オダギリジョー「苦しければ、逃げてもいい。その時間も、決して無駄にはならないと思うから」
オダギリジョーさんが主演とプロデューサーを務めたドラマ『僕の手を売ります』がFODとPrime Videoで配信中。主人公の大桑北郎が全国各地でアルバイトをしながら家族と向き合っていく物語を通して、オダギリさんが考える家族のあり方とは――。ご自身の20代を振り返りながら、MORE読者へのメッセージも送ってくれました。 【写真】個性的な衣装も着こなすオダギリジョーさん
母親の姿を見て、娘が父親を尊重する。それは、とても美しい家族の形
――今作に企画段階からプロデューサーとして参加されたそうですが、その経緯をお聞かせください。 これまで役者としていろいろな作品に携わってきましたが、オファーをいただく全ての作品が魅力的だとは限りません。自分が本当にやりたいことは、自分で作るしかないと思うようになり、最近は脚本や監督の仕事も増えてきました。ただ、脚本を書いたり、監督や編集をやっていると、1本の作品を作るのに数年かかりますし、その期間は俳優の仕事をセーブすることになります。なので、今回は心から信頼する冨永(昌敬)監督に作品作りの大幹はお願いし、自分はプロデューサーの立場で冨永監督を支えられればという想いで、企画を立ち上げることにしました。企画から携わり、主演するのは初めての経験だったので、そういう意味でも思い入れは強かったですし、現場でのやりがいや楽しみも大きかったですね。 ――ドラマには北郎と丸子の遠慮のないかけ合いにクスッと笑える場面も登場しますが、オダギリさんにもし娘さんがいらっしゃったら、どのような関係が理想ですか? いやー……どうなんですかね? 女の子の親になるということが全く想像できませんが、何となく恐ろしいことになりそうです…(笑)。僕は母子家庭で育ったので、母親の強さも弱さもクレイジーさもすべて目の当たりにしてきて、女性にはとても太刀打ちできないと心のどこかで思っているんでしょうね。だから、たとえ相手が娘であろうと、扱い方に困るというか、手に負えない対象というイメージなんですよね。 ――大桑北郎は、その人柄のよさから、行く先々でさまざまなトラブルに巻き込まれていきます。オダギリさんは、演じる上でどのようなことを意識されましたか? 大桑北郎のキャラクターは、冨永監督のおじいさんからも着想を得ているそうなんです。いろいろなものに名前を書いたり、まだ使えるものを拾って来たり……いや、もちろんおじいさんだけではなく監督の思い出の中にある様々な人からイメージを膨らませたんでしょうけど、とにかく監督の想いがつまった役だと聞いて、脚本に書かれた北郎をより魅力的にしたいという気持ちが強くなりました。 ――大桑家は、妻の雅美や娘の丸子がほとんど家に帰らない北郎に愛想をつかしているわけでもなく、お互いを尊重しながらいい距離感を保った理想的な家族だという印象を受けました。オダギリさんは、大桑家の関係性をどのように感じましたか? 僕がいちばんいいなと思ったのは、娘の丸子が父親を尊重しているところです。もしも妻の雅美が北郎のことを認めていなかったり、不満を口にしていたら、おそらく娘も父親のことを嫌いになるでしょう。でも、そうなっていないのは、ひとえに雅美のおかげなんですよね。雅美を中心に形成されている大桑家は、お互いを束縛することなく、それぞれが自由で独立した、とても美しい家族のあり方だなと思いました。