モーニング娘。の「プラチナ期」をリーダーとして牽引した高橋さん。モーニング娘。を卒業してからは女優やモデルとしても活躍し、最近では自身のファッションブランドを立ち上げ、コスメブランドもプロデュースするなど、ますます活躍の場を広げています。

現在、SNSの総フォロワー数は429万人以上。10月29日には、芸能活動20周年を記念したフォトブック『AI VERSARY』(宝島社)の発売も控え、さらに注目度が高まる高橋さんですが、今回は、マルチな活動を続ける高橋さんに、「“好き”を仕事にすることの意義」について、お話をうかがいました。

▼「親の反対は夢を諦める理由にならない」中学時代の想い

ーーはじめに、高橋さんの芸能界入りされるまでの経緯を教えていただけますか?

芸能界を目指したのは、純粋にモーニング娘。になりたかったからです。

もともと宝塚歌劇団を目指していて、クラシックバレエを習ったり、合唱部に所属していたのですが、身長もなかなか伸びず、諦めかけていたときに、後藤真希さんがモーニング娘。に加入したんです。

それまでモーニング娘。なんて雲の上の存在で、自分が入るなんて想像もしなかったのに、 「自分のひとつ年上の人が入った。じゃあ、私も入りたい!」と思って、5期メンバーの募集に応募したんです。

ーー当時はまだ中学生ですよね。親は反対しませんでしたか?

母は応援してくれましたが、父にはオーディションを受けること自体を隠していました(笑)。でも、3次審査が合宿だったので、いよいよ父にも言わなきゃいけなくなってしまって……説得するのは本当に大変でした。

ーーどうやって説得したんですか?

とにかくモーニング娘。に入りたいんだ、という気持ちをぶつけました。父には「宝塚を目指していたんじゃないのか!」と言われましたが、私も必死で説得しようとして、無意識に「私はモーニング娘。で後藤真希を超えるんだ!」なんて言ったのも覚えています(笑)。

最終的にはしぶしぶ納得してくれて、デビューが決まってからはむしろめちゃくちゃ応援してくれるようになって、家に私のポスターまで貼っていたんですよ(笑)。

ーーお父さんも、それだけ心配だったんでしょうね。

父も私も、天の邪鬼なんです。でも、もし父に最後まで「ダメだ」と言われても、私はモーニング娘。になっていたと思います。それだけモーニング娘。になることが大事だったし、もし説得できなくても、モーニング娘。になってから認めさせようと考えていました。頑固なんです、私。

私にとって、親の反対は夢を諦める理由にはなりませんでした。ダメと言われてもやる。その生き方は今も一緒……というより、ますます拍車がかかっている気がします(笑)。とにかく、何かができないことを、人のせいにしたくないんです。

▼常にネガティブだった。でも、必死でいることが好きだった。

ーー実際にデビューしてみていかがでしたか? テレビで観ていたモーニング娘。とギャップなどはありました?

想像していたものとはまったく違いました。それまでは普通の女の子だったので、親以外に強く怒られることもなかったのに、レッスンでは毎日のように怒られていました。

今なら怒られた理由も100%わかります。でも、当時は天の邪鬼が出てきて、「なんで怒られているんだろう」と思ったり、踊りや歌ができない自分にもまたイライラしていましたね。先輩に追いつこうと必死でしたし、マネージャーさんもかなり厳しかったので、とにかく「もう怒られたくない!」と思いながら頑張っていました(笑)。

ーー環境に慣れるまで、かなり時間がかかったんですか?

結局、慣れなかったかもしれません。私たち5期メンバーが先輩たちの足を引っ張っているんじゃないかと思っていたし、だから常にネガティブだったと思います。モーニング娘。であることを楽しめるまでは、かなり時間がかかりました。

ーーモーニング娘。が嫌になって、もう辞めようと思ったことはないんですか?

辞めようと思ったことはありませんが、今逃げたらどうなるかな~なんて想像はしていました。でも「今、地元に逃げ帰ったら恥ずかしいな~」って思ったり(笑)。やっぱり、応援してくれる人たちがいたから続けられたんだと思います。ファンの方たちの声は本当に力になりましたし、救われました。

あとは結局、必死でいることが好きだったんだと思います。確かに大変だったけど、嫌だとは思いませんでした。できない自分は嫌だったけど、だからこそ次の日にはできるようになろうと、家でも寝ずに練習しましたし。「嫌だ」というより、どちらかというと「悔しい」という思いが大きかったのかもしれません。

ーー大変だった分、楽しいこともあったわけですよね?

もちろんです。デビュー曲が宝塚歌劇団を連想させる楽曲「Mr.Moonlight ~愛のビッグバンド~」だったのも嬉しかったですね。当時、「エンタの神様」で宝塚歌劇団の皆さんとコラボで歌えたのも本当に幸せでした。

ーー今年で芸能界デビュー20周年ですが、特に印象に残っている仕事はありますか?

たくさんありますが、『リボンの騎士 ザ・ミュージカル』のことは特に覚えています。モーニング娘。のメンバーが出演しているのですが、出演者以外の制作スタッフさんたちがみんな宝塚歌劇団の方たちだったんです。本当に夢のようでした。そんな中で主役になれるなんて、幸せすぎて怖いくらいでしたね(笑)。

ーー夢が叶った瞬間ですね。ちなみに、20年の芸能人生で強く影響を受けた人物などはいますか?

明石家さんまさんです。ラジオのレギュラー番組でもずっとご一緒していましたが、さんまさんからは学ぶことばかりです。昔、さんまさんが信号待ちをしているときに悪ふざけで中学生にお尻を蹴られたらしいんです。そのときのさんまさん、相手に何て言ったと思いますか?

ーー普通なら「ふざけるな!」と怒りそうですが……。

「ナイスキック!」って言ったらしいんですよ。さんまさんは、普段から何が面白いかだけを考えて生きているので、生活にもその哲学が沁み渡っているんですよね。だから「ナイスキック!」なんて言葉がナチュラルに出てくるんですよ。さんまさんからは、未だに大きな影響を受けていますね。

……後編へ続く