日経BP総研・品田英雄~令和のエンターテイメントはどう変わるのか?

黒木瞳がパーソナリティを務める番組「あさナビ」(ニッポン放送)に、日経BP総研・上席研究員の品田英雄が出演。令和となり、変化するエンターテイメントの行方について語った。


黒木)今週のゲストは日経BP総研・上席研究員の品田英雄さんです。「あさナビ」2度目の登場で、前回来ていただいたのは5年前でした。時代はこの5年の間にとても変わりました。

品田)そうですね。平成から令和に変わりましたし。あの頃は平成が終わるなどとは考えずに暮らしていましたが、デジタルやインターネットだけではなく、世の中全体の空気が変わって来た気がします。

黒木)令和になって、まずエンターテイメントはどういう時代になって行くのでしょうか?

品田)『日経エンタテインメント!』という雑誌の編集長を創刊のときにやって、そのときの映画や音楽、ラジオ、テレビを見て来ました。平成の時代を振り返ってみると、エンターテイメントは優れたクリエイターが魅力的なキャスティングをして、いい作品を使って観てもらう。それを観る人、聴く人が感動するという時代でした。それが平成の途中から誰もが発信者になれるようになったので、普通のおじさんが、高校生がどんどん動画をアップして、あっという間に有名になってしまうということが起きて来ました。「観て感動する。聴いて感動する」ということと同時に、「自分が演じて感動する」ということを人々が覚えた時代だったと思います。
それが進んで行って、1人1人が発信者になる。「感動って、汗を流して作ったほうが楽しいよね」と皆が言い出した時期だったような気がします。

黒木)感動をいただく側だった人たちが、誰でも人に感動を与えられることができる時代になった。何が良くて、何がいけないとお考えになりますか?

品田)昔は一生懸命作るといいものだったではないですか。電気製品にしても、頑張って作ると質が良くなったり、ときには値段が下がったり。頑張って作るものが皆に受け入れられたのですが、頑張らないで作っても、ポッと出のものが、あっという間に皆に「すごい」と言われることが出て来た。でもそれは決して悪いことではありません。例えば、普通の女の子が頑張ってだんだん成長して行ってスターになるようなことを見て行く、そのプロセスが面白い。でも、プロの力というものがあまり評価されない時代が平成だったのかなと思います。

黒木)では、令和の時代はまた変わって行くのですか?

品田)そろそろ、素人っぽいものが出て来ても、大人たちが「結局そうなのか」と思い始めています。

黒木)飽きたということですか?

品田)人間は飽きるのですよね。それで「やはり、プロが作ったものはスゴイよね」ということを平成の最後の頃から言い始めているような気がします。

黒木)本物志向になって行くということですか? それが本物かどうかは言葉に迷いますが。

品田)本物と言ってしまうと、「伝統的なものはすべていい」ということになってしまいますが、プロが一生懸命に作ったものはやはりすごいよね、ということがまた評価されて来て、素人っぽいものと、求められているものが二極化しているような気がします。

黒木)エンターテイメントの世界のカテゴリーが増えて行くということでしょうか?

品田)そうですね。しかもコンピューターやロボットなどが入って来ると、実は…だから映画の俳優さんもCGなどになって行って、アニメ映画のヒットが増えています。平成の最初と終わりを比べると、トップ10のうち、アニメの映画は1~2本だったのが、最近は半分くらいがアニメ映画になっています。リアルな俳優さんを楽しむという喜びと、クリエイターが自分の思ったとおりに作ったものを楽しむということが受け入れられているのですね。

黒木)品田さんはそのようにして論じればいいわけではないですか。でも私は「The役者」ですから、大変ですよね。

品田)そうですよね。それは次々とCGなどで作るのをいいとして作っている人たちがいて、一方でそこにない魅力が生身の役者さんにはあります。それはすごく価値のあるものです。ただ、どちらの方がより感動するかと言うと、やはり人間としての感動、こうして話したりすることはリアルでないとできないですよね。人はリアクションが面白かったり、ペアダンスのように肌で感じるときの感動がありますが、それはバーチャルなものではできないことです。

黒木)元来あるもの。人と人との絆のようなものと、コミュニケーション。そして、そうではないバーチャルなものが共存する時代になって行くのでしょうか?

品田)そうですね。ただ、難しい時代にはなって来ましたね。


品田英雄(しなだ・ひでお)/日経BP総研・上席研究員

■1957年生まれ。
■学習院大学卒業後、ラジオ関東(現ラジオ日本)に入社。音楽番組を担当。
■1987年に日経BP社に入社。記者としてエンタテインメント産業を担当。
■1997年に「日経エンタテインメント!」を創刊、編集長に就任。
■2003年に発行人を経て、2007年に編集委員に就任。
■2013年からは日経BP総研・上席研究員を兼任。
若者の文化や世の中の流行を分析するエンタテインメントの専門家として活躍。
■著書に「ヒットを読む」(日経文庫)がある。

ENEOSプレゼンツ あさナビ
FM93AM1242 ニッポン放送 月-金 6:43-6:49

radikoのタイムフリーを聴く

二宮和也「嵐がすごく補っていてくれたというか…」俳優業でもバラエティでも活躍できている理由を自己分析

TOKYO FMで月曜から木曜の深夜1時に放送の“ラジオの中のBAR”「TOKYO SPEAKEASY」。今回のお客様は、秋元康さんと二宮和也さん。ここでは、バラエティや俳優などマルチな活躍を見せる二宮さんのスゴさについて、また、嵐の5人が連名で設立を発表した「株式会社嵐」についても語り合いました。

▶▶この日の放送内容を「AuDee(オーディー)」でチェック!


(左から)秋元康さん、二宮和也さん



◆秋元も絶賛する“二宮のバラエティセンス”

秋元:ニノのバラエティセンスはすごいよね。

二宮:本当ですか!?

秋元:多分、日本で5本の指に入るくらいうまいと思う。

二宮:うれしい……!

秋元:だけどさ、やっぱり俳優は俳優をやらなきゃいけないのよ。だから、俳優とバラエティを兼ねるのってなかなか難しいんだよね。

二宮:そうなんですよ。実際に今(いろいろな仕事を)やっていて思うんですけど、結果的に“保険”って言ったら変だけど、嵐がすごく補っていてくれたというか。

秋元:そうだよね。しかも、嵐で新会社を作るんでしょ? まだ詳しく決まっていないだろうから今回は聞かないけど、そういう船があるといいよね。

二宮:そうなんですよね。みんなそれぞれ思うところは多分あって、個人の関わり方も違うはずなので、そこを“え、どうなったの?”って聞くよりかは、“会社”という箱を共通のものとして持って、そこで何となく(メンバーの)誰かが何かをしていることを感じられたほうがいいんじゃないか、っていうのもあったので。



秋元:これから5人が一緒になってどういう形になるかわからないけど、これはニノにとっても、みんなにとってもいいことだよね。1つの受け皿ができたわけでしょ?

二宮:そうですね! かつ(発表したことで)応援してくださる方と共有できるところまで漕ぎつけられたというのは……。

秋元:ファンの方も一般の方でも、やっぱり一番は“5人は(絆で)結ばれていたんだな”っていうことがすごくうれしいんじゃない?

二宮:それをちゃんと(世間と)共有できて、僕らも“大野智は生きている”ということを定期的に発信していかなきゃいけないので。大野さんは発信できないから(笑)。

◆二宮「時間がないです(笑)」

秋元:我々の仕事って浮き沈みがあるからさ、それこそ、ニノはフリーランスになって“いただいたチャンスは引き受けたい”みたいなところがあるじゃない? それで、今もバラエティとか俳優業とか、いっぱい(オファーが)あるだろうけど、そうするとどんどん時間がなくなってくるんじゃない?

二宮:なくなってくる(苦笑)。でも、ありがたいことに(嵐の頃は)それプラス歌もあって、踊りを覚える時間もあって、ライブツアーもあって、グループでやっているバラエティ番組もある……っていうのがフルフルでのスケジュールだったので。

秋元:そこの隙間に俳優業があったんだもんね。

二宮:そうですね。でも、個人になっても(嵐の頃から)ずっとそんな生活をしていたから、(仕事のジャンルに合わせて)切り替えるスイッチに意外となってくれていたというか。それでいうと、変な意味じゃないんだけど(バラエティが)ちゃんと息抜きになっていた、っていうのがあったみたいです。

秋元:しっかり俳優としてやっているニノもいれば、バラエティのニノも“楽しそうにやっているな”っていうメリハリを今も感じるよ。

二宮:(バラエティ番組の制作サイドも)「楽しんでくれたら!」みたいなスタンスで呼んでいただけたりするので、すごく助かっていますね。でも確かに、おっしゃる通り時間がないです(笑)。

秋元:そうでしょ(笑)。

▶▶二宮和也「連続ドラマ」の向き合い方に変化!? 続きは「AuDee(オーディー)」で!

<番組概要>
番組名:TOKYO SPEAKEASY
放送日時:毎週月-木曜 25:00~26:00

Facebook

ページトップへ