佐藤アツヒロ、ローラースケートは今のほうがうまい!

7月6日放送の「くにまる食堂」(文化放送)は、元光GENJIメンバーの佐藤アツヒロさんが出演し、2012年からローラースケートの練習を開始したことを話した。

野村邦丸「あっ君は今、おいくつですか?」

佐藤アツヒロ「今49で、今年50になります」

邦丸「ローラースケートの動画見たんですけど、全然変わらないじゃないですか?」

佐藤「そうですね。今の方がうまくなってます」

邦丸「今の方がうまい? どうしてですか?」

佐藤「2012年から自主練を始めたんです。自分の武器って何だろう?と思い返して自分の中でローラースケートは絶対、武器だと思ったのでいつかまた使えるようにと思って練習を始めました」

邦丸「久しぶりにローラースケートを履いてみていかがでしたか?」

佐藤「その間もいろんな所で多少滑っていたので大丈夫でした。でも2012年にローラースケート場に行った時に、他のスケーターたちがすごくうまくて、自分の中で“俺、日本一うまいはずなのにおかしいぞ”と思いました。それで、ローラー仲間に教えてもらって、だんだんうまくなっていきました」

邦丸「そうなんだ~」

佐藤「それで、内海光司さんとやり始めたのは2年前です」

邦丸「内海さんはローラースケート滑れたんですか?」

佐藤「何気に内海さんも練習してたんですよ。だからスケート場でたまに会うんですよ」

邦丸「会ってたんだ」

佐藤「デビュー当時、僕が13歳で内海さんが19歳だったんですよ。会話もほぼしてなかったんです。グループ活動中もほぼなかったので、ローラースケート場で会ってもほぼしゃべってなかったんですよ。それで、2017年18年19年ぐらいにジュニアと一緒にやることが増えていって、その時に自分が12年間学んできたことを後輩に伝えるのはとてもいいことだなと思ってきて、それでローラースケートも教えてたんです。その流れで、内海さんにも声をかけて、一緒にやり始めたのが2年前です」

邦丸「それが“U&S”につながっていくんだ~」

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【西武】髙橋光成投手「髙橋光成のこうなる獅かない」 プロになって最初にすごいと思った打者とは?

4月22日放送の『かわのをとや スポーツの巣』(毎週月曜日17:45~18:30)では、埼玉西武ライオンズの髙橋光成投手の1人喋りコーナー「髙橋光成のこうなる獅かない」の模様を放送した。今回はリスナーからの質問で、埼玉県の好きなところ、プロになって最初にすごいと思った打者について訊いた。

はじめに
『髙橋光成のこうなる獅かない』というコーナー名が決まって今回初めて言えたというのはすごく嬉しいですし、たくさんのコーナー名を送ってくださったリスナーのみなさん本当にありがとうございました。今日はリスナーからの質問に答えさせていただきます。

リスナーからの質問
埼玉県戸田市、ラジオネーム:お弁当さん「突然ですが私は今年で埼玉県民歴が累計で7年目になりました。そこで職場の埼玉歴が先輩の髙橋光成投手に埼玉の好きなところをお聞きしたいです。ちなみに私はほどよく人がいるところが好きです」。まだ7年目ですか。僕はもう今年で10年目になりますからね。僕が埼玉で好きなところですよね……難しいですね(笑)。だけど僕が寮生活だった時に埼玉のイオンモールによく行っていましたね。『それ埼玉じゃなくてどこにでもあるだろ!』て話なんですけど(笑)。あれ? むさし村山店は埼玉ですか?……東京だ!(笑)。でも所沢にある『しゃぶしゃぶ観』というお店にはよく行きますね。しゃぶしゃぶは余分な脂を落とすので体にとてもいいんですよね。普通にタンしゃぶを3、4人前ぐらい食べて、そのあと豚を2人前、牛も3、4人前ぐらい食べるので、めっちゃ食べます(笑)。もしも僕に会いたいかたがいらしたら『しゃぶしゃぶ観』に来たら会えるのかなと思います。

神奈川県大和市、ラジオネーム:つるちゃん「プロになってから1番最初にすごいなと思った打者は誰ですか?」。僕が最初にすごいなと思った打者は、元ソフトバンクの李大浩(イ・デホ)選手ですね。プロになって最初に三振を奪ったのが李大浩選手だったんですけど、最初に本塁打を打たれたのも李大浩選手で、それも外角低めに決まったストレートをライトスタンドに運ばれた時は、『すごいなプロの打者は』と思いました。でも最初の三振も奪ったのでちょっと複雑な感じはしますけど(笑)。

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