【追悼’23】高橋幸宏さん 本誌の直撃取材に「おつき合いしてますよ」と答えた"お相手"とのその後
‘23年1月11日に亡くなったミュージシャンの高橋幸宏さん(享年70)。『イエロー・マジック・オーケストラ(YMO)』のドラマー・ボーカルとして‘80年代に世界的なテクノポップブームを巻き起こす。さらにプロデュース、楽曲提供、他のミュージシャンたちとのコラボなど、音楽シーンに多大な影響を残した。 【画像】すごい…喜代美さんと今は亡き高橋さん、30年前のドライブツーショット 高橋さんは短大在学中の‘72年に『サディスティック・ミカ・バンド』にドラマーとして加入。同バンド解散後、’78年に坂本龍一(’23年3月没・享年71)、細野晴臣(76)らと『YMO』を結成した。『YMO』は翌年にはワールドツアーを行い、海外から火が点く形で日本でも大ブームを巻き起こす。若者はこぞって3人の髪型である『テクノカット』を真似し、原宿では竹の子族が高橋さんが作曲した『ライディーン』を踊ったのだった。 また、高橋さんはファッションデザイナーとしても活躍、自身のブランドを手がけるだけでなく、赤い人民服など独特な世界観が象徴的な『YMO』のステージ衣装も担当した。さらに『オールナイトニッポン』でパーソナリティをつとめたり、俳優として映画にも出演した。ときにはコントに挑戦したこともあった。 本誌が高橋さんと夫人の喜代美さん(68)との交際をキャッチしたのは’93年のことだった。この年は‘83年に「散開」した『YMO』が復活、6月に武道館で「再生」コンサートをすることが決定していた。その一カ月ほど前に本誌は都内の一軒家で暮らす2人の様子を目撃していたのだ。「買い物袋をさげた女の人と(幸宏さんが)一緒なのをよく見かけますよ。奥さんかと思っていました」と近所の人が話したように、夫婦同然の生活ぶりだった。 ある日の昼下がり、外出しようとした2人に交際について聞くと、高橋さんは穏やかに、 「おつき合いしてますよ」 と、あっさりと交際を認めてしまった。 また、彼の後ろにいた喜代美さんに結婚について聞いてみると、 「それについてはちょっと……」 と、うつむき加減に微笑みながら、言葉を濁したのだった。 その後、2人は結婚、19歳から『non-no』などでモデルをしていた喜代美さんは本誌の報道当時にはすでに引退していた。だが、‘10年にモデルに復帰し、『奇跡の50代』と賞賛を浴びる。現在でも『奇跡の60代』としてモデルを続けている彼女が活動を再開したのは高橋さんの後押しもあったからだという。 10年ほど前に軽井沢へ移住した高橋さんと喜代美さんは、飲食店などでその仲睦まじい姿が目撃されている。’20年に高橋さんの脳腫瘍が発覚、その後の長い闘病生活も、常に喜代美さんが傍らで支えていたようだ。’21年7月、高橋さんがは喜代美さんの誕生日をフレンチレストランで祝った様子をインスタに上げている。写真の中で穏やかな表情でカメラを見つめている2人。高橋さんはこんな一文を投稿せていた。 《この人がいなかったら、ぼくは今、存在出来ていなかったくらいお世話になってます。そんな感謝の気持ちを上手く表現できずに、今回せめてもの気持ちを込めて、》 復帰に向けて闘病生活を続けてきた高橋さん。昨年9月に開かれたデビュー50周年コンサートも出演できず「懸命にリハビリを続けていますが、思ったよりも時間がかかりそうです」と、コメントを寄せていた。しかし、昨年末から容体が悪くなり、その願いがかなうことはなかった。冥福を祈りたい。
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