映画『百円の恋』 (C)2014東映ビデオ

部活を辞めた理由と演技への道

――実はマイナビニュースでは、2007年にも別の者がインタビューをさせていただいておりまして。

覚えています! 以前にも取材してもらったことがあると思って、読み直してきました!

――ありがとうございます(笑)。そのインタビューでは、中学2年の時に水泳部、その後陸上部を辞めて「打ち込めるもの」を求めて映画のオーディションを受けたとおっしゃっていました。そもそも部活を辞めた理由は?

水泳はもともとスイミングスクールで習っていました。泳ぐのが好きだったので水泳部に入ったんですけど、夏ぐらいからだんだんプールが汚くなってきたんですよ。すごく管理がひどくて。どんどん汚くなっていって、大丈夫かこの部…と(笑)。人数が少なかったのもあるんですけど、ひと夏だけ泳いで満足しちゃって辞めちゃいました。その後、友だちが入っていた陸上部が先輩とかいて楽しそうだなと思って入れさせてもらったんですけど、そんなに陸上が得意じゃないということに気づいて(笑)。こんな感じで、何事もひとまずやってみるタイプです。

――それから映画のオーディションはどのような流れで受けることになるのでしょうか。

東京に出てみたいという思いがありました。オーディション雑誌を見て、読者モデルのオーディションを受けたりしていたんですけど、その雑誌の方が関西で映画のオーディションがあるからどうですかと勧めてくださったんです。それまで映画はあまり見たことなかったんですけど、父親が映画が好きだったこともあって「映画、いいじゃない?」と。「映画いいじゃない」と。ん?あっ、「映画いいやん」って言ったんです。父親、関西弁でした(笑)。

運命を変えた人物

――どのようなオーディションだったんですか?

それが河瀬直美さんとの出会いでした。中学2年生の時に初めてきちんと見た映画が河瀬作品ということになります。オーディションで最後の3人くらいになった時に、「あなた女優に向いてる」って言ってくださったんです。ご本人は覚えていらっしゃらないと思うんですけど、14歳ぐらいの私にとっては、すごく衝撃的な言葉でした。

結局受からなかったんですけど、そのあとに候補者の女の子たちとエキストラで参加して、ひと夏、奈良の街に通いました。奈良のお祭りを描いた『沙羅双樹』という映画で、街を練り歩くという踊り隊の中で1つのチームに参加して、踊る練習をしました。

ここでは演技との出会いというより、映画の撮影現場や河瀬さんとの出会いが大きくて。河瀬さんとまた仕事ができるような人になりたいと心に決めて、女優の勉強をしたいと思うようになりました。

――その後の接点は?

まだありません(笑)。でも回顧上映が3年ぐらい前にあったとき、ゲストでいらした河瀬監督に手紙をお渡ししました。すると後日、河瀬監督の会社のスタッフさんが「河瀬がすごく喜んでいました」と連絡を下さって。驚きました。いろんな監督、現場に行ってお仕事をする中で、いろんな表現があるということを知ることができました。私はどの表現も好きで、そこでご一緒するのはとても楽しいです。

河瀬さんだけじゃなくて、今までお仕事をさせてもらった監督が私の出演作を見る時のために、恥ずかしくない仕事をしていたいと思っています。私が出ている作品を見て、がんばってるなと思ってもらえるとうれしいですね。

――現在の事務所に入るきっかけは?

オーディション雑誌でスターダストプロモーションの募集がありまして、レッスン費が無料って書いてあったんです。これだー!と思いました(笑)。