22歳女性冒険家・南谷真鈴「心の山を登るために、現実の山を登る」

写真左からShaula、南谷真鈴(冒険家) ©InterFM897

毎週土曜の午後、表参道Aoの情報とともに、ゲストをお迎えしてお送りするInterFM897『表参道Ao 10th Anniversary Presents Oshare Life』(DJ: Shaula)。9月7日は、冒険家の南谷真鈴さんをゲストにお送りしました。

心の山を登りたいがために、現実の山を登る

Shaula:先週に引き続き今日(9/7)も、南谷真鈴さんをお迎えしております。先週は、山との出会いというのをたっぷりと聞きましたけど。紹介の仕方が難しいよね。登山家って私は言いたくなっちゃうんだけど、趣味で登山をしている、趣味で冒険家として活動をしているという。

南谷真鈴(以下南谷):そうですね。今までずっと、なんで名前が真鈴なのに山ばっか登ってんだって言われてきたので、海のチャレンジもしたいです。

Shaula:でも、けっこうセーリングもしてますよね?ちなみにセーリングっていうのはわからない人に説明すると、どういう?

南谷:セーリングっていうのは、ヨットに乗って風に乗って風だけを使って、エンジンは離岸するときに使ったりしますね。

Shaula:じゃあ、もう始めの時だけエンジン使って、あとは風だけ使ってって感じで。

南谷:でも実は、ヨット初めて乗ったのが最近で、2017年の6月にヨットを学びに大学を休学して南アフリカのヨット学校に行って、約1年くらい過ごしていたんです。その時初めてヨットに乗って。

Shaula:じゃあヨットに乗ろうと思ったきっかけが、本当に(自分の)名前だったってこと?

南谷:父が海が好きで、彼は自分が死んだらその骨を七つの海に撒いてくれって。いつか世界一周ヨットでセーリングしたいなって思っていて、それにはいつか学ばないといけないし、今、大学生でモラトリアムな期間の最中にこれを学ぼうと思って。

Shaula:じゃあ今、そのゴールがあるってこと?

南谷:あります。

Shaula:これはいつ頃に実現しようと思う?

南谷:いつでしょう。30代かもしれないし20代後半かもしれない。40代かもしれないし、わからないですね。

Shaula:じゃあそれはいいタイミングが来た時にやろうと思ってるんだ。でも話聞いてる感じ、やろうと思ったことをすぐ行動に移してる感じするんだけど。勇気あるよね。なんか普通の人だと、やってみたくてもなかなかできてない人の方が多いと思う。それが普通だと思うの。毎日、日々の生活に追われてそれだけで終わっちゃったって。そうなってないのはなんでだと思う?

南谷:人生は一度しかないってのは、父が蜘蛛(くも)膜下出血に、2017年の南アフリカに行く前に、なったんです。本当に父は死ぬかもしれないと思って。通常なら生きていたとしても手が動かなかったり、うまく喋れなかったり後遺症が残ったりするのに、それが全くなくて。手術が無事終わって、父から人生一回しかないんだってことを学んだような気がして、父が言ってた、自分が死んだら骨を七つの海に撒いてねって願いのためにも今学びに行こうってなったんです。

Shaula:マジ感動する。すごいよね、それ。だって、お父さんのためにやろうってことでしょ?

南谷:お父さんからすれば余計なお世話だって今は思ってるかもしれませんけど(笑)。

Shaula:でも今まで話を聞いてると、色々真鈴さんの経験してきていることって体とマインドが一緒になってないとできないことじゃない?

南谷:いや、でも私が尊敬している人が、「本当に幸せな人は、考え・言葉・行動がハーモニーしてる人だ」って言ったんです。彼はガンジーの言葉を私にそのまま伝えたって言ってるんですけど。

Shaula:私も、その言葉大好き。考えてること、言ってること、やってること、全部が一緒になった時が本当の幸せ。私もこの言葉、前読んだ時に確かになぁと思った。今はその幸せ感じてる?

南谷:感じてます。心の山を登りたいがために、現実の山にそれをある意味写し当てて山を登っていたので。山を登るっていうのが自分の中でシンボルのように、心の壁だったり山をも乗り越えることができたって思ってます。

Shaula:本当ただただ、すごいって思う。

南谷:この世の人みんなが心の中にある世界、あなたの頭の中にある世界が現実と同じなんだって思えるようになったら、精神的な病だったりとかそんな壁も壊せるんじゃないかな、なんて思ったりします。

写真左からShaula、南谷真鈴(冒険家) ©InterFM897

心に感じていることを、言葉にして伝えなきゃって思いが強い

Shaula:今はトレーニングは、やってる?

南谷:山に向けてのトレーニングは、もちろんしていなくて。

Shaula:だってもう「seven summits」、世界で登山家が登りたい七つの山を全てクリアしてるってことだから、登山家の人たちが夢見ることを22歳にして全てクリアして。こっからはどうするのっていう。

南谷:友だちと一緒に日本の西穂高から槍ヶ岳を、縦走っていう登山もしてます。楽しむために。年末は厳冬期の富士山を登りに行ったり、1月1日の御来光を拝むとか。そう行った登山はしていますが。

Shaula:じゃあもう今後は登山は自分のライフスタイルの一部ってことだよね。

南谷:はい!その通りです。今は大学という山から滑落しないようにしております。

Shaula:上手い!すごい!今はハーフマラソン走るとか走らないとか。

南谷:ハーフマラソンはちょうど2週間前に走って、今は令和元年初フルマラソンしたいって思ってトレーニングしていて、それでハーフマラソン走ったっていう。これから着実にランニング、マイルとかも貯めていきたいと思ってます。

Shaula:でもすごい山とか登ってるからマラソンなんて、へっちゃらでしょ、って思っちゃうんだけど。でも話を聞いてるとね、心の山を登るために現実の山を登ったって話に戻るけど、シンボリズムじゃない、それってすごく。そういったシンボリズムって、いろんなところで大切にしてる?

南谷:とても大切にしております。

Shaula:例えばどういったところで。

南谷:何をするにしてもいろんな外部の現象とかに結びつけるのが好きで、なんでこれをしているのか、なんで今なのかって考えた時に、こうこうこういう理由で、こうだからっていうのがあるとよりそれに対して前向きな気持ちで、根が深く取り組めると思うんです。

Shaula:なら表面的なことを抜け出して、ディープな所に行けば行くほど。

南谷:そして山を登るのも、この心の山はこの山で表されてるんだって登ったりすると本当に下山した時に全然違う気持ちになったりとか。

Shaula:すごい。なんか学ぶことが多いわ、今回。だって私22の時、全然こんなじゃなかった。

南谷:いやいや、同世代の子みんな同じような景色を見ているんだと思いますが、それを言語化するのが難しいってところがあるのかもしれないです。今まで24時間ネットに繋がっていて、e-mailとかチャットでのやり取りでの歯がゆさみたいなのを13くらいの時から感じているから。だからこそ、自分の見ていること思い描いていることを心に感じていることを、より言葉にして伝えなきゃって思いが強いから、見えてる景色とか感じていることを伝えているだけなんじゃないかと思います。

Shaula:本当にディープな話ができた。今後はどういったことを考えてますか?

南谷:まずは大学を卒業。そしてヨットはヨットで続けて、キャリアはキャリアで海や山とは全く違うフィールドで築いていきたいなって思ってます。

Shaula:いろんなゴールを持って。フルマラソンも。

南谷:そうです。いずれはトライアスロンもしたいなって思ってます。

Shaula:そうなんだ。私は活動を楽しみにしてます。

南谷:ありがとうございます!

Shaula:本当会えてよかった。

南谷:私も会えてよかったです、Shaulaさん。

表参道Ao 10th Anniversary Presents Oshare Life
放送局:interfm
放送日時:毎週土曜 14時00分~14時30分
出演者:Shaula
番組ホームページ

メール:oshare@interfm.jp
ハッシュタグ:#オシャレ897

※該当回の聴取期間は終了しました。

消息不明の研究者たち、共通点は「日中友好の懸け橋」的存在であること?

5月2日「長野智子アップデート」(文化放送)、午後4時台「ニュースアップデート」のコーナーは中国を始め東アジア情勢に詳しい近藤大介さん(講談社『現代ビジネス』編集次長)に、相次ぐ研究者の消息不明問題について伺った。

長野智子「確かに最近、(研究者の消息不明の)ニュースが多いです」

鈴木敏夫(文化放送解説委員)「一時帰国中の中国人学者が戻ってこない、連絡がとれない、というニュースをよく耳にしますね」

長野「先週(のニュースで)は亜細亜大学の范雲濤教授が、去年2月に一時帰国して消息不明と。そしてこの范教授をよくご存じだと」

近藤大介「30年近く知り合いですね。家にお邪魔したことも、奥さんの料理を食べたこともあります。すごく立派な一人息子さんがいて。本当に優秀な学者さんなんですよ。京都大学で博士号をとって亜細亜大学の教授になられたという。恐らく、まだ中国人教授の出始めのころ(からの方)だと思います」

長野「人物的には?」

近藤「すごく穏やかでハイカラな上海人でした。日中友好のために自分の人生を捧げるんだ、と、そういう方だったんです。国際アジア共同体学会、亜細亜新生交流協会の理事長をされるとか。日中友好の懸け橋となっていた方なんですね」

鈴木「そんな方がなぜ?」

近藤「そこがやっぱり不思議。鈴木(英司)さんという方もそうでしたけど、日中友好の懸け橋となっていた方が捕まる、そういうのが最近の傾向になっています」

長野「去年2月、范教授が一時帰国したときはお会いになっているんですか?」

近藤「会っていないんです。(一時帰国前は)WeChatでずっとやりとりしていまして。彼はすごく律義な方で、春節(旧正月)や中秋節など節目、節目に必ず私にメッセージをくれるんですよ。『最近、こんなことしています』とかいろんなやりとりをしたり、音声通話で話したり。コロナもありましたので、そういうことをしていたんです。去年の春ぐらいから音信がつかなくなったんですよ」

鈴木「ほう」

近藤「春節で連絡しても返事が来ないし、病気でもされたのかと気になってはいたんです。そうしたら最近ニュースが出て、ビックリしました」

長野「近藤さんが中国通でいらっしゃるから伺うんですけど、想定される背景というのはあるんですか? 次々と皆さんがいなくなる……」

近藤「たとえば中国の批判を毎日しているような人が捕まる、というのはわかるんです。でも正反対なんですよ。日本と中国の間の懸け橋になろう、という人が次々と捕まっていくので、何かほかに理由があるとしか考えられないわけですよ。批判も何もしていないですから。彼(范教授)と二人で会っていても、いかに日本と中国が仲良くするか、そういう話ばかりするわけです。根っからの、懸け橋になろうとする人なんですね」

長野「今年3月にも、神戸大学の胡士雲教授が去年夏に帰国して以降、消息不明になっていることがわかったと」

近藤「そうなんです。私の友人のジャーナリスト、吉村(剛史)さんという方がスクープして、それから全紙が追うようになった。彼も関西では日中友好の懸け橋の象徴のような方だったんですよ」

長野「皆さん共通しているんですね、懸け橋みたいな方だったという」

近藤「そうなんですよ。そこが最近の不可思議なところというか」

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