【ぴあ連載/全13回】伊勢正三/メロディーは海風に乗って(第10回)風はやまない
「なごり雪」「22才の別れ」など、今なお多くの人に受け継がれている名曲の生みの親として知られる伊勢正三。また近年、シティポップの盛り上がりとともに70年代中盤以降に彼の残したモダンで緻密なポップスが若いミュージシャンやリスナーによって“発掘”され、ジャパニーズAORの開拓者としてその存在が大いに注目されている。第二期かぐや姫の加入から大久保一久との風、そしてソロと、時代ごとに巧みに音楽スタイルを変えながら、その芯は常にブレずにあり続ける彼の半生を数々の作品とともに追いかけていく。 【すべての画像】風 LAレコーディングオフショットほか (第10回)風はやまない アルバム『海風』では、初めてのLAレコーディングを敢行した。現地のミュージシャンやエンジニアから曲が絶賛され、最高の雰囲気で最高の音を録音することができた。 レコーディングで使用したのは「インディゴ・ランチ・スタジオ」というマリブの丘の上にあるスタジオだった。その昔、ネイティブ・アメリカンが狼煙を上げていた聖地の丘にあって、有名なロックミュージシャンが自分たちのレコーディングのために作ったスタジオだった。 『海風』をレコーディングしていた77年から79年くらいにきちんとした機材のある環境で録られた作品が、どの時代よりももっとも音が良いものだと思う。つまり、アナログの最後の時代ということだ。だから『海風』は音に関して言うならば当時の最高をマークしている。どれだけシンプルなサウンドだったとしても、音が良ければすんなり入り込める。僕の音楽的な基礎にはそこの部分が欠かせない。だからいい機材があったらすぐに手に入れたくなってしまうんだけど……。 『WINDLESS BLUE』『海風』の2作品を通じて、自分のやりたい音楽を形にすることはできたというやりがいと自信があった。しかしそのことがかえって、僕と大久保くんとの距離が離れてしまう原因となった。はっきり言ってしまえば、僕がどんどん勝手に好きな方向に進んで行ってしまったからなのではあるが。