さんが座る。背後の大きなモニターに資料映像が映し出され、ふたりは前に置かれたTVモニターでその画面を見ながら語る。司会は緒形拳さんのマネージャー岡田満世さんの姉・江戸家まねき猫さん。

まずはふたりが軽く挨拶。貴島さんは「俳優は亡くなっても作品は残るということを、この展示企画にいらっしゃった方はよくわかると思います。たくさんの作品を残された緒形さんと私は『エ・アロール』というドラマでご一緒しました。また、展示の会場で流している『緒形拳メモリアル』という20分ほどの映像は、2009年に行われたお別れの会のときに『エ・アロール』の演出家・平野俊一と私が作ったものです。今日は、人間・緒形拳の柔らかい部分をお話しできたらと思います」と登壇のいきさつを語り、豊川さんは「展示会のスタッフの皆さんや、緒形拳さんのマネージャーの岡田さんに、この席に呼んでいただいたことを感謝致します。緒形さんとはそれほど長い時間ではないながら、僕にとっては濃密な時間だったと記憶しています」と挨拶した。(※以後、発言の意味が変わらない範囲で若干補足、省略をして文章化していますことをご了承ください)

かなりの倍率をくぐり抜けて当選した方々が集まった会場。上手(右)に解説の馬場弘臣さんと緒形さんのマネージャーの岡田満世さん。下手に司会の江戸家まねき猫さん。(C)横浜市歴史博物館
かなりの倍率をくぐり抜けて当選した方々が集まった会場。上手(右)に解説の馬場弘臣さんと緒形さんのマネージャーの岡田満世さん。下手に司会の江戸家まねき猫さん。(C)横浜市歴史博物館

緒形拳とは?

稀代の名優。1937年生まれ。新国劇で俳優のキャリアをスタート、1965年、NHK大河ドラマ「太閤記」の豊臣秀吉役で主演。78年「鬼畜」で日本アカデミー賞最優秀主演男優賞を受賞。83年、カンヌ映画祭パルムドール賞を受賞した今村昌平監督作「楢山節考」に主演し、名実ともに日本映画を代表する俳優となった。2008年死去。2020年13回忌を迎えた。紫綬褒章、旭日小綬章を受章。13回忌となる2020年、12月6日まで横浜市歴史博物館にて「俳優緒形拳とその時代 -戦後大衆文化史の軌跡-」が開催されている。

「俳優緒形拳とその時代 -戦後大衆文化史の軌跡-」の入り口の巨大パネル 撮影:筆者
「俳優緒形拳とその時代 -戦後大衆文化史の軌跡-」の入り口の巨大パネル 撮影:筆者

――最初に緒形さんと一緒に仕事をしたのはいつですか。

貴島:松原敏春さん脚本の「普通の結婚式」(90年)という2時間スペシャルでした。当時、私は33歳くらい、緒形さんは52歳。視聴率が20%超えたおかげで、以後、私はプロデューサーとして、バッターボックスに立てるようになりました。なぜ、緒形さんにオファーしたかというと、うちの父母が大河ドラマをよく見ていて、「この人が出ているドラマにはいいドラマが多い」と言っていたからで、緒形拳さんの主演のドラマを作ることで親孝行ができると思ったんです。そのときは吉行和子さんが緒形さんの奥さん役でした。

――緒形さんとの最初の印象は?

貴島:若い人が好きでとても優しかった印象があります。ただ、当時、駆け出しのプロデューサーだった僕には緒形さんはあまりにもオーラがあって自分から話しかけることはできませんでした。ですから、緒形さんが何か話しかけたいときに、すぐに話しかけてもらえるような位置につねにいるように心がけました。

豊川:緒形さんとお目にかかったのは「エ・アロール」がはじめてです。TBSは当時――いまでもそうですが、最初に、顔合わせとホン(台本)読みというものをやったとき、緒形さんが開口一番「おれは豊川悦司と仕事するためにここに来たんだ」とおっしゃいまして、めちゃくちゃビビったのを覚えています(笑)。そのときの表情と口調はいまも忘れることができません。僕は緒形さんの影響で色の薄いサングラスをかけていますが、その頃から緒形さんが、薄い色のサングラスをかけていて、目は見えるとはいえ、表情がちょっとわかりにくいところが魅力でもあり、すこしこわい印象もあって。その顔で言われたものですから、ビビって、そのあと改めてご挨拶に行ったら、「俺は明日から君を“お稲荷さん”と呼ぶ、それでいいか?」と言われまして。「よろしくお願いします」としか言えませんでした(笑)。そのあと3ヶ月、撮影期間中、緒形さんは僕を「お稲荷さん」と呼んでくださいました。

――豊川稲荷とのご関係は?

豊川:ないですけど(笑)、年始にはお参りに行っています。

「エ・アロール それがどうしたの」とは。

2003年10月期ドラマ。全11話。おしゃれな高齢者住宅を舞台に、入居者たちが繰り広げる恋愛騒動。原作は渡辺淳一の同名の小説。脚本は相沢友子。出演は、豊川悦司、緒形拳、木村佳乃、津川雅彦、吉行和子、草笛光子、三波豊和、山田スミ子、水川あさみ。ほかに伊東四朗、白川由美、織本順吉等、各回のゲストも豪華だった。高齢者問題、高齢者の恋愛など、タブーのような問題にも斬り込みながら、普遍的な家族問題に帰結していく。(展示会企画者・馬場弘臣氏の説明より)。プロデューサー補に「アンナチュラル」「MIU404」の演出を手掛ける塚原あゆ子の名も。

「4月頃、BS TBS で放送して、大変評判が良かったです。わたしも、改めて見て、自分でいうのもなんですが、けっこう面白かったです。古さのないドラマですね」(貴島)

ロケ地は隅田川佃大橋付近。89年にパリ、セーヌ川と友好関係を結んだ隅田川だけにうっすらフランスの気配が。

「愛くれ」で母役だった吉行和子が豊川悦司に迫る役

――渡辺淳一さんの原作が過激ですが。

貴島:渡辺淳一さんの小説にはかなり過激な描写があり、来栖と杏子(吉行和子)さんのシーンはドラマでは放送不可能で、すこし、やわらかい表現にさせていただきました。渡辺さんにその許可をとろうとしたところ、「貴島くん、君は65歳の女性を抱いたことがあるのか?」と聞かれ、「いえ、ございません」と答えたのですが、渡辺さんは、女性は、年をとればとるほどドンドン若くなる。高齢者を「おばあちゃん」と呼んでしまいがちだけれど、皆、それぞれ名前があるのだから「おばあちゃん」でくくってはいけない。ご年配の豊川さんのファンの方も、十代、二十代と変わらない思いで見ていると諭されました。当時、四十代だった私にはわからなかったこともありましたが、自分が年をとってわかることはあるもので、渡辺さんはそういう人間の真理をよくご理解されていたと思います。

豊川:企画をいただいたとき、貴島さんにものすごく難しい企画を振られたなと思いました。横綱のなかにひとり前頭が放り込まれたような気持ちで、さて、どうしよう……という感じがありましたが、緒形さんはそれまでも憧れの方で、津川さん、吉行さんとは共演していたので、そこを頼りになんとかがんばっていこうと思いました。

――緒形さんと肩を組んでいる写真があります。

緒形拳の肩を抱く豊川悦司 (C)緒形事務所
緒形拳の肩を抱く豊川悦司 (C)緒形事務所

豊川:内心、ドキドキでしたよ(笑)。ドラマの撮影が終わったあと、何度かご飯を食べに行くようになるのですが、このときはまだそこまで親しくなかった頃で……。たぶん、テレビ誌のカメラマンの方だったかに「もうすこし親しげに」と言われてこういうポーズをとったと思います。緒形さんって、背後からまわりこむとすごくかわいいんですよ。正面から見るとこわいんですが(笑)。だからなるべく背後からまわりこむようにしていました。

貴島:緒形さんは豊川さんになついていましたよね。

豊川:ははは

貴島:お芝居以上の信頼感と親しさで、おふたりは接近されていました。

豊川:スタジオでもロケでも、ふたりのシーンが多かったので、待ち時間も含め、一緒に過ごす時間が多かったんです。そこでほんとうにたくさんのお話をしていただきました。まず、僕という人間にとても興味をもってくれて嬉しかったなあ。僕は緒形さんの息子さんくらいの年齢だと思いますが、とても可愛がってくれました。

貴島:なぜ、そんなにかわいがってくれたと思います?

豊川:たぶん、半分はいじっていたのだと思います(笑)。緒形さんのいじりに対する僕のリアクションを面白がってくれたんじゃないかな。たとえば、緒形さんにお渡しするものがあって、3000円くらいする高価なのし袋を買って、そこにいれたんです。そしたらすごく喜んで、こうやって(親指を立てるポーズ)くれました。あとで聞いたら、「緒形」という字を間違えて「緒方」と書いていたんですよ。すごく気合入れて筆ペンで書いたのに。それを見て満面の笑みで、こうやって(親指を立てる)くれたのかなって。

貴島:ドラマの撮影の時間は、ワンシーンはだいたい数分で、あとはシーンとシーンの間、3時間くらい、待ち時間になることもざらにあります。そこで雑談する俳優としない俳優がいますが、けっこう、雑談されたんですよね。

豊川:そうですね。僕は基本、現場でしゃべるほうではないですが、緒形さんとはしゃべっちゃいました。催眠術にかけられたかのようにしゃべらされちゃうんですかね。しゃべっていて気持ちよくなるような経験は、あとにも先にも緒形さんしかないかなあ。(写真を見て)当時、たまたま、ふたりとも吸っている煙草が同じ中南海で、その煙草の話だけで1時間しゃべっていました。緒形さんはすごくヘビースモーカーで、1時間くらいの間に煙草をひと箱吸ってしまうんですよ。ふたりの間にガンガン(吸い殻入れ)を置いて、ああでもない、こうでもないとしゃべっていました。

「芝居じゃないんだよ、いま俺たちがやっているのは。人間同士の話なんだ」

貴島:演技論はしました?

豊川:最初、リハーサルを会議室みたいなところでやったとき、僕はいろいろ芝居を変えてやるほうなんで、緒形さんに「すみません、いろいろ変えて、やりにくいですか」と聞いたら、「やりにくい芝居なんてこの世にはひとつも存在しない。そもそも、芝居じゃないんだよ、いま俺たちがやっているのは。人間同士の話なんだ」って。あとにも先にも、演技の話はこれ一回だけだったと思いますが、それはいまだに僕の心に残っています。

貴島:来栖がウイスキーのスキットルをもって飲むのは、来栖のストレス解消のためと、豊川さんが提案したと思いますが、ドラマの終盤、そのスキットルを緒形さんが飲むんですよね。そこにふたりの近さを感じたんですが、あれは台本にありましたか?

豊川:いや、たぶん、リハーサルか現場で提案されたものだったと思います。現場で生まれてくるものが多い仕事でしたから、緒形さんが提案されたのではないかな。人間同士の距離感が軸になったドラマで、来栖と立木の、父と息子の愛情のようであり、年の離れた男友達の友情でもあり……という関係性を緒形さんと一緒に作ることができたと思います。

おでん屋のシーンなども本気で笑っているんです。緒形さんはセットに入ると、そのまま出ないんですよ。たいてい、撮影と撮影の間は、照明を変えるなど機材を動かすので、その間、俳優は控室やスタジオの前室と呼ばれる待合室のようなところで待つものですが、緒形さんはセットにずっと座っている。僕もいっしょにいるようにしていたので、セリフ以外の話もすることになるんです。そうすると、緒形さんなのか、立木なのかわからないような瞬間がありました。

貴島:アドリブはあったんですかね? 「おい、ちょび髭」とかって台本には書かないんじゃないかと思うんですが(笑)。

豊川:アドリブは多かったと思います。緒形さんがどの現場でもそうかわからないですが、このドラマでは、本番でセリフや間合いが変わることは多かったです。リアリティーのある演技のなかに遊び心がある方で、覚えているのは、廊下から歩いてくるというト書きの場面で、歌を歌いながら杖を刀のように振り回しながら歩いてこられたんです。いきなり本番ですよ。ふつうに歩けば2、3秒で歩いてくることができるところを、1分くらいかけて(笑)。そういうのを見ると、僕も何かをやりたくなるんですけれど、役的にやってはいけないなと思って止めました。その反応を見てすごく楽しんでいるようなところがあって、「エ・アロール」というドラマをすごく楽しんで演じていらっしゃったと思います。

貴島:90年にやったドラマでは、緒形さんは本番でいきなり芝居を変えて、相手がなにもできなくなるようにすることがあり、演技は格闘技だから、張り合っているのだなと感じました。新国劇(緒形の出身劇団)から勝ち残ってきた方だからこそのやり方なのかなと思います。

――ほんとうに潰そうとしているんですか? それともかわいがっているんですか?

貴島:緒形さんは若い人が好きなんだと思います。「ブラックジャックによろしく」(03年)でも妻夫木聡さんをかわいがっていました。潰しにいくのは同世代かな(笑)。「エ・アロール」で共演した津川雅彦さんは2歳下で「雅彦」「形(がた)やん」と呼び合って、心を許し合っていたと感じます。

「エ・アロール」の待合室(前室)にて左から津川雅彦、緒形拳、豊川悦司 (C)緒形事務所
「エ・アロール」の待合室(前室)にて左から津川雅彦、緒形拳、豊川悦司 (C)緒形事務所

豊川:おふたりは昔から共演されているだけあって、とても仲が良くて、俳優同士で、こんなにお互い尊敬しあいながら親しくできる関係がうらやましく感じました。僕にそういう人がいるかといえば……いないですし。

貴島:「エ・アロール」の製作発表で「プレーボーイの役はいつも俺がやるのに、緒形がやるなんておかしいじゃないか(笑)」というようなことを言っていました。タイプが違う同士だからこそ親しくなられたのかなと思う。「破獄」(85年)のふたりは、お互いの信頼がないとできない緊張感のある芝居をやられていたと感じます。

ゴルフバッグをプレゼントされたけれど

――「エ・アロール」で緒形さんと豊川さんが共演したいきさつはなんだったのでしょうか。

貴島:プロデューサーとして、豊川さんに次はどんな役をやってもらおうかとつねに考えるなかで、緒形さんと組ませちゃおうと思ったんですね。ふたりの丁々発止を私が一番見たかったんですね。

――セリフでNGを出して緒形さんが謝っている写真があります。

NGを出して謝る緒形拳  (C)緒形事務所
NGを出して謝る緒形拳  (C)緒形事務所

豊川:セリフがまちがっているかいないか自己申告で、緒形さんしかわかってないと思います。

貴島:こういうときの緒形さん、かわいいですよね。

豊川:お仕事するまでに抱いていた緒形拳というイメージと全然ちがっていて、こんなにやわらかい眼差しの人なんだなあと思いました。それまでは演じている役によって、ほぼ極悪人のイメージが強かったから(笑)、最初に緒形さんのことを知った「必殺仕掛人」(72年)は骸骨に目がついているみたいな凄みで、子供心にすごくこわい人というイメージだったんで、「エ・アロール」で見せる数々のかわいらしい面には目からウロコでした。緒形さん、自分のセリフをメモしていて、ポケットに潜ませているらしいのですが(展示にもセリフの書抜が何点もある)、意外と見ることはなくて、なにかのときに「これはおまじないみたいなものだな、おれの」と言っていらしたことがあって、もしかしたら、自分の字で書いて起こすと覚えられるのかなと、僕も試したことがあるのですが、あまり効果がなかったです(笑)。

――豊川さんがセリフ覚えるときはどうしているんですか?

豊川:僕は基本、吹き込んで、音で覚えるようにしています。昔だったらテープレコーダー、今だとケータイに。

――ゴルフの写真です(ここには豊川さんはいない)。

ゴルフ場にて 左から三波豊和、津川雅彦、緒形拳、貴島誠一郎 (C) 緒形事務所
ゴルフ場にて 左から三波豊和、津川雅彦、緒形拳、貴島誠一郎 (C) 緒形事務所

貴島:96年にドラマスペシャル「最後の家族旅行」の主役を緒形さんにお願いしたとき、共演者の橋爪功さんと新国劇の話をしていて、その2大看板俳優に静の島田正吾、動の辰巳柳太郎がいると。島田さんは「役者はゴルフなんかやるもんじゃない」とおっしゃって、一方、辰巳さんは「役者は世俗の人を演じるものだから、世間の人がゴルフをするなら役者もゴルフをやったほうがいい」とおっしゃって、それで緒形さんはゴルフをはじめられたそうです。たぶん、緒形さんは晩年から新たに俳優以外にはじめたことを楽しみにされていたんじゃないでしょうか。「エ・アロール」でもゴルフコンペをやりました。……緒形さんは、豊川さんにゴルフバッグをプレゼントされたんじゃなかったでしたっけ?

豊川:はい、いただきましたが、結局身につきませんでした(笑)。

――緒形さんの書斎の机のうえに大切に飾ってあった写真です。(記事のトップの写真。マネージャーの岡田さんが撮影し、緒形さんの書斎の机に、ご両親やフランスの写真家・ロベール・ドアノーとの写真、『タクシードライバー」などの脚本家・ポール・シュレイダーとの写真などと一緒に飾ってあった)

豊川:待ち時間に撮った写真ですね。このとき緒形さんが着ていたベンチコートは形見分けでいただきまして。いまも僕の部屋に飾ってあります。これはポーズつけたわけではない自然にこう写ったものですね。ヨーロッパのような雰囲気がありますね。

――「丹下左膳」を豊川さんも演じています。緒形さんと豊川さんは似ていると言われていますね。

豊川:「エ・アロール」が終わったあと、緒形さんとすきやきを食べる機会があって、僕はそこへ着物で行って、丹下左膳をやると言ったらいろいろアドバイスしてくださいました。そのときまで緒形さんがかつて丹下左膳を演じていたことを知らなかったのですが、ひとつの役をシェアするわけではないけれど、縁を感じて、感慨深いものがありました。似ていると言われると、恐れ多いですが、顔が四角いからですかね(笑)。

――緒形さんの出演作で最も好きな作品は。

貴島:「エ・アロール」なんですが、「魚影の群れ」のマグロ釣りの漁師の役が印象に残っています。あの朴訥とした、地に足がついた、手も大きく足腰しっかりした感じ、ザ・緒形拳の作品と思いました。

豊川:どれを見ても面白いので選べないですけど……人間・緒形拳のすごさが俳優・緒形拳のすごさに繋がっていったと思いますし、圧倒的な人間的な魅力をもっている俳優。書もすごく個性的。一語一語、動き出すような、アニメーションのように、その前後があるような文字を書かれていて。俳優として生まれてきた方かなと思います。

貴島:緒形さんが出るとどんな作品も面白くなるんですね。

「エ・アロール」オフショット 緒形拳さんの自前のおしゃれ私服と豊川悦司さんのスーツの対比が絶妙 (C)緒形事務所
「エ・アロール」オフショット 緒形拳さんの自前のおしゃれ私服と豊川悦司さんのスーツの対比が絶妙 (C)緒形事務所

最後は、いま、緒形さんがいらしたら、どんな言葉をかけるかという質問で終了。このときの豊川さんの緒形さんの返答を想像して言った口調が、緒形さんの口調のようだった。

この展示を企画した馬場さんが、企画に当たって豊川さんが事前に話をしに大学に来てくれたことに感激したと語り、貴島さんともども、「緒形さんを愛していらっしゃることがわかるトークショーだった」と締めた。

名プロデューサー貴島さんの粋なアドリブで、会場に見に来ていた脚本家の相沢友子さんと、「エ・アロール」出演者でゴルフの師匠でもあった三波豊和さんを壇上に呼び、ふたりが思い出を語る一幕もあり、トークショーは予定時間を超えて盛り上がった。

トークショーのあとで 貴島×豊川対談 延長戦

「向上心」という言葉をつねに持ち歩いている

トークショーのあと改めて、豊川さんと貴島さんに話を聞いた。以降は、ヤフーニュースだけの内容になります。

貴島:馬場先生もおっしゃっていたけれど、豊川さんも僕も緒形さんが好きなんだなってことが伝わったことが一番、嬉しいですよね。

豊川:そうですね(マスク越しながら微笑んでいるようす。豊川さんは貴島さんの話に終始「うんうん」と相づちをたくさん打っていた)。

貴島:「エ・アロール」の裏話はそんなにしなかったけれど……。

豊川:「エ・アロール」というよりは緒形さんの話になりましたよね。ストーリーはすこし忘れているところもあるけれど、写真がポンと出るとそこからふわっと思い出されるものがありますね。僕も見たことのない写真があって、それを見ると、ああ大切な時間だったと愛おしくなりました。なんなんですかね、緒形拳さんの魅力って。包容力なのかなあ。僕、いまでも、緒形さんの書を額に入れて、自分の勉強部屋のデスクに置いてあります。それをロケに行くときは必ず持って出るんですよ。直筆ではないですが、「向上心」という言葉なんです。「向上心」ってふだんはあまり聞きたくない耳の痛い言葉だけれど(笑)、緒形さんが書いた字だとなんともいえない心地よさがあるんですよね。気持ちが萎えそうになったときに「向上心」という文字を見て自分を鼓舞しています。

――豊川さんとの写真が書斎に飾ってあるということをご存知でしたか。

豊川:形見分けを頂いたときにご家族から聞きました。

貴島:あれはいい写真ですよね。いい関係って感じがします。

――劇中、豊川さんと緒形さんの衣裳の対比が面白くて。豊川さんはスーツが決まっていて、緒形さんはダッフルコートとかかわいい服を着ているんですよね。

豊川:来栖の衣裳はスリーピースでしたよね。

貴島:個人的には、豊川さんって画家とか小説家とか自由人の役が多かったから、スーツを着せたかったんですね。

豊川:ああ、なるほど。貴島さんは、そんなことおっしゃっていた気がします。

貴島:かっこいいじゃないですか。ただ、スーツ着てくださいだけじゃ、ナットクしてくれないと思うから、衣裳さんに根回しして(笑)。あんまり豊川さんのスーツ姿ってないでしょう。

豊川:そうですね、ないですね。

貴島:違うことをやっていただきたかったです。緒形さんは、当時の衣裳スタッフ・福田純子さんと相談して決めたんじゃないかな(※マネージャーの岡田さんに聞いたところ、ほぼ私物で、緒形さん自身が選び、衣裳スタッフに提案したものだったそうだ。とてもおしゃれ)。

『エ・アロール」より  (C)緒形事務所
『エ・アロール」より  (C)緒形事務所

「エ・アロール」は時代の先をいっていた

――トークショーで馬場さんも時代を先取りしていたとおっしゃっていましたが、作品のテーマ性をいま、どう感じますか。

豊川:僕はとてつもなく凄い共演者たちのことで頭がいっぱいで、はっきり言って企画がどこに向かっているかは二の次だった気がしますが(笑)、いま考えると、すごく先にいってた気がしますよね。あの頃やっていたことがじょじょに現実化してきたってことはあるかなと思うけれども。裕福な老人たちが、家をもたずに、老人ホームを選択し、そこでコミュニティを作っていく、そこで生まれた町内会のようなものから関係性ができていくところに現代性があると思います。突き詰めれば、関係性の中にこそドラマがあるわけで。誰かの父親であって、息子であって、誰かの母親であって、娘であるという、そういう図式は、血がつながってなくてもできあがるものなんですね。原作の短編小説を11話の長い連続ドラマに膨らませるにあたり、貴島さんが相沢さんに、家族の話の部分を大事に書いてもらったという選択は重要だったと思います。

貴島:17年前はそれほど視聴率がよかったわけではなくて、いいドラマなのになんで?という理由は、高級老人ホームに入れるお金持ちのドラマがテレビ視聴者と距離があったんですね。でも、そこで経済格差の問題を考慮に入れていくと違うドラマになってしまう。経済問題に引っ張られないシチュエーションによって人間を純化したかったんです。

テレビと映画の境界がなくなってきた

――高齢者がどう生きるか、年をとっても恋したいというような「エ・アロール」に描かれた内容が今日的であったり、「愛くれ」の恋愛の形が支持されたり、そういう状況をどう思いますか。

豊川:気持ちを込めて作ったものが何年経っても気に入ってもらえることは素直に嬉しいです。昔は、自分で録画するか、DVDやビデオ化されないと後世に残らなかったテレビドラマが、配信などの新しい媒体のおかげで、自分でチョイスして見ることができる時代になって、映画と同じような存在になってきましたよね。

貴島:テレビドラマは残らない「フロー」のメディアで、映画は「ストック」のメディアだから、映画のほうが偉いみたいな印象が昔はありましたが、いまは変わってきましたね。ただ、映画だろうがドラマだろうが、何年経っても、面白いと言ってもらえるものもあれば、あのときはおもしろかったんだけどね……と言われるものとに分かれると思います。その点、「愛くれ」は古さを感じさせなかった。逆に、FAXなどの古いものがよかったということもあります。コロナ禍になってコミュニケーションの方法が変わってきて、「口角泡とばす」という言葉がなくなるかもしれないと思うわけですよ。でもそういう行為は互いを知るには大事なことで、そういうことが行われていた時代の価値観が、Paraviなどの動画配信で見ることができるようになったことは嬉しいことです。「エ・アロール」はVHSしか出てないので、今、なかなか見ることができないですから。

ともだちのようでともだちじゃない

――おふたりは今年、「愛くれ」の同窓会企画などでもご一緒されています。

豊川:今年はこれでお目にかかるのは2回目です。

貴島:ともだちみたいだけどともだちじゃないんですよね。しばらく会っていなくても、ずっと会っていた感じがしますね。

豊川:そうですね全然、ブランクを感じないです。

貴島:歳月を経て変わっている部分もありますし、変わらない部分もありますけど。「ミッドウェイ」なんか見ちゃうとーー

豊川:こういう役をやるようになったのか!って?(笑)。大学の同級生じゃないんですけど、それに近い濃密な時間を過ごしました。僕が勝手にそう思っているだけかもしれませんが。離れていても会えばすぐパッと近くなれる人が何人かいて、貴島さんはそのひとりでありますね。やっぱり、すごく濃密でしたから。

●取材を終えて〜

企画展「俳優緒形拳とその時代 -戦後大衆文化史の軌跡-」とは江戸時代の研究家・馬場弘臣さんが、緒形拳さんの自宅に残された膨大な舞台、映画、ドラマの資料を整理し、“1. 新国劇と緒形拳、2. テレビから映画へ、3. 多様化する大衆文化の中で、4. 時代の転換期に、5. 舞台への回帰 ”という高度成長期からの日本の歴史に、緒形拳というひとりの俳優の活動を重ねて見るという試み。緒形さんは、時代時代を象徴する作品に出ていると馬場さんは言う。

たしかに、展示を順に見ると、最初は時代劇のヒーローで、80年代は社会派の映画に出て、90年代になるとトレンディドラマで若い女性と不倫するような役もやり、00年代にまたひとつ違うところに向かっていることが可視化されている。

筆者が面白く感じたのは、台本の表紙になまえを書き込んでいて、70年代はそれがK.O とあって、90年代はひらがな、00年代は漢字、大河ドラマ「風林火山」では新たな表現になっている(ぜひ展示会を見て確認してほしい)。

絵や書もたしなみ、すごく芸術的な感覚のある人。台本の書き込み、セリフの書抜など、豊川さんが「アニメーションのような」と語っていたが、とても躍動感がある。紙のなかに、役を自分のなかに落とし込むために心と体をめいっぱい使う、その熱量が未だ力強く残っている。書に緒形拳さんの肉体と魂が乗り移り、歳月を経てもなお生きているようだ。それは希望である。

今回の展示にあたり馬場弘臣さんが教える大学の学生たちが、資料の整理を手伝って、緒形拳を知らない彼らが家で父母や祖母に緒形拳さんのことを聞いて、その偉大さを知るという経験を得たそうだ。こうしてヒトは肉体が死んでも生きていくことができる。繰り返すが、それは希望である。

トークショーで、豊川さんが丹下左膳を緒形さんもやっていて役をシェアするようだと言っていた。「帽子」(08年 NHK)というドラマで緒形さんは山本五十六の帽子をつくった職人を演じていた。今年、豊川さんは「ミッドウェイ」で山本五十六を演じた。それも不思議なめぐり合わせのように思えてならない。

profile

豊川悦司  大阪府生まれ。映画「3-4×10月」(90年)、「12人の優しい日本人」(91年)、

「きらきらひかる」(92年)などで注目され、ドラマ「NIGHT HEAD」(CX 92年)、「愛していると言ってくれ」(TBS 95年)、「青い鳥」(TBS 97年)で主演し、人気実力ともに日本を代表する俳優になる。近作に朝ドラ「半分、青い。」(NHK)、映画「ラストレター」「一度も撃ってません」「ミッドウェイ」など。12月5日、6日夜9時よりテレビ朝日開局60周年記念2夜連続ドラマスペシャル「逃亡者」が放送、12月30日夜7時30分よりNHK総合テレビでスタジオジブリ長編アニメーション「アーヤと魔女」(声の出演)が放送。2021年に映画「子供はわかってあげない」「いとみち」の公開が控えている。

おでん屋のシーンのオフショット (C)緒形事務所
おでん屋のシーンのオフショット (C)緒形事務所

貴島誠一郎  1957年、鹿児島県生まれ。TBSエグゼクティブプロデューサー。一般企業勤務を経て1982年にTBSに入社。営業、編成を経て89年よりドラマ制作に携わる。主なプロデュース作に「ずっとあなたが好きだった」(92年)、「愛していると言ってくれ」(95年)、「理想の結婚」(97年)、「青い鳥」(97年)、「Sweet Season」(98年)「肩ごしの恋人」(2007年)、「LEADERS リーダーズ」(2017年)などがある。

 

隅田川を見つめる緒形さんと貴島さん (C)緒形事務所
隅田川を見つめる緒形さんと貴島さん (C)緒形事務所
フリーライター/インタビュアー/ノベライズ職人

角川書店(現KADOKAWA)で書籍編集、TBSドラマのウェブディレクター、映画や演劇のパンフレット編集などの経験を生かし、ドラマ、映画、演劇、アニメ、漫画など文化、芸術、娯楽に関する原稿、ノベライズなどを手がける。日本ペンクラブ会員。 著書『ネットと朝ドラ』『みんなの朝ドラ』『ケイゾク、SPEC、カイドク』『挑戦者たち トップアクターズ・ルポルタージュ』、ノベライズ『連続テレビ小説 なつぞら』『小説嵐電』『ちょっと思い出しただけ』『大河ドラマ どうする家康』ほか、『堤幸彦  堤っ』『庵野秀明のフタリシバイ』『蜷川幸雄 身体的物語論』の企画構成、『宮村優子 アスカライソジ」構成などがある

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