アメリカの若き政治家と結婚した後にファーストレディーとなる。夫が暗殺された後は、世界的海運王と再婚、浪費の限りを尽くす。こんな人生を送ったからでしょうか、ジャクリーン・ケネディ・オナシス(以下、ジャッキー)はしたたかな女と言われることがあります。

彼女に関する資料を読んだのですが、私にはそう思えませんでした。むしろ、うまいこと利用されちゃったのでは?と思えなくもない。それでは、いつもどおり、ジャッキーの人生を簡単に振り返ってみましょう。

超簡単に振り返る、ジャクリーン・ケネディ・オナシスの人生

ジャッキーはフランス系貴族の名門、ブーブィエ家に生まれました。両親は離婚をしていますが、継父も裕福であったために、上流階級の子女が集う名門校に進み、デビュタント・オブ・ジ・イヤーに輝くなど、恵まれた青春時代を過ごします。しかし、「ふつうの主婦になりたくない」と思っていたジャッキーはパリに留学し、仕事もするなど良家の子女らしからぬ行動に出ますが、これがきっかけとなって夫となるジョン・F・ケネディ(以下、ジョン)と知り合うことになります。当時、ジャッキーは良家のイケメンの婚約者がいましたが、危険な感じのするジョンに惹かれ、婚約を破棄しています。

ジョンの尋常じゃないオンナ遊びと、新興成金であったケネディ家にうさん臭さを感じていた周囲は、結婚を思いとどまるように忠告しますが、危険なオトコにひかれるジャッキーはジョンを選びます。夫の女性関係にはある程度の覚悟があったようですが、ジョンは夫婦で参加したパーティーの途中で女性と消えたり、ハリウッドの女優と浮名を流したりと、想像を超えた女漁りを開始します。そのストレスから、ジャッキーはものすごい浪費をした挙句、一家の長、ジョセフに離婚を申し出ますが、大統領を狙う政治家が離婚では格好がつかない。ジョセフは浮気が露見するたびに、ジャッキーにカネを渡すことで解決をはかります。

ケネディ家の全精力を注いで大統領になったものの、ジャッキーは流産と死産を経験し、ジョンは暗殺されてしまいます。ジョンの弟、ロバートも凶弾に倒れたことで、ケネディ家が狙われていると確信したジャッキーは、二人の子どもを守るために、世界的な海運王、ギリシア人のオナシスと再婚します。オナシスといえば莫大な富の持ち主であるとともに、アメリカの司法局の調査対象にもなっていたグレーな人物。われらがファーストレディーがカネに目がくらんだとアメリカ国民は大ブーイング、カトリック教会からは破門されてしまいます。

そうまでして再婚した二人ですが、世界を飛び回るオナシスとジャッキーの間には精神的な溝ができ、またしてもすさまじい浪費を始めます。オナシスは離婚したがっていたそうですが、具体的な行動を起こす前にオナシスが死亡、ジャッキーは莫大な遺産を相続して、ニューヨークに戻ります。

ジャッキーがしたたかだと信じる人は、彼女がなんの非もない婚約者を捨て、野心マンマンの政治家と結婚し、世界有数のカネ持ちと再婚したことを根拠にしているのでしょうが、ジャッキーはそんなにトクをしていないのではないか、というのが私の考えです。

ジャッキーと結婚せよとたきつけたのは、ジョンの父親だったそうです。なりあがりのケネディ家にとって、ジャッキーのような名門の令嬢は自分たちの拍付けにつながるからでしょう。ジャッキーの政治家の妻としての資質は非常に高く、得意のスペイン語やイタリア語を駆使して遊説し、ジョンの演説原稿もチェックするなど二人三脚で大統領選を戦っています。再婚相手のオナシスはマリア・カラスという長年の恋人がいたにも関わらず、ジャッキーとあっさり結婚しますが、これはジャッキーのアメリカ大統領の妻というステイタスに惹かれたからではないでしょうか。二回とも、ジャッキーのほうが利用されたように私は感じます。

したたか、を辞書で引くと、粘り強くて他からの圧力に屈しないこととか、海千山千といった具合にネガティブニュアンスを伴います。誰だって悪く言われるのは本意ではないでしょう。ということは、「したたかだね」と周囲に言わせる人は、ボロが見えてしまっているわけで、真のしたたか者ではないのです。

ジャッキーが毅然としてジョンの葬儀に臨んだこと、幼い息子がジョンの遺体に敬礼したことに全米は涙し、ジャッキーの神秘性は頂点に達します。もしジャッキーが本当にしたたかだったら、イメージダウンにつながるオナシスではなく、もっと好感度の高い富豪と再婚したはずです。私にはジャッキーはしたたかというより、直情型タイプであるように感じられます。

ジャクリーン・ケネディ・オナシスの名言「不変なものは何もない」

  • イラスト:井内愛

「不変なものは何もない」

ジョンが暗殺され、アメリカを出てオナシスのもとに行くと決めた時のジャッキーの言葉です。大統領だって、亡骸になってしまえばただの人。自分と子どもたちを守ってくれる経済力のある人のもとへ行くという意味だったのでしょう。この時の発言は、「環境は変わる」という意味合いが強かったのでしょうが、ジャッキーが見落としていることがあると思うのです。それは、自分も変わる可能性があるということ。

オナシスの死後、ジャッキーはニューヨークに戻ります。生活の心配はありませんでしたが、出版社で仕事を始めます。50歳をすぎて人生最後にして最愛の人に巡り合いました。彼の妻が離婚を拒んだため、結婚こそしませんでしたが、非常に仲は良く、腕を組みながら公園を散歩する姿が目撃されていました。彼はジャッキーが64歳で亡くなるまで、そばに寄り添ってくれたそうです。

彼はイケメンと言うわけではありません。世間的には十分お金持ちですが(彼は優れた投資家で、ジャッキーが持つ遺産をうまく増やしたそうです)、大富豪というわけではありません。ジャッキーと彼が腕を組んで公園を歩く姿を捉えた写真が残っていますが、ジャッキーは本当にリラックスしているのがわかります。もしジャッキーに元大統領夫人で、大富豪の妻という変なプライドがあったら、こういう男性を選ばなかったのではないでしょうか。

「不変なものは何もない」ということは、変わることを恐れるなとほぼ同義でしょう。50代にして、変わることを受け止めたジャッキーは、私にとってはしたたかというより、勇気ある女性に思えてならないのです。

※この記事は2018年に「オトナノ」に掲載されたものを再掲載しています。