小柳ルミ子「1億円慰謝料報道は憶測」にモヤモヤ感も…昭和スターらしい「スケール大きすぎる」生き様
年末になり、小柳ルミ子(71)のテレビ出演が増えている。 「『ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!』(日本テレビ系)に出演してギャグを連発したり、『ぽかぽか』(フジテレビ系)やBSフジテレビ系『昭和歌謡パレード』などで過去のエピソードを披露するなど露出が増えています」(テレビ誌記者) 【この時に出会わなければ......】すごい!'87年の「紅白歌合戦」でハイレグ姿でリハーサルに臨む小柳ルミ子とバックダンサーを務める大澄賢也 12月4日配信のウェブメディア『CHANT WEB』のインタビュー記事では、元夫で俳優・ダンサーの大澄賢也(58)との離婚について、 《当時、私が離婚を受け入れる代わりに、「慰謝料として1億円を支払うか、以前のような無名のバックダンサーに戻るかを迫り、夫が慰謝料1億円を支払った」という報道が出回りました。全くの憶測です。マスコミや世間からは、「鬼のような女」と言われて、ものすごいバッシングを受けたんです》 などと、当時を振り返り、 《今だから言えますが、正直あの時は人間不信になり、どうすればラクに死ねるだろうかと、毎日のように考えていました》 と苦悩の日々だったと明かしている。しかし、これにSNSは、 《実際にその大金を受け取ったのは事実らしいと聞いたけど》 《1億が正解だったかどうかは言ったことがない》 などと反応。結局のところ「1億円」に関しては事実なのか、デマだったのかはわからず、モヤモヤ感が残ったままだ。 「“全くの憶測”とはどこを指しているのか。会見で、大澄が“慰謝料を選んだ”と語っていたこと。また、大澄が10年ほど前にトークバラエティに出演した際に慰謝料について否定しなかったことから支払ったことは間違いないと思われます。となると1億という金額が違っていたのか……。 それならなぜ報道が出た時点で否定しなかったのかナゾです。いずれにしろ、いまだに語り継がれる昭和の芸能史に残る出来事には変わりないです」(当時を知る情報番組関係者)
知らない人は少ないだろうが、彼女の経歴を改めて見てみると、いかに昭和の大スターだったかがわかる。 宝塚音楽学校を首席で卒業したにもかかわらず、卒業と同時に退団し歌手の道に。しかも、歌手デビュー前にNHK連続テレビ小説『虹』に女優として出演している。 ’71年にリリースしたデビューシングル『わたしの城下町』は160万枚を売り上げ、その年のレコード大賞最優秀新人賞を獲得した。 翌年にリリースした『瀬戸の花嫁』で第3回日本歌謡大賞を受賞。その後も次々とヒットを飛ばし、デビューから’88年まで18年連続で『NHK紅白歌合戦』に出場した。 「’82年には映画『誘拐報道』に出演し、キネマ旬報賞助演女優賞と第6回日本アカデミー賞最優秀助演女優賞を獲得。翌年には『白蛇抄』で第7回日本アカデミー賞最優秀主演女優賞を受賞しました。 歌手、女優だけでなく、伝説のバラエティ番組『8時だョ!全員集合』(TBS系)の常連ゲストとなってお茶の間の笑いを取るなど、八面六臂の活躍を見せました」(テレビ誌記者) 大澄とは’89年に結婚したが、相手が13歳年下の無名ダンサーということで世間を驚かせた。結婚後は夫婦で活動することが多くなり、“オシドリ夫婦”として人気を博したが、’00年に結婚生活は12年で破綻した。 同年1月14日に小柳は離婚記者会見を開き、そこで語られた以下のような離婚についての条件に記者たちからは驚きの声が上がった。 「バラエティなどのタレント活動をやめて、まったく無名のダンサーとしてやっていくか。それとも今のまま働いて、私に慰謝料を払ってくれるか。彼は慰謝料を選んだんです。男として、社会人として、自分のしたことには自分で責任を取ってほしい。社会はそんなに甘くないですから」 翌15日。仕事先のイタリアから帰国した大澄も緊急記者会見を開き、慰謝料について聞かれると、 「2週間、考えました。大変な額で何年かかるかはわかりませんが、10年をメドに……」 と苦悩の表情を浮かべた。実は、具体的な金額は明かされなかったが、その額は億を下らないだろうとみられ、なぜか『1億円』という数字が独り歩きすることになったのだ。 「ただ、小柳さんがバッシングされたのは、1億円の金額というよりは、『芸能界で生きてこられたのは私のおかげ』とでも言わんばかりの態度が世間の反感を買ったからです」(当時を知るスポーツ紙記者) その後も2人はことあるごとに、慰謝料について質問されたのだが、小柳は「墓場まで持っていく」とし、大澄は言葉を濁すのみで、真偽のほどは定かにならないまま今に至っている。 「小柳がすごいのはここから。慰謝料の件が尾を引き、テレビから遠ざかったのは確かですが、サッカーフリークとして新たに注目されるようになります。本人曰く年間2000試合以上観戦し、書き留めた観戦ノートは100冊を超えるほどで、その知識量や分析力は、とても素人とは思えないレベル。時代に敏感なだけじゃなくその多才ぶりに驚かされたものです」(前出・スポーツ紙記者) 何歳になっても常に話題を提供し注目を浴び続ける、そんな小柳ルミ子の“生き様”こそが、スターの証なのかもしれない。
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