【新春豪華インタビュー】舘ひろし「僕は芝居が下手です、でも俳優は人の心に残る存在であればいい」
「土方歳三は以前から演じてみたかった人物です。新撰組副長だった土方にはナンバー2の美学がある。僕自身も渡哲也さん(享年78)の下でナンバー2の時期が長かったから、彼の生き方に共感する部分があるんです」 【画像】芸能生活48年…大人の色気は今も健在!女性のハートを鷲掴み 「舘ひろし」素顔写真 ’24年1月19日公開の映画『ゴールデンカムイ』で幕末の志士・土方歳三を演じるのは、俳優歴48年目を迎えた舘(たち)ひろし(73)だ。人気コミックを実写化したこの作品は、明治末期の北海道が舞台。アイヌの莫大な埋蔵金を巡って戦いが繰り広げられるなか、実は戊辰戦争から生き長らえていたという土方も、その争奪戦に加わる。 「トップに立つ人間は清濁(せいだく)併せ呑む度量が必要です。そのトップが描く未来を実現するために組織をまとめていくのがナンバー2であり、土方は信念を持って使命を果たそうとした。僕が演じる土方は70歳を過ぎているけれど、かつて幕府軍が樹立した蝦夷共和国を再建するために命を懸けています。映画はフィクションですが、もし本当に彼が生き延びていたら……やっぱり生涯戦い続けただろうな、と思う。その生きざまに惹(ひ)きつけられるんです」 舘は石原裕次郎(享年52)亡き後、石原プロモーションを率いてきた渡哲也を「お館(やかた)」と呼んで敬愛してきた。渡と出会ったのは舘が29歳の時。’79年から放送のドラマ『西部警察』(テレビ朝日系)に出演するにあたって、都内の喫茶店で顔を合わせたのが最初だったという。 「渡さんは先に来ていて、店に入った僕を見るなり立ち上がって『舘くんですね、渡です』と言って握手をしてくれました。偉そうに構えている大御所俳優が多かったなか、それはとても衝撃的なことだった。僕はそれまで映画に何本か出演していたけれど、芝居の基礎を学んだことがなかったんですね。 だからずっと、自分の演技に自信が持てなかった。しかし、そんな僕の心を見透かすかのように渡さんは突然、ドラマ撮影中の僕を『ひろし、お前には華があるな』と褒(ほ)めてくれました。その言葉が迷い悩んでいた僕に俳優としての方向性を示してくれた。渡さんとの出会いは僕の人生において一番大きな出来事です」 ◆敬愛する渡からの愛の鞭 舘は『西部警察』シリーズへの出演を機に、’83年に石原プロに入社。以来、石原や渡から演技指導を受けたこともなければ、怒られたこともなかったという。 「ただ一度だけ、渡さんから注意されたことがあります。『西部警察』の撮影に慣れてきた頃、芝居が楽しくなってきてちょっとした小芝居を挟むようになったんです。ところが、それを見た渡さんに『お前、最近芝居が上手くなったな。良くないぞ』と言われました。暗に『そんな芝居はするな』と指摘されたんです。おそらく芝居の上手い俳優はたくさんいて、彼らに技術では勝てないから、″小手先で芝居をするのではなく、存在感で魅せろ″と伝えたかったんだと思う。 実際、僕は芝居が下手です。僕だけじゃなく、裕次郎さんも渡さんも上手くはなかった。でも、二人とも画面に映るだけでその場の空気を変えてしまう。台本を解釈して上手く演じることも必要かもしれないけれど、俳優にとって何より大切なのは″人の心に残る存在″であること。だから自分の生きざまをぶつけて人生を丸ごと演じてしまえ――それこそが、渡さんの教えだったような気がします」 それは芝居を勉強したり、台詞を覚えたからといってできることではない。だから石原プロのモットーは「よく遊び、よく遊べ」だったと舘は笑う。ゴルフもヨットも石原プロに入って覚えた遊びだ。 「いろいろな国に旅行に出かけたし、たくさんの女性と恋もした。そうやって得た感動や驚きを自分の中に取り込むことで″俳優としての自己″が形成されていくんです。大きな災害が起こった際に、石原プロが行ってきた炊き出しも根本は同じ。炊き出しで芝居が上手くなることはないし、売名行為だと言われたこともある。でも、僕らは至って真剣。 撮影用カメラを買うための資金で餅つき機を買ったりしました。少しでも被災地を元気づけたいと思って動いたことが我々の生き方だし、この経験もまた俳優としての力になると信じている。まあ、今の時代『台詞を覚えるより遊べ』なんて言ったら許されないかもしれないけどね(笑)」 長きにわたりさまざまな作品に出演してきた舘だが、’86年に放送が開始された大人気ドラマ『あぶない刑事』シリーズ(日本テレビ系)は代表作品の一つだ。最新映画『帰ってきた あぶない刑事』は5月に公開予定。舘が演じるタカ(鷹山敏樹)と柴田恭兵(72)扮するユージ(大下勇次)の刑事バディによる軽快でド派手なアクションが見どころだ。 「僕は、『あぶない刑事』は文化的大事業だと思っているんです。それまでの日本の刑事ドラマは重く悲壮感のあるものばかりだった。『あぶ刑事』はそれを否定し、コミカルでオシャレな刑事ドラマを打ち出した。あの軽やかな世界観を創り上げたのが柴田恭兵。ドラマが始まった30代後半の頃、僕は遊ぶことに忙しくてね(笑)。台本を読み込む暇がないから自分のセリフだけ読んでたんです。 でも、それでストーリーがわかっちゃう。つまり、僕は物語の起承転結を説明する土台で、そこに恭サマがリズムや世界観を色付けしていたということ。だから、『あぶ刑事』は柴田恭兵の作品だし、その彼と今もバディを組んでいられることは本当に嬉しい。さすがにアクションはいっぱいいっぱいだったけどね」 ◆芸能界一の″ダンディズム″ そうおどける舘だが、″ダンディー鷹山″そのもののスマートな立ち振る舞いと大人の色気は今も健在だ。若々しさを保ち続ける秘訣はあるのだろうか。 「何もやってないんですよ。ジムは嫌いだし、ランニングもしない。最近まで乗馬をしていたけれど、体力的にきつくなってきたので今はゴルフぐらいですね。あえて言えば女好きってことが秘訣かな(笑)。食事も好きなものを好きなだけ食べています。 ハンバーガーやお好み焼きといったジャンクフードが好きだね。親父が医者だったんですが、嫌いなものを食べても栄養にならないと言って『好き嫌いはしても良い』という教育方針だった。遊びも食事も、好きなことを取り入れることが大事なのかもしれませんね」 渡が鬼籍に入り、’21年1月には石原プロがマネジメント業務を終了。しかし、舘は他の事務所に移籍することなく、同年4月に『舘プロ』を創設した。 「やっぱり映画を作りたい。僕自身がデビューは映画だったし、何より裕次郎さんや渡さんが持ち続けた映画作りへの情熱を引き継いでいきたい。実は今、少しずつ準備を進めているところです。俳優としては″なるようになるさ″だと思っています。 監督やプロデューサーが『舘もいずれは良くなるんじゃないか』と懲りずに使い続けてくれたおかげで作品には恵まれましたが、僕はいまだに自分の芝居に自信が持てないままです。ただ、モノを作ることが好きなので、これからも俳優の一人として作品に参加していきたいと思っています」 かつて″ナンバー2″だった舘は、今や″唯一無二の存在″として芸能界に君臨し続けている――。 「『よく遊び、よく遊べ』というモットーがあったから、 今の僕がいる。女性との遊びも含めてね(笑)」 『FRIDAY』2024年1月5・12日号より 取材・文:中川明紀
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