文枝、文珍が語る桂きん枝「小文枝」襲名への思い
文枝、文珍が語る桂きん枝「小文枝」襲名への思い 撮影・編集:柳曽文隆 THEPAGE大阪
既報の通り、落語家の桂きん枝が4日、2019年春に上方落語の名跡「桂小文枝」を襲名すると発表会見を行った。会見には、兄弟子の桂文枝と弟弟子の桂文珍も同席し、懐かしいエピソードなども明かされた。
文枝「これは功労賞やという風に思っております」
桂文枝は、この会見が行われた高津宮が、師匠である五代目・桂文枝(三代目・桂小文枝)が生前最後に落語をした場所であることを説明。「きん枝くんは、はっきりいって一門の問題児であったわけですけど、たいへん面倒見がええというか、気がいい、物怖じしないというか。師匠のために動いてくれて、私が会長になっても右腕として本当によくやってくれた」と語った。
そして「(師匠の)ご遺族の面倒も本当によくみて、奥様から何度もきん枝を小文枝にと何度も言われまして。これは功労賞やという風に思っております。本人は大変落語に愛着をもってますし、やる気も満々です」などと述べた。 ただ、きん枝が小文枝を名乗ると、自身はかつて五代目・小文枝のもとで長く弟子を務めてきたころから「小文枝くん、ましてや『小文枝』なんて呼べない。私は愛称の『きんちゃん』で通そうと思っております」と話し、会見場の笑いを誘った。
文珍「師匠が気にかけてる彼でした」
一方、弟弟子にあたるがほぼ同時期の入門した文珍は「私ほとんど同期なんですけど、この人非常に優しいええ人で、ただ間合いが悪いんです」と話す。「師匠となんばへ向かって歩く時、彼は朝刊を配った後にアンパンを買ってきて半分私にくれた。私はすぐに食べて残りの半分を彼が食べようとしたら師匠に見つかり『お前なに食うとんねん』とどつかれて」というエピソードを披露した。 だが「どつくのには愛情がいるんですよ。愛情があって、その時、師匠がこの子をなんとかしてやろうという気持ちでおやりになってることに気づいて、私は多少嫉妬しましたわ。それくらい、師匠が気にかけてる彼でした。そういう彼を支えて頂きたいと思います」と話していた。