透明な詩情が漂う倉俣史朗の個展へ|青野尚子の今週末見るべきアート
どこまでも透明で、浮遊感漂う家具。夢の中にいるような空間を作り出した倉俣史朗の個展が〈世田谷美術館〉で開かれています。詩的で、上質なユーモアもある彼のデザインを体感できる展覧会です。 【フォトギャラリーを見る】 倉俣史朗は1934年生まれ、インテリアデザイン、家具デザインの第一人者として60年代から頭角を表した。磯崎新、三宅一生、イタリアのデザイナー、エットレ・ソットサスらと親交を結び、店舗デザインなど多くの仕事を手掛けるが1991年、56歳の若さで急逝してしまう。没後も唯一無二の才能を惜しむ声は多く、個展やモノグラムの刊行などが行われた。2021年には彼がデザインした寿司店〈きよ友〉が移設された香港の美術館〈M+〉が開館している。 関連記事:倉俣史朗デザインの寿司屋、〈きよ友〉をご存じですか? 関連記事:ヘルツォーク&ド・ムーロン設計、香港の現代視覚文化美術館〈M+〉徹底レポート。
倉俣は三愛の宣伝課や松屋インテリアデザイン室嘱託を経て1965年、独立して「クラマタデザイン事務所」を設立する。当時はまだインテリアデザインという職能が広く認知されているわけではなかったが、西武百貨店や「イッセイ ミヤケ」の店舗デザインなどで高い評価を得ていた。 彼は1955年、桑沢デザイン研究所で学んでいた頃、「具体美術協会」の作品に大きな衝撃を受けたという。ビニール袋に着色した水を入れ、その水の色を床や地面に映し出したり、枠に貼った紙をいくつも立ててその紙を破りながら走り抜けるといった作品だ。後に手がけたインテリアデザインの仕事では高松次郎、田中信太郎、横尾忠則といったアーティストたちとコラボレーションしている。
独立後の倉俣は店舗デザインなどのクライアントワークとは別に、自ら制作費を出して職人たちに作ってもらうという、家具の自主制作を始める。今回の個展に並ぶ家具の多くはこの自主制作によって作られたものだ。彼はスケールの大きい海外の家具に日本の家具が及ばないのは製造コストや流通といった経済的な要因があるからではないか、と感じていた。また外的な条件に縛られずに自らの創造を追求したいという思いもあったことだろう。