【ぴあ新連載/全13回】伊勢正三/メロディーは海風に乗って(第2回)
「なごり雪」「22才の別れ」など、今なお多くの人に受け継がれている名曲の生みの親として知られる伊勢正三。また近年、シティポップの盛り上がりとともに70年代中盤以降に彼の残したモダンで緻密なポップスが若いミュージシャンやリスナーによって“発掘”され、ジャパニーズAORの開拓者としてその存在が大いに注目されている。第二期かぐや姫の加入から大久保一久との風、そしてソロと、時代ごとに巧みに音楽スタイルを変えながら、その芯は常にブレずにあり続ける彼の半生を数々の作品とともに追いかけていく。 【全ての画像】中学時代ほか(全4枚) 第2回 理想の音楽を求めて イメージとして、僕の音楽的ルーツには洋楽があると思っている人も多いかと思う。とくに風の中盤からソロに至るまでは、AORを追求したサウンドが多かったということも影響しているかもしれない。でも、僕のルーツは完全に昭和の歌謡曲。もちろん高校生のときにはビートルズも聴いてはいたけど、人並み程度でしかなかった。 それよりも、僕のアイドル的な存在は、なんと言っても小椋佳さんだった。かぐや姫に加入してからも、(南)こうせつさんや(山田)パンダさんが「ミュージックマガジン」を読みながら海外のアーティストの新譜や最新動向について話しているのを横目に、僕はひとりで小椋佳さんの音楽を聴いていた。 前回も言ったように、僕にとっての“いい曲”の絶対条件は、いいメロディにいい言葉だから、自ずとドメスティックなものにはなってくる。とりわけ小椋佳さんが素晴らしいのは、琴線に触れる普遍的なメロディはもちろん、その歌詞にある。例えば「さらば青春」には、一番に〈黒い水〉、二番には〈黒い犬〉という表現が出てくる。全体的にトーンの暗い曲ではあるのだが、その言葉があることで暗さだけではない深さを感じられるようになっている。深さというのは、言ってしまえば簡単に理解できないということだ。美しいメロディに導かれて曲の世界観はこれ以上ないほどの解像度で迫ってくる一方で、ちゃんとわからない部分があるというのは、余程卓越したソングライティングのなせる技だ。後々、この曲の〈黒い犬〉の表すものに気づくんだけど、僕の場合は実に50年かかった。 小椋佳さんと並べて言及するのはいささか恐れ多いのだが、「22才の別れ」の歌詞において、自分で書いたにもかかわらず、いったいそれが何のことかいまだにわからないという一節がある。 〈私には鏡に映ったあなたの姿を見つけられずに 私の目の前にあった幸せにすがりついてしまった〉 この歌詞の意味するところが何なのか。それは今でも正解はない。自分の姿を直接見られるのは自分以外の他人で、自分で自分を見ようとしたら鏡を覗き込むしかない。けれど、そこに映っている自分が果たして他人が見ているような自分と同じ姿形をしているのだろうかっていうことは永遠にわからない。そのあたりの怖さがこの一節からは伝わってはくるはずだ。でも、本当に意味していることは作った自分でもわからない。 曲作りというのは、自然とあるものを掴むという感じで僕は捉えている。よくそれをクラウドに例えるんだけど、みんなの頭の上にフワフワ浮かんでいるクラウドのなかにはすでに“いい歌”があって、これを自分で掴めるかどうか、なのだ。うまく掴めたときに、それが例えば「なごり雪」になる。だけど、ちょっとしたことでそれは僕の手をすり抜けていき、他の人の手に渡ることになる。そうするとそれは「なごり雪」ではなく、他の名曲として世の中に放たれる。あくまでイメージではあるのだけど、いい曲ができるかどうかっていうのは、そういうことなんじゃないのかなって思うのだ。 こんなことを言ったら身も蓋もないけれど、曲を作ろうと思ったら30分ももらえれば1曲くらい簡単に書けてしまう。だけど、それはあくまで曲の形をしたものであって、それがいいものかどうかと言えば、本当にいいものにはならない。では、本当にいいものとは何か? それは誰かの役に立てるものであり、人々に喜んでもらえるものなのだと思う。仕事というのはすべてそういうものだと信じている。要するに、自分で納得できないものを出すわけにはいかないし、そういうものが自分以外の誰かを幸せにできるとは思えないということだ。 これからこの連載で記していくのは、半生をたどりながら、僕がいかに自分の曲に向き合ってきたかという部分的な記録だ。昭和歌謡のメロディから出発して、ミュージシャンとしての欲に忠実に従って追求したAORを通過し、自分の理想とする音楽にどこまで近づけたか──今のところフルアルバムとしては最新作となる『Re-born』(2019年)まで、一気に駆け抜けていきたい。 取材・構成:谷岡正浩